
| 9月30日(金曜日) リビングライフQT 創世記 29:31~35 29:31 【主】はレアが嫌われているのを見て、彼女の胎を開かれたが、ラケルは不妊の女であった。 29:32 レアは身ごもって男の子を産み、その子をルベンと名づけた。彼女が、「【主】は私の悩みをご覧になった。今こそ夫は私を愛するでしょう」と言ったからである。 29:33 彼女は再び身ごもって男の子を産み、「【主】は私が嫌われているのを聞いて、この子も私に授けてくださった」と言って、その子をシメオンと名づけた。 29:34 彼女はまた身ごもって男の子を産み、「今度こそ、夫は私に結びつくでしょう。私が彼に三人の子を産んだのだから」と言った。それゆえ、その子の名はレビと呼ばれた。 29:35 彼女はさらに身ごもって男の子を産み、「今度は、私は【主】をほめたたえます」と言った。それゆえ、彼女はその子をユダと名づけた。その後、彼女は子を産まなくなった。 最初に出会ったラケルに対する愛情は、ラケルとヤコブのお互いを、深く結ぶ絆として、強く結び付いていた。 それだけに、レアは、子を授かることによって、ヤコブとの絆を確認し続けたのです。そして、レアは、子を授かる度に、自らの信仰の確信を、子供の名前に読み込んで、自分自身を励ましたのです。 彼女の家庭での逆境の中にありながらも、争いに至らず、対立に持ち込まず、ただ主なる神に期待しつつ、仕える姿に、現代の家庭や夫婦のしきたりの違いこそあれ、健気に生きる姿、この中に、報われない現実の中でも、主なる神に生かされていることを、告白する“レア”のひたすらな姿に、ある種の美しさを感じるのです。 信仰はハッピーエンドばかりではない、創造主との関係をどの様に受け止めるかによって、生き生きとした信仰へと、開かれのです‼️🎶 |
| 9月29日(木曜日) リビングライフQT 創世記 29:15~30 29:15 ラバンはヤコブに言った。「あなたが私の親類だからといって、ただで私に仕えることもないだろう。どういう報酬が欲しいのか、言ってもらいたい。」 29:16 ラバンには二人の娘がいた。姉の名はレア、妹の名はラケルであった。 29:17 レアは目が弱々しかったが、ラケルは姿も美しく、顔だちも美しかった。 29:18 ヤコブはラケルを愛していた。それで、「私はあなたの下の娘ラケルのために、七年間あなたにお仕えします」と言った。 29:19 ラバンは、「娘を他人にやるよりは、あなたにやるほうがよい。私のところにとどまっていなさい」と言った。 29:20 ヤコブはラケルのために七年間仕えた。ヤコブは彼女を愛していたので、それもほんの数日のように思われた。 29:21 ヤコブはラバンに言った。「私の妻を下さい。約束の日々が満ちたのですから。彼女のところに入りたいのです。」 29:22 そこでラバンは、その土地の人たちをみな集めて祝宴を催した。 29:23 夕方になって、ラバンは娘のレアをヤコブのところに連れて行ったので、ヤコブは彼女のところに入った。 29:24 ラバンはまた、娘のレアに、自分の女奴隷ジルパを彼女の女奴隷として与えた。 29:25 朝になって、見ると、それはレアであった。それで彼はラバンに言った。「あなたは私に何ということをしたのですか。私はラケルのために、あなたに仕えたのではありませんか。なぜ、私をだましたのですか。」 29:26 ラバンは答えた。「われわれのところでは、上の娘より先に下の娘を嫁がせるようなことはしないのだ。 29:27 この婚礼の一週間を終えなさい。そうすれば、あの娘もあなたにあげよう。その代わり、あなたはもう七年間、私に仕えなければならない。」 29:28 そこで、ヤコブはそのようにした。すなわち、その婚礼の一週間を終えた。それでラバンは、その娘ラケルを彼に妻として与えた。 29:29 ラバンは娘のラケルに、自分の女奴隷ビルハを彼女の女奴隷として与えた。 29:30 ヤコブはこうして、ラケルのところにも入った。ヤコブは、レアよりもラケルを愛していた。それで、もう七年間ラバンに仕えた。 ヤコブの遭遇した、ラバンからの騙し討ちは、 まさに、かつて、ヤコブが父イサクと、兄エサウに対して行った偽りと、全く同様の詐欺行為だったのです。 ヤコブは、愛していたリベカのために、7年間黙々と働いたのです。(彼の心の中では、この7年間は、兄と父を騙した報いだ❗️)と言う思いがあったから、反省と報いを受け入れる思いで耐えたのでしょう。 しかし、ヤコブの想定とは全く違った展開が、7年過ぎ去ったにも関わらず、彼の確信を破壊したのです。完全に騙し討ちにされて、彼の勤勉さが、更なる倍の年数(もう7年間)を、仕える様に、仕組まれたのです。 ヤコブの沈黙の従順は、やはり、自らの曾ての不義への深い悔いが、介在していたのでしょう。(読者よ知るべし❗️)悔い改めは、その人に新しい出発と、祝福とをもたらすのですね‼️ ヤコブを、主なる神は深くお取り扱いされ、祝福の土台を、ここ、ハランで、築かせられたのです‼️🎶 悔い改めと、真実な服従は、その人の過去に関わらず、神創造者として、新たな道を開かれるのですね。 ハレルヤ🎵 |
| 9月28日(水曜日) リビングライフQT 創世記 29:1~14 29:1 ヤコブは旅を続けて、東の人々の国へ行った。 29:2 ふと彼が見ると、野に井戸があった。ちょうどその傍らに、三つの羊の群れが伏していた。その井戸から群れに水を飲ませることになっていたからである。その井戸の口の上にある石は大きかった。 29:3 群れがみなそこに集められたら、その石を井戸の口から転がして、羊に水を飲ませ、その石を再び井戸の口の元の場所に戻すことになっていた。 29:4 ヤコブがその人たちに「兄弟たちよ、あなたがたはどこの方ですか」と尋ねると、彼らは「私たちはハランの者です」と答えた。 29:5 それでヤコブが「あなたがたはナホルの子ラバンをご存じですか」と尋ねると、彼らは「よく知っています」と答えた。 29:6 ヤコブは彼らに尋ねた。「その人は元気ですか。」すると彼らは、「元気です。ほら、娘のラケルが羊を連れてやって来ます」と言った。 29:7 ヤコブは言った。「ご覧なさい。日はまだ高いし、群れを集める時間でもありません。羊に水を飲ませて、草を食べさせに戻ってはどうですか。」 29:8 すると彼らは言った。「そうはできません。群れがみな集められて、井戸の口から石を転がすまでは。それから、羊に水を飲ませるのです。」 29:9 ヤコブがまだ彼らと話しているとき、ラケルが父の羊の群れを連れてやって来た。彼女は羊を飼っていたのである。 29:10 ヤコブは、母の兄ラバンの娘ラケルと、母の兄ラバンの羊の群れを見ると、すぐ近寄って行って、井戸の口の上の石を転がし、母の兄ラバンの羊の群れに水を飲ませた。 29:11 そしてヤコブはラケルに口づけし、声をあげて泣いた。 29:12 ヤコブはラケルに、自分は彼女の父の甥であり、リベカの子であることを告げた。彼女は走って行って、父にそのことを告げた。 29:13 ラバンは妹の子ヤコブのことを聞くとすぐ、彼を迎えに走って行って、彼を抱きしめて口づけした。そして彼を自分の家に連れて帰った。ヤコブはラバンに事の次第をすべて話した。 29:14 ラバンは彼に「あなたは本当に私の骨肉だ」と言った。ヤコブは彼のところに一か月滞在した。 何と言う出会いでしょう‼️💕 もし、先に来た群れが水を飲ませていたら、間もなく、その作業を終えて去り、ヤコブも一杯の水を飲んで去り、ラバンを訪ねて、またそこを去ったでしょう。 摂理とは、神の御手に意図せずに導かれる事です。この井戸に立ち寄って、時を経過するうちに(他の羊飼いから聞いたラバンの情報を聞いたら、直ぐに出発するはずのヤコブ) そのやり取りするうちに、ラバンの娘がやって来た。 ヤコブは感極まって、泣き出した‼️ 正に偶然ではない、神の出会わせた“摂理”でした。 この瞬間❗️ヤコブの心はラケルと結ばれたのです。 この時のラケルとの出会いが、後の歴史の展開の出発の原点となるのです‼️ “摂理”即ち、神の敷かれた“時” それは、どの様に人が画策しても、変えようがなく、歴史を組み込んでいく力なのです。 その時は、人が意図しない時に、組み込まれているのです。 今の“わたし”にとって、それはどの様にして、組み込まれていたかだろうか。 (今の“わたし”にとって)・・・と言ったのは、永遠の命に預かった“救われた時”は、どの様な時を導かれたのでしょう(?) わたしの摂理の時を、思い出して見ましょう🎵 |
| 9月27日(火曜日) リビングライフQT 創世記 28:10~22 28:10 ヤコブはベエル・シェバを出て、ハランへと向かった。 28:11 彼はある場所にたどり着き、そこで一夜を明かすことにした。ちょうど日が沈んだからである。彼はその場所で石を取って枕にし、その場所で横になった。 28:12 すると彼は夢を見た。見よ、一つのはしごが地に立てられていた。その上の端は天に届き、見よ、神の使いたちが、そのはしごを上り下りしていた。 28:13 そして、見よ、【主】がその上に立って、こう言われた。「わたしは、あなたの父アブラハムの神、イサクの神、【主】である。わたしは、あなたが横たわっているこの地を、あなたとあなたの子孫に与える。 28:14 あなたの子孫は地のちりのように多くなり、あなたは、西へ、東へ、北へ、南へと広がり、地のすべての部族はあなたによって、またあなたの子孫によって祝福される。 28:15 見よ。わたしはあなたとともにいて、あなたがどこへ行っても、あなたを守り、あなたをこの地に連れ帰る。わたしは、あなたに約束したことを成し遂げるまで、決してあなたを捨てない。」 28:16 ヤコブは眠りから覚めて、言った。「まことに【主】はこの場所におられる。それなのに、私はそれを知らなかった。」 28:17 彼は恐れて言った。「この場所は、なんと恐れ多いところだろう。ここは神の家にほかならない。ここは天の門だ。」 28:18 翌朝早く、ヤコブは自分が枕にした石を取り、それを立てて石の柱とし、柱の頭に油を注いだ。 28:19 そしてその場所の名をベテルと呼んだ。その町の名は、もともとはルズであった。 28:20 ヤコブは誓願を立てた。「神が私とともにおられて、私が行くこの旅路を守り、食べるパンと着る衣を下さり、 28:21 無事に父の家に帰らせてくださるなら、【主】は私の神となり、 28:22 石の柱として立てたこの石は神の家となります。私は、すべてあなたが私に下さる物の十分の一を必ずあなたに献げます。」 ヤコブの神体験ですね‼️🎶 父・母との今生の別れとなる(今を遡る4千年前に800km~1000km離れた地域に行くのですから)旅路で、初めて、孤独になったのです。主なる神はヤコブにお心を掛けられたのです。 何と言う主なる神の優しさ(愛)なのでしょう。ヤコブは、自ら為したエサウへの悪しき業のゆえに、孤独と別離の悲しみの中に打ちのめされて、その報いを噛み締めながら、孤独と、後悔と、反省の思いに刻まれるような思いの中で、夜を迎えたのです。 何時も、僕達に囲まれ、父・母の愛に包まれていた、日常から、道なき道を、ただひたすらに北に向かって一日路を歩き疲れて、 野の獣の横行する、原野で夜露に濡れて、眠るのです。 それだけに、その夜の夢を通して顕れた主なる神の迫りは、ヤコブの生涯の土台となったことでしょう🎵 私にもその様な時(中3)がありました。今朝この聖書テキストを読みながら、又、その時の事を思い出しました。 あのときが私の人生の原点となりました‼️ ヤコブの犯した悪(罪)に比べて、神の語りかけは、何と慈しみに満ちた祝福なんでしょう‼️🎶 神は、ヤコブの罪を御取り上げにはなさらず、一方的に、祝福の道を照らされたのです。(14節) この、神の迫りと語られた御約束の御言葉に対して、ヤコブの感動の言葉を見てみましょう。 *16節「・・まことに主はこの場におられる。それなのに、私はそれを知らなかった」 *17節「この場所は、何と恐れ多いところだろう。ここは神の家にほかならない。ここは天の門だ。」 新しい出発‼️🎶それがヤコブの“ベテル”なのです。 あなたにはベテルとなる時と所はありますか⁉️ この様な神の愛と保障を経験した者には、 時も宝も、能力も、 与えられた全ての物は、神からのものであり、その十分の一を、その信仰の告白として、主に御捧げすることは、アブラハムの時代から(創世記14章18節~21節)、主なる神への信仰の告白の形として、今日まで守られているのです。 何と言う主なる神の憐れみ、護り、保障でしょう‼️🎶 私たちはこのお方を信じ信頼しているのです。アーメン‼️🎶 |
| 9月26日(月曜日) リビングライフQT 創世記 28:1~9 28:1 イサクはヤコブを呼び寄せ、彼を祝福し、そして彼に命じた。「カナンの娘たちの中から妻を迎えてはならない。 28:2 さあ立って、パダン・アラムの、おまえの母の父ベトエルの家に行き、そこで母の兄ラバンの娘たちの中から妻を迎えなさい。 28:3 全能の神がおまえを祝福し、多くの子を与え、おまえを増やしてくださるように。そして、おまえが多くの民の群れとなるように。 28:4 神はアブラハムの祝福をおまえに、すなわち、おまえと、おまえとともにいるおまえの子孫に与え、神がアブラハムに下さった地、おまえが今寄留しているこの地を継がせてくださるように。」 28:5 こうしてイサクはヤコブを送り出した。彼はパダン・アラムの、ラバンのところに行った。ヤコブとエサウの母リベカの兄、アラム人ベトエルの子ラバンのところである。 28:6 エサウは、イサクがヤコブを祝福したこと、またパダン・アラムから妻を迎えるために彼を送り出したことを知った。イサクが、ヤコブを祝福して送り出したときに、カナンの娘たちから妻を迎えてはならないと命じ、 28:7 ヤコブが、父と母の言うことに聞き従って、パダン・アラムへ行ったことも。 28:8 さらにエサウは、カナンの娘たちを、父イサクが気に入っていないことを知った。 28:9 それでエサウはイシュマエルのところに行き、今いる妻たちのほかに、アブラハムの子イシュマエルの娘で、ネバヨテの妹マハラテを妻として迎えた。 夫婦、親子、兄弟・・三つ巴になって、騙(ダマ)し騙された結果とは言え、主なる神が予告された通りに、実現しました。 それがハッピーエンドになるのではなく、新たな苦難の出発点となるのです。 私は、この様な物語の推移を読みながら、 改めて、自らの人生の紆余曲折を、振り返り、結果は祝福となってはいても、自らの模索(主に祈り従ったのではない・・・)の道を歩んだ時の事を振り返り、その迷いと苦悩の日々を思い、主の忍耐と赦しが、今の自分を整えたのだ・・と、深く、心に刻ませて頂きました。 ただ、ただ、主の憐れみでした‼️💧 ヤコブは、北に旅立ち、再び父イサクにも、母リベカにも、生きて再会は叶わなかったし、エサウは、父の血統を辿ったつもり(イシュマエルの子との結婚)は、返って、真の神への信仰に生きる、世界から、限りなく異邦の世界観の中に、足を踏み入れたのです。 人の知恵と感性は何と脆弱(ゼイジャク)なものでしょう。 イサクの最後は、回り道ではあっても、神の哀れみの故に、限りなく一族の祭司として、信仰と希望を、アブラハムの信仰の路線(神の永遠の救いの選び)に立ち返ったのです。主の御名はほむべきかな‼️🎶 |
| 9月25日(日曜日) リビングライフQT 創世記 27:30~46 27:30 イサクがヤコブを祝福し終わり、ヤコブが父イサクの前から出て行くとすぐに、兄のエサウが猟から戻って来た。 27:31 彼もまた、おいしい料理を作って、父のところに持って来た。そして父に言った。「お父さん。起きて、息子の獲物を召し上がってください。あなた自ら、私を祝福してくださるために。」 27:32 父イサクは彼に言った。「だれだね、おまえは。」彼は言った。「私はあなたの子、長男のエサウです。」 27:33 イサクは激しく身震いして言った。「では、いったい、あれはだれだったのか。獲物をしとめて、私のところに持って来たのは。おまえが来る前に、私はみな食べてしまい、彼を祝福してしまった。彼は必ず祝福されるだろう。」 27:34 エサウは父のことばを聞くと、声の限りに激しく泣き叫び、父に言った。「お父さん、私を祝福してください。私も。」 27:35 父は言った。「おまえの弟が来て、だましたのだ。そしておまえへの祝福を奪い取ってしまった。」 27:36 エサウは言った。「あいつの名がヤコブというのも、このためか。二度までも私を押しのけて。私の長子の権利を奪い取り、今また、私への祝福を奪い取った。」また言った。「私のためには、祝福を取っておかれなかったのですか。」 27:37 イサクは答えてエサウに言った。「ああ、私は彼をおまえの主とし、すべての兄弟を彼にしもべとして与えた。また穀物と新しいぶどう酒で彼を養うようにした。わが子よ、おまえのためには、いったい何ができるだろうか。」 27:38 エサウは父に言った。「お父さん、祝福は一つしかないのですか。お父さん、私を祝福してください。私も。」エサウは声をあげて泣いた。 27:39 父イサクは彼に答えた。「見よ。おまえの住む所には地の肥沃がなく、上から天の露もない。 27:40 おまえは自分の剣によって生き、自分の弟に仕えることになる。しかし、おまえが奮い立つなら、おまえは自分の首から彼のくびきを解き捨てるだろう。」 27:41 エサウは、父がヤコブを祝福した祝福のことで、ヤコブを恨んだ。それでエサウは心の中で言った。「父の喪の日も近づいている。そのとき、弟ヤコブを殺してやろう。」 27:42 上の息子エサウの言ったことがリベカに伝えられると、彼女は人を送り、下の息子ヤコブを呼び寄せて言った。「兄さんのエサウが、あなたを殺して鬱憤を晴らそうとしています。 27:43 さあ今、子よ、私の言うことをよく聞きなさい。すぐに立って、ハランへ、私の兄ラバンのところへ逃げなさい。 27:44 兄さんの憤りが収まるまで、おじラバンのところにしばらくとどまっていなさい。 27:45 兄さんの怒りが収まって、あなたが兄さんにしたことを兄さんが忘れたとき、私は人を送って、あなたをそこから呼び戻しましょう。あなたたち二人を一日のうちに失うことなど、どうして私にできるでしょう。」 27:46 リベカはイサクに言った。「私はヒッタイト人の娘たちのことで、生きているのがいやになりました。もしヤコブが、この地の娘たちのうちで、このようなヒッタイト人の娘たちのうちから妻を迎えるとしたら、私は何のために生きることになるのでしょう。」 最悪のドラマのクライマックス💢💢💨 エサウは、最初は軽はずみにも、騙されたとは言え、家督の権を食べ物で売り渡した、失敗に始まり、此のような重大な結果になるとは、思いもせず、忘れていたあの軽はずみな言葉(創世記25:32)が、こんな結果になるなんて・・想像を遥かに越えた事実となって、目の前に現実化したのです。 大変複雑な状況が重なって、今や、エサウにとっては、取り返しのつかない事態となって、人生を狂わせたのです😵 イサクの祈りは、単に言葉の上の問題ではなく、全能の神の前での誓いであり、この言葉(以前のヨセフへの祈りの言葉”誓い”・今祈られた、エサウへの祈り“呪いの誓い”)ともに、存在を越えた(掛けた)、神への告白であり、存在を掛けた誓い(祈り)なのです。 軽はずみ(無責任)な言葉・行動が、人生を・歴史を変えた瞬間だったのです。 私達の、日頃の祈りは、正に、この様な重みのある、主なる神への懇願となることを、忘れてはならないのです。全ての祈りは、真剣勝負なのです。 今や、エサウの心は憎しみの炎に燃え、ヤコブへの殺意に思いが燃え始めたのです。 その思いを秘めることができず、心の内を明かす僕に、打ち明けたのです。 イサク家は、こうして崩壊し始めたのです。 これには、二人の兄弟の母親リベカには更なる大きな責任が被さったのです。*家族崩壊 *溺愛するヤコブを失う(手放す)事になるのです。 “罪の支払う報酬は死である。” (ローマ人への手紙6章23節) の御言葉を思い出させるものです‼️ 私達の魂を、いつも主の贖罪の十字架の血潮で洗われ、愛と赦しをベースにした、祈りを捧げる僕としていただきましょう‼️🎶 |
| 9月24日(土曜日) リビングライフQT 創世記 27:15~29 27:15 それからリベカは、家の中で自分の手もとにあった、上の息子エサウの衣を取って来て、それを下の息子ヤコブに着せ、 27:16 また、子やぎの毛皮を、彼の両腕と、首の滑らかなところに巻き付けた。 27:17 そうして、自分が作ったおいしい料理とパンを、息子ヤコブの手に渡した。 27:18 ヤコブは父のところに行き、「お父さん」と言った。イサクは「おお。おまえはだれかね、わが子よ」と尋ねた。 27:19 ヤコブは父に、「長男のエサウです。私はお父さんが言われたとおりにしました。どうぞ、起きて座り、私の獲物を召し上がってください。そうして、自ら私を祝福してください」と答えた。 27:20 イサクは、その子に言った。「どうして、こんなに早く見つけることができたのかね、わが子よ。」彼は答えた。「あなたの神、【主】が私のために、そうしてくださったのです。」 27:21 そこでイサクはヤコブに言った。「近くに寄ってくれ。わが子よ。おまえが本当にわが子エサウなのかどうか、私はおまえにさわってみたい。」 27:22 ヤコブが父イサクに近寄ると、イサクは彼にさわり、そして言った。「声はヤコブの声だが、手はエサウの手だ。」 27:23 ヤコブの手が、兄エサウの手のように毛深かったので、イサクには見分けがつかなかった。それでイサクは彼を祝福しようとして、 27:24 「本当におまえは、わが子エサウだね」と言った。するとヤコブは答えた。「そうです。」 27:25 そこでイサクは言った。「私のところに持って来なさい。わが子の獲物を食べたい。そうして私自ら、おまえを祝福しよう。」そこでヤコブが持って来ると、イサクはそれを食べた。またぶどう酒を持って来ると、それも飲んだ。 27:26 父イサクはヤコブに、「近寄って私に口づけしてくれ、わが子よ」と言ったので、 27:27 ヤコブは近づいて、彼に口づけした。イサクはヤコブの衣の香りを嗅ぎ、彼を祝福して言った。「ああ、わが子の香り。【主】が祝福された野の香りのようだ。 27:28 神がおまえに天の露と地の肥沃、豊かな穀物と新しいぶどう酒を与えてくださるように。 27:29 諸国の民がおまえに仕え、もろもろの国民がおまえを伏し拝むように。おまえは兄弟たちの主となり、おまえの母の子がおまえを伏し拝むように。おまえを呪う者がのろわれ、おまえを祝福する者が祝福されるように。」 母親(リベカ)の周到な偽るための工作と、ヤコブの父親との直接のやりとりは、何とおぞましい程に、巧妙に仕組まれた虚偽の数々でしょう。 最も神聖な、家督の継承に当たって、此のような企み(ごまかし)が仕組まれている。何と言う恐ろしい、人の欲望でしょう。 父イサクについても、年を経て、気力の衰え、感覚の麻痺・・・何度も、エサウかヤコブか確認のために、注意を払ってはいたが、見破れなかった。 目も見えなくなっていた❗️細心の注意を払うには余りに高齢で、限界もあったであろう・・・とは理解できるのです。 しかし、物語の全ての流れの中に、霊的(信仰的)緊張感が欠けているのを、否定できないのです。 家督を継承すると言う、最も重要な儀式とも言える中で、巧みな偽りによる演出は、結果的には、大きな汚点となって、その人生につまずきとなって、跳ね返ってくるのです。 リベカとヤコブが、此のような画策しなかったとしても、 神の御計画は、必ず語られた通り(25:23)に、必ず実現したでしょう。 その神の予告を人が、汚してしまったのです。 この事から、私たち主を信じる者(クリスチャン)は、クリスチャンを演じたり、主なる神の権威を代行したり(福音を正義として人を裁く)する事で、神のめぐみの業(御計画)が、確実に、早く、確かに実現するように、働く・・・ことが大切だと考えてはなりません。 私たちが神に代わってはなりません。 真実をもって、私たちは、主を待ち望みましょう‼️🎶 |
| 9月23日(金曜日) リビングライフQT 創世記 27:1~14 27:1 イサクが年をとり、目がかすんでよく見えなくなったときのことである。彼は上の息子エサウを呼び寄せて、「わが子よ」と言った。すると彼は「はい、ここにおります」と答えた。 27:2 イサクは言った。「見なさい。私は年老いて、いつ死ぬか分からない。 27:3 さあ今、おまえの道具の矢筒と弓を取って野に出て行き、私のために獲物をしとめて来てくれないか。 27:4 そして私のために私の好きなおいしい料理を作り、ここに持って来て、私に食べさせてくれ。私が死ぬ前に、私自ら、おまえを祝福できるように。」 27:5 リベカは、イサクがその子エサウに話しているのを聞いていた。それで、エサウが獲物をしとめて父のところに持って来ようと野に出かけたとき、 27:6 リベカは息子のヤコブに言った。「今私は、父上があなたの兄エサウにこう言っておられるのを聞きました。 27:7 『獲物を捕って来て、私においしい料理を作ってくれ。食べて、死ぬ前に、【主】の前でおまえを祝福しよう。』 27:8 さあ今、子よ、私があなたに命じることを、よく聞きなさい。 27:9 さあ、群れのところに行って、そこから最上の子やぎを二匹取って私のところに来なさい。私はそれで、あなたの父上の好きな、おいしい料理を作りましょう。 27:10 あなたが父上のところに持って行けば、食べて、死ぬ前にあなたを祝福してくださるでしょう。」 27:11 ヤコブは母リベカに言った。「でも、兄さんのエサウは毛深い人なのに、私の肌は滑らかです。 27:12 もしかすると父上は私にさわって、私にからかわれたと思うでしょう。私は祝福どころか、のろいをこの身に招くことになります。」 27:13 母は彼に言った。「子よ、あなたへののろいは私の身にあるように。ただ私の言うことをよく聞いて、行って子やぎを取って来なさい。」 27:14 それでヤコブは行って、取って母のところに持って来た。母は、父の好む、おいしい料理を作った。 何と言う物語でしょう。小説でも、このような詐欺まがいなことはしないでしょう。 神に選ばれた家族の中で、此のような醜い営みが起ころうとは・・・。 聖書は、正直に人間の醜さを露にし、私たちに“罪”を、直視するように仕向けるのです。 これを読むとき「人の営みって、何て醜いのだろう💢💨」・・と、心怒らせながら、ふと、自らの魂の醜さに、気付かせるのです。 子供の頃から、聖書物語で、父イサクは、食欲を満たすばかりに、長子エサウに、相続の祝福の祈りの席のために、狩りで獲物を捕って・・・と、言い渡します。こうして父イサクは、神が語られた予告に対して、注意を払わなかったばかりか、食の欲望と、細心の注意(判断)を払わなかった・・・と言う二重のミスを犯した・・と教えられてきました。リビングライフの解説にも、その様な説明となっています。 しかし、解説にあるように、テキストを読む限り、エサウへの要請は正当な要請であり、恐らく25章23節の、リベカに主が語られた『兄が弟に仕える‼️』と言う予告は、リベカは主人イサクに告げていなかったと思われます。 何故なら、この秘密めいた予告は、心の内に秘めていた、リベカは、出産の日の産まれた子供たちの様子を見たとき、直感的な、滑らかな肌のヤコブに、心繋いだのだと・・・そして、その事は父親イサクには、打ち明けずに来たのでしょう。そしてむしろ、何かにつけて、ヤコブには、物心ついた頃から、この秘密を話始めたので、先にあった、レンズ豆の煮物で、エサウを陥れたのです。 それの更なる好機として、母親と結託して、エサウと父イサクを陥れようと、画策するのです。 結果(明日テキストになりますが)は正に、 神が予告されたように実現させますが、それは、清い心で、神の御主権のもとに、導かれるのではない事実が、後々大きな家庭の亀裂となって、悲しみをもたらしたのです。 人生結果が良ければ良いのではない❗️誠実な人生を送るとき、その結ぶ実は、愛・喜び・平安・・・なのです。 主なる神の恵みを、自分で勝ち取ってはならない。主からの恵みの賜物として、享受したいですね‼️🎶 |
| 9月22日(木曜日) リビングライフQT 創世記 26:23~35 26:23 彼はそこからベエル・シェバに上った。 26:24 【主】はその夜、彼に現れて言われた。「わたしは、あなたの父アブラハムの神である。恐れてはならない。わたしがあなたとともにいるからだ。わたしはあなたを祝福し、あなたの子孫を増し加える。わたしのしもべアブラハムのゆえに。」 26:25 イサクはそこに祭壇を築き、【主】の御名を呼び求めた。彼はそこに天幕を張り、イサクのしもべたちは、そこに井戸を掘った。 26:26 さて、アビメレクがゲラルからイサクのところにやって来た。友人のアフザテと、その軍の長ピコルも一緒であった。 26:27 イサクは彼らに言った。「なぜ、あなたがたは私のところに来たのですか。私を憎んで、自分たちのところから私を追い出したのに。」 26:28 彼らは言った。「私たちは、【主】があなたとともにおられることを確かに見ました。ですから、こう言います。どうか私たちの間で、私たちとあなたとの間で、誓いを立ててください。あなたと盟約を結びたいのです。 26:29 私たちがあなたに手出しをせず、ただ良いことだけをして、平和のうちにあなたを送り出したように、あなたも私たちに害を加えないという盟約です。あなたは今、【主】に祝福されています。」 26:30 そこでイサクは彼らのために宴会を催し、食べたり飲んだりした。 26:31 翌朝早く、両者は互いに誓いを交わした。イサクは彼らを送り出し、彼らは平和のうちに彼のところから去って行った。 26:32 ちょうどその日、イサクのしもべたちが帰って来て、自分たちが掘り当てた井戸のことについて告げた。「私どもは水を見つけました。」 26:33 そこでイサクは、その井戸をシブアと呼んだ。それゆえ、その町の名は、今日に至るまで、ベエル・シェバという。 26:34 エサウは四十歳になって、ヒッタイト人ベエリの娘ユディトと、ヒッタイト人エロンの娘バセマテを妻に迎えた。 26:35 彼女たちは、イサクとリベカにとって悩みの種となった。 何か大きな出来事がなくても、人の日々の存在は、回りに自ずと、評判になるものです。イサクの場合、現在の町のように、隣近所が触れあって住み、毎日ペリシテの人々と生活で、触れあっていたわけどはないから、ペリシテの人々は、何によって、信頼出来ると、思ったのでしょう。 それは、・・・ヤコブの言葉には、イサクの全人格が重なっていたでしょう。その存在感が信仰者らしい風格があったのかもしれません。 しかし、人口希薄な時代、天幕の周辺での生活は、殆どイサクと接点のある人はなかったでしょう。 しかし、ペリシテの人達には、イサク一行の存在感が、その飼われている羊に至るまでも、主なる神の恵みに溢れた存在感が、感じられていたのでしょう。 ・・らしい振る舞い・・と言う表現の仕方がありますが(クリスチャンらしい等) それって、一体どんな振る舞いでしょう⁉️ 実は、その様な形ではなく、 *主が共に居られる‼️ *主に信頼した日々‼️ *主なる神の平安を内に宿している‼️ これらの雰囲気(存在感)が、イサクを始めその一族、使用人・牧童・家畜に至るまでも・・・それらに包まれていたのでしょう、 私たちは、信仰者(クリスチャン)を、努力して演じる(振る舞う)ことが、証となるのではありません。 祈りがあり、神の御言葉に生かされる(こうして命の言葉を学んで、一日一日を歩む) その存在感が、輝き出すのです。 時に失敗だらけだとしても、又、育ちの良し悪しではなく、今、主と共にあるか・・❓が、その存在感に顕れるのです。 ところが、最後の節に、陰がさしています。 その様な中から、エサウの存在が、陰を落とし始めていますね😵 今朝改めて、私の一日はどうだろう⁉️ 主を見上げて、主の陰に身を起きましょう‼️🎶 |
| 9月21日(水曜日) リビングライフQT 創世記 26:12~22 26:12 イサクはその地に種を蒔き、その年に百倍の収穫を見た。【主】は彼を祝福された。 26:13 こうして、この人は富み、ますます栄えて、非常に裕福になった。 26:14 彼が羊の群れや牛の群れ、それに多くのしもべを持つようになったので、ペリシテ人は彼をねたんだ。 26:15 それでペリシテ人は、イサクの父アブラハムの時代に父のしもべたちが掘った井戸を、すべてふさいで土で満たした。 26:16 アビメレクはイサクに言った。「さあ、われわれのところから出て行ってほしい。われわれより、はるかに強くなったから。」 26:17 イサクはそこを去り、ゲラルの谷間に天幕を張って、そこに住んだ。 26:18 イサクは、彼の父アブラハムの時代に掘られて、アブラハムの死後にペリシテ人がふさいだ井戸を掘り返した。イサクは、それらに父がつけていた名と同じ名をつけた。 26:19 イサクのしもべたちがその谷間を掘っているとき、そこに湧き水の井戸を見つけた。 26:20 ゲラルの羊飼いたちは「この水はわれわれのものだ」と言って、イサクの羊飼いたちと争った。それで、イサクはその井戸の名をエセクと呼んだ。彼らがイサクと争ったからである。 26:21 しもべたちは、もう一つの井戸を掘った。それについても彼らが争ったので、その名をシテナと呼んだ。 26:22 イサクはそこから移って、もう一つの井戸を掘った。その井戸については争いがなかったので、その名をレホボテと呼んだ。そして彼は言った。「今や、【主】は私たちに広い所を与えて、この地で私たちが増えるようにしてくださった。」 父アブラハムの時(ペリシテの地に寄留して)から、イサクのこの時代に至るもなお、寄留者として、転々とした、流浪の民でした。すでに一世紀を越えています。 ふとこの事に気が付いたとき、イサクも又、アブラハムの信仰を継承(単に宗教的後継者というのでなく)し、創造主である真の神に信頼し、日々主と伴にある生活でした。 そんな中での、ゲラルの羊飼い(ペリシテの民)の理不尽な振る舞いに対して、充分な力(アブラハムがケドルラオメルの軍と戦って大勝した事を思い出して下さい)を、保有していたはずです。 しかし、争わず、命の水の湧く井戸を(「数百頭の羊と、イサクその羊飼いや、仕え人を数えると、大集団だったはずです‼) 生きるためには、正当に抗議してでも、守らねばならない立場でしょう。しかし、一貫して、身を引くイサクの行動は・・・??? これこそ、負け犬ではなく、主なる神に信頼し、導かれながら生きる神の民の、一貫した姿勢なのです。 22節『今や、主は私たちに広いところを与えて、この地で私たちが増えるようにしてくださった。』 何と言う、主なる神に信頼して揺るがない信仰でしょう。‼️🎶 今朝、この御言葉に心奮い立ちました。 Amaging ハレルヤ‼🎶 |
| 9月20日(火曜日) リビングライフQT 創世記 26:1~11 26:1 さて、アブラハムの時代にあった先の飢饉とは別に、この国にまた飢饉が起こった。それでイサクは、ゲラルのペリシテ人の王アビメレクのもとへ行った。 26:2 【主】はイサクに現れて言われた。「エジプトへは下ってはならない。わたしがあなたに告げる地に住みなさい。 26:3 あなたはこの地に寄留しなさい。わたしはあなたとともにいて、あなたを祝福する。あなたとあなたの子孫に、わたしがこれらの国々をすべて与える。こうしてわたしは、あなたの父アブラハムに誓った誓いを果たす。 26:4 そしてわたしは、あなたの子孫を空の星のように増し加え、あなたの子孫に、これらの国々をみな与える。あなたの子孫によって、地のすべての国々は祝福を受けるようになる。 26:5 これは、アブラハムがわたしの声に聞き従い、わたしの命令と掟とおしえを守って、わたしへの務めを果たしたからである。」 26:6 こうしてイサクはゲラルに住んでいたが、 26:7 その土地の人々が彼の妻のことを尋ねた。すると彼は「あれは私の妹です」と答えた。この土地の人々がリベカのことで自分を殺しはしないかと思って、「私の妻です」と言うのを恐れたのであった。彼女が美しかったからである。 26:8 イサクは長くそこに滞在していた。ある日のこと、ペリシテ人の王アビメレクが窓から見下ろしていると、なんと、イサクがその妻リベカを愛撫しているのが見えた。 26:9 アビメレクは、イサクを呼び寄せて言った。「本当のところ、あの女はあなたの妻ではないか。なぜ、あなたは『あれは私の妹です』と言ったのか。」イサクは「彼女のことで殺されはしないかと思ったからです」と答えた。 26:10 アビメレクは言った。「何ということをしてくれたのか。もう少しで、民の一人があなたの妻と寝て、あなたはわれわれに罪責をもたらすところだった。」 26:11 そこでアビメレクは、すべての民に命じて言った。「この人と、この人の妻に触れる者は、必ず殺される。」 またもや、“醜聞”とも言える、出来事を又眼にすることになりましたね。 イサクの父アブラハムが、エジプトで、又、しばらくして、ペリシテ人の王アビメレク王に、妻のサライの事を妹だ❗と偽って、自分のみの安全を図った・・と同じように、身を置いた民から殺されることを恐れて、リベカを“妹”と、言って身の安全を計った。 ところが、今回は民の中にリベカを妻にしようとしたものがあり、それを知った王が、たまたま、イサクとリベカの親密な姿を見て、イサクの姑息な態度を知って、きつく戒め、二人を民衆から守ったのです。 評判と信仰深いイサク一行を守ってくれたのです。 こんなに親子で同じ方法を使って、姑息に身の安全を図るイサクは、なんという、おろかな振る舞いでしょう。 当時の若夫婦が未だ子供のいない間に、夫が身の安全のために、妻を人身御供にして、安全の保証とするのは、普通の手立てだったのです。 しかし、イサクにとっては、神からの約束は、神自ら彼らを守る事が、アブラハム家のアイデンティーだったのです。 しかし、今イサクたちが評判よく、ペリシテの民に一目おかれているのは、彼が信じる全能の神が居られるのですから、何故主なる神に信頼しなかったのか、愚かなことです。神への信頼は、単なる、宗教上の信心なのではないのです。全生活の中で、主なる神の守りと赦しと、慈しみを享受するのに、“全き信頼“ ” 委ねた心“をもって、主のみ守りに信頼して、恐れから解放できたはずです。信仰の敗北は、神への信頼の欠如、神の秩序への、不信・不安となったのです。 実は私達も、日常的そんな時に、不安や恐れに囲まれています。 そんな時、自分の感性や、経験や、不安や恐れが、ついつい姑息な手段に訴えて、主からの約束を見失っています。 2節~5節の、あんなに丁寧な神からの約束を頂きながら、その確かな御手に、委ねるとが何故出来なかったのか? 全能の神に信頼を置けなかったからです。 私たちの信仰が・・・ 全面的に主なる神に、 信頼できなかったからでしょうか❗️ |
| 9月19日(月曜日) リビングライフQT 創世記 25:19~34 25:19 これはアブラハムの子イサクの歴史である。アブラハムはイサクを生んだ。 25:20 イサクが、パダン・アラムのアラム人ベトエルの娘で、アラム人ラバンの妹であるリベカを妻に迎えたときは、四十歳であった。 25:21 イサクは、自分の妻のために【主】に祈った。彼女が不妊の女だったからである。【主】は彼の祈りを聞き入れ、妻リベカは身ごもった。 25:22 子どもたちが彼女の腹の中でぶつかり合うようになったので、彼女は「こんなことでは、いったいどうなるのでしょう、私は」と言った。そして、【主】のみこころを求めに出て行った。 25:23 すると【主】は彼女に言われた。「二つの国があなたの胎内にあり、二つの国民があなたから分かれ出る。一つの国民は、もう一つの国民より強く、兄が弟に仕える。」 25:24 月日が満ちて出産の時になった。すると見よ、双子が胎内にいた。 25:25 最初に出て来た子は、赤くて、全身毛衣のようであった。それで、彼らはその子をエサウと名づけた。 25:26 その後で弟が出て来たが、その手はエサウのかかとをつかんでいた。それで、その子はヤコブと名づけられた。イサクは、彼らを生んだとき、六十歳であった。 25:27 この子どもたちは成長した。エサウは巧みな狩人、野の人であったが、ヤコブは穏やかな人で、天幕に住んでいた。 25:28 イサクはエサウを愛していた。猟の獲物を好んでいたからである。しかし、リベカはヤコブを愛していた。 25:29 さて、ヤコブが煮物を煮ていると、エサウが野から帰って来た。彼は疲れきっていた。 25:30 エサウはヤコブに言った。「どうか、その赤いのを、そこの赤い物を食べさせてくれ。疲れきっているのだ。」それで、彼の名はエドムと呼ばれた。 25:31 するとヤコブは、「今すぐ私に、あなたの長子の権利を売ってください」と言った。 25:32 エサウは、「見てくれ。私は死にそうだ。長子の権利など、私にとって何になろう」と言った。 25:33 ヤコブが「今すぐ、私に誓ってください」と言ったので、エサウはヤコブに誓った。こうして彼は、自分の長子の権利をヤコブに売った。 25:34 ヤコブがエサウにパンとレンズ豆の煮物を与えたので、エサウは食べたり飲んだりして、立ち去った。こうしてエサウは長子の権利を侮った。 アブラハムからイサクの時代に移った歴史の記録にも又、夫婦の・家庭の、問題が滲み出てきますね。 この様に、最も身近な人と人との関係に、時代や時の流れに関わりなく、起こってくるのは何故でしょう??? 永遠の課題ですね。現代に生きる私たちの中にまで、浸透してくる、利己的な問題です。 *自分を守りたい。 *自分の権利を安定の土台としたい。 更に21~21節に、イサクの子供エサウとヤコブの出生に燗する、特別なメッセージ、それを人生の勲章として、密かに懐いてきました。 実は、この優越感こそ、人の内に潜む罪の姿なのです。 罪は、決して醜い姿で、人の心の中に潜んではいないのです。むしろ薔薇色の希望となって、次第に心の中に広がっていくものなのです。 それは生き甲斐であり、希望の光であり、しっかりと見つめと歩む、目標ともなるのです。 ところが、この特権や、希望の目標や、目指す光だとしても、 それをじぶんにあたえられた、特別な特権だ‼️とする時、それが神のご計画であることを見失い、 自分に与えられた恵みの祝福だ‼️と、私物化してしまう時、その心が罪の山を築き始めるのです。 今日のヤコブの兄エサウに食べ物で執拗に迫るのは、正に典型です。 ヤコブが一人で、こんな愚かしい搾取を、するでしょうか? 同時に、生まれながらに与えられた長子の特権を、一杯の食べ物で、軽率にも、捨てるでしょうか。エサウも又、一度しかない、人生の祝福(神からの賜物)を、・・・何と浅はかな、行為でしょう。これは、神の主権から来た、祝福の約束(長子であるという事実なのです)その定めと21節の予言的神の啓示は、又別な神のご計画なのです。 ヤコブは、この事をずっと思い巡らして、遂に兄エサウを、陥れたのです。言い換えると、神のなさることを信じ揺る待ち望むのではなく、自分の巧みな言葉(意思)で、神の時や方法ではなく、自分の力と知恵で先取りしたのです。、最早そこには、神からの祝福に包まれた、恵みの賜物としてではなく、苦悩と汚名に包まれて、歴史に語り告げられるものとなったのです。 未だ物語途中ですが、 気を付けて、勝ち取るのではない主から受ける恵みとして、あらゆる事に、謙虚と信仰と、慰めと恵みに生かされましょう🎵 |
| 9月18日(日曜日) リビングライフQT 創世記 25:1~18 25:1 アブラハムは、再び妻を迎えた。その名はケトラといった。 25:2 彼女はアブラハムに、ジムラン、ヨクシャン、メダン、ミディアン、イシュバク、シュアハを産んだ。 25:3 ヨクシャンはシェバとデダンを生んだ。デダンの子孫は、アッシュル人とレトシム人とレウミム人であった。 25:4 ミディアンの子は、エファ、エフェル、ハノク、アビダ、エルダアで、これらはみな、ケトラの子であった。 25:5 アブラハムは自分の全財産をイサクに与えた。 25:6 しかし、側女たちの子には贈り物を与え、自分が生きている間に、彼らを東の方、東方の国に行かせて、自分の子イサクから遠ざけた。 25:7 以上がアブラハムの生きた年月で、百七十五年であった。 25:8 アブラハムは幸せな晩年を過ごし、年老いて満ち足り、息絶えて死んだ。そして自分の民に加えられた。 25:9 その息子、イサクとイシュマエルは、アブラハムを、マムレに面するマクペラの洞穴に葬った。これは、ヒッタイト人ツォハルの子エフロンの畑地にある。 25:10 アブラハムがヒッタイト人たちから買ったあの畑地である。アブラハムと彼の妻サラはそこに葬られた。 25:11 アブラハムの死後、神は彼の子イサクを祝福された。イサクはベエル・ラハイ・ロイの近くに住んだ。 25:12 これは、サラの女奴隷、エジプト人ハガルがアブラハムに産んだ、アブラハムの子イシュマエルの歴史である。 25:13 イシュマエルの子は、生まれた順に名を挙げると、イシュマエルの長子ネバヨテ、それからケダル、アデベエル、ミブサム、 25:14 ミシュマ、ドマ、マサ、 25:15 ハダド、テマ、エトル、ナフィシュ、ケデマである。 25:16 これがイシュマエルの子孫である。これらは、集落と宿営ごとにつけられた彼らの名で、十二人の、それぞれの氏族の長である。 25:17 以上がイシュマエルの生涯で、その年数は百三十七年であった。彼は息絶えて死に、自分の民に加えられた。 25:18 イシュマエルの子孫は、ハビラからシュルまでの地域に住んだ。シュルはエジプトに接し、アッシュルへの道にあった。彼らは、すべての兄弟たちに敵対していた。 創世記を通して、人間(アブラハム・イサク・イシュマエル等)の歴史を学んでいると、その営み、人間模様は、神が選び導かれる、信仰の集団とは程遠い、オドロオドロした、骨肉の争い(これからも次々展開してくる・・・)に、思わず「聖書って💢💦」と、義偽を感じないではいられない。まるで、現代の骨肉の争いと変わらない様相を呈しています。 そんな情況の中で、主なる神(全能者)は、関わり続けて来られている??? 一体、“信心” “信仰”ってなんでしょう? 未だ、最初の人、二人が罪を犯す前(創世記2章19節~25節) 正に家族のような親密な交わりの中にあり、敢えて“信じる”と言った状況ではなく、家族のような一体感に、交わりがなされていた。 主なる神の方で変わられたのではなく、人の魂が、意識しないと(信じる・信頼する)主なる神との交流がとれなくなった。 しかし、このテキストを見ると、神のなさることは、分け隔てなく、神ご自身のご計画に沿って、それぞれの立場に、祝福の道筋を付けておられるのです。 人間社会では、主流・亜流―選び・排除―祝福・捌き・・・という具合に、二律背反という区別することで、社会を構成してしまっている。神の国は、許し(赦し)・潔め・生かし・祝福へと導く・・のです。それがイシュマエルの選び・祝福となるのです‼ 私たちクリスチャンの大切な使命は、(一つになる事) (赦されたことを信じ赦すこと) (僕として、主に仕える) (ただ神の前に握られ、僕として人に、主に仕えること)です |
| 9月17日(土曜日) リビングライフQT 創世記 24:54~67 24:54 このしもべと、ともにいた従者たちは、食べたり飲んだりして、そこに泊まった。朝になって彼らが起きると、そのしもべは「私の主人のところへ帰らせてください」と言った。 24:55 彼女の兄と母は、「娘をしばらく、十日間ほど私たちのもとにとどまらせて、その後で行かせるようにしたいのですが」と言った。 24:56 しもべは彼らに、「私が遅れないようにしてください。【主】が私の旅を成功させてくださったのですから。主人のところへ行けるように、私を帰らせてください」と言った。 24:57 彼らは答えた。「娘を呼び寄せて、娘の言うことを聞いてみましょう。」 24:58 彼らはリベカを呼び寄せて、「この人と一緒に行くか」と尋ねた。すると彼女は「はい、行きます」と答えた。 24:59 そこで彼らは、妹リベカとその乳母を、アブラハムのしもべとその従者たちと一緒に送り出した。 24:60 彼らはリベカを祝福して言った。「われらの妹よ、あなたは幾千万にも増えるように。あなたの子孫は敵の門を勝ち取るように。」 24:61 リベカとその侍女たちは立ち上がり、らくだに乗って、その人の後について行った。こうして、しもべはリベカを連れ帰った。 24:62 一方イサクは、ベエル・ラハイ・ロイ地方から帰って来ていた。彼はネゲブの地に住んでいたのであった。 24:63 イサクは夕暮れ近く、野に散歩に出かけた。彼が目を上げて見ると、ちょうど、らくだが近づいて来ていた。 24:64 リベカも目を上げ、イサクを見ると、らくだから降り、 24:65 しもべに尋ねた。「野を歩いて私たちを迎えに来る、あの方はどなたですか。」しもべは答えた。「あの方が私の主人です。」そこで、リベカはベールを手に取って、身をおおった。 24:66 しもべは、自分がしてきたことを残らずイサクに話した。 24:67 イサクは、その母サラの天幕にリベカを連れて行き、リベカを迎えて妻とし、彼女を愛した。イサクは、母の亡き後、慰めを得た。 花嫁となる“リベカ”の態度(決断)は何と素晴らしいでしょう。神が開かれる新しい時代へ‼リベカは、最早真っ直ぐに目を上げ、歩み始めたのです。 そのために、心ひかれるお別れの時間さえも、故郷に残して、旅路についたのです。 別れ‼️ それは大切なセレモニーでもありますが、そこに重点を置けば置くほど、新しい道への配分を、少なくするものです。 リベカは、心と思いとを、ハランに残すいとまを持たないまま、立ち上がったのです。 彼女の力強い歩みは、こうして始まったのです。 この時代の結婚は、歴史の継承、相手方の家系に身を捧げることだったのです。 そうした観点から観るここまでの彼女の決断は、申し分のない、態度(むしろ献身)は、申し分のないものでしたでしょう‼️ アブラハムの僕は内心、慶びに溢れていたことと想像します❗ しかし、ここで見落としてはならない事を、私は感じました。 それは彼女が、この遣わされたしもべをとおして、新しく仕える、家庭をおおっている、神を敬い全能者を第一とする姿に、今まで培われてきた、父の家庭との共通の信仰と、それに勝る神を敬う姿を、この一行に観たのが、彼女の決断の力となったことを‼️ 育った家への深い想い入れ以上に、新しく神の時に仕える、ビジョンと、主なる神への期待とが、沸き上がる力と想いとなっていたのだろうと思うと、この結婚は、正にアブラハム家への献身と、アブラハムを選ばれた神への献身でもあったのです。何と爽やかで麗しい結婚でしょう‼🎶 ここに、メシヤ(神の子)の系図のもう一歩が、繋がれるのです。 アブラハム(サラ)→イサク(リベカ)→・・・ こうして、神のご計画の歴史は、開かれていったのです‼️ 私はどの様にして、神のご計画の歴史を担っているだろうか⁉ 主よ御手に採ってください‼ |
| 9月16日(金曜日) リビングライフQT 創世記 24:28~53 24:28 その娘は走って行って、母の家の者に、これらのことを告げた。 24:29 リベカには兄がいて、その名をラバンといった。ラバンは外へ出て、泉のそばにいるその人のもとへ走って行った。 24:30 彼は、飾り輪と、妹の腕にある腕輪を見、また、「あの人が私にこう言われました」と言った妹リベカのことばを聞くとすぐに、その人のところに行った。すると見よ、その人は泉のそば、らくだのそばに立っていた。 24:31 そこでラバンは言った。「どうぞ、おいでください。【主】に祝福された方。なぜ外に立っておられるのですか。私は、お宿と、らくだのための場所を用意しております。」 24:32 それで、その人は家の中に入った。らくだの荷が解かれ、らくだに藁と飼料が与えられ、彼の足と、一緒にいた従者たちの足を洗う水も与えられた。 24:33 それから、彼の前に食事が出されたが、彼は「私の用件を話すまでは、いただきません」と言った。「お話しください」と言われて、 24:34 彼は言った。「私はアブラハムのしもべです。 24:35 【主】は私の主人を大いに祝福されましたので、主人は富んでおります。主は主人に、羊や牛、銀や金、男女の奴隷、らくだやろばをお与えになりました。 24:36 私の主人の妻サラは、年をとってから主人に男の子を産み、主人はこの子に自分の全財産を譲っておられます。 24:37 私の主人は、こう言って、私に誓わせました。『私が住んでいるこの地のカナン人の娘たちの中から、私の息子の妻を迎えてはならない。 24:38 あなたは、私の父の家、私の親族のところへ行って、私の息子に妻を迎えなさい。』 24:39 そこで私は主人に申しました。『もしかしたら、その娘さんは私について来ないかもしれません。』 24:40 すると主人は答えました。『私は主の前に歩んできた。その【主】が御使いをあなたと一緒に遣わし、あなたの旅を成功させてくださる。あなたは、私の親族、私の父の家から、私の息子に妻を迎えなさい。 24:41 次のようなときは、あなたは私との誓いから解かれる。あなたが私の親族のところに行ったときに、もし彼らがあなたに娘を与えないなら、そのとき、あなたは私との誓いから解かれる。』 24:42 今日、私は泉のそばに来て言いました。『私の主人アブラハムの神、【主】よ。私がここまで来た旅を、もしあなたが成功させてくださるのなら──。 24:43 ご覧ください。私は泉のそばに立っています。若い娘が水を汲みに出て来たなら、私は「あなたの水がめから少し水を飲ませてください」と言います。 24:44 その人が私に、「どうぞ、お飲みください。あなたのらくだにも水を汲みましょう」と言ったなら、その娘さんこそ、【主】が私の主人の息子のために定められた方です。』 24:45 私が心の中で言い終わらないうちに、なんと、リベカさんが水がめを肩に載せて出て来たのです。そして、泉に下りて行き、水を汲みました。それで私が『どうか水を飲ませてください』と言うと、 24:46 急いで水がめを肩から降ろし、『お飲みください。あなたのらくだにも水を飲ませましょう』と言われたので、私は飲みました。らくだにも水を飲ませてくださいました。 24:47 私が尋ねて、『あなたは、どなたの娘さんですか』と言いますと、『ミルカがナホルに産んだ子ベトエルの娘です』と答えました。そこで私は、彼女の鼻に飾り輪をつけ、彼女の腕に腕輪をはめました。 24:48 そして私はひざまずき、【主】を礼拝し、私の主人アブラハムの神、【主】をほめたたえました。主は、私の主人の親族の娘さんを主人の息子に迎えるために、私を確かな道に導いてくださったのです。 24:49 それで今、あなたがたが私の主人に恵みとまことを施してくださるのなら、私にそう言ってください。もしそうでなければ、そうでないと私に言ってください。それによって、私は右か左に向かうことになります。」 24:50 ラバンとベトエルは答えた。「【主】からこのことが出たのですから、私たちはあなたに良し悪しを言うことはできません。 24:51 ご覧ください。リベカはあなたの前におります。どうぞお連れください。【主】が言われたとおりに、あなたのご主人の息子さんの妻となりますように。」 24:52 アブラハムのしもべは、彼らのことばを聞くやいなや、地にひれ伏して【主】を礼拝した。 24:53 そして、このしもべは銀や金の品物や衣装を取り出して、リベカに与えた。また、彼女の兄や母にも貴重な品々を贈った。 アブラハムの僕と、リベカとの出逢いは、何と劇的なんでしょう🎵 まさに祈りの結果でしょう。 私は、こうして聖書の記録(物語)を学ぶ度に思うのは、主なる神は、大きな祝福の結果を備えて、彼らを祈りへと導かれているのではないか⁉️・・・と、しばしば考えるのです。 それは、私の伝道者として歩んだ半世紀以上の人生でも、その様に実感することが屡々あるのです。 ですから、熱心に祈ったから、神様が聞いてくださり、恵みの御業が表された(信仰者の努力の結果)・・・と、考え勝ちですが、確かにそれは間違いではありませんが、実は祈りを通して、神様との深い交わり、即ち、主なる神の御心に繋がる過程 が祈りであり、主なる神は、私達の苦しみ‼️という方程式ではなく、 主が整えられる恵みの世界に、辿るのです。こうして辿り着いた恵みの道を、人は“奇跡を見た‼️”と証するのです。 これが信仰の方程式です。 祈りの熱心さ(御利益)が、神の手を動かすのではないのです。 神の御業は、人の祈りの熱さ・熱心さ・時間的長さによるなではない。 祈りは、神の主権になる御業を、謙虚に経験するための、奇跡に勝る、霊的経験となるのです。 アブラハムがハランを出てから、40年~45年を経てから、父の故郷ハランの兄弟、ナホルの子ベトエルの娘、リベカに逢ったのです。僕の旅は、祈りの旅・神の御手を求める旅でした。 神の人(人類)に対する御計画は、この様にして、展開していくのです。そして、その歴史展開の原点は、”祈り”なのです。 改めて、祈りの素晴らしさ、祈りを通して更に神を知る恵みを知る朝でした‼🎶 ハレルヤ‼️🎶 |
| 9月15日(木曜日) リビングライフQT 創世記 24:10~27 24:10 しもべは主人のらくだの中から十頭を連れて出かけた。主人のあらゆる良い品々をその手に携えていた。彼は立って、アラム・ナハライムのナホルの町へ行った。 24:11 彼は夕暮れ時、水を汲む女たちが出て来るころ、町の外の井戸のそばにらくだを伏させた。 24:12 そうして言った。「私の主人アブラハムの神、【主】よ。どうか今日、私のために取り計らい、私の主人アブラハムに恵みを施してください。 24:13 ご覧ください。私は泉のそばに立っています。この町の人々の娘たちが、水を汲みに出て来るでしょう。 24:14 私が娘に、『どうか、あなたの水がめを傾けて、私に飲ませてください』と言い、その娘が、『お飲みください。あなたのらくだにも水を飲ませましょう』と言ったなら、その娘こそ、あなたが、あなたのしもべイサクのために定めておられた人です。このことで、あなたが私の主人に恵みを施されたことを、私が知ることができますように。」 24:15 しもべがまだ言い終わらないうちに、見よ、リベカが水がめを肩に載せて出て来た。リベカはミルカの子ベトエルの娘で、ミルカはアブラハムの兄弟ナホルの妻であった。 24:16 この娘は非常に美しく、処女で、男が触れたことがなかった。彼女は泉に下りて行き、水がめを満たして上がって来た。 24:17 しもべは彼女の方に走って行って、言った。「どうか、あなたの水がめから、水を少し飲ませてください。」 24:18 すると彼女は、「どうぞ、お飲みください。ご主人様」と言って、すばやくその手に水がめを取り降ろし、彼に飲ませた。 24:19 水を飲ませ終わると、彼女は、「あなたのらくだにも、飲み終わるまで、水を汲みましょう」と言った。 24:20 彼女は急いで水がめの水を水ぶねにあけ、水を汲みに、再び井戸まで走って行き、すべてのらくだのために水を汲んだ。 24:21 この人は、【主】が自分の旅を成功させてくださったかどうかを知ろうと、黙って彼女を見つめていた。 24:22 らくだが水を飲み終わったとき、その人は、重さ一ベカの金の飾り輪と、彼女の腕のために、重さ十シェケルの二つの金の腕輪を取り、 24:23 尋ねた。「あなたは、どなたの娘さんですか。どうか私に言ってください。あなたの父上の家には、私どもが泊めていただける場所があるでしょうか。」 24:24 彼女は答えた。「私は、ミルカがナホルに産んだ子ベトエルの娘です。」 24:25 また言った。「藁も飼料も、私たちのところには、たくさんあります。それに、お泊まりになる場所も。」 24:26 その人は、ひざまずき、【主】を礼拝して、 24:27 こう言った。「私の主人アブラハムの神、【主】がほめたたえられますように。主は、私の主人に対する恵みとまことをお捨てになりませんでした。【主】は道中、この私を導いてくださいました。主人の兄弟の家にまで。」 アラム・ナハライムとは、所謂“ハラン”の所在地一帯の地名なのです。 アブラハムの居住地からは、約800kmほどの距離で、🐪10頭、更に多くの贈り物を携えてですから、それは、当時の隊商のような、大規模な移動だったでしょう。当然、その間の食料・人員など考えると、イサクの配偶者探しの旅は、大変な規模だったでしょう。 その足取りは、🐪をつれて、草地で草を食べさせながらの行程は、一日30km程でしたでしょう❗ この様な状況をベースにしながら読むと、この旅は、祈りと信仰なくしては、担えない、重い目的の旅だったのです。 それだけに、この旅の総責任を担う者の責任の重さから、その信仰は、アブラハムによって養われた、絶大な信仰に裏付けされた方だったことでしょう。その事が、ベトエルの娘との遭遇の、経緯の中に、輝きをもって描写されていますね。 祈りが応えられる流れに、どんなに慰められたことでしょうと、嬉しくなりながらも・・ 神様の為さることは何と素晴らしいことでしょう・・と、感動しました。 また、その中から、自らの今日までの歩みに、どれ程主の御手になる、展開・出来事があったか・・‼️🎶 今ある自らに、感謝が溢れてきました‼ 祈りは大胆に、求めて良いのだ❗と、改めて深く思いますね。 それは私利私欲のためにではなく、主なる神の繋ぐ、時の流れの中で、それを担う器を求める祈りは、まさに、神との共同の働きなのですね🎵 だから、主に求めるに大胆な祈りも出来るのですね😃 主に仕える栄光の未来のために、求めましょう❗祈りましょう‼🎶 |
| 9月14日(水曜日) リビングライフQT 創世記 24:1~9 24:1 アブラハムは年を重ねて、老人になっていた。【主】は、あらゆる面でアブラハムを祝福しておられた。 24:2 アブラハムは、自分の全財産を管理している、家の最年長のしもべに、こう言った。「あなたの手を私のももの下に入れてくれ。 24:3 私はあなたに、天の神、地の神である【主】にかけて誓わせる。私はカナン人の間に住んではいるが、あなたは、その娘たちの中から、私の息子の妻を迎えてはならない。 24:4 あなたは、私の国、私の親族のところに行って、私の息子イサクに妻を迎えなさい。」 24:5 しもべは彼に言った。「もしかしたら、その娘さんが、私についてこの地に来ようとしないかもしれません。その場合、ご子息をあなたの出身地へ連れて戻らなければなりませんか。」 24:6 アブラハムは彼に言った。「気をつけて、息子をそこへ連れて戻ることのないようにしなさい。 24:7 天の神、【主】は、私の父の家、私の親族の地から私を連れ出し、私に約束して、『あなたの子孫にこの地を与える』と誓われた。その方が、あなたの前に御使いを遣わされるのだ。あなたは、そこから私の息子に妻を迎えなさい。 24:8 もし、その娘があなたについて来ようとしないなら、あなたはこの、私との誓いから解かれる。ただ、私の息子をそこに連れて戻ることだけはしてはならない。」 24:9 それでしもべは、主人であるアブラハムのももの下に自分の手を入れ、このことについて彼に誓った。 ここに至るまで、あのハランで、神のみ声を聞いて、父の家を出たのですが、40年近く経過しても、まだ、主なる神から示された地に根を張ることもなく、寄留者として、先住民(ヘテ人)の地に善意で住まわせてもらい、やっとマクペラの畑と墓地用の洞穴を買い取っただけでした。 ここに至って、我が子イサクの配偶者を、決める事になった時、アブラハムの信仰(全能の神)にしっかり立って、僕を父の家の親族の元(ハラン)へ使わすのです。彼らは、唯一の神(創造者なる神・ヤーウェ)を、信じる民でした。 当時、唯一の神・ヤーウェ神を信じる民は、アブラハム一族と、ハランの親族以外にはなかったのです。 状況の流れからすれば、今アブラハムが住む地域の、ヘテ人(ヒッタイト)の王との友好関係から、それなりに有力な家系の嫁を、見つけることにより、力ある勢力を手にいれることになりましたが・・・ そうはしなかった‼️ それは、真の神を知らない、偶像信仰の民に同化することは、アブラハムにとって、最悪な選択であると、考えたからです。 アブラハムは今や、自らがヤーウェ神信仰の原点となる、重大な立場であることを、自分の最大の使命だと、確信していたのです。 ですから僕をハランに遣わして、イサクの嫁を連れ帰る指令を、懇切に伝授したのです。 ここに彼のヤーウェ信仰の完成の域に、限りなく近付いた姿を見るのです‼ 今やアブラハムの、人生観、価値観の全てを、ここに見るのです。 今朝のテキストは、アブラハムが、その子イサクに、しっかりとした信仰の継承を強く意識した、決断の物語なのです。 信仰の継承は、結婚と言う人生最大の選択の中で、繋がれるのです。 また、結婚は、ヤーウェ神・創造者なる真の神を知る民の広がりに繋がる、もっとも重要な、使命なのです。 その意味で、アブラハムの僕を使わす委任は、祈りにも似た、彼の使命ともなったのです。 |
| 9月13日(火曜日) リビングライフQT 創世記 23:1~20 23:1 サラの生涯、サラが生きた年数は百二十七年であった。 23:2 サラはカナンの地のキルヤテ・アルバ、すなわちヘブロンで死んだ。アブラハムは来て、サラのために悼み悲しみ、泣いた。 23:3 アブラハムは、その亡き人のそばから立ち上がり、ヒッタイト人たちに話した。 23:4 「私は、あなたがたのところに在住している寄留者ですが、あなたがたのところで私有の墓地を私に譲っていただきたい。そうすれば、死んだ者を私のところから移して、葬ることができます。」 23:5 ヒッタイト人たちはアブラハムに答えた。 23:6 「ご主人、私たちの言うことをお聞き入れください。あなたは、私たちの間にあって神のつかさです。私たちの最上の墓地に、亡くなった方を葬ってください。私たちの中にはだれ一人、亡くなった方を葬る墓地をあなたに差し出さない者はおりません。」 23:7 そこで、アブラハムは立って、その土地の人々、ヒッタイト人に礼をして、 23:8 彼らに告げた。「死んだ者を私のところから移して葬ることが、あなたがたの心にかなうのであれば、私の言うことをお聞き入れくださり、ツォハルの子エフロンに頼んでいただきたいのです。 23:9 彼の畑地の端にある、彼の所有のマクペラの洞穴を譲っていただけるようにです。十分な価の銀と引き換えに、あなたがたの間での私の所有の墓地として、譲っていただけるようにしてください。」 23:10 エフロンはヒッタイト人たちの間に座っていた。ヒッタイト人のエフロンは、その町の門に入るヒッタイト人たち全員が聞いているところで、アブラハムに答えた。 23:11 「いいえ、ご主人。どうか、私の言うことをお聞き入れください。あの畑地をあなたに差し上げます。そこにある洞穴も差し上げます。私の民の者たちの前で、それをあなたに差し上げます。亡くなった方を葬ってください。」 23:12 アブラハムは、その土地の人々に礼をし、 23:13 その土地の人々の聞いているところで、エフロンに告げた。「もしあなたが許してくださるなら、私の言うことをお聞き入れください。畑地の価の銀をお支払いします。どうか私から受け取ってください。そうすれば、死んだ者をそこに葬ることができます。」 23:14 エフロンはアブラハムに答えた。 23:15 「では、ご主人、私の言うことをお聞き入れください。銀四百シェケルの土地、それなら、私とあなたの間では、何ほどのこともないでしょう。どうぞ、亡くなった方を葬ってください。」 23:16 アブラハムはエフロンの申し出を聞き入れた。アブラハムはエフロンに、彼がヒッタイト人たちの聞いているところでつけた価の銀を支払った。それは商人の間で通用する銀四百シェケルであった。 23:17 こうして、マムレに面するマクペラにあるエフロンの畑地、すなわち、その畑と、畑地にある洞穴と、畑地の周りの境界線内にあるすべての木は、 23:18 その町の門に入るすべてのヒッタイト人たちの目の前で、アブラハムの所有となった。 23:19 その後アブラハムは、マムレに面するマクペラの畑地の洞穴に、妻サラを葬った。マムレはヘブロンにあり、カナンの地にある。 23:20 こうして、この畑地とその中にある洞穴は、ヒッタイト人たちの手から離れて、私有の墓地としてアブラハムの所有となった。 サラの生涯は、聖書の記録には、極僅かしか記述はないが、アブラハムが歩んだ、全ての道で、主人アブラハムと、同じ信仰、同じ迷いの心、葛藤の中に歩んできたことでしょう。例の、子供を神からいただくまでの道筋で、大きな葛藤と、迷いは、アブラハムへの迷走となって、二度も他人を悲しみの谷に追い込む、結果を刈り取ることになりました。 また、エジプトのパロと、ペリシテの王アビメレクからの誘惑での、危機への揺さぶりでも、辛うじて危機から免れながらも、彼女も又、 子を宿せない、葛藤と屈辱と、孤独の現実に翻弄されてきたのです。 しかし、最後の勝利を、主なる神からいただく光栄に預かったのも、妻のサラでした。 神の召しに従い続ける道には、勝利の恵みに覆われるのだと、サラの人生は教えてくれました‼️🎶 しかも、サラに関係した歴史的民は、イスラエルに敵対しながらも、今日まで、繁栄を極めている。 神の恵みの導きは、人間の価値基準からは、ほど遠い形となって、 展開しましたが、主なる神の意図的ご計画は、地球規模時に、大きく拡がったのです。 今このサラの葬りに当たって、アブラハムの最高の愛情と感謝の思いを、このヘテ(ヒッタイト)人から、最高の尊敬と評価を得ながら、主なる神が導かれた、最強の民の中に、実を残したのです。 神の約束は、無傷な人生の中に芽生えるのではないことを、サラは私達に教えているのです。ただ一つの事は、最後まで、従い通すことです。迷いの度の選択肢は、主なる神に帰る‼️・・・事なのです。 マクペラから買い取った畑と洞穴のある地所は、世界大に広がり続ける、原点となったのです。サラの死は、イスラエルの繁栄の原点となったのです。 |
| 9月12日(月曜日) リビングライフQT 創世記 22:15~24 22:15 【主】の使いは再び天からアブラハムを呼んで、 22:16 こう言われた。「わたしは自分にかけて誓う──【主】のことば──。あなたがこれを行い、自分の子、自分のひとり子を惜しまなかったので、 22:17 確かにわたしは、あなたを大いに祝福し、あなたの子孫を、空の星、海辺の砂のように大いに増やす。あなたの子孫は敵の門を勝ち取る。 22:18 あなたの子孫によって、地のすべての国々は祝福を受けるようになる。あなたが、わたしの声に聞き従ったからである。」 22:19 アブラハムは若い者たちのところに戻った。彼らは立って、一緒にベエル・シェバに行った。こうしてアブラハムはベエル・シェバに住んだ。 22:20 これらの出来事の後、アブラハムに次のことが伝えられた。「ミルカもまた、あなたの兄弟ナホルに子を産みました。 22:21 長男ウツ、その弟ブズ、アラムの父ケムエル、 22:22 ケセデ、ハゾ、ピルダシュ、イデラフ、それにベトエルです。」 22:23 このベトエルはリベカを生んだ。ミルカはこれら八人を、アブラハムの兄弟ナホルに産んだのである。 22:24 レウマというナホルの側女もまた、テバフ、ガハム、タハシュ、マアカを産んだ。 主なる神の、ご自身に掛けた約束の再宣言‼️🎶 16節に『私は自分に掛けて誓う・・・』何と言うお言葉でしょう。 神が語られるのですから、ご自身で、必ず実現、成就されるでしょう🎵しかし敢えて《ご自身に掛けて誓う❗️》と仰っていることに、目を向けましょう。 このお言葉がいかに重いものか‼️ 神ご自身が、全歴史に、全人類に、語りかけられた約束として広がるものなのです。 何故なら、アブラハムの末を通して、人類の救いの道を開かれようとしておられるからです‼ しかも、この約束は、繰り返し、繰り返し語られてきたのです。 これこそ、全人類を、罪の結果の審判から、人類(私達=即ちあなた・わたし)を、救い出すただ一つの道を、ここに示唆しているのです。改めて、神の時を越えた贖罪の約束なのです。神の御子イエス・キリストが現れる2000年以上前なのです。神の時間《時》は、《永遠》なのです。アブラハムに約束を誓われたとき、正にその瞬間に、あなたのわたしの、神との和解が約束・成就したのです。それを信じ生きることが“信仰”なのです。 さて、今日のテキストに、見落としとはならない、大切な一文が語られています。 23節『このベトエルはリベカを生んだ。』の一文です。ナホルが住んでいたのは、アブラハムが神に呼び出されて、父の家を離れた、遥か北方にある町“カラン=ハラン”なのです。その事情は、創世記24章に展開します。 こうして学ぶと、試練(ここでは昨日学んだ、モリヤの山でのイサクを捧げる出来事)は、 次の重大な歴史転回への、重要な使命を委ねようとされた、主なる神の重要な試み(ためし)だったのです。 私達も、人生で何か試練に遭遇したとき、不平や反動に傾かないで、主なる神が何をなさろうとしておられるかを信じ期待して、待ち望み従い通しましょう‼️🎶 |
| 9月11日(日) リビングライフQT 創世記 22:1~14 22:1 これらの出来事の後、神がアブラハムを試練にあわせられた。神が彼に「アブラハムよ」と呼びかけられると、彼は「はい、ここにおります」と答えた。 22:2 神は仰せられた。「あなたの子、あなたが愛しているひとり子イサクを連れて、モリヤの地に行きなさい。そして、わたしがあなたに告げる一つの山の上で、彼を全焼のささげ物として献げなさい。」 22:3 翌朝早く、アブラハムはろばに鞍をつけ、二人の若い者と一緒に息子イサクを連れて行った。アブラハムは全焼のささげ物のための薪を割った。こうして彼は、神がお告げになった場所へ向かって行った。 22:4 三日目に、アブラハムが目を上げると、遠くの方にその場所が見えた。 22:5 それで、アブラハムは若い者たちに、「おまえたちは、ろばと一緒に、ここに残っていなさい。私と息子はあそこに行き、礼拝をして、おまえたちのところに戻って来る」と言った。 22:6 アブラハムは全焼のささげ物のための薪を取り、それを息子イサクに背負わせ、火と刃物を手に取った。二人は一緒に進んで行った。 22:7 イサクは父アブラハムに話しかけて言った。「お父さん。」彼は「何だ。わが子よ」と答えた。イサクは尋ねた。「火と薪はありますが、全焼のささげ物にする羊は、どこにいるのですか。」 22:8 アブラハムは答えた。「わが子よ、神ご自身が、全焼のささげ物の羊を備えてくださるのだ。」こうして二人は一緒に進んで行った。 22:9 神がアブラハムにお告げになった場所に彼らが着いたとき、アブラハムは、そこに祭壇を築いて薪を並べた。そして息子イサクを縛り、彼を祭壇の上の薪の上に載せた。 22:10 アブラハムは手を伸ばして刃物を取り、息子を屠ろうとした。 22:11 そのとき、【主】の使いが天から彼に呼びかけられた。「アブラハム、アブラハム。」彼は答えた。「はい、ここにおります。」 22:12 御使いは言われた。「その子に手を下してはならない。その子に何もしてはならない。今わたしは、あなたが神を恐れていることがよく分かった。あなたは、自分の子、自分のひとり子さえ惜しむことがなかった。」 22:13 アブラハムが目を上げて見ると、見よ、一匹の雄羊が角を藪に引っかけていた。アブラハムは行って、その雄羊を取り、それを自分の息子の代わりに、全焼のささげ物として献げた。 22:14 アブラハムは、その場所の名をアドナイ・イルエと呼んだ。今日も、「【主】の山には備えがある」と言われている。 アブラハムが、カラン(ハラン)を出てから、イサクが生まれるまで25年、さらにこの出来事に至るまでにイサクが育つまで12年❓ 待ち望み、未来への望すら思い浮かべられない時の流れの中で、 明らかに、神の主権のもとで与えられた息子‼️ その子を全焼の生け贄として捧げるように・・と言う、神の語りかけは、アブラハムにとっては、どんなに迷い、矛盾に満ち、理解不能な課題でしたでしょう。 創世記のテキストの記述の中には、そのような迷いや躊躇は全く、記載されていない‼️ 何と、達観したアブラハムの信仰でしょう。主なる神との問答もないまま、黙々と従うアブラハムがいるだけです。 終始冷静沈着‼️ 特に、最後の刀を振り下ろそうとする瞬間に、神の語り掛けに対応して、手を止めて主に聞く辺りは、 ただまっしぐらに突き進むのではなく、何時でも主の語り掛けに対応する魂の、神に向かって開かれた、信仰の姿には、何度読んでも、心釘付けになります。 私は、何時どんな時にも、主の召し(呼び掛け)に、直ちに応えられて来ただろうか? と、振り返らされています。 これからの日々に、明け渡していこう‼️と。 主なる神に従う道には、時の流れの中では、想像もつかない、神の時が開かれるのですね。 従った者にのみ、開かれる、祝福の道です。 アドナイ・イルエ主の山に備えあり‼️🎶💕 60年の献身の生涯で、幾度このような経験してきた事でしょう。 あなたのクリスチャン生涯にも、きっとこの様な道があったことと思います。 主なる神はこの様にして、あなたを導いてこられたのです。 感謝と賛美を捧げつつ💕 |
| 9月10日(土曜日) リビングライフQT 創世記 21:22~34 21:22 そのころ、アビメレクとその軍の長ピコルがアブラハムに言った。「あなたが何をしても、神はあなたとともにおられます。 21:23 それで今、ここで神によって私に誓ってください。私と私の子孫を裏切らないと。そして、私があなたに示した誠意にふさわしく、私にも、またあなたが寄留しているこの土地に対しても、誠意を示してください。」 21:24 アブラハムは「私は誓います」と言った。 21:25 それから、アブラハムは、アビメレクのしもべたちが奪い取った井戸のことで、アビメレクに抗議した。 21:26 アビメレクは答えた。「だれがそのようなことをしたのか知りませんでした。それに、あなたも私に告げなかったし、私も今日まで聞いたことがありませんでした。」 21:27 そこでアブラハムは羊と牛を取って、アビメレクに与えた。こうして二人は契約を結んだ。 21:28 アブラハムは、羊の群れから、七匹の雌の子羊を別にしておいた。 21:29 アビメレクはアブラハムに言った。「今、あなたが別にしたこの七匹の雌の子羊は、何のためのものですか。」 21:30 アブラハムは言った。「私がこの井戸を掘ったという証拠になるように、七匹の雌の子羊を私の手から受け取ってください。」 21:31 それゆえ、その場所はベエル・シェバと呼ばれた。彼ら二人がそこで誓ったからである。 21:32 彼らはベエル・シェバで契約を結んだ。アビメレクと、その軍の長ピコルは立って、ペリシテ人の地に帰って行った。 21:33 アブラハムはベエル・シェバに一本のタマリスクの木を植え、そこで永遠の神、【主】の御名を呼び求めた。 21:34 アブラハムは長い間、ペリシテ人の地に寄留した。 和睦と平和・・・ アブラハムの時代から、ペリシテ人との共存は、ヤコブ(イスラエル)の一族が、エジプトのゴシェンの地に移住するまでは、アブラハムの時代に後から侵入して来たにも関わらず、さほど争いもなく、共存してきました。 ペリシテの首長アビメレク(以前妻サラの事で迷惑を掛けた)の部下が、当時としては、生活上生命線であった“井戸”の件で、抗議した上で、改めてその井戸を買い取った。 アブラハムの日常は、22・3節に軍の長ピコルの言葉にも表されているように、 アブラハムの群れ全体の日常が、神を敬うにふさわしい、誠実で敬虔な日々を見て、一目おいています‼️ 神を信じ敬う民が、このような評価を受けるのは何と素晴らしいことでしょう。 命の水の井戸に関しても、アブラハムの僕たちが堀当てたものだったが、敢えて、改めてその井戸を7頭の羊で買い取って(貨幣経済のない時代)その印として、記念樹を植えたのです。 こうしてアブラハムは、遺留地で平和に生活するために、謙虚に振る舞って、融和を図ったのです。 自己の立場を主張すると、対立します。対立すると、平和が妨げられて仕舞います。 気弱から来る譲歩ではなく、アブラハムの姿勢は、主なる神の全き保証に生きる平安が、彼を支えていたのです。 神への信頼こそ、全き保証なのです。 この信頼こそ、最強の命の輝きなのです。信頼(信仰)こそ、創造された《人》の最も基本とする姿です。 アブラハムが“信仰の父”と、言われる理由は、ここにあるのです。 新約聖書のヘブル人への手紙11章9節に 『信仰によって、彼は約束された地に他国人のようにして住み、同じ約束を共に相続するイサク・ヤコブと共に天幕生活をしました。』 アブラハムの残した物は、妻サラと、自らを葬るための墓地のみで生涯を終えています。 しかし、彼の残した偉業は、驚くべき歴史遺産として、人類の救いと言う、道筋をつけることでした‼️ わたしは何を残すでしょうか ? |
| 9月9日(金曜日) リビングライフQT 創世記 21:8~21 21:8 その子は育って乳離れした。アブラハムはイサクの乳離れの日に、盛大な宴会を催した。 21:9 サラは、エジプトの女ハガルがアブラハムに産んだ子が、イサクをからかっているのを見た。 21:10 それで、アブラハムに言った。「この女奴隷とその子を追い出してください。この女奴隷の子は、私の子イサクとともに跡取りになるべきではないのですから。」 21:11 このことで、アブラハムは非常に苦しんだ。それが自分の子に関わることだったからである。 21:12 神はアブラハムに仰せられた。「その少年とあなたの女奴隷のことで苦しんではならない。サラがあなたに言うことはみな、言うとおりに聞き入れなさい。というのは、イサクにあって、あなたの子孫が起こされるからだ。 21:13 しかし、あの女奴隷の子も、わたしは一つの国民とする。彼も、あなたの子孫なのだから。」 21:14 翌朝早く、アブラハムは、パンと、水の皮袋を取ってハガルに与え、彼女の肩に担がせ、その子とともに彼女を送り出した。それで彼女は行って、ベエル・シェバの荒野をさまよった。 21:15 皮袋の水が尽きると、彼女はその子を一本の灌木の下に放り出し、 21:16 自分は、弓で届くぐらい離れた向こうに行って座った。「あの子が死ぬのを見たくない」と思ったからである。彼女は向こうに座り、声をあげて泣いた。 21:17 神は少年の声を聞かれ、神の使いは天からハガルを呼んで言った。「ハガルよ、どうしたのか。恐れてはいけない。神が、あそこにいる少年の声を聞かれたからだ。 21:18 立って、あの少年を起こし、あなたの腕でしっかり抱きなさい。わたしは、あの子を大いなる国民とする。」 21:19 神がハガルの目を開かれたので、彼女は井戸を見つけた。それで、行って皮袋を水で満たし、少年に飲ませた。 21:20 神が少年とともにおられたので、彼は成長し、荒野に住んで、弓を射る者となった。 21:21 彼はパランの荒野に住んだ。彼の母は、エジプトの地から彼のために妻を迎えた。 何と、主なる神は痛む者と、かくも深く関わられることでしょう❗ 神への信頼を歪めた結果の実(ハガルとイシマュエル)に対して、アブラハムに指示したことは、人間的感情からすると、何だか冷たい情に欠ける指示のように、聞こえませんか? しかし、現実問題としては、二人の妻(母親)が、同じ家庭にある・・・と言うことは❗たとい古代社会とは言え、家庭不和の原因、平和を乱す元となるのですから、12節に語られた、神の指示は当然でしょう。 しかし、この示唆の陰には、神の変わらない約束の道が示されています。 私達は、信仰生活の中で、神の(愛・聖・義)と言う御性質とは相矛盾する導きに遭遇することがあり、その矛盾に悩んだり、挫折感を味わったりする事があります。 しかし、神ご自身に矛盾はないのです。 13節を見ますと、ハガルとイシュマエルに対しては、きちんと保証しておられます。 14節以下は、神がいかに人の叫びを聴かれるか・・・を、最もよく理解できる物語なのです。 母一人・子一人が、今アブラハムの天幕から追放され、最早帰ることはない旅に、放浪したのです。 ロトでさえ、身をたてるために、町に住まいを定めて、繁栄の道をたどりました。ハガルの姿を想像しながら、神の導きを想像してみましょう。 主なる神が、こんなに確かな約束を、二人に与えたのです。 何の産業もない小さい子持ちの母子が、どの様にして、生かされたのでしょう‼️ 知る由もありませんが、イシュマエルの歴史は、今に至るもなお、人類の中で、重要な歴史的繁栄を頂いて今日あるのです。あたらしい、もう一つの歴史が、動き始めるのです。歴史のページを開いてみると、主なる神の御手の技が、実にハッキリと、胎動→出産→成長→繁栄と、神の歴史的作品が、転回始めるのです。これを妨げるものはありません‼️ 聖書の歴史は、その事を今に語り続けているのです。それは主なる神の保証に満ちているのです。 恐れるな❗私はあなたと共にいる‼️ 幾度語られているだろう。この真実な約束は、今日もあなたと共にあるのです‼ アーメン‼️🎶 英国のエリザベス女王が、御逝去されました。英王室始め英国民に御弔意申し上げます💧 |
| 9月8日(木曜日) リビングライフQT 創世記 21:1~7 21:1 【主】は約束したとおりに、サラを顧みられた。【主】は告げたとおりに、サラのために行われた。 21:2 サラは身ごもり、神がアブラハムに告げられたその時期に、年老いたアブラハムに男の子を産んだ。 21:3 アブラハムは、自分に生まれた子、サラが自分に産んだ子をイサクと名づけた。 21:4 そしてアブラハムは、神が命じられたとおり、生後八日になった自分の子イサクに割礼を施した。 21:5 アブラハムは、その子イサクが彼に生まれたとき、百歳であった。 21:6 サラは言った。「神は私に笑いを下さいました。これを聞く人もみな、私のことで笑うでしょう。」 21:7 また、彼女は言った。「だれがアブラハムに、『サラが子に乳を飲ませる』と告げたでしょう。ところが私は、主人が年老いてから子を産んだのです。」 信仰の父‼️ と呼ばれるアブラハムの、歩みを見てきましたが、彼の歩んだ道のりは、まっしぐらに主なる神に向かって走った・・・と言えるものだったでしょうか? そうではなかったようですね。恐れ・不安・絶望・・・常にこの様な行き詰まりを感じながら、浮き沈みのある人生でした。 しかし思い出して下さい。17:1『あなたはわたしの前を歩み、全き者であれ』 と言われた主なる神の前から、離れませんでした。 主なる神の前《主なる神の目線のなか》・・ 即ち、疑いや、信じられない心や、お先真っ暗だ❗️とさえ思う心の葛藤を覚えながら、主なる神に背を向けることはなかったのです‼️ それがアブラハムの信仰だったのです。ですから、主なる神は彼に御声を掛け、御手を延べ、赦され、包み、祝福で覆われたのです。 今や、その人生の集大成の時に、イサクを与えられたのです。 6・7節のサラの喜びの言葉は、これ以上の表す言葉はない‼️🎶と言うほど、最高の輝きの言葉ですね�♫ アブラハムは、神の前を歩み続け、妻のサラは、主人アブラハムを見上げ信じて、共に神の前を歩んだ日々でした。 信仰の人生は、確かに一喜一憂な日々の繰り返しでしょうが、今日明日・・・と言うスパン(時の流れ)で、一喜一憂するのではなく、やがて見るであろう、神の恵みの実るときを望み見ながら、今日もまた、輝きの展開の大切な土台となる、積み重ねのとき・・・として、今日もまた主に従って、歩みましょう。 主なる神の御手の中には、あなたのためにとっておきの、輝きの日が用意されているのです。 |
| 9月7日(水曜日) リビングライフQT 創世記 20:1~18 20:1 アブラハムは、そこからネゲブの地方へ移り、カデシュとシュルの間に住んだ。ゲラルに寄留していたとき、 20:2 アブラハムは、自分の妻サラのことを「これは私の妹です」と言ったので、ゲラルの王アビメレクは、人を遣わしてサラを召し入れた。 20:3 その夜、神が夢の中でアビメレクのところに来て、こう仰せられた。「見よ。あなたは、自分が召し入れた女のために死ぬことになる。あの女は夫のある身だ。」 20:4 アビメレクは、まだ彼女に近づいていなかった。そこで彼は言った。「主よ、あなたは正しい国民さえも殺されるのですか。 20:5 彼が私に『これは私の妹です』と言ったのではありませんか。彼女自身も『これは私の兄です』と言いました。私は、全き心と汚れのない手で、このことをしたのです。」 20:6 神は夢の中で彼に仰せられた。「そのとおりだ。あなたが全き心でこのことをしたのを、わたし自身もよく知っている。それでわたしも、あなたがわたしの前に罪ある者とならないようにした。だからわたしは、あなたが彼女に触れることを許さなかったのだ。 20:7 今、あの人の妻をあの人に返しなさい。あの人は預言者で、あなたのために祈ってくれるだろう。そして、いのちを得なさい。しかし、返さなければ、あなたも、あなたに属するすべての者も、必ず死ぬことを承知していなさい。」 20:8 翌朝早く、アビメレクは彼のしもべをみな呼び寄せ、これらのことをすべて語り聞かせたので、人々は非常に恐れた。 20:9 アビメレクはアブラハムを呼び寄せて言った。「あなたは何ということを私たちにしたのか。私がいったい、罪となるどんなことをあなたにしたというのか。あなたが、私と私の王国に大きな罪をもたらそうとするとは。あなたは、してはならないことを私にしたのだ。」 20:10 また、アビメレクはアブラハムに言った。「あなたはなぜ、こんなことをしたのか。」 20:11 アブラハムは答えた。「この地方には、神を恐れることが全くないので、人々が私の妻のゆえに私を殺すと思ったのです。 20:12 また、本当に、あれは私の妹、私の父の娘です。でも、私の母の娘ではありません。それが私の妻になったのです。 20:13 神が私を父の家から、さすらいの旅に出されたとき、私は彼女に、『このようにして、あなたの真実の愛を私に尽くしてほしい。私たちが行くどこででも、私のことを、この人は私の兄です、と言ってほしい』と言ったのです。」 20:14 アビメレクは、羊の群れと牛の群れと、男女の奴隷たちを連れて来て、アブラハムに与え、またアブラハムの妻サラを彼に返した。 20:15 アビメレクは言った。「見なさい。私の領地があなたの前に広がっている。あなたの良いと思うところに住みなさい。」 20:16 サラに対しては、こう言った。「ここに、銀千枚をあなたの兄に与える。これはあなたにとって、また一緒にいるすべての人にとって、あなたを守るものとなるだろう。これであなたは、すべての人の前で正しいとされるだろう。」 20:17 そこで、アブラハムは神に祈った。神は、アビメレクとその妻、また女奴隷たちを癒やされたので、彼らは再び子を産むようになった。 20:18 【主】が、アブラハムの妻サラのことで、アビメレクの家のすべての胎を堅く閉じておられたのである。 かつて、干ばつのため、飢饉に見舞われた、アブラハム一族は、暫くエジプトに身を寄せたことがありましたね。その時、異国の、未だ交流もない民の中で、不安と恐れの中から、今回と全く同じ手法で、我が身の安全を図ったことありましたね。今回再び同じ手法で身を守ろうとしたのです。 かつて、アブラム時代(神から新たな名前を頂く前)即ち、ハラン(カラン)から再出発してから、行く所、行く所、必ず祭壇を築いて、主の御名で祈った‼ あの頃からすると、今のアブラハムは、危機(他国の領域に踏み込まねばならない時)に直面した時、祈るより、画策することに気を注いでいる姿を観ます。 この人としての弱さを暴露した彼の失敗の物語を通して、何を学ぶだろう。私はこの箇所を読むたびに、人の弱さ、仮令アブラハムであってさえも、この姿なのだから、自ら、弱さを自認しながら、主なる神の前に砕かれた心をもって、仕えねばならないことを、何時も、強く学ばせられるのです。 この弱いアブラハムを、神は一方的に保護し、御自身が選ばれた、選びのゆえに、一方的に祝福をもって、アビメレクとの間を、祝福(神に立てられた器)によって繋ぎ、アビメレクは、アブラハムに多くの贈り物(和解の徴)をもって、祝福したのです。 彼(アブラハム)の失敗にも関わらず、神の選びはいささかも、傷つかずに、守られたのです。 この事は、アブラハムにとっては、叱責や試練によって諌められるより、更に強い学びとなって、彼を謙虚な選びの僕としての、資質を高めたのです。 私達も、この学びを通して、悔いと反省を重ねながらも、赦され、選ばれた僕である事実を、いささかも疑わずに謙虚に主と人に仕える、信仰生活を歩みたいですね🎵 アーメン‼️ |
| 9月6日(火曜日) リビングライフQT 創世記 19:30~38 19:30 ロトはツォアルから上って、二人の娘と一緒に、山の上に住んだ。ツォアルに住むのを恐れたからである。彼と二人の娘は洞穴の中に住んだ。 19:31 姉は妹に言った。「父は年をとっています。この地には、私たちのところに、世のしきたりにしたがって来てくれる男の人などいません。 19:32 さあ、父にお酒を飲ませ、一緒に寝て、父によって子孫を残しましょう。」 19:33 その夜、娘たちは父親に酒を飲ませ、姉が入って行き、一緒に寝た。ロトは、彼女が寝たのも起きたのも知らなかった。 19:34 その翌日、姉は妹に言った。「ご覧なさい。私は昨夜、父と寝ました。今夜も父にお酒を飲ませましょう。そして、あなたが行って、一緒に寝なさい。そうして、私たちは父によって子孫を残しましょう。」 19:35 その夜も、娘たちは父親に酒を飲ませ、妹が行って、一緒に寝た。ロトは、彼女が寝たのも起きたのも知らなかった。 19:36 こうして、ロトの二人の娘は父親によって身ごもった。 19:37 姉は男の子を産んで、その子をモアブと名づけた。彼は今日のモアブ人の先祖である。 19:38 妹もまた、男の子を産んで、その子をベン・アミと名づけた。彼は今日のアンモン人の先祖である。 ソドムとゴモラの町の滅亡は、その腐敗の故の、神の主権による裁きなのですが、この凄惨な町の大崩壊は、この地方特有の、地下に埋蔵された石油層が、地殻の変動による圧力がかかり、大爆発を起こしたのです。地下の原油層の上層部には、濃い塩水の層があり、原油層の大爆発によって、上層の塩水層が吹き上げて、それをロトの妻が浴びたと考えられる。高熱の濃厚な塩水は、瞬時に蒸発し、ロトの妻はこの高熱塩水を浴びて、瞬時に息絶え、全身が濃い塩で覆われたのです。 結局、アブラハムの祈りの、“10人の正しい人・・‼” も、この町にはおらず、結局、ロトと二人の娘だけの三人だけが、生き残ったのです。 何と悲惨で厳しい裁きだったのでしょう。 ロトはツァルの町には身を置かず、 山の洞窟に娘と三人で逃れた。 古代社会は、家系を繋ぐことが、生存の最大の使命です。 とは言え、今日のテキストの醜聞は、どう弁明しても、“身から出た錆”としか言えない結果です。 しかし、神は此のような罪の連鎖に腐敗する歴史の中で、その中から、人類救済の歴史を編み込まれているのです。 ロトと娘の間に生まれたこの子孫から、やがて顕れるメシヤ(イエス・キリスト)の先祖となる人物が、顕れるのです。 マタイ福音書1:5『ボアズに、ルツ(此のルツこそモアブの子孫なのです)によってオベデが生まれ、オベデにエッサイが生まれ・・・この“エッサイ”こそダビデ王の父親となったのです。 主なる神は、許し、聖め、栄光で包まれるお方なのです。歴史を浄化し、暗闇から、栄光の光を、もっとも潔い輝きを表され、歴史の中心におかれるのです。 同時に、モアブ人と、アンモン人とは、イスラエルの全歴史における戒めのために、今日まで、敵対する民(パレスチナ)として、対峙し続けている。 私達は、このような神の歴史を学びながら、新たに、神の慈しみと、厳しさの両面を知り、、新たに主に真実をもって従い、神の紡がれる歴史のひとこまとして、主に仕えて参りましょう‼🎶 |
| 9月5日(月曜日) リビングライフQT 創世記 19:23~29 19:23 太陽が地の上に昇り、ロトはツォアルに着いた。 19:24 そのとき、【主】は硫黄と火を、天から、【主】のもとからソドムとゴモラの上に降らせられた。 19:25 こうして主は、これらの町々と低地全体と、その町々の全住民と、その地の植物を滅ぼされた。 19:26 ロトのうしろにいた彼の妻は、振り返ったので、塩の柱になってしまった。 19:27 翌朝早く、アブラハムは、かつて【主】の前に立ったあの場所に行った。 19:28 彼は、ソドムとゴモラの方、それに低地の全地方を見下ろした。彼が見ると、なんと、まるでかまどの煙のように、その地から煙が立ち上っていた。 19:29 神が低地の町々を滅ぼしたとき、神はアブラハムを覚えておられた。それで、ロトが住んでいた町々を滅ぼしたとき、神はロトをその滅びの中から逃れるようにされた。 今朝の物語を読み、黙想するなかで、大切なことを学びました。 世俗にまみれ、主なる神への信仰は形ばかりの、正に日本人の神信仰のような、世俗の最中に溺れているようなものになっていたのです。そんな中でのソドムへの神の審判は、ロトも共に包み込んで、当然のような出来事でした。 だのに彼等が救い出されたのは、町の腐敗中でも、ロトはまだ希望が持てる義の欠片(カケラ)があったからなのでしょうか? そうではなく、只一つの理由は、彼がアブラハムに祈られていたからなのです‼️ 家族・親族・友人への、涙の執り成しが、どれ程高価なものであるかを、この経緯は物語っているのです。 祈っても、祈っても、手ほどの雲も見えない中でも、神に祈り続ける力は、“愛”そのものですね。 その祈りは、ロトがケドルラオメルの大軍に略奪されて、奴隷として曳かれていった時、アブラハムは、ロトとその家族を救出すために、奪還の戦いを開いて、連れ戻したのです。 今回は、ただ祈る他ない危機でした。実は神が祈りへと誘ったのではないでしょうか⁉ いつも祈っていたからなのです。 9月2日のテキスト18章23~32節から、アブラハムの隠れた執りなしの祈りの姿を、教えられます。 あなたの執り成しは、家族を、親族を、親を兄弟を、永遠のいのち(救い)に繋ぐ力なのです。あなたはそのための主の器なのです‼️💕ハレルヤ🎵 |
| 9月4日(日曜日) リビングライフQT 創世記 19:12~22 19:12 その人たちはロトに言った。「ほかにだれか、ここに身内の者がいますか。あなたの婿や、あなたの息子、娘、またこの町にいる身内の者をみな、この場所から連れ出しなさい。 19:13 私たちは、この場所を滅ぼそうとしています。彼らの叫びが【主】の前に大きいので、【主】はこの町を滅ぼそうと、私たちを遣わされたのです。」 19:14 そこで、ロトは出て行き、娘たちを妻にしていた婿たちに告げた。「立って、この場所から出て行きなさい。【主】がこの町を滅ぼそうとしておられるから。」しかし、彼の婿たちには、それは悪い冗談のように思われた。 19:15 夜が明けるころ、御使いたちはロトをせき立てて言った。「さあ立って、あなたの妻と、ここにいる二人の娘を連れて行きなさい。そうでないと、あなたはこの町の咎のために滅ぼし尽くされてしまいます。」 19:16 彼はためらっていた。するとその人たちは、彼の手と彼の妻の手と、二人の娘の手をつかんだ。これは、彼に対する【主】のあわれみによることである。その人たちは彼を連れ出し、町の外で一息つかせた。 19:17 彼らを外に連れ出したとき、その一人が言った。「いのちがけで逃げなさい。うしろを振り返ってはいけない。この低地のどこにも立ち止まってはならない。山に逃げなさい。そうでないと滅ぼされてしまうから。」 19:18 ロトは彼らに言った。「主よ、どうか、そんなことになりませんように。 19:19 ご覧ください。このしもべはあなたのご好意を受けました。そしてあなたは私に大きな恵みを施してくださり、私のいのちを生かしてくださいました。しかし、私は山にまで逃げることはできません。おそらく、わざわいが追いついて、私は死ぬでしょう。 19:20 ご覧ください。あそこの町は逃れるのに近く、しかもあんなに小さい町です。どうか、あそこに逃げさせてください。あんなに小さいではありませんか。私のいのちを生かしてください。」 19:21 その人は彼に言った。「よろしい。わたしはこのことでも、あなたの願いを受け入れ、あなたの言うあの町を滅ぼさない。 19:22 急いであそこへ逃れなさい。あなたがあそこに着くまでは、わたしは何もできないから。」それゆえ、その町の名はツォアルと呼ばれた。 アブラハムについてハランを出たロトとその家族は、何かにつけて、アブラハムに手をかけさせる身内でした。その度 後始末して来ましたが、全てを略奪された町の生活が、いかに危険かをまた繰り返してきたのです。 主は、アブラハムに従ってきた身内なので、主なる神の御加護に加えられて、今回の主の使いの訪問となったのです。 御使いは、ロトの家族ばかりではなく、嫁ぎ先の家族にまで、主の恵みは及んだのです‼️🎶 何と主は憐れみ深いのでしょう🎵 今の私達は、個人の信仰と生活にだけ、埋没せずに、あらゆる関係をしっかりと、魂にまで繋いでおきたいですね。 しかし、神の哀れみが届く時、嫁ぎ先の家族は、一笑に付したのです。主なる神の恵みの繋がりを、大切に出来ない愚かな、結果となったのです。 今私達は、身内に対して、永遠の福音とその確かな救いを、表してきているかな⁉️と、考えさせられますね。 世俗的・人間的価値観では、迫っている危機(霊的・神の裁き)に関しては、全く価値観が相反して、信じられないだけではなく、愚かな、戯言(たわごと)に聞こえたのです。 今一つ悲しいことは、アブラハムの信仰の姿を長年観てきたのに、ロトは最後まで、世俗の価値観から脱皮できず、山に逃げなさい❗と言われたとき、世俗的価値の放棄が出来ず、ツォアルと言う小さな町への逃避を求めたのです。 神は強制なさるお方ではないのです。それ故、ロトの要望は許されたのですが、そのまま世俗の者としての道に埋没してしまうのです。 私達は、神のかたちに似せて創られたものです。だから“永遠”を希望する生涯から外れないように、歩み続けたいものですね🎵 礼拝で、主の臨在に包まれます様に祈っています。 |
| 9月3日(土曜日) リビングライフQT 創世記 19:1~11 19:1 その二人の御使いは、夕暮れにソドムに着いた。ロトはソドムの門のところに座っていた。ロトは彼らを見ると、立ち上がって彼らを迎え、顔を地に付けて伏し拝んだ。 19:2 そして言った。「ご主人がた。どうか、このしもべの家に立ち寄り、足を洗って、お泊まりください。そして、朝早く旅を続けてください。」すると彼らは言った。「いや、私たちは広場に泊まろう。」 19:3 しかし、ロトがしきりに勧めたので、彼らは彼のところに立ち寄り、家の中に入った。ロトは種なしパンを焼き、彼らのためにごちそうを作った。こうして彼らは食事をした。 19:4 彼らが床につかないうちに、その町の男たち、ソドムの男たちが若い者から年寄りまで、その家を取り囲んだ。すべての人が町の隅々からやって来た。 19:5 そして、ロトに向かって叫んだ。「今夜おまえのところにやって来た、あの男たちはどこにいるのか。ここに連れ出せ。彼らをよく知りたいのだ。」 19:6 ロトは戸口にいる彼らのところへ出て行き、自分の背後の戸を閉めた。 19:7 そして言った。「兄弟たちよ、どうか悪いことはしないでください。 19:8 お願いですから。私には、まだ男を知らない娘が二人います。娘たちをあなたがたのところに連れて来ますから、好きなようにしてください。けれども、あの人たちには何もしないでください。あの人たちは、私の屋根の下に身を寄せたのですから。」 19:9 しかし、彼らは言った。「引っ込んでいろ。」そして言った。「こいつはよそ者のくせに、さばきをするのか。さあ、おまえを、あいつらよりもひどい目にあわせてやろう。」彼らはロトのからだに激しく迫り、戸を破ろうと近づいた。 19:10 すると、あの人たちが手を伸ばして、ロトを自分たちのいる家の中に引き入れて、戸を閉めた。 19:11 家の戸口にいた者たちは、小さい者から大きい者まで目つぶしをくらったので、彼らは戸口を見つけようとする力も萎えた。 今日からの数日、ロトの物語が始まります。 アブラハムを訪れた訪問客は18:2を見ると、3人でしたが、アブラハムのところから山を下るのは、二人になって、今、死海の向こう岸のソドムの町の、ロトを訪ねたのも、二人であった。 アブラハムを見送ったのは、二人だった。 そのあと、昨日の17節から始まる、“主は・・”と記され、その後、アブラハムと、やり取りされたのは、もう一人の旅人だったのでしょう。この一人“主”と記される方は、子なる神の、人の姿をとって顕されたお方(後の、受肉されたイエス・キリスト子なる神の、旧約時代でのお姿だ・・)と、解釈されている。 それはともかくとして・・・ アブラハムがそうだった様に、ロトもまた、もてなしに関しては、秀でた人となりの様ですね。 この様に、もてなしは、思わない出会いに繋がるのですね。 彼は知らずして、神のみ使いを遇したのです。 アブラハムに助けられたにも関わらず、再び世俗に溺れて財を成したロトです。 しかし、アブラハムの故に、主の御手はロトの家にのべられるのです。 ロトは、町の人々の迫ってくる、険悪な姿を見て、今更のように、主なる神にのみ従うことから離れた、 自らの姿を見せ付けられたことでしょう。 娘を犠牲にしてでも、客人を守ろうとしたのです。 古代社会の、常であるとは言え、主から与えられた家族を犠牲にするとは、美談にもならない所業です。 主なる神はすべてをご存じです。この様な矛盾したロトに対しても、完全な守りの覆いを掛けて守られたのです。 この事を通して、ロトをもう一度、神のご計画(多くの民の繁栄)の世界へと、引き出されるのです。 主なる神は、どの様な姿で・方法で・力を持たれてこられるのでしょう。 あなたは神の語りかけを聞けますか? 主はあなたを訪れてくださり、道を開かれるのです。 |
| 9月2日(金曜日) リビングライフQT 創世記 18:16~33 18:16 その人たちは、そこから立ち上がって、ソドムの方を見下ろした。アブラハムは彼らを見送りに、彼らと一緒に行った。 18:17 【主】はこう考えられた。「わたしは、自分がしようとしていることを、アブラハムに隠しておくべきだろうか。 18:18 アブラハムは必ず、強く大いなる国民となり、地のすべての国民は彼によって祝福される。 18:19 わたしがアブラハムを選び出したのは、彼がその子どもたちと後の家族に命じて、彼らが【主】の道を守り、正義と公正を行うようになるためであり、それによって、【主】がアブラハムについて約束したことを彼の上に成就するためだ。」 18:20 【主】は言われた。「ソドムとゴモラの叫びは非常に大きく、彼らの罪はきわめて重い。 18:21 わたしは下って行って、わたしに届いた叫びどおり、彼らが滅ぼし尽くされるべきかどうかを、見て確かめたい。」 18:22 その人たちは、そこからソドムの方へ進んで行った。アブラハムは、まだ【主】の前に立っていた。 18:23 アブラハムは近づいて言った。「あなたは本当に、正しい者を悪い者とともに滅ぼし尽くされるのですか。 18:24 もしかすると、その町の中に正しい者が五十人いるかもしれません。あなたは本当に彼らを滅ぼし尽くされるのですか。その中にいる五十人の正しい者のために、その町をお赦しにならないのですか。 18:25 正しい者を悪い者とともに殺し、そのため正しい者と悪い者が同じようになる、というようなことを、あなたがなさることは絶対にありません。そんなことは絶対にあり得ないことです。全地をさばくお方は、公正を行うべきではありませんか。」 18:26 【主】は言われた。「もしソドムで、わたしが正しい者を五十人、町の中に見つけたら、その人たちのゆえにその町のすべてを赦そう。」 18:27 アブラハムは答えた。「ご覧ください。私はちりや灰にすぎませんが、あえて、わが主に申し上げます。 18:28 もしかすると、五十人の正しい者に五人不足しているかもしれません。その五人のために、あなたは町のすべてを滅ぼされるのでしょうか。」主は言われた。「いや、滅ぼしはしない。もし、そこに四十五人を見つけたら。」 18:29 彼は再び尋ねて言った。「もしかすると、そこに見つかるのは四十人かもしれません。」すると言われた。「そうはしない。その四十人のゆえに。」 18:30 また彼は言った。「わが主よ。どうかお怒りにならないで、私に言わせてください。もしかすると、そこに見つかるのは三十人かもしれません。」すると言われた。「そうはしない。もし、そこに三十人を見つけたら。」 18:31 彼は言った。「あえて、わが主に申し上げます。もしかすると、そこに見つかるのは二十人かもしれません。」すると言われた。「滅ぼしはしない。その二十人のゆえに。」 18:32 また彼は言った。「わが主よ。どうかお怒りにならないで、もう一度だけ私に言わせてください。もしかすると、そこに見つかるのは十人かもしれません。」すると言われた。「滅ぼしはしない。その十人のゆえに。」 18:33 【主】は、アブラハムと語り終えると、去って行かれた。アブラハムも自分の家へ帰って行った。 先に訪れた客人たちを通して、神のみ思い(男の子を授かる)が、アブラハムに告げられたが、 彼らを見送ったあと、アブラハムの心の中に、神の臨在がそのまま残り、彼の魂の中で、神との問答が始まるのです。 この、霊の流れのやり取りは、聖霊なる神の働き(私たちが信じ、神との交わりに開かれるとき)は、信じる者と共に働き、神の働き(業)が、現実の世界の中で、表されるのです。“執り成しの祈り”とは、この様な素晴らしい世界なのです。 即ち、執り成し・・とは、執り成す人の問題に、願う結果が表されるための、懇願ではないのです。しばしば勘違いをしている場合があることを感じるのです。願いが叶うように、祈りの和を広げ、もっと強い嘆願がない神に届くように・・・と、考え勝ちです。 しかし、執り成しとは、確かに、問題になっている事態に対して、痛みと悲しみ苦しみを、主なる神に訴えて祈るのですが、その問題への解決は、神の栄光が表されるための、嘆願なのです。それが祈り願う人の思いに叶うかな叶わないかは、神の主権の中に答えがあるので、期待した形で結果が顕れなかったとしても、その結果が神の栄光となり、それが願った結果に勝る実を結ぶことを信じて、神から受け取るとき、全てが変わるのです。 ソドムの町への祈りは、結果は祈りの願望には到達しなかった(ソドムは亡ぼされた)が、神のご計画は、アブラハムと同じでした。ロトとその家族だけが主の手に救われたのです。 私は、駆け出しのころ、挫折して、痕跡を消すようにして、シオン教会から、四国の中村(現在の四万十市)へと、移動しました。新しい働き場に期待しながらも、何から始めたものか、 マクレン宣教師ご一家は、私が正式に赴任したら直ぐに、40kmも離れ、幾つも幾つも山を越えた、四国最南端の土佐清水に移動したのです。ポツンと残された私たちは、やがて、二ヶ月も経ないうちに、礼拝出席者0を経験し、辛い孤独な礼拝を経験しました。 しかし、次第に働きは進み、順調に開かれ、 間もなく、自給教会へと駒を進められました。 勢いに乗った、私は、四国の片隅から、四国全県に教会を・・・というビジョンを抱き、その実現への足掛かりに・・・シンガポールで開かれた❗“アジア・南太平洋伝道会議”への参加を、決断し、皆さんに送り出されて、教会挙げて、将来の中村福音センターの、壮大なビジョンを抱き祈り始めたのです。 シンガポールの、熱帯植物園に一人で広大なジャングルのような木々の茂みで、四国の伝道拡大のため祈りました。 しかし、その祈りの結果は、四国を去ることでした。悩みました。このビジョンを誰が・・? しかし、主なる神は、偉大な方です。卒業したばかりの新人伝道者を用いて、教会の働きはぐんぐん広がり四国全県に、教会か生まれ、10年の間に五人の献身者が‼ そしてシオン教会でも 同じように、三人の献身者を送り出し、四つの枝教会を産みだしてくださったのです。 それだけ福音の広がりが拡大したのです。わたしの祈り、教会挙げての祈りは、違った形で主が実現してくださいました。 私達は利己的な願望に特化した祈りではなく、神の栄光が現れることを期待し、明け渡し、執り成し続けましょう🎵 あなたの祈りを主は豊かに用いてくださいます。 執り成しとは、実は、主なる神が私たちに祈りを託してくださっているのです。アーメン |
| 9月1日(木曜日) リビングライフQT 創世記 18:1~15 18:1 【主】は、マムレの樫の木のところで、アブラハムに現れた。彼は、日の暑いころ、天幕の入り口に座っていた。 18:2 彼が目を上げて見ると、なんと、三人の人が彼に向かって立っていた。アブラハムはそれを見るなり、彼らを迎えようと天幕の入り口から走って行き、地にひれ伏した。 18:3 彼は言った。「主よ。もしもよろしければ、どうか、しもべのところを素通りなさらないでください。 18:4 水を少しばかり持って来させますから、足を洗って、この木の下でお休みください。 18:5 私は食べ物を少し持って参ります。それで元気をつけて、それから旅をお続けください。せっかく、しもべのところをお通りになるのですから。」彼らは答えた。「あなたの言うとおりにしてください。」 18:6 アブラハムは、天幕のサラのところに急いで行って、「早く、三セアの上等の小麦粉をこねて、パン菓子を作りなさい」と言った。 18:7 そして、アブラハムは牛のところに走って行き、柔らかくて、おいしそうな子牛を取り、若い者に渡した。若い者は手早くそれを料理した。 18:8 それからアブラハムは、凝乳と牛乳と、料理した子牛を持って来て、彼らの前に出したので、彼らは食べた。彼自身は木の下で給仕をしていた。 18:9 彼らはアブラハムに言った。「あなたの妻サラはどこにいますか。」彼は答えた。「天幕の中におります。」 18:10 すると、そのうちの一人が言った。「わたしは来年の今ごろ、必ずあなたのところに戻って来ます。そのとき、あなたの妻サラには男の子が生まれています。」サラは、その人のうしろの、天幕の入り口で聞いていた。 18:11 アブラハムとサラは年を重ねて老人になっていて、サラには女の月のものがもう止まっていた。 18:12 サラは心の中で笑って、こう言った。「年老いてしまったこの私に、何の楽しみがあるでしょう。それに主人も年寄りで。」 18:13 【主】はアブラハムに言われた。「なぜサラは笑って、『私は本当に子を産めるだろうか。こんなに年をとっているのに』と言うのか。 18:14 【主】にとって不可能なことがあるだろうか。わたしは来年の今ごろ、定めた時に、あなたのところに戻って来る。そのとき、サラには男の子が生まれている。」 18:15 サラは打ち消して言った。「私は笑っていません。」恐ろしかったのである。しかし、主は言われた。「いや、確かにあなたは笑った。」 アブラハムの接待ぶりは、何ときめ細やかで、心の籠ったものでしょう‼🎶 彼は、多くの羊とそれに伴う牧羊者、また、その他にそれらの財産を守るための、防衛用人(ケドルラオメルの侵略者を打ち破った時に戦いに加わった僕が318人とある14:16) 現代的に言うならば、資産家であった。 しかし、産業があったわけではなく、家長であるアブラハムは、一日管理の見回りや、様々な報告を受ける他は、神と交わり(祈りと瞑想)の日々だっでしょう。 そんな日々の中で旅人が通りがかったのです。 この様に、心低くして人に仕える姿は、日々神に仕え、深い神との交わりに心砕かれている中で、自然と溢れ出てくる姿ではないでしょうか。 神に仕える人は、人に仕えることに長けた、豊かな心が育まれるのです‼️ 立場を大切にしたり、持ち物に執着(依存)したり・・する時に、人は高慢・自慢・保守的になり易いので、気を付けねばなりません。アブラハムは、通りすがりの旅人を、我が客人のように迎え入れ、喜びと感動を分かち合ったのです。 私の日々の生活の中で、ともすると、周りの人に対して、つい、観察や、評価や、どう対応するかを、即席で判断し、その上で対応してしまい易いです。 誰とでも、良いものを分かち合いたい‼🎶 そんな私であり続けたいなぁ・・・と、ここを読む度に思いを新たにさせられます。 一方、人は不完全です。彼らを通して語られた再度(サラに男の子が産まれる)の約束が語られると、かつて、この約束が語られたとき、アブラハムは 心の中で笑いましたが(17:17)、今回はサラがこれを漏れ聞いて、笑ったのです。 神との交わりの、遥かな祝福と確かさの中で、サラは笑ったのです。この笑いは確かに“軽視の笑い”です。 神との交わりの高潔さを経験しているにも関わらず、常識の枠の中で、心の中から排除されようとしたのです。 私たちの信仰生活の中で、しばしば起こりやすい、誘惑(不信仰)なのです。 主からの約束は、大胆に信じてよいことなのです。‼ もう一度己の中に潜む、困難・病・切り開くことへの不安・・に、魂を明け渡さないように気を付けましょう。 主はあなたの味方です。 あなたの存在を祝福に導くことを、主はご自分の道を、私たちに知らせたいと願っておられます。 私は主のお心を素直に、受け入れられるだろうかとのとのと。 |
力丸嗣夫師 リビングライフ LINE
(新改訳聖書2017)
北九州シオン教会