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力丸嗣夫師 リビングライフ LINE
          (新改訳聖書2017)
    

 第一サムエル31章1節~13節

31:1 さて、ペリシテ人はイスラエルと戦った。イスラエルの人々はペリシテ人の前から逃げ、ギルボア山で刺されて倒れた。
31:2 ペリシテ人はサウルとその息子たちに追い迫って、サウルの息子ヨナタン、アビナダブ、マルキ・シュアを打ち殺した。
31:3 攻撃はサウルに集中し、射手たちが彼を狙い撃ちにしたので、彼は射手たちのゆえにひどい傷を負った。
31:4 サウルは道具持ちに言った。「おまえの剣を抜いて、私を刺し殺してくれ。さもないと、あの無割礼の者たちがやって来て、私を刺し殺し、私をなぶりものにするだろう。」しかし、道具持ちは非常に恐れて、とうていその気になれなかった。それでサウルは剣を取り、その上に倒れ込んだ。
31:5 道具持ちは、サウルが死んだのを見ると、自分も剣の上に身を伏せて、サウルとともに死んだ。
31:6 こうしてその日、サウルと三人の息子、道具持ち、それに彼の部下たちはみな、ともに死んだ。
31:7 谷の向こう側とヨルダン川の向こう側にいたイスラエルの人々は、イスラエルの兵士たちが逃げ、サウルとその息子たちが死んだのを見て、町々を捨てて逃げた。それで、ペリシテ人がやって来て、そこに住んだ。
31:8 翌日、ペリシテ人が、刺し殺された者たちからはぎ取ろうとしてやって来たとき、サウルと三人の息子たちがギルボア山で倒れているのを見つけた。
31:9 彼らはサウルの首を切り、彼の武具をはぎ取った。そして、ペリシテ人の地の隅々にまで人を送り、彼らの偶像の宮と民とに告げ知らせた。
31:10 彼らはサウルの武具をアシュタロテの神殿に奉納し、彼の死体はベテ・シャンの城壁にさらした。
31:11 ヤベシュ・ギルアデの住民は、ペリシテ人がサウルに行った仕打ちを聞いた。
31:12 そこで勇士たちはみな立ち上がり、夜通し歩いて行き、サウルの死体と息子たちの死体をベテ・シャンの城壁から取り下ろし、ヤベシュに帰って来て、そこでそれらを焼いた。
31:13 彼らはその骨を取って、ヤベシュにあるタマリスクの木の下に葬り、七日間、断食した。
 2023年3月31日(金)リビングライフQT


イスラエルの悲惨な敗北と、サウルとその子ヨナタンはじめ、息子達全て、正に神の加護のないまま、非業な、最期だった。ヨナタンまでも、その中に捲き込まれたのは、悲しいばかりです。
ヨナタンの死は、神に従わなかった父サウルに、最後まで従いながらも、父サウルの神への立ち返りを願っての、殉職だったと言えないでしょうか。悲しい最期ですね。
サウルの軍は、ユダの地から遥かに北方まで追われ、キルボア山で自害し生き残りの側近達も、最期を迎えた。ペリシテは王をはじめ息子達の遺体を偶像の前で辱しめ、遺体を晒し者にした。
神に背き、神の御手を逃れた彼らは、偶像の欲しいままに扱われ、
神に背く者の典型として、記録されたのです。
サウルの生涯に学ぶ最大の課題は、“悔い改め”なのです。
あの謙虚で、好青年のサウルを、此のように追い込んだのは、嫉妬と、悔い改めを失った、一人の人間の末路なのです。
悔い改めは、福音の背後にある、最重要な警告なのです。
毎日の過ぎ行く時の流れの中で、常に“悔い改め”の、道標の前で主の前にひざまづきましょう。その先には主の臨在の光が見えるのです‼️🎶アーメン🎵
 第一サムエル30章16節~31節

30:16 彼はダビデを案内して行った。すると、なんと、アマレク人たちはその地いっぱいに散って食べたり飲んだりし、お祭り騒ぎをしていた。彼らがペリシテ人の地やユダの地から奪った分捕り物が、とても多かったからである。
30:17 ダビデは、その夕暮れから次の夕方まで彼らを討った。らくだに乗って逃げた四百人の若者たちのほかは、一人も逃れることができなかった。
30:18 ダビデは、アマレクが奪い取ったものをすべて取り戻した。ダビデは、二人の妻も救い出した。
30:19 子どもも大人も、息子たちも娘たちも、分捕られた物も、彼らが奪われたものは、何一つ失われなかった。ダビデは、これらすべてを取り返した。
30:20 ダビデはまた、すべての羊と牛を奪った。兵たちは家畜の先に立って導き、「これはダビデの戦勝品だ」と言った。
30:21 ダビデは、疲れてダビデについて来ることができずにベソル川のほとりにとどまっていた二百人の者のところに来た。彼らは、ダビデと彼に従った者たちを迎えに出て来た。ダビデは、この人たちに近づいて彼らの安否を尋ねた。
30:22 ダビデと一緒に行った者たちのうち、意地の悪い、よこしまな者たちがみな、口々に言った。「彼らは一緒に行かなかったのだから、われわれが取り戻した分捕り物は、分けてやるわけにはいかない。ただ、それぞれ自分の妻と子どもを連れて行くがよい。」
30:23 ダビデは言った。「兄弟たちよ。【主】が私たちに下さった物を、そのようにしてはならない。主が私たちを守り、私たちを襲った略奪隊を私たちの手に渡されたのだ。
30:24 だれが、このことについて、あなたがたの言うことを聞くだろうか。戦いに下って行った者への分け前も、荷物のそばにとどまっていた者への分け前も同じだ。ともに同じく分け合わなければならない。」
30:25 その日以来、ダビデはこれをイスラエルの掟とし、定めとした。今日もそうである。
30:26 ダビデはツィクラグに帰って来て、友人であるユダの長老たちに戦勝品の一部を送って言った。「これはあなたがたへの贈り物で、【主】の敵からの戦勝品の一部です。」
30:27 その送り先は、ベテルの人々、ラモテ・ネゲブの人々、ヤティルの人々、
30:28 アロエルの人々、シフモテの人々、エシュテモアの人々、
30:29 ラカルの人々、エラフメエル人の町々の人々、ケニ人の町々の人々、
30:30 ホルマの人々、ボル・アシャンの人々、アタクの人々、
30:31 ヘブロンの人々、すなわち、ダビデとその部下がさまよい歩いたすべての場所の人々であった。
 2023年3月30日(木)リビングライフQT

ダビデは、今回のアマレクへの追撃にも、神に問い掛け、その答えを、追撃の後ろ楯として、兵を挙げたのです。
アマレクのやり口のあまりの卑劣さに、怒りを発しようとすることが多く、しばしば失敗するのです。ダビデの
先ず、主に問う‼️
という・・これこそが彼のルーティーンだと言えましょう。イヤ‼️それ以上に、この姿勢こそが、ダビデの霊的なアイデンティティーなのです。
神の導きを第一にしたダビデにとって、次に展開した事は、進軍に際して、途中で体力がついて行けなかった者にも同じ分配を行った事‼️
神の前に真実に歩み、すべてに勝利をもたらす“勇者・将”ダビデへの、抜群の信頼と尊敬はそのままイスラエルの規範として、歴史に引き継がれて行ったのです。
なんという信仰・神への徹底した信頼でしょう。また、この姿勢は、更に、戦利品を、ダビデを密かに支援して、旅先(逃亡先)で、ダビデ一行を密かに支えたに人々にも送ったのです。
この姿勢がやがてイスラエルが統一される時の、一致となって、ダビデ王国の強力な、力となるのです。
目先の喜びや、感動に流されずに、私達の生涯は、神の国、建設にあるのですから、神の与えられるご計画に沿って、主にある一致を、大切にしたいですね🎵
教会の中で、家庭の中で・・・アーメン
 第一サムエル30章1節~15節

30:1 ダビデとその部下が三日目にツィクラグに帰ったとき、アマレク人はすでに、ネゲブとツィクラグを襲っていた。彼らはツィクラグを攻撃して、これを火で焼き払い、
30:2 そこにいた女たちを、子どもも大人もみな捕らえ、一人も殺さず、自分たちのところへと連れ去っていた。
30:3 ダビデとその部下が町に着いたとき、なんと、町は火で焼かれていて、彼らの妻も息子も娘も連れ去られていた。
30:4 ダビデも、彼と一緒にいた兵たちも、声をあげて泣き、ついには泣く力もなくなった。
30:5 ダビデの二人の妻、イズレエル人アヒノアムも、ナバルの妻であったカルメル人アビガイルも連れ去られていた。
30:6 ダビデは大変な苦境に立たされた。兵がみな、自分たちの息子、娘たちのことで心を悩ませ、ダビデを石で打ち殺そうと言い出したからだった。しかし、ダビデは自分の神、【主】によって奮い立った。
30:7 ダビデは、アヒメレクの子、祭司エブヤタルに言った。「エポデを持って来なさい。」エブヤタルはエポデをダビデのところに持って来た。
30:8 ダビデは【主】に伺った。「あの略奪隊を追うべきでしょうか。追いつけるでしょうか。」すると、お答えになった。「追え。必ず追いつくことができる。必ず救い出すことができる。」
30:9 ダビデは六百人の部下とともに出て行き、ベソル川まで来た。残ることになった者は、そこにとどまった。
30:10 ダビデと四百人の者は追撃を続け、疲れきってベソル川を渡れなかった二百人の者が、そこにとどまった。
30:11 兵たちは野で一人のエジプト人を見つけ、ダビデのところに連れて来た。彼らは彼にパンをやって、食べさせ、水も飲ませた。
30:12 さらに、ひとかたまりの干しいちじくと、二房の干しぶどうをやると、そのエジプト人はそれを食べて元気を回復した。彼は三日三晩、パンも食べず、水も飲んでいなかったのである。
30:13 ダビデは彼に言った。「おまえはだれのものか。どこから来たのか。」すると答えた。「私はエジプトの若者で、アマレク人の奴隷です。私が三日前に病気になったので、主人は私を置き去りにしたのです。
30:14 私たちは、クレタ人のネゲブと、ユダに属する地と、カレブのネゲブを襲い、ツィクラグを火で焼き払いました。」
30:15 ダビデは彼に言った。「その略奪隊のところに案内できるか。」彼は言った。「私を殺さず、主人の手に私を渡さないと、神にかけて私に誓ってください。そうすれば、あの略奪隊のところに案内いたします。」
 2023年3月29日(水)リビングライフQT

ダビデ王朝の始まりの序曲‼️
当時ペリシテはカナンの地(パレスチナ)の海(地中海)沿いの平原の肥沃な地を支配し、イスラエルのヨシュアによるカナン侵入から、約400年を経ても未だカナンの地全域を、支配するには及ばなかったのです。そればかりか、少数の民の町々は、いち早くイスラエルに降伏し、ヤーウェ(創造主)神を信じる民となっていった。ただペリシテだけ、北方民族ヒッタイト(高度の文化をもつ民)の流れをくみ、特に鉄器文化をもち、鉄製の刀、戦車を保有する、強大な民でした。
ダビデ王国初期に至るまで、ペリシテはイスラエルの宿敵として、ペリシテとは、しばしば摩擦の原因となるのです。何故(はてな)・・・
その理由は、神の“摂理”なのです。
即ち、この歴史的経過の中で、不従順になりやすい、イスラエルの民に、徹底して神に従う道を教え諭すための、訓練の時だったのです。
やがて‼️イスラエルは国家として、民族として、創造主(ヤーウェ神)のみを信じる、人類唯一の正しい信仰の、先頭に立ち、その末から、救い主イエス・キリストを、この世に送るための、ベースとしての摂理的導きなのです‼️
しかし、今なお、支配権をもたず、逃避行の集団に甘んじるダビデの心中は・・・❓
信頼されたペリシテの王すら、今はダビデを守る事が出来ず、すごすご定住していたペリシテの町、ツィクラグに帰ってみると、町は焼き払われ、女性と子供はすべて連れ去られていた。廃墟となった町を見て、ダビデの軍は泣き伏した💧
ダビデへの信頼は、崩れ去るのです。ベリシテの戦場から約90kmを、強行軍で帰還した挙げ句の果て見た光景は、焼け落ちた街にくすぶる人の気配の無い廃墟でした。
現代の私たちには、ウクライナの途方にくれた人々の姿に同じ痛みを覚えますね😭
私も、1940年7月2日の、太平洋戦争の
関門大空襲で、防空壕に身を潜め、爆発音・焼夷弾の降下するヒュー・・という音と共に、辺りが急に昼間のように明るくなる。家々が焚き付けの薪のように燃え上がり、呻き声、叫び声、親を呼ぶ子供の泣き声、腹のそこから振り絞るような、親が子供を探し呼ぶ声、明け方しらみ始め、防空壕から出てみると!私達の住む家が、灰となってくすぶる姿に、呆然と家族で立ちすくんだときのことを、今朝の焼けたツィクラグの町に呆然と立つダビデの一行と、重ねていました。

人間はどうしてこんな愚かなことするのでしょう。
神を忘れた人間は、自分が、家族が、町が、国が生きるため、このようにして他を排除して自分の生きる場を勝ち取らねばならなくなるのです。
これは神を見失った人の性(さが=罪)なのです。
そのドン底で初めて人は、神(救い主イエス・キリスト)に出会うのです。そこから愛と赦しと、平和の世界が、その人の魂の中から築き上げられるのです。
ダビデは、サウルから逃れるとき、祭司エブヤタルも伴い、しばしば祈り、主なる神の前に魂を整え、蔡式のための諸道具も整えて、イスラエルのモーセ時代の、出エジプトの旅の様だったのです。
ダビデに、又一つの、光が届けられました。
アマレクから逃れたエジプト人がダビデの前に連れて来られたのです。
この様な些細な出来事が“摂理=神の見えなき導きなのです。
この様な導きに何時でも、立ち止まり、神の声を聴き、行動する・・・私達の信仰生活の姿もかくありたいですね🎵(*^。^*)
 第一サムエル29章1節~11節

29:1 ペリシテ人は全軍をアフェクに集結し、イスラエル人はイズレエルにある泉のほとりに陣を敷いた。
29:2 ペリシテ人の領主たちは、百人隊、千人隊を率いて進み、ダビデとその部下は、アキシュと一緒にその後に続いた。
29:3 ペリシテ人の首長たちは言った。「このヘブル人たちは、いったい何なのですか。」アキシュはペリシテ人の首長たちに言った。「確かにこれは、イスラエルの王サウルの家来ダビデであるが、この一、二年、私のところにいる。私のところに落ちのびて来てから今日まで、私は彼に何の過ちも見出していない。」
29:4 ペリシテ人の首長たちはアキシュに対して腹を立てた。ペリシテ人の首長たちは彼に言った。「この男を帰らせてほしい。あなたが指定した場所に帰し、私たちと一緒に戦いに行かせないでほしい。戦いの最中に、われわれに敵対する者となってはいけない。この男は、どのようにして自分の主君の好意を得るだろうか。ここにいる人たちの首を使わないだろうか。
29:5 この男は、皆が踊りながら、『サウルは千を討ち、ダビデは万を討った』と歌っていたダビデではないか。」
29:6 そこでアキシュはダビデを呼んで言った。「【主】は生きておられる。あなたは真っ直ぐな人だ。あなたには陣営で、私と行動をともにしてもらいたかった。あなたが私のところに来てから今日まで、あなたには何の悪いところも見つけなかったからだ。しかし、あの領主たちは、あなたを良いと思っていない。
29:7 だから今、穏やかに帰ってくれ。ペリシテ人の領主たちが気に入らないことはしないでくれ。」
29:8 ダビデはアキシュに言った。「私が何をしたというのですか。あなたに仕えた日から今日まで、しもべに何か過ちでも見出されたのですか。わが君、王様の敵と戦うために私が出陣できないとは。」
29:9 アキシュはダビデに答えて言った。「私は、あなたが神の使いのように正しいということをよく知っている。だが、ペリシテ人の首長たちが『彼はわれわれと一緒に戦いに行ってはならない』と言ったのだ。
29:10 さあ、一緒に来た自分の主君の家来たちと、明日の朝早く起きなさい。朝早く、明るくなり次第出発しなさい。」
29:11 ダビデとその部下は、翌朝早く、ペリシテ人の地へ帰って行った。ペリシテ人はイズレエルへ上って行った。
 2023年3月28日(火)リビングライフQT

大変難しい問題が持ち上がりましたね。
ダビデが、サウル王の執拗な探索(ダビデ追悼)に、身の振り方を見いだせず、宿敵に身を預けるようにして、一時を凌いできたのですが、今、自分の国が自らが逃れている、ペリシテの軍に攻められている。
ペリシテの王に味方すれば、同胞に弓を引くことになるし、かといって、イスラエルに合流することは今の立場ではできない。正に矛盾に満ちた中で、身を立てる場が完全に塞がれたのです‼️
アキシュ王は、やむを得ずダビデ軍一行を、戦線から遥か遠いペリシテの後背地へと、釘付けにしたのです。
ダビデの恩義に感じた、王への支援も、イスラエルへの密かな支援も叶わない立場に釘付けとなり、ただ戦線のなり行きの知らせに思いをいたす他ない、辛い立場におかれたのです。
これら全ての事は、神の歴史的導きの摂理の手であり、この様な複雑な配剤の事を、“摂理の手” と言うのです。
神の御手は、人の原理や、策略や、計画にも勝る、矛盾に満ちた歴史的絡みの中から、一条の光を照らし出されるのです。
それを“摂理”と言うのです。ここでの摂理はどの様な時のために備えられるのでしょう⁉️
それは、ダビデ王国の始まりのためなのです。単に“ダビデ”が哀れみに与って、生き延びるといった、個人の奇跡の出来事としてではなく、この歴史的ひとこまが、人類救済の歴史上最大の奇跡への扉が開かれる、一歩とされたのです。
今は見えて来ないのですが・・・・・

私達の人生の中でも、何故(何故)どうして(どうして)と、どんなに考えても、理屈に合わない、神の導きだとはどう考えても、あり得ない身に迫る危機の時も、静かに、真実を持って主を待ち望み、導きを忍耐深く待ち望みましょう‼️🎶
神の御手は、日常の中で、又、長い歴史経過の中で、一人の人生の経過の中で、働いています。主を待ち望みましょう、主は見ておられます‼️
 第一サムエル28章15節~25節

28:15 サムエルはサウルに言った。「なぜ、私を呼び出して、私を煩わすのか。」サウルは言った。「私は困りきっています。ペリシテ人が私を攻めて来るのに、神は私から去っておられます。預言者によっても、夢によっても、もう私に答えてくださらないのです。それで、私がどうすればよいか教えていただくために、あなたをお呼びしました。」
28:16 サムエルは言った。「なぜ、私に尋ねるのか。【主】はあなたから去り、あなたの敵になられたのに。
28:17 【主】は、私を通して告げられたとおりのことをなさったのだ。【主】は、あなたの手から王位をはぎ取って、あなたの友ダビデに与えられた。
28:18 あなたが【主】の御声に聞き従わず、主の燃える御怒りをもってアマレクを罰しなかったからだ。それゆえ、【主】は今日、このことをあなたにされたのだ。
28:19 【主】は、あなたと一緒にイスラエルをペリシテ人の手に渡される。明日、あなたもあなたの息子たちも、私と一緒になるだろう。【主】は、イスラエルの陣営をペリシテ人の手に渡されるのだ。」
28:20 すると、サウルはただちに地面に倒れて棒のようになり、サムエルのことばにおびえた。しかも、その日一昼夜、何も食べていなかったので、力は失せていた。
28:21 女はサウルのところに来て、サウルが非常におじ惑っているのを見て彼に言った。「あなたのはしためは、あなたが言われたことに聞き従いました。私はいのちをかけて、あなたが言われたことばに従いました。
28:22 今度はあなたが、このはしためが申し上げることをお聞きください。パンを少し差し上げます。それをお食べください。お帰りのとき、元気になられるでしょう。」
28:23 サウルはこれを断って、「食べたくない」と言った。しかし、彼の家来も女もしきりに勧めたので、サウルはその言うことを聞き入れて地面から立ち上がり、床の上に座った。
28:24 女の家に肥えた子牛がいたので、彼女は急いでそれを屠り、また、小麦粉を取って練り、種なしパンを焼いた。
28:25 それをサウルと家来たちの前に差し出すと、彼らは食べた。そしてその夜、彼らは立ち去った。
 2023年3月27日(月)リビングライフQT

サウルは、霊媒師によって、サムエルを呼び出してもらった。
死者の霊を呼び出す。これが霊媒師の仕事なのです。
よく考えてみましょう。死者の霊に関することは、最早人の成す業ではなく、神の領域のことなのです。けれど、この、命の領域(創造の世界)は、
神のみが握られた、神聖で絶対の領域です。その領域を、サタンが疑似再現して、人に深い興味と驚きと敬服とを抱かせて、神にのみ抱かせる信仰と敬意を、サタンが偽って奪ったのです。そこから聞かせられ、見せられる事象の全ては、まるで真実であるかの様に、人の心を奪い、神からの永遠の恵みを、奪い取るのです。
*当たるから真実なのではない。
*見つかるから、それが正しいのではない。
*治るから、本物なのではない。
*成功するから、正しく、真理なのではないのです。
サタンの万能(全能ではない)に、騙されないように心しましょう。
神に従わずに、自分の地位の安泰を守ろうとしたサウルの魂は、彼を選び、その選びを完成させようと彼を愛し導く、手を振りほどいて、駄々っ子のように、神から離れて滑る道に、最早神の導きの声は、拒絶され聞こえなくなっていたのです。
遂に、最も忌まわしい霊媒・降霊術に手を染めて、サムエルを呼び出したのです。
サムエルの言葉は、サウルの必死の求めとは裏腹に、彼の最後(滅亡)そればかりではなく、彼に委ねられたイスラエルさえも、存亡の危機に晒されるとの宣告だったのです。
サウルはここで生きたまま、死にさらされたのです。
あの、油注がれたときのサウルと、今、倒れて死んだ様になった惨めな姿のサウルとが、同じ人だとは思えない姿です。
最初の時のサウルは若者で、はつらつとした謙虚な好青年でした。
今は、金の刺繍や紫布に飾られた王衣をまとった、堂々たる体格の見た目には偉大な権威ある姿でした。
しかし、最早、脱け殻のサウルでした。
神に背いたものの末路の姿です。
地獄に行く前に、生きたままこの様な絶望のどん底にあえぐ姿、決して、サウルだけの姿ではないのです。
神を神とも思わないで生きてきた人の末路は、これに似た者となるでしょう。
それが、実は、人が“死”を怖がる隠れた霊的恐れではないでしょうか。
サウルの人生は何と惨めなものだったのでしょう😱
神様の声を聴き、何度も悔い改めて立ち直る時が用意されていました。即ちそれが神の愛であり、慈しみだったのです
こうして、人は神の愛を失ってきたのです。これが “罪” なのです。
今日のテキストのサウルの最後の惨めな姿の中に、私のかつての姿が二重写しに見えます。
しかし、その中から、今日あるのは、悔い改めて主に立ち返ったからなのです‼️
ただただ主の哀れみによるのです。
 ハレルヤ‼️🎵
   アーメン❗🎶
 第一サムエル28章1節~14節

28:1 そのころ、ペリシテ人はイスラエルと戦おうとして、軍隊を召集した。アキシュはダビデに言った。「承知してもらいたい。あなたと、あなたの部下は、私と一緒に出陣することになっている。」
28:2 ダビデはアキシュに言った。「では、しもべがどうするか、お分かりになるでしょう。」アキシュはダビデに言った。「では、あなたをいつまでも、私の護衛に任命しておこう。」
28:3 サムエルはすでに死に、全イスラエルは彼のために悼み悲しみ、彼を彼の町ラマに葬っていた。一方、サウルは国内から霊媒や口寄せを追い出していた。
28:4 ペリシテ人は集まって、シュネムに来て陣を敷いた。サウルは全イスラエルを召集して、ギルボアに陣を敷いた。
28:5 サウルはペリシテ人の陣営を見て恐れ、その心は激しく震えた。
28:6 サウルは【主】に伺ったが、【主】は、夢によっても、ウリムによっても、預言者によってもお答えにならなかった。
28:7 サウルは家来たちに言った。「霊媒をする女を探して来い。私が彼女のところに行って、彼女に尋ねてみよう。」家来たちはサウルに言った。「エン・ドルに霊媒をする女がいます。」
28:8 サウルは変装して身なりを変え、二人の部下を連れて行った。彼らは夜、女のところにやって来た。サウルは言った。「私のために霊媒によって占い、私のために、私が言う人を呼び出してもらいたい。」
28:9 女は彼に言った。「あなたは、サウルがこの国から霊媒や口寄せを断ち切ったことをご存じのはずです。それなのに、なぜ、私のいのちに罠をかけて、私を殺そうとするのですか。」
28:10 サウルは【主】にかけて彼女に誓って言った。「【主】は生きておられる。このことにより、あなたが咎を負うことは決してない。」
28:11 女は言った。「だれを呼び出しましょうか。」サウルは言った。「私のために、サムエルを呼び出してもらいたい。」
28:12 女はサムエルを見て大声で叫んだ。女はサウルに言った。「あなたはなぜ、私をだましたのですか。あなたはサウルですね。」
28:13 王は彼女に言った。「恐れることはない。何を見たのか。」女はサウルに言った。「神々しい方が地から上って来るのを見ました。」
28:14 サウルは彼女に尋ねた。「どのような姿をしておられるか。」彼女は言った。「年老いた方が上って来られます。外套を着ておられます。」サウルは、その人がサムエルであることが分かって、地にひれ伏し、拝した。
 2023年3月26日(日)リビングライフQT

イスラエルとペリシテとの戦いの雲行きが怪しくなって、ダビデの立場が危うい中、ペリシテの王アキシュは、
ダビデを自らの護衛隊として、起用します。
ダビデのペリシテ逃亡は、決してダビデの先行決断だったのではなく、影に神の摂理の手が動いていたのだと信じます。
一方、サウルは❗彼に油注いで王とした、大指導者サムエルの死によって、彼は後ろ楯を失い、その不安から自ら神に祈るのです。
悔い改めないサウルの祈りが、神に届くでしょうか。
祈りは捧げ物・功績・立場・・・などで神に届くものではないのです。神との清い関係、愛と信頼に繋がった関係の下で、成立するものです。
サウルは苛立ち、サムエルの死によって、気持ちの上で、サムエルへの弔意を表すために、国中の霊媒、口寄せを追放し、主なる神のみへの、信仰と祈りに統一したのです。
しかし、それは形だけにしか過ぎませんでした。
ですから、焦るサウルは、霊媒師のところに密かにいくのです。
その目的は、死んだサムエルの霊を呼び出して、今後を知ろうとしたのです。
全くおろかです。
今日、私たちの回りには、スマホと言う便利な道具を通して、運勢・性格判断・占い・・等が、溢れていますね。
又、気軽におみくじを通して、気休めにでしょうがクリスチャンまでもが、それを話題にする姿をしばしばみるのです。
恐るべし。まさに偶像そのものです。宗教的なものだけが、偶像ではないのです。
そう‼️パワースポット等は、正にこの類なのです。
気を付けて、主なる神にのみ祈り、このお方から出る福音と愛と命の福音にのみ、あなたの私の心と魂を、御捧げしましょう。
 第一サムエル27章1節~12節

27:1 ダビデは心の中で言った。「私はいつか、今にサウルの手によって滅ぼされるだろう。ペリシテ人の地に逃れるよりほかに道はない。そうすれば、サウルは、イスラエルの全領土内で私を捜すのをあきらめ、こうして私は彼の手から逃れられる。」
27:2 ダビデは、一緒にいた六百人の者を連れて、ガテの王マオクの子アキシュのところへ渡って行った。
27:3 ダビデとその部下たちは、それぞれ自分の家族とともに、ガテでアキシュのもとに住んだ。ダビデも、その二人の妻、イズレエル人アヒノアムと、ナバルの妻であったカルメル人アビガイルと一緒であった。
27:4 ダビデがガテへ逃げたことが、サウルに知らされると、サウルは二度と彼を追おうとはしなかった。
27:5 ダビデはアキシュに言った。「もし、私があなたのご好意を得ているなら、地方の町の一つの場所を私に下さい。そこに住みます。どうして、このしもべが王国の都に、あなたと一緒に住めるでしょう。」
27:6 その日、アキシュはツィクラグをダビデに与えた。それゆえ、ツィクラグは今日まで、ユダの王たちに属している。
27:7 ダビデがペリシテ人の地に住んでいた日数は一年四か月であった。
27:8 ダビデは部下とともに上って行って、ゲシュル人、ゲゼル人、アマレク人を襲った。彼らは昔から、シュルの方、エジプトの地に及ぶ地域に住んでいた。
27:9 ダビデはこれらの地方を討つと、男も女も生かしてはおかず、羊、牛、ろば、らくだ、また衣服などを奪って、アキシュのところに帰って来た。
27:10 アキシュが「今日は、どこを襲ったのか」と尋ねると、ダビデはいつも、ユダのネゲブとか、エラフメエル人のネゲブとか、ケニ人のネゲブとか答えていた。
27:11 ダビデは男も女も生かしておかず、ガテに一人も連れて来なかった。「彼らが『ダビデはこういうことをした』と言って、私たちのことを告げるといけない」と思ったからである。ダビデはペリシテ人の地に住んでいる間、いつも、このようなやり方をした。
27:12 アキシュはダビデを信用して、こう思っていた。「彼は自分の同胞イスラエル人に、とても憎まれるようなことをしている。彼はいつまでも私のしもべでいるだろう。」
 2023年3月25日(土)リビングライフQT

この度ダビデが避難したペリシテの町ガテは、先に、狂った振りをして難を逃れた、アキシュ王の王都の同じガテでした。
今回は正式に、保護を求めて入ったのです。アキシュ王は、ダビデを保護することによって、イスラエルのサウルとの対立に優位な材料となると願って、ダビデを厚遇し、一つの町を与えた。
ダビデはその町から出入りして、少数ながら手勢を率いて、かつて、モーセに導かれて、カナンの地に向けて、進んだ時に、その行く手をしばしば妨げた、宿敵砂漠の民に、将来、イスラエルが南の方面に進出するときに、妨げとなるので、これをこの機会に乗じて、征服していったのです。
アキシュ王には、親イスラエルの少数部族を征服した・・・と報告することで、王の信頼を厚くしたのです。
これらの部族は、激しい偶像信仰の種族で、やがてイスラエルの拡大するとき、信仰的妨げ(撹乱)となる事を予測しての、計画だったのです。
ダビデは決して負け犬となって、生き残りを掛けていたのではないのです。油注ぎを受けたときから、神への信頼と使命を心に秘めて、行動していたのです。サウルに追われていた時でさえも。
これがダビデの信仰でした。
ただ自分と神様との関係に生きるだけでなく、神のご計画の中で自分の生きる使命を、しっかりと見つめてそれを負い続けていたのです。
私達は、平安な人生を送るためだけに信仰に生きてはいないだろうか⁉️
主なる神が、私を選ばれたのは、神の国を建て挙げるために、家族に、職場に遣わされていることを、忘れてはなりませんね🎵
主よ❗私を用いてください‼️
 第一サムエル26章13節~25節

26:13 ダビデは向こう側へ渡って行き、遠く離れた山の頂上に立った。彼らの間には、大きな隔たりがあった。
26:14 ダビデは、兵たちとネルの子アブネルに呼びかけて言った。「アブネル、返事をしないのか。」アブネルは答えて言った。「王を呼びつけるおまえはだれだ。」
26:15 ダビデはアブネルに言った。「おまえは男ではないか。イスラエル中で、おまえに並ぶ者があるだろうか。おまえはなぜ、自分の主君である王を護衛していなかったのか。兵の一人が、おまえの主君である王を殺しに入り込んだのだ。
26:16 おまえのやったことは良くない。【主】に誓って言うが、おまえたちは死に値する。おまえたちの主君、【主】に油注がれた方を護衛していなかったのだから。今、王の枕もとにあった槍と水差しが、どこにあるか見てみよ。」
26:17 サウルはダビデの声と気づいて、言った。「わが子ダビデよ、これはおまえの声ではないか。」ダビデは答えた。「わが君、王様。私の声です。」
26:18 そして言った。「なぜ、わが君はこのしもべの後を追われるのですか。私が何をしたというのですか。私の手に、どんな悪があるというのですか。
26:19 わが君、王様。どうか今、しもべのことばを聞いてください。もし私に敵対するようあなたに誘いかけたのが【主】であれば、主がささげ物を受け入れられますように。しかし、それが人によるのであれば、その人たちが【主】の前でのろわれますように。彼らは今日、私を追い払って、【主】のゆずりの地にあずからせず、『行って、ほかの神々に仕えよ』と言っているからです。
26:20 どうか今、私の血が【主】の御顔から離れた地に流されることがありませんように。イスラエルの王が、山でしゃこを追うように、一匹の蚤を狙って出て来ておられるのですから。」
26:21 サウルは言った。「私が間違っていた。わが子ダビデよ、帰って来なさい。もう、おまえに害を加えない。今日、おまえが私のいのちを尊んでくれたのだから。本当に私は愚かなことをして、大変な間違いを犯した。」
26:22 ダビデは答えて言った。「さあ、ここに王の槍があります。これを取りに、若者の一人をよこしてください。
26:23 【主】は一人ひとりに、その人の正しさと真実に応じて報いてくださいます。【主】は今日、あなたを私の手に渡されましたが、私は、【主】に油注がれた方に、この手を下したくはありませんでした。
26:24 今日、私があなたのいのちを大切にしたように、【主】は私のいのちを大切にして、すべての苦難から私を救い出してくださいます。」
26:25 サウルはダビデに言った。「わが子ダビデよ、おまえに祝福があるように。おまえは多くのことをするだろうが、それはきっと成功する。」ダビデは自分の道を行き、サウルは自分のところへ帰って行った。
 2023年3月24日(金)リビングライフQT

ダビデのサウル王との、直接の対話。
ダビデのストレートで飾ることもなく、真実な言葉と、神への信仰に貫かれた、透明感のある言葉に、サウルの心は再び大きく揺らぎ、ダビデの真実に、心から悔いの思いを持ち、ダビデに祝福の言葉を語りますが、その言葉の中に、主なる神の御名が語られていないことを見ると、ダビデの神への信頼に生きる圧倒的姿に、言葉のごまかしが効かずに、25節の「わが子ダビデよ、おまえに祝福があるように。お前は多くのことをするだろうが、それはきっと成功する。」と、祝福を語って去ったのです。
サウルはなぜ変わることができなかったのでしょう(何故)
今日のリビングライフのエッセイに、とても大切なことが記されていたので、それを一部転載して、今日の、メッセージに代えます。
テキストをお持ちのかたは、ぜひテキスト本文をお読みください‼️

人間は、自らの力で変われる存在ではありません。神様が変えて下さるからこそ、変わることができる存在です。新しい人になった後のもっとも大きな変化は、霊的な目が開かれることです。今まで自分がしがみついていたものは空しいものと知り、新しい世界に対する目が開かれ始めます。そしてとてつもなく大きな実在《主なる神》を悟って、「あぁ、正にこれだったんだ。」と、告白するに至るのです。・・・・

ここから、主なる神を中心とした、新しい、力強い人生が始まるのです。
 第一サムエル26章1節~12節

26:1 ジフ人がギブアにいるサウルのところに来て言った。「ダビデはエシモンの東にあるハキラの丘に隠れているのではないでしょうか。」
26:2 サウルは立って、三千人のイスラエルの精鋭とともに、ジフの荒野へ下って行った。ジフの荒野でダビデを捜すためであった。
26:3 サウルは、エシモンの東にあるハキラの丘で、道の傍らに陣を敷いた。一方、ダビデは荒野にとどまっていた。ダビデは、サウルが自分を追って荒野に来たのを見て、
26:4 偵察を送り、サウルが確かに来たことを知った。
26:5 ダビデは立って、サウルが陣を敷いている場所にやって来た。そしてダビデは、サウルと、その軍の長ネルの子アブネルが寝ている場所を見つけた。サウルは幕営の中で寝ていて、兵たちは彼の周りに宿営していた。
26:6 ダビデは、ヒッタイト人アヒメレクと、ヨアブの兄弟で、ツェルヤの子アビシャイに言った。「だれか、私と一緒に陣営のサウルのところへ下って行く者はいないか。」アビシャイが答えた。「私が一緒に下って参ります。」
26:7 ダビデとアビシャイは夜、兵たちのところに来た。見ると、サウルは幕営の中で横になって寝ていて、彼の槍が、枕もとの地面に突き刺してあった。アブネルも兵たちも、その周りに眠っていた。
26:8 アビシャイはダビデに言った。「神は今日、あなたの敵をあなたの手に渡されました。どうか私に、槍で一気に彼を地面に突き刺させてください。二度することはしません。」
26:9 ダビデはアビシャイに言った。「殺してはならない。【主】に油注がれた方に手を下して、だれが罰を免れるだろうか。」
26:10 ダビデは言った。「【主】は生きておられる。【主】は必ず彼を打たれる。時が来て死ぬか、戦いに下ったときに滅びるかだ。
26:11 私が【主】に逆らって、【主】に油注がれた方に手を下すなど、絶対にあり得ないことだ。さあ、今は、枕もとにある槍と水差しを取って、ここから出て行こう。」
26:12 ダビデはサウルの枕もとの槍と水差しを取り、二人は立ち去ったが、だれ一人としてこれを見た者も、気づいた者も、目を覚ました者もいなかった。【主】が彼らを深い眠りに陥れられたので、みな眠り込んでいたのである。
 2023年3月23日(木曜)リビングライフQT

再び、サウルは、ダビデを追うために、軍を更に強化して、追跡と探索の行動に出ました。
人として感動したり、心に触れる経験をすると、感動のあまり、心洗われるような経験から、一見宗教的な深い心根(こころね)に、様々な確執(憎しみ・妬み・敵がい心・対立感情etc.)が、氷解した様な心となり、和解の心が生じるのです。
先のダビデとの和解がそれです。最早、サウルとの関係はあの時点で氷解したかのように思えますが、あの時点でのサウルの心が嘘だったのではないのですが、サウルが生まれ変わったのではなかったのです。何故なら、サウルは感動し、魂にまでも触れる経験でしたでしょう。
しかし、残念なことは、そこには、”悔い改め“がなかったのです。単純な感動に終わったのです。
ダビデへの“恐れ” “嫉妬” “憎しみ” を、悔いて和解し、捨て去ったわけではなかったのです。再び、サウルの闇は沸き上がってきたのです。
さて、ダビデは、サウルの宿営する場所が判明した時、
この場所から離れて危険を回避するのが普通ですが、ダビデは、有ることに、チャレンジすることにしました。サウルの軍団と、ダビデの集団は、多勢に無勢・・・そればかりか、ダビデの群れは、貧しさに強いたげられた世捨て人の集団でした。
彼らにこれ以上の、悲惨な思いを味わせたくないので、何とか、和解の道を探りたかったのかなぁ・・❓と、考えました。
ダビデは側近中の側近と話し合い、慎重派の数名を伴って、より密かにサウルの陣中(夜営)に近付いたのです。ダビデの供の者は、慎重派とは言え、所詮ダビデの真意を知る由もなかったのです。
サウルに伴われた軍団は、強い日差しの中の探索と行軍に疲れはてて眠り込み、サウルと側近の守備隊さえも、サウルと共に、全く深寝に入っていたのです。
側近のアビシャイは、『ご主人様、これこそ神の摂理の時です。勝利は我が物ではありませんか‼️』
実は、神の摂理の時‼️・・・と言う理解はダビデも同じでした。しかし、ダビデの信仰は、以前サウルの命を簡単に終わらせるチャンスがあった時と全く変わらないものでした。即ち、『神がたてた王を、どの様な理由があろうと、人が手を下してはならない❗』
王の側に突き立ててある槍と、水差しとだけを、そっと持ち去ったのです。
何と言う大胆な行動でしょう🎵
私が大胆だと言うのは、その恐ろしい程の接近もありますが、それ以上に、神に信頼して、サウルを生かし、サウルを信じる心とが・・大胆だ‼️と言うのです。
これは正に、信仰から出る信頼であり、神への絶対的信仰なのです。
信仰とは、可能性に掛ける心ではなく、全存在を神に委ねて信頼して捨て身で従う(委ねる)決断と行動なのです。
こうして、今私達は、3000年以上も前の一人の神を信じる孤独な王“ダビデ”を、通して《信仰とは》と言う課題を学んだのです。
何と言う悠久な学びでしょう。ハレルヤ‼️🎵
第一サムエル25章36節~44節

25:36 アビガイルがナバルのところに帰って来ると、ちょうどナバルは、自分の家で王の宴会のような宴会を開いていた。ナバルが上機嫌で、ひどく酔っていたので、アビガイルは明け方まで、何一つ彼に話さなかった。
25:37 朝になって、ナバルの酔いがさめたとき、妻がこれらの出来事を彼に告げると、彼は気を失って石のようになった。
25:38 十日ほどたって、【主】はナバルを打たれ、彼は死んだ。
25:39 ダビデはナバルが死んだことを聞いて言った。「【主】がほめたたえられますように。主は、私がナバルの手から受けた恥辱に対する私の訴えを取り上げ、このしもべが悪を行うのを引き止めてくださった。【主】はナバルの悪の報いをその頭上に返された。」ダビデは人を遣わして、アビガイルに自分の妻になるよう申し入れた。
25:40 ダビデのしもべたちはカルメルのアビガイルのところに来て、彼女に、「ダビデはあなたを妻として迎えるために私たちを遣わしました」と言った。
25:41 彼女はすぐに、地にひれ伏して礼をし、そして言った。「さあ。このはしためは、ご主人様のしもべたちの足を洗う女奴隷となりましょう。」
25:42 アビガイルは急いで用意をして、ろばに乗り、彼女の五人の侍女を後に従え、ダビデの使者たちの後に従って行った。彼女はダビデの妻となった。
25:43 ダビデはイズレエルの出であるアヒノアムを妻としていたので、二人ともダビデの妻となった。
25:44 サウルはダビデの妻であった自分の娘ミカルを、ガリム出身のライシュの子パルティに与えていた。
 2023年3月22日(水)リビングライフQT

ナバルの死は、あまりにも突然、あっけない最後でした。
アビガエルからダビデが、次の王となること、彼女が、ナバルに代わってダビデを支援したことを報告すると、ナバルは恐れのあまり気を失ってそのまま10日後に死んだ。
正に神の審判が下ったと言えましょう。
アビガエルの長い苦悩の人生に、神御自身が終止符を打たれたのでしょう。
と同時に、ダビデが勢い余って、(ナバルとその一統を幼子まで
一人残らず滅ぼす💢)と、言っていた。・・ダビデの行き過ぎを
、止められたのです。
主なる神は、悔い改めのない不義には、厳しい審判を持って、ご自身の聖さを著さます。
神はあなどられるお方ではないのです。
今も、この世界は、正しいお方が目を注いで、見ておられることを、忘れてはなりません。
神を畏れると言うことは、このお方の真実と愛の前に生きることなのです。
アブラハムに顕れた神が、言われた言葉は、今の私たちにも同じように語りかけられています。
(文語訳で)
 汝、我が前に歩みて、全たかれよ‼️
『あなたは、私の前を歩いて、完全でありなさい‼️
*あなたは、神である私の前(視野)から、隠れることなく、しっかり歩み続けなさい‼️
と、言う意味です。
今日も、新たに主の御目の、前に歩み続けましょう。
アビガエルを召して、妻に迎えるとのダビデの申し出に、
アビガエルは、妻としてではなく、僕として生涯仕えると、新たな人生の道へと立ち上がられたのです。
このくだりには、私欲や、幸運への喜びの興奮ではなく、真実真摯にへりくだった彼女の、麗しい輝きがにじんでいますね。主の前にへりくだった一人の美しい僕の香りが伝わって参りました‼️
こうして大きく荒れた事件が、ナバルに、ダビデに、アビガエルに・・・と言う風に、神の導き(アビガエル)と裁き(ナバル)と、厳しい教え(ダビデ)それぞれに、確かな導きと支配が及んでいることに、感動しながら、改めて、人生の(日々の営み)に起きてくるあらゆる事態に、主なる神のたしかなみちびきさがあることをさいかくにんし、如何なる時にも慌てずに、主に信頼し主を仰ぎ見て、祈り、主の導きに期待して待ち望みましょう。
 第一サムエル25章23節~35節

25:23 アビガイルはダビデを見ると、急いでろばから降り、ダビデの前で顔を伏せて地面にひれ伏した。
25:24 彼女はダビデの足もとにひれ伏して言った。「ご主人様、あの責めは私にあります。どうか、はしためが、じかに申し上げることをお許しください。このはしためのことばをお聞きください。
25:25 ご主人様、どうか、あのよこしまな者、ナバルのことなど気にかけないでください。あの者は名のとおりの男ですから。彼の名はナバルで、そのとおりの愚か者です。はしための私は、ご主人様がお遣わしになった若者たちに会ってはおりません。
25:26 ご主人様。今、【主】は生きておられます。あなたのたましいも生きておられます。【主】は、あなたが血を流しに行かれるのを止め、ご自分の手で復讐なさることを止められました。あなたの敵、ご主人様に対して害を加えようとする者どもが、ナバルのようになりますように。
25:27 今、はしためが、ご主人様に持って参りましたこの贈り物を、ご主人様につき従う若者たちにお与えください。
25:28 どうか、はしための背きをお赦しください。【主】は必ず、ご主人様のために、確かな家をお建てになるでしょう。ご主人様は【主】の戦いを戦っておられるのですから。あなたのうちには、一生の間、悪が見出されてはなりません。
25:29 人があなたを追って、いのちを狙おうとしても、ご主人様のいのちは、あなたの神、【主】によって、いのちの袋にしまわれています。あなたの敵のいのちは、主が石投げのくぼみに入れて投げつけられるでしょう。
25:30 【主】が、ご主人様について約束なさったすべての良いことをあなたに成し遂げ、あなたをイスラエルの君主に任じられたとき、
25:31 理由もなく血を流したり、ご主人様自身で復讐したりされたことが、つまずきとなり、ご主人様の心の妨げとなりませんように。【主】がご主人様を栄えさせてくださったら、このはしためを思い出してください。」
25:32 ダビデはアビガイルに言った。「イスラエルの神、【主】がほめたたえられますように。主は今日、あなたを送り、私に会わせてくださった。
25:33 あなたの判断がほめたたえられるように。また、あなたが、ほめたたえられるように。あなたは今日、私が人の血を流しに行き、私自身の手で復讐しようとするのをやめさせた。
25:34 イスラエルの神、【主】は生きておられる。主は私を引き止めて、あなたに害を加えさせなかった。もし、あなたが急いで私に会いに来なかったなら、きっと、明け方までにナバルには小童が一人も残らなかっただろう。」
25:35 ダビデはアビガイルの手から、彼女が持って来た物を受け取り、彼女に言った。「安心して、家へ上って行きなさい。見なさい。私はあなたの言うことを聞き、あなたの願いを受け入れた。」
 2023年3月21日(火)リビングライフQT

何と、感動的な、アビガエルとダビデの対話でしょう。
二人の間には、主御自身がおられ、血気にはやったダビデの心が、すっかり主の真実に生きるダビデに返っています。
特に、30節~31節のアビガエルの言葉は、社交辞令ではなく、ダビデが近い将来王となるべき方であると信じて、余計な負債を負わないように・・・との、この告白は、正に神による摂理の流れを、読み取る、霊的な豊かな資質を持っていることを示していますね。これ程の状況を読んだ妻を持つナバルは、何故あの様な暴言を、ダビデに浴びせたのでしょう。
同じ時代、同じ社会、同じ家庭・・に生活していても、その心(魂)が、主なる神と共にあるか・・或は、如何に目の前に日々展開する社会の流れに浸かっているかで、価値観・人生観・進む方向は、真反対にひらきが出てくるものですね。
今や、ダビデは、とんでもない無意味な戦いに手を染めるところでした。
しかし、アビガエルの真実な言葉、神の光を通した思いを語る言葉に、ダビデは幼い時から培われた、神への真実な信仰に、一人の求道者のごとく、心開かれ、『主は生きておられる。主は私をひき止めてあなたに(アビガエルの夫ナバルに)害を加えなかった。』と、告白している。
*大胆に進言する勇気ある信仰と
*心の目が覚めて、悔い改めて立ち返り、足を止める勇気ある信仰を・・・共に持つものとなりましょう。
人は間違いを犯しやすい者です。だから悔い改めに早い者・・・となるために、祈りの日々を積み重ねて休まないことを、改めて、日々に生かしたい‼️🎶
 第一サムエル25章14節~22節

25:14 ナバルの妻アビガイルに、若者の一人が告げて言った。「ダビデがご主人様に祝福のあいさつをするために、荒野から使者たちを遣わしたのに、ご主人様は彼らをののしりました。
25:15 あの人たちは私たちにとても良くしてくれたのです。私たちは恥をかかされたこともなく、野で一緒にいて行動をともにしていた間、何も失いませんでした。
25:16 一緒に羊を飼っている間は、夜も昼も、彼らは私たちのために防壁となってくれました。
25:17 今、あなたがどうすればよいか、よく考えてください。わざわいがご主人とその一家に及ぶことは、もう、はっきりしています。ご主人はよこしまな方ですから、だれも話しかけることができません。」
25:18 アビガイルは急いでパン二百個、ぶどう酒の皮袋二つ、料理した羊五匹、炒り麦五セア、干しぶどう百房、干しいちじく二百個を取って、これをろばに載せ、
25:19 自分の若者たちに言った。「私の先を進みなさい。あなたがたについて行くから。」ただ、彼女は夫ナバルには何も告げなかった。
25:20 アビガイルがろばに乗って山陰を下って行くと、ちょうど、ダビデとその部下が彼女の方に下って来るのに出会った。
25:21 ダビデは、こう言ったばかりであった。「荒野で、あの男のものをすべて守ってやったので、その財産は何一つ失われなかったが、それは全く無駄だった。あの男は善に代えて悪を返した。
25:22 もし私が明日の朝までに、あの男に属する者のうち小童一人でも残しておくなら、神がこのダビデを幾重にも罰せられるように。」
 2023年3月20日(月)リビングライフQT

19章3節に、ナバルの妻にアビガエルと言う、非常に懸命な妻がいる・・と、コメントが書かれていましたが、
今日のテキストに正にそのコメントが、証明されるように、行動する彼女の姿が記録されています。
何と行動力のある女性ですね。出来るから・・ではなく、御主人の悪を負うて、悔いと謝罪に向けて、直ちに行動するのは、神の前に歩む、アビガエルの真実な信仰の姿だと言えますね‼️
一方ダビデは、ナバル討伐に怒りを燃やして突き進んでいます。
いずれも、神の義から出た、行動ですが、私たち主を信じるものにとっては、このどちらにも、深い意味があることを、知らねばならないです。只、裁きは神のなさること❗
愛と真実が様々な事態に、光と正しい裁きが表されていくものです。ここに記録されるダビデの進軍は、少々、屈辱を味会わされたダビデの人間的(感情的)憤りが、底流にあるので、少々霊的には危険な賭けに近い、行動に見えます。
それに比べ、
アビガエルの、決断と行為は、実に冷静で、 主人のしでかしたとんでもない間違いに対して、御主人に代わって、赦しの取り成しと、国を二分する片方の陣営のダビデの軍団に、援助すると言う危険をはらんだ行為に、踏み出したのです。
この決断は、彼女の存在をかけた、決断であり、ご主人と国王サウルとを敵に回す、行動なのです。そして、この決断と行動は、イスラエルの神への、全霊を傾けた信仰の告白でもあったのです。
様々な危機に直面したとき、私たちはどの様な決断をするでしょうか。感情や経験や常識的流れに沿って流されるか、それとも祈って・祈って‼️主のみ声を聞くまでに深めた、魂の中に主のみ声を求めるまでして、待ち望んで、決断するか・・・其れによって、次の展開が大きく変わるのです。
私たちは確かに、現実世界(社会)の中で、生きています。しかし、その現実の中に介在されているのは、聖霊なる神の働きなのです。毎日の祈りの中で、聖霊なる神の正しい導きを受けながら、勝利と平安な道を辿りましょう🎵
 第一サムエル 25章1節~13節

25:1 サムエルは死んだ。全イスラエルは集まって、彼のために悼み悲しみ、ラマにある彼の家に葬った。ダビデは立ってパランの荒野に下って行った。
25:2 マオンに一人の人がいた。カルメルで事業をしていて、非常に裕福で、羊三千匹、やぎ千匹を持っていた。彼はカルメルで羊の毛の刈り取りをしていた。
25:3 この人の名はナバルといい、妻の名はアビガイルといった。この女は賢明で姿が美しかったが、夫は頑迷で行状が悪かった。彼はカレブ人であった。
25:4 ダビデは、ナバルがその羊の毛を刈っていることを荒野で聞いた。
25:5 ダビデは十人の若者を遣わし、その若者たちに言った。「カルメルへ上って行ってナバルのところに着いたら、私の名で彼に安否を尋ね、
25:6 わが同胞に、こう言いなさい。『あなたに平安がありますように。あなたの家に平安がありますように。また、あなたのすべてのものに平安がありますように。
25:7 今、羊の毛を刈る者たちが、あなたのところにいるのを聞きました。あなたの羊飼いたちは、私たちと一緒にいましたが、彼らに恥をかかせたことはありませんでした。彼らがカルメルにいる間中、何かが失われることもありませんでした。
25:8 あなたの若者たちに尋ねてみてください。彼らはそう報告するでしょう。ですから、私の若者たちに親切にしてやってください。祝いの日に来たのですから。どうか、しもべたちと、あなたの子ダビデに、何かあなたの手もとにある物を与えてください。』」
25:9 ダビデの若者たちは行って、言われたとおりのことをダビデの名によってナバルに告げ、答えを待った。
25:10 ナバルはダビデの家来たちに答えて言った。「ダビデとは何者だ。エッサイの子とは何者だ。このごろは、主人のところから脱走する家来が多くなっている。
25:11 私のパンと水、それに羊の毛を刈り取る者たちのために屠った肉を取って、どこから来たかも分からない者どもに、くれてやらなければならないのか。」
25:12 ダビデの若者たちは、もと来た道を引き返し、戻って来て、これら一部始終をダビデに報告した。
25:13 ダビデは部下に「各自、自分の剣を帯びよ」と命じた。それで、みな剣を身に帯びた。ダビデも剣を帯びた。四百人ほどの者がダビデについて上って行き、二百人は荷物のところにとどまった。
 2023年3月19日(日)リビングライフQT

今や、ダビデの一団は、600人を越える大集団になっていました。彼らは、羊を飼いながら、各地を移動していたのです。
移動中の食料を調達することは、大変なことでした。そこで。大富豪であるナバルに、援助を求めたのです。
ダビデの名声はすでに、全イスラエルに響き渡っていました。
ダビデは決して、その名声をバックにして、乞うたのではなかったのです。
実はナバルの繁栄は、ダビデの地方守備の恩恵によるものだったのです。それで今は、少し助けてほしい‼️と、願い出たのです。
しかし、ナバルは、言葉汚くダビデを卑しめ、昂然と拒否し、罵ったのです。
ダビデは、この時、決して感情に走って、ナバルに怒りを燃やしたのではないのです。
ダビデは、今はこのような忍(しのび)の姿(集団)ですが、既に、神からの油注ぎを受けた、神の僕であるのです。
ナバルの罵りは、全能の神、イスラエルの神への、罵りだと受けたのです。ダビデの怒りは、神の怒りでもあるのです。
物語は更に展開するのですが、今日のテキストはここで閉じるので、このテキストの中から、私は、非常に強い迫りを受けました。
それは、ダビデの神様との関係です。
先ず、ナバルは一応イスラエルの民ですから、神への信仰を認識していました。そしてダビデの名声が、神による祝福だと分かっていました。
しかし、彼はその豊かさのゆえに、弱い者・虐いたげられている者・・・は、神の恵みから漏れた者、と言う考えでした。
ですから、今のダビデは、惨めな敗北者で、神の恵みとは無縁だ!と考えていたのです。
ナバルの態度は、神への挑戦でもあったのです。それがダビデの悲しみであり、怒りとなったのです。
この構図は正に、祭司長・律法学者たちと、神の御子イエス様との関係にも似た、あのイエス様の御受難の構図と同じなのです。
傲慢と言う罪は、(威張る・偉そうに振る舞う・自分を高くする・・・)程度に収まるものではなく、神に真っ向から対峙(対決)するものとなる、最も恐ろしい罪となるのです。
傲慢は、正しく見る眼を失うものです。傲慢と言う色が、自分の物は際立って見えるが、他の物は、薄く、ボンヤリと、価値が低く見えるのです。神の恵みや哀れみ、慈しみさえ、自らの努力や、力量が際立って見えるため、薄らいで見えるのです。
神の恵み・慈しみが際立って見える喜びを、信仰(神への信頼)を通して、知る心を持ちたいですね🎵
 第一サムエル24章16節~22節

24:16 ダビデがこれらのことばをサウルに語り終えたとき、サウルは「これはおまえの声なのか。わが子ダビデよ」と言った。サウルは声をあげて泣いた。
24:17 そしてダビデに言った。「おまえは私より正しい。私に良くしてくれたのに、私はおまえに悪い仕打ちをした。
24:18 私に良いことをしてくれたことを、今日、おまえは知らせてくれた。【主】が私をおまえの手に渡されたのに、私を殺さなかったのだから。
24:19 人が自分の敵を見つけたとき、その敵を無傷で去らせるだろうか。おまえが今日、私にしてくれたことの報いとして、【主】がおまえに幸いを与えられるように。
24:20 おまえが必ず王になり、おまえの手によってイスラエル王国が確立することを、私は今、確かに知った。
24:21 今、【主】にかけて私に誓ってくれ。私の後の子孫を断たず、私の名を父の家から消し去らないことを。」
24:22 ダビデはサウルに誓った。サウルは自分の家へ帰り、ダビデとその部下は要害へ上って行った。
 2023年3月18日(土)リビングライフQT

本心に立ち返ったサウル王‼️🎵
愛と真実は、どんな固い岩をも砕く‼️🎶
その典型的姿ですね🎵
ダビデの王権を認め、自ら服する姿勢を示したサウルの心は、決して一時の偽った演出ではないのです。
サウルの心はどんなに平安さを味わったことでしょう。私の胸は痛むほど感動に溢れています。
(たとい、この後再びサタンに捉えられて、憎しみの固まりになることが分かっていても💧・・・)
しばしの平安が両者の間を、まもったことでしょう。
20ー21節のサウルの言葉を見ると、サウルの心の内が見えましたね。
サウルの思いは最早完全なまでに、ダビデ側に、神の摂理が動いている事を認めているのです。
これがサウルと言う人(王)の本心なのです。
ではなぜ❓サウルはダビデを執拗に追うのでしょう。
私は、ふと、人の心には自らも解らない、もうひとつの価値観が存在し、正しい道は解っていながらも、自らの願望の方(それが正当ではないと解っていながらも)に、重心をかけては、主張し、そのために闘ってまでも突き進む、もう一人の自分がいる事に気付かないまま、突っ走って自らの魂までも、腐敗させてしまう何かが潜むのです。実はそれがサタンなのです。
祭壇(祈りと主への信仰の告白)のない生活には、知らない内に、サタンが侵入して、普通の考え(クリスチャンだから、正しいと思い込んで)自己主張が周りに対立を生むのです。
サウルはこの平安な感動に立ち返った心を、新しい方向へと舵取りしていたら!・・残念ながら・・😱
常に心して、私の魂は、神に創造された存在ですから、常に神に守られ、神の側に立つ者としての自分を、御言葉の絆を徹して、主なる神と繋がり続けて行きたいですね🎵
 第一サムエル24章1節~15節

24:1 サウルがペリシテ人を追うのをやめて帰って来たとき、「ダビデが今、エン・ゲディの荒野にいます」と言って、彼に告げる者がいた。
24:2 サウルは、イスラエル全体から三千人の精鋭を選り抜いて、エエリムの岩の東に、ダビデとその部下を捜しに出かけた。
24:3 道の傍らにある羊の群れの囲い場に来ると、そこに洞穴があった。サウルは用をたすために中に入った。そのとき、ダビデとその部下は、その洞穴の奥の方に座っていた。
24:4 ダビデの部下はダビデに言った。「今日こそ、【主】があなた様に、『見よ、わたしはあなたの敵をあなたの手に渡す。彼をあなたの良いと思うようにせよ』と言われた、その日です。」ダビデは立ち上がり、サウルの上着の裾を、こっそり切り取った。
24:5 後になってダビデは、サウルの上着の裾を切り取ったことについて心を痛めた。
24:6 彼は部下に言った。「私が【主】に逆らって、【主】に油注がれた方、私の主君に対して、そのようなことをして手を下すなど、絶対にあり得ないことだ。彼は【主】に油注がれた方なのだから。」
24:7 ダビデはこのことで部下を説き伏せ、彼らがサウルに襲いかかるのを許さなかった。サウルは、洞穴から出て道を歩いて行った。
24:8 ダビデも洞穴から出て行き、サウルのうしろから呼びかけ、「王よ」と言った。サウルがうしろを振り向くと、ダビデは地にひれ伏して、礼をした。
24:9 そしてダビデはサウルに言った。「なぜ、『ダビデがあなたに害を加えようとしている』と言う人のことばに、耳を傾けられるのですか。
24:10 今日、【主】が洞穴で私の手にあなたをお渡しになったのを、あなたの目はご覧になったのです。ある者はあなたを殺すようにと言ったのですが、私は、あなたのことを思って、『私の主君に手を下すことはしない。あの方は【主】に油注がれた方だから』と言いました。
24:11 わが父よ。どうか、私の手にあるあなたの上着の裾をよくご覧ください。あなたの上着の裾を切り取りましたが、あなたを殺しはしませんでした。それによって、私の手に悪も背きもないことを、お分かりください。あなたに罪を犯していないのに、あなたは私のいのちを取ろうと狙っておられるのです。
24:12 どうか、【主】が私とあなたの間をさばき、【主】が私のために、あなたに報いられますように。しかし、私はあなたを手にかけることはいたしません。
24:13 昔のことわざに『悪は悪者から出る』と言います。私はあなたを手にかけることはいたしません。
24:14 イスラエルの王はだれを追って出て来られたのですか。だれを追いかけておられるのですか。死んだ犬の後でしょうか。一匹の蚤の後でしょうか。
24:15 どうか【主】が、さばき人となって私とあなたの間をさばき、私の訴えを取り上げて擁護し、正しいさばきであなたの手から私を救ってくださいますように。」
 2023年3月17日(金)リビングライフQT

客観的に見れば、この状況は、千載一遇・・・と言った言葉が、最も当てはまるような最適な状況だったと言えますね。
私達はともすると、自分に都合のよい状況が開かれると、“神様の恵みの時だ❗”と、勝手に解釈しがちですが、ダビデの部下たちも、「これは神様のご配慮だ‼️」と、サウルを殺すことを暗に示唆したのです。
しかし、ダビデは・・柔らかな魂をもって、この場を深く見通し(恐らく魂の深いところで祈っていたのでしょう) 手を下さず、手を出すことも出来た・・・との証拠として、衣の裾を少し切り取った‼️・・・ダビデは、その事すらも後悔している。何と、純粋な綺麗な心でしょう🎵
ダビデの、切々たるサウル王に対する忠誠と、真実とを語り、また、サウル王が、神が立てられた王であると証言して励まし、自分は僕であることを宣言までしたのです。
ダビデが如何に無私無欲であったか・・・
ダビデの内なる人柄は、人格性や、性格の良さや、自己訓練の行き届いた、完成度の高い人格だったのでしょうか・・・❓
それもないとは言えませんが、ダビデをダビデとして生かしていたのは、彼の全能なる神への完全な信頼と、神の愛に捉えられた、彼の人柄だった‼️🎶と、言うことでしょうね。
と、言うことは、神に愛されていることを信じる者ならば誰でもが持ち得る、愛と赦しと、献身の行動力なのです。
主なる神の側に立つ、恵みと力の人となれるのです。
ダビデの言葉は、サウルにはどの様に届いたのでしょう🎵
神の御業に期待し、注目しましょう‼️🎶
 第一サムエル23章15節~29節

23:15 ダビデは、サウルが自分のいのちを狙って、戦いに出て来たのを見た。そのとき、ダビデはジフの荒野のホレシュにいた。
23:16 サウルの息子ヨナタンは、ホレシュのダビデのところに行って、神によってダビデを力づけた。
23:17 彼はダビデに言った。「恐れることはありません。父サウルの手が、あなたの身に及ぶことはないからです。あなたこそ、イスラエルの王となり、私はあなたの次に立つ者となるでしょう。父サウルも、そうなることを確かに知っているのです。」
23:18 二人は【主】の前で契約を結んだ。ダビデはホレシュにとどまり、ヨナタンは自分の家に帰った。
23:19 ジフ人たちは、ギブアのサウルのところに上って行って、言った。「ダビデは私たちのところに隠れているのではありませんか。エシモンの南、ハキラの丘のホレシュにある要害に。
23:20 王よ。今、下って行こうとお思いでしたら、下って来てください。私たちが彼を王の手に引き渡します。」
23:21 サウルは言った。「【主】の祝福があなたがたにあるように。あなたがたが私のことを思ってくれたからだ。
23:22 さあ行って、さらに確かめてくれ。彼が足を運ぶ場所と、だれがそこで彼を見たかを、よく調べてくれ。彼は非常に悪賢いとの評判だから。
23:23 彼が潜んでいる隠れ場所をみな、よく調べて、確かな知らせを持って、ここに戻って来てくれ。そのとき、私はあなたがたと一緒に行く。彼がこの地にいるなら、ユダのすべての分団のうちから彼を捜し出す。」
23:24 彼らはサウルに先立ってジフへ行った。一方、ダビデとその部下は、エシモンの南のアラバにあるマオンの荒野にいた。
23:25 サウルとその部下はダビデを捜しに出て行った。このことがダビデに知らされたので、彼は岩場に下り、マオンの荒野にとどまった。サウルはこれを聞き、マオンの荒野でダビデを追った。
23:26 サウルは山の一方の側を進み、ダビデとその部下は山のもう一方の側を進んだ。ダビデは急いでサウルから逃れようとした。サウルとその部下が、ダビデとその部下を捕らえようと迫って来たとき、
23:27 一人の使者がサウルのもとに来て、「急いで来てください。ペリシテ人がこの国に襲いかかって来ました」と言った。
23:28 サウルはダビデを追うのをやめて帰り、ペリシテ人の方に向かった。こういうわけで、この場所は「仕切りの岩山」と呼ばれた。
23:29 ダビデはそこから上って行って、エン・ゲディの要害に住んだ。
 2023年3月16日(木)リビングライフQT

16節~18節のサウルの子ヨナタンのダビデへの密かな、しかし温かい思い遣りに満ちた、励ましは、どれ程ダビデの励ましと慰めとなったことでしょう‼️
特別な道が開かれた訳ではなく、新しい展開がもたらされたのでもないのですが、
ヨナタンの存在は、ダビデにとっては、どんなに大きな慰めとなっていたことでしょう。
ヨナタンの立場からは、限界のあるダビデとの交流でしたが、二人の間を流れる、愛と友情の流れは、どれ程大きな慰め、励ましとなったことでしょう‼️
立場の違いはあっても、この様な交流が生まれるのは、只一つ、主なる神への、真実な信仰と、神の御思いを深く知る、魂から生まれるのですね。
信仰と愛は、誰も・どの様な事態も、妨げるものはないのです。
正に、これが“聖徒”の交わりと言うのでしょう。この様な友を、しっかり持ちたいですね。
それに比べ、人々は、事の善悪が分からない・・・と言う現実もあるのかなぁ、とは思いながらも、サウルの側に立つ民の通報は、悲しいばかりの闇を見せられますね。
その様な中で、神はダビデを守り、お互い気がつかないまま、山並の両側を進軍し、気がつかないまま・・・やがて、ペリシテ軍の動向で、サウル側は戦列を離れた‼️
この様な経緯を見ても、神の御守りが、ダビデを確かに保護しているのがわかりますね。
私達の信仰生活でも、私たちにはわからないまま、神の御手は私達を守り、導き、覆って下さっているのです。
もっと、もっと、主に信頼しましょう🎵
そして、主の喜ばれる命の道を、しっかりと歩み続けましょう。
 第一サムエル23章1節~14節

23:1 「今、ペリシテ人がケイラを攻めて、打ち場を略奪しています」と言って、ダビデに告げる者がいた。
23:2 ダビデは【主】に伺って言った。「行って、このペリシテ人たちを討つべきでしょうか。」【主】はダビデに言われた。「行け。ペリシテ人を討ち、ケイラを救え。」
23:3 ダビデの部下は彼に言った。「ご覧のとおり、私たちは、ここユダにいてさえ恐れているのに、ケイラのペリシテ人の陣地に向かって行けるでしょうか。」
23:4 ダビデはもう一度、【主】に伺った。すると【主】は答えられた。「さあ、ケイラに下って行け。わたしがペリシテ人をあなたの手に渡すから。」
23:5 ダビデとその部下はケイラに行き、ペリシテ人と戦い、彼らの家畜を奪い返し、ペリシテ人を討って大損害を与えた。こうしてダビデはケイラの住民を救った。
23:6 アヒメレクの子エブヤタルは、ケイラのダビデのもとに逃げて来たとき、エポデを携えていた。
23:7 一方、ダビデがケイラに来たことがサウルに知らされると、サウルは、「神は彼を私の手に渡された。彼は扉とかんぬきのある町に入って、自分自身を閉じ込めてしまったのだから」と言った。
23:8 サウルは、ケイラへ下ってダビデとその部下を攻めて封じ込めるため、兵をみな召集した。
23:9 ダビデは、サウルが自分に害を加えようとしているのを知り、祭司エブヤタルに言った。「エポデを持って来なさい。」
23:10 そしてダビデは言った。「イスラエルの神、【主】よ。しもべは、サウルがケイラに来て、私のことで、この町を破壊しようとしていることを確かに聞きました。
23:11 ケイラの者たちは私を彼の手に引き渡すでしょうか。サウルは、しもべが聞いたとおり下って来るでしょうか。イスラエルの神、【主】よ。どうか、しもべにお告げください。」【主】は言われた。「彼は下って来る。」
23:12 ダビデは言った。「ケイラの者たちは、私と私の部下をサウルの手に引き渡すでしょうか。」【主】は言われた。「彼らは引き渡す。」
23:13 ダビデとその部下およそ六百人は立って、ケイラから出て行き、そこここと、さまよった。ダビデがケイラから逃れたことがサウルに告げられると、サウルは討伐をやめた。
23:14 ダビデは、荒野にある要害に宿ったり、ジフの荒野の山地に宿ったりした。サウルは、毎日ダビデを追い続けたが、神はダビデをサウルの手に渡されなかった。
 2023年3月15日(水)リビングライフQT

“エポデ”~祭司が、神に祈る(様々な御伺いをたてる)時、祭司服の上にかける胸当てのようなチョッキで前面には、12氏族に因んだ、12種の宝石(輝石)がはめ込まれている。その下にはポケットがあり、ウリムとトンミムと言う、二つの石が入っていて、神への問いかけの答えが二者択一である時、取り出した石によって、対応が決定される・・・と言うものでした。
ですからこのエポデと言う、神聖な道具は、祭司と共に戦場の最前線にあり、指揮官(しばしばそれが王である)と共にあった。
ダビデは、今日まで連戦連勝の将であったので、ダビデの勝敗への判断には誤りがないほど、戦場感覚は研ぎ澄まされてはいたでしょうが、ダビデは、事態に向けての判断を、その時その時、神に聞く‼️と言う信仰姿勢を崩さない姿に、深い感動を覚えますね。それは、
*過去の成功に溺れな*自信過剰に心奪われない
*自分は神の御手に導かれる、一人の僕だ。
と言う、信仰の告白をどこでも主の前に、告白し続ける、実に、謙虚な信仰姿勢だったのです。
今ここに、ケイラを侵略するペリシテ軍への闘いに対しての神への問いかけは、主の民ケイラ市民の救出ですから、ダビデの思いと、神の回答は一致しました。ですから勇気百倍、一気に決着しました。
ところが、闘いに疲れて一休み中のダビデの陣営に対して、サウルの進軍が始まり、二つの不利な要素が生じたのです。
①町は城壁に囲まれ、幾つかの門を押さえられれば、袋のネズミとなり、兵糧攻めなり、焼き討ち(住民と共に)の危険がある。いずれも、住民がその危険性を知り、ダビデを密かに捕らえる手に出る💢
事は明らかです。今、時を移さずに脱出を図らねば、運命を絶たれる💢‼️
戦略的には、闘うことは、自滅しかない事態です。
しかし、ダビデは、祭司の祈りに身を委ね、神よりの答えを待ったのです。
主なる神は、ダビデ一行も、町の住民も守るために、ケイラ脱出の示唆を与えられました。
そればかりではなく、町から出た、600人にもなるダビデの集団は、一体どの様に、日常(寝る場所・食料・水・・等)が、供給されたのでしょう⁉️
それに比べると、なんと私達は小さな事で、心配し、神様に苦情を言うことが多いのでしょう。
あらためて、私達の毎日の生活は、主なる神の御手に支えられる、日々であるにも関わらず、日常の祈りになんと欠けるものでしょう😵
ダビデの勝利の人生は、主なる神への完全な信頼と、神に聞く祈りの積み重ねだったのです。
さらに祈りと信仰の姿勢を深くされますように‼️
 第一サムエル22章11節~23節

22:11 王は人を遣わして、祭司アヒトブの子アヒメレクと、彼の父の家の者全員、すなわち、ノブにいる祭司たちを呼び寄せた。彼らはみな、王のところに来た。
22:12 サウルは言った。「聞け、アヒトブの子よ。」彼は答えた。「はい、王様。ここにおります。」
22:13 サウルは彼に言った。「おまえとエッサイの子は、なぜ私に謀反を企てるのか。おまえは彼にパンと剣を与え、彼のために神に伺い、そうして彼は今日のように私に逆らって待ち伏せしている。」
22:14 アヒメレクは王に答えて言った。「あなたの家来の中に、ダビデほど忠実な者が、だれかいるでしょうか。ダビデは王の婿であり、あなたの護衛兵の長であり、あなたの家で重んじられているではありませんか。
22:15 私が彼のために神に伺うのは、今日に始まったことでしょうか。決して、そんなことはありません。王様。このしもべや、父の家の者全員に汚名を着せないでください。あなたのしもべは、この事件について、いっさい知らないのですから。」
22:16 王は言った。「アヒメレク、おまえは必ず死ななければならない。おまえも、おまえの父の家の者全員もだ。」
22:17 王は、そばに立っていた近衛兵たちに言った。「近寄って、【主】の祭司たちを殺せ。彼らはダビデにくみし、ダビデが逃げているのを知りながら、それを私の耳に入れなかったからだ。」しかし王の家来たちは、【主】の祭司たちに手を下して討ちかかろうとはしなかった。
22:18 王はドエグに言った。「おまえが行って祭司たちに討ちかかれ。」そこでエドム人ドエグが行って、祭司たちに討ちかかった。その日彼は、亜麻布のエポデを着ていた人を八十五人殺した。
22:19 彼は祭司の町ノブを、男も女も、幼子も乳飲み子も、剣の刃で討った。牛もろばも羊も、剣の刃で。
22:20 アヒトブの子アヒメレクの息子のエブヤタルという名の人が、一人逃れてダビデのところに逃げて来た。
22:21 エブヤタルはダビデに、サウルが【主】の祭司たちを殺したことを告げた。
22:22 ダビデはエブヤタルに言った。「私はあの日、エドム人ドエグがあそこにいたので、彼がきっとサウルに知らせると思っていた。私が、あなたの父の家の者全員の死を引き起こしたのだ。
22:23 私と一緒にいなさい。恐れることはない。私のいのちを狙う者は、あなたのいのちを狙う。しかし私と一緒にいれば、あなたは安全だ。」
 2023年3月14日(火曜)リビングライフQT

あぁ😵何てむごい仕業
今や、サウルの心は、嫉妬と、憎悪の炎となってしまったのですね。
以前ダビデは、サウル王から逃げる途中に、立ち寄った祭司の“アビメレク”から、祭司しか食べてはならない祭壇から取り下げられたパンを、ダビデと供の者が、与えられて食べたこと、
また、ダビデがかつてあの勇者ゴリアテを打ち倒して、その首をとった❗ゴリアテの剣(神による勝利の証として、幕やに保管してあった)を、祭司はダビデに与えたのです。
それらのことを、エドム人ドエグが、サウル王に告発したのです。
それを知ったサウル王は、祭司のアビメレクと、その一族、幕屋に仕える奉仕者、更に幕屋の置かれた町“ノブ”の全住民を虐殺したのです。
これが王の権威であるかのように・・。
何と罪は、恐ろしい事態を招く事でしょう。
既に王であり国を治めてきた王“サウル”と、
神が次の王として定め、訓練されている“ダビデ”とは、何という違いでしょう。
ダビデはただ主なる神に信頼し、神に時々刻々従う日々を送り、
サウル王は、神の声に従わず、神の遣わされた祭司に対しても、自分の部下のように扱い、自らが神となって、最高位に座して、それを脅かすダビデを反逆者として、また、ダビデに荷担する者は誰でも、反逆者(サウルと言う“神”に謀反を起こす最悪の存在)として、抹殺するのです。
そこには善悪のけじめはないのです。何故ならサウル王が、最高位だから、“善”そのものだとの、確信にたつからです。
実に、これこそが“罪”の構造そのものです。
端的に言えば、神を神としない心は、自らが神となってしまうのです。
全能の神・世界の創造者なる神・・以外のものを神として信心すると、その信仰の対象が善の基準となり神となります。
主なる神を信じないところに罪が始まるのです。そこに罪意識は消え失せ、サウルのような行動も、独善的な“善”となって、彼の権威の衣となるのです。
魂の目覚めを祈り続けましょう。ただ主を神として、信頼し、そのお方の愛に包まれて、毎朝、毎時、主を、我が神として仰ぎ、このお方に従い、このお方“主なる神”を、我が主・我が神と崇め従いましょう。
私達の回りから、罪を消し去る働きに、祈りと信仰を注ぎ出しましょう‼️🎶
 第一サムエル22章1節~10節

22:1 ダビデはそこを去って、アドラムの洞穴に避難した。彼の兄弟たちや父の家の者はみな、これを聞いてダビデのところに下って来た。
22:2 そして、困窮している者、負債のある者、不満のある者たちもみな、彼のところに集まって来たので、ダビデは彼らの長となった。約四百人の者が彼とともにいるようになった。
22:3 ダビデはそこからモアブのミツパに行き、モアブの王に言った。「神が私にどのようなことをされるか分かるまで、どうか、父と母をあなたがたと一緒に住まわせてください。」
22:4 ダビデは両親をモアブの王の前に連れて来た。彼らは、ダビデが要害にいる間、王のもとに住んだ。
22:5 預言者ガドはダビデに言った。「この要害にとどまっていないで、さあ、ユダの地に帰りなさい。」それで、ダビデはそこを出て、ハレテの森へやって来た。
22:6 サウルは、ダビデおよび彼とともにいる者たちが見つかったことを聞いた。サウルはギブアにある高台のタマリスクの木の下で、槍を手にして座っていた。彼の家来たちはみな、彼のそばに立っていた。
22:7 サウルは、そばに立っている家来たちに言った。「聞け、ベニヤミン人。エッサイの子が、おまえたち全員に畑やぶどう畑をくれたり、おまえたち全員を千人隊の長、百人隊の長にしたりするだろうか。
22:8 それなのに、おまえたちはみな私に謀反を企てている。息子がエッサイの子と契約を結んでも、だれも私の耳に入れない。おまえたちのだれも、私のことを思って心を痛めることをせず、今日のように、息子が私のしもべを私に逆らわせて、待ち伏せさせても、私の耳に入れない。」
22:9 サウルの家来たちのそばに立っていたエドム人ドエグが答えて言った。「私は、エッサイの子が、ノブのアヒトブの子アヒメレクのところに来たのを見ました。
22:10 アヒメレクは彼のために【主】に伺って、彼に食糧を与え、ペリシテ人ゴリヤテの剣も与えました。」
 2023年3月13日(月)リビングライフQT

既存の王サウルと、既に神からの油注ぎを受けて、王となるべく、試練を受けるダビデとの、民の評価が次第に明らかになる。
民はサウルを離れ、兵士達でさえサウルについてはいるが、何時反乱を起こすか分からない。
ダビデはほぼ完全に、サウルからは敵と見なされ、家族一同を保護しなければならないほど、危機的な対立となったのです。ダビデは、家族をイスラエルとは友好関係にある、モアブ(死海の東側に拡がる地域)
かってモーセに率いられたイスラエルの民の通過を拒んだが、イスラエルは争わずに、通過している。その後、イスラエルの地に飢饉があった時、ベツレヘムに住む、エリメレクがモアブの地に避難し、その子がモアブの女性と結婚して、ダビデの祖父が生まれた。その様な経緯から、ダビデはモアブの地に逃れて、王に家族の保護を求めたのです。
一方逃避行ながら、ダビデのもとには、サウルの治世下では、虐げられ貧しく生活出来ない人々が、次第にダビデのもとに集まり、小さな群れとなり始めた。
主なる神のなさる歴史の流れは、決して順調ではなく、多くの困難、閉ざされる道、堂々巡りの無為な時の計画・・等。何故その様な無駄に見える道へと、導かれるのでしょうか。その理由は🎵
①神が選ばれた器(人)を、育て、育み、訓練して、神の用に足る器とするため、選んだ者とのより密つな関係を作り出すためなのです。
私達クリスチャン生活で、何故こんなに厳しい試練のなかを、通らねばならないのか(?)
しばしば悩むとき、思い出しましょう‼️
主なる神が私を整えようと、お取り扱いされているのだ‼️🎶と、思いだして下さい。
此の試練の先には、神のご計画になる、永遠の輝きのある道が備えられていることを、知ってください。
主よ❗感謝します。
 第一サムエル21章10節~15節

21:10 ダビデはその日、ただちにサウルから逃れ、ガテの王アキシュのところに来た。
21:11 アキシュの家来たちはアキシュに言った。「この人は、かの地の王ダビデではありませんか。皆が踊りながら、『サウルは千を討ち、ダビデは万を討った』と言って歌っていたのは、この人のことではありませんか。」
21:12 ダビデは、このことばを気にして、ガテの王アキシュを非常に恐れた。
21:13 ダビデは彼らの前でおかしくなったかのようにふるまい、捕らえられて気が変になったふりをした。彼は門の扉に傷をつけたり、ひげによだれを垂らしたりした。
21:14 アキシュは家来たちに言った。「おい、おまえたちも見ているように、この男は気がふれている。なぜ、私のところに連れて来たのか。
21:15 私のところに気がふれた者が不足しているとでもいうのか。私の前で気がふれているのを見せるために、この男を連れて来るとは。この男を私の家に入れようとでもいうのか。」
 2023年3月12日(日)リビングライフQT

今や、ダビデはイスラエルのサウルの支配下の町々には、安全なところがなくなったため、サウルが手を出せない、ペリシテの王の町、ガテに身を隠そうとして町に入った。
ところがダビデのペリシテとの勇猛な戦いぶりは、多くの民に知られ、ダビデの潜入が分かったので、最早ガテにも居場所がなくなった。ダビデは、緊急避難として、気が触れた狂人の振る舞いの様な姿を演じることによって、辛うじて敵の眼をごまかして、難を逃れたのです。
何と、痛々しい姿なのでしょう。しかし、此の経験は、次の展開の祝福に繋がる、きっかけとなるのですけれど
しかし、それは今の時点では❗考えられない、展開で・・・・
少人数での潜入だったし、武装した兵士のような姿ではなかったので、紛れ込めると読んだのか、ダビデの行動パターンのルーティーンだった《主に問いかける》と言う記録がないことは、少し気ががりなのです‼️
ダビデの危険な賭けは、一触即発な危機をはらんでいました。
そんな中から、辛うじて免れたのは、主の哀れみと言うしかないのですね。
此の短い今朝のテキストの中からは、主の道からの栄光の光を感じることが見いだせないのです。
私たちのクリスチャン生活はいかがですか。
祈りのない一日、砂を噛むような時の流れ、叫んでもコダマも返ってこないような、霊的枯渇・・・😢💦
常に主の臨在のある、祈りの祭壇を失わないようにしましょう。
 第一サムエル21章1節~9節

21:1 ダビデはノブの祭司アヒメレクのところに来た。アヒメレクは震えながら、ダビデを迎えて言った。「なぜ、お一人で、だれもお供がいないのですか。」
21:2 ダビデは祭司アヒメレクに言った。「王は、あることを命じて、『おまえを遣わし、おまえに命じたことについては、何も人に知らせてはならない』と私に言われました。若い者たちとは、しかじかの場所で落ち合うことにしています。
21:3 今、お手もとに何かあったら、パン五つでも、ある物を下さい。」
21:4 祭司はダビデに答えて言った。「手もとには、普通のパンはありません。ですが、もし若い者たちが女たちから身を遠ざけているなら、聖別されたパンはあります。」
21:5 ダビデは祭司に答えて言った。「実際、私が以前戦いに出て行ったときと同じように、女たちは私たちから遠ざけられています。若い者たちのからだは聖別されています。普通の旅でもそうですから、まして今日、彼らのからだは聖別されています。」
21:6 祭司は彼に、聖別されたパンを与えた。そこには、温かいパンと置き換えるために、その日【主】の前から取り下げられた、臨在のパンしかなかったからである。
21:7 ──その日、そこにはサウルのしもべの一人が【主】の前に引き止められていた。その名はドエグといい、エドム人で、サウルの牧者たちの長であった──
21:8 ダビデはアヒメレクに言った。「ここには、あなたの手もとに、槍か剣はありませんか。私は自分の剣も武器も持って来なかったのです。王の命令があまりに急だったので。」
21:9 祭司は言った。「ご覧ください。あなたがエラの谷で討ち取ったペリシテ人ゴリヤテの剣が、エポデのうしろに布に包んであります。よろしければ、持って行ってください。ここには、それしかありませんから。」ダビデは言った。「それにまさるものはありません。私に下さい。」
 2023年3月11日(土)リビングライフQT

いよいよ、ダビデの厳しい試練の時から、今日までの時の流れの中で、起こる物語ではなく、神が名もない少年ダビデを選ばれた、その陰にある永遠の人類の救いの御計画へと、結び付く、物語メッセージなのです。
今朝はその始まりに、
当時のサウルが拠点としていたキブアから、祭司アビメレクの住むノブの地は、わずか5km程しかないところで、ヨナタンと別れたダビデは、ほんの僅かな戦士達と、とにかくサウルの手から逃れるために、祭司のもとに助けと知恵を求めたのです。
非常に厳しい、モーセの律法や、幕屋の聖所の決まりにもかかわらず、祭司アビメルクは、ダビデと連れの従者たちに、聖別された祭司以外には食することの許されないパンを、与えたのです。
これは祭司自らも知るよしもなく、これから始まる、人類救済の歴史(メシヤの出現)、即ち、ダビデ王家の歴史の聖別を意味する、出来事としての、意味付けで、此の物語の始まりを、摂理的に開かれたのではないでしょうか。
更にダビデに、あのゴリアテ(神の御手によって、ダビデが倒した)の剣を、神が共に居られる‼️・・・と言う象徴として、与えられたのです。
此の、不条理にも見えるダビデの逃避行の物語は、こうして密かに、神の赦しに開かれた祝福と臨在に包まれて、始まるのです。困難な中を・不条理な中を・何故・どうして・・・と言う中を進むとき、実は、神の絶大な保護と赦しに包まれて、今日あるを得ていることを知るときがあります。
主を見上げて、歩み始め、歩み続けましょう🎵

今日は震災津波の日💧
家族を失われた方々の、💧は渇れない😭
どんなに想像してみても、その😭の源流にはたどり着けない。
主よ、そのなみだと新たな心の悼みの土台から、主の光を更に照らし、新たな希望と命の日々を、積み上げさせて下さい。
 第一サムエル20章35節~42節

20:35 朝になると、ヨナタンは小さい子どもを連れて、ダビデと打ち合わせた時刻に野に出て行った。
20:36 そして子どもに言った。「走って行って、私が射る矢を見つけておいで。」子どもが走って行くと、ヨナタンは、その子の向こうに矢を放った。
20:37 子どもがヨナタンの放った矢のところまで行くと、ヨナタンは子どものうしろから叫んだ。「矢は、おまえより、もっと向こうではないか。」
20:38 ヨナタンは子どものうしろから、また叫んだ。「早く。急げ。立ち止まってはいけない。」その子どもは矢を拾って、主人ヨナタンのところに来た。
20:39 子どもは何も知らず、ヨナタンとダビデだけに、その意味が分かっていた。
20:40 ヨナタンは自分の弓矢を子どもに渡し、「さあ、これを町に持って行っておくれ」と言った。
20:41 子どもが行くと、ダビデは南側から出て来て地にひれ伏し、三度礼をした。二人は口づけし、抱き合って泣いた。ダビデはいっそう激しく泣いた。
20:42 ヨナタンはダビデに言った。「安心して行ってください。私たち二人は、『【主】が、私とあなた、また、私の子孫とあなたの子孫との間の永遠の証人です』と言って、【主】の御名によって誓ったのです。」そして、ダビデは立ち去った。ヨナタンは町へ帰って行った。
 2023年3月10日(金)リビングライフQT

ヨナタンの切ないほどの、ダビデへの愛と友情💕は、人間の愛の極限の姿のものと写ります。
最早ヨナタンのダビデへの愛と友情は、自分の存在を燃やし、真っ暗な道筋を照らしながら、燃えつきていくのではないだろうか・・⁉️と、切ない程の、輝きを胸に迫られます‼️
私はこんなにまで人を愛したことがあっただろうか⁉️・・・と、思わず自問自答させられました。
イヤ‼️ “愛” とは、こう言うものなんだ‼️と言う声を聞いた感じがしました。
そして改めて、究極の愛“神の愛=十字架の贖いの愛”を、彷彿とさせられました。
形ばかり”赦し“、何かを帳消しにしてあげた・・等、利害関係の中で、譲歩が”愛“だと、勘違いして、満足したり、自己評価を上げたりして、満足する浅はかな自分の心の中を、見透かされる思いがします。”友“とは、こう言うものだ(ヨナタンの愛)・・と、深く学ばせられた思いです。
この様な友を持つことが出来たら❗
この様な友になることが出来たら‼️
人生、どんなに豊かな力に満ちたものとして、味わえるだろうか。
しかし、それは絶えず傷つき、危機の中を歩むことであり、決して平安なものではないでしょう。
しかし、そんな愛で愛されたい❗
そんな愛を表したい‼️
もっともっと、イエス様の十字架の愛に溶かされ、愛されて生きる恵みを味わいながら、その道に歩ませて頂きましょう。
主イエス様‼️今、新たにあなたの血潮を、頂きながら、あなたの愛に包まれている事を感謝します。
この”愛”に包まれて、愛を届ける証人とならせてください‼️
 第一サムエル20章24節~34節

20:24 ダビデは野に隠れた。新月祭になって、王は食事の席に着いた。
20:25 王は、いつものように自分の席、つまり壁寄りの席に着いた。ヨナタンはその向かい側、アブネルはサウルの横の席に着いたが、ダビデの席は空いていた。
20:26 しかし、その日、サウルは何も言わなかった。「思わぬことが起こって身を汚したのだろう。きっと汚れているためだろう」と思ったからであった。
20:27 しかし、その翌日、新月祭の二日目にも、ダビデの席は空いていた。サウルは息子のヨナタンに言った。「どうしてエッサイの子は、昨日も今日も食事に来なかったのか。」
20:28 ヨナタンはサウルに答えた。「ベツレヘムへ行かせてくれと、ダビデが私にしきりに頼みました。
20:29 『どうか、私を行かせてください。氏族の祝宴がその町であります。長兄が命じているのです。今、あなたのご好意を得ているなら、どうか私を行かせて、兄弟たちに会わせてください』と言ったのです。それで彼は王の食卓に来ていないのです。」
20:30 サウルはヨナタンに怒りを燃やして言った。「この邪悪な気まぐれ女の息子め。おまえがエッサイの子に肩入れし、自分を辱め、母親の裸の恥をさらしているのを、この私が知らないとでも思っているのか。
20:31 エッサイの子がこの地上に生きているかぎり、おまえも、おまえの王位も確立されないのだ。今、人を遣わして、あれを私のところに連れて来い。あれは死に値する。」
20:32 ヨナタンは父サウルに答えて言った。「なぜ、彼は殺されなければならないのですか。何をしたというのですか。」
20:33 すると、サウルは槍をヨナタンに投げつけて撃ち殺そうとした。それでヨナタンは、父がダビデを殺そうと決心しているのを知った。
20:34 ヨナタンは怒りに燃えて食卓から立ち上がり、新月祭の二日目には食事をとらなかった。父がダビデを侮辱したので、ダビデのために悲しんだからである。
 2023年3月9日(木)リビングライフQT

最後まで誠実に振る舞うヨナタンに対し、最早サウルは、感情むき出しに、殺意も隠す気配もなく語る辺り、最早猶予のない事態になっていることを、ヨナタンは悟るのです。
どんなに悲しい思いだったことでしょう。それが、自分の父親の言葉ですから、誰よりも傷つき、自らさえも、罪に蝕まれる思いで、
父サウルとやり取りするヨナタンの心中、察するに余りありますね😭
二人(ダビデと父サウル)の間に挟まれて、揺らぐ心の中から、正しい道を進もうとするヨナタンの心は、まさに勇士の道ですね🎵
心の狂った状態にある父親の振る舞いは、遂に我が息子ヨナタンにまで、殺意をむき出しにして、ヨナタンを槍で殺そうとした。
最早疑う余地もなく、また、此の歪んだ感情を、なだめる道も閉ざされたヨナタン😭
哀しみと絶望に、うちひしがれたヨナタンは、主なる神が残された路は只一つ、神が選ばれた友、ダビデの元へ向かうのです。
ヨナタンの人生行く末の路は、只一つ‼️
神の選びの道なのです。肉の情(父親・王としての特権の道)を断ち切って、神の選びへと舵を切ったのです。
異教の国日本で、どれ程多くの愛する兄弟姉妹が、あがない主イエス・キリスト様を信じる永遠の道へと進もうとしたため、家族(最も愛する関係にある)から別れて、永遠の選びの道へと歩み出されたことでしょう。どれ程辛い悲しいときだったでしょうね。此のラインを読まれる方の中にも、その時を思い出される方もあるでしょう。
私の神学校の同期生のの中に、僅かな着替えだけ持って、神学校に献身して来られた方がいました。
全寮制でしたので、寝る布団がなく、数日、私と一緒に、布団に入って寝たことを、思い出しました。
*此の方は非業な最後を遂げるサウルとは違い、兄弟もご両親も、長い年月掛かりましたが、全員主の恵みと永遠の命の恵みに預かって、喜びに満たされました‼️ハレルヤ🎵
 第一サムエル20:1節~11節

20:1 ダビデはラマのナヨテから逃げて、ヨナタンのもとに来て言った。「私があなたの父上の前に何をし、私にどんな咎があり、どんな罪があるというのですか。父上が私のいのちを求めておられるとは。」
20:2 ヨナタンは彼に言った。「とんでもないことです。あなたが死ぬはずはありません。父は、事の大小を問わず、私の耳に入れずに何かをするようなことはありません。どうして父が、このことを私に隠さなければならないでしょうか。そんなことはありません。」
20:3 ダビデはなおも誓って言った。「父上は、私があなたのご好意を受けていることを、よくご存じです。『ヨナタンが悲しまないように、このことを知らせないでおこう』と思っておられるのです。けれども、【主】は生きておられます。あなたのたましいも生きておられます。私と死の間には、ほんの一歩の隔たりしかありません。」
20:4 ヨナタンはダビデに言った。「あなたの言われることは、何でもあなたのためにします。」
20:5 ダビデはヨナタンに言った。「明日はちょうど新月祭で、私は王と一緒に食事の席に着かなければなりません。でも、私を行かせて、三日目の夕方まで、野に隠れさせてください。
20:6 もし、父上が私のことをとがめたら、おっしゃってください。『ダビデは自分の町ベツレヘムへ急いで行きたいと、しきりに頼みました。あそこで彼の氏族全体のために、年ごとのいけにえを献げることになっているからです』と。
20:7 もし父上が『良し』とおっしゃれば、あなたのしもべは安全です。もし激しくお怒りになれば、私に害を加える決心をしておられると思ってください。
20:8 どうか、このしもべに真実を尽くしてください。【主】に誓って、しもべと契約を結んでくださったのですから。もし私に咎があれば、あなたが私を殺してください。どうして父上のところにまで、私を連れ出す必要があるでしょうか。」
20:9 ヨナタンは言った。「とんでもないことです。父があなたに害を加える決心をしていることが確かに分かったら、あなたに知らせないでおくはずはありません。」
20:10 ダビデはヨナタンに言った。「もし父上が厳しい返事をなさったら、だれが私に知らせてくださいますか。」
20:11 ヨナタンはダビデに言った。「野に出ましょう。」それで、二人は野に出た。
 2023年3月7日(火)リビングライフQT

ダビデとヨナタンの友情物語の始まりです。
サウルのダビデに対する敵がい心は、二人の間では明らかであったが、二度もダビデを槍で殺そうとした事実は、玉座の間での事で、側近ですら知らないことでした。ですから、ダビデの言葉は、ヨナタンには即座に理解できなかったほどでした。
ダビデの、サウル王に対する態度(あの恐ろしい出来事は、極秘中の極秘として胸に納めていた)は、神がたてられた王ですから、どんなことがあっても、敵がい心を持たず、信頼と尊敬に心定めて、神のたてられた王に忠心だったのです。
それだけに、心痛めてヨナタンに相談したのです。
王の招く宴会の席で、不足の事態が起こっても、ダビデの死は、王に不忠を働いた💢💢💨と言うサウルの一言で片付けられたるだけでしょうから、
宴席を汚さないために、身を避ける策を練ったのです。
今までも、突発的な王の振る舞いで?
、その刃から守られたから、今回もそうであろう‼️・・・と言う信仰は、ダビデの中にはあったでしょう(???)
しかし、自分の命もさることながら、王の宴席が騒ぎになり、王に対する悪評がたてば、イスラエル王国が、危うくなる・・と言う、ダビデの深い愛国・ひいては神の建てられた、イスラエルの民が、回りの国々から蔑まれる事になる・・事への心配が、ダビデの胸中にあったのではないでしょうか。
ヨナタンは、純粋な親孝行な王子であった様ですネ。父親に対しても信頼を篤くしていた。ダビデにも無類の親しみと信頼を繋いでいたようです。
元々サウルは、優れた人格者でした。謙遜で知恵者であり、容姿も優れ、選びの器でした。そのサウルをこうした姿に落としたのは、“嫉妬”だったのです。
人の心は何と恐ろしいものですね😵
主の前に、常に心を、正しく、清く、愛に富ませましょう🎵
 第一サムエル19章18節~24節

19:18 ダビデは逃げて、難を逃れ、ラマのサムエルのところに来た。そしてサウルが自分にしたこと一切をサムエルに告げた。彼とサムエルは、ナヨテに行って住んだ。
19:19 するとサウルに「ダビデは、なんとラマのナヨテにいます」という知らせがあった。
19:20 サウルはダビデを捕らえようと、使者たちを遣わした。彼らは、預言者の一団が預言し、サムエルがその監督をする者として立っているのを見た。神の霊がサウルの使者たちに臨み、彼らもまた、預言した。
19:21 このことをサウルに告げる者がいたので、彼はほかの使者たちを遣わしたが、彼らもまた、預言した。サウルはさらに三度目の使者たちを遣わしたが、彼らもまた、預言した。
19:22 サウル自身もラマに来た。彼はセクにある大きな井戸まで来て、「サムエルとダビデはどこにいるか」と尋ねた。すると、「今、ラマのナヨテにいます」という答えが返ってきた。
19:23 サウルはそこへ、ラマのナヨテへ出て行った。彼にも神の霊が臨んだので、彼は預言しながら歩いて、ラマのナヨテまで来た。
19:24 彼もまた衣類を脱ぎ、サムエルの前で預言し、一昼夜、裸のまま倒れていた。このために、「サウルも預言者の一人なのか」と言われるようになった。
 2023年3月6日(月)リビングライフQT

サムエルは、苦境を訴える若者ダビデの訴えを聞き、サムエル自身も、何時もの場所を離れて、ラマの郊外の田舎ナヨテに、避難して住んだ。
今や、サウルは、ダビデが自分にとって、最大の敵(王位を奪うかもしれない・・・)となったと感じ、あからさまにダビデを亡き者にしようと、画策し始めるのです。
神は良き御方なのに、何故?此のようなことが起こるのでしょう。
*神は善なるお方だから、悪しき事をなさるはずがない💢・・・と考え勝ちです。
“歴史”と言うものは、単に、時間の経過の記録ではないのです。時間の経過の中で、何があり、何が起こり、どの様に経過してきたか・・・を観察して、その中から様々な時間が語るメッセージを読み取ることが“:歴史”だと、私は理解しています。
神ご自身が深く関わりながらも、人の悪は、その神のみ思いに反して、時間を、関係を、計画を妨げる姿を明らかにし、神は、新たに導きと介入をなさるのです。それが歴史となって、人は多くの事をそこから学びとるのです。ですから時間経過の中に動く神の手の業を、見出だすことに、心しましょう‼️🎶
サムエル記にはしばしば“預言者・預言者の一団・・・“と言う表現が出てきますが、それが何を指すものかは、いくつもの想定がなされますが、特に特定的な宗教的階層や、集団等、固定的立場があったようには思えません。
むしろ、御霊の働きによる神を賛美する”霊”により、回りに神の恵みを知らしめる、御霊の働きだったのでしょう。
この時(テキスト)の姿は、サウルの悪に支配された、邪悪に対して、神の御霊が勝利して、サウルさえも、神の手に包まれて、預言(賛美)をし、本来のダビデ攻略の目的が、忘れられたのです。
しかし、それがサウルの魂が浄められ、神につくものとなったのではない。
私達の今の信仰生活で、御霊に満たされて、賛美と祈りに導かれる経験をするのとは、違った状況なのです。
しかし、御霊が働かれるときには、罪人が悔い改め、罪から離れ、神の恵みの中へと入れられる時、私達は、主の霊に逆らってはなりません。直ちに主の前にひれ伏し、導かれるままに悔い改め、方向転換し、主の恵みの導きに、身を捧げて、時を移さず従いましょう。
御霊なる神(聖霊)
は、今も、必要とされる時には、あなたの内に住まわれます。
残念ですね😢 サウルに神の霊が触れて下さったのに、(この時は、サウルには、悔い改めの時だったのです) 彼は此の素晴らしい恵みの時を、掴み取らないまま、自らの利得に走り続けたのです。
私達の歴史の中に働かれる神の霊の、恵みの時を見失わないように、主を見上げて参りましょう‼️
 第一サムエル19章8節~17節

19:8 再び戦いが起こった。ダビデは出て行って、ペリシテ人と戦い、彼らを討って大損害を与えた。彼らはダビデの前から逃げた。
19:9 わざわいをもたらす、【主】の霊がサウルに臨んだ。サウルは自分の家で座っていて、手には槍を持っていた。ダビデは竪琴を手にして弾いていた。
19:10 サウルは槍でダビデを壁に突き刺そうとした。ダビデがサウルから身を避けたので、サウルは槍を壁に打ちつけた。ダビデは逃げ、その夜は難を逃れた。
19:11 サウルはダビデの家に使者たちを遣わし、彼を見張らせ、朝に彼を殺そうとした。ダビデの妻ミカルはダビデに告げた。「今夜、自分のいのちを救わなければ、明日、あなたは殺されてしまいます。」
19:12 そして、ミカルはダビデを窓から降ろし、彼は逃げて難を逃れた。
19:13 ミカルはテラフィムを取って、寝床の上に置き、やぎの毛で編んだものを頭のところに置き、それを衣服でおおった。
19:14 サウルはダビデを捕らえようと、使者たちを遣わした。ミカルは「あの人は病気です」と言った。
19:15 サウルはダビデを見定めるために、同じ使者たちを遣わして言った。「あれを寝床のまま、私のところに連れて来い。あれを殺すのだ。」
19:16 使者たちが入って見ると、なんと、テラフィムが寝床にあり、やぎの毛で編んだものが頭のところにあった。
19:17 サウルはミカルに言った。「なぜ、このようにして私をだまし、私の敵を逃がして、逃れさせたのか。」ミカルはサウルに言った。「あの人が、『逃がしてくれ。私がどうしておまえを殺せるだろうか』と私に言ったのです。」
 2023年3月5日(日曜)リビングライフQT

ダビデは、既に預言者サムエルから、選びの油注ぎを受けているのです。それはある意味で、サウルの後の王になるための、選びなのです。
正式な王位継承はないままですが、既にイスラエルの永続的王位継承者として、神の御手の中に、定められているのです。
そこまで理解してはいないまでも、神の御手は、その様に動いていることを感じているサウルは、何としても、今の地位を死守したいと、動くのです。
此の妨害はダビデにとっては、死をもたらす危機が、当然押し迫ることは、自他共に明白でした。前には息子のヨナタンが、今回は嫁(ヨナタンの妹)ミルカが、ダビデを死の危機から、守ってくれました。
どのような権威をもってしても、神のご計画を、破壊することはできません。
真実‼️神のご計画の元にあるならば、主に従っている限り、主なる神はあなたを通して、あらゆる危機の中にあっても・・・例え一触即発の状況であっも、神の選ばれた者には、守りがあります。信じ主の御手をあおぎましょう。
決して、愚痴や、弱音を吐くことや、逃げ腰になる必要はありません。あなたを護る方・選ばれた方は、全能の神、主なのですから‼️
私・力丸は、物心(10歳)ついてから、70年以上、病で死線をさ迷う程の重症状況4回・経済的行き詰まり何度あったでしょうか(はてな)
主の働きが終わるまで、主が“良し‼️”となさるまでは、生かされるでしょう🎵
恐れることはありません‼️ただ主に信頼して歩めば。
🎶ハレルヤ勝利‼️
 第一サムエル19章1節~7節

19:1 サウルは、ダビデを殺すと、息子ヨナタンやすべての家来に告げた。しかし、サウルの息子ヨナタンはダビデを非常に愛していた。
19:2 ヨナタンはダビデに告げた。「父サウルは、あなたを殺そうとしています。明日の朝は注意してください。隠れ場にとどまり、身を隠していてください。
19:3 私はあなたのいる野に出て行って、父のそばに立ち、あなたのことを父に話します。何か分かったら、あなたに知らせます。」
19:4 ヨナタンはダビデを弁護し、父サウルに言った。「王よ、しもべダビデのことで罪を犯さないでください。彼はあなたに対して罪を犯してはいません。むしろ、彼のしたことは、あなたにとって大きな益となっています。
19:5 彼が自分のいのちをかけてペリシテ人を討ったので、【主】は大きな勝利をイスラエル全体にもたらしてくださったのです。あなたはそれを見て喜ばれました。なぜ、何の理由もなくダビデを殺し、咎のない者の血を流して、罪ある者となられるのですか。」
19:6 サウルはヨナタンの言うことを聞き入れた。サウルは誓った。「【主】は生きておられる。あれは殺されることはない。」
19:7 ヨナタンはダビデを呼んで、このことすべてを告げた。ヨナタンがダビデをサウルのところに連れて来たので、ダビデは以前のようにサウルに仕えることになった。
 2023年3月4日(土曜)リビングライフQT

ヨナタンは、男兄弟がいなかったので、ダビデの存在は、まるで、兄弟(兄?弟?)が出来たような喜びがあったのでしょうね🎵 
父サウルとは違う綺麗な心の方のようですね🎵
彼の存在が、きっと、これからのダビデの試練の多い日々に、慰めの存在となるでしょう‼️🎶
私達にも、その様な友がいないでしょうか、気付かずにいるかも知れない中にも、きっとおられると思います。
勿論、先日もお伝えしましたが、“イエス様”に勝る友はないでしょう。、イエス様とは別に・・・
また、あなたが誰かの友となっているなら、その方はあなたの現実の友ですよ‼️
苛立ち荒れる心のサウルと、純粋に神からの慰めを届けるダビデの間に入って、繋ぎ役をする、ヨナタンの存在は、何と麗しい存在でしょう。
早速、ヨナタンは、父・サウルとダビデの間に入ってなだめ役をはたらき、ダビデは再び王の前に復帰します。
決裂した両者の間に入るのは、至難の役で、巧みな言葉や、方法ではなく、真実な愛のみが、結びの帯となるのですから、ヨナタンの働きは尋常ではなかったのでは・・・と、思いました。
信仰と思いとが一つになれる友❗(意見が違うこともありながら、心が一つ・・・と言うことです)
主に祈り求め、また自らも心開いて、待ち望み宝を得ましょう‼️🎶
 第一サムエル18章17節~30節

18:17 サウルはダビデに言った。「これは、私の上の娘メラブだ。これをおまえの妻として与えよう。ただ、私のために勇敢にふるまい、【主】の戦いを戦ってくれ。」サウルは、自分の手を下さないで、ペリシテ人に手を下させよう、と思ったのである。
18:18 ダビデはサウルに言った。「私は何者なのでしょう。私の家族、私の父の氏族もイスラエルでは何者なのでしょう。私が王の婿になるとは。」
18:19 ところが、サウルの娘メラブをダビデに与えるというときになって、彼女はメホラ人のアデリエルに妻として与えられた。
18:20 サウルの娘ミカルはダビデを愛していた。そのことがサウルに告げられた。そのことは、サウルの目には良いことに思えた。
18:21 サウルは、「ミカルを彼にやろう。ミカルは彼にとって罠となり、ペリシテ人の手が彼に下るだろう」と思った。そして、サウルはもう一度ダビデに言った。「今日こそ、おまえは婿になるのだ。」
18:22 サウルは家来たちに命じた。「ダビデにひそかにこう告げなさい。『ご覧ください。王はあなたが気に入り、家来たちもみな、あなたを愛しています。今、王の婿になってください。』」
18:23 サウルの家来たちは、このことばをダビデの耳に入れた。ダビデは言った。「王の婿になるのがたやすいことに見えるのか。私は貧しく、身分の低い者だ。」
18:24 サウルの家来たちは、ダビデがこのように言っています、と言ってサウルに報告した。
18:25 サウルは言った。「ダビデにこう言うがよい。王は花嫁料を望んではいない。ただ王の敵に復讐するため、ペリシテ人の陽の皮百だけを望んでいると。」サウルは、ダビデをペリシテ人の手で倒そうと考えていた。
18:26 サウルの家来たちはこのことばをダビデに告げた。王の婿になることは、ダビデの目には良いことに思えた。そこで、期限が過ぎる前に、
18:27 ダビデは立って、部下と出て行き、ペリシテ人二百人を討って、その陽の皮を持ち帰った。こうしてダビデは、王の婿になるために、王に対して約束を果たした。サウルは娘ミカルを妻としてダビデに与えた。
18:28 サウルは、【主】がダビデとともにおられ、サウルの娘ミカルがダビデを愛していることを見、また知った。
18:29 サウルは、ますますダビデを恐れた。サウルはずっと、ダビデの敵となった。
18:30 ペリシテ人の首長たちが出陣して来たが、彼らが出て来るたびに、ダビデはサウルの家来たちのすべてにまさる戦果をあげ、彼の名は大いに尊ばれた。
 2023年3月3日リビングライフQT

実に落ち着かないサウルの心、一方、王を尊敬し、特に側近として、王の権威の影に潜む妬み、不安、更に恐怖にまで、怯える思いを鎮めるために、王宮に上がるダビデを、私的に取り込もうと、愛娘との縁組みで、画策します。
サウルの、このテキストの流を見ていると、全く王としての適正を欠くほど、物事の良し悪しを見失っているようです。
それは、ダビデに愛娘を約束しながら、彼女を他の勇士に嫁がせる・・と言うひどい仕打ちをしたのです。
不安が高じて、最早懐柔では更に不安が募るので、今や、ダビデを亡き者にしようと、敢えて、先陣を取らせるような戦いへと送り出すのです。(25節~27節)
しかし王の仕掛けた名案は、反ってダビデの名声を不動のものとする結果となったのです。
ダビデの純粋な神への信仰は、王への偏見のない信頼となり、その行動は、全ての兵士の、人望の的となり、その結果は、民の安定した勝利の積み重ねとなったのです。
此のダビデの生きざま、主と共に歩む姿は、民の模範となり、神の守りの確かさを
、更に深く味わうのです。
サウルは、その様な中で、ますます真理から乖離し、人心をダビデへと引き付けて行くことを聖書は物語ります。
神の守りとは此のようなものでしょう‼️🎶
 第一サムエル18章10節~16節

18:10 その翌日、わざわいをもたらす、神の霊がサウルに激しく下り、彼は家の中で狂いわめいた。ダビデはいつものように竪琴を手にして弾いたが、サウルの手には槍があった。
18:11 サウルは槍を投げつけた。ダビデを壁に突き刺してやろうと思ったのである。ダビデはサウルの攻撃から二度も身をかわした。
18:12 サウルはダビデを恐れた。それは、【主】がダビデとともにおられ、サウルを離れ去られたからである。
18:13 サウルはダビデを自分のもとから離し、彼を千人隊の長にした。ダビデは兵の先に立って行動した。
18:14 【主】が彼とともにおられたので、ダビデは、行くところどこででも勝利を収めた。
18:15 彼が大勝利を収めるのを見て、サウルは彼を恐れた。
18:16 イスラエルもユダも、皆がダビデを愛した。彼が彼らの先に立って行動したからである。
 2023年3月2日(木曜)リビングライフQT

昨日に書くはずの一文追加‼️
*人生の最大の友を得るのは、大成功して、巨万の富を得るよりも、遥かに優れた成功です。
その友は、
 イエス・キリスト
   ハレルヤ‼️🎶
  主を信じる❗
     救われた‼️
と言うことは、主が人生最大の友となってくださったと言うことです。
信じる❗と言うことは、友として何時もそばに居て下さると言うことです。
お慕いしましょ❗
  信頼しましょ‼️
   相談しましょ🎵
 
今日のテキストへ
サウルの何と惨めな姿でしょう。
これは、主なる神が、サウルから離れた・・・と言うところから起こった、サウルの苛立ち、疲弊ではないのです。
何故なら、サウルはすでに自ら神の元を離れて、神に叛いた道に進んでいたのですから💢
彼の苛立ちは、ダビデが優れて成果を挙げ、民の心がダビデに向いていったからです‼️
言い換えれば、ヤッカミ・嫉妬心なのです。

皆さん❗気を付けましょう⁉️
嫉妬心は、最も、神の愛から遠い世界なのです。何かが、誰かが“羨ましく“心が乱れる時は、主の前に祈りましょう。そして、その方の祝福を祈り、友に喜んで挙げましょう‼️🎶💕ハレルヤ🎵(*^。^*)
神は、常に先頭に立って進んでいかれますから、主に信頼する者は、常に前を行かれるお方に目を注ぎながら、ダビデは進んだ(主を見失わない姿勢)のです。
16節~イスラエルもユダも、皆がダビデを愛した。彼が彼らの先頭に立って行動したからである。
しかし、彼の勇敢さがそうしたのではなく、ただ主なる神を見上げたから、先頭に立てたのです。
ダビデの前には何時も主の臨在があったのです‼️🎶ハレルヤ🎵
 第一サムエル18章1節~9節

18:1 ダビデがサウルと語り終えたとき、ヨナタンの心はダビデの心に結びついた。ヨナタンは、自分自身のようにダビデを愛した。
18:2 サウルはその日、ダビデを召しかかえ、父の家に帰らせなかった。
18:3 ヨナタンは、自分自身のようにダビデを愛したので、ダビデと契約を結んだ。
18:4 ヨナタンは着ていた上着を脱いで、それをダビデに与え、自分のよろいかぶと、さらに剣、弓、帯までも彼に与えた。
18:5 ダビデは、サウルが遣わすところどこへでも出て行き、勝利を収めた。サウルは彼を戦士たちの長とした。このことは、すべての兵たちにも、サウルの家来たちにも喜ばれた。
18:6 皆が戻り、ダビデがあのペリシテ人を討ち取って帰って来たとき、女たちは、イスラエルのすべての町から、タンバリンや三弦の琴をもって、喜びつつ、歌い踊りながら出て来て、サウル王を迎えた。
18:7 女たちは、笑いながら歌い交わした。「サウルは千を討ち、ダビデは万を討った。」
18:8 サウルは、このことばを聞いて激しく怒り、不機嫌になって言った。「ダビデには万と言い、私には千と言う。あれにないのは王位だけだ。」
18:9 その日以来、サウルはダビデに目をつけるようになった。
 2023年3月1日(水曜)リビングライフQT

ダビデの生涯の友。父親サウルの子ながら、サウルのような自己中心ではなく、ダビデの姿・態度をつぶさに見てきた中から、神の前に歩む真実な姿を観て、父親とたもとを分かった生き方をする、ヨナタン‼️
全面時にダビデを支える真の友となる‼️
一方サウルは、一時はダビデの存在が民を支える、大きな力となることに、きを良くしたのですが、民の目がダビデに向けられや、ダビデを疎ましく思い始めたねです。
ここに、こうしてサウルの心は、人からも主なる神からも離れて孤立する道へと、流れ始めたのです。💢
私達、罪を負う人間は、心を繋げて(和して)生きることの出来ない、文字通り“罪人の頭”なのです。
サウルの姿に、主なる神を真ん中に居ていただかない時の私もまた、簡単に主の御もとから離れる愚かさを、重ねてきた事を振り返り、主なる神の御側を離れる愚かさを、重ねないように、心しなければなりませんね。
あの、王となる前の、謙虚なサウルが、何時・どの様にして、このような嫉妬深く、荒れすさんだ心になったのでしょう⁉️
こうして、物語になった人の姿を見ると、何と愚かなことだろう‼️と、心痛むのですが、
自分の事となると、今ある自分の立場を守ろうとすることから、自分を中心に、価値観を据えてしまうのです。
全ての事は、主から出たこと、主か与えられた道、主が注がれた祝福・・・であることを忘れて、その祝福・立場・栄光を、自分のものとして保有し始めると、再現なくそれを手放さず、また、他が更なる祝福を得る時に、
主とに表さないだけで、心落ちつかず、神の祝福さえ、見えなくなるのです。そして再び神の忌み嫌う、罪の道へと流れ始めるのです‼️

北九州シオン教会

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