民数記  16章36節~50節

16:36 【主】はモーセに告げられた。
16:37 「あなたは、祭司アロンの子エルアザルに命じて、炎の中から火皿を取り出し、火を遠くにまき散らさせよ。それらは聖なるものとなっているから。
16:38 いのちを失うことになったこれらの罪人たちの火皿は、打ちたたいて延べ板とし、祭壇のためのかぶせ物とせよ。それらは、【主】の前に献げられたので、聖なるものとなっているからである。これらはイスラエルの子らに対するしるしとなる。」
16:39 そこで祭司エルアザルは、焼き殺された者たちが献げた青銅の火皿を取り、それを打ち延ばして祭壇のためのかぶせ物とし、
16:40 そのことがイスラエルの子らに覚えられるようにした。これは、アロンの子孫以外の資格のない者が、【主】の前に進み出て香をたくことのないようにするため、その人が、コラやその仲間のような目にあわないようにするためである。【主】がモーセを通してエルアザルに言われたとおりである。
16:41 その翌日、イスラエルの全会衆は、モーセとアロンに向かって不平を言った。「あなたがたは【主】の民を殺した。」
16:42 会衆がモーセとアロンに逆らって結集したとき、二人が会見の天幕の方を振り向くと、見よ、雲がそれをおおい、【主】の栄光が現れた。
16:43 モーセとアロンは会見の天幕の前に来た。
16:44 【主】はモーセに告げられた。
16:45 「あなたがたはこの会衆から離れ去れ。わたしはこの者どもをたちどころに絶ち滅ぼす。」二人はひれ伏した。
16:46 モーセはアロンに言った。「火皿を取り、祭壇から火を取ってそれに入れ、その上に香を盛りなさい。そして急いで会衆のところへ持って行き、彼らのために宥めを行いなさい。【主】の前から激しい御怒りが出て来て、神からの罰がもう始まっている。」
16:47 モーセが命じたとおり、アロンが火皿を取って集会のただ中に走って行くと、見よ、神の罰はすでに民のうちに始まっていた。彼は香をたいて、民のために宥めを行った。
16:48 彼が死んだ者たちと生きている者たちとの間に立ったとき、主の罰は終わった。
16:49 コラの事件で死んだ者とは別に、この主の罰で死んだ者は、一万四千七百人であった。
16:50 アロンが会見の天幕の入り口にいるモーセのところへ戻ったときに、主の罰は終わっていた。
 2025年4月30日(水)リビングライフQT

ダダン・アビラムの反乱で、神の裁きで命を失った人の数は、どれ程でしたでしよう。 灯火皿をもった者は250人と記録されていますが、地に呑まれた者の数は・・・・どれほど多かったことでしょう。

ただ民の目に良く映る祭司の勤め(火皿で、神の権威と清さを表す役目)を自分達にも・・・と、要求したのです。
こうして民は更に、この様な事態が起こっていたにも関わらず、民は再びモーセとアロンの指導に、疑義を鳴らしたのです。
実は、民の魂は、神を自分たちを導き上る、 愛と力に満ちた、永遠の創造者なるお方‼️と信じて従う・・・と言う信仰ではなく、抽象的信心対象の[神]としての思いを出ないのでした。ですから、あれ程の恐怖の死の裁きを観てきながら、神を理解できない・・で、再びモーセに抗議したのです。
その結果死者は更に、
14,700人も失われたのです。
神を信じる‼️と言うことは、人生に同伴してくださるお方、 として信頼し、 それだけに、敬い・期待し・従い・常に礼拝する、 交わりのお方として、信じているでしょうか。
コラの子達の火皿に火をともしての集合場所に来た姿は、正に祭祀の姿でしたが、その魂は人間的(特権的意識)な願望の期待感だけが、その魂の中を満たしていたのです。
仕える・捧げる・従う・・・と言う内面は表れていないのです。
私達の信仰が、 キリスト教信仰ではなく、十字架福音信仰であるように・・・・と心から願うものです。
 民数記  16章12節~35節

16:12 モーセは人を遣わして、エリアブの子のダタンとアビラムとを呼び寄せようとしたが、彼らは言った。「われわれは行かない。
16:13 あなたは、われわれを乳と蜜の流れる地から連れ上って、荒野で死なせようとし、そのうえ、われわれの上に君臨している。それでも不足があるのか。
16:14 しかも、あなたは、乳と蜜の流れる地にわれわれを導き入れず、畑とぶどう畑を、受け継ぐべき財産としてわれわれに与えてもいない。あなたは、この人たちの目をくらまそうとするのか。われわれは行かない。」
16:15 モーセは激しく怒った。そして【主】に言った。「どうか、彼らのささげ物を顧みないでください。私は彼らから、ろば一頭も取り上げたことはなく、彼らのうちのだれも傷つけたことがありません。」
16:16 それからモーセはコラに言った。「明日、あなたとあなたの仲間はみな、【主】の前に出なさい。あなたも彼らも、そしてアロンも。
16:17 あなたがたは、それぞれ自分の火皿を取り、その上に香を盛り、それぞれ【主】の前に持って行きなさい。二百五十の火皿を、あなたもアロンも、それぞれ自分の火皿を持って行きなさい。」
16:18 彼らはそれぞれ自分の火皿を取り、それに火を入れて、その上に香を盛った。そしてモーセとアロンと一緒に会見の天幕の入り口に立った。
16:19 コラは、二人に逆らわせようとして、全会衆を会見の天幕の入り口に集めた。そのとき、【主】の栄光が全会衆に現れた。
16:20 【主】はモーセとアロンに告げられた。
16:21 「あなたがたはこの会衆から離れよ。わたしは彼らをたちどころに滅ぼし尽くす。」
16:22 二人はひれ伏して言った。「神よ、すべての肉なるものの霊をつかさどる神よ。一人の人が罪ある者となれば、全会衆に御怒りを下されるのですか。」
16:23 【主】はモーセに告げられた。
16:24 「会衆に告げて、コラとダタンとアビラムの住まいの周辺から引き下がるように言え。」
16:25 モーセは立ち上がり、ダタンとアビラムのところへ行った。イスラエルの長老たちもついて行った。
16:26 そして会衆に告げた。「さあ、この悪い者どもの天幕から離れなさい。彼らのものには何もさわってはならない。彼らのすべての罪のゆえに、あなたがたが滅ぼし尽くされるといけないから。」
16:27 それでみなは、コラとダタンとアビラムの住まいの周辺から離れ去った。ダタンとアビラムは、妻子、幼子たちと一緒に出て来て、自分たちの天幕の入り口に立った。
16:28 モーセは言った。「私を遣わして、これらのわざを行わせたのは【主】であり、私自身の考えからではないことが、次のことによってあなたがたに分かる。
16:29 もしこの者たちが、すべての人が死ぬように死に、すべての人の定めにあうなら、私を遣わしたのは【主】ではない。
16:30 しかし、もし【主】がこれまでにないことを行われるなら、すなわち、地がその口を開けて、彼らと彼らに属する者たちをことごとく?み込み、彼らが生きたままよみに下るなら、あなたがたはこれらの者たちが【主】を侮ったことを知らなければならない。」
16:31 モーセがこれらのことばをみな言い終えるやいなや、彼らの足もとの地面が割れた。
16:32 地は口を開けて、彼らとその家族、またコラに属するすべての者と、すべての所有物を?み込んだ。
16:33 彼らと彼らに属する者はみな、生きたまま、よみに下った。地は彼らを包み、彼らは集会の中から滅び失せた。
16:34 彼らの周りにいたイスラエル人はみな、彼らの叫び声を聞いて逃げた。「地がわれわれも?み込んでしまわないか」と人々は思ったのである。
16:35 また、火が【主】のところから出て、香を献げていた二百五十人を焼き尽くした。
 2025年4月29日(火)リビングライフQT

何と言う民の反抗・怒り・・でしょうか。
何十年・否・何世代も重ねて、恐らく出エジプトを果たした世代は奴隷の子として生れてきたのですから出エジプトが人生再起だと・・・
その中で生活してきた世代なのです。
今‼️神は、 この民を新しい栄光の民として、再創造しようとして、選び出されたのです。
彼等の重ねてきたあらゆる経験は、世界の民に、祝福をもたらす土台となる、神の再創造の御計画なのです。
所が、 ダダン・アビラム・コラの子達は、結束してモーセとアロンの指導性に疑義を持たせ
、民への指導権を奪い取ろうとしたのです。
疑惑の災いは今や全ての民に、広がり始めていたのです。  
神は改めて、神に付き、神に従う民を求められたのです。

人(反逆者ダダンとアビラム)を恐れるか❓❓
神の立てられたモーセを信じるか?
二者択一を民に迫られたのです。
その顛末は省きましょう。
(聖書をお開き下さい)
これは、 私達の日常の生活の中で、常に迫られる決断です。
そして、私達は神との交わりの自覚を常に内に保ちながら、神の側に立ち続けましょう。
主なる神は今日も、あなたを神の民の一人として守り、最後まで導いてくださるのです。
ハレルヤ‼️ 
 民数記  16章1節~11節

16:1 レビの子であるケハテの子イツハルの子コラは、ルベンの子孫であるエリアブの子ダタンとアビラム、およびペレテの子オンと共謀して、
16:2 モーセに立ち向かった。イスラエルの子らで、会衆の上に立つ族長たち、会合から召し出された名のある者たち二百五十人も、彼らと一緒であった。
16:3 彼らはモーセとアロンに逆らって結集し、二人に言った。「あなたがたは分を超えている。全会衆残らず聖なる者であって、【主】がそのうちにおられるのに、なぜ、あなたがたは【主】の集会の上に立つのか。」
16:4 モーセはこれを聞いてひれ伏した。
16:5 それから、コラとそのすべての仲間とに告げた。「明日の朝、【主】は、だれがご自分に属する者か、だれが聖なる者かを示し、その人をご自分に近寄せられる。主は、ご自分が選ぶ者をご自分に近寄せられるのだ。
16:6 こうしなさい。コラとそのすべての仲間よ。あなたがたは火皿を取り、
16:7 明日、【主】の前でその中に火を入れ、その上に香を盛りなさい。【主】がお選びになるその人が、聖なる者である。レビの子たちよ、あなたがたが分を超えているのだ。」
16:8 モーセはコラに言った。「レビの子たちよ、よく聞きなさい。
16:9 あなたがたは、何か不足があるのか。イスラエルの神が、あなたがたをイスラエルの会衆から分けて、【主】の幕屋の奉仕をするように、また会衆の前に立って彼らに仕えるように、ご自分に近寄せてくださったのだ。
16:10 こうしてあなたを、そして、あなたの同族であるレビ族をみな、あなたと一緒に近寄せてくださったのだ。それなのに、あなたがたは祭司の職まで要求するのか。
16:11 事実、一つになって【主】に逆らっているのは、あなたとあなたの仲間全員だ。アロンが何だからといって、彼に対して不平を言うのか。」
  2025年4月28日(月)リビングライフQT

興奮の中、 エジプトを出て早二年以上を経過しています。様々な奇蹟や、神の権限を経験してきたとは言え、約束の地の境界まで来たことに大きな期待と、興奮が民を包んだのです。   しかしその後、  民は再び荒野の旅に引き返させられ、単調な日々が始まったのです。 
レビの氏族の中の、多分有力者であろう、コラ・ダタン・アヒラム・オグは、  モーセとアロンに対する不満をぶっつけたのです。
実は、エシプトでは、パロの元で、人としてではなく、 労働力の奴隷として、扱われてきていたのです。
それだけに、この民は、 烏合の衆の様な民で、
この民を整えるためには、組織力ではなく、強力な指導者が必要だったのです。教会では、牧師は指導者では有りますが、最も、神に服従を求められる者です。
それは従う‼️と言う課題だったのです。
この教えはとても大切な課題なのてす。 
私達の信仰生活でも、
問題の解決が、信仰生活の課題だったり、結果だったりで終われば、成長も更なる祝福もないでしょう。
祝福に与る‼️・・・は、結果ではなく、目的なのです。
この反抗のレビ人は、民の大切な儀式のための、あらゆる働きの分担を担っていたのですが、 もっと表舞台に立ちたかった様です。
教会では、牧師は指導者では有りますが、最も、神に服従を求められる者です。
服従は最高の訓練であり、最高の輝きの実を結ぶ、 ステップなのです。
今朝改めて、 主の御手を仰ぎ見て、 導きを求めましょう。アーメン‼️
 民数記  15章32節~41節

15:32 イスラエルの子らが荒野にいたとき、安息日に薪を集めている男が見つかった。
15:33 薪を集めている者を見つけた人たちは、その人をモーセとアロンおよび全会衆のところに連れて来た。
15:34 しかし、その人をどうすべきか、はっきりと示されていなかったので、彼を留置しておいた。
15:35 すると、【主】はモーセに言われた。「この者は必ず殺されなければならない。全会衆は宿営の外で、彼を石で打ち殺さなければならない。」
15:36 そこで、全会衆は【主】がモーセに命じられたように、その人を宿営の外に連れ出し、石で打ち殺した。
15:37 【主】はモーセに告げられた。
15:38 「イスラエルの子らに告げて、彼らが代々にわたり、衣服の裾の四隅に房を作り、その隅の房に青いひもを付けるように言え。
15:39 その房はあなたがたのためであって、あなたがたがそれを見て、【主】のすべての命令を思い起こしてそれを行うためであり、淫らなことをする自分の心と目の欲にしたがって、さまよい歩くことのないようにするためである。
15:40 こうしてあなたがたが、わたしのすべての命令を思い起こして、これを行い、あなたがたの神に対して聖なる者となるためである。
15:41 わたしが、あなたがたの神、【主】であり、わたしがあなたがたの神となるために、あなたがたをエジプトの地から導き出したのである。わたしはあなたがたの神、【主】である。」
 2025年4月27日(日)リビングライフQT

41節~わたしが、  あなたがたの神、 主であり、わたしがあなた方の神となるために、あなた方をエジプトの地から導き出したのである。わたしはあなた方の神、  主である。

人の営みは、時間と共に感情慣れして、現状がそのまま普通の状況として、それに相応して、考え行動してしまうものです。 
彼等の今にすると、マナも、泉も、ウズラも、(戦いの)勝利も、当然・普通の事として、理解し行動してしまうのです。   
神を信じることは、認識している(分かっている=覚えている=理解している)と言うことではなく、[従う]事なのです。
ところが、毎日同じ生活の繰り返しの中で、気がつかないうちに、従う‼️と言う神との常に新しい関係が、  見落とされ、最優先されるべき、神との関係が 、自分の利害優先に、流れたのです 。 
彼の行動は、  善し悪しの問題ではなく、神との関係の問題なのです。 即ち、神を第一にするのではなく、神との関係より、自分の利害を優先した…と言うことなのです。
私達はこの記録を読んで・・・・神様はなんて、厳しいお方なんだろう・・・と、  つぶやきがちになりますね。
神様との関係は、利害や感情に立つ関係ではないのです。 
創造者と、被造物との関係です 。  即ち、秩序上の関係なのです。
彼にとっては、薪拾いが安息日(神との礼拝と交わり)の定めよりも、優先していたのです。   
私達の、神様との関係は、どうでしょう。
新たに秩序を整えましょう。それは神様との関係を整えることです。 
ハレルヤ‼️
 民数記  15章22節~31節

15:22 あなたがたが迷い出て、【主】がモーセに告げたこれらすべての命令、
15:23 すなわち、【主】が命じた日以後、代々にわたって、【主】がモーセを通してあなたがたに命じたすべてのことを行わないとき、
15:24 もしそのことが、会衆が気づかずになされたのなら、全会衆は、【主】への芳ばしい香りのための全焼のささげ物として若い雄牛一頭、また、定めにかなう穀物のささげ物と注ぎのささげ物、さらに罪のきよめのささげ物として雄やぎ一匹を献げなければならない。
15:25 祭司がイスラエルの全会衆のために宥めを行うなら、彼らは赦される。それは過失であり、彼らが自分たちの過失のために、自分たちのささげ物、すなわち【主】への食物のささげ物と罪のきよめのささげ物を、【主】の前に持って来たからである。
15:26 イスラエルの全会衆も、あなたがたの間に寄留している者も赦される。それは民全体の過ちだからである。
15:27 もし個人が気づかずに罪に陥ってしまったのなら、一歳の雌やぎ一匹を罪のきよめのささげ物として献げなければならない。
15:28 祭司は、気づかずに罪に陥ってしまった者のために、【主】の前で宥めを行う。彼のために宥めを行い、その人は赦される。
15:29 イスラエルの子らのうちのこの国に生まれた者でも、あなたがたの間に寄留している者でも、気づかずに罪を行ってしまった者には、あなたがたと同一のおしえが適用されなければならない。
15:30 この国に生まれた者でも、寄留者でも、故意に違反する者は【主】を冒?する者であり、その人は自分の民の間から断ち切られる。
15:31 【主】のことばを侮り、その命令を破ったのであるから、必ず断ち切られ、その咎を負う。」
 2025年4月26日(土)リビングライフQT

昨日は、神の前に捧げること(物)についての、導きでしたが、今日の定めは、神に対して犯した罪(神の定めに従わなかった違反)それが故意(気付かず)に犯された違反でない限り、神の前に祭司の執り成しによって、定められた、ささげ物をもって、その罪は回復される・・・・・と言う福音です。

しかし、神に敵対し、神を冒涜した罪は、「死」をもって、断ち切られる。
人類が神を離れ、罪と神への反抗の歴史を積み重ねる中から、神はイスラエルを選び出して、この民を通して、罪への容赦ない裁きと、一方、  愛と許しの道を拓かれたのです。
イスラエルの民は、  この様にして、今私達が経験する、  赦されて神の前に出る平安と慰めを受ける、  信仰生活への道筋を、  拓いたのです。
それは正に、イエス様がゴルゴタ(罪の許し)への道を進まれた、私達への、あの福音です。
 民数記  15章1節~21節

15:1 【主】はモーセにこう告げられた。
15:2 「イスラエルの子らに告げよ。わたしがあなたがたに与えて住まわせる地にあなたがたが入り、
15:3 食物のささげ物を【主】に献げるとき、すなわち、特別な誓願を果たすためであれ、進んで献げるものとしてであれ、例祭としてであれ、牛か羊の群れから全焼のささげ物かいけにえをもって、【主】に芳ばしい香りを献げるとき、
15:4 そのささげ物をする者は、穀物のささげ物として、油四分の一ヒンを混ぜた小麦粉十分の一エパを、【主】に献げなければならない。
15:5 また全焼のささげ物、またはいけにえに添えて、子羊一匹のための注ぎのささげ物として、四分の一ヒンのぶどう酒を献げなければならない。
15:6 雄羊の場合には、穀物のささげ物として、油三分の一ヒンを混ぜた小麦粉十分の二エパを献げ、
15:7 さらに注ぎのささげ物として、ぶどう酒三分の一ヒンを献げなければならない。これは、【主】への芳ばしい香りである。
15:8 また、あなたが特別な誓願を果たすために、若い牛を全焼のささげ物、もしくはいけにえとする場合、あるいは交わりのいけにえとして【主】に献げる場合は、
15:9 その若い牛に添えて、油二分の一ヒンを混ぜた小麦粉十分の三エパの穀物のささげ物を献げ、
15:10 また注ぎのささげ物として、ぶどう酒二分の一ヒンを献げなければならない。これは【主】への食物のささげ物、芳ばしい香りである。
15:11 牛一頭、雄羊一匹、いかなる羊、やぎについても、このようにしなければならない。
15:12 あなたがたが献げる数に応じて、それらの数にしたがって、一頭、一匹ごとにこのようにしなければならない。
15:13 すべてこの国に生まれた者が、【主】への芳ばしい香りの、食物のささげ物を献げるには、このようにこれらのことを行わなければならない。
15:14 また、あなたがたのところに寄留している者、あるいは、あなたがたのうちに代々住んでいる者が、【主】への芳ばしい香りである、食物のささげ物を献げる場合には、あなたがたがするようにその人もしなければならない。
15:15 一つの集会として、掟はあなたがたにも、寄留している者にも同一であり、代々にわたる永遠の掟である。【主】の前には、あなたがたも寄留者も同じである。
15:16 あなたがたにも、あなたがたのところに寄留している者にも、同一のおしえ、同一のさばきが適用されなければならない。」
15:17 【主】はモーセにこう告げられた。
15:18 「イスラエルの子らに告げよ。わたしがあなたがたを導き入れようとする地にあなたがたが入り、
15:19 その地のパンを食べるようになったら、あなたがたは【主】に奉納物を献げなければならない。
15:20 初物の麦粉で作った輪形パンを奉納物として献げ、打ち場からの奉納物として献げなければならない。
15:21 初物の麦粉のうちから、あなたがたは代々にわたり、【主】に奉納物を献げなければならない。
 2025年4月25日(金)リビングライフQT

☆ささげ物の定め☆
聖書に記されているのは、創世記4章の
゙カインとアベル゛の物語が初めです。
「時期になって、カインは、地の作物から主へのささげ物を持ってきた・・・アベルもまた彼の羊の初子の中から、それも最上の物を持ってきた。」4章4節
突然ささげ物をした記録が登場しますが、それは、すでに両親(アダム・エバ)の生活の中から学んだ、神(創造主)との交流の通常の営みだったのです。  
献金・奉献・犠牲・・・これ等の行為は、創造された人(人類)が、創造者なる神との交わりの時の、心の表れなのです。 
神との交わりの時の、言葉では表せない感謝と、喜びとの表現として、ささげ物をします。
イスラエルは、長い歴史の流れの中で、奴隷として生きてきた日々には、苦悩と絶望ばかりで、神に叫び続けては来ましたが、慈しみ深い神との向き合いが無いばかりか、エジプトの偶像の神々への、強制的礼拝を強いられて来ていたのです。
しかし、彼等は約束の地(まだまだ遠い先ですが)へと導き上られる者として、今やイスラエルの新しい歴史が創造されようとしているのです。 
そこから新しい神との関係が始まるのです。
これ等の内容に関しては、正に、神と人との、最高の交わりの食卓を表すための材料が、教えられているのです。  それがささげ物なのです。
その一つ一つを解説するのは困難ですが、一つ象徴的に言えるのは、神様との交わりには、罪人である私達人間が、自らの工夫や、厳粛な形式(儀式・方法)をもって演出する事は、神に受け入れられるものではない・・・と言うことです。 
今ひとつ、今日のテキストで大切なことは、
ともすると、  イスラエルの民は、  排他的で、他の民族を<異邦人>として排除する民族性が強いと、見られますが、今朝のテキストには・・・15節
「一つの集会として、掟はあなたがたにも、寄留している者(異邦人)にも同一であり、・・・・・主の前には、あなた方も寄留者も同じである。」 と記されてあり、主なる神の全き公平性が語られています。
主なる神は、私達(人類全て、私・あなた-)に交わりを求めておられるのです。
 民数記  14章39節~45節

14:39 モーセがこれらのことばを、すべてのイスラエルの子らに告げると、民は嘆き悲しんだ。
14:40 翌朝早く、彼らは山地の峰の方に上って行こうとして言った。「われわれはここにいるが、とにかく【主】が言われた場所へ上って行ってみよう。われわれは罪を犯してしまったのだ。」
14:41 モーセは言った。「あなたがたはいったいなぜ、【主】の命令を破ろうとするのか。それは成功しない。
14:42 上って行ってはならない。【主】があなたがたのうちにおられないのだから。あなたがたは敵に打ち負かされてはならない。
14:43 そこには、あなたがたの前にアマレク人とカナン人がいて、あなたがたは剣で倒される。あなたがたが【主】に背いたから、【主】はあなたがたとともにはおられない。」
14:44 しかし、彼らはかまわずに山地の峰の方に上って行った。【主】の契約の箱とモーセは、宿営の中から動かなかった。
14:45 山地に住んでいたアマレク人とカナン人は、下って来て彼らを討ち、ホルマまで彼らを追い散らした。
 2025年4月24日(木)リビングライフQT

偵察から帰って、民の更なる前進の意慾を、削ぐような報告をした10人の調査隊のメンバーは皆、神の裁きに合い亡くなりました。民は途方に暮れて、嘆き悲しんだのです。

神の次の導きは、再び荒野の道へと、民を引き戻させるものでした。
民は今までの行程を考えると、気持ちがくじけて、沈み込んだのです。
ところが、翌朝になると民の中の気丈な者たちが、民を叱咤激励して、北の山地へと、進軍するのです。
指導者モーゼは、敢然として彼らの行動を非難して、「神の導きのない道は、滅びしかないと警告しました・・しかし、彼らは前進を敢行しました。
この経緯は、こうして読むと、(愚かな行為)と、映りますが、私たちの日常に置いて、しばしば、この様に踏み込んでしまっている現実があることを、忘れてはなりません。
勇気・可能性・間違った信仰(神に従わない神信仰→御利益)に乗って、行動を起こす、これ等は、失敗に終わるだけではなく、神への反抗・・・となることを知らなければなりません。
正に、この人々は、瞬く間に討ち滅ぼされ、敗北を期したのです。
42節~上っていってはならない。主があなた方のうちにおられないのだから。あなた方は敵に打ち負かされてはならない。
43節~・・・・あなた方は剣で倒される。あなたがたが主に背いたから、主はあなた方とともにはおられない。

この様な御警告が語られたにも関わらず、彼らは進軍して行き敗北したのです。
正に、(罪)の、典型的姿なのです。
可能性・勇気・勇敢さ・強さ・経験・・・・・・
これ等は、しばしば信仰(神への信頼を)をゆるがせる敵なのです。
『神のお言葉に聴く‼️』と言うことは、人生で最も大切な道標なのです。 
アーメン‼️
 民数記  14章26節~38節

14:26 【主】はモーセとアロンに告げられた。
14:27 「いつまで、この悪い会衆は、わたしに不平を言い続けるのか。わたしは、イスラエルの子らがわたしにつぶやく不平を聞いた。
14:28 彼らに言え。わたしは生きている──【主】のことば──。わたしは必ず、おまえたちがわたしの耳に語ったとおりに、おまえたちに行う。
14:29 この荒野におまえたちは、屍をさらす。わたしに不平を言った者で、二十歳以上の、登録され数えられた者たち全員である。
14:30 エフンネの子カレブと、ヌンの子ヨシュアのほかは、おまえたちを住まわせるとわたしが誓った地に、だれ一人入ることはできない。
14:31 おまえたちが『かすめ奪われてしまう』と言った、おまえたちの子どもについては、わたしは彼らを導き入れる。彼らはおまえたちが拒んだ地を知るようになる。
14:32 しかし、おまえたちはこの荒野に屍をさらす。
14:33 おまえたちの子どもは、この荒野で四十年の間羊を飼う者となり、おまえたちがみな、屍となるまで、おまえたちの背信の責めを負わなければならない。
14:34 おまえたちが、あの地を偵察した日数は四十日であった。その一日を一年と数えて、四十年の間おまえたちは自分の咎を負わなければならない。こうして、わたしへの反抗が何であるかを思い知ることになる。
14:35 【主】であるこのわたしが言う。一つになってわたしに逆らったこの悪い会衆のすべてに対して、わたしは必ずこうする。この荒野で彼らは死に絶える。
14:36 また、モーセがあの地の偵察のために遣わした者で、帰って来て、その地について悪く言いふらし、全会衆にモーセに対する不平を言わせた者たちもだ。」
14:37 こうして、その地を悪く言いふらした者たちは、【主】の前に疫病で死んだ。
14:38 しかし、あの地を偵察しに行った者のうち、ヌンの子ヨシュアと、エフンネの子カレブは生き残った。
 2025年4月23日(水)リビングライフQT

今日のテキストを、どの様に、皆様にお届けしたものか❓…と、戸惑うばかりです。

何と厳しい神の怒りでしょう。このご存在が旧約に著された神の御本質なのです。
何と畏るべきお方なのでしょう。しかし、この神様が御自身の、全てではないのです。
神は、御自身に立ち向かう(刃向かう➡即ち、敵対する)者には、全く容赦のない裁きをなさいます。
こうして人類最初に選ばれたイスラエルは、全ての民(人類)が、我が身を知る道しるべとして選ばれ、恐るべき厳しさと想像を超える愛とを、イスラエルの民を通して、顕されたのです。
これまでに顕された、イスラエル民への、神の無限の愛(想像もつかない奇跡の数々)を振り返りと、ここに顕された神の怒りの、お言葉は、決して神の御本性の(愛)と、矛盾するものではありません。
しばしば、人々はこのような事態の、神の怒りの記録から、「神は何と残酷な、お方だろう」と批判する声を聞いてきました。
全くの筋違いです。
彼らが今荒野にあるのは、あのエジプトの400年に亘る、奴隷の苦しみから解放され、今や理想の地(乳と蜜の流れる約束の地)、約束の地への途上にあるのです。
神に従わずしては、荒野を乗り切れないのは明白です。
彼らは、マナを毎日食し、ウズラの肉を食べ、飲み水のために、神は泉を湧き出させ・・・
主なる神を信じ期待すれば、感謝と希望で、溢れていたことでしょう。
信じることは、難しいことなのでしょうか?
自分の欲求を第一にして、神の愛に目を背けては、何も始まりませんね。
ヨシュア・カレブは、反抗する民の中で、敢然として、モーセと神に信頼していたのです。
毎日私達は、神に問われます。
「あなたは私を愛しますか❓」
甦られた主が問われた様に!
 民数記 14章11節~25節

14:11 【主】はモーセに言われた。「この民はいつまでわたしを侮るのか。わたしがこの民の間で行ったすべてのしるしにもかかわらず、いつまでわたしを信じようとしないのか。
14:12 わたしは彼らを疫病で打ち、ゆずりの地を?奪する。しかし、わたしはあなたを彼らよりも強く大いなる国民にする。」
14:13 モーセは【主】に言った。「エジプトは、あなたが御力によって、自分たちのうちからこの民を導き出されたことを聞いて、
14:14 この地の住民に告げるでしょう。事実、住民たちは聞いています。あなた、【主】がこの民のうちにおられ、あなた、【主】が目の当たりにご自身を現されること、またあなたの雲が彼らの上に立ち、あなたが昼は雲の柱、夜は火の柱の内にあって、彼らの前を歩んでおられることを。
14:15 もし、あなたがこの民を一人残らず殺すなら、あなたのうわさを聞いた異邦の民は、このように言うに違いありません。
14:16 『【主】はこの民を、彼らに誓った地に導き入れることができなかったので、荒野で殺したのだ』と。
14:17 どうか今、あなたが語られたように、わが主の大きな力を現してください。あなたは言われました。
14:18 『【主】は怒るのに遅く、恵み豊かであり、咎と背きを赦す。しかし、罰すべき者を必ず罰し、父の咎を子に報い、三代、四代に及ぼす』と。
14:19 この民をエジプトから今に至るまで耐え忍んでくださったように、どうかこの民の咎をあなたの大きな恵みによって赦してください。」
14:20 【主】は言われた。「あなたのことばどおりに、わたしは赦す。
14:21 しかし、わたしが生きていて、【主】の栄光が全地に満ちている以上、
14:22 わたしの栄光と、わたしがエジプトとこの荒野で行ったしるしとを見ながら、十度もこのようにわたしを試み、わたしの声に聞き従わなかった者たちは、だれ一人、
14:23 わたしが彼らの父祖たちに誓った地を見ることはない。わたしを侮った者たちは、だれ一人、それを見ることはない。
14:24 ただし、わたしのしもべカレブは、ほかの者とは違った霊を持ち、わたしに従い通したので、わたしは、彼が行って来た地に彼を導き入れる。彼の子孫はその地を所有するようになる。
14:25 平地にはアマレク人とカナン人が住んでいるので、あなたがたは、明日、向きを変えてここを旅立ち、葦の海の道を通って荒野へ行け。」
 2025年4月22日(火)リビングライフQT

☆主なる神の怒り と
 モーセの執り成し☆

旧約時代の神の存在は、まるで民の首長、この出エジプトに関する中では、モーセの上に立たれる存在のお方として、ともすると、抽象化されやすい神への信仰を、よりリアルにご自身を顕されていますね‼️
12人の偵察隊の帰還後、ヨシュアとカレブの、神への信頼と勝利のアピールに対して、10人の邪悪な報告は民の心を萎縮させ、神の言葉に反する、扇動をしたのです。
何かあると、神への不信を民の心の中に、かき立て、神に敵対する民に、神の怒りの言葉が覆いました。
『疫病をもって、民を打つ』
この時点でのモーセの祈りは、後世に語り継がれるものとなりました。
単に、民の行きすぎを詫びて、赦しを乞うのではなく、神の権威と、民を通してご自身を世界の民に、報せようとご計画になった、出エジプトの歴史的業を、破壊するものとして、呟きと反抗をもって敵対する民に向けて、『約束の地には入れない』との、悲しい宣告を、語られました。
しかし、その様な中、ヨシュアとカレブは、神への信頼と絶対的服従を揺るがせず、敢然と彼等に反論したので、神はこの二人を、最後まで保護されたのです。
モーセの神への執り成しは、神の約束とその宣言を盾に取り、神の怒りを思い返される方向へと、導いたのです。
モーセは言わば!神の怒りの矢面に立って、主なる神のお言葉の矛盾点(→これは罪人の反抗と神への侮辱が問題点で、神の側の非が問題ではない)にも関わらず、モーセは、神の言葉に反論しながら、民に成り代わって、懇願していますね‼️
《執り成しの祈り》と、良く言われ、牧師を通して願ったり、先輩の信仰の友に、求めたりしますが、
《執り成し》とは、単に(代弁)ゃ(通訳)と言ったものではないのです。
《執り成し》
とは、執り成し手(者)が、自分の存在を無にし、信頼も評判も、神からの評価も・・・全てかなぐり棄てて、他のために道を開くことです。
主イエス様の、十字架の祈りと《死》が、その典型なのです。イエス様の私の』あなたの《罪》の赦しの執り成しこそ、唯一真実なものです。

私達には、
イエス様のような罪の執り成しは出来ませんが、どなたかの為に祈りの座につく時、自分の問題として心痛み祈るとき、初めて執り成す・・・という意味が生じるでしょう。
 執り成す→身代わり
と言うことです。
☆イスラエルが今在るのは、モーセの執り成しがあったから‼️
☆あなたが私が今在るのは、イエス様が十字架に身を捧げられたからです‼
 民数記  14章1節~10節

14:1 すると、全会衆は大声をあげて叫び、民はその夜、泣き明かした。
14:2 イスラエルの子らはみな、モーセとアロンに不平を言った。全会衆は彼らに言った。「われわれはエジプトの地で死んでいたらよかった。あるいは、この荒野で死んでいたらよかったのだ。
14:3 なぜ【主】は、われわれをこの地に導いて来て、剣に倒れるようにされるのか。妻や子どもは、かすめ奪われてしまう。エジプトに帰るほうが、われわれにとって良くはないか。」
14:4 そして互いに言った。「さあ、われわれは、かしらを一人立ててエジプトに帰ろう。」
14:5 そこで、モーセとアロンは、イスラエルの会衆の集会全体の前でひれ伏した。
14:6 すると、その地を偵察して来た者のうち、ヌンの子ヨシュアとエフンネの子カレブが、自分たちの衣を引き裂き、
14:7 イスラエルの全会衆に向かって次のように言った。「私たちが巡り歩いて偵察した地は、すばらしく、良い地だった。
14:8 もし【主】が私たちを喜んでおられるなら、私たちをあの地に導き入れ、それを私たちに下さる。あの地は乳と蜜が流れる地だ。
14:9 ただ、【主】に背いてはならない。その地の人々を恐れてはならない。彼らは私たちの餌食となる。彼らの守りは、すでに彼らから取り去られている。【主】が私たちとともにおられるのだ。彼らを恐れてはならない。」
14:10 しかし全会衆は、二人を石で打ち殺そうと言い出した。すると、【主】の栄光が会見の天幕からすべてのイスラエルの子らに現れた。
 2025年4月21日(月)リビングライフQT

受難週のため、民数記のテキストからしばらく離れていたので、少し説明をさせて頂きます。長い年月にわたる、荒野の移動で、民は一民族として、国(今は領土を持たないが)としての、法と集団秩序を整えてきました。
いよいよ、カナンの地(約束の地)に近付いたので、神は、偵察隊を派遣させました。
40日に亘る偵察(ガリラヤ湖の北に至る)から帰った報告は、民の心を挫いたのです。
ヌンの子ヨシュア・エフンネの子カレブ・・この二人は、『神に信頼して、勝利できる‼️』と報告しましたが、後の10人は、民を扇動して、恐れと拒絶の心を、民の間に拡げたのです。
ここまでが振り返りです。

民は、指導者モーセとアロンに向かって、激しく怒り『エジプトへ帰ろう❗』とまで叫ぶのです。
流石のモーセも、悲しみの余り言葉を失って、民の前でひれ伏してしまいました。
モーセの苦悩は、いかばかりだった事でしょう(辛い)
しかし、ここに神は、ヨシュアとカレブと言う、信仰の指導者を選ばれていました。
彼らは・・・ 
9節:主に背いてはならない。・・人々を恐れてはならない。彼らは私達の餌食になる。彼らの守りは、すでに彼らから取り去られている。
《主が私たちとともにおられるからだ。彼らを恐れてはならない。》
この時、この言葉を保証するかのように、神の臨在が濃く顕れたのです‼️
一触即発の危機の最中にも、神の御眼は、信じる者に、注がれているのです。 
*物語だから・・・
*歴史だから・・・
*現実はそう上手く行くものではない
と、よく言われますが、聖書の物語は、歴史考古学でも、奇跡の展開として、古代文書(聖書以外)にも、記録されているのです。
私の、伝道者となって60年の歩みを振り返っても、どの様にして、あの危機を乗り切ったのだろう⁉️と、不思議な思いを持つ事もあるのです。
信仰は、前に進むしかない‼️その連続でした。
聖書の出エジプトの記録は、私達の生涯にも重なる、ふしぎの連続でした。
それは、驚く奇跡の連続・・・‼️ということではなく、神の臨在の明らかな経験の、連続だ‼️ということです。
 マルコの福音書16章1節~11節

16:1 さて、安息日が終わったので、マグダラのマリアとヤコブの母マリアとサロメは、イエスに油を塗りに行こうと思い、香料を買った。
16:2 そして、週の初めの日の早朝、日が昇ったころ、墓に行った。
16:3 彼女たちは、「だれが墓の入り口から石を転がしてくれるでしょうか」と話し合っていた。
16:4 ところが、目を上げると、その石が転がしてあるのが見えた。石は非常に大きかった。
16:5 墓の中に入ると、真っ白な衣をまとった青年が、右側に座っているのが見えたので、彼女たちは非常に驚いた。
16:6 青年は言った。「驚くことはありません。あなたがたは、十字架につけられたナザレ人イエスを捜しているのでしょう。あの方はよみがえられました。ここにはおられません。ご覧なさい。ここがあの方の納められていた場所です。
16:7 さあ行って、弟子たちとペテロに伝えなさい。『イエスは、あなたがたより先にガリラヤへ行かれます。前に言われたとおり、そこでお会いできます』と。」
16:8 彼女たちは墓を出て、そこから逃げ去った。震え上がり、気も動転していたからである。そしてだれにも何も言わなかった。恐ろしかったからである。〔彼女たちは、命じられたすべてのことを、ペテロとその仲間たちに短く伝えた。その後、イエスご自身が彼らを通して、きよく朽ちることのない永遠の救いの宣言を、日の昇るところから日の沈むところまで送られた。アーメン。〕
16:9 〔さて、週の初めの日の朝早く、よみがえったイエスは、最初にマグダラのマリアにご自分を現された。彼女は、かつて七つの悪霊をイエスに追い出してもらった人である。
16:10 マリアは、イエスと一緒にいた人たちが嘆き悲しんで泣いているところに行って、そのことを知らせた。
16:11 彼らは、イエスが生きていて彼女にご自分を現された、と聞いても信じなかった。
 2025年4月20日(日)リビングライフQT

☆復活の朝☆

福音書の終りの章であり、イエス・キリスト様の物語は、この出来事で、区切りがつこうとしていたのです。その最後の締めくくりの言葉が、→11節:彼ら(弟子達)は、イエスが生きていて彼女に御自分を現された、と聞いても信じなかった。
なんと悲しい締めくくりでしょう。私達は伝統的に、福音を信じていますし、聖書の記録を、繰り返し読んで信じていますから、彼らの不信仰に、思いを重ねられないのです。しかし、現実に、ズタズタに傷つけられ、罵られて息を引き取られた、イエス様のお姿を見た弟子たちにしてみれば、信じられない方が自然だと、思われるほど、主の死は余りにも残虐で希望の光の一点すら、そこには見つからない姿でした。
しかし、この残虐すぎるほどの現実が、新しい世界(信仰)の始まりに相応しい、神のご計画なのです。
何度も学んできましたが!福音(神の真実の知らせ)は、ここから出発したのです‼️
理解や納得により、開かれる道ではなく、ただ信じ受け取ることによって、開かれて来る、神の栄光と恵みの世界なのです。
教会は、今日の日曜、死が、イエス様によって破られ、信じる全ての者に、命が与えられたことを喜び、感謝と、新たな信仰を主に捧げる礼拝の朝です。
復活の主に、新たに祈りと信仰と献身を捧げましょう‼️ 
   ハレルヤ‼️
 マルコの福音書15章39節~47節 

15:39 イエスの正面に立っていた百人隊長は、イエスがこのように息を引き取られたのを見て言った。「この方は本当に神の子であった。」
15:40 女たちも遠くから見ていたが、その中には、マグダラのマリアと、小ヤコブとヨセの母マリアと、サロメがいた。
15:41 イエスがガリラヤにおられたときに、イエスに従って仕えていた人たちであった。このほかにも、イエスと一緒にエルサレムに上って来た女たちがたくさんいた。
15:42 さて、すでに夕方になっていた。その日は備え日、すなわち安息日の前日であったので、
15:43 アリマタヤ出身のヨセフは、勇気を出してピラトのところに行き、イエスのからだの下げ渡しを願い出た。ヨセフは有力な議員で、自らも神の国を待ち望んでいた。
15:44 ピラトは、イエスがもう死んだのかと驚いた。そして百人隊長を呼び、イエスがすでに死んだのかどうか尋ねた。
15:45 百人隊長に確認すると、ピラトはイエスの遺体をヨセフに下げ渡した。
15:46 ヨセフは亜麻布を買い、イエスを降ろして亜麻布で包み、岩を掘って造った墓に納めた。そして、墓の入り口には石を転がしておいた。
15:47 マグダラのマリアとヨセの母マリアは、イエスがどこに納められるか、よく見ていた。
 2025年4月19日(土)リビングライフQT

☆イエス様の葬り☆

イエス様の十字架上での最後のお言葉は、
ヨハネ福音書 19章30節
『完了した』→文語訳では『事終りぬ』です。
☆ヨハネの福音書のメッセージでも書きましたが・・・
バッハの《ヨハネ受難曲》の最終章が、このお言葉が表題になっていました。
私が中学二年の時に出会った曲でしたが、その荘厳な、どこか物悲しい、しかし、廻りに平安が拡がるような、不思議な曲で、ヨハネ受難曲全曲を聞くと、余りに長いので、中学生の私には退屈で、終りの部分だけを、針を上げては降ろしてを繰り返して、とうとう、溝が深くなって、雑音になるほどでした。(わーい)
今その曲を思い出しながら、ゴルゴタの丘のこのシーンを、頭に思い描いています。
死刑執行人であった、百人隊長(中隊長)は、十字架に掛けられてからの、イエス様の全てを凝視し、又その語られた《十字架上の七言》を、その状況下で、聞き・観てきたのでしょう‼️
『この方は本当に
  神の子であった』と、告白したのです。
皇帝の権威と名の下で執行した人物に対して、この様な告白は、反逆罪・謀反・皇帝への侮辱にも当たる言葉ですが・・・
彼は、怖れる事なく、告白したのです。
世界最初の、素晴らしい告白です‼️
一体十字架を囲んだ群衆(その中に弟子達も、女の信者達も居たでしょう)の中で、何人が、主イエス様の中に、神の栄光を見ただろうか⁉️

息を引き取られた主のみ身体を、葬った、アリマタヤのヨセフ・・彼は、ユダヤ国会の議員(当然パリサイ派)は、周りの反対派の見届けようと、する中から、あの、中隊長とは違った告白ですが、主を丁重に葬ることで、その信仰を告白しています。
今朝新たに、私達は、どのような告白を持って、世(周り)に、主の告白を表してきたのでしょう。
正に、それが福音宣教となるのです‼️
イエス様を、私の主・私の神・私の救い主・私の唯一信頼するお方‼️として、言葉で、生活で、生き様で表して(証して)きたでしょうか❗️
深く思いつつ、祈りましょう。
 マルコの福音書15章25節~38節

15:25 彼らがイエスを十字架につけたのは、午前九時であった。
15:26 イエスの罪状書きには、「ユダヤ人の王」と書いてあった。
15:27 彼らは、イエスと一緒に二人の強盗を、一人は右に、一人は左に、十字架につけた。
15:28 【本節欠如】
15:29 通りすがりの人たちは、頭を振りながらイエスをののしって言った。「おい、神殿を壊して三日で建てる人よ。
15:30 十字架から降りて来て、自分を救ってみろ。」
15:31 同じように、祭司長たちも律法学者たちと一緒になって、代わる代わるイエスを嘲って言った。「他人は救ったが、自分は救えない。
15:32 キリスト、イスラエルの王に、今、十字架から降りてもらおう。それを見たら信じよう。」また、一緒に十字架につけられていた者たちもイエスをののしった。
15:33 さて、十二時になったとき、闇が全地をおおい、午後三時まで続いた。
15:34 そして三時に、イエスは大声で叫ばれた。「エロイ、エロイ、レマ、サバクタニ。」訳すと「わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか」という意味である。
15:35 そばに立っていた人たちの何人かがこれを聞いて言った。「ほら、エリヤを呼んでいる。」
15:36 すると一人が駆け寄り、海綿に酸いぶどう酒を含ませて、葦の棒に付け、「待て。エリヤが降ろしに来るか見てみよう」と言って、イエスに飲ませようとした。
15:37 しかし、イエスは大声をあげて、息を引き取られた。
15:38 すると、神殿の幕が上から下まで真っ二つに裂けた。
 2025年4月18日(金)リビングライフQT

 ☆十字架の金曜日☆


イエス様の十字架の苦しみの、短くも無駄のない状況の目撃記録。
前半の、目撃者の反応の、胸が痛くなる様な、罵りの言葉に、耳目を覆いたくなる思いです。
この福音書の記者であるマルコは、最後の晩餐が開かれた、エルサレムで、イエス様が何時もお泊まりになられたイエス様の働きを陰で支える家庭の、子供だったと言われれています。ですから、主が弟子達と上京(エルサレム)された時には、弟子達から様々な様子を聞かされたでしょうし、イエス様からは、深く愛された若者だったでしょう。
ですから、マルコ福音書は、表現は簡潔ではありますが、リアルに状況が記録されています。
御苦しみの中に居られる、十字架上の主に向かって、罵りの言葉をはく、人々の言葉を記録しています。
おそらくゴルゴタの丘の頂より少し離れた所から、心悼みながら、見つめていたのでしょう。
その様な中から、克明に現場の時間の流れの中で起こる全てを、記憶しておいたのでしょう。
地球上の一点(パレスチナのエルサレム郊外の、岩の丘)そこに、
☆神の御子の悲しみと☆創造主なる父なる神の、怒りと御苦悩と、
☆人々の罪と、神(イエス様)に向かっての、冒涜の限りを尽くした罵りの言葉・・・
それらが渦巻く、ゴルゴダのただ中で、苦痛に切り刻まれ、罵りの言葉に突き刺され、つばきされる私達の救い主イエス様のお姿を、今、マルコの目を通して、私たちは、心に刻まされるのです
主は、朝の九時から午後の三時まで、極限の状態から、遂に息を引き取られたのです。
その最後のお言葉は、
『エロイ、エロイ、レマ、サバクタニ』⇒『我が神、我が神。どうしてわたしをお見捨てになったのですか。』
魂揺さぶられる主の叫びです
人間として、神に捨てられた人が居たでしょうか?????
人は、神の愛に包まれながら、罪を悔い改めない場合は、最後の審判で、神の愛と赦しからは追放され滅びますが、未だその時は来ていません。
神の創造に始まる、人類の歴史の半ばで、神の御子は、こうして、私たち罪人の身代りとなられて、神からの断絶の審判を代わって受けられたのです。
☆ 38節:神殿の幕が上から下まで真っ二つに裂けた‼️
神と罪人とを分離(断絶)した、神殿の聖所の幕が、裂けた‼️
神と人との隔てが、取り払われた。
救いの完成の瞬間です‼️
今私達、イエス様の十字架の贖罪を信じるものは、何時でも、どこでも、神の前に出られるのです。
*祈りの座で 
*礼拝で 
*友との賛美の中で 
*日々の生活の中で・・・
それがクリスチャン生活なのです‼️
   ハレルヤ
 マルコの福音書15章1節~15節

15:1 夜が明けるとすぐに、祭司長たちは、長老たちや律法学者たちと最高法院全体で協議を行ってから、イエスを縛って連れ出し、ピラトに引き渡した。
15:2 ピラトはイエスに尋ねた。「あなたはユダヤ人の王なのか。」イエスは答えられた。「あなたがそう言っています。」
15:3 そこで祭司長たちは、多くのことでイエスを訴えた。
15:4 ピラトは再びイエスに尋ねた。「何も答えないのか。見なさい。彼らはあんなにまであなたを訴えているが。」
15:5 しかし、イエスはもはや何も答えようとされなかった。それにはピラトも驚いた。
15:6 ところで、ピラトは祭りのたびに、人々の願う囚人一人を釈放していた。
15:7 そこに、バラバという者がいて、暴動で人殺しをした暴徒たちとともに牢につながれていた。
15:8 群衆が上って来て、いつものようにしてもらうことを、ピラトに要求し始めた。
15:9 そこでピラトは彼らに答えた。「おまえたちはユダヤ人の王を釈放してほしいのか。」
15:10 ピラトは、祭司長たちがねたみからイエスを引き渡したことを、知っていたのである。
15:11 しかし、祭司長たちは、むしろ、バラバを釈放してもらうように群衆を扇動した。
15:12 そこで、ピラトは再び答えた。「では、おまえたちがユダヤ人の王と呼ぶあの人を、私にどうしてほしいのか。」
15:13 すると彼らはまたも叫んだ。「十字架につけろ。」
15:14 ピラトは彼らに言った。「あの人がどんな悪いことをしたのか。」しかし、彼らはますます激しく叫び続けた。「十字架につけろ。」
15:15 それで、ピラトは群衆を満足させようと思い、バラバを釈放し、イエスはむちで打ってから、十字架につけるために引き渡した。
 2025年4月17日(木)リビングライフQT

☆ピラトの弱さ☆

人間の本当の強さ‼️
それは何でしょうか❓
今日の話題のピラトは、当時の世界最強のローマ帝国の“ユダヤ総督”と言う、ユダヤを中心とした。パレスティナ全域を治める、非常に強大な権力を掌握していた、ローマ帝国随一の権力者だったのです。しばしば反乱を起こす、ユダヤの民を治める、名総督であったばかりか、ローマ皇帝の信頼も淳い、人物でした。
その様な総督の下で、イエス様の伝道の働きが展開したのです。
あちらこちらで『メシヤの到来‼️』と言う興奮した群衆の、沸き立ち集まる姿を、耳にし、また、自ら目撃して、この騒然とした、ユダヤ・サマリヤ全土に拡がる、群衆の姿の中で、イエス様の柔和な耀き、また愛に満ちた姿に、ピラトの心は、ある種の平和と愛とを感じていたのです。
ルカ福音書23章には、ピラトが、イエス様を告発する民衆に、繰り返し繰り返し、イエス様の無罪を告げ、宗教的指導者に扇動された民衆を、説得する様子が、克明に記されています。
しかし、ピラトの権威と、正義感と、知性をもってしても、民の背後にあって、民を動かす宗教(ユダヤ教)指導者の前に、砕けそうになったのです。
彼の、ユダヤ総督としての、力と権威と、正義は、ユダヤ教指導者達(被支配の民)の前に、踏み砕かれたのです。
支配者の敗北です。
⇒15節:ピラトは群衆を満足させようと思い、バラバを釈放し、イエスをむちで打ってから、十字架につけるために引き渡したのです。
ああ、何と言う敗北でしょう。
自らの身を守るために、真理と神の義を踏み砕くとは…

キリシタンの歴史の物語を❗以前にも書きましたが、また思い出して、ピラトの所業と、比べてみました。

キリシタン撲滅の、幕府の命により、捕らえられて刑場に引かれ行く群れの中の、少年を見た刑執行人が、その少年に、『今からでも間に合う‼️イエズスを拒め❗そうすれば、直ぐにお縄を解いて、自由にしょう‼️』
すると、少年は、『いいえ、お武家様、お武家様こそ、イエズス様をお信じになられて、パライソ(パラダイス=天国)に参りましょう。』と応えて、輝いた顔で、刑場へと歩んでいった‼️

ビラトの姿と何と言う違いでしょう。
あらゆる場合に、福音に生きる(殉じる)日々を歩みたいですね
  ハレルヤ‼️
 マルコの福音書14章32節~42節

14:32 さて、彼らはゲツセマネという場所に来た。イエスは弟子たちに言われた。「わたしが祈っている間、ここに座っていなさい。」
14:33 そして、ペテロ、ヤコブ、ヨハネを一緒に連れて行かれた。イエスは深く悩み、もだえ始め、
14:34 彼らに言われた。「わたしは悲しみのあまり死ぬほどです。ここにいて、目を覚ましていなさい。」
14:35 それからイエスは少し進んで行って、地面にひれ伏し、できることなら、この時が自分から過ぎ去るようにと祈られた。
14:36 そしてこう言われた。「アバ、父よ、あなたは何でもおできになります。どうか、この杯をわたしから取り去ってください。しかし、わたしの望むことではなく、あなたがお望みになることが行われますように。」
14:37 イエスは戻り、彼らが眠っているのを見て、ペテロに言われた。「シモン、眠っているのですか。一時間でも、目を覚ましていられなかったのですか。
14:38 誘惑に陥らないように、目を覚まして祈っていなさい。霊は燃えていても肉は弱いのです。」
14:39 イエスは再び離れて行き、前と同じことばで祈られた。
14:40 そして再び戻って来てご覧になると、弟子たちは眠っていた。まぶたがとても重くなっていたのである。彼らは、イエスに何と言ってよいか、分からなかった。
14:41 イエスは三度目に戻って来ると、彼らに言われた。「まだ眠って休んでいるのですか。もう十分です。時が来ました。見なさい。人の子は罪人たちの手に渡されます。
14:42 立ちなさい。さあ、行こう。見なさい。わたしを裏切る者が近くに来ています。」
 2025年4月16日(水)リビングライフQT

*祈りの闘い*
ゲッセマネの園での、イエス様の祈りの時です。
イエス様は、しばしば、山に入って夜を徹して祈られたことが、各福音書の中に多く見受けられますね
それを読んで心の中で思い巡らすと、その祈りは、私達が徹夜の祈り(私の経験からですが)をするのとは、全く異次元の、違いを何時も感じていました。私の経験からは、徹夜のイメージは(夜を徹して→寝ずに→明け方までズット→長時間・・・)と言うイメージで、神学校で初めて体現しました。覚悟して、夕食後から祈祷室に入り、沢山の祈祷課題を用意して、始めるのですが、就寝時間になる前に、課題が途絶えてしまうのです。また繰り返し、また繰り返し・・・途中眠りこけてしまい、また目を覚まして、繰り返す。それで、徹夜の祈祷した・・・と言う経験を積んだつもりになっていたのを覚えています。
ある神学生が、朝の早天祈祷に行くと、何処からか、イビキが聴こえて来た☀️
先輩が徹夜で祈り、眠った様だ…
それは、正に、弟子たちが眠りこけていたのと、同じ姿なのです。
イエス様にとっては、この有り様は、どんなに悲しかったことでしょう。
37節『シモン、眠っているのですか、一時間でも、目を覚ましていられなかったのですか。』
正に神学校時代の私の姿そのものです
“祈り”って、何でしょう‼️
イエス様のゲッセマネの祈りは⁉️
今朝(今日)は、祈りの本質を、ここから学びましょう。
イエス様の祈りは
①父なる神との、対話です。
②父への訴えです。
③父なる神への、懇願です。
④一度・二度・三度・・・記録されている言葉は短いですが、悲しみ・孤独・哀願・訴え・叫び・苦悩・黙想・・・その様な中、溢れる涙の中で、父なる神からの、お声を聴こうと、黙想を重ねての、夜を徹した祈りの時だったのです‼️
それは、“私の”罪のための身代わり(贖罪)に対する、苦しみの祈りです。イエス様が、《人の子=人間の感性→痛み・孤独・苦痛・無垢にも関わらず断罪される事・辱しめ・排除・無視・・・》この様な状況に追いやられ、それを、罪の身代り故に、父なる神は、これを黙殺されることにより、私の・あなたの罪を消し去られるのです‼️
このゲッセマネの祈りは、あのゴルゴタの十字架の苦しみが、すでに始まっていたのです弟子たちに理解されるべくもない、事態なのです。
それにしても、イエス様の心のわからない弟子達の姿には、読む私達まで、心痛い哀しみですね。
しかし、これが罪に沈んで居た❗私の・あなたの姿なのだと・・・今新たに魂に響くのです。
イエス様の振り絞るような・・・36節の『アバ、父よ、・・・この杯を私から取り去ってください・・・』との祈りと、
十字架上で、『我が神・我が神。どうしてわたしをお見捨てになられたのですか…』と祈られたのは、全く同じ苦しみからの、叫びだったのです‼️
主よ‼️今新たにあなたの御苦しみの故に、今の私があなたの御そばに、居らせて頂いていることを、ただただ感謝し、生涯をあなたに従ってまいります。
感謝致します。
 マルコの福音書14章12節~26節

14:12 種なしパンの祭りの最初の日、すなわち、過越の子羊を屠る日、弟子たちはイエスに言った。「過越の食事ができるように、私たちは、どこへ行って用意をしましょうか。」
14:13 イエスは、こう言って弟子のうち二人を遣わされた。「都に入りなさい。すると、水がめを運んでいる人に出会います。その人について行きなさい。
14:14 そして、彼が入って行く家の主人に、『弟子たちと一緒に過越の食事をする、わたしの客間はどこかと先生が言っております』と言いなさい。
14:15 すると、その主人自ら、席が整えられて用意のできた二階の大広間を見せてくれます。そこでわたしたちのために用意をしなさい。」
14:16 弟子たちが出かけて行って都に入ると、イエスが彼らに言われたとおりであった。それで、彼らは過越の用意をした。
14:17 夕方になって、イエスは十二人と一緒にそこに来られた。
14:18 そして、彼らが席に着いて食事をしているとき、イエスは言われた。「まことに、あなたがたに言います。あなたがたのうちの一人で、わたしと一緒に食事をしている者が、わたしを裏切ります。」
14:19 弟子たちは悲しくなり、次々にイエスに言い始めた。「まさか私ではないでしょう。」
14:20 イエスは言われた。「十二人の一人で、わたしと一緒に手を鉢に浸している者です。
14:21 人の子は、自分について書かれているとおり、去って行きます。しかし、人の子を裏切るその人はわざわいです。そういう人は、生まれて来なければよかったのです。」
14:22 さて、一同が食事をしているとき、イエスはパンを取り、神をほめたたえてこれを裂き、弟子たちに与えて言われた。「取りなさい。これはわたしのからだです。」
14:23 また、杯を取り、感謝の祈りをささげた後、彼らにお与えになった。彼らはみなその杯から飲んだ。
14:24 イエスは彼らに言われた。「これは、多くの人のために流される、わたしの契約の血です。
14:25 まことに、あなたがたに言います。神の国で新しく飲むその日まで、わたしがぶどうの実からできた物を飲むことは、もはや決してありません。」
14:26 そして、賛美の歌を歌ってから、皆でオリーブ山へ出かけた。
 2025年4月15日(火)リビングライフQT

  ☆最後の晩餐☆
用意された晩餐‼️
誰が・・⁉️
これから始まる一刻一刻は、天地創造以来用意された、神の永遠の創造計画のクライマックスなのです。
クライマックスと言うと、期待と興奮と、耀きわたる、物語性に富むのが普通ですが、神の永遠のご計画のクライマックスは、何と悲しみと重い闇に包まれた、物語だったのでしょう。
弟子たちにとっての、この晩餐の用意は、
ごく、通常の過ぎ越しの食事とは言え、イスラエルの民、最大の聖なる記念の食事なのです。
これ迄も少なくとも二度、12弟子とイエス様は、エルサレムでこの歴史的厳粛な時を、過ごしていたはずです。その流れのなかで、用意された二階の大広間だったのでしょう
18節をみると、突然、裏切る者の居ることを、語られ始めます。
恐らく、イスカリオテのユダも、その中に居たはずです。イエス様の牽制的お言葉は、決して、ユダへの裁きや避難の意味を込めたものではなかったはずです。逆に、悔い改めへの道を示唆していたはずです。
以前の、リビングライフで、ヨハネの福音書を学びましたが、13章25節で、主イエス様はユダに『あなたがしようとしていることを、今すぐしなさい。』と言われたことを、ヨハネは記録しています。
彼はどんなに苦しみの中にあった事でしょう。
彼の魂の中では、主を裏切って、行動を起こすことではなく、今からでも悔い改めて・・実は、その思いを汲んで(引き出すために)主は、『今すぐにしなさい‼️』と語られたのだと、私は解釈するのです。
今すぐしなさい。とは、⇒悔い改めの事・・・なのです。
そして、時の流れは最早、ご自身、死に向かって進んでいることを受け入れながら、この22節~25節のお言葉は(教会の聖餐式で読まれる言葉です)厳粛な御言葉ではありますが、当時の弟子たちにはどれだけ、理解されていたか・・・❓
このシーンは、ペンテコステ後の弟子たちに、どんなに重く迫ったことでしょう。
私達も今朝(今日)、改めて、主が与えて下さった、裂かれた御身体・流された御血潮を、畏れおののきつつ、思い起こしましょう。聖餐式の度に、習慣化せずに、いつもあのエルサレムの二階座敷に座して主のお声を聴くようにして、新しく、主の愛に触れて参りましょう。
 マルコの福音書12章1節~12節 

12:1 それからイエスは、たとえで彼らに話し始められた。「ある人がぶどう園を造った。垣根を巡らし、踏み場を掘り、見張りやぐらを建て、それを農夫たちに貸して旅に出た。
12:2 収穫の時になったので、ぶどう園の収穫の一部を受け取るため、農夫たちのところにしもべを遣わした。
12:3 ところが、彼らはそのしもべを捕らえて打ちたたき、何も持たせないで送り返した。
12:4 そこで、主人は再び別のしもべを遣わしたが、農夫たちはその頭を殴り、辱めた。
12:5 また別のしもべを遣わしたが、これを殺してしまった。さらに、多くのしもべを遣わしたが、打ちたたいたり、殺したりした。
12:6 しかし、主人にはもう一人、愛する息子がいた。彼は『私の息子なら敬ってくれるだろう』と言って、最後に、息子を彼らのところに遣わした。
12:7 すると、農夫たちは話し合った。『あれは跡取りだ。さあ、殺してしまおう。そうすれば、相続財産は自分たちのものになる。』
12:8 そして、彼を捕らえて殺し、ぶどう園の外に投げ捨てた。
12:9 ぶどう園の主人はどうするでしょうか。やって来て、農夫たちを殺し、ぶどう園をほかの人たちに与えるでしょう。
12:10 あなたがたは、次の聖書のことばを読んだことがないのですか。『家を建てる者たちが捨てた石、それが要の石となった。
12:11 これは主がなさったこと。私たちの目には不思議なことだ。』」
12:12 彼らは、このたとえ話が自分たちを指して語られたことに気づいたので、イエスを捕らえようと思ったが、群衆を恐れた。それでイエスを残して立ち去った。
 2025年4月14日(月)リビングライフQT

この喩え話はイエス様が、これから起ころうとする、ご自身に対しての自明の迫害の道筋への、彼等の悪巧みを、明らかに暴露したものでした。
人の情や心遣いが解らない人々には、愛・真実・寛容・憐れみ・許容・待つ・・・等と言う、心の余白(余裕)は全くないのです。ただ自分が生きるための手立て・チャンスを見いだすためだけの人生なのです。
明らかにこの激しいほどの主の現実味を帯びた喩え話は、流石のユダヤ教指導者達も、自分達への指摘だと、察しながらも、心を翻すこともせずに、かえって、主への反発と憎しみを、つのらせたのです。
悔い改めのない魂は、サタンの格好の餌食なのです
サタンの汚れの世界の流れをもって、神の御子(イエス・キリスト)を、呑み込もうと、動き始めていたのです。その事に気付かせようと、この喩え話は語られたのです。
しかし、もはや魂をサタンに売ったユダヤ人達は、引き返す術(スベ)もなく、その場を去ったのです。
主の御側を離れては、正しく導かれる道を、自ら棄てる様なものでした。彼等の罪は、誰も止められない勢いで、滅びへと、転げ落ちて行ったのです。
罪に対して、立ち止まる❗振り返る・・そこに主が待っておられるのです‼️
ユダヤ人・律法学者・パリサイ人・祭司達は、民の前で恥をかいたり、マイナスイメージを受けることを、最悪の事と思っていたのです。
彼等の霊的価値観は、全く間違っていたのです。体面・伝統・衆人の目・世俗の価値観・・は、
神の国の永遠・命・祝福 等の宝とは、比べられない愚かなものなのです。あなたはどちらのために生きたいですか‼️
 民数記 13章25節~33節

13:25 四十日の終わりに、彼らはその地の偵察から戻った。
13:26 彼らは、パランの荒野のカデシュにいるモーセとアロンおよびイスラエルの全会衆のところにやって来て、二人と全会衆に報告をし、その地の果物を見せた。
13:27 彼らはモーセに語った。「私たちは、あなたがお遣わしになった地に行きました。そこには確かに乳と蜜が流れています。そして、これがそこの果物です。
13:28 ただ、その地に住む民は力が強く、その町々は城壁があって非常に大きく、そのうえ、そこでアナクの子孫を見ました。
13:29 アマレク人がネゲブの地方に住んでいて、ヒッタイト人、エブス人、アモリ人が山地に、カナン人が海岸とヨルダンの川岸に住んでいます。」
13:30 そのとき、カレブがモーセの前で、民を静めて言った。「私たちはぜひとも上って行って、そこを占領しましょう。必ず打ち勝つことができます。」
13:31 しかし、彼と一緒に上って行った者たちは言った。「あの民のところには攻め上れない。あの民は私たちより強い。」
13:32 彼らは偵察して来た地について、イスラエルの子らに悪く言いふらして言った。「私たちが行き巡って偵察した地は、そこに住む者を食い尽くす地で、そこで見た民はみな、背の高い者たちだ。
13:33 私たちは、そこでネフィリムを、ネフィリムの末裔アナク人を見た。私たちの目には自分たちがバッタのように見えたし、彼らの目にもそう見えただろう。」
 2025年4月13日(日)リビングライフQT

☆偵察隊の報告☆
各部族から代表一人づつが偵察隊として派遣されました。昨日も書きましたが、40年、ただただ神と指導者モーセに、従ってきたにも関わらず、ここで、自らの強い意思(集団の声)に訴えて、この虚に出たのです。主なる神はこの訴えを受け入れられました。
それは、神の“由”とされるものではないのですが・・・
私達も、・・・この道の方が、良い‼️と、感じて(信じて)・・・「宜しく、この道を開いてください‼️」と、答えの決まった願いを主に祈ること、しばしばではないでしょうか?
私達の信仰の根幹は、主なる神への《全幅の信頼》なのです。 
主なる神は祈りに対して、一つ一つ答えを表すお方として、人(あなたを私)を、繋いでおられるのではないのです。
その様な関係で結ばれるのを(御利益信仰)と言うのです。
この場合の偵察は、神が意図されてはいないのです。
神の意図に従わない結果が、どうなるかを身を持って知るための、神の沈黙❗とも言うものでしょう。
彼らはしっかり見聞してきました。観てきた事は、全員同じもの、だったはずです。
そして彼らが、あの葡萄の大きな房を驚き見たように、その地は乳と蜜の流れる肥沃な土地でした。
偵察隊の40日の偵察は、カナンの地全域におよび、その地には、アナクの子孫(アブラハムの異母兄弟イシュマエルの子孫で、その体格は、彼の母親がエジプトの女性ーサライの侍女ーだったことから、イスラエルの民よりグンと体格の優れた強い民でした。
だからと言って、恐れるに足らないはずでした。彼らは今までにも、アマレク人との闘いで、勝利してきたのですから‼️
しかし、帰還してからの報告は、真っ二つに別れました。
カレブと言う若者は、『私たちはぜひとも上って行って、そこを占領しましょう。必ず打ち勝つことができます。』
ところが他の11人は、民を扇動し「あの民のところには攻め上れない。あの民は私達より強い。」…と
神から出たことでない結論は、神の御思いからは遠い、結論でした。そればかりか、自らの正しさを、宣伝して回り、民の思い(信仰)にすら、立ちはだかって、耳を塞がせたのです。
私達の人生は、どんなに経験豊かでも、緻密な計算で結論が見えていても、《神に聴く》事を欠いては、罪に曇った、道となるでしょう。
神に聴く信仰に歩む、
毎日でありますように‼️

☆今日から受難週です
そのためテキストが明日から、次週の日曜イースター迄、福音書の各箇所に入ります。
お互いに、主の十字架を忍ぶ日々と致しましょう。
 民数記 13章1節~24節

13:1 【主】はモーセに告げられた。
13:2 「人々を遣わして、わたしがイスラエルの子らに与えようとしているカナンの地を偵察させよ。父祖の部族ごとに一人ずつ、族長を遣わさなければならない。」
13:3 モーセは、【主】の命により、パランの荒野から彼らを遣わした。彼らはみな、イスラエルの子らのかしらであった。
13:4 彼らの名は次のとおりである。ルベン部族からはザクルの子シャムア。
13:5 シメオン部族からはホリの子シャファテ。
13:6 ユダ部族からはエフンネの子カレブ。
13:7 イッサカル部族からはヨセフの子イグアル。
13:8 エフライム部族からはヌンの子ホセア。
13:9 ベニヤミン部族からはラフの子パルティ。
13:10 ゼブルン部族からはソディの子ガディエル。
13:11 ヨセフ部族、すなわちマナセ部族からはスシの子ガディ。
13:12 ダン部族からはゲマリの子アンミエル。
13:13 アシェル部族からはミカエルの子セトル。
13:14 ナフタリ部族からはボフシの子ナフビ。
13:15 ガド部族からはマキの子ゲウエル。
13:16 以上が、モーセがその地の偵察のために遣わした者の名である。モーセはヌンの子ホセアをヨシュアと名づけた。
13:17 モーセは、カナンの地の偵察のために彼らを遣わして言った。「向こうに上って行ってネゲブに入り、山地に行き、
13:18 その地がどんなであるか、調べてきなさい。そこに住んでいる民が強いか弱いか、少ないか多いか、
13:19 また彼らが住んでいる土地はどうか、それが良いか悪いか、彼らが住んでいる町々はどうか、それらは宿営か、それとも城壁の町か、
13:20 土地はどうか、それは肥えているか痩せているか、そこには木があるかないか。勇気を出して、その地の果物を取って来なさい。」その季節は初ぶどうの熟すころであった。
13:21 それで、彼らは上って行き、ツィンの荒野からレボ・ハマテのレホブまで、その地を偵察した。
13:22 彼らは上って行ってネゲブに入り、ヘブロンまで行った。そこにはアナクの子孫であるアヒマンと、シェシャイと、タルマイがいた。ヘブロンはエジプトのツォアンより七年前に建てられていた。
13:23 彼らはエシュコルの谷まで来て、そこでぶどうが一房ついた枝を切り取り、二人で棒で担いだ。また、ざくろやいちじくの木からも切り取った。
13:24 その場所は、イスラエルの子らがそこで切り取ったぶどうの房にちなんで、エシュコルの谷と呼ばれた。
 2025年4月12日(土)リビングライフQT

今日のテキストの記事は、旧約聖書の申命記の第一章に平行記事として、掲載されています。それによると、カナンの地に、偵察隊を送ったのは、長い荒野の旅・・・

(移動し続けたわけではありません。場合によっては、何年も、否、あるいは10年以上も、根を生やした時もあったのかもしれません)
その旅の終わりに近くなった時の事です。
申命記には第40年(出エジプトを、果たしたあの日が、イスラエルの、最初の年、即ち民族の歴史の《元旦》なのです)とあります。あの日からイスラエルの民は、荒涼としたシナイ半島(四国ほどの広さ)を、行きつ戻りつしながら、さ迷ったのです。今でこそ観光化されてはいますが、都市生活圏ではなく、ベドウィン族と言う、遊牧生活をする(数千年前から)民の居住地です。
イスラエルの民が旅(?)した時代は、砂漠の民(ベドウィン)の住む、荒野だったのです。
何故彼らは、この様な地で、40年もの長い時を、この様な事態のなかで、過ごしたのでしょう。
それは・・・
神のご計画だったのです。
この地が、エジプトに次ぐ、肥沃な地だったら、民は大喜びで、この地に移住を定めたかもしれません。
しかし、神のご計画は、彼らをカナンの地に導くための、出エジプトだったのです。
紅海を渡ったら、北西に向かえば、太古からの交易路(アジア⇒アフリカ)が、発達し、その道を通れば、隊商達は一週間の行程でした。
しかし、彼らは、シナイ半島を南西に下り、もっとも自然の厳しい乾燥地(荒野)に、導かれたのです(主なる神によって‼️)
エジプトで400年と言う時代を生きる間に、彼らの生活の中には、偶像と、豊かさに、浸かりきった歴史が、形成されていたのです。この民を神は愛して、ご自身の愛に包み、人類救済の民となるために、徹底して神に信頼する以外にはない、《選びの民》として訓練するために、最も過酷な自然のなかで、導かれたのです。
彼らは導かれなければ、200万の民は、生存できなかったのです。
ところが、ここに40年を経たイスラエルの民が、《乳と蜜の流れる地》カナンの境界に遂に辿り着こうとしているのです。
この緊張と期待の中で、民は、モーセを通して、偵察隊を遣わすことを、神に求めたのです。
今まで神の導き(モーセの指示)に従ってきたのに、この段に至って、民が要求したのです。(申命記の記載)
神は民の要求に応えて、偵察隊を送ったのです。今日はその一部だけが出てきますが・・・それは、ブドウの房が大きくて、その房を棒に振り分けて、二人でかついで持ち帰った‼️と言うのです。
そんなブドウの房は見たことなし、記録にも有りませんね
カナンの地が《乳と蜜の流れる地》と言われた由縁です。
この事態は、どんなに民を沸き立たせた事でしょう。
しかし、忘れないで下さい。
この朗報の起点は、民の要求になる結果の報告だと言うことを。
一見、事態が良い方向に開かれると、私たちはつい、『これは神の御心だ‼️』と、単純に喜ぶことが多いですね。
私はしばしば思うのですが、祈りの答え(応え)とは、何だろう⁉️
願いが叶うことなのか。病・逆境・困難・孤独・悲哀・孤独・貧しさ・・・このような状況は❗神の恵みの外なのでしょうか⁉️
勝利・健康・愛される・祝福に包まれる・・・これが、神の愛に包まれた証しなのでしょうか?

私たちは神に、何を求めて来たのでしょう⁉️
何か良いこと有りそうな…そんな先行きを願って祈ることから解放され、
今、主の御手の中に包まれることを熱く願い、祈りを御前に捧げましょう。
 民数記 12章9節~16節 

12:9 【主】の怒りが彼らに向かって燃え上がり、主は去って行かれた。
12:10 雲が天幕の上から離れ去ると、見よ、ミリアムは皮膚がツァラアトに冒され、雪のようになっていた。アロンがミリアムの方を振り向くと、見よ、彼女はツァラアトに冒されていた。
12:11 アロンはモーセに言った。「わが主よ。どうか、私たちが愚かにも陥ってしまった罪の罰を、私たちに負わせないでください。
12:12 どうか、彼女を、肉が半ば腐って母の胎から出て来る死人のようにしないでください。」
12:13 モーセは【主】に叫んだ。「神よ、どうか彼女を癒やしてください。」
12:14 しかし【主】はモーセに言われた。「もし彼女の父が彼女の顔に唾したら、彼女は七日間、恥をかかされることにならないか。彼女を七日間、宿営の外に締め出しておかなければならない。その後で彼女は戻ることができる。」
12:15 それでミリアムは七日間、宿営の外に締め出された。民はミリアムが戻るまで旅立たなかった。
12:16 それから民はハツェロテを旅立ち、パランの荒野に宿営した。
 2025年4月11日(金)リビングライフQT

主からの、厳しい訓戒、叱責に、アロンとミリアムの二人はどれ程、魂に響き悼んだことでしょう。

今回の反乱(抗議)の中心は、姉のミリアムなのです。と言うのは、兄のアロンは、モーセとずっと一体となって、パロとの交渉にあたって来たのです。
又、民の出エジプトに際しては、口下手で言葉の人ではなかったモーセに代わり、アロンが、モーセの言葉を代弁してきたのでしょう。
《それだけに、その語ることは自分の意思ではなく、ことごとく、神からモーセに語られた言葉の取り次ぎだったのでしょう。》
神の怒りは、二人の上に臨んだのです
しかし、外見上は“アロン”には、何も現れなかったのです。
ただ“ミリアム”の上には、明らかな病変(ツァラート=ハンセン氏病)が顕れて、一目で、それと解る変調が刻まれたのです。
既に、以前学んだように、この病変が認められたら、宿営の(幕屋=聖所)を始め、12氏族、異邦の民の宿営に至る、広範囲な地域の外に、置かれるのです。それは、感染から民を守るための、手立てでした。
恐らく、彼女の皮膚の感染は、直ぐに、癒されたと考えられます。
その追放期間が、7日間だけでしたから。
主なる神の、ミリアムに対する、戒め的な取り扱いだと考えられます。
その間(7日間)民は、移動せずに、ミリアムと同じ痛みを担ったのです。
正に、この反乱は、民全体にも覚えの有る痛みだったのでしょう。
ミリアムの存在は、200万のイスラエルの民の、燈火のような存在だったのかも知れません。
かつて、紅海の奇跡
①民全体が乾いた地のように、紅海と言う海を渡った 
②後を追って来たエジプト軍が、目の前で、海に呑み込まれて全滅したを、目の当たりにした、民は、ミリアムが先頭に立って、感謝の心で躍り上がって、神を褒め称えた、姿を、心に焼き付けていたのでしょう。
ミリアムの痛み・ミリアムへの神の叱責は、民の痛みとして、共有された7日間だったのでしょう。
こうして、赦された民は、再び、神に導かれるままに、更に荒野の奥深くに、宿営したのです。
まだまだ続く、荒野の旅路は、目的地に向かう道筋ではなく、神の訓練と、民の神への、絶対的信頼の信仰の、構築のためなのです。
正に、私たちのクリスチャン(信仰)生活の、御国への、旅路に重なる一歩一歩なのです‼️
主よ今日も明日も
 お導きください‼️

明日(12日)のテキスト
民数記  13章1節~24節 
 民数記 12章1節~8節

12:1 そのとき、ミリアムとアロンは、モーセが妻としていたクシュ人の女のことで彼を非難した。モーセがクシュ人の女を妻としていたからである。
12:2 彼らは言った。「【主】はただモーセとだけ話されたのか。われわれとも話されたのではないか。」【主】はこれを聞かれた。
12:3 モーセという人は、地の上のだれにもまさって柔和であった。
12:4 【主】は突然、モーセとアロンとミリアムに、「あなたがた三人は会見の天幕のところへ出よ」と言われた。そこで彼ら三人は出て行った。
12:5 【主】は雲の柱の中にあって降りて来られ、天幕の入り口に立って、アロンとミリアムを呼ばれた。二人が出て行くと、
12:6 主は言われた。「聞け、わたしのことばを。もし、あなたがたの間に預言者がいるなら、【主】であるわたしは、幻の中でその人にわたし自身を知らせ、夢の中でその人と語る。
12:7 だがわたしのしもべモーセとはそうではない。彼はわたしの全家を通じて忠実な者。
12:8 彼とは、わたしは口と口で語り、明らかに語って、謎では話さない。彼は【主】の姿を仰ぎ見ている。なぜあなたがたは、わたしのしもべ、モーセを恐れず、非難するのか。」
 2025年4月10日(木)リビングライフQT

初めて、この事態を読まれる方は 何故“モーセ”と言われる、イスラエルの指導者が、異邦人(シナイ半島に住むクシュ人)を妻としたのか・・❓
不思議に思われるでしょう。 それは・・・
モーセが生まれた時、エジプトの王パロが、イスラエルの人口急増に恐れをなして、助産婦に命じて、男の子であったら『死産でした』と言って出産時に殺すことを命じたのでした。
ある助産婦が哀れみをもって生かして、家族が隠し続けて、ついに隠せなくなった赤子を、姉の《ミリアム》がその子をナイル川の葦の繁る緩やかな流れに、葦舟に載乗せて、見守るなか、パロの王女が水浴びに来て、赤子を見付け、密かに育てて、王家の一員とされたのです。王女は、彼の名前を、水から引き出した者・・と言う意味の《モーセ=引き出された者》とされたのです。彼の名前がそのままイスラエルを引き出す者‼️となったのは、何と言う神の摂理でしょう
王室で育てられ、エジプト教育を受けたのですが・・・
実は、ナイル川で王妃に見付けられたとき
姉のミリアムの機転で、まだ夫のいないエジプトの王妃が、乳母を探そうとしていた時に、申し出て、実の母を紹介し王家公認で、イスラエルの家庭で育ち、イスラエルの信仰教育を受けていたのです。
その後、王室に入り、奴隷として虐待される同胞を見るに及んで、
ある時、あまりにひどい仕打ちを受ける、同胞を見て、誰も見ていない隙に、エジプトの監督を撃ち殺し、砂に埋めた‼️
それが発覚して、シナイの荒野に逃れ、この地のミデアンの祭司の家庭に助けられて、
そこで結婚。40年後にエジプトで、兄のアロンと再開したのです。
一方アロンは、モーセが80才になって、エジプトに帰った時、エジプト脱出の使命を帯びたモーセの、交渉役としてアロンはモーセと一体となって、パロとの激しい交渉に臨み、遂に出エジプトを遂げたのです。(この経緯は、出エジプト記1章~13章に記録されています)
この様に、ミリアムもアロンも、モーセの姉と兄で、その上(出エジト=エクソダス)では、最大の協力者です。
苛立ち、怒る、その二人に対して、神は、ご自身の心の内を、語られます。神から、この様に見られ評価されたモーセは、何と言う人物でしょう。
モーセの神からの評価は❗ただ二つの事でした。
①3節~モーセという人は、地の上の誰にもまさって柔和であった。
②8節~・・・彼は主の姿を仰ぎ見ている。
  ☆柔和  
  ☆主を仰ぎ見る
これが、主なる神が私達を見ておられる、お心です。
学歴・業績・熱心・能力・性格・経歴(家系)ではなく、主なる神様との関係そのものです。
私たちは主なる神と、どんな関係に有りますか⁉️
あぁ主よ❗砕かれた心をもって!あなたを待ち望ませて下さい。
 民数記 11章24節~35節

11:24 モーセは出て行って、【主】のことばを民に語った。そして民の長老たちのうちから七十人を集め、彼らを天幕の周りに立たせた。
11:25 すると【主】は雲の中にあって降りて来て、モーセと語り、彼の上にある霊から一部を取って、その七十人の長老に与えられた。その霊が彼らの上にとどまると、彼らは預言した。しかし、重ねてそれをすることはなかった。
11:26 そのとき、二人の者が宿営に残っていた。一人の名はエルダデ、もう一人の名はメダデであった。彼らの上にも霊がとどまった。彼らは長老として登録された者たちだったが、天幕へは出て行かなかったのである。彼らは宿営の中で預言した。
11:27 それで、一人の若者が走って来て、モーセに告げた。「エルダデとメダデが宿営の中で預言しています。」
11:28 若いときからモーセの従者であったヌンの子ヨシュアは答えて言った。「わが主、モーセよ。彼らをやめさせてください。」
11:29 モーセは彼に言った。「あなたは私のためを思って、ねたみを起こしているのか。【主】の民がみな、預言者となり、【主】が彼らの上にご自分の霊を与えられるとよいのに。」
11:30 それから、モーセとイスラエルの長老たちは、宿営に戻った。
11:31 さて、【主】のもとから風が吹き、海からうずらを運んで来て、宿営の近くに落とした。それは宿営の周り、どちらの側にも約一日の道のりの範囲で、地面から約二キュビトの高さになった。
11:32 民は、その日は終日終夜、次の日も終日出て行ってうずらを集めた。集めたのが最も少なかった者でも、十ホメルほど集めた。彼らはそれらを自分たちのために、宿営の周囲に広げておいた。
11:33 肉が彼らの歯の間にあって、まだかみ終わらないうちに、【主】の怒りが民に向かって燃え上がり、【主】は非常に激しい疫病で民を打たれた。
11:34 その場所の名はキブロテ・ハ・タアワと呼ばれた。欲望にかられた民が、そこに埋められたからである。
11:35 キブロテ・ハ・タアワから、民はハツェロテに進んで行った。そしてハツェロテにとどまった。
 2025年4月9日(水)リビングライフQT

主が予告された、肉の供給。この驚くべき現象・
このような事態が起こり得るのでしょうか?
古来から、この様な疑問を投げかけて、様々な可能性を定義してきました。しかし、聖書に記録された様々な出来事を、証明することで、福音がより現実的に納得し、神への信頼と信仰が豊かになるのでしょうか。奇跡の実証は、更には、神の御業を、自然界の七不思議として、証明して、益々人間第一の、唯物論が、大手を振って世界を支配するようになるでしょう。
結果、自然界の法則が《神》であると言う、納得しやすい、信仰論まで飛び出すことでしょう
確かに神は自然界《も》創られました。しかし、それは付随的な創造であって、神の創造の根幹は《人間(あなた)の創造なのです‼️》
創造主なる神を信じることなしに、どの様な解明に明け暮れても、
人は何も知らないのと同じ、惨めな存在で一生を終えるのです。
お話しが少し本題から逸れてしまいましたが、何に起因しようと、神がイスラエルの民の、欲望に満ちた願いに、一つの答えを表されたのです。
その想像を遥かに越える、(否❗想像もつかない出来事として起こった奇跡が)今や、民を滅亡へと追いやるに充分な結果を呼び寄せてしまったのです。
肉が食べられる‼️と、飛び上がって喜んだ民が、今や、滅亡の縁に立ったような結果に陥ったのです。この場所をキブロテ・ハ・タアワ(欲望の墓)と呼ばれて、後世にまで裁きと恥を語り継ぐ悪名の地とされたのです。
こうして観ると、『欲望は、偶像に匹敵する“罪”』だと、自ら語っているようですね
この出来事は、神の選びの民の存続を、危機に陥れる、試練となりました。私達の、信仰の旅路(霊の荒野の旅路)に、今新たに、彼らの旅路の、一歩一歩を注意深く検証する、毎日の学びとなり、重要な時ですね
主よ、教え導いて下さい。僕は聴きます‼️
 民数記 11章10節~23節

11:10 モーセは、民がその家族ごとに、それぞれ自分の天幕の入り口で泣くのを聞いた。【主】の怒りは激しく燃え上がった。このことは、モーセにとって辛いことであった。
11:11 それで、モーセは【主】に言った。「なぜ、あなたはしもべを苦しめられるのですか。なぜ、私はあなたのご好意を受けられないのですか。なぜ、この民全体の重荷を私に負わされるのですか。
11:12 私がこのすべての民をはらんだのでしょうか。私が彼らを産んだのでしょうか。それなのになぜ、あなたは私に、『乳母が乳飲み子を抱きかかえるように、彼らをあなたの胸に抱き、わたしが彼らの父祖たちに誓った地に連れて行け』と言われるのですか。
11:13 どこから私は肉を得て、この民全体に与えられるでしょうか。彼らは私に泣き叫び、『肉を与えて食べさせてくれ』と言うのです。
11:14 私一人で、この民全体を負うことはできません。私には重すぎます。
11:15 私をこのように扱われるのなら、お願いです、どうか私を殺してください。これ以上、私を悲惨な目にあわせないでください。」
11:16 【主】はモーセに言われた。「イスラエルの長老たちのうちから、民の長老で、あなたが民のつかさと認める者七十人をわたしのために集めよ。そして、彼らを会見の天幕に連れて来て、そこであなたのそばに立たせよ。
11:17 わたしは降りて行って、そこであなたと語り、あなたの上にある霊から一部を取って彼らの上に置く。それで彼らも民の重荷をあなたとともに負い、あなたがたった一人で負うことはなくなる。
11:18 あなたは民に言わなければならない。明日に備えて身を聖別しなさい。あなたがたは肉を食べられる。あなたがたが泣いて、【主】に対して『ああ、肉が食べたい。エジプトは良かった』と言ったからだ。【主】が肉を下さる。あなたがたは肉を食べられるのだ。
11:19 あなたがたが食べるのは、ほんの一日や二日や五日や十日や二十日ではなく、
11:20 一か月もであって、ついには、あなたがたの鼻から出て来て、吐き気をもよおすほどになる。それは、あなたがたのうちにおられる【主】をないがしろにして、その御前で泣き、『いったい、なぜ、われわれはエジプトから出て来たのか』と言ったからだ。」
11:21 しかしモーセは言った。「私と一緒にいる民は、徒歩の男子だけで六十万人です。しかもあなたは、彼らに肉を与え、一か月の間食べさせる、と言われます。
11:22 彼らのために羊の群れ、牛の群れが屠られても、それは彼らに十分でしょうか。彼らのために海の魚が全部集められても、彼らに十分でしょうか。」
11:23 【主】はモーセに答えられた。「この【主】の手が短いというのか。わたしのことばが実現するかどうかは、今に分かる。」
 2025年4月8日(火)リビングライフQT

昨日のテキストに出ていた、食べ物に対する不満の続きなのです。

神が彼等に与えられた《マナは、恐らく主なる神が、これからの長い旅路に必要な、栄養や身体を支えるための一切の養分を、含んだ完全栄養の、恵みだったはずです》しかし、彼らは、エジプトでの生活を思い出して、懐かしんだのです。食べること以外の、あの屈辱に満ちた日々・休息のない、ストレスに押し潰されるような労働の日々・・その様な中から脱出できただけでも、喜びの解放だったのに!今や、希望に向かってではなく、今の生活(食べること)に、不満を持ち始めたのです。
何と、その願望は、“肉が食べたい‼️”
こうして、客観的に見ると、何と愚かな叫びだろうとさえ思える、彼らの不満です。
これこそ、人間の本性の中に眠る、《罪》の正体の一つなのです。即ち、欲望(感謝と満足を失った姿)なのです。
民は泣き叫んでいます。そして、この不満を、すべて指導者“モーセ”の元に持ってきたのです。200万(不平をならす成人男子だけにしても、100万人にはなる)の人が、あちらの部族集団でも、こちらの集団でも、又、中に混じる異邦人の群れの中からも、わめき叫ぶ声が・・・恐らくモーセに対する、悪態・抗議となって、迫ってきたのでしょう。
モーセの神様への、感情的とも言える不満・抗議(12節~15節)は、思わず納得する様な、言葉です。
主なる神は、待っておられたように、講じるべき対策を、教えられました。
主なる神は、こういう事態を待っておられたのでしょう。段階を追って、民の成長(国家としての形成の知恵)を、願っておられたのです。しかし、ここで肝心なのは、何も分からないから、不平不満として爆発したのではありますが、何故彼らは問題意識をもって、モーセを通して、神に願う‼️と言う道をとらなかったのでしょうか。
これは、私達の日常生活の中でも、起こりうることの、サンプルにもならないでしょうか?
不満に魂が歪む前に、主なる神に訴える祈りをするべきではないでしょうか。
主は待っておられるのです‼️あなたが祈りの座に着くのを
神は、ここに到って、モーセに、集団指導の、基本となる、モーセの代務者を選ばさせたのです。しかも、モーセに与えられた、神の恵みと力の分与を、彼等にも与えられたのです。
イスラエルの、更なる大きな成長と前進が、こうして重ねられたのです。

その上で、主なる神は、彼等に肉を与えられると、約束されたのです。
神の為さることは、“充分=完全‼️”と言う、形で実現されるのです。一時しのぎではない。飽きるほどに、肉はイスラエルに降るように与える‼️と言う神のお言葉に、
モーセの想像力はついて行けず、反論する彼に神は、『・・・今に分かる‼️』と、仰ったのです。(21節~23節)
しっかり、もう一度読んでみましょう
神様は素晴らしいカウンセラーですね
祈りはこの様に主なる神様との、やり取りのある、コミュニケーションとなることを経験しましょう。
今は聖書によって、神は語られますから、聖書を読むことなしには、祈りは成長しません。神に聞く‼️・・・は、御言葉に聞く(聴く)、御言葉を食べる(食す❗)・・・すると、祈りが、単なる願い事ではなく、神様とのコミュニケーションと代わるのです‼️
その様な、祈りの拡がりを、経験しましょう
 民数記 11章1節~9節

11:1 さて、民は【主】に対して、繰り返し激しく不平を言った。【主】はこれを聞いて怒りを燃やし、【主】の火が彼らに向かって燃え上がり、宿営の端をなめ尽くした。
11:2 すると民はモーセに向かってわめき叫んだ。それで、モーセが【主】に祈ると、その火は消えた。
11:3 その場所の名はタブエラと呼ばれた。【主】の火が、彼らに向かって燃え上がったからである。
11:4 彼らのうちに混じって来ていた者たちは激しい欲望にかられ、イスラエルの子らは再び大声で泣いて、言った。「ああ、肉が食べたい。
11:5 エジプトで、ただで魚を食べていたことを思い出す。きゅうりも、すいか、にら、玉ねぎ、にんにくも。
11:6 だが今や、私たちの喉はからからだ。全く何もなく、ただ、このマナを見るだけだ。」
11:7 マナはコエンドロの種のようで、一見、ベドラハのようであった。
11:8 民は歩き回ってそれを集め、ひき臼でひくか臼でつき、これを鍋で煮てパン菓子を作った。その味は、油で揚げた菓子のような味であった。
11:9 夜、宿営に露が降りるとき、マナもそれと一緒に降りて来た。
 2025年4月7日(月)リビングライフQT

☆民の不平と不従順☆

エジプトを出た民の中に、イスラエルの12の部族に属さない、異邦人の民が居ました。
彼らはエジプトに居るとき、イスラエルの民と交わり、共に住んでいた中で、あの出エジプトに至る、様々な出来事、即ち、神がモーセとアロンを用いて、10の奇跡により、エジプトの王パロの権威を挫き、イスラエルをあらゆる災いから守られたのを見て、神の偉大さに心揺さぶられ、イスラエルと同じ様に、柱と、かもいに《血》をぬって、死の災いから守られ、一緒にエジプトを捨てて、出エジプトした異邦の民です。
彼らは、イスラエルと同じ神の御業を見て、民と迎合しましたが、
元々、神を知らない偶像に仕えていた民だけに、様々な奇跡に心揺さぶられる時には、感動したり、人生の得に至る道だと、迎合してきましたが今や、人生が荒野のように、乾ききる毎日となると最早、彼らの信仰は、単なる《欲・得》に絡んだ、ご利益だけに心向き始めたのです。
正に、これこそ、罪に生きる人の、醜い姿なのです。
イスラエルの民は彼等に扇動されて、神の怒りをかったのです。
私達は、こうして歴史の記録を読んでいるので、何と、聞き分けのない民なんだろうと思いますが、むしろ、それが現実なのでしょう。
即ち、人の心は、生きるか❓死ぬか❓・・の瀬戸際に立つとき、試されるのです。
全能の神を信じるか否かが、こうした、厳しい現実の中で、問われるのです。
この時点で“宗教”と言う枠を越えて、私達の信仰は、
☆何を信じるか・・❓ ではなく、
☆何に信頼して生きるか・・⁉️
が問われるのです。今や、イスラエルを導くお方は、イスラエルを我が子のように愛し、これを育み、生かし、大成させようと、彼らの歴史をご計画になられたのです‼️
“主はこれを聞いて怒りを燃やし・・・”と言う1節の言葉は、神のイスラエルに対する、人の思いを遥かに越える、深い《愛》の証明でもあるのです。
私達の日々の生活で、神に愛されていることを知れば知るほど、神の厳しさが身に、迫ることもあるのです。
神の愛に目覚め、神に聞き神を仰ぎ、神に賛美を捧げましょう‼️
イスラエルの民を《マナ》で養われたように、あなたを養ってくださるのです。
私も伝道者として60年
振り返って、どれ程、愛されて、訓練を受けてきたか・・計り知れません‼️
7節~9節の、《マナ》の説明は、その様な神の愛の象徴のような、恵みであり、その後、民が約束の地に入るまでの、40年の間、止むことなく、彼らを養ったのです。‼️

明日(8日)のテキスト
リビングライフQT
民数記 
   11章10節~23節 
 民数記 10章11節~36節

10:11 二年目の第二の月の二十日に、雲があかしの幕屋の上から離れて上った。
10:12 それでイスラエルの子らはシナイの荒野を旅立った。雲はパランの荒野でとどまった。
10:13 彼らは、モーセを通して示された【主】の命により初めて旅立った。
10:14 まず初めにユダ族の宿営の旗が、その軍団ごとに出発した。軍団長はアミナダブの子ナフション。
10:15 イッサカル部族の軍団長はツアルの子ネタンエル。
10:16 ゼブルン部族の軍団長はヘロンの子エリアブ。
10:17 幕屋が取り外され、幕屋を運ぶゲルション族、メラリ族が出発。
10:18 ルベンの宿営の旗が、その軍団ごとに出発。軍団長はシェデウルの子エリツル。
10:19 シメオン部族の軍団長はツリシャダイの子シェルミエル。
10:20 ガド部族の軍団長はデウエルの子エルヤサフ。
10:21 聖なるものを運ぶケハテ人が出発。なお、幕屋は、彼らが着くまでに建て終えられることになっていた。
10:22 また、エフライム族の宿営の旗が、その軍団ごとに出発。軍団長はアミフデの子エリシャマ。
10:23 マナセ部族の軍団長はペダツルの子ガムリエル。
10:24 ベニヤミン部族の軍団長はギデオニの子アビダンであった。
10:25 ダン部族の宿営の旗が、全宿営のしんがりとして軍団ごとに出発。軍団長はアミシャダイの子アヒエゼル。
10:26 アシェル部族の軍団長はオクランの子パグイエル。
10:27 ナフタリ部族の軍団長はエナンの子アヒラ。
10:28 以上がイスラエルの子らの軍団ごとの出発順序であり、彼らはそのように出発した。
10:29 さて、モーセは、彼のしゅうとミディアン人レウエルの子ホバブに言った。「私たちは、【主】が与えると言われた場所へ旅立つところです。私たちと一緒に行きましょう。私たちはあなたを幸せにします。【主】がイスラエルに良いことを約束しておられるからです。」
10:30 彼はモーセに答えた。「私は行きません。私の国に、私の親族のもとに帰ります。」
10:31 するとモーセは言った。「どうか私たちを見捨てないでください。というのは、あなたは、私たちが荒野のどこで宿営したらよいかご存じで、私たちにとっては目なのですから。
10:32 私たちと一緒に行ってくだされば、【主】が私たちに下さるはずのどんな良きものも、あなたにお分かちできます。」
10:33 こうして、彼らは【主】の山を旅立ち、三日の道のりを進んだ。【主】の契約の箱は三日の道のりの間、彼らの先に立って進み、彼らが休息する場所を探した。
10:34 彼らが宿営から出発する際、昼間は【主】の雲が彼らの上にあった。
10:35 契約の箱が出発するときには、モーセはこう言った。「【主】よ、立ち上がってください。あなたの敵が散らされ、あなたを憎む者が、御前から逃げ去りますように。」
10:36 またそれがとどまるときには、彼は言った。「【主】よ、お帰りください。イスラエルの幾千幾万もの民のもとに。」
 2025年4月6日(日)リビングライフQT

民がエジプトを出てから二年の月日が経過しています。この間に有ったことは・・・
出エジプト記の19章~40章に、詳しく記録されています。
この場所は、シナイの荒野で、そこは、シナイ半島(ペルシャ湾と、紅海に挟まれた)南部にそびえ立つ険しい山塊(ジョベル・ムーサ=モーセの山)と呼ばれる、シナイ山があり、かつてモーセが、パロの刺客の手を逃れて、逃げた場所‼️
ここでモーセは、全能の神・創造主なる神・イスラエルの神にお逢いしたのです。
出エジプトから二年の間に、民は神への反抗、不平・不満をならし、更に、強力な砂漠の民(アマレク)との激しい闘いに遭遇。更に《マナ》と言う、素晴らしい食べ物が毎日朝毎に露の様に辺り一面に散り、毎日充分に養われた。この様に
神の素晴らしい恵みに包まれて、神への信頼が培われたのです。
さらにもっと大切なことは、この山(シナイ)で、モーセを通して、永遠不滅の靈の憲法を、神ご自身が刻まれた律法《十戒》を賜り、この十戒に付随する、神への礼拝・人として生きる基本となる、法=《道》等々を、受けてきたのです。こうした二年の歳月は、血の繋がりはあっても、烏合の衆に近いイスラエルが、《神の民》として、生まれ代わった、イスラエル民族の起源とも言える、歴史の刻まれた《時》だったのです。
最終的に、後の二年(民数記)に学んできた、民族の集団体制が整えられ、新しい出発が始まろうとしているのです。

このように遡って学び、エクソダス《出エジプト》の意味を歴史的に学ぶと、その道筋と経過は、正に私達の・・・神の国の民となる過程に重なる学びだと、深く感じました。
罪と汚れ・神無しの人生に生きてきた《私達》が、神と出会い永遠の御国へと、旅を始めるのに、似ている‼️と言うことに・・・・
いよいよ、神の民イスラエルは、永遠の旅路に就いたのです。
順序正しく、粛々と❗御言葉の教えに従って。
彼らの前進は、~ムヤミヤタラ~と先へ早く進み、目的地に到達することではなかったのです。ただ、主なる神の導かれるままに、従ったのです。その姿が、35節・36節に記録されています。
☆契約の箱が出発する時(民全体の前進❗)
モーセはこう言った。
『主よ、立ち上がってください。
あなたの敵が散らされ、
あなたを憎むものが、
御前から逃げ去りますように。』
☆また契約の箱が止まるときには、
『主よ、お帰りください。
幾千幾万もの民のもとに。』
徹底して、主なる神のもとに、保護されることを、大前提として、この新しい民《イスラエル》は、従い続けるのです。
私達の、信仰生活は・・・⁉️
 民数記 10章1節~10節

10:1 【主】はモーセにこう告げられた。
10:2 「銀のラッパを二本作りなさい。それを打ち物作りとしなさい。あなたはそれを用いて会衆を召し出したり、宿営を出発させたりしなければならない。
10:3 これらが長く吹き鳴らされると、全会衆が会見の天幕の入り口の、あなたのところに集まる。
10:4 もしその一つが吹き鳴らされると、イスラエルの分団のかしらである族長たちがあなたのところに集まる。
10:5 また、短く吹き鳴らすと、東側に宿っている宿営が出発する。
10:6 二度目に短く吹き鳴らすと、南側に宿っている宿営が出発する。彼らが出発するためには、短く吹き鳴らさなければならない。
10:7 集会を召集するときには、長く吹き鳴らさなければならない。短く大きく吹き鳴らしてはならない。
10:8 祭司であるアロンの子らがラッパを吹かなければならない。これはあなたがたにとって、代々にわたる永遠の掟である。
10:9 また、あなたがたの地で、自分たちを襲う侵略者との戦いに出るときには、ラッパを短く大きく吹き鳴らす。あなたがたが、自分たちの神、【主】の前に覚えられ、敵から救われるためである。
10:10 また、あなたがたの喜びの日、あなたがたの例祭と新月の日に、自分たちの全焼のささげ物と交わりのいけにえの上にラッパを吹き鳴らすなら、あなたがたは自分たちの神の前に覚えられる。わたしはあなたがたの神、【主】である。」
 2025年4月5日(土)リビングライフQT

☆ラッパによる
     民の結束☆
昨日も記しましたが、今や、イスラエルの民は、新しい歴史(民族・神の民)を、これから形成するように❗と、神に選ばれたのですから、全く新しい生活と、生きるための、ノウハウをしっかりと学ばねばならなかったのです。いま彼等が歩み始めた荒野は、余りにも厳しい環境ですが、ここでなければ、この様な中だからこそ、“神に聞く‼️”と言う、全く新しい導きによって、命の世界が作り始められたのです。
その新しい始まりと前進の道しるべに《ラッパ》が登場しました。理解したり、納得したり、共感したり・・と言う、聞く者が個々に、判断する方法ではなく・・・
《ラッパ》の響きによる合図で、直ちに行動を促す方法なのです。
今までの行程で民は、
☆エジプト出立で、エジプト軍の追撃の危機にはさらされなかった。
☆紅海に行き詰まった時、主なる神は、あの海を二つに分けて、乾いた地のように渡らせて下さいました。
☆追撃してきたエジプト軍は、追って海に入ると、海は再び閉じて、全軍が絶滅したのを目撃しました。
☆過酷な荒野の旅で、水や食糧に乏しく、不平不満をならした時、神は、荒野に泉を湧き出させ、毎朝一日に充分な量の美味しい食べ物《マナ》を、一日も欠かさず降らせ、肉を求めると、しばしばウズラ(鶉)の大群を送って、肉に恵まれた‼️
民はこうして、生きて働かれる神を、実感して、神を信じる民へと、変えられてきたのです。
今や、彼らは、~神に聞く~と言う、服従と従順を求められたのです。
《ラッパ》は、こうした時間の推移即ち神の愛の導きによる段階から、民が神に従う段階へと移行した始まりなのです。
今や、烏合の衆(民)から、神の選びの民へと進化し始める、神の歴史の創造の段階へと、移り始めたのです。
200万人になる大集団・・・しかし、
彼らは国もなく、産業もなく、いわゆる政治組織もない民が、どのようにして、歴史の土台を築いたのか⁉️
その鍵が《ラッパ》なのです。それは、神の声・神のご計画・神の導き・そのものなのです。見ることのない《神》に、ラッパの音に従いながら、神の臨在を経験し、あらゆる困難な経過の中で、神の民・神の選びの民として、世界の歴史の中心・全人類に永遠の救いの道を拓く民として、用いられる存在となったのです。
神の御忍耐はいかばかりであったでしょう
実は、今朝は、この事を是非、あなたに知って頂きたいのです。
それは・・・
同じ様に、あなたが・私が、神に呼び出されて、導きのラッパに導かれて来たのです。
ラッパの音ではなく、
神の御声‼️→神の言葉《聖書》なのです。これこそ、私達を、罪と汚れと、神への反抗の荒野から、御国目指して、あなたの、家族の、回りの人々の歴史を築く、導きのラッパに代わる、神の声なのです。あなたには、聖書を読む時、神の御思いが聞こえますか!?
礼拝で御言葉の解き明かし(メッセージ)を聴くとき、神の導きの声が分かりますか⁉️
毎日の、リビングライフの学びこそ、あなたの道の光となってきたのです‼️ハレルヤ
 民数記 9章15節~23節

9:15 幕屋が設営された日、雲が、あかしの天幕である幕屋をおおった。それは、夕方には幕屋の上にあって朝まで火のようであった。
9:16 いつもこのようであって、昼は雲がそれをおおい、夜は火のように見えた。
9:17 いつでも雲が天幕から上るときには、その後でイスラエルの子らは旅立った。また、雲がとどまるその場所で、イスラエルの子らは宿営した。
9:18 【主】の命によりイスラエルの子らは旅立ち、【主】の命により宿営した。雲が幕屋の上にとどまっている間、彼らは宿営した。
9:19 雲が長い間、幕屋の上にとどまるときには、イスラエルの子らは【主】への務めを守って、旅立たなかった。
9:20 また、雲がわずかの間しか幕屋の上にとどまらないことがあっても、彼らは【主】の命により宿営し、【主】の命により旅立った。
9:21 雲が夕方から朝までとどまるようなときがあっても、朝になって雲が上れば、彼らは旅立った。昼でも夜でも、雲が上れば旅立った。
9:22 二日でも、一月でも、あるいは一年でも、雲が幕屋の上にとどまって、去らなければ、イスラエルの子らは宿営を続けて旅立たなかった。しかし、雲が上ったときは旅立った。
9:23 彼らは【主】の命により宿営し、【主】の命により旅立った。彼らはモーセを通して示された【主】の命により、【主】への務めを守った。
 2025年4月4日(金)リビングライフQT

イスラエルが、ほぼ400年エジプトの地で、数十人の、ヤコブ(後にイスラエルと改名)の家族から始まり、200万人にまで増えた民に、恐れを成したエジプトの王《パロ》が、この民を奴隷とし、男の子の出生は、殺して死産とし、イスラエル撲滅を図ったのです。
正に古代のジェノサイド(民族浄化)だったのです。このような急に押し迫る危機の中で、     イスラエルの民は既に数百年豊かな生活にドップリ浸かった中から、突然荒野の生活に入ったのです。
持ち出した食料は尽き果て、主なる神が毎日朝露のように降らせて下さる《マナ》と、時々、膨大な数のウズラの飛来とが、彼等の食料となっていました。既に二年の月日が経過するなかで、彼らは神に生かされていることを実感していたことでしょう。
民数記は、 エジプトを出て以来、新しい国造りのために、民の体制を整え、一民族《国家》 としての地保を固めるために、 その勢力を整え、国の“アイデンティティー”を建て挙げるために、神が導き、神中心の国、民として、導き整える過程を明示した記録なのです。
これは正に、永遠の神の民《イスラエル》の歴史的記録なのです。
この様な荒野の中で、200万人にもなる民が生きるために、神が示された道筋は・・・
昼は雲の柱・夜は、その雲が火の様に赤く映える、印を持って、聖なる幕屋の上に《神の臨在》の印となって顕れ、その動向・静止によって、民の行動は導かれたのです。この神の臨在の印がなければ、この民は遅かれ早かれ、この荒野で消滅したことでしょう。
彼らが人類の歴史の中心に、今、生き残れているのも、紆余曲折はあっても、彼等が、この神の臨在を信じ、その道に従ったからなのです。
この歴史は、正に、今の私たちへの、重い示唆となっているのです‼️
23節に、『彼らは主の命により宿営し、主の命により旅立った。彼らはモーセを通して示された主の命により、主への務めを守った。』
この締めくくりの言葉は、命の基盤となったのです。
私達の人生も又、同様ですね‼️
 民数記 9章1節~14節

9:1 エジプトの地を出て二年目の第一の月に、【主】はシナイの荒野でモーセに告げられた。
9:2 「イスラエルの子らは、定められた時に、過越のいけにえを献げよ。
9:3 あなたがたはこの月の十四日の夕暮れ、その定められた時に、それを献げなければならない。それについてのすべての掟とすべての定めにしたがって、それをしなければならない。」
9:4 モーセがイスラエルの子らに、過越のいけにえを献げるように告げたので、
9:5 彼らはシナイの荒野で第一の月の十四日の夕暮れに過越のいけにえを献げた。イスラエルの子らは、すべて【主】がモーセに命じられたとおりに行った。
9:6 しかし、人の死体によって汚れていて、その日に過越のいけにえを献げることができなかった人たちがいた。彼らはその日、モーセとアロンの前に進み出た。
9:7 その人たちは彼に言った。「私たちは、人の死体によって汚れていますが、なぜ、イスラエルの子らの中で、定められた時に【主】へのささげ物を献げることを禁じられているのでしょうか。」
9:8 モーセは彼らに言った。「待っていなさい。私は【主】があなたがたについてどのように命じられるかを聞こう。」
9:9 【主】はモーセにこう告げられた。
9:10 「イスラエルの子らに告げよ。あなたがたのうち、またはあなたがたの子孫のうちで、人の死体によって身を汚している者、あるいは、遠い旅路にある者はみな、過越のいけにえを【主】に献げることができる。
9:11 その人たちは、第二の月の十四日の夕暮れに、それを献げなければならない。種なしパンと苦菜と一緒にそれを食べなければならない。
9:12 そのうちの少しでも朝まで残してはならない。また、その骨は折ってはならない。すべて過越のいけにえの掟のとおり、それを献げなければならない。
9:13 身がきよく、また旅にも出ていない者が、過越のいけにえを献げることをしないなら、その人は自分の民から断ち切られる。その人は定められた時に【主】へのささげ物を献げなかったので、自分の罪責を負う。
9:14 もし、あなたがたのところに寄留者が滞在していて、【主】に過越のいけにえを献げようとするなら、過越のいけにえの掟と、その定めとにしたがって献げなければならない。寄留者でも、この国に生まれた者でも、あなたがたには掟は一つである。」
 2025年4月3日(木)リビングライフQT

《過越》のいけにえ‼️
これは、イスラエルがエジプトにいたとき、彼等の奴隷状態の中からの叫びを聞いた神が、モーセとアロンを遣わして、民をエジプトから、連れ出されました。
その時、神はイスラエルの民全てに、各家毎に一頭の羊をほふり、その血を鴨居と両の柱に塗り、屠った羊の肉は、残さずに、食べ尽くす。
その血を塗った家(イスラエルの民)は、裁きの主の使いが過ぎ越して行ったのです。
塗っていない、エジプトの全ての家(王の家・貴族も・エジプトを守る神々に仕える神官の家・全ての国民)の長子がその夜のうちに、死んだのです。そのエジプト全土の悲しみ叫ぶなかを、イスラエルの民は、粛々と、エジプトを出たのです。歴史上の大スペクタクルな、出来事でした。
闘わずして、イスラエルは、世界の覇権国《エジプト》に勝利した、記念すべき日なのです。
神は豊かなエジプトから脱出してから二年を経て、ご自分の愛する民に、あの日の出来事を思い出させ、この記念の時を、未来永劫に民の“アイデンティティー”とするように、命じられたのです。
この時から今日に至るもなお、イスラエルの民《今はユダヤ人と言われる》は、国家最大の祝いの日《過越の祭》として、感謝と喜びと回復の時として、祝うのです。
しかし、この《過越し》の規定を語られる前に、祭司職・レビ人・ナジル人に関するら非常に厳しい規定が語られた後だけに、家族の死に目に遇った人達は、この過ぎ越の厳粛な行事から外されたのです。(この事に関しては、神からの指示はその時点では、なかったのですが、指導者たちは、今までの“聖別”観から、死を忌み事として、その様な人々を排除したのです)
同じ苦楽を共にしてきたこれ等の人々の心は穏やかでなく、その不満が指導者に上がったのです。
モーセはこの事を直ちに神に申し上げると、神は指導者たちの誤りに対して、この事に関しては、誰一人(死者を出した家庭も、寄留の異邦人ーエジプトを出る時、イスラエルの民と同じ信仰に入っていた、エジプトの友人の家族達ー)として、排除されることはない‼️と、示されたのです。
これは正に、“十字架の血に贖われる者”には、信じること以外の何の条件もなく、信じる者は誰でも、《救われる》と言う、新約の《福音》を、指し示すものです。
神の、救いの原理は、こうして3500年前の歴史において、明確に示されたのです。
罪の奴隷(支配)から、イエス・キリスト様の十字架の血は、信じる者を、新しい約束の地へと、導く福音の世界へと、導いて下さったのです
   ハレルヤ‼️ 
 民数記 8章14節~26節

8:14 こうして、あなたはレビ人をイスラエルの子らのうちから分け、レビ人はわたしのものとなる。
8:15 この後、レビ人は会見の天幕に入って奉仕をすることができる。あなたは彼らをきよめ、彼らを奉献物として献げなければならない。
8:16 彼らはイスラエルの子らのうちから正式にわたしに与えられたものだからである。すべてのイスラエルの子らのうちで、最初に胎を開いた、すべての長子の代わりに、わたしは彼らをわたしのものとして取ったのである。
8:17 イスラエルの子らのうちでは、人でも家畜でも、すべての長子はわたしのものだからである。エジプトの地で、わたしがすべての長子を打った日に、わたしは彼らを聖別してわたしのものとした。
8:18 わたしは、イスラエルの子らのうちのすべての長子の代わりにレビ人を取った。
8:19 わたしは、イスラエルの子らのうちからレビ人をアロンとその子らに正式に付け、会見の天幕でイスラエルの子らの奉仕をし、イスラエルの子らのために宥めを行うようにした。それは、イスラエルの子らが聖所に近づいて、彼らにわざわいが及ぶことのないようにするためである。」
8:20 モーセとアロンとイスラエルの全会衆は、レビ人に対してそのようにした。【主】がレビ人についてモーセに命じられたことすべてにしたがって、イスラエルの子らは彼らに行った。
8:21 レビ人は身の汚れを除き、その衣服を洗った。そうしてアロンは彼らを奉献物として【主】の前に献げた。またアロンは彼らのために宥めを行い、彼らをきよめた。
8:22 この後、レビ人は会見の天幕に入って、アロンとその子らの前で自分たちの奉仕をした。人々は【主】がレビ人についてモーセに命じられたとおりに、レビ人に行った。
8:23 【主】はモーセにこう告げられた。
8:24 「これはレビ人に関わることである。二十五歳以上の者は、会見の天幕の奉仕の務めを果たさなければならない。
8:25 しかし、五十歳からは奉仕の務めから退き、もう奉仕してはならない。
8:26 その人はただ、会見の天幕で、自分の同族の者が任務に当たるのを助けることはできるが、自分で奉仕をしてはならない。あなたはレビ人に、彼らの任務に関してこのようにしなければならない。」
 2025年4月2日(水)リビングライフQT

レビの“一族”の規定は、代表制とも言える、神の与えられたシステムで、一部の代表を選んで、全体にめぐみを浸透させる‼️
いち早くギリシャで生まれた《全体民主制》の優れた政治体制より、遡ること約1000年(紀元前1500年)この様な高度な、政治体制・国家体制・信仰(宗教)組織は、人類歴史上、未だ見ることがなく、最古の組織的形態でしょう
正にこれは、神の知恵、神から出た恒久的に、神と人との交わりの基礎となったものです。
今の教会の姿は正に、ここに源を発しているのです。
レビ族が、全年齢的に、この役割を担うか・・・と言えばそうではない。
 ☆若者は25歳から☆
それは、人間として、人生を学び、大人社会から、多くを学び、訓練を受けてからの25歳。
彼らはそれまでに
*神への畏れを学び
*イスラエルの歴史を学び
*未来への神のご計画に、魂を向け・・・
こうして、25歳から使命に生きる道へと進むのです。
また、50歳になると、実務からは離れねばならなかった。
*幕屋の設営・維持管理・解体・運搬・・・これは想像を絶する、激務なのです。寸分の間違いも赦されない、厳しくも細かい規定からなる務めは、若さと、力と、記憶力とを求められるのです。この年齢制限は、そのための規定とされたのです。
現代の教会の牧師・伝道者の選びも、正にこの様な、基盤の下で、世界宣教が拡げられて来たのです。
ですから、伝道者については、《神からの召命を受けましたか?》と、問われるところから、その生涯が出発するのです。
牧師になりたい❗
伝道者になりたい❗・
と言った、志願に始まる、働きは往々にして、行き詰まりを迎え、野に降ることになります
現役の働きを続けながらも、常に召命を更新する、積み重ねを経ずしては、挫折するのです。これは職業ではないからです。
伝道者・牧師は、多くの信徒(イスラエルの民)に祈られながら養われ、支えられて、生かされ用いられる、現代のレビ人なのです。
祈ってください‼️
 民数記 8章1節~13節

8:1 【主】はモーセに告げられた。
8:2 「アロンに告げよ。『あなたがともしび皿を載せるとき、七つのともしび皿が燭台の前を照らすようにしなさい』と。」
8:3 アロンはそのようにした。【主】がモーセに命じられたとおりに、燭台の前に向けてともしび皿を載せた。
8:4 燭台の作りは次のとおりであった。それは金の打ち物で、その台座から花弁に至るまで打ち物であった。【主】がモーセに示された型のとおりに、この燭台は作られていた。
8:5 【主】はモーセにこう告げられた。
8:6 「レビ人をイスラエルの子らの中から取って、彼らをきよめよ。
8:7 あなたは次のようにして彼らをきよめなければならない。罪のきよめの水を彼らにかける。彼らは全身にかみそりを当て、その衣服を洗い、身をきよめる。
8:8 そして若い雄牛と油を混ぜた小麦粉の穀物のささげ物を取る。あなたはまた別の若い雄牛を罪のきよめのささげ物として取る。
8:9 あなたはレビ人を会見の天幕の前に近づかせ、イスラエルの全会衆を集め、
8:10 レビ人を【主】の前に進ませる。イスラエルの子らは手をレビ人の上に置く。
8:11 アロンはレビ人を、イスラエルの子らからの奉献物として【主】の前に献げる。これは彼らが【主】の奉仕をするためである。
8:12 レビ人は、雄牛の頭に手を置く。そこであなたは一頭を罪のきよめのささげ物として、また一頭を全焼のささげ物として【主】に献げ、レビ人のために宥めを行う。
8:13 あなたはレビ人をアロンとその子らの前に立たせ、彼らを奉献物として【主】に献げる。
 2025年4月1日(火)リビングライフQT

天地万有を創造され、→“聖“・“愛”・“義”→の、根源であるお方・即ち、《全能の唯一の神》が、イスラエルを、全ての民《人類》の中から選ばれて、神を世に示す選びの民となされるために、徹底した“聖さ”を、彼等の存在と全生活に、顕すために、これからの細かい規定は、示されたのです。
先ず、全ての始まりに、《光✴️》がありました。
創世記1章3節『神が『光よ、あれ。』と仰せられた。すると光ができた。
この光(七つの燭台)の前(中)で、すべての営みが明るみに表され、あらゆる営みが始まるのです‼️
その営みの中心に、《レビ人》が立つのです。即ち、レビ人は聖さの発信源としての、神と人との間に介在し、レビ人の故に、イスラエルの民が、神に(由)とされるのです。云わば新約時代における、イエス・キリストによる、贖罪の余表として、立たされる使命を帯びた部族なのです。
ですから、イスラエルの民は、各々に、自由に自分の意思や方法で、神に近付くことは、禁じられていました。
それは、今の私達が罪に染まった時に、どんなに多くの善を行ったからといって、罪が赦され聖くされることがなく、ただただ、イエス・キリストの十字架の贖罪の死に依らないでは、罪の赦しはあり得ないのと同じで、神の聖さは、人のどんなに優れた善によっても、購(あがない)得ないことを、聖書は・福音は、こうして語ってきたのです。
それだけに、レビ人の存在は、イスラエルの民にとっては、人の想いを越えた、厳格な仕来たりが定められたのです。
今の時代の、教会・クリスチャン・伝道者・牧師・・・etc.に、与えれた証の存在にも、似ているものでしょう。
そして、その存在と証は、イエス・キリストの十字架の贖罪のメッセージを指し示しているのです‼️
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