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力丸嗣夫師 リビングライフ LINE
          (新改訳聖書2017)
    

北九州シオン教会

2022年度(月) 
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  8月31日(水曜日)
リビングライフQT
創世記 17:15~27

17:15 また神はアブラハムに仰せられた。「あなたの妻サライは、その名をサライと呼んではならない。その名はサラとなるからだ。
17:16 わたしは彼女を祝福し、彼女によって必ずあなたに男の子を与える。わたしは彼女を祝福する。彼女は国々の母となり、もろもろの民の王たちが彼女から出てくる。」
17:17 アブラハムはひれ伏して、笑った。そして心の中で言った。「百歳の者に子が生まれるだろうか。サラにしても、九十歳の女が子を産めるだろうか。」
17:18 そして、アブラハムは神に言った。「どうか、イシュマエルが御前で生きますように。」
17:19 神は仰せられた。「いや、あなたの妻サラが、あなたに男の子を産むのだ。あなたはその子をイサクと名づけなさい。わたしは彼と、わたしの契約を立て、それを彼の後の子孫のために永遠の契約とする。
17:20 イシュマエルについては、あなたの言うことを聞き入れた。必ず、わたしは彼を祝福し、子孫に富ませ、大いに増やす。彼は十二人の族長たちを生む。わたしは彼を大いなる国民とする。
17:21 しかし、わたしがわたしの契約を立てるのは、サラが来年の今ごろあなたに産むイサクとの間にである。」
17:22 神はアブラハムと語り終えると、彼のもとから上って行かれた。
17:23 そこでアブラハムは、その子イシュマエル、彼の家で生まれたすべてのしもべ、また、金で買い取ったすべての者、すなわち、アブラハムの家のすべての男子を集め、神が彼に告げられたとおり、その日のうちに、彼らの包皮の肉を切り捨てた。
17:24 アブラハムが包皮の肉を切り捨てられたときは、九十九歳であった。
17:25 その子イシュマエルは、包皮の肉に割礼を受けたとき、十三歳であった。
17:26 アブラハムとその子イシュマエルは、その日のうちに割礼を受けた。
17:27 彼の家の男たちはみな、家で生まれた奴隷も、異国人から金で買い取った者も、彼と一緒に割礼を受けた。

先に、アブラムが→アブラハムに改名しましたが、今日は、サライが→サラに、改名。
自らではなく、神ご自身が命じられたのです。
一般的に改名は、自ら、または、深く関係する方から、名前を変えることがありますが、新しい人生を手繰り寄せたり、先の人生の悪連鎖をたちきるためにそうしたりしますね。
しかし、このお二人の改名は、神が深い意図をもって、なさったのです。その意図とは‼️
アブラハムとサラに対する神の関わり・関係・・を、神の主権の中に繋ぐための、歴史的重大な、意図なのです‼️
これこそ、マタイ福音書(新約聖書)の冒頭を飾る、人類救済の系譜の始まりとなる、歴史的出発点だったのです。
そして、イシュマエルではなく、イサクに、その系譜を継がせる、絶対的道筋を整えられたのです。最早、サラは、アブラハムを通して、男の子を授かる筋書きは動かしがたい、未だ見ないままで事実とされたのです。
事実が先に敷かれたので、二人の心は、最早反論も、疑義も挟めなくなり、ただ待つ身とされたのです。
ここに時の経過と言う歴史を、先取りした、神の濃い主権を、感じるのです。
これは、マタイ福音書と、ルカ福音書とで再び、マリヤとヨセフの未来に、神の主権が敷かれたのです。
23節~27節は、この様なアブラハムの家系への神の主権の及んだ印として、神との永遠の契りとして、改めて、“割礼”を、行うことで、神との契約を受け入れ、その歴史的支配が永遠に向けて、出発したのです。
*アブラハム系譜のもう一つの流れとなる、イシュマエルの系譜もまた、人類救済の系譜でないけれど、神はどのやうに、これを歴史の中で導かれるのでしょう。(アラブ民族)がそれだ‼️言われていますが、それも、これからの歴史の中で明らかにされることでしょう🎵
 8月30日(火曜日)
リビングライフQT
創世記 17:1~14

17:1 さて、アブラムが九十九歳のとき、【主】はアブラムに現れ、こう言われた。「わたしは全能の神である。あなたはわたしの前に歩み、全き者であれ。
17:2 わたしは、わたしの契約を、わたしとあなたとの間に立てる。わたしは、あなたを大いに増やす。」
17:3 アブラムはひれ伏した。神は彼にこう告げられた。
17:4 「これが、あなたと結ぶわたしの契約である。あなたは多くの国民の父となる。
17:5 あなたの名は、もはや、アブラムとは呼ばれない。あなたの名はアブラハムとなる。わたしがあなたを多くの国民の父とするからである。
17:6 わたしは、あなたをますます子孫に富ませ、あなたをいくつもの国民とする。王たちが、あなたから出てくるだろう。
17:7 わたしは、わたしの契約を、わたしとあなたとの間に、またあなたの後の子孫との間に、代々にわたる永遠の契約として立てる。わたしは、あなたの神、あなたの後の子孫の神となる。
17:8 わたしは、あなたの寄留の地、カナンの全土を、あなたとあなたの後の子孫に永遠の所有として与える。わたしは彼らの神となる。」
17:9 また神はアブラハムに仰せられた。「あなたは、わたしの契約を守らなければならない。あなたも、あなたの後の子孫も、代々にわたって。
17:10 次のことが、わたしとあなたがたとの間で、またあなたの後の子孫との間で、あなたがたが守るべきわたしの契約である。あなたがたの中の男子はみな、割礼を受けなさい。
17:11 あなたがたは自分の包皮の肉を切り捨てなさい。それが、わたしとあなたがたとの間の契約のしるしとなる。
17:12 あなたがたの中の男子はみな、代々にわたり、生まれて八日目に割礼を受けなければならない。家で生まれたしもべも、異国人から金で買い取られた、あなたの子孫ではない者もそうである。
17:13 あなたの家で生まれたしもべも、金で買い取った者も、必ず割礼を受けなければならない。わたしの契約は、永遠の契約として、あなたがたの肉に記されなければならない。
17:14 包皮の肉を切り捨てられていない無割礼の男、そのような者は、自分の民から断ち切られなければならない。わたしの契約を破ったからである。」

主なる神の3度目の顕現 ①12章  ②15章 
③17章(今日のテキスト)
『・・あなたは私の前を歩み、全き者であれ。』
『汝、我が前を歩みて、全かれよ❗️』文語訳
私はこのアブラハムに対する神の語りかけを、小学生の時に通読して、心に最初に飛び込んできた、神の言葉でした。
そして、幼いなりに一生懸命、まともに正しく生きようとしては、挫折を繰り返しました。しかし、このお言葉はずっと今日まで、私の魂に響き続けている、第一の言葉です。
そして、高校の時に、この御言葉の意味が、”完全であれ‼️”
と、神ノ前で正しく身を糺すこと・・なのではなく(どうして人が、神の前に自らを完全でいられるだろうか?)とのジレンマに悩んだとき、そうではなく、神ノ前に自らを置く(主なる神の視線の中に己を置く・・隠れるな‼️)と、言う意味なのだと知ったとき、私の信仰生活は変わりました。それは、正しく生きようと、何時しか偽善が入り込んで、正しさを演じる自分の醜さに嫌悪していたのですが、そうではなく、醜いままの自分、努力しても中々真っ直ぐに歩めない自分💧そんな自分を、そのまま主なる神ノ前にさらけ出しなさい‼️と言われていると知ったのです。
神ノ前から隠れることのない自分を、“主よ❗️我が主よ‼️”・・と、主を呼び求めて、弱さを告白し、悔い改め、足りなさを求めて、何時も主の前に祈ることの楽しさを、身に付けることができるようになったのです。
☆長くなりましたが、“割礼” に関しては、神に就く者として、身に印を受ける‼️“我が前を歩みて全ったかれよ”に、つながる、印です。
血筋だけではなく、民に関わるすべての人々を、組み込むことを、主は、求められたのです。
単にアブラハムと言う、優れた人物の血統ではなく、神の選びに組み込まれる箱とを、神はご計画になられたのです。
何と言う神の愛でしょうか。今や、割礼はイエス・キリストの十字架で流された血となって受けるすべての民をご自身のものとされるのです。ハレルヤ‼️
 8月29日(月)
リビングライフQT
創世記 16:1~16

16:1 アブラムの妻サライは、アブラムに子を産んでいなかった。彼女にはエジプト人の女奴隷がいて、その名をハガルといった。
16:2 サライはアブラムに言った。「ご覧ください。【主】は私が子を産めないようにしておられます。どうぞ、私の女奴隷のところにお入りください。おそらく、彼女によって、私は子を得られるでしょう。」アブラムはサライの言うことを聞き入れた。
16:3 アブラムの妻サライは、アブラムがカナンの地に住んでから十年後に、彼女の女奴隷であるエジプト人ハガルを連れて来て、夫アブラムに妻として与えた。
16:4 彼はハガルのところに入り、彼女は身ごもった。彼女は、自分が身ごもったのを知って、自分の女主人を軽く見るようになった。
16:5 サライはアブラムに言った。「私に対するこの横暴なふるまいは、あなたの上に降りかかればよいのです。この私が自分の女奴隷をあなたの懐に与えたのに、彼女は自分が身ごもったのを知って、私を軽く見るようになりました。【主】が、私とあなたの間をおさばきになりますように。」
16:6 アブラムはサライに言った。「見なさい。あなたの女奴隷は、あなたの手の中にある。あなたの好きなようにしなさい。」それで、サライが彼女を苦しめたので、彼女はサライのもとから逃げ去った。
16:7 【主】の使いは、荒野にある泉のほとり、シュルへの道にある泉のほとりで、彼女を見つけた。
16:8 そして言った。「サライの女奴隷ハガル。あなたはどこから来て、どこへ行くのか。」すると彼女は言った。「私の女主人サライのもとから逃げているのです。」
16:9 【主】の使いは彼女に言った。「あなたの女主人のもとに帰りなさい。そして、彼女のもとで身を低くしなさい。」
16:10 また、【主】の使いは彼女に言った。「わたしはあなたの子孫を増し加える。それは、数えきれないほど多くなる。」
16:11 さらに、【主】の使いは彼女に言った。「見よ。あなたは身ごもって男の子を産もうとしている。その子をイシュマエルと名づけなさい。【主】が、あなたの苦しみを聞き入れられたから。
16:12 彼は、野生のろばのような人となり、その手は、すべての人に逆らい、すべての人の手も、彼に逆らう。彼は、すべての兄弟に敵対して住む。」
16:13 そこで、彼女は自分に語りかけた【主】の名を「あなたはエル・ロイ」と呼んだ。彼女は、「私を見てくださる方のうしろ姿を見て、なおも私がここにいるとは」と言ったのである。
16:14 それゆえ、その井戸はベエル・ラハイ・ロイと呼ばれた。それは、カデシュとベレデの間にある。
16:15 ハガルはアブラムに男の子を産んだ。アブラムは、ハガルが産んだその男の子をイシュマエルと名づけた。
16:16 ハガルがアブラムにイシュマエルを産んだとき、アブラムは八十六歳であった。

二つの物語ですね。
①アブラムの、信仰にたって、毅然と神の約束に立ち続けられない弱い姿
②妻サライの、当時の“女”としての、立場の惨めさ(子を産めない)の故の焦り❗️
いずれも、アブラムを通して、神の約束は知っていたはずです。
信じると言うことは、知っている・聞いている・そのうちに送るだろうと言う漠然とした日現実性の中で、抽象的な期待と経験に沈んでしまう💢
ともすると、私たちの信仰も、概念化していて、現実性のあることから、遊離したものとなっていないだろうか(?)
聖書の教え、イエス様の約束・・を、十分理解して、アーメン‼️と心の中で受け入れてはいても、その御言葉が、原体験として心を支配しているでしょうか。あらゆる形として、神の(聖書の)約束は、現実化するのだ‼️🎶と、何時も信じている信仰生活と、一応神様の御心は分かっている❗️・・と、心に様っていることとでは、信仰生活は全く違ってくるのではないでしょうか。アブラムとサライの信仰は、まさに抽象化された信仰だったので、子が生まれないと言う事態を、神の手によらずに、当時の一般社会での観衆によって、解決しようと謀ったのです。
考えて下さい❗️
二人は主なる神の現実的約束には、耳も貸さずに、自分達で道を決めたのです。いわば、神の約束とご計画とを無視したのです。
  何と⁉️💢
その結果、平和であった家庭に、決定的な暗雲が掛かってきたのです。
アブラムのこの事態に対する態度は、完全に及び腰ですね😱
信仰の父アブラムにして、この姿です。
後の(今日に当たるまでも含めて)代々に至るもなお、信仰者の模範‼️と言われるのは、
愛と赦しに富む、全能者なる神故ではないでしょうか。
主なる神は、あなたも私も、この様にお取り扱いくださり、愛し、赦し、慈しんで導いてくださるのです。
このお方に、全幅の信頼をおいて、御従いしましょう。
②追い出された身重の仕え女 “ハガル” 彼女もまた、神の前に少なからず、高ぶったのでしょう。仕え女として、主人の前に、へりくだることを忘れ、命を宿した誇りが、高慢な振る舞いへと、走ったのです。神に仕える主人家にあって、ハガルもまた、
神の真実から逸脱したのです。
後半の物語は、主なる神の慈しみに溢れた、感動的な物語ですね。
赦して生きる道を整えて、主人家に帰って、アブラム家に新たな平和を回復する、器とされるのです。そればかりか、彼女の子供にも、アブラムへの神の約束を受け継ぐものとして、歴史の中に組み込まれたのです。アブラムの神への不従順は、数千年の歴史の流れる先の今の時代に至るまでも、不従順の結果は尾を引きながらも、今の時代に至るもなお、戒めとなって私たちが学んでいるのです。
もっともっと、私達は、神のみ心に密に繋がりながら、恵みの道を、赦しの道を、主なる神のご計画される道を、歩んでいきたいですね🎵
 8月28日(日曜日)
リビングライフQT
創世記 15:12~21

15:12 日が沈みかけたころ、深い眠りがアブラムを襲った。そして、見よ、大いなる暗闇の恐怖が彼を襲った。
15:13 主はアブラムに言われた。「あなたは、このことをよく知っておきなさい。あなたの子孫は、自分たちのものでない地で寄留者となり、四百年の間、奴隷となって苦しめられる。
15:14 しかし、彼らが奴隷として仕えるその国を、わたしはさばく。その後、彼らは多くの財産とともに、そこから出て来る。
15:15 あなた自身は、平安のうちに先祖のもとに行く。あなたは幸せな晩年を過ごして葬られる。
15:16 そして、四代目の者たちがここに帰って来る。それは、アモリ人の咎が、その時までに満ちることがないからである。」
15:17 日が沈んで暗くなったとき、見よ、煙の立つかまどと、燃えているたいまつが、切り裂かれた物の間を通り過ぎた。
15:18 その日、【主】はアブラムと契約を結んで言われた。「あなたの子孫に、わたしはこの地を与える。エジプトの川から、あの大河ユーフラテス川まで。
15:19 ケニ人、ケナズ人、カデモニ人、
15:20 ヒッタイト人、ペリジ人、レファイム人、
15:21 アモリ人、カナン人、ギルガシ人、エブス人の地を。」

アブラムのように、こんなに密に、主と交わること出来るなんて、何て素敵なんでしょう。私にもあなたにもこの様な、主との交わりできるのです。
私はこの様なときが私の力の源です。
祈り(黙想・賛美・礼拝)の最中で主に触れて頂きます。
毎朝の会堂でのデボーションの時に、主の臨在を感じ、哀れみいただきながら、祈るのです。
ここでアブラムは、主からの驚くべき未来への予告を、聞かされます。アブラムが召されたあと、数世紀に亘って展開する彼の同胞の定めを、耳にしたのです。非常に明確で、驚くべき、子孫の流れについての、将来の民の確立を約束されたのです‼️
18節~21節の繁栄の範囲は、驚くほどの広範囲で、かつてのアッシリア・バビロニヤの覇権に匹敵する、最強の民となるものです。実はこの主からのビジョンの開示は、
ソロモンの時最大
に成就するのです。
未来の開示はさておき、この様な神からの示しをいただきながら、日々の生活に忠実である、神の人であり続けたいですね🎵
主はアブラムに対してなさったように、従うものに、ハッキリと語る時が来るでしょう。しゅをまちのぞむものは新たな力を得る‼️🎶

今朝の礼拝祝福されますよう🎵新しい献身と、主からの新たな御力を注がれる朝であります事を祈りつつ
 8月27日(土曜日)
リビングライフQT
創世記  15:1~11

15:1 これらの出来事の後、【主】のことばが幻のうちにアブラムに臨んだ。「アブラムよ、恐れるな。わたしはあなたの盾である。あなたへの報いは非常に大きい。」
15:2 アブラムは言った。「【神】、主よ、あなたは私に何を下さるのですか。私は子がないままで死のうとしています。私の家の相続人は、ダマスコのエリエゼルなのでしょうか。」
15:3 さらに、アブラムは言った。「ご覧ください。あなたが子孫を私に下さらなかったので、私の家のしもべが私の跡取りになるでしょう。」
15:4 すると見よ、【主】のことばが彼に臨んだ。「その者があなたの跡を継いではならない。ただ、あなた自身から生まれ出てくる者が、あなたの跡を継がなければならない。」
15:5 そして主は、彼を外に連れ出して言われた。「さあ、天を見上げなさい。星を数えられるなら数えなさい。」さらに言われた。「あなたの子孫は、このようになる。」
15:6 アブラムは【主】を信じた。それで、それが彼の義と認められた。
15:7 主は彼に言われた。「わたしは、この地をあなたの所有としてあなたに与えるために、カルデア人のウルからあなたを導き出した【主】である。」
15:8 アブラムは言った。「【神】、主よ。私がそれを所有することが、何によって分かるでしょうか。」
15:9 すると主は彼に言われた。「わたしのところに、三歳の雌牛と、三歳の雌やぎと、三歳の雄羊と、山鳩と、鳩のひなを持って来なさい。」
15:10 彼はそれらすべてを持って来て、真っ二つに切り裂き、その半分を互いに向かい合わせにした。ただし、鳥は切り裂かなかった。
15:11 猛禽がそれらの死体の上に降りて来た。アブラムはそれらを追い払った。

古代社会の中で、一番心に掛かることは、アブラムが直面していた、子を授かる・・・事なのです。
カルデヤのウルを発し、ハランに長く逗留し、更に南下して、パレスチィナに。落ち着いた矢先に、飢饉でエジプトに避難し、再びパレスチィナに帰還した。
更にヘブロンに落ち着いた生活に入ったのですが、未だに子供がいなかった。75歳で、ハランを出て、この時すでに99歳(17章)になっていた。24年を経過して(当時としても高齢で、子を授かる可能性はゼロです。)
アブラムの不安と恐れは、尋常ではなかったでしょう。
古代社会では、名を残す・家系を継承する・・・事は、財を成す以上に、重要な使命でした。子を残さずに何の人生か?💦
アブラムの葛藤と苦悩は、想像以上でした。
主なる神の御言葉が臨んだ‼️1・2・3節
神のお言葉に包まれることの、なんと素晴らしいことでしょう。
しかし、神の語りかけだからと、子孫の繁栄の約束の成就の現実には、繋がらないのです。
神は、アブラムを、外に連れ出し、天の星々を見上げさせ、子孫繁栄を約束されました。
6節~アブラムは主を信じた。それで、それが彼の義と認められた。
この言葉
これは、天空のあまたの星、悠久の宇宙(天空)を見たとき、アブラムは、これらの創造主・永遠の神、創造者なる神️を、信じたのです。
主なる神を信じると言うことは、このお方に包まれること・このお方に委ねること・このお方に信頼すること・・・なのです。それが、“義”とされることなのです。
神に何らかの功績を表したり、人類に貢献する業を残したり・・・したことにあるのではないのです。
7節~11節は、先程信じ義とされたお方《神》との、新しい関係の下に、交わりを構築していく過程の姿です。
これは祈りの過程です。祈りの戦いです。祈りの葛藤です。
義とされた者に与えられる、次の課題なのです。
 8月26日(金曜日)
リビングライフQT
創世記 14:17~24

14:17 アブラムが、ケドルラオメルと彼に味方する王たちを打ち破って戻って来たとき、ソドムの王は、シャベの谷すなわち王の谷まで、彼を迎えに出て来た。
14:18 また、サレムの王メルキゼデクは、パンとぶどう酒を持って来た。彼はいと高き神の祭司であった。
14:19 彼はアブラムを祝福して言った。「アブラムに祝福あれ。いと高き神、天と地を造られた方より。
14:20 いと高き神に誉れあれ。あなたの敵をあなたの手に渡された方に。」アブラムはすべての物の十分の一を彼に与えた。
14:21 ソドムの王はアブラムに言った。「人々は私に返し、財産はあなたが取ってください。」
14:22 アブラムはソドムの王に言った。「私は、いと高き神、天と地を造られた方、【主】に誓う。
14:23 糸一本、履き物のひも一本さえ、私はあなたの所有物から何一つ取らない。それは、『アブラムを富ませたのは、この私だ』とあなたが言わないようにするためだ。
14:24 ただ、若い者たちが食べた物と、私と一緒に行動した人たちの取り分は別だ。アネルとエシュコルとマムレには、彼らの取り分を取らせるように。」

サレムの王メルキゼデク・・・の出現。
様々な解釈や仮説が語られていますが、聖書にはここにだけ記載されていて、他に参考になる出展はない。
ただ、新約聖書のヘブル人への手紙の5:6・10・6:20・いずれも
“メルキゼデクの位に等しい大祭祀”と言う引用として、出てくる。
即ち、新約における、イエス・キリストと対比して引用され、人間世界で、神の慈しみと恵みを与えてくださる、お方として、示されるのです。
“セツ”の子孫が、創造主なる神への信仰を継承し、地域で力を持って尊敬されていた・・と、自然なこととして理解できないでしょうか。
神は、信じ従い、魂の世界を納める人物を支え、護り、栄えさせて、アブラムと出合わせて下さったのです。
神の御支配の代表者としての、神の僕と知ったアブラムは、全ての祝福は神により得たもの・・・その様な告白をもって、戦いで得た宝・財産の十分の一を、神に捧げて、凡ては神から出たもの‼️と、それ故感謝します‼️と、告白したのです。決まり事ではなく、宗教的律法でもなく、あふれでる感謝と、全能の神の加護の中にある、感謝に満たされて、表された行為なのです。
教会での捧げ物も、毎回このような感謝に溢れた、主への思いの現れでありたいですね。
その様な心は、教会の力です。
アブラムは続いて、ソドムの王からの感謝に、自らの功績への報酬は受けず、神の恵みの中に身を委ねて、今までに変わらず、豊かな関係に自らをおいたのです。
実は、このような関係に身を置くことは、本当に力強い関係と、信頼を築く事になるのです。
 8月25日(木曜日)
リビングライフQT
創世記 14:1~16

14:1 さて、シンアルの王アムラフェル、エラサルの王アルヨク、エラムの王ケドルラオメル、ゴイムの王ティデアルの時代のことである。
14:2 これらの王たちは、ソドムの王ベラ、ゴモラの王ビルシャ、アデマの王シンアブ、ツェボイムの王シェムエベル、ベラすなわちツォアルの王と戦った。
14:3 この五人の王たちは、シディムの谷、すなわち塩の海に結集した。
14:4 彼らは十二年間ケドルラオメルに仕えていたが、十三年目に背いたのである。
14:5 そして十四年目に、ケドルラオメルと彼に味方する王たちがやって来て、アシュタロテ・カルナイムでレファイム人を、ハムでズジム人を、シャベ・キルヤタイムでエミム人を、
14:6 セイルの山地でフリ人を打ち破り、荒野の近くのエル・パランまで進んだ。
14:7 それから彼らは引き返して、エン・ミシュパテ、すなわちカデシュに至り、アマレク人の全土と、さらにハツェツォン・タマルに住んでいるアモリ人を打ち破った。
14:8 そこで、ソドムの王、ゴモラの王、アデマの王、ツェボイムの王、ベラすなわちツォアルの王は出て来て、シディムの谷で戦う備えをし、
14:9 エラムの王ケドルラオメル、ゴイムの王ティデアル、シンアルの王アムラフェル、エラサルの王アルヨクと対峙した。この四人の王と、先の五人の王とであった。
14:10 シディムの谷には瀝青の穴が多くあり、ソドムの王とゴモラの王は逃げたとき、その穴に落ちた。そして、残りの王たちは山の方に逃げた。
14:11 四人の王たちは、ソドムとゴモラのすべての財産とすべての食糧を奪って行った。
14:12 また彼らは、アブラムの甥のロトとその財産も奪って行った。ロトはソドムに住んでいた。
14:13 一人の逃亡者が、ヘブル人アブラムのところに来て、そのことを告げた。アブラムは、アモリ人マムレの樫の木のところに住んでいた。マムレはエシュコルとアネルの兄弟で、彼らはアブラムと盟約を結んでいた。
14:14 アブラムは、自分の親類の者が捕虜になったことを聞き、彼の家で生まれて訓練された者三百十八人を引き連れて、ダンまで追跡した。
14:15 夜、アブラムとそのしもべたちは分かれて彼らを攻め、彼らを打ち破り、ダマスコの北にあるホバまで追跡した。
14:16 そして、アブラムはすべての財産を取り戻し、親類のロトとその財産、それに女たちやほかの人々も取り戻した。

北方の強力な国家(?)即ち、ケドルラオメルが長くパレスティナ全域を、支配していた。古代社会の支配とは、貢ぎ物を納めることを、強制義務化して、服従させていた。場合によっては奴隷化して、連行もしていた。
今回はその支配から反抗して、自立したことに怒り、強力な反撃に撃破され、ソドムまでも、そのトバッチリを受けた。
かつてロトは、神の恵みに生きるのではなく、目に見える安定と繁栄を、基盤として絶対化し、神の摂理の中に安定を見いださなかった結果として、全てを失うのです。
この大略奪隊に全てを費えした近隣の民に、
アブラムは、躊躇なく男衆(318人)を率いて、背後から攻めあげ、全てを奪還したのです。
アフラムと、その一族は、パレスティナという、未知の先住民の生活圏に、割り込んだ一団だったのです。
ですから、彼からの町に入らずに、丘陵地帯の草原で、羊と共に生き、祭壇で祈る神に信頼する日々を送っていたのです。
アブラムにとって、周辺の事は、同時に自分と一族に係わることだったのです。
私は、このテキストを読みながら、私の生活感は、この様に廻りと融和しているだろうか(?)・・・と、ふと考えさせられました。決して密な関係を持っていた分けではないでしょう。
しかし、要請を受けてではなく、ロトの救出のためだけではなく、全面的に近隣の安定と平和のために、侵略者を追撃して、ついにすべてを奪還したのです。
その追撃の総距離は、なんと、片道は500km(北九州から大阪)の大追撃です。
このような姿を読みながら、私たちは、教会と言う交わりの中だけに、心を閉じてはいないだろうか。
神の愛する全ての世界を主の御目を通して見てきただろうか(?)
彼らが失われるのを痛んできただろうか・・?と、考えさせられました。アブラムの信仰の感性(反応・直感・同調・・)に、多くを学びました‼️✨
 8月24日(水曜日)
リビングライフQT
創世記 13:1~18

13:1 そこで、アブラムはエジプトを出て、ネゲブに上った。妻と、所有するすべてのものと、ロトも一緒であった。
13:2 アブラムは家畜と銀と金を非常に豊かに持っていた。
13:3 彼はネゲブからベテルまで旅を続けて、ベテルとアイの間にある、最初に天幕を張った場所まで来た。
13:4 そこは、彼が以前に築いた祭壇の場所であった。アブラムはそこで【主】の御名を呼び求めた。
13:5 アブラムと一緒に来たロトも、羊の群れや牛の群れ、天幕を所有していた。
13:6 その地は、彼らが一緒に住むのに十分ではなかった。所有するものが多すぎて、一緒に住めなかったのである。
13:7 そのため、争いが、アブラムの家畜の牧者たちと、ロトの家畜の牧者たちの間に起こった。そのころ、その地にはカナン人とペリジ人が住んでいた。
13:8 アブラムはロトに言った。「私とあなたの間、また私の牧者たちとあなたの牧者たちの間に、争いがないようにしよう。私たちは親類同士なのだから。
13:9 全地はあなたの前にあるではないか。私から別れて行ってくれないか。あなたが左なら、私は右に行こう。あなたが右なら、私は左に行こう。」
13:10 ロトが目を上げてヨルダンの低地全体を見渡すと、【主】がソドムとゴモラを滅ぼされる前であったので、その地はツォアルに至るまで、【主】の園のように、またエジプトの地のように、どこもよく潤っていた。
13:11 ロトは、自分のためにヨルダンの低地全体を選んだ。そしてロトは東へ移動した。こうして彼らは互いに別れた。
13:12 アブラムはカナンの地に住んだ。一方、ロトは低地の町々に住み、ソドムに天幕を移した。
13:13 ところが、ソドムの人々は邪悪で、【主】に対して甚だしく罪深い者たちであった。
13:14 ロトがアブラムから別れて行った後、【主】はアブラムに言われた。「さあ、目を上げて、あなたがいるその場所から北、南、東、西を見渡しなさい。
13:15 わたしは、あなたが見渡しているこの地をすべて、あなたに、そしてあなたの子孫に永久に与えるからだ。
13:16 わたしは、あなたの子孫を地のちりのように増やす。もし人が、地のちりを数えることができるなら、あなたの子孫も数えることができる。
13:17 立って、この地を縦と横に歩き回りなさい。わたしがあなたに与えるのだから。」
13:18 そこで、アブラムは天幕を移して、ヘブロンにあるマムレの樫の木のそばに来て住んだ。そして、そこに【主】のための祭壇を築いた。

ウルを出て以来、苦楽を共にしてきた、甥のロト一族との別れの時が来た。
お互いに家畜・雇い人・家族が増えたので!お互いの境界や
羊の群れのトラブルで😵
こうして見ていくと、アブラムとて、普通の人の営みと余り変わらない人生の難関がありますね。
その様な中で、4節の『アブラムはそこで主の御名を呼び求めた。』との記述は、大事に心に留めておきたい(12:7*8にも同じ行為が記載されている)
所が、昨日の、エジプトての失敗の記事の中では(エジプトへの移動)、この大切な(アブラムのアイデンティティーとなる)行為がなされていない。
信仰生活と、この行為(・これは私たちにとっては、毎日の御言葉への傾聴と、祈りという、デボーションに当たります。
ここでの、ロトとの別れは、
アブラムの新たな再献身となるのです。ロトの選びは、正にアブラムのそれとは違い、一族の基盤を張るために、豊かで肥沃な、その上、多くの人が集まっている、交流の豊かな世界を選びとったのです。その地が13節に書かれてあるような、世俗であることを知らずにではなかったのです。
アブラムに残された地が、厳しくも寂しい丘陵地帯だったのですが、物心両面で孤立し、先行きに不安を感じ始めたとき、主の言葉が・・・
14節~18節は、読んでいる私までも慰められる、主のお言葉ですぬ。
これに応えたアブラムの行為が又、18節~そこに主のための祭壇を築いた。
この様に、主なる神と、アブラムの交流が、信仰の父と呼ばれる由縁です️🎶
 8月23日(火曜日)
リビングライフQT
創世記 12:10~20

12:10 その地に飢饉が起こったので、アブラムは、エジプトにしばらく滞在するために下って行った。その地の飢饉が激しかったからである。
12:11 彼がエジプトに近づいて、その地に入って行こうとしたとき、妻のサライに言った。「聞いてほしい。私には、あなたが見目麗しい女だということがよく分かっている。
12:12 エジプト人があなたを見るようになると、『この女は彼の妻だ』と言って、私を殺し、あなたを生かしておくだろう。
12:13 私の妹だと言ってほしい。そうすれば、あなたのゆえに事がうまく運び、あなたのおかげで私は生き延びられるだろう。」
12:14 アブラムがエジプトにやって来たとき、エジプト人はサライを見て、非常に美しいと思った。
12:15 ファラオの高官たちが彼女を見て、ファラオに彼女を薦めたので、サライはファラオの宮廷に召し入れられた。
12:16 アブラムにとって、物事は彼女のゆえにうまく運んだ。それで彼は、羊の群れ、牛の群れ、ろば、それに男奴隷と女奴隷、雌ろば、らくだを所有するようになった。
12:17 しかし、【主】はアブラムの妻サライのことで、ファラオとその宮廷を大きなわざわいで打たれた。
12:18 そこで、ファラオはアブラムを呼び寄せて言った。「あなたは私に何ということをしたのか。彼女があなたの妻であることを、なぜ私に告げなかったのか。
12:19 なぜ、『私の妹です』と言ったのか。だから、私は彼女を自分の妻として召し入れたのだ。さあ今、あなたの妻を連れて、立ち去るがよい。」
12:20 ファラオがアブラムについて家来に命じたので、彼らは彼を、妻と、所有するすべてのものと一緒に送り出した。

パレスティナ一帯に掛けて、しばしば飢饉(干ばつ)に見舞われる事が、聖書の歴史の中でも、しばしばその事実は記録されている。
最も、有名なのは、ヨセフの時代(アブラハムより70~80年後)に、ひどい飢饉のために、イスラエルの一族は、エジプトに難を逃れたのを切っ掛けに、450年も、そこに定着したことで、彼らの大家族は、知らず内に、一民族にまで、巨大化していった。それが出エジプトの歴史へと、繋がるのです。
アブラハムは家族羊・僕たちを伴って、エジプトに避難しました。
しかし、それは燃える火の中に飛び込むほどの危険を伴うものであったこと、決断だったことは、アブラハム自身が一番よく知っていたことてす。
ですから記された様な策略に出ざるを得なかったのです。
これは知恵であったと同時に、”ウソ“でもあったのです。それだけに、アブラハム自身の心の中は、どれ程穏やかではなかったことでしょう
神の万全な加護の中にありながら、なんと矛盾した不安と恐れと不安に戦く日々だった事でしょう。
神に委ねることと、自分の責任で自分を守ることとでは、人生は天と地の差があるのです。
神のご計画では、関係なく、完全な守りと反映が用意されていたのです。
アブラハムの策略やその結果、背負う事となる、不安や恐怖とは、無縁な大躍進だったのです。
信仰生活の万全の平安と勝利は、主なる神への全き服従と信頼から来るものです。
少しでも不安で、自分の知恵と策略を巡らせると、そこから平安と勝利への道が霧に隠れてしまうのです。
ただ一つの勝利の道は、ただ主に信頼して、信じ待ち望むことなのです。それは試練であり、闘い・葛藤でもあります。矢張、信頼し抜くことでもあります。
アブラハムのエジプトでの解放(勝利)は、曲がりなりにも、迷いながらも信じぬいた、彼の信仰の勝利でした。
 8月22日(月曜日)
リビングライフQT
創世記 12:1~9

12:1 【主】はアブラムに言われた。「あなたは、あなたの土地、あなたの親族、あなたの父の家を離れて、わたしが示す地へ行きなさい。
12:2 そうすれば、わたしはあなたを大いなる国民とし、あなたを祝福し、あなたの名を大いなるものとする。あなたは祝福となりなさい。
12:3 わたしは、あなたを祝福する者を祝福し、あなたを呪う者をのろう。地のすべての部族は、あなたによって祝福される。」
12:4 アブラムは、【主】が告げられたとおりに出て行った。ロトも彼と一緒であった。ハランを出たとき、アブラムは七十五歳であった。
12:5 アブラムは、妻のサライと甥のロト、また自分たちが蓄えたすべての財産と、ハランで得た人たちを伴って、カナンの地に向かって出発した。こうして彼らはカナンの地に入った。
12:6 アブラムはその地を通って、シェケムの場所、モレの樫の木のところまで行った。当時、その地にはカナン人がいた。
12:7 【主】はアブラムに現れて言われた。「わたしは、あなたの子孫にこの地を与える。」アブラムは、自分に現れてくださった【主】のために、そこに祭壇を築いた。
12:8 彼は、そこからベテルの東にある山の方に移動して、天幕を張った。西にはベテル、東にはアイがあった。彼は、そこに【主】のための祭壇を築き、【主】の御名を呼び求めた。
12:9 アブラムはなおも進んで、ネゲブの方へと旅を続けた。

創造の歴史から 、一人の人物の歴史 へと、物語が進展します。
それは、創造者なる神が、語り聞かせたいと願うことは、
御自身が思いの丈を注いで、創造された(産み出された)人に、どれ程の思いをもって、此を愛し育み、関わるのかを、一人の人物との関わりをもって、実証することで、此を読む全歴史の人類が、知ることを願われたからです。
即ち、主なる神と、ここに選ばれたアブラムとの物語は、そのままこれを読む、私達と主なる神との関わりとなることを、願われたからです。
アブラムの父“テラ”は、偶像に満ちた、メソポタミヤの都ウルから出て、カナンに向かって、神との新しい関係に生きるべく、出発しましたが、目的のカナンの地に行く前に(目的の半分)ハランで、新しい生活の基盤を築き始めたのです。カナンまでの道のりからすれば半分とはいえ、すでにハランまででも500kmも旅してきたのです。この距離は、九州で言えば、北九州門司から国道を使って、南の端指宿までの距離です。隊商の開いた道があるのみで乾燥した荒れ野・険しい山々・川を迂回して・・・大家族が、羊や山羊の群を連れての移動です。毎日移動しても、一ヶ月はかかります。ましてや、動物をつれて、草を食べさせながらの移動は、想像に余る長期の旅となったでしょう。
父テラが、ハランで挫折したのも、分かる思いです。
しかし、ハランでは、ウルでの営みとはあまり変わらない、様々な問題があったでしょう。この地は、神に敵対する、古代人類社会(文化)の栄えた地ですから。
そこで、神はアブラムに御声をかけられたのです。
神の語りかけ
*あなたの土地(肥沃で住み慣れた・愛着の有る)を離れ
*あなたの親族(頼りになる暖かい交わりの友)
*父の家(付加分離な絆)
当時としては生きるための!三大条件でした。
主なる神は、これらから離れて、ご自身に従え🎶なのです。
2節~神の保証が約束されました
*将来の神の約束を信じるか。
*築き挙げてきた、土台を死守するか。
アブラムは迫られたのです。
彼は神の声(導きに)従いました。
彼の新しい生活は、再び移動する、流浪の旅ではなく、ある一つの新しいパターンが始まりました。それが・・
7節・8節~に記されている《主のために、祭壇を築いた》《・・・祭壇を築き、主の御名を呼び求めた》
神に聴くと言うことは、生活の基盤が変わると言うことです。
 8月21日(日曜日)
リビングライフQT
創世記 11:10~32

11:10 これはセムの歴史である。セムは百歳のとき、アルパクシャデを生んだ。それは大洪水の二年後のことであった。
11:11 セムはアルパクシャデを生んでから五百年生き、息子たち、娘たちを生んだ。
11:12 アルパクシャデは三十五年生きて、シェラフを生んだ。
11:13 アルパクシャデはシェラフを生んでから四百三年生き、息子たち、娘たちを生んだ。
11:14 シェラフは三十年生きて、エベルを生んだ。
11:15 シェラフはエベルを生んでから四百三年生き、息子たち、娘たちを生んだ。
11:16 エベルは三十四年生きて、ペレグを生んだ。
11:17 エベルはペレグを生んでから四百三十年生き、息子たち、娘たちを生んだ。
11:18 ペレグは三十年生きて、レウを生んだ。
11:19 ペレグはレウを生んでから二百九年生き、息子たち、娘たちを生んだ。
11:20 レウは三十二年生きて、セルグを生んだ。
11:21 レウはセルグを生んでから二百七年生き、息子たち、娘たちを生んだ。
11:22 セルグは三十年生きて、ナホルを生んだ。
11:23 セルグはナホルを生んでから二百年生き、息子たち、娘たちを生んだ。
11:24 ナホルは二十九年生きて、テラを生んだ。
11:25 ナホルはテラを生んでから百十九年生き、息子たち、娘たちを生んだ。
11:26 テラは七十年生きて、アブラムとナホルとハランを生んだ。
11:27 これはテラの歴史である。テラはアブラム、ナホル、ハランを生み、ハランはロトを生んだ。
11:28 ハランは父テラに先立って、親族の地であるカルデア人のウルで死んだ。
11:29 アブラムとナホルは妻を迎えた。アブラムの妻の名はサライであった。ナホルの妻の名はミルカといって、ハランの娘であった。ハランはミルカの父、またイスカの父であった。
11:30 サライは不妊の女で、彼女には子がいなかった。
11:31 テラは、その息子アブラムと、ハランの子である孫のロトと、息子アブラムの妻である嫁のサライを伴い、カナンの地に行くために、一緒にカルデア人のウルを出発した。しかし、ハランまで来ると、彼らはそこに住んだ。
11:32 テラの生涯は二百五年であった。テラはハランで死んだ。

アダム→×アベル×→セツ→エノク→メトショラ→レメク→ノア→セム→ナホル→テラ→アブラハム・・・
家系図は、素晴らしい歴史です。系図の中に、神の永遠の御計画が、確かに編み込まれている。
神のご計画は脈々と受け継がれ、今があり、やがて、更なる神のご計画の確実な実現へ開かれる道が引かれている。私達はその系図の一つに、組み込まれて主の道を今有ることを、告白しつつ、歩き続けたいですね。
*テラの歴史~『これはテラの歴史である』
との記述は、何を意味しているのでしょう。
私達は、伝統的に、神の選びの原点がアブラハムに有る・・・と考えて、ともすると、アブラハムが父ハランと、甥のロトを伴って、カルデヤのウルを出た❗️と、思い込んでしまい勝ちですが、
31節~実は、アブラハムの父“ハラン”が、そうしたのです。
行き先は、パレスチナの《カナンの地》だったのです。
何故先のような文脈の勘違いするのでしょう。
それは、父親ハランが、何らかの理由で、移動を止めたからです‼️
ハランが、カナン目指して移動始めた理由は、記されていないが、恐らく神の導きがあったのだろう❗️と考えられる。
しかし、聖書本文には記されていないから、憶測の行きを出ないが、テラは重大な決断を途中で終えたのです。
31節「カナンの地に行くために出発した。しかし、ハランまで来ると、彼はそこに住んだ。」
私達の信仰の道のりは、未だ道半ばです。安住せずに、信仰の旅路を、最後まで全うしましょう。主なる神の御手は、日々進んで行くあなたの上に、延べられているのです‼️🎶
今朝の礼拝の祝福を祈りつつ。新しい出発の朝となります様に、祈っつ
 8月20日(土曜日)
リビングライフQT
創世記 11:1~9

11:1 さて、全地は一つの話しことば、一つの共通のことばであった。
11:2 人々が東の方へ移動したとき、彼らはシンアルの地に平地を見つけて、そこに住んだ。
11:3 彼らは互いに言った。「さあ、れんがを作って、よく焼こう。」彼らは石の代わりにれんがを、漆喰の代わりに瀝青を用いた。
11:4 彼らは言った。「さあ、われわれは自分たちのために、町と、頂が天に届く塔を建てて、名をあげよう。われわれが地の全面に散らされるといけないから。」
11:5 そのとき【主】は、人間が建てた町と塔を見るために降りて来られた。
11:6 【主】は言われた。「見よ。彼らは一つの民で、みな同じ話しことばを持っている。このようなことをし始めたのなら、今や、彼らがしようと企てることで、不可能なことは何もない。
11:7 さあ、降りて行って、そこで彼らのことばを混乱させ、互いの話しことばが通じないようにしよう。」
11:8 【主】が彼らをそこから地の全面に散らされたので、彼らはその町を建てるのをやめた。
11:9 それゆえ、その町の名はバベルと呼ばれた。そこで【主】が全地の話しことばを混乱させ、そこから【主】が人々を地の全面に散らされたからである。

(解説)いわゆる、世に言うバベルの塔の物語です。
バベルとは、古バビロニア帝国を建てた、ニムロデの建設した首都の町の名前です。
これは人類史上、もっとも象徴的な、人の罪の姿を象徴した、物語です。
即ち、人が神を不用として、神を超える世界観を露(アラワ)にした、恐ろしい歴史的物語です。
人間の持つ無限の可能性をもって、神の支配と指示を不用とした最大の愚かさです。
3節~①石に代わって煉瓦を ②漆喰の代わりに瀝青を・・・
これはその時代までは、自然に有る石が建設材料となり、その間に塗って、接着する材料に、漆喰が使われていた。
しかし、それまでの人類の知恵と経験の結集として、最早神からいただく自然のままの材料に頼らず、新しい建材として、“煉瓦”を使い、接着剤として、新しく発見され、加工に成功した、瀝青(アスファルト)を用いて、壮大な塔を建てたのです。
これは、人類の勝利の証し、最早“神”に依存しない、永遠性の力の誇示として、此を建て、神への勝利宣言をしようとしたのです。
4節の言葉は、正に、神への勝利宣言なのです。
あの、エデンの園で“エバ”が、神の言葉の絶対聖から、サタンの言葉の誘惑に心ずらしてから、ついにここに到るまでに、堕落(神への反逆)に傾斜して来たのです。即ち人類は、神不要の文化に生きようと、歩み始めていたのです💢
7~9節・・神の怒り💢は、このような背信に対して怒られ、人類の傲慢な結集をうち砕き、散らされました。
私はこのくだりを読みながら、主なる神の憤りを、憤りよりも、悲しみとして感じてきました。
しかし、人の、此のような理性と知性をもっとも頂点としていきようとする傲慢は、
今日になお、顕在化しているのを、痛み(神の痛み)をもって、心に刻まれるのです。
*神頼みは人間のくず
*先ず、手を尽くして努力する事。それから神に助けてもらえば良い。
*ICの拡大は、神の存在を不用とする・・
等々と、豪語する声が飛び交う今は、終末的バベル時代と言えないでしょうか。
バベルの時の神の介入は、人類への強烈な介入と審判ではありましたが、
主なる神は、人々の立ち返りを待たれたのです。
しかし、人類の神への反抗は、数千年~一万年もの間、止まることを知らずに、奈落へと転落し続けたのです。
人類(私達)の発達と成長は、輝かしい真昼の世界、光といのちの世界へと、人類を誘うのではなく、
恐ろしい反逆の世界、暗黒と審判へと落ち続けているのです。
バベルの時代は、神は忍耐してくださいました。
しかし、今の時代の終局は、神の怒りと審判が待っているのです。
創造主から頂いた知性と能力は、人社会の祝福に貢献し、生活を豊かにしてきましたしこれからも一層利便性の高い生活へと、私達を導くでしょう。
しかし、そんな毎日のなかで、神からの賜物として感謝し、更に主に篤く心を主に振り仰ぎ、主に賛美と🤲を捧げる毎日であるとき、文明は、更なる発展と、神への礼拝が篤くなるでしょう。
主なる神への礼拝と服従(神第一として生きる事)は、全ての祝福の基となるのです。
残念ながら、今や、人類の文明の道は、散らされるのではなく、永遠の審判に向かって、突き進んでいることを忘れてはなりません。水で滅ぼされた人類は、今や火の審判で焼き尽くされる時を迎えねばなりません。
恵みの時が過ぎ行かないうちに、主なる神の御手に包まれて歩む日々を、仰ぎ求めましょう‼️🎶
 8月19日(金曜日)
リビングライフQT
創世記  10:1~32

10:1 これはノアの息子、セム、ハム、ヤフェテの歴史である。大洪水の後、彼らに息子たちが生まれた。
10:2 ヤフェテの子らはゴメル、マゴグ、マダイ、ヤワン、トバル、メシェク、ティラス。
10:3 ゴメルの子らはアシュケナズ、リファテ、トガルマ。
10:4 ヤワンの子らはエリシャ、タルシシュ、キティム、ドダニム。
10:5 これらから島々の国民が分かれ出た。それぞれの地に、言語ごとに、その氏族にしたがって、国民となった。
10:6 ハムの子らはクシュ、ミツライム、プテ、カナン。
10:7 クシュの子らはセバ、ハビラ、サブタ、ラアマ、サブテカ。ラアマの子らはシェバ、デダン。
10:8 クシュはニムロデを生んだ。ニムロデは地上で最初の勇士となった。
10:9 彼は【主】の前に力ある狩人であった。それゆえ、「【主】の前に力ある狩人ニムロデのように」と言われるようになった。
10:10 彼の王国の始まりは、バベル、ウルク、アッカド、カルネで、シンアルの地にあった。
10:11 その地から彼はアッシュルに進出し、ニネベ、レホボテ・イル、カルフ、
10:12 およびニネベとカルフの間のレセンを建てた。それは大きな町であった。
10:13 ミツライムが生んだのは、ルディ人、アナミム人、レハビム人、ナフトヒム人、
10:14 パテロス人、カスルヒム人、カフトル人。このカスルヒム人からペリシテ人が出た。
10:15 カナンが生んだのは、長子シドン、ヒッタイト、
10:16 エブス人、アモリ人、ギルガシ人、
10:17 ヒビ人、アルキ人、シニ人、
10:18 アルワデ人、ツェマリ人、ハマテ人。その後、カナン人の諸氏族が分かれ出た。
10:19 それでカナン人の領土は、シドンからゲラルに向かって、ガザに至り、ソドム、ゴモラ、アデマ、ツェボイムに向かって、ラシャにまで及んだ。
10:20 以上が、その氏族、その言語、その地、国民ごとの、ハムの子孫である。
10:21 セムにも子が生まれた。セムはエベルのすべての子孫の先祖であり、ヤフェテの兄であった。
10:22 セムの子らはエラム、アッシュル、アルパクシャデ、ルデ、アラム。
10:23 アラムの子らはウツ、フル、ゲテル、マシュ。
10:24 アルパクシャデはシェラフを生み、シェラフはエベルを生んだ。
10:25 エベルには二人の息子が生まれ、一人の名はペレグであった。その時代に地が分けられたからである。彼の兄弟の名はヨクタンであった。
10:26 ヨクタンが生んだのは、アルモダデ、シェレフ、ハツァルマベテ、エラフ、
10:27 ハドラム、ウザル、ディクラ、
10:28 オバル、アビマエル、シェバ、
10:29 オフィル、ハビラ、ヨバブ。これらはみな、ヨクタンの子であった。
10:30 彼らが住んだ地は、メシャからセファルに及ぶ東の高原地帯であった。
10:31 以上が、その氏族、その言語、その地、国民ごとの、セムの子孫である。
10:32 以上が、それぞれの家系による、国民ごとの、ノアの子孫の諸氏族である。大洪水の後、彼らからもろもろの国民が地上に分かれ出たのである。
 
今日のテキストは、ノアとその家族によって、新たに、人類の歴史を始められた・・と言う主なる神の新しい歴史なのです。
主なる神は、やり直されなかったのです。なぜなら無限の愛を込めて、又御自身と同じ象(愛・聖・義)に似せて、人を造られたのですから、やり直しはなさらなかったのです。たとい、人が背いても、創造者の中には、やり直しはないのです。だから“神”なのです。やり直しなさらない主は、始められた業を、やり直しではなく、愛と赦しによって、その“義”を現されたのです。それが創造者の権威であり愛なのです。
ですから、赦しの愛によって、主なる神は、新たに歴史の営みを
そこから始められたのです。神は赦しの神で、赦しを通して、ご自身の愛を現されたのです。それが今日の子孫の繁栄の徴なのです。
それを思うと、今ある私は、神の愛と赦しの“しるし”なのです。私もあなたも、このめぐみに包まれて、今生かされたあるのは、正に、神の僕としての罪を赦され、覆われた者として、生かされ、祝福の中に歩まされているのです。
(参考)
*ヤペテの子孫はメディア・ギリシャ・ヨーロッパ
*ハムの子孫は、アラビア・エジブト・アフリカ・・・
*セムの子孫は、アラビア・中東・ユダヤ・シリア・エラム・・
*今の私たちも又、愛の神を表す標となって、世に証ししましょう。赦されて有るものとして・・・
 8月18日(木曜日)
リビングライフQT
創世記 9:18~29

9:18 箱舟から出て来たノアの息子たちは、セム、ハム、ヤフェテであった。ハムはカナンの父である。
9:19 この三人がノアの息子たちで、彼らから全世界の民が分かれ出た。
9:20 さて、ノアは農夫となり、ぶどう畑を作り始めた。
9:21 彼はぶどう酒を飲んで酔い、自分の天幕の中で裸になった。
9:22 カナンの父ハムは、父の裸を見て、外にいた二人の兄弟に告げた。
9:23 それで、セムとヤフェテは上着を取って、自分たち二人の肩に掛け、うしろ向きに歩いて行って、父の裸をおおった。彼らは顔を背け、父の裸は見なかった。
9:24 ノアは酔いからさめ、末の息子が自分にしたことを知った。
9:25 彼は言った。「カナンはのろわれよ。兄たちの、しもべのしもべとなるように。」
9:26 また言った。「ほむべきかな、セムの神、【主】。カナンは彼らのしもべとなるように。
9:27 神がヤフェテを広げ、彼がセムの天幕に住むようになれ。カナンは彼らのしもべとなるように。」
9:28 ノアは大洪水の後、三百五十年生きた。
9:29 ノアの全生涯は九百五十年であった。こうして彼は死んだ。

父と、三人の男の子物語です。
神に逆らい、罪に罪を重ねたばかりか、神の怒りを買うほどに堕落した全ての民は、洪水によって、捌かれ滅ぼされました。
そして、ノアとその家族だけが選ばれ、裁きから免れて、新しいいのちの道を歩き始めたのです。
それで、ノアとその家族が神のみ心にかない、潔い民だったのか(?)
そうではない。それがこの物語のもつ意味です。
新しい世界が始まったからと言って、秩序が新しく変わったわけではない。
主なる神と、神に仕える大切な人=隣人との関係に心使って、仕え合う(お互いを大切にする)即ち、新たに“愛““聖””義”に生きる、仕え合う道をたどる課題が始まったのです。
洪水前には、この関係が崩れていたのです。
人は、生きている限り、この課題を負い、それ故に、造り主である、神の前に歩む、たゆまない交わりを欠いてはならないのです。
この交わりを欠くことが罪となり、人と人との繋がりを断ち切る結果を生むのです。
ノアの泥酔、ハム(カナン)の、父親の醜態の暴露、まさに些細のように見える此の行為は、人としての尊厳を、破壊するものでした。人と人との関係は、赦しによって成り立つものです。
そして、“赦し”は、人(相手)の罪を覆うものなのです。
仮令それが正しい事実であっても、痛みを負い、覆う心と行為が、人の繋がりを守るものなのです。
親はどれ程、子の過ちの実態を、覆い包んで育んできたことでしょう。
ハム(カナン)の行為は、覆うどころか、暴露したのです。
家庭の中で、友人の間で、教会の交わりの中で・・・あらゆる人間関係の中で、毎日問われる、課題です。
ノアの家族は、欠点がないから、罪がないから選ばれて救われたのではない。
謙虚に新しい道を主なる神を見上げて、赦された感謝と、へりくだる心で歩まねばならなかったのでは・・・
今日の1日が、赦されてある存在であることを、心に留めながら、隣人との関係に心注いで参りましょう。

台湾のため、お祈りください。現地伝道者の顔金竜(イェンチンロン)・丸山陽子牧師夫妻初め、産地原住民の教会(台北神召会)信徒達、🇹🇼危機の中で、祈り主に仕えています。国が守られますように。
 8月17日(水曜日)
リビングライフQT
創世記 9:1~17

9:1 神はノアとその息子たちを祝福して、彼らに仰せられた。「生めよ。増えよ。地に満ちよ。
9:2 あなたがたへの恐れとおののきが、地のすべての獣、空のすべての鳥、地面を動くすべてのもの、海のすべての魚に起こる。あなたがたの手に、これらは委ねられたのだ。
9:3 生きて動いているものはみな、あなたがたの食物となる。緑の草と同じように、そのすべてのものを、今、あなたがたに与える。
9:4 ただし肉は、そのいのちである血のあるままで食べてはならない。
9:5 わたしは、あなたがたのいのちのためには、あなたがたの血の価を要求する。いかなる獣にも、それを要求する。また人にも、兄弟である者にも、人のいのちを要求する。
9:6 人の血を流す者は、人によって血を流される。神は人を神のかたちとして造ったからである。
9:7 あなたがたは生めよ。増えよ。地に群がり、地に増えよ。」
9:8 神は、ノアと、彼とともにいる息子たちに仰せられた。
9:9 「見よ、わたしは、わたしの契約をあなたがたとの間に立てる。そして、あなたがたの後の子孫との間に。
9:10 また、あなたがたとともにいるすべての生き物との間に。鳥、家畜、それに、あなたがたとともにいるすべての地の獣、箱舟から出て来たすべてのものから、地のすべての生き物に至るまで。
9:11 わたしは、わたしの契約をあなたがたとの間に立てる。すべての肉なるものが、再び、大洪水の大水によって断ち切られることはない。大洪水が再び起こって地を滅ぼすようなことはない。」
9:12 さらに神は仰せられた。「わたしとあなたがたとの間に、また、あなたがたとともにいるすべての生き物との間に、代々にわたり永遠にわたしが与えるその契約のしるしは、これである。
9:13 わたしは雲の中に、わたしの虹を立てる。それが、わたしと地との間の契約のしるしである。
9:14 わたしが地の上に雲を起こすとき、虹が雲の中に現れる。
9:15 そのとき、わたしは、わたしとあなたがたとの間、すべての肉なる生き物との間の、わたしの契約を思い起こす。大水は、再び、すべての肉なるものを滅ぼす大洪水となることはない。
9:16 虹が雲の中にあるとき、わたしはそれを見て、神と、すべての生き物、地上のすべての肉なるものとの間の永遠の契約を思い起こそう。」
9:17 神はノアに仰せられた。「これが、わたしと、地上のすべての肉なるものとの間に、わたしが立てた契約のしるしである。」

(*)1節~7節・・洪水によって、いのち購われたすべとの生き物の、崇高な尊厳についての宣言‼️
即ち、全ての生き物(植物・動物)を、主なる神は、人(人類)の下に置き、これを支配する権限を付与された。
また、人の食料としてこれを与え、委ねられたのです。
この様な支配と、利用可能な自由は、実は非常に大きな責任が伴うものだ・・・と、人は20世紀になって初めて自覚するようになったのです。
即ち、“種の保存”なのです。植生のバランス、食物連鎖の調和・・等々、今の生命科学は、やっと神の与えられ、人類に支配の委ねられた、事実に目覚めて、自然科学者重大な課題となっています。
(*)8節~17節・・虹の契約・・素晴らしい、ロマンチックな、神様の計らいですね。
しかし、私は有る時から、この契約は主なる神の深い痛みを伴った審判への決断を、思い出させる、痛みの契約なんだと感じるようになりました。御自身が愛の粋を凝らして創造されたいのちを、ことごとく、滅ぼされたのですから、虹は、主なる神の悔いの徴なのです。(神の御性質の・愛・聖・義)が痛まれた徴なのです‼️💧
この契約を思い出す毎に、神の愛と、全ての物への慈しみとを、思い出しましょう。美しい虹を見たら、何か幸運が来る・・虹の根本には幸せが・・等々はこの様な神の歴史の事実から、生まれたエピソードですから、
私たちは自然を愛し、自然を保ち、生物・動物が、神からの賜物であるとして、感謝し守り、恵みを協同する、思いを確かにしたいですね。
改めて、ペットだけではなく、自然界全てに思いを寄せ・・・
温暖化・絶滅危惧種への関心・動物愛護に至る、涙有る主の僕でありましょう🎵

今朝のウォーキングは途中から雨でした。帰るにも、傘なしだから、そのまま少し短縮して(4000歩)程にして、今礼拝堂で水も滴るおじいさんで祈りの時です。汗も、雨も、主成分は、H2O(#^.^#)
今日も祝福の中を歩きましょう。
 8月16日(火曜日)
リビングライフQT
創世記 8:13~22

8:13 六百一年目の第一の月の一日に、水は地の上から干上がった。ノアが箱舟の覆いを取り払って眺めると、見よ、地の面は乾いていた。
8:14 第二の月の二十七日には、地はすっかり乾いた。
8:15 神はノアに告げられた。
8:16 「あなたは、妻と、息子たちと、息子たちの妻たちとともに箱舟から出なさい。
8:17 すべての肉なるもののうち、あなたとともにいる生き物すべて、鳥、家畜、地の上を這うすべてのものが、あなたとともに出るようにしなさい。それらが地に群がり、地の上で生み、そして増えるようにしなさい。」
8:18 そこでノアは、息子たち、彼の妻、息子たちの妻たちとともに外に出た。
8:19 すべての獣、すべての這うもの、すべての鳥、すべて地の上を動くものも、種類ごとに箱舟から出て来た。
8:20 ノアは【主】のために祭壇を築き、すべてのきよい家畜から、また、すべてのきよい鳥からいくつかを取って、祭壇の上で全焼のささげ物を献げた。
8:21 【主】は、その芳ばしい香りをかがれた。そして、心の中で【主】はこう言われた。「わたしは、決して再び人のゆえに、大地にのろいをもたらしはしない。人の心が思い図ることは、幼いときから悪であるからだ。わたしは、再び、わたしがしたように、生き物すべてを打ち滅ぼすことは決してしない。
8:22 この地が続くかぎり、種蒔きと刈り入れ、寒さと暑さ、夏と冬、昼と夜がやむことはない。」

ノアが600歳になった時、地に雨が降り注ぎ、雨は40日間も、豪雨となって降り注ぎ、
それは、空(空中に浮かぶ全ての雲が)にある雲が全て雨となって、地に降り注いだのです。
それによって、全てのものが水に呑まれ、そのご、地の植物が新たな芽生えを見せてからも、主からの導きがあるまで、彼らは方舟の中に主の時を待ったのです。
私たちにとって、時を待つ❗と言うことは、信仰の最も重要な訓練です。
150日間、水は増え続け(7:24)、その後方舟は山の頂に止まった。
鳩を放って、地の乾く様子をうかがったが、3週間目に放った鳩は、遂に帰らず、地の植物の営みが、勢いを増したことを、理解した。(7:24)
これ等の事がある間、ノアとその家族と動物たちは、方舟に止まったのです。(10ヵ月)
一時でも早く、大地に足を下ろしたかったでしょうに🎵
しかし、ノアは、主の許し(16節~19節)が語られるまで、方舟に留まった。
人の偉大さは、何か大きな働き・業績を遺す事ではなく、神の声に従う・・・と言う事です。
ノアの偉大さは、(゚д゚)方舟を造ったこと・動物を守りその一年分の餌をかき集めて、方舟の中でしたこと・・・ではなく、ノアは、神の言葉に徹底して、従ったことでした。
私見や、観察眼や、経験に沿って行く手を観察して、事を決めたのではなく、
神ご自身に聴き従い、その道を導きのままに歩まれたのです。
これが、聖徒の偉大さです。そして神が私達に求められている、主なる神の求めです。‼️🎶
その上で、ノアは、更に神の前に、最早ただ一家族だけ残された、新しい人類の出発となる、再び創造の始まりです‼️
今朝、新たに主なる神との関係を、整えて参りましょう‼️
 8月15日(月曜日)
リビングライフQT
創世記 8:1~12

8:1 神は、ノアと、彼とともに箱舟の中にいた、すべての獣およびすべての家畜を覚えておられた。神は地の上に風を吹き渡らせた。すると水は引き始めた。
8:2 大水の源と天の水門が閉ざされ、天からの大雨がとどめられた。
8:3 水は、しだいに地の上から引いていった。水は百五十日の終わりに減り始めた。
8:4 箱舟は、第七の月の十七日にアララテの山地にとどまった。
8:5 一方、水は第十の月まで減り続け、第十の月の一日に、山々の頂が現れた。
8:6 四十日の終わりに、ノアは自分の造った箱舟の窓を開き、
8:7 烏を放った。すると烏は、水が地の上から乾くまで、出たり戻ったりした。
8:8 またノアは、水が地の面から引いたかどうかを見ようと、鳩を彼のもとから放った。
8:9 鳩は、その足を休める場所を見つけられなかったので、箱舟の彼のもとに帰って来た。水が全地の面にあったからである。彼は手を伸ばして鳩を捕らえ、自分がいる箱舟に入れた。
8:10 それからさらに七日待って、再び鳩を箱舟から放った。
8:11 鳩は夕方になって、彼のもとに帰って来た。すると見よ、取ったばかりのオリーブの若葉がそのくちばしにあるではないか。それで、ノアは水が地の上から引いたのを知った。
8:12 さらに、もう七日待って、彼は鳩を放った。鳩はもう彼のところに戻って来なかった。

水の源が止まり、水が地表から引きはじめてから、木々が再生するまでの方舟の中のノアの日々はどんなだっただろうかなぁ‼️と考えながら、その間に彼らが船の中で、あらゆる動物の世話をしながら、新しく始まる、世界の事を思いめぐらし、再びこの様な、悲惨なことが起こらないように、祈り魂を整えたことでしょう。
ここ(この洪水の出来事の中)にも、神の赦しと新生活(いのち)への、神のご計画が巡らされていたことでしょう。
三度にわたって鳩が放たれたことは、興味深い‼️そして、その結果を見ながら、神の怒り(裁き)が、確実に収まり、新しい恵みと卑しの愛が開かれて来るのを、感じ取ったノアの信仰と、感受性に深い感動を覚えた。
私も、御言葉の中に、美しい自然の中に、移ろい行く季節の流れの中からも、
神の声を聞き分ける者でありたいなぁ・・と、思いました。
主なる神は、傷付いた者を必ず、癒してくださるお方です。
その事を信じ待ち望み、主の御手に心の目を注いで参りたいですね‼️🎶
 8月14日(日曜日)
リビングライフQT
創世記 7:13~~24

7:13 ちょうどその日に、ノアは、息子たちのセム、ハム、ヤフェテ、またノアの妻と、息子たちの三人の妻とともに、箱舟に入った。
7:14 彼らとともに、種類ごとにあらゆる獣、種類ごとにあらゆる家畜、種類ごとにあらゆる地の上を這うものと、種類ごとにあらゆる飛ぶもの、鳥や翼のあるものすべてが箱舟に入った。
7:15 こうして、いのちの息のあるすべての肉なるものが、二匹ずつノアのいる箱舟の中に入った。
7:16 入ったものは、すべての肉なるものの雄と雌であった。それらは、神がノアに命じられたとおりに入った。それから、【主】は彼のうしろの戸を閉ざされた。
7:17 大洪水は四十日間、地の上にあった。水かさが増して箱舟を押し上げたので、それは地から浮き上がった。
7:18 水がみなぎり、地の上に大いに増し、箱舟は水面を漂った。
7:19 水は地の上にますますみなぎり、天の下にある高い山々もすべておおわれた。
7:20 水は、その上さらに十五キュビト増し加わり、山々はおおわれた。
7:21 こうして、地の上を動き回るすべての肉なるものは、鳥も家畜も獣も地に群がるすべてのものも、またすべての人も死に絶えた。
7:22 いのちの息を吹き込まれたもので、乾いた地の上にいたものは、みな死んだ。
7:23 こうして、主は地の上の生けるものすべてを、人をはじめ、動物、這うもの、空の鳥に至るまで消し去られた。それらは地から消し去られ、ただノアと、彼とともに箱舟にいたものたちだけが残った。
7:24 水は百五十日間、地の上に増し続けた。

主なる神の創造歴史の、今日に至るまでの、中で、主御自身が御造りなさった全てを、滅ぼし尽くされた‼️と言う記録は、ノアの洪水がそのすべてです。これは単に、大自然の未曾有の出来事として、読み過ごしてはならない出来事なのです。
この物語は、単に人類の歴史の中で起こった、未曾有の災害として、記録されたのではない。
これは主なる神からのメッセージなのです。
即ち、創造主に従う、主なる神のご計画(命の祝福)に従って生きる‼️事を、御命じになっておられることを、絶対的な権威をもって、示されたのです。
この御計画に反することは、“裁き“であることを、示唆しているのです。この物語は、審判ではなく、これからの人類(今日まで~更には、終わりの日までの)切々たる、重要なメッセージなのです。今日まで続いた、そして、これからも続く、歴史の中で、再び此のようなことを、繰り返すことのないようにと、語られているのです。
今まで、最初の人(アダムとエバ)に毛皮の衣を着せられた。
又、カインの罪に対しては、彼がその罪ゆえに、殺されないように、印を付けられました。
しかし、ノアの時代になって、主なる神は、審判への予めの警告を、突如と言った形で、余談なく審判の手を挙げられたのです。
16節~ 彼の後ろの戸を閉ざされた。
と記して、最早救済のご計画を巡らせなかったのです。
遂に地の全面は、審判の水で、多い尽くされ、方舟に乗船した者以外は、ことごとく滅ぼされたのです。これは後世への、警告メッセージです。
これ以降、神は赦し、導き、贖いの道を備えられたのです。
それだけにノアの洪水物語を、大切な御警告として、心に留めておかねばなりません。
洪水は、地の面を覆い、150日(5ヶ月)に亘って、増し続けた。
そして、地上の生き物はことごとく、水にのみ尽くされ、生命の秩序は、姿を変えてしまったと、思われるでしょう。
ここから創造者なる神は、新しい歴史を、厳選されたノアの家族から、再出発する導きを示されたのです。
再創造ではないのです。
何故なら、1章31節に、『お造りになったすべてのものをご覧になった。見よ。それは非常に良かった。』と記されているように、
全能の神が、『非常に良かった』と評価されたのですから、滅ぼし尽くされることは、過去?の、全否定となるので、新しい再生のために、全ての作られたものの、再出発のために、一つがいずつ、取り分けられたのです。(燔祭のための動物は別枠“7つがい”)
いかに主なる神が、お造りになられた被造物を、こよなく愛されといるかを、これからも伺い知ることが出来ます。
その愛は今朝のあなたも私も、更に更に深く愛されているかを、知らされるのです。
 8月13日(土曜日)
リビングライフQT
創世記 7:1~12

7:1 【主】はノアに言われた。「あなたとあなたの全家は、箱舟に入りなさい。この世代の中にあって、あなたがわたしの前に正しいことが分かったからである。
7:2 あなたは、すべてのきよい動物の中から雄と雌を七つがいずつ、きよくない動物の中から雄と雌を一つがいずつ、
7:3 また空の鳥の中からも雄と雌を七つがいずつ取りなさい。それらの種類が全地の面で生き残るためである。
7:4 あと七日たつと、わたしは、地の上に四十日四十夜、雨を降らせ、わたしが造ったすべての生けるものを大地の面から消し去る。」
7:5 ノアは、すべて【主】が彼に命じられたとおりにした。
7:6 ノアは六百歳であったが、そのときに大洪水が起こり、大水は地の上にあった。
7:7 ノアは息子たちや自分の妻、それに息子たちの妻とともに、大洪水の大水を避けるために箱舟に入った。
7:8 きよい動物、きよくない動物、鳥、地面を這うすべてのものの中から、
7:9 雄と雌がつがいになって箱舟の中のノアのところにやって来た。神がノアに命じられたとおりであった。
7:10 七日たつと、大洪水の大水が地の上に生じた。
7:11 ノアの生涯の六百年目の第二の月の十七日、その日に、大いなる淵の源がことごとく裂け、天の水門が開かれた。
7:12 大雨は四十日四十夜、地に降り続いた。

ソドム・ゴモラが滅ぼされるとき、神は、ロトとその家族、嫁ぎ先の親族にまで、予告を拡げ、ロトの家に集まるよう伝えましたね。しかし、彼らは嘲笑い、無視して滅びました。
今日のテキストには、人々に神の裁きが来ることを、伝えるようにとは、指示がありませんでした。
この度は、神は厳選に厳選を重ねて、ノアとその家族だけに救出の焦点を、当てられたのです。
私は昔日曜学校で、ノアさんが一生懸命に神の裁きの来ることを、民に伝えたが、みんな嘲笑って
誰も方舟には来なかった❗️と教えられましたし、私が日曜学校の教師の時も、同じように話しました。
しかし、そんな筋書きは、聖書の何処にも記されていないのです。

信仰によって、ノアはまだ見ていない事柄について神から警告を受けたとき、恐れかしこんでその家族の救いのため方舟を造りその方舟によって、世の罪を定め、信仰による義を相続するものとなりました。(ヘブル11:7)

神のさばきは厳正で、この度の洪水による裁きは、予断を許さない、神の審判でした。
まさに、終末の、突然に襲う審判の警告のような、出来事なのです。人々の深刻な神への反逆は、神の怒りと審判は、最早許容(待つ)の範囲を越えた、
状態だったのです。
ノアは宣教していません‼️ビックリ😨
それも含めて、『ノアは、すべて主が彼に命じられた通りにした』
ですね。
信仰生活・主なる神の前に歩む日々は、何が特別に優れた行いが求められるのではなく、
ただ主が求められることを、忠実に行うだけなのです❗️
昨日の22節にも同じ言葉が記されています。
今日のテキストの5節と、9節にも、『主が命じられた通りにした。』とかさねてしるされています。
単純ですが、これこそ、信仰の奥義ですし!主なる神との最大の関係の要です。
 8月12日(金曜日)
リビングライフQT
創世記 6:11~22

6:11 地は神の前に堕落し、地は暴虐で満ちていた。
6:12 神が地をご覧になると、見よ、それは堕落していた。すべての肉なるものが、地上で自分の道を乱していたからである。
6:13 神はノアに仰せられた。「すべての肉なるものの終わりが、わたしの前に来ようとしている。地は、彼らのゆえに、暴虐で満ちているからだ。見よ、わたしは彼らを地とともに滅ぼし去る。
6:14 あなたは自分のために、ゴフェルの木で箱舟を造りなさい。箱舟に部屋を作り、内と外にタールを塗りなさい。
6:15 それを次のようにして造りなさい。箱舟の長さは三百キュビト。幅は五十キュビト。高さは三十キュビト。
6:16 箱舟に天窓を作り、上部から一キュビト以内に天窓を仕上げなさい。また、箱舟の戸口をその側面に設け、箱舟を一階と二階と三階に分けなさい。
6:17 わたしは、今、いのちの息のあるすべての肉なるものを天の下から滅ぼし去るために、地上に大水を、大洪水をもたらそうとしている。地上のすべてのものは死に絶える。
6:18 しかし、わたしはあなたと契約を結ぶ。あなたは、息子たち、妻、それに息子たちの妻とともに箱舟に入りなさい。
6:19 また、すべての生き物、すべての肉なるものの中から、それぞれ二匹ずつを箱舟に連れて入り、あなたとともに生き残るようにしなさい。それらは雄と雌でなければならない。
6:20 鳥は種類ごとに、動物も種類ごとに、また地面を這うすべてのものも種類ごとに、それぞれ二匹ずつが生き残れるよう、あなたのところに来なければならない。
6:21 あなたは、食べられるあらゆるものから採って、自分のところに集め、あなたとそれらの動物のための食物としなさい。」
6:22 ノアは、すべて神が命じられたとおりにし、そのように行った。

今朝のテキストを読みながら、この物語は、太古の歴史の記述ですが、まるで、今の時代に語られている、御警告のように、響いてきます。まさに、現代は悪(罪)が極限状態にまで、蔓延した感じを受けるような昨今ですね。
姿形(すがたかたち)こそ、人間の叡知の最高峰を、見ている(これ以上の満足度はない)様な、昨今ですね。確かに満足度100%の充足に安住する毎日です。
にもかかわらず、人の心の奥には、恐ろしい価値観が支配しているのです。
それは、創造者である神を見失い、主なる神との、恵みと平安に包まれた関係を、失ったので、それに変わる人の知恵(これとて神から賜ったもの)を屈指して、神に代わる人間文化を造り出そうと、神から離れたことが、自己中心な世界を築いたのです。
極度に高度化した、現代世界の中で、人の営み(罪)は、実に本能的であり、自己中心であり、神のかたち(象)は安全なまでに、失われてしまっていたのです。
主なる神は、この事態に対して、滅ぼしてしまわれないで、
ノアとその家族への語りかけで、新しい時代新しい世界を回復するために、洪水計画を、新しい世界を作るご計画を、与えられたのです。それがノアの洪水計画でした。
造り直すのではなく、人が創造時に与えられた(意志)を屈指して、
創造者の神に帰ることを願われたのです。
それが18節~“わたしはあなたと(契約を結ぶ)”
これは、人が神に返る事を求められたのです。
これが主なる神の御意志なのです。そして、この神のお心は、今これを読まれる一人一人向けておられるのです‼️
神はノアを試されました。非常に細部にわたるまでの、細かい指示にまで・・・
22節~ノアは、すべて神が命じられた通りにし、そのように行った。
この一句は、非常に重い言葉です。
ノアは、新しく神に従い神の民としての、新しい軌道を示した、最初の人(先駆け)となったのです。
私達は今朝、22節の言葉を、大切な定規として、この言葉に歩みたいですね‼️🎶
*神に命じられた・・それは、今日の“福音(御子による贖罪)”です。
 8月11日(木曜日)
リビングライフQT
創世記 6:1~10

6:1 さて、人が大地の面に増え始め、娘たちが彼らに生まれたとき、
6:2 神の子らは、人の娘たちが美しいのを見て、それぞれ自分が選んだ者を妻とした。
6:3 そこで、【主】は言われた。「わたしの霊は、人のうちに永久にとどまることはない。人は肉にすぎないからだ。だから、人の齢は百二十年にしよう。」
6:4 神の子らが人の娘たちのところに入り、彼らに子ができたそのころ、またその後も、ネフィリムが地にいた。彼らは昔からの勇士であり、名のある者たちであった。
6:5 【主】は、地上に人の悪が増大し、その心に図ることがみな、いつも悪に傾くのをご覧になった。
6:6 それで【主】は、地上に人を造ったことを悔やみ、心を痛められた。
6:7 そして【主】は言われた。「わたしが創造した人を地の面から消し去ろう。人をはじめ、家畜や這うもの、空の鳥に至るまで。わたしは、これらを造ったことを悔やむ。」
6:8 しかし、ノアは【主】の心にかなっていた。
6:9 これはノアの歴史である。ノアは正しい人で、彼の世代の中にあって全き人であった。ノアは神とともに歩んだ。
6:10 ノアは三人の息子、セム、ハム、ヤフェテを生んだ。

人類の拡散が整った時期、同時に、人の拡散は、罪の拡大と拡散を意味し、創造主なる神は、深いかなしみに、御心を傷められたのです。そして、人の一生の営みを、120年にまで短縮されました。
創造主である大能者である神が、7節“悔やまれる”だろうか(?)
主なる神は、ご自身の創造の業に対して、“悔やまれた”のではなく、お作りになられた人が、暗闇に落ちていく姿に対して、悲しみ、悔やまれたのです。主なる神はお造りになられた“人”が、離れていく姿に、心傷め、天地創造→人類の創造→更なる次の創造のシナリオを、開かれたのです。
更なる創造の業は、
①人の寿命を短縮された。(罪に染まった人は、年を重ねることは、更なる罪の誘惑にさらされて生きることになるから)寿命の短縮は、神の哀れみと考えられないだろうか。
アベルを失った、アダムに、神は新たに信仰の継承者として、“セツ”を与えられた。その末裔に“ノア”が世に現れたのです。
主なる神のご計画は、確実に、人間の営みをその歩みに委ねながらも、お造りになられた人の、最終的行く末に、完成をご計画されておられるのです。
一人一人が自らの神への信仰と、信頼によって生き抜き、完成に向けて開かれた道を歩むように・・・と、導いてくださるのです。
今日、与えられている恵みの道を、見失わないように、主の導きの御手を見失わないように、これからの歴史をたどって参りましょう‼️🎶アーメン
 8月10日(水曜日)
リビングライフQT
創世記 5章1節~32節

5:1 これはアダムの歴史の記録である。神は、人を創造したとき、神の似姿として人を造り、
5:2 男と女に彼らを創造された。彼らが創造された日に、神は彼らを祝福して、彼らの名を「人」と呼ばれた。
5:3 アダムは百三十年生きて、彼の似姿として、彼のかたちに男の子を生んだ。彼はその子をセツと名づけた。
5:4 セツを生んでからのアダムの生涯は八百年で、彼は息子たち、娘たちを生んだ。
5:5 アダムが生きた全生涯は九百三十年であった。こうして彼は死んだ。
5:6 セツは百五年生きて、エノシュを生んだ。
5:7 セツはエノシュを生んでから八百七年生き、息子たち、娘たちを生んだ。
5:8 セツの全生涯は九百十二年であった。こうして彼は死んだ。
5:9 エノシュは九十年生きて、ケナンを生んだ。
5:10 エノシュはケナンを生んでから八百十五年生き、息子たち、娘たちを生んだ。
5:11 エノシュの全生涯は九百五年であった。こうして彼は死んだ。
5:12 ケナンは七十年生きて、マハラルエルを生んだ。
5:13 ケナンはマハラルエルを生んでから八百四十年生き、息子たち、娘たちを生んだ。
5:14 ケナンの全生涯は九百十年であった。こうして彼は死んだ。
5:15 マハラルエルは六十五年生きて、ヤレデを生んだ。
5:16 マハラルエルはヤレデを生んでから八百三十年生き、息子たち、娘たちを生んだ。
5:17 マハラルエルの全生涯は八百九十五年であった。こうして彼は死んだ。
5:18 ヤレデは百六十二年生きて、エノクを生んだ。
5:19 ヤレデはエノクを生んでから八百年生き、息子たち、娘たちを生んだ。
5:20 ヤレデの全生涯は九百六十二年であった。こうして彼は死んだ。
5:21 エノクは六十五年生きて、メトシェラを生んだ。
5:22 エノクはメトシェラを生んでから三百年、神とともに歩み、息子たち、娘たちを生んだ。
5:23 エノクの全生涯は三百六十五年であった。
5:24 エノクは神とともに歩んだ。神が彼を取られたので、彼はいなくなった。
5:25 メトシェラは百八十七年生きて、レメクを生んだ。
5:26 メトシェラはレメクを生んでから七百八十二年生き、息子たち、娘たちを生んだ。
5:27 メトシェラの全生涯は九百六十九年であった。こうして彼は死んだ。
5:28 レメクは百八十二年生きて、一人の男の子を生んだ。
5:29 彼はその子をノアと名づけて言った。「この子は、【主】がのろわれたこの地での、私たちの働きと手の労苦から、私たちを慰めてくれるだろう。」
5:30 レメクはノアを生んでから五百九十五年生きて、息子たち、娘たちを生んだ。
5:31 レメクの全生涯は七百七十七年であった。こうして彼は死んだ。
5:32 ノアは五百歳になった。そしてノアはセム、ハム、ヤフェテを生んだ。

ここに名を挙げてある人は、家系図の直系だけで、この他に、一組の夫婦から(いずれも800年~900年年生きているから)10年に一子うんで700年まで出産したとしたら、6000人になり増すね。
人類が繁栄して、世界に拡がるための創造主のご計画であったとしたら、その拡散はねずみ算的であったでしょう。
こうして、人間世界の拡散定着は整えられといく一方、主なる神を知らない・信じない世界が確実に拡大したのです。
そんな中で、3節の最初の人アダム(悔い改めて神と共に生きる)に似た(同じ信仰に生きる)セツが誕生したのです。
セツの誕生から6代まで、何のコメントもないので再び神への信仰は陰ったのか・・・しかし、密かに継がれてエノクの出生となるのです。
エノクは、神と共に歩んだので、神が彼を取られたのでいなくなった。と記された通り、栄光の生涯だったのですが、それでも、加速する世俗化は、人々の魂を義の光にとどまらなかった。
エノクから4代目に、“ノア”が誕生するまで又、神との交わりが途絶え再び霊的空白ががありますね😖💦
この様な人類の殺伐とした歴史に、神はそれでも介入して、救いの御手を差し伸べておられるのです‼️
今朝私たちはこの様な殺伐とした、罪の歴史を見ながら、エノクの様に、輝く人生を証人として、歩み通して、次の世代に信仰を繋いでいかねばならないですね。
 8月9日(火曜日)
リビングライフQT
創世記 4:16~26

4:16 カインは【主】の前から出て行って、エデンの東、ノデの地に住んだ。
4:17 カインはその妻を知った。彼女は身ごもってエノクを産んだ。カインは町を建てていたので、息子の名にちなんで、その町をエノクと名づけた。
4:18 エノクにはイラデが生まれた。イラデはメフヤエルを生み、メフヤエルはメトシャエルを生み、メトシャエルはレメクを生んだ。
4:19 レメクは二人の妻を迎えた。一人の名はアダ、もう一人の名はツィラであった。
4:20 アダはヤバルを産んだ。ヤバルは天幕に住む者、家畜を飼う者の先祖となった。
4:21 その弟の名はユバルであった。彼は竪琴と笛を奏でるすべての者の先祖となった。
4:22 一方、ツィラはトバル・カインを産んだ。彼は青銅と鉄のあらゆる道具を造る者であった。トバル・カインの妹はナアマであった。
4:23 レメクは妻たちに言った。「アダとツィラよ、私の声を聞け。レメクの妻たちよ、私の言うことに耳を傾けよ。私は一人の男を、私が受ける傷のために殺す。一人の子どもを、私が受ける打ち傷のために。
4:24 カインに七倍の復讐があるなら、レメクには七十七倍。」
4:25 アダムは再び妻を知った。彼女は男の子を産み、その子をセツと名づけた。カインがアベルを殺したので、彼女は「神が、アベルの代わりに別の子孫を私に授けてくださいました」と言った。
4:26 セツにもまた、男の子が生まれた。セツは彼の名をエノシュと呼んだ。そのころ、人々は【主】の名を呼ぶことを始めた。

カインの末裔の系図を見ながら、彼らが人生を積み重ねながら、それぞれに、新しい文化(生き様の稔り)を産み出しているのを見ます。
所が、こうした歴史を辿るなかで、再び、人同士で、傷つけ合う、暗い闇を正当化❓する姿が記録されている。
神から離れた歴史に、再び暗い記録が出始め、その事実の拡散を押し止めようと、24節の宣言を設けている。
カインの時は、カインの恐怖を拭うためと、新しく生きるための、神の保護の約束だったのですが、
ここでレメクが、妻たちに語った宣言は、
まるで自己の、行為(殺人)に対する正当性を、宣言するような内容だ💢
何と言う堕落振りでしょう💧 世代を追って、罪は加速度時に拡大していくのです。
ここで再び系図は、アダムとエバに戻って、アベルに代わる、新しい希望の系図を開き始めるのです。
それが“セツ”の物語です。セツ→エノシュ
『そのころ、人々はし主の名を呼ぶことを始めた。
この言葉は、当時の世界が、いかに乱れ始めたかが伺われる言葉です。』
今朝も、これからも、《主の御名を呼ぶ者が起こされることを、私たちクリスチャンも、熱く🛐ものとなりましょう。》
原爆の長崎投下を記念する今日、改めて、主の御名を呼ぶ者が、多く起こされる様に・・と、心から祈りましょう‼️🎶
 8月8日(月曜日)
リビングライフQT
創世記 4:1~15

4:1 人は、その妻エバを知った。彼女は身ごもってカインを産み、「私は、【主】によって一人の男子を得た」と言った。
4:2 彼女はまた、その弟アベルを産んだ。アベルは羊を飼う者となり、カインは大地を耕す者となった。
4:3 しばらく時が過ぎて、カインは大地の実りを【主】へのささげ物として持って来た。
4:4 アベルもまた、自分の羊の初子の中から、肥えたものを持って来た。【主】はアベルとそのささげ物に目を留められた。
4:5 しかし、カインとそのささげ物には目を留められなかった。それでカインは激しく怒り、顔を伏せた。
4:6 【主】はカインに言われた。「なぜ、あなたは怒っているのか。なぜ顔を伏せているのか。
4:7 もしあなたが良いことをしているのなら、受け入れられる。しかし、もし良いことをしていないのであれば、戸口で罪が待ち伏せている。罪はあなたを恋い慕うが、あなたはそれを治めなければならない。」
4:8 カインは弟アベルを誘い出した。二人が野にいたとき、カインは弟アベルに襲いかかって殺した。
4:9 【主】はカインに言われた。「あなたの弟アベルは、どこにいるのか。」カインは言った。「私は知りません。私は弟の番人なのでしょうか。」
4:10 主は言われた。「いったい、あなたは何ということをしたのか。声がする。あなたの弟の血が、その大地からわたしに向かって叫んでいる。
4:11 今や、あなたはのろわれている。そして、口を開けてあなたの手から弟の血を受けた大地から、あなたは追い出される。
4:12 あなたが耕しても、大地はもはや、あなたのために作物を生じさせない。あなたは地上をさまよい歩くさすらい人となる。」
4:13 カインは【主】に言った。「私の咎は大きすぎて、負いきれません。
4:14 あなたが、今日、私を大地の面から追い出されたので、私はあなたの御顔を避けて隠れ、地上をさまよい歩くさすらい人となります。私を見つけた人は、だれでも私を殺すでしょう。」
4:15 【主】は彼に言われた。「それゆえ、わたしは言う。だれであれ、カインを殺す者は七倍の復讐を受ける。」【主】は、彼を見つけた人が、だれも彼を打ち殺すことのないように、カインに一つのしるしをつけられた。

長男カインと、次男アベルの悲しい物語😢
二人が成長して、それぞれ、神に自らの祭壇(神に祈る場所)で、神に感謝と御加護を祈る時が来ました。
彼らは、親のアダムの物語や、神様との心の交流について聞いていたでしょう。
また、神に祈るとき、祭壇の前に、なされる大切な儀式も、度重ねて経験してきていたはずです。
その大切な神との交わりの儀式を、自分で行うときが来たのです。
神の前に祈る・・・と言うことは、父親アダムと母親エバから、神様との関係、また、祈るときの、神様へ近付く祈りのための、心や業・・について、経験的にもそのあるべき心や業(方法)は、熟知していたはずです。
そのうえでの今朝の物語なのです。
カインの祈りのための供え物が、何故神に省みられなかったのでしょう。
カインなりの善意はうかがえます。しかし、長年父母の、主なる神への礼拝(祈り)を見、又、教えられてきた“教え”は、やはり神に背いた二人が再び、神との交わりに回復できたのは、あの“毛皮の衣”を与えられた陰の犠牲の羊のあったこと・・・
神に近付き、神の祝福に触れる交わりは、血の流された犠牲あるのみ・・・
カインの礼拝は、人間の側の善意や思いの丈を表すものでした。
これこそ、神を忘れた(離れた)人が、神(人が想定する超絶したお方)に、近付き祈る時、自らのもっとも神聖な思いと感謝を込めて、表現するのです。それが宗教の祈りや儀式となるのです。
まさにカインの祈りのための捧げ物は、それでした。
しかし、人が神の前に出るときの唯一の道筋は、ただ血にあるのです。父アダムと母エバの祈りから、アベルは学んでいたのです。
《ただ一つの道》を。
それが羊の初子を持ってきたのです。
これこそ、尊い血を介しての、神との交わりの回復なのです。
これは信仰(神との交わり)の唯一の回復の道なのです。
カインは、この時、神に省みられなかったのですが、彼は神から排除されたのではないのです。
15節~これはカインへの神の保証です。
なんと言う神のあわれみでしょう‼️🎶
かつての自分の姿を彷彿とさせられる、姿です。神はカインに“しろし”をつけられた。
今や、同じ様に、キリスト・イエスの贖罪の血を、付けて頂いた私たちのようです‼️🎶
カインの様な私さえも憐れみをもって・・・
 8月7日(日曜日)
リビングライフQT
創世記 3:14~24

3:14 神である【主】は蛇に言われた。「おまえは、このようなことをしたので、どんな家畜よりも、どんな野の生き物よりものろわれる。おまえは腹這いで動き回り、一生、ちりを食べることになる。
3:15 わたしは敵意を、おまえと女の間に、おまえの子孫と女の子孫の間に置く。彼はおまえの頭を打ち、おまえは彼のかかとを打つ。」
3:16 女にはこう言われた。「わたしは、あなたの苦しみとうめきを大いに増す。あなたは苦しんで子を産む。また、あなたは夫を恋い慕うが、彼はあなたを支配することになる。」
3:17 また、人に言われた。「あなたが妻の声に聞き従い、食べてはならないとわたしが命じておいた木から食べたので、大地は、あなたのゆえにのろわれる。あなたは一生の間、苦しんでそこから食を得ることになる。
3:18 大地は、あなたに対して茨とあざみを生えさせ、あなたは野の草を食べる。
3:19 あなたは、顔に汗を流して糧を得、ついにはその大地に帰る。あなたはそこから取られたのだから。あなたは土のちりだから、土のちりに帰るのだ。」
3:20 人は妻の名をエバと呼んだ。彼女が、生きるものすべての母だからであった。
3:21 神である【主】は、アダムとその妻のために、皮の衣を作って彼らに着せられた。
3:22 神である【主】はこう言われた。「見よ。人はわれわれのうちのひとりのようになり、善悪を知るようになった。今、人がその手を伸ばして、いのちの木からも取って食べ、永遠に生きることがないようにしよう。」
3:23 神である【主】は、人をエデンの園から追い出し、人が自分が取り出された大地を耕すようにされた。
3:24 こうして神は人を追放し、いのちの木への道を守るために、ケルビムと、輪を描いて回る炎の剣をエデンの園の東に置かれた。

最初の人(二人)の背きの結果は、常時、創造者なる神との、不断の交わりから断たれ、労働・産みの苦しみをもって、なお、創造者なる神との交わり(命の繋がり)を、模索する道へと離されたのです。
これが《死》と言う、現実だったのです。
《いのち》の恵みの世界から切り離されたのです。
それでも創造者なる神は、創られた人を愛し、生きる道を備え、関わられるのです。
今朝の一番大切な箇所は、
21節の~主なる神は、人を生かして下さるために、皮の衣を着せて下さった‼️
この意味は、それぞれの身体を覆い隠す(躊躇なく交わりの出来る)ために、動物が犠牲となって、裸の恥が覆われ(罪が赦され)、はばかることなく、交わりが出来ることとなった。
これがやがて、神との交わり・祈りを捧げる時の、燔祭の儀式となって恒例化し、更に神からの礼拝の厳しい規定として、律法に記されるものとなったのです。
更に時到って、御子の受肉(イエス様の御降誕)と、十字架による、罪の贖罪となって、御子を信じる者に、義の衣を着せて下さるのです‼️
今や、私達は、主イエス様を信じることにより、死(神との交わりから永遠に断たれること)から、いのちの交わりに入れられるのです‼️

礼拝に主の臨在が一人一人に触れられます様に‼️
 8月6日(土曜日)
リビングライフQT
創世記 3:1~13

3:1 さて蛇は、神である【主】が造られた野の生き物のうちで、ほかのどれよりも賢かった。蛇は女に言った。「園の木のどれからも食べてはならないと、神は本当に言われたのですか。」
3:2 女は蛇に言った。「私たちは園の木の実を食べてもよいのです。
3:3 しかし、園の中央にある木の実については、『あなたがたは、それを食べてはならない。それに触れてもいけない。あなたがたが死ぬといけないからだ』と神は仰せられました。」
3:4 すると、蛇は女に言った。「あなたがたは決して死にません。
3:5 それを食べるそのとき、目が開かれて、あなたがたが神のようになって善悪を知る者となることを、神は知っているのです。」
3:6 そこで、女が見ると、その木は食べるのに良さそうで、目に慕わしく、またその木は賢くしてくれそうで好ましかった。それで、女はその実を取って食べ、ともにいた夫にも与えたので、夫も食べた。
3:7 こうして、ふたりの目は開かれ、自分たちが裸であることを知った。そこで彼らは、いちじくの葉をつづり合わせて、自分たちのために腰の覆いを作った。
3:8 そよ風の吹くころ、彼らは、神である【主】が園を歩き回られる音を聞いた。それで人とその妻は、神である【主】の御顔を避けて、園の木の間に身を隠した。
3:9 神である【主】は、人に呼びかけ、彼に言われた。「あなたはどこにいるのか。」
3:10 彼は言った。「私は、あなたの足音を園の中で聞いたので、自分が裸であるのを恐れて、身を隠しています。」
3:11 主は言われた。「あなたが裸であることを、だれがあなたに告げたのか。あなたは、食べてはならない、とわたしが命じた木から食べたのか。」
3:12 人は言った。「私のそばにいるようにとあなたが与えてくださったこの女が、あの木から取って私にくれたので、私は食べたのです。」
3:13 神である【主】は女に言われた。「あなたは何ということをしたのか。」女は言った。「蛇が私を惑わしたのです。それで私は食べました。」

今日のテキストの中から、問題になる点がいくつかありますね。
*蛇と女のやり取りに見えますね。確かに言葉のやり取りはその様です。しかし、6節を見ると、“女はその実を取って食べ、共にいた夫にも与えたので、夫も食べた。”とあります。二人はとも(一緒)にいたのです。
蛇とのやり取りの時も・・しかし、夫は露ぞ、妻に言葉で牽制をしていないのです。
彼の身体の一部から取られた、パートナーだったのに、大切な人が翻弄されるときに、何一つ、助言も、牽制もしていないのです。
蛇は明らかに、言葉を歪めて、語り掛けています。
それは1節の終わりに“食べてはならないと、神は本当に言われたのですか”・・と。
女は、それに対して、神のお言葉を反復せずに、蛇の言葉に揺らぐ思いから、“死ぬといけないから・・”と、言葉に隙間が空いたのです。
すかさず蛇は、優しく解説的に神様がおっしゃった言葉を薄めて(再解釈して)心をとらえたのです。
神の言葉を聞いたものが、今や、蛇(サタン)の言葉に耳を貸したのです。
このやり取りを男も聞いていたはずですが、彼はこのやり取りには、参加していないですね。
そして挙げ句の果て、手渡された木の実を共に食べたのです。
違った形ではありますが、共に安易に言葉に流されたのです。
その結果は、主なる神が“甚だ良かた‼️”と、全ての業を終えた後、言われたにも関わらず、二人は、裸であることが、恥ずかしい・・と考え、神の創造の傑作を、自ら評価して、覆い隠した。
なんと言う、主なる神を悲しませたことでしょう。
罪とは、神に背く反逆者と、考え勝ちですが、そうではなく、神の言葉に聴く‼️と言う、姿勢の有無を問われるものです。人からの評価や、自己の善良さが、罪を覆うものとはならないのです。
神の言葉に絶対真実であるなら、後半の、神への反論、即ち自己弁護は、醜い罪の濁りに包まれた言葉なのです。
今朝、新たに聖書(神の言葉)を、私の人生の・日々のメジャー(定規)として、御言葉に生きる、新たな献身を主に御捧げしましょう。
 8月5日(金曜日)
リビングライフQT
創世記 2:18~25

2:18 また、神である【主】は言われた。「人がひとりでいるのは良くない。わたしは人のために、ふさわしい助け手を造ろう。」
2:19 神である【主】は、その土地の土で、あらゆる野の獣とあらゆる空の鳥を形造って、人のところに連れて来られた。人がそれを何と呼ぶかをご覧になるためであった。人がそれを呼ぶと、何であれ、それがその生き物の名となった。
2:20 人はすべての家畜、空の鳥、すべての野の獣に名をつけた。しかし、アダムには、ふさわしい助け手が見つからなかった。
2:21 神である【主】は、深い眠りを人に下された。それで、人は眠った。主は彼のあばら骨の一つを取り、そのところを肉でふさがれた。
2:22 神である【主】は、人から取ったあばら骨を一人の女に造り上げ、人のところに連れて来られた。
2:23 人は言った。「これこそ、ついに私の骨からの骨、私の肉からの肉。これを女と名づけよう。男から取られたのだから。」
2:24 それゆえ、男は父と母を離れ、その妻と結ばれ、ふたりは一体となるのである。
2:25 そのとき、人とその妻はふたりとも裸であったが、恥ずかしいとは思わなかった。

主なる神様は、ご自身お造りになられた、人(人間)を、何と深い御愛を注いで、導かれた事でしょう。
野の獸(けもの)・空跳ぶ鳥を、連れて来られた。
この表現を見ながら、今は猛獣と言われる獸も含め、賑やかな空の鳥、優雅な鳥たち・・が、人の傍に愉しそうに近づき、木の枝に止まり、囀ずり、体を寄せてくる姿を想像しました。
人は、その親しみに応えて、名前をつけてやった。
何と、平和な姿でしょう。
これが本来の創造世界の実質的姿だったのだと、深い感動をもって読み、遥かなエデンの園の光景を垣間見た思いです‼️
しかし、交わりの存在として創られた人には、これで充足した完成には、足りないことを、神はご存じでした。
何と、“女性”と言うパートナーを、与えられた(創造された)のです。
これは“神の創造の最高傑作”となるのです。
人は、この様に神が目論まれた(計画された)営みを、真実な意味で、生涯掛けて模索し続けるべきでしょう‼️
失敗や、迷いや、破綻や、傷つくのは、神のご計画としての模索が、欠如するからではないでしょうか。結婚式や、披露宴や、戸籍届けが“結婚”ではないのです。生涯神のご計画に信頼して、仕え合い、与え合い、赦し合い、共に生きる事によって、神の創造に参与するのが《結婚》なのです。
25節~裸・・の意味は“そのまま”・“ありのまま”・“失敗や挫折”を、そのまま受け入れることを躊躇しない、受け入れる姿・・を、示しているのではないでしょうか‼️🎶
遥か悠久の昔に、創造の技が完了したのではなく、動物との関係にも、最も身近な家族・パートナーとの関係の中で、創造の業は続いているのです。
それはあなたも関わっているのです‼️🎶
主よ‼️使って下さい🤲
 8月4日(木曜日)
リビングライフQT
創世記  2:4~17

2:4 これは、天と地が創造されたときの経緯である。神である【主】が、地と天を造られたときのこと。
2:5 地にはまだ、野の灌木もなく、野の草も生えていなかった。神である【主】が、地の上に雨を降らせていなかったからである。また、大地を耕す人もまだいなかった。
2:6 ただ、豊かな水が地から湧き上がり、大地の全面を潤していた。
2:7 神である【主】は、その大地のちりで人を形造り、その鼻にいのちの息を吹き込まれた。それで人は生きるものとなった。
2:8 神である【主】は東の方のエデンに園を設け、そこにご自分が形造った人を置かれた。
2:9 神である【主】は、その土地に、見るからに好ましく、食べるのに良いすべての木を、そして、園の中央にいのちの木を、また善悪の知識の木を生えさせた。
2:10 一つの川がエデンから湧き出て、園を潤していた。それは園から分かれて、四つの源流となっていた。
2:11 第一のものの名はピション。それはハビラの全土を巡って流れていた。そこには金があった。
2:12 その地の金は良質で、そこにはベドラハとショハム石もあった。
2:13 第二の川の名はギホン。それはクシュの全土を巡って流れていた。
2:14 第三の川の名はティグリス。それはアッシュルの東を流れていた。第四の川、それはユーフラテスである。
2:15 神である【主】は人を連れて来て、エデンの園に置き、そこを耕させ、また守らせた。
2:16 神である【主】は人に命じられた。「あなたは園のどの木からでも思いのまま食べてよい。
2:17 しかし、善悪の知識の木からは、食べてはならない。その木から食べるとき、あなたは必ず死ぬ。」

5節~地には草木が未だ生じてなかった・・との記述は、次の7節の“人”の創造との間の経過を省いた記述だろうと思われる。
6節~は、未だ大地は成長(形成)途上で、気候や天候のうつろいは、今日の様ではなかったのでしょう。しかし、創造の摂理は、動植物の営みに必要な水は、豊かな湧き水として、与えられていた。
7節~人間の創造の再度の記述で、新たに一つの事が追加されている。それは、《いのちの息を吹き込まれた》即ち、いのちの息とは、神の(いのちの)息です。それは永遠性を意味します。ただ、次の17節の創造者の最重要な警告がセットになっていた‼️
8節~14節・・エデンの園の様子が、最高の要素を屈指して記されていますね。
11節~13節の記述は、恐らく、エジプトのナイル川の支流を指していると考えられる。その地名は、古代のエジプトの地名と類似するのです。
又、私達は今のエジプトをサハラ砂漠と合わせて考えるなので、エデンの園と言うイメージには程遠いのですが、古代のエジプトは、非常に豊かな世界だったのです、サハラ砂漠の真ん中にタッシリ文明が栄えた時期がありました。
14・15節~は良く知られた、メソポタミヤ文明の発祥した中近東に有る大河ですね。
エデンの園がこの様に広大な地域であったのか・・・は、分からないが、神の園として、開かれた世界だったのです。
しかし、この理想郷の中で、主なる神は、人に(ただ)一つの戒めを与えられました。
それが17節です。
この“戒め”こそ、神と創られた人《創造者と造られた人》との、大切な絆になったのですが・・・
今生かされている、私達(イエス・キリスト様の贖罪によって死から命に移された)も又、同じ様に、主なる神の御命じになる、導き、戒め、何よりも御子を信じる道を、辿る事が命じられているのです。
神様との関係(繋がり)は、今も創造の時も変わらず、求められているのです。
今朝、最初に創造された人と同じ恵みと摂理の中で、主に従い告白を捧げましょう‼️🎶
 8月3日(水曜日)
リビングライフQT
創世記 1:24~2:3

1:24 神は仰せられた。「地は生き物を種類ごとに、家畜や、這うもの、地の獣を種類ごとに生じよ。」すると、そのようになった。
1:25 神は、地の獣を種類ごとに、家畜を種類ごとに、地面を這うすべてのものを種類ごとに造られた。神はそれを良しと見られた。
1:26 神は仰せられた。「さあ、人をわれわれのかたちとして、われわれの似姿に造ろう。こうして彼らが、海の魚、空の鳥、家畜、地のすべてのもの、地の上を這うすべてのものを支配するようにしよう。」
1:27 神は人をご自身のかたちとして創造された。神のかたちとして人を創造し、男と女に彼らを創造された。
1:28 神は彼らを祝福された。神は彼らに仰せられた。「生めよ。増えよ。地に満ちよ。地を従えよ。海の魚、空の鳥、地の上を這うすべての生き物を支配せよ。」
1:29 神は仰せられた。「見よ。わたしは、地の全面にある、種のできるすべての草と、種の入った実のあるすべての木を、今あなたがたに与える。あなたがたにとってそれは食物となる。
1:30 また、生きるいのちのある、地のすべての獣、空のすべての鳥、地の上を這うすべてのもののために、すべての緑の草を食物として与える。」すると、そのようになった。
1:31 神はご自分が造ったすべてのものを見られた。見よ、それは非常に良かった。夕があり、朝があった。第六日。

2:1 こうして天と地とその万象が完成した。
2:2 神は第七日に、なさっていたわざを完成し、第七日に、なさっていたすべてのわざをやめられた。
2:3 神は第七日を祝福し、この日を聖なるものとされた。その日に神が、なさっていたすべての創造のわざをやめられたからである。

*動物の創造・人の創造・創造の完了・安息‼️
時間で表現するなら、何十億年かの、経過になる歴史が、僅かなページで表現されている。これが、神の時((?))“永遠‼️”なのです。“永遠‼️”は、時間ではないのです。存在なのです。
モーセが、初めて神に出会った時、神はご自身の事をモーセに
”I am That I am“
(King James version)
《我は、在りて在るもの》(文語約聖書)と、御自身を、お知らせになりました。(出エジプト3:14)
“在る”は、永遠の存在を指しています。
26節~我々(三位一体の神)に似るように、我々のかたちに人を造ろう。
27節~・・・人をご自身のかたちに創造された。・・・
《神のかたち》とは❓
*愛*聖*義・・即ち、神の御性質の事。人をご自身の御性質によって存在する、主なる神のパートナーとして、“人間”は、創られたのです‼️🎶
28節~ご自身に似せて作られた人に、世界の支配を任せられたのです。言い替えるなら、神と共同の管理者として、私たちは選ばれて存在するのです。そればかりか、そこから与えられる豊かな祝福を、保証されたのです。
しかし、何と神のご計画からは遠く離れてしまったことでしょう。
31節~・・・見よ、それは非常に良かった。
完全な祝福の神からの全保証は、万全だったのに・・何故💧❓
主なる神の御計画は、完全な祝福と、保証だったのです。
しかし、それが今や想像もつかない堕落と、争いと、窮乏と、孤独に蝕まれる、日々となっていることでしょう。
しかし、そんな中で、
2章1~3節で、神が休まれた‼️と言う重大な宣言は、何を意味していることでしょう。
神の休息‼️・・・それは、被造物への愛顧(深い愛をもって目を注ぐ)の時なのです。
言い替えるなら、それは、被造物の中の、完全な存在、即ち《人間》との交わりなのです。
これが、神と人との交わりの時となるのです。即ち、礼拝なのです。一度は、創造者の元から離れた罪人でしたが、イエス・キリストの十字架による贖罪の血によって、創られた時の様に洗われて、神の御座の前に出て、礼拝の民とされたのです。主なる神の安息の中に、包まれるのです‼️🎶
今や、私達主の民とされた、クリスチャンの喜びは、賛美・祈り・御言葉(聖書に聞く)への傾聴によって、主なる神との安息に包まれるのです。ハレルヤ‼️
 8月2日(火曜日)
リビングライフQT
創世記 1:14~23

1:14 神は仰せられた。「光る物が天の大空にあれ。昼と夜を分けよ。定められた時々のため、日と年のためのしるしとなれ。
1:15 また天の大空で光る物となり、地の上を照らすようになれ。」すると、そのようになった。
1:16 神は二つの大きな光る物を造られた。大きいほうの光る物には昼を治めさせ、小さいほうの光る物には夜を治めさせた。また星も造られた。
1:17 神はそれらを天の大空に置き、地の上を照らさせ、
1:18 また昼と夜を治めさせ、光と闇を分けるようにされた。神はそれを良しと見られた。
1:19 夕があり、朝があった。第四日。
1:20 神は仰せられた。「水には生き物が群がれ。鳥は地の上、天の大空を飛べ。」
1:21 神は、海の巨獣と、水に群がりうごめくすべての生き物を種類ごとに、また翼のあるすべての鳥を種類ごとに創造された。神はそれを良しと見られた。
1:22 神はそれらを祝福して、「生めよ。増えよ。海の水に満ちよ。鳥は地の上に増えよ」と仰せられた。
1:23 夕があり、朝があった。第五日。

14節~19節
天体(太陽・月・星々)の説明。字句通りの霊感説は、地球が先に創られて、天体が後から・・・となるのに、何の違和感なく、受け入れて来たのです。教育の場での教え(説)は、クリスチャンの家庭の師弟にとっては、大きな躓きとなってきました。
問題は簡単です。地球は確かに、宇宙の中の天体の一つとして創造されました。
しかし、この地球こそ、神がご自身の心通わすパートナーとなる、人間の居住区として、創られたのです。それが創世記です‼️
太陽・月・星が作られた❗️と言うのは、文章にすると、過去形なのですが、時間は、人間の知恵で区切り時系列で考えるために工夫された、概念なのです。素晴らしい知恵であり感覚です。
しかし、創造主なる神は、永遠なるお方なのです。
あなたという存在は、2022年と言う現在そこに居る一人の実在者です。しかし、主なる神は、時系列で言う永遠の中で、私たちは存在するのです。
良く、”永遠の昔から、主な私を選んでくださっていた‼️“と言う表現を聞きますね。
地上から、天体が黙視で繰りようになる前から、天体はあったのです。ただ、密運に包まれた灼熱の地上からは、見えなかったと言うことです(もっともその時に人は未だ創造されとなかったのです。ただ、人の視点での状況説明です。)
20節~23節
海(水中)の生物の創造。
*生物(人を含め)生命の創造は、進化論は大きな間違いをおかしています。
創世記は、《種類ごとに》と記して、幾千幾万・・・の、バラエティーに富んだ、種類の個体は、神の創造の妙(傑作)なのです。当然、神の創造は、固定化された種のみならず、環境進化、気候進化、状況進化等の体内システムの創造主の設定が、フルに発揮されて、生命の多様化へと、適応拡散してきたのは、生命学・進化論(単細胞から生物の生命体は派生したの、進化論の基本は排除して)の、展開してきた成果です。
なぜ海(水)の中からの生命の始まりなのでしょう。
地球ができても、密雲が地表何キロも熱く包んでいる間は、高熱時代なので、生命の存在できない環境でした。しかし、地球が冷えて温度環境が整うて、密雲がなくなったので、猛烈な宇宙線の降り注ぎ更なる、環境の妨げとないました。
そこで神の知恵は、初めに水中に生命体を創造され水はほぼ完全に、宇宙線から生命を守る、バリヤーとなったのです。
生命学でも、水中生命が全ての生命存在に先行することを、教えています。
更に明日へと、神の知恵により創造の業は、素晴らしい展開を見せて下さいます‼️
主に賛美捧げましょう🎵 ハレルヤ‼️
 
 
 8月1日(月曜日)
リビングライフQT
創世記 1:1~13

1:1 はじめに神が天と地を創造された。
1:2 地は茫漠として何もなく、闇が大水の面の上にあり、神の霊がその水の面を動いていた。
1:3 神は仰せられた。「光、あれ。」すると光があった。
1:4 神は光を良しと見られた。神は光と闇を分けられた。
1:5 神は光を昼と名づけ、闇を夜と名づけられた。夕があり、朝があった。第一日。
1:6 神は仰せられた。「大空よ、水の真っただ中にあれ。水と水の間を分けるものとなれ。」
1:7 神は大空を造り、大空の下にある水と大空の上にある水を分けられた。すると、そのようになった。
1:8 神は大空を天と名づけられた。夕があり、朝があった。第二日。
1:9 神は仰せられた。「天の下の水は一つの所に集まれ。乾いた所が現れよ。」すると、そのようになった。
1:10 神は乾いた所を地と名づけ、水の集まった所を海と名づけられた。神はそれを良しと見られた。
1:11 神は仰せられた。「地は植物を、種のできる草や、種の入った実を結ぶ果樹を、種類ごとに地の上に芽生えさせよ。」すると、そのようになった。
1:12 地は植物を、すなわち、種のできる草を種類ごとに、また種の入った実を結ぶ木を種類ごとに生じさせた。神はそれを良しと見られた。
1:13 夕があり、朝があった。第三日。

創世記は、特定の人物が書いたのではなく、アブラハムの時代に、新しい神の民の選びを契機に、語り継がれた主なる神の歴史を、整えられたのではないでしょうか。それはともかくとして、天地創造の記録は、これが集大成された時代の、ことば、知識、科学、表現・・等々を、今日の言語に翻訳したのですから、言葉や表現をそのままの形で理解するものではない。
第一節が、
真理の大基盤です。この真理の宣言から、全てに光が届けられるのです。
《はじめに神が天と地を創造された。》
今日は、創造の三日(1
3節)までがテキストですが、先ず問題視されてきたのは、”一日“という記載です。字句に拘りすぎて、1日が24時間だと、字句通りに解釈すること・・・そ解釈する(それ以外には真実はないと断定する)こと・・それが聖書を神の言葉として、それ以外は全て異端とする教会の頑なさが、多くの人々を福音から遠ざけてきたことを、悲しく思います。
今朝は、この行を通して、議論するものではありません。
今朝私たちが注目しなければならないのは、
*神は仰せられた‼️(3・6・9・11節)
*神はそれを良しと見られた。(11節・12節)です。
神の言葉が創造の原点なのです。
ことばは、意志・権威・能力の、表出です。天文学・物理学・生命学・歴史学・・は、その結果を考察し、学説として世に出されて形となったのです。それら個々の形成過程や出現や変化(進化とも言う)は、確かに唯物的でしょう。確かに現象的には、進化の結果として、見えてきます。
しかし、その進化と変化の中には、神の意図と、変化を促すこと自体、神の創造的支配なのだと言えませんか。
だとすると、今も、これからの数十万年後も、神の創造は続いているのだと言えるのです‼️🎶
神の創造の業は今も続いているのです。
誰も見たことのない、太古の出来事を、どうしてこのように、記録できたのでしょう。それは神が彼らに語りかけ、霊の感動をもって書き記したから、神の意図であり、御計画だったのです。
言葉があったから全てのものは、創造され、それからは組み込まれた、生物学的個別の能力に応じて‼️、複雑に発達してきたのです。これからも続くのです‼️🎶
①「光、あれ」・・此は、このとき太陽が創造されたのではない。太陽の創造は、1節にすでに記されています。(宇宙の創造です)
光あれ❗️とは、地表から光が見えるようになったのです。(人が居た分けではないが)
5節~光か当たる(密雲が雨となり、地表を冷やすと、光がうっすらと届く)昼と夜の区別(地球の自転)
6節~更に密雲が雨となり薄くなると、霧が地表から分離し、水と雲が分離する(下の水=海と上の水=雲)
9節~10節~プレートの移動と、陸地の形成・・実に地球物理学とマッチした、太古の人の神からの知恵
12節~陸に植物の繁茂です。
長くなりましたが、こうして明日からのテキスとも含めて、
読むたびに、まるで天地創造の目撃者のような、錯覚に捕らわれ、感動にうち震えるのです。明日からも楽しみに・・・