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力丸嗣夫師 リビングライフ LINE
          (新改訳聖書2017)
    

 第一サムエル17章50節~58節

17:50 ダビデは、石投げと石一つでこのペリシテ人に勝ち、このペリシテ人を撃って、彼を殺した。ダビデの手に剣はなかったが。
17:51 ダビデは走って行ってペリシテ人の上に立ち、彼の剣を奪ってさやから抜き、とどめを刺して首をはねた。ペリシテ人たちは、自分たちの勇士が死んだのを見て逃げた。
17:52 イスラエルとユダの人々は立ち上がり、ときの声をあげて、ペリシテ人をガイの谷間に至るまで、そしてエクロンの門まで追った。それでペリシテ人は、シャアライムの道に、ガテとエクロンに至るまで、刺し殺されて倒れていた。
17:53 イスラエル人はペリシテ人追撃から引き返して、ペリシテ人の陣営を略奪した。
17:54 ダビデは、あのペリシテ人の首を取ってエルサレムに持ち帰った。しかし、武具は自分の天幕に置いた。
17:55 サウルは、ダビデがあのペリシテ人に向かって出て行くのを見たとき、軍の長アブネルに言った。「アブネル、あの若者はだれの息子か。」アブネルは言った。「王様、お誓いしますが、私は存じません。」
17:56 そこで、王は命じた。「あなたは、あの少年がだれの息子かを調べなさい。」
17:57 ダビデがペリシテ人を討ち取って帰って来たとき、アブネルは彼をサウルの前に連れて来た。ダビデはペリシテ人の首を手にしていた。
17:58 サウルは彼に言った。「若者よ、おまえはだれの息子か。」ダビデは言った。「あなたのしもべ、ベツレヘム人エッサイの息子です。」
 2023年2月28日(火)リビングライフQT

ゴリヤテの死で、ペリシテは総崩れ、その一部始終を見ていたサウル王は、いたく感動したことでしょう。
少し、気になる記述がありますが・・
*53節~イスラエルはベリシテ人追撃から引き返して、ペリシテ人の陣営を略奪した。
物騒な話ですが、神の民がたとい他民族であっても、略奪(人家畜財宝等々)するだろうか(はてな)
“ペリシテ人の陣営を”と記されています。敗北し、兵士のいなくなった陣営から、イスラエルにはない、鉄の武器、戦車など、高度な文化の財産を、イスラエルのものとしたのです。
ダビデは、剣すら持たないまま、石つぶて一つでゴリヤテを倒し、悠々と、彼の持つ巨大な剣で、彼の首をはねて、凱歌を挙げました。こうして、長い間歴史的にも、イスラエルを悩ましていた、高度の文化と偶像に満ちた民を、平定することで、神によりイスラエルの歴史は、次の段階へと、動き始めるのです。
軍の長アブネルに連れられてきた、ダビデは、勝利のための最初にして最大の大勝利を果たしたことは、何もなかったかのように、サウルの前に、自分は一介の貧しい名もない者だと、名乗るに止めたのです。そこには、王の悩みと混乱を沈めるために、竪琴を奏でる、一介の少年ダビデがいるだけです‼️
ダビデが、ただ神にのみ信頼して歩む僕であることは、この姿の中にも、表されています。
まるで、何もなかったように、へり降った姿(後の王となる片鱗も見えない)を、ここに見るのです。
これが ”証“ と言うものですね。ダビデではなく、神の御業が見えて来るのです‼️
58節は、非常に爽やかな、サウル王にしても、いつもの楽士ダビデ、親しく語ったダビデがいるだけ・・・サウル王は、この少年ダビデの姿から、新たに、神
へり降り‼️それは、神と一つになり生きる中に顕れる、神聖で厳粛な神の証なのだと、思い至りました。
謙遜・へり降りは、この世に神の居ますことを証する、姿ですね。
主よ❗あなたの霊により、へり降りを証できますように‼️
 第一サムエル17章41節~49節

17:41 そのペリシテ人は盾持ちを前に立て、ダビデの方にじりじりと進んで来た。
17:42 ペリシテ人は、ダビデに目を留めて彼を見つめ、彼を蔑んだ。ダビデが血色の良い、姿の美しい少年だったからである。
17:43 ペリシテ人はダビデに言った。「おれは犬か。杖を持って向かって来るとは。」ペリシテ人は自分の神々によってダビデを呪った。
17:44 ペリシテ人はダビデに言った。「さあ、来い。おまえの肉を空の鳥や野の獣にくれてやろう。」
17:45 ダビデはペリシテ人に言った。「おまえは、剣と槍と投げ槍を持って私に向かって来るが、私は、おまえがそしったイスラエルの戦陣の神、万軍の【主】の御名によって、おまえに立ち向かう。
17:46 今日、【主】はおまえを私の手に渡される。私はおまえを殺しておまえの頭を胴体から離し、今日、ペリシテ人の軍勢の屍を、空の鳥、地の獣に与えてやる。すべての国は、イスラエルに神がおられることを知るだろう。
17:47 ここに集まっているすべての者も、剣や槍がなくても、【主】が救いをもたらすことを知るだろう。この戦いは【主】の戦いだ。主は、おまえたちをわれわれの手に渡される。」
17:48 そのとき、そのペリシテ人はダビデの方に近づき始めた。ダビデは、すばやく戦場を走って行き、ペリシテ人に立ち向かった。
17:49 ダビデは手を袋の中に入れて、石を一つ取り、石投げでそれを放って、ペリシテ人の額を撃った。石は額に食い込み、彼はうつぶせに地面に倒れた。
 2023年2月27日(月)リビングライフQT

ヤコブから見たゴリヤテは、多くの神々を味方に付けて、無敵を誇って(空元気で)大音声に呼ばわっているり。
一方ダビデは、戦士としての年齢にも達していない、一介の羊飼い少年。恐れ知らずの場違いにさえ思われる出で立ち⁉️
どちらの陣営の兵士たちから見ても、滑稽にしか見えない光景。
一体誰が、次の瞬間を、想像し得たでしょうか⁉️
これが信仰者の姿なのですね🎵
ギャップが大きければ大きいほど、神の栄光は、反比例して大きく証し(証明)されるのです。日常的に受け入れられる証もあるでしょうが、それは得てして、その人の洗練された性格(人となり)の成果と、見間違われ安いのです。神の栄光が陰に隠されてしまいがちです。
ダビデのゴリヤテ成敗は、どちらの陣営から見ても、神の加護、として認められ、ペリシテには、決定的な敗北と恐怖が、
イスラエルには、決定的勝利と、神の決定的加護が、あることを信じたのです。
その強みは、追撃を止むことなく、ついには立ち上がれないほどにまで、追撃して、決定的勝利に導いたのです‼️
イスラエルの兵士たちが、追撃して決定的勝利を納めて、ペリシテを、立ち上がれなくなるまでに追撃して初めて、神の栄光となるのです。
ここでの証しは、ゴリヤテを倒したことで終わってはいないのです。ここでのもう一つの隠れた勝利は、恐れと萎縮で震えて、隠れて、身を潜ませていた、兵士たちが、信仰を取り戻して一気にたさ地上がった小手都和にあります。信仰のリバイバルです。
神の御業は、小さな一かけらの石つぶての行方から、ペリシテの大軍に至るまで、拡がったのです‼️🎶
今の教会は、無関心・再現のない欲望・無気力・不信仰・偶像・世俗・・・と言う“ゴリヤテ”の前でても足も出ずに、ちじこまっている、教会の姿を見る思いがします。悲しいです😖💦
ただ、ただ、全能の神を信じ、無味乾燥な現実の前に、信仰の祈りをもって立つ者が欲しい‼️🎶
祈りの先には、勝利へと続く“リバイバル”が、待受といます。ハレルヤ🎵💕
信仰の祈りに立ち上がりましょう。ハレルヤ‼️
 第一サムエル17章28節~40節

17:28 兄のエリアブは、ダビデが人々と話しているのを聞いた。エリアブはダビデに怒りを燃やして言った。「いったい、おまえは、なぜやって来たのか。荒野にいるあのわずかな羊を、だれに預けて来たのか。私には、おまえのうぬぼれと心にある悪が分かっている。戦いを見にやって来たのではないのか。」
17:29 ダビデは言った。「私が今、何をしたというのですか。一言、話しただけではありませんか。」
17:30 ダビデは兄から別の人の方に向き直り、同じことを尋ねた。すると、兵たちは先ほどと同じ返事をした。
17:31 ダビデが言ったことは人々の耳に入り、サウルに告げられた。それで、サウルはダビデを呼び寄せた。
17:32 ダビデはサウルに言った。「あの男のために、だれも気を落としてはなりません。このしもべが行って、あのペリシテ人と戦います。」
17:33 サウルはダビデに言った。「おまえは、あのペリシテ人のところへ行って、あれと戦うことはできない。おまえはまだ若いし、あれは若いときから戦士だったのだから。」
17:34 ダビデはサウルに言った。「しもべは、父のために羊の群れを飼ってきました。獅子や熊が来て、群れの羊を取って行くと、
17:35 しもべはその後を追って出て、それを打ち殺し、その口から羊を救い出します。それがしもべに襲いかかるようなときは、そのひげをつかみ、それを打って殺してしまいます。
17:36 しもべは、獅子でも熊でも打ち殺しました。この無割礼のペリシテ人も、これらの獣の一匹のようになるでしょう。生ける神の陣をそしったのですから。」
17:37 そして、ダビデは言った。「獅子や熊の爪からしもべを救い出してくださった【主】は、このペリシテ人の手からも私を救い出してくださいます。」サウルはダビデに言った。「行きなさい。【主】がおまえとともにいてくださるように。」
17:38 サウルはダビデに自分のよろいかぶとを着けさせた。頭に青銅のかぶとをかぶらせて、それから身によろいを着けさせたのである。
17:39 ダビデは、そのよろいの上にサウルの剣を帯びた。慣れていなかったので、ためしに歩いてみた。ダビデはサウルに言った。「これらのものを着けては、歩くこともできません。慣れていませんから。」ダビデはそれを脱いだ。
17:40 そして自分の杖を手に取り、川から五つの滑らかな石を選んで、それを羊飼いの使う袋、投石袋に入れ、石投げを手にし、そのペリシテ人に近づいて行った。
 2023年2月26日(日)リビングライフQT

ゴリヤテを見、またその大音声に呼ばわるのを聞いているはずのダビデの、確信に満ちた言動に、サウル王も心動かしたようですね。
常日頃、心荒れて我を失うような混乱したときです。ダビデの琴の音と、賛美とで、どれ程癒されてきたことでしょう🎵

今この膠着した戦場で、ダビデの聞きなれた純粋な声と言葉とで、サウルはどれ程癒されたことでしょう。
今新たに、神の摂理を思うのです。
ダビデが、サウル王の側近となった・・・と云うこと自体、一介の羊飼いにしてありえないことでしょうに、今この場に繋がって、神の前から遠ざかったサウルには、慰めと勇気をもたらす、神の使いのような存在に見えたことでしょう‼️
これこそ、イスラエルの歴史に、輝きを取り戻す、大きな”摂理”の時となったのです。
サウルは、神に背いたのですが、形ばかりでも、イスラエルの王としての対面を保つなか、神はこのサウルを通して、次のイスラエルの王を育てられるのです。ある意味では反面教師としてでしょうか⁉️
ダビデの終始一貫、一見経験の浅い、若者の浅い知恵からだと思われ勝ちですが、サウル王は❗ダビデのことばに心動かされて、この少年を戦地に送り出すのです。
状況から非常に奇異に感じるのですが、そういった矛盾を越えて、神の歴史は動き始めたのです。
神の編まれる歴史の不思議さだし、力強さですね🎵
昨日も出てきましたが、ダビデの言葉36節『・・・生ける神の陣をそしったのですから。』この言葉に、ダビデの確固たる、主なる神への不動の信仰を視るのです‼️
立場や利害や感傷ではなく、このお方(神)こそ、私のアイデンティティー(自分を今ここに存在させておられるお方)だと言う、理由がない彼の信仰の原点であり全てだったのです。
私にとっても、主なる神は、全ての全てなのだ‼️と、告白できることを、誇りに思う朝です‼️🎶ハレルヤ。
 第一サムエル 17章12節~27節

17:12 さて、ダビデは、ユダのベツレヘム出身の、エッサイという名のエフラテ人の息子であった。エッサイには八人の息子がいた。この人はサウルの時代には、年をとって老人になっていた。
17:13 エッサイの上の三人の息子たちは、サウルに従って戦いに出ていた。戦いに行っていた三人の息子の名は、長男エリアブ、次男アビナダブ、三男シャンマであった。
17:14 ダビデは末っ子で、上の三人がサウルに従って出ていたのである。
17:15 ダビデは、サウルのところへ行ったり、帰ったりしていた。ベツレヘムの父の羊を世話するためであった。
17:16 例のペリシテ人は、四十日間、朝早くと夕暮れに出て来て立ち構えた。
17:17 エッサイは息子ダビデに言った。「さあ、兄さんたちのために、この炒り麦一エパと、このパン十個を取り、兄さんたちの陣営に急いで持って行きなさい。
17:18 この十個のチーズは千人隊の長に届け、兄さんたちの安否を確認しなさい。そして、しるしを持って来なさい。
17:19 サウルと兄さんたち、それにイスラエルの人はみな、エラの谷でペリシテ人と戦っているから。」
17:20 ダビデは翌朝早く、羊を番人に預け、エッサイが命じたとおりに、言われた物を持って出かけた。彼が野営地に来ると、軍勢はときの声をあげて陣地に向かうところであった。
17:21 イスラエル人とペリシテ人は、向かい合って陣を敷いていた。
17:22 ダビデは、父からことづかった物を武器を守る者に預け、陣地に走って来て、兄たちに安否を尋ねた。
17:23 ダビデが彼らと話していると、なんと、そのとき、あの代表戦士が、ペリシテ人の陣地から上って来た。ガテ出身のゴリヤテという名のペリシテ人であった。彼は前と同じことを語った。ダビデはこれを聞いた。
17:24 イスラエルの人はみな、この男を見たとき、彼の前から逃げ、非常に恐れた。
17:25 イスラエルの人々は言った。「この上って来た男を見たか。イスラエルをそしるために上って来たのだ。あれを討ち取る者がいれば、王はその人を大いに富ませ、その人に自分の娘を与え、その父の家にイスラエルでは何も義務を負わせないそうだ。」
17:26 ダビデは、そばに立っている人たちに言った。「このペリシテ人を討ち取って、イスラエルの恥辱を取り除く者には、どうされるのですか。この無割礼のペリシテ人は何なのですか。生ける神の陣をそしるとは。」
17:27 兵たちは、先のことばのように、彼を討ち取った者には、これこれをされる、と言った。
 2023年2月25日((土))リビングライフQT

エラの谷を鋏んで、両陣営が時のをあげ合っている。お互い突撃するにはしても、弓の打ち合いか、狭い谷底での白兵戦では、なかなか差決着かつかないまま💢
 毎日のように、ゴリヤテが、大音声に呼ばわることの繰り返しで、戦況は膠着状態であったけど毎日・毎日神の陣営への屈辱的ののしりの言葉は、イスラエルの民の心を萎えさせていました。こうしてイスラエルは、霊的にも精神的にも疲弊していたことでしょう。
この状態を、ダビデは観たのです💢💢💨
子供のお使いでしかないダビデの立場は、身の置き場もなかったでしょうが、戦場の雰囲気をいち速く察知して、心に憤りを持ったことが、25節に記されている‼️『この無礼のペリシテ人は何なのですか。生ける神の陣をそしるとは。』・・・
この言葉・この憤りが、イスラエルの中に埋もれてしまっているのです。イスラエルの敗北は❗むしろ、既に決まっているようなものです。
敗北の信仰から、祈りも希望も、志願して立つ者もなくなり、今やイスラエルは。戦わずして敗北の道を、歩き始めているのです。
信仰は経験から出るものではありません。ただ信じ信頼するのみです。ダビデは年若かったけれども、怖さ知らずではなく、彼には、ただ主なる神への、絶対の信頼だけが、魂を心を占拠していたのです。経験や、思考、検討は、信仰と信頼とを消し去ってしまいます。
神への冒涜に充ちたゴリヤテの大音声は、ダビデの魂を、聖なる憤りに満たしたのです。
私達は❗今のこの世界の秩序の乱れや、世状に溢れた神なしの営みに、聖なる憤りを感じ、心悼んで、祈りへと導かれてきただろうか。主なる神の僕よ‼️憤り・悲しみ・こころの痛みを❗祈りに代えましょう。
祈りは信仰者の武器なのですから。
  第一サムエル17章1節~11節

17:1 ペリシテ人は戦いのために軍隊を召集した。ユダのソコに集まり、ソコとアゼカの間にあるエフェス・ダミムに陣を敷いた。
17:2 一方、サウルとイスラエル人は集まってエラの谷に陣を敷き、ペリシテ人に対する戦いの備えをした。
17:3 ペリシテ人は向かい側の山の上に構え、イスラエル人は手前側の山の上に構えた。その間には谷があった。
17:4 一人の代表戦士が、ペリシテ人の陣営から出て来た。その名はゴリヤテ。ガテの生まれで、その背の高さは六キュビト半。
17:5 頭には青銅のかぶとをかぶり、鱗綴じのよろいを着けていた。胸当ての重さは青銅で五千シェケル。
17:6 足には青銅のすね当てを着け、背には青銅の投げ槍を負っていた。
17:7 槍の柄は機織りの巻き棒のようであり、槍の穂先は鉄で、六百シェケルあった。盾持ちが彼の前を歩いていた。
17:8 ゴリヤテは突っ立って、イスラエル人の陣列に向かって叫んだ。「何のために、おまえらは出て来て、戦いの備えをするのか。おれはペリシテ人、おまえらはサウルの奴隷どもではないか。一人を選んで、おれのところによこせ。
17:9 おれと戦っておれを殺せるなら、おれたちはおまえらの奴隷になる。だが、おれが勝ってそいつを殺したら、おまえらがおれたちの奴隷になって、おれたちに仕えるのだ。」
17:10 そのペリシテ人は言った。「今日、この日、おれがイスラエルの陣を愚弄してやる。一人をよこせ。ひとつ勝負をしようではないか。」
17:11 サウルと全イスラエルは、ペリシテ人のことばを聞き、気をくじかれて非常に恐れた。
 2023年2月24日(金)リビングライフQT

このものがたりは、明らかにサタンの挑戦ですね‼️
そうでなくとも、ベリシテ人は、当時の近隣民族の中でも、群を抜いて、体格の大きな、優れた民でした。イスラエルに連敗のペリシテは、起死回生を狙って、挑戦してきたのです。
このテキストで要注意なのは、ゴリヤテの強さや、その武具の驚くような装具ではないのです。
ゴリヤテの強気の言葉です。10節「今日この日、おれがイスラエルの陣を愚弄してやる。・・・」戦争の陣と言うものは、民の人格であり、その陣の中心は、神の臨在のある、神の陣営なのです。イスラエルには、侵しがたい神聖な所なのでした。
ゴリヤテは、敢えて。連勝のイスラエルを挑発するために、このような言葉で揶揄したのです。
ところが、この様な露骨な挑戦の言葉に、イスラエルは、萎縮したのです。
よーく考えてみて下さい。彼ら(イスラエル)は、彼らを今日まで守り、また、あの出エジプトで、世界の大国に大勝利を与えられた神、様々な奇跡をもって、無から有を出してくださり、生かして下さった”神“を、侮辱されたのです。
生きたイスラエルならば、この言葉は、火に油を注ぐはずですが、彼らは、いま、
11節:サウルとイスラエルは、ペリシテ人の言葉を聞き、気をくじかれて非常に恐れた。
彼さらには、今や、神への恐れはなく、人の強さに恐れをなしているのです。
私たちにも有りませんか(?) このように挫けることは(は?)
教会が二千年の歴史のなかで、勝ち抜いてきたの神の陣営(キリスト教会)を潰そうとした、社会(サタンの支配する)の重圧に、良く戦い勝利しながら拡大してきたのです。
あの太平洋戦争の最中に、教会はゴリヤテの大音声の様な危機の中で、多くの殉教者を出しながらも、勝利して来ました。
迫害した軍の中から、クリスチャンたちの、殉教も恐れない、強靭な信仰に、逆に国が屈したのです。
今朝、イスラエルと、ゴリヤテとの対峙の成り行きを見て、この様な、かつての、日本のホーリネス教会の闘いと勝利思っていました。
私の父母の教会も、ホーリネスだったことで、潰されました。しかし、そんな中で家族で礼拝を続けて、戦後、いまのシオン教会をたてあげてきたのです。

さて、イスラエルはどうしたのでしょう⁉️
 第一サムエル16章14節~23節

16:14 さて、【主】の霊はサウルを離れ去り、【主】からの、わざわいの霊が彼をおびえさせた。
16:15 サウルの家来たちは彼に言った。「ご覧ください。わざわいをもたらす、神の霊が王をおびえさせています。
16:16 わが君。どうか御前におりますこの家来どもに命じて、上手に竪琴を弾く者を探させてください。わざわいをもたらす、神の霊が王に臨むとき、その者が竪琴を手にして弾くと、王は良くなられるでしょう。」
16:17 サウルは家来たちに言った。「私のために上手な弾き手を見つけて、私のところに連れて来なさい。」
16:18 家来の一人が答えた。「ご覧ください。ベツレヘム人エッサイの息子を見たことがあります。弦を上手に奏でることができ、勇士であり、戦士の出です。物事の判断ができ、体格も良い人です。【主】が彼とともにおられます。
16:19 サウルは使いをエッサイのところに送って、「羊とともにいるあなたの息子ダビデを、私のところによこしなさい」と言った。
16:20 エッサイは、ろば一頭分のパンと、ぶどう酒の皮袋一つ、子やぎ一匹を取り、息子ダビデの手に託してサウルに送った。
16:21 ダビデはサウルのもとに来て、彼に仕えた。サウルは彼がたいへん気に入り、ダビデはサウルの道具持ちとなった。
16:22 サウルはエッサイのところに人を遣わして、「ダビデを私に仕えさせなさい。気に入ったから」と言った。
16:23 神の霊がサウルに臨むたびに、ダビデは竪琴を手に取って弾いた。するとサウルは元気を回復して、良くなり、わざわいの霊は彼を離れ去った。
 2023年2月23日(木曜)リビングライフQT

サウルは、主の選びからは遠ざけられましたが、なお、イスラエルの王として君臨しており、神の許し(許容)の下、なお、王権を握り采配していたのです。
その理由は、次に選ばれた、ダビデのやがての王としての資質と、サウルの行動の良し悪しを見聞きして、訓練されるためでした。イスラエルが、王政の民として、世界の歴史に連なるためには、ダビデの存在は、非常に重要な器だったのです。
少年時代から、大人世界の矛盾・自己中心・傲慢、それでいて、なお、形式的にでも神を礼拝する神をも偽る偽善・・・そのような中で、悔い改めようともしない、サウルに仕える(はてな)
多くの大人社会の矛盾の真っ只中で、なお、主に仕える魂は、成長していくのですね。
私たちクリスチャンは、祈ったら聞かれる・信じたら苦難には遭遇しない・主は癒し主だから病も治る・・・‼️
主を信じる事が、自分とじぶんに関わる回りに祝福をもたらすことにのみ、片寄る時、試練・矛盾・攻撃・迫害・病に脆(モロ)い心が、土台を崩すものになります。そこから、不平・不満・疑惑・不信・憎しみ・・・etc.が心をかき混ぜるのです。
訓練・試練・困難は、神の手になる『愛と慈しみから来る、神のお言葉にしたがって、与えられる、重要な訓練を見失うのです。
18節『・・・主が彼と共におられます。』何と言う評価でしょう‼️
この評価こそ、私の宝としたい。
 第一サムエル16章1節~13節

16:1 【主】はサムエルに言われた。「いつまであなたはサウルのことで悲しんでいるのか。わたしは彼をイスラエルの王位から退けている。角に油を満たせ。さあ、わたしはあなたをベツレヘム人エッサイのところに遣わす。彼の息子たちの中に、わたしのために王を見出したから。」
16:2 サムエルは言った。「どうして私が行けるでしょうか。サウルが聞いたら、私を殺すでしょう。」【主】は言われた。「一頭の雌の子牛を手にし、『【主】にいけにえを献げるために来ました』と言い、
16:3 エッサイを祝宴に招け。わたしが、あなたのなすべきことを教えよう。あなたはわたしのために、わたしが言う人に油を注げ。」
16:4 サムエルは【主】がお告げになったとおりにして、ベツレヘムにやって来た。町の長老たちは身震いしながら彼を迎えて言った。「平和なことでおいでになったのですか。」
16:5 サムエルは言った。「平和なことです。【主】にいけにえを献げるために来ました。身を聖別して、一緒に祝宴に来てください。」そして、サムエルはエッサイと彼の息子たちを聖別し、彼らを祝宴に招いた。
16:6 彼らが来たとき、サムエルはエリアブを見て、「きっと、【主】の前にいるこの者が、主に油を注がれる者だ」と思った。
16:7 【主】はサムエルに言われた。「彼の容貌や背の高さを見てはならない。わたしは彼を退けている。人が見るようには見ないからだ。人はうわべを見るが、【主】は心を見る。」
16:8 エッサイはアビナダブを呼んで、サムエルの前に進ませた。サムエルは「この者も【主】は選んでおられない」と言った。
16:9 エッサイはシャンマを進ませたが、サムエルは「この者も【主】は選んでおられない」と言った。
16:10 エッサイは七人の息子をサムエルの前に進ませたが、サムエルはエッサイに言った。「【主】はこの者たちを選んでおられない。」
16:11 サムエルはエッサイに言った。「子どもたちはこれで全部ですか。」エッサイは言った。「まだ末の子が残っています。今、羊の番をしています。」サムエルはエッサイに言った。「人を遣わして、連れて来なさい。その子が来るまで、私たちはここを離れないから。」
16:12 エッサイは人を遣わして、彼を連れて来させた。彼は血色が良く、目が美しく、姿も立派だった。【主】は言われた。「さあ、彼に油を注げ。この者がその人だ。」
16:13 サムエルは油の角を取り、兄弟たちの真ん中で彼に油を注いだ。【主】の霊がその日以来、ダビデの上に激しく下った。サムエルは立ち上がってラマへ帰って行った。
 2023年2月22日(水曜)リビングライフQT

サウルの民の中での地位は、今だ健在で、彼の独善と、立場への意識は、日を追い、戦いの勝利に気をよくして、自ら権威を確信するなかで、
最早神の選びと、保護は、完全に去ったのです。
その様な中での、しゅなるかみからの、次の(神のご計画は揺るぎない)王の選定への道を、拓き始められたのです。神の権威を担って立つには、余りにも荷が重いサムエル😖💦⁉️
私はふと、サムエルの尻込み(2節)の姿に、福音を担う神の僕(クリスチャン)の姿が、重なりました。問題は違いますが、神のご計画の“福音”を、サタンの支配するこの世に、訃げ報せる使命は、似ていませんか。・・・
サムエルは神のお言葉に(4節『サムエルは主我お告げになった通りに・・・』)従ったのです。
サムエルの心に、揺らぎや、恐れや不安があったら、神のお声(導き)がその魂に~心に、響かなかないでしょう⁉️
サムエルはただ、従いました‼️
サムエルの心を動かしたのは、6節の『人は、うわべを見るが、主は心を見る。』の、お言葉だったのです‼️
私達の日々の中で、様々な躊躇で心揺らぎ、主に従う道に進むのに、躊躇や揺らぎで、進む勇気や、決断が揺らぐことありませんか⁉️
私の書いた「手探り伝道記』読まれた方は思い出されるでしょう❗
私が伝道者に成り立ての時、挫けて心閉ざされ、主から戴いた使命の道に進むことが出来なくなり、心やんだとき、母が「自動車が、夜走行する時、何m先まで見えたら(確認できたら)良いの(何)」って聴かれたと時、私は、「100mと答えました」すると母は『あ〰️ら、100m迄で良いの⁉️目的地まで見えなくても・・・⁉️』
私は呆れ顔で、「車は進めばライトもそれだけ先を照すから、充分でしょ🎵」
母はしたり顔で、私を覗き込むように、『嗣夫ちゃん❗信仰も(神様に従う人生)そうですよ‼️主に従って、一歩踏み出したら、その分先が見えて来るでしょう‼️』
それからの58年の伝道者生涯は、多くの困難、立ち往生、不安・挫折・躊躇・・先に進めなくなる障害にい、幾度立ちすくんだでしょう。その度祈っては、立ち上がり踏み出した先に、道は拓けてきました。
『人はうわべを見るが、主は心を見る』
さあ、新たに一歩踏み出しましょう‼️🎶
 第一サムエル15章24節~35節

15:24 サウルはサムエルに言った。「私は罪を犯しました。兵たちを恐れて、彼らの声に聞き従い、【主】の命令と、あなたのことばに背いたからです。
15:25 どうか今、私の罪を見逃してください。そして、私が【主】を礼拝することができるように、一緒に帰ってください。」
15:26 サムエルはサウルに言った。「私はあなたと一緒に帰りません。あなたは【主】のことばを退け、【主】があなたをイスラエルの王位から退けられたからです。」
15:27 サムエルが引き返して行こうとしたとき、サウルが彼の上着の裾をつかんだので、上着は裂けた。
15:28 サムエルは彼に言った。「【主】は、今日、あなたからイスラエル王国を引き裂いて、これをあなたよりすぐれた隣人に与えられました。
15:29 実に、イスラエルの栄光である方は、偽ることもなく、悔やむこともない。この方は人間ではないので、悔やむことがない。」
15:30 サウルは言った。「私は罪を犯しました。しかし、どうか今は、私の民の長老とイスラエルとの前で私を立ててください。どうか一緒に帰ってください。私はあなたの神、【主】を礼拝します。」
15:31 サムエルはサウルについて帰り、サウルは【主】を礼拝した。
15:32 サムエルは言った。「アマレクの王アガグを、私のところに連れて来なさい。」アガグは、喜び勇んで彼のもとに来た。アガグは「きっと、死の苦しみが去るだろう」と思ったのであった。
15:33 サムエルは言った。「おまえの剣が、女たちから子を奪ったように、おまえの母も、女たちのうちで子を奪われた者となる。」こうしてサムエルは、ギルガルにおいて【主】の前で、アガグをずたずたに切った。
15:34 サムエルはラマへ行き、サウルはサウルのギブアにある自分の家へ上って行った。
15:35 サムエルは死ぬ日まで、再びサウルを見ることはなかった。しかしサムエルはサウルのことで悲しんだ。【主】も、サウルをイスラエルの王としたことを悔やまれた。
 2023年2月21日(火曜)リビングライフQT

サウルの目覚のない態度
*24・25節~「兵たちを恐れて、彼らの声に聞き従い、主の命令とあなたの言葉に背いた・・・どうか、私の罪を見逃してください。・・
何と、責任転嫁と、罪(神に背いた)の重さを分かっていない、全く愚かな姿でしょう😱

30節~私は罪を犯しました。しかし、どうか今は、私の民の長老とイスラエルとの前で私を立ててください。・・・何と、目を覆い耳を塞ぎたくなるような、醜い謝罪なのでしょう。サウルの言葉には、罪の重さへに認識も、悔い改め、サウルの霊の悔いの一欠片(カケラ)も見られない姿ですね。
一方、サムエルの対応は、サウルが生かしておいたアマレクの王”アガグ”を、処刑したのです。神に敵対し、神の民を亡きものにしようと図った王に対する、神の怒りは、単に感情的な憤りではなく、神の創造の理想を妨げる、愛と、善と、平和と、喜びetc.・・・の世界を破壊しようとする、悪いサタンへの鉄槌でもあるのです。
私達は、此の物語の内に秘められている、寓意を、見落としてはなりません。
それは、私達の人生の行く手に現れ、しばしば真理の道を妨げ、主なる神への熱い思いを、合理的・人道的・習慣的・多数派論理・習慣的流れetc.で、主なる神への信仰(慕う思い・主を第一にする生き方)を、二義的に押し退けてしまう弱さ、誘惑があることを、見落としとはなりません‼️
サウルには、自分の立場の喪失の不安が魂を占めていて、悔い改めには至らなかったことが彼の悲劇となったのです。
今朝改めて、神第一‼️
主なる神が与えてくださるめぐみの人生、潔(キヨ)く恵みと慰めに満ちた道を、しっかりと(たとえ試練困難があっても)選び採って、固く歩んで参りましょう。主は、失敗の中からでも、主を求める時、新しい道を開いてくださるのです。サウルの失敗は、悔い改めの💢💢💨のない決断だったのです。
悔い改めの心をもって、主を求める人生に歩みましょう‼️🎶
 第一サムエル15章10節~23節

15:10 【主】のことばがサムエルに臨んだ。
15:11 「わたしはサウルを王に任じたことを悔やむ。彼はわたしに背を向け、わたしのことばを守らなかったからだ。」それでサムエルは怒り、夜通し【主】に向かって叫んだ。
15:12 翌朝、サムエルはサウルに会いに行こうとして早く起きた。すると、サムエルに、「サウルはカルメルに来て、もう自分のために記念碑を立てました。そして向きを変えて進んで行き、ギルガルに下りました」という知らせがあった。
15:13 サムエルはサウルのところに来た。サウルは彼に言った。「あなたが【主】に祝福されますように。私は【主】のことばを守りました。」
15:14 サムエルは言った。「では、私の耳に入るこの羊の声、私に聞こえる牛の声は、いったい何ですか。」
15:15 サウルは答えた。「アマレク人のところから連れて来ました。兵たちは、あなたの神、【主】に、いけにえを献げるために、羊と牛の最も良いものを惜しんだのです。しかし、残りの物は聖絶しました。」
15:16 サムエルはサウルに言った。「やめなさい。昨夜、【主】が私に言われたことをあなたに知らせます。」サウルは彼に言った。「お話しください。」
15:17 サムエルは言った。「あなたは、自分の目には小さい者であっても、イスラエルの諸部族のかしらではありませんか。【主】があなたに油を注ぎ、イスラエルの王とされたのです。
15:18 【主】はあなたに使命を与えて言われました。『行って、罪人アマレク人を聖絶せよ。彼らを絶滅させるまで戦え。』
15:19 なぜ、あなたは【主】の御声に聞き従わず、分捕り物に飛びかかり、【主】の目に悪であることを行ったのですか。」
15:20 サウルはサムエルに答えた。「私は、【主】の御声に聞き従い、【主】が私に授けられた使命の道を進みました。私はアマレク人の王アガグを連れて来て、アマレク人たちは聖絶しました。
15:21 兵たちは、ギルガルであなたの神、【主】にいけにえを献げるために、聖絶の物の中の最上のものとして、分捕り物の中から羊と牛を取ったのです。」
15:22 サムエルは言った。「【主】は、全焼のささげ物やいけにえを、【主】の御声に聞き従うことほどに喜ばれるだろうか。見よ。聞き従うことは、いけにえにまさり、耳を傾けることは、雄羊の脂肪にまさる。
15:23 従わないことは占いの罪、高慢は偶像礼拝の悪。あなたが【主】のことばを退けたので、主もあなたを王位から退けた。」
 2023年2月20日(月)リビングライフQT

11節~『わたしはサウルを王に任じたことを悔やむ。・・』
主なる神が《悔やむ❗》なんてことあるのでしょうか⁉️
これは神がサムエルに語りかけるときの言葉ですから、
神学的な、神の御性質・属性を、ここから定義すべき者ではないでしょう。
別な見方からすれば、此の表現は、主なる神の、私たちへの選びにたいして、大きな愛と期待とを抱いて、あなたは、私は、選ばれてきたし、赦されてもきたのだ・・と、言えるのです。
サウルの選びに、今主なる神が、如何に胸の痛みを味わっておられるかを、知るお言葉です。
サムエルは、此の神のお言葉を内に持ってサウルを探します。
神の代弁者であるサムエルとの会話を見ていると、サウルのとんでもない間違いが浮き彫りになり増す。
それは、サウルにはいささかの神への冒涜があるなどとは、考えてもいない思いだと言うことなのです。
彼はむしろ、先勝の感謝を、敵の分取りものを持って、主に感謝の生け贄とすることで、記念すべき、礼拝となる‼️・・・と、考えたのです。
サウルの信仰は、自らの意思と力量と工夫を持って、神を礼拝することが、最高の在り方だと、信じていたのですけれど、神御自身がサウルに求められたのは、神御自身の言葉に忠実である・・・ということです。
22節~・・・見よ。聞き従うことは、いけにえにまさり、耳を傾ける(従う)ことは、雄羊の脂肪(燔蔡の儀式)に勝る。
私達の信仰生活は・・(はてな)
クリスチャンらしく・教会生活を忠実に・・奉仕をしっかりしてきた・・礼拝を休まない・・聖別献金をきちんといている・・・友人を教会に連れてきた・・それが主を御喜ばせすることでしょうか。
これらが信仰生活の、確信の拠り所となってはいないでしょうか。
此のような確信は、傲慢、自分中心・・・言い換えるなら、宗教であって、敬虔な信仰ではないのです。
聞くことは→従うこと❗
主なる神への最大の奉仕は❗神の声に“従う”ことなのです。
そのためにです御言葉(聖書を読み、主に聴く) (主の言葉に従う事が、 信仰生活なのです。今日も主の言葉に従う、一刻一刻でありましょう。神からの言葉、聖書を読み、従う一日でありますように🎵
 第一サムエル15章1節~9節

15:1 サムエルはサウルに言った。「【主】は私を遣わして、あなたに油を注ぎ、主の民イスラエルの王とされた。今、【主】の言われることを聞きなさい。
15:2 万軍の【主】はこう言われる。『わたしは、イスラエルがエジプトから上って来る途中で、アマレクがイスラエルに対して行ったことを覚えている。
15:3 今、行ってアマレクを討ち、そのすべてのものを聖絶しなさい。容赦してはならない。男も女も、幼子も乳飲み子も、牛も羊も、らくだもろばも殺しなさい。』」
15:4 サウルは兵を呼び集めた。テライムで彼らを数えると、歩兵が二十万、ユダの兵が一万であった。
15:5 サウルはアマレクの町へ行って、谷で待ち伏せした。
15:6 サウルはケニ人たちに言った。「さあ、アマレク人のもとを離れて下って行きなさい。私があなたがたを彼らと一緒にするといけないから。あなたがたは、イスラエル人がみなエジプトから上って来たとき、親切にしてくれたのです。」ケニ人はアマレク人の中から離れた。
15:7 サウルは、ハビラからエジプトの国境にあるシュルに至るまで、アマレク人を討ち、
15:8 アマレク人の王アガグを生け捕りにし、その民のすべてを剣の刃で聖絶した。
15:9 サウルとその兵たちは、アガグと、肥えた羊や牛の最も良いもの、子羊とすべての最も良いものを惜しんで、これらを聖絶しようとしなかった。ただ、つまらない値打ちのないものだけを聖絶したのである。
 2023年2月19日(日曜)リビングライフQT

*アマレク  *聖絶
今朝の重要な二つの用語です。
出エジプトのアマレクとの闘いは、壮絶でした‼️
その戦いが余りにも激しく、イスラエルの戦死者が続出し、形勢が不利になりそうな場面で、モーセが、丘の上に立って手を挙げて祈ると、イスラエルは勇気付いて、攻勢になり、モーセの手が疲れて下がると、アマレクが優勢になった。そこで、従者のアロンとフルが両方から挙がった手を支えて、終日手が下がらなかったので、イスラエルは、勝利した。・・・あの出来事です。
彼らは非常に強力な民で、また、宗教的にも、強力な偶像の神々を多く持ち、回りの民に強大な影響力をもって、その後、勢力を回復し、虎視眈々と、神の民イスラエルに迫っていたのです。
指導者サムエルは、此の戦いで、敵アマレクを、徹底的に殲滅することを命じました。これは、神の厳命として‼️💢
財宝も家畜も全部族独り残らず殲滅することを。“聖絶”と言う言葉で‼️
しばしば一般社会常識会では、“聖絶”を、非人道的対応だ💢💢💨として、聖書への避難反発への、理由とされてきました。
聖書を人道主義で解釈する人々が良くいますが、聖書は、神の言葉と、神が創造された人間に、語りかけ、こうあって欲しいと求められる、神のメッセージの書です。
道徳書ではないのです。ですから人道主義で避難すべきではないのです。
さて、アマレクとの戦いで、文化的にも、経済的にも、あらゆる面で先進的民族でしたから、サウルは、アマレクの王アガグを生かして人質とし、民は、遥かに上質の財宝・家畜を囲って隠したのです。
ある方(クリスチャン)が、タバコがやめられず、奥さんに隠れてタバコをベランダデ吸おうと、マッチを擦ったら、大きなマッチ箱全部が一気に発火して、長男やけどをした‼️と言うことがありました。
“聖絶”と言うことは、未練をもたず悪から完全に離れるために、それに関わる全てを、排除することさです。未練を遺して、“記念に“ ”過去への証に”・・等の美辞に紛れて、引きずらないことです‼️
偶像に関する、残存物は、知らずうちに、バチが当たるんでは・・何か、気持ち悪い❗などの隠れた感情(意識)が、気付かないうちに、ジワジワ、忍び寄ってきて、心の中に、不安、怖れ、気後れ、挫折を呼び起こすのです。
私達の日常の中からも、聖絶しなければならないことは、ないでしょうか(?)
魂の中からアマレクをはっきりと排除しましよう‼️🎶
 第一サムエル14章36節~52節

14:36 サウルは言った。「夜、ペリシテ人を追って下り、明け方までに彼らからかすめ奪い、一人も残しておかないようにしよう。」すると兵は言った。「あなたが良いと思うようにしてください。」しかし祭司は言った。「ここで、われわれは神の前に出ましょう。」
14:37 サウルは神に伺った。「私はペリシテ人を追って下って行くべきでしょうか。彼らをイスラエルの手に渡してくださるのでしょうか。」しかしその日、神は彼にお答えにならなかった。
14:38 サウルは言った。「民のかしらたちはみな、ここに近寄りなさい。今日、どうしてこの罪が起こったのかを確かめてみなさい。
14:39 まことに、イスラエルを救う【主】は生きておられる。たとえ、それが私の息子ヨナタンであっても、必ず死ななければならない。」しかし、民のうちだれも彼に答える者はいなかった。
14:40 サウルはすべてのイスラエル人たちに言った。「おまえたちは、こちら側にいなさい。私と息子ヨナタンは、あちら側にいることにしよう。」民はサウルに言った。「あなたが良いと思うようにしてください。」
14:41 サウルはイスラエルの神、【主】に「みこころをお示しください」と言った。すると、ヨナタンとサウルが取り分けられ、民は外れた。
14:42 サウルは言った。「私か、私の息子ヨナタンかを決めてください。」するとヨナタンが取り分けられた。
14:43 サウルはヨナタンに言った。「何をしたのか、私に話しなさい。」ヨナタンは彼に話した。「確かに、手にあった杖の先で、少しばかりの蜜を口にしました。この私が死ななければなりません。」
14:44 サウルは言った。「神が幾重にも罰してくださるように。ヨナタン、おまえは必ず死ななければならない。」
14:45 民はサウルに言った。「この大勝利をイスラエルにもたらしたヨナタンが死ななければならないのですか。絶対にそんなことはあり得ません。【主】は生きておられます。あの方の髪の毛一本でも地に落ちてはなりません。今日、あの方は神とともにこれをなさったのです。」こうして民がヨナタンを救ったので、彼は死ななかった。
14:46 サウルはペリシテ人を追うのをやめて引き揚げ、ペリシテ人は自分たちのところへ帰って行った。
14:47 さてサウルは、イスラエルの王権を握ってから、周囲のすべての敵と戦った。モアブ、アンモン人、エドム、ツォバの王たち、ペリシテ人と戦い、どこに行っても彼らを敗走させた。
14:48 彼は勇気を奮って、アマレク人を討ち、イスラエル人を略奪者の手から救い出した。
14:49 さて、サウルの息子は、ヨナタン、イシュウィ、マルキ・シュア、二人の娘の名は、姉がメラブ、妹がミカルであった。
14:50 サウルの妻の名はアヒノアムで、アヒマアツの娘であった。軍の長の名はアブネルで、ネルの子でサウルのおじであった。
14:51 キシュはサウルの父であり、アブネルの父ネルは、アビエルの子であった。
14:52 サウルの一生の間、ペリシテ人との激しい戦いがあった。サウルは勇気のある者や、力のある者を見つけると、その人たちをみな、召しかかえることにしていた。

 2023年2月18日(土)リビングライフQT

昨日に続き、サウル王信仰的発言は、まことしやかに見えますね。
サウル自信は、王として、神に選ばれた王として、自分の権威として、民の前に王としての立場を誇示するためにも、今回のこと(ヨナタンが断食の言明に背き、ハチミツを食べたこと、更に、民がヨナタンの民をかばう言葉で、一気に民が空腹を満たすため、肉を調理せず肉を、血の滴るままにまま食べた・・ことを、息子ヨナタンが張本人だと知らずに、告発したのです。
引くに引かれず、ヨナタンだと分かっても、引くに引けなくなったのです。
しかし、ヨナタンを信じ慕う兵士たちは、ヨナタンをかばい、王に嘆願したので、手は下せなかった‼️
これらのことが、サウルの敬虔さから出たのではなく、予言者サムエルの思いに叶うための、偽りの信仰の言動だったのです。
サウルは、王の権威を、神によるものであることを忘れ、自らの行動と実行力で示そうとしていたのです。
主なる神に従うものを、主は自らこれを守り高め、権威を授けて下さるのです。自らで勝ち取るものは、壊れ、腐敗し、光を失い、不振と警戒を持って、その土台を揺さぶられるでしょう。
サウルは一生涯、やすらぎがなくは、よろこびからとおいひびだったのです。
実際は、主なる神に選ばれ、用いられる器だったのに、神の祝福と守りから遠退くと同じように、神からの安らぎと、権威の保証は、自ずと表されるもので、ただただ主に従って歩みましょう‼️🎶
 第一サムエル14章24節~35節

14:24 さて、その日、イスラエル人はひどく苦しんでいた。サウルは、「夕方、私が敵に復讐するまで、食物を食べる者はのろわれよ」と言って、兵たちに誓わせていた。それで兵たちはだれも食物を口にしていなかったのであった。
14:25 この地はどこでも、森に入って行くと、地面に蜜があった。
14:26 兵たちが森に入ると、なんと、蜜が滴っていたが、だれも手に付けて口に入れる者はいなかった。兵たちは誓いを恐れていたのである。
14:27 しかし、ヨナタンは、父が兵たちに誓わせたことを聞いていなかった。彼は手にあった杖の先を伸ばして、蜜蜂の巣に浸し、それを手に付けて口に入れた。すると彼の目が輝いた。
14:28 兵の一人がそれを見て言った。「あなたの父上は、兵たちに堅く誓わせて、『今日、食物を食べる者はのろわれる』とおっしゃいました。それで兵たちは疲れているのです。」
14:29 ヨナタンは言った。「父はこの国を悩ませている。ほら、この蜜を少し口にしたので、私の目は輝いている。
14:30 もしも今日、兵たちが、自分たちが見つけた敵からの分捕り物を十分食べていたなら、今ごろは、もっと多くのペリシテ人を討ち取っていただろうに。」
14:31 その日彼らは、ミクマスからアヤロンに至るまでペリシテ人を討った。それで兵たちはたいへん疲れていた。
14:32 兵たちは分捕り物に飛びかかり、羊、牛、若い牛を取り、その場で屠った。兵たちは血が付いたままで、それを食べた。
14:33 すると、「ご覧ください。兵たちが血のままで食べて、【主】に罪を犯しています」と、サウルに告げる者がいた。サウルは言った。「おまえたちは裏切った。今、大きな石を転がして来なさい。」
14:34 そしてサウルは言った。「兵の中に散って行って、彼らに言いなさい。『それぞれ自分の牛か羊を私のところに連れて来て、ここで屠って食べなさい。血のままで食べて【主】に罪を犯してはならない。』」兵はみな、その夜、それぞれ自分の手で牛を連れて来て、そこで屠った。
14:35 サウルは【主】のために祭壇を築いた。これは、彼が【主】のために築いた最初の祭壇であった。
 2023年2月17日(金)リビングライフQT

何とも、サウルもその兵士たちも、どこか統率のとれない状態ですね😵
せっかくのヨナタンによる大勝利を勝ち取ったあとに、このようなほころびが出るとは。
此の時のサウルの、断食の誓いを兵に誓わせたのは、サウルの、神に対して誠実さをアピールしようとした、偽善的行為と考えられます。
即ち、偽りの(形式的)信仰深さを、兵営にアピールしたのだと考えられます。
兵士たちは、此の誓いに対して、神への敬虔さからではなく、王の権威を怖れて、戦いに疲れて空腹の中にも関わらず、厳格に守ろうとしたのです。
その後で、ヨナタンの言葉に解放された兵士たちは、今度はモーセによる律法の、肉を血のまま食すことは厳格に禁じられていたにも関わらず、律法を破ったのです。
信仰の規律は破られ、人の厳格な命令には従っても、神の教えは無視したのです。
全く、合理的な信仰心で、権威の所在が逆転しているのです。
私達は改めて、主なる神に、どれ程の真実を持って従い、主のみ心に歩むか、常に問われなければなりません。
形だけの敬虔さ(サウルの様な)は、反って主なる神への不敬虔となるのです。
『神へのいけにへは、砕かれた、悔いた心、
神よ、あなたは、それをさげすまれません。』詩編51:17
 第一サムエル14章1節~23節

14:1 そのようなある日、サウルの息子ヨナタンは、道具持ちの若者に言った。「さあ、この向こう側のペリシテ人の先陣の方へ行こう。」しかし、ヨナタンは父にそのことを知らせなかった。
14:2 サウルはギブアの外れで、ミグロンにある、ざくろの木の下に座っていた。彼とともにいた兵は約六百人であった。
14:3 アヒヤは、エポデを身に着けていた。アヒヤはアヒトブの子で、アヒトブはイ・カボデの兄弟、イ・カボデはピネハスの子、ピネハスは、シロで【主】の祭司であったエリの子である。兵たちは、ヨナタンが出て行ったことを知らなかった。
14:4 ヨナタンがペリシテ人の先陣の側に越えて行こうとしていた山峡には、手前側にも、向こう側にも、切り立った岩があって、一方の側の名はボツェツ、もう一方の側の名はセンネといった。
14:5 一方の岩は北側、ミクマスの側にあり、もう一方の岩は南側、ゲバの側にそそり立っていた。
14:6 ヨナタンは道具持ちの若者に言った。「さあ、この無割礼の者どもの先陣のところへ渡って行こう。おそらく、【主】がわれわれに味方してくださるだろう。多くの人によっても、少しの人によっても、【主】がお救いになるのを妨げるものは何もない。」
14:7 道具持ちは言った。「何でも、お心のままになさってください。さあ、お進みください。私も一緒に参ります。お心のままに。」
14:8 ヨナタンは言った。「さあ、あの者どものところに渡って行って、われわれの姿を現すのだ。
14:9 もし彼らが『おれたちがおまえらのところに行くまで、じっとしていろ』と言ったら、その場に立ちとどまり、彼らのところに上って行かないでいよう。
14:10 しかし、もし彼らが『おれたちのところに上って来い』と言ったら、上って行こう。【主】が彼らを、われわれの手に渡されたのだから。これが、われわれへのしるしだ。」
14:11 二人はペリシテ人の先陣に身を現した。するとペリシテ人が言った。「おい、ヘブル人が、隠れていた穴から出て来るぞ。」
14:12 先陣の者たちは、ヨナタンと道具持ちに呼びかけて言った。「おれたちのところに上って来い。思い知らせてやる。」ヨナタンは道具持ちに言った。「私について上って来なさい。【主】がイスラエルの手に彼らを渡されたのだ。」
14:13 ヨナタンは手足を使ってよじ登り、道具持ちも後に続いた。ペリシテ人はヨナタンの前に倒れ、道具持ちがうしろで彼らを打ち殺した。
14:14 ヨナタンと道具持ちが最初に討ち取ったのは約二十人で、一ツェメドのおおよそ半分の広さの場所で行われた。
14:15 そして陣営にも野にも、すべての兵のうちに恐れが起こった。先陣の者、略奪隊さえ恐れおののいた。地は震え、非常な恐れとなった。
14:16 ベニヤミンのギブアでサウルのために見張りをしていた者たちが見ると、大軍は震えおののいて右往左往していた。
14:17 サウルは彼とともにいる兵に言った。「だれがわれわれのところから出て行ったかを、点呼して調べなさい。」彼らが点呼すると、ヨナタンと道具持ちがいなかった。
14:18 サウルはアヒヤに言った。「神の箱を持って来なさい。」神の箱は、そのころ、イスラエル人の間にあったからである。
14:19 サウルが祭司とまだ話している間に、ペリシテ人の陣営の騒動は、ますます大きくなっていった。サウルは祭司に「手を戻しなさい」と言った。
14:20 サウルと、彼とともにいた兵がみな集まって戦場に行くと、そこでは剣をもって同士討ちをしていて、非常に大きな混乱が起こっていた。
14:21 それまでペリシテ人について、彼らと一緒に陣営に上って来ていたヘブル人も転じて、サウルとヨナタンとともにいるイスラエル人の側につくようになった。
14:22 また、エフライムの山地に隠れていたすべてのイスラエル人も、ペリシテ人が逃げたと聞いて、戦いに加わってペリシテ人に追い迫った。
14:23 その日、【主】はイスラエルを救われた。そして、戦いはベテ・アベンに移った。
 2023年2月16日(木)リビングライフQT

昨日のテキストの状況で、イスラエルがいかに脆弱な防備と、軍(寄せ集め)であったかを知れば、イスラエルが置かれていた事態を、イスラエルがサウルの息子、ヨナタンが憂えたのも、理解できますね。
前の勝利は、神の御介入があったればこそだったのですが、彼らはどこか、習慣的神頼みで、安易に勝利に安住していたようです。(3節)
この様な、武具もままならない状態の烏合の衆のような、集団に危機感を感じたヨナタンは、神に信頼を置くことが如何に厳しくも、大いなる事であるかを、証しする事で、イスラエルを確実に奮起させられるかを、証ししようと立ち上がったのです。
厳重に布陣するペリシテの陣営に向けて、たった二人で、しかも闘う武将は、ヨナタン一人でもう一人は、複数の武器を備えての運搬人です。
ヨナタンの神への信仰のチャレンジです。
敵‼️ペリシテの挑発的誘いに対して、神の御意思を見ようと、チャレンジしたのです。
相手がどう出ようと、神が共に戦ってくださる‼️🎶と、只信じて向かったのです。
ある意味で玉砕的、敢行です。
私はヨナタンには、勝ち負けではなく、神が共に進んでくださる‼️
紅海を渡ったように、エリコの強大な城壁に立ち向かったヨシアの様に、勝ち負けではなく、神が共におられる🎵と言う信仰と、平静さの中で、前進するのです。“一人で😵”ですよ。
この勇気(勇気とは書きましたが、それは、明らかな信仰の宣言であり、証なのです。)
勝利など、どの様な説明をつけてもあり得ない、現実です。
ヨナタンは、イスラエルの民に・・・信仰の何たるかを・・・信仰はいのちと一体であることを、示す(教える)証しとしてあえて、行動したのです。
今朝、私はヨナタンの中に、本当の信仰のあり方を学ばせられました。命を懸けた、主なる神にいのちを委ねた、“信仰のあり方を‼️”学ばせられました。
《解説》
21節~ペリシテ人と一緒に陣営に上ってら来ていたヘブライ人も、転じて、サウルとヨナタンとともにいるイスラエル人の側につくようになった。
*ここで、ヘブル人とありますが《ヘブル人》とは、同じイスラエル人なのです。
只、《ヘブル人》と呼ぶのは、この言葉の意味は、《川向こうから来た人》と言う意味で、結局、彼らが歴史的に、このじだいより350年以上前に、ヨシュアに率いられて、カナン(パレスチナ)の地に突入して、カナン人(ペリシテを含も先住民)の中に住むようになったので、このように区別して呼ばれていた。
また、ヘブル人とイスラエル人と、区別して呼ばれた理由は、
彼らがペリシテや他のカナン人たちの中に混じって、生活していたからです。
主にイスラエルは、信仰的には、唯一神“ヤーウェ”を信仰しているので、カナン人とは生活圏を一緒にしなかったのですが、中には妥協的なイスラエルの民もいたのです。この人々を、ヘブル人と言い、この時は、ペリシテを恐れて、彼らの側にたち従軍していたと思われます。
しかし、形勢危うしと見て、乗り換えた・・・と言うわけです。
 第一サムエル13章13節~23節

13:13 サムエルはサウルに言った。「愚かなことをしたものだ。あなたは、あなたの神、【主】が命じた命令を守らなかった。【主】は今、イスラエルにあなたの王国を永遠に確立されたであろうに。
13:14 しかし、今や、あなたの王国は立たない。【主】はご自分の心にかなう人を求め、【主】はその人をご自分の民の君主に任命しておられる。【主】があなたに命じられたことを、あなたが守らなかったからだ。」
13:15 サムエルは立って、ギルガルからベニヤミンのギブアへ上って行った。サウルが彼とともにいた兵を数えると、おおよそ六百人であった。
13:16 サウルと、息子ヨナタン、および彼らとともにいた兵は、ベニヤミンのゲバにとどまっていた。一方、ペリシテ人はミクマスに陣を敷いていた。
13:17 ペリシテ人の陣営から、三つの組に分かれて略奪隊が出て来た。一つの組はオフラの道を進んでシュアルの地に向かい、
13:18 一つの組はベテ・ホロンの道を進み、一つの組は荒野の方、ツェボイムの谷を見下ろす国境の道を進んだ。
13:19 さて、イスラエルの地には、どこにも鍛冶屋を見つけることができなかった。ヘブル人が剣や槍を作るといけない、とペリシテ人が言っていたからであった。
13:20 イスラエルはみな、鋤や、鍬、斧、鎌を研ぐためにペリシテ人のところへ下って行っていた。
13:21 鎌や、鍬、三又の矛、斧、突き棒を直すのに、料金は一ピムであった。
13:22 戦いの日に、サウルやヨナタンと一緒にいた兵のうちだれの手にも、剣や槍はなかった。ただサウルと息子ヨナタンだけが持っていた。
13:23 ペリシテ人の先陣はミクマスの渡りに出た。
 2023年2月15日(水)リビングライフQT

『主が命じられた事を、守らなかった‼️』二度繰り返し今日のテキストの中に、書かれている。
私達の信仰生活において、なにが《可》で何が《不可》なのでしょう(何) 
道徳的(悪❓) 感情的(嫌悪❓) 道徳的(汚れ❓) 人格交流的(敵対❓) 対社会的(違反❓) 対法律的(違反❓)・・・確かにこれらは、悪と言われる様々な要素に満ちています。しかし、聖書で“悪い”即ち“悪”とされるのは、いま掲げたもろもろの事ではなく、唯一の悪を、聖書ではこれを《罪》と呼ぶのです。そしてこれは、一般的悪の累計なのではなく、唯一、神に敵対する、神の定め(掟)に対して、これを無視したり、違反したり、軽視したり・・・する行為を”罪“と呼ぶのです。即ちこれが罪なのです。
あれほど、謙虚で人望厚かったサウルがなぜ(何故)これこそ、信仰の世界の最も大切な問題点なのです。
私たち永遠の命に預かったものには、評価・評判・認知度の高さではなく、神に受け入れられるか❓が一番求められるのです。
神が受け入れて下さるのは、神に従うか否かなのです。弱くても、間違いだらけでも、汚れていても、乏しくても、主に問われません‼️只一つ求められるのは、従うか否かです‼️
神の栄光は、サウルから去りました。民も又サウルから去りました。この様な陰りが出てきた中で、再びペリシテ人がにじりより始めたのです。
何と、聖書の資料によれば、ペリシテ(先住民)と、イスラエルとの文化の格差は、何とも比較に成らない程の、差があったのですね。そうです❗イスラエルは400年エジプトで奴隷の民でしたけれど、モーセによる出エジプトから、約450年のこの時代まで、パレスティナの先住民と割拠しながらの歴史は、文化的には決して優位にはなかった。
イスラエルの戦いは、最終的にはペリシテとの戦いだったのです。
それだけに、神に従わずして勝利の道を勝ち取る事は不可能でした。
サウルにしても、ヤーウェの神に従わずには、勝てるはずもないことは、一番よく知っていたのです。
だから焦ったのです。
サムエルの遅く着いたのは、サウルへのチャレンジだったのです。最後まで神に従うか否か。
サウルの行動は様々考えると、気の毒な面もあるでしょう。しかし、神に生きる我らは、従う‼️があるだけですけど口実、弁明は人と神との関係を弁護するものではありません。
従い続ける道には、必ず恵みと祝福が伴います。
今や、イスラエルは、神により頼まずには、勝利を納めることはないでしょう。
主に期待します‼️
 主を心から愛し、従う事で、神による強さに触れましょう‼️🎶
 第一サムエル13章1節~12節

13:1 サウルは、ある年齢で王となり、二年間だけイスラエルを治めた。
13:2 サウルは、自分のためにイスラエルから三千人を選んだ。二千人はサウルとともにミクマスとベテルの山地にいて、千人はヨナタンとともにベニヤミンのギブアにいた。残りの兵は、それぞれ自分の天幕に帰した。
13:3 ヨナタンは、ゲバにいたペリシテ人の守備隊長を打ち殺した。サウルのほうは国中に角笛を吹き鳴らした。ペリシテ人たちは、だれかが「ヘブル人に思い知らせてやろう」と言うのを聞いた。
13:4 全イスラエルは、「サウルがペリシテ人の守備隊長を打ち殺し、しかも、イスラエルがペリシテ人の恨みを買った」ということを聞いた。兵はギルガルでサウルのもとに呼び集められた。
13:5 ペリシテ人はイスラエル人と戦うために集まった。戦車三万、騎兵六千、それに海辺の砂のように数多くの兵たちであった。彼らは上って来て、ベテ・アベンの東、ミクマスに陣を敷いた。
13:6 イスラエルの人々は、自分たちが危険なのを見てとった。兵たちがひどく追いつめられていたからである。兵たちは洞穴や、奥まったところ、岩間、地下室、水溜めの中に隠れた。
13:7 あるヘブル人たちはヨルダン川を渡って、ガドの地、すなわちギルアデに行った。しかしサウルはなおギルガルにとどまり、兵たちはみな震えながら彼に従っていた。
13:8 サウルは、サムエルがいることになっている例祭まで、七日間待ったが、サムエルはギルガルに来なかった。それで、兵たちはサウルから離れて散って行こうとした。
13:9 サウルは、「全焼のささげ物と交わりのいけにえを私のところに持って来なさい」と言った。そして全焼のささげ物を献げた。
13:10 彼が全焼のささげ物を献げ終えたとき、なんと、サムエルが来た。サウルは迎えに出て、彼にあいさつした。
13:11 サムエルは言った。「あなたは、何ということをしたのか。」サウルは答えた。「兵たちが私から離れて散って行こうとしていて、また、ペリシテ人がミクマスに集まっていたのに、あなたが毎年の例祭に来ていないのを見たからです。
13:12 今、ペリシテ人がギルガルにいる私に向かって下って来ようとしているのに、まだ私は【主】に嘆願していないと考え、あえて、全焼のささげ物を献げたのです。」
 2023年2月14日(火曜)リビングライフQT

1節のコメントは、何だか意味深長な気配がしますね😱
サウルは、二年イスラエルを治めた。なんと短命な治世でしょう。
今朝のテキストは、このような書き出しによって、主なる神に従う‼️と言うことの意味を、強く、私たち読み手に、刻印する目的があるのです。
今日のテキストは、今日である程度の物語の完結性を持ってはいません。明日のテキストへの橋渡しなのです。
サウルは、いくつかの勝利の戦いの経験を積んできました。その上、国民の信頼も厚く築かれていました。
一方、ペリシテは、先の敗戦の恨みを晴らさんと、虎視眈々と時を狙っていたのです。
民は恐れを感じ、漠然とした不安が、民全体に拡がる中、ただ一縷の望み、希望・・・即ち、神の人サムエルが来て、戦勝の祈りをしてくれさえしたら・・と考えたのです。
しかし、サムエルは約束の時間には現れなかった。
一触即発のペリシテとの対峙の中で、サウルはサムエルを待てなかった。
神の人しかやってはいけない、神への執りなしの祈りの儀式を、事もあろうに、戦いで血を流した王の手によって、執行したのです。
これは、浄めの問題も大きかったのですが、神に直接ニジリ寄る、傲慢が、神の怒りを招くことになるのです。
祈りは、願いは・・・罪人が直接神に迫る形で、なされてはならないのです。
そこに、選ばれた神の人、サムエル又は後の祭司が、中保者となって、代わりに祈り願いを届けるのです。

現在の私たちが自由に、神に祈ることができるのは、神の御子イエス・キリスト様が、十字架の上に血を流して、私たちの罪の購いを成し遂げて下さったから・・・中保者イエス・キリスト様を通して、祈り・願いが、神に届けられるのです。

サウルの行為は、人間社会の通念による行為で、それを正当化したのですが、神の前に出る罪人は、王であっても、許されるものではないのです💢。
サウルはつい先頃までは、謙虚で控えめで、好感の持てる人物でした。
しかし、人の評価は、神ノ前で通用するものではないのです。
人が、神の前に受け入れられるのは、献金・善行・評判・自己犠牲・正しさ・etc.ではないのです。
ただ唯一は、イエス・キリスト様の、十字架の贖罪を受け入れ、その信仰の中から、主なる神を求め祈るのです‼️
サウルの罪は
*傲慢の罪でした。サムエルのとりなしを待たずに、罪人の汚れのまま神に近付いた事
*神の時を待てずに、踏み出した事・・なのですけど・・・・
祈りは儀式ではなく、手続きでもなく、神の前に自らを新たにすること。神の手に握られて用いられ器となるための、整えられるためなのです。
イスラエルが必要とした祈りは、戦勝祈願ではなく、神と一つになるための、大切で唯一の、道だったのです。
私たち祈り時、主の十字架を仰ぐことなしに、いきなりお願いばかりするものではないのです。
サウルの過ちを繰り返してはなりません。
主の購いの十字架と一体となるところから、祈りが神へと昇るのです‼️
 第一サムエル12章16節~25節

12:16 今、しっかり立って、【主】があなたがたの目の前で行われる、この大きなみわざを見なさい。
12:17 今は小麦の刈り入れ時ではないか。【主】が雷と雨を下されるようにと、私は主を呼び求める。あなたがたは王を求めることで、【主】の目の前に犯した悪が大きかったことを認めて、心に留めなさい。」
12:18 そしてサムエルは【主】を呼び求めた。すると、【主】はその日、雷と雨を下された。民はみな、【主】とサムエルを非常に恐れた。
12:19 民はみなサムエルに言った。「私たちが死なないように、しもべどものために、あなたの神、【主】に祈ってください。私たちは、王を求めることによって、私たちのあらゆる罪の上に悪を加えてしまったからです。」
12:20 サムエルは民に言った。「恐れてはならない。あなたがたは、このすべての悪を行った。しかし【主】に従う道から外れず、心を尽くして【主】に仕えなさい。
12:21 役にも立たず、救い出すこともできない、空しいものを追う道へ外れてはならない。それらは、空しいものだ。
12:22 【主】は、ご自分の大いなる御名のために、ご自分の民を捨て去りはしない。【主】は、あなたがたをご自分の民とすることを良しとされたからだ。
12:23 私もまた、あなたがたのために祈るのをやめ、【主】の前に罪ある者となることなど、とてもできない。私はあなたがたに、良い正しい道を教えよう。
12:24 ただ【主】を恐れ、心を尽くして、誠実に主に仕えなさい。主がどれほど大いなることをあなたがたになさったかを、よく見なさい。
12:25 あなたがたが悪を重ねるなら、あなたがたも、あなたがたの王も滅ぼし尽くされる。」
 2023年2月13日(月)リビングライフQT

イスラエルの民は、サウルが王とされるまでは、モーセを始め、ヨシュア以降、近隣の民からの略奪や戦いのある度に、次々と特別な指導者が出て、守られとき他のですが、その指導者の最後の選ばれた人が、軍を率いる者ではなく、サムエルと言う霊的指導者を、神は起こされたのです。
そして、今、諸国の民と同じ、《王》が選ばれたのです。
民は今、《王》を神に要求した動機が、神への絶対の信頼が薄くなり、神への信頼と信仰とが、失われていたことが分かり、19節に、悔い改めの告白が語られたのです。
この悔い改めに対して、主なる神は❗サムエルを通して 20節の言葉が語られたのです。
なんと慰めに満ちたお言葉でしょう。
*22節~赦しと愛と新しい出発への、サムエルのお言葉ですね。
*・・・祈るのをやめ、主の前に罪ある者となることなど、とてもできない。・・・
この御言葉は、昔(神学校時代)からしばしば思い出しては、自らを戒めて来た聖句です。
今朝は、
20節・22節・23節・24節・・・が、魂に染み渡りました。
今日の一日に祝福を祈りつつ🎵
 第一サムエル12章1節~15節

12:1 サムエルは全イスラエルに言った。「見よ、あなたがたが私に言ったことを、私はことごとく聞き入れ、あなたがたの上に王を立てた。
12:2 今、見なさい。王はあなたがたの先に立って歩んでいる。私は年をとり、髪も白くなった。そして、私の息子たちは、あなたがたとともにいる。私は若いときから今日まで、あなたがたの先に立って歩んできた。
12:3 さあ今、【主】と主に油注がれた者の前で、私を訴えなさい。私はだれかの牛を取っただろうか。だれかのろばを取っただろうか。だれかを虐げ、だれかを打ちたたいただろうか。だれかの手から賄賂を受け取って自分の目をくらましただろうか。もしそうなら、あなたがたにお返しする。」
12:4 彼らは言った。「あなたは私たちを虐げたことも、踏みにじったことも、人の手から何かを取ったこともありません。」
12:5 サムエルは彼らに言った。「あなたがたが私の手に何も見出さなかったことについては、今日、あなたがたの間で【主】が証人であり、主に油注がれた者が証人である。」そこで、ある人が「証人は」と言うと、
12:6 サムエルは「【主】である。モーセとアロンを立てて、あなたがたの先祖をエジプトの地から上らせた方である」と民に告げた。
12:7 「さあ、立ちなさい。私は、【主】があなたがたと、あなたがたの先祖に行われたすべての正義のみわざを、【主】の前であなたがたに説き明かそう。
12:8 ヤコブがエジプトに行ったとき、あなたがたの先祖は【主】に叫んだ。【主】はモーセとアロンを遣わし、彼らはあなたがたの先祖をエジプトから導き出し、この場所に住まわせた。
12:9 しかし、先祖たちは自分たちの神、【主】を忘れたので、主は彼らをハツォルの軍の長シセラの手、ペリシテ人の手、モアブの王の手に売り渡された。それで先祖たちは彼らと戦うことになったのだ。
12:10 先祖たちは【主】に叫んで、『私たちは【主】を捨て、バアルやアシュタロテの神々に仕えて罪を犯しました。今、私たちがあなたに仕えるため、敵の手から救い出してください』と言った。
12:11 すると【主】は、エルバアルとバラクとエフタとサムエルを遣わし、あなたがたを周囲の敵の手から救い出してくださった。それで、あなたがたは安らかに住んだのだ。
12:12 しかし、アンモン人の王ナハシュがあなたがたに向かって来るのを見たとき、あなたがたの神、【主】があなたがたの王であるのに、『いや、王が私たちを治めるのだ』と私に言った。
12:13 今、見なさい。あなたがたが求め、選んだ王だ。見なさい。【主】はあなたがたの上に王を置かれた。
12:14 もし、あなたがたが【主】を恐れ、主に仕え、主の御声に聞き従い、【主】の命令に逆らわず、また、あなたがたも、あなたがたを治める王も、自分たちの神、【主】の後に従うなら、それでよい。
12:15 しかし、もし、あなたがたが【主】の御声に聞き従わず、【主】の命令に逆らうなら、【主】の手が、あなたがたとあなたがたの先祖の上に下る。
 2023年2月12日(日)リビングライフQT

イスラエルは、アンモン人との戦いで、劇的な勝利をおさめた後、改めてサウロを王として受け入れ、新しい歴史が始まろうとしています。この節目に、サムエルは民に、イスラエルのエジプト移住から始め、出エジプト→荒野での戦いや、民の背きや反抗、又その中から偶像を捨てて、神に立ち返った歴史を、語って聞かせた。
こうした追憶により、
今王として立てられた者(サウル)も、神の御思いで立てられた事を、改めて指し示したのです。
歴史は神の手になる‼️
これからも積み上げられる時も、神の手になる‼️
サムエルは、この歴史の転換点で、イスラエルの歴史と、その区切りに立たせられた自らの神の前での正しさを、証しながら、厳しい宣言をするのです。
審判・裁きを語る時、
神の徹底的正しさを、指し示したのです。
これからの歴史の紡がれる日々も、この正しさによる審判が、歴史の支配者として立ち続ける・・・と、宣言しているのです。
今、私達の王は、イエス・キリスト様です。このお方を王として、魂の奥底まで支配していただき、勝利の道(信仰の歴史)を、立て挙げたいですね‼️🎶
 第一サムエル11章1節~15節

11:1 さて、アンモン人ナハシュが上って来て、ヤベシュ・ギルアデに対して陣を敷いた。ヤベシュの人々はみな、ナハシュに言った。「私たちと契約を結んでください。そうすれば、あなたに仕えます。」
11:2 アンモン人ナハシュは彼らに言った。「次の条件でおまえたちと契約を結ぼう。おまえたち皆の者の右の目をえぐり取ることだ。それをもってイスラエル全体に恥辱を負わせよう。」
11:3 ヤベシュの長老たちは彼に言った。「イスラエルの国中に使者を遣わすため、七日の猶予を与えてください。もし、私たちを救う者がいなければ、あなたのところに出て行きます。」
11:4 使者たちはサウルのギブアに来て、これらのことばを民の耳に語った。民はみな、声をあげて泣いた。
11:5 ちょうどそのとき、サウルが牛を追って畑から帰って来た。サウルは言った。「民が泣いているが、いったい何が起こったのか。」彼らは、ヤベシュの人々のことばを彼に告げた。
11:6 サウルがこれらのことばを聞いたとき、神の霊がサウルの上に激しく下った。彼の怒りは激しく燃え上がった。
11:7 彼は一くびきの牛を取り、それを切り分け、使者に託してイスラエルの国中に送り、「サウルとサムエルに従って出て来ない者の牛は、このようにされる」と言った。【主】の恐れが民に下って、彼らは一斉に出て来た。
11:8 サウルはベゼクで彼らを数えた。すると、イスラエルの人々は三十万人、ユダの人々は三万人であった。
11:9 彼らは、やって来た使者たちに言った。「ヤベシュ・ギルアデの人にこう言いなさい。明日、日が高くなるころ、あなたがたに救いがある。」使者たちは帰って行って、ヤベシュの人々に告げたので、彼らは喜んだ。
11:10 ヤベシュの人々は言った。「私たちは、明日、あなたがたのところに出て行きます。あなたがたの良いと思うように私たちにしてください。」
11:11 翌日、サウルは兵を三組に分け、夜明けの見張りの時に陣営に突入し、昼までアンモン人を討った。生き残った者は散り散りになり、二人の者がともにいることはなかった。
11:12 民はサムエルに言った。「『サウルがわれわれを治めるのか』と言ったのはだれでしたか。その者たちを引き渡してください。彼らを殺します。」
11:13 サウルは言った。「今日はだれも殺されてはならない。今日、【主】がイスラエルにおいて勝利をもたらしてくださったのだから。」
11:14 サムエルは民に言った。「さあ、われわれはギルガルに行って、そこで王政を樹立しよう。」
11:15 民はみなギルガルに行き、ギルガルで、【主】の前にサウルを王とした。彼らはそこで、【主】の前に交わりのいけにえを献げた。サウルとイスラエルのすべての者は、そこで大いに喜んだ。
 2023年2月11日(土曜)リビングライフQT

主なる神が、イスラエルを省みられる時の、回りの状況が克明に記されていますね。
まるで小説のクライマックスのように。
先ず、事はイスラエルを潰そうとする敵が、興ったのです。
*アンモンは、サウルのいるキブアから北東にヨルダン川を隔てた50kmも離れた地域を支配する、イスラエルには遠縁(イシュマエルの子孫)の部族で、屡々イスラエルの存在を妨害してくる民です。その民が今、さらに北に50kmも離れた、遥か遠く、イスラエルの防備の手薄なマナセ族の中心地”ヤベシュギルアデ“に、挑戦してきたのです。
この地は、ギブアから直線距離でも120kmも離れており、途中ユダの荒野・険しい山岳地帯:また、ヨルダン川を越えねばならない離れた地域です。
ここを押さえられると、ヨルダン川東域は、アンモンに堕ちるのです。
ところが主なる神は❗今や、神の前に一体となったサウルに、御霊の注ぎを与えて、激しい怒り💢がサウルに湧き出した。
これは、神の憤り(神ご自身の民が翻弄される事への)が、そのままサウルを動かしたのです。正に、神が立てられた王に相応しい、神の手となったのです‼️
サウルの信仰に立った檄(決起を促す呼び掛け)は、全イスラエルを呼び覚まし、30万の民が立ち上がって、アンモンを撃破しました。ハレルヤ‼️
今やイスラエルは王が主なる神と一体となることで、国が1つとなる統一国家となるのです。(14・15節)
ところが、12ー13節に、以前サウルが王となる事を喜ばなかった者達がいたのを、“一致を乱すもの”として、排除しようと言う声が挙がった時(12節)の、サウルの対応が、これ又平和の王として、民の一致を大切にする、王に相応しい態度(13節)に、感動しますね🎵(*^。^*)
一人の人としての大切な心得でもありますね。“赦す‼️”
これは主の僕(クリスチャン)としての大切な姿です‼️🎶
 第一サムエル10章17節~27節

10:17 サムエルはミツパで、民を【主】のもとに呼び集め、
10:18 イスラエル人に言った。「イスラエルの神、【主】はこう言われる。『イスラエルをエジプトから連れ上り、あなたがたを、エジプトの手と、あなたがたを圧迫していたすべての王国の手から救い出したのは、このわたしだ。』
10:19 しかし、あなたがたは今日、すべてのわざわいと苦しみからあなたがたを救ってくださる、あなたがたの神を退けて、『いや、私たちの上に王を立ててください』と言った。今、部族ごと、分団ごとに、【主】の前に出なさい。」
10:20 サムエルは、イスラエルの全部族を近づかせた。すると、ベニヤミンの部族がくじで取り分けられた。
10:21 そして、ベニヤミンの部族を、その氏族ごとに近づかせた。すると、マテリの氏族がくじで取り分けられた。そして、キシュの息子サウルがくじで取り分けられた。人々はサウルを捜したが、見つからなかった。
10:22 人々はさらに、【主】に「あの人はもう、ここに来ているのですか」と尋ねた。【主】は「見よ、彼は荷物の間に隠れている」と言われた。
10:23 彼らは走って行って、そこから彼を連れて来た。サウルが民の中に立つと、民のだれよりも、肩から上だけ高かった。
10:24 サムエルは民全体に言った。「【主】がお選びになったこの人を見なさい。民全体のうちに、彼のような者はいない。」民はみな、大声で叫んで、「王様万歳」と言った。
10:25 サムエルは民に王権の定めについて語り、それを文書に記して【主】の前に納めた。それから、サムエルは民をみな、それぞれ自分の家へ帰した。
10:26 サウルもギブアの自分の家へ帰って行った。神に心を動かされた勇者たちは、彼について行った。
10:27 しかし、よこしまな者たちは、「こいつがどうしてわれわれを救えるのか」と言って軽蔑し、彼に贈り物を持って来なかった。しかし彼は黙っていた。
  2023年2月10日(金曜)リビングライフQT

サウルの人柄・・・
*自らヘリ降っていた。諸部族の中で、最も小さな部族で、その中でも、数にも入れない程の末端の家族だと・・
*サムエルの示した、様々な予見とそれに関わる指示に、忠実にしたがった。
*王としての備えの油注ぎを受けた後も、サムエル(神の預言者)の道を歩んだ。
*激しい霊の注ぎを受けた時、彼は神の霊に満たされるがままに、預言者の一団と共に預言をした。
*此ほどの、顕著な徴に包まれた時を経ながら、王の撰びの席には、謙虚に身を隠した。(これは今日のテキストにある)
リビングライフ誌の、75ページの、下の《黙想》部分に記されている、サウルが、反対者の呟きに対して、黙して対応しなかったことを、消極的間違いだ❗と、記してありますが、そのような見方もできるでしょう。
でも、私はこれこそ、サウルの謙虚さだと思ったのです。サムエルや民の多くが彼の王として選ばれた後なのです。
彼は争わず、権威を振り回さず、黙して、神の次なる導きを待ったのではないでしょうか‼️
サウルの心は、神の更なる導きに、心を注いでいたのだと、考える方が自然でしょう‼️🎶
改めてサウロの神の前に歩み始めた、砕かれた新鮮な姿に、感動し、私自ら初心に返る思いを新たにしました‼️🎶アーメン❗
 第一サムエル10章1節~16節

10:1 サムエルは油の壺を取ってサウルの頭に注ぎ、彼に口づけして言った。「【主】が、ご自分のゆずりの地と民を治める君主とするため、あなたに油を注がれたのではありませんか。
10:2 今日、私のもとを離れて行くとき、ベニヤミンの領内のツェルツァフにあるラケルの墓のそばで、二人の人に会うでしょう。彼らはあなたに、『捜し歩いておられた雌ろばは見つかりました。あなたの父上は、雌ろばのことはどうでもよくなり、息子のためにどうしたらよいのだろうと言って、あなたがたのことを心配しておられます』と言うでしょう。
10:3 そこからなお進んで、タボルの樫の木のところまで行くと、そこで、神のもとに行こうとベテルに上って行く三人の人に会います。一人は子やぎを三匹持ち、一人は円形パンを三つ持ち、一人はぶどう酒の皮袋を一つ持っています。
10:4 彼らはあなたにあいさつをして、あなたにパンを二つくれます。彼らの手から受け取りなさい。
10:5 それから、ペリシテ人の守備隊がいるギブア・エロヒムに着きます。その町に入るとき、琴、タンバリン、笛、竪琴を鳴らす者を先頭に、預言をしながら高き所から下って来る預言者の一団に出会います。
10:6 【主】の霊があなたの上に激しく下り、あなたも彼らと一緒に預言して、新しい人に変えられます。
10:7 これらのしるしがあなたに起こったら、自分の力でできることをしなさい。神があなたとともにおられるのですから。
10:8 私より先にギルガルに下って行きなさい。私も全焼のささげ物と交わりのいけにえを献げるために、あなたのところへ下って行きます。私があなたのところに着くまで、そこで七日間待たなければなりません。それからあなたがなすべきことを教えます。」
10:9 サウルがサムエルから去って行こうと背を向けたとき、神はサウルに新しい心を与えられた。これらすべてのしるしは、その日のうちに起こった。
10:10 彼らがそこからギブアに行くと、見よ、預言者の一団が彼の方にやって来た。すると、神の霊が彼の上に激しく下り、彼も彼らの間で預言した。
10:11 以前からサウルを知っている人たちはみな、彼が預言者たちと一緒に預言しているのを見た。民は互いに言った。「キシュの息子は、いったいどうしたことか。サウルも預言者の一人なのか。」
10:12 そこにいた一人も、これに応じて、「彼らの父はだれだろう」と言った。こういうわけで、「サウルも預言者の一人なのか」ということが、語りぐさになった。
10:13 サウルは預言を終えて、高き所に帰って来た。
10:14 サウルのおじは、彼とそのしもべに言った。「どこに行っていたのか。」サウルは言った。「雌ろばを捜しにです。どこにもいないと分かったので、サムエルのところに行って来ました。」
10:15 サウルのおじは言った。「サムエルはあなたがたに何と言ったか、私に話してくれ。」
10:16 サウルはおじに言った。「雌ろばは見つかっていると、はっきり私たちに知らせてくれました。」しかし、サムエルが語った王位のことについては、おじに話さなかった。
 2023年2月9日(木曜)リビングライフQT

マァ、何と込み入った、サムエルの指示でしょう。
ベニアミンの地(所領)は、12氏族の中で最も小さな所領です。この中にも、未だペリシテの駐屯地があり、緊張感のある地域でした。そのような地域で預言者の集団に出会うこと、サウル自身が予言をすること・・・等の予見が語られたのです。
私なら一つ一つメモしなければとても覚えられないような、目まぐるしく事態が展開する。
サムエルのしるしは次々現実となりました。
ということは、サウルがサムエルの示されたことを忠実に辿った事なのです。
何故、この様な謎めいた事を、サムエルは語ったのでしょう。
それは、名もない時代のサウルを神が選ばれるのに、大切なことは、サウルの実力や、知恵や、力量を必要としての、選びではなく、神の手となり足となるための、起用なので、神に従順が求められる・・・と言うことなのです。
神への奉仕は、《従順》だけです‼️ 主なる神は、私達の何かを求めておられません。ただ従うことが求められるのです。
この時サウルは、このテストに合格したのです。
この時のサウルは、ただただ、16節にもあるように、預言者サムエルの示されたことを、しっかりと踏襲したのです。何と、典型的従順な僕だったのです。
神がイスラエルの王として求められたのは、この従順さだったのです。
こうして書きながら私は今日まで、どうだっただろうか・・⁉️と、振り返ると、心が寒くなる思いがします。
自分で何かしてきたような錯覚に陥ってはいないか?
新たに、これからに向かって、最後の使命の働きを、主の導きのままに、更に初心に帰って、走り尽くしたい・・と、献身の思いを新たにします‼️
  第一サムエル9章15節~27節

9:15 【主】は、サウルが来る前の日に、サムエルの耳を開いて告げておられた。
9:16 「明日の今ごろ、わたしはある人をベニヤミンの地からあなたのところに遣わす。あなたはその人に油を注ぎ、わたしの民イスラエルの君主とせよ。彼はわたしの民をペリシテ人の手から救う。民の叫びがわたしに届き、わたしが自分の民に目を留めたからだ。」
9:17 サムエルがサウルを見るやいなや、【主】は彼に告げられた。「さあ、わたしがあなたに話した者だ。この者がわたしの民を支配するのだ。」
9:18 サウルは、門の中でサムエルに近づいて、言った。「予見者の家はどこですか。教えてください。」
9:19 サムエルはサウルに答えた。「私が予見者です。私より先に高き所に上りなさい。今日、あなたがたは私と一緒に食事をするのです。明日の朝、私があなたを送ります。あなたの心にあるすべてのことについて、話しましょう。
9:20 三日前にいなくなったあなたの雌ろばについては、もう気にかけないようにしてください。見つかっていますから。全イスラエルの思いは、だれに向けられているのでしょう。あなたと、あなたの父の全家にではありませんか。」
9:21 サウルは答えて言った。「私はベニヤミン人で、イスラエルの最も小さい部族の出ではありませんか。私の家族は、ベニヤミンの部族のどの家族よりも、取るに足りないものではありませんか。どうしてこのようなことを私に言われるのですか。」
9:22 サムエルはサウルとそのしもべを広間に連れて来て、三十人ほどの招かれた人たちの上座に着かせた。
9:23 サムエルは料理人に、「取っておくようにと渡しておいた、ごちそうを出しなさい」と言った。
9:24 料理人は、もも肉とその上にある部分を取り出し、サウルの前に置いた。サムエルは言った。「これはあなたのために取っておいたものです。あなたの前に置いて、食べてください。その肉は、私が民を招いたと言って、この定められた時のため、あなたのために取り分けておいたものですから。」その日、サウルはサムエルと一緒に食事をした。
9:25 彼らは高き所から町に下って来た。それからサムエルはサウルと屋上で話をした。
9:26 彼らは朝早く起きた。夜が明けかかると、サムエルは、屋上にいるサウルに叫んだ。「起きてください。あなたを送りましょう。」サウルは起きて、サムエルと二人で外に出た。
9:27 二人が町外れへと下っていたとき、サムエルがサウルに「しもべに、私たちより先に行くように言ってください」と言ったので、しもべは先に行った。「あなたは、ここにしばらくとどまってください。神のことばをお聞かせしますから。」
 2023年2月8日(水)リビングライフQT

主はあらかじめ、サムエルに事の次第を全て話し、指示をされました。これこそ《予見者後の預言者》でした。即ち、予め神からお言葉をいただき、そのお言葉に従って事を進める‼️
こうしてサムエルは、神の導きのままに、若者サウルへと、近づき
“王”となる事までは伝えなかったのですが、“選ばれた者”として語り掛けたのです。
サウルは、自らをヘリ降って、サムエルに従うのです‼️
神が選ばれようとしたのは、知名度の高い部族、カナン(今のパレスティナ)征服で名を馳せた部族や人物、ではなかったのです。
サムエルは、次々とサウルに指示を出しています。サウルも、目的の導きでないことを知りながら、サムエルの言葉にしたがって、行動してます。
即ち、サウルは非常に従順な若者だったのです。
神が名指しで、引き出したサウルは、サムエルの言葉(神の指示)に、もくもくと従順でした。
選ばれたたものに(まだサウルはなにも知らず、選ばれたこともない知る由もなかった)相応しく、従順でした‼️
私達は❗主に選ばれた時の、感動と従順とを、しっかり持っていますか⁉️
  第一サムエル9章1節~14節

9:1 ベニヤミン人で、その名をキシュという人がいた。キシュはアビエルの子で、アビエルはツェロルの子、ツェロルはベコラテの子、ベコラテはベニヤミン人アフィアハの子であった。彼は有力者であった。
9:2 キシュには一人の息子がいて、その名をサウルといった。彼は美しい若者で、イスラエル人の中で彼より美しい者はいなかった。彼は民のだれよりも、肩から上だけ高かった。
9:3 あるとき、サウルの父キシュの雌ろば数頭がいなくなったので、キシュは息子サウルに言った。「しもべを一人連れて、雌ろばを捜しに行ってくれ。」
9:4 サウルはエフライムの山地を巡り、シャリシャの地を巡り歩いたが、それらは見つからなかった。さらに、シャアリムの地を巡り歩いたが、いなかった。ベニヤミン人の地を巡り歩いても、見つからなかった。
9:5 二人がツフの地にやって来たとき、サウルは一緒にいたしもべに言った。「さあ、もう帰ろう。父が雌ろばのことはさておき、私たちのほうを心配し始めるといけないから。」
9:6 すると、しもべは言った。「ご覧ください。この町には神の人がいます。この人は敬われている人です。この人の言うことはみな、必ず実現します。今そこへ参りましょう。私たちが行く道を教えてくれるかもしれません。」
9:7 サウルはしもべに言った。「もし行くとすると、その人に何を持って行こうか。私たちの袋には、パンもなくなったし、神の人に持って行く贈り物もない。何かあるか。」
9:8 しもべは再びサウルに答えた。「ご覧ください。私の手に四分の一シェケルの銀があります。これを神の人に差し上げたら、私たちの行く道を教えてくださるでしょう。」
9:9 昔イスラエルでは、神のみこころを求めに行く人は「さあ、予見者のところへ行こう」とよく言っていた。今の預言者は、昔は予見者と呼ばれていたからである。
9:10 サウルはしもべに言った。「それはよい。さあ、行こう。」こうして、彼らは神の人のいる町へ行った。
9:11 彼らがその町への坂道を上って行くと、水を汲みに出て来た娘たちに出会った。彼らは「予見者はここにおられますか」と尋ねた。
9:12 すると娘たちは答えて言った。「はい。この先におられます。さあ、急いでください。今日、町に来られました。今日、高き所で民のためにいけにえをお献げになりますから。
9:13 町に入ると、あの方が見つかるでしょう。あの方が食事のために高き所に上られる前に。民は、あの方が来られるまで食事をしません。あの方がいけにえを祝福して、その後で、招かれた者たちが食事をすることになっているからです。今、上って行ってください。あの方は、すぐに見つかるでしょう。」
9:14 彼らが町へ上って行き、町に入りかかったとき、ちょうどサムエルが、高き所に上ろうとして彼らの方に向かって出て来た。
 2023年2月7日(火曜)リビングライフQT

イスラエルの歴史が、一小民族から、古代世界の諸王国の一員として、世界に神の御名を証しする、存在となる神の民となる道が、整えられる、歴史の発端となる物語の始まりです。
民が神の導きよりも、近隣の民の君主をたてた姿に憧れ、主なるかみにではなく、人の力と組織を求めたこから、神のご計画より、民(人)の思いへと、歴史が舵を切り始めたのです。
主なる神の主権を、人の思いが、先を行く時代へと、向かったのです。
その様な事態に進んでいることを知らない民にたいして、神のご計画は、綿密な導きを持って、様々な事態の展開をご計画になられるのです。
主なる神は、ベニヤミンの部族の一人の青年を、サムエルの元に導かれました。《神の導き》と言う底流がなければ、何処までも、偶然の出会い(導き)と言えましょう。
それが、サムエルとサウルの出会いなのです。
サムエルの巡回指導と、サウルのロバ探しとが、一点に繋がるのです。
この出会いが、後のイスラエル王国の出発点となると、誰が想像したでしょう。
無限大に近く、可能性のない二人(サムエルとサウロ)の出逢いは、神の永遠のご計画のなかに秘められていたのです。
さて、ここで私達は、今の私のあなたの、これからの歴史(人生)に対して、主なる神がどの様なご計画を持っていらっしゃるか、ご存知ですか⁉️
いや、あなたの限られた人生だけではないのです。あなたの周り、家族、子孫に対して、歴史的計画を持っておられます。
又、今の永遠の命(福音)を得ている、今に至るまでの歴史のなかで、誰かが、主なる神に導かれて、一歩踏み出したことが、今の繋がりとなっているのです。
今朝、あなたの魂を新たに、主なる神の主権に心開き、生涯このお方(御子イエス・キリスト)の主権に、魂を委ね、その導きに従って歩む思いを、新たにしましょう。
あなたの系図がキリストの永遠の系図に、組み込まれます。
  ハレルヤ🎵‼️
  第一サムエル8章10節~22節

8:10 サムエルは、自分に王を求めるこの民に対して、【主】のすべてのことばを話した。
8:11 彼は言った。「あなたがたを治める王の権利はこうだ。あなたがたの息子たちを取り、戦車や軍馬に乗せ、自分の戦車の前を走らせる。
8:12 また、自分のために千人隊の長や五十人隊の長として任命し、自分の耕地を耕させ、自分の刈り入れに従事させ、武具や戦車の部品を作らせる。
8:13 また、あなたがたの娘たちを取り、香料を作る者や料理する者やパンを焼く者とする。
8:14 あなたがたの畑やぶどう畑や良いオリーブ畑を没収し、自分の家来たちに与える。
8:15 あなたがたの穀物とぶどう畑の十分の一を取り、廷臣や家来たちに与える。
8:16 あなたがたの奴隷や女奴隷、それにあなたがたの子牛やろばの最も良いものを取り、自分の仕事をさせる。
8:17 あなたがたの羊の群れの十分の一を取り、あなたがた自身は王の奴隷となる。
8:18 その日、あなたがたが自分たちのために選んだ王のゆえに泣き叫んでも、その日、【主】はあなたがたに答えはしない。」
8:19 しかし民は拒んで、サムエルの言うことを聞こうとしなかった。そして言った。「いや。どうしても、私たちの上には王が必要です。
8:20 そうすれば私たちもまた、ほかのすべての国民のようになり、王が私たちをさばき、私たちの先に立って出陣し、私たちの戦いを戦ってくれるでしょう。」
8:21 サムエルは、民のすべてのことばを聞いて、それを【主】の耳に入れた。
8:22 【主】はサムエルに言われた。「彼らの言うことを聞き、彼らのために王を立てよ。」それで、サムエルはイスラエルの人々に「それぞれ自分の町に帰りなさい」と言った。
 2023年2月6日(月)リビングライフQT

イスラエルを取り巻く諸民族の王とは、現代のイギリス・デンマーク・オーストリア・・・と言った、近代国家の王ではなく、古代の民族の族長的な、専制君主なのです。庶民は、一人の王家の、奴隷であり、民(国民)は、王に従属する、奴隷であり、部族から逃げ出すことすらできない、完全な虜でした。
何故イスラエルは、此のような体制に向かったとしても、何故(はてな)
それらが分かっていながら、彼らは王を求めたのでしょう。
この要求には、目に見えないサタンの陰謀があったのです。
サタンは、王が統治する民には、一糸乱れない、力強さと、輝きと、美しさを見せたのです。
私達が今日、中国・ロシア・北朝鮮等々、専制君主国家のなかに見るあのマスゲームのような美しさ、統率美・一糸乱れない、訓練、
統一の、優美さを見た様にです。しかし、彼らの日常は、略奪を日常とする、戦乱に明け暮れていたのです。
彼らは、神に教えられ、導かれ、神の御心のままに歩む人生は、退屈で生産的ではなかったのです。略奪や征服は、富を増やす手段だけだったのです。しかし、輝かしい実力の王をいただく民は、その臣民であることを、誇りに思い、生き甲斐とさえ考えたのです。
そんな民を見てきたイスラエルの民は、朝に晩に主を礼拝し、従う日々は、奴隷のような感じを味わっていたのです。
彼らは、祭司の儀式は退屈で、見に見えない神の前にひざまづいて礼拝するのは、退屈で何の実りにもならない、退屈な信仰習慣としてしか写らなかったのです。
そしてイスラエルの民は、遂に、神は不要なものだ・・‼️と、卑下し結果時に《サタン》の道こそ、繁栄の原点だと信じる様に、なってきていました。
主なる神を否定し、神に感謝を捧げることなく、勝利のお方を、内から排除しようとしたのです。
かれらの要求は、神を御座から引きずり下ろす、所業になったのです。
私達は、様々な問題に遭遇する時に、どうして来ただろう。
先ず、主に祈りましょう。そして、神こそ我が助け、我が救い・・・と、告白してきただろうか。
先ず、神に祈り求め、御助けを仰ぎ、導きを求めましょう。主なる神は活ける神、私達は神の御座を、私達の真ん中に据えましょう🎵
どんな困難な時も、どんな苦しい時も、
この御座の前にひれ伏しましょう。主なる神を神としましょう。神を王と崇めましょう。どんな時も、どの様な事態の時にも‼️ハレルヤ🎵
  第一サムエル8章1節~9節

8:1 サムエルは、年老いたとき、息子たちをイスラエルのさばきつかさとして任命した。
8:2 長男の名はヨエル、次男の名はアビヤであった。彼らはベエル・シェバでさばきつかさをしていた。
8:3 しかし、この息子たちは父の道に歩まず、利得を追い求め、賄賂を受け取り、さばきを曲げていた。
8:4 イスラエルの長老たちはみな集まり、ラマにいるサムエルのところにやって来て、
8:5 彼に言った。「ご覧ください。あなたはお年を召し、ご子息たちはあなたの道を歩んでいません。どうか今、ほかのすべての国民のように、私たちをさばく王を立ててください。」
8:6 彼らが、「私たちをさばく王を私たちに与えてください」と言ったとき、そのことばはサムエルの目には悪しきことであった。それでサムエルは【主】に祈った。
8:7 【主】はサムエルに言われた。「民があなたに言うことは何であれ、それを聞き入れよ。なぜなら彼らは、あなたを拒んだのではなく、わたしが王として彼らを治めることを拒んだのだから。
8:8 わたしが彼らをエジプトから連れ上った日から今日に至るまで、彼らのしたことといえば、わたしを捨てて、ほかの神々に仕えることだった。そのように彼らは、あなたにもしているのだ。
8:9 今、彼らの声を聞き入れよ。ただし、彼らに自分たちを治める王の権利をはっきりと宣言せよ。」
 2023年2月5日(日)リビングライフQT

サムエルの師エリの息子たち(ホフニとピネハス)については、既に学んだが、今新たにサムエルの息子たちも同じような道に歩んだだことを知り、心痛みます。
同じ道(預言者・裁き司)とは行かずとも、一信仰者として、道を継承することの難しさを、教えられますね。
彼らの堕落をきっかけとして、民が求めたのは、近隣諸国の統率の政治体制への、あこがれでした。
この要求は、サムエルの息子に関連して出てきたものではなく、神の直接導かれる、“神聖政治”に対する、反発から出た、王政へのあこがれだった事が、主なる神のお言葉から読み取れます(7~8節)
 主なる神は、民の要求を受け入れるようにサムエルに指示されました。
これは、主なる神は、イスラエルが王政に移行することを、“良し”とされていない分けではなかったのです。
神のご計画では、その《時》が、未だ❗・・即ち“主の時”ではなかったと言うタイミングだったのです。
“全ての事に時がある”と、“伝道者伸ば書”では語られていますように、
神のご計画になるときではなかったのです。
私達の、日々の生活(社会生活)の中で、憧れたり、一般の人々の営みに倣いたい❗
なにも、毎週日曜日でなくとも、主なる神様を敬っていれば、信仰生活できるだろう・・
自分流の方法で、主なる神に受け入れられる❗と考えて・・・
そうでしょうか。
主に従う・・・とは、私を創造して下さり、愛し、赦し、導かれるお方に、従うことが信仰です。
カインとアベルの歴史のように、アベルは主なる神が教えられた、
生け贄を持って主なる神を礼拝しましたが、
カインは、自作の立派な農作物を携えてきて、神に捧げて礼拝しました。
主なる神はアベルの礼拝を受け入れ、カインの礼拝はお受けになりませんでした。それに腹をたてた、カインは、アベルを亡き者にしたのです。
神を礼拝した者(カイン)が、なぜ、憎しみと憤りに狂ったのでしょう。
主なる神が求め、主なる神の時に従うことが、神を崇め、神を信頼し、神を信じることなのです。
アダムとエバの失敗も、自分の知恵と、感性と、欲に引かれて、主なる神の御思いを深く振り返らなかった結果でした。
今、イスラエルの民は、道を逸れ始めていることを知るよしもありませんでした。
9節は、主なる神の許容に対するせめてもの、警告でもあるのです。(これから長い失敗の歴史が始まるのです‼️)
  第一サムエル7章12節~17節

7:12 サムエルは一つの石を取り、ミツパとエシェンの間に置き、それにエベン・エゼルという名をつけ、「ここまで【主】が私たちを助けてくださった」と言った。
7:13 ペリシテ人は征服され、二度とイスラエルの領土に入って来なかった。サムエルの時代を通して、【主】の手がペリシテ人の上にのしかかっていた。
7:14 ペリシテ人がイスラエルから奪い取っていた町々は、エクロンからガテまでが、イスラエルに戻った。イスラエルはペリシテ人の手から、その領土を解放した。そのころ、イスラエルとアモリ人の間には平和があった。
7:15 サムエルは、一生の間、イスラエルをさばいた。
7:16 彼は年ごとに、ベテル、ギルガル、ミツパを巡回し、これらすべての聖所でイスラエルをさばき、
7:17 ラマに帰った。そこに自分の家があり、そこでイスラエルをさばいていたからである。彼はそこに【主】のために祭壇を築いた。
 2月4日(土)リビングライフQT

エベン・エゼル(ここまで主が私たちを助けてくださった)
ペリシテとの戦いが、いかに厳しいものであったか・・・が、この告白から伺われる❗
祭司・預言者・裁き司として、立ち上がってから20年の歳月を振り返って、完全なまでにペリシテを駆逐し、侵略されていた町々を奪還した今、サムエルはどんな感慨だったでしょう。
私も、今日まで信仰生活してきましたが、今日までの日々に、どの様な感慨を持った事だろう‼️
神学校卒業して58年。  
四国で3年の開拓。
北九州シオンに帰ってから55年。下関・小倉・海老津・直方と開拓に励み、その間35年通い宣教師のように、台湾山地の伝道に、遣わして戴きました。
退任してから3年、佐伯聖書・蒲江に牧師不在の群れで奉仕させて頂き、他、四国・山陰・玖珂(岩国)・・と
何度も入退院を繰り返しながらも、今日あることは、正に、私にとっての“エベン・エゼル”です。
今朝の短いテキスト繰り返し読みながら、何度もエベン・エゼルと、小声で告白しながら、サムエルの思いをちょっぴり味わっていました。
主は赦し、憐れみ、慈しみ、慰めて下さって、今日に至らせて下さったことは、何と言う感謝でしょう。深い感動と共に、主に感謝の祈りを捧げる朝です‼️ハレルヤ🎵‼️
 第一サムエル7章1節~11節

7:1 キルヤテ・エアリムの人々は来て、【主】の箱を運び上げ、丘の上のアビナダブの家に運んだ。そして、【主】の箱を守るために彼の息子エルアザルを聖別した。
7:2 箱がキルヤテ・エアリムにとどまった日から長い年月がたって、二十年になった。イスラエルの全家は【主】を慕い求めていた。
7:3 サムエルはイスラエルの全家に言った。「もしあなたがたが、心のすべてをもって【主】に立ち返るなら、あなたがたの間から異国の神々やアシュタロテを取り除きなさい。そして心を【主】に向け、主にのみ仕えなさい。そうすれば、主はあなたがたをペリシテ人の手から救い出してくださいます。」
7:4 イスラエル人は、バアルやアシュタロテの神々を取り除き、【主】にのみ仕えた。
7:5 サムエルは言った。「全イスラエルを、ミツパに集めなさい。私はあなたがたのために【主】に祈ります。」
7:6 彼らはミツパに集まり、水を汲んで【主】の前に注ぎ、その日は断食した。彼らはそこで、「私たちは【主】の前に罪ある者です」と言った。こうしてサムエルはミツパでイスラエル人をさばいた。
7:7 イスラエル人がミツパに集まったことをペリシテ人が聞いたとき、ペリシテ人の領主たちはイスラエルに向かって上って来た。イスラエル人はこれを聞いて、ペリシテ人を恐れた。
7:8 イスラエル人はサムエルに言った。「私たちから離れて黙っていないでください。私たちの神、【主】に叫ぶのをやめないでください。主が私たちをペリシテ人の手から救ってくださるようにと。」
7:9 サムエルは、乳離れしていない子羊一匹を取り、焼き尽くす全焼のささげ物として【主】に献げた。サムエルはイスラエルのために【主】に叫んだ。すると【主】は彼に答えられた。
7:10 サムエルが全焼のささげ物を献げていたとき、ペリシテ人がイスラエルと戦おうとして近づいて来た。しかし【主】は、その日ペリシテ人の上に大きな雷鳴をとどろかせ、彼らをかき乱したので、彼らはイスラエルに打ち負かされた。
7:11 イスラエルの人々は、ミツパから出てペリシテ人を追い、彼らを討ってベテ・カルの下にまで行った。
 2月3日(金曜日)リビングライフQT

神の箱はキルアテ・エアリムの祭司アミナダブの家に安置し、その子エルアザルを選び聖別して、これを護らせた。
ペリシテの侵略も落ち着き、20年の年月が、何事もなく、平安に経過した。
しかし、平穏・平和・・・と言う姿が、必ずしも“良い”状態を示してはいなかった。
人は、トラブルもなく、何事もない状態を“平和・平安”と言うのですが、主なる神の求めておられるものとは違っていた。
何事もない、トラブルもない、経済も安泰・・・・
その様な一見平和な姿の中に、忍び寄るものがあったことを、サムエルは指摘(裁く)していますね。
20年と言う平和な時の中で、イスラエルは偶像の侵入に、取り込まれていたのです。
今の私達には、考えられないことですが、
“偶像”が、必ずしも形に刻んだ《仏像・稲荷狐・観音像・位牌・阿弥陀像・祠・地蔵・等々》ばかりではなく、“礼拝の時”を奪う趣味・付き合い・祈りの時を失わせるTV番組・怠惰・等々。主なる神への真実な交わり(礼拝等)を、奪ってしまい、神の臨在の経験の薄い、あるいは失った信仰生活・・・でも平安で、何事もない
平和な順調な日々の中に、埋没する危険性はないだろうか(言ってる意味が分からない。)
毎聖日毎の礼拝での、魂・心の整えによって、勝利の日々は、守られるのです。
イスラエルの民は、悔い改めて、すべての民が神の前に悔い改めの礼拝に集結したとき、
ペリシテはこの機に、一気にイスラエルを潰しに掛かったのです。
しかし、ハレルヤ‼️🎵
悔い改める者を主は一番喜ばれるのです‼️
神自ら御手を伸べて、ペリシテ軍を撹乱され、イスラエルに勝利をもたらしたのです。
悔い改めるに、不安や、不利や、弱味を突かれることはありませんか(はてな)
神が私達の見方となられたら、誰が私の敵となれるでしょうか‼️
神が味方となる‼️
それは真に、悔い改めた者に示される、主なる神の絶大な“力”なのです。
詩編46編を読んでみましょう🎵
 第一サムエル6章13節~21節

6:13 ベテ・シェメシュの人たちは、谷間で小麦の刈り入れをしていたが、目を上げると、神の箱が見えた。彼らはそれを見て喜んだ。
6:14 車はベテ・シェメシュ人ヨシュアの畑に来て、そこにとどまった。そこには大きな石があった。人々は、車の木を割り、雌牛を全焼のささげ物として【主】に献げた。
6:15 レビ人たちは、【主】の箱と、そばにあった金の品物の入っている鞍袋を降ろし、その大きな石の上に置いた。その日、ベテ・シェメシュの人たちは全焼のささげ物を献げ、いけにえを【主】に献げた。
6:16 ペリシテ人の五人の領主は、これを見て、その日エクロンに帰った。
6:17 ペリシテ人が償いとして【主】に返した金の腫物は、アシュドデのために一つ、ガザのために一つ、アシュケロンのために一つ、ガテのために一つ、エクロンのために一つであった。
6:18 すなわち、金のねずみは、五人の領主に属するペリシテ人の町の総数によっていた。それは、砦の町と城壁のない村の両方を含んでいる。彼らが【主】の箱を置いたアベルの大きな台は、今日までベテ・シェメシュ人ヨシュアの畑にある。
6:19 主はベテ・シェメシュの人たちを打たれた。【主】の箱の中を見たからである。主は、民のうち七十人を、すなわち、千人に五人を打たれた。【主】が民を激しく打たれたので、民は喪に服した。
6:20 ベテ・シェメシュの人たちは言った。「だれが、この聖なる神、【主】の前に立つことができるだろう。私たちのところから、だれのところに上って行くのだろうか。」
6:21 彼らはキルヤテ・エアリムの住民に使者を遣わして言った。「ペリシテ人が【主】の箱を返してよこしました。下って来て、あなたがたのところに運び上げてください。」
 2023年2月2日(木)リビングライフQT

ベテシゥメシュの人々は、どんなに驚き、かんどうしたことでしょう。
神の箱が、牛車に載って、しかも誰も御して(牛を曳)いる人もないまま(はてな)
その驚きと感動は・・イスラエルは、神に背き、その堕落に対する神の裁きが、この度のペリシテの侵略だったのてすから。
ベテシェメシュの人々は、14・15節の様に、取るものも取り敢えず、主なる神の前に、感謝の生け贄をもって、礼拝をしました。更に彼らは、神の箱に添えて、金で作られた腫物の(飾り?)が添えられていることから、ペリシテの和睦の印だと知ったのです。
この様な、全能の神の想像を越えた取り計らいに対して、ベテシェメシュの人々は、神の箱の中を覗いたのです。
彼らの神概念(全能の神に対する畏れの念)が、欠けていたのです。
イスラエルは、ペリシテ以外の先住民の間(生活圏が混在していた)で生活するうちに、彼らの生活に浸透している偶像に対する、根深い生活習慣が、いつの間にか、ヤーウェ信仰に重なって、創造主なる神は全人類唯一の神・・・と言う信仰でなく、我々イスラエルの神と言う、民族信仰に落ちていたのです。
その神概念が、軽率な行動へと、傾いたのが今日の問題点でした。
神の箱を、戦場に持ち出したのも、また、その様な《守護神》的な感覚から出たことだったのです。
神を信じる‼️と言うことは、信奉する❗️と言うことではなく、主なる神との人格的交わりにはいることなのです。神と交わり、神に従い、神に愛されることを実感し、この御方をお慕いすることなのです。
私達も気を付けねばならないのは、私の宗教は《キリスト教》です・・・ではないのです。
私が生涯・何時如何なる時も、お慕いするお方は、《イエス・キリスト救い主》なのです。
神の箱‼️それは、神がイスラエルの民(信じる者と)と、共におられると言うことの、象徴的存在なのです。
近隣の神々ならば、その箱の中は、神の彫像が安置されていたでしょう。しかし、その中には、モーセが神から頂いた、*十戒を刻んだ石の板と、モーセからアロンへと受け継がれた杖(紅海を二つに分け、ヨルダン川を堰止まらせた)なのです。歴史的証の文物だったのです。彼らが見ようとした動機は、正に、偶像的感覚による、“物”だったのです。この態度が神の怒りを買ったのです。
今朝、私達は改めて、私達の信じるお方《救い主・購い主イエス・キリスト神の御子》と、深い信頼と愛の絆で結ばれといることを、確認する朝としましょう‼️アーメン❗️
 第一サムエル6章1節~12節

6:1 【主】の箱は七か月間ペリシテ人の地にあった。
6:2 ペリシテ人は祭司たちと占い師たちを呼び寄せて言った。「【主】の箱をどうしたらよいでしょうか。どのようにして、それを元の場所に送り返せるか、教えてください。」
6:3 彼らは答えた。「イスラエルの神の箱を送り返すのなら、何もつけないで送り返してはなりません。神に対して償いをしなければなりません。そうすれば、あなたがたは癒やされるでしょう。また、なぜ、神の手があなたがたから去らないかが分かるでしょう。」
6:4 人々は言った。「私たちが送るべき償いのものは何ですか。」彼らは言った。「ペリシテ人の領主の数に合わせて、五つの金の腫物、つまり五つの金のねずみです。彼ら全員、つまりあなたがたの領主たちに、同じわざわいが下ったのですから。
6:5 あなたがたの腫物の像、つまり、この地を破滅させようとしているねずみの像を造り、それらをイスラエルの神に貢ぎとして献げなさい。もしかしたら神は、あなたがたと、あなたがたの神々、そしてあなたがたの地の上にのしかかっている、その手を軽くされるかもしれません。
6:6 なぜ、あなたがたは、エジプト人とファラオが心を硬くしたように、心を硬くするのですか。神が彼らに対して力を働かせたときに、彼らはイスラエルを去らせ、イスラエルは出て行ったではありませんか。
6:7 今、一台の新しい車を用意し、くびきを付けたことのない、乳を飲ませている雌牛を二頭取り、雌牛を車につなぎ、その子牛は引き離して小屋に戻しなさい。
6:8 また、【主】の箱を取って車に載せなさい。償いとして返す金の品物を鞍袋に入れて、そのそばに置きなさい。そして、それが行くがままに、去らせなければなりません。
6:9 注意して見ていなさい。その箱がその国境への道をベテ・シェメシュに上って行くなら、私たちにこの大きなわざわいを起こしたのはあの神です。もし行かないなら、神の手が私たちを打ったのではなく、私たちに偶然起こったことだと分かります。」
6:10 人々はそのようにした。彼らは乳を飲ませている雌牛を二頭取り、それを車につないだ。子牛は小屋に閉じ込めた。
6:11 そして【主】の箱を車に載せ、また金のねずみ、すなわち腫物の像を入れた鞍袋を載せた。
6:12 雌牛は、ベテ・シェメシュへの道、一本の大路をまっすぐに進んだ。鳴きながら進み続け、右にも左にもそれなかった。ペリシテ人の領主たちは、ベテ・シェメシュの国境まで、その後について行った。
 2023年2月1日(水)リビングライフQT

*リビングライフ冊子をお持ちでないかたは、必ず聖書本文をお読みください。今朝のテキストは、私の解説を読むだけでは意味不明です。・・・

この度のイスラエルのペリシテとの闘いは、明らかに、イスラエルの民の、主なる神への不真実な、態度・冒涜に起因していたことを、痛いほど経験したのです。その最もひどい行為が、神との契約の箱を持ち出したことでした。
そのため今さら、敵陣深くに置き去りになった、その箱を、取り戻す術すらないまま、敗北に打ちのめされていたでしょう。
祈りをするにも、礼拝所である幕屋の中には、神の臨在の標となる契約の箱はないのです。
一方ペリシテ側は、戦に勝利した‼️と言うばかりではなく、イスラエルの守護神とにらんだ神の箱を、勝ち取ったのですから、その勝利感は一層、将来に向かっても、最早イスラエルは、ペリシテにとって、敵ではなくなった‼️と、考えたのでしょう。
ところがこの戦利品から、予想もしなかったトラブルが続出したのです。
しかもそのトラブルは、ペリシテの未来に、暗雲をもたらすほどの、忌まわしい存在となったのです。
この、動きのとれなくなった両者の行き詰まりに、道を開いたのは、一頭の牛でした‼️
即ち、主なる神は、人間の意志や計画や方策によって、打開の道を開かれることはなさらず、神ご自身の方法で、解決へと道を開かれたのです。
ペリシテの、どちらかと言うと“占い”にも似た方法で解決の方向を設定したのですが、実は、彼らの設定は100%都合のよい決定《この災いは神の捌きとは無関係》へと傾くものでした。彼らは、それを内心目論んでいたのです。
しかし、主なる神は、この災いは神ご自身の権威と御支配に起因していることを、内外に知らせられたのです。
*乳飲み子を持つ母牛は、120%子牛の方へと、歩み寄るのが本能ですから、この様ななぞ掛することによって、主なる神を更に冒涜し、自責の念や不安から、自由になろうと、画策したのです。
主なる神は、この様な小賢しい人の策に、委ねられなかったのです。
ペリシテにとって、知りたくない、結果を見せられたのです。
万が一にも・・・と考えた、金の供え物は、そのまま、イスラエルへの賠償金のような結果となりました。
神は、あれほど神にたいして、背信の道を進んだのに、・・・
結果は、主なる神自ら、民のもとへと、ご自身を近付け、和解の道を開かれたのです。
こうしてイスラエルは、背いた民であり、ペリシテに屈辱を味わわされた民となったにも関わらず、なお、ご自身が選ばれた者として、民に対して”私はあなた方を捨てて孤児とはしない‼️💧”・・と、語られるのです。
主なる神はいつも“購いの神”なのです。
今日も、主は、あなたに向かって、《私はあなたの神、私はあなたを購った》と、語っておられます‼️
     アーメン❗️

北九州シオン教会

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