
力丸嗣夫師 リビングライフ LINE
(新改訳聖書2017)
北九州シオン教会
| ヨエル書3章14節~21節 3:14 判決の谷には、群衆また群衆。【主】の日が判決の谷に近づくからだ。 3:15 太陽も月も暗くなり、星もその輝きを失う。 3:16 【主】はシオンからほえ、エルサレムから声をあげられる。天も地も震える。【主】はその民の避け所、イスラエルの人々の砦である。 3:17 「あなたがたは知るようになる。あなたがたの神、【主】であるこのわたしが、わが聖なる山、シオンに住むことを。エルサレムは聖なる所となり、他国人が再びそこを通ることはない。 3:18 その日には、山に甘いぶどう酒が滴り、丘には乳が流れ、ユダの谷川のすべてに水が流れ、泉が【主】の宮から湧き出て、シティムの渓流を潤す。 3:19 エジプトは荒れ果てた地となり、エドムは荒れ果てた荒野となる。彼らの、ユダの人々への暴虐のためだ。彼らはその地で、咎なき者の血を流した。 3:20 しかし、ユダは永遠に、エルサレムは代々にわたって人の住む所となる。 3:21 わたしは彼らの血の復讐をし、罰せずにはおかない。【主】はシオンに住む。」 |
2024年2月29日(木)リビングライフQT この短い『主の日』の実現は、凄まじいばかりの勢いで、周りを呑み込み、天体(日・月・星)までもその光を失う程の、激しい現象がエルサレムを覆い、神の御住まいの輝きにふさわしい、姿を回復する。 ☆主はシオンからほえ、エルサレムから声をあげられる。(16節) ☆エルサレムは聖なる所となる。(17節) ☆泉が主の宮から湧き出て・・・(18節) ☆主はシオンに住む。 何世紀にもわたって、近隣諸国・北の大国(アッシリア・パビロニア・エジプト)に、侵略され続けた、イスラエルにとって、神の都エルサレムの回復は、悲願中の悲願なのです‼️ 《主はシオンに住む》最後の一言は、どれ程、イスラエルの民に大きな希望を与えただろう‼️ 今や、民の希望はこれにかかっているのです。 さあ、ここで私達は、何を求めるのだろうか。 旧約の歴史のなかで、主なる神は、この様にまで、選びの民イスラエルに、深い愛と赦しをもって、語りかけ、回復し、彼らの立ち返りを待ちながら、完全な支配の回復を求められたのです。 同じように、今、あなたの、私の事を求め、立ち返りを待っておられたのです。彼ら(イスラエル)に対するのと同じように、私たちをも待っておられ、私達、主にひれ伏す魂を、御自身の住まい“エルサレム”とされるのです。 私たちが神の御住まいとされるのです‼️ 何と畏れ多いことでしょう‼️ハレルヤ‼️ 《主はシオンに住む》 |
| ヨエル書3章1節~13節 3:1 「見よ。わたしがユダとエルサレムを回復させるその日、その時、 3:2 わたしはすべての国々を集め、彼らをヨシャファテの谷に連れ下り、わたしの民、わたしのゆずりイスラエルのために、そこで彼らをさばく。彼らはわたしの民を国々の間に散らし、わたしの地を自分たちの間で分配したのだ。 3:3 彼らはわたしの民をくじ引きにし、少年を渡して、遊女を得、少女を売って、酒を得て飲んだ。 3:4 ツロとシドン、またペリシテの全地域よ。おまえたちは、わたしにとって何なのか。わたしに報復しようとするのか。もしわたしに報復しようとしているなら、わたしはただちに、速やかに、おまえたちへの報いをおまえたちの頭上に返す。 3:5 わたしの銀と金をおまえたちが奪い、わたしのすばらしい財宝をおまえたちの神殿へ運び、 3:6 ユダの人々とエルサレムの人々をギリシア人に売って、彼らの領土から遠く離れさせたからだ。 3:7 見よ。わたしは、おまえたちが彼らを売ったその場所から彼らを呼び戻して、おまえたちへの報いをおまえたちの頭上に返し、 3:8 おまえたちの息子、娘たちをユダの人々に売り渡す。彼らはこれを、遠くの異邦の民シェバ人に売る。──【主】は言われる。」 3:9 「国々の間で、こう叫べ。聖戦を布告せよ。勇士たちを奮い立たせよ。すべての戦士たちを集めて上らせよ。 3:10 あなたがたの鋤を剣に、あなたがたの鎌を槍に打ち直せ。弱い者に『私は勇士だ』と言わせよ。 3:11 周りのすべての国々よ。急いで来て、そこに集まれ。──【主】よ、あなたの勇士たちを下らせてください── 3:12 諸国の民は立ち上がり、ヨシャファテの谷に上って来い。わたしがそこで、周辺のすべての国々をさばくために、座に着くからだ。」 3:13 鎌を入れよ。刈り入れの機は熟した。来て、踏め。踏み場は満ちた。石がめはあふれている。彼らの悪がひどいから。 |
2024年2月28日(水)リビングライフQT |
| ヨエル書2章18節~32節 2:18 【主】はご自分の地をねたむほど愛し、ご自分の民を深くあわれまれた。 2:19 【主】は民に答えられた。「今、わたしは穀物と新しいぶどう酒と油をあなたがたに送る。あなたがたはそれで満ち足りる。わたしは二度とあなたがたを、国々の間でそしりの的としない。 2:20 わたしは、北から来るものをあなたがたから遠ざけ、それを荒廃した砂漠の地へ追いやる。その前衛を東の海に、その後衛を西の海に。その悪臭は立ち上り、その腐った臭いは立ちこめる。主が大いなることを行ったからだ。」 2:21 地よ、恐れるな。楽しみ、喜べ。【主】が大いなることを行われたからだ。 2:22 野の獣たちよ、恐れるな。荒野の牧草が萌え出で、木が実を実らせ、いちじくとぶどうの木が豊かに実る。 2:23 シオンの子らよ。あなたがたの神、【主】にあって、楽しみ喜べ。主は、義のわざとして、初めの雨を与え、かつてのように、あなたがたに大雨を降らせ、初めの雨と後の雨を降らせてくださる。 2:24 打ち場は穀物で満ち、石がめは新しいぶどう酒と油であふれる。 2:25 「いなご、あるいは、バッタ、その若虫、噛みいなご、わたしがあなたがたの間に送った大軍勢が食い尽くした年々に対して、わたしはあなたがたに償う。 2:26 あなたがたは食べて満ち足り、あなたがたの神、【主】の名をほめたたえる。主があなたがたに不思議なことをするのだ。わたしの民は永遠に恥を見ることがない。 2:27 あなたがたは、イスラエルの真ん中にわたしがいることを知り、わたしがあなたがたの神、【主】であり、ほかにはいないことを知る。わたしの民は永遠に恥を見ることはない。 2:28 その後、わたしはすべての人にわたしの霊を注ぐ。あなたがたの息子や娘は預言し、老人は夢を見、青年は幻を見る。 2:29 その日わたしは、男奴隷にも女奴隷にも、わたしの霊を注ぐ。 2:30 わたしは天と地に、しるしを現れさせる。それは血と火と煙の柱。 2:31 【主】の大いなる恐るべき日が来る前に、太陽は闇に、月は血に変わる。 2:32 しかし、【主】の御名を呼び求める者はみな救われる。【主】が言ったように、シオンの山、エルサレムには逃れの者がいるからだ。生き残った者たちのうちに、【主】が呼び出す者がいる。」 |
2024年2月27日(火)リビングライフQT 昨日の後半の聖書本文に、祭司達の、泣いて主に訴える悔い改めと、異邦人達の前で辱しめられることのない様にとの、切実な悔い改めと訴えに対して・・・今日のテキストでは・・・・ この祈りと悔い改めとを待って居られた様な、主なる神の、離反の民への、回復の約束が、キラキラと展開しています‼️ イスラエルの民への末期的消滅に代えて、想像を絶するほどの完全な回復、それも、単に滅びへの道を下り始める前の、水準への回復ではなく、世界に冠たる、“偉大な神の国”としての面目へと・・・27節:あなたがたは、イスラエルの真ん中にわたしがいることを知り、わたしがあなた方の神、主であり、他にはいないことを知る。 そして更に、28節からは、かの有名な、ペンテコステの聖霊降臨の、(預言的約束)が語られるのです。 これは、後の、”神の国‼️“となる、教会(イエス・キリストに召し集められた群れ)へのメッセージへと重なるのです。 最終的に、終末預言とは、《地球(人類)最後の日》と言った、呪い(滅亡)の預言ではなく、憐れみと救いの完成の預言として語られているのです‼️ まさに、神の愛に満ちた、お心が、輝きだした、素晴らしい約束の預言書なのです‼️ リビングライフ誌を、お持ちのかたは、是非、今日の“エッセイ”を、お読みください。 明日のテキストは ヨエル書(旧約) 3章1節~13節です |
| ヨエル書2章1節~17節 【新改訳2017】 ヨエ 2:1 「シオンで角笛を吹き鳴らし、わたしの聖なる山でときの声をあげよ。」地に住むすべての者は、恐れおののけ。【主】の日が来るからだ。その日は近い。 2:2 それは闇と暗闇の日。雲と暗黒の日。数が多く、力の強い民が、暁とともに山々の上に進んで来る。このようなことは、昔から起こったことがなく、これから後、代々の時代までも再び起こることはない。 2:3 彼らの前は火が焼き尽くし、うしろは炎がなめ尽くす。彼らが来る前は、この地はエデンの園のよう。しかし、去った後は、荒れ果てた荒野となる。これから逃れるものは何もない。 2:4 その姿は馬さながら、軍馬のように駆け巡る。 2:5 その音は戦車のきしり、山々の頂を飛び跳ねる。その音は刈り株を焼き尽くす火の炎、戦いの備えをした強い民のよう。 2:6 諸国の民はその前でもだえ苦しみ、顔はみな青ざめる。 2:7 それは勇士のように走り、戦士のように城壁をよじ登る。それぞれ自分の道を進み、進路を乱さない。 2:8 互いに押し合わず、それぞれ自分の大路を進む。投げ槍が降りかかっても、止まらない。 2:9 町に襲いかかり、城壁の上を走り、家々によじ登り、盗人のように窓から入り込む。 2:10 地はその前で震え、天も揺れる。太陽も月も暗くなり、星もその輝きを失う。 2:11 【主】はご自分の軍隊の先頭に立って声をあげられる。その陣営は非常に大きく、主のことばを行う者は強い。【主】の日は偉大で、非常に恐ろしい。だれがこの日に耐えられるだろう。 2:12 「しかし、今でも──【主】のことば──心のすべてをもって、断食と涙と嘆きをもって、わたしのもとに帰れ。」 2:13 衣ではなく、あなたがたの心を引き裂け。あなたがたの神、【主】に立ち返れ。主は情け深く、あわれみ深い。怒るのに遅く、恵み豊かで、わざわいを思い直してくださる。 2:14 もしかすると、主が思い直してあわれみ、祝福を後に残しておいてくださるかもしれない。あなたがたの神、【主】への穀物と注ぎのささげ物を。 2:15 シオンで角笛を吹き鳴らせ。断食を布告し、きよめの集会を召集せよ。 2:16 民を集め、会衆を聖別せよ。老人たちを呼び集め、幼子と乳飲み子たちを集めよ。花婿を寝室から、花嫁を自分の部屋から呼び出せ。 2:17 神殿の玄関と祭壇の間で、【主】に仕える祭司たちは泣いてこう言え。「【主】よ、あなたの民にあわれみをかけてください。あなたのゆずりの地を、国々のそしりの的、物笑いの種としないでください。諸国の民の間で、『彼らの神はどこにいるのか』と言わせておいてよいのでしょうか。」 |
2024年2月26日(月)リビングライフQT 預言者ヨエルの、活動年代は特定が難しいのですが、本文の内容から推測すると、 『数多く、力の強い民が・・・』(2節)とありますから、多分紀元前7世紀に押し寄せ、北イスラエル王国を滅ぼした、アッシリアが、更に南ユダ王国にも、大きな驚異をもたらす‼️ しかし、実際には❗アツスリヤは間もなくバビロンに滅ぼされて、バビロンがその勢いで、ユダにまで攻めて来る・・・と言う危機を語っているのです。 大国に挟まれたユダは、常に北からの脅威にさらされていました。神に選ばれたユダ(同じ神に選ばれたイスラエルは、神の御警告に従わなかったために、亡ぼされた。) 更に大国は、ユダにまで手を伸ばそうとしていたのです。 神の民の命は、ただ神に従い、神の預言者の声に聞くことなしに、存続はないのです。 それは正に、激しい欲望と享楽の世俗の中に生きる、今日の教会・クリスチャンにも似た状況なのです。 当時は自然災害と、強国の侵略と言う危機が、迫る中で、ただ神の御守りだけが、ユダの力でした。神に従い、神を礼拝し、主なる神に祈り従う道だけが生き残る道だったのです。 危機の迫り来る警告に耳を傾ける! それがヨエルのメッセージでした。 私達の現代の豊かさや、繁栄の日々の中で、気候変動・地球のうめきの様な、地震を始めとした、自然災害(大火災・干ばつ・洪水・イナゴの大発生・生態系の崩壊・・・)日常の豊かさに紛れて、気付かないままに、地球は蝕まれています。 又、多くの戦争で悲しく辛い思いをして来た人類は、今なお、殺戮を繰り返しています。今は遠いよその国の出来事として以上には、実感できない中で、次第にニュースに馴れて、出来事としか感じなくなりつつあるのではないでしょうか 戦争の残虐さを見聞きしてきた私は、ニュースに接するたびに心がつぶれるような、思いが致します。 しのびよるこの様な、世界の流れの中で、私達は主の日を待ち望み、主の僕・弟子として、目覚めて生きる道を、ヨエルの言葉から学びたい。 *心を引き裂き、神に立ち返れ‼️ 12節:「心のすべてをもって、・・・わたしのもとに帰れ。 13節:衣ではなく、あなたの心を引き裂き、あなた方の神、主に立ち返れ。 主は情け深く、あわれみ深い。怒るのに遅く、恵み深い。怒るのに遅く、恵み豊かで、わざわいを思い直してくださる。 17節:・・・・・・ 諸国の民の間で、『彼らの神はどこにいるのか。』と言わせておいて良いのでしょうか。」 教会(クリスチャン)に与えられた、使命に目覚めさせられますね‼️ |
| ヨエル書1章13節~20節 1:13 粗布をまとって悼み悲しめ、祭司たちよ。泣き叫べ、祭壇に仕える者たちよ。私の神に仕える者たちよ、行って粗布をまとって夜を過ごせ。穀物と注ぎのささげ物があなたがたの神の宮から退けられたからだ。 1:14 断食を布告し、きよめの集会を召集せよ。長老たちとこの国に住むすべての者を、あなたがたの神、【主】の宮に集め、【主】に向かって叫び求めよ。 1:15 ああ、その日よ。【主】の日は近い。全能者による破壊の日として、その日は来る。 1:16 私たちの目の前で、食物が断たれ、私たちの神の宮から喜びも楽しみも消え失せたではないか。 1:17 穀物の種は土の下で干からび、倉は荒れ果て、穴蔵は崩れた。穀物がしなびたからだ。 1:18 ああ、なんと家畜がうめいていることか。牛の群れはさまよう。牧場がないからだ。羊の群れも滅びる。 1:19 あなたに、【主】よ、私は呼び求めます。火が荒野の牧場を焼き尽くし、野のすべての木を炎がなめ尽くしました。 1:20 野の獣も、あなたをあえぎ求めています。水の流れが涸れ、火が荒野の牧場を焼き尽くしたからです。 |
2024年2月25日(日)リビングライフQT まるで、局部的ではありますが、北米で、フランスで、オーストラリアで、中国内陸部で、今起きている広大な原野の火災を知ると、このヨエルの預言を、想像するのに難くないですね 昨日学びましたように、エルサレムでは、宗教指導者達の堕落と、世俗化。民の無関心と、主なる神への敬虔の喪失、形式化した神殿礼拝の儀式・・・ そのような堕落と世俗化の中から、徹底した悔い改めと、その証として、断食を布告(呼び掛け)し、決死の思いで、悔い改めと献身を主なる神に顕して、 恐ろしい時代に備えましょう…とヨエルは語っています。 この預言書では、自らの悔い改め・エルサレムの悔い改め・イスラエルの民の悔い改めが、求められているのです。 私達の悔い改めと献身(新しい立ち上がり)とは、終末に直面する(直面しながらも、気付かずに時を失っていく人々に)これからの世界に対して、先ず、私達から、立ち上がらねばならないのです。 今朝、私達の新たな歩みが証しとなり、私達の存在が、主からの言葉(福音)となって、発信される様にと、主に願いつつ、祈り❗立ち上がりましょう‼️ |
| ヨエル書1章1節~12節 1:1 ペトエルの子ヨエルにあった【主】のことば。 1:2 「長老たちよ、これを聞け。この地に住む者もみな、耳を傾けよ。このようなことが、あなたがたの時代に、また先祖の時代にあっただろうか。 1:3 これをあなたがたの子どもたちに伝え、子どもたちはその子どもたちに、その子どもたちは後の世代に伝えよ。 1:4 噛みいなごが残した物は、いなごが食い、いなごが残した物は、バッタが食い、バッタが残した物は、その若虫が食った。 1:5 目を覚ませ、酔いどれよ。泣け。泣き叫べ、すべてぶどう酒を飲む者よ。甘いぶどう酒があなたがたの口から断たれたからだ。 1:6 ある国民がわたしの国に攻め上って来た。それは力強く、数えきれない。その歯は雄獅子の歯、それには雌獅子の牙がある。 1:7 それはわたしのぶどうの木を荒れすたらせ、わたしのいちじくの木を木っ端にした。これを丸裸に引きむき、投げ倒し、その枝々を真っ白にした。 1:8 悼み悲しめ。粗布をまとったおとめが、その若いときの夫のためにするように。 1:9 穀物と注ぎのささげ物は【主】の宮から断たれ、【主】に仕える祭司たちは喪に服す。 1:10 畑は荒らされ、地も喪に服す。穀物が荒らされ、新しいぶどう酒も干上がり、油も涸れるからだ。 1:11 恥を見よ、農夫たち。泣き叫べ、ぶどう作りたち。小麦と大麦のために。畑の刈り入れがなくなったからだ。 1:12 ぶどうの木は枯れ、いちじくの木はしおれた。ざくろも、なつめ椰子も、りんごも、野のすべての木々は枯れた。喜びが人の子らから消え去った。」 1:13 粗布をまとって悼み悲しめ、祭司たちよ。泣き叫べ、祭壇に仕える者たちよ。私の神に仕える者たちよ、行って粗布をまとって夜を過ごせ。穀物と注ぎのささげ物があなたがたの神の宮から退けられたからだ。 1:14 断食を布告し、きよめの集会を召集せよ。長老たちとこの国に住むすべての者を、あなたがたの神、【主】の宮に集め、【主】に向かって叫び求めよ。 1:15 ああ、その日よ。【主】の日は近い。全能者による破壊の日として、その日は来る。 1:16 私たちの目の前で、食物が断たれ、私たちの神の宮から喜びも楽しみも消え失せたではないか。 1:17 穀物の種は土の下で干からび、倉は荒れ果て、穴蔵は崩れた。穀物がしなびたからだ。 1:18 ああ、なんと家畜がうめいていることか。牛の群れはさまよう。牧場がないからだ。羊の群れも滅びる。 1:19 あなたに、【主】よ、私は呼び求めます。火が荒野の牧場を焼き尽くし、野のすべての木を炎がなめ尽くしました。 1:20 野の獣も、あなたをあえぎ求めています。水の流れが涸れ、火が荒野の牧場を焼き尽くしたからです。 |
2024年2月24日(土)リビングライフQT ヨエルの予言は、紀元前7世紀後半に、北イスラエル王朝がアッシリア帝国によって滅亡し、その後、アッシリアは、更に南のユダ王国に攻め行って、呑み込まれていく。 そんな大国の盛衰の間で、小国ユダ(イスラエルの民)は、翻弄されながら、民心は乱れて、律法はおろそかにされ、民の指導者達(祭司達)の神への真実な務めは、おろそかにされていた(習慣化し形式化していた) そのような時代の中で、回りでは、自然界での異変が生じ、害虫(イナゴ・バッタ)の爆発的来襲で、収穫は、瞬く間に食い尽くされる・・・と言う、恐ろしい災害に見舞われた ヨエルは、この様な自然界の現象の中に、神の怒りと、警告が語られているのではないか(はてな)…と 又一方で、支配的な強国の出現によって、かつての北の同胞(イスラエル)が経験した災いが、近付いている事を、警告しています。 ヨエルの予言は書き出しから、迫り来る危機への警鐘を2節~3節で叫んでいます。 『長老たちよ、これをきけ。この地に住む者もみな、耳を傾けよ。・・・・・ これをあなた方の子供達に伝え、 子供達はその子供達に伝え、 その子どもたちは、後の世代に伝えよ。』 更に引き続き、ヨエルは、自然界に始まる、厳しい災害が起こることを予告して、民の神からの離反(不信仰と不従順)を警告しています。 この突然の激しい警告の予告を読みながら、今の時代がそのような時代の傾向を醸し出しといるような気がしてなりません。 この様な警告的現象が、繰り返されながら、次第に終末の色は濃くなり続けている事を、見過ごしてはなりません。 そうでなくても、一般の人々でさえも、人類の終末が近付いている‼️と、実感する人々の少なくない事を、見聞きするのです。 私達教会(クリスチャン)は、終末ではない、永遠がある(神が備えていてくださる)事を、告げ知らせる、福音の使者なのです。先日学んだマルコ福音書の、主イエス様の派遣の言葉『全世界に出て行き、すべての造られた者に福音を宣べ伝えなさい』を、今一度思い出して、 ヨエルの危機的警告のメッセージに学んで参りましょう。‼️ |
| マルコ福音書 16章9節~20節 16:9 〔さて、週の初めの日の朝早く、よみがえったイエスは、最初にマグダラのマリアにご自分を現された。彼女は、かつて七つの悪霊をイエスに追い出してもらった人である。 16:10 マリアは、イエスと一緒にいた人たちが嘆き悲しんで泣いているところに行って、そのことを知らせた。 16:11 彼らは、イエスが生きていて彼女にご自分を現された、と聞いても信じなかった。 16:12 それから、彼らのうちの二人が徒歩で田舎に向かっていたとき、イエスは別の姿でご自分を現された。 16:13 その二人も、ほかの人たちのところへ行って知らせたが、彼らはその話も信じなかった。 16:14 その後イエスは、十一人が食卓に着いているところに現れ、彼らの不信仰と頑なな心をお責めになった。よみがえられたイエスを見た人たちの言うことを、彼らが信じなかったからである。 16:15 それから、イエスは彼らに言われた。「全世界に出て行き、すべての造られた者に福音を宣べ伝えなさい。 16:16 信じてバプテスマを受ける者は救われます。しかし、信じない者は罪に定められます。 16:17 信じる人々には次のようなしるしが伴います。すなわち、わたしの名によって悪霊を追い出し、新しいことばで語り、 16:18 その手で蛇をつかみ、たとえ毒を飲んでも決して害を受けず、病人に手を置けば癒やされます。」 16:19 主イエスは彼らに語った後、天に上げられ、神の右の座に着かれた。 16:20 弟子たちは出て行って、いたるところで福音を宣べ伝えた。主は彼らとともに働き、みことばを、それに伴うしるしをもって、確かなものとされた。〕 |
2024年2月23日(金)リビングライフQT 自分達の面前で、絶叫!(敗北を意味した絶叫ではないのだが・・) 彼らにはあまりにもリアルな、十字架の処刑で葬り去られた御方を、静かに思い出をよみがえらせながら、生前を偲びたい❗ そんな彼等(弟子たち)に、センセーショナルなニュース《主が甦った‼️》は、余りにも現実離れした知らせだったので、誰も信じなかったのです 11節・13節・14節 何と言う弟子たちの、敗北観 そんな弟子たちの前にご自身を、顕された主は、かつて祈りの山から降りて来られて、12弟子を選ばれ、宣教に派遣されましたが、 今新たに、この不信仰に打ちのめされた弟子達を、新たに派遣されるのです。 彼等の手(存在)で、次のような業が顕される‼️ *全世界に遣わされる *信じる者と、信じない者とが、選別される。 *悪霊を追い出す。 *新しい言葉(神の福音)を語る。 *福音のためには、身の危険から守られる。 *病人に手を置くと癒される。・・・・・ これらの業は、2000年 を越える今日までの、これからの、教会が担なう働きなのです。 主は、実にこんな不信仰な弟子たちに、この様な、天来の尊い使命を、委ねられたのです。 ☆主は彼等(私達)と共に働き、それに伴うしるしをもって、確かなものとされた。 今日も主があなたを用いようとしておられます。主と共に歩みましょう‼️ 私達が何か出来るのではありません。 主に従って歩む時、主があなたを用いてくださいます。アーメン❗ 今日で、マルコの福音書は、終わりました。次々展開する場面は、ドラマチックでしたね。しかし、そのドラマは今なお、私達にバトンタッチされて、継続されているのです‼️何と❗光栄に満ちた世界に、歩ませられているのでしょう‼️ ハレルヤ‼️ |
| マルコ福音書 16章1節~8節 16:1 さて、安息日が終わったので、マグダラのマリアとヤコブの母マリアとサロメは、イエスに油を塗りに行こうと思い、香料を買った。 16:2 そして、週の初めの日の早朝、日が昇ったころ、墓に行った。 16:3 彼女たちは、「だれが墓の入り口から石を転がしてくれるでしょうか」と話し合っていた。 16:4 ところが、目を上げると、その石が転がしてあるのが見えた。石は非常に大きかった。 16:5 墓の中に入ると、真っ白な衣をまとった青年が、右側に座っているのが見えたので、彼女たちは非常に驚いた。 16:6 青年は言った。「驚くことはありません。あなたがたは、十字架につけられたナザレ人イエスを捜しているのでしょう。あの方はよみがえられました。ここにはおられません。ご覧なさい。ここがあの方の納められていた場所です。 16:7 さあ行って、弟子たちとペテロに伝えなさい。『イエスは、あなたがたより先にガリラヤへ行かれます。前に言われたとおり、そこでお会いできます』と。」 16:8 彼女たちは墓を出て、そこから逃げ去った。震え上がり、気も動転していたからである。そしてだれにも何も言わなかった。恐ろしかったからである。〔彼女たちは、命じられたすべてのことを、ペテロとその仲間たちに短く伝えた。その後、イエスご自身が彼らを通して、きよく朽ちることのない永遠の救いの宣言を、日の昇るところから日の沈むところまで送られた。アーメン。〕 |
2024年2月22日(木)リビングライフQT マグダラのマリヤと、ヤコブの母マリヤとの《死》に閉ざされた心の姿が、終始二人の全てを覆っている。 《死》が全ての終わり・・・これが、神の創造の意図を知らない信じない人の実像なのです。それだから、死の先には何もなく、ただ振りかえり、思い出にふけることで、慰めを求めては、心の隙間を塞(ふさ)ごうとするのです。 その思い出をしっかりと焼き付けようと、訪れた墓には、主のご遺体がない 彼女たちには、御使いの言葉は聞こえていても、心が死で閉ざされているので、入っていかず、ただ不思議・恐怖の幻としてしか、残らなかったのです。 こんな”ビッグニュース‼️“を、沈黙で、殺してしまったのです。 主イエス様のご計画は、十字架を通して、いよいよ、永遠の完成への、新しい展開を、語られているのに✨✨ それが・・・・❗ *7節~さぁ行って、弟子たちとぺテロに伝えなさい。『イエスは、あなた方より先にガリラヤに行かれます。前に言われた通り、そこでお会いできます。』 しかし、彼女たちは、この御使いの姿と語られた言葉を、黙殺してしまったのです。 これが《死》に支配された人の、姿《罪》の実態なのです。 私達の信じる救い主は、《命の君(支配者)》なのです。 今日新たにこの主に目を注ぎましょう。 アーメン❗ |
| マルコ福音書 15章33節~47節 15:33 さて、十二時になったとき、闇が全地をおおい、午後三時まで続いた。 15:34 そして三時に、イエスは大声で叫ばれた。「エロイ、エロイ、レマ、サバクタニ。」訳すと「わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか」という意味である。 15:35 そばに立っていた人たちの何人かがこれを聞いて言った。「ほら、エリヤを呼んでいる。」 15:36 すると一人が駆け寄り、海綿に酸いぶどう酒を含ませて、葦の棒に付け、「待て。エリヤが降ろしに来るか見てみよう」と言って、イエスに飲ませようとした。 15:37 しかし、イエスは大声をあげて、息を引き取られた。 15:38 すると、神殿の幕が上から下まで真っ二つに裂けた。 15:39 イエスの正面に立っていた百人隊長は、イエスがこのように息を引き取られたのを見て言った。「この方は本当に神の子であった。」 15:40 女たちも遠くから見ていたが、その中には、マグダラのマリアと、小ヤコブとヨセの母マリアと、サロメがいた。 15:41 イエスがガリラヤにおられたときに、イエスに従って仕えていた人たちであった。このほかにも、イエスと一緒にエルサレムに上って来た女たちがたくさんいた。 15:42 さて、すでに夕方になっていた。その日は備え日、すなわち安息日の前日であったので、 15:43 アリマタヤ出身のヨセフは、勇気を出してピラトのところに行き、イエスのからだの下げ渡しを願い出た。ヨセフは有力な議員で、自らも神の国を待ち望んでいた。 15:44 ピラトは、イエスがもう死んだのかと驚いた。そして百人隊長を呼び、イエスがすでに死んだのかどうか尋ねた。 15:45 百人隊長に確認すると、ピラトはイエスの遺体をヨセフに下げ渡した。 15:46 ヨセフは亜麻布を買い、イエスを降ろして亜麻布で包み、岩を掘って造った墓に納めた。そして、墓の入り口には石を転がしておいた。 15:47 マグダラのマリアとヨセの母マリアは、イエスがどこに納められるか、よく見ていた。 |
2024年2月21日(水)リビングライフQT この短い14節の記録の中に、イエス様の購いの死を、時間と事実の簡単な描写に詰め込んでいます。 34節のイエス様の言葉『我が神、我が神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか。』 このお言葉は、考えれば考えるほど、身をちぎられるような魂の痛みを感じないではおられません‼️ 父なる神の御子(子を見捨てる親がいるでしょうか)この御方が、私たち人類の罪を負うて、私たちの代わりに、父からの裁きの刑罰である《死》を、御受けになったのです。その苦しみと辱しめは、想像を絶するものだったのです。私のために・・私のために・・私のために・・・ あぁ‼️何と言う“愛”。 周りにいる弟子たち、成り行きを見に来た人々、ローマの兵士たち、それぞれに自分の感性で、この状況を見詰める中で、死刑執行官であった、ローマの百人隊長は、『この方は本当に神の子であった』と告白しているのです。何と、厳粛な告白でしょう。 私達は、イエス様を、どのようなお方として、心にお迎えしているでしょうか。 実は、この百人隊長の告白の前に、イエス様が語られた、十字架上のお言葉が全部で七つ有るのです。(他の福音書の記事を比べてみましょう) *マタイ 27:45~55 *ルカ 23:33~49 *ヨハネ 19:23~30 マルコには34節の主のお言葉は、一つしか記録されていません。 この中で、最後のお言葉は、マタイ・マルコ・ヨハネは、“大声と叫ばれた”と記録されていますが、 ルカの福音書だけは‼️ 『父よ!我が霊を御手に委ねます。』と言われて、息を引き取られた‼️と、記されています(ルカ福音書23章46節) このお言葉こそ、百人隊長をして、先程書いた言葉となったのです。 ある意味で彼が最初のクリスチャンとなったと言えるのではないでしょうか。 ここに到って、購いの完成と共に、*ローマの百人隊長 *アリマタヤのヨセフ *マグダラのマリヤ始め女の弟子たちは、混乱を極めた、御受難の一部始終の流れのなかで、次第に本当の、神の購い(救い)の、ご計画の光を、見いだし始めていたのではないでしょうか。 私達は、信仰生活の中で、何を観ているでしょう❓ 迫害や・試練や・貧しさ・病の厳しさ···でしょうか? ✨十字架上で苦しまれたイエス様を··· 墓にまで下られた御方を···甦られた主を··· 私たちはもっと見つめましょう。 あなたを生かし支えている御方は、まさに、その全てを、御委ねになられた御方なのです。 アーメン❗ハレルヤ‼️ |
| マルコ福音書 15章24節~32節 15:24 それから、彼らはイエスを十字架につけた。そして、くじを引いて、だれが何を取るかを決め、イエスの衣を分けた。 15:25 彼らがイエスを十字架につけたのは、午前九時であった。 15:26 イエスの罪状書きには、「ユダヤ人の王」と書いてあった。 15:27 彼らは、イエスと一緒に二人の強盗を、一人は右に、一人は左に、十字架につけた。 15:28 【本節欠如】 15:29 通りすがりの人たちは、頭を振りながらイエスをののしって言った。「おい、神殿を壊して三日で建てる人よ。 15:30 十字架から降りて来て、自分を救ってみろ。」 15:31 同じように、祭司長たちも律法学者たちと一緒になって、代わる代わるイエスを嘲って言った。「他人は救ったが、自分は救えない。 15:32 キリスト、イスラエルの王に、今、十字架から降りてもらおう。それを見たら信じよう。」また、一緒に十字架につけられていた者たちもイエスをののしった。 |
2024年2月20日(火)リビングライフQT 『人』と言う存在は、単独では、成り立たない部分があるものです。信頼し信頼され、愛し愛される、与え、与えられる・・‼️ そのような関係の中で、繋がれ、産み出し、新しい命、新しい時代、新しい社会が生まれるのです。 今日のイエス様のお姿は、ただ十字架にかけられるために、矢面に立たせられているのです‼️ このお方の回りには、誰一人として、主を敬い、主を仰ぎ、主に従って、十字架の足元にひれ伏す者は、一人もいない 主イエス様の三年のご活動は、何だったのでしょうか 今や、主の回りには罵(ののしり)悪口をはきかけ、軽蔑し、口汚く罵る者しかいないのです。こんな惨めな光景、こんな悲しいまでも、辱しめられた方が、他におられたでしょうか。・・・・ ところが、このような、悲しいまでも蔑まれたお方《イエス・キリスト》様は、何と、多くの人(人類)と、しっかりと愛の糸で結ばれようと、あの辱しめの十字架の上から、愛の糸を投げておられるのです。 十字架上のイエス様の目には、罪のために、滅びへの坂をかけ下る、私達(人々)の、姿を傷む思いだけが 心を占めていたのです。 このような御苦難の最中にも、主のお心は罪に沈み行く、あなたの、わたしの側に、その熱い眼差しが注がれていたのです。そのような意味で、このゴルゴタの丘は、あなたと無関係ではないのです。 そうです‼️かって、あなたが、イエス様を知らない時でも、イエス様は時空を越えて、あなたを知っておられたのです‼️ イエス様はあの十字架で、あなたと結ばれていたのです。 その愛と信仰の糸を、 今日、新たにしっかりと握ってください。 主がこれからのあなたを導いてくださいます。 ハレルヤ‼️ |
| マルコ福音書 15章16節~23節 15:16 兵士たちは、イエスを中庭に、すなわち、総督官邸の中に連れて行き、全部隊を呼び集めた。 15:17 そして、イエスに紫の衣を着せ、茨の冠を編んでかぶらせ、 15:18 それから、「ユダヤ人の王様、万歳」と叫んで敬礼し始めた。 15:19 また、葦の棒でイエスの頭をたたき、唾をかけ、ひざまずいて拝んだ。 15:20 彼らはイエスをからかってから、紫の衣を脱がせて、元の衣を着せた。それから、イエスを十字架につけるために連れ出した。 15:21 兵士たちは、通りかかったクレネ人シモンという人に、イエスの十字架を無理やり背負わせた。彼はアレクサンドロとルフォスの父で、田舎から来ていた。 15:22 彼らはイエスを、ゴルゴタという所(訳すと、どくろの場所)に連れて行った。 15:23 彼らは、没薬を混ぜたぶどう酒を与えようとしたが、イエスはお受けにならなかった。 |
2024年2月19日(月)リビングライフQT ユダヤは、ローマの支配下にあったので、裁判権はなかったのです。ユダヤの律法院・最高法院は、イエス様をユダヤの王と名乗り、ご自身を神の子と、称して神を冒涜した‼️という罪で、ユダヤ国では、最高刑(死罪)が妥当と、ローマの政府・総督に上訴したのです。 総督は改めて、イエス様の扱いには慎重になり(総督自らは無罪だと考えていた)、集まった民衆に問いかけたのが昨日のところでした 処刑はユダヤ国には権限がないので、直ちにローマ駐屯政府に委ねられました。 血に飢えたローマ兵は、屈辱の限りを尽くして、イエス様のご人格・尊厳を破壊しました。 しかしイエス様は神の子として、これ等の屈辱をお受けになられたのです。ローマの兵士・それ以前のユダヤ(イスラエル)の民の、イエス様への暴挙、屈辱は、まさに、彼らが信じ敬い続けてきた、神ご自身への、これ以上ない、冒涜と屈辱だったのです。 此のような主に向けて、罪の身代わりの、なされた、すべての事は、実は、私達の罪の象徴(直接)は関わってないのですが、神の永遠性からすると、彼らの行為《罪》は、実はわたしのあなたの《罪》でもあるのです。十字架の御苦しみは、全ての罪の象徴的 最悪の屈辱となったのです。 23節で、没薬を混ぜたぶどう酒を・・・これは、これからの想像を絶する、苦しみを僅かでも緩和する薬効を意味しています。 処刑者への僅かでも・・・と言う哀れみなのです。 しかし、主はこれを、あの最後の晩餐の時に語られたように、お受けにならず、私たち人類全ての罪を負うために、極限まで苦しみをお受けになられたのです。 最後の晩餐に始まる、イエスの贖罪の苦しみと、屈辱は、積み重なって、罪の代価となっていたのです‼️ あぁ主よ御許しください。 主の十字架を知らずに生きる多くの人々に、伝えて参りましょう‼️ |
| マルコ福音書 15章1節~15節 15:1 夜が明けるとすぐに、祭司長たちは、長老たちや律法学者たちと最高法院全体で協議を行ってから、イエスを縛って連れ出し、ピラトに引き渡した。 15:2 ピラトはイエスに尋ねた。「あなたはユダヤ人の王なのか。」イエスは答えられた。「あなたがそう言っています。」 15:3 そこで祭司長たちは、多くのことでイエスを訴えた。 15:4 ピラトは再びイエスに尋ねた。「何も答えないのか。見なさい。彼らはあんなにまであなたを訴えているが。」 15:5 しかし、イエスはもはや何も答えようとされなかった。それにはピラトも驚いた。 15:6 ところで、ピラトは祭りのたびに、人々の願う囚人一人を釈放していた。 15:7 そこに、バラバという者がいて、暴動で人殺しをした暴徒たちとともに牢につながれていた。 15:8 群衆が上って来て、いつものようにしてもらうことを、ピラトに要求し始めた。 15:9 そこでピラトは彼らに答えた。「おまえたちはユダヤ人の王を釈放してほしいのか。」 15:10 ピラトは、祭司長たちがねたみからイエスを引き渡したことを、知っていたのである。 15:11 しかし、祭司長たちは、むしろ、バラバを釈放してもらうように群衆を扇動した。 15:12 そこで、ピラトは再び答えた。「では、おまえたちがユダヤ人の王と呼ぶあの人を、私にどうしてほしいのか。」 15:13 すると彼らはまたも叫んだ。「十字架につけろ。」 15:14 ピラトは彼らに言った。「あの人がどんな悪いことをしたのか。」しかし、彼らはますます激しく叫び続けた。「十字架につけろ。」 15:15 それで、ピラトは群衆を満足させようと思い、バラバを釈放し、イエスはむちで打ってから、十字架につけるために引き渡した。 |
2024年2月18日(日)リビングライフQT 立場や伝統に固執し、真理を求めないユダヤ人指導者の悪と、 ユダヤで絶対的権威を持ち、世界の覇者ローマ皇帝の後ろ楯のある、ユダヤ国の総督ピラトの、保身に走る姿 ここ暫くのテキストに出てくる人々の様々な姿に、人間の重い罪の姿を見る思いです。 *扇動されて騒ぎ立てる群衆。 *主の教えを思い出せずに、うろたえる弟子たち。 *主への期待の裏を行くユダ・・・ これ等の人々の中に、主の痛みを理解し、寄り添い、しっかり凝視する(見つめる)…人は全くいないのです。 これが人の罪の姿、現実なのです。 今の私達は、福音の真理に接し、救いに与っていますから、この中には、含まれないかもしれませんが、以前は、日本の宗教ではない・・の理由で、無関心・反発・無視・・・等々に、身を置いていたのではないでしょうか。 今新たに、此の様々な人々の中に、昔の自分の姿を見る思いです。 ここで、身代わりの釈放者が求められ、バラバが、名指しで登場したのです。 彼は多分暴動の罪で捉えられたのでしょう。 それは、占領している、ローマ軍への攻撃をした罪で・・・だから民は、彼を英雄視して、釈放を求めたのでしょう。民も愚か、指導者も愚か、ユダヤ教会も愚か、即ち、全ての人が、救い主神の御子を心から・信仰から・国から・民族から閉め出したのです。 罪の行く先は、何と恐ろしいことでしょう。 改めて!総督ピラトの言葉と行動・決断を見ると、人間の弱さと愚かさそれが“罪”の典型的姿だと感じました。 神の光の前で、私達は、何も恐れてはならない‼️ 主よ❗愛によってあなたに繋がらせてください |
| マルコ福音書 14章66節~72節 14:66 ペテロが下の中庭にいると、大祭司の召使いの女の一人がやって来た。 14:67 ペテロが火に当たっているのを見かけると、彼をじっと見つめて言った。「あなたも、ナザレ人イエスと一緒にいましたね。」 14:68 ペテロはそれを否定して、「何を言っているのか分からない。理解できない」と言って、前庭の方に出て行った。すると鶏が鳴いた。 14:69 召使いの女はペテロを見て、そばに立っていた人たちに再び言い始めた。「この人はあの人たちの仲間です。」 14:70 すると、ペテロは再び否定した。しばらくすると、そばに立っていた人たちが、またペテロに言った。「確かに、あなたはあの人たちの仲間だ。ガリラヤ人だから。」 14:71 するとペテロは、?ならのろわれてもよいと誓い始め、「私は、あなたがたが話しているその人を知らない」と言った。 14:72 するとすぐに、鶏がもう一度鳴いた。ペテロは、「鶏が二度鳴く前に、あなたは三度わたしを知らないと言います」と、イエスが自分に話されたことを思い出した。そして彼は泣き崩れた。 |
2024年2月17日(土)リビングライフQT 何と、人の心は弱いのでしょう。・・・他人事のように、こうして書く自分が、信仰を否定したり、最も基本的なイエス様との関係を、拒否したり・・・と言う事はないにしても、主の御心を痛め、清い主の前に出られなくなった自らを、敢えて偽って、主の僕であるかのように装って、その場逃れをしたことが幾度あったことでしょう。 罪を犯した後悔で、幾度涙したことでしょう。 各福音書に記されている、主の御受難の記事を読むたびに、私の胸は、かって罪の中をさ迷った時の後悔の、胸の痛みを、ぺテロのように、思い起こすのです。 ぺテロは、『鶏がニ度鳴く前に、あなたは三度わたしを知らないと言います』 私たち人間は、永遠の裁きにより、永遠の地獄(死も終わりもない、攻め苦の中で、永遠に生き続ける)に落ちる事よりも、 今の、恥、恐怖、試練・・・から、逃れることの方に、身を避けようとするのです。その弱い姿を、このぺテロの否定をする姿に見るのです。 主はそんな弱い私達をもペテロに対しても、慈しみをもって、赦されたのですから私達は改めて十字架を、見上げましょう。 なぜ“人”は、目先の恐れ・苦しみ・評判・評価を最優先に大事にして、もっと重要な、永遠と、主なる神(創造主)、また、御子イエス様の命を懸けた十字架の愛を、最優先しないのだろうか(はてな) これは、私達の魂に働きかけるサタンの誘惑なのです。 今新たに、主イエス様の愛と十字架の購いを最優先に、力強く生きて参りましょう。 ハレルヤ‼️ |
| マルコ福音書 14章53節~65節 14:53 人々がイエスを大祭司のところに連れて行くと、祭司長たち、長老たち、律法学者たちがみな集まって来た。 14:54 ペテロは、遠くからイエスの後について、大祭司の家の庭の中にまで入って行った。そして、下役たちと一緒に座って、火に当たっていた。 14:55 さて、祭司長たちと最高法院全体は、イエスを死刑にするため、彼に不利な証言を得ようとしたが、何も見つからなかった。 14:56 多くの者たちがイエスに不利な偽証をしたが、それらの証言が一致しなかったのである。 14:57 すると、何人かが立ち上がり、こう言って、イエスに不利な偽証をした。 14:58 「『わたしは人の手で造られたこの神殿を壊し、人の手で造られたのではない別の神殿を三日で建てる』とこの人が言うのを、私たちは聞きました。」 14:59 しかし、この点でも、証言は一致しなかった。 14:60 そこで、大祭司が立ち上がり、真ん中に進み出て、イエスに尋ねた。「何も答えないのか。この人たちがおまえに不利な証言をしているが、どういうことか。」 14:61 しかし、イエスは黙ったまま、何もお答えにならなかった。大祭司は再びイエスに尋ねた。「おまえは、ほむべき方の子キリストなのか。」 14:62 そこでイエスは言われた。「わたしが、それです。あなたがたは、人の子が力ある方の右の座に着き、そして天の雲とともに来るのを見ることになります。」 14:63 すると、大祭司は自分の衣を引き裂いて言った。「なぜこれ以上、証人が必要か。 14:64 あなたがたは、神を冒?することばを聞いたのだ。どう考えるか。」すると彼らは全員で、イエスは死に値すると決めた。 14:65 そして、ある者たちはイエスに唾をかけ、顔に目隠しをして拳で殴り、「当ててみろ」と言い始めた。また、下役たちはイエスを平手で打った。 |
2024年2月16日(金)リビングライフQT あぁ 何と言う屈辱→65節 2000年の人類の歴史の中で、なんとイエス様の事を口汚く罵(ののしり)、否定したり、背を向けたり、無視したり・・・してきたことでしょう だれではなく、私自身が、その様な時を、経験してきました。 一体誰が、神の御子イエス・キリスト様の前に、潔白だと言えるでしょうか。 ただただ、御前にひれ伏して、悔いるのみです。 大祭司始め、祭司長、長老たち、律法学者、最高法院(最高裁判所) ユダヤ社会全てを挙げて・・・・ 創造主であり、彼等が怖れひれ伏す《全能の神》が、御遣わしになった《御子なるイエス・キリスト》様を、この様に、屈辱の限りを尽くして、死に渡そうとしているのです。 改めて、このテキストを読みながら、出来るだけリアル(現実的な創造力を働かせて)に心の中に描いていると、この群衆の中に、過去の私がいるのに気づき、罪の重さに、打ちのめされる思いでした。慌てて、十字架の主・復活の主を見上げました。 如何に汚れたる 者の心をも 潔めたもう主は げに誉むぶきかな 罪汚れはいや増すとも 主の恵みも 又 いや、増すなり 主よ❗あなた様が・・ 私に代わって受けられた、御苦しみに、深く感謝いたします。 イエス様こそ、 私のただお一人の神 私の主、購い主です。 (は)(れ)(る)(や) (あ)(ー)(め)(ん) |
| マルコ福音書 14章43節~52節 14:43 そしてすぐ、イエスがまだ話しておられるうちに、十二人の一人のユダが現れた。祭司長たち、律法学者たち、長老たちから差し向けられ、剣や棒を手にした群衆も一緒であった。 14:44 イエスを裏切ろうとしていた者は、彼らと合図を決め、「私が口づけをするのが、その人だ。その人を捕まえて、しっかりと引いて行くのだ」と言っておいた。 14:45 ユダはやって来るとすぐ、イエスに近づき、「先生」と言って口づけした。 14:46 人々は、イエスに手をかけて捕らえた。 14:47 そのとき、そばに立っていた一人が、剣を抜いて大祭司のしもべに切りかかり、その耳を切り落とした。 14:48 イエスは彼らに向かって言われた。「まるで強盗にでも向かうように、剣や棒を持ってわたしを捕らえに来たのですか。 14:49 わたしは毎日、宮であなたがたと一緒にいて教えていたのに、あなたがたは、わたしを捕らえませんでした。しかし、こうなったのは聖書が成就するためです。」 14:50 皆は、イエスを見捨てて逃げてしまった。 14:51 ある青年が、からだに亜麻布を一枚まとっただけでイエスについて行ったところ、人々が彼を捕らえようとした。 14:52 すると、彼は亜麻布を脱ぎ捨てて、裸で逃げた。 |
2024年2月15日(木)リビングライフQT 何と言うユダの裏切り行為 人間の心の弱さか(はてな) ある人は、ユダは、なかなかイエス様が、メシヤとしての、立ち上がりが見えないので、此のような罠をかけて、主が行動を興される切っ掛けを・・・と 全く愚かな想像です。 すでにユダは、預かったお金(弟子達の会計係だった)をごまかす・・・と言った隠れた罪を抱えていた。そんな彼の魂に、主に期待する神聖な期待をどうして持つ事が出来たでしょう。 迷い、つまづき、叱責を受けるばかりの他の弟子達のふがいなさからしても、このユダの行為は、全く愚かな道なのです。更に、主は幾度も、ユダの心に巣くう、サタンの陰謀を砕くために、警告を語られて来ていたのです。 イエス様はユダの心を見抜けなかったのではないのです。 危険や、策略を避けて、開かれる勝利が、人類の救いへの道ではないので、いささかも(少しも)、困難や、策略を避けるおつもりはなく、ただサタンがなそうと迫るあらゆる道のなかに、人の罪の全てをお受けになろうと、何一つ避けては通られなかったのです。 言い換えると、イエス様にのしかかる全ての悪と、苦しみは、私のあなたの、一つ一つの罪の行為なのです。 2000年前の出来事ではないのです。 神の御子イエス・キリスト様は、永遠なるお方なのです。此のお方に向けられる悪しき業、即ち《罪》は、過去・現在・未来の全ての人の罪が、今(聖書の時代)イエス様の、歩みが、救いへの道を開こうとされているのです。 他の弟子達もまた、此の神の永遠のご計画を理解できないので、恐れに捕われて、主を見捨てて逃げて行ったのです。(50節) 私達の永遠のために孤立の中を歩まれた主を、今朝も思いつつ、自らの歩みを、見つめ直してみましょう‼️ |
| マルコ福音書 14章32節~42節 14:32 さて、彼らはゲツセマネという場所に来た。イエスは弟子たちに言われた。「わたしが祈っている間、ここに座っていなさい。」 14:33 そして、ペテロ、ヤコブ、ヨハネを一緒に連れて行かれた。イエスは深く悩み、もだえ始め、 14:34 彼らに言われた。「わたしは悲しみのあまり死ぬほどです。ここにいて、目を覚ましていなさい。」 14:35 それからイエスは少し進んで行って、地面にひれ伏し、できることなら、この時が自分から過ぎ去るようにと祈られた。 14:36 そしてこう言われた。「アバ、父よ、あなたは何でもおできになります。どうか、この杯をわたしから取り去ってください。しかし、わたしの望むことではなく、あなたがお望みになることが行われますように。」 14:37 イエスは戻り、彼らが眠っているのを見て、ペテロに言われた。「シモン、眠っているのですか。一時間でも、目を覚ましていられなかったのですか。 14:38 誘惑に陥らないように、目を覚まして祈っていなさい。霊は燃えていても肉は弱いのです。」 14:39 イエスは再び離れて行き、前と同じことばで祈られた。 14:40 そして再び戻って来てご覧になると、弟子たちは眠っていた。まぶたがとても重くなっていたのである。彼らは、イエスに何と言ってよいか、分からなかった。 14:41 イエスは三度目に戻って来ると、彼らに言われた。「まだ眠って休んでいるのですか。もう十分です。時が来ました。見なさい。人の子は罪人たちの手に渡されます。 14:42 立ちなさい。さあ、行こう。見なさい。わたしを裏切る者が近くに来ています。」 |
2024年2月14日(水)リビングライフQT 何度読んでも、胸が痛みます。 孤立・孤独・・と言う言葉の深層に、この状況・お姿が凝縮されているように感じます。 【リビングライフ(みことばから)の解説一部転写】 これから起こるユダの裏切りと弟子達の離散、そして十字架での神との断絶による苦悩などのために、イエス様は死ぬほど悲しまれます(34節)。 イエス様は、神の子でありながら人間(私の・あなた)の全ての罪の苦しみを知っておられ、その苦しみの杯をご自分の苦しみとして受け、飲みつくされようとしておられたのです。 そして、その最期の道が十字架への道だったのです。 主は、弟子達に悲しみの余り、潰れそうなご自分のために、眼を覚まして祈っているように・・・と願いながら、弟子達は疲れて寝入ってしまった。ますます孤独な主のお心は こうして書きながら、私の胸は張り裂けそうな程悼み(いたみ)を覚えます。それは、私の罪のゆえに、苦しまれているからなのです 主よ、御許しください。 人(生身の人間)として、最期の瞬間まで、痛みと・苦悩と・孤独と・裏切られる哀しみを、身を刻むように経験されながら、祈る主のお言葉(この杯“苦しみ”を取り去ってください)は、人として生きる主の苦しみの叫びなのです。《私のために‼️》あぁ主よ御許しください‼️ この苦しみ・葛藤・叫びは、弟子達には届かないまま、祈りの中から立ち上がられた主の姿は‼️最早、全てを投げ出し、十字架に向かって立ち上がられた姿は輝きとも、凛々しさとも燃える炎のようにも・・・ しかし、そこからの道はまた、屈辱と、罵りに囲まれた道です。 終始、この道は私のあなたの罪のゆえに、歩かれる道だったのです。 新たな思いで主と共に、歩みましょう。 |
| マルコ福音書 14章22節~31節 14:22 さて、一同が食事をしているとき、イエスはパンを取り、神をほめたたえてこれを裂き、弟子たちに与えて言われた。「取りなさい。これはわたしのからだです。」 14:23 また、杯を取り、感謝の祈りをささげた後、彼らにお与えになった。彼らはみなその杯から飲んだ。 14:24 イエスは彼らに言われた。「これは、多くの人のために流される、わたしの契約の血です。 14:25 まことに、あなたがたに言います。神の国で新しく飲むその日まで、わたしがぶどうの実からできた物を飲むことは、もはや決してありません。」 14:26 そして、賛美の歌を歌ってから、皆でオリーブ山へ出かけた。 14:27 イエスは弟子たちに言われた。「あなたがたはみな、つまずきます。『わたしは羊飼いを打つ。すると、羊は散らされる』と書いてあるからです。 14:28 しかしわたしは、よみがえった後、あなたがたより先にガリラヤへ行きます。」 14:29 すると、ペテロがイエスに言った。「たとえ皆がつまずいても、私はつまずきません。」 14:30 イエスは彼に言われた。「まことに、あなたに言います。まさに今夜、鶏が二度鳴く前に、あなたは三度わたしを知らないと言います。」 14:31 ペテロは力を込めて言い張った。「たとえ、ご一緒に死ななければならないとしても、あなたを知らないなどとは決して申しません。」皆も同じように言った。 |
2024年2月13日(火)リビングライフQT イエス様と弟子達の、過ぎ越の食事の席‼️ この席が、十字架の購いによる、永遠の救い《創造主なる神と、神に背いて、罪に墜ちた人“人類”との、新しい関係=”救い“を、約束した絆・・・後の”聖餐式”の原型となる *《パン》は、主イエス様が、十字架の前で拷問・鞭打たれた御身体、十字架の上でも、槍で刺された‼️ *《ぶどう酒》は、身体が渇くほど流されたイエス様の御血潮‼️ この極度の苦しみと痛みは、罪人が永劫(えいごう)に受けなければならない、罪の結果の裁きの苦しみなのです。 その苦しみと苦悩をイエス様が身代わりに受けてくださったのです。 その永遠の救いの業を思い出して、主と密接に繋がる確信と信仰を、この聖なる晩餐を通して教えられたのです。 こうしてイエス樣と交わっている限りは、決して主を慕い、離れることはない‼️と、彼らは思っていたでしょう。”死なばもろとも”そんな勇者にも似た、勢いが・想いがあったのです。 それを代表して口走ったのが、ぺテロでした。 ぺテロの言葉に主は、釘を刺されました。 しかし、ぺテロを始め、全ての弟子達も、同じように強気な告白(はてな)を、口にしました。 先を知る私たちは、何て愚かな弟子達だろうと思いますね。実は彼らの姿は、全ての救われた“罪人に“湧き出す”苦い、人の弱さなのです。自分の立場が危うくなると、自己弁護に走り、自分を強く見せ、自信過剰によって、自分を守ろう・正しいと思い続けよう⁉️と、強気を装うのです。 新たに、この“聖餐”に与る度に、自分の弱さを受け入れ、新たに主に繋がる強さに帰ることを、告白し続けることを、忘れないように、聖餐式に、与る一人となりましょう‼️ |
| マルコ福音書 14章12節~21節 14:12 種なしパンの祭りの最初の日、すなわち、過越の子羊を屠る日、弟子たちはイエスに言った。「過越の食事ができるように、私たちは、どこへ行って用意をしましょうか。」 14:13 イエスは、こう言って弟子のうち二人を遣わされた。「都に入りなさい。すると、水がめを運んでいる人に出会います。その人について行きなさい。 14:14 そして、彼が入って行く家の主人に、『弟子たちと一緒に過越の食事をする、わたしの客間はどこかと先生が言っております』と言いなさい。 14:15 すると、その主人自ら、席が整えられて用意のできた二階の大広間を見せてくれます。そこでわたしたちのために用意をしなさい。」 14:16 弟子たちが出かけて行って都に入ると、イエスが彼らに言われたとおりであった。それで、彼らは過越の用意をした。 14:17 夕方になって、イエスは十二人と一緒にそこに来られた。 14:18 そして、彼らが席に着いて食事をしているとき、イエスは言われた。「まことに、あなたがたに言います。あなたがたのうちの一人で、わたしと一緒に食事をしている者が、わたしを裏切ります。」 14:19 弟子たちは悲しくなり、次々にイエスに言い始めた。「まさか私ではないでしょう。」 14:20 イエスは言われた。「十二人の一人で、わたしと一緒に手を鉢に浸している者です。 14:21 人の子は、自分について書かれているとおり、去って行きます。しかし、人の子を裏切るその人はわざわいです。そういう人は、生まれて来なければよかったのです。」 |
2024年2月12日(月)リビングライフQT エルサレム入城の時の、ロバの調達の時も、今回も、全く不思議な感じがします。 神の御子だから、全てお見通し・・・なのでしょうか(はてな) 私は子供の頃、「スゴーイ❗さすがイエス様だ‼️」と、単純に感動していましたが、改めて、この事は、これから主ご自身がお受けになられる、御受難への道に、次々悪い状況の展開があるなかで、弟子達に、・・・此のような先を見通しての、展開を開く事が出来るが、敢えて、道を拓いて勝利へと歩むのではなく、これからの険しい道の一足一足は、全ての人の、罪の購いのために、受けて行かねばならない‼️・・・と、暗黙のうちに、語っておられるのです。 厳粛な、過ぎ越の食卓。それはイスラエルの民の歴史の出発点なのです。その、最も大切な”宴“の輪の(12人)中に、裏切る者がいる 弟子達は皆、自分の弱さを感じていたので、心騒いだのです。更に主は、裏切る者の、魂に悔い改めを迫るように、名指しこそしないのですが、裏切りへの道をまだ引き返すことができる・・・と、暗黙に知らせたのです。そして明け方に、裏切りの結果がどの様な、恐ろしい道か(はてな)を、『生まれてこなかった方が良かった』と、慈しみと、悲しみを交えた御警告をなさったのです。 主はいつも、どの時代にも、愛する者が失われることを。悲しまれ、ギリギリまでも、立ち帰りを待ち望まれるのです。 今日、私達が《在る》のは、子なる神*イエス・キリスト様の、愛のゆえなのです。‼️ |
| マルコ福音書 14章1節~11節 14:1 過越の祭り、すなわち種なしパンの祭りが二日後に迫っていた。祭司長たちと律法学者たちは、イエスをだまして捕らえ、殺すための良い方法を探していた。 14:2 彼らは、「祭りの間はやめておこう。民が騒ぎを起こすといけない」と話していた。 14:3 さて、イエスがベタニアで、ツァラアトに冒された人シモンの家におられたときのことである。食事をしておられると、ある女の人が、純粋で非常に高価なナルド油の入った小さな壺を持って来て、その壺を割り、イエスの頭に注いだ。 14:4 すると、何人かの者が憤慨して互いに言った。「何のために、香油をこんなに無駄にしたのか。 14:5 この香油なら、三百デナリ以上に売れて、貧しい人たちに施しができたのに。」そして、彼女を厳しく責めた。 14:6 すると、イエスは言われた。「彼女を、するままにさせておきなさい。なぜ困らせるのですか。わたしのために、良いことをしてくれたのです。 14:7 貧しい人々は、いつもあなたがたと一緒にいます。あなたがたは望むとき、いつでも彼らに良いことをしてあげられます。しかし、わたしは、いつもあなたがたと一緒にいるわけではありません。 14:8 彼女は、自分にできることをしたのです。埋葬に備えて、わたしのからだに、前もって香油を塗ってくれました。 14:9 まことに、あなたがたに言います。世界中どこでも、福音が宣べ伝えられるところでは、この人がしたことも、この人の記念として語られます。」 14:10 さて、十二人の一人であるイスカリオテのユダは、祭司長たちのところへ行った。イエスを引き渡すためであった。 14:11 彼らはそれを聞いて喜び、金を与える約束をした。そこでユダは、どうすればイエスをうまく引き渡せるかと、その機をうかがっていた。 |
2024年2月11日(日)リビングライフQT 以前にも、お話ししましたが、主イエス様は、ガリラヤ地方中心に、福音宣教(神の国が近づいた‼️)をされていましたが、一年に一度、過ぎ越しの祭りには、エルサレムに行かれました。 この祭りとは、イスラエルの民がエジプトの奴隷から解放されるための、エジプトからの大脱出のきっかけとなった、“過ぎ越し”・・一家に一頭羊を犠牲としてほふ(屠)り、皆でそれを食する、そして明け方に、一斉にカナン(パレスティナ)指してエジプトを脱出する。(エクソダス=出エジプト)を記念したイスラエルの民の国民的記念日(お祭り) この出エジプトこそ、人間(人類)の、罪の奴隷からの脱出を意味しています。 あの屠られた羊は、正にイエス・キリストの、十字架を表すのです。 イエス様が、『神の国は近づいた‼️』と、語り出されたのは、この事を意味していたのです。 その三度目の過ぎ越の祭りの最中の、招かれた席での出来事なのです。 その席は、12人の弟子達も共に招かれたのです。ここのご主人が重い病を癒された感謝の席でもありました。 そこに招かれた訳でもない一人の女が、紛れ込んでいたのです。 私が、今から55年ほど前、台湾の先住民の山の教会を巡回伝道していた頃、信徒の家に招待されて行くと、その食卓には、招かれていない者も、立ったまま、私の後ろから箸を出して、鍋をつつく様に、驚きました。実に親密(はてな)なさまに、親しみを感じながらも、何だか・・・ イエス様に触れたい、お話を聞きたい、お顔を拝したい・・・そんな村人達に混じって、密かに主の近くに忍び寄ったのです。誰も気付かない様に‼️ 突然素晴らしいナルドの香油の香りが部屋一杯に拡がった。 そのような状況を思い浮かべながら、考えましょう。素焼きの壺を割って、その香油を主の頭に注いだ‼️ 現代なら、それは香水です。 実はこの香油、値段は今の価値にすると何と、270万円にもなるのです。 周囲の反応はご想像の通りです。 しかし、主はこの行為を最高に、称賛されました。そのうえ、9節『世界中どこでも、福音が述べ伝えられるところでは、この人がしたことも、この人の記念として語られます。』 何と、素晴らしい‼️ 彼女の行為は、正に過越に相応しい、行いだったのです。彼女は決して期を狙った行為ではなかったのです。 ただ❗だだ‼️罪の赦された事への、魂の解放された事への喜びと感動・感謝を、表しただけでした‼️ これこそ純度の高い、主への献身でした。 この出来事は、福音のピークです。 (は) (れ) (る) (や) 一方、サタンの侵入は、この最も神聖な犯すべからざる所にまで、忍び寄ってくるのです。罪が忍び寄ってこない安全圏は、御霊(聖霊の支配する中)だけです。 今朝、新たに主を崇め、御霊の満たしの中に身を置きましょう。 |
| マルコ福音書 13章28節~37節 13:28 いちじくの木から教訓を学びなさい。枝が柔らかくなって葉が出て来ると、夏が近いことが分かります。 13:29 同じように、これらのことが起こるのを見たら、あなたがたは、人の子が戸口まで近づいていることを知りなさい。 13:30 まことに、あなたがたに言います。これらのことがすべて起こるまでは、この時代が過ぎ去ることは決してありません。 13:31 天地は消え去ります。しかし、わたしのことばは決して消え去ることがありません。 13:32 ただし、その日、その時がいつなのかは、だれも知りません。天の御使いたちも子も知りません。父だけが知っておられます。 13:33 気をつけて、目を覚ましていなさい。その時がいつなのか、あなたがたは知らないからです。 13:34 それはちょうど、旅に出る人のようです。家を離れるとき、しもべたちそれぞれに、仕事を割り当てて責任を持たせ、門番には目を覚ましているように命じます。 13:35 ですから、目を覚ましていなさい。家の主人がいつ帰って来るのか、夕方なのか、夜中なのか、鶏の鳴くころなのか、明け方なのか、分からないからです。 13:36 主人が突然帰って来て、あなたがたが眠っているのを見ることがないようにしなさい。 13:37 わたしがあなたがたに言っていることは、すべての人に言っているのです。目を覚ましていなさい。」 |
2024年2月10日(土)リビングライフQT イエス様のこれらのお言葉は、切実な心からのメッセージとして、心に響いてくると共に、31節の『天地は消え去ります。しかし、わたしのことばは決して消え去ることはありません。』 非常に力強い言葉として、胸に響いてきますね。 今日のテキストの前に語られた、イエス様の一つ一つのお言葉を、今一度思い返しながら、今の時代に目を向けて、時の徴を熟慮してみましょう。 33節 “目を覚ましていなさい‼️” 36節 “主人が帰ってきたときに、雇い人のあなたが眠っていることがないようにしなさい。” 神の前に生きる、人の姿は、常に熱い期待と、それ故に真実・忠実・・・主の愛と命によって変えられた魂が喜びを持って仕える日々の積み重ねが、神のご計画なる、祝福への招きとなるのです。 神の選びは、私たちの信頼と真実に仕える心にかかっているのです‼️ 即ち、《神の選び》とは、初めから選ばれた人と、選ばれなかった人とが、決定的に予定されている・・・と言うのではないのです。 一人一人が、主なる神の愛と恵みと招き・導きに、いかに応えてきたかに、掛かってくると言うことなのです。 37節の『あなたがたに言っていることは、すべての人に言っているのです。目を覚ましていなさい。』 の御言葉に語られているように、この語りかけに如何に応えたか(何)が、永遠の審判の、要なのです。 今日も、主の日に備えて、真実な時を歩みましょう |
| マルコ福音書 13章14節~27節 13:14 『荒らす忌まわしいもの』が、立ってはならない所に立っているのを見たら──読者はよく理解せよ──ユダヤにいる人たちは山へ逃げなさい。 13:15 屋上にいる人は、家から何かを持ち出そうと、下に降りたり、中に入ったりしてはいけません。 13:16 畑にいる人は、上着を取りに戻ってはいけません。 13:17 それらの日、身重の女たちと乳飲み子を持つ女たちは哀れです。 13:18 このことが冬に起こらないように祈りなさい。 13:19 それらの日には、神が創造された被造世界のはじめから今に至るまでなかったような、また、今後も決してないような苦難が起こるからです。 13:20 もし主が、その日数を少なくしてくださらなかったら、一人も救われないでしょう。しかし、主は、ご自分が選んだ人たちのために、その日数を少なくしてくださいました。 13:21 そのときに、だれかが、『ご覧なさい。ここにキリストがいる』とか、『あそこにいる』とか言っても、信じてはいけません。 13:22 偽キリストたち、偽預言者たちが現れて、できれば選ばれた者たちを惑わそうと、しるしや不思議を行います。 13:23 あなたがたは、気をつけていなさい。わたしは、すべてのことを前もって話しました。 13:24 しかしその日、これらの苦難に続いて、太陽は暗くなり、月は光を放たなくなり、 13:25 星は天から落ち、天にあるもろもろの力は揺り動かされます。 13:26 そのとき人々は、人の子が雲のうちに、偉大な力と栄光とともに来るのを見ます。 13:27 そのとき、人の子は御使いたちを遣わし、地の果てから天の果てまで、選ばれた者たちを四方から集めます。 |
2024年2月9日(金)リビングライフQT 14節~20節までは、直接的には、昨日も書きましたが、紀元70年に、ローマの将軍ティトゥスが、エルサレムを完全に破壊し尽くし、神殿あとに、偶像を置いた、また、エルサレムの住民は、全て剣にかけて殺され、その血が、ケデロンの谷を流れ下った と、歴史家は書き残しています。 悲惨きわまりない現実として、エルサレムに起こった歴史は、やがて、終わりの時代に、全地球規模で、この戦いが起こるのです。もはや引き返せない、人類の滅亡への審判的戦いです。 21節~25節は、最後の破滅に向かう、戦争の噂や国際的動きの中で、(現在がそんなことを想像させる、不安定な人類の状況だとも言えますね)現れてくる、偽キリスト・反キリストとも言える、宗教的混乱を、語っておられるのです。 事実、アフリカで、韓国で、アメリカで、南米で、この20世紀の歴史の中で、現実に顕れたのです。 2000年も前に、イエス・キリスト様は、明確に、終わりの時を語り示されたのです。 26節~“人の子”が、天から降りて来られる‼️ この事は、まだ実現されていない、神のご計画の事実です。 これを今、私達は待ち望んでいるのです‼️ 私達は今、この様な現実味を帯びた、出来事が次々に沸き起こっている中で、生きている間に、主の来臨が現実化する期待感と同時に、次の世代に、この未来的現実を、伝え継承する、宣教者として、歴史を積み上げて行きたいですね‼️ |
| マルコ福音書 13章1節~13節 13:1 イエスが宮から出て行かれるとき、弟子の一人がイエスに言った。「先生、ご覧ください。なんとすばらしい石、なんとすばらしい建物でしょう。」 13:2 すると、イエスは彼に言われた。「この大きな建物を見ているのですか。ここで、どの石も崩されずに、ほかの石の上に残ることは決してありません。」 13:3 イエスがオリーブ山で宮に向かって座っておられると、ペテロ、ヤコブ、ヨハネ、アンデレが、ひそかにイエスに尋ねた。 13:4 「お話しください。いつ、そのようなことが起こるのですか。また、それらがすべて終わりに近づくときのしるしは、どのようなものですか。」 13:5 それで、イエスは彼らに話し始められた。「人に惑わされないように気をつけなさい。 13:6 わたしの名を名乗る者が大勢現れ、『私こそ、その者だ』と言って、多くの人を惑わします。 13:7 また、戦争や戦争のうわさを聞いても、うろたえてはいけません。そういうことは必ず起こりますが、まだ終わりではありません。 13:8 民族は民族に、国は国に敵対して立ち上がり、あちこちで地震があり、飢饉も起こるからです。これらのことは産みの苦しみの始まりです。 13:9 あなたがたは用心していなさい。人々はあなたがたを地方法院に引き渡します。あなたがたは、会堂で打ちたたかれ、わたしのために、総督たちや王たちの前に立たされます。そのようにして彼らに証しするのです。 13:10 まず福音が、すべての民族に宣べ伝えられなければなりません。 13:11 人々があなたがたを捕らえて引き渡すとき、何を話そうかと、前もって心配するのはやめなさい。ただ、そのときあなたがたに与えられることを話しなさい。話すのはあなたがたではなく、聖霊です。 13:12 また、兄弟は兄弟を、父は子を死に渡し、子どもたちは両親に逆らって立ち、死に至らせます。 13:13 また、わたしの名のために、あなたがたはすべての人に憎まれます。しかし、最後まで耐え忍ぶ人は救われます。 |
2024年2月8日(木)リビングライフQT 深く心に突き刺さり、新たに緊張に覚まされる、大切なメッセージです。 主は、『これらの事は産みの苦しみの始まりです。』(8節) この福音書が書かれたのは、一世紀の半ばです。また、このイエス様の語られたメッセージは、さらにそれより20年~30年前です。 弟子たちはこのメッセージを聞いたときには、殆んど危機的な実感はなかったでしょう。しかし、やがて、イエス様の後受難の時が来ました。弟子たちはこのメッセージを思い出したでしょうか。しかし、その危機的な事態(イエス様)は、間もなく、三日後に勝利の復活で、喜びと解放に沸きました。・・・ 人は、勝利に酔いしれると、苦しみや緊張から解放され、都合のよい楽観主義へと流れはじめます。 弟子達の勝利の、喜びは、40日で終わります。イエス様の御昇天(お別れ)です。 しかし、栄光に包まれた御昇天の姿は、この様な栄光の主が再び返ってこられる‼️ その希望に、彼等(弟子達)は、祈りによる結束・結集を経て、神から送られた新しい聖霊なる神に捉えられて、新しい出発をしました。 すると間もなく、迫害が激しくなり、同時に、占領下のローマに対する、反抗が激しくなり、遂に、ローマ軍との全面戦争となって、エルサレムな神殿を始めとして、ユダヤ政府の建物からことごとく、崩され再建されないように、全ての石材となる石(大理石)は火で焼かれ、10万のエルサれも市民は、虐殺されたのです。正にイエス様が語られたことが現実に起こったのです。(紀元70年) しかし、この出来事は、エルサレム市民や弟子たちにとっては、確かに世の終わりにも匹敵する事ではありましたが、地球と言う世界から見るならば、ほんの局所的出来事にしか過ぎません。 それから、ほぼ2000年経過した今日まで、 長い歴史の繰り返しの中で 、 同じ 危機的な出来事が繰り返されて、 今日に至りました。 迫害・ 殉教 ・天変地異・ 国の崩壊 ・・・ 目まぐるしく 変転する世界の歴史の中で、 イエス様のこの御言葉は、 その度 現実的に受け止められ 終末感が 人々の心を 捉えてきました。 そして 人々の間で 、また 、生まれてきた教会の中で、 終末の 危機感が、 覆い尽くすことを、繰り返してきました。 しかし 終わりはまだ来ていません。 主は、この様な繰り返される危機的な歴史の変転に対して・・・ ①先ず、福音が全ての民に述べ伝えられること。 ②更に骨肉の争いや、福音が、激しく排除され、迫害で、教会の存続が、危機的な時代となる。 ③そのような中で、教会(主の弟子の集まり)は、聖霊によって、導かれる。 ④最後まで、主に信頼し、耐え忍ぶものが終わりの日に勝利する。 平和に見える繁栄の日々は、実は、福音に反する悪の霊の、激しい攻めぎ相の日々であることをあることを、忘れてはなりません。 |
| マルコ福音書 12章35節~44節 12:35 イエスは宮で教えていたとき、こう言われた。「どうして律法学者たちは、キリストをダビデの子だと言うのですか。 12:36 ダビデ自身が、聖霊によって、こう言っています。『主は、私の主に言われた。「あなたは、わたしの右の座に着いていなさい。わたしがあなたの敵をあなたの足台とするまで。」』 12:37 ダビデ自身がキリストを主と呼んでいるのに、どうしてキリストがダビデの子なのでしょう。」大勢の群衆が、イエスの言われることを喜んで聞いていた。 12:38 イエスはその教えの中でこう言われた。「律法学者たちに気をつけなさい。彼らが願うのは、長い衣を着て歩き回ること、広場であいさつされること、 12:39 会堂で上席に、宴会で上座に座ることです。 12:40 また、やもめたちの家を食い尽くし、見栄を張って長く祈ります。こういう人たちは、より厳しい罰を受けます。」 12:41 それから、イエスは献金箱の向かい側に座り、群衆がお金を献金箱へ投げ入れる様子を見ておられた。多くの金持ちがたくさん投げ入れていた。 12:42 そこに一人の貧しいやもめが来て、レプタ銅貨二枚を投げ入れた。それは一コドラントに当たる。 12:43 イエスは弟子たちを呼んで言われた。「まことに、あなたがたに言います。この貧しいやもめは、献金箱に投げ入れている人々の中で、だれよりも多くを投げ入れました。 12:44 皆はあり余る中から投げ入れたのに、この人は乏しい中から、持っているすべてを、生きる手立てのすべてを投げ入れたのですから。」 |
2024年2月7日(水)リビングライフQT ユダヤ教徒にとっては、ダビデ・モーセは、創造主なる神と同じように、尊い存在だし、信仰の対象ですから、今彼らの前に”顕れた“イエス・キリストは、彼らは預言者の一人としてしか、見ていなかったのです。 ですから、以前ベテロが、『あなたこそ神のキリストです‼️』と、告白したのが、如何に驚くべき告白だったかがお分かりですね。 そうなんです。 ユダヤ教徒は未だに、イエス・キリスト様を、預言者の一人としてしか、信じていないのです。 イエス様の、この説明・メッセージは、ユダヤ教指導者への、《キリスト・神の子》宣言だったのです‼️ しかし、彼らの反応は、ここには記されてはいません (群衆は喜んで聞いていましたが❗) 主は律法学者達の、頑なさに心痛めながら、彼らの宗教的態度や振る舞いを、神の前で正しい姿ではないと、警告されたのです。 主がこの論争をしていたのは、神殿のある広場でしたので、そのまま献金箱(奉納箱)の側で、献金を投げ入れる二人の姿について、みんなに解き明かしをしたのです。 真実に、神の前に心を表した(言い換えれば、本当にまことの神に魂が繋がれた)のは、誰か⁉️と言うことを示されたのです。 日本の神社に行くと、回りを囲む“玉垣”の一つ一つの柱に、寄付された方の名前と、金額が記されているのを見ます。 たくさん献げると、それだけ御利益がある‼️と、考えられているのは、日本だけではありません。 乏しい中から持っている全てを献げた(レプタ銅貨2枚)寡婦を❗神は受け入れ、豊かな祝福を与えられた‼️と 神の前への献げ物は、魂の全てが、注ぎ出されるものでなければならないのです。 教会の礼拝の中で、献金と言うプログラムが書かれた時があります。お金を聖別して献げるのではないのです。 北九州シオン教会では、“献金”とは記されていません。 “献身の時”となっています。これは、私が先代の力丸博師から、受け継いだ、《礼拝》のあり方を、祈り再検討した中での変更でした。 礼拝は、 *神の前に新たに出て、*洗われ、清められ、 *自らを捧げ尽くし *御言葉をいただき *新たに遣わされる その中で、自らをささげる時を《献身の時》と、呼ぶように目次も書き換えたのです。もう、50年以上前になります。 あなたも、目録は書き換えられなくとも、次の礼拝から、その様な全霊を注ぎ出した献身の想いで新たにささげて参りましょう。 そこから、力強い一日一日が始まります。 さらに祝福と、恵みに満ちたものとなるでしょう‼️ |
| マルコ福音書 12章28節~34節 12:28 律法学者の一人が来て、彼らが議論するのを聞いていたが、イエスが見事に答えられたのを見て、イエスに尋ねた。「すべての中で、どれが第一の戒めですか。」 12:29 イエスは答えられた。「第一の戒めはこれです。『聞け、イスラエルよ。主は私たちの神。主は唯一である。 12:30 あなたは心を尽くし、いのちを尽くし、知性を尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい。』 12:31 第二の戒めはこれです。『あなたの隣人を自分自身のように愛しなさい。』これらよりも重要な命令は、ほかにありません。」 12:32 律法学者はイエスに言った。「先生、そのとおりです。主は唯一であって、そのほかに主はいない、とあなたが言われたことは、まさにそのとおりです。 12:33 そして、心を尽くし、知恵を尽くし、力を尽くして主を愛すること、また、隣人を自分自身のように愛することは、どんな全焼のささげ物やいけにえよりもはるかにすぐれています。」 12:34 イエスは、彼が賢く答えたのを見て言われた。「あなたは神の国から遠くない。」それから後は、だれもイエスにあえて尋ねる者はいなかった。 |
2024年2月6日(火)リビングライフQT 一人の律法学者の、 イエス様との問答。 究極の問いです。それだけに、この問いの《答》を聞いたことは、その答に対して、それを《是=絶対無二の道》として歩む、実行性が求められるのです。 第一: ①心を尽くし・・つくし(尽くす)→魂のすべてを注ぎだして‼️ ②いのちを尽くし・・神を愛し、神に従うのに《殉教》もいとわない‼️ ③知性を尽くし・・感情に走らず・のまれず・溺れず・・ ④力を尽くして・・・ 忍耐と、待ち望みと、時を越えて・・・ 《あなたの》 《神を愛する》 第二:あなたの隣人を自分自身のように愛しなさい‼️ ①“隣人”~って、誰のこと❓ *すべての人→70億人の全てなのですが、それでは“0”に等しいのでは❓・・即ち、神が創造された・・・今のあなたも、神の創造に成る存在なのです‼️ 罪に汚れた私達の心は、利害関係の中でしか、愛を働かせられなくなっているのです。 ☆博愛 ☆人類愛 ☆隣人愛・・等と言う表現で、私達は“愛”を特別視する努力をしますが、やはり、主なる神が私たちに示された愛からは、ほど遠いことを実感する、毎日ではないでしょうか。 ②創造主なる神が、あなたの側(ソバ)に関わらせて下さっている“人”は 必ずしも、心赦せる人とは限りませんね。(敵・赦せない人・心が繋がら難い人・趣味のあわない人・・・) しかし、それらの人も全て、神が創造された”人“なのです。 こうして考え直してみると愛せない・・と言う、自分の限界は、他でもない、自らの自己愛に閉じ籠る、罪のゆえではないでしょうか。 神が先ず私たちを愛してくださった‼️その愛が、そのまますべての人に向けられてきた。それが御子イエス・キリストによって顕された❗ 十字架の愛なのです。すべての人は、十字架に繋がっているのです。 この素晴らしい(愛)の事実を告白した、律法学者の答に、主は『あなたは神の国から遠くない‼️』と言われたのです。 『神の国はあなたのものです・・・』 とは言われていません。 何故⁉️ それは、かれが告白した『愛』の原理を、残りの人生に生きる・・・という課題があったからです。 《主の教えられた”愛“に生きる》クリスチャンでありましょう‼️ |
| マルコ福音書 12章13節~27節 12:13 さて、彼らはイエスのことばじりをとらえようとして、パリサイ人とヘロデ党の者を数人、イエスのところに遣わした。 12:14 その人たちはやって来てイエスに言った。「先生。私たちは、あなたが真実な方で、だれにも遠慮しない方だと知っております。人の顔色を見ず、真理に基づいて神の道を教えておられるからです。ところで、カエサルに税金を納めることは、律法にかなっているでしょうか、いないでしょうか。納めるべきでしょうか、納めるべきでないでしょうか。」 12:15 イエスは彼らの欺瞞を見抜いて言われた。「なぜわたしを試すのですか。デナリ銀貨を持って来て見せなさい。」 12:16 彼らが持って来ると、イエスは言われた。「これは、だれの肖像と銘ですか。」彼らは、「カエサルのです」と言った。 12:17 するとイエスは言われた。「カエサルのものはカエサルに、神のものは神に返しなさい。」彼らはイエスのことばに驚嘆した。 12:18 また、復活はないと言っているサドカイ人たちが、イエスのところに来て質問した。 12:19 「先生、モーセは私たちのためにこう書いています。『もし、ある人の兄が死んで妻を後に残し、子を残さなかった場合、その弟が兄嫁を妻にして、兄のために子孫を起こさなければならない。』 12:20 さて、七人の兄弟がいました。長男が妻を迎えましたが、死んで子孫を残しませんでした。 12:21 次男が兄嫁を妻にしましたが、やはり死んで子孫を残しませんでした。三男も同様でした。 12:22 こうして、七人とも子孫を残しませんでした。最後に、その妻も死にました。 12:23 復活の際、彼らがよみがえるとき、彼女は彼らのうちのだれの妻になるのでしょうか。七人とも彼女を妻にしたのですが。」 12:24 イエスは彼らに言われた。「あなたがたは、聖書も神の力も知らないので、そのために思い違いをしているのではありませんか。 12:25 死人の中からよみがえるときには、人はめとることも嫁ぐこともなく、天の御使いたちのようです。 12:26 死人がよみがえることについては、モーセの書にある柴の箇所で、神がモーセにどう語られたか、あなたがたは読んだことがないのですか。『わたしはアブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である』とあります。 12:27 神は死んだ者の神ではなく、生きている者の神です。あなたがたは大変な思い違いをしています。」 |
2024年2月5日(月)リビングライフQT イエス様の働きに敵対し、憎々しく思っているユダヤの指導者たちは、何とかして、イエス様の言葉じりをとって、社会から抹殺しようと、図っていました。何と言う醜く、愚かな人々なのでしょう。人間の欲は、単にお金が欲しい❗・・・と言う単純な金銭欲だけではありません、それは、①既得権 ②権力 ③称賛・・等々です。 金銭欲は、この後に続く低い欲求です。 ユダヤの人々は(イエスを陥れようとする) その愚かさの極みを、この二つの質問で、主に投げつけたのです。 聖書本文を読まれて、すでに、この質問が如何に愚かな、恥の上塗りと言われるような質問だったかは、良くお分かりでしょう *まず最初の問いかけは、主イエス様がどう答えても、足をひっぱられるような落とし穴的質問です。 ところが主は、これに対して、ローマの支配下にあるのだから、制度上、納めるべき税金なら納めねばならないし、それ以上に、《神のもの・・》の意味は、神に仕えるためにある全生活(神殿への捧げ物を始め、生かされていると言う、感謝をもって神に従い歩む毎日の歩み)を意味しています。 『カエサルのものは、カエサルに。 神のものは、神に・・・』胸の透(ス)くような、イエス様の回答は、彼らの心を萎えさせるに充分なものだったでしょう。 また、もう一つの質問、一人の女性を事情あって、複数の兄弟が次々(亡くなったので)にめとった‼️ その場合、天国では彼女は誰の妻なのか❓ 全く愚かな、引っかけの問いなのです。 主は『御国では、めとったり・嫁いだり・・・はない‼️』とおっしゃいました。 自分の価値観・罪の世界の習慣・この世(代)のしきたりや価値観で、神の国を見ようとする、愚かな宗教者たち。 私たちはどうでしょう。 もっともっと、福音書からイエス様のお姿・御言葉・輝き・潔(聖)さを、学びつつ、永遠のみ国を慕う者として光の道に歩みましょう‼️ |
| マルコ福音書 12章1節~12節 12:1 それからイエスは、たとえで彼らに話し始められた。「ある人がぶどう園を造った。垣根を巡らし、踏み場を掘り、見張りやぐらを建て、それを農夫たちに貸して旅に出た。 12:2 収穫の時になったので、ぶどう園の収穫の一部を受け取るため、農夫たちのところにしもべを遣わした。 12:3 ところが、彼らはそのしもべを捕らえて打ちたたき、何も持たせないで送り返した。 12:4 そこで、主人は再び別のしもべを遣わしたが、農夫たちはその頭を殴り、辱めた。 12:5 また別のしもべを遣わしたが、これを殺してしまった。さらに、多くのしもべを遣わしたが、打ちたたいたり、殺したりした。 12:6 しかし、主人にはもう一人、愛する息子がいた。彼は『私の息子なら敬ってくれるだろう』と言って、最後に、息子を彼らのところに遣わした。 12:7 すると、農夫たちは話し合った。『あれは跡取りだ。さあ、殺してしまおう。そうすれば、相続財産は自分たちのものになる。』 12:8 そして、彼を捕らえて殺し、ぶどう園の外に投げ捨てた。 12:9 ぶどう園の主人はどうするでしょうか。やって来て、農夫たちを殺し、ぶどう園をほかの人たちに与えるでしょう。 12:10 あなたがたは、次の聖書のことばを読んだことがないのですか。『家を建てる者たちが捨てた石、それが要の石となった。 12:11 これは主がなさったこと。私たちの目には不思議なことだ。』」 12:12 彼らは、このたとえ話が自分たちを指して語られたことに気づいたので、イエスを捕らえようと思ったが、群衆を恐れた。それでイエスを残して立ち去った。 |
2024年2月4日(日)リビングライフQT パレスティナは、古代からブドウの産地です。地中海性気候の地で育った、良質のブドウで、ぶどう酒が、豊かに産出されていたのです。ですから、ブドウ栽培農家の、現実的喩え話は、聞く人にリアルに理解されたのです。 ブドウ園の主人(父なる神)が、生産を委ねられている、農夫達(宗教指導者達)の元へ、収穫(ユダヤの民の信仰の成果)の引き取りにいくと、その使者(預言者達)を殺した。忍耐深い主人(神)は、これなら・・と、自分の息子を(御子イエス・キリスト)を、遣わしたのです。 しかし、この愛子さえも殺したのです。 そして、御子イエス・キリストを、十字架に付けて抹殺しようと計り始めていた、民の長老や祭司達には、あからさまな中傷だと、文字通り、実行に移そうと、決意を新たにしたのです。 この厳しい主のお話を耳にして、思い止まったり、主に心向けるユダヤ指導者がいただろうか。 こうして物語を客観視してみると、“罪”が如何に、根深いものかが伺えますね。 罪は、主の十字架の愛によって、ぬぐわれ、清められ、赦されるのに‼️ 何故人は、その流れに身を浸さないのでしょうか(はてな) 罪の精算(悔い改め)を、人(罪人)は、遠ざけるのです。 この喩え話は、今日も、私達に、語りかけられているのです。 私たちは生涯掛けて、この主の御言葉に、耳を傾けて、日毎に新しく、罪赦された者として、常に新しくされたいですね。 今朝の礼拝の祝福を祈ります。 |
| マルコ福音書 11章20節~33節 11:20 さて、朝早く、彼らが通りがかりにいちじくの木を見ると、それは根元から枯れていた。 11:21 ペテロは思い出して、イエスに言った。「先生、ご覧ください。あなたがのろわれた、いちじくの木が枯れています。」 11:22 イエスは弟子たちに答えられた。「神を信じなさい。 11:23 まことに、あなたがたに言います。この山に向かい、『立ち上がって、海に入れ』と言い、心の中で疑わずに、自分の言ったとおりになると信じる者には、そのとおりになります。 11:24 ですから、あなたがたに言います。あなたがたが祈り求めるものは何でも、すでに得たと信じなさい。そうすれば、そのとおりになります。 11:25 また、祈るために立ち上がるとき、だれかに対し恨んでいることがあるなら、赦しなさい。そうすれば、天におられるあなたがたの父も、あなたがたの過ちを赦してくださいます。」 11:26 【本節欠如】 11:27 彼らは再びエルサレムに来た。イエスが宮の中を歩いておられると、祭司長たち、律法学者たち、長老たちがやって来て、 11:28 こう言った。「何の権威によって、これらのことをしているのですか。だれがあなたに、これらのことをする権威を授けたのですか。」 11:29 イエスは彼らに言われた。「わたしも一言尋ねましょう。それに答えなさい。そうしたら、何の権威によってこれらのことをしているのか、わたしも言いましょう。 11:30 ヨハネのバプテスマは、天から来たのですか、それとも人から出たのですか。わたしに答えなさい。」 11:31 すると、彼らは論じ合った。「もし、天から来たと言えば、それならなぜ、ヨハネを信じなかったのかと言うだろう。 11:32 だが、人から出たと言えば──。」彼らは群衆を恐れていた。人々がみな、ヨハネは確かに預言者だと思っていたからである。 11:33 そこで、彼らはイエスに、「分かりません」と答えた。するとイエスは彼らに言われた。「わたしも、何の権威によってこれらのことをするのか、あなたがたに言いません。」 |
2024年2月3日(土)リビングライフQT 今朝は、一部の方は、昨日の“いちじくの木”に対するイエス様のお言葉の、結果と、その意味を学ぶ事に、期待されておられたと存じます。 昨日の葉の繁っている(実が熟した自然の徴)はずなのに実がなかったので、呪われた(この言葉は余り使いたくないのですが・・・)或いは、捌(サバ)かれた‼️と、する方が適切かも⁉️ なぜ(何故)→ある意味で、偽装クリスチャンと見ることが出来るかも・・・形ばかり・・らしく振る舞いながら、神中心の生活・愛と赦しを証し出来ない、偽善的クリスチャン(❓)への厳しい警告と受け止められますね。 さて、次の朝、あの“いちじくの木”が枯れているのに、驚いた弟子たち・・・昨日の強烈な印象が残っていたのでしょう。 この時、事の結果を主に話すと、イエス様は丁寧に、熱く語られたのです。 ここで主は、昨日語られた言葉の内容、意味するところ・・・ではなく、言葉そのものについて、話されています。 即ち、信仰による祈りは、信じて疑わなければ、必ずその通りになる‼️ 何と驚くべき宣言でしょう。 しかし、このお言葉は、重い意味があります。 “疑わずに‼️”このお言葉は、“疑問を持たず” “確信をもって” “信じきって”・・・等々と言う意味ではないのです。主なる神と同じ思い・同じ真理に立つことを意味しています。神から主権を与った者・・・として、道具にすべきではありません。 ”信仰“は、信じるお方と一つになることなのです。 笑い話ですが、あるクリスチャンが、この箇所を読んで、本当にそうなるか❗と、ある夜、寝る前に、近くにある山に、『あの山よ動いて明日の朝には、海に入れ‼️』と、命じ祈って、眠りについた。 翌朝、そっと窓を開けると、あの山はますます緑濃く、磐石の佇まいであった。彼はそれを見て言った「やっぱり」・・・ 主は祈りについて続いて、教えられました。 それは、二つの重要なことです。 ①24節~あなた方が祈り求めることは、《すでに得た》と信じなさい。 ②25節~祈るために立ち上がるとき(イスラエルでは祈る時は立ち上がって祈るのです)座して祈る日本では座るとき・・・特別に立ち上がって祈るのもよいでしょう。わたしは(会堂で祈る時)は時々そうします。 *モーセが、民を導いて紅海に行き当たった“万事窮す”の時、モーセは、手を高くあげて祈ると、紅海が二つに割れて、渇いた地を(干上がった海底)を徒歩で渡った‼️ *アマレクとの闘いで、勝敗がつかない苦戦する中、“モーセが手を挙げて祈るとイスラエルが勝ち、疲れて、手が下がると、アマレクが勢いを増した・・・”の、祈りの姿を思い出しますね。 この二つの祈りの姿勢は、言い換えれば、背水の陣・全能者の前に、隠れるところのない者として出る‼️と、言うことを意味しています、 *赦せない・赦していないことがあるなら、赦しなさい‼️ 祈りの純度は、この二つの条件にかかっています。 ☆27節以降~権威について *この項は、聖書本文を読まなければ理解できないので必ず聖書を開いて読んでください。この場合だけではなく、毎日、まず聖書本文を読んで黙想(自分の心を聖書の内容に向けて祈りつつ理解する)してからラインを見てください。 イエス様は、祭司・律法学者・民の長老たちの質問に、真っ向から答えられませんでした。その理由は、彼らの質問が“真実に、真理を知りたいとの、真面目な質問ではないことを知られたからです。”主は、同じ質問を彼らに投げ掛けて、彼らが答えに躊躇すると、主は、ハッキリと“あなた方の問いには答えない”と言い放たれました。 クリスチャンはしばしば、引っかけの質問を浴びせられます。また、私達を試すため、困らせるための質問を浴びせたりします。そんな時は何でも親切に答える必要はありません。本当に、真理を知りたいと願いながら交わす問いかけには、祈り心で、答えてあげましょう、答えられなければ、教会にお連れして、牧師に答えて頂くと言う手もありますね 面白半分に振り回されないようにしましょう 相手のもてあそびには、きっぱりと対話を止めてもいいのです。 ユーモアの心をもっていると、かわしやすいですね(*^。^*) 今日は少し長くなりました。ご免なさい |
| マルコ福音書 11章11節~19節 11:11 こうしてイエスはエルサレムに着き、宮に入られた。そして、すべてを見て回った後、すでに夕方になっていたので、十二人と一緒にベタニアに出て行かれた。 11:12 翌日、彼らがベタニアを出たとき、イエスは空腹を覚えられた。 11:13 葉の茂ったいちじくの木が遠くに見えたので、その木に何かあるかどうか見に行かれたが、そこに来てみると、葉のほかには何も見つからなかった。いちじくのなる季節ではなかったからである。 11:14 するとイエスは、その木に向かって言われた。「今後いつまでも、だれもおまえの実を食べることがないように。」弟子たちはこれを聞いていた。 11:15 こうして彼らはエルサレムに着いた。イエスは宮に入り、その中で売り買いしている者たちを追い出し始め、両替人の台や、鳩を売る者たちの腰掛けを倒された。 11:16 また、だれにも、宮を通って物を運ぶことをお許しにならなかった。 11:17 そして、人々に教えて言われた。「『わたしの家は、あらゆる民の祈りの家と呼ばれる』と書いてあるではないか。それなのに、おまえたちはそれを『強盗の巣』にしてしまった。」 11:18 祭司長たちや律法学者たちはこれを聞いて、どのようにしてイエスを殺そうかと相談した。群衆がみなその教えに驚嘆していたため、彼らはイエスを恐れていたのである。 11:19 夕方になると、イエスと弟子たちは都の外に出て行った。 |
2024年2月2日(金)リビングライフQT 子供の頃、聖書通読は力丸家の、日常の義務でした。ですから内容でしばしば理解できない、また、なぜ・?って、疑問や反発を感じる記事もありました。その中の一つが、今日の箇所です。 「なぜイエス様は、無花果の実る季節でもないのに、実を探されたんだろう・・・(はてな) 実は解説でもあるのですが、この地方の無花果には、ほぼ2ヶ月違いで、実の熟する時期が違う二種類の無花果の木があるのです。 しかし、イエス様が近づかれた木が、どちらの木かは分からないですが、13節に『葉が繁ったいちじくの木が』 とあるので、葉が繁ると言うのは、実が熟した徴なのです。だから探しに近づかれたのです。14節の『今後いつまでも、誰もお前の実を食べることがないように。』と言われていますが、今日のテキスト内では明らかにされていないので、解説は明日に回しますが、少なくとも、このお言葉は、弟子達にとっても、大変不可解なお言葉だと、心に残ったでしょう。 しかし、主のこの様なお言葉は、行きずりに口走られたものではないでしょう。 この解説は明日に・・(*^。^*) 次の学びに移りましょう。 《イエス様の宮浄め》として有名で、説教の題材となることの多い箇所です。 当時の神殿は、現在のエルサレム神殿(ユダヤ教の本山)とほぼ同じ場所になります。(未だ再建はされていませんが) 四方を高い壁で仕切られた、150m×500m程の広さが、神殿領域で、通常《神殿》と呼ばれ、聖域として、そこは祈りと、律法の学びの場所でした。また、主は、エルサレムに来られると、この領域で、福音を語られ癒しを行い、多くの人々が、主の回りに集まったのです。前にもお伝えしましたが、この領域には、世界中から帰国したユダヤ人が、神殿で礼拝するために、集まるので、そのための献金(神殿貨幣で捧げなければならず)の為の、両替場所が開設されていた。 又、燔祭を捧げるための羊・鳩等の動物の販売所もあった。(遠くから動物を連れての旅は難しいので) 当然、この神聖な領域では、商売をしてはならないのです。祭司達はその上がりの分け前を得ていたので、これを、礼拝に付属する手続きの一環として、許可したのです。 腐敗した神殿礼拝に、主の怒りは、頂点に達したのです。 『わたしの家は、あらゆる民の祈りの家と呼ばれる‼️』 このお言葉は、信仰生活のなかで、常に心に留めて置きたいお言葉ですね。 カソリックの教会(カソリックの信徒は、会堂を“御御堂”と言います)は非常に厳かで、そこに入ると、思わずひざまづいて祈らずにはおられない、雰囲気を持っています。 各地に行くことが多い私は、出来るだけ、カソリック教会を探して、そこで鎮まる時を持ち、その町の祝福を祈ります。 プロテスタントの教会には自由に入れないのでそれが出来ません。 教会の礼拝堂は、そうでありたいですね。 祝福を祈ります✨ |
| マルコ福音書 11章1節~10節 11:1 さて、一行がエルサレムに近づき、オリーブ山のふもとのベテパゲとベタニアに来たとき、イエスはこう言って二人の弟子を遣わされた。 11:2 「向こうの村へ行きなさい。村に入るとすぐ、まだだれも乗ったことのない子ろばが、つながれているのに気がつくでしょう。それをほどいて、引いて来なさい。 11:3 もしだれかが、『なぜそんなことをするのか』と言ったら、『主がお入り用なのです。すぐに、またここにお返しします』と言いなさい。」 11:4 弟子たちは出かけて行き、表通りにある家の戸口に、子ろばがつながれているのを見つけたので、それをほどいた。 11:5 すると、そこに立っていた何人かが言った。「子ろばをほどいたりして、どうするのか。」 11:6 弟子たちが、イエスの言われたとおりに話すと、彼らは許してくれた。 11:7 それで、子ろばをイエスのところに引いて行き、自分たちの上着をその上に掛けた。イエスはそれに乗られた。 11:8 すると、多くの人たちが自分たちの上着を道に敷き、ほかの人たちは葉の付いた枝を野から切って来て敷いた。 11:9 そして、前を行く人たちも、後に続く人たちも叫んだ。「ホサナ。祝福あれ、主の御名によって来られる方に。 11:10 祝福あれ、われらの父ダビデの、来たるべき国に。ホサナ、いと高き所に。」 |
2024年2月1日(木)リビングライフQT 三度目のエルサレム訪問です。 主イエス様の福音の働きは、決して、ユダヤの中心地のエルサレム中心ではなかった。ガリラヤ地方を中心に、サマリヤ・シリヤ(ツロ・シドン)・デカポリス・ベレア・・でした。 しかし、エルサレムは毎年、”過ぎ越しの祭“には、世界に散れたユダヤ人がエルサレムに集まってくるので、イエス様のニュースは、一極集中でエルサレムに集まっていました。また、イエス様を知らない地方や外国からのユダヤ人に伝わり、イエス様のエルサレム入りは、次第に人々の期待の的になっていたのです。 その積み重ねの三度目のエルサレム入城‼️ その流れは、主なる神の永遠の購いの御計画が、成就されようとする、人間が罪を犯して以来、長い神のご計画の時が満ちて、その御計画が成就しようとする時なのです。 弟子達には幾度となく、語ってきたのですが、全く意に介さないばかりか、主が弱気になってきたのだ・・・とさえ思う悲しいばかりの心の解離でした。 しかし、そうした弟子達の楽観的な追随とは裏腹に、神の救いのご計画は、子なる神・《イエス・キリスト》様の上に、刻々と迫ってきていたのです。 ロバの子の調達の経緯は、書かれている通りですが、しばしば教会では、感動的な逸話として題材に挙げられ、文語訳の『主の用なり‼️』と、連れて行かれたロバの姿に、献身の道を示唆する導きへと、用いられてきました。 今朝は、その様な再解釈ではなく、淡々と事態の進む流れで観て参りましょう。 主の御名は、エルサレム中に知られていました。そのお方が用いたいと、言われたのですから、快く連れてこられたのです。 家の前にロバが繋がれているのは、いま流に言えば車が置いてあるのと、同じです。ロバは人や荷物の運搬の道具でしたから。 主がロバを駆り出されたのは、最早エルサレムには、群衆が群がって、普通に歩けない・・・と言う事情もあったからです。 ガリラヤ地方でさえ、移動は大変で、海を渡られたほどだったのですから❗ 同時に、主のお心のなかには、購いとなられて、遂には御国の王となられる‼️と言う意味合いをそこに重ねられたのです。 しかし、その道は、十字架への道なのです。 人々の歓呼の声の影に、あの裁きの座の群衆の声、“十字架に付けろ”の声を重ねておられたのではないでしょうか・・・ この群衆の、更に遠巻きに観察するユダヤ教の人々、更に、暴動にならないように遠く警戒するローマの兵士、彼らがやがて、死刑執行人となる‼️ エルサレム入城は、まさに、御受難の前奏曲となっていたのです。 しかし、9節~10節の、群衆の歓呼の声は、同時に、購いの完成の後に来る、勝利の歓呼にも重なるのです。 今日の箇所は。 旧新約聖書の、ピークを、暗示する箇所ではないだろうか・・・・そんな思いで、行きつ戻りつ、黙想させられました。 私達の、罪の購いが成就する道筋に、主のエルサレム入場から始まる、一週間の棘(イバラ)の道を歩まれた、そのことを思い巡らしながら、祈りへと入りましょう。 |