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力丸嗣夫師 リビングライフ LINE
          (新改訳聖書2017)
    

2022年度(月) 
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 10月31日(月曜日)
リビングライフQT
創世記 41:46~57

41:46 エジプトの王ファラオに仕えるようになったとき、ヨセフは三十歳であった。ヨセフはファラオのもとから出発して、エジプト全土を巡った。
41:47 さて、豊作の七年間に、地は豊かに実らせた。
41:48 ヨセフはエジプトの地で穫れた七年間の食糧をことごとく集め、その食糧を町々に蓄えた。町の周囲にある畑の食糧を、それぞれの町の中に蓄えたのである。
41:49 ヨセフは穀物を、海の砂のように非常に多く蓄え、量りきれなくなったので、ついに量るのをやめた。
41:50 飢饉の年が来る前に、ヨセフに二人の子が生まれた。オンの祭司ポティ・フェラの娘アセナテが産んだ子である。
41:51 ヨセフは長子をマナセと名づけた。「神が、私のすべての労苦と、私の父の家のすべてのことを忘れさせてくださった」からである。
41:52 また、二番目の子をエフライムと名づけた。「神が、私の苦しみの地で、私を実り多い者としてくださった」からである。
41:53 エジプトの地での豊作の七年が終わると、
41:54 ヨセフが言ったとおり、七年の飢饉が始まった。その飢饉はすべての国々に臨んだが、エジプト全土には食物があった。
41:55 やがて、エジプト全土が飢えると、その民はファラオに食物を求めて叫んだ。ファラオは全エジプトに言った。「ヨセフのもとに行き、ヨセフの言うとおりにせよ。」
41:56 飢饉は地の全面に及んだ。ヨセフはすべての穀物倉を開けて、エジプト人に売った。その飢饉はエジプトの地でもひどくなった。
41:57 全地は、穀物を買うためにエジプトのヨセフのところに来た。その飢饉が全地で厳しかったからである。

ヨセフがエジプトに売られたときは、20歳でした。それから、王の前に出るまで、10年過ぎたことになりますね。8年はポテファルの家令として仕え、二年間投獄されて、主を待ち望んだ。
30歳となったヨセフは、新たに神の使者として、エジプトを実質治める立場となったのです。
実は、この様な事態が展開するのには、ある歴史的隠れた流れがあるのです。
端的に言えば、元々エジプトは、アジア系の人種ではなく、宗教も文化も、エジプト独自の世界でした。所が古王朝末期に、アジア系のヒクソスが侵入して、古王朝の終わりとなったのです。
アブラハムがエジプトに食料危機のために避難した時期です。
このエジプトで、ヒクソスの王をおそれて、妻サライのことで、失敗しましたね。
アブラハムはこのヒクソスとの接点を、地元パレスティナに帰ってから、アビメレクの元でも、同じ失敗をしました。このアビメレクも、ヒクソスの民です。こうした親近感のある民であったことも、エジプト王ファラオに、信頼を受けた、隠れた歴史的理由でもあったのです。
後になりますが、数百年経過した頃、“ヨセフの事を知らない王が・・・”と言う記述が出てきて、イスラエルの民が出エジプトするのですが、それは、ヒクソスが弱体化し、遂にエジプトから追い出され、エジプト本来の王朝が復活する、新王朝となるのです。
この歴史の狭間こそ、神が歴史を動かされて、アブラハムの子孫保護のために、予め、民族の交代を、なさったさと思われるのです。
ヨセフの時代のファラオは、まさに、肌の色、言葉の訛り、感性等々、近親感がファラオの心を、動かしたと考えられます。
エジプトの古代史の中の、“中王朝”こせ、アブラハムに始まる、ヘブライ民族と縁戚関係にある、ヒクソスの民が、ヨセフに始まるヘブライ人の保護者として、250年近くエジプトで、アブラハムの子孫が育まれ、一大民族(ヘブライ=ユダヤ)として、生まれ保護され、拡大したのです。
神の為さることは何と壮大なことでしょう。
あなたとあなたの子孫の事も考えて、家族の救いのために祈りましょう‼️
 10月30日(日曜日)
リビングライフQT
創世記 41:37~45

41:37 このことは、ファラオとすべての家臣たちの心にかなった。
41:38 そこで、ファラオは家臣たちに言った。「神の霊が宿っているこのような人が、ほかに見つかるだろうか。」
41:39 ファラオはヨセフに言った。「神がこれらすべてのことをおまえに知らされたからには、おまえのように、さとくて知恵のある者は、ほかにはいない。
41:40 おまえが私の家を治めるがよい。私の民はみな、おまえの命令に従うであろう。私がまさっているのは王位だけだ。」
41:41 ファラオはさらにヨセフに言った。「さあ、私はおまえにエジプト全土を支配させよう。」
41:42 そこで、ファラオは自分の指輪を指から外してヨセフの指にはめ、亜麻布の衣服を着せ、その首に金の首飾りを掛けた。
41:43 そして、自分の第二の車に彼を乗せた。人々は彼の前で「ひざまずけ」と叫んだ。こうしてファラオは彼にエジプト全土を支配させた。
41:44 ファラオはヨセフに言った。「私はファラオだ。しかし、おまえの許しなくしては、エジプトの国中で、だれも何もすることができない。」
41:45 ファラオはヨセフにツァフェナテ・パネアハという名を与え、オンの祭司ポティ・フェラの娘アセナテを彼の妻として与えた。こうしてヨセフはエジプトの地を監督するようになった。

なんと言う転回‼️🎵
ヨセフの歩んだ過去が、厳しければ厳しいほど、この事態は、ヨセフの人生に、大きな影響を与えることでしょう。
今朝のテキストでは、ヨセフに関する記述は一切ないのですが、
実は、人の心は、この様な事態の展開に対して、様々な方向へと拡がっていくのです。
その方向は、これからの展開に、期待と主なる神の導きに、想いを向けて参りましょう。
ファラオの、この様な即断的な決定、家臣達の一糸乱れない同様の一致‼️
世界の歴史にこの様な展開を見た、記録が他に有るでしょうか(?)

正に私達は聖書を通して、“歴史は神が作られる‼️”と云う事実を、ここに見るのです。
『創世記』は、神が世界を御創りになられた・・・と言う、事実の記録のみではなく、まさに、世界の歴史の創造者であることの、記録なのです。
エジプトの歴史は、此のようにして、積み重なられ、その拡がりの中から、今朝の私が、あなたが“在る”のです。
ファラオを動かした神は、この時まで、ヨセフを導き❗️動かされ‼️てこられたのです。アーメン🎶
今朝、新たに、私は神の御手に動かされているでしょうか。
陶器士の手の中にある土塊の様に・・‼️
主よ❗️我が主よ‼️
 10月29日(土曜日)
リビングライフQT
創世記 41:17~36

41:17 それで、ファラオはヨセフに話した。「夢の中で、見ると、私はナイル川の岸に立っていた。
41:18 すると、ナイル川から、肉づきの良い、つやつやした雌牛が七頭上がって来て、葦の中で草をはんでいた。
41:19 すると、その後を追って、弱々しい、とても醜く痩せ細った別の雌牛が七頭、上がって来た。私は、このように醜い牛をエジプト全土でまだ見たことがない。
41:20 そして、この痩せた醜い雌牛が、先の肥えた七頭の雌牛を食い尽くしてしまった。
41:21 ところが、彼らを腹に入れても、腹に入ったのが分からないほど、その姿は初めと同じように醜かった。そのとき、私は目が覚めた。
41:22 また、夢の中で私は見た。見ると、一本の茎に、よく実った七つの穂が出て来た。
41:23 すると、その後を追って、貧弱で、しなびた、東風に焼けた七つの穂が出て来た。
41:24 そして、そのしなびた穂が、あの七つの良い穂を?み込んでしまった。そこで私は呪法師たちに話したが、だれも私に説明できる者はいなかった。」
41:25 ヨセフはファラオに言った。「ファラオの夢は一つです。神が、なさろうとしていることをファラオにお告げになったのです。
41:26 七頭の立派な雌牛は七年のことで、七つの立派な穂も七年のことです。それは一つの夢なのです。
41:27 その後から上がって来た七頭の痩せた醜い雌牛は七年のことで、痩せ細り東風に焼けた七つの穂も同様です。それは飢饉の七年です。
41:28 これは、私がファラオに申し上げたとおり、神が、なさろうとしていることをファラオに示されたのです。
41:29 今すぐ、エジプト全土に七年間の大豊作が訪れようとしています。
41:30 その後、七年間の飢饉が起こり、エジプトの地で豊作のことはすべて忘れられます。飢饉が地を荒れ果てさせ、
41:31 この地の豊作は、後に来る飢饉のため、跡も分からなくなります。その飢饉が非常に激しいからです。
41:32 夢が二度ファラオに繰り返されたのは、このことが神によって定められ、神が速やかにこれをなさるからです。
41:33 ですから、今、ファラオは、さとくて知恵のある人を見つけ、その者をエジプトの地の上に置かれますように。
41:34 ファラオは、国中に監督官を任命するよう、行動を起こされますように。豊作の七年間に、エジプトの地の収穫の五分の一を徴収なさるためです。
41:35 彼らに、これからの豊作の年のあらゆる食糧をすべて集めさせ、ファラオの権威のもとに、町々に穀物を蓄えさせるのです。彼らは保管し、
41:36 その食糧は、エジプトの地に起こる七年の飢饉のために、国の蓄えとなります。そうすれば、この地は飢饉で滅びることがないでしょう。」

*ファラオの夢の説明。その締め括りは、エジプト古来の伝統的、宗教的呪法師達の、解き明かし不能と云う、絶望的行き詰まりが語られました。
不可能のない、全能者だと自負してきたファラオが、弱々しく、奴隷で、獄屋から引き出してきたヨセフに、告白する姿が、目に浮かびます。
今や、ヨセフはファラオにとっては、最後の頼みの綱でした。
(ヨセフにとっては)最悪の環境、最早彼の人生は、絶望の沼に殆ど沈みかけたような時でした。
あの、献酌官の釈放の別れから、二年も経過したときでした。
ヨセフはこの日を待っていた(?)・・と言うより、ただ、ただ、その日その日を、今までと変わりなく、主なる神に信頼し、ただ主を見上げ、主を思い、獄屋番から任せられた仕事を、こなしながら、他の囚人達の慰めとなる、存在として、古代社会のなかで、人として扱われない囚人達の慰めとなる、存在であったのではないかと、想像を巡らすのです。
さて、ヨセフは、ファラオの夢の話を聴いた後、静かに、その夢の解き明かしを始めます。
ただ、解き明かすだけではなく、夢が証されるだけではなく、エジプトがこれから直面する、歴史的危機を、どの様に回避すれば良いか・・・神からの知恵を、ファラオに語ったのです。
今日の、らエジプトの古代史の中で、際だっ出来事(事実)なのです。
そればかりか、この事から派生する一連の史実は、イスラエル(ユダヤ)民族の、生まれる発端となり、
旧新約聖書の、神の啓示としての御言葉の、土台となる、一大ドラマの始まりなのです。
私達神の僕は、呟かない・失望しない・漫然と生きない・自己中心な歴史観を持たない、ただ神に期待し、主なる神を待つことです。時間制限なしに・・‼️
今(今日)あなたがそこに生きるのは、主が共に居られたからだ‼️🎶と、共に居られる神の真実を、信じ疑わないことです。
それがヨセフの心、心情だったのではないでしょうか‼️🎶
今朝新たに、主なる神に身を委ねましょう🎵
10月28日(金曜日)
リビングライフQT
創世記 41:1~16

41:1 それから二年後、ファラオは夢を見た。見ると、彼はナイル川のほとりに立っていた。
41:2 すると、ナイル川から、つやつやした、肉づきの良い雌牛が七頭、上がって来て、葦の中で草をはんだ。
41:3 するとまた、その後を追って、醜く痩せ細った別の雌牛が七頭、ナイル川から上がって来て、その川岸にいた雌牛のそばに立った。
41:4 そして、醜く痩せ細った雌牛が、つやつやした、よく肥えた七頭の雌牛を食い尽くしてしまった。そのとき、ファラオは目が覚めた。
41:5 彼はまた眠り、再び夢を見た。見ると、一本の茎に、よく実った七つの良い穂が出て来た。
41:6 すると、その後を追って、しなびた、東風に焼けた七つの穂が出て来た。
41:7 そして、しなびた穂が、よく実った七つの穂を?み込んでしまった。そのとき、ファラオは目が覚めた。それは夢だった。
41:8 朝になって、ファラオは心が騒ぎ、人を遣わして、エジプトのすべての呪法師とすべての知恵のある者たちを呼び寄せた。ファラオは彼らに夢のことを話したが、解き明かすことのできる者はいなかった。
41:9 そのとき、献酌官長がファラオに告げた。「私は今日、私の過ちを申し上げなければなりません。
41:10 かつて、ファラオがしもべらに対して怒って、私と料理官長を侍従長の家に拘留されました。
41:11 私と彼は、同じ夜に夢を見ました。それぞれ意味のある夢でした。
41:12 そこには、私たちと一緒に、侍従長のしもべで、ヘブル人の若者がいました。私たちが彼に話しましたところ、彼は私たちの夢を解き明かしてくれました。それぞれの夢に応じて、解き明かしてくれたのです。
41:13 そして、彼が私たちに解き明かしたとおりになり、ファラオは私を元の地位に戻され、料理官長は木につるされました。」
41:14 ファラオは人を遣わして、ヨセフを呼び寄せた。人々は急いで彼を地下牢から連れ出した。ヨセフはひげを剃り、着替えをして、ファラオの前に出た。
41:15 ファラオはヨセフに言った。「私は夢を見たが、それを解き明かす者がいない。おまえは夢を聞いて、それを解き明かすと聞いたのだが。」
41:16 ヨセフはファラオに答えた。「私ではありません。神がファラオの繁栄を知らせてくださるのです。」

ページ二枚めくれば、そこは二年後の王宮。
あの、王に使える献酌官長の夢の解き明かしと、その結果を待つヨセフの日々。一日一日期待して、待ち望んだが。何の音沙汰もなく、ついに、二年の月日が過ぎ去った。
ヨセフは、もうその事を忘れてしまうほどの、長い時間が経過していました。
しかし、ヨセフの主なる神への信頼と期待(それは総てが上手く行く・・・と言う期待ではなく、主なる神の御心に期待する“何が用意されているのか(?)”と言う待ち望み)が、ヨセフの内を満たしていたのです。
ですから、きっと、失望や、悲しみや、怒りや、恨みに、心乱される事はなかったと、想像します。
ヨセフのこの二年の時間経過は、一日一日の主なる神との交わりに包まれた、平安と充実の日々だった・・と、想像できます‼️🎶
私たちの日々は・・・どうでしょう⁉️

さて、舞台が動き始めます。
エジプトの王が夢を見たのです。実に奇妙な夢です。しかも別な夢ながら、同じパターンの夢なので、ファラオには、恐怖にも似た、違和感が強く目覚めに残ったのです。(夢の再現は省きます)
この夢によるファラオの動揺は、直ぐに側近の献酌官長の知るところとなって、彼の不覚の忘却を詫びての、ヨセフの存在が明るみに出たのです。
遂に、神の時が拓かれ始めるのです‼️
*リビンバイブルを持っていない方は、そばに聖書本文を開いて、見比べながら、読み進み、想像しましょう。

この時のヨセフはどんな思いでしたでしょう。
ファラオの言葉は、思わせ振りで、その強大な権力から、この夢の解き明かしは、命を懸けるほどのものと考えられます。獄舎から呼び出されて、外国から来た奴隷で罪人であるヨセフの命は、紙屑のような存在です。
ところがヨセフは、この大王の前で、少しの不安も、恐れる様子も顕さず、大胆にも、堂々と・・『私ではありません。神がファラオの繁栄を知らせてくださるのです。』
未だ、内容も聞かない前から、結論を宣言しているのです。

この大胆な発言は、ヨセフが二年の沈黙の時間の流れのなかでも、変わらず、主なる神との深い交わりに生きてきた、明かしそのものなのです。
私達の、一寸した期待感の外れた時や、病に侵されたり、不利な事態に直面した時に、
かなしんだり、呻いたり、神に訴えたり・・・する日常とは、雲泥の差ですね😱
何が違うのでしょう。
これこそ、今朝私たちが学ばねばならない信仰の真実なのです。
神に期待する❗️・・と言うことは、私の願いが叶えられることへの期待を待つのではないのです。
主なる神が、私をどのように導かれるかを、期待し待つことなのです。
それは、登山で、山頂の素晴らしい、何もかも忘れてしまう達成感を味わうために、
谷を下り、岩にかじりついて、恐怖を味わいながら、岩だなにしがみついたり、急に霧に閉ざされて、動きがとれなくなったり、
それを越えて、頂上なのです。
ヨセフの長い長い苦難の道のりは、正に、その様な中で、主を待ち望む、瞬間瞬間だったなです‼️🎶
 10月27日(木曜日)
リビングライフQT
創世記 40:9~23

40:9 献酌官長はヨセフに自分の夢を話した。「夢の中で、私の前に一本のぶどうの木があった。
40:10 そのぶどうの木には三本のつるがあった。それは、芽を出すと、すぐ花が咲き、房が熟してぶどうの実になった。
40:11 私の手にはファラオの杯があったので、私はそのぶどうを摘んで、ファラオの杯の中に搾って入れ、その杯をファラオの手に献げた。」
40:12 ヨセフは彼に言った。「その解き明かしはこうです。三本のつるとは三日のことです。
40:13 三日のうちに、ファラオはあなたを呼び出し、あなたを元の地位に戻すでしょう。あなたは、ファラオの献酌官であったときの、以前の定めにしたがって、ファラオの杯をその手に献げるでしょう。
40:14 あなたが幸せになったときには、どうか私を思い出してください。私のことをファラオに話して、この家から私が出られるように、私に恵みを施してください。
40:15 実は私は、ヘブル人の国から、さらわれて来たのです。ここでも私は、投獄されるようなことは何もしていません。」
40:16 料理官長は、解き明かしが良かったのを見て、ヨセフに言った。「私の夢の中では、頭の上に枝編みのかごが三つあった。
40:17 一番上のかごには、ファラオのために、ある料理官が作ったあらゆる食べ物が入っていたが、鳥が私の頭の上のかごの中から、それを食べてしまった。」
40:18 ヨセフは答えた。「その解き明かしはこうです。三つのかごとは三日のことです。
40:19 三日のうちに、ファラオはあなたを呼び出し、あなたを木につるし、鳥があなたの肉をついばむでしょう。」
40:20 三日目はファラオの誕生日であった。それで彼は、すべての家臣たちのために祝宴を催し、献酌官長と料理官長を家臣たちの中に呼び戻した。
40:21 そうして献酌官長をその献酌の役に戻したので、彼はその杯をファラオの手に献げた。
40:22 しかし、料理官長のほうは木につるした。ヨセフが彼らに解き明かしたとおりであった。
40:23 ところが、献酌官長はヨセフのことを思い出さないで、忘れてしまった。

夢の解き明かし❗️
私は疲れた時、又、善きにつけ悪しきつけて、心に掛かる問題を抱えている時、良く夢を見ます。しかし、それは恐怖を感じる夢なので、心理的に魂が追い詰められている時と、単純に自己理解してきました。しかし、聖書にはしばしば夢を見た・・・と言う記録、その夢を起点に、物語や歴史が展開する場合が記録されています。
*エジプトの王(ファラオ)が見た夢。
*預言者、ダニエルの夢。
*バビロンの王、ネブカデネザルの見た夢。
*少年サムエルの夢
・・等々・・・
他にも特に今まで学んできた創世記の中にも、アブラハムが、先住民の王たちが(この場合は神が夢で、語りかける・・・と言う形で語られている)
全体時に、聖書が記録する夢は、“夢”を通して、神の導き、語りかけ、警告・・・として記録されている場合が多い。
今朝のテキストにある夢は❗️正に、主なる神がヨセフの生涯に、何か導きを表そうとされる、御想いを持って、導きの糸を張られている・・・事を示されていると言えましょう。
ある意味で小説の伏線のような、導きなのです。
ところが、23節には、大切な約束を、献酌官長は、ヨセフの人生の次への導線を、“:忘れる”と言う失態で、繋がりが切れてしまったのです。
恐らく喜びに埋もれて・・・そればかりではなく、ヨセフが他国からの奴隷のこと故に、意識の中で重要視されていなかった(差別)とも考えられます。
又、ヨセフの希望の糸は、切れてしまったのです。
こうして、ヨセフの人生に又も、長い長い奴隷としての、なんの期待も持てない時間(人生)が始まるのです。
人生の中で・・・・
なぜ❓
どうして❓
何故私だけが・(はてな)
と言う、
まるで見捨てられた様な日々が過ぎ去っていく、そんな経験をされたことはないでしょうか?💦
しかし、過ぎ去った今、どう感じていますか⁉️
今なお、報われない試練の中にある方・・‼️
こうして神の言葉に向き合っていることは、
何よりも、絶大な祝福なんですよ。
感謝し、次の場面の展開に、主を期待して祈りましょう。
ヨセフはそうしたのです。
疑い、なやみ、孤独に沈むのは辞めましょう。
主を待ち望みましょう。
イザヤ書40章31節
『しかし、主を待ち望む者は新しく力を得、
鷲のように翼をかって上ることができる。
走ってもたゆまず、
歩いても疲れない。』
 ハレルヤ🎶‼️
 10月26日(水曜日)
リビングライフQT
創世記 40:1~8

40:1 これらのことの後、エジプト王の献酌官と料理官が、その主君、エジプト王に対して過ちを犯した。
40:2 ファラオは、この献酌官長と料理官長の二人の廷臣に対して怒り、
40:3 彼らを侍従長の家に拘留した。それは、ヨセフが監禁されているのと同じ監獄であった。
40:4 侍従長がヨセフを彼らの付き人にしたので、ヨセフは彼らの世話をした。彼らは、しばらく拘留されていた。
40:5 さて、監獄に監禁されていた、エジプト王の献酌官と料理官は、二人とも同じ夜にそれぞれ夢を見た。その夢にはそれぞれ意味があった。
40:6 朝、ヨセフが彼らのところに来て、見ると、彼らは顔色がすぐれなかった。
40:7 それで彼は、自分の主人の家に一緒に拘留されている、このファラオの廷臣たちに「なぜ、今日、お二人は顔色がさえないのですか」と尋ねた。
40:8 二人は答えた。「私たちは夢を見たが、それを解き明かす人がいない。」ヨセフは言った。「解き明かしは、神のなさることではありませんか。さあ、私に話してください。」

刻々と過ぎて行く時間の流れのなかで、侍従長の家で起こった出来事と、世界の大国エジプトの大王の宮廷で起こった出来事とが、一つに繋がって、合流し始めました。
『時』それは、創造者なる神の御手の中にあり、この時を支配し動かされるのは、神ご自身なのです‼️
ですから、私たちは神の御手の中に身を置けば、どんなに荒れ狂う時代の中にも、勝利と安らぎとを、先取りして(信じ確信して)、主を待ち望むことが出来るのです。
聖書の主題も又、この『時を支配される神なのです。』
天地創造から、天地の再創造と、永遠の神の国の完成と、私たちの甦りは、神の時の中に包み込まれているのです。
今から先のことは、今の私たちには見えないし理解出来ないけれども、それらも又主の御手の中にあるのです。
その様な大前提の神の御手の中で、獄中で、
ヨセフと二人の王の僕は、出会ったのです。
私達は、“今”と云う時の中で、先が見えないために、不安と恐れとろと、最悪の結果を勝手に想像しては、悩み悲しみ絶望するのです。
愚かです❗️ それは神への冒涜です‼️
『神は、神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています‼️・・ローマ人への手紙8章28節
この御言葉が、私たちの信仰の哲学です❗️確信です‼️
🎶見ゆるところによらずして
信仰によりて歩むべし
何をも見ず 又、聞かずとも、
神のみ約束にたち🎵
 歩めよ信仰により
 歩め、歩め疑わず  
 歩めよ信仰により
 見ゆるところには
       よらで
*思いがけない・・
それは、神の方法なのです‼️🎶
  ハレルヤ‼️🎵💕
 10月25日(火曜日)
リビングライフQT
創世記 39:11~23

39:11 このようなある日のこと、彼が仕事をしようとして家に入ると、家の中には、家の者が一人もいなかった。
39:12 彼女はヨセフの上着をつかんで、「一緒に寝ましょう」と言った。しかしヨセフはその上着を彼女の手に残し、彼女から逃れて外へ出た。
39:13 彼が上着を彼女の手に残して外へ逃げたのを見ると、
39:14 彼女は家の者たちを呼んで、こう言った。「見なさい。私たちに対していたずらをさせるために、主人はヘブル人を私たちのところに連れ込んだのです。あの男が私と寝ようとして入って来たので、私は大声をあげました。
39:15 私が声をあげて叫んだのを聞いて、あの男は私のそばに上着を残して、外へ逃げて行きました。」
39:16 彼女は、ヨセフの主人が家に帰って来るまで、その上着を自分のそばに置いておいた。
39:17 彼女は主人に、このように告げた。「あなたが私たちのところに連れて来た、あのヘブル人の奴隷は、私にいたずらをしようとして私のところに入って来ました。
39:18 私が声をあげて叫んだので、あの男は私のそばに上着を残して、外へ逃げました。」
39:19 彼の主人は、「あなたの奴隷がこのようなことを私にしました」と告げた妻のことばを聞いて、怒りに燃えた。
39:20 ヨセフの主人は彼を捕らえ、王の囚人が監禁されている監獄に彼を入れた。こうして彼は監獄に置かれた。
39:21 しかし、【主】はヨセフとともにおられ、彼に恵みを施し、監獄の長の心にかなうようにされた。
39:22 監獄の長は、その監獄にいるすべての囚人をヨセフの手に委ねた。ヨセフは、そこで行われるすべてのことを管理するようになった。
39:23 監獄の長は、ヨセフの手に委ねたことには何も干渉しなかった。それは、【主】が彼とともにおられ、彼が何をしても、【主】がそれを成功させてくださったからである。

災いは、外からやって来る。内からでるのは、誘惑に対する耐性の弱さです。
サタンは、主なる神に忠実な者に対して、誘惑をかけ、揺るぎない神への信頼と真実に留まる者に対しては、強制的(物理的)攻撃をかけて、陥れようと図るのです。
主に信頼していれば、サタンの寄り付く隙もない・‼️・・・と言うものではないのです。サタンは、手立ての限りを尽くして、神に信頼する器に対して、挑戦するのです。万全の備えをしていても、陥れようと、図ります。
ヨセフの人生を粉々に粉砕しようと、サタンは、見事に彼を陥れるのに成功しました。
しかし、彼・ヨセフは、この様な状況に直面しても、なお、主なる神との関係には、微動だに揺るぎは無かったのです。
ヨセフは、投獄され、断罪されたのです(奴隷は弁明も、正当性の証明も許されない)。
*主よ、何故なんです 
 か(?)
*主よ、何が私が問題
 を犯したのでしょう
 か(?)・・・
と、神に問いかけたり、卑屈な思いに陥ったりしていないのです。
ヨセフの、完全なまでの、主なる神穂の信頼は、獄中においても変わることなく、
自らに利する行動ではなく、どこまでも、神の前に生きる、一人の僕として、歩み続けるのです‼️
21節『主がヨセフとともにおられ・・』
23節『主が彼とともにおられ・・』
これは、神の僕の、究極なのです。
まさに殉教者に共通の信仰ですし、福音の土台となる、ステップでもあります。
多くの信仰の先輩が、こうして、殉教(必ずしも「死」を意味するものに限らない)してきたのです。
殉教は、福音の前身のための、大切なステップとなってきたのです。
“あなた方は、恐れてはならない。わたしはあなたと共に居る‼️”と主は言われる。ハレルヤ🎵
 10月24日(月曜日)
リビングライフQT
創世記 39:1~10

39:1 一方、ヨセフはエジプトへ連れて行かれた。ファラオの廷臣で侍従長のポティファルという一人のエジプト人が、ヨセフを連れ下ったイシュマエル人の手からヨセフを買い取った。
39:2 【主】がヨセフとともにおられたので、彼は成功する者となり、そのエジプト人の主人の家に住んだ。
39:3 彼の主人は、【主】が彼とともにおられ、【主】が彼のすることすべてを彼に成功させてくださるのを見た。
39:4 それでヨセフは主人の好意を得て、彼のそば近くで仕えることになった。主人は彼にその家を管理させ、自分の全財産を彼に委ねた。
39:5 主人が彼にその家と全財産を管理させたときから、【主】はヨセフのゆえに、このエジプト人の家を祝福された。それで、【主】の祝福が、家や野にある全財産の上にあった。
39:6 主人はヨセフの手に全財産を任せ、自分が食べる食物のこと以外は、何も気を使わなかった。しかもヨセフは体格も良く、顔だちも美しかった。
39:7 これらのことの後、主人の妻はヨセフに目をつけて、「一緒に寝ましょう」と言った。
39:8 しかし彼は拒んで、主人の妻に言った。「ご覧ください。ご主人は、家の中のことは何でも私に任せ、心配せずに全財産を私に委ねられました。
39:9 ご主人は、この家の中で私より大きな権威をふるおうとはせず、私がするどんなことも妨げておられません。ただし、あなたのことは別です。あなたがご主人の奥様だからです。どうして、そのような大きな悪事をして、神に対して罪を犯すことができるでしょうか。」

2節:“主がヨセフとともにおられ・・・”
3節:“主が彼とともにおられ・・・”
この二つの記述は、裏返せば、ヨセフがいかに主なる神に真実に仕えていたか・・・を、示しています。
ヨセフは彼なりに、兄達にも、真実に使えてきたのに、奴隷に売られ、父の故郷から遥かに離れたエジプトに売られたのです。
らくだにゆられて10日間、毎日毎日故郷から離れるなか、ヨセフに残されたのは、父から教わり、その中で培われてきた、ヤーウェの神への信頼でした。この信仰が彼を立て挙げ、隠れることのない真実をもって仕えたからこそ、他国から売られてきた奴隷ではあったが、主人の目には、真実と力に充ちた人物として映ったのです‼️
信仰とは、宗教的ルーティーン(表面に現れる宗教的習慣と行動)ではなく、その人を生かしている力ある土台なのです。
それは信頼に直結する、存在感そのものです。言い換えるなら、
人を動かす動機を与える、存在感そのものなのです。ヨセフの神への信頼は、宗教的には優れた文化と、存在感を持ったエジプトで、
絶大な信頼を勝ち取る輝きを、ファラオの
廷臣は観て取り、絶大な信頼をヨセフに与えたのです。
古代の、絶大な身分社会の中で、奴隷をここまで信頼させる動機は、“主が共に居られた・・・”という他、あり得ないことだったのです。
神への信頼が何と素晴らしい力なのでしょう。
サタンは、総力を挙げて、ヨセフを揺さぶるのですが、揺らぐことのない、磐石の輝きにつつまれている姿を、ここに見るのです‼️ハレルヤ🎵
 10月23日(日曜日)
リビングライフQT
創世記 38:24~30

38:24 三か月ほどして、ユダに、「あなたの嫁のタマルが姦淫をし、そのうえ、なんとその姦淫によって身ごもっています」と告げる者があった。そこでユダは言った。「あの女を引き出して、焼き殺せ。」
38:25 彼女が引き出されたとき、彼女はしゅうとのところに人を送って、「この品々の持ち主によって、私は身ごもったのです」と言った。また彼女は言った。「これらの印章とひもと杖がだれのものか、お調べください。」
38:26 ユダはこれを調べて言った。「あの女は私よりも正しい。私が彼女をわが子シェラに与えなかったせいだ。」彼は二度と彼女を知ろうとはしなかった。
38:27 彼女の出産の時になると、なんと、双子がその胎内にいた。
38:28 出産の時、一人目が手を出したので、助産婦はそれをつかみ、その手に真っ赤な糸を結び付けて言った。「この子が最初に出て来ました。」
38:29 しかし、その子が手を引っ込めたとき、もう一人の兄弟が出て来た。それで彼女は「何という割り込みをするのですか」と言った。それで、その名はペレツと呼ばれた。
38:30 その後で、手に真っ赤な糸を付けた、もう一人の兄弟が出て来た。それで、その名はゼラフと呼ばれた。

ユダは暫く後に、タマルの告白から、自らの決定的間違い(罪)を知り、我が儘で身勝手な自分の所業を悔いて、彼女のお想いに添う心を持ち、大切な出産に備えたのです。
出産の様子は、28節~30節に書かれている通りですが、
実はこの出産こそ、新約聖書の、アブラハムの家系図の
3節:ユダに、タマルによってパレスとザラが生まれ・・・
何と、アブラハムの神聖な家系❗️
否、それ以上に、神のみ子、イエス・キリスト様の最も神聖であるべき、人類救済の家系に、当初から、人間の営みの醜さが染み出しているのです。
イエス様が担われた血統、家系図は、この様に当初から人の罪と汚れとに染まった、醜い罪の流れの中に、お生まれになられたのです。
言い換えるなら!産まれたその御血は、すでに人の罪の集積された、あらゆる血統を担われていたのです。
因みに、この家系図の中に他にも、家系の純粋性に抵触する記録があるので記しておきましょう。
*2*マタイ1:5“サルモンにラハブによってボアズが生まれ・・ 
”ラハブ“は、出エジプトのイスラエルに敵対する、エリコの町の遊女でした。しかし、彼女はイスラエルの斥候を危機から助けて、その彼と結婚した女性
*5*更に、ホアズに、ルツによってオベドが生まれ・・
”ルツ“は、イスラエルの純粋血統からは遠い他民族モアブの女でした。
*6*更に、ダビデに、ウリヤの妻によってソロモンが生まれ・・・
即ち、ユダの近親相関
更に、ラハブ・ルツと言う異邦人の血が、
更に、ダビデ王の殺人と姦婬による子ソロモン・・・
人間の最も醜い、恐るべき、
人間の底辺の姿(人間の根本に潜む罪)を、主は担われて、生を受け、更に御自身に向けられる、あらゆる反対、憎悪、憎しみ、罵りを身に受けながら、十字架の上に、私たちの身代わりとなって、死の裁きを受けられたのです。
あの十字架の御苦しみは、ユダの罪から始まるのです。、そして数千年を経た、今日の私達の罪の身をも、担われたのです。
少し本題から離れましたが、福音の真髄なので、記録させといた抱きました。
 10月22日(土曜日)
リビングライフQT
創世記 38:12~23

38:12 かなり日がたって、ユダの妻、すなわちシュアの娘が死んだ。その喪が明けたとき、ユダは、羊の群れの毛を刈る者たちのところ、ティムナへ上って行った。友人でアドラム人のヒラも一緒であった。
38:13 そのときタマルに、「ご覧なさい。あなたのしゅうとが羊の群れの毛を刈るために、ティムナに上って来ます」という知らせがあった。
38:14 それでタマルは、やもめの服を脱ぎ、ベールをかぶり、着替えをして、ティムナへの道にあるエナイムの入り口に座った。シェラが成人したのに、自分がその妻にされないことが分かったからである。
38:15 ユダは彼女を見て、彼女が顔をおおっていたので遊女だと思い、
38:16 道端の彼女のところに行き、「さあ、あなたのところに入らせてほしい」と言った。彼は、その女が嫁だとは知らなかったのである。彼女は「私のところにお入りになれば、何を私に下さいますか」と言った。
38:17 彼が「群れの中から子やぎを送ろう」と言うと、彼女は「それを送ってくださるまで、何か、おしるしを下されば」と言った。
38:18 彼が「しるしとして何をやろうか」と言うと、「あなたの印章とひもと、あなたが手にしている杖を」と答えた。そこで彼はそれを与えて、彼女のところに入った。こうしてタマルはユダのために子を宿した。
38:19 彼女は立ち去って、そのベールを外し、やもめの服を着た。
38:20 ユダは、その女の手からしるしを取り戻そうと、アドラム人の友人に託して子やぎを送ったが、彼はその女を見つけることができなかった。
38:21 その友人がその土地の人々に「エナイムの道端にいた娼婦はどこにいますか」と尋ねると、彼らは「ここに娼婦がいたことはありません」と答えた。
38:22 彼はユダのところに戻って来て言った。「あの女は見つかりませんでした。あの土地の人たちも、ここに娼婦がいたことはない、と言いました。」
38:23 ユダは言った。「われわれが笑いぐさにならないように、あの女にそのまま取らせておこう。私はこの子やぎを送ったけれども、あなたはあの女を見つけられなかったのだから。」

義理の父親に支配されるタマルの不満。
家を離れた旅先での奔放なユダ💦
兄弟同士の交わり(そこには、アブラハム・イサク・ヤコブと連なる全能者なる神への信仰がある)から離れた営みは、何時しか、周りの神から離れた民の慣習に身を染めてしまった、人の魂の弱さを見る思いがします。
同時に、子を残すと言う、女性の執念にしがみつく、タマルの行動に、気は強いのだが、光の道、神の支配する、義と聖と平安と慰めの道を見失った行動が、悲しいばかりに浮き彫りになる💧
改めて、主なる神の慈しみと慰めの世界を知った私たちは、これを守り、この中に生き、この世界を世に表す生活の、いかに素晴らしいかを、新たに教えられます。アーメン‼️🎵
 10月21日(金曜日)
リビングライフQT
創世記 38:1~11

38:1 そのころのことであった。ユダは兄弟たちから離れて下って行き、名をヒラというアドラム人の近くで天幕を張った。
38:2 そこでユダは、カナン人で名をシュアという人の娘を見そめて妻にし、彼女のところに入った。
38:3 彼女は身ごもって男の子を産んだ。ユダはその子をエルと名づけた。
38:4 彼女はまた身ごもって男の子を産み、その子をオナンと名づけた。
38:5 彼女はまた男の子を産み、その子をシェラと名づけた。彼女がシェラを産んだとき、ユダはケジブにいた。
38:6 ユダはその長子エルに妻を迎えた。名前はタマルといった。
38:7 しかし、ユダの長子エルは【主】の目に悪しき者であったので、【主】は彼を殺された。
38:8 ユダはオナンに言った。「兄嫁のところに入って、義弟としての務めを果たしなさい。そして、おまえの兄のために子孫を残すようにしなさい。」
38:9 しかしオナンは、生まれる子が自分のものとならないのを知っていたので、兄に子孫を与えないように、兄嫁のところに入ると地に流していた。
38:10 彼のしたことは【主】の目に悪しきことであったので、主は彼も殺された。
38:11 ユダは嫁のタマルに、「わが子シェラが成人するまで、あなたの父の家でやもめのまま暮らしなさい」と言った。シェラもまた、兄たちのように死ぬといけないと思ったからである。タマルは父の家に行き、そこで暮らした。

古代世界の家庭・結婚とは、今の通常社会では想像もつかない、姿だったようですね。
特にカナン人の世界では、非常に多くの偶像があり、各家庭には豊穣の神(農業の祭神であると共に、子孫繁栄の祭神)として、土偶のような偶像があった(ヤコブの妻ラケルが持ち出したテラピムの様な・・)
ユダが他の兄弟から離れたことは、必然的に、偶像の中に生きる民の中に身を置き、その文化に染まることになります。
その様な世界の中で次第にユダの家庭は、とも綱を解かれた舟のように、ゆらゆら揺れながら、岸を離れて流れ出すような、姿に見えてくるのです。
その様な中で、主なる神は、異郷の中にあっても、人としての基本から外れることや、結婚の本義に関わることに関しては、厳しい裁きをされました。(9節)
これらの経緯の中には、最早アブラハムに語り掛けられた主なる神への、飢え渇きは見られず、ただ成り行きに身を任せ、思いのまま手探りのままに、進んでは、益々泥んこになっていく、愚かな姿を見せられます。
私たちは人生の中で幾度も幾度も、道を立て直さねばなりませんね。
この様な危ういヤコブの子等の営みを学びながら、人間の本性の中にある、神から離れやすい弱さを知り、それでもなお、弱い私たちに眼を注がれる、愛と忍耐に富まれる神に、眼を挙げましょう‼️🎶
その時、神の力強い導きと、愛の流れに魂が浸される思いを体験するでしょう。
 10月20日(木曜日)
リビングライフQT
創世記 37:25~36

37:25 それから、彼らは座って食事をした。彼らが目を上げて見ると、そこに、イシュマエル人の隊商がギルアデからやって来ていた。彼らは、らくだに樹膠と乳香と没薬を背負わせて、エジプトへ下って行くところであった。
37:26 すると、ユダが兄弟たちに言った。「弟を殺し、その血を隠しても、何の得になるだろう。
37:27 さあ、ヨセフをイシュマエル人に売ろう。われわれが手をかけてはいけない。あいつは、われわれの弟、われわれの肉親なのだから。」兄弟たちは彼の言うことを聞き入れた。
37:28 そのとき、ミディアン人の商人たちが通りかかった。それで兄弟たちはヨセフを穴から引き上げ、銀二十枚でヨセフをイシュマエル人に売った。イシュマエル人はヨセフをエジプトへ連れて行った。
37:29 さて、ルベンが穴のところに帰って来ると、なんと、ヨセフは穴の中にいなかった。ルベンは自分の衣を引き裂き、
37:30 兄弟たちのところに戻って来て言った。「あの子がいない。ああ私は、私は、どこへ行けばよいのか。」
37:31 彼らはヨセフの長服を取り、雄やぎを屠って、長服をその血に浸した。
37:32 そして、そのあや織りの長服を父のところに送り届けて、言った。「これを見つけました。あなたの子の長服かどうか、お調べください。」
37:33 父はそれを調べて言った。「わが子の長服だ。悪い獣が食い殺したのだ。ヨセフは確かに、かみ裂かれたのだ。」
37:34 ヤコブは自分の衣を引き裂き、粗布を腰にまとい、何日も、その子のために嘆き悲しんだ。
37:35 彼の息子、娘たちがみな来て父を慰めたが、彼は慰められるのを拒んで言った。「私は嘆き悲しみながら、わが子のところに、よみに下って行きたい。」こうして父はヨセフのために泣いた。
37:36 あのミディアン人たちは、エジプトでファラオの廷臣、侍従長ポティファルにヨセフを売った。

余りにも有名なヨセフ物語を知る者にとっては、周知していながらも、繰り返し興奮覚めやらない胸をときめかす物語として、期待するものです。あの鎌倉時代の、“勧進帳”弁慶・義経安宅の関、のように‼️
しかし現実の、ヨセフの奴隷としての売却は、長子ルベンならずとも暗黒へ突き落とされる様な、地獄以上の暗黒・絶望・思考停止憤り、人生最悪以上の結末だったのです。
ヤコブが、ヨセフの死(偽りではあるが)を聴いた時、それは哀しみ等ではなく、みずからの存在そのものへ苦痛となって、その後のヤコブは❗️生ける屍として、過ごしたことでしょう。
10人の兄達は、これほどにまで父を陥れようとは考えもしなかったほどでしょう。
それから数十年の日々は、気力を失った父親の姿を見る日々、この度に、弟を奴隷に売った後悔とに、引き裂かれる思いで過ごす、人生は、何と悲惨だったことでしょう。
罪を持ち、罪の直視から逃れられない、人生は正に“死”そのものでしょう。
“罪の支払う報酬は死です”(ローマ6:23)と、パウロは語りましたが、正にこの姿です。
*父親の後悔(ヨセフ一人で使いにやったと言う・・)
*これ程の悲しみを与えるとは・・(今さら生きてるとは言えない・・)
罪を担いながら生きる日々が、この様な姿だ・・・と思う一方、
神の御手は、人の罪と汚れに妨げられるものではなく、
罪に苦しむ中にも、神の時は、ご自身の栄光の道を着々と開かれて行かれるのです。
物のように売り買いされる世界に落とされたヨセフの此れからは、どんな人生が待っているのでしょう。
新たな思いをもって、主なる神の御手を、仰いで参りましょう。
同じ主(神)が、今日までの私を、導いてくださったことを思いながら、また、これからを期待しましょう。
 10月19日(水曜日)
リビングライフQT
創世記 37:12~24

37:12 その後、兄たちは、シェケムで父の羊の群れを世話するために出かけて行った。
37:13 イスラエルはヨセフに言った。「おまえの兄さんたちは、シェケムで群れの世話をしている。さあ、兄さんたちのところに使いに行ってもらいたい。」ヨセフは答えた。「はい、参ります。」
37:14 父は言った。「さあ、行って、兄さんたちが無事かどうか、羊の群れが無事かどうかを見て、その様子を私に知らせておくれ。」こうして彼をヘブロンの谷から使いに送った。それで彼はシェケムにやって来た。
37:15 彼が野をさまよっていると、一人の人が彼を見かけた。その人は「何を捜しているのですか」と尋ねた。
37:16 ヨセフは言った。「兄たちを捜しています。どこで群れの世話をしているか、どうか教えてください。」
37:17 すると、その人は言った。「ここからは、もう行ってしまいました。私は、あの人たちが『さあ、ドタンの方に行こう』と言っているのを聞きました。」そこでヨセフは兄たちの後を追って行き、ドタンで彼らを見つけた。
37:18 兄たちは遠くにヨセフを見て、彼が近くに来る前に、彼を殺そうと企んだ。
37:19 彼らは互いに話し合った。「見ろ。あの夢見る者がやって来た。
37:20 さあ、今こそあいつを殺し、どこかの穴の一つにでも投げ込んでしまおう。そうして、狂暴な獣が食い殺したと言おう。あいつの夢がどうなるかを見ようではないか。」
37:21 しかし、ルベンはこれを聞き、彼らの手から彼を救い出そうとして、「あの子を打ち殺すのはやめよう」と言った。
37:22 また、ルベンは言った。「弟の血を流してはいけない。弟を荒野の、この穴に投げ込みなさい。手を下してはいけない。」これは、ヨセフを彼らの手から救い出し、父のもとに帰すためであった。
37:23 ヨセフが兄たちのところに来たとき、彼らは、ヨセフの長服、彼が着ていたあや織りの長服をはぎ取り、
37:24 彼を捕らえて、穴の中に投げ込んだ。その穴は空で、中には水がなかった。

まぁ😭 何と言う事でしょう。腹違いとは言え、同じ家族の一人、それも、一番年下の弟。
これ程までに憎しみが高じていたのですね。
兄たちは皆、結構年令を重ねた立派な大人だったはずです。
憎しみって、恐ろしいですね😵
長男のルベンの機転で、命を助けられたことから、壮大な物語が始まります。
そして、数百年後の、モーセの出エジプトにまで、展開するのです。
少し、地理的資料をお知らせしますね。
ヤコブの家族は、ヘブロンに落ち着きました。そこは、アブラハム・イサク(ヤコブの父)の住んだところです。そこからシェケムは、100km程北にある、ヤコブがパダンアラムから帰ってきた時に、家を建てた町です。そして、妹ディナのことで先住民を皆殺しにしたあの町です。
その地域に、羊の群れを牧童たちに任せて、その地域を支配していたと考えられます。
ヨセフは、父から兄たちの必需品を託されて、ラクダかロバに荷を積んで、シェケムまでの長旅を続けて来ましたが、兄たちと羊の群れは、更に北のドタン(更に20km北)へ。
17歳にしては天真爛漫なヨセフに起こった試練の始まりは、余りに厳しい者ですね。
この世は、清らかな心、主なる神を信じているから・・・と言うことで、安全で祝福された人生が、約束されているとは限らないのです。
ウクライナの現実を見ると、キリスト教国で、何故、この様な事が起こるのでしょうか(?)
何故、プーチンは、十字を切りながら、あのような残虐な戦争をお越し、なお、いっそう残虐性をエスカレートするのでしょうか。
謎だらけな人の世界です。
聖書の歴史は、長い時間の流れと人の営みを通して、語りかける、神の物語です。
私の82年の今日まで・・・と言う短い歴史のなかでも、忍耐に富まれる主の愛と慈しみ中で、今日の私があることを、深く感謝するのです。
あれさえなければ😢
  ではなく
あの事があったから‼️と、言えるのです。
ハレルヤ感謝です‼️🎶
 10月18日(火曜日)
創世記 37:1~11

37:1 さて、ヤコブは父の寄留の地、カナンの地に住んでいた。
37:2 これはヤコブの歴史である。ヨセフは十七歳のとき、兄たちとともに羊の群れを飼っていた。彼はまだ手伝いで、父の妻ビルハの子らやジルパの子らとともにいた。ヨセフは彼らの悪いうわさを彼らの父に告げた。
37:3 イスラエルは、息子たちのだれよりもヨセフを愛していた。ヨセフが年寄り子だったからである。それで彼はヨセフに、あや織りの長服を作ってやっていた。
37:4 ヨセフの兄たちは、父が兄弟たちのだれよりも彼を愛しているのを見て、彼を憎み、穏やかに話すことができなかった。
37:5 さて、ヨセフは夢を見て、それを兄たちに告げた。すると彼らは、ますます彼を憎むようになった。
37:6 ヨセフは彼らに言った。「私が見たこの夢について聞いてください。
37:7 見ると、私たちは畑で束を作っていました。すると突然、私の束が起き上がり、まっすぐに立ちました。そしてなんと、兄さんたちの束が周りに来て、私の束を伏し拝んだのです。」
37:8 兄たちは彼に言った。「おまえが私たちを治める王になるというのか。私たちを支配するというのか。」彼らは、夢や彼のことばのことで、ますます彼を憎むようになった。
37:9 再びヨセフは別の夢を見て、それを兄たちに話した。彼は、「また夢を見ました。見ると、太陽と月と十一の星が私を伏し拝んでいました」と言った。
37:10 ヨセフが父や兄たちに話すと、父は彼を叱って言った。「いったい何なのだ、おまえの見た夢は。私や、おまえの母さん、兄さんたちが、おまえのところに進み出て、地に伏しておまえを拝むというのか。」
37:11 兄たちは彼をねたんだが、父はこのことを心にとどめていた。

夢見るヨセフ‼️
神は、ヨセフに、夢を見せて、将来への心備えを成させようと働きかけられた。
ヤコブの子供で最愛の妻ラケルに生まれた、初めての子で名前を“ヨセフ”とした。17歳にはなっていたが、10人の先に生まれた、レアの子、又、レアの仕え女・ラケルの仕え女の子等で、皆殆ど成人した者ばかりでした。
その様な立場で、父親から溺愛されていたので、やはり17歳とは言え、どこか甘えの精神構造もあって、自分が見た“夢”を、得意がって話す姿が見に写るような、状況です。
父親の、ヨセフに対する溺愛ぶりは、兄達には目に余るものがあったので、
この夢物語は、彼らの心を不穏にさせた。
父親も又、さすがに目に余る話に、二度目の話の後には、兄たちの手前もあって、きつくたしなめた。
しかし、此の話は、父は心の奥深くに密かに留めておいた‼️
善意が全て、人の心を喜ばするものとはならない。
配慮(言葉・行動・態度)を、注ぎ出すことは、霊的大人の大切な力量です。
善意が必ず人の心に光を届けることにはならない。配慮は大人の“愛”なのです。
主の弟子である私たちは、“愛”の配慮が出来る大人のクリスチャンとならねばならない❗️
配慮とは・・あなたの、私の、立ち位置を、一段低くして、仕える僕として、全ての方と接する砕かれた心を失ってはならない。
一方、ヤコブの姿から観ても、数の多少にかかわらず、一人一人の神からの愛と使命を思い、平等と言うよりも、一人一人に特有の価値を、見出だしー見詰め、対応する親としての立ち位置を崩したり、動かしたりしてはならない。
神が(わたし)を愛してくださった様に、一人一人に、最大の愛と価値とを、見詰めて対応しなければならない‼️🎶(我が子のみならず・・・)
 10月17日(月曜日)
リビングライフQT
創世記 36:1~43

36:1 これはエサウ、すなわちエドムの歴史である。
36:2 エサウはカナンの女の中から妻を迎えた。すなわち、ヒッタイト人エロンの娘アダと、ヒビ人ツィブオンの娘アナの娘オホリバマ、
36:3 それにイシュマエルの娘でネバヨテの妹バセマテである。
36:4 アダはエサウにエリファズを産み、バセマテはレウエルを産み、
36:5 オホリバマはエウシュ、ヤラム、コラを産んだ。これらはカナンの地で生まれたエサウの子である。
36:6 エサウは、その妻たち、息子と娘たち、その家のすべての者、その群れとすべての家畜、カナンの地で得た全財産を携え、弟ヤコブから離れて別の地へ行った。
36:7 一緒に住むには所有する物が多すぎて、彼らの群れのために寄留していた地は、彼らを支えることができなかったのである。
36:8 それでエサウはセイルの山地に住んだ。エサウとは、エドムのことである。
36:9 これは、セイルの山地にいたエドム人の先祖エサウの系図である。
36:10 エサウの子の名は次のとおり。エサウの妻アダの子エリファズ、エサウの妻バセマテの子レウエル。
36:11 エリファズの子はテマン、オマル、ツェフォ、ガタム、ケナズである。
36:12 ティムナはエサウの子エリファズの側女で、エリファズにアマレクを産んだ。これらはエサウの妻アダの子である。
36:13 レウエルの子はナハテ、ゼラフ、シャンマ、ミザで、これらはエサウの妻バセマテの子であった。
36:14 ツィブオンの娘アナの娘である、エサウの妻オホリバマの子は次のとおり。オホリバマはエサウに、エウシュとヤラムとコラを産んだ。
36:15 エサウの子で首長は次のとおり。エサウの長子エリファズの子では、首長テマン、首長オマル、首長ツェフォ、首長ケナズ、
36:16 首長コラ、首長ガタム、首長アマレクである。これらはエドムの地にいるエリファズから出た首長で、アダの子である。
36:17 エサウの子レウエルの子では、次のとおり。首長ナハテ、首長ゼラフ、首長シャンマ、首長ミザ。これらはエドムの地にいるレウエルから出た首長で、エサウの妻バセマテの子である。
36:18 エサウの妻オホリバマの子では、次のとおり。首長エウシュ、首長ヤラム、首長コラである。これらは、エサウの妻で、アナの娘であるオホリバマから出た首長である。
36:19 これらはエサウ、すなわちエドムの子で、彼らの首長である。
36:20 この地の住民フリ人セイルの子は次のとおり。ロタン、ショバル、ツィブオン、アナ、
36:21 ディション、エツェル、ディシャンで、これらはエドムの地にいるセイルの子フリ人の首長である。
36:22 ロタンの子はホリ、ヘマム。ロタンの妹はティムナであった。
36:23 ショバルの子は次のとおり。アルワン、マナハテ、エバル、シェフォ、オナム。
36:24 ツィブオンの子は次のとおり。アヤ、アナ。これは、父ツィブオンのろばを飼っていたとき、荒野で温泉を見つけたアナである。
36:25 アナの子は次のとおり。ディションと、アナの娘オホリバマ。
36:26 ディションの子は次のとおり。ヘムダン、エシュバン、イテラン、ケラン。
36:27 エツェルの子は次のとおり。ビルハン、ザアワン、アカン。
36:28 ディシャンの子は次のとおり。ウツ、アラン。
36:29 フリ人の首長は次のとおり。首長ロタン、首長ショバル、首長ツィブオン、首長アナ、
36:30 首長ディション、首長エツェル、首長ディシャン。これらは、セイルの地での首長ごとに挙げた、フリ人の首長である。
36:31 イスラエルの子らを王が治める以前、エドムの地で王として治めた者は次のとおりである。
36:32 ベオルの子ベラはエドムで治めた。彼の町の名はディンハバであった。
36:33 ベラが死ぬと、ボツラ出身のゼラフの子ヨバブが代わりに王となった。
36:34 ヨバブが死ぬと、テマン人の地から出たフシャムが代わりに王となった。
36:35 フシャムが死ぬと、モアブの野でミディアン人を打ち破った、ベダデの子ハダドが代わりに王となった。その町の名はアウィテであった。
36:36 ハダドが死ぬと、マスレカ出身のサムラが代わりに王となった。
36:37 サムラが死ぬと、レホボテ・ハ・ナハル出身のシャウルが代わりに王となった。
36:38 シャウルが死ぬと、アクボルの子バアル・ハナンが代わりに王となった。
36:39 アクボルの子バアル・ハナンが死ぬと、ハダルが代わりに王となった。彼の町の名はパウであった。妻の名はメヘタブエルで、メ・ザハブの娘マテレデの娘であった。
36:40 エサウから出た首長の名は、その氏族とその場所ごとにその名を挙げると次のとおり。首長ティムナ、首長アルワ、首長エテテ、
36:41 首長オホリバマ、首長エラ、首長ピノン、
36:42 首長ケナズ、首長テマン、首長ミブツァル、
36:43 首長マグディエル、首長イラム。これらはエドムの首長であり、所有地で住んでいた場所ごとに挙げたものである。エドム人の先祖はエサウである。

今日のテキストとなる、エサウの子孫。テキスト全てがその記録です。
何故、神の恵みの子孫として選ばれたヤコブについては、ここでは記されていないのでしょうか・・・(はてな)
しかし、創世記46章で、改めてヨセフの子供達(子孫)に関する記録が記されている。
創世記のら大切な神の記録の流れの中で、エサウの存在が今は主流ではないが、やがて、ヤコブ(イスラエル)の子孫が歴史の主流に登場するとき、改めてエサウの子孫と、対立したり、妨害されたり、様々な面で解きたい関係の状況となることを、“伏線”として記録する必要があったのです。
先に、イサクと対立する、サラの仕え女のハガルから生まれた、イシュマエルの子孫と、エサウとの関わりも含めて、、今日のテキストは、神の摂理の一貫として、数百年後に、重大な確執(アラブ・パレスティナ・カナン)人となって、イスラエルのエジプトからの帰還(出エジプト)に、大きな“伏線”として、ここに記録されといるのです。
人の自由な営み(歴史を紡ぐ)が、神のご計画(摂理)の中で、許容され、組み込まれて、やがての時に、神が選ばれた民を訓練する、尊い試金石となる事を知るのです。
それだけに、物語・登場人別のその詳細について、見失わないようにしておいて下さい。
今朝ここから学ぶことは、歴史(人の時間的大きな流れの中での営みの積み重ね)は、次の時代、また次の時代の土台となり、神の御手が、その歴史を導かれて、次の時代の中で、神の栄光の証とされる大切な摂理なのです。
私達の今日の明日の営みが、次の世代における、神の摂理の土台とされる、大切な時であることを心に刻みたいですね🎵
 10月16日(日曜日)
リビングライフQT
創世記 35:16~29

35:16 彼らはベテルから旅立った。エフラテに着くまでまだかなりの道のりがあるところで、ラケルは出産したが、難産であった。
35:17 彼女が大変な難産で苦しんでいたとき、助産婦は彼女に、「恐れることはありません。今度も男のお子さんです」と告げた。
35:18 彼女が死に臨み、たましいが離れ去ろうとしたとき、その子の名をベン・オニと呼んだ。しかし、その子の父はベニヤミンと名づけた。
35:19 こうしてラケルは死んだ。彼女はエフラテ、すなわちベツレヘムへの道で葬られた。
35:20 ヤコブは彼女の墓の上に石の柱を立てた。それはラケルの墓の石の柱として今日に至っている。
35:21 イスラエルは旅を続け、ミグダル・エデルを過ぎたところに天幕を張った。
35:22 イスラエルがその地にとどまっていたころ、ルベンが父の側女ビルハのところに行って、彼女と寝た。イスラエルはこのことを聞いた。ヤコブの子は十二人であった。
35:23 レアの子はヤコブの長子ルベン、シメオン、レビ、ユダ、イッサカル、ゼブルン。
35:24 ラケルの子はヨセフとベニヤミン。
35:25 ラケルの女奴隷ビルハの子はダンとナフタリ。
35:26 レアの女奴隷ジルパの子はガドとアシェル。これらはパダン・アラムで生まれたヤコブの子である。
35:27 ヤコブは、キルヤテ・アルバ、すなわちヘブロンのマムレにいる父イサクのところに着いた。そこは、アブラハムとイサクがかつて寄留していたところである。
35:28 イサクの生涯は百八十年であった。
35:29 イサクは年老いて満ち足り、息絶えて死に、自分の民に加えられた。息子のエサウとヤコブが彼を葬った。

ヤコブの一族は、12人の大家族となった。
現代の、結婚間から推し量ると、とても複雑な家庭となるのですが、これを持って、直ちに、乱れた家庭だ💢と、即断すべき事ではないと思われる。
同時に、これを持って、現代の家庭生活に応用したり、正当化するような、原理とするものではない。
人間社会の罪深さ、それを神のご寛容で持って、赦され受け入れられ、更に神はそれらの上に祝福を賜り、恵みと慈しみを持って、歴史を紡がれるのです。
歴史は、神の鉄壁の守りと清さと、純粋性とで紡がれてはおらず、むしろ、各所に、神の憐れみと赦しとが土台となり、愛と赦しと寛容で綴られた、ものとして歴史は紡がれて来ているのです。
それ故歴史は、神の愛と赦しと寛容に綴られた、愛の物語なのです。
イスラエル(ヤコブ)の歴史、イスラエル民族の12部族は、正に、この様な、ヤコブの古代社会の通念的営みによって生まれ、歴史的民となったことは、私達の現代的通念で、理解しようとせず、
神の義によって、赦され綴られた神の憐れみによる歴史として、その中から深く理解し受け入れるとき、神の愛と赦しと完全な豊かさを学ぶことができるのです。それを学ぶとき、私たちは勇気付けられ、神の恵みの中に、常に新しい道を、見いだし事ができるのです。
 10月15日(土曜日)
リビングライフQT
創世記 35:1~15

35:1 神はヤコブに仰せられた。「立って、ベテルに上り、そこに住みなさい。そしてそこに、あなたが兄エサウから逃れたとき、あなたに現れた神のために祭壇を築きなさい。」
35:2 それで、ヤコブは自分の家族と、自分と一緒にいるすべての者に言った。「あなたがたの中にある異国の神々を取り除き、身をきよめ、衣を着替えなさい。
35:3 私たちは立って、ベテルに上って行こう。私はそこに、苦難の日に私に答え、私が歩んだ道でともにいてくださった神に、祭壇を築こう。」
35:4 彼らは、手にしていたすべての異国の神々と、耳につけていた耳輪をヤコブに渡した。ヤコブはそれらを、シェケムの近くにある樫の木の下に埋めた。
35:5 彼らが旅立つと、神からの恐怖が周りの町々に下ったので、だれもヤコブの息子たちの後を追わなかった。
35:6 ヤコブは、カナンの地にあるルズ、すなわちベテルに来た。彼とともにいた人たちもみな一緒であった。
35:7 彼はそこに祭壇を築き、その場所をエル・ベテルと呼んだ。それは、彼が兄から逃れたとき、神がそこで彼に現れたからである。
35:8 リベカの乳母デボラが死に、ベテルの下手にある樫の木の下に葬られた。それで、その木の名はアロン・バクテと呼ばれた。
35:9 ヤコブがパダン・アラムから帰って来たとき、神は再び彼に現れ、彼を祝福された。
35:10 神は彼に仰せられた。「あなたの名はヤコブである。しかし、あなたの名は、もうヤコブとは呼ばれない。イスラエルが、あなたの名となるからだ。」こうして神は彼の名をイスラエルと呼ばれた。
35:11 神はまた、彼に仰せられた。「わたしは全能の神である。生めよ。増えよ。一つの国民が、国民の群れが、あなたから出る。王たちがあなたの腰から生まれ出る。
35:12 わたしは、アブラハムとイサクに与えた地を、あなたに与える。あなたの後の子孫にも、その地を与えよう。」
35:13 神は彼に語ったその場所で、彼を離れて上って行かれた。
35:14 ヤコブは、神が自分に語られた場所に、柱を、石の柱を立て、その上に注ぎのぶどう酒を注ぎ、さらにその上に油を注いだ。
35:15 ヤコブは、神が自分と語られたその場所をベテルと名づけた。

ヤコブはシェケムに家を建てましたが、結果的に、ディナの事で、息子達がとんでもない行為をしでかしたので、そこに住むには、問題が残るので、主なる神は、もともとヤコブに示されていた場所へと、導かれました。
*家を建てた・・・とありますが、彼らの従来の家は、牧羊の民でもあるので、天幕が住まいでした。しかし、“家を建てた”と記されたのですから、石灰岩による建物だったでしょう。
しかし、神はそれを置いて、別な場所へと導かれたのでした。
それが“ベテル”なのです。
この地名は、
創世記28:1~19の、父の家から、兄エサウから逃れるようにして、パダン・アラムへ旅立って暫くして、ベテルで夜になり、神と語らった所でしたね🎵
主はその時『あなたがどこへ行っても、あなたを守り、あなたをこの地に連れ戻そう。・・』と、約束されたのです。
ヤコブは20年前のあの夜の事を思いだし、改めて、自らの立ち位置を思いだし、あの時枕にして寝た石を、たてて油を注いだように、
今新たに石の柱をたてて、神からの契約を心に刻み、石を記念の柱、信仰の告白として建てて、油を注いで、神との契約を表したのです。
信仰の原点に立ち返る・・・事は、とても重要なことです。
私は、少年の頃(中学生)イエス様の十字架の血潮を目の当たりに見るような出来事を通して、人生の転機を経験した場所(:門司港レトロの近くにある場所)に、しばしば、今でも行っては、そこにたたずみ、主に感謝の祈りをするとき、重くのし掛かっていた様々な問題が、軽くなり、主を信じ委ねる恵みと解放感を味わうのです。
私はどこから救われたのか、 どんな時に主に御出会いしたのだったか、救いの原点に帰ることは、素晴らしい前進の力となります‼️🎶ハレルヤ
 10月14日(金曜日)
リビングライフQT
創世記 34:18~31

34:18 彼らの言ったことは、ハモルと、ハモルの子シェケムの心にかなった。
34:19 この若者は、ためらわずにそれを実行した。彼はヤコブの娘を愛していたからである。彼は父の家のだれよりも敬われていた。
34:20 ハモルとその子シェケムは自分たちの町の門に行き、町の人々に告げた。
34:21 「あの人たちは私たちに友好的だ。あの人たちをこの地に住まわせ、この地を自由に行き来させよう。この地は、彼らが来ても十分広いのだから。私たちは彼らの娘たちを妻に迎え、私たちの娘たちを彼らに嫁がせよう。
34:22 次の条件でなら、あの人たちは、私たちとともに住んで一つの民となることに同意すると言うのだ。それは、彼らが割礼を受けているように、私たちのすべての男たちが割礼を受けることだ。
34:23 そうすれば、彼らの群れや財産、それにすべての彼らの家畜も、私たちのものになるではないか。さあ、彼らに同意しよう。そうすれば、彼らは私たちとともに住むことになる。」
34:24 その町の門に出入りする者はみな、ハモルとその子シェケムの言うことを聞き入れ、その町の門に出入りする男たちはみな割礼を受けた。
34:25 三日目になって、彼らの傷が痛んでいるとき、ヤコブの二人の息子、ディナの兄シメオンとレビが、それぞれ剣を取って難なくその町を襲い、すべての男たちを殺した。
34:26 彼らはハモルとその子シェケムを剣の刃で殺し、シェケムの家からディナを連れ出した。
34:27 ヤコブの息子たちは、刺し殺された者のところに来て、その町を略奪した。自分たちの妹が汚されたからである。
34:28 彼らは、その人たちの羊や牛やろば、それに町にあるもの、野にあるものを奪い、
34:29 その人たちの全財産、幼子、妻たち、家にあるすべてのものを捕虜にしたり略奪したりした。
34:30 それで、ヤコブはシメオンとレビに言った。「あなたがたは私に困ったことをして、私をこの地の住民カナン人とペリジ人に憎まれるようにしてしまった。私は数では劣っている。彼らが一緒に集まって私を攻め、私を打つなら、私も家の者も根絶やしにされてしまうだろう。」
34:31 彼らは言った。「私たちの妹が遊女のように扱われてもよいのですか。」

ティナの兄シメオンとレビを初めとしたヤコブの息子たちは、シェケムに割礼を受けるなら・・・との条件を出すと、彼らはそれを受けて、お互い和解できたように見えた。
ヤコブの息子たちは、騙し討ちにして、ハモル一族を征服しようと計画していた。
一方、ハモルの方は、一族を集めて、この事によって、ヤコブ一族を自分達に隷属させようとの、密かな腹づもりを抱いていた(23節)
この様な策略は、古代社会の常なのです。
しかし、シメオンとレビの一族は、先手を打って、ハモり一族を征服した。(騙し討ちにしたのです)しかも、
その財産の全てを略奪したのです。
何という残虐行為でしょう。
勝てば良いのではない、強ければ良いのではない💢
この結果は何千年も経過した今日になお、禍根を繋いでいる。
イスラエルとパレスチナとの確執です。
この様な事態になる時の流れの中で、ヤコブの影が薄いのはなぜでしょう。彼は族長として、もっと神への信仰にたって、息子たちへの指導を、何故しなかったのだろうか(?)
不思議に思う。多くの息子たちに囲まれて、更に勝る神への信頼を、標榜する指導力に影が射したのではないだろうか。
私達の信仰生活は、成り行きに任せる、受動的・天に任せる・・・と言う体の良い判断に隠れず、
父なる神・子なる神イエス・キリストへの毅然とした信仰にたって、
人生を歩まねばならないのです。自分が祝福の基となるために・・・
 10月13日(木曜日)
リビングライフQT
創世記 34:1~17

34:1 レアがヤコブに産んだ娘ディナは、その土地の娘たちを訪ねようと出かけて行った。
34:2 すると、その土地の族長であるヒビ人ハモルの子シェケムが彼女を見て、これを捕らえ、これと寝て辱めた。
34:3 彼はヤコブの娘ディナに心を奪われ、この若い娘を愛し、彼女に優しく語りかけた。
34:4 シェケムは父のハモルに言った。「この娘を私の妻にしてください。」
34:5 ヤコブは、シェケムが自分の娘ディナを汚したことを聞いた。息子たちは、そのとき、家畜を連れて野にいた。それでヤコブは、彼らが帰って来るまで黙っていた。
34:6 シェケムの父ハモルは、ヤコブと話し合うためにやって来た。
34:7 ヤコブの息子たちは野から帰って来て、このことを聞いた。息子たちは心を痛め、激しく怒った。シェケムがヤコブの娘と寝て、イスラエルの中で恥辱となることを行ったからである。このようなことは、してはならないことである。
34:8 ハモルは彼らに語りかけた。「私の息子シェケムは、心からあなたがたの娘さんを恋い慕っています。どうか娘さんを息子の嫁にしてください。
34:9 私たちは互いに姻戚関係を結びましょう。あなたがたの娘さんを私たちに下さり、私たちの娘をあなたがたが迎えてください。
34:10 そうして私たちとともに住んでください。この土地は、あなたがたの前に広がっています。ここに住み、自由に行き来し、ここに土地を得てください。」
34:11 シェケムは彼女の父や兄弟たちに言った。「皆さんのご好意を得られるのなら、おっしゃる物を何でも差し上げます。
34:12 どんなに高い花嫁料や贈り物であっても、私にお求めください。おっしゃるとおりに差し上げます。ですから、どうか、あの人を私の妻に下さい。」
34:13 ヤコブの息子たちは、シェケムが自分たちの妹ディナを汚したので、シェケムとその父ハモルをだまそうとして、
34:14 答えた。「割礼を受けていない者に私たちの妹をやるような、そんなことは、私たちにはできません。それは、私たちにとって恥辱となることですから。
34:15 ただし、次の条件でなら同意しましょう。もし、あなたがたの男たちがみな、割礼を受けて、私たちと同じようになるなら、
34:16 私たちの娘たちをあなたがたに嫁がせ、あなたがたの娘たちを妻に迎えましょう。そうして私たちはともに住み、一つの民となりましょう。
34:17 しかし、もし、あなたがたが私たちの言うことを聞かず、割礼を受けないなら、私たちは娘を連れてここを去ります。」

ヤコブの一族が、カナンの地(シェケム)にやって来ましたが、彼らは、流浪の民、旅人としての立場でしかないため、昨日のテキストにあるように(33:19)、天幕を張る地所さえ、そこに定住する先住民から、金で買わねばならなかった
しかし、僅かながら購入した地を、ヤコブは
そこに、神を礼拝する祭壇を築き、
“イスラエルの神()”と、銘打って、記念としたのです。
これはヤコブの信の顕れ(告白)であり、“ここはイスラエルの土地=エル・エロヘ・イスラエル”という、内々の宣言とも言えるものでした。
所が、この地の所有者で権力者でもあるシェケム(土地の名称はその権力者の名前が呼び名であった)がヤコブの娘を拐かして、ヤコブの息子たちの怒りを買うことになった❗️拐かしたシェケムの父ハモルは、礼を尽くして新たにヤコブの娘“ディナ”を、嫁として迎えること、それを契機に、ヤコブ(イスラエル)家と、ハモル家との自由な親戚交流を・・・との申し出に、ヤーウェの神を信じる証しとしての、“割礼”を受けるなら・・・と、申し入れたのです。
ある意味で、この提案は、イスラエル(ヤコブ一族)には、譲れない民族的アイデンティティーとして、初めて打ち出した提案でした。
しかし、それは次の大問題に発展する、策略を秘めた提案だったのです。
けれども、まさに、イスラエルが、神の民としてのアイデンティティーを、形に表して、真の神に殉じて生きる民となる、一つの切っ掛けとなる、出来事になったのです。
ヤコブの息子たちの提案は、ハモル(ショケム)の民にとっては、逆転的な提案だったが、ヤコブ側は、ヤーウェの神に殉じて生きる証しとして、確り立場を崩さない、信仰の姿勢(所謂アイデンティティー)を守る立場をとったのです。
教会は、この世に、くじけてはならないのです。むしろ、主への信仰のゆえに、知恵と勇気と大胆に信じぬいて、進む事を、学び貫きたいですね‼️🎶
 10月12日(水曜日)
リビングライフQT
創世記 33:12~20

33:12 エサウが、「さあ、旅を続けて行こう。私があなたのすぐ前を行くから」と言うと、
33:13 ヤコブは彼に言った。「あなた様もご存じのように、子どもたちは弱く、乳を飲ませている羊や牛は私が世話をしています。一日でも、ひどく追い立てると、この群れはすべて死んでしまいます。
33:14 あなた様は、しもべより先にお進みください。私は、前を行く家畜や子どもたちの歩みに合わせて、ゆっくり旅を続け、あなた様のもと、セイルへ参ります。」
33:15 それで、エサウは言った。「では、私と一緒にいる者の何人かを、あなたのもとに残しておくことにしよう。」ヤコブは言った。「とんでもないことです。私はご主人様のご好意を十分に受けております。」
33:16 エサウは、その日、セイルへ帰って行った。
33:17 一方、ヤコブはスコテへ移動し、そこで自分のために家を建て、家畜のためには小屋を作った。それゆえ、その場所の名はスコテと呼ばれた。
33:18 こうしてヤコブは、パダン・アラムからの帰途、カナンの地にあるシェケムの町に無事に着き、その町の手前で宿営した。
33:19 そして、天幕を張った野の一画を、シェケムの父ハモルの息子たちの手から百ケシタで買い取った。
33:20 彼はそこに祭壇を築き、それをエル・エロヘ・イスラエルと呼んだ。

ヤコブとエサウとの感動的な和解は、それぞれ20年の間開いた空白を、確かな形で埋め合わせました。ここからが、新たな二人の始まりとなる祖父・父(アブラハム→イサク)の後を継承するための、新しい営みが始まるのです。
その為に、兄エサウの領域に入り込む事は、また争いのもととなるのです。神はそれぞれに族長としての、歴史を担わせているのです。
エサウはセイルの地に帰っていったが、その道は、ヨルダンの東、死海の東を下ったのです。一方、ヤコブはヨルダン川を渡り、かつて、父の家を離れてハランに旅に出た時に通った故郷の町町の道へと、移動を進め、シゥケムに天幕を張り、住まいを定めた。
この時、ヤコブは祭壇を築き、新しい生活の拠点となることを定めて、自らの名を採って町の名前を付けた。
ヤコブもまた、全ての生活の基盤を、アブラハム→イサクの神を神として、このお方を全ての存在“源”となるお方として、祭壇を築いて、礼拝を捧げたのです。
私達の人生の中で、最も大切なことは、人生を導かれるお方“神”への完全な服従なのです‼️🎶
その為に生活の中心に神を置く、そこから歴史が形をとるのです。ヤコブもエサウも、最早人生を導く両親を失い、今や新しい歴史の主催者になっているのです。
それは、私たちが主に出会い、全く新しい道に歩み始めるときとなったのです。
今私達の祭壇は、このリビングライフのQTであり、この学びをベースにして、魂(心)を注ぎ出して黙想し、魂に新たなステップを踏み、神に朝毎に祈ることです。
 10月11日(火曜日)
リビングライフQT
創世記 33:1~11

33:1 ヤコブが目を上げて見ると、見よ、エサウがやって来た。四百人の者が一緒であった。そこで、ヤコブは子どもたちを、レアとラケルと二人の女奴隷の群れに分け、
33:2 女奴隷たちとその子どもたちを先頭に、レアとその子どもたちをその後に、ラケルとヨセフを最後に置いた。
33:3 ヤコブは自ら彼らの先に立って進んだ。彼は兄に近づくまで、七回地にひれ伏した。
33:4 エサウは迎えに走って来て、彼を抱きしめ、首に抱きついて口づけし、二人は泣いた。
33:5 エサウは目を上げ、女たちや子どもたちを見て、「この人たちは、あなたの何なのか」と尋ねた。ヤコブは、「神があなた様のしもべに恵んでくださった子どもたちです」と答えた。
33:6 すると、女奴隷とその子どもたちが進み出て、ひれ伏した。
33:7 次に、レアも、その子どもたちと進み出て、ひれ伏した。最後に、ヨセフとラケルが進み出て、ひれ伏した。
33:8 するとエサウは、「私が出会ったあの一群すべては、いったい何のためのものか」と尋ねた。ヤコブは「あなた様のご好意を得るためのものです」と答えた。
33:9 エサウは、「私には十分ある。弟よ、あなたのものは、あなたのものにしておきなさい」と言った。
33:10 ヤコブは答えた。「いいえ。もしお気に召すなら、どうか私の手から贈り物をお受け取りください。私は兄上のお顔を見て、神の御顔を見ているようです。兄上は私を喜んでくださいましたから。
33:11 どうか、兄上のために持参した、この祝いの品をお受け取りください。神が私を恵んでくださったので、私はすべてのものを持っていますから。」ヤコブがしきりに勧めたので、エサウは受け取った。

エサウとヤコブの再会は、非常に感動的なドラマの様です。
ヤコブの態度には最早卑屈な陰はなく、20年振りに再会する、兄への自然な喜びの感情と、何よりも血を分けた肉親(兄)への、ほとばしるような、感動が伝わってきます。
贈り物は❗️それを整えた時点では、恐れと、不安に揺さぶられた中での、策略的な意味を持つ段取りでしたが、この物語の流れでは、最早そのような含みは消え、兄エサウへの“サプライズ”的な意味を含む、ヤコブの兄を懐かしむ思いが詰まった、贈り物として、エサウを感動させたのです。
創世記32章17節~20節では、完璧なまでの、ヤコブのエサウに対する、宥(ナダメ)めの供え物(賂=マイナイ)でした。
その為、ヤコブは最後に兄の前に登場する手はずでしたが、贈り物は確かに先にエサウの前に届けられましたが、いよいよ、エサウとの再会に際しては、
真っ先に、エサウの前に進み出て、二人は何の違和感もなく、20年の時の隔たり(あの忌まわしい傷つけ、傷つけられた)確執も消え去り、ただただ再会の喜びに、懐かしさに打ち震えたのです。そこには最早、積年の恨みも、怖れも、解離も消え去って一つに結ばれたのです‼️🎶
それは、あのヤボクの渡しで、神の使いと組打ちしたときに、神からの赦しを頂いた(:勝ち取った)からなのです。それは帳消しになったと言うものではなく、神からの和解により、お互いの間の確執や怖れや、離反感情が、癒されたからなのです。洗い流され、清らかで透明な、愛と慈しみが、新しく沸き上がる泉となって二人を洗ったのです。
これが“和解=赦し==贖罪”なのです。
まさにこの二人の和解の姿のなかに、やがて成就される(た)主イエス・キリストによる、十字架の贖罪の完成が余表されているのです‼️
今この十字架の購いによる救いに預かっている私たちは、全く和解に預かって赦され、今あるのです🎶アーメン‼️
 10月10日(月曜日)
リビングライフQT
創世記 32:21~32

32:21 こうして贈り物は彼より先に渡って行ったが、彼自身は、その夜、宿営にとどまっていた。
32:22 その夜、彼は起き上がり、二人の妻と二人の女奴隷、そして十一人の子どもたちを連れ出し、ヤボクの渡し場を渡った。
32:23 彼らを連れ出して川を渡らせ、また自分の所有するものも渡らせた。
32:24 ヤコブが一人だけ後に残ると、ある人が夜明けまで彼と格闘した。
32:25 その人はヤコブに勝てないのを見てとって、彼のももの関節を打った。ヤコブのももの関節は、その人と格闘しているうちに外れた。
32:26 すると、その人は言った。「わたしを去らせよ。夜が明けるから。」ヤコブは言った。「私はあなたを去らせません。私を祝福してくださらなければ。」
32:27 その人は言った。「あなたの名は何というのか。」彼は言った。「ヤコブです。」
32:28 その人は言った。「あなたの名は、もうヤコブとは呼ばれない。イスラエルだ。あなたが神と、また人と戦って、勝ったからだ。」
32:29 ヤコブは願って言った。「どうか、あなたの名を教えてください。」すると、その人は「いったい、なぜ、わたしの名を尋ねるのか」と言って、その場で彼を祝福した。
32:30 そこでヤコブは、その場所の名をペヌエルと呼んだ。「私は顔と顔を合わせて神を見たのに、私のいのちは救われた」という意味である。
32:31 彼がペヌエルを通り過ぎたころ、太陽は彼の上に昇ったが、彼はそのもものために足を引きずっていた。
32:32 こういうわけで、イスラエルの人々は今日まで、ももの関節の上の、腰の筋を食べない。ヤコブが、ももの関節、腰の筋を打たれたからである。

ヤコブは、意を尽くし、兄エサウをなだめ(謝罪)るあらゆる手立てを尽くしましたが、不安と恐れは消えなかった。
ヤボクの渡しを、全て渡しはしたが、どうしても、心落ち着かなかった。依然として、心の責めは、鎮まらないのです。
人の魂深くに食い込んだ罪責感は、その人(本人)がどの様な手立てを尽くしても、所詮、自らの汚れた手では、拭いきれないものです。
ヤコブは思いを尽くしては見たが、やはり迷いの霧は晴れず、返って自らの惨めさだけが、鮮明に残って、打ちのめされたのです。行くも帰るも出来ない、惨めな孤立に、取り残されたのです。
人生のどん底、行き詰まりに立ち尽くした時、
神が使いを遣わして、ヤコブと対決させたのです。
その時のヤコブは、何かにしがみつきたい、何でも良い❗️
自分のどん底の感情にたいして、その捌け口を、この相手(神の使い)に求めたのです。
彼は戦い(取っ組み合い)には勝ちましたが、それで発散出来たわけではない事を、感じていましたので、敗者に対して「祝福してください」・と、しがみついたのです。
まさにヤコブらしからぬ、敗北感丸出しの体でした。
ヤコブの願いは、平安と確信が欲しかったのです‼️
私たちの人生でも、そうですね。どんなに優れた事積があっても、絶対者による、承認と言う確信が、欲しいのです。
実は、この事実は、言い換えると“自分でも気が付かずに鬱積(ウッセキ)する罪責感”
からの解放(自由)を求めているのです。これが人の魂を責め、歪ませ、平安を奪っているのです。
ヤコブは、そんな自分を知っていたから、26節に「私はあなたを去らせません。私を祝福してくださらなければ
と」と、叫んだのです。
ヤコブはやっと、自分の弱さを、吐露したのです。
人生には、この瞬間がなければ、勝利と平安はやって来ないでしょう‼️
ここからがヤコブの新しい人生となるのです。
主は、ヤコブを、(神と闘って勝った)と言う意味を持つ“イスラエル”と解明させたのです。“神と争って勝った‼️”と言う意味です。
何と言う名前でしよう⁉️
神と争う‼️と言う意味は・・・
神の弱味❓は“悔いた心”なのです。ヤコブはここで祝福を頂いたのですが、それは赦された‼️と、実感した・・と言うことです。
これが聖書の主題なのです。ヤコブ(押しのけるもの)が→イスラエなったこと(神と争って“懇願して”勝ったもの)と‼️なったのです。
この変革こそ、主なる神が全ての人に、与えておらされる、最大の祝福です‼️
私たちの人生でこれを勝ち取ることが、最大の生きる使命ではないでしょうか。
神のあわれみにしがみつきましょう🎵
 10月9日(日曜日)
リビングライフQT
創世記 32:13~20

32:13 その夜をそこで過ごしてから、ヤコブは自分が手に入れたものの中から、兄エサウへの贈り物にするものを選び出した。
32:14 雌やぎ二百匹、雄やぎ二十匹、雌羊二百匹、雄羊二十匹、
32:15 乳らくだ三十頭とその子、雌牛四十頭、雄牛十頭、雌ろば二十頭、雄ろば十頭。
32:16 彼は、しもべたちの手にそれぞれ一群れずつを渡し、しもべたちに言った。「私の先を進め。群れと群れの間には距離をおけ。」
32:17 また、先頭の者に命じた。「もし私の兄エサウがあなたに会い、『あなたは、だれに属する者か。どこへ行くのか。あなたの前のこれらのものは、だれのものか』と尋ねたら、
32:18 『これらは、あなた様のしもべヤコブのものでございます。ご主人のエサウ様に差し上げる贈り物でございます。ご覧ください。ヤコブもうしろにおります』と答えよ。」
32:19 彼は第二の者にも、第三の者にも、群れ群れについて行くすべての者に命じた。「あなたがたがエサウに出会ったら、これと同じことを告げよ。
32:20 また、『ご覧ください。あなた様のしもべヤコブは、私どものうしろにおります』と言え。」ヤコブは、「自分の先に行く贈り物で彼をなだめ、その後で彼と顔を合わせよう。もしかすると、私を受け入れてくれるかもしれない」と思ったのである。

ヤコブは、20年前の事とは言え、現実には父イサクの財産を、そのまま相続した、兄との関係は、それで相殺されるとは、考えられなかったのです。大切なのは羊の群れや使用人や物財産ではないのです。神との契約を交わした、家系の継承なのです。この事実の変更は古代社会では、あり得ないのです。
ヤコブの記憶に対する、後悔の念は、消し去らせないのです。消そうとすればするほど、疼きが強くなるのです。
せめてもの罪滅ぼしに・・・と、仕組んだのがハランで得た数多くの、家畜の群れでした。群の数に準じた使用人も含めた一団でした。心の中では祈りながら、何とか兄と和解したいと、心を尽くし、意を尽くして備えたのです‼️
私たちの日常生活でも、神様との関係は、十字架の贖罪で、永遠の神との関係は、帳消しにはなりましたが、人との関係での、傷や関係の崩壊は、洗礼受けたら無くなるものではありません。
悔い改めは、言葉・態度・関係の修復への努力・赦しと愛による関係の新たな修復が必要です。それが“証し”と言うものです。
その様な中で主なる神は、恐れ・卑屈・不安等の感情は、主なる神様が和らげてくださるのです‼️
そして新たに、赦しと、愛と、謙虚さが、和らぎとなって、両者の間を、新たな関係の太い信頼の絆で、新しい世界が拡がるのです‼️
主イエス様は、、私たちに代わり、創造主なり父なる神の前に、私たちに代わって、ご自身の御存在を身代わりの子羊として、捧げて下さったのです。
この事が、永遠の神様と、罪人である私達との関係を、永遠に繋いで下さったのです‼️
ハレルヤ❗️アーメン
 10月8日(土曜日)
リビングライフQT
創世記 32:1~12

32:1 さて、ヤコブが旅を続けていると、神の使いたちが彼に現れた。
32:2 ヤコブは彼らを見たとき、「ここは神の陣営だ」と言って、その場所の名をマハナイムと呼んだ。
32:3 ヤコブは、セイルの地、エドムの野にいる兄のエサウに、前もって使いを送った。
32:4 ヤコブは彼らに命じた。「私の主人エサウにこう伝えなさい。『あなた様のしもべヤコブがこう申しております。私はラバンのもとに寄留し、今に至るまでとどまっていました。
32:5 私には牛、ろば、羊、それに男女の奴隷がおります。それで私の主人であるあなた様にお知らせして、ご好意を得ようと使いをお送りしました。』」
32:6 使者は、ヤコブのもとに帰って来て言った。「兄上エサウ様のもとに行って参りました。あの方も、あなたを迎えにやって来られます。四百人があの方と一緒にいます。」
32:7 ヤコブは非常に恐れ、不安になった。それで彼は、一緒にいる人々や、羊や牛やらくだを二つの宿営に分けた。
32:8 「たとえエサウが一つの宿営にやって来て、それを打っても、もう一つの宿営は逃れられるだろう」と考えたのである。
32:9 ヤコブは言った。「私の父アブラハムの神、私の父イサクの神よ。私に『あなたの地、あなたの生まれた地に帰れ。わたしはあなたを幸せにする』と言われた【主】よ。
32:10 私は、あなたがこのしもべに与えてくださった、すべての恵みとまことを受けるに値しない者です。私は一本の杖しか持たないで、このヨルダン川を渡りましたが、今は、二つの宿営を持つまでになりました。
32:11 どうか、私の兄エサウの手から私を救い出してください。兄が来て、私を、また子どもたちとともにその母親たちまでも打ちはしないかと、私は恐れています。
32:12 あなたは、かつて言われました。『わたしは必ずあなたを幸せにし、あなたの子孫を、多くて数えきれない海の砂のようにする』と。」

ヤコブの人生最大の葛藤((( ;゚Д゚)))
“盗人は、追うものなけれども逃げる”・・と言う諺(コトワザ)がありますが、
ヤコブは、20年に及ぶ苦節の日々から、やっと解放されて、懐かしい故郷のセイルの山々を望む近くまで来ると、懐かしさと共に、
今までは遠くにあって懐かしんだ故郷が、今や兄エサウとの確執を思い出す、恐怖の場所として映り始めたのです。
ヤコブはここで神様への信頼(信仰)を試されているのです。
と同時に、信仰の新たな段階にステップアップするための試練の時なのです。
私たちの信仰生活でも、普通の平凡な日々にある時には、普通に良く祈り、鼻唄のように讃美歌が溢れてきて、信仰生活を堪能していますが、
病気・倒産・失敗・誤解を受ける・四面楚歌に孤立する・・等々、
そんな時、本当の信仰が試されるのです。
そして、その様な中で祈り、葛藤し、祈りの言葉も出ず、煩悶する時、新たな形で主なる神に向き直る時、今まで気づかなかった、神様のあなたへの深い関わりが見えてくるでしょう。
試練や困難は、主との関係の新たな段階に入る、大切な時(恵みの時)なのです。
ヤコブは、今新たに、父の家を離れて、パダン・アラムで一夜の夢で神からの約束を聞いた、あの原点に立ち返っていたのです。それが12節の、ヤコブの、神への訴えのような約束の再確認なのです‼️🎶
私達も、信仰生活の様々な試練の中で、十字架の主のみ姿を、仰ぎ見るようにして、かくまで愛し、赦される主なるイエス様の愛と保証に、新たに力付けられる、経験を重ねたいですね。
 10月7日(金曜日)
リビングライフQT
創世記 3143~55

31:43 ラバンはヤコブに答えた。「娘たちは私の娘、子どもたちは私の子ども、群れは私の群れ、すべてあなたが見るものは私のもの。この私の娘たちに対して、または、娘たちが産んだ子どもたちに対して、今日、私が何をするというのか。
31:44 さあ今、私とあなたは契約を結び、それを私とあなたとの間の証拠としよう。」
31:45 そこで、ヤコブは石を取り、それを立てて石の柱とした。
31:46 ヤコブは自分の一族に言った。「石を集めなさい。」そこで彼らは石を取り、石塚を作った。彼らは石塚のそばで食事をした。
31:47 ラバンはそれをエガル・サハドタと名づけたが、ヤコブはこれをガルエデと名づけた。
31:48 そしてラバンは言った。「この石塚は、今日、私とあなたの間の証拠である。」それゆえ、その名はガルエデと呼ばれた。
31:49 また、それはミツパとも呼ばれた。彼がこう言ったからである。「われわれが互いに目の届かないところにいるとき、【主】が私とあなたの間の見張りをされるように。
31:50 もし、あなたが私の娘たちをひどい目にあわせたり、娘たちのほかに妻をめとったりするなら、たとえ、だれもわれわれとともにいなくても、見よ、神が私とあなたの間の証人である。」
31:51 また、ラバンはヤコブに言った。「見なさい、この石塚を。そして見なさい、あなたと私の間に私が立てた、この石の柱を。
31:52 この石塚が証拠であり、この石の柱が証拠である。私は、この石塚を越えてあなたのところに行くことはない。あなたも、敵意をもって、この石塚やこの石の柱を越えて私のところに来てはならない。
31:53 どうか、アブラハムの神、ナホルの神、彼らの父祖の神が、われわれの間をさばかれるように。」ヤコブも、父イサクの恐れる方にかけて誓った。
31:54 ヤコブは山でいけにえを献げ、一族を食事に招いた。彼らは食事をして、山で一夜を明かした。
31:55 翌朝早く、ラバンは孫と娘たちに口づけして、彼らを祝福した。それからラバンは去って、自分の所へ帰った。

初めて、ヤコブとラバンは、対等に主張しあい、43節にはラバンは「・・・私の娘(レア・ラケル)たちに対して・・または、娘達が生んだ子供たちに対して、今日、私が何をするというのか。」と、和らぎの言葉を語り、石塚を立てて、和解と、不可侵の協定をたてました。
ヤコブの20年に亘る忍耐と、神の直接の語りかけによる、ラバンへの忠告により、ヤコブの新しい出発が、確かなものとされました。
徹底した信仰(ヤコブの20年の忍耐)には、神の御手が、動きますね🎵。
ラバンは改めて、娘や孫たちの祝福された姿を見て、安心して別れて帰ったことでしょう。
53節・・アブラハムの神、ナホル(ラバンの父)の神、彼らの父祖の神が・・・と、語るのを見ると、テラフィムを、保持した生活の中で、ヤコブの存在により、カルデヤのウルから導き出された、唯一の真の神へ、彼(ラバン)の魂が開かれたのを見て、信仰者(クリスチャン=あなた・私)の、証の日々がどんなに大切かを、気付かせられますね🎵
 10月6日(木曜日)
リビングライフQT
創世記 31:36~42

31:36 するとヤコブは怒って、ラバンをとがめた。ヤコブはラバンに向かって言った。「私にどんな背きがあり、どんな罪があるというのですか。私をここまで追いつめるとは。
31:37 あなたは私の物を一つ残らず調べて、何か一つでも、あなたの家の物を見つけましたか。もしあったなら、それを私の一族と、あなたの一族の前に置いて、彼らに私たち二人の間をさばかせましょう。
31:38 私があなたと一緒にいた二十年間、あなたの雌羊も雌やぎも流産したことはなく、また私はあなたの群れの雄羊も食べませんでした。
31:39 野獣にかみ裂かれたものは、あなたのもとへ持って行かずに、私が負担しました。それなのに、あなたは昼盗まれたものや夜盗まれたものについてまでも、私に責任を負わせました。
31:40 私は昼は暑さに、夜は寒さに悩まされて、眠ることもできませんでした。
31:41 私はこの二十年間、あなたの家で過ごし、十四年間はあなたの二人の娘たちのために、六年間はあなたの群れのために、あなたに仕えてきました。しかも、あなたは何度も私の報酬を変えました。
31:42 もし、私の父祖の神、アブラハムの神、イサクの恐れる方が私についておられなかったなら、あなたはきっと何も持たせずに私を去らせたことでしょう。神は私の苦しみとこの手の労苦を顧みられ、昨夜さばきをなさったのです。」

ヤコブのラバンに仕えた20年は、徹底した僕として、なんの報いも求めずに、仕えてきた‼️
どうして、ここまで自分を押さえて(❓)、仕えて(38節~42節)きたのでしょう。
それは、やはり父イサクの家で、父をだまし、兄エサウを騙して、長子の特権(生涯・・のみならず、子々孫々に至るまでの血統路線)を搾取した事への、反省を越えた“悔い”が、ヤコブをそうさせたのです。
ここで、叔父ラバンからの20年に亘る奴隷のような扱いに対して、抗議したのではなく、事実として彼に気づかせる思いで、語ったのです。
新たな報酬を求めたのでもありませんでした。
ヤコブは、今ラバンとパダン・アラムの町から解放されて、今があることに、真の自由を最大の祝福として、感謝していたのです。
私はこの経緯を繰り返し読みながら、あることに気がつきました。
私は今の生活・立場・関係に感謝しているだろうか。
*もっとこうありたい
*こうある筈なのでは
*何故こうなったの・
・・と、ついぼやきたくなることがありはしないか(?)
ヤコブは許されて、今ここに生かされている‼️
これがヤコブの日々だったのだ❗️だから耐えられたのだ。(否、耐えたのではなく、他の為に生きるー仕えるー日々の積み重ねだったのです)
改めて、主の贖罪の血潮で、罪赦されて今在ることに、深く魂の根が下ろされているなら、どうして、不平・苛立ち・不安・怖れに、揺さぶられること有るでしょうか(?)
ヤコブの日々はまさに、赦された日々だったのでしょうね。ハレルヤ‼️アーメン‼️🎶
 10月5日(水曜日)
リビングライフQT
創世記 31:17~35

31:17 そこでヤコブは立って、彼の子たち、妻たちをらくだに乗せ、
31:18 また、すべての家畜と、彼が得たすべての財産、彼がパダン・アラムで自分のものとした家畜を連れて、カナンの地にいる父イサクのところへ向かった。
31:19 そのとき、ラバンは自分の羊の毛を刈りに出ていた。ラケルは、父が所有しているテラフィムを盗み出した。
31:20 ヤコブはアラム人ラバンを欺いて、自分が逃げるのを彼に知られないようにした。
31:21 彼は自分のものをすべて持って逃げた。彼は立ち去ってあの大河を渡り、ギルアデの山地の方へ向かった。
31:22 三日目に、ヤコブが逃げたことがラバンに知らされた。
31:23 ラバンは身内の者たちを率いて、七日の道のりを追って行き、ギルアデの山地でヤコブに追いついた。
31:24 神は夜、夢でアラム人ラバンに現れて仰せられた。「あなたは気をつけて、ヤコブと事の善悪を論じないようにしなさい。」
31:25 ラバンはヤコブに追いついた。そのとき、ヤコブは山地に天幕を張っていたが、ラバンもギルアデの山地に身内の者たちと天幕を張った。
31:26 ラバンはヤコブに言った。「何ということをしたのか。私を欺いて、娘たちを、剣で捕らえられた者のように引いて行くとは。
31:27 なぜ、あなたは逃げ隠れて私を欺き、私に知らせなかったのか。タンバリンや竪琴で喜び歌って、あなたを送り出しただろうに。
31:28 しかもあなたは、私の孫や娘たちに口づけもさせなかった。あなたは全く愚かなことをしたものだ。
31:29 私には、あなたがたに害を加える力があるが、昨夜、あなたがたの父の神が私に、『あなたは気をつけて、ヤコブと事の善悪を論じないようにせよ』と告げられた。
31:30 それはそうと、あなたは、あなたの父の家がどうしても恋しくなって出て行ったのだろうが、なぜ私の神々を盗んだのか。」
31:31 ヤコブはラバンに答えた。「あなたがご自分の娘たちを私から奪い取りはしないかと思って、恐れたのです。
31:32 あなたがご自分の神々をだれかのところで見つけたら、私はその者を生かしておきません。私のところに何があるか、私たちの一族の前で、ご自分で調べてください。そして持って行ってください。」ヤコブは、ラケルが盗んだことを知らなかったのである。
31:33 そこで、ラバンはヤコブの天幕とレアの天幕、また二人の女奴隷の天幕に入って行ったが、見つからなかった。彼はレアの天幕を出て、ラケルの天幕に入った。
31:34 ところが、ラケルはすでにテラフィムを取って、それらをらくだの鞍の中に入れ、その上に座っていたので、ラバンが天幕を隅々まで調べても見つからなかった。
31:35 ラケルは父に言った。「父上、どうか怒らないでください。私はあなたの前で立ち上がることができません。女の常のことがあるからです。」彼は捜したが、テラフィムは見つからなかった。

ヤコブのパダン・アラムの年期明けですね🎵
しかし、ラバンという人は、なかなかのしたたか者ですね。まともに暇乞(いとまご)いしたら、どんな無理難題出されるか分からないので、すでに報酬についての、了解もとったので、折りを見てソッと故郷へと旅立ったのです。
ヤコブもなかなかの強気ですね。互いに折り合えないなら、争いにならないように、ソッと身を引こう‼️と、強行したのでしょう。
叔父も叔父、一週間も追跡して追い付いての、談判。
主なる神は、このラバンに、ヤコブと争わないようにと御声をかけて、二人の間を丸く納められました。
今朝のテキストでひとつ気になることは、
ラケルが、父ラバンの家から、家の守護神とされている、“テラブィム”という偶像を、盗み出して、隠したことが、大事に発展する危険をはらんだのですが、何とか発覚せずに・・・
しかし、読んでいる私たちには、ン?と戸惑わせる事態です。
これは古代社会独特の、ある意味での“偶像”であり、日本で言う、神棚的な物だと言えましょう。
信仰の対象と言うより、魔除け的なものだったのです。
所謂“信仰の対象”と言われるものではなかったのですが、しかし、忍び寄る偶像となるものです。
ラケルは、この偶像“テラフィム”を、🐪ラクダの鞍に入れて、その上に腰かけていた。 

(偶像の上に腰かけた)
偶像なんて、このような人の都合でどのようにも取り扱われるものです。はからずも、このテキストは、その事を、明らかに示しているのです。(即ち、神とされる偶像が、人に支配され人に守られのはならない・・・)
全体に、ヤコブが経験した❗️人生の危機
*(父イサクの家を出るとき) 
*(今、時を経てラバンの家を出る時)
主なる神が、彼の全てを覆い包んで、護られて来たことを、見ることができるのです。
神は何と憐れみ深い方なんでしょう。‼️🎶
主の御名を賛美します‼️🎶
 10月4日(火曜日)
リビングライフQT
創世記 31:1~16

31:1 ところで、ヤコブはラバンの息子たちが、「ヤコブはわれわれの父の物をみな取った。父の物で、このすべての富をものにしたのだ」と言っているのを聞いた。
31:2 ヤコブがラバンの態度を見ると、はたして、それは彼に対して以前のようではなかった。
31:3 【主】はヤコブに言われた。「あなたが生まれた、あなたの父たちの国に帰りなさい。わたしは、あなたとともにいる。」
31:4 ヤコブは人を送って、ラケルとレアを自分の群れのいる野に呼び寄せ、
31:5 彼女たちに言った。「私は、あなたたちの父の態度が以前のようではないのに気づいている。しかし、私の父の神は私とともにおられる。
31:6 あなたたちがよく知っているように、私はあなたたちの父に、力を尽くして仕えてきた。
31:7 それなのに、あなたたちの父は私を欺き、私の報酬を何度も変えた。しかし神は、彼が私に害を加えることを許されなかった。
31:8 彼が『ぶち毛のものはあなたの報酬になる』と言えば、群れのすべてがぶち毛のものを産んだ。また、『縞毛のものはあなたの報酬になる』と言えば、群れのすべてが縞毛のものを産んだ。
31:9 こうして神は、あなたたちの父の家畜を取り上げて、私に下さったのだ。
31:10 群れのやぎにさかりがついたとき、私が夢の中で目を上げて見ると、見よ、雌やぎと交尾している雄やぎは、縞毛、ぶち毛、斑毛ばかりであった。
31:11 すると、神の使いが夢の中で私に『ヤコブよ』と言われた。私は『はい』と答えた。
31:12 御使いは言われた。『目を上げて見よ。雌やぎと交尾している雄やぎはみな、縞毛、ぶち毛、斑毛である。ラバンがあなたにしてきたことはみな、わたしが見た。
31:13 わたしは、あのベテルの神だ。あなたはそこで、石の柱に油注ぎをし、わたしに誓願を立てた。さあ立って、この土地を出て、あなたの生まれた国に帰りなさい。』」
31:14 ラケルとレアは答えた。「私たちの父の家には、相続財産で私たちの取り分がまだあるでしょうか。
31:15 私たちは父に、よそ者と見なされているのではないでしょうか。あの人は私たちを売り、しかもその代金を食いつぶしたのですから。
31:16 神が私たちの父から取り上げた富は、すべて私たちのもの、また子どもたちのものです。さあ、神があなたにお告げになったことを、すべてなさってください。」

ラバンの息子達の告げ口、それは、余りにその働きの成果が目立つので、自分達の立場を守ろうとする余りの、陰口だったのでしょう。
このような状態になるほどの目だった成果こそ、アブラハムの神、イサクの神の、ご支配の中に育まれた、イサク(言い換えるなら、ヤコブの信じる創造主)の神への、卓越した信仰の証でしょう‼️🎶
いつの時代にも、純粋な信仰は、必ず反対に会い、妨害されるものです。
すでにヤコブは、羊・山羊の群と、家族全員と使用人すべて財産(山羊・羊の群れ)を、ラバンとその家族のものと混じり会わないように、3日路を離れたところに、移していた。
ヤコブがハランに来て早20年近く経過していました。
ベテルで、夢に現れた神が、父の家に帰るように、促されました。
こうして、自らが画策して、帰国への備えをするのではなく、神の導きがヤコブの忍耐の中で、妻たちの納得を得て、整ってきたのです。
神の時‼️🎶 それは神ご自身が“由とされる”時が用意されたのです。
私達の人生にも、”時を得る‼️“と言うことは、最大の危機であるとともに、最大の祝福の時でもあります‼️
私の人生にも様々な“時”がありました。そしてそれは何時も、タイミング外すと、まさに危機の時でもあります。
*四国に旅立った時
*四国から帰った時
*下関以下四つの教会     を産み出した事
*シオン教会を退任した時
*佐伯・蒲江の働きに終止符を打った時・・
“時を得る時”それは、最良の祝福となるのです‼️🎶
これからも、主の恵みを見つめて、過つことなく主に導かれながら、“時”を、美しく備えて参慰労と、願っています。ハレルヤ‼️🎶
 10月3日(月曜日)
リビングライフQT
創世記 30:25~43

30:25 ラケルがヨセフを産んだころ、ヤコブはラバンに言った。「私を去らせて、故郷の地へ帰らせてください。
30:26 妻たちや子どもたちを私に下さい。彼女たちのために私はあなたに仕えてきました。行かせてください。あなたに仕えた私の働きは、あなたがよくご存じなのですから。」
30:27 ラバンは彼に言った。「私の願いをあなたがかなえてくれるなら──。あなたのおかげで【主】が私を祝福してくださったことを、私は占いで知っている。」
30:28 さらに言った。「あなたの報酬をはっきりと申し出てくれ。私はそれを払おう。」
30:29 ヤコブは彼に言った。「私がどのようにあなたに仕え、また、あなたの家畜が私のもとでどのようであったかは、あなた自身がよくご存じです。
30:30 私が来る前は、あなたの財産はわずかでしたが、増えて多くなりました。私の行く先々で【主】があなたを祝福されたからです。いったい、いつになったら私は自分の家を持てるのですか。」
30:31 彼は言った。「あなたに何をあげようか。」ヤコブは言った。「何も下さるには及びません。もし私に次のことをしてくださるなら、私は再びあなたの群れを飼って守りましょう。
30:32 私は今日、あなたの群れをみな見て回りましょう。その中から、ぶち毛と斑毛の羊をすべて、子羊の中では黒毛のものをすべて、やぎの中では斑毛とぶち毛のものを取り分けて、それらを私の報酬にしてください。
30:33 後であなたが私の報酬を見に来られたとき、私の正しさが証明されるでしょう。やぎの中に、ぶち毛や斑毛でないものや、子羊の中に、黒毛でないものがあれば、それはすべて、私が盗んだことになります。」
30:34 するとラバンは言った。「よろしい。あなたの言うとおりになればよいが。」
30:35 ラバンはその日、縞毛と斑毛の雄やぎと、ぶち毛と斑毛の雌やぎのすべて、すなわち身に白いところのあるもののすべて、それに、黒毛の子羊のすべてを取りのけて、息子たちの手に渡した。
30:36 そして、自分とヤコブの間に三日分の距離をおいた。ヤコブはラバンの残りの群れを飼った。
30:37 ヤコブは、ポプラや、アーモンドや、すずかけの木の若枝を取り、それらの白い筋の皮を?いで、若枝の白いところをむき出しにし、
30:38 皮を?いだ枝を、群れが水を飲みに来る水溜めの水ぶねの中に、群れと差し向かいに置いた。それで群れのやぎたちは、水を飲みに来たとき、さかりがついた。
30:39 こうして羊ややぎは枝の前で交尾し、縞毛、ぶち毛、斑毛のものを産んだ。
30:40 ヤコブは羊を分けて、その群れが、ラバンの群れの縞毛のものとすべての黒毛のものに、向かい合わせになるようにした。彼は自分の群れを別にまとめておき、ラバンの群れと一緒にしなかった。
30:41 また、強い群れにさかりがついたときに、ヤコブはいつも、あの枝を水ぶねの中に、群れの目の前になるように置き、枝のところで交尾させた。
30:42 しかし、弱い群れのときには、それを置かなかった。こうして、弱いものはラバンのものとなり、強いものはヤコブのものとなった。
30:43 このようにして、この人は大いに富み、多くの群れと、男女の奴隷、それにらくだとろばを持つようになった。

14年、レアとラケルのために、全力尽くしてラバンに仕えたヤコブは、頃合いを図って、独立(父イサクの家に帰る)を申し出たのです。
その時点で、14年間ヤコブがラバンに仕えた成果が、尋常でない豊かなものであったことを、ラバン自信も認めており、ヤコブも駆け引き為しに、その実績を誇るではなく、確認していたのです。
ですから、叔父ラバンが“報酬の申告”を申し出るように・・・と言われた時、目先の鋭いヤコブは、叔父の利得に巻き込まれないように、ひとつの提案をした。
牧羊者にとって、羊は、毛皮が一番に重要な財産となるので、全身真っ白な羊は、取引にはなるが斑や黒の毛並みの羊は、食肉やミルク以外には潰しが効かないので価値が低かった。そこでラバンから、何の報酬も求めずに、ただ斑の羊だけを分けて、引き取る・・と申し出たのです。
何百頭もの羊を、仕訳しても、お互いの所有を明確にするのは難しかったので‼️
ここに再現すると長くなるので、更にヤコブは、仕訳した群を、叔父の群れから離して、
ある種の方法で出産に至る過程で、羊への心理的作戦を使って、斑の子供を産む刺激の手法を密かに使い、全て斑を自分の群れに組み込むという、知恵の作戦で、群れの数をますます増やしたのです。
主なる神はヤコブに味方して、その方法を確かにし、彼の豊かさに路を開かれました。
勿論、ヤコブのぶち同士の羊からはやがて、次々と、純白の強く生命力に充ちた子羊が生まれ、ヤコブは、叔父の支配下から、自らの世界(二人の妻と11人の子供たちと使用人達を拡げた)拡大していったのです。
ヤコブは単に、知恵者であったのではなく、羊の産み分けや、牧羊経営学の才覚は、主なる神の恵みによる、祝福であり、ヤコブ自信も、イサク家に居る時に(幼くして母から聞き及んだ、神の約束)を、心の底に秘めて、神への絶対の信頼をずっとも膣っ蹴ることで、ラバンからの仕打ちに、忍耐してきたのです。
ヤコブのここに至っての勝利は、彼の地位や賢さではなく、神への信頼と、それを信じ抜く神への祈りの繋がりがあったのではないでしょうか。
神は信頼するもの、信じ頼るもの、祈りで繋がるものに、知恵と導きを確かに与えられるのです。
大胆に主を信じて、確信もって祈りつつ歩みましょう‼️🎶
 10月2日(日曜日)
リビングライフQT
創世記 30:14~24

30:14 さて、麦の刈り入れのころ、ルベンは出て行って、野で恋なすびを見つけた。そして、それを母レアのところに持って来た。すると、ラケルはレアに「どうか、あなたの息子の恋なすびを少し私に下さい」と言った。
30:15 レアはラケルに言った。「あなたは私の夫を取っても、まだ足りないのですか。私の息子の恋なすびまで取り上げようとするのですか。」ラケルは答えた。「では、あなたの息子の恋なすびと引き替えに、今夜、あの人にあなたと一緒に寝てもらいます。」
30:16 夕方になって、ヤコブは野から帰って来た。レアは彼を出迎えて言った。「あなたは私のところに来ることになっています。私は、息子の恋なすびで、あなたをようやく手に入れたのですから。」その夜、ヤコブはレアと寝た。
30:17 神はレアの願いを聞かれたので、彼女は身ごもって、ヤコブに五番目の男の子を産んだ。
30:18 そこでレアは、「私が女奴隷を夫に与えたので、神は私に報酬を下さった」と言って、その子をイッサカルと名づけた。
30:19 レアはまた身ごもって、ヤコブに六番目の男の子を産んだ。
30:20 レアは言った。「神は私に良い賜物を下さった。今度こそ夫は私を尊ぶでしょう。彼に六人の子を産んだのですから。」そしてその子をゼブルンと名づけた。
30:21 その後、レアは女の子を産み、その子をディナと名づけた。
30:22 神はラケルに心を留められた。神は彼女の願いを聞き入れて、その胎を開かれた。
30:23 彼女は身ごもって男の子を産み、「神は私の汚名を取り去ってくださった」と言った。
30:24 彼女は、その子をヨセフと名づけ、「【主】が男の子をもう一人、私に加えてくださるように」と言った。

古代社会では、子を生む(子孫を残す)事は、女性にとって、最大の使命でした。それは日本の社会でも、ごく最近まで、同じでした。
それは、
*神に省みられた。
*主人の愛を勝ち取った。
*家系を継承した者として、名を残す❗️
それだけに、子を残すことは、最大の使命だったのです。それで、このし烈な戦いとなったのです。
しかし、この様な一見醜い、骨肉の戦い(葛藤)に、神の御介入があったように記録され問いますが、
17節:神はレアの願いを聞かれたので・・
22節:神はラケルに、心を留められた。
いずれも、主なる神が御介入になっておられる。
実はこの様な、あからさまな人間の肉の戦いの中に、神は傍観者とはならず、どちらかに味方したり、どちらが正しいか、間違っているか・・・という判定をなさらず、同じように関わられながら、人の不完全な営みの中に、介入されながら、ご自身の人類への究極の救済計画を、整え、築き上げられるのです。その典型が、このヤコブを通して世に生まれる、イスラエルの民の原点なのです。
即ち、イスラエルの12部族の誕生秘話なのです‼️
ヨセフ迄に11人が揃うのですが、最後の一人が揃うまでには、後数十年の経過が必要なのです。
私たちには、神の御計画など、知る由もないほど、時間と霊的理解力と、神よりの光による、開示によって、それが“福音”となるのです。
主なる神は、遥か宇宙の彼方から人の営みをご覧になられて、何か遠隔操縦されるかのように考えられるのですが、そうではなく、
私たち人間の営みのただ中を歩まれながら、糺し、戒め、慰め、称賛され、💧を知ってくださり、怒り💢を沈めてくださりながら、人が学び、ひれ伏し、従い、求められるのを待たれて、おられる様に思えます。
その様な関係に導かれるのが、旧約聖書に表される、神の御計画なのです。
あなたの、私の、今日までの人生の営みを通して、主なる神が私たちの中の、未知の大地を耕されるために、常に新しい道を、委ねられるのです。
それ故、このような理不尽な人の営みの中からも、また、不遜な、
人の神への態度までも、神は深く、受け止め、導かれて、真理と祝福への路を、示し導いて下さるのです。
 
 
 10月1日(土曜日)
リビングライフ
創世記 30:1~13

30:1 ラケルは自分がヤコブに子を産んでいないのを見た。ラケルは姉に嫉妬し、ヤコブに言った。「私に子どもを下さい。でなければ、私は死にます。」
30:2 ヤコブはラケルに怒りを燃やして言った。「私が神に代われるというのか。胎の実をおまえに宿らせないのは神なのだ。」
30:3 彼女は言った。「ここに、私の女奴隷のビルハがいます。彼女のところに入り、彼女が私の膝に子を産むようにしてください。そうすれば、彼女によって私も子を得られるでしょう。」
30:4 ラケルは彼に女奴隷ビルハを妻として与えたので、ヤコブは彼女のところに入った。
30:5 ビルハは身ごもり、ヤコブに男の子を産んだ。
30:6 そこでラケルは、「神は私をかばってくださり、私の声を聞き入れて、私に男の子を与えてくださった」と言った。それゆえ、彼女はその子をダンと名づけた。
30:7 ラケルの女奴隷ビルハは再び身ごもって、ヤコブに二番目の男の子を産んだ。
30:8 そこでラケルは、「私は姉と死に物狂いの争いをして、ついに勝った」と言って、その子をナフタリと名づけた。
30:9 レアは自分が子を産まなくなったのを見て、彼女の女奴隷ジルパをヤコブに妻として与えた。
30:10 レアの女奴隷ジルパはヤコブに男の子を産んだ。
30:11 レアは「幸運が来た」と言って、その子をガドと名づけた。
30:12 レアの女奴隷ジルパはヤコブに二番目の男の子を産んだ。
30:13 レアは、「なんと幸せなことでしょう。女たちは私を幸せ者と言うでしょう」と言って、その子をアシェルと名づけた。

この様な営みを、何と理解したら良いものでしょう(?)
壮絶な女の戦い💢
これを今の時代に置き換えて、理解することは、困難でしょう。
また、レアとラケルの子を生むための、し烈な戦いは、どう理解できるでしょう。彼女達は、子が生まれる度に、神との関わりを、子の名前にして、勝利の自己主張をしています。
主なる神への信仰が、日常生活化すると、神様への信頼と服従(慕い従う関係)が、日常化して、まるで通常の人間関係と同様の、利害関係か、また、全てを自分に有利な道を開く、守護神のように利用し、いつの間にか、
ご利益信仰の偶像神の様な対象として、利用している💢
ラケルもレアも、今や敬虔さも、神への信頼も愛も風化した、偶像以下にまで貶(オトシ)めた、最悪の姿に陥っていたのです。
気を付けなければ、自分に良かれかし・・と、願うあまり、主なる神を利用しようとするまでに、心(魂)を奪われたことはないだろうか(?)
AG教団の創立メンバーの一人の“長島先生”が、常日ごろから仰っていた言葉があります。
「私達が祈る時、気を付けないと、ついつい、自分の願“いを主に押し付て、“・・・してください‼️”と、繰り返し繰り返し、聞かれるまで祈ってしまはないだろうか(?)
そんな不遜な祈りは、神様を冒涜しています。祈りは、願い事を叶えてもらうための、ものであってはなりません。
祈りの究極は「主よ❗️御心を為し給え‼️」に尽きるのです。そして祈った後は、御心が成ることを待ち望むことです。
私は神学校在学中、長島先生がこられたとき、祈祷室で同じ時間、祈る時がありました。
その先生の祈りが、終始一貫、“御心を為したまえ。御心を為し給え‼️”に尽きる姿を見聞きして、深い感動に揺さぶられました。

レアもラケルも、一時的に競り合って、葛藤しながら祝福に預かりたいとの願いは、辛うじて、神に触れる恵みの端に、身を置いたことでしょう⁉️
否、神が憐れみをもって、等分の祝福を与えつつ、ご自身の選民としてのご計画を、整えられていたのです。
私は改めて、自らの人生振り返って、背いたときも、沈んだときも、這い上がるときも、主なる神の御手の中だったのだと、改めて思い巡らしていました‼️🎶

北九州シオン教会