
力丸嗣夫師 リビングライフ LINE
(新改訳聖書2017)
北九州シオン教会
| 第二テサロニケ 3章6節~18節 3:6 兄弟たち、私たちの主イエス・キリストの名によって命じます。怠惰な歩みをして、私たちから受け継いだ教えに従わない兄弟は、みな避けなさい。 3:7 どのように私たちを見習うべきか、あなたがた自身が知っているのです。あなたがたの間で、私たちは怠惰に暮らすことはなく、 3:8 人からただでもらったパンを食べることもしませんでした。むしろ、あなたがたのだれにも負担をかけないように、夜昼、労し苦しみながら働きました。 3:9 私たちに権利がなかったからではなく、あなたがたが私たちを見習うように、身をもって模範を示すためでした。 3:10 あなたがたのところにいたとき、働きたくない者は食べるな、と私たちは命じました。 3:11 ところが、あなたがたの中には、怠惰な歩みをしている人たち、何も仕事をせずにおせっかいばかり焼いている人たちがいると聞いています。 3:12 そのような人たちに、主イエス・キリストによって命じ、勧めます。落ち着いて仕事をし、自分で得たパンを食べなさい。 3:13 兄弟たち、あなたがたは、たゆまず良い働きをしなさい。 3:14 もし、この手紙に書いた私たちのことばに従わない者がいれば、そのような人には注意を払い、交際しないようにしなさい。その人が恥じ入るようになるためです。 3:15 しかし、敵とは見なさないで、兄弟として諭しなさい。 3:16 どうか、平和の主ご自身が、どんな時にも、どんな場合にも、あなたがたに平和を与えてくださいますように。どうか、主があなたがたすべてとともにいてくださいますように。 3:17 私パウロが自分の手であいさつを記します。これは、私のどの手紙にもあるしるしです。このように私は書くのです。 3:18 私たちの主イエス・キリストの恵みが、あなたがたすべてとともにありますように。 |
2024年8月31日(土)リビングライフQT パウロ先生の最後の勧め‼️ ☆信仰生活と怠惰 *神は、信じる者を 愛してくださる *祈りは聞いてくださる。 *信じるものには、全ての必要は、添えて与えられる。 主の教え(例えば山上の説教)や、弟子たちの教会への励ましの手紙の中にも、《主は全ての必要をご存じで、求めるものには与えられる》とのメッセージは、しばしば語られてきました。 しかし、それは主が先行的に用意して、待ち望む者に与えてくださる‼️・・・と、短絡的に、丸のみ理解して、それを求めて努力しないことを、パウロ先生は指摘しているのです。 為すべきことを、祈ることに代えてしまってはならないのです。 例えば・・ *「私に赦す心を与えてください❗」と願います。そのように祈ります。すると、向こうから、謝ってくるのでしょうか。 *必要を求めて、祈りの座について祈っていれば、それが目の前に表れるのでしょうか。 祈りは、奇跡を起こす、道具ではありません。魔法の呪術のような泉でもありません。 祈りは、あなたと主なる神との、対話であり、思い(意思)の交流なのです。お店で必要なものを買う交渉のような、ものでもありません。 テサロニケの教会の廻りに(教会員ではなく、一度は交わりに入っては来たものの、離れた人々への対応を主は語られているのです)は、礼拝の交わりには加わらないで、ご利益的な思いで、教会の外にいる人々がいたのでしょう。言い換えると、信仰を自分の生活の利得に受け入れているーご利益信仰者ーに対する、交わりのあり方を、教えているなです。 しかし、パウロ先生は、そのような仲間❓を、排除しないで(捌かない)で・・・ ☆敵とは見なさないで、兄弟として、諭しなさい。兄弟として諭(サトシ)しなさい。と、語っていますね。 教会は・・ *裁く所ではない。 *閉鎖的な社会ではない。 *罪を持ったままの人が入ることができる世界である→そこから光に照らされて、新しい人となる魂の救済所です。 *教会から、愛・赦し・新しい力・勤勉・智恵・新しい世界・癒し・勝利・・・が、生まれるのです‼️ こんな素晴らしい命を頂いて、世に遣わされているのです。そこで霊の恵みと愛に満たされて働く主の僕となりましょう。 そんなあなたの必要は全て満たされるのです‼️ |
| 第二テサロニケ 2章13節~3章5節 2:13 しかし、主に愛されている兄弟たち。私たちはあなたがたのことについて、いつも神に感謝しなければなりません。神が、御霊による聖別と、真理に対する信仰によって、あなたがたを初穂として救いに選ばれたからです。 2:14 そのために神は、私たちの福音によってあなたがたを召し、私たちの主イエス・キリストの栄光にあずからせてくださいました。 2:15 ですから兄弟たち。堅く立って、語ったことばであれ手紙であれ、私たちから学んだ教えをしっかりと守りなさい。 2:16 どうか、私たちの主イエス・キリストと、私たちの父なる神、すなわち、私たちを愛し、永遠の慰めとすばらしい望みを恵みによって与えてくださった方ご自身が、 2:17 あなたがたの心を慰め、強めて、あらゆる良いわざとことばに進ませてくださいますように。 3:1 最後に兄弟たち、私たちのために祈ってください。主のことばが、あなたがたのところと同じように速やかに広まり、尊ばれるように。 3:2 また、私たちが、ひねくれた悪人どもから救い出されるように祈ってください。すべての人に信仰があるわけではないからです。 3:3 しかし、主は真実な方です。あなたがたを強くし、悪い者から守ってくださいます。 3:4 私たちが命じることを、あなたがたは実行していますし、これからも実行してくれると、私たちは主にあって確信しています。 3:5 主があなたがたの心を導いて、神の愛とキリストの忍耐に向けさせてくださいますように。 |
2024年8月30日(金)リビングライフQT 2章の後半(13節~17節) は、素晴らしいメッセージが、展開されています。 ☆13節:神が・・・あなたがたを・・・救いに選ばれたからです ☆14節:神は、・・・(福音によって)あなたがたを召し、主イエス・キリストの栄光にあずからせてくださいました。 ☆16節ー17節:主イエス・キリストと・・父なる神・・・ご自身が、17節~あなたがたの心を慰め、強めて、あらゆる良いわざとことばに進ませてくださいますように。 《・・・》の部分を更にもう一度、聖書本文で、読み直して見ましょう。 そうすると、私達の信仰の動機付けが、私達信仰者の、頑張りや、決断や、行動や、やり直す取り組みから、生まれるのではなく、私達を愛して止まない、神の慈しみ深い愛から、発している・・‼️ 何と‼️主なる神はそれほどにまで、私をあなたを愛して、毎日毎時、その愛によって、私達の内なる弱さにも関わらず、常に新しい力と清さとを、握らせて下さっているのです。 私の内にある力・・・なのではなかったのです。神の愛があなたをここまで、これからも、完成に至るまで、与えてくださるのです‼️ 後半の3章5節までは、 神がこの様にまで、愛し導きを与えて下さっているのですから、私達はお互いのために、祈りあって参りましょう。 私達を強くしてくださる(3節)方を信じて・・・互いに祈ることによって、神の愛とキリストの忍耐に向けさせて下さいますように・・・と、執り成しの祈りを、お互いに捧げて参りましょう。 |
| 第二テサロニケ 2章1節~12節 2:1 さて兄弟たち。私たちの主イエス・キリストの来臨と、私たちが主のみもとに集められることに関して、あなたがたにお願いします。 2:2 霊によってであれ、ことばによってであれ、私たちから出たかのような手紙によってであれ、主の日がすでに来たかのように言われるのを聞いても、すぐに落ち着きを失ったり、心を騒がせたりしないでください。 2:3 どんな手段によっても、だれにもだまされてはいけません。まず背教が起こり、不法の者、すなわち滅びの子が現れなければ、主の日は来ないのです。 2:4 不法の者は、すべて神と呼ばれるもの、礼拝されるものに対抗して自分を高く上げ、ついには自分こそ神であると宣言して、神の宮に座ることになります。 2:5 私がまだあなたがたのところにいたとき、これらのことをよく話していたのを覚えていませんか。 2:6 不法の者がその定められた時に現れるようにと、今はその者を引き止めているものがあることを、あなたがたは知っています。 2:7 不法の秘密はすでに働いています。ただし、秘密であるのは、今引き止めている者が取り除かれる時までのことです。 2:8 その時になると、不法の者が現れますが、主イエスは彼を御口の息をもって殺し、来臨の輝きをもって滅ぼされます。 2:9 不法の者は、サタンの働きによって到来し、あらゆる力、偽りのしるしと不思議、 2:10 また、あらゆる悪の欺きをもって、滅びる者たちに臨みます。彼らが滅びるのは、自分を救う真理を愛をもって受け入れなかったからです。 2:11 それで神は、惑わす力を送られ、彼らは偽りを信じるようになります。 2:12 それは、真理を信じないで、不義を喜んでいたすべての者が、さばかれるようになるためです。 |
2024年8月29日(木)リビングライフQT 終わりの日に備えて。 初代の宣教時代にも、《主の日=イエス・キリストの再臨》が来た‼️・・・と、まことしやかに宣伝する者がいました。今、私達は、それから2000年を経ているにも関わらず、やはり同じような、偽の再臨説をもって教会を、救いを求める人々を、惑わす者を見てきました。これからも見聞きするでしょう。 これらの所説は、サタンが何時の時代にも、用いる常套手段なのです。 終わりの日(再臨の日)が近いから・・・という緊急事態でもあるかのように、そのトピック(再臨説)に付随して、方法論や、為すべき業(勝手に教える義務・努力・方法)を明示して、人々を引き寄せ、真実な主の愛や聖い福音から、クリスチャンを教会を引きはなそうとしてきました。 しかし、本当の福音は、神ご自身の御手の中にある、祝福・慰め・恵みと力なのであって、私達の信仰は、再臨のためにあるのではないのです‼️ 時が来ると(神の永遠の創造の祝福の完成)、その祝福の中にある全ての人は、惑わされることもなく、主の前にたつことが出来るのです。恐れることはありません。不安に惑わされることもありません。あなたは主のものだからです。 神が顕されたイエス・キリストの福音のみに、しっかりと留まっている限り、誰があなたを引き離せましょう。 主はあなたを待っておられるのです。新しい教えなどありません。聖書の福音以外は、神のみ心ではありません‼️ テサロニケの人々は、アジアやマケドニアやギリシャ・ローマにまで拡がっていた、『キリストの来臨は、まもなくだ❗』『もう来られたのだ‼️』等と言う揺さぶりには動かされず、ただ福音の中(互いに愛し合い、赦し合い)に生きる生活をしていたのです。 それが実は、終末に生きるクリスチャンの一番大切な、道だったのです。 このテサロニケの信仰が、今の私達の信仰なのです。アーメン |
| 第二テサロニケ 1章1節~12節 1:1 パウロ、シルワノ、テモテから、私たちの父なる神と主イエス・キリストにあるテサロニケ人の教会へ。 1:2 私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安があなたがたにありますように。 1:3 兄弟たち。あなたがたについて、私たちはいつも神に感謝しなければなりません。それは当然のことです。あなたがたの信仰が大いに成長し、あなたがたすべての間で、一人ひとりの互いに対する愛が増し加わっているからです。 1:4 ですから私たち自身、神の諸教会の間であなたがたを誇りに思っています。あなたがたはあらゆる迫害と苦難に耐えながら、忍耐と信仰を保っています。 1:5 それは、あなたがたを神の国にふさわしいものと認める、神の正しいさばきがあることの証拠です。あなたがたが苦しみを受けているのは、この神の国のためです。 1:6 神にとって正しいこととは、あなたがたを苦しめる者には、報いとして苦しみを与え、 1:7 苦しめられているあなたがたには、私たちとともに、報いとして安息を与えることです。このことは、主イエスが、燃える炎の中に、力ある御使いたちとともに天から現れるときに起こります。 1:8 主は、神を知らない人々や、私たちの主イエスの福音に従わない人々に罰を与えられます。 1:9 そのような者たちは、永遠の滅びという刑罰を受け、主の御前から、そして、その御力の栄光から退けられることになります。 1:10 その日に主イエスは来て、ご自分の聖徒たちの間であがめられ、信じたすべての者たちの間で感嘆の的となられます。そうです、あなたがたに対する私たちの証しを、あなたがたは信じたのです。 1:11 こうしたことのため、私たちはいつも、あなたがたのために祈っています。どうか私たちの神が、あなたがたを召しにふさわしい者にし、また御力によって、善を求めるあらゆる願いと、信仰から出た働きを実現してくださいますように。 1:12 それは、私たちの神であり主であるイエス・キリストの恵みによって、私たちの主イエスの名があなたがたの間であがめられ、あなたがたも主にあって栄光を受けるためです。 |
2024年8月28日(水)リビングライフQT 第一の手紙を送り届けた後、しばらくして、テサロニケの信徒たちが、回りからの様々な迫害、福音の働きの妨害の中にも関わらず、教会が心を一つにして、支えあい、助け合って働きを進めている姿を知って、彼らを励まし、勇気づけるために再び、筆を取ったのです。 *この手紙の中で、パウロ先生は、教会の信徒たちに感謝の言葉を送っています。 それは、何と素晴らしい教会の姿なのでしょう。テサロニケ教会の噂(称賛の)→『信仰が大いに成長し、あなたがたすべての間で、一人ひとりの互いに対する愛が増し加わったからです‼️』 何と言う言葉でしょう。第一テサロニケの時もそうでしたが、それから数年経過してなお、テサロニケ教会の評判は、マケドニアのテサロニケから400km以上も離れたギリシャのコリントにまで、その称賛の噂が届いていたのです。 コリントで福音宣教に励む、パウロ先生一行にとって、この伝わってくる知らせは、どんなに嬉しく、今の働きに勇気と力を与えられたことでしょう。 私は、先月、台湾の先住民(原住民=山地民族)の宣教を展開している、顔金龍(イェンチンロン)牧師・丸山陽子宣教師御夫妻を訪問し、その働きに参加させていただきました。10年ぶりの訪問でした。 ご夫妻と顔牧師の家族で始めた、台北での開拓伝道です。山地から下りて来た若者を中心に、礼拝と、生活訓練、そして2000m~3000m級の山の連なる、山地部落の巡回伝道です。 実は、その働きを、私は主に導かれて45年に亘って、先代顔牧師と林牧師と三人で、継続してきたのです。私が台湾に行けるのは、年二回(合わせて20日)です、あとは、顔・林両牧師の働きを、日本で祈り励ますばかりでした。そのような中から息子の顔龍(イェンチンロン)兄が献身し、丸山陽子師との出会いで、結婚、本格的伝道が始まったのです。 今や、台北の原住民教会の礼拝は、若者だけではなく300人を越える老若男女が熱い賛美と祈りの、礼拝が行われているのです。 しばしばその報告を受けながら、私のテサロニケ教会だ‼️と、感謝に心励まされ、それが又力となり、高齢になった今、私に出来る働きを・・・と、新たな励みと力を得ているのです。 あなたがお導きした方の祝福された信仰の歩みを見聞きするとき、きっと、大きな勇気と力を感じ、喜びに満たされることでしょう。 福音の力は連鎖であり、その恵みは、福音を語り伝えるあなたの元に返ってきて、又新しい力となって、あなたは祝福と恵みを受けるのです。 そんな働きを続け、その方々のために祈り愛して、心注いで参りましょう‼️ |
| 第一テサロニケ 5章23~5章28節 5:23 平和の神ご自身が、あなたがたを完全に聖なるものとしてくださいますように。あなたがたの霊、たましい、からだのすべてが、私たちの主イエス・キリストの来臨のときに、責められるところのないものとして保たれていますように。 5:24 あなたがたを召された方は真実ですから、そのようにしてくださいます。 5:25 兄弟たち、私たちのためにも祈ってください。 5:26 すべての兄弟たちに、聖なる口づけをもってあいさつをしなさい。 5:27 この手紙をすべての兄弟たちに読んで聞かせるよう、私は主によって堅く命じます。 5:28 私たちの主イエス・キリストの恵みが、あなたがたとともにありますように。 |
2024年8月27日(火)リビングライフQT 23節~24節・・・何と恵みと慈しみに満ちた‼️ 祈りなのでしょう 主イエス・キリスト=救い主の来臨(再臨)の時→生きて、再臨に繋げられる者は、もちろんですが、先に召された(死によって御国に移された)者も、責められるところの無い者として、この唯一最大の栄光(創造者なる神の栄光の前に呼び出されるのです‼️) そして、そこから、とこしえ(永遠)に続く栄光の存在(愛と感謝と平安と喜び)となるのです‼️ 求めても得られなかった世界、立ち上げてもすぐに崩れ去っていた理想も、愛しても、間もなく冷めて行った(言葉の上では“永遠の愛”と表現しても)愛の交わりも・・・全てが限りある、地上の営み(姿)が、消え去って、創造主なる神の、創造の完成が現されるのです。 あなたの中に・愛する者の中に‼️そして《(と)(こ)(し)(え)(に)=永遠に》 ご自身の命(永遠)を、 十字架の上で、私達のために注ぎ出して永遠を備えてくださった。(24節)は、その事を語っているのです。 お互いにこの確かな約束を、信じ確認しあって、互いに光の中を、歩み続けて参りましょう。 教会で、互いに『マラナタ=主よ‼️来たりませ‼️』と、言い交わし(告白)ながら、主の日を、テサロニケの信徒たち(教会のクリスチャン達)と、言い交わしながら、主の日を待ち望みましょう‼️ |
| 第一テサロニケ 5章12~5章22節 5:12 兄弟たち、あなたがたにお願いします。あなたがたの間で労苦し、主にあってあなたがたを指導し、訓戒している人たちを重んじ、 5:13 その働きのゆえに、愛をもって、この上ない尊敬を払いなさい。また、お互いに平和を保ちなさい。 5:14 兄弟たち、あなたがたに勧めます。怠惰な者を諭し、小心な者を励まし、弱い者の世話をし、すべての人に対して寛容でありなさい。 5:15 だれも、悪に対して悪を返さないように気をつけ、互いの間で、またすべての人に対して、いつも善を行うように努めなさい。 5:16 いつも喜んでいなさい。 5:17 絶えず祈りなさい。 5:18 すべてのことにおいて感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。 5:19 御霊を消してはいけません。 5:20 預言を軽んじてはいけません。 5:21 ただし、すべてを吟味し、良いものはしっかり保ちなさい。 5:22 あらゆる形の悪から離れなさい。 |
2024年8月26日(月)リビングライフQT 何と素晴らしい、メッセージでしょう。一言・一言が、珠玉のような、薦めの言葉です‼️ このテキストをそのままここに転写しただけでも、良いと思うほど、一行一行が、重く輝く言葉で、綴られています。 今回も又、聖書テキスト本文をじっくり味わってお読み下さい。 幾つかの主要な聖句を、書き写して、今日の勧めと致します。 *お互いに平和を保ちなさい。(13節) *すべての人に対して寛容でありなさい。(14節) *いつも喜んでいなさい。(16節) *絶えず祈りなさい。 (17節) *すべてのことにおいて感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。 (18節) *あらゆる形の悪から離れなさい。(22節) 単純明快な薦めですね そしてこれが平和のもっとも基本的なベースです。 明日(27日)のテキスト 第一テサロニケ 5:23~28 |
| 第一テサロニケ 4章13~5章11節 4:13 眠っている人たちについては、兄弟たち、あなたがたに知らずにいてほしくありません。あなたがたが、望みのない他の人々のように悲しまないためです。 4:14 イエスが死んで復活された、と私たちが信じているなら、神はまた同じように、イエスにあって眠った人たちを、イエスとともに連れて来られるはずです。 4:15 私たちは主のことばによって、あなたがたに伝えます。生きている私たちは、主の来臨まで残っているなら、眠った人たちより先になることは決してありません。 4:16 すなわち、号令と御使いのかしらの声と神のラッパの響きとともに、主ご自身が天から下って来られます。そしてまず、キリストにある死者がよみがえり、 4:17 それから、生き残っている私たちが、彼らと一緒に雲に包まれて引き上げられ、空中で主と会うのです。こうして私たちは、いつまでも主とともにいることになります。 4:18 ですから、これらのことばをもって互いに励まし合いなさい。 5:1 兄弟たち。その時と時期については、あなたがたに書き送る必要はありません。 5:2 主の日は、盗人が夜やって来るように来ることを、あなたがた自身よく知っているからです。 5:3 人々が「平和だ、安全だ」と言っているとき、妊婦に産みの苦しみが臨むように、突然の破滅が彼らを襲います。それを逃れることは決してできません。 5:4 しかし、兄弟たち。あなたがたは暗闇の中にいないので、その日が盗人のようにあなたがたを襲うことはありません。 5:5 あなたがたはみな、光の子ども、昼の子どもなのです。私たちは夜の者、闇の者ではありません。 5:6 ですから、ほかの者たちのように眠っていないで、目を覚まし、身を慎んでいましょう。 5:7 眠る者は夜眠り、酔う者は夜酔うのです。 5:8 しかし、私たちは昼の者なので、信仰と愛の胸当てを着け、救いの望みというかぶとをかぶり、身を慎んでいましょう。 5:9 神は、私たちが御怒りを受けるようにではなく、主イエス・キリストによる救いを得るように定めてくださったからです。 5:10 主が私たちのために死んでくださったのは、私たちが、目を覚ましていても眠っていても、主とともに生きるようになるためです。 5:11 ですからあなたがたは、現に行っているとおり、互いに励まし合い、互いを高め合いなさい。 |
2024年8月25日(日)リビングライフQT 今日の学びは、必ず聖書本文を読んでください。 まず聖書(テキスト)本文を読んでから、読みながら黙想(思い巡らす)、読み終わって黙想。そしてもう一度テキストを読んで、ラインの文を学んでください。それが理想の道です。それなりに、時間を必要とします。 しかし、そのように積み重ねると、信仰の土台が築き挙げられます‼️ 今日のテキストは、あらゆる困難と迫害に直面している、テサロニケのクリスチャン達に、素晴らしい希望を語り伝えている内容です。 即ち、イエス・キリストの再臨に関する、メッセージです。 キリストの再臨は、私たちはともすると、“終わりの時”・・・と言う概念(考え)で理解したり、待ち望んだりしがちですが、決して《終わりの時》と言う概念と考えなくて良いのです。 これは、《主なる神の時》なのです。 主イエス様が、復活後、御昇天になられた時、弟子たちが天を見上げていると、御使いが『あなた方が今見上げているように、主は再び、あなた方を迎えに降ってこられます‼️』と、語られました。 弟子たちは、当然自分達が生きてそれを体験できるのだ‼️と、思っていたのでしょう。 ですから、テサロニケの信徒達にも、このように近未来的実感を持って語られたのです。 あれから、2000年近く経過しています。そして、今これを読む私達もまた、彼らが緊迫性を持って、実感し、待ち望んだように、今の私達もまた、熱い期待を持って、天をしばしば仰ぎ見るのです。 代々の教会・クリスチャンは、皆そうでした。それが神の時《千年は一日のごとく、一日は千年の如し》なのです。信じる者には、この約束は夢・幻ではなく、現実の約束として、緊迫感を持って、いつも、心に迫る期待であり、信仰として、力強い約束なのです。 後半の5章1節~11節までの約束は、繰り返し読んで、心に改めて焼き付けましょう。 これこそ、全世界のクリスチャンの希望であり、現実的切迫感に満ちた、神の約束なのです。生きていても、召されていても、変わることのない唯一最大の、神の約束であり希望なのです‼️ (は)(れ)(る)(や)‼️ |
| 第一テサロニケ 4章1~12節 4:1 最後に兄弟たち。主イエスにあってお願いし、また勧めます。あなたがたは、神に喜ばれるためにどのように歩むべきかを私たちから学び、現にそう歩んでいるのですから、ますますそうしてください。 4:2 私たちが主イエスによって、どのような命令をあなたがたに与えたか、あなたがたは知っています。 4:3 神のみこころは、あなたがたが聖なる者となることです。あなたがたが淫らな行いを避け、 4:4 一人ひとりがわきまえて、自分のからだを聖なる尊いものとして保ち、 4:5 神を知らない異邦人のように情欲におぼれず、 4:6 また、そのようなことで、兄弟を踏みつけたり欺いたりしないことです。私たちが前もってあなたがたに話し、厳しく警告しておいたように、主はこれらすべてのことについて罰を与える方だからです。 4:7 神が私たちを召されたのは、汚れたことを行わせるためではなく、聖さにあずからせるためです。 4:8 ですから、この警告を拒む者は、人を拒むのではなく、あなたがたにご自分の聖霊を与えてくださる神を拒むのです。 4:9 兄弟愛については、あなたがたに書き送る必要がありません。あなたがたこそ、互いに愛し合うことを神から教えられた人たちで、 4:10 マケドニア全土のすべての兄弟たちに対して、それを実行しているからです。兄弟たち、あなたがたに勧めます。ますます豊かにそれを行いなさい。 4:11 また、私たちが命じたように、落ち着いた生活をし、自分の仕事に励み、自分の手で働くことを名誉としなさい。 4:12 外の人々に対して品位をもって歩み、だれの世話にもならずに生活するためです。 |
2024年8月24日(土)リビングライフQT 聖なる者となる‼️ 神が《聖》なるお方だから、この御方に創られた私達ですから、この御方との交わりは、《聖なる者》として整えられなければ、 聖なる神との交わりは、成立しませんね。 考えてみると、主なる神の永遠のご計画とは、神から離れて、作り出した人の世界と、その秩序、価値観、罪人の世界にあって、神抜きの《正邪》を明らかにすることで、秩序を保とうとした❗ そのような人間世界に対して、神は、“愛”を持って、再び創造の原点に立ち返るようにと、救いのご計画を立てられ、御子イエス・キリストによる、十字架の贖罪によって、救い《創造の原点》に迎えようと計画されたのです。 それが、《聖くなる》と言う意味です。 主なる神は同じ、聖さの中で交わりを持ち、愛と平和と、喜びに充ち溢れた、世界を再生しようと、ご計画になられたのです。 その世界が、教会なのです。 テサロニケの教会は、この神のご計画に沿って、この道を歩んでいる・・と、パウロ先生は、称賛しているのです。 その言葉が・・・ 『神が私たちを召されたのは、・・・聖さにあずからせるためです。』 更に、パウロ先生は、 9節『兄弟愛については、あなたがたに書き送る必要がありません。・・・ 10節・・あなたがたに勧めます。ますます豊かにそれを行いなさい。』 具体的なクリスチャン生活の実際についての、パウロ先生の勧めは、2000年前の社会と、21世紀の今日の社会にある教会・クリスチャンにとっても、全く変わらない、具体的内容です。 あらゆる、偶像と、古代哲学(創造主なる神抜きの、人間科学)の支配する、主なる神の恵みから遥かに遠かった、ギリシャ・マケドニアの世界の主要都市《テサロニケ》に、成された神の御業・教会の歩みは、世界に福音が広がる、陰の大きなリバイバルの種火となったのです‼️ その火が今私たちの中に燃えているとは 何と言う感動でしょう。 現代のテサロニケとなって、主の前に歩みましょう。アーメン‼️ |
| 第一テサロニケ 3章1~13節 3:1 そこで、私たちはもはや耐えきれなくなり、私たちだけがアテネに残ることにして、 3:2 私たちの兄弟であり、キリストの福音を伝える神の同労者であるテモテを遣わしたのです。あなたがたを信仰において強め励まし、 3:3 このような苦難の中にあっても、だれも動揺することがないようにするためでした。あなたがた自身が知っているとおり、私たちはこのような苦難にあうように定められているのです。 3:4 あなたがたのところにいたとき、私たちは前もって、苦難にあうようになると言っておいたのですが、あなたがたが知っているとおり、それは事実となりました。 3:5 そういうわけで、私ももはや耐えられなくなって、あなたがたの信仰の様子を知るために、テモテを遣わしたのです。それは、誘惑する者があなたがたを誘惑して、私たちの労苦が無駄にならないようにするためでした。 3:6 ところが今、テモテがあなたがたのところから私たちのもとに帰って来て、あなたがたの信仰と愛について良い知らせを伝えてくれました。また、あなたがたが私たちのことを、いつも好意をもって思い起こし、私たちがあなたがたに会いたいと思っているように、あなたがたも私たちに会いたがっていることを知らせてくれました。 3:7 こういうわけで、兄弟たち。私たちはあらゆる苦悩と苦難のうちにありながら、あなたがたのことでは慰めを受けました。あなたがたの信仰による慰めです。 3:8 あなたがたが主にあって堅く立っているなら、今、私たちの心は生き返るからです。 3:9 あなたがたのことで、どれほどの感謝を神におささげできるでしょうか。神の御前であなたがたのことを喜んでいる、そのすべての喜びのゆえに。 3:10 私たちは、あなたがたの顔を見て、あなたがたの信仰で不足しているものを補うことができるようにと、夜昼、熱心に祈っています。 3:11 どうか、私たちの父である神ご自身と、私たちの主イエスが、私たちの道を開いて、あなたがたのところに行かせてくださいますように。 3:12 私たちがあなたがたを愛しているように、あなたがたの互いに対する愛を、またすべての人に対する愛を、主が豊かにし、あふれさせてくださいますように。 3:13 そして、あなたがたの心を強めて、私たちの主イエスがご自分のすべての聖徒たちとともに来られるときに、私たちの父である神の御前で、聖であり、責められるところのない者としてくださいますように。アーメン。 |
2024年8月23日(金)リビングライフQT 豊かな《愛》の絆‼️ パウロ先生は、我慢できなくなるほど、テサロニケの信徒達(信仰の家族)に深い絆を感じていましたが、パウロ自身は、アテネに残り、弟子のテモテを遣わしていますね。この辺りの事情を察すると、信仰の絆は、感情的・個人的な絆ではなく、御子イエス・キリストによる、完全な神との絆ですから、弟子のテモテを通して、確認することで、主に委ねたのですね。 何故ならパウロは、ギリシャのアテネで、多くの偶像との闘いの中で、アテネの人々の魂の救いと、信仰の成長のために、片時も離れられない日々だったのです。何と素晴らしい“委ねきった”愛の関係でしょう‼️ その結果のテモテの報告は、予想以上の喜びをもたらしたのです。 ここに、信仰による“愛”の関係が証しされていますね‼️ パウロ先生たち一行を、町から追放した人々は成功に勢いを得ていました。パウロ達は残された、主の弟子たち(生まれたての赤子のような、テサロニケの信徒達)を、どんなに心配したことでしょう。祈り続けながらの、伝道の日々の中から、パウロ先生は、盤若の“愛”の絆を回復したのです。 7節から13節・・・を、繰り返し繰り返し読み返してみました。 何と言う信頼❗ 何と言う愛‼️ 正に、今日のテキストの中に、理想的な(あるべき姿)教会の姿を見る思いです。 更に、この教会の姿は、主のご再臨を待ち望む《終末の》教会の真実な姿・・・だと、強く印象付けられますね‼️ “終末”と、書きましたが、それは、世界の終わりと言う意味での“終末”なのではありません。 主の再び来られるのを待ち望む、教会(信仰)こそ、イエス・キリストの教会なのです‼️ 13節はその事を、語り励ましていますね。 |
| 第一テサロニケ 2章13~20節 2:13 こういうわけで、私たちもまた、絶えず神に感謝しています。あなたがたが、私たちから聞いた神のことばを受けたとき、それを人間のことばとしてではなく、事実そのとおり神のことばとして受け入れてくれたからです。この神のことばは、信じているあなたがたのうちに働いています。 2:14 兄弟たち。あなたがたはユダヤの、キリスト・イエスにある神の諸教会に倣う者となりました。彼らがユダヤ人たちに苦しめられたように、あなたがたも自分の同胞に苦しめられたからです。 2:15 ユダヤ人たちは、主であるイエスと預言者たちを殺し、私たちを迫害し、神に喜ばれることをせず、すべての人と対立しています。 2:16 彼らは、異邦人たちが救われるように私たちが語るのを妨げ、こうしていつも、自分たちの罪が満ちるようにしているのです。しかし、御怒りは彼らの上に臨んで極みに達しています。 2:17 兄弟たち。私たちは、しばらくの間あなたがたから引き離されていました。といっても、顔を見ないだけで、心が離れていたわけではありません。そのため、あなたがたの顔を見たいと、なおいっそう切望しました。 2:18 それで私たちは、あなたがたのところに行こうとしました。私パウロは何度も行こうとしました。しかし、サタンが私たちを妨げたのです。 2:19 私たちの主イエスが再び来られるとき、御前で私たちの望み、喜び、誇りの冠となるのは、いったいだれでしょうか。あなたがたではありませんか。 2:20 あなたがたこそ私たちの栄光であり、喜びなのです。 |
2024年8月22日(木)リビングライフQT このテキストの文面を読むと、パウロ先生が、テサロニケの群れ(教会)の信徒達に対して、深い愛情と、どれ程心注いだ思いを持っているか・・・‼️ その文の端々から、滲み出ているのを感じますね 福音を伝えた後、伝えた人々がどの様に、 福音を生活しているか 、どのように 愛に 満たされて、 日々の生活を導かれているかを、 切に知りたいと願う、 パウロ 先生の お心を、 伺い知ることができますね。 パウロ 先生が、 伝道者だからそうだったのではなく、 福音を伝えるということ自体が、 相手に伝えれば 、それで一仕事終わった、・・というものでないことを意味しています。 すなわち、福音を伝えるということは、 その伝えた 福音を 共に生きる・・ と言う共同体の中に、 伝えた人々を包み込むことを 意味しているのです。ですから 福音を伝え、そして 、伝えた人と共に命を分かち合いながら生きる(祈る)、 これが 伝道であり、また教会という 新しい 天の共同体の 姿なのです。 パウロ先生の宝は、20節『あなた方こそ、私たちの栄光であり、喜びなのです。』 昨日、このラインを配信している、ある牧師先生から、喜びのお知らせが届いて、しばし感謝の祈りをしました。 それは、わたしが駆け出しの伝道者の頃、土佐中村(現在の四万十市)で開拓伝道を始めた時、共に働きを展開していた、宣教師のマクレン師が、土佐清水で、新しく開拓を始められました。 その始まりの頃、松山で牧会しておられ、世界的に活躍しておられた、万代恒雄先生をお招きして、土佐清水の新しい市民会館で、伝道集会をしました。三日間毎晩300~500人の方が集まり、沢山の若い信仰決心者が出ました。その時の決心者の中から、数名の伝道者が出ていることを、教えてくださったのです。その方自身も牧師で、その集会で主を受け入れられた方で、このライン配信を受けておられる方なのです。 何と、58年前の働きです。 今でも、あの時の光景はありありと思い浮かべられます。 このライン配信を共に分かち合っている、中に、フィリピンで、20年近く、山岳民族へと伝道を展開された牧師先生も、おられるのです。フィリピン宣教の、働きをされた牧師先生もまた、パウロ先生のように、ルソン島(フィリピン)の主の弟子となられた方を思い、心の中に、何時までも、離れている家族として、心にあることでしょう。 私たちはこうして、個々のクリスチャンではなく、世界中のクリスチャンと繋がり、神の家族なのです。それが教会であり、愛と恵みを分かち合っているのです。 あなたも、主にあって、誰かを主の家族の恵みに、招き入れましょう。それはあなたの宝となります‼️ |
| 第一テサロニケ 2章1~12節 2:1 兄弟たち。あなたがた自身が知っているとおり、私たちがあなたがたのところに行ったことは、無駄になりませんでした。 2:2 それどころか、ご存じのように、私たちは先にピリピで苦しみにあい、辱めを受けていたのですが、私たちの神によって勇気づけられて、激しい苦闘のうちにも神の福音をあなたがたに語りました。 2:3 私たちの勧めは、誤りから出ているものでも、不純な心から出ているものでもなく、だましごとでもありません。 2:4 むしろ私たちは、神に認められて福音を委ねられた者ですから、それにふさわしく、人を喜ばせるのではなく、私たちの心をお調べになる神に喜んでいただこうとして、語っているのです。 2:5 あなたがたが知っているとおり、私たちは今まで、へつらいのことばを用いたり、貪りの口実を設けたりしたことはありません。神がそのことの証人です。 2:6 また私たちは、あなたがたからも、ほかの人たちからも、人からの栄誉は求めませんでした。 2:7 キリストの使徒として権威を主張することもできましたが、あなたがたの間では幼子になりました。私たちは、自分の子どもたちを養い育てる母親のように、 2:8 あなたがたをいとおしく思い、神の福音だけではなく、自分自身のいのちまで、喜んであなたがたに与えたいと思っています。あなたがたが私たちの愛する者となったからです。 2:9 兄弟たち。あなたがたは私たちの労苦と辛苦を覚えているでしょう。私たちは、あなたがたのだれにも負担をかけないように、夜も昼も働きながら、神の福音をあなたがたに宣べ伝えました。 2:10 また、信者であるあなたがたに対して、私たちが敬虔に、正しく、また責められるところがないようにふるまったことについては、あなたがたが証人であり、神もまた証人です。 2:11 また、あなたがたが知っているとおり、私たちは自分の子どもに向かう父親のように、あなたがた一人ひとりに、 2:12 ご自分の御国と栄光にあずかるようにと召してくださる神にふさわしく歩むよう、勧め、励まし、厳かに命じました。 |
2024年8月21日(水)リビングライフQT 《愛に生かされる福音》 (使徒の働き)を、読まれた方は、思い出されるでしょう。 テサロニケに来る前に、パウロとシラスは、ピリピの町の伝道で、紫(ムラサキ)布(超高価な布地)の商人ルデヤの救い(入信)が切っかけで、町で腰を据えて伝道を始めると、町で著名な、占い師が彼女を操って儲けていたのですが… ピリピの、町の有力者の親方が、パウロたちを町の秩序を破壊する分子だと、市民を煽動して捕らえたのです。 しかし、パウロがローマの市民権を持った者だと分かり、 追放だけで、難を逃れて、たどり着いたのが《テサロニケ》だったのです。 短い時でしたが熱い心で福音を語り伝え、導いたその時の事を、思い出しながら語ったのが、今日のテキストに著された内容なのです。 その様な前提に返って、読み直すと・・・ あの迫害の危機的な、状況の中で、町の反対派の人々の、罵りや、妨げの宣伝や、妨害の中で・・・ *私たちは、福音を委ねられた者であるから、それにふさわしく、人を喜ばせるのではなく、心をお調べになる神に喜んでいただこうとして、語っているのです。(4節) *あなた方をいとおしく思い、神の福音だけでなく、自分自身のいのちまで、喜んであなた方に与えたいと思っています。あなたがたが私たちの愛するものとなったからです‼️(8節) 《福音》は、ただ単に新しい教え*新しい信仰信条*素晴らしい生き方*価値ある人生・・・に関する教えや、人生の道案内なのではないのです。 失われた“わたしが” “あなたが” 迷い出た命の家族の下に、帰って来た・・・と言う、創造の原点回帰なのです。 ですから、あゝすれば救われる❗ こぅすれば救われる‼️と言う、ノウハウではなく、福音(イエス・キリスト)に出会った時から、新しい秩序の日々が・時間が始まったのです。 テサロニケの信徒達は、この手紙を読み聞かせられながら、追放されるようにテサロニケを去らざるを得なかった、パウロ先生との、霊の繋がりを、一気に回復させ、福音に生きる喜びをも、深く味わったのではないでしょうか。 そして、あの緊迫感(主の日=御国の栄光に与る時)と、胸が踊るような期待感が、今再び彼らの魂を覆ったのではないでしょうか‼️ そんな実感を感じながら、日本のテサロニケの信徒として、共感する朝です‼️(#^.^#) |
| 第一テサロニケ 1章1~10節 1:1 パウロ、シルワノ、テモテから、父なる神と主イエス・キリストにあるテサロニケ人の教会へ。恵みと平安があなたがたにありますように。 1:2 私たちは、あなたがたのことを覚えて祈るとき、あなたがたすべてについて、いつも神に感謝しています。 1:3 私たちの父である神の御前に、あなたがたの信仰から出た働きと、愛から生まれた労苦、私たちの主イエス・キリストに対する望みに支えられた忍耐を、絶えず思い起こしているからです。 1:4 神に愛されている兄弟たち。私たちは、あなたがたが神に選ばれていることを知っています。 1:5 私たちの福音は、ことばだけでなく、力と聖霊と強い確信を伴って、あなたがたの間に届いたからです。あなたがたのところで、私たちがあなたがたのためにどのように行動していたかは、あなたがたが知っているとおりです。 1:6 あなたがたも、多くの苦難の中で、聖霊による喜びをもってみことばを受け入れ、私たちに、そして主に倣う者になりました。 1:7 その結果、あなたがたは、マケドニアとアカイアにいるすべての信者の模範になったのです。 1:8 主のことばがあなたがたのところから出て、マケドニアとアカイアに響き渡っただけでなく、神に対するあなたがたの信仰が、あらゆる場所に伝わっています。そのため、私たちは何も言う必要がありません。 1:9 人々自身が私たちのことを知らせています。私たちがどのようにあなたがたに受け入れてもらったか、また、あなたがたがどのように偶像から神に立ち返って、生けるまことの神に仕えるようになり、 1:10 御子が天から来られるのを待ち望むようになったかを、知らせているのです。この御子こそ、神が死者の中からよみがえらせた方、やがて来る御怒りから私たちを救い出してくださるイエスです。 |
2024年8月20日(火)リビングライフQT テサロニケ第一の手紙の書き出しは、とても丁寧で、読んでいて、筆者のパウロ先生の、心に包まれるような温かい想いになる優しさと愛に満ちていますね 最初パウロ先生は、テサロニケを訪れ、ユダヤ教会で、福音を語り始めましたが、ユダヤ人の反対に合い、困難な中、去らざるを得なかった町でした。そのような状況の中で、僅かなテサロニケのクリスチャン達は、 6節:・・・多くの苦難の中で、聖霊による喜びをもってみことばを受け入れ、私たちに、そして主に倣う者になりました。 7節:その結果、あなたがたは、マケドニアとアカヤにいるすべての信者の模範となったのです。 ・・・この一文を見ても、パウロ先生が、迫害と反対の中にあるテサロニケの信徒たちの心に、称賛と励ましとなって、読む彼らにどれ程、慰めとなったことでしょう。 偶像に満ちた、古代社会や国家での信仰の日々は、想像を遥かに越える困難や、孤立感の中にあったことでしょう。 パウロ先生の、深い思いを込めたこの手紙は、どれ程慰めとなった事でしょうね‼️ 福音を語った後の、関係が、どれ程深いものだったかが良く表されています。この書き初めの言葉は、パウロ先生に会うと同じような、愛と親密感に満ちています。 福音も、このように愛と慰めに満ちた豊かなものだったことでしょう。 主の心もて 我が心とせん 主よ力持て 汝が心を〰️ 持たしめたまえ 《聖歌総合版575》 |
| 列王記第二 25章18節~30節 25:18 親衛隊の長は、祭司のかしらセラヤと次席祭司ゼパニヤと三人の入り口を守る者を捕らえ、 25:19 戦士たちの指揮官であった一人の宦官、都にいた王の五人の側近、民衆を徴兵する軍の長の書記、そして都にいた民衆六十人を、都から連れ去った。 25:20 親衛隊の長ネブザルアダンは彼らを捕らえ、リブラにいるバビロンの王のところへ連れて行った。 25:21 バビロンの王はハマテの地のリブラで、彼らを打ち殺した。こうして、ユダはその国から捕らえ移された。 25:22 バビロンの王ネブカドネツァルは、彼が残したユダの地の残りの民の上に、シャファンの子アヒカムの子ゲダルヤを総督として任命した。 25:23 軍の高官たちとその部下たちはみな、バビロンの王がゲダルヤを総督としたことを聞いて、ミツパにいるゲダルヤのもとに来た。それは、ネタンヤの子イシュマエル、カレアハの子ヨハナン、ネトファ人タンフメテの子セラヤ、マアカ人の子ヤアザンヤ、彼らとその部下たちであった。 25:24 ゲダルヤは彼らとその部下たちに誓って、彼らに言った。「カルデア人の家来たちを恐れてはならない。この地に住んで、バビロンの王に仕えなさい。そうすれば、あなたがたは幸せになる。」 25:25 ところが第七の月に、王族の一人、エリシャマの子ネタンヤの子イシュマエルは、十人の部下とともに来て、ゲダルヤを打ち殺し、ミツパで彼と一緒にいたユダの人たちとカルデア人たちを打ち殺した。 25:26 そこで民はみな、身分の下の者から上の者まで、軍の高官たちとともに、立ってエジプトへ行った。カルデア人を恐れたからである。 25:27 ユダの王エホヤキンが捕らえ移されて三十七年目の第十二の月の二十七日、バビロンの王エビル・メロダクは、王となったその年のうちにユダの王エホヤキンを牢獄から呼び戻し、 25:28 優しいことばをかけ、バビロンで彼とともにいた王たちの位よりも、彼の位を高くした。 25:29 彼は囚人の服を脱ぎ、その一生の間、いつも王の前で食事をした。 25:30 彼の生活費はその日々の分を、一生の間、いつも王から支給されていた。 |
2024年8月19日(月)リビングライフQT 25章18節~30節 今日のテキストには、相反する((❓))二つの出来事が記録され、列王記の終章となっています。 《その1》徹底した歴史の断絶 *永遠の神と民との繋ぎ役に立つ“祭司”・民を衛る軍の指揮官・王の側近・兵の徴兵書記官・・・を捕らえ、バビロンの王の支配下に置いた。 エルサレムには、バビロンの王が派遣した総督が支配したのですが、一部の反乱分子により、総督を殺し、守備隊を撹乱し彼らはエジプトへと逃走したのです。エルサレム・ユダ王国の存在は、歴史から姿を消しました。 所がその様な事実があったにもかかわらず、 《その2》 ハビロン王は、37年間も捕虜として幽閉していた、エホヤキム王を解放し、バビロンの王の一族のようにして、厚遇し同じ食卓に陪席させたのです。こうして、エホヤキムは、その生涯を保障され、彼(ダビデの子孫)の子供から、メシヤ(イエス・キリスト)の系図が繋がっていくのです。 激しい神の怒りの裁きの中でも、神は、人類救済のご計画から、目を離されず、創造完成の道筋である、永遠の命の道を、開き続けられたのです‼️ エルサレムの街も王家も神殿とそれに関わる祭司一族も、すべて殺され、歴史の中から、神の選ばれたダビデの子孫とその歴史は、ことごとく、消し去られてしまったのです。 最早、神の御計画の土台となる、国民(ユダ)が失われた中から、神は、ご自身のご計画を、バビロンの王《エビル・メロダク》の心を動かして、37年前に彼の父《ネブカドネツァル》が捕虜として、牢に幽閉したままのユダの王《エホヤキン》を、獄から召し出し、それ以来、バビロンの王宮で保護し、そこから→即ち、メシヤであるイエス・キリストの大切な系図は、バビロンの保護の下で、繋がれて、主なる神に叛いたユダを滅ぼしたバビロンを用いて、救いのご計画を、繋がれたのです。 神の御計画とその働きは、誰も妨げることはできません。 そして、主なる神は、あなたを・わたしを、“永遠のいのち”のご計画に、加わらせたいと願っておられるのです。 家族の救い・思いもかけない周りの人の、永遠のために‼️ 列王記の歴史は、今も息吹いて、救いのご計画の連鎖として、働き続けているのです‼️ |
| 列王記第二 25章1節~17節 25:1 ゼデキヤの治世の第九年、第十の月の十日に、バビロンの王ネブカドネツァルは、その全軍勢を率いてエルサレムを攻めに来て、これに対して陣を敷き、周囲に塁を築いた。 25:2 こうして都はゼデキヤ王の第十一年まで包囲されていた。 25:3 第四の月の九日、都の中で食糧難がひどくなり、民衆に食物がなくなった。 25:4 そのとき、都は破られ、戦士たちはみな夜のうちに、王の園に近い二重の城壁の間にある、門の道から出て行った。カルデア人が都を包囲していたので、王はアラバへの道を進んだ。 25:5 カルデアの軍勢は王の後を追い、エリコの草原で彼に追いついた。すると、王の軍隊はみな王から離れて散ってしまった。 25:6 カルデアの軍勢は王を捕らえ、リブラにいるバビロンの王のところに彼を連れ上り、彼に宣告を下した。 25:7 彼らはゼデキヤの息子たちを彼の目の前で虐殺した。王はゼデキヤの目をつぶし、青銅の足かせをはめて、バビロンへ連れて行った。 25:8 第五の月の七日、バビロンの王ネブカドネツァル王の第十九年のこと、バビロンの王の家来、親衛隊の長ネブザルアダンがエルサレムに来て、 25:9 【主】の宮と王宮とエルサレムのすべての家を焼き、そのおもだった建物をことごとく火で焼いた。 25:10 親衛隊の長と一緒にいたカルデアの全軍勢は、エルサレムを取り巻く城壁を打ち壊した。 25:11 親衛隊の長ネブザルアダンは、都に残されていた残りの民と、バビロンの王に降伏した投降者たちと、残りの群衆を捕らえ移した。 25:12 しかし、親衛隊の長はその地の貧しい民の一部を残し、ぶどうを作る者と農夫にした。 25:13 カルデア人は、【主】の宮の青銅の柱と、車輪付きの台と、【主】の宮にある青銅の「海」を砕いて、その青銅をバビロンへ運んだ。 25:14 また、灰壺、十能、芯取りばさみ、平皿、奉仕に用いるすべての青銅の器具を奪った。 25:15 また親衛隊の長は、火皿、鉢など、純金や純銀のものを奪った。 25:16 ソロモンが【主】の宮のために作った二本の柱、一つの「海」、車輪付きの台、これらすべての物の青銅の重さは、量りきれなかった。 25:17 一本の柱の高さは十八キュビト、その上の柱頭は青銅、その柱頭の高さは三キュビトであった。柱頭の周りに格子細工とざくろがあって、すべて青銅であった。もう一つの柱も、格子細工もこれと同様であった。 |
2024年8月18日(日)リビングライフQT ヒゼキヤ王の第18年に、何と275年ぶりに、神殿の庭で、過ぎ越の燔祭とそれに伴う、過ぎ越の祭りが行われて、神の都エルサレムは、霊の息を吹き返したかに見えましたが、ヨシヤ王の突然の死とともに、再び、真の神を忘れて(否・捨てて)、最悪の時代に突入し、遂に、神不在の世界のエルサレムにしてしまったのです。 最早‼️神無しのユダは、神を知らない民以上に、神から忌み嫌われ、捌きの対象にしかならない、捨てられた民となったのです 神殿は破壊され、栄光の輝きは、単なる貴金属として、偶像を刻むための、材料となったのです。 そこ(エルサレム)には最早神との契約の痕跡はなく、 神の栄光のかけらもないのです。 神の愛と慈しみと、臨在の無い人生も、斯くありなんです。 ゼデキヤ王は、王室親衛隊からも見捨てられ、捕らえられ、目の前で息子たちも虐殺され、自らも、目をくり貫かれて、助ける者もなく、全ての貴重な宝は略奪され、今や、再び建て直す術がない程に、破壊されつくし、エルサレムは廃墟と化したのです。 ダビデの栄光も・ソロモンの栄華も、語り伝える物もない迄に、失われてしまいました。 神から捨てられた(神が見捨てられたのではなく、選ばれていた者が、神から離れ、神を捨てた)のです。 エルサレムの荒廃の姿は、神の捌き(審判)の現実なのです。 この歴史的事態は、神の選びの民故の、神の審判の警告となったのです。 言葉を失う現実ですが、今私達は、この捌きの姿(現実)を、恐怖に震えるのではなく、今新たに・・・ 最も安全で栄光に満ちた人生が、 《神が伴に居ます‼️》 と言う現実の日々に在ることを、今朝の礼拝を通して、深く再確認し、あなたの信仰を、主イエス・キリスト様の愛に、しっかりと繋ぎましょう。 (あ)(ー)(め)(ん) |
| 列王記第二 24章8節~20節 24:8 エホヤキンは十八歳で王となり、エルサレムで三か月間、王であった。彼の母の名はネフシュタといい、エルサレム出身のエルナタンの娘であった。 24:9 彼は、すべて先祖たちがしたように、【主】の目に悪であることを行った。 24:10 そのころ、バビロンの王ネブカドネツァルの家来たちがエルサレムに攻め上り、都は包囲された。 24:11 バビロンの王ネブカドネツァルが都にやって来たとき、彼の家来たちは都を包囲していた。 24:12 ユダの王エホヤキンは、その母、家来たち、高官たち、宦官たちと一緒にバビロンの王に降伏したので、バビロンの王は、その治世の第八年に、彼を捕虜にした。 24:13 バビロンの王は、【主】の宮の財宝と王宮の財宝をことごとく運び出し、【主】の神殿の中にあるイスラエルの王ソロモンが作ったすべての金の用具を切り裂いた。【主】が告げられたとおりであった。 24:14 彼はエルサレムのすべて、すなわち、すべての高官、すべての有力者一万人、それに職人や鍛冶もみな、捕囚として捕らえ移した。貧しい民衆のほかは残されなかった。 24:15 彼はさらに、エホヤキンをバビロンへ引いて行き、王の母、王の妻たち、その宦官たち、この国のおもだった人々を、捕囚としてエルサレムからバビロンへ行かせた。 24:16 バビロンの王は、すべての勇士たち七千人と、職人、鍛冶千人からなる勇敢な戦士たちすべてを、捕囚としてバビロンへ連れて行った。 24:17 バビロンの王は、エホヤキンのおじマタンヤをエホヤキンの代わりに王とし、その名をゼデキヤと改めさせた。 24:18 ゼデキヤは二十一歳で王となり、エルサレムで十一年間、王であった。彼の母の名はハムタルといい、リブナ出身のエレミヤの娘であった。 24:19 彼は、すべてエホヤキムがしたように、【主】の目に悪であることを行った。 24:20 実に、エルサレムとユダが主の前から投げ捨てられるに至ったのは、【主】の怒りによることであったのである。その後、ゼデキヤはバビロンの王に反逆した。 |
2024年8月17日(土)リビングライフQT (参考)当時のエルサレムはヒゼキヤの時代に、城壁を拡張し、エルサレムの町の周囲は、約9kmに及ぶ城壁に囲まれた。町となっていた。勿論、城壁内には、畑はなく、密集した家並みで、神殿の丘・王宮・全ての国家機能・全軍の駐屯地・一般市民の住居等で、人口はおよそ、軍人も含めて、10万にはなっていたと思われます。この規模の町(城壁に囲まれた)は、古代都市としても、世界的でも一・二を争う巨大都市でした。当時としては、世界の中心であったこの地域では、エルサレムから12km程北西に下ったところにある、エルサレムよりも古い、異邦人の都市国家だった、エリコが、人口10万人を越える巨大都市でした。 いよいよ、時代は進み、アブラハムの時代の・・古バビロニア王朝→古エジプト王朝→新エジプト王朝(モーセの時代)→ダビデ王朝→アッシリア帝国→新バビロニア帝国と、アジア・アフリカの歴史の動きの中で、神の人類救済計画の、プログラムは、着々と進められて来たのです。 この様な古代史の解明に、旧約聖書の歴史書(創世記~列王記・歴代誌・エズラ記・ネヘミヤ記・エステル記)は、 考古学的古文書と、比較検討しながら、歴史的解明に大きく、その役割を果たしてきています。 今、私達は、古代文書をひもとく研究者と同じように、研究のためにではなく、魂の糧となる神の言葉として、学んでいるとは、何と素晴らしいことでしょう。なぜならこれは、神の創造と救いのご計画のメッセージなのですから‼️ 横道にそれましたが、テキストに戻りましょう 最早、アッシリヤは勢力を弱めて、新バビロンの台頭により、ユダ王国はバビロン王、ネブカドネツァルの攻撃に曝されることになるのです。 ヨシヤ王の徹底した、信仰改革のみならず、その改革の土台となった、モーセ時代の律法の書(恐らく申命記文書)が発見されるや、それを全国民に読み証し、それに沿って、全生活・礼拝・神殿儀式を整えたのです。エルサレムの再生です。 しかし、ヨシヤ王の不慮の死後、エホアハズ・エホヤキム・ゼデキヤ・・と、次々と偶像に走ったのです。 内部崩壊に陥いっていたユダを虎視眈々とバビロンは狙っていたのです。 こうして、古代の人々の歩みを見ていると、人(自ら)の心の弱さを思い知らされます。 繰り返し、確認します。“偶像”とは、別な宗教・信仰の神を意味してるのではありません。 《偶像》それは、私たちの心(魂)を揺さぶる、思い・生活・興味・情熱などで真実・聖さ・永遠の神に向かう心・・・を、奪う事物・状況・関係のすべて、それが《偶像》となるのです。 私の、あなたの歴史が、この様な悲しい記録とならないように、今一度魂を建て直して参りましょう。 |
| 列王記第二 23章31節~24章7節 23:31 エホアハズは二十三歳で王となり、エルサレムで三か月間、王であった。彼の母の名はハムタルといい、リブナ出身のエレミヤの娘であった。 23:32 彼は、すべてその先祖たちがしたように、【主】の目に悪であることを行った。 23:33 ファラオ・ネコは、エルサレムで王であった彼をハマテの地リブラに幽閉し、この国に銀百タラントと金一タラントの科料を課した。 23:34 それから、ファラオ・ネコは、ヨシヤの子エルヤキムをその父ヨシヤに代えて王とし、その名をエホヤキムと改めさせた。エホアハズは捕らえられ、エジプトに行き、そこで死んだ。 23:35 エホヤキムは銀と金をファラオに贈った。ただし、ファラオの要求するだけの銀を贈るために、この国に税を課さなければならなかった。彼は、ファラオ・ネコに贈るために、一人ひとりに税を割り当て、銀と金を民衆から取り立てた。 23:36 エホヤキムは二十五歳で王となり、エルサレムで十一年間、王であった。彼の母の名はゼブダといい、ルマ出身のペダヤの娘であった。 23:37 彼は、すべてその先祖たちがしたように、【主】の目に悪であることを行った。 24:1 エホヤキムの時代に、バビロンの王ネブカドネツァルが攻め上って来た。エホヤキムは三年間彼のしもべとなったが、その後、再び彼に反逆した。 24:2 そこで【主】は、カルデア人の略奪隊、アラムの略奪隊、モアブの略奪隊、アンモン人の略奪隊を遣わしてエホヤキムを攻められた。ユダを攻めて滅ぼすために彼らを遣わされたのである。【主】がそのしもべである預言者たちによって告げられたことばのとおりであった。 24:3 実に、このようなことがユダに起こったのは、ユダを主の前から除くという【主】の命によることであり、それはマナセが犯したすべての罪のゆえ、 24:4 また、マナセが流した咎のない者の血のためであった。マナセはエルサレムを咎のない者の血で満たした。そのため【主】は赦そうとはされなかったのである。 24:5 エホヤキムについてのその他の事柄、彼が行ったすべてのこと、それは『ユダの王の歴代誌』に確かに記されている。 24:6 エホヤキムは先祖とともに眠りにつき、その子エホヤキンが代わって王となった。 24:7 エジプトの王は自分の国から再び出て来ることがなかった。バビロンの王が、エジプト川から大河ユーフラテスに至るまで、かつてエジプトの王に属していた全領土を占領したからである。 |
2024年8月16日(金)リビングライフQT エジプト―アッシリヤ―バビロニア この地方(古代文明発祥のメソボタミヤ地方から、エジプトに至る)は、古代民族(パビロニア・アッシリア・ユダヤ・エジプト)の胎動の地でもあり、カルデヤ人の中から、神が導き出された、アブラハムが、イスラエルの民となって、これら古代の民族のなかで、唯一、ただ御一人の神(天地万有の創造者なる神“ヤハッウェ”)を信じる民として、この文明の“ルツボ“の中で、守り導かれて来たのです。 それだけに、マナセとアモンの治世で、唯一神信仰が根底から崩されたことは、唯一神信仰のアイデンティティ再建には、最早、歴史の塗り替えが必要なほど、民は全ての”真“を見失ってしまったのです。 それが、ヨシヤの改革後の、子孫たち→エホアハズ→エホヤキム→エホヤキンと、口裏を合わせたように、真の神に返らず、古来の偶像に返っていったのです。 天地万有の創造者なる神に選ばれた・・・と言う、この世に二つとない、アイデンティティーに覆われたにもかかわらず‼️・・・・ この、古代の選びの民の、アイデンティティは、現在に生かされている、クリスチャンと呼ばれる、私たちの場合と同じなのです。 私達は、メシヤであるイエス・キリスト様の、十字架の贖罪によって、神の民とされたのです。 同じ日本人でありながら、日本の習俗や、神信仰から永遠の創造者に属する、最高の真理に生かされて、この地の文化の中に、遣わされているのです‼️ 世界がどの様に動いても、私たちの所属(アイデンティティ)は、創造主なる神の者なのです。そして、家族の元へ・社会の中に・あらゆる関係の中に・・遣わされているのです。 小さな存在ですが、イスラエルの神・ユダの神は彼等を強大な古代国家の中で守り、支え導かれているのです。 今私たちも、世の中で、小さな存在かもしれませんが、唯一真の創造主なる神の御手に包まれていることを信じて、信頼の日々を守って参りましょう‼️ |
| 列王記第二 23章21節~30節 23:21 王は民全体に次のように命じた。「この契約の書に記されているとおり、あなたがたの神、【主】に、過越のいけにえを献げよ。」 23:22 実に、さばきつかさたちがイスラエルをさばいた時代以来、イスラエルの王たちとユダの王たちのどの時代にも、このような過越のいけにえが献げられたことはなかった。 23:23 ただ、ヨシヤ王の第十八年に、エルサレムでこの過越のいけにえが【主】に献げられただけであった。 23:24 さらにヨシヤは、霊媒、口寄せ、テラフィム、偶像、それに、ユダの地とエルサレムに見られるすべての忌むべき物も除き去った。こうして、彼は祭司ヒルキヤが【主】の宮で見つけた書物に記されている律法のことばを実行した。 23:25 ヨシヤのようにモーセのすべての律法にしたがって、心のすべて、たましいのすべて、力のすべてをもって【主】に立ち返った王は、彼より前にはいなかった。彼の後にも彼のような者は、一人も起こらなかった。 23:26 それにもかかわらず、マナセが引き起こした主のすべての怒りのゆえに、【主】はユダに向けて燃やした激しい怒りを収めようとはされなかった。 23:27 【主】は言われた。「わたしがイスラエルを除いたのと同じように、ユダもわたしの前から除く。わたしが選んだこの都エルサレムも、わたしの名を置くと言ったこの宮も、わたしは退ける。」 23:28 ヨシヤについてのその他の事柄、彼が行ったすべてのこと、それは『ユダの王の歴代誌』に確かに記されている。 23:29 彼の時代に、エジプトの王ファラオ・ネコが、アッシリアの王のもとに行こうと、ユーフラテス川を目指して上って来た。そこで、ヨシヤ王は彼を迎え撃ちに行ったが、ファラオ・ネコはメギドで彼に出会った際、彼を殺した。 23:30 ヨシヤの家来たちは、彼の遺体を戦車に載せ、メギドからエルサレムに運んで、彼の墓に葬った。その国の民は、ヨシヤの子エホアハズを選んで油を注ぎ、彼の父に代えて王とした。 |
2024年8月15日(木)リビングライフQT 何と驚いたことに、神の民、イスラエルの民の“アイデンティティー”である、《過ぎ越しの生け贄=過ぎ越しの祭りの犠牲》が、 あの南北(ユダとイスラエル)に分裂した時から、一度も捧げられたことがなかった‼️ 何と言う事でしょう 275年に亘って《過ぎ越しの犠牲》が捧げられていなかったとは ユダ王国の諸王は、皆、ダビデの直系の子孫だったのに・・・❓ 22節ー23節のコメントは、余りにも衝撃的過ぎますね 新約聖書を通して、私達は、イエス・キリスト様の歩まれたエルサレムと、主イエス様の語られた数々の言葉からも、イスラエルの民=過ぎ越しの祭り・・・と、繋がって理解するので、このコメントは信じ難いものです。改めて記してみます。 *22節:実に、さばきつかさたちがイスラエルをさばいていた時代以来、イスラエルの王達とユダの王達のどの時代にも、このような過ぎ越しのいけにえが献げられたことはなかった。 23節:ただ、ヨシヤ王の第十八年に、エルサレムでこの過ぎ越しのいけにえか主に献げられただけであった。 ヨシヤ王は、すでにアッシリヤによって、滅亡した、北イスラエルの国土にまで、この改革を及ぼし(農民の多くは、捕囚として連れ去られることなく、残されていた)、今や、為政者の不在となった国土の10氏族の民にも、 真の神に立ち返る道筋を、開いたのです。 今やユダ王国も、風前の灯となりつつあったのですが、それだからこそ、ヨシヤ王の存在は、やがて、メシヤ到来を告げる世界の夜明けへの、歴史の軌道修正として、神が立てられ、ヨシヤが全存在を注ぎ出して、神に仕え、神に従った真実な献身の《実》となったのです。 25節『モーセのすべての律法に従って、心のすべて、たましいのすべて、力のすべてをもって主に立ち返った王』 彼の死は、余りにも偶発的、ヨシヤ王の勢い余った勇み足であったのは、心に残る痛みではありますが、当時、この地域は、新しい勢力を拡大しつつあった、バビロニアに対して、エジプトとアッシリヤが連合を組んで、これに当たろうとして、エジプト軍が北上してきたのです。 しかし、ヨシヤはエジプト軍の動きを、勘違いして、迎え撃とうとして、出撃してしまったのです。 神と預言者に聴き祈ることを欠いた結果の、死でした。 しかし、ヨシヤの改革は、時代を動かす大きな妨げを取り除き、神のご計画の進められる道筋を、しっかりと整えていたのです。この後のユダ王国の道は❗マナセ・アモンの神への反抗による乱脈な政治の結果は、神の御心を翻すことは出来ませんでした。 しかしヨシヤ王の改革は、後のイスラエルとユダの、霊的アイデンティティーを、復活させる力となるのです。 この事については、又その折に、コメントさせて頂きます。 神のご計画は、目に輝いて見える事ばかりではなく、マイナスに見えることもしばしばあります。 しかし、神に従って歩む道を、しっかりと見続け、確信を揺るがす事なく進むことが、勝利への道となるのです‼️ 明日(16日)のテキスト 列王第二 23:31~24:7 |
| 列王記第二 23章10節~20節 23:10 彼はベン・ヒノムの谷にあるトフェトを汚し、だれも、自分の息子や娘に火の中を通らせてモレクに献げることのないようにした。 23:11 それから、ユダの王たちが太陽に献納した馬を、【主】の宮の入り口、前庭にある宦官ネタン・メレクの部屋のそばから取り除き、太陽の車を火で焼いた。 23:12 王は、ユダの王たちがアハズの屋上の部屋の上に造った祭壇と、マナセが【主】の宮の二つの庭に造った祭壇を、そこから外して打ち壊し、砕いた。そうして、その灰をキデロンの谷に投げ捨てた。 23:13 王は、エルサレムの東、破壊の山の南にあった高き所を汚れたものとした。これは、イスラエルの王ソロモンが、シドン人の忌むべき女神アシュタロテ、モアブの忌むべき神ケモシュ、アンモン人の忌み嫌うべき神ミルコムのために築いたものであった。 23:14 また、石の柱を打ち砕き、アシェラ像を切り倒し、その場所を人の骨で満たした。 23:15 さらに彼は、ベテルにある祭壇と、イスラエルに罪を犯させたネバテの子ヤロブアムが造った高き所、すなわち、その祭壇も高き所も打ち壊し、さらに高き所を焼いて粉々に砕いて灰にし、アシェラ像も焼いた。 23:16 ヨシヤが振り向くと、山の中に墓があるのが見えた。そこで彼は人を遣わしてその墓から骨を取り出し、それを祭壇の上で焼き、祭壇を汚れたものとした。かつて、神の人がこのことを預言して叫んだ【主】のことばのとおりであった。 23:17 ヨシヤは言った。「あそこに見える石碑は何か。」すると、町の人々は彼に答えた。「ユダから出て来て、あなたがベテルの祭壇に対してされたこれらのことを預言した神の人の墓です。」 23:18 王は言った。「そのままにしておけ。だれも彼の骨を移してはならない。」そこで人々は彼の骨を、サマリアから出て来たあの預言者の骨と一緒にそのままにしておいた。 23:19 ヨシヤはまた、イスラエルの王たちが造って主の怒りを引き起こした、サマリアの町々の高き所の宮もすべて取り除き、彼がベテルでしたのと全く同じことを、それらに対しても行った。 23:20 彼は、そこにいた高き所の祭司たちをみな、祭壇の上で屠り、その祭壇の上で人の骨を焼いた。こうして、彼はエルサレムに帰った。 |
2024年8月14日(水)リビングライフQT ヨシヤ王の、徹底した悔い改めの改革。それは、制度を改める・礼拝・儀式を正確(年間行事・燔蔡儀式の手順)に執り行う・・・と言うことだけではなかったのです。 自らも、全ての民も徹底して、只御一人の神・創造者であられる神に、全身全霊を捧げ尽くす、新しい出発だったのです。 マナセ・アモンによる、最悪の政治と民の信仰生活の乱れに、歴史的転換をもたらす、改革だったのです。 王の宮殿から、ソロモンの建造した壮大な神殿から、民が日常的に心向けていた《高き所の祭壇》等々。場所から、器具から、それを司る祭司に至るまで、徹底的に打ち砕き、火で焼き、粉々にして、撒き散らし、後戻りできないまでに、痕跡を根絶やしにしたのです。もはや継承したり、再建したりする人材までも、根絶やしにしたのです。 正に背水の陣でした。イスラエルをエジプトから導き上られた、アブラハムの神に、全てを帰するために、この改革は断行されたのです。 これは正に、私達の、主を知る前に歩んでいた、無信仰・唯物的生活・習わし・家の宗教・ご利益的祈り・呪い・占い・・・etc. これら全てを、生活から、習慣から、思考から完全に排除する事なのです。そしてその魂の中に、イエス様の贖罪の十字架の血潮で、洗われ、聖くされた心《魂》の中に、イエス様をお迎えし、全生活をこのお方に導かれることに、生涯を捧げきる・・・これが私達の毎朝の繰り返される改革でありたいですね。 この改革こそ、私達の《悔い改め》なのです。そしてその道には、栄光の輝きへの道が開かれているのです。その道には、永遠への約束が備えられているのです。 今学んでいる、イスラエルの歴史では、まだまだ大変な試練の道が、続くのですが、その先は、御子イエス・キリストの永遠への救いの道へと続くのです。 明日(15日)のテキスト 列王第二 23:21~30 |
| 列王記第二 23章1節~9節 23:1 王は使者を遣わして、ユダとエルサレムのすべての長老たちを彼のところに集めた。 23:2 王は、ユダのすべての人々、エルサレムのすべての住民、祭司と預言者、および下の者から上の者まで、すべての民とともに【主】の宮に上り、【主】の宮で見つかった契約の書のことばをすべて彼らに読み聞かせた。 23:3 それから王は柱のわきに立ち、【主】の前に契約を結び、【主】に従って歩み、心を尽くし、いのちを尽くして主の命令と証しと掟を守り、この書物に記されているこの契約のことばを実行することを誓った。民もみなこの契約に加わった。 23:4 王は大祭司ヒルキヤと次席祭司たち、および、入り口を守る者たちに命じて、バアルやアシェラや天の万象のために作られた祭具をことごとく【主】の神殿から運び出し、エルサレムの郊外、キデロンの野でそれらを焼き、その灰をベテルへ持って行った。 23:5 彼はまた、偶像に仕える祭司たちを取り除いた。ユダの王たちが任命して、ユダの町々やエルサレム周辺の高き所で犠牲を供えていた祭司たちである。バアルや太陽や月や星座や天の万象に犠牲を供える者たちも取り除いた。 23:6 彼はまた、アシェラ像を【主】の宮からエルサレム郊外のキデロンの谷に運び出し、それをキデロンの谷で焼いた。それを粉々に砕いて灰にし、その灰を共同墓地にまき散らした。 23:7 さらに、【主】の宮の中にあった神殿男娼の家を打ち壊した。そこでは、女たちがアシェラ像のために覆いを織っていた。 23:8 彼はユダの町々から祭司たちをみな連れて来て、祭司たちが犠牲を供えていたゲバからベエル・シェバに至るまでの高き所を汚し、門にあった高き所を打ち壊した。それは町の長ヨシュアの門の入り口にあり、町の門に入る人の左側にあった。 23:9 高き所の祭司たちは、エルサレムの【主】の祭壇に上ることはなかったが、その兄弟たちの間で種なしパンを食べていた。 |
2024年8月13日(火)リビングライフQT かつてヒゼキヤが為した、ユダ全域に行なわれた宗教改革は、一体何だったのだろう⁉️ ユダ全域に、隠れて行われていた、偶像への礼拝。イスラエルの神への祭壇だから・・・と、神が、禁じた礼拝のあり方を、なしくずしにした(高き所)と呼ばれた祭壇が、どれ程あったのでしょう。また、神殿での偶像の祭壇は撤去されてはいたが、調べてみると、その蔡事のための、諸道具が、仕舞われていた 何と言う中途半端な、改革(はてな) 否まやかし(ごまかし)とさえ言える、改革は、こうして明るみに出され、国をあげて悔い改めの座についたのです。 祭司によって、全ての民に読み聞かせられた、神の律法の書は、聴く者の魂を打ちのめし、徹底した悔い改めの中から、民はすべて、永遠の神との《契約》を、新しく交わしたのです。今や、祖国分裂以来、300年を期して、新しい神の選びの民が誕生したのです‼️ この時こそ、真のリバイバルとなったのです。 特に、偶像礼拝を、民が行い続けた原因を作った、高き所の礼拝《祭壇》は、どの町でも、どの地方でも、ユダの民も自由に、積極的に行い、それによって選びの民であることを確認していたのです。 それが民の生活を世俗化させ、《愛と聖と義》なる神の、厳粛な超越性を、多くの神々の一つに、世俗化させてしまっていたのです まだまだ、王・祭司・宮に仕えるレビの民の改革は続くのです。 このような太古の時代の、神の民の悔い改めと回復を学びながら、今の時代の教会と、私達クリスチャンも心探られる思いです。 私の信仰は・・・: 自分の人生の安寧のためか? 繁栄のためか? 平安のためか? 喜びのためか?・・・ いずれでもないのです‼️ 創られた者がは、お創りになられたお方に、お仕えするためにあるのです。 創られた者にとって、主に仕える事が最高の存在意義なのです。 その中に、無限の祝福と平安と喜びがあるのです。 クリスチャンとは、そう言う生き方をするものなのです。 主と共に在る‼️ 私達も常に新しい改革に生きましょう。 |
| 列王記第二 22章12節~20節 22:12 王は祭司ヒルキヤ、シャファンの子アヒカム、ミカヤの子アクボル、書記シャファン、王の家来アサヤに次のように命じた。 22:13 「行って、この見つかった書物のことばについて、私のため、民のため、ユダ全体のために、【主】を求めよ。私たちの先祖たちがこの書物のことばに聞き従わず、すべて私たちについて記されているとおりに行わなかったために、私たちに向かって燃え上がった【主】の憤りが激しいからだ。」 22:14 そこで、祭司ヒルキヤ、アヒカム、アクボル、シャファン、アサヤは、女預言者フルダのもとに行った。彼女は、ハルハスの子ティクワの子である装束係シャルムの妻で、エルサレムの第二区に住んでいた。彼らが彼女に伝えると、 22:15 彼女は彼らに答えた。「イスラエルの神である【主】はこう言われます。『あなたがたをわたしのもとに遣わした人に言え。 22:16 【主】はこう言われる。見よ。わたしは、ユダの王が読み上げた書物のすべてのことばどおりに、この場所とその住民の上にわざわいをもたらす。 22:17 彼らはわたしを捨て、ほかの神々に犠牲を供え、自分たちのすべての手のわざで、わたしの怒りを引き起こした。こうして、わたしの憤りはこの場所に燃え上がり、消えることはない。』 22:18 【主】を求めるためにあなたがたを遣わしたユダの王には、こう言いなさい。『あなたが聞いたことばについて、イスラエルの神である【主】は、こう言われる。 22:19 あなたは、わたしがこの場所とその住民について、これは恐怖のもととなり、ののしりの的となると告げたのを聞いた。そのとき、あなたは心を痛めて【主】の前にへりくだり、自分の衣を引き裂いてわたしの前で泣いたので、わたしもまた、あなたの願いを聞き入れる──【主】のことば──。 22:20 それゆえ、見よ、わたしはあなたを先祖たちのもとに集める。あなたは平安のうちに自分の墓に集められる。あなたは自分の目で、わたしがこの場所にもたらす、すべてのわざわいを見ることはない。』」彼らはそれを王に報告した。 |
2024年8月12日(月)リビングライフQT 22章12節~20節 57年に亘る、マナセ・アモンによる、混沌とした、偶像崇拝国家となったユダの民は、 幼いヨシヤ王を立てて、祭司始め礼拝の建て直しや、偶像の排除や、民とダビデ王家の関係の修復を、配下の者達が着々と、進めてきていたのでしょう。そのような経過の中で、10年が過ぎ、ヨシヤ王自らの意思で、神殿の大修復を命じたのです。 そのような流れの中で、永年、眼にも留まらなかった、ホコリを被った、律法の書の発見は、驚きだったことでしょう。モーセの時代に神からいただいた、神の律法‼️ モーセの十戒を初めとして、旧約聖書に組み込まれている、申命記の諸律法が、発見されたのです。伝え聞いた教え、伝統的に行ってきた儀式が、今新たに、神から直接に語られた言葉の記録メッセージを読み聞いた時、祭司はじめ、ヨシヤ王の驚きと厳粛な思いは、どんなだったでしょう。 私達も聖会で、礼拝で、個人的聖書の学びで・・・飢え渇いた魂に、聖書の言葉が響いたときの衝撃・感動・畏れはどんなだったでしょうか… 私達には、誰にでも、手にとって読み、視る事の出来る、神の言葉《聖書》が与えられているのです。 ですから、魂の神殿が整えられる時に、神の言葉が響いて来るのです‼️ そして、その御言葉に導かれて、今日まで来ることが出来たのです。 私達の神は、裁き・罰し・滅ぼすお方ではなく・・語りかけ、私達を待ち、赦し、愛し、回復し、完成されるお方なのです‼️ このお方のお声(語りかけ)を、心鎮めて聴きましょう‼️ |
| 列王記第二 22章1節~11節 22:1 ヨシヤは八歳で王となり、エルサレムで三十一年間、王であった。彼の母の名はエディダといい、ボツカテ出身のアダヤの娘であった。 22:2 彼は【主】の目にかなうことを行い、父祖ダビデのすべての道に歩み、右にも左にもそれなかった。 22:3 ヨシヤ王の第十八年に、王は、メシュラムの子アツァルヤの子である書記シャファンを【主】の宮に遣わして言った。 22:4 「大祭司ヒルキヤのもとに上って行き、【主】の宮に納められていた金、すなわち、入り口を守る者たちが民から集めたものを彼に計算させよ。 22:5 彼らが【主】の宮で工事をしている監督者たちにそれを手渡すようにせよ。そして、監督者たちは、神殿の破損の修理をするために、【主】の宮で工事をしている者たちにそれを渡すようにせよ。 22:6 大工、建築する者、石工に渡し、神殿の修理のための木材や切り石を買わせよ。 22:7 ただし、彼らの手に渡した金の精算がなされる必要はない。彼らは忠実に働いているからである。」 22:8 そのとき、大祭司ヒルキヤは書記シャファンに、「【主】の宮で律法の書を見つけました」と言った。そしてヒルキヤがその書物をシャファンに渡したので、彼はそれを読んだ。 22:9 書記シャファンは王のもとに行って、王に報告した。「しもべたちは、神殿にあった金を取り出して、これを【主】の宮で工事している監督者たちの手に渡しました。」 22:10 さらに書記シャファンは王に告げた。「祭司ヒルキヤが私に一つの書物を渡してくれました。」シャファンは王の前でそれを読み上げた。 22:11 王は律法の書のことばを聞いたとき、自分の衣を引き裂いた。 |
2024年8月11日(日)リビングライフQT ヨシヤ王の第十八年・・ ☆神殿修理 ヨシヤ王は八歳で王位を継承しましたが、自ら進んで、政治を動かす力量が備わっていたわけではないでしょう。 昨日のコメントでお伝えしました様に。ヨシヤの父アモンを殺害した側近の者達は、或る意図を持って、自分達の言いなりに采配できる者を、王として立てようと考えたのでしょう。 しかし、エルサレムの民はそれを許さず、そのような画策をした側近達を全て、殺害したのです。その上で、将来的にユダ(エルサレム)を建て直す、霊的資質を備えた、ヨシヤを王として立てたのです。その結果が、今日の驚くべき歴史展開となるのです‼️ ヒゼキヤ は、 すでに見てきましたように、 大宗教改革を行いました。 しかし その過程で、 今回のような 新しい発見、 また 神殿の 隅々まで、整える 改革は なされていませんでした。いわば、偶像の徹底的排除と、神殿儀式の回復は、実行しましたが、礼拝の基本となる、律法の再確認や、それに伴う改革には、心が注がれていなかったのです。 しかし、ヨシヤは、真の改革には、まず神殿の全域への修復と、そこに秘められて、数百年も陽の目を見ない、律法の本文を見出だすことも、視野にいれての、大修復でした。 律法の書の発見は、祭司達にとっても、ヨシヤ王にとっても、大変な衝撃だった事でしょう。 通例となっ来ていた神殿礼拝に、光が当たると、律法に示された神の聖さ、その御存在の悠久(創造主なる神の広大さ)さが、一気に際立ったのです。 正に、ユダ王国のリバイバルです‼️ 王は、律法のことばによって、明らかになった神の臨在の前に、恐れおののき、衣を裂いて神の前にひれ伏したのです。この行為は、最早、宗教的最大の自己表現としてではなく、神の前に己の醜い罪の姿を、引き裂く思いで、表された懺悔の姿だったのです。 一国の王が、この様にしてまで、降り下る姿を表すとは… まさにユダは一大改革に突入し始めた証といえますね。 私達のクリスチャン人生でも、折に触れて、このような霊的更新の時を経ながら、御国への旅路を、邁進したいですね。 |
| 列王記第二 21章10節~26節 21:10 【主】は、そのしもべである預言者たちによって、次のように告げられた。 21:11 「ユダの王マナセは、これらの忌み嫌うべきことを行い、実に彼以前にいたアモリ人が行ったすべてのことよりもさらに悪いことを行い、その偶像でユダにまで罪を犯させた。 21:12 それゆえ、イスラエルの神、【主】はこう言われる。見よ、わたしはエルサレムとユダにわざわいをもたらす。だれでもそれを聞く者は、両耳が鳴る。 21:13 わたしは、サマリアに使った測り縄と、アハブの家に使った重りをエルサレムの上に伸ばし、人が皿をぬぐい、それをぬぐって伏せるように、わたしはエルサレムをぬぐい去る。 21:14 わたしは、わたしのゆずりの民の残りの者を捨て去り、彼らを敵の手に渡す。彼らはそのすべての敵の餌食となって奪い取られる。 21:15 それは、彼らの先祖たちがエジプトを出た日から今日まで、わたしの目に悪であることを行って、わたしの怒りを引き起こしたからである。」 21:16 マナセは、ユダに罪を犯させて、【主】の目に悪であることを行わせた罪だけでなく、咎のない者の血まで多量に流したが、それはエルサレムの隅々に満ちるほどであった。 21:17 マナセについてのその他の事柄、彼が行ったすべてのこと、彼が犯した罪、それは『ユダの王の歴代誌』に確かに記されている。 21:18 マナセは先祖とともに眠りにつき、その家の園、ウザの園に葬られた。彼の子アモンが代わって王となった。 21:19 アモンは二十二歳で王となり、エルサレムで二年間、王であった。彼の母の名はメシュレメテといい、ヨテバ出身のハルツの娘であった。 21:20 彼はその父マナセが行ったように、【主】の目に悪であることを行った。 21:21 彼は父の歩んだすべての道に歩み、父が仕えた偶像に仕え、それらを拝み、 21:22 彼の父祖の神、【主】を捨てて、【主】の道に歩もうとはしなかった。 21:23 アモンの家来たちは彼に謀反を起こし、その宮殿の中で王を殺した。 21:24 しかし、民衆はアモン王に謀反を起こした者をみな打ち殺した。民衆はアモンの子ヨシヤを代わりに王とした。 21:25 アモンが行ったその他の事柄、それは『ユダの王の歴代誌』に確かに記されている。 21:26 人々は彼をウザの園にある彼の墓に葬った。彼の子ヨシヤが代わって王となった。 |
2024年8月10日(土)リビングライフQT 何と言う歴史の皮肉でしょう。 あれほど、主なる神の 都エルサレムと ユダに対して 忠実と 真実を持って 神に仕えて来たユダの民は、もうひとたび 契約の民として 整えるための 一大 宗教改革を行ったヒゼキヤによって主に立ち返ったのです。 にもかかわらず 、その息子の マナセ は 父ヒゼキヤの築いた 尊い 聖なる礎を 根底から 崩してしまったのです。 主なる神は、預言者たちを用いて 、マナセとユダの民に語られたのです。 それでもなお、マナセは立ち返ることをせず、ついに眠りにつきました。 そればかりではなく、その子の アモン も、また 、父マナセの後を歩んでしまったのです。 マナセもアモンも、ダビデ王家の墓には葬られずに、別なところに葬られています。 今日のテキストには、あまり鮮明に見えて来ないのですが、見えない神の摂理の御手が、動いているのを感じます。 ①この悪に満ちたマナセとアモンは、先祖ダビデ王家の墓には納められず、民はウザの庭に、彼らを葬った。 即ち、ユダの民のせめてもの、主なる神への懺悔の表れか・・・と ②アモンは、理由は記されていませんが、家来たちの謀反によって、殺されました。この謀反の張本人達は、ユダの民に殺され、次の王として、殺されたアモンの子“ヨシヤ”がたてられたのです。 この記録からは、57年にわたる《マナセ・アモン》の治世に神殿の荒廃に悼み嘆いてきた民が、新たな希望を託して、この様な民意を主なる神に託したのではないか・・・⁉️と考えるのです。 現在の、乱れた時代に生きる私達にとって、このユダの民の、王家への抵抗は(24節)、一つの信仰の表れとして、心に留めるべき、大切なメッセージとなるのではないでしょうか。 今、私達には何が出来るのだろうか・・・⁉️ 改めて、自らを主の僕として、お仕えしたいですね アーメン‼️ |
| 列王記第二 21章1節~9節 21:1 マナセは十二歳で王となり、エルサレムで五十五年間、王であった。彼の母の名はヘフツィ・バハといった。 21:2 彼は、【主】がイスラエルの子らの前から追い払われた異邦の民の忌み嫌うべき慣わしをまねて、【主】の目に悪であることを行った。 21:3 彼は父ヒゼキヤが打ち壊した高き所を築き直し、イスラエルの王アハブがしたように、バアルのためにいくつもの祭壇を築き、アシェラ像を造り、天の万象を拝んでこれに仕えた。 21:4 こうして彼は、【主】がかつて「エルサレムにわたしの名を置く」と言われた【主】の宮に、いくつもの祭壇を築いた。 21:5 【主】の宮の二つの庭には、天の万象のために祭壇を築いた。 21:6 また、自分の子どもに火の中を通らせ、卜占をし、まじないをし、霊媒や口寄せをし、【主】の目に悪であることを行って、いつも主の怒りを引き起こしていた。 21:7 彼はまた、自分が造ったアシェラの彫像を宮に安置した。【主】はかつてこの宮について、ダビデとその子ソロモンに言われた。「わたしは、この宮に、そしてわたしがイスラエルの全部族の中から選んだエルサレムに、わたしの名をとこしえに置く。 21:8 もし彼らが、わたしの命じたすべてのこと、わたしのしもべモーセが彼らに命じたすべての律法を守り行いさえするなら、わたしはもう二度と、彼らの先祖たちに与えた地からイスラエルの足を迷い出させない。」 21:9 しかし、彼らはこれに聞き従わなかった。マナセは彼らを迷わせて、【主】がイスラエルの子らの前で根絶やしにされた異邦の民よりも、さらに悪いことを行わせた。 |
2024年8月9日(金)リビングライフQT 今日のテキスト内容に、解説やメッセージを書くのに、言葉が見つからない イスラエルの民が、エルサレムを都と定めて以来、何度か、偶像に流れた王があったが、全体としては、400年の王国の歴史の中で、13人の王が継承した中で、6人の王が、主なる神に反抗して、民の中に、エルサレムに王自身の生活に、偶像を持ち込んだのです。その期間は合計して44年でした。 それ以外の356年は、 真の神への信仰が守られ、安定した国として、歩んできました。 《ちなみに、イスラエル王国が、成立してからアッシリヤに征服されるまでの約210年の間、真の神に仕えた王は、一人もいなかった。》 ユダ王国のヒゼキヤ王は、国内に散らばる、密かな偶像礼拝の痕跡や、散見されるそれらの事実に対して、徹底した宗教改革を成し遂げましたが、一体、あの嵐のような改革は何だったのだろう(はてな)と、不思議に思うほど、ヒゼキヤ王の後を継いだ、息子(12歳)のマナセは、何と言う方向に舵を切ったのでしょう 二つのことが考えられます。 ①ヒゼキヤの改革・信仰が、主なる神にしっかりと結ばれた、信仰を土台として、国を導いたのだろうか(はてな) *彼は真の神の命に生きる下僕だったのか? (今流に言えば、キリスト教徒ではあったが、イエス様の弟子だったのか❓) ・・・こう問わざるを得ないのです。 ②マナセは12歳で後継者となったのですから、(12歳は、イスラエルでは、礼拝儀式に参加できる、一人前のイスラエルの民なのです~12歳で成人式~) これが彼の意思なのか、また、即位と同時に、神への反抗に走ったのかは不明ですが、やはり隠せないのは、先代ヒゼキヤ王の、子弟の教育に問題があったと言わざるを得ないのではないでしょうか。 こうしてみると、信仰の継承が、いかに重大な課題であるかを、突きつけられるのです。 マナセは、なぜ(何故)なぜ(何故)なぜ(はてな)・・・ラインを打つ手が止まる程、重苦しい気持ちになります。 マナセの治世は55年とユダ王国では、ダビデ・ソロモンの治世を遥かに越える、長期政権を記録しています。 それは、前のヒゼキヤの改革により、国に一貫した信仰の流れが整えられたのと、王権の集中した態勢が整っていたからです。 同時にアッシリアの政変も、大きな理由でしょう。 歴史は、個人の信仰と祈りによって、奇跡的な、急変や改革が生じるものではないのです。 神の摂理の御手が、歴史を紡ぎ、その中で主に信頼する者達が導かれるのです。 私達はどのような事態の中にあっても、歴史(時間の支配者)の中に立っておられる創造者である神の、導きの御手をしっかりと見つめ、祈りと信頼を尽くして、参りましょう。 |
| 列王記第二 20章12節~21節 20:12 そのころ、バルアダンの子、バビロンの王メロダク・バルアダンは使者を遣わして、手紙と贈り物をヒゼキヤに届けた。ヒゼキヤが病気だったことを聞いていたからである。 20:13 ヒゼキヤは彼らを歓迎して、すべての宝庫、銀、金、香料、高価な油、武器庫、彼の宝物倉にあるすべての物を彼らに見せた。ヒゼキヤがその家の中、および国中で、彼らに見せなかった物は一つもなかった。 20:14 預言者イザヤはヒゼキヤ王のところに来て、彼に尋ねた。「あの人たちは何と言いましたか。どこから来たのですか。」ヒゼキヤは「遠い国、バビロンから来ました」と答えた。 20:15 イザヤは言った。「彼らはあなたの家で何を見たのですか。」ヒゼキヤは答えた。「私の家の中のすべての物を見ました。私の宝物倉の中で彼らに見せなかった物は一つもありません。」 20:16 イザヤはヒゼキヤに言った。「【主】のことばを聞きなさい。 20:17 見よ。あなたの家にある物、あなたの父祖たちが今日まで蓄えてきた物がすべて、バビロンへ運び去られる日々が来る。何一つ残されることはない──【主】は言われる──。 20:18 また、あなたが生む、あなた自身の息子たちの中には、捕らえられてバビロンの王の宮殿で宦官となる者がいる。」 20:19 ヒゼキヤはイザヤに言った。「あなたが告げてくれた【主】のことばはありがたい。」彼は、自分が生きている間は平和と安定があるのではないか、と思ったのである。 20:20 ヒゼキヤについてのその他の事柄、彼のすべての功績、彼が貯水池と水道を造り、都に水を引いたこと、それは『ユダの王の歴代誌』に確かに記されている。 20:21 ヒゼキヤは先祖とともに眠りにつき、その子マナセが代わって王となった。 |
2024年8月8日(木)リビングライフQT ヒゼキヤ王のつまずき エルサレムよりも、1000km北西に在るのが、アッシリアの都ニネベです。ニネベ~更に800km南東のユーフラテス河畔にある、バビロンの都(当時バビロンは未だ、アッシリアの配下に在った)から、ユーフラテス河を遡り、アラビア砂漠を迂回して、エルサレムに来るには、2000km(先程の距離は、地図上の直線距離)以上の道を辿ることになるのです。 その為、ヒゼキヤ王が病に倒れた・・・と言う知らせが、バビロンに届いたときには、ヒゼキヤ王の病は癒されていたのです。 しかし、知る由もないバビロン王は、近い将来、アッシリアを征服した場合の、勢力拡大を図るための様子を探るために、この機を逃さなかったのです。 一方、ユダ王国のヒゼキヤは、全能の神の御手により、完全に癒され、国の将来も、保証されたことに気を良くし、心も魂も緩んで、高慢になり、自慢げに国力の鏡にもなる、財政状況、また、国力のバロメーターとなる、馬と戦車まで、公開したのです。 この段階でユダ王国の、近い将来の運命は決まった様なものです‼️ 人の心に、滲み出してくる《自慢・高慢》は、堤に空いた、蟻の穴にも例えられる、崩壊の兆しとなるのです。 神の人・予言者イザヤは、ヒゼキヤ王の行為を厳しく叱責しました。 ヒゼキヤは、それに対して、悔い改める言葉もなく・・・ 19節~「あなたが告げてくれた主の言葉はありがたい」 何と言う能天気な対応でしょう。それは、正に彼の高慢の表れです 自分が生きている間は❗平和と安定があるのではないか…と、思ったのです。 主なる神から委ねられた国・神が愛してやまない、選びの民を、自分の思いのままに、私物化していたのです。あの信仰に生きるヒゼキヤ、神の前にへりくだるヒゼキヤは、どこに行ったのでしょう。・・ 私達信仰者にとっても、ヒゼキヤの姿は心にとめるに値する、警告となるのではないでしょうか。 天国に行けたらいい❗ 罪を犯さねばいい❗ 礼拝を守っているからいい❗・・・ 私達クリスチャンは、天国に行くためだけに今を生かされているのではないのです。 ヒゼキヤにユダ王国が委ねられていた様に、私達クリスチャンには、主なる神が、招いておられながら、未だに、罪の中に居る人々(かつて私もあなたもその一人だった)を、神の国の民として、導き迎える(神の国の拡大と堅持)のために、今日を生かされているのです‼️ サタンの攻略に、心奪われないようにしましょう‼️ |
| 列王記第二 20章1節~11節 20:1 そのころ、ヒゼキヤは病気になって死にかかっていた。そこへ、アモツの子、預言者イザヤが来て、彼に言った。「【主】はこう言われる。『あなたの家を整理せよ。あなたは死ぬ。治らない。』」 20:2 ヒゼキヤは顔を壁に向け、【主】に祈った。 20:3 「ああ、【主】よ、どうか思い出してください。私が真実と全き心をもって、あなたの御前に歩み、あなたの御目にかなうことを行ってきたことを。」ヒゼキヤは大声で泣いた。 20:4 イザヤがまだ中庭を出ないうちに、次のような【主】のことばが彼にあった。 20:5 「引き返して、わたしの民の君主ヒゼキヤに告げよ。あなたの父ダビデの神、【主】はこう言われます。『わたしはあなたの祈りを聞いた。あなたの涙も見た。見よ、わたしはあなたを癒やす。あなたは三日目に【主】の宮に上る。 20:6 わたしは、あなたの寿命にもう十五年を加える。わたしはアッシリアの王の手からあなたとこの都を救い出し、わたしのために、わたしのしもべダビデのためにこの都を守る。』」 20:7 イザヤが「ひとかたまりの干しいちじくを持って来なさい」と命じたので、人々はそれを持って来て腫物に当てた。すると彼は治った。 20:8 ヒゼキヤはイザヤに言った。「【主】が私を癒やしてくださり、私が三日目に【主】の宮に上れるしるしは何ですか。」 20:9 イザヤは言った。「次のことが、あなたへの【主】からのしるしです。【主】は約束したことを成就されます。影が十度進むか、十度戻るかです。」 20:10 ヒゼキヤは答えた。「影が十度伸びるのは容易なことです。むしろ、影が十度後に戻るようにしてください。」 20:11 預言者イザヤが【主】に祈ると、主は、アハズの日時計に落ちた日時計の影を十度後に戻された。 |
2024年8月7日(水)リビングライフQT 何と、神に愛されたヒゼキヤ王でしょう 3節のヒゼキヤの祈りは、単なる延命を懇願する祈りではなく、主なる神の御手により、奇跡的な解放(アッシリア軍185,000人の死と、アッシリア王センナケリブの、内輪の反乱による死)によって、エルサレムとユダ全土の回復と安定を、しっかり導き見届けたい‼️と言う、使命感からの、祈りと懇願だったのです。 ここでも主は、ヒゼキヤ王の心の内を、見ておられたのです。 その事を裏付けるお言葉が、主から与えられました。 5節~6節『・・見よ。私はあなたを癒す。あなたは三日目に主の宮に上る。私はあなたの寿命にもう15年を加える。私はアッシリヤ王の手からあなたとこの都を救い出し、わたしのしもべダビデのために、この都を守る。』 改めて、ヒゼキヤ王の祈りは、体の癒し❗と言う、自分のための祈りではなく、王としての使命の継続のための、懇願だったのです。 イザヤからの、主なる神の答えを聞いたヒゼキヤは、それが主からのお言葉だ‼️と言う”しるし“を求めました。これは、ヒゼキヤの疑いや不信仰からの、ことではなく、新たな使命に立つ、献身としての確証だったのです。 神様との関係がこの様にしっかりと密着した中での、主なる神への訴えは、わがままではなく、神への軽視でなく、むしろ、それほど神に深く繋がっていることを知った者に与えられた、信仰の確信ではないでしょうか。 今から19年前のわたしが65歳の時、SJS(スティーブンス・ジョンソン・シンドローム)と言う、非常に重い病に罹患しました。ある薬剤の投与による、薬剤アレルギーです。当時は未だこの病はあまり知られておらず、看護師も中には医師さえも、私の既往症を見て、どんな病気❓と、聞かれたことしばしばでした。 100万人に一人と言う発病数、全身の皮膚や内粘膜にまでびらん(ただれ)が生じた場合の死亡率は70%と言われました。 突然の40℃を越える、発熱で、動けなくなり、そのまま、ある医者のもとに車で駆け込んで、そのまま緊急入院となりました。それから4週間に亘って、40℃以上の高熱が続き、その中で両眼とも全く見えなくなりました。正に重症化していたのです。 医師は、私が牧師だと知って、正直にすべてを、話してくださいました。その医師《定元医師》は、米国に交換医療で従事した時に、マイコプラズマの研究と、SJS(欧米では罹患者が多い)の患者35人担当し、亡くなられた方は二人だった‼️ 定元医師は、『力丸さん、あなたを絶対死なせはしないから、また神様の働きに復帰できますよ‼️』と、言ってくださいました。町の小さなベッド数20床もないその一室で祈りました。 『主よ、この病から立ち上がらせてください。主の働きのために必要ならば、もう一度新たな命を与えて、立ち上がらせて下さい。』 死線をさ迷う、生か死かの病状は、4週間続きました。その中で両目が完全失明したのですが、主の御手と、定元医師の献身的な治療により、半年の入院後、安定して退院致しました。 私は、今あるのは、ヒゼキヤのように、主が命を与えて下さったからだと、確信をもって歩ませて頂いています。 主にしっかりと結ばれた日々は、何と言う恵みでしょう。 定元医師は、私の入院中に、隠れた癌の発症により、私の退院二ヶ月前に急逝されました。亡くなられる二週間前に、最期の回診(私だけの)で、永遠の命・神の創造と、十字架の福音をお話しさせて頂きました。読んで頂きたい聖書箇所に印を付けてお渡しし短く祈ったのが最期のお別れでした。 公葬(小倉医師会長もされた方なので)にも、病室から抜け出して、参列しましたが、悲しい涙が溢れましたが、先生が御国へと旅だたれたとの確信で安らぎ、末席に加わりました。 |
| 列王記第二 19章29節~37節 19:29 あなたへのしるしは、このとおりである。『今年は、落ち穂から生えたものを食べ、二年目は、それから生えたものを食べ、三年目は、種を蒔いて刈り入れ、ぶどう畑を作ってその実を食べる。 19:30 ユダの家の中の逃れの者、残された者は下に根を張り、上に実を結ぶ。 19:31 エルサレムから残りの者が、シオンの山から、逃れの者が出て来るからである。万軍の【主】の熱心がこれを成し遂げる。』 19:32 それゆえ、アッシリアの王について、【主】はこう言われる。『彼はこの都に侵入しない。また、ここに矢を放たず、これに盾をもって迫らず、塁を築いてこれを攻めることもない。 19:33 彼は、もと来た道を引き返し、この都には入らない──【主】のことば──。 19:34 わたしはこの都を守って、これを救う。わたしのために、わたしのしもべダビデのために。』」 19:35 その夜、【主】の使いが出て行き、アッシリアの陣営で十八万五千人を打ち殺した。人々が翌朝早く起きて見ると、なんと、彼らはみな死体となっていた。 19:36 アッシリアの王センナケリブは陣をたたんで去り、帰ってニネベに住んだ。 19:37 彼が自分の神ニスロクの神殿で拝んでいたとき、その息子たち、アデラメレクとサルエツェルは、剣で彼を打ち殺した。彼らはアララテの地へ逃れ、彼の子エサル・ハドンが代わって王となった。 |
2024年8月6日(火)リビングライフQT 奇跡とは、ともすると、180度事態が急速に復興へと転換する‼️・・・と、期待され勝ちですが、ユダの回復への神からのお言葉は、一年目・・・二年目・・・三年目にようやく、撒いた種の収穫へと回復する‼️ 即ち、二年は厳しい復興の時を経なければならない・・・と、語られたのです。 この度のアッシリアの侵略は、北のイスラエルの滅亡と言う、危機的な事態を、目の当たりに見たユダは、アッシリアと和を講じようと、先に《神殿に蓄えられた金銀、王宮に秘蔵されていた金銀を、センナケリブ王に贈った》・・・と言う自衛策を講じています。又、もう一つは、いざとなったらエジプトに援軍を求める盟約を結んで、神に祈り求めることを第二義的にしてきたのです。(ここ数日のテキストの内容から) この三年は、王の自戒の時、民も国の一致の為に、辛酸をなめることを課されたのです。 ある意味で、日本が、英米列強と、戦いを始めたばかりか、朝鮮・中国・東南アジア諸国を巻き込んだ戦争(大東亜戦争・太平洋戦争)は、死者の数は二千数百万人日本人の死者数は兵士も含んで、600万人を越えた。日本の敗戦により、平和が帰っては来ましたが、10年以上、飢餓と疫病の試練を越えて、復興を成し遂げました。ユダの1年・2年・3年・・と言うお言葉は、ユダへの自戒の時だったのです。 ユダの国を愛する神ご自身が、自らの御介入をもって、ユダに勝利をもたらされました。 ユダは王を始め、国民の末端に至るまで、救いをもたらす神と心を一つにするための学びを通して、神と一つに結ばれるのです。 神は一朝(一瞬)にして、当時世界最強のアッシリヤを、滅ぼし(35節)、更にその指導者をも、亡き者とされました(37節)。この様な強大なお方が、今、信じ従う私たちを、こよなく愛し、私たちを永遠のご計画の中に、導き入れられたのです。何と言う驚き、感動でしょう‼️ |
| 列王記第二 19章14節~28節 19:14 ヒゼキヤは、使者の手からその手紙を受け取って読み、【主】の宮に上って行き、それを【主】の前に広げた。 19:15 ヒゼキヤは【主】の前で祈った。「ケルビムの上に座しておられるイスラエルの神、【主】よ。ただ、あなただけが、地のすべての王国の神です。あなたが天と地を造られました。 19:16 【主】よ。御耳を傾けて聞いてください。【主】よ。御目を開いてご覧ください。生ける神をそしるために言ってよこしたセンナケリブのことばを聞いてください。 19:17 【主】よ。アッシリアの王たちが、国々とその国土を廃墟としたのは事実です。 19:18 彼らはその神々を火に投げ込みました。それらが神ではなく、人の手のわざ、木や石にすぎなかったので、彼らはこれを滅ぼすことができたのです。 19:19 私たちの神、【主】よ。どうか今、私たちを彼の手から救ってください。そうすれば、地のすべての王国は、【主】よ、あなただけが神であることを知るでしょう。」 19:20 アモツの子イザヤはヒゼキヤのところに人を送って言った。「イスラエルの神、【主】はこう言われる。『あなたがアッシリアの王センナケリブについて、わたしに祈ったことを、わたしは聞いた。』 19:21 【主】が彼について語られたことばは、このとおりである。『処女である娘シオンはおまえを蔑み、おまえを嘲る。娘エルサレムはおまえのうしろで頭を振る。 19:22 おまえはだれをそしり、だれをののしったのか。だれに向かって声をあげ、高慢な目を上げたのか。イスラエルの聖なる者に対してだ。 19:23 おまえは使者たちを通して、主をそしって言った。「多くの戦車を率いて、私は山々の頂に、レバノンの奥深くへ上って行った。そのそびえる杉の木と美しいもみの木を切り倒し、その果ての高地、木の茂った園にまで入って行った。 19:24 私は井戸を掘って、他国の水を飲み、足の裏でエジプトのすべての川を干上がらせた」と。 19:25 おまえは聞かなかったのか。遠い昔に、わたしがそれをなし、大昔に、わたしがそれを計画し、今、それを果たしたことを。それで、おまえは城壁のある町々を荒らして廃墟の石くれの山としたのだ。 19:26 その住民は力失せ、打ちのめされて恥を見て、野の草や青菜、育つ前に干からびる屋根の草のようになった。 19:27 おまえが座るのも、出て行くのも、おまえが入るのも、わたしはよく知っている。わたしに向かっていきり立つのも。 19:28 おまえがわたしに向かっていきり立ち、おまえの安逸がわたしの耳に届いたので、わたしはおまえの鼻に鉤輪を、口にくつわをはめ、おまえを、もと来た道に引き戻す。』 |
2024年8月5日(月)リビングライフQT ヒゼキヤの祈り‼️ それは、まるで、社長を信頼しきっている社員が、事態の解決に社長を信じきった全幅の期待感がヒシヒシと伝わってきます。 全ての者の創造者である、全能の神に、この様に、心に迫る訴えをする事が出来たヒゼキヤ王の、主なる神への信頼と信仰は、正に、主なる神を“信じきっている‼️” 創られた者(人)として、なんと自由な、確信と信頼に満ちた、祈りでしょう。 《16節》 *主よ❗御耳を傾けて聞いてください。 *主よ❗御眼を開いてご覧ください。 《19節》 *主よ❗どうか今、私たちを彼の手から救ってください。そうすれば、地の全ての王国は、主よ、あなただけが神であることを知るでしょう。 ヒゼキヤ王の祈りは、いつの間にか、国と民の滅亡の窮場から守ってください‼️・・・という、救済の祈りから、その祈りの矛先は、まことの神を知らない偶像信仰の民が、真の神を知るようになることを‼️…と、神の創造の原点に立ち返っての、純粋な祈りとなっているのです。 神に、全幅の期待をもっての祈りは、御霊により、このように昇華(ショウカ=高度で純度の高い)された祈りへと、導かれます。こんな祈りで、主と触れ、交わりたいですね。 ヒゼキヤの祈りに、イザヤを通して、驚くべき内容を、神は、アッシリヤの王 “センナケリブ” への、徹底した神の裁きの言葉を、語り伝えたのです。 ここに信頼しあった、神と人との、力強い慈しみに満ちた麗しい関係を観るのです‼️ 主なる神は、祈りを通して、この様に昇華した姿を(関係を)証してくださるのです。あなたの祈りの祭壇は、この様な神性、慰め、勝利、平安、喜び・・・をもたらす祈りの座となっていますか⁉️祈りの深みをもっと体験しましょう‼️ |
| 列王記第二 19章1節~13節 19:1 ヒゼキヤ王はこれを聞くと衣を引き裂き、粗布を身にまとって【主】の宮に入った。 19:2 彼は、宮廷長官エルヤキム、書記シェブナ、年長の祭司たちに粗布を身にまとわせて、アモツの子、預言者イザヤのところに遣わした。 19:3 彼らはイザヤに言った。「ヒゼキヤはこう言っております。『今日は、苦難と懲らしめと屈辱の日です。子どもが生まれようとしているのに、それを産み出す力がないからです。 19:4 おそらく、あなたの神、【主】は、ラブ・シャケのすべてのことばを聞かれたことでしょう。彼の主君、アッシリアの王が、生ける神をそしるために彼を遣わしたのです。あなたの神、【主】は、お聞きになったそのことばをとがめられます。あなたは、まだいる残りの者のために祈りの声をあげてください。』」 19:5 ヒゼキヤ王の家来たちがイザヤのもとに来たとき、 19:6 イザヤは彼らに言った。「あなたがたの主君にこう言いなさい。『【主】はこう言われる。あなたが聞いたあのことば、アッシリアの王の若い者たちがわたしをののしった、あのことばを恐れるな。 19:7 今、わたしは彼のうちに霊を置く。彼は、あるうわさを聞いて、自分の国に引き揚げる。わたしはその国で彼を剣で倒す。』」 19:8 ラブ・シャケは退いて、リブナを攻めていたアッシリアの王と落ち合った。王がラキシュから移動したことを聞いていたからである。 19:9 王は、クシュの王ティルハカについて、「今、彼はあなたと戦うために出て来ている」との知らせを聞くと、再び使者たちをヒゼキヤに遣わして言った。 19:10 「ユダの王ヒゼキヤにこう伝えよ。『おまえが信頼するおまえの神にだまされてはいけない。エルサレムはアッシリアの王の手に渡されないと言っているが。 19:11 おまえは、アッシリアの王たちがすべての国々にしたこと、それらを絶滅させたことを確かに聞いている。それでも、おまえだけは救い出されるというのか。 19:12 私の先祖は、ゴザン、ハラン、レツェフ、またテラサルにいたエデンの人々を滅ぼしたが、その国々の神々は彼らを救い出したか。 19:13 ハマテの王、アルパデの王、セファルワイムの町の王、ヘナやイワの王はどこにいるか。』」 |
2024年8月4日(日)リビングライフQT 今や 、アッシリアの将軍ラブ シャケが、真の神を罵り、 神が選ばれたユダ王国を 、屈辱的な言葉で汚すその内容を、 宮廷長官のエルヤキムが、王の元へと 伝えに行きました。 当然、 ヒゼキヤ王はこの言葉の前に 心を乱し 衣を引き裂いて嘆きます。 しかし、 ここからが 神のしもべ ヒゼキヤの 、力強い 存在の証です。 ヒゼキヤは心騒ぐ 思いの中から その事態の 現実を 、 王の 書記 また 高い位の祭司たちに 、嘆きと悲しみのしるしとして 、荒布を身にまとわせて、 全能の神に祈り求めるために預言者イザヤのもとに遣わしたのです。 ヒゼキヤにとって、何よりも第一なのは、主なる神に訴えることでした。 もちろん、神がこの事態をご存じないわけはありませんし、ヒゼキヤ王も、その事は重々判ってはいました。 私たちが今日、苦難や試練に翻弄される時、主なる神(イエス様)は、ご存じないはずはありません。 私達はそんな中で、うめき、嘆き、苦しみ叫ぶこともあるでしょう。その様な時に、いち早くその思いを、主に訴えて来たでしょうか。 主の僕(クリスチャン)が、試練や苦しみに遇うとき、クリスチャンだから、自動的に、助けの御手が伸びるのではないのです。あなたが祈りの座に着くのを待っておられるのです。 目に見える事態は、良くなるのではないかもしれません。 しかし、その現実に、主の御目は注がれているのです。そしてその中に、あなたの、私の今も、映し出されているのです。 さて、ラブシャケの罵りの言葉に更に加えて、アッシリヤの王センナケリブは、更に、ユダへの脅迫を語り伝えます。アッシリヤの最盛期にあったセンナケリプは、自らの実績となった、中近東一帯諸国の征服の実績を示して、どの国々の神々も、アッシリヤの神の守護の下にあるセンナクリプに、勝てなかった。それなのに、小国であるユダがどうして勝てるか(どうして)と、問いかけながら揺さぶるのです。 あぁ 愚かなことよ ヒゼキヤの孤立感、その背後に息をひそめる国民を思いながら、王の心は更に強く、主に向かって行くのです。 目に映り、展開する葛藤と試練以上に、魂に迫り来る、恐れ、不安、孤独感、自己嫌悪・・・ これらの、内から攻め寄せてくる、闘いこそ、人生の大きな課題です。 主の前に、座して祈り、眼を天に注いで、 《わたしの助けは、天地を造られた“主から”来る‼️ー詩篇121:2ー》と、ヒゼキヤ王のように、詠い上げましょう‼️ |
| 列王記第二 18章26節~37節 18:26 ヒルキヤの子エルヤキムとシェブナとヨアフは、ラブ・シャケに言った。「どうか、しもべたちにはアラム語で話してください。われわれはアラム語が分かりますから。城壁の上にいる民が聞いているところでは、われわれにユダのことばで話さないでください。」 18:27 ラブ・シャケは彼らに言った。「私の主君がこれらのことを告げに私を遣わされたのは、おまえの主君や、おまえのためだろうか。むしろ、城壁の上に座っている者たちのためではないか。彼らはおまえたちと一緒に、自分の糞を食らい、自分の尿を飲むようになるのだ。」 18:28 ラブ・シャケは突っ立って、ユダのことばで大声で叫んで、こう告げた。「大王、アッシリアの王のことばを聞け。 18:29 王はこう言っておられる。『ヒゼキヤにごまかされるな。あれは、おまえたちを私の手から救い出すことができないからだ。 18:30 ヒゼキヤは、「【主】が必ずわれわれを救い出してくださる。この都は決してアッシリアの王の手に渡されることはない」と言って、おまえたちに【主】を信頼させようとするが、そうはさせない。』 18:31 ヒゼキヤの言うことを聞くな。アッシリアの王はこう言っておられるからだ。『私と和を結び、私に降伏せよ。そうすれば、おまえたちはみな、自分のぶどうと自分のいちじくを食べ、自分の井戸の水を飲めるようになる。 18:32 その後私は来て、おまえたちの国と同じような国におまえたちを連れて行く。そこは穀物と新しいぶどう酒の地、パンとぶどう畑の地、オリーブの木と蜜の地である。おまえたちが生き延びて死ぬことのないようにするためである。たとえヒゼキヤが、「【主】はわれわれを救い出してくださる」と言って、おまえたちをそそのかしても、ヒゼキヤに聞き従ってはならない。 18:33 国々の神々は、それぞれ自分の国をアッシリアの王の手から救い出しただろうか。 18:34 ハマテやアルパデの神々は今、どこにいるのか。セファルワイムやヘナやイワの神々はどこにいるのか。彼らはサマリアを私の手から救い出したか。 18:35 国々のすべての神々のうち、だれが自分たちの国を私の手から救い出したか。【主】がエルサレムを私の手から救い出せるとでもいうのか。』」 18:36 民は黙って、彼に一言も答えなかった。「彼に答えるな」というのが、王の命令だったからである。 18:37 ヒルキヤの子である宮廷長官エルヤキム、書記シェブナ、アサフの子である史官ヨアフは、自分たちの衣を引き裂いてヒゼキヤのもとに行き、ラブ・シャケのことばを告げた。 |
2024年8月3日(土)リビングライフQT アッシリヤの将軍ラブシャケは、センナケリブ王からのメッセージとして、ユダの民に大音声で語りかけたのです。 それは攪乱戦法として、民の中からヒゼキヤ王に反乱を起こさせよう❗…との意図のもと、ユダヤの言葉で語ったのです。 王の配下の者達は、エルサレムの民には聞かせたくない言葉だったので、アラム語で語るように求めたが、彼等は、このメッセージは、王にではなく、民に直接語りかけるのだ・・・と。 先に、イスラエルの民をアッシリアの国に連れ去ったことを知る、ユダの民に、降服すれば、命と将来を保証する‼️と語ったのです。 36節に、民は黙って、彼(ラブシャケ)に一言も答えなかった。「彼に答えるな」と言うのが、王の命令だったからである。 この一節は、ユダ王国が如何に、王に信頼し忠実であったかがうかがわれますね。 ヒゼキヤ王の信仰と、エルサレム神殿礼拝がどんなに真実に行われていたかの、証しでもあります。 何とも、心痛む記録です。 まるで喪に服するような沈黙の中で、ヒゼキヤ王に信頼し、祭司達と伴に主に寄り頼んで、センナケリブの代弁者として語る、ラブシャケの言葉に、怒りをあらわ露(アラワ)に(衣を引き裂き)しながら、この事態を王に伝えに走るのです。 この事態の中のエルサレムの中枢にいる、王の率いる長官達は、どんな思いだったでしょう。 様々な試練に遇う時、私達はどの様に対処してきたでしょう。又、対処しなければならないでしょう。 心打ち明けることが出来るなら、牧師先生初め、信仰の友に祈りの手を挙げて頂き、 共に祈っていただくことが大切です。 信仰の一致、 心の一致で、 試練や 誘惑や 葛藤と 戦い抜きましょう。 日常生活の神の国は 、このようにして勝利して行くことが出来るのです。 さあ 祈りの座につきましょう。 |
| 列王記第二 18章13節~25節 18:13 ヒゼキヤ王の第十四年に、アッシリアの王センナケリブが、ユダのすべての城壁のある町々に攻め上り、これを取った。 18:14 ユダの王ヒゼキヤは、ラキシュのアッシリアの王のところに人を遣わして言った。「私は過ちを犯しました。私のところから引き揚げてください。あなたが私に課せられるものは何でも負いますから。」そこで、アッシリアの王はユダの王ヒゼキヤに、銀三百タラントと金三十タラントを要求した。 18:15 ヒゼキヤは、【主】の宮と王宮の宝物倉にある銀をすべて渡した。 18:16 そのとき、ユダの王ヒゼキヤは、自分が【主】の神殿の扉と柱に張り付けた金を?ぎ取り、これをアッシリアの王に渡した。 18:17 アッシリアの王は、タルタン、ラブ・サリス、およびラブ・シャケを、大軍とともにラキシュからエルサレムのヒゼキヤ王のところへ送った。彼らはエルサレムに上って来た。彼らは上って来ると、布さらしの野への大路にある、上の池の水道のそばに立った。 18:18 彼らが王に呼びかけたので、ヒルキヤの子である宮廷長官エルヤキム、書記シェブナ、およびアサフの子である史官ヨアフは、彼らのところに出て行った。 18:19 ラブ・シャケは彼らに言った。「ヒゼキヤに伝えよ。大王、アッシリアの王がこう言っておられる。『いったい、おまえは何に拠り頼んでいるのか。 18:20 口先だけのことばが、戦略であり戦力だというのか。今おまえは、だれに拠り頼んでいるのか。私に反逆しているが。 18:21 今おまえは、あの傷んだ葦の杖、エジプトに拠り頼んでいるが、それは、それに寄りかかる者の手を刺し貫くだけだ。エジプトの王ファラオは、すべて彼に拠り頼む者にそうするのだ。 18:22 おまえたちは私に「われわれは、われわれの神、【主】に拠り頼む」と言う。その主とは、ヒゼキヤがその高き所と祭壇を取り除いて、ユダとエルサレムに「エルサレムにあるこの祭壇の前で拝め」と言った、そういう主ではないか。 18:23 さあ今、私の主君、アッシリアの王と賭けをしないか。もし、おまえのほうで乗り手をそろえることができるのなら、おまえに二千頭の馬を与えよう。 18:24 おまえは戦車と騎兵のことでエジプトに拠り頼んでいるが、私の主君の最も小さい家来である総督一人さえ追い返せないのだ。 18:25 今、私がこの場所を滅ぼすために上って来たのは、【主】を差し置いてのことであろうか。【主】が私に「この国に攻め上って、これを滅ぼせ」と言われたのだ。』」 |
2024年8月2日(金)リビングライフQT ヒゼキヤの受難。 昨日のテキストでヒゼキヤ王が、いかに全能の神に忠実な僕であったかを、学びました。ところが、北のイスラエルの王ホセアの治世の時代に、サマリヤを始め、イスラエル諸都市は全て侵略の憂き目に合い、滅亡したのです。その上、イスラエルの殆どの民は、北方のアッシリアの荒野に捕囚として連れ去られたのです。 セナケリブは、この勢いに乗って、南ユダ王国までも飲み尽くそうと迫り、ユダの諸都市にまで侵入し、エルサレムに迫ってきたのです。 何としても、エルサレムは失われたくない・・との思いは、和睦を求めて、神殿・王宮に蓄えられている、金銀財宝を、アッシリア王に送ったのです。 しかし、アッシリア王は、将軍ラブシャケとその無敵の大軍をエルサレムに送り、エルサレム開城を迫り、大音声で、市民にまで聞こえる様に、挑発、嘲笑の限りをもって揺さぶったのです。 この事態の間、ヒゼキヤは、どの様な思いで身を潜めていたのでしょう。主なる神を信じていても、この様な屈辱に甘んじなければならない時もあるのです。 神に信頼している限り、試練や屈辱的闘いに直面することはない‼️・・と、しばしばその様な信仰((はてな))に、しがみつく人の悲しい苦悩を、見聞きしますが、それは間違いです。 信仰・信頼・・は、周りの状況に左右されず、ただ、創造主なる神に信頼し続ける日々刻々を貫く生きざまを、《信仰》と言うのです。 ヒゼキヤは正にその様な王として、聖書の歴史は語っているのです。 日本の戦国時代から、昭和の軍国時代にまで至る、約400年の歴史の中で、イエス・キリストの福音が伝えられて来ました。そのような中、幾多の主の弟子たちが迫害と殉教と、社会からの排除と言う試練の中で、主なる神(イエス・キリスト)への信仰と信頼を貫いてきたか…その輝かしい栄光の記録を、日本のヒゼキヤとして、残しているのです。 ハレルヤ‼️ |
| 列王記第二 18章1節~12節 18:1 イスラエルの王エラの子ホセアの第三年に、ユダの王アハズの子ヒゼキヤが王となった。 18:2 彼は二十五歳で王となり、エルサレムで二十九年間、王であった。彼の母の名はアビといい、ゼカリヤの娘であった。 18:3 彼は、すべて父祖ダビデが行ったとおりに、【主】の目にかなうことを行った。 18:4 高き所を取り除き、石の柱を打ち砕き、アシェラ像を切り倒し、モーセが作った青銅の蛇を砕いた。そのころまで、イスラエル人がこれに犠牲を供えていたからである。これはネフシュタンと呼ばれていた。 18:5 彼はイスラエルの神、【主】に信頼していた。彼の後にも前にも、ユダの王たちの中で、彼ほどの者はだれもいなかった。 18:6 彼は【主】に堅くつき従って離れることなく、【主】がモーセに命じられた命令を守った。 18:7 【主】は彼とともにおられた。彼はどこへ出て行っても成功を収めた。彼はアッシリアの王に反逆し、彼に仕えなかった。 18:8 彼はペリシテ人を討ってガザにまで至り、見張りのやぐらから城壁のある町に至るその領土を打ち破った。 18:9 ヒゼキヤ王の第四年、イスラエルの王エラの子ホセアの第七年に、アッシリアの王シャルマネセルがサマリアに攻め上って来て、これを包囲し、 18:10 三年後にこれを攻め取った。すなわち、ヒゼキヤの第六年、イスラエルの王ホセアの第九年に、サマリアは攻め取られた。 18:11 アッシリアの王はイスラエル人をアッシリアに捕らえ移し、彼らをハラフと、ゴザンの川ハボルのほとり、またメディアの町々に定住させた。 18:12 これは、彼らが彼らの神、【主】の御声に聞き従わず、その契約を破り、【主】のしもべモーセが命じたすべてのことに聞き従わず、これを行わなかったからである。 |
2024年8月1日(木)リビングライフQT 出エジプト以来、力強い神の御手により、偉大なダビデ王朝が確立し、主なる神の人類救済の、永遠のご計画が開かれ、 始動しはじめたのです。 神の永遠のご計画を、これ《許すまじ》とばかり、悪の陣営(サタン)は、外部からの攻撃でなく、内部からの崩壊をもくろみ、人類の滅びの道筋を画策しはじめたのです。 列王記の記録は、この様な攻めぎ合いの歴史となったのです。 その中から、明暗が別れたのです。その別れの原因は・・・❓ 神に従うか or 否かだったのです。 4節~彼は(ヒゼキヤ)は、全て父祖ダビデが行ったとおりに、主の目にかなうことを行った。 ・・・・・・・・・ 5節~彼はイスラエルの神、主に信頼していた。・・・・・・・ 7節~主は彼とともにおられた。 一方、イスラエルの王は・・・・・・ 12節~彼(ホセア)が彼等の神、主の御声に聞き従わず、その契約を破り、主のしもべモーセが命じた全てのことに聞き従わなかったからである。 何がこの様な分離の道となったのでしょう。 テキストに記されている通りです。 即ち、ヒゼキヤは、《イスラエルの神、主に信頼していた。》 一方、ホセアは、 《彼等の神、主に従わず、その約束を破り・・》 この記録の時代から、 2400年後の、今の私達の時代には、どの様な事が求められているのでしょう。余りにも、文明の発展と共に、価値観、誘惑、習慣、生活の基盤・・・等が変化して、何が正しい選択なのかが、分かりにくくなっています。そのような中、特殊な、生き方に固執する教会があります。 例えば、アメリカ、ペンシルバニア州に《アーミッシュ》と言う教会団体があります、彼等の生活の全てが、ヨーロッパ中世の生活習慣、価値観こそが最も福音的生き方として、交通機関は馬か馬車のみ、服装は西部劇時代のもの、ガス、電気はなし。 アーミッシュの町に入ると、西部劇のセットの中に入ったようです。 それが神の喜ばれる姿でしょうか? 彼等の町でも罪悪は密かに横行しています。現代社会よりは、心が汚染されている度合いは低いかもしれません。 しかし、福音に生きると言うことは、創造主であり、罪の贖罪(身代り)のために、十字架の死から、三日目に甦られた《イエス・キリスト》を救い主と信じ、この方の教え(福音)に従い生きることが、唯一永遠への道なのです。 新たな思いで・・・ 《主が私と共に居られた‼️》と、証し出来る一日一日と致しましょう‼️ |