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力丸嗣夫師 リビングライフ LINE
          (新改訳聖書2017)
    

北九州シオン教会

 第一サムエル 5章1節~12節

5:1 ペリシテ人は神の箱を奪って、エベン・エゼルからアシュドデまで運んで来た。
5:2 それからペリシテ人は神の箱を取り、ダゴンの神殿に運んで来て、ダゴンの傍らに置いた。
5:3 アシュドデの人たちが、翌日、朝早く起きて見ると、なんと、ダゴンは【主】の箱の前に、地にうつぶせになって倒れていた。そこで彼らはダゴンを取り、元の場所に戻した。
5:4 次の日、朝早く彼らが起きて見ると、やはり、ダゴンは【主】の箱の前に、地にうつぶせになって倒れていた。ダゴンの頭と両手は切り離されて敷居のところにあり、胴体だけがそこに残っていた。
5:5 それで今日に至るまで、ダゴンの祭司たちやダゴンの神殿に入る者はみな、アシュドデにあるダゴンの敷居を踏まない。
5:6 【主】の手はアシュドデの人たちの上に重くのしかかり、アシュドデとその地域の人たちを腫物で打って脅かした。
5:7 アシュドデの人たちは、この有様を見て言った。「イスラエルの神の箱は、われわれのもとにとどまってはならない。その手は、われわれとわれわれの神ダゴンの上に厳しいものであるから。」
5:8 それで彼らは人を遣わして、ペリシテ人の領主を全員そこに集め、「イスラエルの神の箱をどうしたらよいでしょうか」と言った。領主たちは「イスラエルの神の箱は、ガテに移るようにせよ」と言った。そこで彼らはイスラエルの神の箱を移した。
5:9 それがガテに移された後、【主】の手はこの町に下り、非常に大きな恐慌を引き起こし、この町の人々を上の者も下の者もみな打ったので、彼らに腫物ができた。
5:10 ガテの人たちは神の箱をエクロンに送った。神の箱がエクロンにやって来たとき、エクロンの人たちは大声で叫んで言った。「私と私の民を殺すために、イスラエルの神の箱をこっちに回して来たのだ。」
5:11 それで彼らは人を遣わして、ペリシテ人の領主を全員集め、「イスラエルの神の箱を送って、元の場所に戻っていただきましょう。私と私の民を殺すことがないように」と言った。町中に死の恐慌があったのである。神の手は、そこに非常に重くのしかかっていた。
5:12 死ななかった者は腫物で打たれ、助けを求める町の叫び声は天にまで上った。
 2023年1月31日(火)リビングライフQT

大変面白い経過の物語ですね。
イスラエルは、ペリシテに完全に敗北しました。今こそ、ペリシテは、モーセ・ヨシュアの時以来、パレスティナの片隅に追いやられ、かつての繁栄を200年に亘って失っていたのを❗️この時、見事に取り返したのです。
しかし、現実は違っていました。その事を記録したのが、今朝のテキストとなったお話です。
即ち、イスラエルの民は敗北しました。しかし、民を導き、建て挙げてこられた神が、敗北したわけではないのです。
ペリシテが守護神としていた偶像の神は、
“ダゴン”でした。
ペリシテ人は、戦勝の記念として、神の箱を、ダゴンの神殿の、前面のダゴンの神の像の前に飾って、ダゴンの笑い物にしました。
しかし、一度ならず二度までも、ダゴンの神の像が、神の箱の前に、倒れて恥をさらしていたのです。今や闘いは、民の闘いではなく、霊の戦いの段階に入っていたのです。
神の箱は、更にペリシテの寄りどころの神から遠ざけて、遥かに離れた地方に移したのです。するとそこには疫病が流行り、恐怖と疫病が蔓延し、ペリシテ全体に恐怖が拡がりました。
正に、これは神の戦いとなっていたのです。
身体の病・魂の病(恐怖と敗北)に征服されたのです。
今やこれは神の闘いなのです‼️
神の箱(契約の箱)に、神通力があるのでありません。
イスラエルの神は、この箱と共に在る‼️と言うメッセージを、この事実を通して、顕されているのです。
イスラエルの民が敗北したのは、民の罪の故に、神がペリシテを使って、裁かれたのです。
イスラエルの神(ヤーウェ)は、ペリシテの神に勝利している❗️此れからも、ペリシテはイスラエルの神ヤーウェに敵対しては、勝利の道はない‼️事を示されたのです。神の顕現(御自身を顕される事)は、信じる者には、“愛と赦し”‼️ 背く(信じない)者には、裁きと滅びとなって、顕現されるのです。この事件は、単なるミステリアス(神秘的)な、出来事ではないのです。
この出来事は、全能者・創造者である神を知らない時代と民に、証をするものが、その役割を放棄した場合に、屡々ご自身自ら顕現された記録の一つです。先にも書いたように、神がもし、ご自身を直に顕されることになる時は、滅び(裁き=捌き)か、栄光のどちらかになります。
私たちは今や、この様な恐るべき神の顕現から、守られるようにと、御子イエス・キリストの十字架による顕現が与えられましたので、恐れることなく、神の愛と恵みと勝利に、預かることが出来るのです。
今や、神の箱は、十字架のあがないなのです。ハレルヤ‼️🎵
 第一サムエル 4:12~22

4:12 一人のベニヤミン人が戦場から走って来て、その日シロに着いた。衣は裂け、頭には土をかぶっていた。
4:13 彼が着いたとき、エリはちょうど、道のそばの椅子に座って見張っていた。神の箱のことを気遣っていたからであった。この男が町に入って来て報告すると、町中こぞって泣き叫んだ。
4:14 エリがこの泣き叫ぶ声を聞いて、「この騒々しい声は何だ」と言うと、男は大急ぎでやって来てエリに知らせた。
4:15 エリは九十八歳で、その目はこわばり、何も見えなくなっていた。
4:16 男はエリに言った。「私は戦場から来た者です。私は、今日、戦場から逃げて来ました。」するとエリは「わが子よ、状況はどうなっているのか」と言った。
4:17 知らせを持って来た者は答えて言った。「イスラエルはペリシテ人の前から逃げ、兵のうちに打ち殺された者が多く出ました。それに、あなたの二人のご子息、ホフニとピネハスも死に、神の箱は奪われました。」
4:18 彼が神の箱のことを告げたとき、エリはその椅子から門のそばにあおむけに倒れ、首を折って死んだ。年寄りで、からだが重かったからである。エリは四十年間、イスラエルをさばいた。
4:19 彼の嫁、ピネハスの妻は身ごもっていて出産間近であったが、神の箱が奪われて、しゅうとと夫が死んだという知らせを聞いたとき、陣痛が起こり、身をかがめて子を産んだ。
4:20 彼女は死にかけていて、彼女の世話をしていた女たちが「恐れることはありません。男の子が生まれましたから」と言ったが、彼女は答えもせず、気にも留めなかった。
4:21 彼女は、「栄光がイスラエルから去った」と言って、その子をイ・カボデと名づけた。これは、神の箱が奪われたこと、また、しゅうとと夫のことを指したのであった。
4:22 彼女は言った。「栄光はイスラエルから去った。神の箱が奪われたから。」
 2023年1月30日(月)リビングライフQT

イスラエルはこぞって、霊的に堕落していました。何故なら、イスラエルの弱さは、聖なる神への真実な信仰がおろそかになっていて、その国体が揺らいでいるのを知ったペリシテは、好機とばかり、イスラエルに攻め寄せて来たのです。
イスラエルのこの時に、思ったことは、自分達には全能の神がいる‼️
問題点を深掘りせずに、『我々には、紅海を二つに割り、ヨルダンを塞き止められた全能の神がいる‼️
ここでも主に働いてもらおう🎵と、“契約の箱”を町から持ち出したのです。
民とその指導者達は、神を利用しようとしたのです。
エリはそれを阻止できずに、神の箱の行く末を案じていたのです。
正に、最早イスラエルは、風前の灯でした。
イスラエルの戦いが有利になるようにと、神の箱を担ぎ出しての闘いは、正に、主なる神を利用したことに他なりません。それを阻止できなかった祭司エリは、事の成り行きが気になって、幕屋の外に出て、知らせを待っていたのです。
その知らせは最悪のものでした。
私はこの記事を見て、一つホッとしたのは、
我が子のホフニとピネハスの死を伝えられてではなく、神の箱が奪われた‼️と言う知らせでショックを受けて、倒れて死んだ・・・と言う記述です。
神の箱の移動に関しては、祭司としての最悪の許容だったからです。この知らせは、自分自身の死の宣告を実感させられる、最悪のニュースだったのです。そしてこの敗北は
自分自身の責任にあることを、責めていたのです。 エリの最後の 仕事(契約の箱を守る)            ことだったのです。
その結果は、二人の息子の死と、契約の箱を奪われたことでした。
その時、息子の死に対してではなく、契約の箱を奪われたことが、ショックとなって、死んだことは、せめてもの、エリの自責の表れと言えましょう。
これらの知らせを聞いた、ピネハスの身重の妻は、一気に重なった出来事を知り、(神の)栄光はイスラエルを去った😖💦と言って、生まれた子にその名を付けた。
遅すぎた悔いの言葉と、死でしたね😱
今の、時代に生きる私たち信仰者・教会も又、今の時代の姿を読み違えないように、悔いのない時を積み重ねねばならない、時代ではないでしょうか、
神の栄光の道に生かされている教会と、クリスチャンの日々は、
神の栄光の輝きを陰らすことのない、一日一日を、主の前に歩みたいですね。
 第一サムエル 4:1~11

4:1 サムエルのことばが全イスラエルに行き渡ったころ、イスラエルはペリシテ人に対する戦いのために出て行き、エベン・エゼルのあたりに陣を敷いた。一方、ペリシテ人はアフェクに陣を敷いた。
4:2 ペリシテ人はイスラエルを迎え撃つ陣備えをした。戦いが広がると、イスラエルはペリシテ人に打ち負かされ、約四千人が野の戦場で打ち殺された。
4:3 兵が陣営に戻って来たとき、イスラエルの長老たちは言った。「どうして【主】は、今日、ペリシテ人の前でわれわれを打たれたのだろう。シロから【主】の契約の箱をわれわれのところに持って来よう。そうすれば、その箱がわれわれの間に来て、われわれを敵の手から救うだろう。」
4:4 兵たちはシロに人を送り、そこから、ケルビムに座しておられる万軍の【主】の契約の箱を担いで来させた。そこに、神の契約の箱とともに、エリの二人の息子、ホフニとピネハスがいた。
4:5 【主】の契約の箱が陣営に来たとき、全イスラエルは大歓声をあげた。それで地はどよめいた。
4:6 ペリシテ人はその歓声を聞いて、「ヘブル人の陣営の、あの大歓声は何だろう」と言った。そして【主】の箱が陣営に来たと知ったとき、
4:7 ペリシテ人は恐れて、「神が陣営に来た」と言った。そして言った。「ああ、困ったことだ。今までに、こんなことはなかった。
4:8 ああ、困ったことだ。だれがこの力ある神々の手から、われわれを救い出してくれるだろうか。これは、荒野で、ありとあらゆる災害をもってエジプトを打った神々だ。
4:9 さあ、ペリシテ人よ。奮い立て。男らしくふるまえ。そうでないと、ヘブル人がおまえたちに仕えたように、おまえたちがヘブル人に仕えるようになる。男らしくふるまって戦え。」
4:10 こうしてペリシテ人は戦った。イスラエルは打ち負かされ、それぞれ自分たちの天幕に逃げ、非常に大きな打撃となった。イスラエルの歩兵三万人が倒れた。
4:11 神の箱は奪われ、エリの二人の息子、ホフニとピネハスは死んだ。
 2023年1月29日(日)リビングライフQT

イスラエルの歴史を振り反ると、近隣の民との戦いは、平和を乱す問題の発端は、殆ど、民の霊的・神への忠実な信仰の低下に起因している。この様な事態を素早く見た近隣住民は、霊的弱さと乱れを見てとって、兵を起こしています。
師士記は、その様な危機に直面して、初めて目覚めた民の願いと祈りに応えて、神が一人の指導者を興し、近隣の民の侵略を撃ち破った‼️・・・と言う歴史の繰り返しでした。その様な中から、神はサムエルを興して、新しい国造りを用意されようとされたのです。サムエルの、名声と、指導はイスラエル12部族に行き渡り、強固になり始めていました。
しかし、不正と、汚れの元凶は、未だに取り除かれてはいなかったのです。それは、依然として、祭司の息子ホフニとピネハスの二人は、4節に、もっとも大切な神の臨在の象徴でもある、《契約の箱》の側の付き人として、付き従っていたのです。正に聖なる神の臨在を、罪に汚れた二人の息子が、見張りをしたのですから、この事は、神を冒涜するイスラエル始まって以来の、醜態だったのです。
出エジプトの荒野では、幾度か神を冒涜する民の指導者とその取り巻きが、目の前で滅ぼされた姿を見てきていたのです。
そのような歴史を踏まえながら、民はこの醜態を除くための、霊の戦いを差し控えていたのです。
ペリシテとの戦いの前に、民自らの自浄の戦い《悔い改め》の必要があったのです。
安易に、《神の箱》を持ち出せば、神は勝利に味方する‼️と、全く偶像信仰的な、発想で望んだのです。
安易な勝ちどきは、反って敵のペリシテの決意を鼓舞してしまい、イスラエルは大敗し、神の箱は奪われ三万人の戦死者で、血に染まり、遂に、神の僕(自称)ホフニと、ピネハスは、殺されました。
イスラエルが守られて来たのは、神の民として悔い改め、真実な礼拝が捧げられていた時なのです。
師士記の歴史は、この事を民の心の中に、刻んで来たはずでした。
指導者の一部(ホフニと、ピネハス)が、この真理を汚したのです。
サムエルの指導力が発揮される前に、此の穢れと膿が、出し尽くされたのが、今日の敗退の記録なのです。
私たちクリスチャンの信仰の戦いも、此の、強いメッセージとして、魂に届けられねばなりません‼️
今、私たちの教会は、何を求めといるでしょうか。主から授けられた使命に立って、真の献身がなされているでしょうか⁉️内に住み着き易い《ホフニと、ピネハス》を、排除しましょう。
そして、霊の一致を持って、リバイブして勝利を勝ち取りましょう‼️🎶(わーい)
  第一サムエル 3章15節~21節

3:15 イシュ・ボシェテは人を遣わして、彼女をその夫、ライシュの子パルティエルから取り返した。
3:16 彼女の夫は泣きながら彼女の後を追ってバフリムまで来たが、アブネルが「行け。帰れ」と言ったので、彼は帰った。
3:17 アブネルはイスラエルの長老たちと話してこう言った。「あなたがたは、かねてから、ダビデを自分たちの王とすることを願っていた。
3:18 今、それをしなさい。【主】がダビデについて、『わたしのしもべダビデの手によって、わたしはわたしの民イスラエルをペリシテ人の手、およびすべての敵の手から救う』と言われたからだ。」
3:19 アブネルはまた、ベニヤミン人とじかに話し合った。それから、アブネルはまた、ヘブロンにいるダビデのところへ行き、イスラエルとベニヤミンの家全体が良いと思っていることを、すべて彼の耳に入れた。
3:20 アブネルは二十人の部下とともにヘブロンのダビデのもとに来た。ダビデはアブネルとその部下のために祝宴を張った。
3:21 アブネルはダビデに言った。「私は、全イスラエルをわが主、王のもとに集めに出かけます。彼らがあなたと契約を結び、あなたが、お望みどおりに王として治められるようにいたしましょう。」ダビデはアブネルを送り出し、アブネルは安心して出て行った。
 2023年1月28日(土)リビングライフQT

神の御心を知る、神の言葉が、祭司エリにではなく、新しく幕屋で仕える弟子の、サムエルに語りかけられ、時代が代わり始めた‼️
今日の、テキストの記述の流れを見ていると、祭司エリは、確かに弱さのある、祭司ではあったが、現実の光
の中で、自分がどの様に神の御目で観られているかを、深く察知していた様ですね。
弟子のサムエルのいささか怯える(師の求めに応える事に)ような躊躇に対して、敢えて語り伝えるように・・と促すエリの心は、自分の時の終わりが来たことを、うすうす悟りながら、心に覚悟を決めて、サムエルに語るように、促したのです。その結果は、正に、エリが危惧していたことが現実となったことで、エリは神の前に完全に明け渡したのです。『その方は主だ。主が御目にかなうことをなさるように。』
この言葉は、祭司職と、イスラエルの指導者としての立場を、神に返上した姿です。指導者として、又、祭司職としては、叶わない姿にはなったのですが、彼の神の前での、へりくだり悔いた姿は、一縷の悲しみを交えながらも、正しく身を引いたのだなあ💧と、心の痛みを感じました。そして、自らの立ち位置を改めて、糺される思いです。
エルカナと、ハンナに祈られながら、弟子としての学びと訓練を受けてきたサムエルは、神の御声を直に聴く器《祭司》として、成長したのですね🎵
背後の祈りと、サムエルの全き献身の姿は、
神の御栄えの表される力となるんだ‼️🎶と、深く感動しながら、今後のサムエルとイスラエルの歩みに、期待が寄せられますね🎵
 第一サムエル3:1~14

3:1 さて、少年サムエルはエリのもとで【主】に仕えていた。そのころ、【主】のことばはまれにしかなく、幻も示されなかった。
3:2 その日、エリは自分のところで寝ていた。彼の目はかすんできて、見えなくなっていた。
3:3 神のともしびが消される前であり、サムエルは、神の箱が置かれている【主】の神殿で寝ていた。
3:4 【主】はサムエルを呼ばれた。彼は、「はい、ここにおります」と言って、
3:5 エリのところに走って行き、「はい、ここにおります。お呼びになりましたので」と言った。エリは「呼んでいない。帰って、寝なさい」と言った。それでサムエルは戻って寝た。
3:6 【主】はもう一度、サムエルを呼ばれた。サムエルは起きて、エリのところに行き、「はい、ここにおります。お呼びになりましたので」と言った。エリは「呼んでいない。わが子よ。帰って、寝なさい」と言った。
3:7 サムエルは、まだ【主】を知らなかった。まだ【主】のことばは彼に示されていなかった。
3:8 【主】は三度目にサムエルを呼ばれた。彼は起きて、エリのところに行き、「はい、ここにおります。お呼びになりましたので」と言った。エリは、【主】が少年を呼んでおられるということを悟った。
3:9 それで、エリはサムエルに言った。「行って、寝なさい。主がおまえを呼ばれたら、『【主】よ、お話しください。しもべは聞いております』と言いなさい。」サムエルは行って、自分のところで寝た。
3:10 【主】が来て、そばに立ち、これまでと同じように、「サムエル、サムエル」と呼ばれた。サムエルは「お話しください。しもべは聞いております」と言った。
3:11 【主】はサムエルに言われた。「見よ、わたしはイスラエルに一つのことをしようとしている。だれでもそれを聞く者は、両耳が鳴る。
3:12 その日わたしは、エリの家についてわたしが語ったことすべてを、初めから終わりまでエリに実行する。
3:13 わたしは、彼の家を永遠にさばくと彼に告げる。それは息子たちが自らにのろいを招くようなことをしているのを知りながら、思いとどまらせなかった咎のためだ。
3:14 だから、わたしはエリの家について誓う。エリの家の咎は、いけにえによっても、穀物のささげ物によっても、永遠に赦されることはない。」
 2023年1月27日(金)リビングライフQT

3節:神のともしびが消される前であり・・・これは、イスラエルが重大な危機に直面している状態を示す言葉です。
神の契約の箱(幕屋の至聖所の中に安置された)の前に灯された聖火は、決して消されてはならないのです。この火が消えることは、神の庇護が、イスラエルから去ることを意味した。
ここでのコメントは、辛うじて火は灯されてはいたが、それは“風前の灯”の様な際どい時であった・・ことを示唆しています。
これは私達クリスチャンにとっては、祈りを意味しますね‼️
祈り(御言葉の黙想・信仰の告白)が途絶えた姿には、キリストの香りは失せてしまっている。
1節に、主の言葉はまれにしかなく・・・風前の灯のような危機の最中に、サムエルが選ばれたのです。
今や、世界的霊の危機の中に、あなたが、私が選ばれたことを、畏れ戦(おのの)いて、神の灯をとも(灯)しましょう。
幼いサムエルは、神の呼ばれる声を、人の声のように、リアルに聞くのです。霊的経験のないサムエルは、エリから呼ばれたのかと、三度も、エリの前に・・一方エリの、霊的感性は鈍くなり、神の語りかけだと気が付かず、気の性だ❗️と、帰したのです。
流石に三度目には、主の声だから主なる神に応答するように・・・と、導いたのです。
エリには、この事態がどの様に写ったでしょう⁉️
祭司である自分には呼び出しがなく、未だ年端も行かないサムエルに・・・複雑な思いで目が覚めて、苦悩していた時、サムエルは、初めて神のみ声を聞き、幼いサムエルには、受け入れられない事態の中、
今やサムエルのか中には、国を憂いて立ち上がらねばならない時が、拓けてくるのです。
余りにもリアルな、エリ先生の没落の裁きの予告は、サムエルには、どの様に写ったでしょう⁉️
サムエルの予言者としての最初の津友となりました。もちろんその事に関しては、心の中に納めて、他言のみならずエリ先生にも、話せないサムエルの心はいかばかりだったでしょう😱
神の御言葉を預かる・・・と言うことがいかに厳しく、重いかを、サムエルは実を持って体験するのです。
神の言葉を預かるクリスチャンは、現在の世相を見て、心悼める経験をすることがあった時には、事態への深刻な取り成してとしての、使命に生きる献身が要りますね‼️🎶
主に祈りを求められる人は、現代の予言者と言えるでしょう‼️🎶
主は終わりの時(今)に、祈りで奉仕する器を求めておられます‼️
私がここに居ります。私を遣わしてください‼️
主の前にひれ伏し朝です‼️🎶
 第一サムエル 2:22~36

2:22 さて、エリはたいへん年をとっていたが、息子たちがイスラエル全体に行っていることの一部始終を、それに彼らが会見の天幕の入り口で仕えている女たちと寝ていることを聞いていた。
2:23 それでエリは彼らに言った。「なぜ、おまえたちはそんなことをするのか。私はこの民の皆から、おまえたちのした悪いことについて聞いているのだ。
2:24 息子たちよ、そういうことをしてはいけない。私は【主】の民が言いふらしているうわさを聞くが、それは良いものではない。
2:25 人が人に対して罪を犯すなら、神がその仲裁をしてくださる。だが、【主】に対して人が罪を犯すなら、だれがその人のために仲裁に立つだろうか。」しかし、彼らは父の言うことを聞こうとしなかった。彼らを殺すことが【主】のみこころだったからである。
2:26 一方、少年サムエルは、【主】にも人にもいつくしまれ、ますます成長した。
2:27 神の人がエリのところに来て、彼に言った。「【主】はこう言われる。あなたの父の家がエジプトでファラオの家に属していたとき、わたしは彼らに自分を明らかに現したではないか。
2:28 わたしは、イスラエルの全部族からその家を選んでわたしの祭司とし、わたしの祭壇に上って香をたき、わたしの前でエポデを着るようにした。こうして、イスラエルの子らの食物のささげ物をすべて、あなたの父の家に与えた。
2:29 なぜあなたがたは、わたしが命じたわたしへのいけにえ、わたしへのささげ物を、わたしの住まいで足蹴にするのか。なぜあなたは、わたしよりも自分の息子たちを重んじて、わたしの民イスラエルのすべてのささげ物のうちの、最上の部分で自分たちを肥やそうとするのか。
2:30 それゆえ──イスラエルの神、【主】のことば──あなたの家と、あなたの父の家は、永遠にわたしの前に歩むとわたしは確かに言ったものの、今や──【主】のことば──それは絶対にあり得ない。わたしを重んじる者をわたしは重んじ、わたしを蔑む者は軽んじられるからだ。
2:31 見よ、その時代が来る。そのとき、わたしはあなたの腕と、あなたの父の家の腕を切り落とす。あなたの家には年長者がいなくなる。
2:32 イスラエルが幸せにされるどんなときにも、あなたはわたしの住まいの衰退を見るようになる。あなたの家には、いつまでも、年長者がいない。
2:33 わたしは、あなたのために、わたしの祭壇から一人の人を断ち切らないでおく。そのことはあなたの目を衰えさせ、あなたのたましいをやつれさせる。あなたの家に生まれてくる者はみな、人の手によって死ぬ。
2:34 あなたの二人の息子、ホフニとピネハスの身に降りかかることが、あなたへのしるしである。二人とも同じ日に死ぬ。
2:35 わたしは、わたしの心と思いの中で事を行う忠実な祭司を、わたしのために起こし、彼のために確かな家を建てよう。彼は、わたしに油注がれた者の前をいつまでも歩む。
2:36 あなたの家の生き残った者はみな、銀貨一枚とパン一つを求めて彼のところに来てひれ伏し、『どうか、祭司の務めの一つでも私にあてがって、パンを一切れ食べさせてください』と言う。」
 2023年1月26日(木)リビングライフQT
第一サムエル 2:22~36

まぁ❗️まぁ‼️何と💧
祭司エリの息子達の、酷い乱行ですこと💢💢💨昨日もそうでしたが、更に赤裸々に表される、悲しいほどの現実に、驚きます。
何故このような我が子さえも、治められない“エリ”を、イスラエルの民の祭司として、民は黙って受け入れていたのでしょう😵
聖書には屡々このような矛盾に満ちた、記録(物語)が展開されますが、神はこの様な矛盾に満ちた姿に、直接裁きをもって、臨まれることはないのです。
主なる神は、人の営みに介入したり、途中審判をもって、神ご自身の御介入によって、事態の変革をなさったりはされないのです。
もし、主なる神がそのような介入(捌き・審判)をなさったら、私は今生きているだろうか😱
主なる神は、人を生かし、造り代え、赦し、清め、生かして下さる方です‼️🎶
その究極の愛と赦しの、最大の業が、
“十字架の贖罪”なのです。💧😢
主よ感謝します‼️🎶
しかし、創造主なる神は、最終的には、創造の完成のために、審判をなさいます。
そして、その事を聖書は、悔い改めのない罪人にたいしては、裁き主となられて、ご自身を表されるのです。今朝のテキストではその事が予告されていますね
神は侮るべきお方ではありません。・・・この様な中でも、幼子サムエルは、神にも人々にも、いつくしまれ、成長していった・・と、26節に記されていますね😆💕✨
旧約聖書では・・27節にある様に《神の人》という記述が出てきます。
アブラハムの時、旅人としてやって来られた中に、神の人が居られて、ソドムとゴモラの滅びの予告をされて、
更に、ロトとその家族の救いの道を予告されています。(創世記18~19章)
神は、ご自身の主権をもって、必要な介入をなさいます。
選ばれているあなたは、主のみ声を聞き分ける魂を失わずに、柔らかな心で主に仕えて参りましょう🎵
 第一サムエル 2:12~21

2:12 さて、エリの息子たちはよこしまな者たちで、【主】を知らなかった。
2:13 民に関わる祭司の定めについてもそうであった。だれかが、いけにえを献げていると、まだ肉を煮ている間に、祭司の子弟が三又の肉刺しを手にしてやって来て、
2:14 これを大鍋や、釜、大釜、鍋に突き入れ、肉刺しで取り上げたものをみな、祭司が自分のものとして取っていた。このようなことが、シロで、そこに来るイスラエルのすべての人に対してなされていた。
2:15 そのうえ、脂肪が焼かれる前に祭司の子弟がやって来て、いけにえを献げる人に「祭司に焼くための肉を渡しなさい。祭司は煮た肉をあなたから受け取らない。生の肉だけだ」と言うので、
2:16 人が「まず脂肪をすっかり焼いて、好きなだけお取りください」と言うと、祭司の子弟は、「いや、今渡すのだ。でなければ、私は力ずくで取る」と言った。
2:17 このように、子弟たちの罪は、【主】の前で非常に大きかった。この人たちは【主】へのささげ物を侮ったのである。
2:18 さてサムエルは、亜麻布のエポデを身にまとった幼いしもべとして、【主】の前に仕えていた。
2:19 彼の母は彼のために小さな上着を作り、毎年、夫とともに年ごとのいけにえを献げに上って行くとき、それを持って行った。
2:20 エリは、エルカナとその妻を祝福して、「【主】にゆだねられた子の代わりとして、【主】が、この妻によって、あなたに子孫を与えてくださいますように」と言い、彼らは自分の住まいに帰るのであった。
2:21 【主】はハンナを顧み、彼女は身ごもって、三人の息子と二人の娘を産んだ。少年サムエルは【主】のみもとで成長した。
 2023年1月25日(水)リビングライフQT

サムエルと言う、偉大なイスラエルの指導者・預言者を生んだ、エリではあったが、何と💧その家庭は、余りにも崩れた物であったことが、二人の息子の姿を通して、さらけ出されている。
社会の統治形態ならば、又は、神殿に仕える祭司の家庭としては、余りにも道を外れた行為💢
エリは正しい人ではあったが・・・聖書は実に、赤裸々に事実を記録している。これは事実だから、人が解釈を加えられるものではないが、実に悲しい事実てすね。
しかし、現実として、一社会ならば責任とって辞任なり、解職となるのが普通です。
所が、息子達の素行の悪さとは裏腹に、なお、エリは主に仕え、主も彼を用い続けられるのです。これが神の主権です。結果は、後の物語に現れて参りますが。
人の弱さで、神のご計画は妨げられない‼️事を、この記事から知るのです。(このようなケースは、聖書中にも例は多くはない)
神の報い(裁き)は、必ず表されるのです。
エリはどんなに辛い思いで、この重大な使命(サムエルを育てる)を果たすのに、苦渋の闘いをしたことでしょう😵察するに余りありますね😢
子女の教育(学歴ではなく)は、信仰の重要な使命です。
日本に福音が伝えられてから、屡々陰に籠って語られる悲しい言葉がありますが
《未信者からクリスチャンが生まれ、クリスチャンの家庭から、未信者が生まれる。そして又、信者が結婚して、そこからまた、未信者が生まれる😱》
家族の信仰継承は、最優先課題ですね。自らの生きざまが、そのまま、次の世代に引き継がれる。
先輩となる私達は、何を継承させねばならないのか・・・
ガラテヤ人への手紙
5章22節・23節御霊の実 《愛・喜び・平安・親切・善意・誠実・柔和・自制》これ等を祈りによって養い、御霊に導かれて、証ししましょう‼️
 第一サムエル 2:1~11

2:1 ハンナは祈った。「私の心は【主】にあって大いに喜び、私の角は【主】によって高く上がります。私の口は敵に向かって大きく開きます。私があなたの救いを喜ぶからです。
2:2 【主】のように聖なる方はいません。まことに、あなたのほかにはだれもいないのです。私たちの神のような岩はありません。
2:3 おごり高ぶって、多くのことを語ってはなりません。横柄なことばを口にしてはなりません。まことに【主】は、すべてを知る神。そのみわざは測り知れません。
2:4 勇士が弓を砕かれ、弱い者が力を帯びます。
2:5 満ち足りていた者がパンのために雇われ、飢えていた者に、飢えることがなくなります。不妊の女が七人の子を産み、子だくさんの女が、打ちしおれてしまいます。
2:6 【主】は殺し、また生かします。よみに下し、また引き上げます。
2:7 【主】は貧しくし、また富ませ、低くし、また高くします。
2:8 主は、弱い者をちりから起こし、貧しい者をあくたから引き上げ、高貴な者とともに座らせ、彼らに栄光の座を継がせます。まことに、地の柱は【主】のもの。その上に主は世界を据えられました。
2:9 主は敬虔な者たちの足を守られます。しかし、悪者どもは、闇の中に滅び失せます。人は、自分の能力によっては勝てないからです。
2:10 【主】は、はむかう者を打ち砕き、その者に天から雷鳴を響かせられます。【主】は地の果ての果てまでさばかれます。主が、ご自分の王に力を与え、主に油注がれた者の角を高く上げてくださいますように。」
2:11 エルカナはラマにある自分の家に帰った。幼子は、祭司エリのもとで【主】に仕えていた。
 2023年1月24日(火)リビングライフQT

素晴らしい祈りではないでしょうか👀‼️
何と美しい祈りでしょう🎶‼️
私たちの祈りは、ともすると、*様々なお願い・訴え・嘆願・呟き・要求・・・に終始することが何と多いことでしょう。
ハンナは夫からは、深く愛され、省みられながら、当時としては、神の祝福の印としての、命をいただくことがなかったのですが、今や、その祝福が表されたとき、彼女の苦悩時代に知り得た、神への知識、神体験が、今こうして祈りの言葉、賛美となって溢れだしているのです。
彼女の一貫した神への信頼と崇敬は、何と輝いていることでしょう‼️🎶
悲しみながら、苦しみながらの、ハンナの生涯は、いささかの曇りもなく、主なる神への魂の傾注は、驚くほどに感動しました。
ハンナの神への信頼と、彼女の中で神がどのようなお方として、崇められて来たのか?
彼女の神がどんなお方として、信じられ信頼してきたかを、ここに見るのです。
私たちの祈りは、この様な信仰告白として、主なる神を褒め称える多くの言葉をもって、主に賛美と祈りを捧げたいですね‼️🎶
その様な賛美と告白のような祈りを捧げると、主なる神は、その祈りに応えて、慰め、祝福、栄光を御与えになるのです。
又、この祈りの中には、ハンナの信仰告白がちりばめられ、神への生ける供え物となっているのです。
このような祈りの達人となりませんか。
 ピリピ書 1:19~28

1:19 というのは、あなたがたの祈りとイエス・キリストの御霊の支えによって、私が切に期待し望んでいるとおりに、このことが結局は私の救いとなることを知っているからです。
1:20 私の願いは、どんな場合にも恥じることなく、今もいつものように大胆に語り、生きるにしても死ぬにしても、私の身によってキリストがあがめられることです。
1:21 私にとって生きることはキリスト、死ぬことは益です。
1:22 しかし、肉体において生きることが続くなら、私の働きが実を結ぶことになるので、どちらを選んだらよいか、私には分かりません。
1:23 私は、その二つのことの間で板ばさみとなっています。私の願いは、世を去ってキリストとともにいることです。そのほうが、はるかに望ましいのです。
1:24 しかし、この肉体にとどまることが、あなたがたのためにはもっと必要です。
1:25 このことを確信しているので、あなたがたの信仰の前進と喜びのために、私が生きながらえて、あなたがたすべてとともにいるようになることを知っています。
1:26 そうなれば、私は再びあなたがたのもとに行けるので、私に関するあなたがたの誇りは、キリスト・イエスにあって増し加わるでしょう。
1:27 ただキリストの福音にふさわしく生活しなさい。そうすれば、私が行ってあなたがたに会うにしても、離れているにしても、あなたがたについて、こう聞くことができるでしょう。あなたがたは霊を一つにして堅く立ち、福音の信仰のために心を一つにしてともに戦っていて、
1:28 どんなことがあっても、反対者たちに脅かされることはない、と。そのことは、彼らにとっては滅びのしるし、あなたがたにとっては救いのしるしです。それは神によることです。
 2023年1月23日(月)リビングライフQT

ハンナの信仰物語は、素晴らしいですね。
彼女の信仰は、子供が与えられること以上に、神が自分のような婢(はしため)の祈りに耳を傾け、御業を顕して下さった・・‼️
その事実が、ハンナの人生を変えたのです。

生まれた子供は、サムエルと、名付けられました。その名前の意味は・《その名は“神”》と言う、恐るべき名前です。少し解り難いのですが、解説的に言い換えるなら・・・
“後々、彼は、神の御言葉を、王に・民に告げる、預言者となるのです。”
当時イスラエルは、王はなく、特別な指導者も決まっていない中、秀でた信仰の勇者、戦いに優れた指導性を持った人物が出て、民を導いていました。それを《士師》と呼ばれていた。
しかし、その中から成長したサムエルは、イスラエルの民が皆、一目置く人物に成長し、武運においてではなく、神の御意志(預言的言動)を、明らかにする指導者へと、成長を遂げていたのです。
正に、彼の語る言葉・指導内容は、神から出た、力と正しさと、威厳に満ちていたのでしょう。
まさに《その名は神=サムエル》と成っていったのです‼️🎶
ハンナの使命は、こうして、一人の神の人を、世に送り出す、最重要な使命を担われたのです。
一人の女性として子を授かり育てると言う、ありきたりの人生ではなく、もっとも愛すべき我が子を、神なる主に御捧げするのです‼️
私は、何を持って、主なる神に、御捧げしてきただろうか、又、此れから何を成すべきだろうか❗️
ハンナの祈りと、主なる神への誓願の真実な実行に、私は何を見るだろうか‼️
 第一サムエル 1:9~18

1:9 シロでの飲食が終わった後、ハンナは立ち上がった。ちょうどそのとき、祭司エリは【主】の神殿の門柱のそばで、椅子に座っていた。
1:10 ハンナの心は痛んでいた。彼女は激しく泣いて、【主】に祈った。
1:11 そして誓願を立てて言った。「万軍の【主】よ。もし、あなたがはしための苦しみをご覧になり、私を心に留め、このはしためを忘れず、男の子を下さるなら、私はその子を一生の間、【主】にお渡しします。そしてその子の頭にかみそりを当てません。」
1:12 ハンナが【主】の前で長く祈っている間、エリは彼女の口もとをじっと見ていた。
1:13 ハンナは心で祈っていたので、唇だけが動いて、声は聞こえなかった。それでエリは彼女が酔っているのだと思った。
1:14 エリは彼女に言った。「いつまで酔っているのか。酔いをさましなさい。」
1:15 ハンナは答えた。「いいえ、祭司様。私は心に悩みのある女です。ぶどう酒も、お酒も飲んではおりません。私は【主】の前に心を注ぎ出していたのです。
1:16 このはしためを、よこしまな女と思わないでください。私は募る憂いと苛立ちのために、今まで祈っていたのです。」
1:17 エリは答えた。「安心して行きなさい。イスラエルの神が、あなたの願ったその願いをかなえてくださるように。」
1:18 彼女は、「はしためが、あなたのご好意を受けられますように」と言った。それから彼女は帰って食事をした。その顔は、もはや以前のようではなかった。
 2023年1月22日(日)リビングライフQT

今朝の切ない物語は、心を揺さぶりましたね。
何と素直な祈りなんでしょう。ハンナの主なる神への信仰が、この様な祈りへと、導いたのでしょう。
祈りは、宗教に付き物の、儀式や義務や、形式的神への礼拝等ではありません。ハンナの祈りは、まさに、親しい友に・信頼篤い身内に、心の底から訴えるような、叫びであり、打ち明けの切なる願いなのです。
私たちが日頃“あぁして欲しい❗️ 聴いて下さい❗️ なぜなんですか❓・・・等の、繰り事や、呟きではなく、彼女の存在を掛けた、心の、魂の奥底からの、神への訴えだったのです‼️
正に、そこに現実に神がおられることを見据えて肉薄するような、訴えだったのです。
ハンナは、祭司エリの助言があったのですが、それ以上に、すでに彼女の信仰の眼は、主なる神にしっかりと張り付いて、祈りの座から立ち上がっても、揺らぐことのない、確信に立って勝利を得て家路に着いたのです‼️
この時以来、ハンナの日々は、勝利へと変えられ、新しい日々を歩み始めたのです。
祈りはこうして、生活のなかに密接な変化をもたらす、めぐみの力です。
何故なら祈りは神が聴いてで触れて下さり、応えを与えてくださり、祈る者の魂に・心に答えと下さりのです。
ハンナは、最早孤独ではなく、勝利の人生に歩み始め、主のめぐみの時を、待ち望む者とされたのです。
祈りは、日々の軋轢から解放し、勝利に導かれ、新しい光に生きる日々へと、導きだされる、神の御手を経験する、門口となるのです。
力強い祈りを沢山体験しましょう‼️
 第一サムエル 1:1~8

1:1 エフライムの山地ラマタイム出身のツフ人の一人で、その名をエルカナという人がいた。この人はエロハムの子で、エロハムはエリフの子、エリフはトフの子、トフはエフライム人ツフの子であった。
1:2 エルカナには二人の妻がいた。一人の名はハンナといい、もう一人の名はペニンナといった。ペニンナには子がいたが、ハンナには子がいなかった。
1:3 この人は、毎年自分の町から上って行き、シロで万軍の【主】を礼拝し、いけにえを献げることにしていた。そこでは、エリの二人の息子、ホフニとピネハスが【主】の祭司をしていた。
1:4 そのようなある日、エルカナはいけにえを献げた。彼は、妻のペニンナ、そして彼女のすべての息子、娘たちに、それぞれの受ける分を与えるようにしていたが、
1:5 ハンナには特別の受ける分を与えていた。【主】は彼女の胎を閉じておられたが、彼がハンナを愛していたからである。
1:6 また、彼女に敵対するペニンナは、【主】がハンナの胎を閉じておられたことで、彼女をひどく苛立たせ、その怒りをかき立てた。
1:7 そのようなことが毎年行われ、ハンナが【主】の家に上って行くたびに、ペニンナは彼女の怒りをかき立てるのだった。こういうわけで、ハンナは泣いて、食事をしようともしなかった。
1:8 夫エルカナは彼女に言った。「ハンナ、なぜ泣いているのか。どうして食べないのか。どうして、あなたの心は苦しんでいるのか。あなたにとって、私は十人の息子以上の者ではないか。」
 2023年1月21日(土)リビングライフQT

今日から、旧約聖書のサムエル記に入ります。
サムエルは、イスラエルの民を治め導く、最後の士師で、偉大な預言者でもありました。
又、サムエルは、イスラエルを王国として確立するための、イスラエル初代の王ダビデに、油を注いで、王として、ダビデ王国の基礎を築いた、偉大な預言者であり、祭司でありました。
今朝の導入は、この預言者サムエルの、出生に至る秘話です‼️
*エルカナには二人の妻がいた。とあります。エッ💢と思われるでしょう。
古代社会(紀元前1100の時代です)イスラエル社会にも、経済時に豊かな人々は、二人の妻・・は、実際にあったと言うことです。
しかも、このエルカナは、ヤーウェの神(創造主)への信仰篤い人だったようです。
3節~この人は・・・シロ(契約の箱が安置されていた町→未だエルサレムが遷都される前)で万軍の主を礼拝し、いけにえを献げることにしていた。
とありますから、忠実な律法を守る、者だったのです。
しかし、現実の生活では、二人の間には、葛藤があり、優越感と劣等感・孤独感とが責めぎ合う日常生活の様ですね。
創世記のアブラハムの二人の妻(サラとハガル)の葛藤にも表されていますね。
創造された人は、こうして、歴史を経ながら、神のみ思いを学び、その摂理とご計画や御心を学び、歴史的倫理と、関係が整えられて来たのです。
6節~主がハンナの胎を閉じておられたことで・・・と、記されているように、新しい命の生まれることは、神のいのちの創造の主権に、関わることなのです。
アブラハムの妻サラには、なかなか子供が与えられず、そのため、仕え女のハガリを通して、イシマエルを与えられました。その後サラには、イサクが与えられています❗️
人の思惑と、神の御思いには、違いがあります。
その様な中で、私達は、神の御思いがこの身に成るように、信じ祈り、求め、待ち望むのが、信仰の大切な、道筋なのです。
私はどのように、主の道を示されるだろうか、祈りを通して、主の道を知る者となりたいですね‼️🎶
 ピリピ書 4:14~23

4:14 それにしても、あなたがたは、よく私と苦難を分け合ってくれました。
4:15 ピリピの人たち。あなたがたも知っているとおり、福音を伝え始めたころ、私がマケドニアを出たときに、物をやり取りして私の働きに関わってくれた教会はあなたがただけで、ほかにはありませんでした。
4:16 テサロニケにいたときでさえ、あなたがたは私の必要のために、一度ならず二度までも物を送ってくれました。
4:17 私は贈り物を求めているのではありません。私が求めているのは、あなたがたの霊的な口座に加えられていく実なのです。
4:18 私はすべての物を受けて、満ちあふれています。エパフロディトからあなたがたの贈り物を受け取って、満ち足りています。それは芳ばしい香りであって、神が喜んで受けてくださるささげ物です。
4:19 また、私の神は、キリスト・イエスの栄光のうちにあるご自分の豊かさにしたがって、あなたがたの必要をすべて満たしてくださいます。
4:20 私たちの父である神に、栄光が世々限りなくありますように。アーメン。
4:21 キリスト・イエスにある聖徒の一人ひとりに、よろしく伝えてください。私と一緒にいる兄弟たちが、あなたがたによろしくと言っています。
4:22 すべての聖徒たち、特にカエサルの家に属する人たちが、よろしくと言っています。
4:23 主イエス・キリストの恵みが、あなたがたの霊とともにありますように。
 2023年1月20日(金)リビングライフQT

 改めて、又、ピりピの教会が、どれ程パウロ先生の事に対して祈り、心掛けて物心両面で支え、ピりピでの群れの土台を築き上げるために、パウロ先生の働きを支えて来たか‼️
・・・・
教会の本来の姿を、この書簡の中に見るのです。
今や、教会は一つの組織体のように、予算を組み立て、様々な働きのために配分し、それを適正に運営る・・・その様な団体になってしまっているのではないでしょうか。
今はその様な時代ではありますが、その様な中で、祈り献げる側と、それを土台として用いて働きに邁進する側との、有機的(命の通う)繋がりが、欠け易いのではないでしょうか。
幸い、私は教会の牧師の働きから離れて、フリーで今のこの働きに専門にするようになってから、この三年の間に、対象者は、30数名から、57名に増えました。今はこれを受けた方が更にその方を起点として、その方の友人や聖書を学ぼうとしている方へと繋がれて、120名ほどに広がっています。教会の枠を越えて、道を求め始めた方、聖書に関心を持った方、宣教師・牧師・伝道者・・・様々な方が同じベースで結ばれています。
台湾・アメリカ・ハワイ・沖縄から北海道に至る、実に広範囲の方々と毎日繋がって、一つの群れとなって、主に繋がれていることを、毎日実感しながら、祈りメッセージを発信しています。
中には半数以上の、私の存じ上げない方々もおられますが、霊の温もりを感じながら、それらの親となられている方に御委ねしながら、祝福を祈る恵みに預かるのです。
 パウロ先生の祈りはこうして、2000年の時空を越えて、今も受け継がれていることを思うと、御言葉には命があり、まさに神の命の書《言葉》として働き続けているのです。
ピりピの教会の祈りは、遂には、カエサルの家(皇帝の家族・重臣達)にまで、福音が浸透していることを22節は語っています。
互いのために祈りましょう。
立てられている、牧師伝道者のために祈りましょう。
リビングライフ・ラインは、ある意味で、公同の教会の中の一つと言えましょう。
御言葉によって一つとされて、その上で地域の福音の拠点の群れ(教会)を通して、主に仕えているのです。
その只一つの目的は、福音(命に至る真理)を、全ての人に・・・なのです。
あなたの祝福と、上よりの力と平安を今日も祈りつつ‼️🎶
 ピリピ書 4:8~13

4:8 最後に、兄弟たち。すべて真実なこと、すべて尊ぶべきこと、すべて正しいこと、すべて清いこと、すべて愛すべきこと、すべて評判の良いことに、また、何か徳とされることや称賛に値することがあれば、そのようなことに心を留めなさい。
4:9 あなたがたが私から学んだこと、受けたこと、聞いたこと、見たことを行いなさい。そうすれば、平和の神があなたがたとともにいてくださいます。
4:10 私を案じてくれるあなたがたの心が、今ついによみがえってきたことを、私は主にあって大いに喜んでいます。あなたがたは案じてくれていたのですが、それを示す機会がなかったのです。
4:11 乏しいからこう言うのではありません。私は、どんな境遇にあっても満足することを学びました。
4:12 私は、貧しくあることも知っており、富むことも知っています。満ち足りることにも飢えることにも、富むことにも乏しいことにも、ありとあらゆる境遇に対処する秘訣を心得ています。
4:13 私を強くしてくださる方によって、私はどんなことでもできるのです。
 2023年1月19日(木)リビングライフQT
ピリピ書 4:8~13

私達は、どの様にして、力強く人生を歩むことが出来るのでしょう。
ともすると、何か一生懸命努力して、訓練して、学んで、修行して・・・その道(信仰の勝利の道)を極めようと、頑張りやすいのです。そうすることで、何か努力している・・・と言う実感を感じて老とするのです。これが宗教の落とし穴です。
即ち、信仰は実績に比例して、豊かに・力強く・成長し・身に付くものだと思い勝ちです。それは大変な間違いです。出来る方はして下さい🎵
それでは全ての人が、救いの恵みと喜びとを、実感し、歓喜に踊る経験は出来ないでしょう⁉️
今朝のテキストには、平易な信仰の極意が示唆されていますね🎵
それは・・・
冒頭8節です。
心に留める幾つかの“事=ポイント”が記されています。
①真実 ②尊ぶべき事 
③正しい事 ④清いこと ⑤愛  ⑥評判の良いこ  ⑦“徳”と言われること・・・を、
心に留めなさい‼️と言うのです。
心に留める・・って、どういう事でしょう。まず、意識のなかに、留める(記録する)事です。
*聞き流さない *他人事のように通り過ごさない *心のなかに資料(情報)として、蓄える。
パウロ先生は、更にこれらの事を《9節~行いなさい‼️》と、勧めています。
心に留め、行うとき、主はその人をしっかりと支え、あらゆる境遇のなかで、力強く歩ませて下さいます🎶(11節・12節)
更に・・13節私を(パウロ=同じ道を歩む人)強くしてくださるお方(御子イエス・キリスト)によって、どんな事も出来る‼️💪
それは、8節の7項目の事を心に刻んだからなのです‼️
聖書で学び、礼拝で示され、日毎に学ぶ中で得た数々の経験・示唆により、心豊かに養われる時、主があなたを・私を強くして下さいます‼️ハレルヤ🎵
 ピリピ書 4:1~7

4:1 ですから、私の愛し慕う兄弟たち、私の喜び、冠よ。このように主にあって堅く立ってください。愛する者たち。
4:2 ユウオディアに勧め、シンティケに勧めます。あなたがたは、主にあって同じ思いになってください。
4:3 そうです、真の協力者よ、あなたにもお願いします。彼女たちを助けてあげてください。この人たちは、いのちの書に名が記されているクレメンスやそのほかの私の同労者たちとともに、福音のために私と一緒に戦ったのです。
4:4 いつも主にあって喜びなさい。もう一度言います。喜びなさい。
4:5 あなたがたの寛容な心が、すべての人に知られるようにしなさい。主は近いのです。
4:6 何も思い煩わないで、あらゆる場合に、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。
4:7 そうすれば、すべての理解を超えた神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。
 2023年1月18日(水)リビングライフQT

今朝のテキストに流れる、パウロの想いは‼️
《主にあって》と言う定型語をもって、幾つかの事を強く勧めています‼️
①1・2節~*主にあって堅く立つこと。
*同じ思いになること(融和と一致)
*4節~主にあって、喜びなさい。
*5節~主にあって、寛容な心が証しされるように‼️
*7節~神の平安が、あなた方の心と思いを《キリスト・イエスにあって》守られる‼️
私たちクリスチャンの日常は、努力して、お互い申し合わせ、規則に乗っ取って・・・顕された、証しされるのではないのです。
もしクリスチャンの善意と一致で、教会が歴史を重ねようとして来ていたら、
今まで残っていなかったでしょう。
又、宗教戦争が、起こっていたでしょう😱
今私たちの教会が輝いているとしたら、それは、イエス・キリスト様が、教会の間中に・・私たち信じる者の中に、共に居て下さるからに相違ありません‼️
もし、教会が、人為的努力や、申し合わせや、会議で決められたことに従って、動く群れとなったら、瞬く間に、冷えた社会となって低迷するでしょう。
愛が主イエス様から流れ出て、一人一人に拡がり、その愛の流れが、更に、家庭に、友人に、社会に遣わされたクリスチャンを通して、注がれて行く(拡がる)とき、
永遠の神の国は、裾野を拡げるでしょう‼️
神の国は、ムーブメントではなく、リバイバル(神の為さる聖霊の御業)によって、歴史は築かれて来たのです‼️
家族の救いも、伝道集会での改心も・・・
さぁ‼️あなたの今日の一日の全てが・・・
“主にあって‼️”導かれますように‼️🎵
 ピリピ書 3:10~21

1:10 あなたがたが、大切なことを見分けることができますように。こうしてあなたがたが、キリストの日に備えて、純真で非難されるところのない者となり、
1:11 イエス・キリストによって与えられる義の実に満たされて、神の栄光と誉れが現されますように。
1:12 さて、兄弟たち。私の身に起こったことが、かえって福音の前進に役立ったことを知ってほしいのです。
1:13 私がキリストのゆえに投獄されていることが、親衛隊の全員と、ほかのすべての人たちに明らかになり、
1:14 兄弟たちの大多数は、私が投獄されたことで、主にあって確信を与えられ、恐れることなく、ますます大胆にみことばを語るようになりました。
1:15 人々の中には、ねたみや争いからキリストを宣べ伝える者もいますが、善意からする者もいます。
1:16 ある人たちは、私が福音を弁証するために立てられていることを知り、愛をもってキリストを伝えていますが、
1:17 ほかの人たちは党派心からキリストを宣べ伝えており、純粋な動機からではありません。鎖につながれている私をさらに苦しめるつもりなのです。
1:18 しかし、それが何だというのでしょう。見せかけであれ、真実であれ、あらゆる仕方でキリストが宣べ伝えられているのですから、私はそのことを喜んでいます。そうです。これからも喜ぶでしょう。
1:19 というのは、あなたがたの祈りとイエス・キリストの御霊の支えによって、私が切に期待し望んでいるとおりに、このことが結局は私の救いとなることを知っているからです。
1:20 私の願いは、どんな場合にも恥じることなく、今もいつものように大胆に語り、生きるにしても死ぬにしても、私の身によってキリストがあがめられることです。
1:21 私にとって生きることはキリスト、死ぬことは益です。
 2023年1月17日(火)リビングライフQT
ピリピ書 3:10~21

今日のテキストから私達は、
*福音に生きるのは、何のため(何)・・・と言う問いに、パウロは見事に答えて下さっています。
その答えとは⁉️
*10節~11節
私は、キリストとその復活の力を知り、キリストの苦難にもあずかって、きりすとの死と同じ状態になり、
何とかして死者の中からの復活に達したいのです。
使徒パウロが、当時の世界に生きる最高峰を極めていた人生の道を振り棄てて、福音の道へと舵を切った理由は、あのダマスコ途上の迫害者であったとき、迫害者である自分を知りつつも、栄光の復活の御姿を顕された主キリストに、
それまでの人生で、遭遇した事のない“栄光“ ”愛” “赦し” “唯一の道”を、そこに見たからなのです。
『この方以外に救いはない‼️』この確信に当たったのです。
私達は、私は、あなたは、“主・キリストの中に、何を観て来ましたか⁉️“
パウロ先生は、晩年に至るもなお、
*13節~私は、自分がすでに捕らえたなどと考えてはいません。ただ一つのこと、すなわち、うしろのもの(これまでに積み重ねてきた経験実績)を忘れ、前のものに向かって身を伸ばし、
14節~キリスト・イエスにあって神が上に召してくださる、その賞をいただくために、目標を目指して走っているのです。
(コメ)走っていると言うことは、マラソン走者のように、なにも持たず出来るだけ身軽で、なにも差持たず、ただ道標を見ながら、自分の位置を確認して、あとはゴールを目指して、ただひた走る‼️
パウロ先生の人生は、そうであったと❗️告白しているのです。
17節~兄弟たち、私に倣う者となってください。
20節~私たちの国籍は天にあります。・・・
21節~キリストは、・・・私たちの卑しいからだを、ご自分の栄光に輝くからだと同じ姿に変えてくださいます。アーメン‼️
パウロ先生は、この目標を、希望として、今日も明日も次の日も‼️走り続けられたのですね。
さぁ‼️この栄光のみ国を目標に、今日も走り続けましょう🎵😉👍🎶
 ピリピ書 3章1節~9節

1:1 キリスト・イエスのしもべである、パウロとテモテから、ピリピにいる、キリスト・イエスにあるすべての聖徒たち、ならびに監督たちと執事たちへ。
1:2 私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安があなたがたにありますように。
1:3 私は、あなたがたのことを思うたびに、私の神に感謝しています。
1:4 あなたがたすべてのために祈るたびに、いつも喜びをもって祈り、
1:5 あなたがたが最初の日から今日まで、福音を伝えることにともに携わってきたことを感謝しています。
1:6 あなたがたの間で良い働きを始められた方は、キリスト・イエスの日が来るまでにそれを完成させてくださると、私は確信しています。
1:7 あなたがたすべてについて、私がこのように考えるのは正しいことです。あなたがたはみな、私が投獄されているときも、福音を弁明し立証しているときも、私とともに恵みにあずかった人たちであり、そのようなあなたがたを私は心に留めているからです。
1:8 私がキリスト・イエスの愛の心をもって、どんなにあなたがたすべてを慕っているか、その証しをしてくださるのは神です。
1:9 私はこう祈っています。あなたがたの愛が、知識とあらゆる識別力によって、いよいよ豊かになり、
 2023年1月16日(月)リビングライフQT
ピリピ書 3章1節~9節

パウロは、当時の歴史的世界の中で、最高峰の人生を極めた、誇らしい存在でした。
当時の世界のことを、歴史的には“ヘルニズム時代”と、呼んでいます。それは・・・
①政治的支配権はローマ・・そして、パウロはその中で《ローマの市民権》を持ったローマ市民でした。
②文化芸術では、ギリシャ《哲学・建築・彫刻・・》その最中でパウロは、哲学の祖の一人“プラトン”の愛弟子のガマリエルの門下生
③宗教としては、ユダヤ教(様々な宗教は幾多あったが、しっかりとした教理体系化された教理書を持つ(旧約聖書)宗教は他になくい。そのユダヤ教の最強のパリサイ派の教師(律法学者)でした。1世紀初頭の世界の中心で、最高のすべてを持っていたパウロ(サウロ)が、
7節~しかし私は、自分にとって特であったこのようなすべてのものを、キリストのゆえに損と思うようになった。・・・と、告白しています。
パウロを力強く生かした、その輝きは、この信仰(7・8節)だったのです。
改めて今朝、御子イエス様を信じる信仰が、罪人をこの様にまで輝くものとするのか‼️と、新たな感動に心振るわせられるのです‼️🎶
今朝、私の魂に響いた言葉を、再録しましょう。
*1節~主にあって喜びなさい❗️
*3節~神の御霊によって礼拝し・・・
*7節~キリストのゆえに損と思うようになった。・・・
*9節~私は律法
による自分の義ではなく、キリストを信じることによる義、すなわち、信仰に基づいて神から与えられる義を持つのです。アーメン‼️
 ピリピ書 2:19~30

2:19 私は早くテモテをあなたがたのところに送りたいと、主イエスにあって望んでいます。あなたがたのことを知って、励ましを受けるためです。
2:20 テモテのように私と同じ心になって、真実にあなたがたのことを心配している者は、だれもいません。
2:21 みな自分自身のことを求めていて、イエス・キリストのことを求めてはいません。
2:22 しかし、テモテが適任であることは、あなたがたが知っています。子が父に仕えるように、テモテは私とともに福音のために奉仕してきました。
2:23 ですから、私のことがどうなるのか分かり次第、すぐに彼を送りたいと望んでいます。
2:24 また、私自身も近いうちに行けると、主にあって確信しています。
2:25 私は、私の兄弟、同労者、戦友であり、あなたがたの使者で、私の必要に仕えてくれたエパフロディトを、あなたがたのところに送り返す必要があると考えました。
2:26 彼はあなたがたみなを慕っており、自分が病気になったことがあなたがたに伝わったことを、気にしているからです。
2:27 本当に、彼は死ぬほどの病気にかかりました。しかし、神は彼をあわれんでくださいました。彼だけでなく私もあわれんでくださり、悲しみに悲しみが重ならないようにしてくださいました。
2:28 そこで、私は大急ぎで彼を送ります。あなたがたが彼に再び会って喜び、私も心配が少なくなるためです。
2:29 ですから大きな喜びをもって、主にあって彼を迎えてください。また、彼のような人たちを尊敬しなさい。
2:30 彼はキリストの働きのために、死ぬばかりになりました。あなたがたが私に仕えることができなかった分を果たすため、いのちの危険を冒したのです。
 2023年1月15日(日)リビングライフQT

パウロの、ローマでの状況は、元々が、パウロの働きに反対し、パウロを亡き者にしようと、図ったパリサイ人たちの策略で、エルサレムに、ヨーロッパ宣教の報告をするために帰国したのを切っ掛けに、捕らえて告発し、その働きを破局に追いやろうと、計画していたのです。
そしてこの裁判の最中にも、隙を見ては暗殺する手配が煤盛られといたのです。
それを察知したパウロは、自らのローマの市民権をかざして、保護を勝ち取り、更に歪められる裁判を避けるために、ローマの法院に上告したことで、ローマに護送され、投獄されていたのです。しかし、特別な罪状が”ローマ側”に有るわけではないのて、とりあえず危険人物・・・と言うことで、軟禁状態におかれ、身の回りの世話、仲間との交流、情報の交換は、フリーだったようです。
言い換えるなら、体を張って外に出ての宣教の働きは出来ないものの、身は安全に守られながら、人との交流、教会への励まし等、長期に亘る二度の伝道旅行で生まれた、アジア・マケドニア・ギリシャの諸教会への、遠隔牧会は、初代教会の重要な基盤へと地固めとなったのです。
特にビリピの群れからは、“テモテ”と“エパフレディト”の二人が、ピリピから遣わされて、パウロの身の回りの面倒と、情報交流の纏め役をしていたのです。
パウロは、このてがみのなかで、ピリピから派遣されたこの二人の、働きについて、最大限の報告と、感謝を書き記したのが、今日のテキストです。
試練に合いながら、パウロ先生は、何と祝福に囲まれた、方だろう‼️🎶と、
伝道者と信徒達の愛の相関関係に、感動するのです。
何時の時代の教会も、こうした関係に支えられて、福音の拡大の働きを担ってきたのです。
今朝、新たな思いで、
礼拝を通して、一致と献身を主に捧げる朝としましょう。🎶
勝利の教会のために‼️
 ピリピ書 2:12~18

2:12 こういうわけですから、愛する者たち、あなたがたがいつも従順であったように、私がともにいるときだけでなく、私がいない今はなおさら従順になり、恐れおののいて自分の救いを達成するよう努めなさい。
2:13 神はみこころのままに、あなたがたのうちに働いて志を立てさせ、事を行わせてくださる方です。
2:14 すべてのことを、不平を言わずに、疑わずに行いなさい。
2:15 それは、あなたがたが、非難されるところのない純真な者となり、また、曲がった邪悪な世代のただ中にあって傷のない神の子どもとなり、
2:16 いのちのことばをしっかり握り、彼らの間で世の光として輝くためです。そうすれば、私は自分の努力したことが無駄ではなく、労苦したことも無駄でなかったことを、キリストの日に誇ることができます。
2:17 たとえ私が、あなたがたの信仰の礼拝といういけにえに添えられる、注ぎのささげ物となっても、私は喜びます。あなたがたすべてとともに喜びます。
2:18 同じように、あなたがたも喜んでください。私とともに喜んでください。
 2023年1月14日(土)リビングライフQT

パウロ先生の働きは、地中海沿岸のアジア
ヨーロッパ黒海沿岸・エーゲ海・アドリヤ海・・・等、当時の世界の文化圏全域に及び、その勢いは、民族を越え、言語を越えて、ローマの施政圏下に浸透したのです。
それ故、パウロは当時のローマ皇帝配下から、危険人物としてエルサレムで捕らえられ、ローマに送られたのです。
その様な状況の中から書かれた、ピリピへの手紙は、その時までに、広範囲に働き続けた全てが閉ざされ、
やがては刑場へと引き出されるかもしれない状況の中で、書かれた手紙なのです。
今日のテキストからは、
11節~たとえ私が、あなた方の信仰の礼拝といういけにえに添えられる、注ぎの捧げ物となっても・・・と書き記しているのを見ても、
パウロ先生が、殉教を覚悟しながら、今ある境遇に生きる姿を、感じますね‼️
13節~神は御心のままにあなた方のうちに働いて志をたてさせ、事を行わせてくださる・・
14節~すべてのことを、不平を言わずに、疑わずに行いなさい。
このパウロ先生の言葉は、捕らわれ(死を予知させられる)の身である中からの言葉ですから、どれ程重く信徒たちの心に染み渡ったことでしょう‼️
パウロにとっては、主の働きのゆえに囚われの身となったことに、無性に歓びに揺さぶられていたことでしょう。
それ故に、この書簡は“喜びの書”と、言われているのです。
パウロの歓びは、今在るのが、主のご計画のゆえだ‼️🎶・・と言うことの故に、“歓び”なのです。
何という福音でしょう。価値観なのでしょう。何という❗️恵み・平安なのでしょう‼️🎶
私はこの様な突き抜けた歓び・平安に生きているだろうか⁉️
主よ❗️
 御名を賛美します‼️
 ピリピ書2章:1節~11節

2:1 ですから、キリストにあって励ましがあり、愛の慰めがあり、御霊の交わりがあり、愛情とあわれみがあるなら、
2:2 あなたがたは同じ思いとなり、同じ愛の心を持ち、心を合わせ、思いを一つにして、私の喜びを満たしてください。
2:3 何事も利己的な思いや虚栄からするのではなく、へりくだって、互いに人を自分よりすぐれた者と思いなさい。
2:4 それぞれ、自分のことだけでなく、ほかの人のことも顧みなさい。
2:5 キリスト・イエスのうちにあるこの思いを、あなたがたの間でも抱きなさい。
2:6 キリストは、神の御姿であられるのに、神としてのあり方を捨てられないとは考えず、
2:7 ご自分を空しくして、しもべの姿をとり、人間と同じようになられました。人としての姿をもって現れ、
2:8 自らを低くして、死にまで、それも十字架の死にまで従われました。
2:9 それゆえ神は、この方を高く上げて、すべての名にまさる名を与えられました。
2:10 それは、イエスの名によって、天にあるもの、地にあるもの、地の下にあるもののすべてが膝をかがめ、
2:11 すべての舌が「イエス・キリストは主です」と告白して、父なる神に栄光を帰するためです。
 2023年1月13日(金)リビングライフQT

今日のテキストは、福音の奥義のひとつです。
昔、私達は《キリストの謙卑》と言って、心に深く刻みました‼️
人として、最も醜い姿は、自分を高める(虚栄を張る)意識・姿です。ドングリの背比べのように、どう観ても、代わり映えしないのに、自分が少しでも上を行っているかのように、虚栄を張る・・みっともない姿が、私自身の最中に芽生えるのが、悲しいほど情けないことをしばしば経験します。
この度に、私の脳裏によみがえるのは、5節~11節の、イエス様のお姿なのです‼️
8節~自らを低くして、死にまで、それも十字架の死にまで従われました。
この、罪に沈む私のために😖💦
*主よ❗️
 御許しください‼️*
教会は、このイエス・キリスト様を、命の模範として生きる者の、集まりなのです。
しかし、その群れの中に、最も欠け易い、“愛と、謙虚と、赦しと、一致・・”
に対して、パウロ先生は、
4節に『それぞろ、自分のことだけでなく、他の人のことも省みなさい。』と、勧めています。
私はこのパウロの勧めの言葉を思うとき、何時も思い出すのは、母が良く話してくださった一つの思出話です。

母の姉(私の叔母)の家庭のエピソードです。
叔母の家庭は子供が6人いました。子供たちが小さいとき、クリスマスイブに、居間に飾ったクリスマスツリー🎄の下に、子供たちのクリスマスプレゼントがおかれるのです。
子供たちが、別な部屋に待機している間に、プレゼントが置かれて、ふすまが開くと、一斉に自分の名前の書かれた箱を見つけて開けるのです。
ある年のクリスマスの時、何時ものように、皆が、自分の者を見つけて、早速開いて大ハシャギする中で、真ん中の一人の男の子が、他の兄弟のプレゼントを見て、喜んで『・・ちゃん良かったね‼️それ欲しかったんだよね🎵』・・『ワァー・・ちゃんすごいねぇー、良かったねぇ‼️』・・と、みんなのプレゼントを一緒に喜んでいるのに、彼の手にはプレゼントがないのです。母親は、ハット気が付いたのです。
彼のプレゼントが出し忘れていたのです。
母親はそれを持ってきて、その子を抱き締めて『ご免なさいね😢・・・ちゃん、これだよ‼️』初めてその子はプレゼントを手にして、跳び跳ねながら、僕のプレゼント、僕のプレゼント‼️・・と言って、跳び跳ねながら喜んだ・・・
この話を思い出す度に、自分の事よりも、他の人の事を、思いやる心の、何と美しい事だろう‼️🎶と、

創造者なる神は、人をこの様に創造されたはずなのに、いつの間にか、自分第一に😖💦
イエス・キリスト様の、十字架への歩みは、この素晴らしい恵みと愛の回復を、与えられるための、道だったのです。今朝、改めて、主の示された道を、歩み始めましょう🎵
 ピリピ書 1:22~30

1:22 しかし、肉体において生きることが続くなら、私の働きが実を結ぶことになるので、どちらを選んだらよいか、私には分かりません。
1:23 私は、その二つのことの間で板ばさみとなっています。私の願いは、世を去ってキリストとともにいることです。そのほうが、はるかに望ましいのです。
1:24 しかし、この肉体にとどまることが、あなたがたのためにはもっと必要です。
1:25 このことを確信しているので、あなたがたの信仰の前進と喜びのために、私が生きながらえて、あなたがたすべてとともにいるようになることを知っています。
1:26 そうなれば、私は再びあなたがたのもとに行けるので、私に関するあなたがたの誇りは、キリスト・イエスにあって増し加わるでしょう。
1:27 ただキリストの福音にふさわしく生活しなさい。そうすれば、私が行ってあなたがたに会うにしても、離れているにしても、あなたがたについて、こう聞くことができるでしょう。あなたがたは霊を一つにして堅く立ち、福音の信仰のために心を一つにしてともに戦っていて、
1:28 どんなことがあっても、反対者たちに脅かされることはない、と。そのことは、彼らにとっては滅びのしるし、あなたがたにとっては救いのしるしです。それは神によることです。
1:29 あなたがたがキリストのために受けた恵みは、キリストを信じることだけでなく、キリストのために苦しむことでもあるのです。
1:30 かつて私について見て、今また私について聞いているのと同じ苦闘を、あなたがたは経験しているのです。
 2023年1月12日(木)リビングライフQT

パウロの信仰の目標のジレンマ‼️🎵
それは・・・本当は最終目標の、救い主イエス・キリストの御側に憩うことが、何にもまして最大の、主をお慕いする目標だ‼️🎶と。
しかし、そうは言っても、今生かされていることで、誰かが永遠の命に与る者が更に加わるなら、それこそ、パウロが生かされてきた理由だから、自分だけが早く、主の御許に安らぐ事を求めるわけにもいかない。
何と言う、愛に根差した神の僕でしょう。
かつて、主イエス様が、ゲッセマネで祈られたように❗️《父よ❗️この》苦き杯を、我より取り去りたまえ‼️》と、祈られましたが、パウロもまた、《世を去って、キリストとともにいる》事を願ったことです。
早く主の慰めと平安に憩いたい‼️との想いも、一人でも主のみ救い(永遠な命に預かる)に入るものが与えらるなら、
わたし(パウロ)は、自分の願望第一に、求めることはせず、主が願われ、なさってくださる愛の働きに、生き続けて、命の道を示すこの働きに、殉じる思いが勝る・・・と告白し、人々の救いの恵みを切に求めているのです。
実は、この様にパウロは、人としての最終願望が、イエス様の御側に帰ること、少し表現が俗っぽいですが、子犬が、親の中に包まれて、安らぐように、イエス様の中に覆われるように安らぎたい‼️🎶そこで全てを終えたい‼️と言う願望を持ちながら、実は、なおイエス様の命に帰る人が起こるなら、自分の願いを棚上げして良い‼️と、言っているのです。何と言う熱い思いでしょう。この感傷こそ、神の愛に捕らえられた者の、感傷なのです。
更に、パウロ先生は、
福音にふさわしく生活することを、勧めています。
福音にふさわしく・・・とは、どの様な暮らし向きなのでしょう⁉️
福音とは《神の御子が、その特権(神の子としての至上の栄光に包まれて崇められる事)を、放棄して、罪人のためにあがないの死を遂げられたこと》ですから、即ち、それは己に死に、人を命に生かす働きにい来ることです。楽しい人生・愛する人に出会う人生・誰かに称賛される事・豊かさの中に安らぐ日々・・・それも素晴らしいでしょう。確かに充実した喜びとなりましょう。
しかし、それ以上に、愛する者が、心かけて来た人が、救われる姿を見ることは、我を忘れて、嬉しいこと(日常の喜びを、天にまで引き揚げるほどの)喜びではないでしょうか。
この喜びを経験すると、誰かの救いのために心痛め、また、苦難の中を歩むことがあっても、さらに痛みを味わうことがあっても、それが、キリスト・イエス様の、御苦しみに重なる(預かる)事になるので、
返って、喜び、感謝となるのだ・・‼️🎵と、パウロは語っています。
アーメン‼️(*^。^*)
この喜びが、日常の様々な苦難に勝利する力と、慰めを与えるものなのです‼️🎶
アーメン‼️
 ピリピ書 1:12~21

1:12 さて、兄弟たち。私の身に起こったことが、かえって福音の前進に役立ったことを知ってほしいのです。
1:13 私がキリストのゆえに投獄されていることが、親衛隊の全員と、ほかのすべての人たちに明らかになり、
1:14 兄弟たちの大多数は、私が投獄されたことで、主にあって確信を与えられ、恐れることなく、ますます大胆にみことばを語るようになりました。
1:15 人々の中には、ねたみや争いからキリストを宣べ伝える者もいますが、善意からする者もいます。
1:16 ある人たちは、私が福音を弁証するために立てられていることを知り、愛をもってキリストを伝えていますが、
1:17 ほかの人たちは党派心からキリストを宣べ伝えており、純粋な動機からではありません。鎖につながれている私をさらに苦しめるつもりなのです。
1:18 しかし、それが何だというのでしょう。見せかけであれ、真実であれ、あらゆる仕方でキリストが宣べ伝えられているのですから、私はそのことを喜んでいます。そうです。これからも喜ぶでしょう。
1:19 というのは、あなたがたの祈りとイエス・キリストの御霊の支えによって、私が切に期待し望んでいるとおりに、このことが結局は私の救いとなることを知っているからです。
1:20 私の願いは、どんな場合にも恥じることなく、今もいつものように大胆に語り、生きるにしても死ぬにしても、私の身によってキリストがあがめられることです。
1:21 私にとって生きることはキリスト、死ぬことは益です。
 2023年1月11日(水)リビングライフQT

このテキストを読んで驚くのは、
ユダヤ人の中のユダヤ人。ギリシャ哲学を修めた程の、当時の最高の文化人であったパウロが、ヘレニズム時代(同時の文化の中心であった地中海周辺諸国~ローマ・ギリシャ)の中から生まれた、イエス・キリストの教え=福音が、ローマ世界では邪悪な教えとして、激しい迫害と排除を強いられていた。
その福音がサウロ(後のパウロ)を捕らえ、遂に彼は福音に殉ずる者となったのです。
当時はどの社会的集団に入っても、イエスの弟子であると判れば、直ちに疎まれたり、激しい反対にあったり、また、社会から遠ざけられたりしたのです。遂にパウロは、ローマで捕らえられたのですが、イエス様の福音が消え去ろうとしていた時期でした。
その中でパウロは、人々が蔑める“イエス様の福音”を、最高の誇りとして、反対するために福音を引用されても、そこに真理があるから、心から喜んだのです。
パウロ先生は、自らが変えられた福音を、これ以上なものは他にない‼️🎶と言う、人生最大の価値と喜びを知ったので・・・
どんな形であれ、
イエス様の教え(福音)が、語られるなら、必ず真理が聞いたものを変える力があると信じたので、党派心(競争心)からであろうと、妬みからであろうと、争いからであろうと・・・結果として福音が語られるなら、歓迎する(パウロの心は赦す)・・・と言うのです。
後半(19節~21節)の言葉は、更に、パウロの救い(改心)の原点となった、福音の迫害者であったサウロが、クリスチャンを追撃して、ダマスコに進軍しようと、城門に近付いた時、復活のイエス様に会った(主のみ声を聞いた)時を思い出し、福音の力を、絶大に信じていたことを伺わせるのです。
私は、イエス様の福音(十字架の罪の赦し)を、この様に瞬時、瞬時に感動をもって、味わっているでしょうか。その赦しと、救いの中に行きといるだろうか⁉️
そんな風に思いながら読み直して、感動するのです。
  20節後半~21節
私の願いは、・・・生きるにしても死ぬにしても、私の身によってキリストが崇められることです。
私にとっては生きることはキリスト、死ぬことは益です。
  ハレルヤ‼️🎶
 ピリピ 1章1節~11節

1:1 キリスト・イエスのしもべである、パウロとテモテから、ピリピにいる、キリスト・イエスにあるすべての聖徒たち、ならびに監督たちと執事たちへ。
1:2 私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安があなたがたにありますように。
1:3 私は、あなたがたのことを思うたびに、私の神に感謝しています。
1:4 あなたがたすべてのために祈るたびに、いつも喜びをもって祈り、
1:5 あなたがたが最初の日から今日まで、福音を伝えることにともに携わってきたことを感謝しています。
1:6 あなたがたの間で良い働きを始められた方は、キリスト・イエスの日が来るまでにそれを完成させてくださると、私は確信しています。
1:7 あなたがたすべてについて、私がこのように考えるのは正しいことです。あなたがたはみな、私が投獄されているときも、福音を弁明し立証しているときも、私とともに恵みにあずかった人たちであり、そのようなあなたがたを私は心に留めているからです。
1:8 私がキリスト・イエスの愛の心をもって、どんなにあなたがたすべてを慕っているか、その証しをしてくださるのは神です。
1:9 私はこう祈っています。あなたがたの愛が、知識とあらゆる識別力によって、いよいよ豊かになり、
1:10 あなたがたが、大切なことを見分けることができますように。こうしてあなたがたが、キリストの日に備えて、純真で非難されるところのない者となり、
1:11 イエス・キリストによって与えられる義の実に満たされて、神の栄光と誉れが現されますように。
 2023年1月10日(火)リビングライフQT

パウロ先生が、アジアを巡回中に、更にアジアの北方の黒海地方に転身しようとしていた矢先に、聖霊の導きで、エーゲ海対岸のマケドニアへ渡ったことから、新しい宣教の世界が拡がった最初の群れが、《ピリピ》でしたね‼️
このピリピの教会は、その後、マケドニア・アテネ・コリント・ガラテヤ・・・等へと福音は野火の様に拡がったのです。その背後に、ピリピの教会の熱い祈りが捧げられており、やがて、パウロがローマで捕らえられて、獄中にあったときなどは、熱烈な祈りが捧げられたことが、この手紙の冒頭の、短い序文の中からも伺うことができます。
なんて、素晴らしい群れだったことでしょう。あの紫布の商人ルデアに始まったリバイバルの火は、燃え続けたのです‼️
4節~“あなたがたすべてのために祈るたびに、いつも喜びをもって祈り・・5節・・“ 続いて読み直してみてください。
これを読むと、ピリピの教会とパウロ先生との霊的祈りの絆が、輝いて見えてきますね。
私は、ここを読みながら、今、私が支えられているのは、このメッセージを読んでくださっている多くの方々の愛と祈りに支えられて、今日まで8年も続けられて来たのだ‼️🎶と、パウロ先生と同じように、喜びと感動を感じるのです。
こうした愛の祈りが明日のメッセージに、繋げられるのだ🎵・・・
あなたの教会のため、牧師先生のため、愛兄姉のため、宣教師の働きと家族のため・・・私達はどれだけ祈ってきただろうか🎵
祈りと執り成しが福音宣教の、底力となるのです‼️🎶
このような祈りの器に対する、パウロ先生の祈りは、
8節~11節の祈りに表されています。
パウロ先生が愛する教会のために祈ることは、
*“教会=信徒達”が、大切なことを見分ける事が出来るように・・と、言う事です。
当時異教に切り込んだ福音の働きに対して、また、様々な世俗の堕落や、乱れた世界の中に立つ教会でしたから、激しく打ち寄せる世俗と罪の波に対して、激しい戦いがあったのです。ですからパウロ先生の祈りは
①何が正しいか。
②何が神に喜ばれるか
③何が勝利への道か
④何が神の恵みの深さか・・・
を知って、愛する信徒が、義の実に満たされるように・・・
何と心に届く執り成しでしょう。
今の日本の教会に必要な姿は、正にこの様な祈る側と、祈られる側の、相互の信頼と徳を高める関係によって、世に勝利する教会となり、信仰者であり続けるのですね。
  ハレルヤ‼️🎶
 ヤコブ書 5:12~20

5:12 私の兄弟たち。とりわけ、誓うことはやめなさい。天にかけても地にかけても、ほかの何にかけても誓ってはいけません。あなたがたの「はい」は「はい」、「いいえ」は「いいえ」でありなさい。そうすれば、さばきにあうことはありません。
5:13 あなたがたの中に苦しんでいる人がいれば、その人は祈りなさい。喜んでいる人がいれば、その人は賛美しなさい。
5:14 あなたがたのうちに病気の人がいれば、教会の長老たちを招き、主の御名によって、オリーブ油を塗って祈ってもらいなさい。
5:15 信仰による祈りは、病んでいる人を救います。主はその人を立ち上がらせてくださいます。もしその人が罪を犯していたなら、その罪は赦されます。
5:16 ですから、あなたがたは癒やされるために、互いに罪を言い表し、互いのために祈りなさい。正しい人の祈りは、働くと大きな力があります。
5:17 エリヤは私たちと同じ人間でしたが、雨が降らないように熱心に祈ると、三年六か月の間、雨は地に降りませんでした。
5:18 それから彼は再び祈りました。すると、天は雨を降らせ、地はその実を実らせました。
5:19 私の兄弟たち。あなたがたの中に真理から迷い出た者がいて、だれかがその人を連れ戻すなら、
5:20 罪人を迷いの道から連れ戻す人は、罪人のたましいを死から救い出し、また多くの罪をおおうことになるのだと、知るべきです。
 2023年1月9日(月)リビングライフQT

*《誓う》と言う意味は、単なる(約束する)と言う意味とは違い、遥かに思い意味を持つ言葉です。
即ち、《誓い》とは、誓う人が、ある誓いに対して、命を懸けてそれを果たす・・・命を懸けると言うことい座ょウニ、誓う自分を、絶対化する事を意味しています。
現実は『人』と言うものは、神に想像された“被造物”なのです。“絶対的”存在者ではありません。“絶対的存在者“は、ただ創造者である神のみなのです。
ですから誓うことが出来る御方は、ただ《神》のみなのです。
即ち、誓うことが出来る御方は、ただ《神》のみなのです‼️
誓ったら、その瞬間、誓ったことは、100%実現することが保証されているのです。
それ故、神が誓われた様々なこと(即ち予言の数々)は、必ず成就するのです‼️あなたはそれを信じますか。

さて、今日の次の薦めは、《信仰の祈り》です。
祈りは軽いものではありません。頼み事でも、願い事でも、嘆願でもありません。
言い換えると、何か願い事をするように、神に求める事が祈りではありません。
神の創造の御業が、成就するために、神自ら人を創造されて、粗な最高傑作である、神の象に創造された《人》に、創造の業の最終項を、御委ねになられたのです。そんな人(あなた・私)が、神に信頼し、さ神の働き人となって、神の業に参与することが、求められているのです。
その神の業を委ねられた私達は、到底叶わない存在です。しかし、それでもなお、神の業に応えようとした時、上の前に立つ人は、祈るのです。それ故、祈りは、神の御心が成るように・・・との内容になるのです。自分の利益や、願望が祈りとなるのではないのです。
*病のために祈るのも、 *成功のために祈るのも  *問題回避の為の祈りでも    
*緊急事態からの回避の為の祈りも・・・
主なる神の全創造の完成への過程に、あなたが私が加わるための願望の祈りなのです。15節の『信仰の祈り』は、20節に至るまでの全ての祈りの基本なのです。
*信仰とは・・・神に創造されたあなたが、創って下さった御方に対して、正しい関係に身を置くことなのです‼️
そうすると、祈りに確信と、力が湧いてくるでしょう🎵
 ハレルヤ‼️(*^。^*)
 ヤコブ書 5:1~11

5:1 金持ちたちよ、よく聞きなさい。迫り来る自分たちの不幸を思って、泣き叫びなさい。
5:2 あなたがたの富は腐り、あなたがたの衣は虫に食われ、
5:3 あなたがたの金銀はさびています。そのさびがあなたがたを責める証言となり、あなたがたの肉を火のように食い尽くします。あなたがたは、終わりの日に財を蓄えたのです。
5:4 見なさい。あなたがたの畑の刈り入れをした労働者への未払い賃金が、叫び声をあげています。刈り入れをした人たちの叫び声は、万軍の主の耳に届いています。
5:5 あなたがたは地上でぜいたくに暮らし、快楽にふけり、屠られる日のために自分の心を太らせました。
5:6 あなたがたは、正しい人を不義に定めて殺しました。彼はあなたがたに抵抗しません。
5:7 ですから、兄弟たち。主が来られる時まで耐え忍びなさい。見なさい。農夫は大地の貴重な実りを、初めの雨や後の雨が降るまで耐え忍んで待っています。
5:8 あなたがたも耐え忍びなさい。心を強くしなさい。主が来られる時が近づいているからです。
5:9 兄弟たち。さばかれることがないように、互いに文句を言い合うのはやめなさい。見なさい。さばきを行う方が戸口のところに立っておられます。
5:10 兄弟たち。苦難と忍耐については、主の御名によって語った預言者たちを模範にしなさい。
5:11 見なさい。耐え忍んだ人たちは幸いだと私たちは思います。あなたがたはヨブの忍耐のことを聞き、主によるその結末を知っています。主は慈愛に富み、あわれみに満ちておられます。
 2023年1月8日(日)リビングライフQT

ヤコブがここで語ろうとしていることは 富についてです。
1節から6節は、 一貫して、 お金持ちが悪者であると言う 主張で流れていますが 、 それは当時の社会風潮として、 金持ちは貧しい者を虐げ、 搾取し、 全ての上に支配権を獲得し、 世界を動かすような 権力を握っていると言う 、構図が 一般的だったからです。
正しい豊かな人がいなかったわけではなかったと思いますが、弱肉強食が、当時のローマの支配下にある、イスラエルの民の実態でした。金持ち・・それはまず、ローマの支配階級の役人達、次に取税人・ローマの役人の下働きの階級、彼等はほぼ金と権力を持って、庶民を苦しめていたのです。
もともと、モーセの十戒を始めとする、多くの律法を学び、それを元に礼拝を欠かさずに自らを律してきたイスラエル(ユダヤ)の民は、互いに戒め合い、助け合い、励まし合い、支え合って歴史を築き上げてきた神の民だったのですが、
強力なローマの支配下で、殊に、主イエス様の御復活後、あのペンテコステ以来の爆発的、教会の勢力に対して、激しい迫害が生じたばかりでなく、教会の中にさえ、この様な生きんがための、無慈悲、利己主義時人間関係が入り込んできたのです。
サタンは、一番教会が妨げになるので、教会の交わり・信徒の愛と赦しの繋がりを、壊すことが、至上命令なのです。信仰が観念化したり、社会的システム化することへと、誘導するのです。
そこに愛の冷えた教会、助け合いの影が薄くなった、個人主義的な教会が生まれるのです。
更に、ヤコブが注意を換気するのは、
*7節~11節に重ねて語る“堪え忍ぶ”ことです。
信仰者で神様信じたら、あらゆる問題は速やかに解決する・・と考えては、失望したり、躓いたりする姿を良く見ます😵。😢💦ですね。

主なる神様が私達に下さろうとする、祝福は(人生豊かに・人生特をする・何時も健康に恵まれて順調な日々・社会的に認められる立場に立つ・・・)事ではないのです。
ヤコブは、*農夫の堪え忍ぶことによって得る収穫の祝福
*苦難と忍耐を積み重ねながら得た、予言者の喜び。
*ヨブの、生きるより死を求めたような苦難と、虐げと、孤独と、孤立の中から忍耐し辿り着いた祝福と勝利を、例にあげて・・・
神の慈愛と哀れみを指し示しています。
主なる神の、慈愛と哀れみを経験したクリスチャンは、もっとも強い祝福と確信を頂くのです。ハレルヤ‼️🎶
 ヤコブ書 4:11~17

4:11 兄弟たち、互いに悪口を言い合ってはいけません。自分の兄弟について悪口を言ったり、さばいたりする者は、律法について悪口を言い、律法をさばいているのです。もしあなたが律法をさばくなら、律法を行う者ではなく、さばく者です。
4:12 律法を定め、さばきを行う方はただひとりで、救うことも滅ぼすこともできる方です。隣人をさばくあなたは、いったい何者ですか。
4:13 「今日か明日、これこれの町に行き、そこに一年いて、商売をしてもうけよう」と言っている者たち、よく聞きなさい。
4:14 あなたがたには、明日のことは分かりません。あなたがたのいのちとは、どのようなものでしょうか。あなたがたは、しばらくの間現れて、それで消えてしまう霧です。
4:15 あなたがたはむしろ、「主のみこころであれば、私たちは生きて、このこと、あるいは、あのことをしよう」と言うべきです。
4:16 ところが実際には、あなたがたは大言壮語して誇っています。そのような誇りはすべて悪いことです。
4:17 こういうわけで、なすべき良いことを知っていながら行わないなら、それはその人には罪です。
 2023年1月7日(土)リビングライフQT

“悪口”・・私たちは、ともすると、“悪口”と言う思いからではなく、教訓的・矯正的・正しい意見として・・批判や、評価や、陰での言及で、人を知らずうちに、批判となったり、傷つけたりしてしまうことが良くあります。
なかなか難しいことですが、この行為が平和を乱す元となることが往々にしてあります。
ただそのような社会的理由からではなく・・
悪口・批判・中傷・悪評・・は、神の律法から言えば、“さばき”になるのです。
そして“さばき”は、神の主権に属するもので、人の判断には委ねられてはいないのです。
人を創造されたのは神ですから、この御方只お一方だけが、正しいのであって、評価は、只神御自身に委ねるのです。
私たちの眼差しは、人に向けられるのではなく、神御自身にしっかりと向けられるべきなのです。
今朝、この事を改めてじっくり考えていると、正にその通りだ・・・と、心から思い至りました‼️
私たちは現実を見ながら、もし違和感や!危機感を感じたなら、祈り、主に問いかけ、訴えて、その方のために祈りましょう。
主なる神が捌(サバ)いてくださいます。更に、神が示してくださるなら、人と人との関係も、守られます‼️
更に、ヤコブは三つの事を戒めています。
①『主のみ心を中心に据えて歩むこと』15節
②「大言壮語して誇ることは、悪いことです。」16節
③「成すべき良いことを知っておきながら行わないなら、それはその人の罪です。」17節
この三つに共通なことは、何れも、《神の領域》を、越えていると言うことです。
神の分を犯す・・・と言うことは、神の主権を認めない、言い換えると、自分自身が主権者《神》となっている💢💢と言う、もっとも恐るべき罪に囚われている・・・事になるのです。今改めて、主権者なる愛に富まれた神に、ひれ伏し、従うことを常に糺さねばなりません‼️🎶
主よ🎵わたしの魂を見張ってください‼️
 ヤコブ書 4:1~10

4:1 あなたがたの間の戦いや争いは、どこから出て来るのでしょうか。ここから、すなわち、あなたがたのからだの中で戦う欲望から出て来るのではありませんか。
4:2 あなたがたは、欲しても自分のものにならないと、人殺しをします。熱望しても手に入れることができないと、争ったり戦ったりします。自分のものにならないのは、あなたがたが求めないからです。
4:3 求めても得られないのは、自分の快楽のために使おうと、悪い動機で求めるからです。
4:4 節操のない者たち。世を愛することは神に敵対することだと分からないのですか。世の友となりたいと思う者はだれでも、自分を神の敵としているのです。
4:5 それとも、聖書は意味もなく語っていると思いますか。「神は、私たちのうちに住まわせた御霊を、ねたむほどに慕っておられる。
4:6 神は、さらに豊かな恵みを与えてくださる」と。それで、こう言われています。「神は高ぶる者には敵対し、へりくだった者には恵みを与える。」
4:7 ですから、神に従い、悪魔に対抗しなさい。そうすれば、悪魔はあなたがたから逃げ去ります。
4:8 神に近づきなさい。そうすれば、神はあなたがたに近づいてくださいます。罪人たち、手をきよめなさい。二心の者たち、心を清めなさい。
4:9 嘆きなさい。悲しみなさい。泣きなさい。あなたがたの笑いを悲しみに、喜びを憂いに変えなさい。
4:10 主の御前でへりくだりなさい。そうすれば、主があなたがたを高く上げてくださいます。
 2023年1月6日(金)リビングライフQT

私と、主なる神様との距離⁉️ 観念では、何時も側に居て下さる・・と、自分では思って(信じて)いる。しかし、実際は、信じていながら、その様な事実の中で、生活している時が、どれ程あるだろう・・・今朝のテキストを読みながら、強くその様に考えさせられた。
私は何時も(祈りの時・礼拝の時・聖書を学ぶ時・・)主イエス様を感じながら、過ごしているだろうか⁉️
ふと、その様に思い巡らせると、矢張、改まって・意識して・主を呼び求めて・・・と言う風に、改まった時に
主の臨在を感じ、意識することが多い。
勿論それは素晴らしい恵です。
しかし、それが私たちの信仰生活が、実際の日常と分離している現実です。
そもそも、《信仰生活・教会生活・・》と言う、呼び方自体、信仰生活が非日常化している、証拠ではないでしょうか(言ってる意味が分からない。)
この事に気付いたら、何と悲しい事実でしょう。
創造主なる神が、何と私たち人間を御創りになられたとき、私たち人間を、他の被造物の一つとして(並外れた能力は持っているが)御創りになられたのは、《被造物》としてではなく、《神の象=カタチ》に似せて創られた‼️
即ち主なる神の御側に、置かれたのです。
今主イエス・キリスト様のあがないを受けた私たちは、まさに神の御側におらせていただいているのです。
今や、罪の中に生まれた私たちを、御子イエス・キリストの十字架の血によって、折に触れ、日常的に、主の御名を呼ぶ者とされたのです。日常と、信仰生活との間には、切れ目はないのです。
*5節~神は、私たちのうちに住まわせた御霊を、ねたむほどに慕っておられる。
*6節~神は高ぶる者には敵対し、へりくだった者には恵を与える
*8節~神に近づきなさい。そうすれば、神はあなたに近づいてくださいます。
*10節~主の御前でへりくだりなさい、そうすれば、主があなた方を高く上げてくださいます。
主なる神は、私たちに深い関心を向けていてくださいます。

もっともっと、御自身を顕してくださったイエス様に、近く歩みより、御顔を拝するようにして、主の御前に歩み続けましょう。
ふと、『主よ❗️』と、お呼びしてみては⁉️
賛美を口ずさんでみましょう。
主がそばを歩んでくださっていますよ‼️🎶
こうなれば、願いは純粋に清められ、祈りは聞き届けられるでしょう。その様に信じられますよね🎵(*^。^*)
 ヤコブ書 3:1~18

3:1 私の兄弟たち、多くの人が教師になってはいけません。あなたがたが知っているように、私たち教師は、より厳しいさばきを受けます。
3:2 私たちはみな、多くの点で過ちを犯すからです。もし、ことばで過ちを犯さない人がいたら、その人はからだ全体も制御できる完全な人です。
3:3 馬を御するためには、その口にくつわをはめれば、馬のからだ全体を思いどおりに動かすことができます。
3:4 また船を見なさい。あのように大きくて、強風を受けていても、ごく小さい舵によって、舵を取る人の思いどおりのところへ導かれます。
3:5 同じように、舌も小さな器官ですが、大きなことを言って自慢します。見なさい。あのように小さな火が、あのように大きな森を燃やします。
3:6 舌は火です。不義の世界です。舌は私たちの諸器官の中にあってからだ全体を汚し、人生の車輪を燃やして、ゲヘナの火によって焼かれます。
3:7 どのような種類の獣も鳥も、這うものも海の生き物も、人類によって制することができ、すでに制せられています。
3:8 しかし、舌を制することができる人は、だれもいません。舌は休むことのない悪であり、死の毒で満ちています。
3:9 私たちは、舌で、主であり父である方をほめたたえ、同じ舌で、神の似姿に造られた人間を呪います。
3:10 同じ口から賛美と呪いが出て来るのです。私の兄弟たち、そのようなことが、あってはなりません。
3:11 泉が、甘い水と苦い水を同じ穴から湧き出させるでしょうか。
3:12 私の兄弟たち。いちじくの木がオリーブの実をならせたり、ぶどうの木がいちじくの実をならせたりすることができるでしょうか。塩水も甘い水を出すことはできません。
3:13 あなたがたのうちで、知恵があり、分別のある人はだれでしょうか。その人はその知恵にふさわしい柔和な行いを、立派な生き方によって示しなさい。
3:14 しかし、もしあなたがたの心の中に、苦々しいねたみや利己的な思いがあるなら、自慢したり、真理に逆らって偽ったりするのはやめなさい。
3:15 そのような知恵は上から来たものではなく、地上のもの、肉的で悪魔的なものです。
3:16 ねたみや利己的な思いのあるところには、秩序の乱れや、あらゆる邪悪な行いがあるからです。
3:17 しかし、上からの知恵は、まず第一に清いものです。それから、平和で、優しく、協調性があり、あわれみと良い実に満ち、偏見がなく、偽善もありません。
3:18 義の実を結ばせる種は、平和をつくる人々によって平和のうちに蒔かれるのです。
 2023年1月5日(木)リビングライフQT

神の人《ヤコブ》は、何と厳しくも、人の心・魂までも、見事(露アラワ)に分析し、弁明出来ないまでに、明らかにして、警告しています。
罪や、敵対には弁明(弁解)は、罪の上塗りになります。
ヤコブは、これを読む一人一人が、隠れることが出来ないまでに光を照らし、影の部分を明らかにして、新たに主イエスの愛と赦しの光の中での再生を、求めているのです。
13節から、《智恵》について語っています。
ヤコブは、地上の智恵(肉の欲に根を張る智恵)と、神から来る智恵・・・とを対比して語っていますね。
14節~16節・・地上の智恵
妬みや・利己的な思い・自慢・真理の向を張った偽り・・に根を張った智恵は、破壊と罪悪のもとです。
しかし、神からの智恵は・・・清い・平和・柔和・協調・憐れみ・義の実を実らせる。
私たちは、自らの内にも、義の実を結ばせる“智恵”を求めて、祈りと主への信仰と、義への飢え渇きを、求めて進みましょう‼️🎶
 ヤコブ書 2:14~26

2:14 私の兄弟たち。だれかが自分には信仰があると言っても、その人に行いがないなら、何の役に立つでしょうか。そのような信仰がその人を救うことができるでしょうか。
2:15 兄弟か姉妹に着る物がなく、毎日の食べ物にも事欠いているようなときに、
2:16 あなたがたのうちのだれかが、その人たちに、「安心して行きなさい。温まりなさい。満腹になるまで食べなさい」と言っても、からだに必要な物を与えなければ、何の役に立つでしょう。
2:17 同じように、信仰も行いが伴わないなら、それだけでは死んだものです。
2:18 しかし、「ある人には信仰があるが、ほかの人には行いがあります」と言う人がいるでしょう。行いのないあなたの信仰を私に見せてください。私は行いによって、自分の信仰をあなたに見せてあげます。
2:19 あなたは、神は唯一だと信じています。立派なことです。ですが、悪霊どもも信じて、身震いしています。
2:20 ああ愚かな人よ。あなたは、行いのない信仰が無益なことを知りたいのですか。
2:21 私たちの父アブラハムは、その子イサクを祭壇に献げたとき、行いによって義と認められたではありませんか。
2:22 あなたが見ているとおり、信仰がその行いとともに働き、信仰は行いによって完成されました。
2:23 「アブラハムは神を信じた。それで、それが彼の義と認められた」という聖書のことばが実現し、彼は神の友と呼ばれたのです。
2:24 人は行いによって義と認められるのであって、信仰だけによるのではないことが分かるでしょう。
2:25 同じように遊女ラハブも、使者たちを招き入れ、別の道から送り出したので、その行いによって義と認められたではありませんか。
2:26 からだが霊を欠いては死んでいるのと同じように、信仰も行いを欠いては死んでいるのです。
 2023年1月4日(水)リビングライフQT

行いと信仰。
*信仰って、一体なんでしょう❗️何か(誰か)を信頼し、心の中に受け入れ、その人の願う思いに、一つ心になる‼️ことです。
所が、こうして生まれた“信仰”は、当然、信じた相手方との、新しい関係が、生まれます。それは、信頼・愛・関係・与え、受け入れる関係が両者の関係の中で、新しい分野を産み出していく力のめぐみとなりますでしょう。
それらが、やがて相手への行為となって、様々な形の愛に根差した行い・・・となって、現されるでしょう。
しかし、それらの行為(行い)が、お互いの間での、善意や、関係性の継続のために為される行いでは、信仰としての裏付けは、必ずしも必要とはならないでしょう。
しかし、人と神との関係の中では、形式化した行いは、信仰を必要とはせずに表されます。それは、他働きのに評価される善意や善行、宗教的(教会の行事)礼拝、伝道、親切、援助、愛、赦し・・・
これらの行為は、人の内にある善意からでも、豊かに表すことが人はできます。
しかし、
神の命の裏付けなし、恵みの器と言う、清い神の聖徒としての子、即ち恵みの?💦僕として、生かされているか否かが、問われるのです。
主イエス・キリストの弟子として、主のお心を行為(行い)に表して、湯に主の栄光を表して参りましょう‼️(*^。^*)
 ヤコブの手紙 2:1~13

2:1 私の兄弟たち。あなたがたは、私たちの主、栄光のイエス・キリストへの信仰を持っていながら、人をえこひいきすることがあってはなりません。
2:2 あなたがたの集会に、金の指輪をはめた立派な身なりの人が入って来て、また、みすぼらしい身なりの貧しい人も入って来たとします。
2:3 あなたがたは、立派な身なりをした人に目を留めて、「あなたはこちらの良い席にお座りください」と言い、貧しい人には、「あなたは立っていなさい。でなければ、そこに、私の足もとに座りなさい」と言うなら、
2:4 自分たちの間で差別をし、悪い考えでさばく者となったのではありませんか。
2:5 私の愛する兄弟たち、よく聞きなさい。神は、この世の貧しい人たちを選んで信仰に富む者とし、神を愛する者に約束された御国を受け継ぐ者とされたではありませんか。
2:6 それなのに、あなたがたは貧しい人を辱めたのです。あなたがたを虐げるのは富んでいる人たちではありませんか。また、あなたがたを裁判所に引いて行くのも彼らではありませんか。
2:7 あなたがたがその名で呼ばれている尊い御名を汚すのも、彼らではありませんか。
2:8 もし本当に、あなたがたが聖書にしたがって、「あなたの隣人を自分自身のように愛しなさい」という最高の律法を守るなら、あなたがたの行いは立派です。
2:9 しかし、もし人をえこひいきするなら、あなたがたは罪を犯しており、律法によって違反者として責められます。
2:10 律法全体を守っても、一つの点で過ちを犯すなら、その人はすべてについて責任を問われるからです。
2:11 「姦淫してはならない」と言われた方は、「殺してはならない」とも言われました。ですから、姦淫しなくても人殺しをすれば、あなたは律法の違反者になっているのです。
2:12 自由をもたらす律法によってさばかれることになる者として、ふさわしく語り、ふさわしく行いなさい。
2:13 あわれみを示したことがない者に対しては、あわれみのないさばきが下されます。あわれみがさばきに対して勝ち誇るのです。
 2023年1月3日(火)リビングライフQT

差別に関する戒めに、終始するテキストですね。
昨日も一昨日も、複数の問題点への指摘と勧めが成されていましたが、今朝は、13節に亘り終始“差別”に関する問題に、焦点を当てていますね。
「私はクリスチャンとして、差別は許されるものではないし、私は断じて、そのような事実を許さない💢
と言いながら、実は、“赦さない”・・・と言う言葉と感情は、正に差別への導入となるのです。
ある、非常に熱心なクリスチャンが、或時から、日常生活の中で、異常な潔癖行動(一つの例として→一日になん十回も、石鹸で手を洗う・・遂に手の皮が敗れて薄くなって、血が滲むようになっても、手荒いが治らない。トイレにいったまま帰ってこないので心配して探すと、30分も石鹸で手洗いしていたのです)
あまりの事に、病院につれといくと、精神安定剤が出ましたが、
直らなかったのです。ある時、牧師に相談にこられたのです。ゲッソリやつれて・・・その方の、告白は・・・
戦前戦中、朝鮮に在住し、豊かな生活で、三人も現地の女中さんを使っていた(女中=お手伝いさん)、住み込みで只のようにこき使い、怒鳴り・うち叩き・差別と罵りの言葉を浴びせ、家に帰ることすら、しないことが多かった。《当時の日本人は、朝鮮人を、白人が黒人を牛馬のように扱ったと同じような、感覚で酷使、差別することは、普通で、支配国としてむしろ誇っていたのです・・それが今の時代にまで賠償問題となって尾を引いています。》
その方は、戦後引き上げてきて、教会に導かれて洗礼を受けたのです。しかし、その時点で、朝鮮人への差別の日々は、思い浮かばなかったのです。所が或事を通して、恐ろしい程の罪意識が湧いてきて、そんな自分が洗礼を受けてクリスチャン面している、“偽善”に気がついたのです。
その事に気がついて、牧師に告白に来られたのです。(手洗い癖の最中は気がついていなかった)潔癖行動の原因がそこに潜在していたことに、気が付いたのです。声を挙げて泣き伏し、悔い改めたのです。このご婦人の信仰生活は素晴らしく変えられました‼️

日本人の心の中に潜在するこの差別、更に差別はあらゆる生活の分野に浸透し、人の心から、赦し・誘惑・愛・喜び・平安・・・を奪っていくのです。
伝道の書に出ていましたね。『正し過ぎてはいけない‼️』と。
正し過ぎると、差別・裁き(捌き)・嫌悪・断絶・・・が生じて、関係が壊れるのです。
私たちに与えられた福音は、イエス・キリスト様の十字架の贖罪ではありませんか⁉️
イエス様ご自身が私のあなたの罪を引き受けて、ご自身が罪人となられて、父なる神の罰(裁き)を受けられたのです。
イエス様は、誰をも捌きません(区別しません。)
私は、教会の牧師として、教会の中にすら、差別・蔑視・排除が生じるのを沢山見てきました。私自身牧師として、教会に混じりこんで来る世俗の習慣にたいして、未然に排除しようと、差別・排除・してきた苦い経験がありました。
イエス様の宣教の日々には、それはないのです。
それから福音書を連続で、礼拝メッセージで扱うようになりました。
差別は、自己優越感です。神のみが行使なさる、裁き(捌き=審判)を、罪人の私がしてしまうことになるのです。
最も危険な、人間の陥りやすい、罪なのです。
神に代わって裁くからです。
ですから、ヤコブは、長い字数を使って、懇切に語り伝えたのです。
改めて、もし気付いたことがあれば、魂の深みまで探って、主の前に悔い改め、整えましょう❗️
晴れた魂で、全ての人を愛し、赦し一つとなって主の前に歩みましょう🎵
*私の提案です。私はあるときからこの言葉を使わないようにしました。
《未信者》😖💦という言葉です。
私に言わせれば、差別用語です。では何と言いましょうか?
《イエス様の命に繋がれていない方》
確かに同じ意味です。そして長い表現です。
でも、言葉の裏には、永遠の希望に繋がる可能性と、使命感を帯びているのです。
  ヤコブの手 1:12~27

1:12 試練に耐える人は幸いです。耐え抜いた人は、神を愛する者たちに約束された、いのちの冠を受けるからです。
1:13 だれでも誘惑されているとき、神に誘惑されていると言ってはいけません。神は悪に誘惑されることのない方であり、ご自分でだれかを誘惑することもありません。
1:14 人が誘惑にあうのは、それぞれ自分の欲に引かれ、誘われるからです。
1:15 そして、欲がはらんで罪を生み、罪が熟して死を生みます。
1:16 私の愛する兄弟たち、思い違いをしてはいけません。
1:17 すべての良い贈り物、またすべての完全な賜物は、上からのものであり、光を造られた父から下って来るのです。父には、移り変わりや、天体の運行によって生じる影のようなものはありません。
1:18 この父が私たちを、いわば被造物の初穂にするために、みこころのままに真理のことばをもって生んでくださいました。
1:19 私の愛する兄弟たち、このことをわきまえていなさい。人はだれでも、聞くのに早く、語るのに遅く、怒るのに遅くありなさい。
1:20 人の怒りは神の義を実現しないのです。
1:21 ですから、すべての汚れやあふれる悪を捨て去り、心に植えつけられたみことばを素直に受け入れなさい。みことばは、あなたがたのたましいを救うことができます。
1:22 みことばを行う人になりなさい。自分を欺いて、ただ聞くだけの者となってはいけません。
1:23 みことばを聞いても行わない人がいるなら、その人は自分の生まれつきの顔を鏡で眺める人のようです。
1:24 眺めても、そこを離れると、自分がどのようであったか、すぐに忘れてしまいます。
1:25 しかし、自由をもたらす完全な律法を一心に見つめて、それから離れない人は、すぐに忘れる聞き手にはならず、実際に行う人になります。こういう人は、その行いによって祝福されます。
1:26 自分は宗教心にあついと思っても、自分の舌を制御せず、自分の心を欺いているなら、そのような人の宗教はむなしいものです。
1:27 父である神の御前できよく汚れのない宗教とは、孤児ややもめたちが困っているときに世話をし、この世の汚れに染まらないよう自分を守ることです。
 1月2日(月曜日)リビングライフQT

子供が、つまみ食いして、母親が帰ってくると、慌てて口をぬぐい、口の中のものは慌てて飲み込んで、作り笑いをしながら「お帰りなさい。」と言って、口を拭うような偽りをしてはなりません。(責任放棄・ごまかし・理屈をこねて正当化する・・・)
自分や回りはごまかせても、自分や自分の心や言葉はごまかせないものですね。
結局は、《必ず》刈り取らねばならなくなります。神様の前に隠しおおせるものは、たとえそれが(どんなに小さくとも覆い隠そうとするものは)どんなに小さくても、神の眼から隠しおおせるものは、何一つない。❗️
神の業(愛)にもとる思いや行動は、神を知らずに反抗したり、偶像に走ること以上に、恐ろしい結果を招きます。主に信頼して、従い、祈り、戦って、主と伴に“勝ちの声を挙げて参りましょう”
私たち主を信じる者には、主の御声に聴くことは、主なる神を信頼し、そのお方の中に歩むことを意味します。神に逆らう💢・・と言うことは、信仰的に背を向けたり、無視したり、無関心であったりことであったりします。
クリスチャン(洗礼を受けいると言う事実)であるか否かが、主なる神との関係を左右するものではない。
今❗️あなた・私は、神の前にしっかりと立っているか⁉️を、何時も問わねばならない‼️
22・23節~御言葉を行う(御言葉に生きる)最大の標準‼️
*日々読み学ぶ、神の聖言葉への従順
*主なる神を礼拝する時に頂く、礼拝にたいして、神から与えられる(聖書を通して)神からのかたりかけ‼️
26節~自分の舌の制御(コントロール=支配)
“言葉”を介して、主の福音は、伝えられるものです。誠実な言葉は、人の魂に届く、救いの福音の清(聖)い道具です。日頃の言葉から、心しましょう🎵
27節~宗教‼️(生き様)を通して、“永遠の命”の福音が見える形で著される。生活・言葉・存在感・感情・目力・・・これら全て(あなた・わたし)を通して、福音(神の象)は証される‼️🎶
主よ‼️何時もあなたの前に歩ませと下さい。
創世記17章1節
『わたしは全能の神である。あなたは私の前を歩んで全き者であれ‼️』
神の前に隠れることなく歩む‼️
これがヤコブ(イエス様のご兄弟)のメッセージです。
神ノ前を隠れることのない歩みを全うされた御姿を、幼い時から見続けてきた、肉親の弟の証でもあるのではないでしょうか。
 ヤコブの手紙 1:1~11

1:1 神と主イエス・キリストのしもべヤコブが、離散している十二部族にあいさつを送ります。
1:2 私の兄弟たち。様々な試練にあうときはいつでも、この上もない喜びと思いなさい。
1:3 あなたがたが知っているとおり、信仰が試されると忍耐が生まれます。
1:4 その忍耐を完全に働かせなさい。そうすれば、あなたがたは何一つ欠けたところのない、成熟した、完全な者となります。
1:5 あなたがたのうちに、知恵に欠けている人がいるなら、その人は、だれにでも惜しみなく、とがめることなく与えてくださる神に求めなさい。そうすれば与えられます。
1:6 ただし、少しも疑わずに、信じて求めなさい。疑う人は、風に吹かれて揺れ動く、海の大波のようです。
1:7 その人は、主から何かをいただけると思ってはなりません。
1:8 そういう人は二心を抱く者で、歩む道すべてにおいて心が定まっていないからです。
1:9 身分の低い兄弟は、自分が高められることを誇りとしなさい。
1:10 富んでいる人は、自分が低くされることを誇りとしなさい。富んでいる人は草の花のように過ぎ去って行くのです。
1:11 太陽が昇って炎熱をもたらすと、草を枯らします。すると花は落ち、美しい姿は失われます。そのように、富んでいる人も旅路の途中で消えて行くのです。
 新しい年、主なる神の豊かな祝福と平安の満ちた満ちた年でありますように‼️祈りつつ🎵 お祝い申し上げます‼️
ハレルヤ‼️(*^。^*)💕

2023年元旦リビングライフQT

新しい一年、昨年に勝って、更に今朝の主からのメッセージを心に留めて、堅実に歩みましょう🎵(*^。^*)
*此れからの時代、ピクニックのような毎日であろうはずもないでしょう。
主が伴に居てくださる‼️と言うのは、どの様な境遇(順境・逆境)の中にあっても、その中を伴に歩んでくださると言うことです‼️
試練(2節)は、あなたを更に祝福された、主なる神の臨在の中に導き、強く・豊かな者にしてくださるのです。
*自分の欲や・安楽のためや・勝者になるためや・豊かさを享受するためではなく、真実主の僕として、輝くために、欠けているものを感じたなら、大胆に求めましょう。
*卑屈にならず、傲慢にならず、主の証人として必要を求めましょう‼️
いつも変わらず、主なる神の輝きを反映する、存在として、歩む一年であるよう祈りましょう。アーメン❤️