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力丸嗣夫師 リビングライフ LINE
          (新改訳聖書2017)
    

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北九州シオン教会

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 民数記 7章10節~89節

7:10 祭壇に油注ぎが行われた日に、族長たちは祭壇奉献のためのささげ物を献げた。族長たちが自分たちのささげ物を祭壇の前に近づけたとき、
7:11 【主】はモーセに言われた。「族長たちは一日に一人ずつの割合で、祭壇奉献のために彼らのささげ物を献げなければならない。」
7:12 最初の日にささげ物を献げたのは、ユダ部族のアミナダブの子ナフションであった。
7:13 そのささげ物は、聖所のシェケルで重さ百三十シェケルの銀の皿一枚、七十シェケルの銀の鉢一つ。この二つには穀物のささげ物として、油を混ぜた小麦粉がいっぱいに入れてあった。
7:14 また香を満たした十シェケルの金のひしゃく一つ。
7:15 全焼のささげ物として若い雄牛一頭、雄羊一匹、一歳の雄の子羊一匹。
7:16 罪のきよめのささげ物として雄やぎ一匹。
7:17 交わりのいけにえとして雄牛二頭、雄羊五匹、雄やぎ五匹、一歳の雄の子羊五匹。これがアミナダブの子ナフションのささげ物であった。
7:18 二日目にはイッサカルの族長、ツアルの子ネタンエルが献げた。
7:19 彼は、ささげ物として聖所のシェケルで重さ百三十シェケルの銀の皿一枚、七十シェケルの銀の鉢一つを献げた。この二つには穀物のささげ物として、油を混ぜた小麦粉がいっぱいに入れてあった。
7:20 また香を満たした十シェケルの金のひしゃく一つ。
7:21 全焼のささげ物として若い雄牛一頭、雄羊一匹、一歳の雄の子羊一匹。
7:22 罪のきよめのささげ物として雄やぎ一匹。
7:23 交わりのいけにえとして雄牛二頭、雄羊五匹、雄やぎ五匹、一歳の雄の子羊五匹。これがツアルの子ネタンエルのささげ物であった。
7:24 三日目は、ゼブルン族の族長、ヘロンの子エリアブ。
7:25 そのささげ物は、聖所のシェケルで重さ百三十シェケルの銀の皿一枚、七十シェケルの銀の鉢一つ。この二つには穀物のささげ物として、油を混ぜた小麦粉がいっぱいに入れてあった。
7:26 また香を満たした十シェケルの金のひしゃく一つ。
7:27 全焼のささげ物として若い雄牛一頭、雄羊一匹、一歳の雄の子羊一匹。
7:28 罪のきよめのささげ物として雄やぎ一匹。
7:29 交わりのいけにえとして雄牛二頭、雄羊五匹、雄やぎ五匹、一歳の雄の子羊五匹。これがヘロンの子エリアブのささげ物であった。
7:30 四日目は、ルベン族の族長、シェデウルの子エリツル。
7:31 そのささげ物は、聖所のシェケルで百三十シェケルの銀の皿一枚、七十シェケルの銀の鉢一つ。この二つには穀物のささげ物として、油を混ぜた小麦粉がいっぱいに入れてあった。
7:32 また香を満たした十シェケルの金のひしゃく一つ。
7:33 全焼のささげ物として若い雄牛一頭、雄羊一匹、一歳の雄の子羊一匹。
7:34 罪のきよめのささげ物として雄やぎ一匹。
7:35 交わりのいけにえとして雄牛二頭、雄羊五匹、雄やぎ五匹、一歳の雄の子羊五匹。これがシェデウルの子エリツルのささげ物であった。
7:36 五日目は、シメオン族の族長、ツリシャダイの子シェルミエル。
7:37 そのささげ物は、聖所のシェケルで百三十シェケルの銀の皿一枚、七十シェケルの銀の鉢一つ。この二つには穀物のささげ物として、油を混ぜた小麦粉がいっぱいに入れてあった。
7:38 また香を満たした十シェケルの金のひしゃく一つ。
7:39 全焼のささげ物として若い雄牛一頭、雄羊一匹、一歳の雄の子羊一匹。
7:40 罪のきよめのささげ物として雄やぎ一匹。
7:41 交わりのいけにえとして雄牛二頭、雄羊五匹、雄やぎ五匹、一歳の雄の子羊五匹。これがツリシャダイの子シェルミエルのささげ物であった。
7:42 六日目は、ガド族の族長、デウエルの子エルヤサフ。
7:43 そのささげ物は、聖所のシェケルで百三十シェケルの銀の皿一枚、七十シェケルの銀の鉢一つ。この二つには穀物のささげ物として、油を混ぜた小麦粉がいっぱいに入れてあった。
7:44 また香を満たした十シェケルの金のひしゃく一つ。
7:45 全焼のささげ物として若い雄牛一頭、雄羊一匹、一歳の雄の子羊一匹。
7:46 罪のきよめのささげ物として雄やぎ一匹。
7:47 交わりのいけにえとして雄牛二頭、雄羊五匹、雄やぎ五匹、一歳の雄の子羊五匹。これがデウエルの子エルヤサフのささげ物であった。
7:48 七日目は、エフライム族の族長、アミフデの子エリシャマ。
7:49 そのささげ物は、聖所のシェケルで百三十シェケルの銀の皿一枚、七十シェケルの銀の鉢一つ。この二つには穀物のささげ物として、油を混ぜた小麦粉がいっぱいに入れてあった。
7:50 また香を満たした十シェケルの金のひしゃく一つ。
7:51 全焼のささげ物として若い雄牛一頭、雄羊一匹、一歳の雄の子羊一匹。
7:52 罪のきよめのささげ物として雄やぎ一匹。
7:53 交わりのいけにえとして雄牛二頭、雄羊五匹、雄やぎ五匹、一歳の雄の子羊五匹。これがアミフデの子エリシャマのささげ物であった。
7:54 八日目は、マナセ族の族長、ペダツルの子ガムリエル。
7:55 そのささげ物は、聖所のシェケルで百三十シェケルの銀の皿一枚、七十シェケルの銀の鉢一つ。この二つには穀物のささげ物として、油を混ぜた小麦粉がいっぱいに入れてあった。
7:56 また香を満たした十シェケルの金のひしゃく一つ。
7:57 全焼のささげ物として若い雄牛一頭、雄羊一匹、一歳の雄の子羊一匹。
7:58 罪のきよめのささげ物として雄やぎ一匹。
7:59 交わりのいけにえとして雄牛二頭、雄羊五匹、雄やぎ五匹、一歳の雄の子羊五匹。これがペダツルの子ガムリエルのささげ物であった。
7:60 九日目は、ベニヤミン族の族長、ギデオニの子アビダン。
7:61 そのささげ物は、聖所のシェケルで百三十シェケルの銀の皿一枚、七十シェケルの銀の鉢一つ。この二つには穀物のささげ物として、油を混ぜた小麦粉がいっぱいに入れてあった。
7:62 また香を満たした十シェケルの金のひしゃく一つ。
7:63 全焼のささげ物として若い雄牛一頭、雄羊一匹、一歳の雄の子羊一匹。
7:64 罪のきよめのささげ物として雄やぎ一匹。
7:65 交わりのいけにえとして雄牛二頭、雄羊五匹、雄やぎ五匹、一歳の雄の子羊五匹。これがギデオニの子アビダンのささげ物であった。
7:66 十日目は、ダン族の族長、アミシャダイの子アヒエゼル。
7:67 そのささげ物は、聖所のシェケルで百三十シェケルの銀の皿一枚、七十シェケルの銀の鉢一つ。この二つには穀物のささげ物として、油を混ぜた小麦粉がいっぱいに入れてあった。
7:68 また香を満たした十シェケルの金のひしゃく一つ。
7:69 全焼のささげ物として若い雄牛一頭、雄羊一匹、一歳の雄の子羊一匹。
7:70 罪のきよめのささげ物として雄やぎ一匹。
7:71 交わりのいけにえとして雄牛二頭、雄羊五匹、雄やぎ五匹、一歳の雄の子羊五匹。これがアミシャダイの子アヒエゼルのささげ物であった。
7:72 十一日目は、アシェル族の族長、オクランの子パグイエル。
7:73 そのささげ物は、聖所のシェケルで百三十シェケルの銀の皿一枚、七十シェケルの銀の鉢一つ。この二つには穀物のささげ物として、油を混ぜた小麦粉がいっぱいに入れてあった。
7:74 また香を満たした十シェケルの金のひしゃく一つ。
7:75 全焼のささげ物として若い雄牛一頭、雄羊一匹、一歳の雄の子羊一匹。
7:76 罪のきよめのささげ物として雄やぎ一匹。
7:77 交わりのいけにえとして雄牛二頭、雄羊五匹、雄やぎ五匹、一歳の雄の子羊五匹。これがオクランの子パグイエルのささげ物であった。
7:78 十二日目は、ナフタリ族の族長、エナンの子アヒラ。
7:79 そのささげ物は、聖所のシェケルで百三十シェケルの銀の皿一枚、七十シェケルの銀の鉢一つ。この二つには穀物のささげ物として、油を混ぜた小麦粉がいっぱいに入れてあった。
7:80 また香を満たした十シェケルの金のひしゃく一つ。
7:81 全焼のささげ物として若い雄牛一頭、雄羊一匹、一歳の雄の子羊一匹。
7:82 罪のきよめのささげ物として雄やぎ一匹。
7:83 交わりのいけにえとして雄牛二頭、雄羊五匹、雄やぎ五匹、一歳の雄の子羊五匹。これがエナンの子アヒラのささげ物であった。
7:84 以上が、祭壇に油注ぎが行われた日に、イスラエルの族長たちから献げられた、祭壇奉献のささげ物であった。すなわち、銀の皿十二、銀の鉢十二、金のひしゃく十二。
7:85 銀の皿はそれぞれ百三十シェケル、鉢はそれぞれ七十シェケル。これらの器の銀は、合わせて、聖所のシェケルで二千四百シェケル。
7:86 香を満たした十二の金のひしゃくは、聖所のシェケルでそれぞれ十シェケル。ひしゃくの金は、合わせて百二十シェケル。
7:87 全焼のささげ物として、家畜は合わせて、雄牛十二頭、雄羊十二匹、一歳の雄の子羊十二匹、それに、それらに添える穀物のささげ物。また罪のきよめのささげ物として雄やぎ十二匹。
7:88 交わりのいけにえとして、家畜は合わせて、雄牛二十四頭、雄羊六十匹、雄やぎ六十匹、一歳の雄の子羊六十匹。これが祭壇に油注ぎが行われた後の、祭壇奉献のためのささげ物であった。
7:89 モーセは、主と語るために会見の天幕に入ると、あかしの箱の上にある「宥めの蓋」の上から、すなわち二つのケルビムの間から、彼に語られる御声を聞いた。主は彼に語られた。
 2025年3月31日(月)リビングライフQT

今日のテキストは、いよいよ幕屋における、礼拝・執り成し・あらゆる儀式・祭典が行われれ、備えが出来たので、全部族が、順次祭壇奉献の感謝の捧げ物を、お互いの間(部族間)の優劣なく、全く同じ量と質の捧げ物を携えて、次々と奉献したのです。長子の部族も、末っ子の部族も、全く差し引きなく、主なる神の前に、全力を持って、この業を現したのです。
実は、これ等の金も銀も、地金ではなく、皿・鉢・柄杓・・と、聖なる道具としての形にしたものでした。不動の民の聖なる材として、保管され、転用されないための、定めだったのでしょう。器の中に入ったものは、レビ族の用途に受け継がれたのでしょう。
神の前に、すべての民が平等であることを、イスラエルの民の不動のステータスとして、この時(民族確立)から宣言し、証するものとなったのです‼️この民が数千年に亘って、不動の結束と繁栄を保ったのは、正に、神の前に表した奉献の姿の中に、表され告白されたのです。
そして、毎日のように、各部族が捧げる祭壇の捧げ物(燔祭)の煙は、民の祝福と守りを、約束する、神の応答として、民に平安とこれからの守りの、保証として、民の心を一つにしたことでしょう。
こうして、12部族の神の前への奉献がなされた(12日間)後、12の民の代表者“モーセ”は、神の箱の前(後の契約の箱)に、神の声を聞き、民の捧げ物が受け入れられたことを知るのです。
指導者モーセの指導と、それを受けて実行する、各部族の長を始めとする民との結び付き(一人対200万の民)は、何もない荒野(砂漠に等しい)の中で、深く組み合わされて、移動の民の日々を守られたのは・・・・89節
『モーセは、主と語るために会見の幕屋にはいると、あかしの箱の上にある「」宥めの蓋』の上から、すなわち二つのケルビムの間から、彼に語られる御声を聞いた。主は彼に語られた。
聖書の世界が、人類世界(人類文化発展)の中で、力強く民を導いてきたのは・・・・
神が人と交わり・語らい・生き生きとした“コミュニケーシン”を求め、人がそれに答えた交わりがあったからです。神と人との『交わり』は、創造世界の完成への道筋なのです‼️そして、それが《福音》なのです。
福音は、教条や規則や戒律ではなく、神と人(あなた)との、交わりそのものなのです。
民数記は、その事を歴史を通して、明らかに示した、歴史記録だと言えますね
今日のテキストは、神の物語のワンステップで、前進経過の説明的な内容でしたね。
それは、主の導かれる道々の道標となりました。私たちはこの事を心に留めて、毎日の祈りと、神の言葉への黙想とを、更に大切に刻んで参りましょう。
 民数記 7章1節~9節

7:1 モーセは幕屋を設営し終えた日に、これに油注ぎをして、聖別した。そのすべての器具と、祭壇およびそのすべての用具にもそうした。彼がそれらに油注ぎをして聖別したとき、
7:2 イスラエルの族長たち、すなわち一族のかしらたちが近づいた。彼らは部族の長たちで、登録に当たった者たちである。
7:3 彼らは自分たちのささげ物を【主】の前に持って来た。それは覆いのある台車六台と雄牛十二頭で、族長二人につき車一台、一人につき牛一頭であった。彼らはこれを幕屋の前に引いて来た。
7:4 すると【主】はモーセに告げられた。
7:5 「会見の天幕の奉仕に使うために彼らからこれらを受け取り、レビ人にそれぞれの奉仕に応じて渡せ。」
7:6 そこでモーセは台車と雄牛を受け取り、それをレビ人に与えた。
7:7 ゲルション族には、その奉仕に応じて台車二台と雄牛四頭を与え、
7:8 メラリ族には、祭司アロンの子イタマルの監督のもとにある彼らの奉仕に応じて、台車四台と雄牛八頭を与えた。
7:9 しかしケハテ族には何も与えなかった。彼らの聖なるものに関わる奉仕は、肩に担いで運ぶことだったからである。
 2025年3月30日(日)リビングライフQT

イスラエルの民の最も基本となる体制が整えられ、特に、祭司(レビ族)以外の、リーダーシップの規定も整えられて・・
今日のテキストからは、《幕屋=聖所》で用いられる様々な道具を、徹底的に聖めの儀式によって《聖別》し、礼拝・宥めの供え物を盛る器・器具すべてを、聖めたのです‼️
このような仕組みは、とても大切なことを、現代の私達にも、教えてくれています❗
それは、聖と俗を分けて、取り扱う・・・と言う心です。、前にも書いたことがありましたが、御言葉を語る講壇・神に捧げる捧げ物を置く祭壇《献金箱》等・神の言葉を記録した《聖書》等々・・を、聖別されたものとして、扱う感性・習慣・・・今の合理化された《価値観》時代には、単なる道具・場所・印刷物として受け止めることが普通だと考えられ、むしろ、神聖化し過ぎて、偶像となると、理解する(確かにそれは危険性大ですね)傾向さえあります。
今は、その様な規定はないのですから、多くは語りませんが、行き過ぎない《聖別感》は、失いたくないものです。
シオン教会では、十一献金(収入の10分の1は、神への感謝に帰する)は、お給料を手にしたら、先ず、それを前に置いて、主に感謝して、その中から最初に取り分けて、捧げる献金袋に取り分けて入れる‼️そして感謝の祈りをして捧げると、教えられました。
小学3年生になって最初にもらったひと月のお小遣い(確か5円でした)、その10分の1の50銭が、私の最初の、十一献金でした(#^.^#)
まだ、その頃は《円》への切り替え前でしたので、《銭》が生きていたのです。丸いあめ玉が10銭でした。
その様な時代に教育を受けた私には、今でも身体・心の隅々にまで、聖別意識が染み込んでいるのです。
イスラエルの民は、この聖別意識を、3500年経過した今でも、彼等の国民的意識の土台となって、形式化され、生きているのです。
生活や、習慣に対するこれらの慣習への良し悪しは、別にして、私達の、全世界の創造者なる神・十字架の贖罪を為して下さった御子イエス様への、思いや仕来たりを越えた、感謝と献身は、過ぎる事がないほど、深くあって欲しいですね‼️
長くなりましたが、レビ族のゲルション・メラリ・ケハテ族は、幕屋の最も聖なる祭壇とその周辺の器具の設営・解体・運搬に当たるので、それぞれ、それらを運ぶ台車と牡牛とが、12部族から捧げられ聖別された。
しかし、ケハテ族は、最も聖なる器物を運ぶので、牛舎の車輪が凸凹に填まって、器物を落としてはとの危険性から、人が直接棒に通して担ぐ(担う)事で、牛舎は不要でした。
その様な事まで徹底した、聖別意識が、民全体の細部にまで、教育されていたのです。
何故なら、神の聖さを民全体に、歴史を貫いて、やがては、全人類(神が創造された人世界)に、知らせるための、教えなのです‼️
私達の、中にもそれは求められるのです。
形式や、仕来たりにではなく、私達の魂の中で、この聖なるお方が伴に歩まれるに相応しい、日々だろうか?との意識を持つことが大切なのです。
堅苦しく、意識する必要はありません。
何故なら、イエス様は、何時も伴に歩んで下さって居られる御方なのですから‼️
主と伴に歩む
   その楽しさよ
 主の踏みたまいし
   御跡を辿る
  一足 一足           
   主にすがりて
  絶えず 絶えず
    我は進まん‼️

明日(31日)のテキスト
民数記  7章10節~89節
☆明日のテキストを読まれる方は、各部族毎の、奉献(祭壇の犠牲の儀式)に関する規定が、12部族に対して同じ規定で記されているので、全部読むのが大変でしたら、内容は同じなので、各部族の名前に印をつけて、飛ばし読みして良いのではないでしょうか。
そして、84節以降がその纏め(まとめ)となっているので一読しましょう 
 民数記 6章13節~節

6:13 これはナジル人についてのおしえである。ナジル人としての聖別の期間が満ちたときは、彼を会見の天幕の入り口に連れて行く。
6:14 彼は次のささげ物を【主】に献げる。すなわち、全焼のささげ物として傷のない一歳の雄の子羊一匹、罪のきよめのささげ物として傷のない一歳の雌の子羊一匹、交わりのいけにえとして傷のない雄羊一匹、
6:15 さらに穀物のささげ物として、種なしパン一かご、油を混ぜた小麦粉の輪形パン、油を塗った種なしの薄焼きパンを、それぞれに添える注ぎのささげ物とともに献げる。
6:16 祭司はこれらのものを【主】の前に近づけ、罪のきよめのささげ物と全焼のささげ物を献げる。
6:17 交わりのいけにえとして雄羊を、一かごの種なしパンとともに【主】に献げ、さらに祭司は穀物のささげ物と注ぎのささげ物を献げる。
6:18 ナジル人は会見の天幕の入り口で、聖別した頭を剃り、その聖別した頭の髪の毛を取って、交わりのいけにえの下にある火にくべる。
6:19 ナジル人がその聖別した髪の毛を剃った後、祭司は煮えた雄羊の肩と、かごの中の種なしの輪形パン一つと、種なしの薄焼きパン一つを取って、ナジル人の手の上に載せる。
6:20 祭司はこれらを奉献物として【主】の前で揺り動かす。これは聖なるものであって、奉献物の胸肉、奉納物のもも肉とともに祭司のものとなる。その後で、このナジル人はぶどう酒を飲むことができる。
6:21 これがナジル人についてのおしえである。ナジル人としての聖別に加えて、その人の力の及ぶ以上に【主】へのささげ物を誓う者は、ナジル人としての聖別のおしえに加えて、その誓った誓いのことばどおりにしなければならない。」
6:22 【主】はモーセにこう告げられた。
6:23 「アロンとその子らに告げよ。『あなたがたはイスラエルの子らに言って、彼らをこのように祝福しなさい。
6:24 【主】があなたを祝福し、あなたを守られますように。
6:25 【主】が御顔をあなたに照らし、あなたを恵まれますように。
6:26 【主】が御顔をあなたに向け、あなたに平安を与えられますように。』
6:27 アロンとその子らが、わたしの名をイスラエルの子らの上に置くなら、わたしが彼らを祝福する。」
 2025年3月29日(土)リビングライフQT

  ☆ナジル人☆
ナジル人は、主なる神の聖い働きのために、願い出て(献身)、誓願をたて、定められた捧げ物を、祭司の手に渡し、祭司は定めに従って、それを主の前に捧げ、その一部をとってナジル人の誓願をした者に渡します。
こうして、神がその誓願をお受けになったことの証に、共に食すことで、誓願は受け入れられたのです。
彼らは、定められた祭司の仕事をするのではなく、ナジル人の登録に加えられて、神からの導きを受けて、イスラエルの民の霊的な指導をする使命を担うのです。
サムソンの例・サムエルの例を見ても、神が語られて、導かれるままに立ち上がり、指導的役割を果たしています。
これは、同時に、ナジル人個人にのみ帰せられる行動としてではなく、民の中から沸き上がる、結集した動き・行動に必要な指導者として、主が呼び出されたのでしょう。
モーセやアロンの指導の下で、民を束ね導く役割を担ったと考えられます。
こうして、イスラエルの民が、烏合の衆から、神の下に一つとされた、集団指導体制が、整えられて行ったのです。
このように整えられた民に、神はモーセを通して、祝福の言葉を与えられました。
素晴らしい御言葉ですから、再録させて頂きます。
あなたにも与えられる祝福です‼️

主があなたを祝福し、
あなたを守られますように。
主が御顔をあなたに照らし、
あなたを恵まれますように。
主が御顔をあなたに向け、
あなたに平安を与えられますように。
     アーメン‼️
 民数記 6章1節~12節

6:1 【主】はモーセに告げられた。
6:2 「イスラエルの子らに告げよ。男または女が、【主】のものとして身を聖別するため特別な誓いをして、ナジル人の誓願を立てる場合、
6:3 その人は、ぶどう酒や強い酒を断たなければならない。ぶどう酒の酢や強い酒の酢を飲んではならない。また、ぶどう汁をいっさい飲んではならない。ぶどうの実の生のものも、干したものも食べてはならない。
6:4 ナジル人としての聖別の全期間、彼はぶどうの木から生じるものはすべて、種も皮も食べてはならない。
6:5 彼がナジル人としての聖別の誓願を立てている間は、頭にかみそりを当ててはならない。【主】のものとして身を聖別している期間が満ちるまで、彼は聖なるものであり、頭の髪の毛を伸ばしておかなければならない。
6:6 【主】のものとして身を聖別している間は、死人のところに入って行ってはならない。
6:7 父、母、兄弟、姉妹が死んだ場合でも、彼らとの関わりで身を汚してはならない。彼の頭には神への聖別のしるしがあるからである。
6:8 ナジル人としての聖別の全期間、彼は【主】に対して聖なるものである。
6:9 だれかが突然、彼のそばで死んで、その聖別された頭を汚した場合には、身をきよめる日に頭を剃る。すなわち七日目に剃る。
6:10 そして八日目に、山鳩二羽か家鳩のひな二羽を、会見の天幕の入り口にいる祭司のところに持って行く。
6:11 祭司はその一羽を罪のきよめのささげ物とし、もう一羽を全焼のささげ物として献げ、死体によって招いた罪を除いて彼のために宥めを行い、その日に彼の頭を聖なるものとする。
6:12 その人は、ナジル人としての聖別の期間を、改めて【主】のものとして聖別する。そして一歳の雄の子羊を携えて行き、代償のささげ物とする。それ以前の日数は、彼の聖別が汚されたので無効になる。
 2025年3月28日(金)リビングライフQT

☆ナジル人☆
ナジル人・・・に関しては、スマホで検索してみてください。
端的に言えば、レビ族でなくとも、神に仕える・・思いを強く持つ民の一人が、その決意をして、一定の厳しい誓願をした上で、全生活をその誓願に乗っ取って、神の前に歩むとき、その人は、神の厳粛な働きの一翼を担う者として、登録されたのです。
旧約聖書の中で有名な人物で、サムソン、預言者サムエル・・・がそうですね。
*サムソンは、イスラエルの民が未だ国として整わない時代の、戦士として、12部族を、外敵から守る指導者的戦士として、ペリシテ人の恐れとなっていた。
*サムエルは、神からの御言葉をいただいて、民に伝えて、12部族を治め、その指導のもとで、イスラエル建国の士、ダビデを王として油注いだ、先見者(預言者)でした。

ナジル人となるための、誓願の細かな儀式については明日のテキストになりますが、
今日の、テキストには、二つの事が定めとして記されています。
①頭(髪の毛)を剃ることを禁じられる。髭を剃ること・・・
特別にその行為事態に、信仰的意味付けがあるのではないが・・
髪の長さ・髭(女性には生えないので、男性専科)は、剃ったり、伸ばしたり・・・と、自己表現の道具として、今流で言えば、《ファッション》として、用いられる。
神に仕えるものは、その全存在を主に向けるために、自己表現に魂を向けない・・・と言う意味が含まれるのです。
日本でも、仏教の《仏に仕える僧は、男女区別なく剃髪する》習わしに、見られますね。
これは、志願した者に求められる、一つのステップです。
②次の項目は、《死=死体》に触れることを厳格に避ける
《死》は、家族・親族・動物・等々、日常的に遭遇する避けられない事態です。それにも関わらず、それを禁じるとは⁉️
《死》それは、人間が無垢で、神の作品として、日々、直接(顔と顔・言葉と言葉)を交わして交わりを持っていた創造の初期、罪(神の言葉に従わず)を犯したため、死が人類を覆った・・→穢れ》となったのです。
この様に《死》は、罪の結果として、人生に恐れと不安とをもたらす、象徴的事態なので、ナジル人は、片時もそれに心惑わされることなく、神への献身に集中するための道に、歩むことが求められたのです。
たとえ肉親の死に遭遇しても、その事態からも、身を避けることが求められたのです。
確かに非人道的規定に思えますが、この様な特殊な事態を通して、神の民イスラエルは、やがて、神の御子イエス・キリスト(メシヤ)を宿す国民として、聖別され、選びの民として、世界に拡がったのです‼️
これが彼等の、神を第一とする献身として、求められたのです。
私が、伝道者として、献身し、神学校に上京するとき。父から、献身とは→《親兄弟の死に目にも遇えないんだぞ‼️》と、厳粛な想いで聴かされたことを思い出されます。63年前の4月でした。
私たちの時代は、《中央聖書学校》と言う名称で、神学や教養ではなく、ただただ《聖書》を読み解説され、祈り伝道に出掛け、公園に行き、子供を集めてイエス様のお話をする。聖日の教会派遣は、夜遅く帰寮するまで、教会奉仕、訪問・路傍伝道・トラクト配布等々、くたくたになって帰り、直ぐ就寝、次の朝から早天祈祷・・・
懐かしく思い出すのですが、生き生きとした日々でした。
今風のナジル人の訓練と献身の日々でした。
今、私達は、ナジル人ではありませんが、
聖日(日曜日)毎に、主なる神の前に、新たな献身をし、日常の中で主の福音を証しする民の一人として、現代のナジル人の歩みに邁進しましょう‼️(#^.^#)

☆リビングライフをお持ちの方は、P.149  の
《黙想エッセイを是非お読みください❗》 
 民数記 5章11節~31節

5:11 【主】はモーセにこう告げられた。
5:12 「イスラエルの子らに告げよ。もし人の妻が道を外して夫の信頼を裏切り、
5:13 ほかの男が彼女と寝て交わり、そのことが夫の目から隠れていて、彼女が身を汚したことが見つからず、証人もなく、彼女が捕らえられないままであるが、
5:14 妻が身を汚していて、夫にねたみの心が起こり、妻に対して憤る場合、あるいは妻が身を汚していないのに、夫にねたみの心が起こり、妻に対して憤る場合、
5:15 夫は妻を祭司のところに連れて行き、彼女のために大麦の粉十分の一エパをささげ物として携えて行きなさい。この上に油を注いでも乳香を加えてもいけない。これはねたみのためのささげ物、咎を思い出させる、覚えの分としての穀物のささげ物だからである。
5:16 祭司は、その女を進み出させ、【主】の前に立たせる。
5:17 祭司は聖なる水を土の器に取る。そして祭司は幕屋の床にある土のちりを取って、その水に入れる。
5:18 祭司は女を【主】の前に立たせ、その女の髪の毛を乱れさせて、その両方の手のひらに、覚えの分としての穀物のささげ物、すなわち、ねたみのためのささげ物を置く。一方、祭司の手には、のろいをもたらす苦みの水があるようにする。
5:19 祭司は女に誓わせて、この女に言う。『もし、ほかの男があなたと寝たことがなく、またあなたが夫のもとにあるのに、道ならぬことをして身を汚したことがないなら、あなたは、のろいをもたらすこの苦みの水の害を受けないように。
5:20 しかし、もしあなたが夫のもとにあるのに、道ならぬことをして身を汚し、夫以外の男があなたと寝たのであれば──』
5:21 ここで祭司はその女にのろいの誓いを立てさせて、その女に言う。『【主】があなたのももを痩せ衰えさせ、あなたの腹をふくれさせ、あなたの民のうちにあって、【主】があなたをのろいと非難の的とされるように。
5:22 また、のろいをもたらすこの水があなたのからだに入って腹をふくれさせ、ももを痩せ衰えさせるように。』そしてその女は、『アーメン、アーメン』と言う。
5:23 祭司はこののろいを書き物に書き、それを苦みの水の中に洗い落とす。
5:24 のろいをもたらすこの苦みの水を彼女に飲ませると、のろいをもたらす水が彼女の中に入って、苦くなる。
5:25 祭司は女の手から、ねたみのためのささげ物を取り、この穀物のささげ物を【主】に向かって揺り動かし、それを祭壇に近づける。
5:26 祭司は、穀物のささげ物から、覚えの分としてひとつかみを取り、それを祭壇で焼いて煙にする。その後で女に先の水を飲ませる。
5:27 その水を飲ませたとき、もし、その女が夫の信頼を裏切って身を汚していれば、のろいをもたらす水はその女の中に入って苦くなり、その腹はふくれて、そのももは痩せ衰える。その女はその民の間で、のろいの的となる。
5:28 しかし、もし女が身を汚しておらず、きよければ、罰を免れて、子を宿すようになる。
5:29 これが、ねたみについてのおしえである。女が夫のもとにあるのに、道ならぬことをして身を汚したり、
5:30 または夫にねたみの心が起こって、自分の妻に対して憤ったりする場合には、その妻を【主】の前に立たせる。そして祭司は彼女にこのおしえのすべてを行う。
5:31 夫に咎はなく、妻が自分の咎を負うのである。」
 2025年3月27日(木)リビングライフQT

今日のテキストは、様々な疑問が渦巻き、理解し辛いテキストですね。  先ず・・・
☆何故、女性の場合だけが、引き合いに出されて、捌き(裁き)が成されるのでしょうか❓
☆又、30節の場合、何故、夫の妬み(ここでは夫婦関係に関する妬み意外の“妬み心”についての言及です)が問題視されているのでしょう。それは、男性優位の立場の中で、女性(妻)が、強く出たり、周りから妻が評価されたりすることから、夫に妬みが生まれる・・事への、出来事なのでしょう。
実はこの時代(太古→古代→紀元→中世→近代・・)、どの民族(日本も含め)でも、部族でも、国でも・・・一夫多妻の社会でした。人類の、広大な人類世界への領域への拡がりへと、《産めよ、増えよ、地に満ちよ‼️》こうして、人類は、拡散し、地保を固め、集団(部族・種族・国・領域)を強固にし固定化し、その中で歴史・文化・etc.を、確立してきたのです。
こうした、歴史あっての今と言う、世界観が形成されたので、今の倫理観や、世界観や、政治観で、古代を論じる事は出来ません。かと言って、共感したり固定化することも出来ません。
今私たちの世界(日本・家庭・社会体制・・・)は、罪人が築き上げてきた、不完全な世界です。その中で、唯一《聖書》に教えられて。今生きているのです。
今日の(さらに続く)テキストを、このような形の裁きの座を開くとしたら、とんでもない間違いです。それを聖書的だ・・・と、言って時代に適応すれば、とんでもない新興宗教が生まれるでしょう。
私達が心する事は、神の創造の秩序と、歴史を通して確立された、《生命》の道の福音に生き、この福音の下に、人々をお連れする(会わせる)ことが最重要な、宣教なのです‼️
終わりの時代、家庭の崩壊(*家族を省みない夫婦 *親子の秩序を崩壊させる親・子供・他人の介入・家族内の殺人祝福の分配ならぬ、血生臭い遺産の分配闘争・・・)を、目の当たりにする昨今、
新たな思いで、十字架の赦しの福音を、声を大にして語りたい‼️
教会はこの使命を果たしているか???
今朝、新たなチャレンジを受けますね

明日(28日)のテキスト
民数記  6章1節~12節 
 民数記 5章1節~10節

5:1 【主】はモーセにこう告げられた。
5:2 「イスラエルの子らに命じて、ツァラアトに冒された者、漏出を病む者、死体によって身を汚している者をすべて宿営の外に追い出せ。
5:3 男でも女でも追い出し、彼らを宿営の外に追い出し、わたしがそのただ中に住む宿営を、彼らが汚さないようにしなければならない。」
5:4 イスラエルの子らはそのようにして、彼らを宿営の外に追い出した。【主】がモーセに告げられたとおりにイスラエルの子らは行った。
5:5 【主】はモーセにこう告げられた。
5:6 「イスラエルの子らに告げよ。男にせよ、女にせよ、他人に何か一つでも罪となることを行って【主】の信頼を裏切り、後になって、その人自身がその責めを覚えたときは、
5:7 自分が行った罪を告白しなければならない。その人は償いとして総額を弁償し、それにその五分の一を加えて、償いの責めを果たすべき相手に支払わなければならない。
5:8 もしその相手の人に、償いを受け取る権利のある親類がいなければ、その咎のために弁償されたものは【主】のものであり、祭司のものとなる。そのほか、その人のために宥めを行うための、宥めの雄羊もそうなる。
5:9 こうして、イスラエルの子らが祭司のところに携えて来るすべての聖なるものは、どの奉納物も祭司のものとなる。
5:10 聖なるささげ物は、人のもとにあればその人のものであるが、人が祭司に与えるものは祭司のものとなる。」
 2025年3月26日(水)リビングライフQT

これから展開される様々な規定は、非常に厳しい内容の、生活・衛生・信仰・道義・交わり(交流)・・・に関する定めです。
彼等(イスラエル)は、出エジプト以前は、広大な緑野の広がる、エジプトナイルデルタ地帯に住み、水の豊富な、衛生的な場所に居ました。
しかし、今や、夜営するための天幕を始め、生活道具一切をもって、200万に近い大集団となって、年間降雨量ほぼ0に近い荒野を、移動するのです。
☆病が出た場合どうしましょう
☆家庭内に起きたトラブルは・・・
☆病の蔓延
☆穏やかな集団生活の破綻(危機)
☆神を中心とした民がエジプトでは、異邦人の民の中に生きていた。
このような激変した新しい生活環境で、この民が生きていくために、全く新しい生活感を、形成しなければ、民は荒野で消滅したでしょう。

同時に、主なる神の歴史的ご計画は、イスラエルの民をして、全人類に、ご自身と、罪に沈んだ人類との間に、救いと、和解をもたらすためでした。そのベース(土台)となる民として、イスラエルは、選ばれたのですから、その定めは、非常に厳しく、その定めと規則は、他の全ての民からの、選び・歴史となって、世界の歴史に反映されたのです。
今日のテキストに出てくる《ツァラート》とは、ハンセン氏病で、戦後の時代まで、治療薬のない恐怖の隔離政策で、罹患者を苦しめて来ました。)
ましてや、3,500年前の彼等の病への恐怖や差別、恐ろしい蔓延から、民を守るための、神の御介入が、聖書の歴史にとって、深い意味を持つものとなったのです。
《宿営から追い出し…》この表現は余りにも厳しく、哀れみの伝わらない言葉となっていますが、考えると、それ程までに厳しい(病の恐ろしさ)現実であることが、そこから伺われます。
彼等が民の宿営から遠ざけられたことは事実でしょうが、だからと言って、彼等が見殺しにされたと言う事実はありません。彼等は養われながら、遠く離れての、旅路ではあったことでしょう。
イエス様の時代に《施しをする・・・》と言うことがしばしば出てきますが、これこそ、民のうちから隔離され、町中に入ることの出来ない、病の彼等に、衣食を施す‼️と言う業は、イエス様のお言葉にも、出てくるように、日常的、共存の姿だったのです。
次に示されているのは、対人関係で、人に罪を犯した場合には、きちんと謝罪と賠償とがなされ、その立ち会いに祭司(レビ族)が関わったのです。
この様な、仕来たり(規則)は、単なる、決まり事ではなく、祭司の介入による指導と、神の導き(御思いになる)の下で行われ、イスラエルの真ん中に主なる神が居ます‼️・・・と言う、
神の民・信仰に生きる民として、数千年の歴史を築いて来たのです。
 民数記 4章34節~49節

4:34 そこでモーセとアロンと会衆の上に立つ族長たちは、ケハテ族をその氏族ごと、一族ごとに、
4:35 三十歳以上五十歳までの者で、会見の天幕での奉仕の務めに就くことのできる者を、すべて登録した。
4:36 その氏族ごとに登録された者は、二千七百五十人であった。
4:37 これはケハテ人諸氏族で登録された者であって、会見の天幕で奉仕する者の全員であり、モーセを通して示された【主】の命によって、モーセとアロンが登録した者たちである。
4:38 ゲルション族で、その氏族ごと、一族ごとに登録され、
4:39 三十歳以上五十歳までの者で、会見の天幕での奉仕の務めに就くことのできる者の全員、
4:40 その氏族ごと、一族ごとに登録された者は、二千六百三十人であった。
4:41 これはゲルション人諸氏族で登録された者たちで、会見の天幕で奉仕する者の全員であり、【主】の命により、モーセとアロンが登録した者たちである。
4:42 メラリ人諸氏族で、その氏族ごと、一族ごとに登録され、
4:43 三十歳以上五十歳までの者で、会見の天幕での奉仕の務めに就くことのできる者の全員、
4:44 その氏族ごとに登録された者は、三千二百人であった。
4:45 これはメラリ人諸氏族で登録された者であり、モーセを通して示された【主】の命により、モーセとアロンが登録した者たちである。
4:46 モーセとアロンとイスラエルの族長たちが、レビ人を、その氏族ごと、一族ごとに登録した登録者の全員、
4:47 三十歳以上五十歳までの者で、会見の天幕で労働の奉仕と運搬の奉仕をする者の全員、
4:48 その登録された者は、八千五百八十人であった。
4:49 彼らは【主】の命により、モーセを通して任じられ、それぞれその奉仕とその運ぶ物を受け持った。【主】がモーセに命じた、主によって登録された者たちである。
 2025年3月25日(火)リビングライフQT

会見の幕屋→それは、後のエルサレム神殿の、内陣での働き、即ち、悔い改めと罪の執り成しの働きなのです。
最も神に近く居て、民の中に起こった、罪の現実に対して、成される働きは、やがて、イエス・キリスト様のゴルゴタの丘のあの十字架の犠牲の死に繋がる働きなのです。

この幕屋の中で行われる働きのために、8,580人の選ばれ登録された人々がいたのです。
彼らが常時携わっているのではなく、交代で、この役割に携わり、主なる神と罪の赦しを求める民の祈りと、捧げた犠牲の血とに関わるのですから、命懸けの働きなのです。
後にイエス・キリスト様がその全ての業を御一人で為されて、苦しみ叫びつつ、贖罪を成し遂げられたのです。
今、教会は、この事実を述べ伝えて、《ただ、この歴史的事実を信じる》時、罪赦されて、神の子とされ、神との交わりに入る・・この驚くべき現実を、教会は、喜びをもって証しする、使命を、祭司として(幕屋の働きを担ってきたあの、祭司職の選ばれた人々の様に)教会は担っているのです。
私たちクリスチャンは、あの8,580人の一人として・・・‼️
ハレルヤ‼️
感謝しつつ、この使命を担うに相応しく、生かしてください❗アーメン‼️

明日(26日)のテキスト
民数記   5章1節~10節 
 民数記 4章節21~33節

4:21 【主】はモーセにこう告げられた。
4:22 「あなたはまた、ゲルション族の頭数を、その一族ごと、氏族ごとに調べ、
4:23 三十歳以上五十歳までの者で会見の天幕で任務に当たり、奉仕をすることのできる者をすべて登録しなければならない。
4:24 ゲルション人諸氏族のなすべき奉仕と運ぶ物は次のとおりである。
4:25 幕屋の幕、会見の天幕とその覆い、その上に掛けるじゅごんの皮の覆い、会見の天幕の入り口の垂れ幕を運び、
4:26 また庭の掛け幕、幕屋と祭壇の周りを取り巻く庭の門の入り口の垂れ幕、それらのひも、およびそれらに用いるすべての用具を運び、これらに関係するすべての奉仕をしなければならない。
4:27 ゲルション族のすべての奉仕、すなわち、彼らが運ぶすべての物と彼らのすべての仕事は、アロンとその子らの命令によらなければならない。あなたがたは彼らに、任務として、彼らが運ぶ物をすべて割り当てなければならない。
4:28 以上がゲルション人諸氏族の会見の天幕における奉仕で、彼らの任務は祭司アロンの子イタマルの指揮下にある。
4:29 メラリ族について、あなたはその氏族ごと、一族ごとに、彼らを登録しなければならない。
4:30 三十歳以上五十歳までの者で、務めに就き、会見の天幕の奉仕をすることができる者たちをすべて、登録しなければならない。
4:31 会見の天幕での彼らのすべての奉仕の中で、彼らが任務として運ぶ物は次のとおりである。幕屋の板、その横木、その柱とその台座、
4:32 庭の周りの柱と、その台座、杭、ひも、これらの備品と、その奉仕に使うすべての物である。あなたがたは、彼らが任務として運ぶ備品を、名を挙げて割り当てなければならない。
4:33 これが会見の天幕でのすべての仕事に関するメラリ人諸氏族の奉仕で、これは祭司アロンの子イタマルの指揮下にある。」
 2025年3月24日(月)リビングライフQT

《幕屋》それは、イスラエルの民が、神の導かれるままに、やがて、約束の地に帰り、そこに、象徴的《神の御座=神殿=神の臨在を顕す最も神聖な場所》を建て挙げるための、基本となる《聖》《厳粛》《完全》《権威》《絶対》・・・等の原点となる、場所・姿・概念・・・等を具体的に顕すために、この様な厳しくも、限定的選び・指定・状況設定を、民に要請したのです。それらが単に、伝達されて、受け継がれるのではなく、最初にこの命を受けた、アロンとその子等が、神《聖・きよさ→畏れ》を持つその感性をもって、伝承されることを、内に秘めて、この厳しい仕来たりが定められ、伝えられるように、求められたのです。
この定めには、合理性(人の選択肢)や、利便性は入る余地はないのです。
実は、この厳しさは、私達のクリスチャン生活における、《神に仕える‼️》と言う日々の在り様にも、求められるものではないでしょうか。
合理主義・.生業(なりわい)主義・競争原理・自己目標による評価主義・自己陶酔・・・等が、しばしば信仰生活の、向上のステップとして、評価されて来たのです。
私達の信仰(主なる神様への服従)は、如何に自分を向上させて神に喜ばれるか?と、努力するのではなく、主なる神が何を求めておられるかを、知る・聴く・仰ぐ事に、最も注意深くなければならないのです‼️民数記のこと細かい、内容・指示は、この事を教えているのです。
神が何を求めておられるか⁉️
祈りと黙想と御言葉の中から、知り、従う者と心整えられて参りましょう
 民数記 4章1節~節

4:1 【主】はモーセとアロンに告げられた。
4:2 「レビ人のうち、ケハテ族の頭数を、その氏族ごと、一族ごとに調べよ。
4:3 それは会見の天幕で任務に当たり、仕事をすることのできる三十歳以上五十歳までのすべての者である。
4:4 ケハテ族の会見の天幕での奉仕は、最も聖なるものに関わることで、次のとおりである。
4:5 宿営が出発するときは、アロンとその子らが入って行って、仕切りの垂れ幕を取り降ろし、あかしの箱をそれでおおい、
4:6 その上にじゅごんの皮の覆いを掛け、またその上に真っ青の布を広げ、担ぎ棒を通す。
4:7 また、臨在の机の上に青色の布を広げ、その上に皿、ひしゃく、水差し、注ぎのささげ物のための瓶を載せ、またその上に常供のパンを置く。
4:8 これらのものの上に緋色の撚り糸の布を広げ、じゅごんの皮の覆いでこれをおおい、担ぎ棒を通す。
4:9 青色の布を取って、燭台とともしび皿、芯切りばさみ、芯取り皿、また、燭台のために用いる、油のためのすべての器具をおおい、
4:10 この燭台とそのすべての器具をじゅごんの皮の覆いの中に入れ、これを担ぎ台に載せる。
4:11 また金の祭壇の上に青色の布を広げ、それをじゅごんの皮の覆いでおおい、担ぎ棒を通す。
4:12 聖所で務めに用いる用具をみな取り、青色の布の中に入れ、じゅごんの皮の覆いでそれをおおい、これを担ぎ台に載せ、
4:13 祭壇から灰を除き、紫色の布をその上に広げる。
4:14 その上に、祭壇で用いるすべての用具、すなわち火皿、肉刺し、十能、鉢、これら祭壇のすべての用具を載せ、じゅごんの皮の覆いをその上に広げ、担ぎ棒を通す。
4:15 宿営が移動する際には、アロンとその子らが聖所と聖所のすべての用具をおおい終わってから、その後でケハテ族が入って行って、これらを運ばなければならない。彼らが聖なるものに触れて死ぬことのないようにするためである。これらは、会見の天幕でケハテ族が運ぶ物である。
4:16 祭司アロンの子エルアザルの責任は、ともしび用の油、香りの高い香、常供の穀物のささげ物、注ぎの油についてであり、幕屋全体とその中にあるすべての物、聖所とその用具についての責任である。」
4:17 【主】はモーセとアロンにこう告げられた。
4:18 「あなたがたは、ケハテ人諸氏族の部族をレビ人のうちから絶えさせてはならない。
4:19 あなたがたは彼らに次のようにして、彼らが最も聖なるものに近づくときに、死なずに生きているようにせよ。アロンとその子らが入って行き、彼らにそれぞれの奉仕と、運ぶ物を指定しなければならない。
4:20 彼らが入って行って、一目でも聖なるものを見て死ぬことのないようにするためである。」
 2025年3月23日(日)リビングライフQT

今日から始まる、民数記の記録は、暫く、幕屋の構造に関する説明と、それらの移動に伴って、解体したり、設営したりする、大変複雑な、しきたりが、語られます。
それらを今の日常の事として、重ねたり解説することはしませんが、イスラエルの民に対して、主が如何に重要なこととして、教えられたか・・・‼️を、しっかりと学びたいと思います。
最近は、次第に(否)急速に、価値観の違いや、感性の大切さが失われてきているように感じます。もう、30年ほど前のお話ですが、ある教会に、伝道師として、神学校卒業したばかりの若い伝道者が赴任したのです。ある時、会堂の掃除をしている所に、牧師が、入ってくると、メッセージをする、講壇の上に、掃除機の筒と先が載せてあったので、驚いて、注意すると、その若い伝道師は、けげんな顔をして、首をかしげながら、下ろした・・という話しを聞きました。
その伝師には、『何故・・・❓』と言うことがわからなかったのです。私達昭和の人間は違うのでしょうか?《聖》と(俗)の区別は自ずと身に付いた感性になっているように…
今の時代次第にその様な区別や違いへの、感性が薄くなっているように感じます。
大判の聖書や辞書を踏み台にして、高い所の物を取ったり・・・
全ての物は《物》であり、精神性の有るものではない。昔は、本は精神が宿る心だ‼️と考えられたのです。
今日のテキストは、幕屋の部材は❗神の臨在を包む、最も《聖》なる部材だから、組み立てる順序・解体する手順全てを、指示された通りにすることは、神の命に従う唯一の道なのだ‼️・・・と教えられたのです。
又、指定された、氏族の役割を与えられた者以外の人が、最も聖なる至聖所に置かれている、道具を見た時は《死》の裁きを受けるのです。このように規定されるほど、聖と俗を、振り分けたのです。
この様な神の定められた規定に従うとき、初めて神と人とが、一体となって、あらゆる困難を乗り越えられるのです。その経験が、未来永劫に、福音の担い手として、イスラエルが・教会が、主なる神と伴に、救いの道を示し続ける、使命を果たすのです。
献身・礼拝・御言葉の学び・祈り・讚美・赦し・哀れみ・・・等は、正に、幕屋の教えの様な、聖別の道を表すための、道筋なのです。
聖書を、読み学ぶのではなく、聖書を生きるのです。
《聖》を理解するのではなく、自ら《聖》に生きるのです。
 民数記 3章40節~51節

3:41 わたしは【主】である。あなたはイスラエルの子らのうちのすべての長子の代わりとしてレビ人を、またイスラエルの子らの家畜のうちのすべての初子の代わりとしてレビ人の家畜を取り、わたしのものにしなさい。」
3:42 モーセは【主】が彼に命じられたとおりに、イスラエルの子らのうちのすべての長子を登録した。
3:43 その登録による、名を数えられた、一か月以上のすべての男子の長子は、二万二千二百七十三人であった。
3:44 【主】はモーセに告げられた。
3:45 「イスラエルの子らのすべての長子の代わりにレビ人を、また彼らの家畜の代わりにレビ人の家畜を取れ。レビ人はわたしのものでなければならない。わたしは【主】である。
3:46 レビ人の数より多い、二百七十三人のイスラエルの子らの長子の贖いの代金として、
3:47 一人当たり五シェケルを取りなさい。これを、一シェケル二十ゲラの、聖所のシェケルで取らなければならない。
3:48 そしてこの代金を、多い分の者たちの贖いの代金として、アロンとその子らに渡しなさい。」
3:49 モーセは、レビ人によって贖われた者より多い分の者たちから、贖いの代金を取った。
3:50 すなわち、イスラエルの子らの長子から、聖所のシェケルで千三百六十五シェケルの代金を取ったのである。
3:51 モーセは【主】の命により、この贖いの代金をアロンとその子らに渡した。【主】がモーセに命じられたとおりである。
 2025年3月22日(土)リビングライフQT

《贖い》の原点

今日の課題は、非常に難しい内容ですが、結論から言うと、神に選ばれたレビ族⇒イスラエルの全ての民(12氏族)と、彼らを選ばれた主なる《神》との繋ぎ役として選ばれた《レビ族》は、常に聖なる者として、神と民との間の《執り成し役》として、神に仕え、聖所としての《幕屋→後の神殿》で神に仕え、祈りと、民の罪の執り成しの聖務 (祷りと燔際の儀式)を、司る者でした。その実務に当たるのは、レビ族の長子達でした。
それだけに、レビ族の長子の数は、他の12氏族の長子の数と、バランスをとらねばならなかったのです。
そのバランスを調整するために、12部族の長子の数がレビ族の長子の数に勝っていたので、レビ族の長子の足りない分の数(273人)を、多い分(12氏族分)を、人数分だけ、購ったのです。こうして、イスラエル全民族が、ひとり残さずに、主なる神の御手の中に、包まれたのです‼️
このイスラエルの、祭司制度は、そのまま、やがて顕された、大祭司《イエス・キリスト》様による、十字架の贖罪の死によって、霊のイスラエル(教会=あなた)の贖いとなって、今私達の全てが包まれているのです‼️ハレルヤ‼️
こうして、イエス・キリスト《神の御子》の身代わりの死によって、信じる全ての者が、神の民として受け入れられるのです。
  ハレルヤ‼️
 民数記 3章14節~節

3:14 【主】はシナイの荒野でモーセに告げられた。
3:15 「レビ族をその一族ごと、氏族ごとに登録せよ。あなたは生後一か月以上のすべての男子を登録しなければならない。」
3:16 そこでモーセは、【主】の命により、命じられたとおりに彼らを登録した。
3:17 レビ族の名は次のとおりである。ゲルション、ケハテ、メラリ。
3:18 ゲルション族の諸氏族の名は次のとおりである。リブニとシムイ。
3:19 ケハテ族の諸氏族は、それぞれ、アムラムとイツハル、ヘブロンとウジエル。
3:20 メラリ族の諸氏族は、それぞれ、マフリとムシ。これらが父祖の家ごとのレビ人の諸氏族である。
3:21 リブニ族とシムイ族はゲルションに属し、これらがゲルション人諸氏族であった。
3:22 数を数えて登録された者は、一か月以上のすべての男子であり、この登録された者は、七千五百人であった。
3:23 ゲルション人諸氏族は、幕屋のうしろ、西側に宿営することになっていた。
3:24 ゲルション人の一族の長は、ラエルの子エルヤサフであった。
3:25 会見の天幕でのゲルション族の任務は、幕屋すなわち天幕と、その覆い、会見の天幕の入り口の垂れ幕、
3:26 庭の掛け幕、それに幕屋と祭壇の周りを取り巻く庭の入り口の垂れ幕およびそのひも──そしてそれに関わるすべての奉仕であった。
3:27 アムラム族、イツハル族、ヘブロン族、ウジエル族はケハテに属し、これらがケハテ人諸氏族であった。
3:28 これらの一か月以上のすべての男子を数えると、八千六百人であった。彼らが聖所の任務に当たる者たちである。
3:29 ケハテ人諸氏族は、幕屋の南側に沿って宿営することになっていた。
3:30 ケハテ人諸氏族の、一族の長は、ウジエルの子エリツァファンであった。
3:31 彼らの任務は、契約の箱、机、燭台、祭壇、務めに用いる聖所の用具、さらに垂れ幕とそれに関わるすべての奉仕を含んでいた。
3:32 レビ人の長の長は祭司アロンの子エルアザルで、聖所の任務に当たる者たちの監督であった。
3:33 マフリ族とムシ族はメラリに属し、これらがメラリ人諸氏族であった。
3:34 数を数えて登録された者は、一か月以上のすべての男子であり、六千二百人であった。
3:35 メラリ人諸氏族の一族の長は、アビハイルの子ツリエルであった。彼らは幕屋の北側に沿って宿営することになっていた。
3:36 メラリ族の任務は、幕屋の板、その横木、その柱と台座、そのすべての用具、およびそれに関わるすべての奉仕、
3:37 庭の周りの柱とその台座、その杭とそのひもについてであった。
3:38 幕屋の正面、すなわち会見の天幕の前方に当たる東側に宿営するのは、モーセとアロンまたその子らで、イスラエルの子らの任務に代わって、聖所の任務に当たる者たちであった。資格なしにこれに近づく者は殺されなければならない。
3:39 モーセとアロンが【主】の命により氏族ごとに登録した、すべての登録されたレビ人は、一か月以上のすべての男子であり、二万二千人であった。
3:40 【主】はモーセに言われた。「イスラエルの子らの、一か月以上の男子の長子をすべて登録し、その名を数えよ。
 2025年3月21日(金)リビングライフQT

昨日は、イスラエルの民全体の構成と役の割り当て後、戦いに参加できる人口(民の実勢)の確立が示された後・・・

民の霊的土台となるレビ族に課せられる、民を導かれる神の臨在を顕す事と、神への礼拝全てを司るための、全ての役割を受け持つ、幕屋内部(聖所・至聖所)の管理と礼拝執行・・
の役割を担う、レビ族の立場の指定でした。
今日のテキストは、このレビ族が担う、全ての働きと、その氏族毎が担う役割の詳細が、語られています。
これからの過酷な行軍(移動)を、彼らは未だ分からなかったのですが、想像を遥かに越える困難が待ち受けているのです。
どの様な死に直面するような(戦闘・飢饉・枯渇)等の厳しさにも、耐えて、神に信頼する信仰と土台を守るのが、レビ族の使命なのです。
正に今日の教会(礼拝)の姿です。
クリスチャンは、今日のレビ族です。神が創造し愛される全ての民の、指標となるのです。
さあ、今日も明日も、永遠の御国目指して、乾いた荒野を、主の民と共に、進んで参りましょうハレルヤ‼️
 民数記 3章1節~13節

3:1 これは、【主】がシナイ山でモーセと語られたときの、アロンとモーセの系図である。
3:2 アロンの息子たちの名は、長子ナダブ、アビフ、エルアザル、イタマル。
3:3 これらはアロンの息子たちの名で、彼らは油注がれて祭司職に任じられた祭司であった。
3:4 ナダブとアビフは、シナイの荒野で【主】の前に異なる火を献げたときに、【主】の前で死んだ。彼らには子がいなかった。それでエルアザルとイタマルが父アロンの生存中から祭司として仕えた。
3:5 【主】はモーセに告げられた。
3:6 「レビ部族を進み出させ、彼らを祭司アロンに付き添わせて、仕えさせよ。
3:7 彼らは会見の天幕の前で、アロンに関わる任務と全会衆に関わる任務に当たり、幕屋の奉仕をしなければならない。
3:8 彼らは会見の天幕のすべての用具を守り、またイスラエルの子らに関わる任務に当たり、幕屋の奉仕をしなければならない。
3:9 あなたは、レビ人をアロンとその子らに付けなさい。彼らはイスラエルの子らの中から、正式にアロンに付けられた者たちである。
3:10 あなたは、アロンとその子らを任命して、その祭司の職を守らせなければならない。資格なしにこれに近づく者は殺されなければならない。」
3:11 【主】はモーセに告げられた。
3:12 「見よ。わたしは、イスラエルの子らのうちで最初に胎を開いたすべての長子の代わりに、イスラエルの子らの中からレビ人を取ることにした。レビ人はわたしのものとなる。
3:13 長子はすべて、わたしのものだからである。エジプトの地でわたしがすべての長子を打った日に、わたしは、人から家畜に至るまで、イスラエルのうちのすべての長子をわたしのものとして聖別した。彼らはわたしのものである。わたしは【主】である。」
 2025年3月20日(木)リビングライフQT

レビ族の任命(祭司職に就く)の経緯。

モーセとアロンは兄弟で、アロンはモーセの兄だった。
そして二人の生まれは、レビ族の出身でした。
3・4節に、アロンの息子達二人)ナダブとアビュウが、父アロンの行った、燔際の儀式に、神からの火が降って、祭壇のものを焼き尽くした厳粛な姿を観て、この二人は、自分達も祭司の息子‼️と自らを誇示しょうと、祭壇の火を採って、自ら祈りの香を焚いたのです。すると、主の前から火が降って、彼らを焼き尽くした。(レビ記9章22節~10章2節)
この事から、主なる神は、いたずらに神の聖なる領域に踏み込む愚かな事態が再び起こらないためにも、レビの部族をアロンに続く祭司の部族として、任命したのです。
まさに、イスラエルの長子としての立場に任命し、ご自身に仕える者として、聖別されました。最早、真似事や、権威のために利用するものではないことを、厳正に民に命じられたのです‼️
12節~・・レビはわたしのものとなる・・‼️

この様に、民数記は、歴史の記録ではありますが、単なる歴史物語(実録としての)に留まらず、むしろ、イスラエルの民が神に選ばれた《選民》としての、実証の記録なのです。
《神の選び‼️》が、厳粛な記録を通して、神の御威光が明らかにされ、それが又、今の私達の選びの、深い神の御思いを示唆する、厳粛な記録ともなっているのです。
私は今朝のテキストを学び黙想しながら、長子としての選び‼️・・を、深く魂に刻まれました。
単に、“長男”と言う概念ではなく、選ばれた“代表”としての、無限の尊さを実感させられるのです。長子のゆえに、その回りの全てが選ばれ、永遠の祝福と、繁栄が約束されると言うことなのです‼️
あなたの家族・親族・友人・所属するグループが、あなたの故に、祝福される・・・と言う恵みなのです。
救われ・主の僕・クリスチャンとされていることは、そう言うことなのです‼️
主よ、あなたの御側に何時も、安らがせて下さい。アーメン
 民数記 2章1節~34節

2:1 【主】はモーセとアロンに告げられた。
2:2 「イスラエルの子らは、それぞれ自分たちの旗のもと、自分の一族の旗じるしのもとに宿営しなければならない。会見の天幕の周りに、距離をおいて宿営しなければならない。
2:3 前方、すなわち東側に宿営する者は、軍団ごとのユダの宿営の旗の者でなければならない。ユダ族の族長はアミナダブの子ナフションである。
2:4 彼の軍団は、登録された者が七万四千六百人である。
2:5 その隣に宿営するのはイッサカル部族であり、イッサカル族の族長はツアルの子ネタンエルである。
2:6 彼の軍団は、登録された者が五万四千四百人である。
2:7 その次はゼブルン部族で、ゼブルン族の族長はヘロンの子エリアブである。
2:8 彼の軍団は、登録された者が五万七千四百人である。
2:9 ユダの宿営に属し、その軍団ごとに登録された者の総数は、十八万六千四百人。彼らが先頭を進まなければならない。
2:10 南側は、軍団ごとのルベンの宿営の旗の者たちである。ルベン族の族長はシェデウルの子エリツルである。
2:11 彼の軍団は、登録された者が四万六千五百人である。
2:12 その隣に宿営するのはシメオン部族で、シメオン族の族長はツリシャダイの子シェルミエルである。
2:13 彼の軍団は、登録された者が五万九千三百人である。
2:14 その次はガド部族で、ガド族の族長はデウエルの子エルヤサフである。
2:15 彼の軍団は、登録された者が四万五千六百五十人である。
2:16 ルベンの宿営に属し、その軍団ごとに登録された者の総数は、十五万一千四百五十人。彼らは二番目に進まなければならない。
2:17 次に会見の天幕、すなわちレビ人の宿営が、これらの宿営の中央にあって進まなければならない。宿営する場合と同じように、彼らはそれぞれ自分の場に就いて、自分の旗に従って進まなければならない。
2:18 西側は、軍団ごとのエフライムの宿営の旗の者たちである。エフライム族の族長はアミフデの子エリシャマである。
2:19 彼の軍団は、登録された者が四万五百人である。
2:20 その隣はマナセ部族で、マナセ族の族長はペダツルの子ガムリエルである。
2:21 彼の軍団は、登録された者が三万二千二百人である。
2:22 その次はベニヤミン部族で、ベニヤミン族の族長はギデオニの子アビダンである。
2:23 彼の軍団は、登録された者が三万五千四百人である。
2:24 エフライムの宿営に属し、その軍団ごとに登録された者の総数は、十万八千百人。彼らは三番目に進まなければならない。
2:25 北側は、軍団ごとのダンの宿営の旗の者たちである。ダン族の族長はアミシャダイの子アヒエゼルである。
2:26 彼の軍団は、登録された者が六万二千七百人である。
2:27 その隣に宿営するのはアシェル部族で、アシェル族の族長はオクランの子パグイエルである。
2:28 彼の軍団は、登録された者が四万一千五百人である。
2:29 その次はナフタリ部族で、ナフタリ族の族長はエナンの子アヒラである。
2:30 彼の軍団は、登録された者が五万三千四百人である。
2:31 ダンの宿営に属する、登録された者の総数は、十五万七千六百人。彼らはその旗に従って、最後に進まなければならない。」
2:32 以上が、イスラエルの子らで、その一族ごとに登録された者たちであり、全宿営の軍団ごとに登録された者の総数は、六十万三千五百五十人であった。
2:33 しかしレビ人は、【主】がモーセに命じられたように、ほかのイスラエルの子らとともに登録されることはなかった。
2:34 イスラエルの子らは、すべて【主】がモーセに命じられたとおりに行い、それぞれの旗ごとに宿営し、それぞれその氏族ごと、一族ごとに進んで行った。
 2025年3月19日(水)リビングライフQT

主が命じられた、12部族の構成と、布陣(こ゚れからの荒野の移動と、宿営を張る時の体制)についての、細かい導き。

イスラエルは、ある時、モーセを通して、神がエジプトからこの大集団を引き出されるまで、400年に亘って、ゴシェンの地に定住し、牧畜に専従していたのです。エジプトの民は、ナイルのデルタ地帯で農業に専従する民でした。その様な住み分けの中で、積み重ねられてきた民が、突然、大集団となって、エジプトから脱出し、シナイ半島の荒野に出たのですから、烏合の衆と言われても、仕方がなかったのです。
(月曜には推測で150万人と記しましたが、他の資料を参考にしたり、改めて精査すると、その数は200万から300万人)と推測できるのです。その他、羊ヤギ等、家畜を加えると、途方もない、大集団なのです。
このラインメッセージを愛読されている、ひとりの中学生が『神様が成されるのでなければ、考えられないですね。』と、返信してくださいました。
嬉しかったです。想像を膨らましながら読んでくださっているのが、想像出来るからです‼️(#^.^#)
そうなのです。想像できないほどの、出来事なのです。
モンゴロイドのアジアから南米大陸までの移動、ゲルマン民族の東欧から西欧への移動、モンゴル民族の西欧への遠征・・・等々の史実はありますが、
イスラエルの民の移動のような、短期間での、このような民族の大移動は、歴史上他に例がないのです。
この様な歴史が、単期間(40年)に移行したのは、まさに高度な組織的指導がなければ、考えられない事です。
その事を示唆するのが、今日のテキストなのです。
この事を可能にした二つの事は・・・
①レビ族の選びです。彼らは常に、イスラエルの長子ではありませんが、モーセとアロンの家系なので神はレビ族を、祭司の氏族として選ばれて、彼らの氏族を通して、全ての民を、統率したのです。
②常に、神が語りかけた、モーセの言葉に、徹底して従ったことです。
指導者・その下で全体を整える、小グループ、そして一人一人の繋がり・・・今日の教会も又、この様にして、世界に広がってきたのです。今やキリストの群れは、アマゾンのジャングルから、ニューヨークのビルの谷間から、海に囲まれた列島の島々にまで、神の民は散れても一つなのです。アーメン

明日(20日)のテキスト
民数記 3章1節~13節 
 民数記 1章47節~54節

1:47 しかしレビ人は、彼らとともに父祖の部族ごとに登録されることはなかった。
1:48 【主】はモーセに告げられた。
1:49 「レビ部族だけは、ほかのイスラエルの子らとともに登録してはならない。また、その頭数を調べてはならない。
1:50 あなたは、レビ人に、あかしの幕屋とそのすべての用具、およびすべてそれに付属するものを管理させよ。彼らは幕屋とそのすべての用具を運び、これに仕え、幕屋の周りに宿営しなければならない。
1:51 幕屋が進むときはレビ人がそれを取り外し、幕屋が張られるときはレビ人がこれを組み立てなければならない。資格なしにこれに近づく者は殺されなければならない。
1:52 イスラエルの子らは、軍団ごとに、それぞれ自分の宿営、自分の旗のもとに天幕を張るが、
1:53 レビ人は、あかしの幕屋の周りに宿営しなければならない。わたしの怒りがイスラエルの会衆の上に臨むことがあってはならない。レビ人はあかしの幕屋に関わる任務に当たる。」
1:54 イスラエルの子らは、このようにし、すべて【主】がモーセに命じられたとおりに行った。
 2025年3月18日(火)リビングライフQT

イスラエルの民の構成。(創世記29章~30章)
☆ルベン→シメオン→レビ→ユダ→ダン→ナフタリ→ガド→アシュル→イッサカル→ゼブルン→ヨセフ
これがアブラハムの子、イサクの子、ヤコブの子の、11人の息子たちでした。
神の摂理により、一番下の11番目の子 “ヨセフ” が、父親ヤコブから、余りにも可愛がられたことから、他の10人の兄達に嫉妬されて、密かにエジプトへ奴隷として売られたのです。
ヨセフは、そのエジプトで、ひたすら主なる神を信じ信頼して、遂に当時世界第一の帝国エジプトの、王に信頼され、彼に政治の全権を委ねたのです。
その様な時期に、パレスチナを襲う飢饉で、兄たちが揃って、食料買い付けに来たのが発端で、ヨセフと兄達の和解が成り、父ヤコブを初めとして、ヤコブの全家族が、エジプトに移住したのです。
それから約400年の歴史が積み重なって、エジプト大帝国を脅かすほどの、民族勢力となったので、ヨセフを知らない王(パロ)は、イスラエル(ヤコブの父の後の名前が、民族の名となる)一族の撲滅をはかり、イスラエルは、エジプトを脱出したのです。
元々、イスラエルの子は、11人でしたが、神は、その中の第三子を、神に仕える聖なる働きに専従させるように指名し、その代わりに、神に信頼し尽くして、民の拡大の土台となった、ヨセフの二人の男子を、新たに、民の名簿に加えて、12氏族として、未来永劫に、制度化したのです。その二人は‼️
☆エフライム☆マナセなのです。
さて、そこで、神はなぜ、神に仕えるための レビの部族を、定められたのでしょう。
それは、イスラエルの民が、人類の続く限り、ただ御一人の神を、人類の世に証するための、罪の赦しの神からのメッセージを、伝え続ける証しの器、また、
世に神の救い(罪の赦し)の土台となるメシヤを、世に送るための選びの器とされたのです。
そのために、神に仕え、民を常に神に近づけ、神と人との繋ぎ役《仲保者》
として専従する様に、制度化されたのです。
それが《レビ族》なのです。
彼らは、神の臨在の象徴である《幕屋→後の神殿》の設営・解体・運搬・補修・・・幕屋の中での、神聖な儀式の執行・指導者モーセの護り・・・を、担いながら、民の融和と結束、闘いへの鼓舞、民の心の癒しを、与える存在として、神に仕えたのです‼️

彼らは常に神の臨在の近くに居住し、自ずと神の民としての潔さに、生きる日々を積み重ねたのです。
この姿は、私達クリスチャンの使命であり、教会は、世に神の臨在を証しする幕屋としての使命を表すものとして、護らねばなりません。民数記は、その様な時代を越えた、使命を今の私達に示唆している書簡だと言えます。
 民数記 1章20節~46節

1:20 イスラエルの長子ルベンの子孫は、氏族ごと、一族ごとに分かれたその家系に属する者たちで、一人ひとり名を数えられた、二十歳以上で戦に出ることができる者すべて。
1:21 このルベン部族で登録された者は、四万六千五百人であった。
1:22 シメオンの子孫では、氏族ごと、一族ごとに分かれたその家系に属する者たちで、一人ひとり名を数えられた、二十歳以上で戦に出ることができる者すべて。
1:23 このシメオン部族で登録された者は、五万九千三百人であった。
1:24 ガドの子孫では、氏族ごと、一族ごとに分かれたその家系に属する者たちで、名を数えられた二十歳以上で戦に出ることができる者すべて。
1:25 このガド部族で登録された者は、四万五千六百五十人であった。
1:26 ユダの子孫では、氏族ごと、一族ごとに分かれたその家系に属する者たちで、名を数えられた二十歳以上で戦に出ることができる者すべて。
1:27 このユダ部族で登録された者は、七万四千六百人であった。
1:28 イッサカルの子孫では、氏族ごと、一族ごとに分かれたその家系に属する者たちで、名を数えられた二十歳以上で戦に出ることができる者すべて。
1:29 このイッサカル部族で登録された者は、五万四千四百人であった。
1:30 ゼブルンの子孫では、氏族ごと、一族ごとに分かれたその家系に属する者たちで、名を数えられた二十歳以上で戦に出ることができる者すべて。
1:31 このゼブルン部族で登録された者は、五万七千四百人であった。
1:32 ヨセフの子孫では、エフライムの子孫で、氏族ごと、一族ごとに分かれたその家系に属する者たちで、名を数えられた二十歳以上で戦に出ることができる者すべて。
1:33 このエフライム部族で登録された者は、四万五百人であった。
1:34 マナセの子孫では、氏族ごと、一族ごとに分かれたその家系に属する者たちで、名を数えられた二十歳以上で戦に出ることができる者すべて。
1:35 このマナセ部族で登録された者は、三万二千二百人であった。
1:36 ベニヤミンの子孫では、氏族ごと、一族ごとに分かれたその家系に属する者たちで、名を数えられた二十歳以上で戦に出ることができる者すべて。
1:37 このベニヤミン部族で登録された者は、三万五千四百人であった。
1:38 ダンの子孫では、氏族ごと、一族ごとに分かれたその家系に属する者たちで、名を数えられた二十歳以上で戦に出ることができる者すべて。
1:39 このダン部族で登録された者は、六万二千七百人であった。
1:40 アシェルの子孫では、氏族ごと、一族ごとに分かれたその家系に属する者たちで、名を数えられた二十歳以上で戦に出ることができる者すべて。
1:41 このアシェル部族で登録された者は、四万一千五百人であった。
1:42 ナフタリの子孫では、氏族ごと、一族ごとに分かれたその家系に属する者で、名を数えられた二十歳以上で戦に出ることができる者すべて。
1:43 このナフタリ部族で登録された者は、五万三千四百人であった。
1:44 以上がモーセとアロン、またイスラエルの族長たちが登録した者たちである。この族長たち十二人は、それぞれ、自分の一族を代表していた。
1:45 一族ごとに登録された二十歳以上のイスラエルの子らで、イスラエルで戦に出ることができる者すべて、
1:46 登録された者の総数は、六十万三千五百五十人であった。
 2025年3月17日(月)リビングライフQT

この書は、昨日も書いたように、イスラエルの民が、神の選びの民として、整えられる大切な、歴史の記録なのです。
古代世界で《数》は、栄光であり《力》であり、神の《証》でもあるのです。
エジプトを出て二年の年月が経過しましたが、シナイの荒野に烏合の衆のように、留まっていました。この間、彼らがエジプトから持ち出した食料は、間も無く尽き果て、民は、ひたすら、毎日天から降る《マナ》を食べて、命を繋いでいたのです。変化のない、行く手に希望も見えず、灼熱の太陽・内陸の夜の厳しい冷え込み・・・このような過酷な荒野で過ごした二年は、どんなだったでしょう
私たちの人生、信仰生活にも、この様な変化のない、ただ重苦しく過ぎ去った時はなかったでしょうか?
イスラエルの民の歴史は、この後も、38年もの長きに亘って、このシナイの広野を、さ迷うのです。未だ彼らは知る由もない、途方もない試練を前にして、
神は、民を一つにしっかりと結ばせるための、人口調査を命じられたのです。それは、民が自分達の存在が、烏合の衆ではなく、
明らかに、全能の神の深い摂理の中にあることを、知るための作業だったのです。
各氏族が選り分けられ(氏族毎のアイデンティティーが明らかになる)その人数が数えられました。女性と、20才以下の子供は数えられない。
戦士として戦える、イスラエルの軍事的誇示(自己確立)にもなったのです。同時に、民にとっては、自分達を、この荒野で養う神への、新たな信頼と信仰を、魂に刷り込む、神の御意図が、あったのでしょうか。
その数は603,550人だった…と‼️
数えられなかった女性・子供を考えると倍以上にはなる数ですね。150万は越える民の勢力だったでしょう。
このように大規模な民族の大移動は、歴史の中にはないのです。
神様の歴史的摂理‼️と言う他ないですね。
私たちの信じ信頼するお方は、実にこの様に人間と深く関わって下さる御方です‼️
恐れるな。わたしはあなたと共にいる‼️と、
語られるお方に信頼しましょう。ハレルヤ‼️
 民数記 1章1節~19節

1:1 エジプトの地を出て二年目の第二の月の一日に、【主】は、シナイの荒野の会見の天幕でモーセに告げられた。
1:2 「イスラエルの全会衆を、氏族ごと、一族ごとに調べ、すべての男子を一人ひとり名を数えて、その頭数を調べよ。
1:3 あなたとアロンは、イスラエルにおいて、二十歳以上で戦に出ることができる者をすべて、その軍団ごとに登録しなければならない。
1:4 また部族ごとに一人ずつ、一族のかしらである者が、あなたがたとともにいなければならない。
1:5 あなたがたの助手となるはずの者の名は次のとおりである。ルベンからはシェデウルの子エリツル。
1:6 シメオンからはツリシャダイの子シェルミエル。
1:7 ユダからはアミナダブの子ナフション。
1:8 イッサカルからはツアルの子ネタンエル。
1:9 ゼブルンからはヘロンの子エリアブ。
1:10 ヨセフの子らからは、エフライムからアミフデの子エリシャマ、マナセからペダツルの子ガムリエル。
1:11 ベニヤミンからはギデオニの子アビダン。
1:12 ダンからはアミシャダイの子アヒエゼル。
1:13 アシェルからはオクランの子パグイエル。
1:14 ガドからはデウエルの子エルヤサフ。
1:15 ナフタリからはエナンの子アヒラ。」
1:16 これらの者が会衆から召し出された者で、その父祖の部族の長たちである。彼らがイスラエルの分団のかしらたちである。
1:17 さて、モーセとアロンは、これら指名された者たちを伴い、
1:18 第二の月の一日に全会衆を召集した。そこで氏族ごと、一族ごとに、二十歳以上の者の名を一人ひとり数えて、その家族表で本人を確認した。
1:19 【主】がモーセに命じられたように、モーセはシナイの荒野で彼らを登録した。
 2025年3月16日(日)リビングライフQT

今日から旧約聖書の《民数記》です。今朝のテキストは、導入部のイスラエルの歴史の原点となる記録なので、少し解説を混ぜて、御送ります。
①イスラエルの歴史は、紀元前2000年代ですから、今から4000年以上前の人アブラハムに始まるのです。
アブラハムは創造者である神に、呼び出されて、その生涯をかけて、真の唯一の神《ヤーハウェ=全宇宙・世界・地球上のすべて、そして人間の創造者》を示して、人類にその栄光を、示す(教え伝える)為に選ばれました。
②様々な紆余曲折(創世記・出エジプト記)の後、エジプトに数百年居住した民が、モーセによって、エジプトを脱出し(出エジプト=エクソダス)た。
③あの狭い、四国より少し広い荒野(シナイ半島)で、40年の迷走の歴史を刻んだ。この中で、神の厳しさと、慈しみと、確かさとを、代を重ねて体験し、世界に冠たる、唯一の神を信じる、《イスラエル民族》として、生まれ変わり、この民の子孫から、イエス・キリスト(全人類の救い主)が顕れる、歴史の土台となったのです。
 
今日からの学びは、その歴史の始まりの、イスラエルの12氏族が確立される、神の歴史摂理の始まりの記録なのです‼️
19節~主がモーセに命じられたように・・・とありますが、モーセの信仰による、神との交わりと導きにより、世界人類の、永遠の救いの道の土台が、据えられ始めるのです‼️
さて、私達は、わたしの回りの人々、そして子孫に、イエス様に導かれながら、永遠の救いの道への導きを、拡げる使命が与えられています。
又、新たに学びを続けながら、その道を辿り続けましょう。
 ヨハネの福音書 21章15節~節

21:15 彼らが食事を済ませたとき、イエスはシモン・ペテロに言われた。「ヨハネの子シモン。あなたは、この人たちが愛する以上に、わたしを愛していますか。」ペテロは答えた。「はい、主よ。私があなたを愛していることは、あなたがご存じです。」イエスは彼に言われた。「わたしの子羊を飼いなさい。」
21:16 イエスは再び彼に「ヨハネの子シモン。あなたはわたしを愛していますか」と言われた。ペテロは答えた。「はい、主よ。私があなたを愛していることは、あなたがご存じです。」イエスは彼に言われた。「わたしの羊を牧しなさい。」
21:17 イエスは三度目もペテロに、「ヨハネの子シモン。あなたはわたしを愛していますか」と言われた。ペテロは、イエスが三度目も「あなたはわたしを愛していますか」と言われたので、心を痛めてイエスに言った。「主よ、あなたはすべてをご存じです。あなたは、私があなたを愛していることを知っておられます。」イエスは彼に言われた。「わたしの羊を飼いなさい。
21:18 まことに、まことに、あなたに言います。あなたは若いときには、自分で帯をして、自分の望むところを歩きました。しかし年をとると、あなたは両手を伸ばし、ほかの人があなたに帯をして、望まないところに連れて行きます。」
21:19 イエスは、ペテロがどのような死に方で神の栄光を現すかを示すために、こう言われたのである。こう話してから、ペテロに言われた。「わたしに従いなさい。」
21:20 ペテロは振り向いて、イエスが愛された弟子がついて来るのを見た。この弟子は、夕食の席でイエスの胸元に寄りかかり、「主よ、あなたを裏切るのはだれですか」と言った者である。
21:21 ペテロは彼を見て、「主よ、この人はどうなのですか」とイエスに言った。
21:22 イエスはペテロに言われた。「わたしが来るときまで彼が生きるように、わたしが望んだとしても、あなたに何の関わりがありますか。あなたは、わたしに従いなさい。」
21:23 それで、その弟子は死なないという話が兄弟たちの間に広まった。しかし、イエスはペテロに、その弟子は死なないと言われたのではなく、「わたしが来るときまで彼が生きるように、わたしが望んだとしても、あなたに何の関わりがありますか」と言われたのである。
21:24 これらのことについて証しし、これらのことを書いた者は、その弟子である。私たちは、彼の証しが真実であることを知っている。
21:25 イエスが行われたことは、ほかにもたくさんある。その一つ一つを書き記すなら、世界もその書かれた書物を収められないと、私は思う。

 2025年3月15日(土)リビングライフQT

イエス様の、ぺテロへの信任の声かけの言葉です。
15節~わたしの子羊を 
    飼いなさい‼️
16節~わたしの羊を
    牧しなさい‼️
17節~わたしの羊を
    飼いなさい‼️
19節~わたしに
    従いなさい‼️
22節~わたしに
    従いなさい‼️
この様に、ぺテロにだけ、この様にお声掛されたのは何故でしょう。
誰もが思うのは、あの大祭司の庭で、三度も「イエスを知らない」と、語った(否んだ)事への、何等かの主の責め…?と、言う思いでしょう。
しかし、そのように戒め的な御言葉でないことは、それに続く主の御言葉を観ると分かります。『私の羊を飼いなさい。』です。
どの弟子も、大なり小なり、捕らえられ裁かれる主の御側から姿を消したのです。
その最悪筆頭のぺテロへの、御言葉が、『わたしの羊を飼いなさい‼️』なのです。即ち、ぺテロに、主は、全幅の信頼を寄せて(投げ掛けて)、御国建設(教会を建てあげる)歴史的大使命を、託された・・・・のです。
主なる神様は、傷付いた器(赦された罪人)を通して、神の国の輝かしい救いの御業を、顕されるのです。教会の歴史は、今日のイエス様のぺテロへの信任のお言葉から、初められたのです。
赦された者が握る、神の言葉→福音なのです。
今朝、これを読む《あなた》主の信任の御声を聞きましょう。
自分の救い(永遠の命)にだけに留まらず(しがみつかず)、あなたの救いの喜びと平安を、回りの人々に伝える事を託されていることを覚えて、歩き始めて下さい。
『あなたは、わたしに、従いなさい‼️』
 ヨハネの福音書 21章1節~14節

21:1 その後、イエスはティベリア湖畔で、再び弟子たちにご自分を現された。現された次第はこうであった。
21:2 シモン・ペテロ、デドモと呼ばれるトマス、ガリラヤのカナ出身のナタナエル、ゼベダイの子たち、そして、ほかに二人の弟子が同じところにいた。
21:3 シモン・ペテロが彼らに「私は漁に行く」と言った。すると、彼らは「私たちも一緒に行く」と言った。彼らは出て行って、小舟に乗り込んだが、その夜は何も捕れなかった。
21:4 夜が明け始めていたころ、イエスは岸辺に立たれた。けれども弟子たちには、イエスであることが分からなかった。
21:5 イエスは彼らに言われた。「子どもたちよ、食べる魚がありませんね。」彼らは答えた。「ありません。」
21:6 イエスは彼らに言われた。「舟の右側に網を打ちなさい。そうすれば捕れます。」そこで、彼らは網を打った。すると、おびただしい数の魚のために、もはや彼らには網を引き上げることができなかった。
21:7 それで、イエスが愛されたあの弟子が、ペテロに「主だ」と言った。シモン・ペテロは「主だ」と聞くと、裸に近かったので上着をまとい、湖に飛び込んだ。
21:8 一方、ほかの弟子たちは、魚の入った網を引いて小舟で戻って行った。陸地から遠くなく、二百ペキスほどの距離だったからである。
21:9 こうして彼らが陸地に上がると、そこには炭火がおこされていて、その上には魚があり、またパンがあるのが見えた。
21:10 イエスは彼らに「今捕った魚を何匹か持って来なさい」と言われた。
21:11 シモン・ペテロは舟に乗って、網を陸地に引き上げた。網は百五十三匹の大きな魚でいっぱいであった。それほど多かったのに、網は破れていなかった。
21:12 イエスは彼らに言われた。「さあ、朝の食事をしなさい。」弟子たちは、主であることを知っていたので、だれも「あなたはどなたですか」とあえて尋ねはしなかった。
21:13 イエスは来てパンを取り、彼らにお与えになった。また、魚も同じようにされた。
21:14 イエスが死人の中からよみがえって、弟子たちにご自分を現されたのは、これですでに三度目である。
 2025年3月14日(金)リビングライフQT

何と、安堵するシーンでしょう‼️

弟子たちへの顕現(御自身を顕される)は、これで三度目です。
度重ねる毎に、主の弟子たちへの対応の姿が、深まっていますね。ガリラヤ湖での主は、三年前の“あの”出来事を思い出させる演出をなさっていますね。復活の主の言われたとおりにすると、沢山の魚で網が破けそうになり、他の弟子達は網をあげるのに、躍起になるなか、ヨハネが、以前の出来事が蘇り『主だ‼️』と言ったとたんに、ぺテロは上着をまとって、湖に飛び込み、泳いで主の元に‼️ その距離は100m程でした。
このぺテロの行動は、彼の主への“愛”と“期待”と“渇き”からほとばしった、信仰と愛なのでしょう。
確かにぺテロは、激情家だったでしょう。感情の起伏の激しい人だったのでしょう。けれども、主イエス様への愛と信頼に関しては、周りの弟子達をしのぐ、素晴らしい感性が、その生涯を貫いたのです。しかし、あの大祭司の庭での、大失敗(保身の為に、主の弟子であることを否定した)は、人の強さや、情熱は実に弱いのだ❗と証明したようなものでした。
イエス様は、打ちのめされ、落胆のどん底で、目標を見失った弟子達に、朝食を用意されていたのです。
きわめて普通の日常の回復を、弟子達に与えられたのです。
私達、この罪に満ちた世にあって、平静を失い、焦り、不満と不安の人生に・日々の営みに、人間関係に、行き詰まりを感じる中、大切なのは、日常なのです。
その中に居ます❗イエス様‼️なのです。
この平安(安心)こそ、奇跡なのです。
あなたは今、何を求めておられますか。
自分と家族の健康? 
安定した生活? 
心配の無い蓄え?
回りの人々との平穏な関係?・・・・・
  どうでしょうか‼️

江戸時代のキリシタンの迫害で、火炙りの刑のために、引かれて行く少年をみかねた、執行人の武将が、「今からでも遅くないんだよ❗“イエズスを、信じない”とさえ言えば、直ぐ縄をといてあげられるんだよ‼️」と言うと、
『いいえ、御武家様、私はわたしを愛し赦してくださった、イエズス様の所へ行くのですから、嬉しいのです。喜んでいるのです。御武家様も、イエズス様を、御信じになられますようお祈りします‼️』と言って引かれて行き、祈りの声をあげながら炎の中に、頭を垂れた‼️
その姿を見たこの武将は、直視できずに、顔を背けていた・・・と、27聖人の殉教の記録に残されているのです。
信仰生活の勝利の栄光は、信仰者の豊かな生活状況でもなく、健康でもなく、この世の勝者でもなく・・・etc.
主イエス様と共にいる・・・という確信と平安です。
弟子達はそこに立ち返ったのです。
更にそれは、ペンテコステの日に、輝き出し、今日に至ったのです。
主は、実に、甦らたのです‼️ハレルヤ‼️
 ヨハネの福音書 20章24節~31節

20:24 十二弟子の一人で、デドモと呼ばれるトマスは、イエスが来られたとき、彼らと一緒にいなかった。
20:25 そこで、ほかの弟子たちは彼に「私たちは主を見た」と言った。しかし、トマスは彼らに「私は、その手に釘の跡を見て、釘の跡に指を入れ、その脇腹に手を入れてみなければ、決して信じません」と言った。
20:26 八日後、弟子たちは再び家の中におり、トマスも彼らと一緒にいた。戸には鍵がかけられていたが、イエスがやって来て、彼らの真ん中に立ち、「平安があなたがたにあるように」と言われた。
20:27 それから、トマスに言われた。「あなたの指をここに当てて、わたしの手を見なさい。手を伸ばして、わたしの脇腹に入れなさい。信じない者ではなく、信じる者になりなさい。」
20:28 トマスはイエスに答えた。「私の主、私の神よ。」
20:29 イエスは彼に言われた。「あなたはわたしを見たから信じたのですか。見ないで信じる人たちは幸いです。」
20:30 イエスは弟子たちの前で、ほかにも多くのしるしを行われたが、それらはこの書には書かれていない。
20:31 これらのことが書かれたのは、イエスが神の子キリストであることを、あなたがたが信じるためであり、また信じて、イエスの名によっていのちを得るためである。
 2025年3月13日(木)リビングライフQT

☆信じない者 
     ではなく、
 信じる者に
    なりなさい☆
トマスの、現実主義的(❓)信仰・・・?
トマスが不在の時に、他の弟子達は、復活されたイエス様と、お会いしました。どんなに喜び、新しい希望に心沸き立ったことでしょう。
この、前代未聞のニュースを、トマスがやって来た時に、弟子たちが入れ替わり立ち替わり話したことでしょう。
ところが、そのビッグニュースに対して、
25節、実に辛辣な現実主義者の反論です。
このような議論で立ち往生するような経験を幾度、経験したことでしょう。
返す言葉も、説得する術も、この議論には皆無ですね。
そこに復活の主が顕れてくださったのです。
主は、トマスの暴言に対して、優しく御自身に触れて、確認するように・・・と‼️
この時のトマスの姿を想像して見ましょう‼️
『私の主。私の神』
この時のトマスの主イエス様との出会いは、彼の生涯を変えたのです‼️
主のお言葉は
『信じない者ではなく、信じる者になりなさい‼️』
『わたしを見たから信じたのですか。見ないで信じる人たちは幸いです‼️』
聖霊降臨(ペンテコステ)後、多くのへ弟子達は、アジア(現在のトルコ)・ヨーロッパ・アフリカへと福音を伝えましたが、トマスは、東へと進み、インドへと福音を携えて行ったのです。そこで迫害にあい、両手両足を切断され、祈りながら殉教の死を遂げた‼️…と伝えられています。
彼の伝えた福音は、やがて中国唐に伝えられ、景教(古代中国のキリスト教)として広まり、唐の2・3・10・11・12・13代の皇帝が熱心な基督教信仰者となり、唐の都(長安)には、景教の教会が軒を連ねていたと伝えられている。その時代に、日本から空海が入唐して、景教の資料《大秦景教中国碑》と、福音書の写本を持ち帰ったのです。
トマスの失態にも関わらず、主はこれを御赦しになり、新たに命を、注がれたのです。
主を信じる‼️と言うことは、何と素晴らしい力でしょう。
  ハレルヤ‼️
 ヨハネの福音書 20章11節~23節

20:11 一方、マリアは墓の外にたたずんで泣いていた。そして、泣きながら、からだをかがめて墓の中をのぞき込んだ。
20:12 すると、白い衣を着た二人の御使いが、イエスのからだが置かれていた場所に、一人は頭のところに、一人は足のところに座っているのが見えた。
20:13 彼らはマリアに言った。「女の方、なぜ泣いているのですか。」彼女は言った。「だれかが私の主を取って行きました。どこに主を置いたのか、私には分かりません。」
20:14 彼女はこう言ってから、うしろを振り向いた。そして、イエスが立っておられるのを見たが、それがイエスであることが分からなかった。
20:15 イエスは彼女に言われた。「なぜ泣いているのですか。だれを捜しているのですか。」彼女は、彼が園の管理人だと思って言った。「あなたがあの方を運び去ったのでしたら、どこに置いたのか教えてください。私が引き取ります。」
20:16 イエスは彼女に言われた。「マリア。」彼女は振り向いて、ヘブル語で「ラボニ」、すなわち「先生」とイエスに言った。
20:17 イエスは彼女に言われた。「わたしにすがりついていてはいけません。わたしはまだ父のもとに上っていないのです。わたしの兄弟たちのところに行って、『わたしは、わたしの父であり、あなたがたの父である方、わたしの神であり、あなたがたの神である方のもとに上る』と伝えなさい。」
20:18 マグダラのマリアは行って、弟子たちに「私は主を見ました」と言い、主が自分にこれらのことを話されたと伝えた。
20:19 その日、すなわち週の初めの日の夕方、弟子たちがいたところでは、ユダヤ人を恐れて戸に鍵がかけられていた。すると、イエスが来て彼らの真ん中に立ち、こう言われた。「平安があなたがたにあるように。」
20:20 こう言って、イエスは手と脇腹を彼らに示された。弟子たちは主を見て喜んだ。
20:21 イエスは再び彼らに言われた。「平安があなたがたにあるように。父がわたしを遣わされたように、わたしもあなたがたを遣わします。」
20:22 こう言ってから、彼らに息を吹きかけて言われた。「聖霊を受けなさい。
20:23 あなたがたがだれかの罪を赦すなら、その人の罪は赦されます。赦さずに残すなら、そのまま残ります。」
 2025年3月12日(水)リビングライフQT

《平安があなたがたにあるように‼️》
何と麗しい言葉でしょう
私は30歳の時、台湾長老教会からの募集に応募して、1ヶ月間山地原住民部落の巡回伝道に行ったことがあり、その後40年間、毎年山の原住民を訪ねました。部落に入ると原住民が、部落の外れまで出迎えにきて“ハレルヤ‼️ハレルヤ‼️ピナン❗ピナン❗”と口々に叫び、ハグしたり、握手したり、の大歓迎でした。
ピナン→それは、“平安・平安・・”と言う中国語の挨拶でした。
但し、の挨拶ではなく、クリスチャンの、中国語の挨拶でした。この挨拶に心融かされ、初めから、彼等の中に溶け込めたのです。
今一つは、彼等が殆んど、日本語が話せたからでもありました。
 ‼️ピナン→平安‼️
イエス様の御復活後の最初のお言葉が《平安‼️》だったのです。
弟子達はどんなに慰められ、勇気づけられた事でしょう。
主の死の後、目標を失ったばかりか、ユダヤ人からの迫害と、交わりの解体が迫るなか、戦々恐々として、身を潜めていたのですから
突然の、イエス様の出現と、“平安があるように”との呼び掛けは、彼にとっては、潜伏の穴蔵から、天国にワープ したような驚きと喜びだったことでしょう‼️
個人的に主にお逢いした、マグダラのマリヤは、驚き喜びましたが、そのニュースは、弟子達の魂までには伝わりませんでした。
人の言葉は、所詮、罪深い人間の言語による、情報の伝達にすぎません。
そこで、イエス様が御語りになられた・・・
『聖霊を受けなさい‼️
あなたが誰かの罪を赦すなら、その人の罪は赦されます。・・・』何と言う、驚くべき権威でしょう。あなたに権威が与えられるのではないのです。聖霊なる神が、その権威(神由来の)をあなたを通して顕されるのです‼️
やがて、弟子達はあの、ペンテコステの日に、《聖霊》を受けるのです。そして、その時から教会(クリスチャン)が御霊によって派遣される、福音の器とされたのです。
平安の源(泉)は、イエス・キリスト様であり、このお方に代わって、遣わされ、教会の主となられた、《聖霊なる神》は、終末の全世界の教会の、主なる神として、遣わされているのです。あなたはそのお方と共に“平安”を持ち運び、神の国の領域を拡げる宣教に用いられますように 
平安があなたがたにあるように‼️
 ヨハネの福音書 20章1節~10節

20:1 さて、週の初めの日、朝早くまだ暗いうちに、マグダラのマリアは墓にやって来て、墓から石が取りのけられているのを見た。
20:2 それで、走って、シモン・ペテロと、イエスが愛されたもう一人の弟子のところに行って、こう言った。「だれかが墓から主を取って行きました。どこに主を置いたのか、私たちには分かりません。」
20:3 そこで、ペテロともう一人の弟子は外に出て、墓へ行った。
20:4 二人は一緒に走ったが、もう一人の弟子がペテロよりも速かったので、先に墓に着いた。
20:5 そして、身をかがめると、亜麻布が置いてあるのが見えたが、中に入らなかった。
20:6 彼に続いてシモン・ペテロも来て、墓に入り、亜麻布が置いてあるのを見た。
20:7 イエスの頭を包んでいた布は亜麻布と一緒にはなく、離れたところに丸めてあった。
20:8 そのとき、先に墓に着いたもう一人の弟子も入って来た。そして見て、信じた。
20:9 彼らは、イエスが死人の中からよみがえらなければならないという聖書を、まだ理解していなかった。
20:10 それで、弟子たちは再び自分たちのところに帰って行った。
 2025年3月11日(火)リビングライフQT

イエス様の御復活の記念すべき朝、何と・誰一人として、この世紀の出来事 すなわち“復活” の主の顕現(福音の顕れ)に誰一人気付かないばかりか、初めの段階では、ただ、ご遺体が盗まれた、見当たらない…
日本人ならば、せめて、あらゆる苦難から解放された“先生”の、安らかな思い出に浸ろうとしたその想いすらも、奪われて、更に戸惑う弟子達の姿は、何とも惨めで、過去の喜び期待、励まし・・・が、幻のように消え去った、現実の姿が痛ましすぎますね。
同じ想いに身を置いてご覧なさい。最早彼らは立つべき、人生の土台がなくなったと、最悪の状態に自らを置いたのです。
このときの惨めな状態を思い返して、ヨハネは、次のようにその姿を、説明(解説) しています。
9節:彼ら(自分も含めて)は、イエスが死人の中からよみがえらなければならないという聖書を、まだ理解していなかった。

正に明快な、振り返っての叙述ですね。
聖書の福音(神の言葉)を、知ると知らないとでは、世界が変わります。
あなたが変わります。
あなた・わたしと、神様との関係が、大切なのです。 
私たちは、今朝新たに、神の言葉をもっと知るため・・・それは、あなたを創造された創造者であられる神が、どの様に語られておられるかを、知ることで、人生のあらゆる迷いや不安から、解放される、道筋となるからです。アーメン‼️
 ヨハネの福音書 19章31節~42節

19:31 その日は備え日であり、翌日の安息日は大いなる日であったので、ユダヤ人たちは、安息日に死体が十字架の上に残らないようにするため、その脚を折って取り降ろしてほしいとピラトに願い出た。
19:32 そこで、兵士たちが来て、イエスと一緒に十字架につけられた一人目の者と、もう一人の者の脚を折った。
19:33 イエスのところに来ると、すでに死んでいるのが分かったので、その脚を折らなかった。
19:34 しかし兵士の一人は、イエスの脇腹を槍で突き刺した。すると、すぐに血と水が出て来た。
19:35 これを目撃した者が証ししている。それは、あなたがたも信じるようになるためである。その証しは真実であり、その人は自分が真実を話していることを知っている。
19:36 これらのことが起こったのは、「彼の骨は、一つも折られることはない」とある聖書が成就するためであり、
19:37 また聖書の別のところで、「彼らは自分たちが突き刺した方を仰ぎ見る」と言われているからである。
19:38 その後で、イエスの弟子であったが、ユダヤ人を恐れてそれを隠していたアリマタヤのヨセフが、イエスのからだを取り降ろすことをピラトに願い出た。ピラトは許可を与えた。そこで彼はやって来て、イエスのからだを取り降ろした。
19:39 以前、夜イエスのところに来たニコデモも、没薬と沈香を混ぜ合わせたものを、百リトラほど持ってやって来た。
19:40 彼らはイエスのからだを取り、ユダヤ人の埋葬の習慣にしたがって、香料と一緒に亜麻布で巻いた。
19:41 イエスが十字架につけられた場所には園があり、そこに、まだだれも葬られたことのない新しい墓があった。
19:42 その日はユダヤ人の備え日であり、その墓が近かったので、彼らはそこにイエスを納めた。
 2025年3月10日(月)リビングライフQT

淡々と記された、イエス様の、息を引き取られた後の、葬り迄の経過記録を読みながら、何か寂しい思いが拭い得ない
それは、あれほど密着して共に歩み従ってきた、使徒達の登場が見られないからなのです
前半には、依然として、刑を執行したローマの兵士達の、たとい刑を執行した死者だとしても、余りに粗雑粗悪な対応が成されていますね。古代社会ではそうなのでしょうが、胸が痛みます。
しかし、この様な事態も又、メシヤが顕れ、御受難の道を辿るときに、それが、神の創造された《人=人類・罪人》の、贖罪の犠牲だ‼️・・・と言う、人類史上の証しのために、旧約時代の預言者の言葉を通して、あらかじめ予告(予表)されていたのです。
正に、ヨハネはこの福音書を通して、今こうして荒々しく扱われているお方が、私たちのメシヤ(救い主)なのだ‼️と、伝えているのです。

使徒と言われた、弟子達が全く登場しない中で、自ら使徒の一人であった、著者ヨハネは、どんな思いで、数十年前を振り返って、この記録を書いたのでしょう。痛む胸を押さえながら、弱かった自らを振り返りながら…
アリマタヤのヨセフもニコデモも、イエス様を十字架につけて殺した、宗教階級の人々から身を避けて、隠れていたが、この事態に及んで、イエス様の御体を最高の丁重さをもって、葬ったのです。 
彼らは、イエス様の死の一部始終を、遠くからではあっても、凝視していたことでしょう。
それが彼らをして、改めて主に仕える、新たな勇気を回復できたのだと思います。そして、使徒達が成し得なかった、大事な儀式(復活への備え→知らずして復活への道筋)を整えたのです。
心、動揺しながらでも、イエス様を凝視する事は、神の御手に用いられる、秘訣です。
主なる神は、そんなあなたを求めておられますよ‼️アーメン

明日(11日)のテキスト
ヨハネの福音書
   20章1節~10節 
 ヨハネの福音書 19章23節~30節

19:23 さて、兵士たちはイエスを十字架につけると、その衣を取って四つに分け、各自に一つずつ渡るようにした。また下着も取ったが、それは上から全部一つに織った、縫い目のないものであった。
19:24 そのため、彼らは互いに言った。「これは裂かないで、だれの物になるか、くじを引こう。」これは、「彼らは私の衣服を分け合い、私の衣をくじ引きにします」とある聖書が成就するためであった。それで、兵士たちはそのように行った。
19:25 イエスの十字架のそばには、イエスの母とその姉妹、そしてクロパの妻マリアとマグダラのマリアが立っていた。
19:26 イエスは、母とそばに立っている愛する弟子を見て、母に「女の方、ご覧なさい。あなたの息子です」と言われた。
19:27 それから、その弟子に「ご覧なさい。あなたの母です」と言われた。その時から、この弟子は彼女を自分のところに引き取った。
19:28 それから、イエスはすべてのことが完了したのを知ると、聖書が成就するために、「わたしは渇く」と言われた。
19:29 酸いぶどう酒がいっぱい入った器がそこに置いてあったので、兵士たちは、酸いぶどう酒を含んだ海綿をヒソプの枝に付けて、イエスの口もとに差し出した。
19:30 イエスは酸いぶどう酒を受けると、「完了した」と言われた。そして、頭を垂れて霊をお渡しになった。
 2025年3月9日(日)リビングライフQT

人の子となられた、神の御子イエス・キリスト様の、最後の時が来ました。この時のために、36年半の罪に満ちた世界の、人々の営みの中に御自身を置かれ、理解から遠くにある弟子達を導きながら、罪と汚れと悲しみと、孤独な人の世界をご自身自ら味わわれ、翻弄されながら歩まれ、あらゆる屈辱と、汚れの世界を観られたのです。

どんなに悲しまれ、悼(イタ)まれ、父なる神に執りなしの祷りをされたことでしょう‼️
山で(ゲッセマネの園)祈られた‼️それは、魂の戦いの場となられたことでしょう。その最も激しい描写は、最後の晩餐後の祈りにはいられた時の、祈りの苦闘であり、血の滴りのような汗が、全身を流れた苦しみだったのです。
ゴルゴタの十字架の、御苦しみは、既にゲッセマネに、始まっていたのです。敢えて言えば、贖罪の苦しみは、主の、家畜小屋でのうぶ声を挙げられた時から、始まっていたのです。美化され易い主イエス様の、御生涯は、このゴルゴタの十字架目指された、一刻一刻なのです‼️
十字架の側での、兵士達のくじによる主の身に付けられていた衣類の取り合い
何と屈辱的姿でしょう。
その様な、荒れた中で、主は、残される母親マリヤや、間近にいる弟子たちに、静かに御声をかけられています。母マリヤの行く末を、弟子のヨハネに託されたのです。何とも心温まるシーンでしょう。
この様に、あなたの今の悲しみ苦悩を、知って、導きの御手を伸べられる主なのですよ‼️
アーメン
遂に、主の担われた贖罪の御業が、完了するに際して、主の苦悩(人間が経験する最大の苦悩)・『わたしは渇く』
このお言葉は、解説すると、薄っぺらな理解にとどめられるのを怖れ、コメントを控えさせて頂きます
各々に御想像されてください。
肉体・魂・霊・感情・・
肉なる人の苦しみと、枯渇の頂点で・・・
否、あなたの・私の・全人類の・目の前で拳を振り上げて、屈辱の限りを尽くす人々のための、身代わりの捌きと屈辱の果てに語られた最期のお言葉‼️
 ‼️完了した‼️
私が中学生の頃、昨年召された、山口姉の御自宅が、昭和28年の豪雨災害で、土砂に呑み込まれた中から、取り出したレコード・バッハの《マタイ受難曲》を聴く中で、最終曲の重苦しい、《事終わりぬ‼️》という曲を知り、聴きながら、どれ程涙したことでしょう。
ここに私があなたが赦され、生かされて在るのです‼️アーメン
 ヨハネの福音書 19章14節~22節

19:14 その日は過越の備え日で、時はおよそ第六の時であった。ピラトはユダヤ人たちに言った。「見よ、おまえたちの王だ。」
19:15 彼らは叫んだ。「除け、除け、十字架につけろ。」ピラトは言った。「おまえたちの王を私が十字架につけるのか。」祭司長たちは答えた。「カエサルのほかには、私たちに王はありません。」
19:16 ピラトは、イエスを十字架につけるため彼らに引き渡した。彼らはイエスを引き取った。
19:17 イエスは自分で十字架を負って、「どくろの場所」と呼ばれるところに出て行かれた。そこは、ヘブル語ではゴルゴタと呼ばれている。
19:18 彼らはその場所でイエスを十字架につけた。また、イエスを真ん中にして、こちら側とあちら側に、ほかの二人の者を一緒に十字架につけた。
19:19 ピラトは罪状書きも書いて、十字架の上に掲げた。それには「ユダヤ人の王、ナザレ人イエス」と書かれていた。
19:20 イエスが十字架につけられた場所は都に近かったので、多くのユダヤ人がこの罪状書きを読んだ。それはヘブル語、ラテン語、ギリシア語で書かれていた。
19:21 そこで、ユダヤ人の祭司長たちはピラトに、「ユダヤ人の王と書かないで、この者はユダヤ人の王と自称したと書いてください」と言った。
19:22 ピラトは答えた。「私が書いたものは、書いたままにしておけ。」
 2025年3月8日(土)リビングライフQT


 ヨハネの福音書 19章1節~13節

19:1 それでピラトは、イエスを捕らえてむちで打った。
19:2 兵士たちは、茨で冠を編んでイエスの頭にかぶらせ、紫色の衣を着せた。
19:3 彼らはイエスに近寄り、「ユダヤ人の王様、万歳」と言って、顔を平手でたたいた。
19:4 ピラトは、再び外に出て来て彼らに言った。「さあ、あの人をおまえたちのところに連れて来る。そうすれば、私にはあの人に何の罪も見出せないことが、おまえたちに分かるだろう。」
19:5 イエスは、茨の冠と紫色の衣を着けて、出て来られた。ピラトは彼らに言った。「見よ、この人だ。」
19:6 祭司長たちと下役たちはイエスを見ると、「十字架につけろ。十字架につけろ」と叫んだ。ピラトは彼らに言った。「おまえたちがこの人を引き取り、十字架につけよ。私にはこの人に罪を見出せない。」
19:7 ユダヤ人たちは彼に答えた。「私たちには律法があります。その律法によれば、この人は死に当たります。自分を神の子としたのですから。」
19:8 ピラトは、このことばを聞くと、ますます恐れを覚えた。
19:9 そして、再び総督官邸に入り、イエスに「あなたはどこから来たのか」と言った。しかし、イエスは何もお答えにならなかった。
19:10 そこで、ピラトはイエスに言った。「私に話さないのか。私にはあなたを釈放する権威があり、十字架につける権威もあることを、知らないのか。」
19:11 イエスは答えられた。「上から与えられていなければ、あなたにはわたしに対して何の権威もありません。ですから、わたしをあなたに引き渡した者に、もっと大きな罪があるのです。」
19:12 ピラトはイエスを釈放しようと努力したが、ユダヤ人たちは激しく叫んだ。「この人を釈放するのなら、あなたはカエサルの友ではありません。自分を王とする者はみな、カエサルに背いています。」
19:13 ピラトは、これらのことばを聞いて、イエスを外に連れ出し、敷石、ヘブル語でガバタと呼ばれる場所で、裁判の席に着いた。
 2025年3月7日(金)リビングライフQT

 《この人を見よ‼️》

今日のテキストは、ローマの総督として、この裁判の裁判官を務めねばならない、苦悩(イエス様の無罪を確信している)するピラトの、姿が痛ましいほど、描写されています。
すでにピラトは、取り調べでのイエス様との対話で、深く深く、心に感銘を受け、一方、民衆のメシヤを慕う姿を重ねて観てきたので、祭司・パリサイ人達に扇動されて、“十字架につけろ”と叫ぶ民衆の前に出たピラトは、彼の最後の願い《希望》を込めて『見よ、この人だ‼️』→この言葉の陰には「お前達の慕ってきたメシヤ・神の人は、このお方だ‼️」・・・・
しかし、扇動された群衆は押さえられなかったばかりか、占領され、圧政に苦しむ民の、反ローマ感が、ピラトの思いとは逆の方向に向くのを観て、暴動・反乱を恐れ、そればかりではなく、自らに火の粉が降りかかる事態を恐れて審判の席に就いたのです。
ピラトは、正しい判断を下していたにも関わらず、真理に舵を切れなかった弱さは、《罪人の、罪に沈む姿を、象徴するものとなったのです》
ピラトに同情を感じながらも(自らの心の弱さを知る者は)、改めて罪の重さ、それに沈む愚かさを、この姿の中から学ぶのです。
☆皇帝の怒りを買っても良い
☆総督の地位を失っても良い
☆自らがローマの反逆者となっても良い
☆名誉も地位も家族も失っても良い‼️…と
ピラトは、《神の義》に対して、踏み込み決断出来なかったのです。
しかし、教会の歴史は、ピラトの優柔不断さとは裏腹に、多くのクリスチャンの殉教を土台として、今日の教会が生きて来たのです。
今私たちは、どこに立っているだろう‼️
 ヨハネの福音書 18章28節~40節

18:28 さて、彼らはイエスをカヤパのもとから総督官邸に連れて行った。明け方のことであった。彼らは、過越の食事が食べられるようにするため、汚れを避けようとして、官邸の中には入らなかった。
18:29 それで、ピラトは外に出て、彼らのところに来て言った。「この人に対して何を告発するのか。」
18:30 彼らは答えた。「この人が悪いことをしていなければ、あなたに引き渡したりはしません。」
18:31 そこで、ピラトは言った。「おまえたちがこの人を引き取り、自分たちの律法にしたがってさばくがよい。」ユダヤ人たちは言った。「私たちはだれも死刑にすることが許されていません。」
18:32 これは、イエスがどのような死に方をするかを示して言われたことばが、成就するためであった。
18:33 そこで、ピラトは再び総督官邸に入り、イエスを呼んで言った。「あなたはユダヤ人の王なのか。」
18:34 イエスは答えられた。「あなたは、そのことを自分で言っているのですか。それともわたしのことを、ほかの人々があなたに話したのですか。」
18:35 ピラトは答えた。「私はユダヤ人なのか。あなたの同胞と祭司長たちが、あなたを私に引き渡したのだ。あなたは何をしたのか。」
18:36 イエスは答えられた。「わたしの国はこの世のものではありません。もしこの世のものであったら、わたしのしもべたちが、わたしをユダヤ人に渡さないように戦ったでしょう。しかし、事実、わたしの国はこの世のものではありません。」
18:37 そこで、ピラトはイエスに言った。「それでは、あなたは王なのか。」イエスは答えられた。「わたしが王であることは、あなたの言うとおりです。わたしは、真理について証しするために生まれ、そのために世に来ました。真理に属する者はみな、わたしの声に聞き従います。」
18:38 ピラトはイエスに言った。「真理とは何なのか。」こう言ってから、再びユダヤ人たちのところに出て行って、彼らに言った。「私はあの人に何の罪も認めない。
18:39 過越の祭りでは、だれか一人をおまえたちのために釈放する慣わしがある。おまえたちは、ユダヤ人の王を釈放することを望むか。」
18:40 すると、彼らは再び大声をあげて、「その人ではなく、バラバを」と言った。バラバは強盗であった。
 2025年3月6日(木)リビングライフQT

今日のテキストは、主イエス・キリスト様が、全ての人の“罪の贖罪”のための、道を辿られるにあたって、ユダヤ側の祭司・律法学者・パリサイ派の宗教家・それらのトップに立つ、“祭司長”等が、《イエス》様を、メシヤ・救い主と信ぜず、むしろ、伝統的ユダヤ教や、モーセの律法の歪んだ解釈(字句的・人間社会倫理感)等、から、父なる神の御心から語られる、愛と赦しの福音を、律法に外れる教えとして、イエス様の全てを排除してきたのです。
しかし、ユダヤの多くの民は、イエス様の中に、真の神・創造者なる父なる神の御声と、力と、愛を見て来たのです‼️
圧倒的多数の民の声を聞いてきた、ローマの総督《ピラト》は、真実が分かっていたのです。ですから二度も、イエス様を訴える指導者層の声を、跳ね返し、『イエス(様)に罪はない‼️』と、彼らの押し付け(断罪への判決)を、はねつけたのです。
しかし、ピラトの関心事(務め)は、このユダヤの民の中から・・以前何度も反乱が起こり、この地方で最も、治めるのに困難な民だったのです。そのため、反乱が勃発しないようにと、監視し、治めることが、使命だったのです。
それだけに優れた、指導者だったと言えるのですが・・・
しかし、所詮世俗の統治者ですから、宗教的勢力には、言葉も判断も力も及ばず、イエス様を彼らに引き渡したのです。しかし、それも、神のみ心だったのです‼️
私のために、あなたのために、人類のために、歴史のすべてに・・・‼️
ピラトの最後の言葉にそれが現れています。
①38節~『真理とは何か?』しかし、彼はその答えを待たなかったのです。
②「私はあの人に何の罪も認めない。」
ピラトの悲しい弱さでした。
こうして、全ての道は閉ざされて、私たちの罪の身代わりとなられたイエス様は、罪人(自らを正しい神の道を辿ると称する)、ユダヤ人の手に渡されました。
改めて、私たちに与えられた《救い=赦し》の道が、ただ主の上(御存在)におかれたことを見るのです。
主よ❗我が主よ‼️
 ヨハネの福音書 18章15節~27節

18:15 シモン・ペテロともう一人の弟子はイエスについて行った。この弟子は大祭司の知り合いだったので、イエスと一緒に大祭司の家の中庭に入ったが、
18:16 ペテロは外で門のところに立っていた。それで、大祭司の知り合いだったもう一人の弟子が出て来て、門番の女に話し、ペテロを中に入れた。
18:17 すると、門番をしていた召使いの女がペテロに、「あなたも、あの人の弟子ではないでしょうね」と言った。ペテロは「違う」と言った。
18:18 しもべたちや下役たちは、寒かったので炭火を起こし、立って暖まっていた。ペテロも彼らと一緒に立って暖まっていた。
18:19 大祭司はイエスに、弟子たちのことや教えについて尋問した。
18:20 イエスは彼に答えられた。「わたしは世に対して公然と話しました。いつでも、ユダヤ人がみな集まる会堂や宮で教えました。何も隠れて話してはいません。
18:21 なぜ、わたしに尋ねるのですか。わたしが人々に何を話したかは、それを聞いた人たちに尋ねなさい。その人たちなら、わたしが話したことを知っています。」
18:22 イエスがこう言われたとき、そばに立っていた下役の一人が、「大祭司にそのような答え方をするのか」と言って、平手でイエスを打った。
18:23 イエスは彼に答えられた。「わたしの言ったことが悪いのなら、悪いという証拠を示しなさい。正しいのなら、なぜ、わたしを打つのですか。」
18:24 アンナスは、イエスを縛ったまま大祭司カヤパのところに送った。
18:25 さて、シモン・ペテロは立ったまま暖まっていた。すると、人々は彼に「あなたもあの人の弟子ではないだろうね」と言った。ペテロは否定して、「弟子ではない」と言った。
18:26 大祭司のしもべの一人で、ペテロに耳を切り落とされた人の親類が言った。「あなたが園であの人と一緒にいるのを見たと思うが。」
18:27 ペテロは再び否定した。すると、すぐに鶏が鳴いた。
 2025年3月5日(水)リビングライフQT

イエス様の御生涯で、最初で最後の、孤立無援の状況が始まります。ゲッセマネの祈りから始まる、主の苦悩❗
弟子達と共に居るのですが、彼らの思いは、イエス様の中で始まった、霊的緊張感と、弟子達には及びもつかない霊の動揺‼️でした。
弟子達には、それがいよいよ、メシヤとしての働きの始動に繋がるものかも・・・との、期待感が、イエス様と弟子達の距離を更に、拡げていたのではないでしょうか・・・わたしはこのところを読むたびに、その様な思いをもって、読んできました。
すると、イエス様の孤独感がますます重く感じられ、私の魂の贖罪のために負われた御苦難と愛が、更に深く迫ってくるのです‼️
さて、15節に、ぺテロともう一人の弟子(ヨハネでしょう)が、敵陣(❓)の真っ只中でもある、大祭司の邸宅の庭に、ユダヤ人達の人混みに紛れて、入り込みました。夜でしたから可能だったのでしょう。
しかし、考えて見ると、これは相当に勇気のいる行動です。それほど、この二人の弟子は、主の愛とそのご使命に歩まれるお姿に、心酔しこれから起こる事に、ご助力できたら・・・
その様な思いもあっての行動だったのかも知れませんね。

イエス様のお姿は、毅然として、悪い者達のただ中で、立ち続けて居られましたが⁉️
その様な中で二人の弟子達は烏合の衆の一人のような人の指摘を、慌てて否定し、身を隠すと言う、行動に走ったのですです。
正に裏切り行為なのです。これが人の弱さですね
イエス様の一連の(未だ始まったばかりの)御苦難の数々ではありますが、何故あの様な、毅然とした(強い)御姿勢を貫かれる事が御出来になられたのでしょう
それは、イエス様が神の御子‼️だからではないのです。
主が人となられた時、100%《人間》となられたのです。主は、内も外も完全な人となられたのです。
イエス様が強く立たれたのは、
☆最も大切な使命を与えられた、父なる神への《愛》なのです。
☆父なる神の使命とは、神が愛してやまない、御手から離れた罪人への愛です。父なる神が愛されている、《罪に沈む人々》を愛する愛が、イエス様を強く立たせ、歩ませられているのです。
それはこれからの十字架への道に、更に強く表れて参ります。
あなたを強くし立たせるのは《愛》です‼️
訓練や学びではありません。弟子達の弱さは正にここにあったのです。
しかし、弟子達は、やがて、十字架の愛が分かったとき、退かない強さが内を満たし、全世界に出ていき、殉教の道を歩み通しました‼️
 ヨハネの福音書 18章1節~14節

18:1 これらのことを話してから、イエスは弟子たちとともに、キデロンの谷の向こうに出て行かれた。そこには園があり、イエスと弟子たちは中に入られた。
18:2 一方、イエスを裏切ろうとしていたユダもその場所を知っていた。イエスが弟子たちと、たびたびそこに集まっておられたからである。
18:3 それでユダは、一隊の兵士と、祭司長たちやパリサイ人たちから送られた下役たちを連れ、明かりとたいまつと武器を持って、そこにやって来た。
18:4 イエスはご自分に起ころうとしていることをすべて知っておられたので、進み出て、「だれを捜しているのか」と彼らに言われた。
18:5 彼らは「ナザレ人イエスを」と答えた。イエスは彼らに「わたしがそれだ」と言われた。イエスを裏切ろうとしていたユダも彼らと一緒に立っていた。
18:6 イエスが彼らに「わたしがそれだ」と言われたとき、彼らは後ずさりし、地に倒れた。
18:7 イエスがもう一度、「だれを捜しているのか」と問われると、彼らは「ナザレ人イエスを」と言った。
18:8 イエスは答えられた。「わたしがそれだ、と言ったではないか。わたしを捜しているのなら、この人たちは去らせなさい。」
18:9 これは、「あなたが下さった者たちのうち、わたしは一人も失わなかった」と、イエスが言われたことばが成就するためであった。
18:10 シモン・ペテロは剣を持っていたので、それを抜いて、大祭司のしもべに切りかかり、右の耳を切り落とした。そのしもべの名はマルコスであった。
18:11 イエスはペテロに言われた。「剣をさやに収めなさい。父がわたしに下さった杯を飲まずにいられるだろうか。」
18:12 一隊の兵士と千人隊長、それにユダヤ人の下役たちは、イエスを捕らえて縛り、
18:13 まずアンナスのところに連れて行った。彼が、その年の大祭司であったカヤパのしゅうとだったからである。
18:14 カヤパは、一人の人が民に代わって死ぬほうが得策である、とユダヤ人に助言した人である。
 2025年3月4日(火)リビングライフQT

何と、物々しい逮捕劇でしょう。
☆ユダの裏切りによる、陽動作戦。
☆一隊(30名)の兵士・祭司長の差し向けた神殿護衛兵・パリサイ派の過った義憤に燃える若者・・・
彼らの(ユダを除く)誰も、イエス様を、見分けられなかったのでしょう⁉️
二度も『わたしがあなた方が探しているメシヤだ‼️』と言っておられるのに、彼らは戸惑うばかりだった。
☆まず、わたしがあなた方が捜す、“イエスだ❗”と仰ると、その静かで柔和で落ち着いたお言葉の前に、後ずさりして倒れた‼️
静かだが、権威と栄光に満ちた御存在の前に、立ちおおせなかった‼️のです。
彼らには捕らえられるお方ではないことが、証明されていますね
主の捕縛の前に、次の二つのことが記されています。このエピソードも又、イエス様の“愛”と“優しさ慈しみ”が顕された福音です‼️
①10節→ぺテロが興奮余って、大祭司の僕に切りかかり、耳を切り落とした‼️
主は、ぺテロを戒め、僕の落ちた耳たぶを静かに癒された‼️
この記事は、ルカの福音書の22章51節に記されています。
②8節→『わたしがそれだ、と言ったではないか。
わたしを捜しているのなら、この人たち(弟子達)は去らせなさい。』
弟子達の安全を保証されたのです。
主はご自分のことより、周りの人々に向かってそのお心の全てが向けられていたのです。そして、その先には、永遠の贖罪の業が用意されているのです。
愛する皆さん❗試練や困難に遭い孤独を感じるとき、主はお忘れに・・・と、涙したこと、無いですか?
何と、愚かだったことでしょう。主が、どうしてあなたの事をお忘れになりましょう。
主よ何故?どうして・・は、やめましょう(#^.^#)
主を只ひたすらに信じて待ち望みましょう‼️アーメン 
 ヨハネの福音書 17章20節~26節

17:20 わたしは、ただこの人々のためだけでなく、彼らのことばによってわたしを信じる人々のためにも、お願いします。
17:21 父よ。あなたがわたしのうちにおられ、わたしがあなたのうちにいるように、すべての人を一つにしてください。彼らもわたしたちのうちにいるようにしてください。あなたがわたしを遣わされたことを、世が信じるようになるためです。
17:22 またわたしは、あなたが下さった栄光を彼らに与えました。わたしたちが一つであるように、彼らも一つになるためです。
17:23 わたしは彼らのうちにいて、あなたはわたしのうちにおられます。彼らが完全に一つになるためです。また、あなたがわたしを遣わされたことと、わたしを愛されたように彼らも愛されたことを、世が知るためです。
17:24 父よ。わたしに下さったものについてお願いします。わたしがいるところに、彼らもわたしとともにいるようにしてください。わたしの栄光を、彼らが見るためです。世界の基が据えられる前からわたしを愛されたゆえに、あなたがわたしに下さった栄光を。
17:25 正しい父よ。この世はあなたを知りませんが、わたしはあなたを知っています。また、この人々は、あなたがわたしを遣わされたことを知っています。
17:26 わたしは彼らにあなたの御名を知らせました。また、これからも知らせます。あなたがわたしを愛してくださった愛が彼らのうちにあり、わたしも彼らのうちにいるようにするためです。」
 2025年3月3日(月)リビングライフQT

この数日、主の父なる神への祈りが続きますが、これを読み・黙想していると、この祈りが、直接私のために祈られているような思いになり、厳粛な思いになるのです。
ラインを綴るために動かすポイントペンが、停まり、そのまま黙想すること幾度だったでしょう❗
主の臨在をひしひしと感じるのです。
今日のテキストの祈りの内容も又、
贖罪への十字架の道を進まれることで、三年半もの長きに亘って、弟子達から離れたことのない日々から、捕らえられ、裁かれ、拷問を受け、鎖に繋がれて刑場へと歩み、ゴルゴタの丘で、衆人監視のなか、十字架につけられ、死に至り葬られる・・・これ等の(弟子達には)想像も出来ない恐ろしい分離が始まろうとしているのです。
その為の、弟子達への保護(守り)のための執り成しなのです。
弟子達はこれからの経過の中で更に、失敗・離反(?)・挫折・・・等の醜態を曝(さら)すのですが、イエス様は、その様な予測が出来るなかでも、(ひとつになる‼️)という言葉を幾度となく、祈りの中で、父なる神に申し上げるのです。
これこそ、“贖罪”へのお言葉なのです。
永遠なるお方(御子イエス・キリスト)は、二千年を隔てた今の私たち、又、これ迄の長い歴史に生きた、主の弟子(福音に生きたクリスチャン)への祈りとして、この祈りは、捧げられているのです‼️
22節:・・・わたしたち(父なる神と御子なるイエス・キリスト様)が一つであるように、彼ら(今の・時代時代のクリスチャン“教会”)も一つになるためです。
☆イエス様❗あなたのこの祈りで、今わたしは、あなたと結ばれと一つであります。
教会・クリスチャンの友と、常に一つに結ばせて下さい。‼️

明日(4日)のテキスト
ヨハネの福音書 
   18章1節~14節 
 ヨハネの福音書 17章9節~19節

17:9 わたしは彼らのためにお願いします。世のためにではなく、あなたがわたしに下さった人たちのためにお願いします。彼らはあなたのものですから。
17:10 わたしのものはすべてあなたのもの、あなたのものはわたしのものです。わたしは彼らによって栄光を受けました。
17:11 わたしはもう世にいなくなります。彼らは世にいますが、わたしはあなたのもとに参ります。聖なる父よ、わたしに下さったあなたの御名によって、彼らをお守りください。わたしたちと同じように、彼らが一つになるためです。
17:12 彼らとともにいたとき、わたしはあなたが下さったあなたの御名によって、彼らを守りました。わたしが彼らを保ったので、彼らのうちだれも滅びた者はなく、ただ滅びの子が滅びました。それは、聖書が成就するためでした。
17:13 わたしは今、あなたのもとに参ります。世にあってこれらのことを話しているのは、わたしの喜びが彼らのうちに満ちあふれるためです。
17:14 わたしは彼らにあなたのみことばを与えました。世は彼らを憎みました。わたしがこの世のものでないように、彼らもこの世のものではないからです。
17:15 わたしがお願いすることは、あなたが彼らをこの世から取り去ることではなく、悪い者から守ってくださることです。
17:16 わたしがこの世のものでないように、彼らもこの世のものではありません。
17:17 真理によって彼らを聖別してください。あなたのみことばは真理です。
17:18 あなたがわたしを世に遣わされたように、わたしも彼らを世に遣わしました。
17:19 わたしは彼らのため、わたし自身を聖別します。彼ら自身も真理によって聖別されるためです。
 2025年3月2日(日)リビングライフQT

今日のテキストは、いよいよこの世を去って、父なる神の御元へと帰られるに当たって、この別れが、一時の離別ではなく、最早、主御自身が、この世の者でなく、永遠の世界(神の国)に移られるに当たっての、祈りなのです。この祈りは、使徒ヨハネによって、しっかり聞き取られていたものです。他の弟子達がどれ程聞いていたか、又、聞いていたとしても、この状況をどれ程理解していたかは、不明ですが、使徒ヨハネは、聖霊の霊感によって、確りと記憶に留め、数十年後に、このように書き記したのです。
これを記録する時、ヨハネはどの様な思いだったのか…‼️と、想像しながら読ませて頂きました。
そして、ヨハネがそうであっただろう‼️と言う、感動の域に身を寄せ、改めて、主イエス様の御想いに、耳を傾け、身を心を寄せて聞き及びました‼️
すると、何とイエス様の父なる神への祈りの言葉の中から、主がどれ程弟子達への愛と信頼に、全てを懸けて居られたかが、ひしひしと伝わってきます‼️
まるで、めんどりが、雛たちを必死で周りの敵から守ろうとして、両方の羽を広げて、包もうとする姿を、ふと、思い浮かべました。
勿論主の祈りのお心、弟子達への思いは、そんな程度ではなく、父なる神に向かって・・御自身と弟子達とが一体・付加分離な存在だと‼️訴えて居られるのです。
そして、その弟子達によって、拡げられる教会(キリストの御体)も又、主イエス様の祈りの裾野は、その祈りによって、包まれるのです‼️アーメン
☆私がしばしば《時間》の概念についてお話ししますが、神の国の時間は、時計や暦によって測るような、区切られたものではなく、神の時間は《永遠》なのです。即ち、主が祈られた時は、今の私達を包み込んでの祈りで、私達は覆われ、包まている・・・と言うことです。
福音書の出来事は、毎日の中に続いているのです。
次の、主のお言葉は、そのままあなたへの、わたし達への、お言葉です。もう一度聞いてみましょう。
☆10節~私は彼らによって栄光を受けました。
☆11節~あなたの御名によって、彼らをお守りください。
☆13節~わたしの喜びが彼らのうちに満ちあふれるためです。
☆14節~わたしがこの世のものでないように、彼らもこの世のものではないからです。
☆17節~真理によって彼らを聖別してください。
☆18節~あなたがこの世にわたしを遣わされたように、わたしも彼らを世に遣わしました。
☆19節~わたしは彼らのために、わたし自身を聖別します。彼ら自身も真理によって聖別されるためです。

何と・・・私達を主の弟子として信任されているのでしょう。
主よ‼️あなたの道に歩ませて下さい。 
   アーメン
 ヨハネの福音書 17章1節~8節

17:1 これらのことを話してから、イエスは目を天に向けて言われた。「父よ、時が来ました。子があなたの栄光を現すために、子の栄光を現してください。
17:2 あなたは子に、すべての人を支配する権威を下さいました。それは、あなたが下さったすべての人に、子が永遠のいのちを与えるためです。
17:3 永遠のいのちとは、唯一のまことの神であるあなたと、あなたが遣わされたイエス・キリストを知ることです。
17:4 わたしが行うようにと、あなたが与えてくださったわざを成し遂げて、わたしは地上であなたの栄光を現しました。
17:5 父よ、今、あなたご自身が御前でわたしの栄光を現してください。世界が始まる前に一緒に持っていたあの栄光を。
17:6 あなたが世から選び出して与えてくださった人たちに、わたしはあなたの御名を現しました。彼らはあなたのものでしたが、あなたはわたしに委ねてくださいました。そして彼らはあなたのみことばを守りました。
17:7 あなたがわたしに下さったものはすべて、あなたから出ていることを、今彼らは知っています。
17:8 あなたがわたしに下さったみことばを、わたしが彼らに与えたからです。彼らはそれを受け入れ、わたしがあなたのもとから出て来たことを本当に知り、あなたがわたしを遣わされたことを信じました。
 2025年3月1日(土)リビングライフQT

素晴らしい、イエス様の祈り‼️
私たち人間の世界で言う《祈り》とは、全く違う姿のように響いて来ます。この聖書箇所(テキスト)は、私達がよく言う(願い・唱える・捧げる・申し上げる・・)と言った『祈祷』なのではなく、ここでは正に、イエス様の、父なる神との対話となっています。(ただ父なる神からの、語りかけは記されていないのですが・・・父の語りかけは、イエス様の魂に、直接響いていることを、強く感じます)
私も、経験がありますが、日々の生活の中での、祈りの時は、どちらかと言うと、一方通行になり勝ちですが、
しばしば、時を越えて聖書を読み味わい、主に語り掛けるような祈りの時を持ちますが、そんな時、主に呼び掛けて、しばらく、御声を待つようにして、黙想していると、魂の深いところに、主(神)の臨在を強く感じ、御声を聞く‼️と言う実感を味わうのです。
それは、何か新しい教えが語られたり、預言的なメッセージが示されたり・・・・と言う事ではなく、人の思いを遥かに越えた、主なる神の臨在に触れて、全てが新しくなる、光が射す、命に満たされる、絶望の縁から光の中に引き出され、平安に満たされる・・・と言った、素晴らしい体験を頂くのです。
イエス様にとっても、父から委ねられた、人類(父なる神がその叡知の全てを注いで創造された)への、贖罪の使命に向かうに当たって、この祈りの時は、側で聴く弟子達には、三年に亘って共に歩んできた日々が、何を意味していたかを、深く理解させるメッセージとなったのではないのでしょうか。
それが又、これから十字架の贖罪へと向かわれる、主のご使命を身に負う姿を受け入れる備えとなったのです‼️
☆1節~あなたの《栄光》・子の《栄光》
《栄光》とは⇒この上ない輝き、栄誉、究極は、神ご自身の輝き‼️
主イエス様の御生涯は、この世に顕れられた瞬間から、卑しめられ、悲しみの人であり、人々からは、罵られ、侮蔑され、迫害されて来られました。
それらは全て、人(人間)の罪そのものによってです。その全てをご自身の身に受けられて、やがては、十字架上の罪人として、《死》を、お受けになろうとして居られるのです。
これを打ち込みながら、私の胸(魂)は張り裂けそうな、霊(魂)の悼みを感じています。
“主よお許しください”
1節の、イエス様の叫びのような祈りは、十字架への道をひた向きに進まれる、最終的、決意と、献身(私たちの救いのためへの)と、決断の祈りなのです。
そして《子の栄光‼️》とは・・・
2節:あなたが下さったすべての人に・・・
子が⇒永遠のいのちを与えるためです。
続いて、3節を聖書から読んでください。
『永遠のいのちとは・・・⁉️』
何度も、聖書本分を読んでは、そこから黙想文を書こうとしましたが無理でした。
どうか、5節~8節を、もう一度読んでください。出来ましたら、小声でも結構です音読して味わってみませんか‼️
あなたの・わたしの、主イエス様の祈りなのです。
この祈りの中で、イエス様は、私たちをこの様にまで、信頼し受け入れて下さっているのです。
主よ‼️感謝します
あなた(イエス様)の他、私の行くべきお方はありません‼️アーメン