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力丸嗣夫師 リビングライフ LINE
          (新改訳聖書2017)
    

2022年度(月) 
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北九州シオン教会

 
伝道者の書 12:1~14

【新改訳2017】

12:1 あなたの若い日に、あなたの創造者を覚えよ。わざわいの日が来ないうちに、また「何の喜びもない」と言う年月が近づく前に。
12:2 太陽と光、月と星が暗くなる前に、また雨の後に雨雲が戻って来る前に。
12:3 その日、家を守る者たちは震え、力のある男たちは身をかがめ、粉をひく女たちは少なくなって仕事をやめ、窓から眺めている女たちの目は暗くなる。
12:4 通りの扉は閉ざされ、臼をひく音もかすかになり、人は鳥の声に起き上がり、歌を歌う娘たちはみな、うなだれる。
12:5 人々はまた高いところを恐れ、道でおびえる。アーモンドの花は咲き、バッタは足取り重く歩き、風鳥木は花を開く。人はその永遠の家に向かって行き、嘆く者たちが通りを歩き回る。
12:6 こうしてついに銀のひもは切れ、金の器は打ち砕かれ、水がめは泉の傍らで砕かれて、滑車が井戸のそばで壊される。
12:7 土のちりは元あったように地に帰り、霊はこれを与えた神に帰る。
12:8 空の空。伝道者は言う。すべては空。
12:9 伝道者は知恵ある者であった。そのうえ、知識を民に教えた。彼は思索し、探究し、多くの箴言をまとめた。
12:10 伝道者は適切なことばを探し求め、真理のことばをまっすぐに書き記した。
12:11 知恵のある者たちのことばは突き棒のようなもの、それらが編纂された書はよく打ち付けられた釘のようなもの。これらは一人の牧者によって与えられた。
12:12 わが子よ、さらに次のことにも気をつけよ。多くの書物を書くのはきりがない。学びに没頭すると、からだが疲れる。
12:13 結局のところ、もうすべてが聞かされていることだ。神を恐れよ。神の命令を守れ。これが人間にとってすべてである。
12:14 神は、善であれ悪であれ、あらゆる隠れたことについて、すべてのわざをさばかれるからである。
 2022年12月31日(土)リビングライフQT

《空》・・伝道者の書の、終始貫いていたのはこの《空》と言う主題でした。
これは単なる、虚無思想なんでしょうか(なんで)
実はそうではないのです。
何が《空》なのか、が最後の章で解明されています。
*1節: あなたの若い日に、あなたの創造者を覚えよ。
災いの日が来ないうちに。
*13節: 結局のところ・・・『神を恐れよ。神の命令を守れ。これが人間にとってすべてである。』
創造者《神》を怖れない人生・・それは、(神)神がその人のために備えられた、永遠の恵みと祝福を知らずに、滅びの道へと降るからです。😖💦
人生の途上で、どのような成功・評価・称賛を受けても、人生の終わりと共に、潰え去るのです。それを“伝道者”は《空》と言ったのです。
2022年12月31日 最後の一日、
改めて主なる神ノ前に、自らを御子イエス・キリストの十字架の贖罪の血に洗われて、新しい年へと、一歩踏み出しましょう‼️🎶ハレルヤ‼️

この一年、聖言葉を介して、霊の交流頂き感謝に耐えません。ありがとうございました。
新しい年にも、主からの恵みと平安が豊かにありますように‼️🎶
 
伝道者の書 11:1~10

【新改訳2017】

11:1 あなたのパンを水の上に投げよ。ずっと後の日になって、あなたはそれを見出す。
11:2 あなたの受ける分を七、八人に分けておけ。地上でどんなわざわいが起こるかをあなたは知らないのだから。
11:3 濃い雲が雨で満ちると、それは地上に降り注ぐ。木が南風や北風で倒れると、その木は倒れた場所にそのまま横たわる。
11:4 風を警戒している人は種を蒔かない。雨雲を見ている人は刈り入れをしない。
11:5 あなたは妊婦の胎内の骨々のことと同様に、風の道がどのようなものかを知らない。そのように、あなたは一切を行われる神のみわざを知らない。
11:6 朝にあなたの種を蒔け。夕方にも手を休めてはいけない。あなたは、あれかこれかどちらが成功するのか、あるいは両方とも同じようにうまくいくのかを知らないのだから。
11:7 光は心地よく、日を見ることは目に快い。
11:8 人は長い年月を生きるなら、ずっと楽しむがよい。だが、闇の日も多くあることを忘れてはならない。すべて、起こることは空しい。
11:9 若い男よ、若いうちに楽しめ。若い日にあなたの心を喜ばせよ。あなたは、自分の思う道を、また自分の目の見るとおりに歩め。しかし、神がこれらすべてのことにおいて、あなたをさばきに連れて行くことを知っておけ。
11:10 あなたの心から苛立ちを除け。あなたのからだから痛みを取り去れ。若さも青春も空しいからだ。
 12月30日(金)リビングライフQT

全体に語られる、言葉の核に、《人生の日々を、自ら制約したり、信条を狭めたりすることを戒めている》言葉を各所に見ますね。
4・6・8・9・10節
端的に言うと、私たちは、神により創られた存在です。しかし、無造作にではなく、主なる神のご計画と目的をもって、生かされているものです。
神が全権と全能を注いで創られたのですから、私たちは、神に応えて、自由と期待と喜びとをもって、創られたことを喜び感謝して、生きていきたいですね。
そこで、主なる神は、自由奔放に生きるのではなく、
神が深いご計画と意図をもって、御創り下さったのですから、主のお心に想いを繋ぎましょう。
8節~10節には、創造者《神》の御想いが、表されているのを、しっかりと、心に留めておきましょう‼️
もう一度今日のテキストを読み直し、心に留めましょう🎵
私は、1節『あなたなパンを水の上に投げよ。ずっと後の日になって、あなたはそれを見いだす‼️』
これは、わたしの人生(献身の生涯)のモットーにしている聖句です‼️
 
伝道者の書 10:12~20

【新改訳2017】

10:12 知恵のある者が口にすることばは恵み深く、愚かな者の唇は自分自身を呑み込む。
10:13 彼が口にすることばの始まりは、愚かなこと、彼の口の終わりは、悪しき狂気。
10:14 愚か者はよくしゃべる。人はこれから起こることを知らない。これから後に起こることを、だれが彼に告げることができるだろうか。
10:15 愚かな者の労苦は、自分自身を疲れさせる。彼は町に行く道さえ知らない。
10:16 わざわいなことよ、あなたのような国は。王が若輩で、高官たちが朝から贅沢な食事をする国は。
10:17 幸いなことよ、あなたのような国は。王が貴族の出であり、高官たちが、酔うためではなく力をつけるために、定まった時に食事をする国は。
10:18 怠けていると天井が落ち、手をこまねいていると雨漏りがする。
10:19 パンを作るのは笑うため。ぶどう酒は人生を楽しませる。金銭はすべての必要に応じる。
10:20 心の中でさえ、王を呪ってはならない。寝室でも、富む者を呪ってはならない。なぜなら、空の鳥がその声を運び、翼のあるものがそのことを告げるからだ。
 12月29日(木曜日)リビングライフQT

私が、ここ一番😞しばしば失敗することが、
14節: 愚か者はよくしゃべる😖💦
ここを読んで、心がズキンと痛む😡⚡️
しばしば、自分を知って欲しい・・・と、饒舌になる自分に、嫌悪する自分を知っている。
中国の言葉に“桃梨、物言わず、下(シモ)、自ずから径をなす❗️”と言うことばがありますが、まさに“沈黙は金“ ですね。
愚かな者の、サンプルが様々な形容で披露されていますが、実に、悲しいほどに明らかにされていますね。
今朝のこのテキストを読みながら・・・
自分の浅はかさと、創世記の中に出てくる若い時の、”ヨセフ” を、思い出していました。もちろん歴史的結果としては、 背後に神の御計画があってのことですが、ヨセフの自慢話が、自らの道に、一時的とはいえ、辛酸をなめる結果を招いている。
ヨセフのその後の生涯は、神に祈り(語り)、真実を生き行動する、生活を積み重ねたのです。
20節の教えは、この様に置き換えて、後半に繋ぐことができますね。
『心の中でさえ、王を呪ってはならない。寝室でも、富むもの(権力者)を呪ってはならない』⇒自らを高く評価されるように、語って(自己宣伝)はならない。何故なら、例え黙していても、・・・空の鳥が回りの評価を、人々に語り継げるからだ‼️
ここで、福音(神の良き音信)を伝えるには、説得力のある語り、有名な説教家のお話、巧みな説得力ではない。
あなたの・わたしの、愛と赦しに富む、存在感・行動・真実に裏打ちされた言葉・知られない陰の執りなしの祈り‼️なのです。
智恵は、神の愛からでる、仕える姿なのです。アーメン❤️
 
伝道者の書 10:1~11

【新改訳2017】

10:1 死んだハエは、調香師の香油を臭くし、腐らせる。少しの愚かさは、知恵や栄誉よりも重い。
10:2 知恵のある者の心は右を向き、愚かな者の心は左を向く。
10:3 愚か者は、道を行くときにも思慮に欠け、自分が愚かであることを、皆に言いふらす。
10:4 支配者があなたに向かって立腹しても、あなたはその場を離れてはならない。冷静でいれば、大きな罪は離れて行くから。
10:5 私は、日の下に一つの悪があるのを見た。それは、権力者から出る過失のようなもの。
10:6 愚か者が非常に高い位につけられ、富む者が低い席に座しているのを、
10:7 また、奴隷たちが馬に乗り、君主たちが奴隷のように地を歩くのを、私は見た。
10:8 穴を掘る者は自らそこに落ち、石垣を崩す者は蛇にかまれる。
10:9 石を切り出す者は石で傷つき、木を割る者は木で危険にさらされる。
10:10 斧が鈍くなったときは、刃を研がないならば、もっと力がいる。しかし、知恵は人を成功させるのに益になる。
10:11 もし蛇がまじないにかからず、かみつくならば、それは蛇使いに何の益にもならない。
 12月28日(水曜日)リビングライフQT

智恵と、愚かさの対比的訓戒の数々‼️
実に、ズバリ心探られる言葉の展開でしょう。
一節一節が、経験上の真理として、魂に、日常の智恵として、迫ってきます。
1節: 愚かさは、周りを
腐敗させますね。
2節: 古今東西を問は     ず、右は第一に向かう方向(利き手)なので、愚かさは真理に逆らう‼️と言う意味でしょうね。
3節: 裸の王様を思い出させるような・・・
4節: 大きな罪(?)→王の間違いを、気付かせる、働きとなる。
5節: 思わず、ロシア大統領を、想い出させられました😱
6・7節: 世界の歴史の中でこの様な、姿を幾度観たことでしょう。
8節: 思慮のない行為が自らを、罠にはめる。石の固さがしばしばその重さと鋭さで・・・石垣にはしばしば蛇が潜んでいるものです。
10節: 研ぐことは、智恵を磨く‼️ 智恵も磨かなければ、鈍く切れ味を失う。常に智恵を磨き訓練しよう。
智恵は、先天時な不動の能力ではない。
11節: どんなに智恵や知識があっても、人の心を捉える愛と真実がなければ、智恵は、意味がない😱
*結び・・“智恵”は、神からの賜物ですから、訓練して磨き、与え主なる神への真実に基づき、愛をもって顕すとき、空の星のように輝き❗️慰めと力の源となるのです‼️🎶
 
伝道者の書 9:11~18

【新改訳2017】

9:11 私は再び、日の下を見た。競走は足の速い人のものではなく、戦いは勇士のものではない。パンは知恵のある人のものではなく、富は悟りのある人のものではなく、愛顧は知識のある人のものではない。すべての人が時と機会に出会うからだ。
9:12 しかも、人は自分の時を知らない。悪い網にかかった魚のように、罠にかかった鳥のように、人の子らも、わざわいの時が突然彼らを襲うと罠にかかる。
9:13 私はまた、知恵について、日の下でこのようなことを見た。それは私にとって大きなことであった。
9:14 わずかの人々が住む小さな町があった。そこに大王が攻めて来て包囲し、それに対して大きな土塁を築いた。
9:15 その町に、貧しい一人の知恵ある者がいて、自分の知恵を用いてその町を救った。しかし、だれもその貧しい人を記憶にとどめなかった。
9:16 私は言う。「知恵は力にまさる。しかし、貧しい者の知恵は蔑まれ、その人のことばは聞かれない」と。
9:17 知恵のある者の静かなことばは、愚かな者の間での支配者の叫びよりもよく聞かれる。
9:18 知恵は武器にまさり、一人の罪人は多くの良いことを打ち壊す。
 12月27日(火曜日)リビングライフQT

誰にでも、無差別に襲い来る、様々な災い・人生の祝福・人生回りに起こり来る、様々な事どもは、それを受ける人に、特別な状況や理由があっての事ではない。
災いも、祝福も、誰にでも襲い来る、人生の常なのです。
しかし、そうした様々な浮き沈みのなかで、あらゆる状況を力強く、乗り越え、変える力の源は、
 “知恵”なのだ‼️🎶
“智恵”は、神と命の流れで繋がる者に、注がれている賜物です。
“智恵”は、全ての賜物に勝る、神からの祝福の宝です。
私たちが真実求めるものは、様々な賜物や、解決策や、力量や、奇跡・・・なのではなく、只一つ神に求めて与えられたい賜物は、只一つ《智恵》ではないでしょうか‼️🎶
奇跡や勝利に目を奪われ易い、私たちの心(魂)を、《主》を求める者へと、変えて参りましょう🎵
 
伝道者の書 9:1~10

9:1 まことに、私はこの一切を心に留め、このことすべてを調べた。正しい人も、知恵のある者も、彼らの働きも、神の御手の中にある。彼らの前にあるすべてのものが、それが愛なのか、憎しみなのか、人には分からない。
9:2 すべてのことは、すべての人に同じように起こる。同じ結末が、正しい人にも、悪しき者にも、善人にも、きよい人にも、汚れた人にも、いけにえを献げる人にも、いけにえを献げない人にも来る。善人にも、罪人にも同様で、誓う者にも、誓うのを恐れる者にも同様だ。
9:3 日の下で行われることすべてのうちで最も悪いことは、同じ結末がすべての人に臨むということ。そのうえ、人の子らの心が悪に満ち、生きている間は彼らの心に狂気があり、その後で死人のところに行くということだ。
9:4 しかし、人には拠り所がある。生ける者すべてのうちに数えられている者には。生きている犬は死んだ獅子にまさるのだ。
9:5 生きている者は自分が死ぬことを知っているが、死んだ者は何も知らない。彼らには、もはや何の報いもなく、まことに呼び名さえも忘れられる。
9:6 彼らの愛も憎しみも、ねたみもすでに消え失せ、日の下で行われることすべてにおいて、彼らには、もはや永遠に受ける分はない。
9:7 さあ、あなたのパンを楽しんで食べ、陽気にあなたのぶどう酒を飲め。神はすでに、あなたのわざを喜んでおられる。
9:8 いつもあなたは白い衣を着よ。頭には油を絶やしてはならない。
9:9 あなたの空しい人生の間、あなたの愛する妻と生活を楽しむがよい。彼女は、あなたの空しい日々の間、日の下であなたに与えられた者だ。それが、生きている間に、日の下でする労苦から受けるあなたの分なのだ。
9:10 あなたの手がなし得ると分かったことはすべて、自分の力でそれをせよ。あなたが行こうとしているよみには、わざも道理も知識も知恵もないからだ。
 12月26日(月曜日)リビングライフQT

又、深刻(はてな)な、伝道の書に帰りますね😅
深刻と言うか?
皮肉な論述と言うか、
何れにもせよ、筆者は、読者の心の目を開かせようとしていることを強く感じますね。
*1節~“神の御手の中にある”・・・死も、生も、善も、悪も、知恵も、働きも・・・
人には理解・判別できないことも、神の手の中にある。
私達は、*隠れている *分かって貰えていない *見えていない・・・なでと自分で判断し、口ぬぐったり・絶望したり・自己欺瞞に酔ったり・卑屈になったり・孤独に感じたり・・・全く愚かなことです。
主なる神に信頼し、委ね、感謝し、悔い改め、へりくだり、喜びに満たされ・・・
神の命に繋がっていると、“神の手の中にある”・』と言う意味が、信じ信頼する者の、生きる力となるはずです。そこから多くの恵みが、湧き出してくる泉のような恵みとなるのです。
私の子供の頃、家族のなかで誤解されて、心がどん底に堕ちた時、昨年召天した、一番上の姉が、「嗣夫チャン、イエス様にお祈りなさい❗️イエス様は全てを知って見ておらかれるから‼️」
今でも、忘れられません。姉の言葉の背後に、イエス様の輝きを観た思いで、心が晴れたのです‼️

*9節の、家庭なかにも、夫婦の間にも・・
*10節の、人生の目的、働きなど全てに、神の御支配、導き、助けが伸ばされている・・
伝道者(ソロモン)は、
そう、囁き掛けているのではないでしょうか。
ソロモンの人生が達観していたのは、その信条にあったのです‼️
今朝、私達は、魂の目を何処に向けましょう・・
 
マタイ福音書 2:1~12

2:1 イエスがヘロデ王の時代に、ユダヤのベツレヘムでお生まれになったとき、見よ、東の方から博士たちがエルサレムにやって来て、こう言った。
2:2 「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。私たちはその方の星が昇るのを見たので、礼拝するために来ました。」
2:3 これを聞いてヘロデ王は動揺した。エルサレム中の人々も王と同じであった。
2:4 王は民の祭司長たち、律法学者たちをみな集め、キリストはどこで生まれるのかと問いただした。
2:5 彼らは王に言った。「ユダヤのベツレヘムです。預言者によってこう書かれています。
2:6 『ユダの地、ベツレヘムよ、あなたはユダを治める者たちの中で決して一番小さくはない。あなたから治める者が出て、わたしの民イスラエルを牧するからである。』」
2:7 そこでヘロデは博士たちをひそかに呼んで、彼らから、星が現れた時期について詳しく聞いた。
2:8 そして、「行って幼子について詳しく調べ、見つけたら知らせてもらいたい。私も行って拝むから」と言って、彼らをベツレヘムに送り出した。
2:9 博士たちは、王の言ったことを聞いて出て行った。すると見よ。かつて昇るのを見たあの星が、彼らの先に立って進み、ついに幼子のいるところまで来て、その上にとどまった。
2:10 その星を見て、彼らはこの上もなく喜んだ。
2:11 それから家に入り、母マリアとともにいる幼子を見、ひれ伏して礼拝した。そして宝の箱を開けて、黄金、乳香、没薬を贈り物として献げた。
2:12 彼らは夢で、ヘロデのところへ戻らないようにと警告されたので、別の道から自分の国に帰って行った。
Merry Christmas !
12月25日(日曜日)リビングライフQT

クリスマス物語は二題①ベツロヘムの野の、羊の夜番をしていた、羊飼いの礼拝
②東の国の博士の礼拝(今日のテキスト)
あまりに有名なお話で、クリスマスページェントの定番です。
この博士と言われている人達は、紀元前700年以上前(722年)にアッシリアに滅ぼされ、東のメソポタミヤ地方に捕囚として連れ去られた、北イスラエル王国の民の子孫で、異邦の民の地で、悔い改めて、真の神に立ち返り、イザヤ・ホセア・エレミヤ・ダニエル・・・等の、歴代の予言者に励まされて、立ち返り、特にイザヤの予言に励まされて、メシヤ待望の信仰を、受け継いできた人々なのです。語り継がれたメシヤ予言を受け継いだ彼ら(天文学者・占星術者)は、天空に観た不思議な星を、いち早く神の恵みの時の印と感じて、調べるなかで、予言者イザヤの書の中から、メシヤ到来を察知して、長旅(約2000Km)の旅をして、エルサレムに着いたのです‼️
私はここを読むたびに、子供時代から、地図を出して距離を確認し、その長い旅路を想像するのでした。
博士たちがベツレヘムに着いたのは、御降誕当夜ではないのですが、(11節:それから家に入り・・・)メシヤであるイエス様を拝して、喜んで帰ったのです。
彼らは、荒唐無稽にも思われる、メシヤ到来の信仰を、受け継いできた人達で、その不動の信仰が、700年の時を越えて、世界に慶びと希望を伝える使者として、用いられたのです。
今朝私たちは、主が御昇天になられる前に、『私はあなた方の所に迎えに来る‼️』と、約束された”最大の福音”を、信じる者として、時代の兆候をいち早く察知して、イエス・キリストの福音(十字架の贖罪と永遠の命の享受・死後の復活と甦り・永遠の神の国への凱旋)を、告げ知らせる一人としていただきましょう‼️🎶
彼らは、ヘロデの元(罪の支配)へは帰らず、新しい“別な道”から新しい世界へと、旅立ったのです‼️
私たちの今歩む道は、後戻りのない、新しい永遠の命への道です。‼️🎵
  ハレルヤ‼️
 
マタイ福音書1:18~25

1:18 イエス・キリストの誕生は次のようであった。母マリアはヨセフと婚約していたが、二人がまだ一緒にならないうちに、聖霊によって身ごもっていることが分かった。
1:19 夫のヨセフは正しい人で、マリアをさらし者にしたくなかったので、ひそかに離縁しようと思った。
1:20 彼がこのことを思い巡らしていたところ、見よ、主の使いが夢に現れて言った。「ダビデの子ヨセフよ、恐れずにマリアをあなたの妻として迎えなさい。その胎に宿っている子は聖霊によるのです。
1:21 マリアは男の子を産みます。その名をイエスとつけなさい。この方がご自分の民をその罪からお救いになるのです。」
1:22 このすべての出来事は、主が預言者を通して語られたことが成就するためであった。
1:23 「見よ、処女が身ごもっている。そして男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。」それは、訳すと「神が私たちとともにおられる」という意味である。
1:24 ヨセフは眠りから覚めると主の使いが命じたとおりにし、自分の妻を迎え入れたが、
1:25 子を産むまでは彼女を知ることはなかった。そして、その子の名をイエスとつけた。
 12月24日(土曜日)
リビングライフQT

“インマヌエル” マタイ福音書の最初の章が、神の御子イエス・キリストは、“インマヌエル”と呼ばれる・・・と、宣言されて始まり、
主イエス・キリスト様の生々しい御生涯が、リアルに語り綴られています。
そして、死から甦られた主イエス様の、弟子達への派遣のメッセージの、最後のお言葉で、
『見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなた方と共にいます。』とのお言葉で締め括られています。
 インマヌエル‼️
マタイ福音書のキーワードです。
言い換えると、イエス様の御降誕は、まさに、“インマヌエル”の神が地に降られた、人類(世界)の最大の奇跡の時なのです。同時に、私たち個人個人にとっては、罪の世界のただ中に、永遠の光なる神が、来てくださり、手を差し伸べて引き上げ、永遠の光の中に入れて下さったのです。
今や、このお方を信じる者は、救い(永遠)の中に、日々生かされる者とされたのです。
主の御降誕は、その始まりの時なのです🎶
   ハレルヤ‼️
 
第一ヨハネ 3:1~10

3:1 私たちが神の子どもと呼ばれるために、御父がどんなにすばらしい愛を与えてくださったかを、考えなさい。事実、私たちは神の子どもです。世が私たちを知らないのは、御父を知らないからです。
3:2 愛する者たち、私たちは今すでに神の子どもです。やがてどのようになるのか、まだ明らかにされていません。しかし、私たちは、キリストが現れたときに、キリストに似た者になることは知っています。キリストをありのままに見るからです。
3:3 キリストにこの望みを置いている者はみな、キリストが清い方であるように、自分を清くします。
3:4 罪を犯している者はみな、律法に違反しています。罪とは律法に違反することです。
3:5 あなたがたが知っているとおり、キリストは罪を取り除くために現れたのであり、この方のうちに罪はありません。
3:6 キリストにとどまる者はだれも、罪を犯しません。罪を犯す者はだれも、キリストを見たこともなく、知ってもいません。
3:7 幼子たち、だれにも惑わされてはいけません。義を行う者は、キリストが正しい方であるように、正しい人です。
3:8 罪を犯している者は、悪魔から出た者です。悪魔は初めから罪を犯しているからです。その悪魔のわざを打ち破るために、神の御子が現れました。
3:9 神から生まれた者はだれも、罪を犯しません。神の種がその人のうちにとどまっているからです。その人は神から生まれたので、罪を犯すことができないのです。
3:10 このことによって、神の子どもと悪魔の子どもの区別がはっきりします。義を行わない者はだれであれ、神から出た者ではありません。兄弟を愛さない者もそうです。
 12月23日(金曜日)リビングライフQT

突然、新約の第一ヨハネの、しかも・・・だい3章に飛びましたが、あと二日でクリスマスを迎えるので、流れを主の御降誕に、焦点を当てる為なのです。
今日から三日間だけ、主の御降誕について、学ぶことになります。

今日の学び(主からのメッセージ)は・・・
人の罪を取り除くために来られたお方(キリスト)と、私たちとの関係についての、使徒ヨハネのメッセージなのです。
今は学びの中には組み込まれてはいませんが、すでに1~2章に亘って、キリストがこの世に来られたのは、信じ従う者達の、罪を取り除き、神の恵みの中に私たちを導き入れるために来られたお方について、書かれた勧めの言葉が綴られている。
こうして神の子とされた私達が、従来の生活習慣の中にそのまま歩む事への、矛盾と危険性を、語っています。*2節~私たちは今すでに神の子供です。・・・私たちはキリストが現れたときに、キリストに似た者になることを知っています。
*9節~神から生まれた者はだれも、罪を犯しません。神の種がその人のうちにとどまっているからです。
何と確信に満ちたことばでしょう。
キリストにあって、神の子とされたものは、この様な確信にたって、歩みたいものです。
神の子とされた・・・と言うことは、
神がおられ、その神と向き合って、私がいる・・・という、対座した関係ではないのです。神→←私・・・この様な対等(強弱・大小の違いがあっても)
言い換えると《神が居られて、私も居る》という、関係ではないのです。この様な関係は、宗教なのです。
福音は“創造者なる神・罪を赦して全てを受け入れて(我が子)として下さるお方”の中に包まれた関係なのです。
今朝のテキストでヨハネは、その事を語っているのです。‼️🎵
 
伝道者の書 8:9~17

8:9 私はこのすべてを見て、私の心を注いだ。日の下で行われる一切のわざについて、人が人を支配して、わざわいをもたらす時について。
8:10 すると私は、悪しき者たちが葬られて去って行くのを見た。彼らは、聖なる方のところから離れ去り、わざを行ったその町で忘れられる。これもまた空しい。
8:11 悪い行いに対する宣告がすぐ下されないので、人の子らの心は、悪を行う思いで満ちている。
8:12 悪を百回行っても、罪人は長生きしている。しかし私は、神を恐れる者が神の御前で恐れ、幸せであることを知っている。
8:13 悪しき者には幸せがない。その生涯を影のように長くすることはできない。彼らが神の御前で恐れないからだ。
8:14 空しいことが地上で行われている。悪しき者の行いに対する報いを受ける正しい人もいれば、正しい人の行いに対する報いを受ける悪しき者もいる。私は言う。「これもまた空しい」と。
8:15 だから私は快楽を賛美する。日の下では、食べて飲んで楽しむよりほかに、人にとっての幸いはない。これは、神が日の下で人に与える一生の間に、その労苦に添えてくださるものだ。
8:16 私が昼も夜も眠らずに知恵を知り、地上で行われる人の営みを見ようと心に決めたとき、
8:17 すべては神のみわざであることが分かった。人は日の下で行われるみわざを見極めることはできない。人は労苦して探し求めても、見出すことはない。知恵のある者が知っていると思っても、見極めることはできない。
 12月22日(木曜日)リビングライフQT

知恵ある王・ソロモンの人生‼️
何と、極め尽くされた❓ものでしょう。
極め尽くされた(❓)と言いましたが、勿論厳密な意味で申し上げたのではありません。
人間に極め尽くすことなどあり得ません。
けれども、ソロモンは、人が知りうるもっとも深淵な答えを、会得しているのです。
それは、次の言葉に表されている‼️
*16節~私が昼も夜も眠らずに知恵を知り、地上で行われる人の営みを見ようと心に決めたとき、17節~すべては神のみわざであることが分かった。人は自分の手で行われるみわざを見極めることはできない。人は労苦して探し求めても、見出すことはない。知恵のある者が知っていると思っても、見極めることはできない。・・・
と悟ったのです。
このような知的・霊的・理性的領域に到達する人は、ほぼいないのではないでしょうか。
彼は、単純に
*12節~悪を百回行っても、罪人は長生きしている。
しかし私は、神を恐れる者が、神のみ前で恐れ、幸せであることを知っている。・・・
とも告白している。
この様な、ソロモンの信仰の目をもって、見ることが出来なかったら、誰が人生を耐えることができるでしょう。
矛盾に嘆き、不幸に心悩ませ、貧しさや試練に挫け、心荒むのは、主なる神の御支配と、最終的勝利の備えられている、慈しみと憐れみを、知る(信じる)ことに、行き当たっていないからです。
もっと神に問いかけましょう。主なる神を呼び求めましょう。
そこに答えが備えられています。
あなたの唇が祈り求める言葉で満たされますように。アーメン‼️
 
伝道者の書 8:1~8

8:1 知恵のある者とされるにふさわしいのはだれか。物事の解釈を知っているのはだれか。人の知恵は、その人の顔を輝かせ、その顔の固さを和らげる。
8:2 私は言う。王の命令を守れ。神への誓約があるから。
8:3 王の前から慌てて出て行くな。悪事に荷担するな。王は自分の望むままを行うから。
8:4 王のことばには権威がある。だれが、王に「何をするのか」と言えるだろうか。
8:5 命令を守る者はわざわいを知らない。知恵ある者の心は時とさばきを知っている。
8:6 すべての営みには時とさばきがある。人に降りかかるわざわいは多い。
8:7 何が起こるかを知っている者はいない。いつ起こるかを、だれも告げることはできない。
8:8 風を支配し、風をとどめておくことのできる人はいない。死の日を支配することはできず、この戦いから免れる者はいない。そして、悪は悪の所有者を救い得ない。
  12月21日(水曜日)リビングライフQT

“伝道者の書”の著者は、ソロモンです。ソロモンは、当時、イスラエル民俗の首長的王権を振るっていたのみならず、中近東一帯、さらにエジプトにまで、その力と影響を及ぼすほどの、権威と力を秘めていた、神の僕でした。(一時偶像に妥協した時期はありましたが・・)
ソロモンは、王の特権と、絶対権力と、支配権の絶対性を知りながら、語りつつ、その矛先を自らへ向けて、語っているように感じられます。
王権の絶対性を、神の御支配の超絶対性へと置き換えて、その神の御支配を、神の民の一人である、自分に向けて宣言している(言い聞かせる)ように、執筆しているように思いました。
そして、その一言一言は、同時に神の臣民である、この書を読む私(達)へのメッセージともなって響くのです。
*2節~王の命令を守れ
神への誓約があるから。
*4節~王のことばには権威がある。
*6節~すべての営みには時とさばきがある。
・・・以下同じ神の権威の時の流れの支配が記される‼️
私たちの王である主なる神に、聞き・従い・その言葉の上に立ち続けましょう🎵
 
伝道者の書 7:15~29

7:15 私はこの空しい人生において、すべてのことを見てきた。正しい人が正しいのに滅び、悪しき者が悪を行う中で長生きすることがある。
7:16 あなたは正しすぎてはならない。自分を知恵のありすぎる者としてはならない。なぜ、あなたは自分を滅ぼそうとするのか。
7:17 あなたは悪すぎてはいけない。愚かであってはいけない。時が来ないのに、なぜ死のうとするのか。
7:18 一つをつかみ、もう一つを手放さないのがよい。神を恐れる者は、この両方を持って出て行く。
7:19 知恵は町の十人の権力者よりも、知恵のある者を力づける。
7:20 この地上に、正しい人は一人もいない。善を行い、罪に陥ることのない人は。
7:21 また、人の語ることばをいちいち心に留めてはならない。しもべがあなたをののしるのを聞かないようにするために。
7:22 あなた自身が他人を何度もののしったことを、あなたの心は知っているのだから。
7:23 私は、これらの一切を知恵によって試みた。私は言った。「私は知恵のある者になりたい」と。しかし、それは私には遠く及ばないことだった。
7:24 今までにあったことは、遠く、とても深い。だれがそれを見極めることができるだろうか。
7:25 私は心を転じて、知恵と道理を学び、探り出し、探し求めた。愚かさの悪と、狂気の愚かさを知ろうとした。
7:26 私は、女が死よりも苦々しいことに気がついた。女は罠であり、その心は網、その手は、かせである。神に良しとされる者は女から逃れるが、罪に陥る者は女に捕らえられる。
7:27 伝道者は言う。見よ。私が道理を見出そうとして、一つ一つに当たり、見出したことは次のとおりである。
7:28 私のたましいは、なおも探し求めたが、見出すことはなかった。私は千人のうちに、一人の男を見出したが、そのすべてのうちに、一人の女も見出さなかった。
7:29 私が見出した次のことだけに目を留めよ。神は人を真っ直ぐな者に造られたが、人は多くの理屈を探し求めたということだ。
 12月20日(火曜日)リビングライフQT

*“・・・過ぎてはならない” ソロモンは、あらゆることに、究極の追求をした人生を求めたのです。
経験・追求・会得等でソロモンは、矛盾と行き詰まりと挫折を味わった・・・と、暗に語っているようです。
その様な中で、女性に対するコメントが、26節・28節に記されています。
ひどい表現ですね。これはソロモンが権力の座につき、その力を誇示して、欲望のためにのみ、女性を翻弄した経験から語ったもので、自分と同じ道に続く者への、警告として語っているのです。
彼は他民族の美女を宮殿に住まわせ(ハーレムを成す)、欲しいままにしたのです。
彼の目に触れた女性は、自分におもねる者ばかりで、彼の心は満たされなかったのでしょう。
彼=ソロモンは、
享楽の限りを尽くし、その上、お抱えの彼女たちは、エルサレムの王宮のハーレムに、自分の民の偶像を持ち込み、ソロモンは彼女たちの御機嫌を取るために、いつの間にか、彼自信“偶像礼拝者”に、零落したのです。
ソロモンの極端なまでの、欲望追求の人生だからこそ、その日々は、“空しい”人生として写ったのです。
伝道の書は、正にソロモンの人生反省の手記でもあるのです。だから、読む人を深い共感と反省へと、導くのです。
ソロモンは、29節の締めくくりで、こう述べている。
私が見出だした次の言葉に目を留めよ。
『神は人を真っ直ぐなものに作られたが、
人は多くの理屈を探し求めたと言うことだ。』
 
伝道者の書 7:1~14

7:1 名声は良い香油にまさり、死ぬ日は生まれる日にまさる。
7:2 祝宴の家に行くよりは、喪中の家に行くほうがよい。そこには、すべての人の終わりがあり、生きている者がそれを心に留めるようになるからだ。
7:3 悲しみは笑いにまさる。顔が曇ると心は良くなる。
7:4 知恵のある者の心は喪中の家にあり、愚かな者の心は楽しみの家にある。
7:5 知恵のある者の叱責を聞くのは、愚かな者の歌を聞くのにまさる。
7:6 愚かな者の笑いは、鍋の下の茨がはじける音のよう。これもまた空しい。
7:7 虐げは知恵のある者を狂わせ、賄賂は心を滅ぼす。
7:8 事の終わりは、その始まりにまさり、忍耐は、うぬぼれにまさる。
7:9 軽々しく心を苛立たせてはならない。苛立ちは愚かな者の胸にとどまるから。
7:10 「どうして、昔のほうが今より良かったのか」と言ってはならない。このような問いは、知恵によるのではない。
7:11 資産を伴う知恵は良い。日を見る人に益となる。
7:12 知恵の陰にいるのは、金銭の陰にいるようだ。知識の益は、知恵がその持ち主を生かすことにある。
7:13 神のみわざに目を留めよ。神が曲げたものをだれがまっすぐにできるだろうか。
7:14 順境の日には幸いを味わい、逆境の日にはよく考えよ。これもあれも、神のなさること。後のことを人に分からせないためである。
 12月19日(月曜日) リビングライフQT

何だか恐ろしいほど、内に飛び込んでくる、言葉の進軍👀‼️
その言葉に、瞬時のみとは言え❗️反応する最下層の意識が動く😱
理性と訓練とがそれに対して、分かった様なを姿勢を保持させている、己れの弱さに、恥じ入る。
著者の伝道者の一言一言が、自省して生きる、私に揺さぶりをかけて来る。
1節~4節に*《死》《喪中》《悲しみ》《悲しみ》《曇る》と言う言葉が重ねと取り上げられ、私たちの社会や人生でマイナスイメージのこれ等が、逆に人生にとって、多くの啓発をもたらす・・と、示唆しています。
人生の裏面にこそ、人は学ぶべき多くの宝を、見付けるべきことを、示唆している。
即ち『死』は、人生の多くの学びを、そこからもたらすものです。
私は、ごく二週間前に、一人の方の死に直面し、命と時間の永遠性を、深く新たに学んだものです。
その方は所謂クリスチャンではありませんでした。奥様がクリスチャンで、ご主人の救い(主なる神との永遠の関係の繋ぎ)のために、どれ程祈られて来られたかを、今まで見聞きしてきて、
礼拝に出席する機会は、重症ながんの末期のため、時をえず、洗礼に与る折りも得られないまま、人生最後の時を迎えられました。
しかし、洗礼を受けられたのでもなく、イエス様の命で、永遠に繋がれたのです。
この方は80有余年の人生を旅しながら、遂に神の創造(大隈さん)の巧みさに、は最高の祝福をもって包み、その人生の最後に、主なる神の御手に握られながら、御国への凱旋の道を辿られ、集まった会葬者に、確かで最大の永遠の希望を、会葬者の皆さんに、惜しげもなく、開示されたのです。
どんな牧師も、大伝道者も、なし得ない偉業を為し遂げられたのです。
知恵は、偉大な特定の知者の下にあるのではない。
最も弱い者を通して、小さなしもべに語りかけられます。
真理は、神の中にあり、神に仕える僕によって、明らかにされるのです。
神の知恵は何と、偉大で計り知れないのでしょう‼️🎶
しかも、それを死者や、死に行く人々を通して、語りかけられるのを、明らかにされるのでのです。神のなさることは、人の思いを遥かに越える。
 
伝道者の書 6:1~12

6:1 私が日の下で見た悪しきことがある。それは人の上に重くのしかかる。
6:2 神が富と財と誉れを与え、望むもので何一つ欠けることがない人がいる。しかし神は、この人がそれを楽しむことを許さず、見ず知らずの人がそれを楽しむようにされる。これは空しいこと、それは悪しき病だ。
6:3 もし人が百人の子どもを持ち、多くの年月を生き、彼の年が多くなっても、彼が良き物に満足することなく、墓にも葬られなかったなら、私は言う。彼よりも死産の子のほうがましだと。
6:4 その子は空しさの中に生まれて来て、闇の中に去って行き、その名は闇におおわれ、
6:5 日の光も見ず、何も知らない。しかし、この子のほうが彼よりは安らかだ。
6:6 彼が千年の倍も生きても、幸せな目にあわなければ。両者とも同じ所に行くではないか。
6:7 人の労苦はみな、自分の口のためである。しかし、その食欲は決して満たされない。
6:8 知恵のある者は、愚かな者より何がまさっているだろう。人の前でどう生きるかを知っている貧しい人も、何がまさっているだろうか。
6:9 目が見ることは、欲望のひとり歩きにまさる。これもまた空しく、風を追うようなものだ。
6:10 存在するようになったものは、すでにその名がつけられ、それが人間であることも知られている。その人は、自分より力のある者と言い争うことはできない。
6:11 多く語れば、それだけ空しさを増す。それは、人にとって何の益になるだろうか。
6:12 だれが知るだろうか。影のように過ごす、空しい人生において、何が人のために良いことなのかを。だれが人に告げることができるだろうか。その人の後に、日の下で何が起こるかを。
 12月18日(日曜日)リビングライフQT


2節は、読み方によっては、少々理解しがたい内容に読めてしまう。しかし、此の意味は、神が全ての良いものを与えて富まされる❗️ しかし、当人がそれを享受して、自らの楽しみに共する(使う)事をせずにいるうちに、他人に奪われて失うこと・・・を意味しており・・・
端的に言えば、・・与える(獲得する)も、奪われるも、全ての事(事象=出来事)は、神の許容の範囲にある。その様に神の前であるにも関わらず、悪しき者が敢えて妨げることは、“悪しき病だ💢”と言うのです。
言い換えると《全ての良いことは、神の御許しのもとで開かれるが、悪しき者は、それを容赦なく奪い・崩していき、神のご計画を妨げる・・》と言う意味なのです。
更に“伝道者”は、世の中のあらゆる営みで起こる、身近に見えるあらゆる出来事は、全て神の知るところであり、主なる神の許容の範囲で、主に信頼するものには導きと助けを与えられるのです。
その様な関係に在る中では、“空しい” はないが、3節~12節に展開するあらゆる事象は、むなしいと断じるのです。
主なる神・創造主なる神・・・との関わりのない営みは全て、《空しい=無に帰する》のです。
こうして思いめぐらしてみると、今私達が主なる神を信じて、御子イエス・キリストを主と仰ぐ日々の生活がいかに命に溢れ、平安と祝福に満ちたものかを、改めて感謝するのです。主なる神の見えなくなった孤独と闇に再び迷い込まない日々を守り続けて参りましょう🎵💕

今朝の礼拝が祝福されます様に祈ります。
 
伝道者の書 5:10~20

5:10 金銭を愛する者は金銭に満足しない。富を愛する者は収益に満足しない。これもまた空しい。
5:11 財産が増えると、寄食者も増える。持ち主にとって何の成功だろう。それを目で眺めているだけだ。
5:12 働く者は少し食べても多く食べても、心地よく眠る。富む者は満腹しても、安眠を妨げられる。
5:13 私は日の下に、痛ましいわざわいがあるのを見た。所有者に守られていた富が、その所有者自身に害を加えることだ。
5:14 その富は不運な出来事で失われ、息子が生まれても、その者の手もとには何もない。
5:15 母の胎から出て来たときのように、裸で、来たときの姿で戻って行く。自分の労苦によって得る、自分の自由にすることのできるものを、何一つ持って行くことはない。
5:16 これも痛ましいわざわいだ。出て来たときと全く同じように去って行く。風のために労苦して何の益になるだろうか。
5:17 しかも、人は一生、闇の中で食事をする。多くの苛立ち、病気、そして激しい怒り。
5:18 見よ。私が良いと見たこと、好ましいこととは、こうだ。神がその人に与えたいのちの日数の間、日の下で骨折るすべての労苦にあって、良き物を楽しみ、食べたり飲んだりすることだ。これが人の受ける分なのだ。
5:19 実に神は、すべての人間に富と財を与えてこれを楽しむことを許し、各自が受ける分を受けて自分の労苦を喜ぶようにされた。これこそが神の賜物である。
5:20 こういう人は、自分の生涯のことをあれこれ思い返さない。神が彼の心を喜びで満たされるからだ。
 12月17日(土曜日)リビングライフQT


《空しい》・・と実感するその理由はなんだろう(はてな)
今までも述べられて来たが、何故豊かなのに《空しい》のだろう。何故豊かな富が《空しい》と、感じられてしまうのでしょう(何故)
何故、豊かな財(宝)が、その所有者に害をもたらすのだろう(はてな)
筆者は、今日のテキストで、次のように、語っている。
19節~実に神は、全ての人間に富と財を与えてこれを楽しむことを許し、各自が受ける分を受けて自分の労苦を喜ぶようにされた。
これこそ神の賜物である・・・と。
空しさは、神の絶大な愛と、綿密なご計画とを受け入れずに、全ての喜びと祝福されたことは、自らが勝ち取った(闘い・努力・自らの力量で)ものだと、信じているから、それを失うことに、人生の恐れを感じるのです。
神の恵みは、次の新たな展開へのステップなのに、失敗・喪失・逸失に遭遇すると、敗北と、絶望に押し潰されるのです。何故なら、
自分の力と、努力で勝ち取った・・・と、自負しているからです。
確かにその人の力量と、努力で獲得したのでしょうが、そのように計画し、力を与え、道を開き、導かれて勝利へと導かれたお方を、見失っているから、事が興った時、すべてを喪失したと・・・と、敗北感に押し潰されるのです。それが”空しさ” “絶望感”となって、魂が蝕まれていくのです。
ところが、神のご計画に導かれといると、失敗や挫折や、喪失も、神のご計画の道半ばだと信じられると、神のご計画の期待とチャレンジと、委ねる心から来る、平安と感謝が導き出されるのです。
その事を、筆者は次のように語ります。
20節~こう言う人は、自分の生涯の事をあれこれ思い返さない。神が彼の心を喜びで満たされるからだ‼️
創造者なる神を、信じる(信頼する)か否かによって、人生は空しくも、感謝にあふれる様にも、導かれるのです。ハレルヤ‼️🎶
 
伝道者の書 5:1~9

5:1 神の宮へ行くときは、自分の足に気をつけよ。近くに行って聞くことは、愚かな者たちがいけにえを献げるのにまさる。彼らは自分たちが悪を行っていることを知らないからだ。
5:2 神の前では、軽々しく心焦ってことばを出すな。神は天におられ、あなたは地にいるからだ。だから、ことばを少なくせよ。
5:3 仕事が多ければ夢を見、ことばが多ければ愚かな者の声となる。
5:4 神に誓願を立てるときには、それを果たすのを遅らせてはならない。愚かな者は喜ばれない。誓ったことは果たせ。
5:5 誓って果たさないよりは、誓わないほうがよい。
5:6 あなたの口が、あなた自身を罪に陥らせないようにせよ。使者の前で「あれは過失だ」と言ってはならない。神が、あなたの言うことを聞いて怒り、あなたの手のわざを滅ぼしてもよいだろうか。
5:7 夢が多く、ことばの多いところには空しさがある。ただ、神を恐れよ。
5:8 ある州で、貧しい者が虐げられ、権利と正義が踏みにじられているのを見ても、そのことに驚いてはならない。その上役には、それを見張るもう一人の上役がいて、彼らよりももっと身分が高い者たちもいるからだ。
5:9 国にとっての何にもまさる利益は、農地が耕されるようにする王がいることである。
 12月16日(金曜日)リビングライフQT

実に、大切な忠告が語られている。
*1節~礼拝が形式化してはならない。一回一回主なる神の前に、魂をさらけ出して、真摯に神に向き合う‼️
*2節~祈りの言葉はあなたの魂を、そのまま写し出せ、飾ることなく、繰り返しと強調で心を覆い隠さず・・
魂の真実な呻きと渇きを、主の前に表しましょう。たとい言葉が告げなくとも😢
*4・5節~主なる神に向かって、宣言したり、誓ったり、願掛けのような取引❓の様な
祈りをしてはならない。ただ、神の哀れみを乞い、主の慈しみの御手を、待ち望みましょう。
*7節~夢(自らの願い)が成就することを願わず、主の御心を訪ね求めましょう‼️
*9節~この節は、私は“王”・・とは、何を指しといるのだろう(何)と、黙想しました。すると示されたのは・・・🎵
私自身が、自らの魂の農地を治める“王”なのだ・・と‼️
自分の心と魂を、しっかり耕して、主なる神の恵みと祝福の種を芽吹かせ、多くの実りをもたらす・・
何と素晴らしい、神の摂理でしょう🎵
ルカ福音書8章4節~8節の、イエス様の譬話を読んでみましょう。
*また、主なる神の前に出る(祈り・礼拝)時、自らを知ってもらおう・・と、訴えることはせず、あなたの(過去・現在・未来)を知り尽くしておられる御方に、知られている自らを、今一度、主の前で、隠れることなく、知らせていただきましょう。
その時は、私達は主と一つとなるのです‼️🎶ハレルヤ‼️
 
伝道者の書 4:1~16

4:1 私は再び、日の下で行われる一切の虐げを見た。見よ、虐げられている者たちの涙を。しかし、彼らには慰める者がいない。彼らを虐げる者たちが権力をふるう。しかし、彼らには慰める者がいない。
4:2 いのちがあって、生きながらえている人よりは、すでに死んだ死人に、私は祝いを申し上げる。
4:3 また、この両者よりもっと良いのは、今までに存在しなかった者、日の下で行われる悪いわざを見なかった者だ。
4:4 私はまた、あらゆる労苦とあらゆる仕事の成功を見た。それは人間同士のねたみにすぎない。これもまた空しく、風を追うようなものだ。
4:5 愚かな者は腕組みをし、自分の身を食いつぶす。
4:6 片手に安らかさを満たすことは、両手に労苦を満たして風を追うのにまさる。
4:7 私は再び、日の下で空しいことを見た。
4:8 ひとりぼっちで、仲間もなく、子も兄弟もいない人がいる。それでも彼の一切の労苦には終わりがなく、その目は富を求めて飽くことがない。そして「私はだれのために労苦し、楽しみもなく自分を犠牲にしているのか」とも言わない。これもまた空しく、辛い営みだ。
4:9 二人は一人よりもまさっている。二人の労苦には、良い報いがあるからだ。
4:10 どちらかが倒れるときには、一人がその仲間を起こす。倒れても起こしてくれる者のいないひとりぼっちの人はかわいそうだ。
4:11 また、二人が一緒に寝ると温かくなる。一人ではどうして温かくなるだろうか。
4:12 一人なら打ち負かされても、二人なら立ち向かえる。三つ撚りの糸は簡単には切れない。
4:13 貧しくても知恵のある若者は、忠告を受け入れなくなった年老いた愚かな王にまさる。
4:14 そのような若者は、牢獄から出て王になる。たとえ、その王国で貧しく生まれた者であっても。
4:15 私は見た。日の下を歩む生きている者がみな、王に代わって立つ、後継の若者の側につくのを。
4:16 その民すべてには終わりがない。彼を先にして続く人々には。後に来るその者たちも、後継の者を喜ばない。これもまた空しく、風を追うようなものだ。
 12月15日(木曜日)リビングライフQT

こうして、テキストを読み進(キス)むと、何故虚しさがこれ程にまで、横行するのだろうか(何故)
自らの分を越えて求めたり、
周りのものと融和する事よりも、自らのちからと優位性とを追い求めることで、人は大切な繋がり、貴重な宝を失っている。
大切なのは、優れたことではなく、
繋がることであり、関係の和に連なることではないだろうか。9節~13節は、その事を物語る、知恵の言葉です。
聖書テキストをもう一度、味わってみましょう‼️
何が、人の人生を虚しくするのでしょう。
伝道者の書を通して、更に見極めて参りましょう🎵
*自分は~選りすぐれている
*自分を知って欲しい
*・・・より前に立ちたい。
*自分には特別な・・・がある‼️
此のような思いの中にいきる姿に、消しがたい虚しさが入り込むのではないだろうか。
言葉や、所作では、丁寧・控えめには見えでも、隠れたうちなる思いは、虚しさをにじみ出している💧
改めて、自らを創造主なる神に創られたもの、此の御方に全てのものは与えられ生かされて来たことに、感謝する。
此の生き方が、満ち満ちた命の道なのではないでしょうか。
 
伝道者の書 3:16~22

3:16 私はさらに日の下で、さばきの場に不正があり、正義の場に不正があるのを見た。
3:17 私は心の中で言った。「神は正しい人も悪しき者もさばく。そこでは、すべての営みとすべてのわざに、時があるからだ。」
3:18 私は心の中で人の子らについて言った。「神は彼らを試みて、自分たちが獣にすぎないことを、彼らが気づくようにされたのだ。」
3:19 なぜなら、人の子の結末と獣の結末は同じ結末だからだ。これも死ねば、あれも死に、両方とも同じ息を持つ。それでは、人は獣にまさっているのか。まさってはいない。すべては空しいからだ。
3:20 すべては同じ所に行く。すべてのものは土のちりから出て、すべてのものは土のちりに帰る。
3:21 だれが知っているだろうか。人の子らの霊は上に昇り、獣の霊は地の下に降りて行くのを。
3:22 私は見た。人が自分のわざを楽しむことにまさる幸いはないことを。それが人の受ける分であるからだ。だれが、これから後に起こることを人に見せてくれるだろうか。
 12月14日(水曜日)リビングライフQT

テキストを読みながら、ふと、ロシアによるウクライナの侵略状況を思い浮かべています。こんな理不尽な戦いがあるでしょうか。嘗ての、中国侵略、朝鮮併合、日米開戦の端緒を切った真珠湾攻撃・・戦争は、まことしやかな理由をつけて、相手を叩いて、非人道的大量破壊と虐殺を進めるのです。
人が人を殺し、無差別に人の営みを破壊する・・・それをせいとうか出来る道理がどこにあるのでしょう。
こうして、愛と真実を踏みにじり、命を無造作に排除する・・・こうしてみると、人と獣のどこが違うのか。
悲しいばかりの虚しさと、心の覚めた寒さを感じるのです。
しかし、ソロモンは、
21節=誰が知っているだろうか。人の子らの霊は上に昇り、獣の霊は地の下に降りていくのを。
見える世界が、見えない世界を覆っているのを、誰が知るのだろう。ソロモンは、子の矛盾に満ちた世界を、正しく導かれる神が居られることを知り、それをいつか誰が明らかにするだろう‼️🎶
伝道者ソロモンは、その覆い隠されといる姿を、明らかにするものとして、こうして虚無的に考えている人々に、語りかけるのです。主なる神の語りかけに目を開きましょう。此の驚くべき、輝きを人々に明らかにするために、ソロモンは、此の所感を表したのです。
私も改めて、虚しさの果てから、神の永遠の世界を、希求して参りましょう‼️🎶
 
伝道者の書 3:1~15

3:1 すべてのことには定まった時期があり、天の下のすべての営みに時がある。
3:2 生まれるのに時があり、死ぬのに時がある。植えるのに時があり、植えた物を抜くのに時がある。
3:3 殺すのに時があり、癒やすのに時がある。崩すのに時があり、建てるのに時がある。
3:4 泣くのに時があり、笑うのに時がある。嘆くのに時があり、踊るのに時がある。
3:5 石を投げ捨てるのに時があり、石を集めるのに時がある。抱擁するのに時があり、抱擁をやめるのに時がある。
3:6 求めるのに時があり、あきらめるのに時がある。保つのに時があり、投げ捨てるのに時がある。
3:7 裂くのに時があり、縫うのに時がある。黙っているのに時があり、話すのに時がある。
3:8 愛するのに時があり、憎むのに時がある。戦いの時があり、平和の時がある。
3:9 働く者は労苦して何の益を得るだろうか。
3:10 私は、神が人の子らに従事するようにと与えられた仕事を見た。
3:11 神のなさることは、すべて時にかなって美しい。神はまた、人の心に永遠を与えられた。しかし人は、神が行うみわざの始まりから終わりまでを見極めることができない。
3:12 私は知った。人は生きている間に喜び楽しむほか、何も良いことがないのを。
3:13 また、人がみな食べたり飲んだりして、すべての労苦の中に幸せを見出すことも、神の賜物であることを。
3:14 私は、神がなさることはすべて、永遠に変わらないことを知った。それに何かをつけ加えることも、それから何かを取り去ることもできない。人が神の御前で恐れるようになるため、神はそのようにされたのだ。
3:15 今あることは、すでにあったこと。これからあることも、すでにあったこと。追い求められてきたことを神はなおも求められる。
 12月13日(火曜日)リビングライフQT


ここには、私達の日常と深く関わりながら、主なる神の“主権”が、非常に分かりやすく、展開されている。
その最も大きなものは《時》ですね。
私たち人間には、時を自在に操っていると思いながら、神の時には全く触れることも出来ないのです。
その辺りの事情を、ソロモン(伝道者)は・・
《空の空、全ては空》
と語り、人がどんなことを完成させても、大成功を納めても、一切は《空》と、語っていたのです。
人が築き挙げてきた全ての時(業績)は、神の時の浪に押し流されてしまう・・・と。
何と空しい‼️💧と、述懐したのです。
*人が願い・求めること・行う業(事業・研究・成功・業績・・)も、神の主権の中で、功を奏する❗️
*人の心に《永遠を思う心》を与えられた。
*人生に喜び楽しみを持つのも、神からの賜物(恵み)だ❗️
*神の主権としての御業は、これを人が左右することは許されない。(寿命・出生・成功・重大な発見・発明・・)主なる神がその人に与えられた賜物として、委ねられる。
こうした成功を納めた人々の、会見の言葉を聞くと、実に謙虚で、自分の力を越えた、何か《神》が、与えて下さった・・・と、コメントしています。
彼らは知っているのです。神の力と導きとを‼️
此の知識がこれ等の人々を謙虚な言葉に顕されています‼️
即ち、神への《畏れ=恐れ》が。
もっと、もっと謙虚でありたい❗️
 
伝道者の書 2:12~26

2:12 私は振り返って、知恵と狂気と愚かさを見た。そもそも、王の跡を継ぐ者も、すでになされたことをするにすぎない。
2:13 私は見た。光が闇にまさっているように、知恵は愚かさにまさっていることを。
2:14 知恵のある者は頭に目があるが、愚かな者は闇の中を歩く。しかし私は、すべての者が同じ結末に行き着くことを知った。
2:15 私は心の中で言った。「私も愚かな者と同じ結末に行き着くのなら、なぜ、私は並外れて知恵ある者であったのか。」私は心の中で言った。「これもまた空しい」と。
2:16 事実、知恵のある者も愚かな者も、いつまでも記憶されることはない。日がたつと、一切は忘れられてしまう。なぜ、知恵のある者は愚かな者とともに死ぬのか。
2:17 私は生きていることを憎んだ。日の下で行われるわざは、私にとってはわざわいだからだ。確かに、すべては空しく、風を追うようなものだ。
2:18 私は、日の下で骨折った一切の労苦を憎んだ。跡を継ぐ者のために、それを残さなければならないからである。
2:19 その者が知恵のある者か愚か者か、だれが知るだろうか。しかも、私が日の下で骨折り、知恵を使って行ったすべての労苦を、その者が支配するようになるのだ。これもまた空しい。
2:20 私は、日の下で骨折った一切の労苦を見回して、絶望した。
2:21 なぜなら、どんなに人が知恵と知識と才能をもって労苦しても、何の労苦もしなかった者に、自分が受けた分を譲らなければならないからだ。これもまた空しく、大いに悪しきことだ。
2:22 実に、日の下で骨折った一切の労苦と思い煩いは、人にとって何なのだろう。
2:23 その一生の間、その営みには悲痛と苛立ちがあり、その心は夜も休まらない。これもまた空しい。
2:24 人には、食べたり飲んだりして、自分の労苦に満足を見出すことよりほかに、何も良いことがない。そのようにすることもまた、神の御手によることであると分かった。
2:25 実に、神から離れて、だれが食べ、だれが楽しむことができるだろうか。
2:26 なぜなら神は、ご自分が良しとする人には知恵と知識と喜びを与え、罪人には、神が良しとする人に渡すために、集めて蓄える仕事を与えられるからだ。これもまた空しく、風を追うようなものだ。
 11月12日(月曜日)リビングライフQT


伝道者の書は、ダビデの、試練から試練を経た王国確率の、厳しい戦いばかりの、内憂外患の中で戦い抜いた、父ダビデの姿を見、自分の治世の中にも、不穏な分子がおり、回りの諸国は、イスラエルの繁栄に、虎視眈々と転覆を狙う状況の中で、労苦する、そして、反映しているとは言え、いつ転覆の危機に直面するか保証のないなかで、誰が、あらゆる努力に報いて、恒久的安寧をもたらすか・・(はてな)
いつ崩壊するかも知れない、時の流れを思うと、一切は”空“と言う、ソロモンの述懐は、決して文学的表現に終わらない、深刻な魂の実感だったのです。
中近東の頂点に立ったイスラエル王国ではありましたが、
既に、その地域には、鉄器文化のヒッタイト・更にミタンニ・アッシリヤ等々、やがてイスラエルを飲み込む諸帝国の台頭が始まる時代でした。
それだけにソロモン(伝道者の書の著者)の述懐は、現実味の溢れる、警告にも似た重みを持つものでした。
全ての営みは、何時か誰かに受け継がれて、残した者の存在は忘れられる。
この虚無的な思いを、どうしたら有益な栄光に変えられるのか❓
全ては無に帰することのために、何故働かねばならないのか(何故)
著者は問題提起しているのです。
しかも、この様に虚しく見える事どもも、神の御手により組まれた業である‼️
それならば、神を離れては、人は如何にして神の恵みを味わい、喜ぶことが出来ましょうか。(24節・25節)
 
伝道者の書 2:1~11

2:1 私は心の中で言った。「さあ、快楽を味わってみるがよい。楽しんでみるがよい。」しかし、これもまた、なんと空しいことか。
2:2 笑いか。私は言う。それは狂気だ。快楽か。それがいったい何だろう。
2:3 私は心の中で考えた。私の心は知恵によって導かれているが、からだはぶどう酒で元気づけよう。人の子がそのいのちの日数の間に天の下ですることについて、何が良いかを見るまでは、愚かさを身につけていよう。
2:4 私は自分の事業を拡張し、自分のために邸宅を建て、いくつものぶどう畑を設け、
2:5 いくつもの庭と園を造り、そこにあらゆる種類の果樹を植えた。
2:6 木の茂った森を潤すためにいくつもの池も造った。
2:7 私は男女の奴隷を得、家で生まれた奴隷も何人もいた。私は、私より前にエルサレムにいただれよりも、多くの牛や羊を所有していた。
2:8 私はまた、自分のために銀や金、それに王たちの宝や諸州の宝も集めた。男女の歌い手を得、人の子らの快楽である、多くの側女を手に入れた。
2:9 こうして私は偉大な者となった。私より前にエルサレムにいただれよりも。しかも、私の知恵は私のうちにとどまった。
2:10 自分の目の欲するものは何も拒まず、心の赴くままに、あらゆることを楽しんだ。実に私の心はどんな労苦も楽しんだ。これが、あらゆる労苦から受ける私の分であった。
2:11 しかし、私は自分が手がけたあらゆる事業と、そのために骨折った労苦を振り返った。見よ。すべては空しく、風を追うようなものだ。日の下には何一つ益になるものはない。
 12月11日(日曜日)リビングライフQT

伝道者(ソロモン)のチャレンジは続く。
快楽(心の喜ぶ事)を経験し、味わうために出来る事は何でもやってみた。
世界の頂点の王座に着いた、ソロモンだから出来たあらゆる実験(贅沢・享楽・追求・研究・調査・・・)何と充実した人生だったのでしょう。
しかし、その全てをソロモンは、“空しい”と、告白しています。そんなの贅沢だ💢💢💨と、怒りさえ覚えるのですが、
彼が告白するのは、《飽き飽きして、しげきがなくなった❗️》と言った、感情的・感性的慣れから言う、飽々した無感動的状態となった・・・❓と言う事でもない。何が彼をこれ程までに、空しさを感じさせていったのでしょう(何)
ここまで行かなければ、実感しないのでしょうか(?)
多くの場合、一般に・・*無気力・家庭崩壊・自己破産・自死・絶望・・等々に踏み込んでしまっていますね。
何がそうさせるのでしょう(何)
更に明日又、読み進んで参りましょう。
クリスチャンである私たちはいかがでしょうか。
ナゼ私たちはこの様な人生の終着点に、行き着かないのでしょうか⁉️
又、信仰者でありながら、もしこの様な症状が、生まれてきたら・・・(はてな)  どうしたらよいでしょう🎵
 今新たに、今朝のテキストは、私の魂にチャレンジをしていますの。
私の喜びはなんでしょう。
人の存在の輝く価値観‼️それは、体が、感覚が求める(もの)ではないのです。しかし、サタンは、それこそ人間にのみ与えられた、積極的《生》の感動と力なのだ❗️・・・と迫ってくるのです。ソロモンの人生は、まさにその道を追い求めた・・・と言う告白なのです。そしてその道は、エバとアダムが踏み込んだ道なのです。
その結果は・・・(はてな)
主なる神が人に用意された世界は・・・❓今歩き始めている、恵みと平安の道を、更に豊かな御国への大いなる期待に溢れた、旅としましょう‼️🎶

お祈りいただいた。佐伯での《大隈家》の召天式は、主の栄光の輝きの中で、行われました。お祈り感謝します。
 
伝道者の書 1:12~18

1:12 伝道者である私は、エルサレムでイスラエルの王であった。
1:13 私は、天の下で行われる一切のことについて、知恵を用いて尋ね、探り出そうと心に決めた。これは、神が人の子らに、従事するようにと与えられた辛い仕事だ。
1:14 私は、日の下で行われるすべてのわざを見たが、見よ、すべては空しく、風を追うようなものだ。
1:15 曲げられたものを、まっすぐにはできない。欠けているものを、数えることはできない。
1:16 私は自分の心にこう言った。「今や、私は、私より前にエルサレムにいただれよりも、知恵を増し加えた。私の心は多くの知恵と知識を得た。」
1:17 私は、知恵と知識を、狂気と愚かさを知ろうと心に決めた。それもまた、風を追うようなものであることを知った。
1:18 実に、知恵が多くなれば悩みも多くなり、知識が増す者には苛立ちも増す。
 12月10日(土曜日)リビングライフQT

昨日の『空虚=空しさ』の総論から、空しさの原点、即ち、知識を追い求めた事を、展開していますね。
ところが。その結果を発表しました。そこにあったのは矢張“空虚”だった・・・と。
この書の著者は、本文に一部告白していますが、世界の知恵の原点とも言われる、《ソロモン》だと言われています。当時の知識の頂点を極めた人の“言葉”ですから、私が何を語れるでしょう。
また、“空しさ”はどこから来たのでしょう。
それは、聖書が答えています。
それは、人が神との関係を断ったところから始まることを、語っています。その象徴的なものが、アダムから始まる“生まれ→死んだ”と言う系図❓です。
“時間”と言う揺ったりと流れる河の流れの様に、全てを押し流して、今は何もない。
全ては押し流されてなにもない😱
これを時の流れと言う。全ての物(獲得したもの・知識・経験・快楽・・・)時の流れの中に消えていく・・まさに虚無主義‼️💢💢💨
神から離れた人間の、行き着くところです。
ソロモンの人生で追い求めて、行き着いた所だ・・・と言うのです。
神が与えられた御計画の賜物は・・・愛・喜び・平安・清さ・希望・力・永遠・・・なのです。
今私の・あなたの最中に在る、命の賜物です。ハレルヤ‼️🎵
 
伝道者の書 1:1~11

1:1 エルサレムの王、ダビデの子、伝道者のことば。
1:2 空の空。伝道者は言う。空の空。すべては空。
1:3 日の下でどんなに労苦しても、それが人に何の益になるだろうか。
1:4 一つの世代が去り、次の世代が来る。しかし、地はいつまでも変わらない。
1:5 日は昇り、日は沈む。そしてまた、元の昇るところへと急ぐ。
1:6 風は南に吹き、巡って北に吹く。巡り巡って風は吹く。しかし、その巡る道に風は帰る。
1:7 川はみな海に流れ込むが、海は満ちることがない。川は流れる場所に、また帰って行く。
1:8 すべてのことは物憂く、人は語ることさえできない。目は見て満足することがなく、耳も聞いて満ち足りることがない。
1:9 昔あったものは、これからもあり、かつて起こったことは、これからも起こる。日の下には新しいものは一つもない。
1:10 「これを見よ。これは新しい」と言われるものがあっても、それは、私たちよりはるか前の時代にすでにあったものだ。
1:11 前にあったことは記憶に残っていない。これから後に起こることも、さらに後の時代の人々には記憶されないだろう。
 12月9日(金曜日)リビングライフQT

何と、空しい始まりの章でしょう。
私が中学二年生の時、在る友人が「力さん、おまえんち牧師さんじゃろう❗何かええ言葉知らんか❓」と言われ、伝道者の書(箴言)1:2を、提案しました。すると三人の友人が、よっしゃ❗来週の今日(月曜日)まで宿題じゃぁ‼️来週放課後、話し合おうや🎵
何とませた中学生でしょう。
当時の文語訳で『空の空、一切は空なり‼️』でした。
当時未だ第二次世界大戦直後で、繊細の焼け跡があちこちに残っていました。7000万同胞は未だ貧困にお腹すかしていました。
この言葉は、今の日本を指しているんだ‼️と言う者、いや世界と言うものは、いつもこうなんだ。
聖書って、一体どんな本なんだ❗と言う話から、次の週には、父に話して、友人に聖書をいただいて配ったのです。
その中の一人が、数年前、訪ねてきて礼拝に出席して、交わりを持生き生きと信仰もちました。長い年月かけてその空しさから解放されて、信仰の道を歩んでおられるのでした。
主なる神の恵みの御業は、むなしさを払ってくださいます、創造者にして支配者なる神を知らずには、
全ては空しいでしょう。空しいことが繰り返されては、消えて行く幻想なのです。
それに比べると、私たちクリスチャンは、来世が約束されているからばかりではなく、現実に、神の命を共有する幸せ者なのです。
ですから払ってくださいます平安・満足・感謝・喜び・感動」・・等々、何時も命の恵みに預かっているのです。
神の命は、幻想を現実に変えるのです。

今日は以前行っていた佐伯の信徒の葬儀でいって参ります。土曜夜帰宅です。往復のためお祈りください。
 
詩 篇 41:1~13

41:1 幸いなことよ弱っている者に心を配る人は。わざわいの日に【主】はその人を助け出される。
41:2 【主】は彼を見守り彼を生かし地上で幸せな者とされる。どうか彼を敵の意のままにさせないでください。
41:3 【主】が病の床で彼を支えられますように。彼が病むとき寝床から起き上がらせてください。
41:4 私は申し上げます。「【主】よあわれんでください。私のたましいを癒やしてください。私はあなたの前に罪ある者ですから。」
41:5 私の敵は私の悪口を言います。「いつ彼は死にその名は消え去るのだろうか。」
41:6 人が見舞いに来てもその人は?を言い心のうちでは悪意を蓄え外に出てはそれを言いふらします。
41:7 私を憎む者はみな私についてともにささやき私に対して悪を企みます。
41:8 「邪悪なものが彼に取りついている。彼が床についたからにはもう二度と起き上がれまい。」
41:9 私が信頼した親しい友が私のパンを食べている者までが私に向かってかかとを上げます。
41:10 しかし【主】よ。あなたは私をあわれみ立ち上がらせてください。そうすれば彼らに報いを返せます。
41:11 このことによって私は知ります。あなたが私を喜んでおられることを。敵は私に向かって勝ちどきをあげません。
41:12 私の誠実さゆえに私を強く支えてください。いつまでもあなたの御前に立たせてください。
41:13 ほむべきかなイスラエルの神【主】。とこしえからとこしえまで。アーメン、アーメン。
 12月8日(木曜日)リビングライフQT

1節~『幸いなことよ。弱っている者に心を配る人は。
災いの日に、主はその人を助けられる。』
何と、希望と慰めに満ちたお言葉でしょう。
*援助する力がないから・・・*助けてあげる方法や技術を知らないから・・・*余り親しい関係ではないから・・・等々
何処かで、援助することを躊躇したり、避けたりする事が在りはしないでしょうか❓
ダビデは、“心を配る・・‼️”と、言っているのです。
目を向ける、思いを向ける・・・それはどの様なものでしょうか❓
それは、心が、思いが常に外向きになっている・・・と言う姿のことです。
人は、罪に沈んでからは、先ず、自らの安定・繁栄・安全・・・を第一にすることが、本能的に、先行するようになっているのです。
主なる神は、全ての物を創造され、最後に人を創造された。全ての物の祝福を受けて、包まれ、守られて生かされるように、造られたのです。
人は当然、神によって創られた全てのものに心配り、伴に生きる者として、存在しているのです。
助け、支えるのに、理由入らないのです。
隣の人が生きるのは、私が生きることなのです。周りの試練は、私の試練なのです。
もう10ヶ月になろうとしていますが、
ロシアのウクライナ浸攻によって、ウクライナ国民が被った、筆舌に尽くしがたい、国民的御苦難に、世界中の国や人々から、様々な支援がなされています。私は、あなたは、何をして来たでしょう。
祈りをしましたね。募金をしましたね・・・
それで終わってはいないかしら⁉️
彼らの苦難は更に増しているのです。
忘れないで下さい‼️

主なる神もあなたの事を御忘れにはならないのです。
そして、あなたの訴えを聞いてくださいます。
与えられた物をもって、与え❗️
祈られた恵みに感じて、又他のために祈る主の弟子でありましょう‼️🎶
 
詩 篇 40:11~17

40:11 あなたは、【主】よ。私にあわれみを惜しまないでください。あなたの恵みと、あなたのまことが、絶えず私を見守るようにしてください。
40:12 数えきれないほどのわざわいが私を取り囲み、私の咎が私に追いついたので、私は見ることさえできません。それは私の髪の毛よりも多く、私の心も私を見捨てました。
40:13 【主】よ。どうかみこころによって私を救い出してください。【主】よ。急いで、私を助けてください。
40:14 私のいのちを求め、滅ぼそうとする者どもが、みな恥を見、はずかしめを受けますように。私のわざわいを喜ぶ者どもが退き、卑しめられますように。
40:15 私を「あはは」とあざ笑う者どもが、おのれの恥のために、色を失いますように。
40:16 あなたを慕い求める人がみな、あなたにあって楽しみ、喜びますように。あなたの救いを愛する人たちが、「【主】をあがめよう」と、いつも言いますように。
40:17 私は悩む者、貧しい者です。主よ。私を顧みてください。あなたは私の助け、私を助け出す方。わが神よ。遅れないでください。
 12月7日(水曜日)リビングライフQT

今朝のテキストの、ダビデの詩を読んで、
直感的に感じたことは・・・
ダビデの神観は、神があって(存在されて)、自分がある。
言い換えるなら、“ダビデ自信の存在は、神の実在に始まる”と、いうことが云える。
即ちダビデは、善きにつけ、悪しきにつけ、自分の今あることが、
そのまま神の御存在(創造者として、ダビデが今在る)の証(あかし)即ち、“実証”となると言うことを、強く深く信じるから、此の祈りの詩が生まれたのではないだろうか。
ダビデの日々生きる有り様が、弱々しく、責め苛(サイナ)まれ、醜いばかりに翻弄されるなら、その事で、“主なる神”が、卑(イヤ)しめられる事に、耐えられないので、私(ダビデ自信)を、敗北者のように翻弄されるままに、ならない様に、助けて下さい‼️・・・と祈るのです。
一見、主なる神の権威にかこつけて、自分の苦境を平易にし、解放される恩顧いに与りたい・・・と、願っているのでしょうか❓
そうではないのです。
すでに昨日のラインでお伝えしましたが、
ダビデ自信の存在が、主なる神の栄光をあかしする存在として、生かされていることを、証しているのだと、確信するからこそ、自らの不全な状態は、“神から見捨てられた”ダビデ“として見られ、反って、主なる神の権威が、傷つけられることを恐れ、悲しむのです。
ダビデ自信は、神の栄光の指標となるような存在として、生かされたいと心から願っているのです。
12節~ダビデは、その傷在る生涯の全てに対して、
13節~そんな自分を、救いだして・・・
と、懇願しながら、神の栄光の復活を願い叫んだ詩なのです‼️
今朝、私のあなたの祈ると叫びとが、主なる神の栄光の証となるように・・・熱く祈り求めましょう。‼️🎵
 
詩 篇  40:1~10

40:1 私は切なる思いで【主】を待ち望んだ。主は私のほうに身を傾け、私の叫びを聞き、
40:2 私を滅びの穴から、泥沼から、引き上げてくださった。そして私の足を巌の上に置き、私の歩みを確かにされた。
40:3 主は、私の口に、新しい歌、われらの神への賛美を授けられた。多くの者は見、そして恐れ、【主】に信頼しよう。
40:4 幸いなことよ。【主】に信頼し、高ぶる者や、偽りに陥る者たちのほうに向かなかった、その人は。
40:5 わが神、【主】よ。あなたがなさった奇しいわざと、私たちへの御計りは、数も知れず、あなたに並ぶ者はありません。私が告げても、また語っても、それは多くて述べ尽くせません。
40:6 あなたは、いけにえや穀物のささげ物をお 喜びにはなりませんでした。あなたは私の耳を開いてくださいました。あなたは、全焼のいけにえも、罪のためのいけにえも、お求めになりませんでした。
40:7 そのとき私は申しました。「今、私はここに来ております。巻き物の書に私のことが書いてあります。
40:8 わが神。私はみこころを行うことを喜びとします。あなたのおしえは私の心のうちにあります。」
40:9 私は大きな会衆の中で、義の良い知らせを告げました。ご覧ください。私は私のくちびるを押さえません。【主】よ。あなたはご存じです。
40:10 私は、あなたの義を心の中に隠しませんでした。あなたの真実とあなたの救いを告げました。私は、あなたの恵みとあなたのまことを大いなる会衆に隠しませんでした。
 12月6日(火曜日)リビングライフQT


ダビデの讃歌(詩篇)は、祈りそのものですね🎵
そして、それがそのまま主との会話になっているので、心揺さぶられますね。
今朝(日)、私達も、お願いの祈り・執り成しの祈り・・ではなく、ダビデの様に、主イエス様とお話しするように、
*感謝したり、
*思いの丈をお話ししたり、
*主を褒め称える言葉をお捧げしたり、
*様々な過去の事を思い出して、感謝したり
*今の、これからの想いを、主にお捧げしたり
*主なる神の栄光を思いの限り、褒め称えたり、
*あなたの今の想いを主に告白したり・・・
その様な祈りをしてみましょう‼️
3節~・・・私達の神への賛美を。多くの者は見て恐れ、主に信頼するだろう。
10節~私は、あなたの義を心の中におおい隠さず、
あなたの真実とあなたの救いを言い表します。
私は、あなたの恵みとあなたのまことを大いなる会衆に隠しません。
ダビデの詩篇を通して、主との会話の祈りを学びましょう‼️
 
詩 篇  39:1~13

39:1 私は言った。私は自分の道に気をつけよう。私が舌で罪を犯さないために。私の口に口輪をはめておこう。悪者が私の前にいる間は。
39:2 私はひたすら沈黙を守った。よいことにさえ、黙っていた。それで私の痛みは激しくなった。
39:3 私の心は私のうちで熱くなり、私がうめく間に、火は燃え上がった。そこで私は自分の舌で、こう言った。
39:4 【主】よ。お知らせください。私の終わり、私の齢が、どれだけなのか。私が、どんなに、はかないかを知ることができるように。
39:5 ご覧ください。あなたは私の日を手幅ほどにされました。私の一生は、あなたの前では、ないのも同然です。まことに、人はみな、盛んなときでも、全くむなしいものです。 セラ
39:6 まことに、人は幻のように歩き回り、まことに、彼らはむなしく立ち騒ぎます。人は、積みたくわえるが、だれがそれを集めるのかを知りません。
39:7 主よ。今、私は何を待ち望みましょう。私の望み、それはあなたです。
39:8 私のすべてのそむきの罪から私を助け出してください。私を愚か者のそしりとしないでください。
39:9 私は黙し、口を開きません。あなたが、そうなさったからです。
39:10 どうか、あなたのむちを私から取り除いてください。あなたの手に打たれて、私は衰え果てました。
39:11 あなたは、不義を責めて人を懲らしめ、その人の望むものを、しみが食うように、なくしてしまわれます。まことに、人はみな、むなしいものです。 セラ
39:12 私の祈りを聞いてください。【主】よ。私の叫びを耳に入れてください。私の涙に、黙っていないでください。私はあなたとともにいる旅人で、私のすべての先祖たちのように、寄留の者なのです。
39:13 私を見つめないでください。私が去って、いなくなる前に、私がほがらかになれるように。
 12月5日(月曜日)リビングライフQT


ダビデの主なる神との、不思議とも思える、訴え・・・(はてな)
祈り・・・(はてな)
全き信頼の中から滲み出た、訴え・苦渋の願い、或は、主に許される範囲(ダビデの主観で)での、呟き・・・そんな風に感じながら読んでいると、ふと、ダビデの主なる神との関係(霊的な)が、これ程にまで、緊密な間柄なのだ・・・と、感じたのです。
ダビデと主なる神との間には、隔たりがないほど、新密度が深いのだなぁ‼️🎶と、思われました。
ダビデが私達のイメージからは考えられない程、深い罪の奈落に転落し、悩み苦しみ、自己嫌悪の中でもがいていた時、
預言者ナタンにその罪を暴かれ、神の裁きの宣告を受けた時、
ダビデは、直ちに王冠を投げ捨て、王の権威の王衣を引き裂いて、塵灰をかぶって神ノ前に悔い改めた様を思います。(第二サムエル記12章1節~24節)
失敗、挫折の中でも、彼は神の前に在る自分を(覆いを被って隠れてはいても・・・)神を恐れて顔を伏せて、一時逃れをしていた自分を、思い出し、悪さした子供のように、主に赦しを請うているのです。
8節~13節には、ダビデの、過去の苦々しい思いが、涌いてくる様が読まれているのです。
イエス・キリストの血、全ての罪より我らを浄めた‼️・・・と言う、新約時代(現在の私達)の、信仰が開かれる前の時代です。
その時代にあって、ダビデの信仰(主なる神との関係)が、他に何処にも行き様がないまでに、主なる神にしがみつく様は、正に神への信頼の本質を教えてくれといるようです。
パウロが『此の方以外に救いはない‼️』と、いった言葉を思い出します。
子供が悪さをしても、泣きじゃくりながら親にしがみついて、赦しを請い、叱られても親以外には行く所がなくて、付いて行く様に似ていますね🎵
そんなあなたを、私を、主なる神は、受け入れ、愛し、赦し、守ってくださるのです‼️アーメン‼️🎶
 
詩 篇  38:1~22
記念のためのダビデの賛歌。

38:1 【主】よあなたの激しい怒りで私を責めないでください。あなたの大いなる憤りで私を懲らしめないでください。
38:2 あなたの矢が私に突き刺さり御手が私に激しく下りました。
38:3 あなたの憤りのため私の肉には完全なところがなく私の罪のゆえ私の骨には健全なところがありません。
38:4 私の咎が頭を越えるほどになり重荷となって担いきれません。
38:5 私の傷は悪臭を放って腐り果てました。それは私の愚かさのためです。
38:6 私は身をかがめ深くうなだれ一日中嘆いて歩き回ります。
38:7 私の腰は火傷でおおい尽くされ私の肉にはどこにも完全なところがありません。
38:8 私は衰え果て砕き尽くされ心もだえてほえ叫んでいます。
38:9 主よ私の願いはすべてあなたの御前にあり私の嘆きはあなたに隠れてはいません。
38:10 私の胸は激しく鼓動し私の力は私を見捨て目の光さえも私から失せてしまいました。
38:11 愛する者や私の友も私の病を避けて立ち近親の者でさえ遠く離れて立っています。
38:12 私のいのちを求める者は罠を仕掛け私のわざわいを願い求める者は私の破滅を告げ絶えず欺くことを語っています。
38:13 しかし私は聞きません。聞こえない人のように。口を開きません。話せない人のように。
38:14 まるで私は耳が聞こえず口で争わない人のようです。
38:15 まことに【主】よあなたを私は待ち望んでいます。わが神主よあなたが私に答えてくださいます。
38:16 私は思いました。彼らが私のことで喜ぶのではないか。私の足がよろけるとき私に対して高ぶるのではないかと。
38:17 私はつまずき倒れそうで痛みが絶えずともにあります。
38:18 私は自分の咎を言い表します。自分の罪で不安なのです。
38:19 私の敵は活気に満ちて強く私を憎む偽り者が多くいます。
38:20 悪をもって善に報いる者どもは私が善を追い求めると私をなじります。
38:21 【主】よ私を見捨てないでください。わが神よ私から遠く離れないでください。
38:22 急いで私を助けてください。主よ私の救いよ。
12月4日(日曜日)リビングライフQT

ダビデは、神に叛いたサウル王の、神の審判で戦死した後、イスラエル統一の最初(初代)の王として即位しました。
ここからダビデ王家が、今日に至るもなお、歴史の浮沈のなかで、続いて来ています。
此の詩篇が読まれたときは、
回りの諸国、異教の民らは、大きな危機意識をもって、新興国それも後から侵入してきた、エジプトで奴隷だった民が、一気に強大なからをもって、カナン全域に勢力を伸ばしたのですから、彼らの敵対は尋常ではなかったことでしょう。
此の精神的圧迫が、ダビデに休むことのない、心配とストレスとなって、彼の体と心を蝕んだことでしょう。
そんな中からの歌なのです‼️
彼の祈り(宗教性)は、儀礼的祈祷・嘆願・儀式としての麗しい、豊かな宗教と厳粛さを醸し出した“祈祷”ではなく、切実な訴え、神のお心との接点に訴える、切実な親しみ・悔い改め・包み隠さない命溢れる贖罪の文が続きましたね🎵
ダビデの命の福音は、正に、祈りで主なる神と深く交わることですね。
9節~主よ、私の願いは全てあなたの御前にあり、、私の願いは、あなたに隠れてはいません。
15節~まことに主よ、あなたを私は待ち望んでいます。我が神、主よ、あなたが私に答えてください。
21節~主よ私を見捨てないでください。
31節~主よ。私を見捨てないでください。
我が神よ、私から遠く離れないでください。
何と現実的で、主なる神に肉迫する祈りでしょう。そこには、赦すお方(主なる神)と赦された者(ダビデ)が対面しています。
私達の信仰は、正に此の姿が原点です。罪に汚れたダビデが、どうして(どうして)此のように全能者にして聖なるお方に、直に退座できたのでしょう❓
それは、やがてダビデの末に、購い主メシヤ即ち、イエス・キリストがあの十字架の贖罪を成し遂げられる道筋が、準備されていたからです。神の時間には、過去・現在・未来はないのです。
ですから、この時、ダビデは、購い主イエス・キリスト(神の御子イエス・キリスト)を通して、
聖なる全能者の前にひれ伏していたのです。‼️🎵💕
今朝、私は、完成された贖罪のゆえに、怖れる事なく、主なる神の前に出ることができるのです。
その様な、今朝のアドベント第二週の聖なる主日礼拝に臨みましょう🎵
祝福を祈ります‼️🎶
 
詩 篇  37:27~40

37:27 悪を離れて善を行え。いつまでも地に住め。
37:28 まことに【主】は義を愛し主にある敬虔な人をお見捨てにならない。彼らは永遠に保たれるが悪しき者どもの子孫は断ち切られる。
37:29 正しい人は地を受け継ぎいつまでもそこに住む。
37:30 正しい人の口は知恵を語りその舌は義を告げる。
37:31 その心には彼の神のみおしえがあり彼の歩みはよろけることがない。
37:32 悪しき者は正しい人を待ち伏せ彼を殺そうとする。
37:33 【主】は悪しき者の手の中に彼を捨て置かずさばきのときにも彼を不義に定めない。
37:34 【主】を待ち望め。主の道を守れ。主はあなたを高く上げ地を受け継がせてくださる。あなたは悪しき者どもが断ち切られるのを見る。
37:35 私は悪しき者の横暴を見た。彼は野生の木のようにはびこっていた。
37:36 だが彼は過ぎ去った。見よ彼はもういない。私は捜したが見つからなかった。
37:37 全き人に目を留め直ぐな人を見よ。平和の人には未来がある。
37:38 しかし背く者はことごとく滅ぼされ悪しき者どもの未来は断ち切られる。
37:39 正しい人の救いは【主】から来る。苦難のときの彼らの砦から。
37:40 【主】は彼らを助け解き放たれる。悪しき者どもから解き放ち彼らを救われる。彼らが主に身を避けているからだ。
 12月3日(土曜日)リビングライフQT

私達クリスチャンは、その魂の目線、日常観察の目線、移り良く時間の中の何処に、目を注いでいるだろうか・・・(何故)
今朝の詩を詠みながら、又新たに考えさせられました。
どうしても、今・・‼️の境遇、現在の状況に釘付けになりや私意ですね。
私は、ここしばらく(数週間)、外反母趾(右足の親指の付け根の変形成関節症)で、周期的に、息も付けないような激痛に見舞われます。以前痛風を患ったこともありましたが、それよりも更に強い痛みです。
そんな時、思いなかの何処かで、もう此は治らない😱・・・と言う、絶望的な思いが、霧のように心と体を包んでいくのが、分かるほど感じることがしばしばです。(私の知る在る牧師先生が、特別講師で、招かれた教会で、礼拝前に泊まっているホテルで、痛風の激痛の発作で動けなくなり、電話連絡もできずに苦しまれた・・とうとう礼拝には行けず、招かれたけれども、奉仕できなかった・・・と話してくださったことを思い出します。)
私はそこまではなくとも、その痛みと突発性がわかるので、痛みが始まると、どうしても絶望的感情が涌いてくるのです💢💢💨
そんな時、ふと我に返って、左足親指を手で包んで、癒しを祈りながら、主イエス様に思いを注ぐのです❗️
①主よあなたは今此の私を覚えていて下さることを感謝します。
あなたの御手に包んでください❗️
②今日まで随分痛みや困難に合ったとき、支えて下さいましたね🎵感謝します。今も又、支えてくださり事感謝します。
③主よあなたの購いの十字架の御苦しみを覚えると、今ある私の存在は、感謝に耐えません。此の痛みと辛さをもって、・・・さんのために祈ります‼️
癒し・支え・解放し・生かしてください‼️🎶・・・・
祈っているうちに、痛みが忘れられ(無くなりはしません❗️)、いつの間にか、痛みに縛られていた私が遠退き、執り成しの時となり、貴重な祈りの時間となるのです。
時には、痛み始めると・・・あぁ❗️祈りの時になった‼️🎶
と、痛みながら、主の側に引き寄せられるような、喜びを味わえるのです。
実は、体や感覚は痛んでいるので、時には脂汗でグッショリになることさえあります。
ところが収まってしまうと“何でこんなに汗かいたの(なんで)”・・・と思うほど、心も体も、軽やかに立ち上がれるのです。
私には身体の現象は、魂や精神にまで、害を及ぼさないのです。
私は此の状態を、
神の命(永遠の命)に生かされている‼️🎵と、定義し感謝しています。SJS(重篤皮膚壊死融解症)で、全身の皮膚が剥離融解するなかで、痒みと痛みに狂うほどの時も、こうして祈りつつ、主に寄りかかって、何ヵ月も病院のベッドで祈りました。今振り返っても、惨めさではなく、主の臨在の豊かさに包まれた日々を懐かしく思い出すのです。
もちろん苦痛でしたが、それに勝る平安と、慰めが満ちていました。

時は過ぎ去ります。そして、神の恵みと平安と慰めと勝利とが残るのです‼️
  ハレルヤ‼️🎶
今朝、ダビデはこの事を歌い上げといるのです。
試練や苦しみや孤独や四面楚歌は、あなたに主の恵みを深く味会わせとくださる、永遠さを味わう時となりますように。
 
詩 篇  37:12~26

37:12 悪しき者は正しい人に敵対して事を謀り彼に向かって歯をむき出す。
37:13 主は悪しき者を笑われる。彼の日が来るのをご覧になるから。
37:14 悪しき者は剣を抜き弓を引いた。苦しむ人貧しい人を打ち倒し行いの正しい人を切り殺すために。
37:15 彼らの剣は自分の胸を貫き彼らの弓はへし折られる。
37:16 一人の正しい人が持つわずかなものは多くの悪しき者が持つ富にまさる。
37:17 悪しき者の腕はへし折られるが【主】は正しい人を支えられるからだ。
37:18 【主】は全き人の日々を知っておられ彼らのゆずりは永久に続く。
37:19 彼らはわざわいのときにも恥を見ず飢饉のときにも満ち足りる。
37:20 しかし悪しき者は滅びる。【主】の敵は牧場の青草のようだ。彼らは消え失せる。煙となって消え失せる。
37:21 悪しき者は借りるが返さない。正しい人は情け深く人に施す。
37:22 主に祝福された人は地を受け継ぎ主にのろわれた者は断ち切られる。
37:23 【主】によって人の歩みは確かにされる。主はその人の道を喜ばれる。
37:24 その人は転んでも倒れ伏すことはない。【主】がその人の腕を支えておられるからだ。
37:25 若かったころも年老いた今も私は見たことがない。正しい人が見捨てられることを。その子孫が食べ物を乞うことを。
37:26 その人はいつも情け深く人に貸す。その子孫は祝福を得る。
 12月2日(金曜日)リビングライフQT

悪しき者が何をしようと、
彼らの日々がどの様に繁栄しょうと、心騒がせるな‼️
すでに昨日の主の多くの力強い約束に、励まされた私たちは、
改めて悪しき者の策謀に、戦く者ではないですが、
今日も又、重ねて、力強い主の約束が語られている‼️感謝です🎵
それは、もう一度今日の的捨てに目を注いでみましょう。
次の節に、その約束は重ねて、語られています‼️
*16節~一人の正しい人がもつわずかなものは、多くの悪いしき者が持つ富にまさる。
*17節~主は正しい人を支えられる
*18節~主は全き人の日々を知っておられ、彼らのゆずりは、永久に続く。
*23節~主によって、人の歩みは確かにされる。主はその人の道を喜ばれる。
*24節~その人は転んでも、倒れ伏すことはない。
主が、その人の腕を支えておられるからだ‼️🎶
何と力っよい宣言・約束・永遠の原理❗️なのでしょうか。
私達神の僕は、今と言う時空のなかに閉じ込められて生きているのではないのです❗️
神の創造の御手の中で、生かされている、永遠の存在なのです。だから今の試練や困難や病や迫害・・・等は、移ろい行く一時の事象に過ぎないことを、知るべきです‼️
“私は主のもの❗️ 主は私のもの‼️”
今試練にある方、怖れないで主なる神に信頼しましょう。
御受難の人生を歩まれた主イエス様のように、その彼方には、永遠の命の購いと、永遠への復活があるのです。ハレルヤ‼️🎶
 
詩 篇 37:1~11
<ダビデによる。>

37:1 悪を行う者に腹を立てるな。不正を行う者にねたみを起こすな。
37:2 彼らは草のようにたちまちしおれ青草のように枯れるのだから。
37:3 【主】に信頼し善を行え。地に住み誠実を養え。
37:4 【主】を自らの喜びとせよ。主はあなたの心の願いをかなえてくださる。
37:5 あなたの道を【主】にゆだねよ。主に信頼せよ。主が成し遂げてくださる。
37:6 主はあなたの義を光のようにあなたの正しさを真昼のように輝かされる。
37:7 【主】の前に静まり耐え忍んで主を待て。その道が栄えている者や悪意を遂げようとする者に腹を立てるな。
37:8 怒ることをやめ憤りを捨てよ。腹を立てるな。それはただ悪への道だ。
37:9 悪を行う者は断ち切られ【主】を待ち望む者彼らが地を受け継ぐからだ。
37:10 もうしばらくで悪しき者はいなくなる。その居所を調べてもそこにはいない。
37:11 しかし柔和な人は地を受け継ぎ豊かな繁栄を自らの喜びとする。
 12月1日(木曜日)リビングライフQT

正しい思いを持つ時、人は、腹をたて、妬みを起こし、憤り、苛立ち、悪意を持ちやすいですね😱
しかも、正しいことに対する反応であるため、正義感でその様な感情が、神の喜ばれる((?))正しさ・・・だと思い違いして、いつの間にか、心が荒んでいくのに気が付かないことがないだろうか(?)
その様な心正しくて、心が傷つ付きやすい姿に対して、今日の詩篇は警告しています‼️
*1節~悪を行うものに腹を立てるな。
*3節~主に信頼し・・・誠実を行え。
*4節~主を自らの喜びとせよ。
*5節~あなたの道を主に委ねよ。
*7節~主の前に静まり、堪え忍んで主を待て。
*8節~怒ることをやめ 憤りを捨てよ。
*11節~柔和な人は地を受け継ぐ・・・

これ等の御言葉は、私達の信仰生活の根幹を教える、大切な薦めの言葉ですね🎵
わたしの眼を、ただ主に❗️
唯一、愛と平和をもって養い・導き・生かして下さる御方にのみ、注ぎましょう。
このお方だけが、救い主・癒し主・購い主・
、このお方を他にしては、救いはない‼️
🎶主の心もて
   我が心とせん
  主よ、力もて
     汝が心を
  持たしめたまえ🎶