
| 2022/7/31(日) リビングライフQT Ⅱコリント13:1~13 13:1 私があなたがたのところに行くのは、これで三度目です。二人または三人の証人の証言によって、すべてのことは立証されなければなりません。 13:2 以前に罪を犯した人たちとほかの人たち全員に、私は二度目の滞在のとき、前もって言っておきましたが、こうして離れている今も、あらかじめ言っておきます。今度そちらに行ったときには、容赦しません。 13:3 こう言うのは、キリストが私によって語っておられるという証拠を、あなたがたが求めているからです。キリストはあなたがたに対して弱い方ではなく、あなたがたの間にあって力ある方です。 13:4 キリストは弱さのゆえに十字架につけられましたが、神の力によって生きておられます。私たちもキリストにあって弱い者ですが、あなたがたに対しては、神の力によってキリストとともに生きるのです。 13:5 あなたがたは、信仰に生きているかどうか、自分自身を試し、吟味しなさい。それとも、あなたがたは自分自身のことを、自分のうちにイエス・キリストがおられることを、自覚していないのですか。あなたがたが不適格な者なら別ですが。 13:6 しかし、私たちは不適格でないことが、あなたがたに分かるように、私は望んでいます。 13:7 私たちは、あなたがたがどんな悪も行うことのないように、神に祈っています。それは、私たちが適格であることを明らかにしたいからではなく、私たちが不適格な者のように見えたとしても、あなたがたに善を行ってもらいたいからです。 13:8 私たちは、真理に逆らっては何もすることができませんが、真理のためならできます。 13:9 私たちは、自分は弱くても、あなたがたが強ければ喜びます。あなたがたが完全な者になること、このことも私たちは祈っています。 13:10 そういうわけで、離れていてこれらのことを書いているのは、私が行ったときに、主が私に授けてくださった権威を用いて、厳しい処置をとらなくてもすむようになるためです。この権威が私に与えられたのは、建てるためであって、倒すためではありません。 13:11 最後に兄弟たち、喜びなさい。完全になりなさい。慰めを受けなさい。思いを一つにしなさい。平和を保ちなさい。そうすれば、愛と平和の神はあなたがたとともにいてくださいます。 13:12 聖なる口づけをもって互いにあいさつを交わしなさい。すべての聖徒たちが、あなたがたによろしくと言っています。 13:13 主イエス・キリストの恵み、神の愛、聖霊の交わりが、あなたがたすべてとともにありますように。 コリントの教会には、クリスチャンでない世俗のままの者がいて、教会の秩序を妨げているのではなくて、ユダヤ教の慣習(律法)を、そのまま新しいクリスチャンや、異教の信仰から改宗したクリスチャンに負わせようとする人々や、十字架の贖罪によって、罪赦されてパプテスマを受けた人々の中で、洗礼を受けたから・私はクリスチャンだから・・・と、傲慢・断罪・妥協・分裂・分派・批判・etc.キリストの命溢れる、恵みを切り崩し、争い妥協がキリストの輝く命を、汚し、損傷していたのです。 今新たに、私たちの教会にあって、終末的乱れの恒常化、美徳化、教会の中に、世俗の様々な事の模倣が拡がりました。留まるところを知らない拡散が、教会を弱くしています。 今の時代にも、パウロならずとも、戦わねばならない問題が沈殿し、福音が不透明化したり、サタンの切り崩しを許している現実のあることに気付き、戦わねばならないことを、強く示されます。 端的に言えば《教会の世俗化》です。 教会が、イエス様の弟子・家族として、世に輝く存在になるように・・・ 11節・12節・13節大切なモットー・定規として、再確認したいですね。 |
| 2022/7/30 (土曜日) リビングライフQT Ⅱコリント 12:11~21 12:11 私は愚か者になってしまいました。あなたがたが無理に私をそうさせたのです。私は当然、あなたがたの推薦を受けてよかったはずです。私は、たとえ取るに足りない者であっても、あの大使徒たちに少しも劣るところはなかったのですから。 12:12 私は忍耐を尽くして、あなたがたの間で使徒としてのしるしを明らかにしました。しるしと不思議と力あるわざによってです。 12:13 あなたがたが他の諸教会より劣っている点は何でしょうか。この私が、あなたがたに負担をかけなかったことだけではありませんか。この不正のことは赦してください。 12:14 見なさい。私は、あなたがたのところに三度目の訪問をする準備ができていますが、あなたがたに負担はかけません。私が求めているのは、あなたがたが持っている物ではなく、あなたがた自身なのです。子が親のために蓄える必要はなく、親が子のために蓄えるべきです。 12:15 私は、あなたがたのたましいのために、大いに喜んで財を費やし、自分自身を使い尽くしましょう。私があなたがたを愛すれば愛するほど、私はますます愛されなくなるのでしょうか。 12:16 それならそれでよいとして、私はあなたがたに重荷を負わせませんでした。それでも私は、悪賢くて、あなたがたからだまし取ったと言われます。 12:17 私はあなたがたのところに人を遣わしましたが、そのうちのだれかによって、あなたがたをだますことがあったでしょうか。 12:18 私はテトスにそちらに行くように頼み、あの兄弟もともに遣わしました。テトスはあなたがたをだましたでしょうか。私たちは同じ心で歩んだではありませんか。同じ足跡をたどったではありませんか。 12:19 あなたがたは、私たちがあなたがたに対して自己弁護をしているのだと、前からずっと思っていましたか。私たちは神の御前で、キリストにあって語っているのです。愛する者たち、すべてはあなたがたが成長するためなのです。 12:20 私は心配をしています。そちらに行ってみると、あなたがたは私が期待したような人たちでなく、私もあなたがたが期待したような者でなかった、ということにならないでしょうか。争い、ねたみ、憤り、党派心、悪口、陰口、高ぶり、混乱がありはしないでしょうか。 12:21 私が再びそちらに行くとき、私の神があなたがたの前で、私を恥じ入らせるのではないでしょうか。そして、以前に罪を犯していながら、犯した汚れと淫らな行いと好色を悔い改めない多くの人たちのことを、私は嘆くことにならないでしょうか。 パウロ先生の痛々しいまでの、語りかけに、今日新たに、現在の私の魂までも、痛みが響いてきます。何度も読み、学んできた箇所ですが、改めて考えると・・・ なぜ、この様な個別な事情を含んだ書簡を、《霊感の書》と言われる、“聖書”の本文に加えることを、初代教会の教会会議が、聖書本文に加えたのだろうか。その陰に神の霊がこれを許されたのだろうか。ふとその様な疑問を感じながら、読み直し黙想していました。その中で改めて気がついたのは、 教会は、完成された理想郷ではない・・と言うことです。それでいて教会には、本当の赦しと愛と希望がある‼️🎶と言うことです。 14節~「私が求めといるのは、あなた方が持っている物ではなく、あなた方自身なのです。」この言葉の中に、パウロの本当の心が表れています。 統制がとれないままの群れ(コリントの教会)に、これから行こうとするパウロにとって、心傷める思いではあるが、《私が求めているのは、・・・あなた方自身なのです》と、訴えているのです。 それは、・・・ *裏切りを知りながら、なお、イスカリオテユダの足を洗われた、イエス・キリストの御思いと重なるのです。 *誰が~偉いか・・と論じあったり。 *幼子が主に近寄ると排除しようとしたり、 *主のお言葉を遮っていさめたり・・・ その様な弟子達を最後まで愛し通された、イエス様のお姿を思い出させる様な、パウロの愛の姿を思うのです。 今は分からないけれども、“後知るべし‼️” これが教会の姿であり、その中に主が顕れて下さる。 パウロ先生がコリントの姿に心傷めながらも、主が共に居てくださるから、主に期待して、渦中に入る・・・と、語りかけています。 パウロ自身が、主イエス様のようになって、教会を切り盛り(牧会)しているのです。 そこに主も共におられるのです。 あなたの教会で、忍耐をもって主を見上げ、主の愛があなたを通して、群れの中に、教会に拡がることを祈り続けましょう‼️🎶 |
| 2022/7/29(金) リビングライフQT Ⅱコリント 12:1~10 12:1 私は誇らずにはいられません。誇っても無益ですが、主の幻と啓示の話に入りましょう。 12:2 私はキリストにある一人の人を知っています。この人は十四年前に、第三の天にまで引き上げられました。肉体のままであったのか、私は知りません。肉体を離れてであったのか、それも知りません。神がご存じです。 12:3 私はこのような人を知っています。肉体のままであったのか、肉体を離れてであったのか、私は知りません。神がご存じです。 12:4 彼はパラダイスに引き上げられて、言い表すこともできない、人間が語ることを許されていないことばを聞きました。 12:5 このような人のことを私は誇ります。しかし、私自身については、弱さ以外は誇りません。 12:6 たとえ私が誇りたいと思ったとしても、愚か者とはならないでしょう。本当のことを語るからです。しかし、その啓示があまりにもすばらしいために、私について見ること、私から聞くこと以上に、だれかが私を過大に評価するといけないので、私は誇ることを控えましょう。 12:7 その啓示のすばらしさのため高慢にならないように、私は肉体に一つのとげを与えられました。それは私が高慢にならないように、私を打つためのサタンの使いです。 12:8 この使いについて、私から去らせてくださるようにと、私は三度、主に願いました。 12:9 しかし主は、「わたしの恵みはあなたに十分である。わたしの力は弱さのうちに完全に現れるからである」と言われました。ですから私は、キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう。 12:10 ですから私は、キリストのゆえに、弱さ、侮辱、苦悩、迫害、困難を喜んでいます。というのは、私が弱いときにこそ、私は強いからです。 2節~私はキリストにある一人の人を知っています。・・・ これは、パウロ自身の経験でしょう。 此のような体験は、誰もが持つのではないでしょうか、 それでも、大なり小なり、御霊による霊的体験は、魂にしっかり焼き付いて、その原体験が、あらゆる危機や、試練の中で、思い出されて勇気付けられ、再体験化されて、力となるものです。 私にもそれがあるのです。 しばしば力尽きるとき、押し潰されそうになる時、思い出しては、選ばれ、赦され、生かされてきた保証となって、立ち上がってきました。 8節~9節 ・・弱さは、主なる神の保証書みたいなものです。正に、主は言われる『わたしの力は弱さの内に完全に現れるからである。』アーメン パウロと一緒に、弱さを誇りましょう‼️🎶 三度も死と直面し、何度も大病を患い、あらゆる面で、足りなさばかり目立つ私ですが、そんな私が、今日まで主の働きに押し出されて来たのは、正に、主の哀れみに依るのだと🎵 主イエス様の愛に留まりましょう‼️🎶 |
| 2022/7/28(木) リビングライフQT Ⅱコリント11:16~33 11:16 もう一度言いますが、だれも私を愚かだと思わないでください。もし愚かだと思うなら、愚か者として受け入れてください。そうすれば、私も少しばかり誇ることができます。 11:17 これから話すことは、主によって話すのではなく、愚か者として、自慢できると確信して話します。 11:18 多くの人が肉によって誇っているので、私も誇ることにします。 11:19 あなたがたは賢いので、喜んで愚か者たちを我慢してくれるからです。 11:20 実際あなたがたは、だれかに奴隷にされても、食い尽くされても、強奪されても、いばられても、顔をたたかれても、我慢しています。 11:21 言うのも恥ずかしいことですが、私たちは弱かったのです。何であれ、だれかがあえて誇るのなら、私は愚かになって言いますが、私もあえて誇りましょう。 11:22 彼らはヘブル人ですか。私もそうです。彼らはイスラエル人ですか。私もそうです。彼らはアブラハムの子孫ですか。私もそうです。 11:23 彼らはキリストのしもべですか。私は狂気したように言いますが、私は彼ら以上にそうです。労苦したことはずっと多く、牢に入れられたこともずっと多く、むち打たれたことははるかに多く、死に直面したこともたびたびありました。 11:24 ユダヤ人から四十に一つ足りないむちを受けたことが五度、 11:25 ローマ人にむちで打たれたことが三度、石で打たれたことが一度、難船したことが三度、一昼夜、海上を漂ったこともあります。 11:26 何度も旅をし、川の難、盗賊の難、同胞から受ける難、異邦人から受ける難、町での難、荒野での難、海上の難、偽兄弟による難にあい、 11:27 労し苦しみ、たびたび眠らずに過ごし、飢え渇き、しばしば食べ物もなく、寒さの中に裸でいたこともありました。 11:28 ほかにもいろいろなことがありますが、さらに、 日々私に重荷となっている、すべての教会への心づかいがあります。 11:29 だれかが弱くなっているときに、私は弱くならないでしょうか。だれかがつまずいていて、私は心が激しく痛まないでしょうか。 11:30 もし誇る必要があるなら、私は自分の弱さのことを誇ります。 11:31 主イエスの父である神、とこしえにほめたたえられる方は、私が偽りを言っていないことをご存じです。 11:32 ダマスコでアレタ王の代官が、私を捕らえようとしてダマスコの人たちの町を見張りましたが、 11:33 私は窓からかごで城壁伝いにつり降ろされ、彼の手を逃れたのでした。 パウロ先生が、敢えて誇ろうとするのは、コリントの教会の中の、主に忠実にしたがい、翻弄される群れに心痛める、真実な信徒たちに対してではありません。パウロ先生を非難し、パウロ先生の働きを妨げようとして、混乱を作り出す、ユダヤ主義者たちにたいしてなのです。 聞く耳を持たない、肉に属する反乱分子には、霊的説得や、筋を糺(ただ)しての訓戒では、全く通じないのです。ここでは、力には力と知恵で、対抗するのです。 21節~28節が、正にそれです。此の様に誇るのは、自分を高めようとするのではなく、 彼らの無知を明らかにして、神の側に立つ者の、遥かに優位性を突きつけるための、チャレンジとなるのです。子供が怖がって親の影に隠れるような、姿ではなく、背後に主が居られることに力を得て、大胆に切り込んでいく、力を発揮するのも、クリスチャンの証しです。対人対抗の技術ではなく、 何時でも、何処ででも、固く立つ信仰の確信からの、対決でありたいですね。 *たとい、死の陰の谷を歩いても、災いを恐れません。あなたが私と共におられるからです‼️ *あなたは私のために、私の敵の前に宴席をもうけ、私の頭に油を注いで下さいます。 これこそ、敵や反対する人々を、沈黙させる、神の御業なのです。 私がまだ25才の、駆け出しの伝道者だった、四国中村(現在の四万十市)で開拓伝道を始めた頃、中村の町でも、手に負えない、やくざが昼間に怒鳴り込んできて、私に短刀を突きつけ、伝道を止めるように、脅迫しました。その短刀を今度は床に突き立てて、更に押し殺すように、脅し文句を並べるのです。 その時、私は心の中で祈りながら、主からの力をいただき、 「そんなに大きな声を出さなくても、ちゃんと聞こえてます。ただあなたの脅しが理不尽で、筋が通らないので答えないだけですし、磨いた床に傷をつけるようなことをして欲しくないから~サァ、これを納めなさい❗~」と、短刀を床から抜き取り束の方から彼の手に返したのです。そして更に、「私たちクリスチャンは、全能の神以外に恐れる方はいないのですよ❗」貴方も、此のお方の弟子になりませんか‼️」と語ると、片ひざついた脅しの姿勢を崩して、正座になり、「畏れいりました。今日は勘弁してください。」と、一礼して、短刀を鞘に納めて懐にしまい。すごすごと帰っていきました。 外に送りに出ると、ご近所の方々が、遠巻きに様子をうかがい、何時でも、警察に通報しようと構えていたそうです。 「今度こられるときは、物騒なものは持たずに、身軽に是非お出でなさい。」 自分でも、驚くほど、冷静で、彼の後ろ姿を見ながら祈る思いでいました。57年前の若造の時でした。 全能者の前にあるとき、何の畏れや、敗北心がありましょうか。パウロ先生の、此のときの書いた言葉には、平安と喜びと、勝利感があったのでしょう‼️ 主はあなたの味方‼️🎶 あなたの側に居てくださいます。 ハレルヤ‼️🎶 |
| 2022/7/27(水) リビングライフQT Ⅱコリント 11::1~15 11:1 私の少しばかりの愚かさを我慢してほしいと思います。いや、あなたがたは我慢しています。 11:2 私は神の熱心をもって、あなたがたのことを熱心に思っています。私はあなたがたを清純な処女として、一人の夫キリストに献げるために婚約させたのですから。 11:3 蛇が悪巧みによってエバを欺いたように、あなたがたの思いが汚されて、キリストに対する真心と純潔から離れてしまうのではないかと、私は心配しています。 11:4 実際、だれかが来て、私たちが宣べ伝えなかった別のイエスを宣べ伝えたり、あるいは、あなたがたが受けたことのない異なる霊や、受け入れたことのない異なる福音を受けたりしても、あなたがたはよく我慢しています。 11:5 私は、自分があの大使徒たちに少しも劣っていないと思います。 11:6 話し方は素人でも、知識においてはそうではありません。私たちはすべての点で、あらゆる場合に、そのことをあなたがたに示してきました。 11:7 それとも、あなたがたを高めるために自分を低くして、報酬を受けずに神の福音をあなたがたに宣べ伝えたことで、私は罪を犯したのでしょうか。 11:8 私は他の諸教会から奪い取って、あなたがたに仕えるための給料を得たのです。 11:9 あなたがたのところにいて困窮していたときも、私はだれにも負担をかけませんでした。マケドニアから来た兄弟たちが、私の欠乏を十分に補ってくれたからです。私は、何であれ、あなたがたの重荷にならないようにしましたし、今後もそうするつもりです。 11:10 私のうちにある、キリストの真実にかけて言います。アカイア地方で私のこの誇りが封じられることはありません。 11:11 なぜでしょう。私があなたがたを愛していないからでしょうか。神はご存じです。 11:12 私は、今していることを今後も続けるつもりです。それは、ある人たちが自分たちで誇りとしていることについて、私たちと同じだと認められる機会を求めているのを断ち切るためです。 11:13 こういう者たちは偽使徒、人を欺く働き人であり、キリストの使徒に変装しているのです。 11:14 しかし、驚くには及びません。サタンでさえ光の御使いに変装します。 11:15 ですから、サタンのしもべどもが義のしもべに変装したとしても、大したことではありません。彼らの最後は、その行いにふさわしいものとなるでしょう。 パウロ先生がどんな思いで、この手紙を書いているのかを、思い巡らせながら読むと、心痛む思いがいたします。 パウロ先生が、関わり祈り導いているのは、コリントだけではないのです。この手紙を書いている、隣の国マケドニヤにも、6箇所、エヮグ海を隔てたアジア・リキア・ガラテヤ・キリキア・カバドキア・シリア・ユダヤなど広大な範囲に散らばるクリスチャンの群れを思うと、どんな思いでこと手紙を認めたのだろうかと、旨の痛みを感じます。 聖書聖典には、ローマ・コリント・ガラテヤ・エペソ・ピリピ・コロサイ・テサロニケ・・・と、書簡が組み込まれていますが、主の教会はまだ他にも沢山ありました。 そう考えると、当時の地中海世界全域を、巡っての働きは、この様な働きを託された使命からもありましょうが、福音に生きる全ての人生が、伝えた人々の救いの完成を、自らの人生の、課題として、祈り仕えた姿を、心に焼き付けられます。 彼は、決して職業伝道者であったわけではないのです。ただそうせずに居られず、生き、走り続けたのです。主の僕としては、信徒・伝道者・牧師・宣教師・役員・指導者等々と、その働きが区別されるものではないのです。 その区別は、パウロも語っています様に、主なる神が、それぞれの働きに応じて、用いられるだけであって、私たち一人一人は、今あるこの救い(魂の救いに預かったことによる、罪からの解放・平安・喜び・感謝・力強い日々の恵み・・・)に包まれて、この宝を周りに拡げることに、使命と喜びを与えられたのです。 この喜び・力強い日々・感謝と喜びに満ちた心を、どうして、汚せましょう‼️ 魂の守りは、攻める信仰です。 私は今朝、パウロ先生の切々たる筆致に、主の一僕として、新たな思いを主に捧げます。こんな救いと恵みを、どうして、汚せましょう‼️そればかりか、伝えずには居られない衝動に駈られます。この素晴らしい、伝えるという働きを、少しでも長く、続けるために、知性と健康と、記憶力とを、支えてください‼️と祈ります。 |
| 2022/7/26(火) リビングライフQT Ⅱコリント 10::12~18 10:12 私たちは、自分自身を推薦している人たちの中のだれかと、自分を同列に置いたり比較したりしようとは思いません。彼らは自分たちの間で自分自身を量ったり、互いを比較し合ったりしていますが、愚かなことです。 10:13 私たちは限度を超えて誇りません。神が私たちに割り当ててくださった限度の内で、あなたがたのところにまで行ったことについて、私たちは誇るのです。 10:14 私たちは、あなたがたのところに行かなかったかのようにして、無理に手を伸ばしているのではありません。事実、私たちは他の人たちに先んじて、あなたがたのところにキリストの福音を携えて行ったのです。 10:15 私たちは、自分の限度を超えてほかの人の労苦を誇ることはしません。ただ、あなたがたの信仰が成長し、あなたがたの間で私たちの働きが、定められた範囲の内で拡大し、あふれるほどになることを望んでいます。 10:16 それは、あなたがたより向こうの地域にまで福音を宣べ伝えるためであって、決して、ほかの人の領域ですでになされた働きを誇るためではありません。 10:17 「誇る者は主を誇れ。」 10:18 自分自身を推薦する人ではなく、主に推薦される人こそ本物です。 限度を超えて・・・ パウロ先生は、立場上、自分の事(立場)を知って貰わないと、指導や導きができない場合もあるでしょう。 ただひたすらに自分を出さないで、真理と恵みが伝わるように語りながらも、主から選ばれ、委ねられた立場から、語り導くとき、その立場が輝き出すことは避けられないでしょう。 神から遣わされ、語らせられている・・・という事実は強く押し出したとしても、“限度”を超えて、語ってはいない‼️と語っている。 私たちは・・“知って欲しい❗” “解って欲しい❗” “尊敬して(受け入れて)欲しい❗” この思いは、人の心の欲求には、消せない“性(サガ)”なのです。これが私たちを恵みの子から、逸脱する誘惑なのです。 私たちには、全てを与えてくださるお方が居られるのですから、これ以上装う必要がありましょうか。‼️ 私の、あなたの内から主の愛と輝きが放たれるなら、もう、何も要らないのです。主が輝いて下さるのなら もう、何も必要ないですね。 17節「誇る者は、主を誇れ。」 18節「自分自身を推薦する人ではなく、主に推薦される人こそ本物です。」 この真理こそ、福音の原則ですね
“空しいものだ 要するに空しいものだ 基督の目から見ぬことができぬなら 私にとって何もかもつまらね イエスさま イエスさま イエスさま *八木重吉~1898年生 1927年、結核で没 *福音に生き福音に死 す。福音詩人。 30歳で召天、その間、3000遍を遥かに越える詩を、世に出された。 |
| 2022/7/25(月) リビングライフQT Ⅱコリント 10:1~11 10:1 さて、あなたがたの間にいて顔を合わせているときはおとなしいのに、離れているとあなたがたに対して強気になる私パウロ自身が、キリストの柔和さと優しさをもってあなたがたにお願いします。 10:2 私たちが肉に従って歩んでいると見なす人たちに対しては、大胆にふるまうべきだと私は考えていますが、そちらに行ったときに、その確信から強気にふるまわないですむように願います。 10:3 私たちは肉にあって歩んではいても、肉に従って戦ってはいません。 10:4 私たちの戦いの武器は肉のものではなく、神のために要塞を打ち倒す力があるものです。 10:5 私たちは様々な議論と、神の知識に逆らって立つあらゆる高ぶりを打ち倒し、また、すべてのはかりごとを取り押さえて、キリストに服従させます。 10:6 また、あなたがたの従順が完全になったとき、あらゆる不従順を罰する用意ができています。 10:7 あなたがたは、うわべのことだけを見ています。もし自分はキリストに属する者だと確信している人がいるなら、その人は、自分がキリストに属しているように、私たちもキリストに属しているということを、もう一度よく考えなさい。 10:8 あなたがたを倒すためにではなく、建てるために主が私たちに与えてくださった権威について、私が多少誇り過ぎることがあっても、恥とはならないでしょう。 10:9 私は、手紙であなたがたを脅しているかのように思われたくありません。 10:10 「パウロの手紙は重みがあって力強いが、実際に会ってみると弱々しく、話は大したことはない」と言う人たちがいるからです。 10:11 そのような人は承知していなさい。私たちは、離れて書く手紙のことばどおりの者として、そちらに行ってもふるまいます。 先日も書きましたが、この書簡は、パウロがアジア・マケドニア・ギリシャ(アカヤ)・イスラエル・ユダ・エルサレム・クレタ・・・等々、地中海沿岸沿いの、ユダヤ会堂(シナゴーグ)のある街町を巡って、イエス・キリストの福音を伝えて巡回することで、教会(信徒の群れ)が生まれたのです。アカヤからエルサレムに至る2000kmに及ぶ巡回ですから、一つの町から地域から、転々と移動するなかで、継続的導きのために、弟子は置いてくるものの、ユダヤ主義・異邦の世俗文化が、信仰者の中に蔓延したり、分派が現れたり・・・その報せを受ける度に、手紙を書いて彼らを正しく導かねばならなかった。 その例がこのコリントの手紙なのです。パウロ先生がどの様な思いで、この手紙を認められたかを考えると、胸の痛む思いがします。日夜眠ることも出来ないほど心痛め、祈り考え思いを練って、認(シタタ)めたこの手紙、パウロ先生の胸の痛みや、悲しみや、怒りに近い感情が、伝わってきます。 今朝の、このテキストから伝わるパウロの切々たる筆致(文章の訴え)は、パウロに反対する人々の心に、どのように届いただろうか・・(はてな) 私たちが福音に生きる(伝え証しする)のに、どれ程相手(家族・友人・回りの人々)に、心砕いて影で祈り、執り成し、心注いで来ただろうか・・❓ ふとそんな思いを抱いて、黙想していました。 パウロ先生は、祈っているからこそ、10節・11節の様な、強い言葉を綴る事が出来たのでしょう❗ 信仰生活が厳しく、様々な不利に痛みを感じるのは、自らの不利益に対してもそうでしょうが、実は、主が痛んで(贖罪の苦しみ)下さった様に、福音のために痛む時、そこから神の愛が力をもって、友の魂に迫る様になるのです。 伝道者だからではなく、主からの救い(永遠の命)に預かった私たちも、福音に生きると言う、あり方の一面を、この中から学んでいけたら、友の救いが、家族の救いが、さらに一段と現実化するのではないでしょうか・・🎶 更に主に近づきましょう🎵 |
力丸嗣夫師 リビングライフ LINE
(新改訳聖書2017)
北九州シオン教会