
| 列王記第二 17 章34節~41節 17:34 彼らは今日まで、以前の慣わしのとおりに行っている。彼らは【主】を恐れることはなく、【主】がイスラエルと名をつけたヤコブの子たちに命じられた、掟や定めや律法や命令のとおりに行うこともない。 17:35 【主】はイスラエル人と契約を結び、次のように命じられた。「ほかの神々を恐れてはならない。これを拝み、これに仕えてはならない。これにいけにえを献げてはならない。 17:36 大きな力と、伸ばされた腕をもって、あなたがたをエジプトの地から連れ上った【主】だけを恐れ、主を礼拝し、主にいけにえを献げなければならない。 17:37 主があなたがたのために書き記した掟と定めと律法と命令をいつも守り行わなければならない。ほかの神々を恐れてはならない。 17:38 わたしがあなたがたと結んだ契約を忘れてはならない。ほかの神々を恐れてはならない。 17:39 あなたがたの神、【主】だけを恐れなければならない。主はすべての敵の手からあなたがたを救い出される。」 17:40 しかし、彼らは聞かず、以前の彼らの慣わしのとおりに行った。 17:41 このようにして、これらの民は【主】を礼拝すると同時に、彼らの刻んだ像にも仕えた。その子たちも、孫たちも、その先祖たちがしたとおりに行った。今日もそうである。 |
2024年7月31日(水)リビングライフQT 34節 彼等は今日まで以前の慣わしのとおりに(偶像への礼拝)行っている。 その子達も、孫たちも、その先祖たちがしたとおりに行った。今日もそうである。 なんと言う愚かな所業でしょう 主なる神は‼️ 36節 『大きな力と、伸ばされた腕をもって、あなたがたをエジプトの地から連れ上った主だけを恐れ、主を礼拝し、主にいけにえを献げなければならない。』 エジプトの奴隷の生活、苦しみと叫びに明け暮れた先祖の呻きから、あの想像を絶する、エクソダス(大脱出=出エジプト)の、歴史的救いは、一体なんだったのでしょう。 それなのに、何故アブラハムの末は、偶像に走り、その心を熱く捕らわれたのでしょう。しかも世代を重ねて こうして、改めて考えても、理屈に会わない、イスラエルの愚かな歴史、悲しくなるまでに心傷みます。 アブラハムと永遠の契約(人類救済の道を開くための選び→マタイ福音書1章1節)を交わされた主なる神は・・・この様な歴史的終局を迎えたように見える、イスラエルの民を、更にご自身の創造的な御手をもって、導かれるのです。 悲しいばかりの、今朝のテキストの中に主なる神の愛の呻きと涙とを感じます。 私達も同じ道を歩まないように、自らを戒め、初めの愛に立ち返り、救いの君イエス・キリスト様の御名の前に平伏(ひれふ)して、“いのち”の完成の道に、今日も歩みましょう‼️ |
| 列王記第二 17 章24節~33節 17:24 アッシリアの王は、バビロン、クテ、アワ、ハマテ、そしてセファルワイムから人々を連れて来て、イスラエル人の代わりにサマリアの町々に住まわせた。こうして、彼らはサマリアを占領して、その町々に住んだ。 17:25 彼らはそこに住み始めたとき、【主】を恐れなかったので、【主】は彼らの中に獅子を送り込まれた。獅子は彼らの何人かを殺した。 17:26 彼らはアッシリアの王に次のように報告した。「あなたがサマリアの町々に移した諸国の民は、この土地の神についての慣わしを知りません。それで、神が彼らのうちに獅子を送り込みました。今、獅子が彼らを殺しています。彼らがこの土地の神についての慣わしを知らないからです。」 17:27 そこで、アッシリアの王は次のように命じた。「おまえたちがそこから捕らえ移した祭司の一人を、そこに連れて行け。行かせて、そこに住まわせ、その土地の神についての慣わしを教えさせよ。」 17:28 こうして、サマリアから捕らえ移された祭司の一人が来てベテルに住み、どのようにして【主】を礼拝するべきかを教えた。 17:29 しかし、それぞれの民は、それぞれ自分たちの神々を造り、サマリア人が造った高き所の宮にそれを安置した。それぞれの民は自分が住む町々でそのようにした。 17:30 バビロンの人々はスコテ・ベノテを造り、クテの人々はネルガルを造り、ハマテの人々はアシマを造り、 17:31 アワ人はニブハズとタルタクを造り、セファルワイム人はセファルワイムの神々、アデラメレクとアナメレクに自分たちの子どもを火で焼いて献げた。 17:32 彼らは【主】を礼拝したが、自分たちの中から高き所の祭司たちを自分たちで任命し、この祭司たちが彼らのために高き所の宮で祭儀を行った。 17:33 彼らは【主】を礼拝しながら、同時に、自分たちが移される前にいた国々の慣わしによって、自分たちの神々にも仕えていた。 |
2024年7月30日(火)リビングライフQT イスラエルの民は、遥か北方に捕囚として連れ去られ(荒野を開拓させて新しい国土を拡げるための労働力に) そして、自国(アッシリア)の民をイスラエルに入植させて領土として、確立する‼️ このイスラエルの10氏族は、そのまま今日まで、中央アジアを起点に、世界中に拡散してきています。 *キリスト降誕時の博士達の訪問は、この離散の民でした。 ペンテコステの日の、聖霊降臨時に、中央アジアの人々の名前が出ていますが(パルテヤ・ムシヤ・メソポタミヤ…使徒2:9)は、明らかに離散したユダヤ人の10氏族の子孫で、過越しの祭毎に、エルサレムの神殿礼拝に来ていた人々です。 また、彼等離散の民は、聖霊降臨後、主の命令『全世界に出て行き、全ての造られたものに、福音を伝えよ‼️』の御言葉に従って、イエスの十字架の福音を携えて東へ・・中央アジア→中国→朝鮮→そして、海を渡って、日本の仲哀・応仁・仁徳天皇の時代(3~4世紀)に、大挙して、繭・稲作等の文化を伝えた(新撰姓氏録) パレスティナの一角から流れた歴史が、日本にまで波及したのは、神の創造摂理なのです‼️ 聖書の歴史が私たちとは無関係な、単なる古代の歴史ではないのです。 この後の、バビロン→ペルシャ→ギリシャ→ローマ・・・と、歴史の連鎖の中で、神の御子の生誕→福音→十字架→復活→ペンテコステ→教会・・・ 今私たちは、列王記の流れの中にいるのです‼️ 新たに聖書に聴く日 々と致しましょう。 |
| 列王記第二 17 章13節~23節 17:13 【主】はすべての預言者とすべての先見者を通して、イスラエルとユダに次のように警告された。「あなたがたは悪の道から立ち返れ。わたしがあなたがたの先祖たちに命じ、また、わたしのしもべである預言者たちを通してあなたがたに伝えた律法全体にしたがって、わたしの命令と掟を守れ。」 17:14 しかし、彼らはこれを聞き入れず、彼らの神、【主】を信じなかった彼らの先祖たちのように、うなじを固くした。 17:15 彼らは主の掟と、彼らの先祖たちと結ばれた主の契約と、彼らに与えられた主の警告を蔑み、空しいものに従って歩んだので、自分たちも空しいものとなり、【主】が倣ってはならないと命じられた、周囲の異邦の民に倣って歩んだ。 17:16 彼らの神、【主】のすべての命令を捨て、自分たちのために、鋳物の像、二頭の子牛の像を造り、さらにアシェラ像を造り、天の万象を拝み、バアルに仕えた。 17:17 また、自分たちの息子や娘たちに火の中を通らせ、占いをし、まじないをし、【主】の目に悪であることを行うことに身を任せ、主の怒りを引き起こした。 17:18 そのため【主】はイスラエルに対して激しく怒り、彼らを御前から除かれた。ただユダの部族だけが残った。 17:19 ユダも、彼らの神、【主】の命令を守らず、イスラエルが取り入れた風習にしたがって歩んだ。 17:20 そのため【主】はイスラエルのすべての子孫を蔑み、彼らを苦しめ、略奪者たちの手に渡し、ついに彼らを御前から投げ捨てられた。 17:21 主がイスラエルをダビデの家から引き裂かれたとき、彼らはネバテの子ヤロブアムを王としたが、ヤロブアムはイスラエルを【主】に従わないように仕向け、そうして彼らに大きな罪を犯させた。 17:22 イスラエルの人々は、ヤロブアムが行ったすべての罪に歩み、それから離れなかったので、 17:23 【主】は、そのしもべであるすべての預言者を通して告げられたとおり、ついにイスラエルを御前から除かれた。こうして、イスラエルは自分の土地からアッシリアに引いて行かれた。今日もそのままである。 |
2024年7月29日(月)リビングライフQT 今朝のテキストは、イスラエルの民の、神に背いた歴史的流れとその経緯が記録されていますが、それを知ることが、目的ではありますが、ここを読みながら、二つの事を心(魂)に強く迫られました。 ①*18節~主はイスラエルに対して激しく怒り、彼らを御前から除かれた。・・・ 19~20節ユダも、彼等の神、主の命令を守らず、イスラエルが取り入れた風習にしたがって歩んだ。そのため主はイスラエルのすべての子孫を蔑(サゲス)み、彼等を苦しめ、略奪者達の手に渡し、遂に彼等を投げ捨られた。 まぁ 神様ってそんなに、怒りでこの世に送り出された《人》を、いとも軽くあしらわれるのですか(はてな)““と言う質問が、帰ってきそうな気がします。 神の怒りは、しばしば旧約聖書の中に記録されています。 *ノアの洪水 *ソドム・ゴモラの滅亡 ・・あたかも、反抗・不服従・神への背き・飽和状況に至った悪・・・に対する、神の審判(切り捨て・排除)に見えるかもしれませんが、実はそうではないのです。 神ご自身が傷つき悲しみ、最高の傷みを負われた結果が、《彼等を御前から投げ捨てられた‼️》と言う、表現となったのです。一番苦しまれたのは、神ご自身だったのです。 《一つの歴史的一話をご紹介しましょう‼️》 明治初期に、日本で最初の大学の基礎を築いた、新島襄氏が、“同志社”を、設立して多くの学生が、ここに集いました。日本の将来に明るい光が、輝き出した頃、学生たちが学校運営に関して、自治権を求めて、日本最初の学園闘争が起こり、同志社の存在の根底が崩壊寸前に陥ったのです。 その時、新島学長が学生全員に声を掛けて、講堂で集会を開いたのです。 そこで学生代表が次々と、不満と打開策の討論を重ねた。 しばらく聞き入っていた新島学長は、静かに立ち上がって、壇上に立ち、憂いに溢れ涙が一杯になった目を開いて学生たちを見渡した。当時の一部の学生は『あの潤んだ眼には、本当の愛が溢れており、自分の心が傷みと反省に揺らいだ‼️』と、語っている。 新島学長は、右手にした鞭(教壇に立った時、強調する論述の時に机を叩く為のもの)を、左手の掌(タナゴコロ)に振り下ろしながら、『諸君‼️君たちの切々たる訴えを聞き、学長である私は、その気持ちを理解していなかった事がわかった。その事が君達をこの様な暴徒化する闘争に駆り立てたのだと知り、ふがいない自分を、今罰せざるを得ない この私を赦してくれ‼️・・・』と、涙を流しながら、右手に持った鞭で左手の掌を打ち付け始めたのです。《赦してくれ❗赦してくれ‼️・・》と。やがて、手の皮は破れ、壇上に抗議の拳に顔に、血が飛び散り、初めて事の重大性と、学長の本心が解り、学生数人が止めに入ったのです。 しかし新島はなおも自分の手を弛めずに、遂に跪いて、泣きながら、『愚かな私を赦してくれ‼️』と、叫び続けた。 初めは、学長のパフォーマンスだと、思っていた多くの学生も、伝わってくる、新島先生のほとばしるような愛の叫びに、講堂に集まった、数百名の学生も一斉に泣きながら、互いに悔い改め、同志社にリバイバルの火が、燃え始めたのです。 話が少しずれましたが、実は、主なる神がイスラエルをユダを、滅びに追いやった(イスラエルの民は全てアッシリアに捕囚となり、ユダはその150年後バビロニアに捕囚として連れ去られて、あのカナンの地は、神の民はもぬけの殻となるのです。) これは、神の刑罰・・と言うより、あの新島学長のような、神の悲しみの姿なのです。ご自身の遠大なご計画により、立てあげられた神の支配の国を、崩壊に至らせたのですから、神の心の悼みは、どんなに想像を絶するものだったでしょう。 神の民の傷みを学びながら、新たに主イエス・キリスト様の、十字架上の叫びを心に思い描いてみましょう。 『父よ❗彼等を御許しください・・・・』 明日(30日)のテキスト 列王第二 17:24~33 |
| 列王記第二 17 章1節~12節 17:1 ユダの王アハズの第十二年に、エラの子ホセアがサマリアでイスラエルの王となり、九年間、王であった。 17:2 彼は【主】の目に悪であることを行ったが、彼以前のイスラエルの王たちのようではなかった。 17:3 アッシリアの王シャルマネセルが攻め上って来た。そのとき、ホセアは彼に服従して、貢ぎ物を納めた。 17:4 しかし、アッシリアの王はホセアの謀反に気がついた。ホセアがエジプトの王ソに使者たちを遣わし、アッシリアの王には年々の貢ぎ物を納めなかったからである。そこで、アッシリアの王は彼を捕らえて牢獄につないだ。 17:5 アッシリアの王はこの国全土に攻め上り、サマリアに攻め上って、三年間これを包囲した。 17:6 ホセアの第九年に、アッシリアの王はサマリアを取り、イスラエル人をアッシリアに捕らえ移し、彼らをハラフと、ゴザンの川ハボルのほとり、またメディアの町々に住まわせた。 17:7 こうなったのは、イスラエルの子らが、自分たちをエジプトの地から連れ上り、エジプトの王ファラオの支配下から解放した自分たちの神、【主】に対して罪を犯し、ほかの神々を恐れ、 17:8 【主】がイスラエルの子らの前から追い払われた異邦の民の風習、イスラエルの王たちが取り入れた風習にしたがって歩んだからである。 17:9 イスラエルの子らは、自分たちの神、【主】に対して、正しくないことをひそかに行い、見張りのやぐらから城壁のある町に至るまで、すべての町に高き所を築き、 17:10 すべての小高い丘の上や、青々と茂るどの木の下にも石の柱やアシェラ像を立て、 17:11 【主】が彼らの前から移された異邦の民のように、すべての高き所で犠牲を供え、悪事を行って【主】の怒りを引き起こした。 17:12 【主】が彼らに「このようなことをしてはならない」と命じておられたのに、彼らは偶像に仕えたのである。 |
2024年7月28日(日)リビングライフQT イスラエル王国、ついに完全に消滅。 モーセによる、エジプト脱出(出エジプト)から350年・ダビデ王による、王国成立から約330年。遂に北イスラエル王国は、完全にアッシリアのシャルマネセルに滅ぼされ更に、セナケリブによって、全土を完全に取られたのです。イスラエルの都サマリヤを初めイスラエル全土の住民をほとんど、アッシリアの国土に移住させたのです。その距離約1000km(ちなみに、出エジプトの時の移動距離は、500km)を連れ去り、第二の民族大移動となったのです。 何と悲しい結末でしょう。 何故選びの民のイスラエルが、この様な結末を迎えたかは、7節~12節迄に詳しく記されています。 その一番の問題点は、主なる神に聞き従わなかったからなのです。ヤラブアムによる、最初の分裂その時から、神を礼拝する・・と言う、イスラエルの信仰アイデンティティーを捨てて、異邦の民の習慣から真似た、礼拝の形を取り入れて、神を形ばかり礼拝する・・・と言う、世界観を築き挙げたのです。 真の礼拝者(創造主である真の神を敬い・信じ・従う)として心を注ぎ出している時は、人は決して偶像には走らないのです。 信仰が習慣化し、単なるアイデンティティーとしてだけ、残っていくと、クリスチャンらしさはあっても、神の子ではなくなっているのです。 偶像と言う、他宗教に走ることはなくとも、クリスチャンの永遠の土台でもある、ただお一方なる神(イエス・キリスト)への礼拝・祈り・賛美・献身を、疎かにする(律法的義務感としてではない)・・・信仰生活とならないように、何時も、生き生きとした主との交わりの中に生きる、主の弟子でありましょう。 旧約聖書のイスラエル古代史の、民の姿を見ていると、余りに時代が掛け離れているので、心にピッタリと入ってこない感じがしますが、古代人・古代文化も、実は、人間のかたくなな姿には、変わりがないことを、痛感しながら読み進んで参りましょう。 主なる神に 聴く‼️ 従う‼️ 心を注ぎ出す‼️ 今日新たに、心の碑に刻ませて頂きましょう |
| 列王記第二 16 章10節~20節 16:10 アハズ王は、アッシリアの王ティグラト・ピレセルに会うためダマスコに行ったとき、ダマスコにある祭壇を見た。アハズ王は、祭壇の図面とその模型を、詳細な作り方と一緒に祭司ウリヤに送った。 16:11 祭司ウリヤは、アハズ王がダマスコから送ったものとそっくりの祭壇を築いた。祭司ウリヤは、アハズ王がダマスコから帰って来るまでに、そのようにした。 16:12 王はダマスコから帰って来た。その祭壇を見て、王は祭壇に近づき、その上に上った。 16:13 彼は全焼のささげ物と、穀物のささげ物を焼いて煙にし、注ぎのささげ物を注ぎ、自分のための交わりのいけにえの血をこの祭壇に振りかけた。 16:14 【主】の前にあった青銅の祭壇は、神殿の前から、すなわち、この祭壇と【主】の神殿の間から動かし、この祭壇の北側に置いた。 16:15 それから、アハズ王は祭司ウリヤに次のように命じた。「朝の全焼のささげ物と夕方の穀物のささげ物、また、王の全焼のささげ物と穀物のささげ物、この国の民全体の全焼のささげ物と穀物のささげ物、ならびにこれらに添える注ぎのささげ物を、この大いなる祭壇の上で焼いて煙にせよ。また全焼のささげ物の血といけにえの血は、すべてこの祭壇の上に振りかけなければならない。青銅の祭壇は、私が伺いを立てるためのものとする。」 16:16 祭司ウリヤは、すべてアハズ王が命じたとおりに行った。 16:17 アハズ王は、車輪付きの台の鏡板を切り離し、その台の上から洗盤を外し、またその下にある青銅の牛の上から「海」も降ろして、それを敷き石の上に置いた。 16:18 彼は、宮の中に造られていた安息日用の覆いのある通路も、外側の王の出入り口も、アッシリアの王のために【主】の宮から取り除いた。 16:19 アハズが行ったその他の事柄、それは『ユダの王の歴代誌』に確かに記されている。 16:20 アハズは先祖とともに眠りにつき、先祖とともにダビデの町に葬られた。彼の子ヒゼキヤが代わって王となった。 |
2024年7月27日(土)リビングライフQT 何と言う暴挙💢💢💨 この改革(改悪)は、今までの不従順にも増す、主なる神への冒涜です💢 何故アハズは、この様に、神殿の礼拝様式の改革を強行したのでしょう。 以前から、子供を火の中を潜らせる・・・と言う、異教(偶像)の習慣を取り入れた経緯もありました。 それは、宗教の持つ《神秘性》と言う心揺さぶる誘惑ですね。 アハズは、より格式の高い宗教性によって、神への礼拝を高潔で、神秘的なものとすることで、一層神に受け入れられるものにしようとしたのでしょう。 礼拝は、神が罪人に開かれた霊の門を、罪人が心低くしてひれ伏す‼️🎶 これが主が求められるもっとも大切な礼拝の心なのです。 罪人が如何に着飾って、鳴り物入り、輝くようなプログラム・・等を用意しても、それらが、神を御喜ばせするものではないのです。 《主・客・転・倒》 正に、教会の歴史は、このアハズの様な熱い歪んだ心が、人々を、主なる神との深い交わりと、霊的一体化を妨げて来たのです。 この様な中から、純粋な福音から外れた、《異端》が2000年を越える、教会の歴史を歪めて来たのです。 神がモーセを通して示され、形作られた、礼拝の姿を一変して、異教の神々の礼拝よりも更に派手な姿に変身させて、モーセを通して示された、創造主が求められる姿を、わき役に移動してしまったのです。恐るべき所業ですね😵 かつて、米国で礼拝の改革が流行になり、礼拝音楽がまるでコンサートのような音楽性に代わり、信徒たちが思わず《今日の礼拝コンサートは素晴らしかったねぇ‼️》と、話し合いながら帰る様な礼拝が続いて、これによって、礼拝人数は増え、数百人が数千人にまで膨れ上がった・・・と言う時期がありました。 そのような中、牧師は、色々な意味で注目を集めましたが…色々と問題を起こして、教会を去り、教会は、散り散りに分解してしまったのです😱 この様な姿が米国、韓国、日本、アジア諸国に、広がったのです。 恐るべしサタンの巧妙な仕掛…😵 礼拝の中で、主のみ姿と、御声を求め、悔い改めと、献身と、聖霊の満たしの中、新しい一週間の霊の糧と力を、受けて立ち上がりましょう🎵 明日の主の日の礼拝に期待しつつ‼️🎶 |
| 列王記第二 16 章1節~9節 16:1 レマルヤの子ペカの第十七年に、ユダの王ヨタムの子アハズが王となった。 16:2 アハズは二十歳で王となり、エルサレムで十六年間、王であった。彼はその父祖ダビデとは違って、彼の神、【主】の目にかなうことを行わず、 16:3 イスラエルの王たちの道に歩み、【主】がイスラエルの子らの前から追い払われた異邦の民の、忌み嫌うべき慣わしをまねて、自分の子どもに火の中を通らせることまでした。 16:4 彼は高き所、丘の上、青々と茂るあらゆる木の下でいけにえを献げ、犠牲を供えた。 16:5 そのころ、アラムの王レツィンと、イスラエルの王レマルヤの子ペカが、戦いのためにエルサレムに上って来て、アハズを包囲したが、攻め切れなかった。 16:6 このとき、アラムの王レツィンはエイラトをアラムに復帰させ、ユダの人々をエイラトから追い払った。ところが、エドム人がエイラトに来て、そこに住みついた。今日もそのままである。 16:7 アハズは使者たちをアッシリアの王ティグラト・ピレセルに遣わして言った。「私はあなたのしもべであり、あなたの子です。どうか上って来て、私を攻めているアラムの王とイスラエルの王の手から救ってください。」 16:8 アハズが【主】の宮と王宮の宝物倉にある銀と金を取り出して、それを贈り物としてアッシリアの王に送ったので、 16:9 アッシリアの王は彼の願いを聞き入れた。アッシリアの王はダマスコに攻め上り、これを取り、その住民をキルへ捕らえ移した。彼はレツィンを殺した。 |
2024年7月26日(金)リビングライフQT このイスラエル王国は、すでに線香花火の最後の火球が落ちようとする中で、南ユダ王国に、ヨタムの子アハズが、即位します。父親の信仰による善政を受け継がずに、いま正に滅び失せようとするイスラエルの国民の忌み嫌う習わし(偶像に仕える)を真似し、その習慣(神秘的な儀式)を取り入れて、自分の子供にまでそれを行わせて、民に拡げた💢のです。 更に、アラムの王が攻めてきた時に、彼らの目的(金銀財宝を手に入れる、略奪)を知っていたので、神の宮(神殿)と、王の宝物蔵から、積極的に引き渡して、友好関係を保ち、王都であり神の都である《エルサレム》を、目先の知恵で滅亡の危機から救ったかのように見えたのです。事が旨く行く・・・それが(成功への)力量ではないのです。真の“証”となるのは、神の手に成る、歴史だけなのです。 アハズは、実力者ではあったでしょう🎵 しかし、敬虔な神の僕ではなかったのです。 彼の足元が崩壊し始めていることを気づかずに、その道を降り始めるのです💢💢 神が求められるのは、アブラハムの道《あなたはわたし(神)の前を歩み、完全でありなさい‼️》→神にのみ従う・聖い道・愛に満たされた道・・・ 聖歌総合版435番 新聖歌404番 *弟子となしたまえ *愛を増したまえ *清くなしたまえ *主をば習いたし ・・・我が主よ‼️ ご存じなら歌ってみましょう。🤲の賛美として‼️ あなたの魂の王国を、あなたはどの様にして護りますか(はてな) あなた(わたし)が、主なる神に信頼し、その道を歩み続けるなら、主があなたを守ってくださいます。ただ主なる神への、信頼と愛への渇きの道だけが、あなたの・私の魂の王国を固く守るのです。‼️🎶 |
| 列王記第二 15 章27節~38節 15:27 ユダの王アザルヤの第五十二年に、レマルヤの子ペカがサマリアでイスラエルの王となり、二十年間、王であった。 15:28 彼は【主】の目に悪であることを行い、イスラエルに罪を犯させたネバテの子ヤロブアムの罪から離れなかった。 15:29 イスラエルの王ペカの時代に、アッシリアの王ティグラト・ピレセルが来て、イヨン、アベル・ベテ・マアカ、ヤノアハ、ケデシュ、ハツォル、ギルアデ、ガリラヤ、ナフタリの全土を占領し、その住民をアッシリアへ捕らえ移した。 15:30 そのとき、エラの子ホセアはレマルヤの子ペカに対して謀反を企て、彼を打ち殺して、ウジヤの子ヨタムの第二十年に、彼に代わって王となった。 15:31 ペカについてのその他の事柄、彼が行ったすべてのことは、『イスラエルの王の歴代誌』にまさしく記されている。 15:32 イスラエルの王レマルヤの子ペカの第二年に、ユダの王ウジヤの子ヨタムが王となった。 15:33 彼は二十五歳で王となり、エルサレムで十六年間、王であった。彼の母の名はエルシャといい、ツァドクの娘であった。 15:34 彼は、すべて父ウジヤが行ったとおりに、【主】の目にかなうことを行った。 15:35 ただし、高き所は取り除かれなかった。民はなおも、高き所でいけにえを献げたり、犠牲を供えたりしていた。彼は【主】の宮の上の門を建てた。 15:36 ヨタムが行ったその他の事柄、それは『ユダの王の歴代誌』に確かに記されている。 15:37 そのころ、【主】はアラムの王レツィンとレマルヤの子ペカを、ユダに対して送り始められた。 15:38 ヨタムは先祖とともに眠りにつき、先祖とともにその父ダビデの町に葬られた。彼の子アハズが代わって王となった。 |
2024年7月25日(木)リビングライフQT 遂に、北のイスラエル王朝は、アッシリア帝国のティグラト・ピレセルによって滅亡しました。王国分裂(ソロモン死去)以来200 有余年。その歴史は、ほぼ主なる神に背き、近隣の諸民族に溶け込んで融和していた。 異邦人の宗教をご利益的な意図から、創造主なる神を排除したわけではないにしても、形の上では、生活化した形で浸透していたことが、国を崩壊に導いた、主な原因なのです。 神に選ばれた者(選びの民)が、どうして保護主であるお方を、形式化(第二義に)したのでしょう。テキスト後半のユダ王国の、歴代(これまでの)の王達の多くは、数十年の在位を守り、神の宮を中心に、神から頂いたモーセの律法を守ることを民に教えて、ユダの国を護り続けてきていました。 これらは、遥か彼方のパレスチィナ(神の選びの国)・イスラエル民族の歴史に表された、歴史ではありますが、創造主なる神の、選びのサンプルのような、歴史指針(教え)となるのです。 一人の人生の歴史においても、見過ごしてはならない、教科書とも言えますね。 アツシリアによるイスラエル滅亡は、隣国ユダへの痛烈な神からの警告にもなったのです。 今日の異教(多宗教国家)の中、言語・習慣・知恵・常識・・全てが偶像信仰(御利益追求宗教)の土台の上に築かれた社会の中で、 御言葉(聖書)に聞き、創造主なる神の顕れたお方《イエス・キリスト》を礼拝する、真実な礼拝者として、魂に栄えの衣を着て、日々歩むことを、新たに学びましょう。 |
| 列王記第二 15 章13節~26節 15:13 ヤベシュの子シャルムは、ユダの王ウジヤの第三十九年に王となり、サマリアで一か月間、王であった。 15:14 ガディの子メナヘムは、ティルツァから上ってサマリアに至り、ヤベシュの子シャルムをサマリアで打ち、彼を殺して、彼に代わって王となった。 15:15 シャルムについてのその他の事柄、彼が企てた謀反は、『イスラエルの王の歴代誌』にまさしく記されている。 15:16 そのとき、メナヘムはティルツァから出て、ティフサフとその住民、その領地を討った。彼らが城門を開かなかったので、その中のすべての妊婦たちを打ち殺して切り裂いた。 15:17 ユダの王アザルヤの第三十九年に、ガディの子メナヘムがイスラエルの王となり、サマリアで十年間、王であった。 15:18 彼は【主】の目に悪であることを行い、一生の間、イスラエルに罪を犯させたネバテの子ヤロブアムの罪から離れなかった。 15:19 アッシリアの王プルがこの国に来たとき、メナヘムは銀千タラントをプルに与えた。プルの援助によって、王国を強くするためであった。 15:20 メナヘムは、イスラエルのすべての有力者にそれぞれ銀五十シェケルを供出させ、これをアッシリアの王に与えたので、アッシリアの王は引き返し、この国にとどまらなかった。 15:21 メナヘムについてのその他の事柄、彼が行ったすべてのこと、それは『イスラエルの王の歴代誌』に確かに記されている。 15:22 メナヘムは先祖とともに眠りにつき、その子ペカフヤが代わって王となった。 15:23 ユダの王アザルヤの第五十年に、メナヘムの子ペカフヤがサマリアでイスラエルの王となり、二年間、王であった。 15:24 彼は【主】の目に悪であることを行い、イスラエルに罪を犯させたネバテの子ヤロブアムの罪から離れなかった。 15:25 彼の侍従、レマルヤの子ペカは、彼に対して謀反を企て、サマリアの王宮の高殿で、ペカフヤとアルゴブとアルエを打ち殺した。ペカには五十人のギルアデ人が加わっていた。ペカはペカフヤを殺し、彼に代わって王となった。 15:26 ペカフヤについてのその他の事柄、彼が行ったすべてのことは、『イスラエルの王の歴代誌』にまさしく記されている。 |
2024年7月24日(水)リビングライフQT 今日のテキスト箇所、次々とクーデターが起こって王の代替わりが続きますね。なんとも心が重くなる記事です。 *シャルム→1ヵ月 *メナヘム→10年 *ペカヒヤ→2年 コメントがついています。何と愚かな人生でしょう。 次々と王を殺害しているのは、派権争い、即ち、自分の方が全ての点で、支配者として優れているから‼️💪と、誇りがあるところから、傲慢が先行するのでしょう。傲慢・誇り・自己評価から出る自己満足、恐るべし・・・これがサタンが用いる、最強の武器なのです。カインも弟が神に喜ばれる姿を見て、嫉妬して、弟アベルを亡き者にしたのです。あぁ💧何と悲しい人の性(サガ)でしょう。 罪は、何時もこの《自己中心》から派生するのです。 神の前に自らの姿をさらけ出し、ひざまづいて主を賛美し、主の哀れみと慈しみとを慕い求める時、主の御手に握られて、主の愛の働きを、表すことができるのです。 ユダ・イスラエルの王統記は、正に、人の根本的生き様を、写し出した警告的歴史書と言えないでしょうか⁉️ 新たに、主に従う尊さを、深く学ぶ、時となりますね。 主よ‼️主なる神の愛と哀れみにより、人に仕える僕として、御遣わし下さい。🤲アーメン🎵 |
| 列王記第二 15 章1節~12節 15:1 イスラエルの王ヤロブアムの第二十七年に、ユダの王アマツヤの子アザルヤが王となった。 15:2 彼は十六歳で王となり、エルサレムで五十二年間、王であった。彼の母の名はエコルヤといい、エルサレム出身であった。 15:3 彼は、すべて父アマツヤが行ったとおりに、【主】の目にかなうことを行った。 15:4 ただし、高き所は取り除かれなかった。民はなおも、その高き所でいけにえを献げたり、犠牲を供えたりしていた。 15:5 【主】が王を打たれたので、彼は死ぬ日までツァラアトに冒された者となり、隔離された家に住んだ。王の子ヨタムが宮殿を管理し、民衆をさばいた。 15:6 アザルヤについてのその他の事柄、彼が行ったすべてのこと、それは『ユダの王の歴代誌』に確かに記されている。 15:7 アザルヤは彼の先祖とともに眠りについた。人々は彼をダビデの町に先祖とともに葬った。彼の子ヨタムが代わって王となった。 15:8 ユダの王アザルヤの第三十八年に、ヤロブアムの子ゼカリヤがサマリアでイスラエルの王となり、六か月の間、王であった。 15:9 彼は先祖たちがしたように、【主】の目に悪であることを行い、イスラエルに罪を犯させたネバテの子ヤロブアムの罪から離れなかった。 15:10 ヤベシュの子シャルムは、彼に対して謀反を企て、民の前で彼を打ち殺し、彼に代わって王となった。 15:11 ゼカリヤについてのその他の事柄は、『イスラエルの王の歴代誌』にまさしく記されている。 15:12 【主】がかつてエフーに告げられたことばは、「あなたの子孫は四代までイスラエルの王座に着く」ということであったが、はたして、そのとおりになった。 |
2024年7月23日(火)リビングライフQT 王様の代が次々変わるので、頭が混乱しますね。私も同様です。 ただ今回ユダの王が、アマツヤからアザルヤに変わりました。私が先に送りました、王国の年表には、アザルヤの名はなく、そこには、《ウジヤ》と記されています。 長年、明治訳→元訳→文語訳→口語訳まで、80年近くに亘り、固有名詞の読み方に変化が続き、ウジヤと記されていたので、年代表には”ウジヤ”と記したのですが今は新共同訳と新改訳からは“アザルヤ”と代わりましたので、お知らせしておきます。 アザルヤ(ウジヤ)は、日常的には誠実に神に仕え、彼自身は高き所で礼拝したわけではなかったが、やはり民の生活に根付いた、高き所での礼拝形式を、払拭する命令は出せなかったのです。 しかし、神はアザルヤを用いて、ユダの国に安定をもたらされた。 しかし、(歴代史第二26:16~21)彼は晩年に、高慢になり、祭司にしか許されない、神殿での《香を焚く‼️》と言う神事を自ら行おうとして、祭司から止められたにも関わらず、強行しようとして、その高慢を神に捌かれ、当時、業病とされていた病を発病、死ぬまで隔離されたまま生涯を送ったのです。 確かに自他共に評価されるほどの、安定と平和な国造りに、大きな功績はありましたが… 傲慢と言うと、強いイメージがあります。しかし、その人の中で、自己評価して、この位は許される‼️と言う思いになりやすいのです。実はこの自己評価が《傲慢》と言われる《罪》なのです。そして、これが罪の始まりとなりやすいのです。 アザルヤ王は、その事に気付かないまま、神に打たれたのです。 一方、イスラエル王国では、エフーに宣言された神の約束(14日のテキストの10:29)の通り、エフーの血を受けた王の支配が続きましたが、同時に悪の道に歩むことにも違わず、遂に暗殺されたのです。 神の前に隠されるものはなく、また、神の語られたことは、違うことなく、実現するのです。 ただひとつ、神の御心を動かすものは、悔い改めと、そして、服従(信じ従う)なのです。その道を開いてくださったのが、御子イエス・キリストの十字架による贖罪の愛です‼️ 明日(24日)のテキスト 列王第二 15:13~26 |
| 列王記第二 14 章17節~29節 14:17 ユダの王ヨアシュの子アマツヤは、イスラエルの王エホアハズの子ヨアシュの死後、なお十五年生きた。 14:18 アマツヤについてのその他の事柄、それは『ユダの王の歴代誌』に確かに記されている。 14:19 エルサレムで人々が彼に対して謀反を企てた。彼はラキシュに逃げたが、人々はラキシュに追っ手を送り、そこで彼を殺した。 14:20 彼らは彼を馬に乗せて運んだ。彼はエルサレムで先祖とともに、ダビデの町に葬られた。 14:21 ユダの民はみな、当時十六歳であったアザルヤを立てて、その父アマツヤの代わりに王とした。 14:22 彼は、アマツヤが先祖とともに眠った後、エイラトを築き直し、それをユダに復帰させた。 14:23 ユダの王ヨアシュの子アマツヤの第十五年に、イスラエルの王ヨアシュの子ヤロブアムが王となり、サマリアで四十一年間、王であった。 14:24 彼は【主】の目に悪であることを行い、イスラエルに罪を犯させたネバテの子ヤロブアムのすべての罪から離れなかった。 14:25 彼は、レボ・ハマテからアラバの海までイスラエルの領土を回復した。それは、イスラエルの神、【主】が、そのしもべ、ガテ・ヘフェル出身の預言者、アミタイの子ヨナを通して語られたことばのとおりであった。 14:26 イスラエルの苦しみが非常に激しいのを、【主】がご覧になったからである。そこには、奴隷も自由な者もいなくなり、イスラエルを助ける者もいなかった。 14:27 【主】はイスラエルの名を天の下から消し去ろうとは言っておられなかった。それで、ヨアシュの子ヤロブアムによって彼らを救われたのである。 14:28 ヤロブアムについてのその他の事柄、彼が行ったすべてのこと、彼が戦いであげた功績、すなわち、かつてユダのものであったダマスコとハマテをイスラエルに取り戻したこと、それは『イスラエルの王の歴代誌』に確かに記されている。 14:29 ヤロブアムは、彼の先祖たち、イスラエルの王たちとともに眠り、その子ゼカリヤが代わって王となった。 |
2024年7月22日(月)リビングライフQT 昨日の物語の中で、アマツヤが、異邦の民エドムとの戦いに勝利をした同じ選びの民イスラエルの王のヨアシュに、宣戦布告をした。その理由は、宣戦布告をした昨日の歴代史の引用でお分かりでしょう。エドムとの戦いで、最初はイスラエルから応援を求めて、多くの戦闘員を傭兵として、呼び寄せたにも関わらず、考え直して、彼らの参加を中止してそのまま帰したのです。イスラエルから駆けつけた、軍は、ユダの町々を略奪しながら帰り、小競り合いが起きたのです。 その為・決着をつけようとの意図で、宣戦布告したのですが、惨敗に終わり、神殿も王宮も、エルサレムの街も、略奪されたのです。 それが王へのとなり、殺されたのです。 そして、その後に“アザルヤ”→年表には“ウジヤ”として書かれています。同一人物です。← が、長期政権として立つのです。 一方、イスラエルは、ヤロブアムが王となったが、依然として、悪から離れないまま、長期政権を維持するのですが、ユダ・イスラエル共に揺れ動くなかで、回りの民からの隙を突かれる侵略を受けることから護られるために、ヤロブアムは、ユダのアザルヤ政権が安定するまで、イスラエルを、ヤラブアムによって、守られたのです。 こうして観るにつけ、主なる神は、《信賞必罰=信(マコト)を誉め・悪を直に捌く》だけを全面に出すのではなく、人の悔い改めと、その心のへりくだりの時を待ちながら、歴史を繋がれるのです。 私があなたが今日赦されて在るのも、そうなのです。 主よ❗感謝します‼️ |
| 列王記第二 14 章1節~16節 14:1 イスラエルの王エホアハズの子ヨアシュの第二年に、ユダの王ヨアシュの子アマツヤが王となった。 14:2 彼は二十五歳で王となり、エルサレムで二十九年間、王であった。彼の母の名はエホアダンといい、エルサレム出身であった。 14:3 彼は【主】の目にかなうことを行った。ただし、彼の父祖ダビデのようではなく、すべて父ヨアシュが行ったとおりに行った。 14:4 すなわち、高き所は取り除かれなかった。民はなおも、その高き所でいけにえを献げたり、犠牲を供えたりしていた。 14:5 王国が彼の手によって強くなると、彼は、自分の父である王を討った家来たちを打ち殺した。 14:6 しかし、その殺害者の子どもたちは殺さなかった。モーセの律法の書に記されているところに基づいてのことであった。【主】はその中でこう命じておられた。「父が子のゆえに殺されてはならない。子が父のゆえに殺されてはならない。人が殺されるのは、ただ自分の罪過のゆえでなければならない。」 14:7 アマツヤは塩の谷で一万人のエドム人を討って、セラを取り、その場所をヨクテエルと呼んだ。今日もそうである。 14:8 そのときアマツヤは、エフーの子エホアハズの子、イスラエルの王ヨアシュに使者を送って言った。「さあ、直接、対決しようではないか。」 14:9 イスラエルの王ヨアシュは、ユダの王アマツヤに人を遣わして言った。「レバノンのあざみが、レバノンの杉に人を遣わして、『あなたの娘を私の息子の妻にくれないか』と言ったが、レバノンの野の獣が通り過ぎて、そのあざみを踏みにじった。 14:10 あなたはエドムを打ち破って、心が高ぶっている。誇ってもよいが、自分の家にとどまっていなさい。なぜ、あえてわざわいを引き起こし、あなたもユダもともに倒れようとするのか。」 14:11 しかし、アマツヤが聞き入れなかったので、イスラエルの王ヨアシュは攻め上った。彼とユダの王アマツヤは、ユダのベテ・シェメシュで直接、対決した。 14:12 ユダはイスラエルに打ち負かされ、それぞれ自分の天幕に逃げ帰った。 14:13 イスラエルの王ヨアシュは、アハズヤの子ヨアシュの子、ユダの王アマツヤをベテ・シェメシュで捕らえ、エルサレムにやって来た。そして、エルサレムの城壁をエフライムの門から隅の門まで、四百キュビトにわたって打ち壊した。 14:14 彼は、【主】の宮と王宮の宝物倉にあったすべての金と銀、すべての器、および人質を取って、サマリアに帰った。 14:15 ヨアシュが行ったその他の事柄、その功績、ユダの王アマツヤと戦った戦績、それは『イスラエルの王の歴代誌』に確かに記されている。 14:16 ヨアシュは先祖とともに眠りにつき、イスラエルの王たちとともにサマリアに葬られた。彼の子ヤロブアムが代わって王となった。 |
2024年7月21日(日)リビングライフQT 浮き上がったり、沈んだりする、イスラエル・ユダの軽薄にも見えるその心と行動は、記録からは深く伺い知ることは出来ないのですが… 現実の、私達の過ぎ去った人生を振り返って、道に迷い出たこと、何故あの時、あのような道へと迷い出たのだろう・・・そんな過去をふと思い出します。今から振りかえると、愚かだ悪い道だと思いながらも、その時は、拒否するすべもなく、流された弱さを、思い出します。 民のトップに立つ王が、多くの部下に囲まれながら、つい、勢いによって高慢な行動に出たり、うちしおれて、祈りさえ出来なくなったり・・・ 神の選ばれた民であっても、神の前では、罪深い弱い者なのです。選びの民の歴代の歴史は、まさに、その様な人の弱さを学ばせる為に、聖書は取り上げているのです。 その弱さに自らを重ねながら、そんな私を、主なる神はどのようにして、赦し、導き、戒め、常に新しい道へと開かれるかを、今学びつつあるのです。 この中で、“高きところを除かない・・・”と言う、記述が何度も繰り返して書かれていることは、注意に値します。 前にも書きましたが、“高き所”とは、偶像信仰ではないのです。同じ創造主なる神への礼拝所なのです。 しかし、これは神が教えられた礼拝のあり方ではないのです。神への礼拝は、教えられた通りの手順で・・・言い換えると、やがて、永遠の救いの君イエス・キリストを指し示す道筋をたどる、礼拝を、神は示されていたのです。 さて、アマツヤは何故、イスラエルの王に挑戦状を突きつけたのでしょう。 その経緯は、ここには全く記されていないのです。この事情を知らないと、この戦いの必然性(正当性ではない)を、理解できないでしょうから、少し回り道になりますが、次の引照箇所をお読みください。 歴代史第二25章 かりにその様な事情があったとしても、同族同士の戦火は交えるべきではないでしょう結局は互いに悲惨な目に遭うのです。 祈りと御言葉と礼拝への歩みを確実に歩むとき、主はその道で確かな導きと、平安と力を与えてくださいます。 習慣的信仰・クリスチャンとしての自負に頼らず、常に主との交わりと御言葉に繋がった日々の中で、道を歩み続けましょう.。 |
| 列王記第二 13 章14節~25節 13:14 エリシャが死の病をわずらっていたときのことである。イスラエルの王ヨアシュは、彼のところに下って行き、彼の上に泣き伏して、「わが父、わが父。イスラエルの戦車と騎兵たち」と叫んだ。 13:15 エリシャが王に「弓と矢を持って来なさい」と言ったので、王は弓と矢をエリシャのところに持って来た。 13:16 エリシャはイスラエルの王に「弓に手をかけなさい」と言ったので、王は手をかけた。すると、エリシャは自分の手を王の手の上に置いて、 13:17 「東側の窓を開けなさい」と言った。王が開けると、エリシャはさらに言った。「矢を射なさい。」彼が矢を射ると、エリシャは言った。「【主】の勝利の矢、アラムに対する勝利の矢。あなたはアフェクでアラムを討ち、これを絶ち滅ぼす。」 13:18 それからエリシャは、「矢を取りなさい」と言ったので、イスラエルの王は取った。そしてエリシャは王に「それで地面を打ちなさい」と言った。すると彼は三回打ったが、それでやめた。 13:19 神の人は彼に激怒して言った。「あなたは五回も六回も打つべきだった。そうすれば、あなたはアラムを討って、絶ち滅ぼすことになっただろう。しかし、今は三回だけアラムを討つことになる。」 13:20 こうして、エリシャは死んで葬られた。モアブの略奪隊は、年が改まるたびにこの国に侵入していた。 13:21 人々が、一人の人を葬ろうとしていたちょうどそのとき、略奪隊を見たので、その人をエリシャの墓に投げ入れて去って行った。その人がエリシャの骨に触れるやいなや、その人は生き返り、自分の足で立ち上がった。 13:22 アラムの王ハザエルは、エホアハズの生きている間中、イスラエル人を虐げたが、 13:23 【主】は、アブラハム、イサク、ヤコブとの契約のゆえに、彼らを恵み、あわれみ、顧みて、彼らを滅ぼし尽くすことは望まず、今日まで、御顔を背けて彼らを捨てることはなさらなかった。 13:24 アラムの王ハザエルは死に、その子ベン・ハダドが代わって王となった。 13:25 エホアハズの子ヨアシュは、その父エホアハズの手からハザエルが攻め取った町々を、ハザエルの子ベン・ハダドの手から取り返した。ヨアシュは三度彼を打ち破って、イスラエルの町々を取り返した。 |
2024年7月20日(土)リビングライフQT エリシャにも、主に召される時が来たのです。 避けることのできない人生の重要な時。去る者《召天者》には、永遠への始まりでも、残される者には、大きな支えを失うことになります。 つらく将来への不安、一人遺される孤独、決断への支援を失う厳しさ・・・ ヨアシュは、新たに現実の厳しさに直面していたので、一人放り出される思いだったでしょう。 エリシャが王に 『弓と矢を持って来なさい』 『弓に手をかけなさい』 『東側の窓を開けなさい』 『矢を射なさい』 『矢を取りなさい』 『それで地面を打ちなさい』…と *矢を取り地面を打つ‼️行為は、アラムへの強い攻撃の象徴を表しています。 エリシャは《ヨアシュ》がどの様な信じ方(受け止め)をするか。試したのです、言い換えると、ヨアシュ王は、エリシャの言葉にどこまで信仰を働かせるかを、チャレンジ(挑戦)したのです。 殊に、矢を射る前に矢をつがえたその手の上に、エリシャは自らの手を添えたのです。 これは、神の御手が何時も、ヨアシュの上に触れられている‼️と言うメッセージだったのです。もしその様な信仰でエリシャの手の温もりを受けていたら、 彼は勢いを得て、何度も何度も徹底して、矢筒から矢が無くなるまで、打ち続けた筈です。 《信仰》は、魂を神に向ける想像性です。ヨアシュが、彼の信仰として表す時、生きた信仰となり、ハザエルを、越える結果を産み出していたのです。 ヨアシュの功績は、未来に禍根を残さない、持続性には至らず、目先の勝利に終わったのです。彼亡きあとのイスラエルは、再び葛藤と貧しさに見舞われるのです。 信仰は《徹底‼️》が、全てです。信仰は《徹底》か、《常識に流れるか》の二者択一しかないのです。 聖歌に 《エリコの城を囲み》聖歌総合版537番 信じ抜かば勝利をえん 祈り抜け祈り抜け‼️ と言う賛美がありますが。ヨアシュの信仰は、形ばかりだったのです。 さて、21節の、遺体をエリシャの墓に放り投げたら、その死者が生き返った‼️・・・という世にも不思議な徴は、何を・❓教えているのでしょう。 これは、主なる神は、全てを超越して、生きて働かれる・・・と言う徴として、表された不思議です。 今、私達は何かに敗北して、諦めたり、祈らなくなったりしてはいませんか・・・(はてな) カルメル山のエリヤの様に、これしか道はない‼️と信じ抜いた祈りの結果を学びましょう‼️ (列王第一18章) ヨアシュの時代に、イスラエルが辛うじて勝利をおさめていたのは、ヨアシュ王の信仰ではなく、神ご自身が選ばれたイスラエルの民への、慈しみと憐れみからなのです。 あなたが今在るのも‼️ 主の哀れみなのです。 完全に力を得るまで、気を着けて下さいね(#^.^#) |
| 列王記第二 13 章1節~13節 13:1 ユダの王アハズヤの子ヨアシュの第二十三年に、エフーの子エホアハズがサマリアでイスラエルの王となり、十七年間、王であった。 13:2 彼は【主】の目に悪であることを行い、イスラエルに罪を犯させたネバテの子ヤロブアムの罪を犯し続け、それから離れなかった。 13:3 そのため、【主】の怒りがイスラエルに向かって燃え上がり、主は彼らをアラムの王ハザエル、および、ハザエルの子ベン・ハダドの手に絶えず渡しておられた。 13:4 しかし、エホアハズが【主】に願ったので、【主】はこれを聞き入れられた。アラムの王の虐げによって、イスラエルが虐げられているのをご覧になったからである。 13:5 【主】がイスラエルに一人の救う者を与えられたので、彼らはアラムの支配を脱した。こうしてイスラエル人は以前のように、自分たちの天幕に住むようになった。 13:6 それにもかかわらず、彼らは、イスラエルに罪を犯させたヤロブアム家の罪から離れず、なおそれを行い続け、アシェラ像もサマリアに立ったままであった。 13:7 また、アラムの王が彼らを滅ぼして、打穀のときのちりのようにしたので、エホアハズには騎兵五十、戦車十、歩兵一万の軍隊しか残されていなかった。 13:8 エホアハズについてのその他の事柄、彼が行ったすべてのこと、その功績、それは『イスラエルの王の歴代誌』に確かに記されている。 13:9 エホアハズは先祖とともに眠りにつき、人々は彼をサマリアに葬った。彼の子ヨアシュが代わって王となった。 13:10 ユダの王ヨアシュの第三十七年に、エホアハズの子ヨアシュがサマリアでイスラエルの王となり、十六年間、王であった。 13:11 彼は【主】の目に悪であることを行い、イスラエルに罪を犯させたネバテの子ヤロブアムのすべての罪から離れず、なおそれを行い続けた。 13:12 ヨアシュについてのその他の事柄、彼が行ったすべてのこと、ユダの王アマツヤと戦ったその功績、それは『イスラエルの王の歴代誌』に確かに記されている。 13:13 ヨアシュは先祖とともに眠りにつき、ヤロブアムがその王座に就いた。ヨアシュはイスラエルの王たちとともにサマリアに葬られた。 |
2024年7月19日(金)リビングライフQT イスラエル(北王朝)の エホアハズ→ヨアシュ→ヤラブアム三代に亘る王の記録です。 ユダもイスラエルも、王の名前が同じなのには、本当に理解しづらいですね。 4節の《しかし、エホアハズが主に願ったので、主はこれを聞き入れられた。アラム王の虐げによって、イスラエルが虐げられているのをご覧になったからである。》 このコメントは、いかに主なる神が、御自身の選ばれた民を、長い長い歴史を通して、愛し通されたか‼️を、記録しているのです。もちろん民もまた、高きところを存続させ、律法を軽んじてはいました。それだけに、民への選びと、忍耐と赦しは、神御自身の痛み悲しみとなって、響いてくるのです。 その御思いは、今の教会にも、あなたにも、私にも向けられているのです。 あの、十字架の愛によって、神を知らないでさ迷っていた、私に、永遠の赦しと、救いを賜った主に、新たに深く感謝しましょう。 アーメン‼️ |
| 列王記第二 12 章9節~21節 12:9 祭司エホヤダは、一つの箱を取り、そのふたに穴を開け、それを祭壇のわき、【主】の宮の入り口の右側に置いた。こうして、入り口を守る祭司たちは、【主】の宮に納められる金をみな、そこに入れた。 12:10 箱の中に金が多くなるのを確認すると、王の書記と大祭司は上って来て、それを袋に入れ、【主】の宮に納められている金を計算した。 12:11 こうして、勘定された金は、【主】の宮で工事をしている監督者たちの手に渡された。彼らは、それを【主】の宮を造る木工と建築する者たち、 12:12 石工、石切り工に支払い、また、【主】の宮の破損修理のための木材や切り石を買うために支払った。つまり、金は神殿修理のための出費のすべてに充てられた。 12:13 ただし、【主】の宮のための銀の皿、芯取りばさみ、鉢、ラッパなど、いかなる金の用具、銀の用具も、【主】の宮に納められる金で作られることはなかった。 12:14 その金は、工事する者たちに渡され、彼らはそれと引き替えに【主】の宮を修理したからである。 12:15 また、工事する者に支払うように金を渡した人々が精算を求められることはなかった。彼らが忠実に働いていたからである。 12:16 代償のささげ物の金と、罪のきよめのささげ物の金は、【主】の宮に納められず、祭司たちのものとなった。 12:17 そのとき、アラムの王ハザエルが上って来てガテを攻め、これを取った。さらに、ハザエルはエルサレムを目指して攻め上った。 12:18 ユダの王ヨアシュは、自分の先祖であるユダの王ヨシャファテ、ヨラム、アハズヤが聖別して献げたすべての物、および自分自身が聖別して献げた物、【主】の宮と王宮の宝物倉にあるすべての金を取って、アラムの王ハザエルに送った。するとハザエルはエルサレムから去って行った。 12:19 ヨアシュについてのその他の事柄、彼が行ったすべてのこと、それは『ユダの王の歴代誌』に確かに記されている。 12:20 ヨアシュの家来たちは立ち上がって謀反を起こし、シラに下って行くヨアシュをベテ・ミロで打ち殺した。 12:21 彼の家来シムアテの子ヨザバデとショメルの子エホザバデが彼を討ったので、彼は死んだ。人々は彼をダビデの町に先祖とともに葬った。彼の子アマツヤが代わって王となった。 |
2024年7月18日(木)リビングライフQT エルサレム神殿は、月例(月毎に)一度民は礼拝に詣でます。その時捧げ物を携えて来るのですが、それはそのまま祭司一族の収入となるのです。基本は、その中から、神殿補修費も産み出すのですが、回らないほど民の信仰が低下していたのです。(それが高きところでの礼拝が横行していたからです。) 祭司エホヤダは、 そこで民に神殿修復の必要を示した上で、別に専用の献金箱をおいて、民にあピールしたのです。 こうして、まもなく問題は解決しました。 一つ深く感動したのは、14節・15節 古代社会での信頼が基盤となった神の民の素晴らしさに・・・・ 一方、神の恵みにより、やっと、ユダ王国に、平安な時代が巡ってきたと思いきや、再びアラムが、侵略というより、古代世界(殊に遊牧民の部族国家)では、領地拡大よりも、物資や金品の略奪(組織的国家には、遊牧民にはない産業があるので)するのが主な戦いで、アラム・モアブ・エドム等は、正にその様な戦いを仕掛けたのです。ですから、しばしば《略奪隊》という表現を使ったところもあります。 ヨアシュ王は、この事態の中で、国を守るためなら、一時的損失は、回復できる・・・と、考えたのでしょう。非常に合理的解決法で、アラムを追い返すのに大成功したのです。 旨く行けば良いのではない 神の臨在の都と国を存続させるのが、国の使命なのに・・ 何と、聖別された、特別に造られ厳重に保管されていた、古来の神殿の式典容器・宝物・国の宝(国宝・これらは全て純金製です)を、渡したのです。全く愚かですね 命懸けでかくまわれて、新国家建設に用いられた王が何と言う所業。 当然神のも民のも買う結果となり、殺害されました。 このような歴史を見ていると、つい、歴史って何て愚かなんだろうと、思いますが、聖書は語りかけます。私たちの魂に、自分を大切に、自分は間違っていない・・そんな確信から、つい誤った決断に向かう隙が生まれることを、警告しているのです。 私は今、何のために生かされているのだろうか(はてな) 神の私の上に述べられている、御思い、御手、をしっかり見極めながら、また今日も歩んで参りましょう ![]() |
| 列王記第二 12 章1節~8節 12:1 ヨアシュはエフーの第七年に王となり、エルサレムで四十年間、王であった。彼の母の名はツィブヤといい、ベエル・シェバ出身であった。 12:2 ヨアシュは、祭司エホヤダが彼を教えた間、いつも【主】の目にかなうことを行った。 12:3 ただし、高き所は取り除かれなかった。民はなおも、その高き所でいけにえを献げたり、犠牲を供えたりしていた。 12:4 ヨアシュは祭司たちに言った。「【主】の宮に献げられる、聖別された金のすべて、すなわち、それぞれに割り当てを課せられた金や、自発的に【主】の宮に献げられる金のすべては、 12:5 祭司たちが、それぞれ自分の担当する者から受け取りなさい。神殿のどこかが破損していれば、その破損の修繕にそれを充てなければならない。」 12:6 しかし、ヨアシュ王の第二十三年になっても、祭司たちは神殿の破損を修理しなかった。 12:7 ヨアシュ王は、祭司エホヤダと祭司たちを呼んで、彼らに言った。「なぜ、神殿の破損を修理しないのか。もう、あなたがたは、自分の担当する者たちから金を受け取ってはならない。神殿の破損にそれを充てなければならないからだ。」 12:8 祭司たちは、民から金を受け取らないことと、神殿の破損の修理に責任を持たないことに同意した。 |
2024年7月17日(水)リビングライフQT 神殿会計のトラブル。 神殿は、神を礼拝するために建てられ、それも、厳格にモーセを通して、細かい部分に至るまで、神は指示を与えて、すべての事物、即ち、建築・彫像・壁面の材質・全体の構造・特に純金を使用するあらゆる調度品や装飾に関しては、神御自身の臨在を象徴、金の輝きを神の超絶した存在を表す調度品は、厳密な企画で作られた‼️ こうして、主なる神―創造主なる神は、御自身にイスラエルの民(アブラハムの子孫=ユダ・イスラエル両国の民)の心を、あらゆる偶像信仰から、ご自身のみに魂を向かわせるために、神殿建設と、ここに集中する、礼拝のあり方について、厳格な定めを示されたのです。しかし、やがて、ソロモンの没後、後を継いだレハベアムに反旗を翻して、”ヤラベアム”が、分裂国家を作り、エルサレムに代わる、《金の子牛》の像を祭って、エルサレムに対抗したのです。 この信仰(宗教的)暴挙は、バアル信仰にとって代わり、更に、金の子牛礼拝は撲滅された後、民は偶像礼拝のしきたりに馴染んだ、習慣が、高きところ(農業信仰から、高き所から恵みを給う神)への感謝の供物を捧げて祈る事が、習慣化し、小高い丘に祭壇を築いて祈る礼拝所があちこちに生まれたのです。 それが更なる偶像礼拝へと、拡大したのです。 金の子牛礼拝の廃除によって、立ち直りかけたユダの民は、未だ根深く残る、歪んだ礼拝と戦わねばならなかったのです。 このような事情から、神殿は荒れ果て、祭司たちは、自分達の生活確保の優先のために、神殿の尊厳による、創造主への信仰革命には、心を向けていなかったのです。 *祭司職(祭司階級=レビ族)は、他の12氏族のように、カナンの地に、所領を分割されず、彼等は代々信仰蔡事と、神に仕える働きに専念することを、氏族のアイデンティティーとされていたのです。そのために、民が神殿に捧げる定めとなっている捧げ物が彼等の収入となっていたのです。その中には当然、神殿の維持補修も含まれていたのです。 いわば、ヨアシュ王が、高きところを完全に除く(排除する)、改革を断行しなかったことが、真の神への力強い信仰が弱まり、民の信仰が乱れ、エルサレムへの思いも形骸化しつつあったのです。 今、私達の信仰は如何でしょうか。主の甦りの日の朝の《聖日礼拝》に集い、黙想し、多くの信徒(同じ信仰仲間)と心一つにして、高らかに主を誉め称え(讚美し)熱く主に祈り、 新たな献身を主に捧げて、捧げ物(献金)をする。私たちの日常から、この日、主の臨在の高嶺に引き上げられて、一週間の全生活に、新たな神の御支配と導きを、強く頂くのです‼️ 即ち生活の中に、主の臨在の深い恵みを経験するのです。 徹底した、あなたの信仰改革を‼️ ハレルヤ |
| 列王記第二 11 章13節~21節 11:13 アタルヤは近衛兵と民の声を聞いて、【主】の宮の民のところに行った。 11:14 彼女が見ると、なんと、王が定めのとおりに柱のそばに立っていた。王の傍らに隊長たちやラッパ奏者たちがいて、民衆がみな喜んでラッパを吹き鳴らしていた。アタルヤは自分の衣を引き裂き、「謀反だ、謀反だ」と叫んだ。 11:15 祭司エホヤダは、部隊を委ねられた百人隊の長たちに命じた。「この女を列の間から連れ出せ。この女に従って来る者は剣で殺せ。」祭司が「この女は【主】の宮で殺されてはならない」と言ったからである。 11:16 彼らは彼女を取り押さえた。彼女が馬の出入り口を通って王宮に着くと、彼女はそこで殺された。 11:17 エホヤダは、【主】と、王および民との間で、彼らが【主】の民となるという契約を結ばせ、王と民との間でも契約を結ばせた。 11:18 民衆はみなバアルの神殿に行って、それを打ち壊した。彼らはその祭壇と像を徹底的に打ち砕き、バアルの祭司マタンを祭壇の前で殺した。祭司エホヤダは【主】の宮に管理人を置いた。 11:19 彼は百人隊の長たち、カリ人、近衛兵たちと民衆すべてを率いた。彼らは王を【主】の宮から連れて下り、近衛兵の門を通って王宮に入った。王は王の座に着いた。 11:20 民衆はみな喜んだ。アタルヤは王宮で剣で殺され、この町は平穏となった。 11:21 ヨアシュは七歳で王となった。 |
2024年7月16日(火)リビングライフQT 神の御心ではない支配・政治・国家・・の現状に、祭司エホヤダは、長年の圧政を破って、王国再建に立ち上がり、エルサレム神殿に歓喜の声が沸き上がったのです。 何も知らないアタルヤは、歓喜の声に驚き神殿の庭を見ると、幼子のヨアシュが、玉座に座り、回りで皆がひれ伏す姿に、叫びます。「謀叛だ❗謀叛だ‼️」 アタルヤの目論見(モクロミ)は完全に終わりを告げ、自ら墓穴を掘るように、消えて行きました。 古代の歴史の流れですから、その手法は予断を許さない、残酷な方法で破局を迎えました。 しかし、終末に起こる神の最終の裁きの座は、このようなものではない、もっと悲惨な審判でしょう。それは黙示録に、隠れることなく示されています。 主なる神は、何故、アタヤルヤの反逆を、こんなにまで長く、赦しておかれたのでしょう。 それは、人の歴史を、神の直接の御介入によってではなく、神は、 御自身に聞き、心を主に向ける僕(信仰の人)を待ち、密かに導かれているのです。その時、その時の流れ、人の動きは、目に見えないのですが、神は見ておられるのです。日常の私たちの変化の少ない営みや、何もおこる気配すら感じない毎日の、時の流れの中で、主は歴史を動かしておられるのです。 その一駒が一駒が、歴史の部材、土台となるのです。 あなたの賜物とビジョンを、主に御捧げしませんか。 私達が祈って時を待つ中で、神の栄光の歴史は、築かれ、紡がれていくのです‼️ |
| 列王記第二 11 章1節~12節 【新改訳2017】 Ⅱ列王 11:1 アハズヤの母アタルヤは、自分の子が死んだと知ると、ただちに王の一族全員を滅ぼした。 11:2 しかし、ヨラム王の娘で、アハズヤの姉妹のエホシェバは、殺される王の子たちの中からアハズヤの子ヨアシュをこっそり連れ出し、寝具をしまう小部屋にその子とその乳母を入れた。人々が彼をアタルヤから隠したので、彼は殺されなかった。 11:3 彼は乳母とともに、【主】の宮に六年間、身を隠していた。その間、アタルヤが国を治めていた。 11:4 七年目に、エホヤダは人を遣わして、カリ人と近衛兵それぞれの百人隊の長たちを【主】の宮の自分のもとに来させ、彼らと契約を結んで【主】の宮で彼らに誓いを立てさせ、彼らに王の子を見せた。 11:5 彼は命じた。「あなたがたのなすべきことはこうだ。あなたがたのうちの三分の一は、安息日に務めに当たり、王宮の護衛の任務につく。 11:6 三分の一はスルの門に、もう三分の一は近衛兵舎の裏の門にいるように。あなたがたは交互に王宮の護衛の任務につく。 11:7 あなたがたのうち二組は、みな安息日に務めに当たらない者であるが、【主】の宮で王の護衛の任務につかなければならない。 11:8 それぞれ武器を手にして王の周りを囲め。その列を侵す者は殺されなければならない。あなたがたは、王が出るときにも入るときにも、王とともにいなさい。」 11:9 百人隊の長たちは、すべて祭司エホヤダが命じたとおりに行った。彼らは、それぞれ自分の部下たちを、安息日に務めに当たる者も、安息日に務めに当たらない者も、祭司エホヤダのところに連れて来た。 11:10 祭司は百人隊の長たちに、【主】の宮にあったダビデ王の槍と丸い小盾を与えた。 11:11 近衛兵たちはそれぞれ武器を手にして、神殿の右側から神殿の左側まで、祭壇と神殿に向かって王の周りに立った。 11:12 エホヤダは王の子を連れ出し、王冠をかぶらせ、さとしの書を渡した。こうして人々は彼を王と宣言し、彼に油を注ぎ、手をたたいて「王様万歳」と叫んだ。 |
2024年7月15日(月)リビングライフQT アハズヤの母は、アハブの娘でした。彼女を通して、ユダの国にまで、バアル神信仰が入り込み、偶像特有の乱れた生活習慣が地域に満ちていました。 神の宮(神殿聖所・至聖所)は、さすがに汚されたり、破壊されたりはしないが、民は神殿に詣でることに、危険を感じるほどに、緊張を強いられ、真の神への信仰は、陰を潜めていたのが現実だったのです。 祭司・大祭司は、淡々と祭りを司どってはいたが、民の生活からは遊離した存在だったのです。 偶像の支配は、この様に、国の衰退をもたらすような事態だったのです。バアル神によって、呪縛されたアハズヤ王も、その母アタルヤは言うに及ばず、共に、サタンによる、神の国の支配を打ち破ることが、エフー亡き後の、大きな課題だったのです。 その為には正しいダビデの血を引く、王を立てる他無かったのです。それをアタルヤ(アハズヤの母)が妨げて、先々代のヨラムの血を引くものを皆殺しにかかったのです。その中から、幼子ヨアシュが、神の宮でかくまわれ、物心つくまで、育てられたのです。 この事実は、その信仰を命がけで守る行為であり、国の復活への使命だったのです。 遂に紆余曲折を経て、周到な準備のもと、祭司エホヤダは、神殿に仕える護衛兵を動員して、幼帝のヨアシュに王冠を被らせ戴冠式を強行したのです。 主なる神は、この全てを御自身のご計画の下に、守り完成させられたのです。 私はこの経緯(物語)を読みながら、手に汗握る緊迫感の中に、祭司はじめ、ヨアシュの母親代わりをしたエホシェバ、神殿警備隊の人々の、並々ならない献身に、深い感動を覚えました。 今日、神の教会・主の弟子たちの交わり・礼拝・証の積み重ねの生活に、神の教会を護るための祈りと協力をいとわない神の民が大切なのです。 終末の時が近い‼️と、 深く思わされました。 互いに祈り合いましょう‼️ |
| 列王記第二 10 章28節~36節 10:28 このようにして、エフーはバアルをイスラエルから根絶やしにした。 10:29 ただしエフーは、イスラエルに罪を犯させたネバテの子ヤロブアムの罪、すなわち、ベテルとダンにあった金の子牛に仕えることから離れようとはしなかった。 10:30 【主】はエフーに言われた。「あなたはわたしの目にかなったことをよくやり遂げ、アハブの家に対して、わたしが心に定めたことをことごとく行ったので、あなたの子孫は四代目まで、イスラエルの王座に就く。」 10:31 しかしエフーは、心を尽くしてイスラエルの神、【主】の律法に歩もうと心がけることをせず、イスラエルに罪を犯させたヤロブアムの罪から離れなかった。 10:32 そのころ、【主】はイスラエルを少しずつ削り始めておられた。ハザエルがイスラエルの全領土で彼らを打ち破ったのである。 10:33 すなわち、ヨルダン川の東側、ガド人、ルベン人、マナセ人のギルアデ全土、つまり、アルノン川のほとりにあるアロエルからギルアデ、バシャンの地方にまで及んだ。 10:34 エフーについてのその他の事柄、彼が行ったすべてのこと、彼のすべての功績、それは『イスラエルの王の歴代誌』に確かに記されている。 10:35 エフーは先祖とともに眠りにつき、人々は彼をサマリアに葬った。彼の子エホアハズが代わって王となった。 10:36 エフーがサマリアでイスラエルの王であった期間は二十八年であった。 |
2024年7月14日(日)リビングライフQT 神に用いられたエフーの、数々の功績に新たに神の主権を明らかにされる歴史を見ながら、神が歴史を導かれ、展開される主催者であると改めて心に深く刻ませられました。 ところが、今日のテキストの《29節》に、 『ただしエフーは、イスラエルに罪を犯させたネバテの子ヤラブアムの罪、すなわち、ベテルとダンにあった金の子牛にから離れようとはしなかった。』 《金の子牛》これが今日のテキストが語る、重要なポイントなのです。 ☆そこで、《金の子牛》について少し解説しておきましょう。 《金の子牛》 ☆BC1050年~1013年ダビデ王朝 ☆BC1013年~973年ソロモン王朝 その後国は分裂し、☆神殿を持つエルサレムを王都とする、☆ユダ王国→ソロモンの子レハベアム(ユダ族とベニヤ民族)と、 ☆ソロモンに反旗を翻した将軍ヤラブアムを王として、北へ移動し、10部族がイスラエル国を建てた。 この時、同じ創造主なる神を信じた仲ですが、ユダ王国はエルサレム神殿がありましたが、北のイスラエル王国には、確たる聖所と言える礼拝所がないことから、民がエルサレムへと礼拝に流れることを避けるために、南の境界“ベテル”と、北の境界ダンに、金の子牛の像を祭った祭壇を創り、そこをエルサレムに変わる聖所、イスラエルの神への礼拝所としたのです。 さて、《金の子牛》とは・・・(はてな) これは、イスラエルの民が、エジプトを出てシナイ半島に来た時、モーセが、神に呼ばれてシナイ山に登って、律法を神から授与されるまでの40日間、神の存在を示し導くモーセが、不在となり、民が不安を抱いて、一部の人々に煽られたアロン(モーセの兄)によって、金の子牛の像を作り、その回りで、祭りを行った。これに因んで(習って)《イスラエルの神》として、そこで燔祭を捧げて礼拝したのです。よその民から導入した偶像ではない、イスラエル独自の偶像だったのです。 しかし、モーセの律法では、“神を形に刻んではならない”(偶像を作ってはならない)と言う、最も重要な第二の戒めを、破っていたのです。 エフーは、真の神として、金の子牛を、礼拝していたのでしょうが、それは全くの、神への冒涜に当たるのです。 エフーは、今までの様々な勝利の事例を経験しながら、充分に神に近づき、神の導きを受け、神に祈ってきたのです。最早、金の子牛は間違いだと、決断すべきだったのです。 何と後味の悪い締めくくりでしょう。 神に用いられると言う事と、神に受け入れられる事とは、イコールではないですね。 私達にすれば、聖画や十字架の飾り、或いは、何か奇跡の興った場所や、特別な人物(聖徒)の出生地等への巡礼等で、より深い信仰を培おうと、そこに行ったから力を得た・・・等と思い込む信仰は注意を要します。 その様な所から学ぶのは、決して悪くはないのですが、それに溺れるのは要注意です。 真の信仰は神への礼拝と祈りと賛美に、心満たすことからなのです。アーメン‼️ |
| 列王記第二 10 章12節~27節 10:12 それから、エフーは立ってサマリアへ行った。その途中、羊飼いのベテ・エケデというところで、 10:13 エフーはユダの王アハズヤの身内の者たちに出会った。彼が「おまえたちはだれか」と聞くと、彼らは、「私たちはアハズヤの身内の者です。王の子どもたちと、王母の子どもたちの安否を尋ねに下って来ました」と答えた。 10:14 エフーが「彼らを生け捕りにせよ」と言ったので、人々は彼らを生け捕りにした。そして、ベテ・エケデの水溜め場で彼ら四十二人を殺し、一人も残さなかった。 10:15 彼がそこを去って行くと、彼を迎えに来たレカブの子ヨナダブに出会った。エフーは彼にあいさつして言った。「あなたの心は、私の心があなたの心に対してそうであるように、真っ直ぐですか。」ヨナダブは、「そうです」と答えた。「そうなら、こちらに手を伸ばしなさい。」ヨナダブが手を差し出すと、エフーは彼を戦車の上に引き上げて、 10:16 「私と一緒に来て、【主】に対する私の熱心さを見なさい」と言った。エフーは彼を自分の戦車に乗せて、 10:17 サマリアに行った。エフーは、アハブに属する者でサマリアに残っていた者を皆殺しにし、その一族を根絶やしにした。【主】がエリヤにお告げになったことばのとおりであった。 10:18 エフーはすべての民を集めて、彼らに言った。「アハブは少ししかバアルに仕えなかったが、エフーは大いに仕えるつもりだ。 10:19 だから今、バアルの預言者や、その信者、およびその祭司たちをみな、私のところに呼び寄せよ。一人も欠けてはならない。私は大いなるいけにえをバアルに献げるつもりである。列席しない者は、だれも生かしてはおかない。」エフーは、バアルの信者たちを滅ぼすために、策略をめぐらしたのである。 10:20 エフーが、「バアルのためにきよめの集会を催せ」と命じると、彼らはこれを布告した。 10:21 エフーが全イスラエルに人を遣わしたので、バアルの信者たちがみなやって来た。残っていて、来なかった者は一人もいなかった。彼らがバアルの神殿に入ると、バアルの神殿は端から端までいっぱいになった。 10:22 エフーが衣装係に、「バアルの信者すべてに祭服を出してやれ」と命じたので、彼らのために祭服を取り出した。 10:23 エフーとレカブの子ヨナダブは、バアルの神殿に入り、バアルの信者たちに言った。「よく見回して、ここには【主】のしもべがあなたがたと一緒に一人もおらず、ただバアルの信者たちだけがいるようにせよ。」 10:24 こうして彼らは、いけにえと全焼のささげ物を献げる準備をした。エフーは八十人の者を神殿の外に配置して言った。「私がおまえたちの手に渡す者を一人でも逃す者があれば、そのいのちを、逃れた者のいのちに代える。」 10:25 全焼のささげ物を献げ終えたとき、エフーは近衛兵と侍従たちに言った。「入って行って、彼らを討ち取れ。一人も外に出すな。」そこで、近衛兵と侍従たちは剣の刃で彼らを討って投げ捨て、バアルの神殿の奥の間にまで踏み込んだ。 10:26 そして、バアルの神殿の石の柱を運び出して、これを焼き、 10:27 バアルの石の柱を打ち壊し、バアルの神殿も打ち壊し、これを便所とした。それは今日まで残っている。 |
2024年7月13日(土)リビングライフQT エフーは、更なる大規模な偶像信仰の撲滅を、展開していきます。 そして、 最大の目的である、バアル神殿の徹底した破壊と、その信者全てを、一挙に撲滅したのです。 これに先立ち、エフーは、一人の人物《ヨナダプ》を、側近として起用し、全ての業を目の当たりに見せて、《主に対する私の熱心さを見なさい‼️》と言って、全ての業を、彼の目の前で展開したのです。記録の中にはヨナダブの名前はその後出てこないが、これだけの大々的に展開には、恐らくヨナダブの同調と助力があったからでしょう。 こうして、エフーは遂に、全イスラエルを、ただ、御一人の神の元に立ち返らせたのです。 これは、一国を支配する絶対君主時代の歴史的事実ではありました。 しかし、この行為(業績)をヒントに、今日の社会の中で、密かな、神社仏閣への破壊行為・落書き・侮辱的行為、むしろその様な行為は、福音の妨げとはなっても、福音受け入れの窓口とはなりません。 主なる神が求められるのは、私の・あなたの❗内なる清さなのです。 それを証するためには、内なる・固執・欲望・偽り・傲慢・誇り・憎しみ・・・etc.の放棄です。 私達は、主の弟子だ‼️と自認しながらも、これらを手放せないまま、重い心をひきずって生きてはいないでしょうか。 聖霊の満たしを求めて、御霊(主なる神の御心)を内に宿す、神の宮として、常に新しく創り変えて頂けるよう求めて参りましょう。 そして、その魂の中に、《愛・喜び・平安・寛容・親切・善意・誠実・柔和・自制)と言う九つの霊の賜物(ガラテヤ書:22~23)を、しっかり持った神の宮として頂きましょう‼️ |
| 列王記第二 10 章1節~11節 10:1 アハブにはサマリアに七十人の子どもがあった。エフーは手紙を書いてサマリアに送り、イズレエルの長たちや長老たち、および、アハブの子の養育係たちにこう伝えた。 10:2 「この手紙が届いたら、あなたがたのところに、あなたがたの主君の子どもたちがいて、戦車や馬も、城壁のある町や武器も、あなたがたのところにあるのだから、すぐ、 10:3 あなたがたの主君の子どもの中から最も善良で真っ直ぐな人物を選んで、その父の王座に就かせ、あなたがたの主君の家のために戦え。」 10:4 彼らは非常に恐れて言った。「二人の王たちでさえ、彼に当たることができなかったのに、どうしてこのわれわれが当たることができるだろうか。」 10:5 そこで、宮廷長官、町のつかさ、長老たち、および養育係たちは、エフーに人を送って言った。「私どもはあなたのしもべです。あなたが私どもにお命じになることは何でもいたしますが、だれも王に立てるつもりはありません。あなたのお気に召すようにしてください。」 10:6 エフーは再び彼らに手紙を書いてこう言った。「もしあなたがたが私に味方し、私の声に聞くのなら、あなたがたの主君の子どもたちの首を取り、明日の今ごろ、イズレエルの私のもとに持って来るように。」そのころ、王の子どもたち七十人は、彼らを養育していた町のおもだった人たちのもとにいた。 10:7 その手紙が彼らに届くと、彼らは王の子どもたちを捕らえ、その七十人を切り殺し、その首をいくつかのかごに入れ、それをイズレエルのエフーのもとに送り届けた。 10:8 使者が来て、「彼らは王の子どもたちの首を持って参りました」とエフーに報告した。すると彼は、「それを二つに分けて積み重ね、朝まで門の入り口に置いておけ」と命じた。 10:9 朝になるとエフーは出て行き、立ってすべての民に言った。「あなたたちに罪はない。聞きなさい。私が主君に対して謀反を起こして、彼を殺したのだ。しかし、これらの者を皆殺しにしたのはだれか。 10:10 だから知れ。【主】がアハブの家について告げられた【主】のことばは一つも地に落ちないことを。【主】は、そのしもべエリヤによってお告げになったことをなされたのだ。」 10:11 エフーは、アハブの家に属する者でイズレエルに残っていたすべての者、身分の高い者、親しい者、その祭司たちをみな打ち殺し、一人も生き残る者がないまでにした。 |
2024年7月12日(金)リビングライフQT 引き続き激しく裁きを実行するエフー。 現代の感覚で見ると、何と残酷な行為なんだろう・・・と、目をそむけるような、違和感さえ覚えるのです。しかし、聖書のこの時代は、今を遡ること何と、2900年前(紀元前900年)の、日本では、縄文時代中期です。 エフーに導かれるイスラエルの兵士の行動(軍の規律は徹底した服従) 又、バアル神による統制された圧政からの解放、ドミノ倒しのような、体制の崩壊を考えると、《さもあらん‼️》と、うなずける感じもする。しかし、それ以上に、これは神の怒りの表れであるのです。 創造主なる神を排除(預言者を殺し、神に仕える僕達の存在を消し去る)し、アブラハムの世界(神が唯一選ばれた証しの民)を、抹殺したのですから。 現代の、人道主義や、 時代的正義感、社会の道徳感等で、この事態を考えるなら、到底理解できないでしょう。 この、霊的大粛清は、創造主の悼(いた)みの表れなのです。 この様な神が、人間の罪と反逆と神への冒涜に怒り悲しまれて、向けられた審判が、あの‼️御子イエス・キリスト様の十字架だったのです。 《わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか(エロイ、エロイ、ラマ、サバクタニ)》−マルコ15章34節− 今や、神はエフーを通して、イスラエルに大宗教改革をもたらしたのです‼️ 更にこの様な粛清の行動は続きますが、これ等の事を心(魂)に刻んで、常に光の子として歩みましょう。 ”光の子“は、十字架の道を歩きます‼️ 明日(13日)のテキスト 列王第二 10:12~27 |
| 列王記第二 9 章27節~37節 9:27 ユダの王アハズヤはこれを見ると、ベテ・ハ・ガンの道へ逃げた。エフーはその後を追いかけて、「あいつも討ち取れ」と叫んだので、彼らはイブレアムのそばのグルの坂道で、車の上の彼に傷を負わせた。それでも彼はメギドに逃げたが、そこで死んだ。 9:28 彼の家来たちは彼を車に乗せて、エルサレムに運び、ダビデの町の彼の墓に先祖とともに葬った。 9:29 アハズヤはアハブの子ヨラムの第十一年に、ユダの王となっていた。 9:30 エフーがイズレエルに来たとき、イゼベルはこれを聞いて、目の縁を塗り、髪を結い直して、窓から見下ろしていた。 9:31 エフーが門に入って来たので、彼女は「お元気ですか。主君殺しのジムリ」と言った。 9:32 彼は窓を見上げて、「だれか私にくみする者はいないか。だれかいないか」と言った。二、三人の宦官が彼を見下ろしていたので、 9:33 彼が「その女を突き落とせ」と言うと、彼らは彼女を突き落とし、彼女の血が壁や馬にはねかかった。エフーは彼女を踏みつけた。 9:34 彼は中に入って食べたり飲んだりし、それから言った。「あののろわれた女の世話をしてやれ。彼女を葬ってやれ。あれは王の娘だから。」 9:35 彼らが彼女を葬りに行ってみると、彼女の頭蓋骨と両足と両手首しか残っていなかったので、 9:36 帰って来てエフーにこのことを知らせた。するとエフーは言った。「これは、【主】がそのしもべティシュベ人エリヤによって語られたことばのとおりだ。『イズレエルの地所で犬がイゼベルの肉を食らい、 9:37 イゼベルの死体は、イズレエルの地所で畑の上にまかれた肥やしのようになり、だれもこれがイゼベルだと言えなくなる。』」 |
2024年7月11日(木)リビングライフQT テキスト冒頭に出る、ユダの王アハズヤを、何故エフーは執拗に追いかけて、死へと追いやったのでしょう。 決して、ユダ王国を侵略して、覇権を制するためではなかったのです。 アハズヤも又、アハブの子のヨラムと手を組み、真の神に背く道を歩む指導者だったからです。お互い血を分けた、アブラハムの末ですから、他国とは言え、神に背く道を許せなかったのです‼️ エフーの、信仰による霊的粛清は、容赦なく展開されます。 悪の元凶である“イゼベル”に鉄槌を下す時が、思いもかけず、巡ってきました。 御機嫌を取るように、階上の窓から声を掛けるイゼベルを、窓から突き落とす様、協力を呼び掛けると、妃の最も信頼する宦官の三人が、イゼベルを、直ちに2階から突き落として死なせたのです。イゼベルは、そのまま犬(野犬=狼)に食べられズタズタに・・・かつて、神がエリヤを通して語られた通りになったのです。 神に背く(反抗・敵対・堕落・・等々)以上に、偶像を神とする事が、如何に重い背きであるかを、イゼベルの最期は物語っているのです。 主なる神でない・・存在(偶像・自我・金銭・趣味・快楽・財産・神よりも人への依存・・等々)への依存、創り主を忘れることが、如何に恐ろしい罪なのかを、改めて心に刻まれますね。 イスラエル(ユダも含む)の民は、このようにして、その歴代の王の歴史を通して、代々真理の神の厳粛な裁きと赦しを教えられながら、民族形成を積み重ねてきたのです。その中から、神の愛と赦しが、顕れる“メシア”の到来を、待ち望むようになったのです。 ある意味で、旧約の歴史の記録は、罪の道を歩む、人間の神への反抗と、私たちの弱さのゆえに、挫折する惨めな姿と、それに対する神の御思いと、裁きと赦しへの希望を、明らかにした、神の福音なのです。 アブラハム→イサク→ヤコブ→ダビデ→イエス・キリスト・・・へと繋がるのです。 今や、神の民は、近隣諸国の摩擦を受けながら、暗中模索状態で、主の日を待ち望む歴史を歩むのです。その中に神が選らばれたエフーを通して、多くを学んできましたが更に、主なる神の御手をしっかり見つめ、これからの教会・自らを見つめ学んで参りましょう‼️ |
| 列王記第二 9 章14節~26節 9:14 こうして、ニムシの子ヨシャファテの子エフーは、ヨラムに対して謀反を起こした。先にヨラムはイスラエル全軍を率いて、ラモテ・ギルアデでアラムの王ハザエルを防いだが、 9:15 ヨラム王は、アラムの王ハザエルと戦ったときにアラム人に負わされた傷を癒やすため、イズレエルに帰っていたのである。エフーは言った。「もし、これがあなたたちの本心であるなら、だれもこの町から逃れ出て、イズレエルに知らせに行ってはならない。」 9:16 それからエフーは車に乗ってイズレエルへ行った。ヨラムがそこで床についていて、ユダの王アハズヤもヨラムを見舞いに下っていたからである。 9:17 イズレエルのやぐらの上に、一人の見張りが立っていたが、エフーの軍勢がやって来るのを見て、「軍勢が見える」と言った。ヨラムは、「騎兵一人を選んで彼らを迎えに送り、元気かどうか尋ねさせなさい」と言った。 9:18 そこで、騎兵は彼を迎えに行き、こう言った。「王が、元気かどうか尋ねておられます。」エフーは言った。「元気かどうか、おまえの知ったことではない。私のうしろについて来い。」一方、見張りは報告して言った。「使者は彼らのところに着きましたが、帰って来ません。」 9:19 そこでヨラムは、もう一人の騎兵を送った。彼は彼らのところに行って言った。「王が、元気かどうか尋ねておられます。」すると、エフーは言った。「元気かどうか、おまえの知ったことではない。私のうしろについて来い。」 9:20 見張りはまた報告した。「あれは彼らのところに着きましたが、帰って来ません。しかし、車の御し方は、ニムシの子エフーの御し方に似ています。狂ったように御しています。」 9:21 ヨラムは「馬をつけよ」と命じた。馬が戦車につけられると、イスラエルの王ヨラムとユダの王アハズヤは、それぞれ自分の戦車に乗って出て行った。彼らはエフーを迎えに出て行き、イズレエル人ナボテの所有地で彼に出会った。 9:22 ヨラムはエフーを見ると、「エフー、元気か」と尋ねた。エフーは答えた。「何が元気か。あなたの母イゼベルの姦淫と呪術が盛んに行われているのに。」 9:23 それでヨラムは手綱を返して逃げ、アハズヤに「裏切りだ、アハズヤ」と叫んだ。 9:24 エフーは力いっぱい弓を引き絞り、ヨラムの胸を射た。矢は彼の心臓を射抜いたので、彼は戦車の中に崩れ落ちた。 9:25 エフーは侍従のビデカルに命じた。「彼を運んで、イズレエル人ナボテの所有地であった畑に投げ捨てよ。思い起こすがよい。私とあなたが馬に乗って彼の父アハブの後に並んで従って行ったときに、【主】が彼についてこの宣告を下されたことを。 9:26 『わたしは、昨日、ナボテの血とその子たちの血を確かに見届けた──【主】のことば──。わたしは、この地所であなたに報復する──【主】のことば。』それで今、彼を運んで、【主】が語られたとおり、あの地所に彼を投げ捨てよ。」 |
2024年7月10日(水)リビングライフQT 今朝のテキストを読みながら、又、たち戻って読み直しながら、この記録の奥に流れている、一つの事に気がつきました。 それは、神がご計画になられた、イスラエルの王制の変革と、そのために用いられた、軍の司令官“エフー”の人物についてです。 彼は実に懸命な指揮官でした。戦略についてだけではなく、イスラエルに流れる神の憂いと、悲しみ怒りを、心に秘めていたことが解ります。それは、テキストの最後の節《26節》『わたしは、昨日、ナボテの血とその子達の血を確かに見届けた。(アハブが義人ナボテのブドウ畑を欲しがって、それを知った、あの妃ー偶像の巫イゼベルーが、民をそそのかして、ナボテ一族を皆殺しにして、宝のブドウ畑をアハブに献上した)~主の言葉~わたしは、この地所であなたに報復する。~主の言葉。』 列王第一21:19 ☆この物語はすでに学んだところですが、復習したい方は、列王第一21章1節~19節を、お読みください。 この出来事を側近として使えていた“エフー”は、覚えていたのです。そして、その裁きの手を下すのが自分になるとは、その時には思いも依らなかったでしょう しかし、エリシャの使いの者から、王としての油注ぎを受けた時、又、更に部下たちが、一糸乱れず彼に即座に忠誠を誓ったのを見て、彼の内に長年うっ積していた、イスラエル王国の将来への、憂いと危機意識が、この難局に対して、立ち上がる力となり、同時に神の御手の中に、身を委ねたのです。 イスラエルの神“アブラハムの神”は、こうして、新しい神の国の歴史を、エフーに託したのです。エフーは、徹底してアハブの混乱を引き継いだヨラム王を、歴史から排除する働きを完了したのです。 もし、エフーが、自分の立場の安泰を気にしたり、実質的クーデターに、反動的分子が興ることを怖れたり、彼自信偶像への恐れや、未だに健在で、陰の力を振るう“イゼベル”への懸念を持っていたら、このような行動への決断には至らなかったでしょう。 これは、エフーの、主なる神への献身であり、服従だったのです。 主なる神に仕える・・と言う日々の生活は、常に沸き起こる妥協と、誘惑と、神以外のものに、第一の座を置く・・・と言う誘惑に勝利して、従う日々の中から、新しい命の日々が生まれるのです。 私たちの内なる戦い(霊の戦い)は、毎日の生活の中で、遭遇し、勝利を重ねるのです。 我らは常に勝利❗勝利❗勝利❗ 我らは常に勝利‼️ 世に勝ちませる 主共に(居)ませば 我らは 常に勝利‼️ 新聖歌 459番 |
| 列王記第二 9 章1節~13節 9:1 預言者エリシャは預言者の仲間たちの一人を呼んで言った。「腰に帯を締め、手にこの油の壺を持って、ラモテ・ギルアデに行きなさい。 9:2 そこに行ったら、ニムシの子ヨシャファテの子エフーを見つけなさい。家に入って、その同僚たちの中から彼を立たせ、奥の間に連れて行き、 9:3 油の壺を取って、彼の頭の上に油を注いで言いなさい。『【主】はこう言われる。わたしはあなたに油を注いでイスラエルの王とする。』それから、戸を開け、ぐずぐずしていないで逃げなさい。」 9:4 その若者、預言者に仕える若者は、ラモテ・ギルアデに行った。 9:5 彼が来てみると、ちょうど、軍の高官たちが会議中であった。彼は言った。「隊長、申し上げることがございます。」エフーは言った。「このわれわれのうちのだれにか。」若者は「隊長、あなたにです」と答えた。 9:6 エフーは立って、家に入った。そこで若者は油をエフーの頭に注いで言った。「イスラエルの神、【主】はこう言われる。『わたしはあなたに油を注いで、【主】の民イスラエルの王とする。 9:7 あなたは、主君アハブの家の者を打ち殺さなければならない。こうしてわたしは、わたしのしもべである預言者たちの血、イゼベルによって流されたすべての【主】のしもべたちの血の復讐をする。 9:8 それでアハブの家はことごとく滅び失せる。わたしは、イスラエルの中の、アハブに属する小童から奴隷や自由の者に至るまでを絶ち滅ぼし、 9:9 アハブの家をネバテの子ヤロブアムの家のように、またアヒヤの子バアシャの家のようにする。 9:10 犬がイズレエルの地所でイゼベルを食らい、彼女を葬る者はだれもいない。』」こう言って、彼は戸を開けて逃げた。 9:11 エフーが彼の主君の家来たちのところに出て来ると、一人が彼に尋ねた。「何事もなかったのですか。あの気のふれた者は何のために来たのですか。」すると、エフーは彼らに答えた。「あなたたちは、あの男も、あの男の言ったこともよく知っているはずだ。」 9:12 彼らは言った。「?でしょう。われわれに教えてください。」そこで、彼は答えた。「あの男は私にこんなことを言った。『【主】はこう言われる。わたしはあなたに油を注いで、イスラエルの王とする』と。」 9:13 すると、彼らはみな大急ぎで自分の上着を脱ぎ、入り口の階段にいた彼の足もとに敷き、角笛を吹き鳴らして、「エフーは王である」と言った。 |
2024年7月9日(火)リビングライフQT 何とも複雑な物語⁉️ 更にこの流れは、本流となって流れ始めます。 イスラエルが、ユダと合流して、アラム(シリア)と戦ったとき、傷付いたイスラエルの王ヨラムは、ヨルダンの西イズレエルに、体を休めておりました。 そのような時、イスラエルの全軍は、総指揮官のエフーの元に、次の作戦のための会議をしていたのです。 そこにエリシャに送り出された預言者の仲間が、、アハブの血筋でない、軍の総指揮官、エフーに王として油を注いだのです‼️ 余りに、アハブの血を受けた影響下で育ち、神の選びの歴史の積み重ねられてきたイスラエルの民が、最早、立ち返る道を失ってしまったほど、汚れてしまったのを、神は心痛めて、この様に、御手を延べられたのです。 主なる神が待ち望まれる“悔い改め”のチャンスを逃すとき、旧約時代には、神は直接介入されたのです。 今の時代には、御子イエス・キリスト様の十字架の福音により、より豊かな立ち返り(悔い改めの時=福音)が用意されています。ハレルヤ‼️ しかし、悔い改めのない者への、神の御手は、神の裁きと、永遠の滅びが残されていると言う意味で、旧約の物語は、私達への警告ともなるのです。 この物語で、エリシャの使いの預言者の役割は、正に今の教会に与えられた、福音を伝える足なのです‼️ その伝えられた福音により、家族が、友人が、周りが変わる姿を観たくありませんか⁉️ エフーは、どんなに驚いたことでしょう。 一人の魂の変革は、時代を変える力となります。 主よ、こんな私でも、主が“よし”とされるなら、用いてください‼️ |
| 列王記第二 8 章16節~29節 8:16 イスラエルの王アハブの子ヨラムの第五年、ヨシャファテがまだユダの王であったとき、ユダの王ヨシャファテの子ヨラムが王として治めるようになった。 8:17 彼は三十二歳で王となり、エルサレムで八年間、王であった。 8:18 彼はアハブの家の者がしたように、イスラエルの王たちの道に歩んだ。アハブの娘が彼の妻だったからである。彼は【主】の目に悪であることを行った。 8:19 しかし、【主】はそのしもべダビデに免じて、ユダを滅ぼすことを望まれなかった。主はダビデとその子孫に常にともしびを与えると彼に約束されたからである。 8:20 ヨラムの時代に、エドムが背いてユダの支配から脱し、自分たちの上に王を立てた。 8:21 ヨラムは、すべての戦車を率いてツァイルへ渡って行き、夜襲を試みて、彼を包囲していたエドムと戦車隊長たちを討った。ところが、ヨラムの兵たちは自分たちの天幕に逃げ帰った。 8:22 エドムは背いてユダの支配から脱した。今日もそうである。リブナもそのときに背こうとした。 8:23 ヨラムについてのその他の事柄、彼が行ったすべてのこと、それは『ユダの王の歴代誌』に確かに記されている。 8:24 ヨラムは先祖とともに眠りにつき、先祖とともにダビデの町に葬られた。彼の子アハズヤが代わって王となった。 8:25 イスラエルの王アハブの子ヨラムの第十二年に、ユダの王ヨラムの子アハズヤが王となった。 8:26 アハズヤは二十二歳で王となり、エルサレムで一年間、王であった。彼の母の名はアタルヤといい、イスラエルの王オムリの孫娘であった。 8:27 彼はアハブの家の道に歩み、アハブの家に倣って【主】の目の前に悪であることを行った。彼自身、アハブ家の婿だったからである。 8:28 彼はアハブの子ヨラムとともに、アラムの王ハザエルと戦うため、ラモテ・ギルアデに行った。アラム人はヨラムを討った。 8:29 ヨラム王は、アラムの王ハザエルと戦ったときにラマでアラム人に負わされた傷を癒やすため、イズレエルに帰った。ユダの王ヨラムの子アハズヤは、アハブの子ヨラムが弱っていたので、彼を見舞いにイズレエルに下って行った。 |
2024年7月8日(月)リビングライフQT 今日のテキストの何と複雑な内容でしょう。 *その理由は、北イスラエルと、南ユダの歴史(王の事跡)で、南北の王の名前が重なって出てくることです。又、名前が片仮名ですし、同じ文化圏・同じ言語の流れの中での、記述ですから、似通っているからです。 今日のテキストで、分かりにくい名前を整理して、解説しましょう。 イスラエルのアハブ王は、預言者エリヤの時代の、最悪の王で后に、偶像に仕える《巫》として、アハブ王にも、しばしば悪知恵を吹き込み、国民を混乱に陥れ、預言者集団にも激しい迫害をしたのです。 その血筋が、ユダの王統の中にも、入り込んだのです。 16節を見ると、北イスラエルと南ユダ双方に、同じ名前の王“ヨラム”が統治しています。いずれも、アハブの道(偶像信仰)に身を染め、民を混乱に導いた。ヨラムは短い治世で若くして死んだ。 歴代の王統の治世を見ると、一桁の治世で死を迎えた王は、例外なく、主の道をそれた王たちです。ヨラムもその例に漏れず・・ ユダのヨラムの死後、アハズヤが王となり、北イスラエルと共同戦線をはってアラムと対峙したが、この戦いで、北のヨラム王が、重症を負った。 王が偶像に走る間、両国に平安はなく、政権も危ういことを、列王記・歴代史は、物語っている。 私たちの個人的日々においても、“偶像→それは他宗教や、刻んだ像ではなく(勿論それは論外ですが…) *金銭(財産)・過度の趣味・悪習慣・友好関係・心の中に蓄積した憎み・・・ このような魂にこびりつき、片時もそれから解放されない魂の状態。 今朝・毎朝洗われて、ただ主のみ‼️ その様なスタートで、一日を始めましょう この様な勝利感のある時が、他にあるでしょうか‼️ 私の大好きな言葉 《汝我が前を歩み、全き者であれ‼️》創世記17章1節(文語訳) 明日(9日)のテキスト 列王第二 9章1節~13節 |
| 列王記第二 8 章7節~15節 8:7 さて、エリシャがダマスコに行ったとき、アラムの王ベン・ハダドは病気であった。すると彼に「神の人がここまで来ている」という知らせがあった。 8:8 王はハザエルに言った。「贈り物を持って行って、神の人を迎え、私のこの病気が治るかどうか、あの人を通して【主】のみこころを求めてくれ。」 8:9 そこで、ハザエルはダマスコのあらゆる良い物をらくだ四十頭に載せて、贈り物として携え、神の人を迎えに行った。彼は神の人の前に来て立ち、こう言った。「あなたの子、アラムの王ベン・ハダドが、『この病気は治るであろうか』と言って、あなたのところへ私を遣わしました。」 8:10 エリシャは彼に言った。「行って、『あなたは必ず治る』と彼に告げなさい。しかし、【主】は私に、彼が必ず死ぬことも示された。」 8:11 神の人は、彼が恥じるほどじっと彼を見つめ、そして泣き出したので、 8:12 ハザエルは尋ねた。「ご主人様はなぜ泣くのですか。」エリシャは答えた。「私は、あなたがイスラエル人に害を加えようとしていることを知っているからだ。あなたはイスラエル人の要塞に火を放ち、その若い男たちを剣で切り殺し、幼子たちを八つ裂きにし、妊婦たちを切り裂くだろう。」 8:13 ハザエルは言った。「しもべは犬にすぎないのに、どうして、そんな大それたことができるでしょう。」しかし、エリシャは言った。「【主】は私に、あなたがアラムの王になると示されたのだ。」 8:14 彼はエリシャのもとを去り、自分の主君のところに帰った。王が彼に、「エリシャはあなたに何と言ったか」と尋ねると、彼は「あなたは必ず治ると言いました」と答えた。 8:15 しかし、翌日、ハザエルは厚い布を取って水に浸し、王の顔にかぶせたので、王は死んだ。こうして、ハザエルは彼に代わって王となった。 |
2024年7月7日(日)リビングライフQT 預言者の活動範囲は、驚くほど広範囲ですね。主な活動範囲は、イスラエルとユダ・・即ち、ガリラヤ湖から死海の南、また、ヨルダン川を挟んだ、西は地中海、東はアラビヤ砂漠の入口の荒野までの地域です。死海湖岸の東は、イスラエルとユダを常に脅かすエドムとモアブの、所領でした。(地図の写真送ります) 預言者エリシャが何故、アラムの支配地域まで出掛けたのでしょう(はてな) (サマリヤからの距離は地図上の直線距離でも200kmはあります。その距離は、北九州から熊本ほどはあります。) 今や、アラム(シリア)の王ベンハダドは、戦って敗北したのではなく、不思議な恐怖心(イスラエル軍の、ときの声、戦車の車輪の響きに驚いての敗走)で、神の人の、背後にある力に恐れ、見えない神の力に、心低くされていたのです。ベンハダドは、エリシャがダマスコに来たと知って、人を遣わしました。それは友好的な印でした。 エリシャは王には会わずに、使者のハザエルを通して、神のご計画を伝えました。 その時のハザエルとのやり取りでは、敵陣深く潜入した今、エリシャは、このハザエルによって、神ご自身が愛し選ばれた民が、悲惨な目にあわされるのを知って、泣いた。そしてハザエルにその事を伝えたのですが、これは、暗黙に、主なる神がハザエルの真っ黒な残虐な心を、警告されたのですが・・ ハザエルの心はそこにはなく、エリシャの預言の言葉『あなたがアラムの王になると示されたのだ』と言う言葉に釘付けとなり、ベンハダドを殺害してしまったのです。 何と言う人の心の弱さでしょう 神の言葉の前に、神に仕える人の前に、神の支配する世界が動くその中で、人は、自分の罪の支配するままに動いてしまう、弱さがある事を明らかにしているのです。 後味の悪いこの物語の影に、じっと見つめる神の眼があることを、私達は今朝深く、心に刻ませて頂きましょう。 アーメン |
| 列王記第二 8 章1節~6節 8:1 エリシャは、かつて子どもを生き返らせてやったあの女に言った。「あなたは家族の者たちと一緒にここを去り、とどまりたいところに、しばらく寄留していなさい。【主】が飢饉を起こされたので、この国は七年間、飢えに見舞われるから。」 8:2 この女は神の人のことばにしたがって出発し、家族を連れてペリシテ人の地に行き、七年間滞在した。 8:3 七年たった後、彼女はペリシテ人の地から戻って来て、自分の家と畑を得ようと王に訴え出た。 8:4 そのころ、王は神の人に仕える若者ゲハジに、「エリシャが行った大いなるわざを、残らず私に聞かせてくれ」と話していた。 8:5 彼が王に、死人を生き返らせたあの出来事を話していると、ちょうどそこに、子どもを生き返らせてもらった女が、自分の家と畑のことについて王に訴えに来た。ゲハジは言った。「王様、これがその女です。そしてこれが、エリシャが生き返らせた子どもです。」 8:6 王が彼女に尋ねると、彼女は王にそのことを話した。すると王は彼女のために、一人の宦官に「彼女のすべての物と、彼女がこの地を離れた日から今日までの畑の収穫のすべてを、返してやりなさい」と命じたのであった。 |
2024年7月6日(土)リビングライフQT 摂理の神‼️ かって子供の生き返りの恵みに与ったシュネムの女のさらなる恵みのお話しです。 主なる神が為される業の一つ一つは神の個人的救済に終始するのではなく、その人・家族・地域・選ばれた民・・・といった、もっとグローバル(広範囲)な拡がりの中に、神ご自身を知らしめる(顕現する)目的で為されるのです‼️ ですから、受けた恵みの数々に対して感謝を証して生活して行かねばなりません。 今朝の物語は、正に、長い時間経過の沈黙の中で、神のご計画は、全く、時間・地域・状況は、別々の流れの中ですが、それを一つに繋いで、更なるもう一つの、恵みの業へと拓かれるのです。 私達は先が見えず、ひと時、ひと時が不安になるような中でも、主なる神の時は、一秒の狂い(すれ違い)もなく、次の展開へと拓かれて行くのです。 ☆私の、長い人生の時間経過の中で・・・ 父・母が下関で開拓伝道をしている最中に、戦争の爆撃で、伝道の拠点を失い、長い年月(5年に亘る空白)の後、下関ではなく、関門海峡対岸の、門司市で再開拓に着手。北九州シオン教会の磐石の基盤ができた、1970年(何と、戦災による伝道中止から25年後)に、最初の開拓に下関シオン教会の鍬入れが成されたのです‼️ 今・・・❓の、事態や状況に、一輝一憂しないで下さい。 あなたの信じる神様は、先の先まで、ご計画されているのです。 今の試練・闘い・苦難・・・それらは、神ご自身の永遠と言う《時》の中に、包まれているのです。主の時が来れば、開かれて来るでしょう。見えてくるでしょう それを信じて待つのが、信仰の醍醐味です。 私が、下関の開拓を父に告げた時『あぁ❗主の時が来たんだなぁ‼️』と、感銘深く喜びを表していました。そして、短い期間でしたが、一年間、引退前に下関シオン教会に赴任致しました。(そのような中、母は、下関に赴任して半年で、突然心筋梗塞で召されました。しかし悲願の下関の開拓に携わることが出来た事は、最後の祝福となり、慰めとなったことでしょう) 今朝の、シュネムの女の物語は、イスラエルの王(偶像に二股掛けた、問題の王でした)が、この婦人の帰還の証を通して、主なる真の神に心寄せるように導かれ、イスラエルの国の安定に用いられたのです。 なんと言う神の素晴らしさでしょう。 主なる神はあなたの今ある試練を、無駄に見過ごしてはおられません❗ あなたの今に、ご計画をもっておられます‼️ ただただあなたの主(真の神)を、信頼し、主を待ち望みましょう‼️ 主に信頼し続けましょう(#^.^#) ハレルヤ‼️ |
| 列王記第二 7 章11節~20節 7:11 そこで門衛たちは叫んで、門内の王の家に告げた。 7:12 王は夜中に起きて家来たちに言った。「アラム人がわれわれに対して謀ったことをおまえたちに教えよう。彼らはわれわれが飢えているのを知っているので、陣営から出て行って野に隠れ、『イスラエル人が町から出たら生け捕りにし、それから町に押し入ろう』と考えているのだ。」 7:13 すると、家来の一人が答えた。「それでは、だれかにこの町に残っている馬の中から五頭を取らせ、遣わして調べさせてみましょう。どうせ、この町に残っているイスラエルのすべての民衆も、すでに滅んだイスラエルのすべての民衆と同じ目にあうのですから。」 7:14 彼らが二台分の戦車の馬を取ると、王は「行って確かめて来い」と命じて、アラムの軍勢を追わせた。 7:15 彼らはアラム人を追って、ヨルダン川まで行った。ところが、なんと、道はいたるところ、アラム人が慌てて逃げるときに捨てていった衣服や武具でいっぱいであった。使者たちは帰って来て、このことを王に報告した。 7:16 そこで、民は出て行ってアラムの陣営をかすめ奪ったので、【主】のことばのとおり、上等の小麦粉一セアが一シェケルで、大麦二セアが一シェケルで売られた。 7:17 王は例の侍従、頼みにしていた侍従を門の管理に当たらせたが、民が門で彼を踏みつけたので、彼は死んだ。王が神の人のところに下って行ったときに、神の人が告げたことばのとおりであった。 7:18 かつて神の人が王に、「明日の今ごろ、サマリアの門で、大麦二セアが一シェケルで、上等の小麦粉一セアが一シェケルで売られるようになる」と言ったときに、 7:19 侍従は神の人に答えて、「たとえ【主】が天に窓を作られるにしても、そんなことがあるだろうか」と言った。そこで、エリシャは「確かに、あなたは自分の目でそれを見るが、それを食べることはできない」と言った。 7:20 そのとおりのことが彼に実現した。民が門で彼を踏みつけたので、彼は死んだ。 |
2024年7月5日(金)リビングライフQT 先に、預言者エリシャによって、預言されていたように、食料が突然満たされるようになったのです。 まさに危機に直面していたサマリヤが、瞬時にして、餓死者が出るほどの状況から、急転直下アラムの遠征隊が持っていた食糧が、何の苦労もなく手に入る状況になったのです。 当然何か隠れた策略があるのでは・・(はてな)と言う疑いを持っても、不思議ではないですよね。 入念な調査の結果、敗走の事実が明らかになったとき、サマリヤの数万の民は一気に、アラムの陣営に突入したのです。 そのため、かつてエリシャの預言(神の言葉)で予告された、事態に対して、嘲笑うような言葉で、預言の言葉を遮った、あの神を神とも思わない言葉に、エリシャが投げた言葉『確かに、あなたは自分の目でそれを見るが、それを食べることはできない。』と。 この驚くべき状況(何もせずに、膨大な食料が転がり込んだ)を見て彼はどんなに驚き、神の大能の前に、魂が震える思いに打ちのめされたことでしょう。しかし、彼には悔い改めの機会が残されないまま、『民が門で彼を踏みつけたので、彼は死んだ。』人々の殺到する勢いの中圧死したのです。 神の御言葉に、軽い想いであっても、 揶揄・拒否・無視・反対・・・することの重さを、深く印象付けられる記録ですね この様な御手をもって、イスラエルを守られる主なる神の愛と御力とを思うと、ただ主の前にひれ伏すのみです。 信仰とは、納得して受け入れるのではなく、 理屈や経験を抜きにして、信頼し信じ抜くことです。 あなたは今、どんな不可能な現実の前に、立ちすくんでいますか(はてな) お先真っ暗・不可能・あり得ない・・・・あなたの頭(知識と経験と・予測・・・)でも、最早不可能だと言う崖っぷちに立っていますか(はてな) 状況から可能性を求めるのは信仰ではありません。 その事態に主なる神がどの様な介入をされるか、その、神の主権を信じ期待することが、信仰なのです。 即ち、主に信頼する‼️ アーメン❗ ハレルヤ‼️ |
| 列王記第二 7 章3節~10節 7:3 さて、ツァラアトに冒された四人の人が、町の門の入り口にいた。彼らは互いに言った。「われわれはどうして死ぬまでここに座っていなければならないのか。 7:4 たとえ町に入ろうと言ったところで、町は食糧難だから、われわれはそこで死ななければならない。ここに座っていても死ぬだけだ。さあ今、アラムの陣営に入り込もう。もし彼らがわれわれを生かしておいてくれるなら、われわれは生き延びられる。もし殺すなら、そのときは死ぬまでのことだ。」 7:5 こうして、彼らはアラムの陣営に行こうと、夕暮れになって立ち上がり、アラムの陣営の端まで来た。すると、なんと、そこにはだれもいなかった。 7:6 これは、主がアラムの陣営に、戦車の響き、馬のいななき、大軍勢の騒ぎを聞かせたので、彼らが口々に「見よ。イスラエルの王が、ヒッタイト人の王たち、エジプトの王たちを雇って、われわれを襲って来る」と言い、 7:7 夕暮れに立って逃げ、自分たちの天幕や馬やろば、陣営をそのまま置き去りにして、いのちからがら逃げ去ったからであった。 7:8 ツァラアトに冒されたこの人たちは、陣営の端に来て、一つの天幕に入って食べたり飲んだりし、そこから銀や金や衣服を持ち出して隠した。また戻って来てはほかの天幕に入り、そこからも持ち出して隠した。 7:9 彼らは互いに言った。「われわれのしていることは正しくない。今日は良い知らせの日なのに、われわれはためらっている。もし明け方まで待っていたら、罰を受けるだろう。さあ、行こう。行って王の家に知らせよう。」 7:10 彼らは町に入って門衛を呼び、彼らに告げた。「われわれがアラムの陣営に入ってみると、なんとそこにはだれの姿もなく、人の声もありませんでした。ただ、馬やろばがつながれたままで、天幕もそっくりそのままでした。」 |
2024年7月4日(木)リビングライフQT ☆ツァラート(ハンセン氏病)は、古代社会では、呪われた病(現代は、感染度の低い病で、昨今では、日本では感染例はない。ごく最近までは、法律で強制隔離で、多くの社会的犠牲者が差別されて来た。国の謝罪と、賠償作業がなお進行中) さて、彼らは、町に入ることは許されず、《死の谷》とも言われる町から離れた隔離場で生涯を送り、食べ物は、町の城門の側に来て、人々の憐れみにすがって生きていた。 今日は、その様な人々に光が当てられたお話です。 アラムの軍勢は、飢餓に直面している、王都サマリヤを、兵糧攻めにしたのです。 ツァラートの人々も、憐れみにすがる手立てもなく、思い余って、敵国アラムの陣営に、憐れみを請いにか、密かに、盗みにか・・・❓ 敵陣に下ってみると、誰もいない・・(説明略・・聖書本文)。思わず、むさぼるように食べ物をかき集め、更に目ぼしいものを集めては、自分達の隠れ家に隠して、又戻っては物色・・・ 《ハッ‼️》と、我に返り、差別と隔離で、排除された、同胞ではあるが、我が民の事を思い起こして、9節『われわれのしていることは正しくない。今日はよい知らせの日なのに、・・・なんと言う』真摯な心でしょう‼️ 身体は朽ち果てながら、人の魂には、歴史を変えるほどの光と真実が、備わっているのです。 主なる神は、イスラエルに代わって、アラムと戦い、その勝利の知らせを、ツァラートの人々に委ねられたのです。 ここには預言者の登場もなく、ただ静かな時間の経過あるのみ‼️ 不思議な物語ですね。 この物語の陰に、いまの社会にある教会の姿を写し出される思いがします。 それぞれ、黙想してみましょう。 今や、教会こそ霊的飢餓に圧死させられるような人々の営みの中に、《良きおとづれ=福音》をもたらす使者となれるのです‼️ |
| 列王記第二 6 章24節~7章2節 6:24 この後、アラムの王ベン・ハダドは全軍を召集し、サマリアに上って来て、これを包囲した。 6:25 サマリアには大飢饉が起こっていて、また彼らが包囲していたので、ろばの頭一つが銀八十シェケルで売られ、鳩の糞一カブの四分の一が銀五シェケルで売られるようになった。 6:26 イスラエルの王が城壁の上を通りかかると、一人の女が彼に叫んだ。「わが主、王よ。お救いください。」 6:27 王は言った。「【主】があなたを救わないのなら、どのようにして、私があなたを救うことができるだろうか。打ち場の物をもってか。それとも、踏み場の物をもってか。」 6:28 それから王は彼女に尋ねた。「いったい、どうしたというのか。」彼女は答えた。「この女が私に『あなたの子どもをよこしなさい。私たちは今日、それを食べて、明日は私の子どもを食べましょう』と言ったのです。 6:29 それで私たちは、私の子どもを煮て食べました。その翌日、私は彼女に『さあ、あなたの子どもをよこしなさい。私たちはそれを食べましょう』と言ったのですが、彼女は自分の子どもを隠してしまったのです。」 6:30 王はこの女の言うことを聞くと、自分の衣を引き裂いた。彼は城壁の上を通っていたので、民が見ると、なんと、王は衣の下に粗布を着ていた。 6:31 彼は言った。「今日、シャファテの子エリシャの首が彼の上についていれば、神がこの私を幾重にも罰せられますように。」 6:32 エリシャは自分の家に座っていて、長老たちも彼と一緒に座っていた。王は一人の者を自分のもとから遣わした。しかし、その使者がエリシャのところに着く前に、エリシャは長老たちに言った。「あの人殺しが、私の首をはねに人を遣わしたのを知っていますか。気をつけなさい。使者が来たら戸を閉め、戸を押しても入れないようにしなさい。そのうしろに、彼の主君の足音がするではありませんか。」 6:33 彼がまだ彼らと話しているうちに、使者が彼のところに下って来て言った。「見よ、これは【主】からのわざわいだ。これ以上、私は何を【主】に期待しなければならないのか。」 7:1 エリシャは言った。「【主】のことばを聞きなさい。【主】はこう言われる。『明日の今ごろ、サマリアの門で、上等の小麦粉一セアが一シェケルで、大麦二セアが一シェケルで売られるようになる。』」 7:2 しかし、侍従で、王が頼みにしていた者が、神の人に答えて言った。「たとえ【主】が天に窓を作られたとしても、そんなことがあるだろうか。」そこで、エリシャは言った。「確かに、あなたは自分の目でそれを見るが、それを食べることはできない。」 |
2024年7月3日(水)リビングライフQT 再びアラムの軍が、サマリヤに押し寄せて来ましたが、昨日の聖書の記事では、《二度とイスラエルの地には侵入しなかった》と、記されていました。 しかし、この《二度と》と言う記述は、日本語の断定的・核心的な強い意味ではなく、(しばらくは)の非常に曖昧な表現だそうです。ですから、“ほとぼりが覚めるまで”ぐらいの解釈で観ると、又、押し寄せてきた、という事態なのです。 この時代に、サマリヤは、干ばつに見舞われ、 飢餓が、地域一体を脅かしていました。この地方では、干ばつ(長期間雨のない気候変動)は、よくあることでした。 しかし、この記事からすると、想像を絶する“飢餓”ですね。目を覆うばかりの、惨状です。王、自ら、王衣を裂いて(悲しみと怒りを表す、最高級のパフォーマンス)悲しみと怒りを表したのです。 ※荒布を纏(マト)うと言うのは、”悔い“と“復讐”のしるしなのです。 民の眼に顕(アキラカ)に見せるための、パフォーマンス的な、無言の抗議です。民に《推して知るべし❗》と言う、無言の宣言なのです。31節のイスラエルの王の言葉が、この事を裏付けていますね。 王は、刺客をエリシャの元に送ります (コメ)イスラエルの王は、自分の悪行の数々を隠して(神に真っ向から反逆していることを気付かずに・・・)、エリシャさえ抹殺すれば、国は安泰、この干ばつと飢餓は、回復する・・と、傲慢にも、国民の目を、真の神と預言者への憎しみと、憎悪に駆り立てようとしたのです。 ところが神の御手は、刺客として遣わされた者の魂に働かれ、彼に悔いの心を与え、エリシャに助けを懇請(コンセイ=切実に助けを求める)したのです。 エリシャの答えは、事態が一気に転換する‼️と言う宣言です。 ハレルヤ‼️・・・と、叫びたい中で、今一つ難問(妨げ)が噴出するのです。 神様のご計画の厳粛な宣言の前に、まぁなんと 使者と共に来た、王の側近が、神の人の宣言の、真っ向から反乱したのです。 その言葉は、「とても信じられない」と言った、単なる不信仰からの言葉ではなく、《たとえ主が天に窓を作られたとしても・・・》 なんと言う主なる神への侮辱でしょう。 これ程にまで、イスラエルはアハブ王以来、腐敗してしまっていたのです。 先の母親が子供を食べた(食べる)と言う信じられない程恐ろしい堕落が物語っていたように。 最早、主なる神の側に赦しの範囲を越えたかに見える状況の中で、神は、エリシャによって、事態が急転直下変わることを宣言したのです‼️・・・この宣言は変わることはないのです。神の言葉だから‼️ イスラエルがこんなにまで、反逆してもなお、何故神は、アブラハムの選びに固執されるのでしょうか? それは神の選び・神の言葉は永遠不滅だからです。言い換えると、神が語られる約束・ご計画・導き・宣言は、神の永遠の創造のご計画の、《青写真》に刷り込み済みなのです。そして、その《青写真》の中に、あなたがわたしがあるのです‼️ 福音の完成、その道になされる、御子イエス・キリストのご受難と十字架と復活・教会とその世界拡散、その中のあなたへの導きと摂理、そのような永遠の広がりのなかに、今日の、エリシャの答えは、7章1節の宣言に秘められているのです。 今朝、私達は厳粛な神の御言葉の前に 『(あ)(ー)(め)(ん)』 と告白する、砕かれた魂を、失わないように、主を見上げ、主に祈り、主に叫び、主に求め、悔い改めを繰り返しながら、更に主なる神の御前に近付いて参りましょう 明日(4日)のテキスト 列王第二 7章3節~10節 |
| 列王記第二 6 章15節~23節 6:15 神の人の召使いが、朝早く起きて外に出ると、なんと、馬と戦車の軍隊がその町を包囲していた。若者がエリシャに、「ああ、ご主人様。どうしたらよいのでしょう」と言った。 6:16 すると彼は、「恐れるな。私たちとともにいる者は、彼らとともにいる者よりも多いのだから」と言った。 6:17 そして、エリシャは祈って【主】に願った。「どうか、彼の目を開いて、見えるようにしてください。」【主】がその若者の目を開かれたので、彼が見ると、なんと、火の馬と戦車がエリシャを取り巻いて山に満ちていた。 6:18 アラム人がエリシャに向かって下って来たとき、彼は【主】に祈って言った。「どうか、この民を打って目をくらませてください。」そこで主はエリシャのことばのとおり、彼らを打って目をくらまされた。 6:19 エリシャは彼らに言った。「こちらの道でもない。あちらの町でもない。私について来なさい。あなたがたの捜している人のところへ連れて行ってあげよう。」こうして、彼らをサマリアへ連れて行った。 6:20 彼らがサマリアに着くと、エリシャは言った。「【主】よ、この者たちの目を開いて、見えるようにしてください。」【主】が彼らの目を開き、彼らが見ると、なんと、自分たちはサマリアの真ん中に来ていた。 6:21 イスラエルの王は彼らを見て、エリシャに言った。「私が打ち殺しましょうか。私が打ち殺しましょうか。わが父よ。」 6:22 エリシャは言った。「打ち殺してはなりません。あなたは、捕虜にした者を自分の剣と弓で打ち殺しますか。彼らにパンと水を与え、食べたり飲んだりさせて、彼らの主君のもとに行かせなさい。」 6:23 そこで、王は彼らのために盛大なもてなしをして、彼らが食べたり飲んだりした後、彼らを帰した。こうして彼らは自分たちの主君のもとに戻って行った。それ以来、アラムの略奪隊は二度とイスラエルの地に侵入しなかった。 |
2024年7月2日(火)リビングライフQT 背後で働かれる神を見 る霊的な目の゙大切さが語られています。 17:『エリシャは祈って主に願った。・・・ 彼の目を開いて見えるようにしてください。』 18〜20: 『彼は主に祈って言った・・・ 民を打って目をくらませてください 目を開いて見えるようにしてください』 この物語の中で、私は、一つの大きな信仰の原則を観る思いが致します。 エリシャの姿を見ていると、彼はいつも主なる神の側にいて、神ご自身の思いに、何時も一つとなっている…という姿です。 エリシャと、主なる神のなんと言う、一致‼️ *預言者としての選びもあったのでしょう。 *エリシャ自身も、信仰の訓練と厳しい道を歩み続けてきたのでしょう。しかし、この様な外部からの働きかけや、自らの努力の賜物として、預言者が生まれるのではないのです。 主なる神の御心にかなった存在として、何時も神の御側に仕えている・・・それがエリシャだったからなのです。 エリシャは、徹夜祈祷したり、黙想に明け暮れたり、鍛練のために奥深い自然の中で主なる神との対話に明け暮れたり・・・その様な預言者描写は見ることはありません❗ 常に活動的であり、為政者に対して、正しいことのためには、対決的、挑戦的、命がけで正しい立場を、主張しては、王から、その側近から敵視され、孤立しがちでした。 しかし、そのような存在感は、どこから生まれたのでしょう 預言者の道は只一つ、主なる神の側に、常に自らを置き続けていると‼️・・・と言うことです。 『アラムの軍の目をくらませてください』 エリシャは、何ゆえこの様な祈りを、神にしたのでしょう。 そしてまた、主なる神はそのまま、その願いを聞かれたのでしょう。 この聖書本文を読み進みながら、エリシャが独自の方法を展開するのを見てきました。 アラムに対して、エリシャの行動(目を眩ませてアラムの兵士すべてを、イスラエルの王の都に連れ行く)、そして、王の都サマリヤでは、そのまま敗北へと一気に攻め落とすか(はてな)・・・と思いきや 融和的にもてなし、自国へ送り帰したのです。 人を生かすことは自分を生かす道なのです。 正に神の御業‼️ 主なる神と一体化した、エリシャの行動です。 正に神のご計画(将来のイスラエルの祝福的安全を保証する)そのものだったのです。エリシャは、神と一つになって、、歴史に参与しています。 現代に預言者職はありませんが、これからの日々を、私たちが、主なる神と一つになって日々働いたら・・ どんな歴史が展開するでしょう‼️ 正に今そんな終末の時なのです。主なる神はあなたを必要としておられるのです。 自分の為に生きる人生から、私達を選んで召して下さった方の為に、生きる今日・明日に目を注いで参りましょう アーメン 明日(3日)のテキスト 列王第二 6章24節~7章2節 |
| 列王記第二 6 章1節~14節 【新改訳2017】 Ⅱ列王 6:1 預言者の仲間たちがエリシャに、「ご覧のとおり、私たちがあなたと一緒に住んでいるこの場所は狭くなりましたので、 6:2 ヨルダン川に行きましょう。そこから各自一本ずつ梁にする木を切り出して、そこに私たちの住む場所を作りましょう」と言うと、エリシャは「行きなさい」と言った。 6:3 すると一人が、「どうか、ぜひ、しもべたちと一緒に来てください」と言ったので、エリシャは「では、私も行こう」と言って、 6:4 彼らと一緒に出かけた。彼らはヨルダン川に着くと、木を切り倒した。 6:5 一人が梁にする木を切り倒しているとき、斧の頭が水の中に落ちてしまった。彼は叫んだ。「ああ、主よ、あれは借り物です。」 6:6 神の人は言った。「どこに落ちたのか。」彼がその場所を示すと、エリシャは一本の枝を切ってそこに投げ込み、斧の頭を浮かばせた。 6:7 彼が「それを拾い上げなさい」と言ったので、その人は手を伸ばして、それを取り上げた。 6:8 さて、アラムの王がイスラエルと戦っていたとき、彼は家来たちと相談して言った。「これこれの場所に陣を敷こう。」 6:9 そのとき、神の人はイスラエルの王のもとに人を遣わして言った。「あの場所を通らないように注意しなさい。あそこにはアラム人が下って来ますから。」 6:10 イスラエルの王は、神の人が告げたその場所に人を遣わした。神の人が警告すると、王はそこを警戒した。このようなことは一度や二度ではなかった。 6:11 このことで、アラムの王の心は激しく動揺した。彼は家来たちを呼んで言った。「われわれのうちのだれがイスラエルの王と通じているのか、おまえたちは私に告げないのか。」 6:12 すると家来の一人が言った。「いいえ、わが主、王よ。イスラエルにいる預言者エリシャが、あなたが寝室の中で語られることばまでもイスラエルの王に告げているのです。」 6:13 王は言った。「行って、彼がどこにいるかを突き止めよ。人を遣わして、彼を捕まえよう。」そのうちに、「今、彼はドタンにいる」という知らせが王にもたらされた。 6:14 そこで、王は馬と戦車と大軍をそこに送った。彼らは夜のうちに来て、その町を包囲した。 |
2024年7月1日(月)リビングライフQT 私達は、少し前にエリシャが、エリヤから、その働きを受け継ぐまでの、記録の中からも、エリヤのはたらきの規模は、バアル・アシュタロテ等の、偶像と、その信仰を擁護する預言者たちとの、真っ向からの対決が、激しく展開するのですが・・ エリシャの働きは、未だ、わずかな展開しか見ていませんが、その働きの対象は、どちらかと言うと、日常的で、人情的で、摩擦の少い状況を、その働きの中に見るのてす。 即ち、主なる神が働かれようとする時、必ずしも、厳しい裁きや、対決模様や、審判的神の御介入を《是・ゼ》とはしていないことが見えてきます。 預言者と言うと、神に代わって、民を裁く、偶像や異教徒を審判する役割と、思われ勝ちですが、決してそうではないのだと言うことが見えて来るのです。 ☆失われた斧(当時、鉄は非常に高価で貴重でした。その上に借り物だったのです)の、探索の奇跡、苦しむ者の叫びを聞き小さな日常までも顧みて下さる細やかな神の愛が現れています。そこに、預言者の目と思いが注がれたのです。 次の第二話は、特別な国境があるわけではないので、互いの民が入り交じりながら、イスラエルを陥れて、戦いにより有利な立場に立とうと、イスラエルの隙を狙うアラムの隠密作戦が、筒抜けになっていたのです。 日常的平和の維持に、預言者を通して働かれた神の知恵は、アラムにはストレスだったのです。 神は、何とこの様な仕掛け(方法)によって、争いを治められていたのです。 実は、私達の日常にも、私たちが傷つかないようにと、日常の関係の中にでも、主の御手が伸べられていることを経験するのです。その事で、主の弟子たちが護られ、神、共に居ます‼️と言う、証が示されることがあるのです。 あなたはそんな経験はありませんか⁉️ しっかりと目を凝らして、廻りの霊の世界と、世俗の生活とを、見通してみましょう 主はあなたを用いてその様な徴を顕されているかも…と 物語は途中ですが、 主は何を表してくださるでしょうね。 私達の信仰生活が期待に溢れて参ります‼️ |
力丸嗣夫師 リビングライフ LINE
(新改訳聖書2017)
北九州シオン教会