
力丸嗣夫師 リビングライフ LINE
(新改訳聖書2017)
北九州シオン教会
| 第二 サムエル24章15節~25節 24:15 【主】は、その朝から定められた時まで、イスラエルに疫病を下された。ダンからベエル・シェバに至るまで、民のうち七万人が死んだ。 24:16 御使いは、エルサレムを滅ぼそうと手を伸ばした。【主】はわざわいを下すことを思い直し、民を滅ぼす御使いに言われた。「もう十分だ。手を引け。」【主】の使いは、エブス人アラウナの打ち場の傍らにいた。 24:17 ダビデは、民を打っている御使いを見たとき、【主】に言った。「ご覧ください。この私に罪があるのです。私が悪いことをしたのです。この羊の群れがいったい何をしたでしょうか。どうか、あなたの御手が、私と私の父の家に下りますように。」 24:18 その日、ガドはダビデのところに来て、彼に言った。「上って行って、エブス人アラウナの打ち場に、【主】のために祭壇を築きなさい。」 24:19 ダビデは、ガドのことばにしたがって、【主】が命じられたとおりに上って行った。 24:20 アラウナが見下ろすと、王とその家来たちが自分の方に進んで来るのが見えた。アラウナは出て行き、地にひれ伏して、王に礼をした。 24:21 アラウナは言った。「なぜ、わが主、王は、しもべのところにおいでになったのですか。」ダビデは言った。「あなたの打ち場を買って、【主】のために祭壇を築きたい。そうすれば民への主の罰は終わるだろう。」 24:22 アラウナはダビデに言った。「わが主、王よ。お気に召す物を取って、お献げください。ご覧ください。ここに全焼のささげ物のための牛がいます。薪にできる打穀機や牛の用具もあります。 24:23 王よ、このアラウナはすべてを王に差し上げます。」アラウナはさらに王に言った。「あなたの神、【主】が、あなたを受け入れてくださいますように。」 24:24 しかし王はアラウナに言った。「いや、私は代金を払って、あなたから買いたい。費用もかけずに、私の神、【主】に全焼のささげ物を献げたくはない。」そしてダビデは、打ち場と牛を銀五十シェケルで買った。 24:25 ダビデは、そこに【主】のために祭壇を築き、全焼のささげ物と交わりのいけにえを献げた。【主】が、この国のための祈りに心を動かされたので、イスラエルへの主の罰は終わった。 |
2023年5月31日(水)リビングライフQT 立ち直ると、行動に早いダビデ・・・ 19節~ダビデは、ガドのことばにしたがって、主が“命じられた通りに”上っていった。 主へのなだめの祭壇の祈りは、通常、エルサレムで行うことが多いし、この時、イスラエル中で、7万人が疫病で死んだのですから、 民の中心であり、神殿の在るエルサレムが一番に思い浮かぶでしょう。 しかし、預言者“ガド”の指示通りに、アナウラの打ち場に、祭壇をしつらえたのです。この辺りの事情を聖書は敢えて、『ガドのことばにしたがって・・・』と、記録しています。 アラウナは、自分の地所で、王が直接祭り事を行うのですから、子々孫々名誉なことなので、その一切を自ら備えることを申し出ますが、 ダビデは、この祭り事は、自らの罪の悔い改めのための、なだめの供え物と祈りなので、一切自らの犠牲を持って執り行ったのです。その費用が、ここに記されているのですが、金額ではなくダビデ自身が支払った…ということに価値があるのです。 *因に、この時支払われた 50ショケルは、貨幣ではなく、銀の地金だと考えられます。ダビデ王国は未だ国としての統一された形態は整ってなかったので、神殿への奉納も、税も、現物(動物・産物・金銀の地金)に依るものでした。 悔い改めは、真心から100%内から溢れる主への、告白でなければならないのです。 この祭り事は、アラウナの前にも、隠れることなく告白され、改めて、王の威信をかけた、告白とされ、民全般に表されるところとなったのですね。 厳粛な、国を挙げての祭り事となったのですね。 悔い改めは、新しい命の泉を開く、神の恵みの時となるのですね🎵 ハレルヤ‼️ |
| 第二 サムエル24章1節~14節 24:1 さて、再び【主】の怒りがイスラエルに対して燃え上がり、ダビデをそそのかして、彼らに向かわせた。「さあ、イスラエルとユダの人口を数えよ」と。 24:2 王はともにいた軍の長ヨアブに言った。「さあ、ダンからベエル・シェバに至るまでのイスラエルの全部族の間を行き巡り、民を登録し、私に民の数を知らせよ。」 24:3 ヨアブは王に言った。「あなたの神、【主】が、この民を百倍にも増やしてくださいますように。わが主、王の目が、親しくこれをご覧になりますように。ところで、わが主、王は、なぜこのようなことを望まれるのですか。」 24:4 しかし、ヨアブと軍の高官たちへの王のことばは激しかった。ヨアブと軍の高官たちは、イスラエルの民を登録するために王の前から出て行った。 24:5 彼らはヨルダン川を渡って、ガドの谷の真ん中にある町、ヤゼルに向かって右側にあるアロエルに宿営し、 24:6 ギルアデとタフティム・ホデシの地に行き、さらにダン・ヤアンに行き、シドンに回った。 24:7 そしてツロの要塞に行き、ヒビ人やカナン人のすべての町に行き、ユダのネゲブへ出て行って、ベエル・シェバに至った。 24:8 彼らは全土を行き巡り、九か月と二十日の後にエルサレムに帰って来た。 24:9 ヨアブは兵の登録人数を王に報告した。イスラエルには剣を使う兵士が八十万人おり、ユダの兵士は五十万人であった。 24:10 ダビデは、民を数えた後で、良心のとがめを感じた。ダビデは【主】に言った。「私は、このようなことをして、大きな罪を犯しました。【主】よ、今、このしもべの咎を取り去ってください。私は本当に愚かなことをしました。」 24:11 朝ダビデが起きると、【主】のことばがダビデの先見者である預言者ガドにあった。 24:12 「行ってダビデに告げよ。『【主】はこう言われる。わたしはあなたに三つのことを負わせる。そのうちの一つを選べ。わたしはあなたに対してそれを行う。』」 24:13 ガドはダビデのもとに行き、彼に告げた。「七年間の飢饉が、あなたの国に来るのがよいか。三か月間、あなたが敵の前を逃げ、敵があなたを追うのがよいか。三日間、あなたの国に疫病があるのがよいか。今、よく考えて、私を遣わされた方に何と答えたらよいかを決めなさい。」 24:14 ダビデはガドに言った。「それは私には非常に辛いことです。【主】の手に陥らせてください。主のあわれみは深いからです。私が人の手には陥らないようにしてください。」 |
2023年5月30日(火)リビングライフQT 私はしばしば、関門の海に出て、門司から下関を眺め、下関から門司を眺めて、物心ついてからの、80年の過ぎし日を思い巡らします。 先日も、ベンチに座って、主の恵みの数々を思い起こして、こんな赦された罪人を、主は今日まで、導いてくださった・・・と、💧が溢れて魂が柔らかにされました。 しかし、それは私の身体が疲れはて、弱りきっていた時でしたから、只哀れみの主の慰めと、赦されて在る今に、魂が向いていたからです。 元気なときは、門司の風師山の山頂から、 下関では、火の山の山頂から、下界を見下ろして、日本中駆け巡った記憶、世界中飛び回った働き、台湾のやまを駆け回った40年・・ そんな思いに浸って、満足げに主に感謝する事が良くありました。 実はこれこそ、 ダビデの誘惑だったのです。 平和が訪れて、主なる神から与えられた恵みを、自分の持ち分として、確信して記録したい思いに駆られたのです。 これは国を確立するための、行政を行き届かせるための、所謂“人口調査”ではないのです。 結果の記録は、武器をとる兵士の数の集計に留まっていました。 それは、ダビデの“力”の誇示であり、 強さの拠り所としたのです。 ダビデの力・勢い・名声・・・は、主なる神が彼を赦し、立て、導かれた・・・それがダビデの力だったことを、ダビデは、心の中で、二の次にしてしまったのです。 ダビデなら・・・と、誰もが思い勝ちな中に、誘惑が忍び寄ったのです。 このテキストは、私にとっても、非常に迫り来る主の声が聞こえてきそうな、所です。 改めて・・ 今日まで来たのは、ただ主の憐れみと慈しみによる‼️🎶 今朝改めて、魂に刻ませていただいた、力強いメッセージでした‼️ アーメン‼️ |
| 第二 サムエル23章13節~39節 新改訳2017 サブ聖書ウインドウ No.1 Ⅱサム 23:13 三十人のかしらのうちのこの三人は、刈り入れのころ、アドラムの洞穴にいるダビデのところに下って来た。ペリシテ人の一隊は、レファイムの谷間に陣を敷いていた。 23:14 そのときダビデは要害にいて、ペリシテ人の先陣はそのときベツレヘムにいた。 23:15 ダビデは切に望んで、「だれかが私に、ベツレヘムの門にある井戸の水を飲ませてくれたらよいのだが」と言った。 23:16 三人の勇士はペリシテ人の陣営を突き破って、ベツレヘムの門にある井戸から水を汲み、それを携えてダビデのところに持って来た。しかしダビデはそれを飲もうとはせず、それを【主】の前に注いで、 23:17 こう言った。「【主】よ。そんなことをするなど、私には絶対にできません。これは、いのちをかけて行って来た人たちの血ではありませんか。」彼はそれを飲もうとはしなかった。三勇士は、そのようなことまでしたのである。 23:18 さて、ツェルヤの子ヨアブの兄弟アビシャイは三十人のかしらであった。彼は槍を振るって三百人を刺し殺し、あの三人とともに名をあげた。 23:19 彼は三十人の中で最も誉れが高かったので、彼らの長になったが、あの三人には及ばなかった。 23:20 エホヤダの子ベナヤは、カブツェエル出身で、多くの手柄を立てた力ある人であった。彼はモアブの英雄二人を打ち殺した。また、ある雪の日に、洞穴の中に降りて行って雄獅子を打ち殺した。 23:21 彼はまた、例の堂々としたエジプト人を打ち殺した。このエジプト人は、手に槍を持っていた。ベナヤは杖を持ってその男のところに下って行き、エジプト人の手から槍をもぎ取って、その槍で彼を殺した。 23:22 エホヤダの子ベナヤはこれらのことをして、三勇士とともに名をあげた。 23:23 彼はあの三十人の中でも最も誉れが高かったが、あの三人には及ばなかった。ダビデは彼を自分の護衛長にした。 23:24 ヨアブの兄弟アサエルは、例の三十人とともにいた。ベツレヘム出身のドドの子エルハナン。 23:25 ハロデ人シャンマ。ハロデ人エリカ。 23:26 ペレテ人ヘレツ。テコア人イケシュの子イラ。 23:27 アナトテ人アビエゼル。フシャ人メブナイ。 23:28 アホアハ人ツァルモン。ネトファ人マフライ。 23:29 ネトファ人バアナの子ヘレブ。ベニヤミンのギブア出身のリバイの子イタイ。 23:30 ピルアトン人ベナヤ。ガアシュの谷の出であるヒダイ。 23:31 アルバト人アビ・アルボン。バルフム人アズマウェテ。 23:32 シャアルビム人エルヤフバとヨナタン、ヤシェンの子たち。 23:33 ハラル人シャンマ。アラル人シャラルの子アヒアム。 23:34 マアカ人アハスバイの子エリフェレテ。ギロ人アヒトフェルの子エリアム。 23:35 カルメル人ヘツライ。アラブ人パアライ。 23:36 ツォバ出身のナタンの子イグアル。ガド人バニ。 23:37 アンモン人ツェレク。ツェルヤの子ヨアブの道具持ち、ベエロテ人ナフライ。 23:38 エテル人イラ。エテル人ガレブ。 23:39 ヒッタイト人ウリヤ。合計三十七人。 |
2023年5月29日(月)リビングライフQT 三人の勇士の物語。 これは単に、勇敢だ‼️と言う話で終わらない。確かに勇敢な行動(敵地を抜けて、王のために水を汲んで帰った)のだったが、 その水は、ダビデの生まれた村の、幼い時そこから水を飲んだ泉だったのでしょう。 ところが今そこはぺりシテの配下にあり、ダビデは、その事で心に悲しみ、悔しさを持っていたのでしょう。神の地が奪われている・・と言う。 ペリシテの危険な陣営をくぐり抜けて、そこから水を汲んで来てくれたら・・・ 三人の勇士がそれを見事に実行し、水を持ち帰ったのです。 ダビデはこの水を、飲まなかったばかりか、それを神の前に注ぎ流したのです。 ダビデにとって、ベツレヘムの水が飲みたい‼️との願いは、単に故郷の水で喉を潤す・・・といったことを、求めたのではないのです。 神の約束の地の大切な拠点がペリシテの手におちている。その悲しみと、奪還を込めた祈りとして、語られたものだったのです。 三人の勇士も、その事を、心(魂)にしっかりと刻んだのです。 その水が主の前に流された時、この三人はどんなに厳粛な気持ちになった事でしょう。 ダビデ王の心を自分達の心とした勇士達は、どんなに喜んだことでしょう。 その後の記録には・・ 19節~あの三人には及ばなかった。 22節~三勇士と共に名をあげた。 23節~あの三人には及ばなかった。 と記録され、あの水を汲んで来た‼️と言う行動が、後のペリシテとの戦いに、優れた成果の象徴的旗印となったのです。 私達の、福音の戦いは如何でしょう。働き(何人を導いたか)の記録ではなく、主の御思いを、どれ程魂に含んで祈り、イエス様の、十字架の痛みと涙を、どれ程共感しての働きであるかを、深く実感しながら、祈り、いたみ、魂の葛藤を越えて、問われる、奉仕でありたい。 アーメン‼️ |
| 第二 サムエル23章1節~12節 新改訳2017 サブ聖書ウインドウ No.1 Ⅱサム 23:1 これはダビデの最後のことばである。エッサイの子ダビデの告げたことば。いと高き方によって上げられた者、ヤコブの神に油注がれた者の告げたことば。イスラエルの歌の歌い手。 23:2 「【主】の霊は私を通して語り、そのことばは私の舌の上にある。 23:3 イスラエルの神は仰せられた。イスラエルの岩は私に語られた。『義をもって人を治める者、神を恐れて治める者。 23:4 その者は、太陽が昇る朝の光、雲一つない朝の光のようだ。雨の後に、地の若草を照らす光のようだ。』 23:5 まことに私の家は、このように神とともにある。神が永遠の契約を私と立てられたからだ。それは、すべてのことにおいて備えられ、また守られる。神は、私の救いと願いを、すべて育んでくださるではないか。 23:6 よこしまな者たちはみな、根こそぎにされた茨のようだ。それらは手に取ることができない。 23:7 彼らを打つ者はだれも、槍の刃や柄で武装する。彼らはその場で、火で焼き尽くされる。」 23:8 ダビデの勇士たちの名は次のとおりである。補佐官のかしら、タハクモニ人ヨシェブ・バシェベテ。彼は槍を振るって一度に八百人を刺し殺した。 23:9 彼の次は、アホアハ人ドドの子エルアザル。ダビデにつく三勇士の一人であった。彼らがペリシテ人をそしったとき、ペリシテ人は戦うためにそこに集まった。イスラエル人は退いたが、 23:10 彼は立ち上がり、自分の手が疲れて、手が剣にくっつくまでにペリシテ人を討った。【主】はその日、大勝利をもたらされた。兵たちが彼のところに引き返して来たのは、ただ、はぎ取るためであった。 23:11 彼の次はアラル人アゲの子シャンマ。ペリシテ人が隊をなして集まったとき、そこにはレンズ豆が豊かに実った一つの畑があった。兵はペリシテ人の前から逃げたが、 23:12 彼はその畑の真ん中に踏みとどまってこれを守り、ペリシテ人を討った。【主】は大勝利をもたらされた。 |
2023年5月28日(日)リビングライフQT ダビデの王としての立場の証しと、宣言です。 此の宣言と証しとを見て(聴いて)、誰が“ダビデ王は(傲慢だ)”と、思うだろう。 此のダビデの言葉『告白』は、神に立てられて在る・・・と言う、存在をかけた“告白”なのです。 ダビデの王としての確信は、神が御自身の内から“手”として”足“としてまた、”ちから・頭脳“として立てられた。ですから、ダビデは『主の霊は私を通して語り(2節)・義をもって人を治める者、神を恐れ治める者(3節)』 『・・・朝の光のようだ。(4節)』 『まことに私の家は、此のように神と共にある。・・(5節)』 聖霊によって清められ、神の前に確信をもって此のように告白できた、ダビデは❗何と言う厳粛な存在だったのでしょう。 回りの多くの敵は、強いダビデではなく、攻めては見たものの、敗北(はてな)といった徹底的な消滅に近い姿に、再び立ち挙がれない程、全てを失ったのです。 その背後には、8節から後に、列挙される勇士達の存在があった‼️ のです。 此のダビデ王について、新約聖書中に、 『ダビデの子孫として生まれ、死人の中から甦られたイエス・キリストを、いつも思っていなさい(第二テモテ2章8節)‼️』と記され、 赦されて立ち続けたダビデを通して、信じる(ダビデの末であるイエス・キリスト)私達全ての者に、力強い救いと力を与えて下さっている事を、約束してくださるのです。ハレルヤ‼️ |
| 第二 サムエル22章29節~51節 22:29 【主】よ、まことにあなたは私のともしび。【主】は私の闇を照らされます。 22:30 あなたによって、私は防塞を突き破り、私の神によって、城壁を跳び越えます。 22:31 神、その道は完全。【主】のことばは純粋。主は、すべて主に身を避ける者の盾。 22:32 【主】のほかに、だれが神でしょうか。私たちの神のほかに、だれが岩でしょうか。 22:33 神は私の力強い砦。私の道を全きものとされます。 22:34 主は、私の足を雌鹿のようにし、高い所に立たせてくださいます。 22:35 戦いのために私の手を鍛え、腕が青銅の弓も引けるようにされます。 22:36 あなたは御救いの盾を私に下さいます。あなたの謙遜は私を大きくします。 22:37 あなたは私の歩みを広げられ、私のくるぶしはゆるみません。 22:38 私は、敵を追ってこれを根絶やしにし、絶ち滅ぼすまでは引き返しませんでした。 22:39 私が彼らを絶ち滅ぼし、打ち砕いたので、彼らは立てず、私の足もとに倒れました。 22:40 あなたは、戦いのために私に力を帯びさせ、向かい立つ者を、私のもとにひれ伏させました。 22:41 あなたは、敵が、私を憎む者どもが私に背を見せるようにされました。私は彼らを滅ぼしました。 22:42 彼らが【主】に目を留めても、救う者はなく、答えもありませんでした。 22:43 地のちりのように、私は彼らを打ち砕き、道の泥のように、粉々に砕いて踏みつけました。 22:44 あなたは、民の争いから私を助け出し、国々のかしらとして保たれました。私の知らなかった民が私に仕えます。 22:45 異国の人々は私にへつらい、耳で聞くとすぐ、私に聞き従います。 22:46 異国の人々は打ちしおれ、砦から震えて出て来ます。 22:47 【主】は生きておられる。ほむべきかな、わが岩。あがむべきかな、わが救いの岩なる神。 22:48 この神は私のために、復讐する方。諸国の民を私のもとに下らせる方。 22:49 神は、敵から私を携え出される方。あなたは、向かい立つ者から私を引き上げ、不法を行う者から私を救い出してくださいます。 22:50 それゆえ、【主】よ、私は国々の間であなたをほめたたえます。あなたの御名をほめ歌います。 22:51 主は、ご自分の王に救いを増し加え、主に油注がれた者ダビデとその裔に、とこしえに恵みを施されます。」 |
2023年5月27日(土)リビングライフQT 私は、5月6日ごろから、疲れを覚え、7日の土曜から人吉の献堂40周年記念礼拝のために出掛けました。途中阿蘇内ノ牧の阿蘇市唯一の教会の渡辺牧師ご夫妻とお交わりを持ち、大雨と霧のなか、九州の中心部にある山里、人吉の教会で、次の日の礼拝、懐かしい方々と素晴らしいお交わりに与かり、再び大雨の中帰路に着いたのです。 途中ずぶ濡れになり、帰ると発熱💢 疲れのためぐったりしながらも、微熱のまま、持ちこたえ、昨年からの懸案だった、佐世保の佐々木牧師の慰問のため備え、夫婦で19日金曜に行ってきました。この日又雨模様で、完全に体調を壊してしまい、CORONA感染はなかったものの、夫婦でダウンしてしまいました。 この三週間にわたり、体調ばかりか、霊的にも低迷し、食欲もなく、体重は激減して、ウォーキングどころではなく、只祈ることと御言葉を学ぶこと以外は、うつらうつらの毎日、そんなときには、なかなか勝利を得ることは困難でした。魂は活性化しないですね。毎日のサムエル記の学びメッセージは、重苦しい内容が続き、それでも、その中から様々な学びをいただき、皆さんと分かち合いました。 次第に這い上がるように回復しはじめて、昨日と、今日のテキストの、天を破るようなダビデの言葉の数々で、私の魂も突き破られる思いです。 先日疲れはてて、ふと、海辺に出て(車で) 関門の景色を眺め、15歳にして此の地、門司に流れ着き、68年の歳月を振り返っていると、 此のダビデの詩がわき上がってきたのです。 こんな罪人を引き上げ赦して、主の聖所に立たせ、今日まで闘いを押し進めてくださった主を‼️ ベンチに座って感謝し賛美し、💧してました。 書き写すと長くなるので、節だけを記載します。私の魂を揺さぶった節です。 31・32・33・36・44・47・・アーメン |
| 第二 サムエル 22章17節~28節 22:17 主は、高い所から御手を伸ばして私を捕らえ、大水から、私を引き上げられました。 22:18 主は、力ある敵から私を救い出されました。私を憎む者どもからも。彼らは私より強かったのです。 22:19 私のわざわいの日に彼らは立ちはだかりました。けれども、【主】は私の支えとなられました。 22:20 主は私を広いところに連れ出し、私を助け出されました。主が私を喜びとされたからです。 22:21 【主】は、私の義にしたがって私に報い、手のきよさにしたがって顧みてくださいました。 22:22 私は【主】の道を守り、私の神に対して悪を行いませんでした。 22:23 主のすべてのさばきは私の前にあり、主の掟から、私は遠ざかりませんでした。 22:24 私は主に対して全き者。自分の咎から身を守ります。 22:25 【主】は私の義にしたがって顧みてくださいました。御目の前の、私のきよさにしたがって。 22:26 あなたは、恵み深い者には恵み深く、全き者には全き方。 22:27 清い者には清く、曲がった者にはねじ曲げる方。 22:28 苦しむ民を、あなたは救われますが、御目を高ぶる者に向け、これを低くされます。 |
2023年5月26日(金)リビングライフQT ダビデの信仰は、常に前に向き、その眼差しは主なる神に向けられている。 これがダビデの勝利と輝きの秘訣なんですね。 私達は、主の救い(罪の赦し)に与かっていながら、心(魂)のどこかで、自らの過去の罪を振り返ったり、確認したり、是認したりすることで、自らを戒め、反省を繰り返し、力強い前進に、ブレーキを掛けたり、自粛することで、正しさを守ろうとし勝ちですが、そうでしょうか(?) その様な心を、主はお喜びにはなりません。 イエス様の周りにいた、弟子達・赦された女の弟子たち、汚れの中から引き出されたゲラサの男、福音書を見ると、主を取り巻く多くの人々は、皆、傷と汚れを負った人々でした。 主はこのような人々を通して、驚くべき新しい世界を開かれたのです。 実は、その源流が、この勝利者ダビデなのです。彼の今朝の詩の中に・・・・ 21節~主は、私の義にしたがって・・・ 22節~私は主の道を守り、私の神に対して悪を行いませんでした。 24節~わたしは主に対して全き者 25節~主は、私の義にしたがって・・・ 27節~・・・清い者には清く・・・ これがダビデの主なる神への信仰であり、確信だったのです。 ダビデは、神の赦しを確かに受け止め(信じ)ていたのです。赦された者として、大胆に前進し戦ったのです‼️ 今日の教会は、自らの清さを自らで見積もってはいないだろうか。 『主イエス・キリストの “血” 全ての罪より我等を清む‼️』 これが今の教会の、クリスチャンの信仰であり確信でなければならないのです‼️ ❗アーメン ハレルヤ‼️ |
| 第二 サムエル 22章1節~16節 22:1 【主】がダビデを、すべての敵の手、特にサウルの手から救い出された日に、彼はこの歌のことばを【主】に歌った。 22:2 彼は言った。「【主】よ、わが巌、わが砦、わが救い主よ、 22:3 身を避ける、わが岩なる神よ。わが盾、わが救いの角、わがやぐら、わが逃れ場、わが救い主、あなたは私を暴虐から救われます。 22:4 ほめたたえられる方、この【主】を呼び求めると、私は敵から救われる。 22:5 死の波は私を取り巻き、滅びの激流は私をおびえさせた。 22:6 よみの綱は私を取り囲み、死の罠は私に立ち向かった。 22:7 私は苦しみの中で【主】を呼び求め、わが神に叫んだ。主はその宮で私の声を聞かれ、私の叫びは御耳に届いた。 22:8 地は揺るぎ、動いた。天の基も震え、揺れた。主が怒られたからだ。 22:9 煙は鼻から立ち上り、その口から出る火は貪り食い、炭火は主から燃え上がった。 22:10 主は、天を押し曲げて降りて来られた。黒雲をその足の下にして。 22:11 主は、ケルビムに乗って飛び、風の翼の上に自らを現された。 22:12 主は、闇をご自分の周りで仮庵とされた。水の集まり、濃い雲を。 22:13 御前の輝きから、炭火が燃え上がった。 22:14 【主】は天から雷鳴を響かせ、いと高き方は御声を発せられた。 22:15 主は矢を放って、彼らを散らし、稲妻を放って、かき乱された。 22:16 こうして、海の底が現れ、地の基があらわにされた。【主】のとがめにより、その鼻の荒い息吹によって。 |
2023年5月25日(木)リビングライフQT 申し訳ありません テキストの箇所が明日のものとなっていました。今日の箇所は 第二サムエル22:1~16 です。 (第二 サムエル 22章17節~28節) ダビデの魂の回復‼️ ユダとイスラエルが周りの国々から解放され、最も厳しい敵として対峙し続けてきた、ペリシテさえも、軍門にくだり、やっと長い戦いの日々に終止符が打たれた。 民に平和が訪れたのは、ヨシュアに導かれて、ヨルダンを渡った日から、約500年の時が刻まれていたのです。この長きに亘って、民は一人の人のごとくに、王を初め、民の一人一人が歴史を通して、多くを学び、神の御存在をはじめ、裁き・祝福・平和・勝利・徹底した審判・・・等々学びつつ、イスラエル民族として、信仰の民としてのアイデンティティーを、培われて来たのです。 これで終わりではないのですが、ダビデは自らの信仰の紆余曲折を振り返りながら、悔い改めと感謝と、全ての上に居ますお方への賛美を歌いあげたのです。‼️ 2節~主よ。我が巌、わが砦、わが救いの主 7節~私は苦しみの中で主を呼び求め、 わが神に叫んだ。 主はその宮で私の声を聞かれ、 私の叫びは御耳に届いた。・・・・・・・・・・・・以下省略 何と、表現の、言葉の豊かなお方でしょう。 幼いときから羊と共に暮らし、羊を探して崖や谷を歩き回り、時には自然に吹き出しているガスが燃える様を、目撃し、四季折々変わる大自然に包まれて養われた感性でしょうね。 時には自然に包まれて、主を賛美してみませんか。 打ち寄せる波に目を注いで遥か彼方から来る、神の声を聴いて見ませんか。主なる神様がもっと近くに感じられますよ‼️🎶 |
| 第二 サムエル21章15節~22節 21:15 ペリシテ人が再びイスラエルに戦いを仕掛けたことがあった。ダビデは自分の家来たちを連れて下り、ペリシテ人と戦ったが、ダビデは疲れていた。 21:16 ラファの子孫の一人であったイシュビ・ベノブは、「ダビデを討つ」と言った。彼の槍の重さは青銅で三百シェケル。そして彼は新しい剣を帯びていた。 21:17 ツェルヤの子アビシャイはダビデを助け、このペリシテ人を打ち殺した。そのとき、ダビデの部下たちは彼に誓って言った。「あなたは、もうこれから、われわれと一緒に戦いに出ないでください。あなたがイスラエルのともしびを消さないために。」 21:18 その後のこと、ゴブで再びペリシテ人との戦いがあった。そのとき、フシャ人シベカイは、ラファの子孫のサフを打ち殺した。 21:19 ゴブでペリシテ人との戦いが再びあったとき、ベツレヘム人ヤイルの子エルハナンは、ガテ人ゴリヤテを打ち殺した。ゴリヤテの槍の柄は、機織りの巻き棒のようであった。 21:20 再びガテで戦いがあったとき、手の指、足の指が六本ずつで、合計二十四本指の闘士がいた。彼もラファの子孫であった。 21:21 彼はイスラエルをそしったが、ダビデの兄弟シムアの子ヨナタンが彼を打ち殺した。 21:22 これら四人はガテのラファの子孫で、ダビデとその家来たちの手にかかって倒れた。 |
2023年5月24日(水)リビングライフQT ペリシテは果敢に、ダビデに戦いを挑んできた。 サムエル記の物語は、神の人類に対する、救いのご計画の歴史を綴る、聖書の最も大切な歴史を物語る、記録です。私達はこうして毎日読みながら、人の営みの歴史を通して、神が、どの様に人類救済の歴史を、組み立てていかれたかを、つぶさに見てきました。 ある時には、ごく個人的な導きであったり、 ある時には、選ばれた人を中心に組み立てられた選びの民に、攻撃を掛けて無きものにしようとする、危機的な事態(まさに歴史そのもの)を通して、神の選びは次第に確立されていく姿を、見てきました。 正に、国の歴史・人の歴史・時代の流れ・・は、神の御手に成るのです。ダビデと言う人物・イスラエルと言う選びの民、これらは、今日ある、私のあなたに、投げられた救いの綱として、与えられているのです。 こうして観ていくと、ダビデは、古代イスラエルの歴史上の偉大な王から、今ここにある私のあなたの、救いのための器として、選ばれ、用いられ訓練された、主の僕だったことがわかりますね。そしてその末裔にあなたが私が、今導かれている・・・と繋がるのです。ハレルヤ‼️ |
| 第二 サムエル21章1節~14節 21:1 ダビデの時代に、三年間引き続いて飢饉が起こった。それで、ダビデは【主】の御顔を求めた。【主】は言われた。「サウルとその一族に、血の責任がある。彼がギブオン人たちを殺戮したからだ。」 21:2 王はギブオン人たちを呼び出し、彼らに話した。このギブオンの人たちは、イスラエル人ではなくアモリ人の生き残りで、イスラエル人は彼らと盟約を結んでいた。だが、サウルはイスラエルとユダの人々への熱心のあまり、彼らを討とうとしたのである。 21:3 ダビデはギブオン人たちに言った。「あなたがたのために、私は何をすべきであろうか。私が何をもって宥めを行ったら、【主】のゆずりの地が祝福されるだろうか。」 21:4 ギブオン人たちは彼に言った。「私たちと、サウルおよびその一族との間の問題は、銀や金のことではありません。また、私たちがイスラエルのうちで人を殺すことでもありません。」ダビデは言った。「私があなたがたに何をしたらよいと思うのか。」 21:5 彼らは王に言った。「私たちを絶ち滅ぼそうとした者、私たちを根絶やしにしてイスラエルの領土のどこにも、いさせないように企んだ者、 21:6 その者の息子の七人を私たちに引き渡してください。私たちは【主】が選ばれたサウルのギブアで、【主】のために彼らをさらし者にします。」王は言った。「引き渡そう。」 21:7 王は、サウルの子ヨナタンの子メフィボシェテを惜しんだ。それは、ダビデとサウルの子ヨナタンの間で【主】に誓った誓いのためであった。 21:8 王は、アヤの娘リツパがサウルに産んだ二人の息子アルモニとメフィボシェテ、それに、サウルの娘メラブがメホラ人バルジライの息子アデリエルに産んだ五人の息子を取って、 21:9 彼らをギブオン人の手に渡した。彼らは、この者たちを山の上で【主】の前に、さらし者にした。これら七人は一緒に倒れた。彼らは、刈り入れ時の初め、大麦の刈り入れの始まったころ殺された。 21:10 アヤの娘リツパは、粗布を手に取って、それを岩の上に敷いて座り、刈り入れの始まりから雨が天から彼らの上に降るときまで、昼には空の鳥が、夜には野の獣が死体に近寄らないようにした。 21:11 サウルの側女アヤの娘リツパのしたことはダビデに知らされた。 21:12 ダビデは行って、サウルの骨とその息子ヨナタンの骨を、ヤベシュ・ギルアデの者たちのところから持って来た。これは、ペリシテ人がサウルをギルボアで討った日に、二人をさらし者にしたベテ・シャンの広場から、ヤベシュ・ギルアデの者たちが盗んで行ったものであった。 21:13 ダビデはサウルの骨とその息子ヨナタンの骨をそこから携えて上った。人々は、さらし者にされた者たちの骨を集めた。 21:14 彼らはサウルとその息子ヨナタンの骨を、ベニヤミンの地のツェラにあるサウルの父キシュの墓に葬り、すべて王が命じたとおりにした。その後、神はこの国の祈りに心を動かされた。 |
2023年5月23日(火)リビングライフQT またまた、悲しい出来事ですね。今までの闘いの現実の中では、なかなか、主に聴く‼️と言う状況が生まれて来ずに、その時の状況判断で乗りきったダビデでしたが、今回ばかりは、自然が相手なので、せっかく平和が訪れたのに、此の気候変動は何故なのだろう(はてな)と、主に聴くために祈りの祭壇に立ったのです。 その結果が、先代の王サウルのキブオン人虐殺の事実の発覚でした。 神は世界に冠たる神の選びの民となる、ダビデ王国のために、隠れた悪を、そのままに隠蔽されることを、赦されなかったのです。ダビデの罪ではないのですが…神の恵みの共同体では、隠されたままにはされなかったのです。ここで選び出された7人が、裁きを受けたのではありません。この7人の犠牲の死は、身代り(購い)の死であり、この7人の魂が永遠に裁かれたのではないのです。悲しい出来事ではありますが、この事を通して、平和と信頼の共存が回復したばかりか、気候変動の快復を見たのです。 この時、犠牲となって殺された7人の犠牲者たちの遺体を鳥や獣に荒らされないように、ずっと見守った、リツパの行為は、涙せずには居られませんね😢 ダビデ王にこの事実が伝えられ、7人の犠牲者は丁重に葬られ、この事を期して、散り散りになっていたサウルとヨナタンの遺骨も、先祖の地に正式に葬られた。 神に背き、主の道を外れたイスラエルの民の姿が、こうして神に立ち返ったダビデの、真実な信仰の復興によって、いま新たに、堅固な土台を築き始めたのです。 こうしてイスラエルの復興の歴史を学びながら、私は、神の国(教会・自らの人生)の復興のために、いま何をなすべきかを、強く魂に迫られるのです。アーメン‼️ |
| 第二 サムエル20章14節~26節 20:14 シェバはイスラエルの全部族のうちを通って、アベル・ベテ・マアカへ行った。すべてのベリ人が集まって来て、彼に従った。 20:15 人々はアベル・ベテ・マアカに来て、彼を包囲し、この町に向かって塁を築いた。それは外壁に向かって立てられた。ヨアブにつく兵はみな、城壁を破壊して倒そうとしていた。 20:16 この町から、一人の知恵のある女が叫んだ。「聞いてください。聞いてください。ヨアブにこう言ってください。『ここまで近づいてください。あなたにお話ししたいのです。』」 20:17 ヨアブが彼女の方に近づくと、この女は言った。「あなたがヨアブですか。」彼は言った。「そうだ。」女は言った。「このはしためのことばを聞いてください。」彼は言った。「よし、聞こう。」 20:18 女は言った。「昔、人々は『アベルで尋ねよ』と言って、事を決めました。 20:19 私は、イスラエルのうちで平和な、忠実な者の一人です。あなたは、イスラエルの母である町を滅ぼそうとしておられます。あなたはなぜ、【主】のゆずりの地を、?み尽くそうとされるのですか。」 20:20 ヨアブは答えて言った。「とんでもない。?み尽くしたり滅ぼしたりするなど、とんでもないことだ。 20:21 そうではない。実はビクリの息子で、その名をシェバというエフライムの山地の出である男が、ダビデ王に手向かったのだ。この男だけを引き渡してくれたら、私はこの町から引き揚げよう。」女はヨアブに言った。「では、その男の首を城壁の上からあなたのところに投げ落としてごらんにいれます。」 20:22 この女は知恵を用いて、民全員のところに行った。それで彼らはビクリの子シェバの首をはね、それをヨアブのもとに投げた。ヨアブは角笛を吹き鳴らし、人々は町から散って行き、それぞれ自分の天幕に帰った。ヨアブはエルサレムの王のところに戻った。 20:23 さて、ヨアブはイスラエルの全軍の長であった。エホヤダの子ベナヤはクレタ人とペレテ人の長、 20:24 アドラムは役務長官、アヒルデの子ヨシャファテは史官、 20:25 シェワは書記、ツァドクとエブヤタルは祭司、 20:26 ヤイル人イラもダビデの祭司であった。 |
2023年5月22日(月)リビングライフQT シェバの追討軍を指揮したヨアブは、シェバを追って出ていくと、反乱に備えるために、兵を集めるために遣わされながら、指定の時間までに帰ってこなかったアマサが、シエバをかくまう様に時間ロスさせようと、ヨアブの前に立ちはだかったので、最早反乱は始まったことを感じ、アマサを殺害した。(昨日の物語) ヨアブは更にシェバを追って、遥か北の町アベルの町に隠れたシェバを打つべく、町を包囲し攻撃に備えました。 そこに現れた一人の知恵ある女のことばに、従って戦わずして、シェバを討ち果たしたのです。 これらは古代の、戦記もののような、血なまぐさい物語なのですが、今までもしばしば問題になるのは、初期のダビデの戦記物語には、必ず予言者が立ち、予言者が神に伺い、その結果として戦いが進められ、勝利を重ねてきたのです。 その事が、民の心を一つに引き付け、未だ、イスラエルの二分化は、あり得ない状況だったのです。 王宮は建てられたが、神の家は未だ、幕屋のままで、正式に民を挙げての礼拝制度や、様々なしきたりは、確立されていないまま、戦いから戦いへと、時は過ぎ去ったのです。 人間の社会的状況から言えば、それも仕方ない・・・と言えるのでしょうが、やはり、問題でしょう。 *神の国と神の義を、先ず最初に求めなさい‼️・・・ですね。 神のご計画に妨げとなる行為は、神はあらゆる方法を用いて、事を導かれます。 その人物が優れていたからではなく、その人が神に従ったからなのだ‼️と言うことを心に刻みましょう。 ダビデの治める王国は、次第に落ち着きを取り戻し、これから国の確立のために、沢山の課題があります。主がどの様に導かれるかを見て参りましょう‼️🎶 |
| 第二 サムエル20章1節~13節 20:1 たまたまそこに、よこしまな者で、名をシェバという者がいた。彼はベニヤミン人ビクリの息子であった。彼は角笛を吹き鳴らして言った。「ダビデのうちには、われわれのための割り当て地はない。エッサイの子のうちには、われわれのためのゆずりの地はない。イスラエルよ、それぞれ自分の天幕に帰れ。」 20:2 すべてのイスラエルの人々は、ダビデから離れ、ビクリの子シェバに従って行った。しかし、ユダの人々はヨルダン川からエルサレムまで、自分たちの王につき従って行った。 20:3 ダビデはエルサレムの自分の王宮に入った。王は、王宮の留守番に残しておいた十人の側女をとり、監視つきの家を与えて養ったが、彼女たちのところには通わなかった。彼女たちは、一生、やもめとなって、死ぬ日まで閉じ込められていた。 20:4 王はアマサに言った。「私のために、ユダの人々を三日のうちに召集し、あなたも、ここに帰って来なさい。」 20:5 アマサは、ユダの人々を召集するために出て行ったが、指定された期限に間に合わなかった。 20:6 ダビデはアビシャイに言った。「今や、ビクリの子シェバは、アブサロムよりも、もっとひどいわざわいを、われわれに仕掛けるに違いない。あなたは、主君の家来を引き連れて彼を追いなさい。さもないと、彼は城壁のある町に入って、逃れてしまうだろう。」 20:7 ヨアブの部下、クレタ人、ペレテ人、そしてすべての勇士たちは、アビシャイの後に続いて出て行った。彼らはエルサレムを出て、ビクリの子シェバの後を追った。 20:8 彼らがギブオンにある大きな石のそばに来たとき、アマサが彼らの前にやって来た。ヨアブは自分のよろいを身に着け、さやに収めた剣を腰の上に帯で結び付けていた。彼が進み出ると、剣が落ちた。 20:9 ヨアブはアマサに「兄弟、おまえは無事か」と言って、アマサに口づけしようとして、右手でアマサのひげをつかんだ。 20:10 アマサはヨアブの手にある剣に気をつけていなかった。ヨアブは彼の下腹を突いた。それで、はらわたが地面に流れ出た。この一突きでアマサは死んだ。ヨアブとその兄弟アビシャイは、ビクリの子シェバの後を追った。 20:11 ヨアブに仕える若者の一人がアマサのそばに立って言った。「ヨアブにつく者、ダビデに味方する者は、ヨアブに従え。」 20:12 アマサは大路の真ん中で、血まみれになって転がっていた。この若者は、兵がみな立ち止まるのを見て、アマサを大路から野原に運んだ。そして、その傍らを通る者がみな立ち止まるのを見ると、彼の上に衣を掛けた。 20:13 アマサが大路から移されると、みなヨアブの後について進み、ビクリの子シェバを追った。 |
2023年5月21日(日)リビングライフQT 片仮名の名前は、なかなか頭にとどまらないですね😵 古代社会の、慣習や、しきたりなどは、現代の、社会状況のなかでは、理解に苦しむことも多いですね。側女達の処遇は正にその例ですね。それらの解説は抜きにして、シェバの反乱に目を向けてみましょう。 アマサが、イスラエルに軍の招集に出たのですが、実は、イスラエルを説得して、自分の指揮下に入れ、ヨアブの向こうを張って、イスラエル10部族を束ねて、反乱を密かに企てようとしたのです。そこに、シェバが、反乱材料となる、イスラエルの不満を掻き立てる、デマをもたらしたのです。 ヨアブがシェバを追って下ってきた前にアマサが立ちはだかるように出た時、アマサの反逆に気がつき、アマサを殺したのです。 結局ダビデは、ヨアブを左遷して、アマサを起用したけれども、ヨアブのダビデへの忠誠心はこうして、明らかにされたのです。 ダビデのピンチを叉もヨアブは、救ったのです。 忠誠心は、必ずしも明らかに見えるものではない時もありますが、此のような皮肉な、時の流れによって明らかにされる時もあるのです。 こうして、ダビデの王国は、徐々に立ち上がってくるのです。 ダビデが素晴らしいのではなく、 陰で歴史を動かされる神の御手が、歴史を紡がれるのです。 私達クリスチャン自身は崩れやすい者にも拘らず、神の選びの御手は、様々な人や時の流れを通して、私達を清め、御心に叶う道へと、導き上られるのです。 今日在るのは、主なる神、救い主イエス・キリストの十字架の購いに依ることを、新たに深く心に刻みたいですね🎵アーメン‼️ |
| 第二 サムエル19章31節~43節 19:31 一方、ギルアデ人バルジライはロゲリムから下って来た。そして、ヨルダン川で王を見送るために、王とともにヨルダン川まで進んで来た。 19:32 このバルジライは、たいへん年をとっていて八十歳であった。彼は王がマハナイムにいる間、王を養っていた。非常に裕福な人だったからである。 19:33 王はバルジライに言った。「私と一緒に渡って行ってください。エルサレムの私のもとで、あなたを養います。」 19:34 バルジライは王に言った。「王様とともにエルサレムへ上って行っても、私はあと何年生きられるでしょう。 19:35 私は今、八十歳です。私に善し悪しが分かるでしょうか。しもべは食べる物も飲む物も味わうことができません。歌う男や女の声を聞くことさえできません。どうして、この上、しもべが王様の重荷になれるでしょう。 19:36 このしもべは、王様とともにヨルダン川をほんの少しだけ進んで参りましょう。王様は、そのような報酬を、どうしてこの私に下さらなければならないのでしょう。 19:37 このしもべを帰らせてください。私は自分の町で、父と母の墓の近くで死にたいのです。ご覧ください。ここに、あなたのしもべキムハムがおります。彼が、王様と一緒に渡って参ります。どうか彼に、あなたの良いと思われることをなさってください。」 19:38 王は言った。「キムハムは私と一緒に渡って行けばよい。私は、あなたが良いと思うことを彼にしよう。あなたが私にしてほしいことは何でも、あなたにしてあげよう。」 19:39 こうして、民はみなヨルダン川を渡り、王も渡った。王はバルジライに別れの口づけをして、彼を祝福した。それで、バルジライは自分の町へ帰って行った。 19:40 それから、王はギルガルへ進み、キムハムも王とともに進んだ。ユダのすべての民とイスラエルの民の半分が、王とともに進んだ。 19:41 するとそこに、イスラエルのすべての人が王のところにやって来て、王に言った。「われわれの同胞、ユダの人々は、なぜ、あなたを奪い去り、王とその家族に、また王とともにいるダビデの部下たちに、ヨルダン川を渡らせたのですか。」 19:42 ユダのすべての人々はイスラエルの人々に答えた。「王は、われわれの身内だからだ。なぜ、このことでそんなに怒るのか。いったい、われわれが王の食物を食べたとでもいうのか。王が何かわれわれに贈り物をしたとでもいうのか。」 19:43 イスラエルの人々はユダの人々に答えて言った。「われわれは、王のうちに十の分を持っている。だからダビデにも、あなたがたよりも多くを持っている。なぜ、われわれをないがしろにするのか。われわれの王を連れ戻そうと最初に言い出したのは、われわれではないか。」しかし、ユダの人々のことばは、イスラエルの人々のことばより激しかった。 |
2023年5月20日(土)リビングライフQT ダビデとその逃避行にあった一団が、食べるものにも困窮していたとき、バルジライが、携えられるだけの食料や、ダビデ王の寝床まで運んで、一行を安らかに待遇しました。 今ダビデの陣営に勝利が戻り、ヨルダン川を渡って帰るとき、ダビデはバルジライを、その功績に報いようと、エルサレムの王宮に連れ帰ろうとした。 一般市民にしてみれば、こんな名誉なことはないのです。 先日の記録からも、ダビデの勝利にあやかって、次々にかつてダビデに敵対していた者までが、ダビデの側に参入してくる中で、バルジライは、ダビデの招きにやんわりとお断りして、自分の故郷に帰った。何と麗しい姿でしょう‼️ ダビデの心はどんなにか和んだでしょうし、慰めとなった事でしょう。 新しい政治態勢になるために、回りが皆,疑心暗鬼で、何とか自分の立場を固めようと画策する中で、此の老人は、最後までダビデの立場を見守り、新しい門出となる、ヨルダンの西岸まで、従って来たのです。 さて、しばらく行くと、イスラエルの10部族(ユダとベニヤミンを除く)の代表がやって来て、ダビデを取り囲むように警護して、エルサレムへの道を進む様子を見て、不平を漏らした。もともと、ダビデをエルサレムに王として復帰する様に促し、迎えに出るように催促したのは、イスラエルの10部族の指導者達だったのです。ユダ族の多くは、アブサロムについたのですから、アブサロムの死後、部族内の統率が不安定だったのです。 その様な中で、昨日にあった、アマサ(アブサロムの生前の総指揮官)を、新しい国造りの、総指揮官に立てたのですから、イスラエルの人々は穏やかではなかったのです。 その論争は、既得権の強い、ユダ族の声が勝ったのです。 この際にも、ダビデも祭司達も、此の論争には介入していないのです。 新しく国を建て直そうとする時に、祭司や王の、神を中心にした指導性を、回復する大切な時に、誰一人、神に聴く・・・と言う行動をとらなかったことは、禍根を残す結果となったのです。 *『神に聴く‼️』と言うひとときは、信仰生活に欠くことの出来ない、第一条件とならねばならないのです。 一日の信仰の方向性を定める朝のデボーションは、勝利の生活の保証となるものです‼️ |
| 第二 サムエル19章16節~30節 19:16 バフリム出身のベニヤミン人、ゲラの子シムイは、ダビデ王を迎えようと、急いでユダの人々と一緒に下って来た。 19:17 彼は千人のベニヤミン人を連れていた。サウルの家のしもべツィバも、十五人の息子、二十人の召使いを連れて、王が見ている前でヨルダン川に駆けつけた。 19:18 そして、王の家族を渡らせるため、また王の目にかなうことをするために、渡しを整えた。ゲラの子シムイはヨルダン川を渡って行き、王の前に倒れ伏して、 19:19 王に言った。「わが君、どうか私の咎を罰しないでください。王様がエルサレムから出て行かれた日に、このしもべが犯した咎を、思い出さないでください。王様、心に留めないでください。 19:20 このしもべは、自分が罪を犯したことを知っています。ご覧ください。今日、ヨセフのすべての家に先立って、わが君、王様を迎えに下って参りました。」 19:21 ツェルヤの子アビシャイは口をはさんで言った。「シムイは、【主】に油注がれた方を呪ったので、そのために死に値するのではありませんか。」 19:22 ダビデは言った。「ツェルヤの息子たちよ。あれは私のことで、あなたがたに何の関わりがあるのか。あなたがたが、今日、私に敵対する者になろうとするとは。今日、イスラエルのうちで人が殺されてよいだろうか。私が今日イスラエルの王であることを、私が知らないとでもいうのか。」 19:23 王はシムイに言った。「あなたは死ぬことはない。」王は彼にそう誓った。 19:24 サウルの孫メフィボシェテは、王を迎えに下って来た。彼は、王が出て行った日から無事に帰って来た日まで、自分の足の手入れもせず、ひげも剃らず、衣服も洗っていなかった。 19:25 彼が王を迎えにエルサレムから来たとき、王は彼に言った。「メフィボシェテよ、あなたはなぜ、私とともに来なかったのか。」 19:26 彼は言った。「わが君、王様。家来が私をたぶらかしたのです。このしもべは『ろばに鞍を置き、それに乗って、王と一緒に行こう』と言ったのです。しもべは足の萎えた者ですから。 19:27 彼がこのしもべのことを王様に中傷したのです。しかし、王様は神の使いのような方ですから、お気に召すようにしてください。 19:28 私の父の家の者はみな、王様から見れば、死刑に当たる者にすぎなかったのですが、あなたは、このしもべをあなたの食卓で食事をする者のうちに入れてくださいました。ですから、この私に、どうして重ねて王様に訴える権利があるでしょう。」 19:29 王は彼に言った。「あなたはなぜ、自分のことをまだ語るのか。私は決めている。あなたとツィバとで地所を分けるのだ。」 19:30 メフィボシェテは王に言った。「王様が無事に王宮に帰られた後なら、彼が全部取ってもかまいません。」 |
2023年5月19日(金)リビングライフQT アブサロムが死に、彼についていたユダの民は皆、完全な敗者となった今、いかに身を処すべきか・・・戦々恐々として、次々とダビデの元に駆け付け、それぞれに言い開きをしながら、弁明を展開します。 *シムイ~あれほど悪どいののしりのことばや、チリ灰を投げつけて、ダビデと兵士らを悲しませたのに・・今や、忠義面して、謝罪しながら嘆願する。 その嘆願に、寛容をもって遇するダビデの姿勢にアビシャイは、ダビデに警告をする。所がダビデは、以前シムイが、罵ったときに、語った同じ言葉で、反論して寛容さを表した。 果たしてそれで良かったのか(はてな) 一方障害があったサウルの孫メヒポシェテに対しては、身内だからか?少し、厳しい言葉で、責めるような語りかけをしている。 ダビデの此のような、対応を見ていると、ダビデが本当に、愛に富んだ寛容さで、対応したのではないような、感じがしてきます。 争いを避けて、無事此の難関をすり抜けようとする、彼のずるさが、見え隠れするのです。 本当の、愛と寛容なら、敵味方双方の心を掴めたのでしょうが、新しくスタートするダビデの統一イスラエルには、何かしら、暗雲が漂う気配すら感じるのです。 私達信仰者の魂は、表面を繕い、よく思われることで、証しになる❗ 争いを回避するための、一時的パフォーマンスであってはなりません。 神の愛からでる、厳しさと、限りない寛容さと、自ら傷付きながらも、全体の徳を高める、命に満ちた言動であるべきでしょう。自らは傷ついても良いのです‼️自分以外の全てが、命に生かされるなら、神の栄光が明かしされるでしょう。 イエス様の十字架を、思わされます‼️ |
| 第二 サムエル19章9節~15節 【19:9 民はみな、イスラエルの全部族の間で、こう言って争っていた。「王は敵の手から、われわれを救い出してくださった。王はわれわれをペリシテ人の手から助け出してくださった。ところが今、王はアブシャロムのために国外に逃げておられる。 19:10 われわれが油をそそいで王としたアブシャロムは、戦いで死んでしまった。それなのに、あなたがたは今、王を連れ戻すために、なぜ何もしないでいるのか。」 19:11 ダビデ王は祭司ツァドクとエブヤタルに人をやって言わせた。「ユダの長老たちにこう言って告げなさい。『全イスラエルの言っていることが、ここの家にいる王の耳に届いたのに、あなたがたは、なぜ王をその王宮に連れ戻すのをためらっているのか。 19:12 あなたがたは、私の兄弟、私の骨肉だ。それなのに、なぜ王を連れ戻すのをためらっているのか。』 19:13 またアマサにも言わなければならない。『あなたは、私の骨肉ではないか。もしあなたが、ヨアブに代わってこれからいつまでも、私の将軍にならないなら、神がこの私を幾重にも罰せられるように。』」 19:14 こうしてダビデは、すべてのユダの人々を、あたかもひとりの人の心のように自分になびかせた。ユダの人々は王のもとに人をやって、「あなたも、あなたの家来たちもみな、お帰りください」と言った。 19:15 そこで王は帰途につき、ヨルダン川に着くと、ユダの人々は、王を迎えてヨルダン川を渡らせるためにギルガルに来た。 |
2023年5月18日(木)リビングライフQT ダビデ家は、ユダ族です。アブサロムの反乱は、同族間での争いであり、それにイスラエル10士族(ベニヤミン族は、ダビデ側にいた)が、振り回されるなかで、アブサロム側で消極的についていた。 今、アブサロムは死んだので、エルサレムにいるユダ族の住民や守備隊は、アブサロムの反逆に困惑していたのでほっとしたようです。 一方、マハナイムに逃避していたダビデとその軍は、勝利に喜びながらも、ダビデの心の痛みに同調して、沈滞ムードにあったのでしょう。 そんな時、全イスラエルの各地から、ダビデを王として、国の再建のため、ダビデ王をエルサレムに迎えるのに、ユダの民が動き始めないことへの不満が、ダビデの耳に入ったのです。 戦線から離れていたとは言え、勝利の朗報はいち早くエルサレムに届いていたはずなのに、いっこうに、エルサレムからの迎えが来ない…(はてな) ダビデは、混乱の極みにあったイスラエルの民を、今一度整える事が急務であることを、痛感して、回りに激を飛ばしたのです。 実は、此の反乱で、イスラエルの12部族の間に、亀裂が生じていたのです。それをこの際整えねばならないのが、ダビデの急務であったのですが・・・その様な時に、ダビデはアブサロムに仕えていたアマサを、ダビデの軍の新しい指揮官に立て、分裂した民の建て直しに取り組んだのです。(此の人選は、一見、アマサは、アブサロムについていた舞台の指揮官だが、首謀者を失った軍の指揮官は、当然、アブサロムと同罪なのだが、彼の指揮下にある軍を抱き込むためには、アマサを味方につけるのが一番、手っ取り早いし、その事でダビデに恩義を感じさせる、懐柔策として有効だったのです。しかし、・・・) この事が効を奏し、エルサレムにいるユダの民はこぞって、ダビデを迎えるために、ヨルダン川までやって来た。 実は、此のダビデの融和政策は、後々、ユダ族(ベニヤミンを含む)と、他のイスラエル10部族の、分裂国家を産み出す、潜在的要因を作ることとなるのです。 慣用さと、正しい采配(裁き)とは、矛盾するものではなく、むしろ正しい裁き・判定・審判なしには、正義は成立しないのです。寛容と妥協的融和は、混乱を産み出す、隠れた要因となることが、この後の歴史が教えてくれます。 信仰者は、悔い改めと、正しい采配(審判) を、行う姿勢と態度を大切にしたいですね。その事は、愛・寛容・赦しとは、矛盾するものではありません‼️ |
| 第二 サムエル19章1節~8節 19:1 そうこうするうちに、ヨアブに、「今、王は泣いて、アブシャロムのために、喪に服しておられる」という報告がされた。 19:2 それで、この日の勝利は、すべての民の嘆きとなった。この日、民が、王がその子のために悲しんでいる、ということを聞いたからである。 19:3 民はその日、まるで戦場から逃げて恥じている民がこっそり帰るように、町にこっそり帰って来た。 19:4 王は顔をおおい、大声で、「わが子アブシャロム。アブシャロムよ。わが子よ。わが子よ」と叫んでいた。 19:5 ヨアブは王の家に行き、王に言った。「あなたは、きょう、あなたのいのちと、あなたの息子、娘たちのいのち、それに、あなたの妻やそばめたちのいのちを救ったあなたの家来たち全部に、きょう、恥をかかせました。 19:6 あなたは、あなたを憎む者を愛し、あなたを愛する者を憎まれるからです。あなたは、きょう、隊長たちも家来たちも、あなたにとっては取るに足りないことを明らかにされました。今、私は知りました。もしアブシャロムが生き、われわれがみな、きょう死んだのなら、あなたの目にかなったのでしょう。 19:7 それで今、立って外に行き、あなたの家来たちに、ねんごろに語ってください。私は【主】によって誓います。あなたが外においでにならなければ、今夜、だれひとりあなたのそばに、とどまらないでしょう。そうなれば、そのわざわいは、あなたの幼いころから今に至るまでにあなたに降りかかった、どんなわざわいよりもひどいでしょう。」 19:8 それで、王は立って、門のところにすわった。人々がすべての民に、「見よ。王は門のところにすわっておられる」と知らせたので、すべての民は、王の前にやって来た。一方、イスラエル人は、おのおの自分たちの天幕に逃げ帰っていた。 |
2023年5月17日(水)リビングライフQT エルサレムを追われ、ヨルダンを渡ってマハナイムに拠点を持ったダビデを追って、アブサロムの軍は、マハナイムの北から回り込むように攻め込んできたのだが、既に学んだような敗北に喫し、アブサロム軍は散り散りになり、遂にアブサロム自身も、逃げる途中で付人もないまま、思わぬ事故で立ち往生、ヨアブに殺された。(昨日までの経過) この知らせを聞いたダビデの嘆きは、長い逃亡と戦いで疲弊しきった、兵士達の帰還にも拘らず、ダビデは、マハナイムの仮御所で、嘆いていたのです。 此の余りにも、個人的な感情に溺れて我を忘れた王に、軍の総指揮官のヨアブが、ダビデを厳しくいさめる言葉の中に、指導者(王)ダビデが、私情のために見失いかけていた、指導者(公人)としての、姿を思い起こして、マハナイムの町の門の入り口に座して、疲れ果て、王の嘆きを共に痛み、心押さえていた、兵士たちの帰還を迎えたのです。 私達、神の僕は、ある意味で、多くの主の恵みを知らない人々の中で、人生の道筋を先行して歩む立場にあります。主と共にあるものが、私情に砕けて倒れ伏して仕舞うとき、人々は、どの様にして光と希望と勝利の道を見いだせるでしょうか。 倒れては主を見上げて立ち上がり、又歩み出す、神の僕として、毎日毎朝、しっかりと立って、歩き始めましょう🎵 |
| 第二 サムエル18章24節~33節 18:24 ダビデは二つの門の間にすわっていた。見張りが城壁の門の屋根に上り、目を上げて見ていると、ただひとりで走って来る男がいた。 18:25 見張りが王に大声で告げると、王は言った。「ただひとりなら、吉報だろう。」その者がしだいに近づいて来たとき、 18:26 見張りは、もうひとりの男が走って来るのを見た。見張りは門衛に叫んで言った。「ひとりで走って来る男がいます。」すると王は言った。「それも吉報を持って来ているのだ。」 18:27 見張りは言った。「先に走っているのは、どうやらツァドクの子アヒマアツのように見えます。」王は言った。「あれは良い男だ。良い知らせを持って来るだろう。」 18:28 アヒマアツは大声で王に「ごきげんはいかがでしょうか」と言って、地にひれ伏して、王に礼をした。彼は言った。「あなたの神、【主】がほめたたえられますように。主は、王さまに手向かった者どもを、引き渡してくださいました。」 18:29 王が、「若者アブシャロムは無事か」と聞くと、アヒマアツは答えた。「ヨアブが王の家来のこのしもべを遣わすとき、私は、何か大騒ぎの起こるのを見ましたが、何があったのか知りません。」 18:30 王は言った。「わきへ退いて、そこに立っていなさい。」そこで彼はわきに退いて立っていた。 18:31 するとクシュ人が入って来て言った。「王さまにお知らせいたします。【主】は、きょう、あなたに立ち向かうすべての者の手から、あなたを救って、あなたのために正しいさばきをされました。」 18:32 王はクシュ人に言った。「若者アブシャロムは無事か。」クシュ人は答えた。「王さまの敵、あなたに立ち向かって害を加えようとする者はすべて、あの若者のようになりますように。」 18:33 すると王は身震いして、門の屋上に上り、そこで泣いた。彼は泣きながら、こう言い続けた。「わが子アブシャロム。わが子よ。わが子アブシャロム。ああ、私がおまえに代わって死ねばよかったのに。アブシャロム。わが子よ。わが子よ。」 |
2023年5月16日(火)リビングライフQT 吉報か、悲報か・・・ アヒマアツは、クシュ人を出し抜いてでも、自分の口で、勝利の報告をダビデにつたえたかったのです。 ところがダビデ王から、『アブサロム無事か❓』と聞かれ、 この戦いの複雑な状況を思い出し、ハッ‼️と、我に返ったのです。クーデターを起こしたのではあっても、この戦いは、親子の関係の中で起こったことだったと思い返し、 とても、アブサロムの悲惨な死に方を伝えることは、出来なかったのです。 ところが、他国のクシュ人には、恩義のある信頼すべきダビデ王しか知らないので、なんの配慮もなく32節・・「王さまの敵・・・は皆、あの若者のようになります様に」・・と、言ってのけたのです。 ダビデにとってこの知らせは、最悪の知らせとなったのです。 ダビデ王にとっては、何時かは、互いに和解して、イスラエルを一つの神に仕える国になることを、願って耐えてきた結果がこのような形になったことは、耐えられない悲しみだったのです。 『我が子アブサロム、💧我が子アブサロムよ💧』王のこの悲しみは、今読む私たちにさえ、胸に迫る、悲しみとして、強く魂に迫ってくる、嘆きです。 何とも表現しようのない、結末に、私たち読者まで、数千年経た今、心痛む思いです。一体ことの発端は・・❓ 家庭内に起こった内紛であり、その内紛とその結果への真摯な対応を怠ったことが、切っ掛けでした。 よくボタンの掛け違い・・・と言う表現を使って、このような場合を説明しますが、決してそうてはないのです。この事の発端となったアブサロムへのダビデの親としての、真摯な対応(愛と厳格さをもって)が成されていたら・・・ 歴史は書き換えられないものですから、この現実に学び、同じ悲しみを繰り返さないように、足元をしっかり見詰めながら、新たに歩み始めたいですね。 何時になっても、この思いを忘れないようにと、心に刻ませられます‼️ |
| 第二 サムエル 18章16節~23節 18:16 ヨアブが角笛を吹き鳴らすと、兵たちはイスラエルを追うのをやめて帰って来た。ヨアブが兵たちを引き止めたからである。 18:17 彼らはアブサロムを取り降ろし、森の中の深い穴に投げ込み、その上に非常に大きな石塚を積み上げた。イスラエルはみな、それぞれ自分の天幕に逃げ帰っていた。 18:18 アブサロムは生きていた間、王の谷に自分のために一本の柱を立てていた。「私の名を覚えてくれる息子が私にはいないから」と言っていたからである。彼はその柱に自分の名をつけていた。それは、アブサロムの記念碑と呼ばれた。今日もそうである。 18:19 ツァドクの子アヒマアツは言った。「私は王のところへ走って行って、【主】が敵の手から王を救って、王のために正しいさばきをされたことを伝えたいのですが。」 18:20 ヨアブは彼に言った。「今日、伝えるのではない。ほかの日に伝えよ。今日は伝えないのがよい。王子が死んだのだから。」 18:21 ヨアブはクシュ人に言った。「行って、あなたの見たことを王に告げよ。」クシュ人はヨアブに礼をして、走り去った。 18:22 ツァドクの子アヒマアツは再びヨアブに言った。「どんなことがあっても、やはり私もクシュ人の後を追って走って行きたいのです。」ヨアブは言った。「わが子よ、なぜ、あなたは走って行きたいのか。知らせに対して、何のほうびも得られないのに。」 18:23 「しかし、どんなことがあっても、走って行きたいのです。」ヨアブは「走って行け」と言った。アヒマアツは低地への道を走って行き、クシュ人を追い越した。 |
2023年5月15日(月)リビングライフQT アブサロムのはかない最期に、更に追い討ちをかけるように、彼の遺体の扱いは、一時、王であり、また、ダビデ王の筆頭の王子であったにも関わらず、 今や、歴史から消し去るような形で、穴(この地方は牧羊の地域なので、あちこちに井戸が掘られたり、石灰大地なので、鍾乳洞が発達していた)、この縦穴に投げ込まれ、大きな石で封印されてしまったのです。 この知らせをダビデに伝えるのに、ヨアブ(ダビデの軍の指導者・将軍)は報告を遅らそうと・・・ ダビデが心痛むのを知っていたのでしょう🌿 しかし、ツァドクの子アヒアマツは、知らせを告げる飛脚の役を買って出ます。が、ヨアブは、それをとどめて、他国の人クシュ人に・・・しかし、それでも、アヒアマツは、その後から、走って追い越し・・・・ 自分がこの朗報を知らせたい(それは自らの功績となるからです) 悲しみや、心の痛みを理解できない人は、良い事でも、反って人の心を逆撫ですることになることをわきまえねばなりませんね。 物事をしっかりわきまえる事は、人生の中で大切な条件です。 *正しければ良い *間違っていなければ良い *主なる神を信じていれば、配慮はいらない。 クリスチャンはしばしばこのような荒々しい感性で、躓きの種を撒くことがあります。 気を付けねばなりませんね。 信仰者は、配慮の人(相手の立場にたって、全ての事を、とり行う)でありたいですね✨✨ |
| 第二 サムエル18章1節~15節 18:1 ダビデは自分とともにいる兵を調べて、彼らの上に千人隊の長、百人隊の長を任命した。 18:2 ダビデは兵の三分の一をヨアブの指揮のもとに、三分の一をヨアブの兄弟である、ツェルヤの子アビシャイの指揮のもとに、三分の一をガテ人イタイの指揮のもとに配置した。王は兵たちに言った。「私自身も、あなたがたと一緒に出陣する。」 18:3 兵たちは言った。「王様が出陣してはいけません。私たちがどんなに逃げても、彼らは私たちのことは何とも思わないでしょう。私たちの半分が死んでも、彼らは私たちのことは心に留めないでしょう。しかし、今、あなたは私たちの一万人に当たります。今、あなたは町にいて私たちを助けてくださるほうがよいのです。」 18:4 王は彼らに言った。「あなたがたが良いと思うことを、私はしよう。」王は門のそばに立ち、兵はみな、百人、千人ごとに出て行った。 18:5 王はヨアブ、アビシャイ、イタイに命じて言った。「私に免じて、若者アブサロムをゆるやかに扱ってくれ。」兵はみな、王が隊長たち全員にアブサロムのことについて命じているのを聞いていた。 18:6 兵たちはイスラエルに対抗するために戦場へ出て行った。戦いはエフライムの森で行われた。 18:7 イスラエルの兵たちは、そこでダビデの家来たちに打ち負かされ、その日その場所で多くの者が倒れ、その数は二万人となった。 18:8 戦いはこの地一帯に広がり、この日、剣よりも密林のほうが多くの者を食い尽くした。 18:9 アブサロムはダビデの家来たちに出会った。アブサロムはらばに乗っていたが、らばが大きな樫の木の、茂った枝の下を通った。すると、アブサロムの頭が樫の木に引っ掛かり、彼は宙づりになった。彼が乗っていたらばはそのまま行ってしまった。 18:10 ある男がそれを見て、ヨアブに告げて言った。「今、アブサロムが樫の木に引っ掛かっているのを見ました。」 18:11 ヨアブは、これを告げた男に言った。「いったい、おまえはそれを見ていて、なぜその場で地に打ち落とさなかったのか。私はおまえに銀十枚と帯一本を与えたのに。」 18:12 その男はヨアブに言った。「たとえ、私の手に銀千枚をいただいても、王のご子息に手は下せません。王が私たちが聞いているところで、あなたとアビシャイとイタイに、『私のために若者アブサロムを守ってくれ』と言って、お命じになったからです。 18:13 もし、私が偽って彼のいのちに対して事を起こしていたとしても、王には何も隠すことはできません。あなたは素知らぬ顔をなさるでしょうが。」 18:14 ヨアブは、「こうしておまえとぐずぐずしてはいられない」と言って、手に三本の槍を取り、まだ樫の木の真ん中に引っ掛かったまま生きていたアブサロムの心臓を突き通した。 18:15 ヨアブの道具持ちの十人の若者たちも、アブサロムを取り巻いて彼を打ち殺した。 |
2023年5月14日(日)リビングライフQT *アブサロムの最期 *ダビデの軍とアブサロムの軍の戦いは、激しい(2万人が死んだ)もので、アブサロムの軍の死者の大半は、深い森のなかで道に迷い、飢えや絶壁から転落たり、猛獣にやられたり・・となりました。、統率のとれた軍であれば、このような結末にはならなかったでしょう、 対してダビデの軍は神の手に守られている・・・との強い確信と、正しい王国再建と言う、歴史的大任を担う心意気で戦っていたので、士気は高く、統率が取れていた。その指揮の高いダビデ軍に追われて、原始林に迷い込んだので、激戦で死んだ兵より森に迷い混んで死んだ兵士の方が多かったのです。 長い間ダビデを悩ました、アブサロムの軍は、今や散り散りになり、大将アブサロムでさえも、一人で逃走しなければならないほどの、切迫した状況だったのです。あれほど勝ち誇っていた、アブサロムの陣営は、何故この様な敗北を喫したのでしょう。 それは、神が立てたもうた、国(王)ではなかったからなのです。 アブサロムは、エルサレムに入城して、王宮にまで入ったことでしょう。 更に父ダビデとその軍を追倒する、進軍だったはずです。 ところがどこで追倒軍が、敗退の将となったのでしょう。 以前のアブサロムの姿形の記述を思い出されるでしょう。彼の髪の毛は、美しさを誇っていたのです。 それが彼の死に至る最大の障害となったのです。しかも、長い時間、その髪の毛で宙吊りになったまま、刺し殺されたのです。彼を衛る兵どころかアブサロムを宙吊りから救出する兵もいないまま、彼は孤独の戦死になったのです。 なんと言う皮肉でしょう。 私たちの人生は、神に信頼して歩んでいても、悲惨な試練や、病や、孤立、敗北などの中を通らねばならない事があります。そのような中で、 『主よ⁉️何故なのですか? 彼らは勝ち誇り益々、悪の道で繁栄しています。何故正しく生きてきた私が、こんな惨めな道を歩まねばならないのでしょう(はてな)』 矛盾に悩み、罵られ、顧みられない時、また、次々病を負って、平安の無い苦痛に有るとき、祈っても、祈っても道が開かれないとき・・・その様な試練に立たされる時、ダビデの苦しみ、悲しみ、孤立感を思い出してみましょう。 今まで学んできた中で、ダビデが、ぼやいたり、神に抗議の祈りをした記録を見たでしょうか。 ダビデは祈り、神に近づき、神に訴え(ボヤキではない)、賛美し、サウルの死に涙💧し、アブサロムの対応に『アブサロムを、緩やかに扱ってください』(5節)この様なダビデの姿・心は、一体何処から・・⁉️ *繁栄が勝利なのではない *成功が価値有る姿ではない ☆敗退のなかにも平安があり ☆貧しさのなかに、喜びがあり ☆悲しみのなかに、神よりの慰めがある‼️ どちらが価値有る人生でしょう🎵 ダビデの生涯はその事を教えてくれるテキストなのです。 詩篇にあるダビデの詩は、その事を強く教えてくれるのです。 此れからの人生を、主が共に居てくださる日々である事を祈りの中に見つめ、求めて、豊かな日々として頂きましょう✨✨ |
| 第二 サムエル17章15節~29節 17:15 フシャイは祭司ツァドクとエブヤタルに言った。「アヒトフェルは、アブサロムとイスラエルの長老たちにこれこれの助言をしたが、私は、これこれの助言をした。 17:16 今、急いで人を遣わして、ダビデに、『今夜は荒野の渡し場で夜を過ごしてはいけません。必ず、あちらへ渡って行かなければなりません。そうでないと、王をはじめ、一緒にいる民全員にわざわいが降りかかるでしょう』と告げなさい。」 17:17 ヨナタンとアヒマアツはエン・ロゲルにとどまっていたが、一人の女奴隷が行って彼らに告げ、彼らがダビデ王に告げに行くようになっていた。これは、彼らが都に入るのを見られないようにするためであった。 17:18 ところが、ある若者が彼らを見て、アブサロムに告げた。彼ら二人は急いで去り、バフリムに住むある人の家に行った。その人の庭に井戸があったので、彼らはその中に降りた。 17:19 その人の妻は覆いを持って来て、井戸の口の上に広げ、その上に麦をまき散らしたので、だれにも知られなかった。 17:20 アブサロムの家来たちが、その女の家に来て言った。「アヒマアツとヨナタンはどこにいるのか。」女は彼らに言った。「あの人たちは、ここを通り過ぎて川の方へ行きました。」彼らは、捜したが見つけることができなかったので、エルサレムへ帰った。 17:21 彼らが去った後、二人は井戸から上がって来て、ダビデ王に知らせに行った。彼らはダビデに言った。「さあ、急いで川を渡り始めてください。アヒトフェルがあなたがたに対して、これこれのことを進言したからです。」 17:22 ダビデと、ダビデのもとにいたすべての者たちは、ヨルダン川を渡り始めた。夜明けまでにヨルダン川を渡りきれなかった者は一人もいなかった。 17:23 アヒトフェルは、自分の助言が実行されないのを見ると、ろばに鞍を置いて自分の町の家に帰り、家を整理して首をくくって死んだ。彼は彼の父の墓に葬られた。 17:24 ダビデがマハナイムに着いたとき、アブサロムは、彼とともにいるイスラエルのすべての人々とヨルダン川を渡った。 17:25 アブサロムはアマサをヨアブの代わりに軍団長に任命していた。アマサは、アスリエル人イテラという人の息子で、イテラは、ヨアブの母ツェルヤの妹ナハシュの娘アビガルと結婚していた。 17:26 イスラエルとアブサロムはギルアデの地に陣を敷いた。 17:27 ダビデがマハナイムに来たとき、アンモン人でラバ出身のナハシュの息子ショビと、ロ・デバル出身のアンミエルの息子マキルと、ロゲリム出身のギルアデ人バルジライは、 17:28 寝台、鉢、土器、小麦、大麦、小麦粉、炒り麦、そら豆、レンズ豆、炒り豆、 17:29 蜂蜜、凝乳、羊、チーズを、ダビデと彼とともにいた民の食糧として持って来た。彼らが「民は荒野で飢えて疲れ、渇いています」と言ったからである。 |
2023年5月13日(土)リビングライフQT フシャイは先に、ダビデに情報を提供する役割を頂いて、祭司たちとの連絡役となって、エルサレムに留まっていた、云わばスパイ役の人物でした。 彼は、アブサロムがエルサレムに入城したとき、アブサロムの前に立ち、『王さま万歳』と、『父王ーダビデに、忠誠を誓ったように、今あなたを王としてお仕えしましょう🎵』と、平伏して、忠誠を誓っていたので、ダビデの軍を知る者として、信頼を勝ち取り、ダビデ追撃の策にも優れていたので、彼の策が採用されたのです。 この様な、エルサレムの動きを、フシャイを通して、ダビデのところに知らせたのです。 一触即発・・その様な中で、ダビデは他国の勇姿(バルジライ)の目に留まり、莫大な支援物資が、届けられました。 今、私たちはこうして、歴史を鳥瞰図(ちょうかんず=鳥が上空から見下ろすように、歴史全体の経過を全体像として観察出来るか事)の様に、見ていますが、このただ中に自らを置いてみると、全く鬼気迫る状況なのです。 ダビデに知らせをもたらした二人も、命がけでしたし、未だ、エルサレムからは、50km程しか離れていない荒野を、進んでいたのですから、祭司たちが送り出した、ダビデへの早飛脚の知らせは、ダビデの軍団の足を早め、ヨルダンを急いで渡ったのです。 アヒトフェルは、良かれと考えた、作戦は、実は、旨く行けばアブサロムが勝利しても、ダビデが勝利しても、自分の立場が、有利になるように、立ち回るためのものでした。その利益誘導的策略が挫折すると、失望のあまり(下手すると反逆罪に問われかねない)自害して人生に終止符を打ったのです。 自分のために生きる者の愚かさの典型でしょう。 先住民バルジライの援助は、追い詰められたダビデにとっては、この上ない慰めでしたでしょうし、新しい勇気をもらった(主なる神は御見捨てにはならない‼️)、祝福の時だったでしょう。 私達は時に、誰かを助けたい‼️と、心動かされるときがあります。それが神の時‼️である場合があります。結果としてしかわからないのですが、それが歴史を動かす隠れた働きとなることもあります。 示されたと心に思ったことを、素直に速やかに行うような人になりたいですね。 時と、利害を越えた愛の手は、天からの恵みと祝福の証しとなるです✨ |
| 第二 サムエル17章1節~14節 17:1 アヒトフェルはアブサロムに言った。「私に一万二千人を選ばせてください。私は今夜すぐに、ダビデの後を追い始めます。 17:2 私は、彼が疲れて気力を失っている間に、彼を襲い、彼を震え上がらせます。彼と一緒にいるすべての民は逃げるでしょう。私は王だけを打ち殺します。 17:3 私は兵全員をあなたのもとに連れ戻します。すべての者が帰って来るとき、民はみな、穏やかになるでしょう。あなたが求めているのは、ただ一人の人だけですから。」 17:4 このことばは、アブサロムとイスラエルの全長老の気に入るところとなった。 17:5 アブサロムは言った。「アルキ人フシャイを呼び出し、彼の言うことも聞いてみよう。」 17:6 フシャイがアブサロムのところに来ると、アブサロムは彼に言った。「アヒトフェルはこのように語ったが、われわれは彼のことばに従ってよいものだろうか。もしそうでなければ、あなたが語りなさい。」 17:7 フシャイはアブサロムに言った。「このたびアヒトフェルの進言した助言は良くありません。」 17:8 フシャイは言った。「あなたは父上とその部下が戦士であることをご存じです。彼らは、野で子を奪われた雌熊のように気が荒くなっています。また、あなたの父上は戦いに慣れた方ですから、兵たちと一緒には夜を過ごさないでしょう。 17:9 きっと今、洞穴かどこか、そんな場所に隠れているに違いありません。もし、兵たちのある者が最初に倒れたら、それを聞く者は『アブサロムに従う兵たちのうちに、打たれた者が出た』と言うでしょう。 17:10 たとえ、獅子のような心を持つ力ある者でも、気がくじけます。全イスラエルは、あなたの父上が勇士であり、彼とともにいる者が力ある者であるのをよく知っています。 17:11 私の助言はこうです。全イスラエルをダンからベエル・シェバに至るまで、海辺の砂のように数多くあなたのところに集めて、あなた自身が戦いに出られることです。 17:12 われわれは彼が見つかる場所に行って、そこで露が地面に降りるように彼を襲うのです。そうすれば、彼や、ともにいるすべての兵たちのうちには、一人も残る者はありません。 17:13 もし彼がどこかの町に入るなら、イスラエル中の者がその町に縄をかけ、その町を川まで引きずって行って、そこに一つの石ころも残らないようにしましょう。」 17:14 アブサロムとイスラエルの人々はみな言った。「アルキ人フシャイの助言は、アヒトフェルの助言よりも良い。」これは、【主】がアブサロムにわざわいをもたらそうとして、【主】がアヒトフェルのすぐれた助言を打ち破ろうと定めておられたからである。 |
2023年5月12日(金)リビングライフQT ダビデ物語の進展は、益々複雑な状況へと、移行していきますね。アヒトフェルは、アブサロムに取り入ろうと、ダビデ追撃の作戦を、展開するのです。一見、妙案のように写ったのですが、もう一人の信頼する部下フシャイの意見を聞くことで、意見が真っ向から対立することとなりました。これはアヒィトフェルが、更にアブサロムの、信頼を勝ち取ろうとの、思いからなのか、或いは、この作戦でアブサロムの軍を、そのままダビデの軍に併合して、ついにはアブサロムに反逆してダビデに忠義を示そうとしたのか・・・ しかし、このもくろみは見事に、敗北をきし、フシャイの案が採用されたのです。 14節を見ると、対抗して提案されたフシャイの案もまた、今日のテキストでは、未だ展開されてないのですが、 アブサロムの最期を引き寄せる、失敗作となることを示唆している。 箴言16章には、人の思い図ることが、神のご計画と必ず一致するものではない・・と、示唆する言葉が幾つか… (1節・2節・9節) 私たちの信仰生活においても、これは正しい‼️と思っていても、自分の思考・計画・準備などは、どこかで、自分に利する方向がベースになるものです。祈るときにも、計画立案するときにも、これは正しい・・・‼️ と、自負しても、神のご計画、導きは更に、優れた歴史的道筋として、私たちの中に展開するのです。謙虚に、主に聞き、従い、受け入れて、神の歴史の一ページを、綴りましょう🎵 ハレルヤ‼️ |
| 第二 サムエル16章15節~23節 16:15 アブサロムとすべての民、イスラエルの人々はエルサレムに入った。アヒトフェルも一緒であった。 16:16 ダビデの友アルキ人フシャイがアブサロムのところに来たとき、フシャイはアブサロムに言った。「王様万歳。王様万歳。」 16:17 アブサロムはフシャイに言った。「これが、あなたの友への忠誠の表れなのか。なぜあなたは、あなたの友と一緒に行かなかったのか。」 16:18 フシャイはアブサロムに言った。「いいえ、【主】と、この民、イスラエルのすべての人々が選んだ方に私はつき、その方と一緒にとどまります。 16:19 また、私はだれに仕えるべきでしょうか。私の友の子に仕えるべきではありませんか。私はあなた様の父上に仕えたように、あなた様にもお仕えいたします。」 16:20 アブサロムはアヒトフェルに言った。「あなたがたで相談しなさい。われわれは、どうしたらよいだろうか。」 16:21 アヒトフェルはアブサロムに言った。「父上が王宮の留守番に残した側女たちのところにお入りください。全イスラエルが、あなたは父上に憎まれるようなことをされたと聞くでしょう。あなたに、くみする者はみな、勇気を出すでしょう。」 16:22 アブサロムのために屋上に天幕が張られ、アブサロムは全イスラエルの目の前で、父の側女たちのところに入った。 16:23 当時、アヒトフェルの進言する助言は、人が神のことばを伺って得ることばのようであった。アヒトフェルの助言はすべて、ダビデにもアブサロムにもそのように思われた。 |
2023年5月11日(木)リビングライフQT ダビデに仕えていた、アヒトフェルは、ダビデの助け手として、アブサロムの所へ、送り込まれたのです。先に送られた祭司達や、神の箱のように、アブサロムにとっては、エルサレムとダビデに関する様々な事情に通じた、人材が必要だったのです。 アヒィトフェルは、言葉巧みに、ダビデの立場を不利に陥れる遣り方(側女達をアブサロム自身のものにする)のように見せかけて、自分の立場を、アブサロムの前に、確固たる信頼を勝ち取る事に、成功するのです。 しかし、この策略は、古代社会とは言え、余りにも、人の心と魂を踏みにじった事でしたし、父の妻(側女であっても)を、横取りすることは、固く律法でも禁じられていた。 自分を売り込むのに必要なら、どんな事でもする・・・と言ったやり口がやがて裏目に出る時が来るのです。 人の行動は、人社会の中で、上手く行くか否か・・によって、その人の価値が評価されるものではない。 最終的に、人の価値は、神の前に図られると言う事を、忘れてはならないのです。 アヒトフェルの立ち居振舞いは、優れてはいたが、いつか、大きな矛盾に晒される時が来るでしょう。 最終的に裁くお方は、神ご自身ですから、人は、この神の主権にとって代わるかの様な、立ち居振舞いをすることは、神の主権を侵すこととなるのです。 主なる神の前に、真実をもって服する者でありたいですね。その様な者を、主は、祝福と平安をもって導いてくださいます。 ハレルヤ‼️ |
| 第二 サムエル16章1節~14節 16:1 ダビデは山の頂から少し下った。見ると、メフィボシェテのしもべツィバが王を迎えに来ていた。彼は、鞍を置いた一くびきのろばに、パン二百個、干しぶどう百房、夏の果物百個、ぶどう酒一袋を載せていた。 16:2 王はツィバに言った。「これらは何のためか。」ツィバは言った。「二頭のろばは王の家族がお乗りになるため、パンと夏の果物は若者たちが食べるため、ぶどう酒は荒野で疲れた者が飲むためです。」 16:3 王は言った。「あなたの主人の息子はどこにいるのか。」ツィバは王に言った。「今、エルサレムにとどまっております。あの方は、『今日、イスラエルの家は、父の王国を私に返してくれる』と言っておりました。」 16:4 王はツィバに言った。「見よ、メフィボシェテのものはみな、あなたのものだ。」ツィバは言った。「王様。あなた様のご好意をいただくことができますように、伏してお願いいたします。」 16:5 ダビデ王がバフリムまで来ると、見よ、サウルの家の一族の一人が、そこから出て来た。その名はゲラの子シムイで、盛んに呪いのことばを吐きながら出て来た。 16:6 彼は、ダビデとダビデ王のすべての家来たちに向かって石を投げつけた。兵たちと勇士たちはみな、王の右左にいた。 16:7 シムイは呪ってこう言った。「出て行け、出て行け。血まみれの男、よこしまな者よ。 16:8 【主】がサウルの家のすべての血に報いたのだ。サウルに代わって王となったおまえに対して。【主】は息子アブサロムの手に王位を渡した。今、おまえはわざわいにあうのだ。おまえは血まみれの男なのだから。」 16:9 ツェルヤの子アビシャイが王に言った。「この死んだ犬めが、わが主君である王を呪ってよいものでしょうか。行って、あの首をはねさせてください。」 16:10 王は言った。「ツェルヤの息子たちよ。これは私のことで、あなたがたに何の関わりがあるのか。彼が呪うのは、【主】が彼に『ダビデを呪え』と言われたからだ。だれが彼に『おまえは、どうしてこういうことをするのだ』と言えるだろうか。」 16:11 ダビデはアビシャイと彼のすべての家来たちに言った。「見よ。私の身から出た私の息子さえ、私のいのちを狙っている。今、このベニヤミン人としては、なおさらのことだ。放っておきなさい。彼に呪わせなさい。【主】が彼に命じられたのだから。 16:12 おそらく、【主】は私の心をご覧になるだろう。そして【主】は今日の彼の呪いに代えて、私に良いことをもって報いてくださるだろう。」 16:13 ダビデとその部下たちは道を進んで行った。シムイは、山の中腹をダビデと並行して歩きながら、呪ったり、石を投げたり、土のちりをかけたりしていた。 16:14 王も、王とともに行った兵もみな、疲れたのでそこで一息ついた。 |
2023年5月10日(水)リビングライフQT 悲しい二人の姿(①ツィバ と ②シムイ) ①ツィバ~いかにも、ダビデに忠義を表すような行為をもって、ダビデの支援に駆けつけたように見せかけた“ツィバ”うかつにも、ダビデは彼の言葉に乗ってしまい、メフィポシェテについて深く問いかけることをせず、また、主に祈り判断を求める事もせずに、メフィポシェテを孤立させるはめになったのです。また、ダビデの軽薄さ(善意の優しさ)が、露呈してしまったのです。・・何だか、自分の弱さを見るような思いで、身をただされます😞💦・・・ ②シムイ~負け犬に水をかけるような、誠に屈辱的な、ダビデへの嫌がらせ💢 嫌がらせでは表現出来ない、余りにも常軌を逸した、シムイの執拗な行為😖💦 しかしこの事態に対してのダビデは、最も打ちのめされた状況に、更に水を差す行為に、自らの弱さと失敗から来る、刈り取りの神からの取り扱いだ・・・と、反省と悔い改めの思いをもって、この事態に対したのです。 このダビデに従っている家族・兵士達にとって、どんなにか、屈辱的、また、悲しい現実だったことでしょう。 こうして、ダビデ一行の受けた屈辱を、すべての付き従う人々も共有しながらの逃避行となったのです。 この記事を読みながら、感情的に、心かきむしられる思いですが、この記述された行間からは、彼らの神への信頼と信仰がにじみ出てくるような感じがします。 まさにそうだ‼️と思います。信仰は “今” に生きるのではなく、常に、これから起こること、先に用意されといること、新しく備えられている事のために、今の時がある‼️ これが歴史に生きる、信仰者の “今” なのではないでしょうか。今の時に起こる出来事に失望落胆してはなりません。 同様に、今の時に起こってくる、礼讚・最高潮・思いを越えた順境を、そのままに身を委ねることは、要注意なのです。 全ては神から出た事として受ける時、謙虚で価値ある、恵みと平安が、心と魂を覆うでしょう🎵 アーメン🤲 |
| 第二 サムエル15章24節~37節 15:24 見よ、ツァドクも、すべてのレビ人と一緒に神の契約の箱を担いでいた。民がみな都から出て行ってしまうまで、彼らは神の箱を降ろし、エブヤタルがささげ物を献げた。 15:25 王はツァドクに言った。「神の箱を都に戻しなさい。もし私が【主】の恵みをいただくことができれば、主は、私を連れ戻し、神の箱とその住まいを見させてくださるだろう。 15:26 もし主が『あなたはわたしの心にかなわない』と言われるなら、どうか、主が良いと思われることをこの私にしてくださるように。」 15:27 王は祭司ツァドクに言った。「あなたは先見者ではないか。安心して都に帰りなさい。あなたがたの二人の息子、あなたの息子アヒマアツとエブヤタルの息子ヨナタンも、あなたがたと一緒に。 15:28 見なさい。私は、あなたがたから知らせのことばが来るまで、荒野の草原でゆっくり待とう。」 15:29 ツァドクとエブヤタルは神の箱をエルサレムに持ち帰り、そこにとどまった。 15:30 ダビデはオリーブ山の坂を登った。彼は泣きながら登り、その頭をおおい、裸足で登った。彼と一緒にいた民もみな、頭をおおい、泣きながら登った。 15:31 そのときダビデは、「アヒトフェルがアブサロムの謀反に荷担している」と知らされた。ダビデは言った。「【主】よ、どうかアヒトフェルの助言を愚かなものにしてください。」 15:32 ダビデが、神を礼拝する場所になっていた山の頂に来たとき、見よ、アルキ人フシャイが上着を引き裂き、頭に土をかぶってダビデに会いに来た。 15:33 ダビデは彼に言った。「もしあなたが私と一緒に行くなら、あなたは私の重荷になる。 15:34 しかしもし、あなたが都に戻って、アブサロムに『王よ、私はあなたのしもべになります。これまであなたの父上のしもべであったように、今、私はあなたのしもべになります』と言うなら、あなたは私のためにアヒトフェルの助言を打ち破ることになる。 15:35 あそこには祭司のツァドクとエブヤタルも、あなたと一緒にいるではないか。あなたは王の家から聞くことは何でも、祭司のツァドクとエブヤタルに告げるのだ。 15:36 見よ、あそこには、彼らの二人の息子、ツァドクの子アヒマアツとエブヤタルの子ヨナタンが彼らとともにいる。二人をよこして、あなたがたが聞いたことを残らず私に伝えてくれ。」 15:37 ダビデの友フシャイは都に帰った。そのころ、アブサロムもエルサレムに着いた。 |
2023年5月9日(火)リビングライフQT ダビデの神への信頼に裏付けされた決断と行動は、深い感動と、共感に心揺さぶられます。 昨日も書きましたが、ダビデの生涯には、紆余曲折が有りましたが、 最終的にいざと言う時の、主なる神への信頼は、努力したり、頑張ったり、自分に言い聞かせたり・・・その様な、努力の賜物として表されたのではなく、どこまでも自然に溢れでる、ダビデの存在感そのものの中心に、据えられた感性のように、出てくるのです。 この感性こそ、幼い頃からの主なる神様との深い交わりに、密着してきた生活に養われたものでしょう‼️ 私達の、毎日のデボーション(聖書に聴き、悔い改め、新たに献身し、主を賛美し、祈り、求め、感謝する・・・) このような毎日の生活のただ中に、主の御臨在を願う日々から、ダビデのような信仰と揺るぎない信頼が生まれるのです。 その様な神への信頼が、神の箱が、側に無ければ不安になる・・と言ったお守り的な信仰ではなく、神の臨在は神が定められたエルサレムに、あれば良い‼️ 神が自分(ダビデ)を、良しとされれば、また帰ってこられる‼️(25節ー26節) 何と言う神の主権に身を委ねた平安でしょう🎵 今一人、ダビデの身を案じた友、アヒィトフェルを、神の箱を守る祭司の助け手として、エルサレムに返したことは、味方として行動する人材ではなく、本当に神に信頼する、ダビデの信仰(信頼)と、ひとつに行動する人材を必要としたのです。 味方・助け手ではなく、ダビデは、ひとつ信仰と信頼に繋がる者を側近として必要としたのです。 ダビデの都落ちは、敗北や逃避行ではなく、神の時を待つ、主の僕としての歩みだったのです。 28節『見なさい。私は、あなた方から知らせのことばが来るまで、荒野の草原でゆっくり待とう🍀』 何と言うゆとり‼️ 試練や困難に突き当たったとき、主からの良き知らせ、潮目の変わりを待つ、教会、信仰者でありましょう🎵 主はその様な私たちを喜んでくださいます。 |
| 第二 サムエル15章13節~23節 15:13 ダビデのところに告げる者が来て、「イスラエルの人々の心はアブサロムになびいています」と言った。 15:14 ダビデは、自分とともにエルサレムにいる家来全員に言った。「さあ、逃げよう。そうでないと、アブサロムから逃れる者はいなくなるだろう。すぐ出発しよう。彼がすばやく追いついて、私たちに害を加え、剣の刃でこの都を討つといけないから。」 15:15 王の家来たちは王に言った。「ご覧ください。私たち、あなたのしもべどもは、王様の選ばれるままにいたします。」 15:16 王は出て行き、家族のすべての者も王に従った。しかし王は、王宮の留守番に十人の側女を残した。 15:17 王と、王に従うすべての民は、出て行って町外れの家にとどまった。 15:18 王のすべての家来は王の傍らを進み、すべてのクレタ人と、すべてのペレテ人、そしてガテから王について来た六百人のガテ人がみな、王の前を進んだ。 15:19 王はガテ人イタイに言った。「どうして、あなたもわれわれと一緒に行くのか。戻って、あの王のところにとどまりなさい。あなたは異国人で、自分の国からの亡命者なのだから。 15:20 あなたは昨日来たばかりなのに、今日、あなたをわれわれと一緒にさまよわせるのは忍びない。私はこれから、あてどもなく旅を続けるのだから。あなたの兄弟を連れて戻りなさい。恵みとまことがあなたとともにあるように。」 15:21 イタイは王に答えて言った。「【主】は生きておられます。そして、王様も生きておられます。王様がおられるところに、生きるためでも死ぬためでも、このしもべも必ずそこにいます。」 15:22 ダビデはイタイに言った。「では、進んで行きなさい。」ガテ人イタイは、彼の部下全員と、一緒にいた子どもたち全員を連れて、進んで行った。 15:23 この民がみな進んで行くとき、国中は大きな声をあげて泣いた。王はキデロンの谷を渡り、この民もみな、荒野の方へ渡って行った。 |
2023年5月8日(月)リビングライフQT ダビデは、サウルに追われた時もそうでしたが、今回も、身内の争いには、関与せず、時を稼ぎながら、事態の推移を見極めようとしたのでしょうか⁉️ 戦えば、多くの同胞を死に至らしめるのは明白です。 神に選ばれ、今日まであらゆる外敵からの戦いに守られてきたイスラエルの民(ユダ族も含め)。 ダビデの心の中は、此のような、選びの民を守るための、手だてとして、今は逃げることで戦いに民を巻き込まないことが最優先と考えたのでしょうか? ダビデの人となりは、次の19節~22節のガテ人“イタイ”への思いやりは、此の厳しい混乱に向かう中で、“イタイ”一人の生きる道を拓こうと配慮する心遣いには、目頭が熱くなる思いです。 ダビデは、此の戦いは、不利な厳しいものになることを予測していた様ですね。 聖地旅行に行かれた方は、エルサレムの丘から、ケデロンの谷を降り再び、オリブ山へと上る坂を、ダビデ王もダビデについて出た兵士も民も、泣きながら進んだ。 こんな試練が世にあるでしょうか😖💦 私達のクリスチャン人生にも、此のような理不尽で悲しい試練が、起こるのです。 信仰生活には、勝利と栄光だけが約束されている・・・と、楽観してはなりません。ダビデ王朝(イスラエルの民)がこの後3000年以上に亘って、存続しているのは、此のような試練の中、歴史を刻んできたことを忘れてはなりません。 だからイスラエル(ユダヤ人)は、強いのです。 ダビデは、失敗も多々有りましたが、総じて、一貫した神への絶対的信頼と、神から来る、試練もまた、神からの賜物として、大切に受け入れて歩んだ人生だったのです。 少年時代、羊飼いとして、ライオンと戦い、熊と格闘したダビデは、神が羊の牧者であるように、王になった今もまた、民を導き守るのは、神ご自身だと、信頼し切っていたのでしょう🎵 詩篇23篇『たとい、死の陰の谷を歩くことがあっても、・・・』と詠っているのは、まさにこの時を思い出していたのでしょうか‼️ |
| 第二 サムエル15章1節~12節 15:1 その後、アブサロムは自分のために戦車と馬、そして自分の前に走る者五十人を手に入れた。 15:2 アブサロムはいつも、朝早く、門に通じる道のそばに立っていた。さばきのために王のところに来て訴えようとする者がいると、アブサロムは、その一人ひとりを呼んで言っていた。「あなたはどこの町の者か。」その人が「このしもべはイスラエルのこれこれの部族の者です」と答えると、 15:3 アブサロムは彼に、「聞きなさい。あなたの訴えは良いし、正しい。だが、王の側にはあなたのことを聞いてくれる者はいない」と言っていた。 15:4 さらにアブサロムは、「だれか私をこの国のさばき人に立ててくれないだろうか。訴えや申し立てのある人がみな、私のところに来て、私がその訴えを正しくさばくのだが」と言っていた。 15:5 人が彼に近づいてひれ伏そうとすると、彼は手を伸ばし、その人を抱いて口づけしていた。 15:6 アブサロムは、さばきのために王のところにやって来る、すべてのイスラエルの人にこのようにした。アブサロムはイスラエルの人々の心を盗んだ。 15:7 四年たって、アブサロムは王に言った。「私が【主】に立てた誓願を果たすために、どうか私をヘブロンに行かせてください。 15:8 このしもべは、アラムのゲシュルにいたときに、『もし【主】が私を本当にエルサレムに連れ帰ってくださるなら、私は【主】に仕えます』と言って誓願を立てたのです。」 15:9 王は言った。「安心して行って来なさい。」彼は立って、ヘブロンに行った。 15:10 アブサロムはイスラエルの全部族に、ひそかに人を遣わして言った。「角笛が鳴るのを聞いたら、『アブサロムがヘブロンで王になった』と言いなさい。」 15:11 アブサロムとともに、二百人の人々がエルサレムを出て行った。その人たちは、ただ単に招かれて行った者たちで、何も知らなかった。 15:12 アブサロムは、いけにえを献げている間に、人を遣わして、ダビデの助言者ギロ人アヒトフェルを、彼の町ギロから呼び寄せた。この謀反は強く、アブサロムにくみする民が多くなった。 |
2023年5月7日(日)リビングライフQT 何と言う悪企みでしょう。此の決起行動のために、何と、4年の歳月を掛けて、組み上げたのです。 神の義を築き挙げるためには、挫折と、振り出しに戻るを繰り返す、愚かな罪人は、悪の支配を築き挙げるためには、何と忍耐深いのでしょう。 人の罪深さをつくづく思い知らされる姿です。 此の忍耐は、言わば、ダビデの息子(王子)アブサロムへの、愛と赦しの欠如から出たことなのです。 赦し・和解・愛を見失った時、罪と憎しみとが、魂に忍び寄ってくるのです。 此の隙間を埋めるのが、祈りと神への礼拝・神の言葉への傾聴(今の私たちには神の言葉”聖書”に聴く事)なのです。 今日のテキストの中で、、教会・クリスチャンの、心しなければならない大切な、問題点です。 アブサロムは、ヘブロンへ行き、主に誓願をたてる・・・と、王に願い出ました。 ヘブロンは、アブラハム(イスラエルの祖先)が、カナンの地に着いた、最初の出発点なのです。サウルもダビデもここから出発しました。 こうしたイスラエルの歴史的原点で、アブサロムが、身辺を整えることを、ダビデは期待と理解をしたのでしょう。 しかし、実際は、ヘブロンは、アブサロムにとって、新しい王としての出発点と位置付けていたのです。 ダビデはもう高齢になり、意思決定に弱くはなっていましたが、民からの信頼は依然としてあつく、最強の安定政権だったのです。 アブサロムは、正当な後継者だったのですが、何時までも、時期が訪れないばかりか、自分の悪名(家庭騒動)と、履歴の傷に悩まされたので、民心を自分に向けるために、6節『アブサロムはイスラエルの人々の心を盗んだのです。』 さらに、12節『アブサロムは、いけにえを献げている間に・・・』ヘブロンが政治的(宗教的でもある)原点であり、民心を掴んだのが、人の心に触れる親切・・であったように、今、アブサロムは、神の前に献げものをする儀式で、神への礼拝を悪用したのです。 アブサロムの罪は、雪ダルマのように、裁きの坂を初めは緩やかに、しかし、今やその罪の塊をさらに大きくしながら、転げ下っていくのです。アブサロムにとっては、それが新しい、時代の勢いと、自分の権力の強大さを、その大きく育った玉に見ていたのでしょうか。 罪は主なる神をも欺く、恐ろしい姿になっていくのです。 今新たに、身を正される、物語です。 今朝は人吉から、祝福を祈っています‼️ |
| 第二 サムエル14章25節~33節 14:25 さて、イスラエルのどこにも、アブサロムほど、その美しさをほめそやされた者はいなかった。足の裏から頭の頂まで、彼には非の打ちどころがなかった。 14:26 彼は毎年、年の終わりに、頭が重いので髪の毛を刈っていたが、刈るときに髪の毛を量ると、王の秤で二百シェケルもあった。 14:27 アブサロムに、三人の息子と一人の娘が生まれた。その娘の名はタマルといって美しい女であった。 14:28 アブサロムは二年間エルサレムに住んでいたが、王の顔を見ることはなかった。 14:29 アブサロムは、ヨアブを王のところに送ろうとして、ヨアブのもとに人を遣わしたが、彼は来ようとしなかった。アブサロムはもう一度、人を遣わしたが、ヨアブは来ようとしなかった。 14:30 アブサロムは家来たちに言った。「見よ。ヨアブの畑は私の畑のそばにあり、そこには大麦が植えてある。行って、それに火をつけよ。」アブサロムの家来たちは畑に火をつけた。 14:31 ヨアブは立ち上がり、アブサロムの家に来て、彼に言った。「なぜ、あなたの家来たちは私の畑に火をつけたのですか。」 14:32 アブサロムはヨアブに答えた。「ほら、私はあなたのところに人を遣わし、ここに来るように言ったではないか。私はあなたを王のもとに遣わし、『なぜ、私をゲシュルから帰って来させたのですか。あそこにとどまっていたほうが、まだ、ましでした』と言ってもらいたかったのだ。今、私は王の顔を拝したい。もし私に咎があるなら、王に殺されてもかまわない。」 14:33 ヨアブは王のところに行き、王に告げた。王はアブサロムを呼び寄せた。アブサロムは王のところに来て、王の前で地にひれ伏して礼をした。王はアブサロムに口づけした。 |
2023年5月6日(土)リビングライフQT アブサロムは、ダビデ王の子息の中でも、全ての点で秀でて優れた存在だったようですね。 (*1シェケル=11.4g *二百シェケル= 2280g→2.28kg アブサロムの豊かな髪の毛の量です。) 今日のテキストの内容は、実は、次にダビデ王家に興る、重大なお家騒動の、始まりの潜在的な“伏線”なのです。 それは、単に小説の筋書きを解説するものではなく、実は、私たちの人生に起こりうる(起こる可能性のある)、重大な警告として、喚起させられることなのです。 先ず、ここで問題となるのは、28節(昨日のテキストの14:24)繰り返しでもあるのです。 同じ狭いエルサレムのなかに居住しながら、様々な儀式や、行事もある中で、アブサロムは、“蚊帳の外”に外され、王との会見から遠ざけられたのです。そればかりか、ダビデの側近の計らいで、父王の側に帰還する仲立ちをした、ヨアブさえも、アブサロムを、敬遠したままだったようですね。 父王の前に詫びたい、弁明もしたい❗ しかし、それも叶わないまま、針の筵に座らせられたアブサロムは、遂に、ヨアブに使者を遣わして、仲介を願い出たのですが、 それすらも無視されたのです。 何故でしょう⁉️ ダビデも、ヨアブも、神に問い掛けてないのです。何故(何故) ダビデがこの件に関して、“赦せない”のです。だから神の前にでられないのです。😢問題の解決は、何時も、主なる神の前にあるのです‼️ 王の心を推し測るのに深い読みの出来た流石のヨアブも、この問題には、踏み越えられない、弱さを感じていたのでしょう。同情的に見ても、やはりヨアブの弱さでもありました。しかも、アブサロムの懇願にも会おうとしなかったのです。 アブサロムの潜在的思いに警戒心を持ったのかもしれませんね。 遂にアブサロムの心の糸が切れたのです。 イスラエル古代史では、屡々相手を威嚇したり、注意喚起したりする時の、極端な作戦として、麦畑に火を放つ💢💢と言う方法が旧約聖書に散見されます。 アブサロムの怒りと、何としても、思いを繋ぎたいとする、最後の手段だったのでしょう。 この事が効を奏し、32節の『・・今、私は王の顔を拝したい。もし私に咎があるなら、王に殺されても構わない。』とまで伝えてのです。 遂に、王とアブサロムの会見は実現しました。 33節の記述は、一見穏やかで、積年の確執は、氷解したかに見えました。 しかし、ここにも、問題が残りました。これだけの期間、様々な問題が山積して来たときに、 この会見には、主なる神に問うた痕跡はなく、此の二人の和解((はてな))の中に、神の赦し・平和・臨在・・・を告げる言葉は見つからないのです。 私達の真の和解は、主なる神の繋ぎが両者を結ぶのです。 |
| 第二 サムエル14章12節~24節 14:12 女は言った。「このはしために、一言、王様に申し上げさせてください。」王は言った。「言いなさい。」 14:13 女は言った。「あなた様はどうして、神の民に対してこのようなことを計られたのですか。王様は、先のようなことを語って、ご自分を咎ある者としておられます。王様は追放された者を戻しておられません。 14:14 私たちは、必ず死ぬ者です。私たちは地面にこぼれて、もう集めることができない水のようなものです。しかし、神はいのちを取り去らず、追放されている者が追放されたままにならないように、ご計画を立ててくださいます。 14:15 今、私が、このことを王様に話しに参りましたのも、人々が私を脅したからです。このはしためは、こう思いました。『王に申し上げよう。王は、このはしための願いをかなえてくださるかもしれない。 14:16 王は聞き入れて、私と私の息子を神のゆずりの地から消し去ろうとする者の手から、このはしためをきっと助け出してくださるから。』 14:17 このはしためは、『王様のことばは私の慰めとなるに違いない』と思いました。王様は、神の使いのように、善と悪を聞き分けられるからです。あなた様の神、【主】が、あなたとともにおられますように。」 14:18 王は女に答えて言った。「私が尋ねることに、隠さずに答えなさい。」女は言った。「王様、どうぞお尋ねください。」 14:19 王は言った。「これはすべて、ヨアブの指図によるのであろう。」女は答えて言った。「王様、あなたのたましいは生きておられます。王様が言われることから、だれも右にも左にもそれることはできません。確かに王様の家来ヨアブが私に命じ、あの方がこのはしための口に、これらすべてのことばを授けたのです。 14:20 王様の家来ヨアブは、事の成り行きを変えるために、このことをしたのです。あなた様には、神の使いの知恵のような知恵があり、地上のすべてのことをご存じですから。」 14:21 王はヨアブに言った。「よろしい。その願いを聞き入れた。行って、若者アブサロムを連れ戻しなさい。」 14:22 ヨアブは地にひれ伏して礼をし、王に祝福のことばを述べて言った。「今日、このしもべがご好意を受けていることが分かりました。王様。王が、このしもべの願いを聞き入れてくださったのですから。」 14:23 ヨアブはすぐゲシュルに出かけて行き、アブサロムをエルサレムに連れて来た。 14:24 王は言った。「あれは自分の家に行ってもらおう。私の顔を見ることはならぬ。」アブサロムは自分の家に行き、王の顔を見ることはなかった。 |
2023年5月5日(金)リビングライフQT テコアの“知恵のある女”の、ダビデ王への進言は実に的確で、当を得た、説得力のある論述でした。 ダビデは、アブサロムを、王宮の身内の居住区に住まわせました・・・が、どうしても、アブサロムが王位継承者でもあり、彼を受け入れて和解したいのですが、彼が兄弟を殺害した・・・と言う罪のゆえに、息子が側に居ると言う安心感とは裏腹に、そのまま見過ごしにして良いものかどうか(はてな)、迷いに迷って、アブサロムとの面会もせずに、王宮側の家族の居住区に住まわせたまま、和解の手を差しのべる事もなく、心の断絶のままの 状態に放置したのです。 この事は、アブサロムにとっては、生殺しのような立場に置かれたのです。回りには多くの兄弟達が生活し、顔を会わせる日々だったはずです。アブサロムの心を考えて見てください😭 一方、ダビデはどんな気持ちだったのでしょう。 ダビデは正義を愛する人でした。 大きな失敗をしましたが、神の大きな愛に包まれて、赦されここまで来たのです。所が、今彼は、アブサロムが弟アムノンを殺したことに対して、対応できない弱さに揺れ動いたまま、一人の魂を翻弄していたのです。 この事を思い巡らしながら、他人事ではない、自分の中にこの様な“赦せないで居る自分”が居ることはなかっただろうか・・❓と、考えさせられました。改めて、許しの対話、心を開いた対話を、誰とでも、持ち続けることを迫られました。 これが出来ない者は、どんなに優れた指導者であっても、良い働きは出来ないのでは❓ 赦しとは、心の問題ではなく、愛に生きる生活そのものだ・・・と、思う朝でした‼️ |
| 第二 サムエル14章1節~11節 1:1 サウルが死んだとき、ダビデはアマレク人を打ち破って帰って来ていた。その後ダビデは二日間、ツィクラグにとどまっていた。 1:2 すると三日目に、見よ、一人の男がサウルのいた陣営からやって来た。衣は裂け、頭には土をかぶっていた。彼はダビデのところに来ると、地にひれ伏して礼をした。 1:3 ダビデは言った。「どこから来たのか。」彼は言った。「イスラエルの陣営から逃れて来ました。」 1:4 ダビデは彼に言った。「状況はどうか。話してくれ。」彼は言った。「兵たちは戦場から逃げ、しかも兵たちの多くの者が倒れて死にました。それに、サウルも、その子ヨナタンも死にました。」 1:5 ダビデは、報告をもたらしたその若い者に言った。「サウルとその子ヨナタンが死んだことを、どのようにして知ったのか。」 1:6 報告をもたらしたその若い者は言った。「私は、たまたまギルボア山にいましたが、見ると、サウルは自分の槍にもたれ、戦車と騎兵が押し迫っていました。 1:7 サウルが振り返って、私を見て呼びました。私が『はい』と答えると、 1:8 私に『おまえはだれだ』と言いましたので、『私はアマレク人です』と答えますと、 1:9 『さあ、近寄って、私を殺してくれ。激しいけいれんが起こっているが、息はまだ十分あるから』と言いました。 1:10 私は近寄って、あの方を殺しました。もう倒れて生き延びることができないと分かったからです。私は、頭にあった王冠と、腕に付いていた腕輪を取って、ここに、あなた様のところに持って参りました。」 1:11 ダビデは自分の衣をつかんで引き裂いた。ともにいた家来たちもみな、そのようにした。 |
2023年5月4日(木)リビングライフQT 昨日のテキストの終わりにある、ダビデの心と、今日のテキストの最初の、14章1節の記述の繋がりが、難しいので、何度も読み直しましたが、 アムノンの死の悲しみが、三年を経て、和らいだので、アブサロムが、アムノンを殺したことに対する、怒りと悲しみへの感情が薄らぎ、アブサロムに対する、処罰の行使(厳しい処遇)を、しなくても、廻りにも自分の心にも、負担がなくなった・・・と言う、状況になったことを、ヨアブは察知した・・・と言うのが1節のコメントなのでしょう。 そのように、気持ちが落ち着く(13章39節)と、ダビデの心は、アプサロムへの、後継ぎ(長男です)としての期待と愛情が戻ってきたのです。 あの、大荒れに荒れた三年前の王家に起こった、醜いお家騒動から、ずっと状況を見てきたダビデの側近中の側近ヨアブは、王の心の拠り所がない寂しさを傷み、この演出を試みたのです。 ダビデはなんと素晴らしい側近をもったことでしょう。 多くの闘いを指揮し、勝利をダビデ王にもたらした、ヨアブは、イスラエル統一と、ダビデ王家の磐石の基礎を築くために、大芝居をうったのです。 実は、ダビデ自身が、これからの統一王国再建のために、立ち上がらねばならなかったのですが、この時のダビデにはその力❓(勢い)が無かったのです。 私は長年、各地の主キリストの群れを牧してきましたが、沢山のヨアブに支えられて来たことを思いおこします。 どの群れも、わたしの慰めとなり、また、厳しい助言者として、支えてくださり、また、多くの祈りと慰めに、包まれて来たことを思い巡らしています。 主に感謝です。 良い助言者、励まし手、慰めの友、お互いが信仰生活の、大きな支えとなり、力となるのです。 あなたのヨアブはだれですか⁉️ |
| 第二 サムエル13章30節~39節 13:30 彼らがまだ道の途中にいたとき、ダビデのところに、「アブサロムは王のご子息たちを全員殺しました。残された方は一人もいらっしゃいません」という知らせが届いた。 13:31 王は立ち上がり、衣を引き裂き、地に伏した。傍らに立っていた家来たちもみな、衣を引き裂いた。 13:32 ダビデの兄弟シムアの子ヨナダブは、証言をして言った。「王様。彼らが王のご子息である若者たちを全員殺したとお思いになりませんように。アムノンだけが死んだのです。それはアブサロムの命令によるもので、アムノンが妹のタマルを辱めた日から、胸に抱いていたことです。 13:33 今、王様。王子たち全員が殺された、という知らせを心に留めないでください。アムノンだけが死んだのです。」 13:34 アブサロムは逃げた。見張りの若者が目を上げて見ると、見よ、うしろの山沿いの道から大勢の人々がやって来るところであった。 13:35 ヨナダブは王に言った。「ご覧ください。王子たちが来られます。このしもべが申し上げたとおりになりました。」 13:36 彼が語り終えたとき、見よ、王子たちが来て、声をあげて泣いた。王もその家来たちもみな、非常に激しく泣いた。 13:37 アブサロムは、ゲシュルの王アミフデの子タルマイのところに逃げた。ダビデは、毎日アムノンの死を嘆き悲しんでいた。 13:38 アブサロムは、ゲシュルに逃げて行き、三年の間そこにいた。 13:39 アブサロムのところに向かって出て行きたいという、ダビデ王の願いはなくなった。アムノンが死んだことについて慰めを得たからである。 |
2023年5月3日(水)リビングライフQT 主なる神を、心の・生活の・あらゆる営みの中心に置かない、日々は、際限のない悲しみと混乱と矛盾という、負の連鎖を生むこととなるのです。 思い出して下さい。 アダムとエバが、神に背いて、禁断の木の実を食べたことは、小さな事であったと思いますか?・・・ *神の顔を避けた。 *他に責任転嫁をして、自分を正当化しようとした。 *その結果は、神との交わりの断絶(死)でした。 *カインの殺人に拡がりました。 これが人類の堕落の構図でした💢💢💨 今、ダビデが、神に祈り、問題を問いかける事をしなかった😱事が、こんなに悲しい結末となって刈り取らねばならなかったのです。 一度崩れ始めたら、止まらなくなります。それを止める唯一の策は、神との対座に帰ることです‼️ 祈りで始まり感謝の祈りで、終える‼️ 毎日のクリスチャンのルーティーンでなければなりませんね🎵 |
| 第二 サムエル13章15節~29節 13:15 アムノンは、激しい憎しみにかられて、彼女を嫌った。その憎しみは、彼が抱いた恋よりも大きかった。アムノンは彼女に言った。「起きて、出て行け。」 13:16 タマルは言った。「それはなりません。私を追い出すなど、あなたが私にしたあのことより、なおいっそう悪いことですから。」しかし、アムノンは彼女の言うことを聞こうともせず、 13:17 召使いの若い者を呼んで言った。「この女をここから外に追い出して、戸を閉めてくれ。」 13:18 彼女は、あや織りの長服を着ていた。昔、処女である王女たちはそのような身なりをしていたのである。召使いは彼女を外に追い出し、こうして戸を閉めてしまった。 13:19 タマルは頭に灰をかぶり、身に着けていたあや織りの長服を引き裂き、手を頭に置いて、泣き叫びながら歩いて行った。 13:20 彼女の兄アブサロムは彼女に言った。「おまえの兄アムノンが、おまえと一緒にいたのか。妹よ、今は黙っていなさい。彼はおまえの兄なのだ。このことで心配しなくてもよい。」タマルは、兄アブサロムの家で、一人わびしく暮らしていた。 13:21 ダビデ王は、事の一部始終を聞いて激しく怒った。 13:22 アブサロムはアムノンに、このことが良いとも悪いとも何も言わなかった。アブサロムは、アムノンが妹タマルを辱めたことで、彼を憎んでいたからである。 13:23 満二年たって、アブサロムがエフライムの近くのバアル・ハツォルで羊の毛の刈り取りの祝いをしたとき、アブサロムは王の息子たち全員を招いた。 13:24 アブサロムは王のもとに行き、こう言った。「ご覧ください。このしもべは羊の毛の刈り取りの祝いをすることにしました。どうか、王も家来たちも、このしもべと一緒においでください。」 13:25 王はアブサロムに言った。「いや、わが子よ。われわれ全員が行くのは良くない。あなたの重荷になってもいけないから。」アブサロムは、しきりに勧めたが、ダビデは行きたがらず、ただ彼に祝福を与えた。 13:26 アブサロムは言った。「それなら、どうか、私の兄アムノンを私どもと一緒に行かせてください。」王は彼に言った。「なぜ、彼があなたと一緒に行かなければならないのか。」 13:27 アブサロムがしきりに勧めたので、王はアムノンと王の息子たち全員を彼と一緒に行かせた。 13:28 アブサロムは、自分に仕える若い者たちに命じて言った。「よく注意して、アムノンが酔って上機嫌になったとき、私が『アムノンを討て』と言ったら、彼を殺せ。恐れてはならない。この私が命じるのではないか。強くあれ。力ある者となれ。」 13:29 アブサロムの若い者たちは、アブサロムが命じたとおりにアムノンにした。王の息子たちはみな立ち上がって、それぞれ自分のらばに乗って逃げた。 |
2023年5月2日(火)リビングライフQT 一つの罪は、次の罪との混乱を生む原点となります。 でも、何故なのでしょう 。 ①罪の本人が悔い改めないから… ②罪を犯した者への正しい叱責と、警告を怠る事から・・・・ 罪の結果を正しい戒めで立ち向かうか、叱責を持って対処することを怠らなかったら、次の事態への拡大には、繋がらなかったはずです。 ダビデは、この様な忌まわしい出来事を知りつつも、親としてさしたる叱責や忠告などを一切せずに、身を遠ざけているかに見える。恐らく自らの古傷を見る思いだったからでしょうか… しかし、事“罪”に関しては、眼をつぶってはなりません。 むしろその事実から、眼を背けず、向き合うところから始まります。 憤りはしましたが、息子アムノンへの、叱責も、警告も、忠告も、また、アブサロムへの対応もしていないのです。 ダビデの弱みでもありました。 でも実は、そのような親子としての対応もさることながら、 今一つ見失ってはならないことがあるのです。この頃のダビデに欠けがちな一つのことがありました。それは “神に聴く‼️” と言う、最も大切な行いなのです。これは誰も傷つけませんし、主なる神が共に働いてくださるから、裁きも、回復も、神の御手に成りますから、最善の結果を見るでしょう。 私達も、事毎に主に持ち出して(祈り)、導きを仰ぎ求めましょう‼️ 今日の物語は、アムノンが殺され、父ダビデの心はまた、悼みと苦悩で引き裂かれたことでしょう。 “神の前に祈った‼️”と言うくだりを、日々の生活から失わないようにしましょう。 主よ! いつも弱い僕(しもべ)を導いてください‼️ アーメン |
| 第二 サムエル13章1節~14節 13:1 その後のことである。ダビデの子アブサロムに、タマルという名の美しい妹がいた。ダビデの子アムノンは彼女に恋をした。 13:2 アムノンは、妹タマルのゆえに苦しんで、病気になるほどであった。というのは、彼女が処女であって、アムノンには、彼女に何かをするということはとてもできないと思われたからである。 13:3 アムノンには、ダビデの兄弟シムアの息子でヨナダブという名の友人がいた。ヨナダブは非常に知恵のある男であった。 13:4 彼はアムノンに言った。「王子様。なぜ、朝ごとにやつれていかれるのですか、そのわけを話してください。」アムノンは彼に言った。「私は、兄弟アブサロムの妹タマルを愛している。」 13:5 ヨナダブは彼に言った。「床に伏せて、病気のふりをなさってください。父君が見舞いに来られたら、こう言うのです。『どうか、妹のタマルをよこして、私に食事をとらせるようにしてください。彼女が私の目の前で食事を作って、私はそれを見守り、彼女の手から食べたいのです。』」 13:6 アムノンは床につき、仮病を使った。王が見舞いに来ると、アムノンは王に言った。「どうか、妹のタマルをよこし、目の前で団子を二つ作らせてください。私は彼女の手から食べたいのです。」 13:7 ダビデは、タマルの家に人を遣わして言った。「兄さんのアムノンの家に行って、病人食を作ってあげなさい。」 13:8 タマルが兄アムノンの家に行ったところ、彼は床についていた。彼女は生地を取ってそれをこね、彼の目の前で団子を作ってそれをゆでた。 13:9 彼女は鍋を取り、それを彼の前によそったが、彼は食べることを拒んだ。アムノンが「皆の者をここから出て行かせよ」と言ったので、みなアムノンのところから出て行った。 13:10 アムノンはタマルに言った。「食事を寝室に持って来ておくれ。私はおまえの手からそれを食べたい。」タマルは、自分が作ったゆでた団子を兄のアムノンの寝室に持って来た。 13:11 彼女が食べさせようとして、彼に近づくと、彼は彼女を捕まえて言った。「妹よ、おいで。私と寝よう。」 13:12 彼女は言った。「いけません。兄上。乱暴してはいけません。イスラエルでは、こんなことはしません。こんな愚かなことをしないでください。 13:13 私は、この汚名をどこに持って行けるでしょうか。あなたも、イスラエルで愚か者のようになるのです。今、王に話してください。きっと、王は私があなたに会うのを拒まないでしょう。」 13:14 しかし、アムノンは彼女の言うことを聞こうともせず、力ずくで彼女を辱めて、彼女と寝た。 |
2023年5月1日(月)リビングライフQT 又も、ダビデ王家の、醜聞の記録です。 旧約聖書には、この様な家庭の秩序を破壊する記録が、隠されることなく、記録されているのは、何故なのでしょう。それは、神が創造された生命の秩序に対する、人間の軽薄な罪への、厳しい御警告なのです。 この様な罪は、目に余る悲惨な結末となって、多くの傷を歴史の中に残していくのです。 ダビデが、多くの妻を持ったことが、前の記録の中に記されていましたが、古代社会の権力者の常だとは言いながら、その営みの結果が、今こうして王の家族の中に、忌まわしくも悲しい問題となって、噴き出してきたのです。 罪は、その犯した個人への責めとなるのみな らず、回りの人間関係を巻き込んで、汚染を拡げるのです。 主なる神の創造された、命溢れる、また、輝きに満ちた、躍動する歴史を紡ぐため、私たちクリスチャンは、神のみ思いを深く思い、人と人との関係に、汚染を流さないように、守りたいですね。主の定められた“秩序”を‼️ アーメン🎵 |