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力丸嗣夫師 リビングライフ LINE
          (新改訳聖書2017)
    

北九州シオン教会

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 Ⅱテモテへの手紙 1章1節~8節

1:1 神のみこころにより、またキリスト・イエスにあるいのちの約束にしたがって、キリスト・イエスの使徒となったパウロから、
1:2 愛する子テモテへ。父なる神と、私たちの主キリスト・イエスから、恵みとあわれみと平安がありますように。
1:3 私は夜昼、祈りの中であなたのことを絶えず思い起こし、先祖がしてきたように、私もきよい良心をもって仕えている神に感謝しています。
1:4 私はあなたの涙を覚えているので、あなたに会って喜びに満たされたいと切望しています。
1:5 私はあなたのうちにある、偽りのない信仰を思い起こしています。その信仰は、最初あなたの祖母ロイスと母ユニケのうちに宿ったもので、それがあなたのうちにも宿っていると私は確信しています。
1:6 そういうわけで、私はあなたに思い起こしてほしいのです。私の按手によってあなたのうちに与えられた神の賜物を、再び燃え立たせてください。
1:7 神は私たちに、臆病の霊ではなく、力と愛と慎みの霊を与えてくださいました。
1:8 ですからあなたは、私たちの主を証しすることや、私が主の囚人であることを恥じてはいけません。むしろ、神の力によって、福音のために私と苦しみをともにしてください。
 2025年11月1日(土)リビングライフQT

  ~テモテについて~
使徒の働き16章1節~3節に、第二回目の伝道旅行で、小アジア半島(現在のトルコ)の町々の信徒達を尋ね、福音を伝えていく中で、ルステラ(リステラ)の家の教会で、近隣の街でも、非常に評判の良い《テモテ》に出会い、その後の働きに彼を同行させて、非常に良い働き人となったのです。
やがて、アジアでの働きが、祝福され、パウロはテモテを、アジアの拠点となる港町エペソに生まれた教会の伝道牧会を委ねたのです。
やがて、パウロは、ローマへの伝道に赴き、そこで、ローマ皇帝ネロの迫害で捕らえられ、獄中に繫がれる身となりました。同時にその頃、アジア地方で、異端の教えがはびこり、教会に邪悪な教えが侵入してくる知らせに、教会を護る福音のしっかりした土台を護ることに強い思いを願って、エペソのテモテに信書を書き送ったのが、このテモテの第二の手紙なのです。

本文に入ると、パウロの、切々たる思いが、滲み出る筆致の中に、テモテへの溶け合うような信頼に満ちた言葉が、あふれ出てきますね。
パウロは自らの救われている今を、かつての迫害者、異端者・・・等と自称せず、
『神の御心により、又キリスト・イエスにあるいのちの約束にしたがって、キリスト・イエスの使徒となった・・・』と、自分を証しているのです。
“愛するテモテへ❗”に始まる、テモテ個人への溢れるような、呼び掛けは、素晴らしい愛と祈りの《実》と言えましょう。
4節までのような言葉を頂いたテモテは、どんなに暖かい思いに、なったことでしょう。
この様な手紙書きたいですね。
5節~テモテは、父親がギリシャ人で、母ユニケと祖母ロイスが、熱いユダヤ教信者(改宗者)だったのです。
その様な中から福音に入ったテモテの信仰を、信心を遙かに超えた、御霊による➡力と愛と慎みの霊・・・イエス・キリストの福音に、誇りを持って、パウロと共に福音に仕えてください‼️
私は、このテキストを読みながら、いつしか、私に宛てられたパウロ先生からの書簡のように、一言一言が魂に染み渡るのを感じました。
何度読んでも、魂を揺さぶられる、語り掛けですね。
殆ど解説不要な、
黙想の福音でした。
       ア~メン‼️
 Ⅱテモテへの手紙 1章9節~18節

1:9 神は私たちを救い、また、聖なる招きをもって召してくださいましたが、それは私たちの働きによるのではなく、ご自分の計画と恵みによるものでした。この恵みは、キリスト・イエスにおいて、私たちに永遠の昔に与えられ、
1:10 今、私たちの救い主キリスト・イエスの現れによって明らかにされました。キリストは死を滅ぼし、福音によっていのちと不滅を明らかに示されたのです。
1:11 この福音のために、私は宣教者、使徒、また教師として任命されました。
1:12 そのために、私はこのような苦しみにあっています。しかし、それを恥とは思っていません。なぜなら、私は自分が信じてきた方をよく知っており、また、その方は私がお任せしたものを、かの日まで守ることがおできになると確信しているからです。
1:13 あなたは、キリスト・イエスにある信仰と愛のうちに、私から聞いた健全なことばを手本にしなさい。
1:14 自分に委ねられた良いものを、私たちのうちに宿る聖霊によって守りなさい。
1:15 あなたが知っているとおり、アジアにいる人たちはみな、私から離れて行きました。その中にはフィゲロとヘルモゲネがいます。
1:16 オネシポロの家族を主があわれんでくださるように。彼はたびたび私を元気づけ、私が鎖につながれていることを恥と思わず、
1:17 ローマに着いたとき、熱心に私を捜して見つけ出してくれました。
1:18 かの日には主が、ご自分のあわれみをオネシポロに示してくださいますように。エペソで彼がどれほど多くの奉仕をしてくれたかは、あなた自身が一番よく知っています。
 2025年11月2日(日)リビングライフQT

パウロ先生が、今、取り組み、その為に投獄の艱難に遭っているが、なお、その中で勝利の中に生かされているのは、自らの頑張りや、成果の賜物(努力の実)なのではなく・・・・
神御自身の御計画による、《恵み》の賜物なのです‼️
パウロ先生は、どの様な場合も、全ては、神の御手に成る御計画の成就(実現)の、行程の中に在る・・・‼️
この信仰と確信が、パウロ先生の宣教の働きの原動力だったのです。
パウロ先生の・・・と書きましたが、パウロ先生特有の信仰の賜物にしてしまわないで、この信仰と確信が、イエス様への信仰に生きる、全ての一人一人(わたし)の、信仰と確信でありたいですね。
この信仰が殉教者を支え、病の床にある方から平安と笑顔が溢れ、貧しさの中に、在っても、感謝が滲み出る輝き、豊かな恵みの泉が周りを潤す・・・が、証しされてきたのです。
主の手に在るとき、どの様な境遇からも、いのちの輝きが世に証しされるのです。
この素晴らしい福音のために、パウロ先生は選ばれ用いられてきたのです。
この確信と信頼があるので、12節の言葉(確信)が、溢れ出ているのです。
パウロ先生は、この確信を弟子の《テモテ》にもしっかりと持つようにと、勧められたのです。
この13節~14節
の言葉を、今朝新たに私の(あなたの)内に刻ませていただきましょう。
フィゲロ・ヘルモゲネのことが書かれていますが、彼等は以前は、パウロ先生の下で福音のために良く仕えていたのですが・・・・
パウロが獄に繫がれたのみならず、その事から、教会・クリスチャンへの社会の風当たりが強くなり、迫害の波がローマから発し、アジアにまで及び始めたために、福音の一線から後退し、離れていったのです。神の愛に召されたのでない働き人・証し人は、身の安全が優先するのですね。そして、その人にとっては、福音は、《永遠のいのち》《神の愛と恵》以上に、今の自分の安全と利得が、優先してしまうのです。改めて、私にとって《福音=救い》とは何でしょう?と、再確認して、告白する朝でありましょう。
この様な中でオネシポロの家族の存在は、福音宣教の、大きな力となったのです。
主よ‼️あなたに召された今を、あなたのみ思いのままに、用いてください❗
   アーメン‼️
 Ⅱテモテへの手紙 2章1節~13節

2:1 ですから、私の子よ、キリスト・イエスにある恵みによって強くなりなさい。
2:2 多くの証人たちの前で私から聞いたことを、ほかの人にも教える力のある信頼できる人たちに委ねなさい。
2:3 キリスト・イエスの立派な兵士として、私と苦しみをともにしてください。
2:4 兵役についている人はだれも、日常生活のことに煩わされることはありません。ただ、兵を募った人を喜ばせようとします。
2:5 また、競技をする人も、規定にしたがって競技をしなければ栄冠を得ることはできません。
2:6 労苦している農夫こそ、最初に収穫の分け前にあずかるべきです。
2:7 私が言っていることをよく考えなさい。主はすべてのことについて、理解する力をあなたに与えてくださいます。
2:8 イエス・キリストのことを心に留めていなさい。私が伝える福音によれば、この方は、ダビデの子孫として生まれ、死者の中からよみがえった方です。
2:9 この福音のために私は苦しみを受け、犯罪者のようにつながれています。しかし、神のことばはつながれていません。
2:10 ですから私はすべてのことを、選ばれた人たちのために耐え忍びます。彼らもまた、キリスト・イエスにある救いを、永遠の栄光とともに受けるようになるためです。
2:11 次のことばは真実です。「私たちが、キリストとともに死んだのなら、キリストとともに生きるようになる。
2:12 耐え忍んでいるなら、キリストとともに王となる。キリストを否むなら、キリストもまた、私たちを否まれる。
2:13 私たちが真実でなくても、キリストは常に真実である。ご自分を否むことができないからである。」
 2025年11月3日(月)リビングライフQT

パウロ先生のテモテへの手紙を読んでいると、今、パウロ先生が、陽の当たらない、岩を掘り抜いた、ジメジメした、寒く冷え込む地下牢の、極悪の環境の下で、この手紙を書いているとは、想像もつかない思いです。福音の輝きの下で、執筆しているような錯覚を覚えます。
昨日登場したフィゲロとヘルモゲネの二人の信仰からの脱落からすると、その様な厳しい迫害の中で投獄された、パウロ先生の境遇は、自由と権利に保障された、現在の環境に安住する私達には、想像も出来ない絶望的、暗闇の中からの執筆なのです。
いつ呼び出されて、残酷極まりない処刑が待っているかもわかない…その様な中での執筆なのです。正に遺言状にも似た・・・テモテと言う弟子に託した、言葉の数々なのです。
☆キリスト・イエスにある〈恵みによって〉強くなりなさい。
☆わたし(パウロ)から聞いた「福音」を他の信頼できる人に委ねなさい。➡
自分で語る以上に、難しい課題です。
また、私達、福音に生きるものとして、
①兵役に服している兵士のように・・・
②規定に従って競技に参加しているアスリートのように・・・
☆刈り入れの一番先に、収穫の恵みに預かる農夫のように・・・

わたしのクリスチャンとしての座右の銘の御言葉は
『ダビデの子孫として生まれ、死人の中から蘇られた、イエス・キリストをいつも思っていなさい。これがわたしの福音である。』
(口語訳)
第二テモテ2:8
聖書の訳は、しばしば変わりましたが、口語訳の言葉が一番力強く、パウロ先生の声が響いてくるように感じます。

私は小学校6年生のクリスマスに洗礼を受けました。その時に心に留めた聖句なのです。あれから73年ずっとこの御言葉が私の魂の中心にあります。
9節~神の言葉は繫がれてはいません。
10節~選ばれた人達の為に耐え忍びます。彼らもまた キリストイエスにある救いを永遠の栄光とともに受けるようになるためです。
11節~キリストと共に死んだのなら、キリストと共に生きるようになる。
12節~耐え忍んでいるなら、キリストと共に王となる。
13節~キリストは常に真実である。
              アーメン‼️
暗いジメジメした地下牢から、何と言う明るい、いのちの光りが、輝き出したのでしょう。
あなたの魂は輝いていますか。
      ハレルヤ‼️
                ア~メン‼️
 Ⅱテモテへの手紙 2章14節~26節

2:14 これらのことを人々に思い起こさせなさい。そして、何の益にもならず、聞いている人々を滅ぼすことになる、ことばについての論争などをしないように、神の御前で厳かに命じなさい。
2:15 あなたは務めにふさわしいと認められる人として、すなわち、真理のみことばをまっすぐに説き明かす、恥じることのない働き人として、自分を神に献げるように最善を尽くしなさい。
2:16 俗悪な無駄話を避けなさい。人々はそれによってますます不敬虔になり、
2:17 その人たちの話は悪性の腫れもののように広がります。彼らの中に、ヒメナイとピレトがいます。
2:18 彼らは真理から外れてしまい、復活はすでに起こったと言って、ある人たちの信仰をくつがえしています。
2:19 しかし、神の堅固な土台は据えられていて、そこに次のような銘が刻まれています。「主はご自分に属する者を知っておられる。」また、「主の御名を呼ぶ者はみな、不義を離れよ。」
2:20 大きな家には、金や銀の器だけでなく、木や土の器もあります。ある物は尊いことに、ある物は卑しいことに用いられます。
2:21 ですから、だれでもこれらのことから離れて自分自身をきよめるなら、その人は尊いことに用いられる器となります。すなわち、聖なるものとされ、主人にとって役に立つもの、あらゆる良い働きに備えられたものとなるのです。
2:22 あなたは若いときの情欲を避け、きよい心で主を呼び求める人たちとともに、義と信仰と愛と平和を追い求めなさい。
2:23 愚かで無知な議論は、それが争いのもとであることを知っているのですから、避けなさい。
2:24 主のしもべが争ってはいけません。むしろ、すべての人に優しくし、よく教え、よく忍耐し、
2:25 反対する人たちを柔和に教え導きなさい。神は、彼らに悔い改めの心を与えて、真理を悟らせてくださるかもしれません。
2:26 悪魔に捕らえられて思いのままにされている人々でも、目を覚まして、その罠を逃れるかもしれません。
 2025年11月4日(火)リビングライフQT

福音は・・・言葉によって浸透・拡散するものではなく、語られた言葉を裏付ける、語る者の内に成された、神の愛と恵みの実が、見聞きする人の中で、命の芽生えとなるのです。
福音は、理解や納得により、人の心(魂)に浸透し、新しい境地へと導くものではないのです。
イエス様はあの十字架に釘付けられ、むち打たれて、体力、気力も、最早人間としてのすべての限界を超える苦しみの中で、なお、私の・あなたの・一人一人全ての人(罪人)の為に、その罪を負って、神に祈られたのです。『父よ‼️彼等を御赦し下さい。彼等は何をしているのか、解らないのです‼️』
この祈りが、私のためだと、信じ、この御方を、私の罪を負われた方なのだ(悲しい)・・・と、信じたとき、あなたの生きる世界が一変するのです。
即ち、赦しと愛に包まれるのを、経験します。
私はそうでした。
あの中学卒業を明日に控えた、あの瞬間がその時でした‼️
☆言って聞かせられたのではないのです。
☆今までを振り返って、納得したのでもないのです。・・・・
福音を知らせる(敢えで語る゙と申しません)、説得する・説明する・教える・納得させる・・・・福音はこうして人の魂に伝わるのではないのです。納得で福音を受け容れたとしても、形はクリスチャンとなるでしようが、魂が救われた‼️とは言いがたいのです。
救いの信仰は、新しい世界に生きる、世界観なのです。
その生活には・・・論争・説得・俗悪な無駄話・福音とは異質な神秘的教え・心を揺さぶるような奇跡と徴が、生活の拠り所となる・・・と言う事もありません。
それは危険性をはらんだもので、福音を優位にするものでもないのです。
19節に、『主の御名を呼ぶものは皆、不義(神の義以外の、世俗的輝き、驚きの実、感性を揺さぶる出来事・・・)を離れよ』
イエス・キリストから来る、十字架の贖罪から発する『愛』と、イエス様の輝きの中から発する『義の輝き』と、その全てを覆う神の清さの『聖』を、全生活の中で歓び、その中に生きる者が、
『福音』に生きる者なのです。
決して、特別に聖化された生活というのではなく、感謝と、赦しと、愛と、信頼に生きる日々・・・・
パウロ先生は、テモテにその様な福音の人として、主に仕える事を語られているのです。
 Ⅱテモテへの手紙 3章1節~9節

3:1 終わりの日には困難な時代が来ることを、承知していなさい。
3:2 そのときに人々は、自分だけを愛し、金銭を愛し、大言壮語し、高ぶり、神を冒?し、両親に従わず、恩知らずで、汚れた者になります。
3:3 また、情け知らずで、人と和解せず、中傷し、自制できず、粗野で、善を好まない者になり、
3:4 人を裏切り、向こう見ずで、思い上がり、神よりも快楽を愛する者になり、
3:5 見かけは敬虔であっても、敬虔の力を否定する者になります。こういう人たちを避けなさい。
3:6 彼らの中には、家々に入り込み、愚かな女たちをたぶらかしている者たちがいます。その女たちは様々な欲望に引き回されて罪に罪を重ね、
3:7 いつも学んでいるのに、いつになっても真理を知ることができません。
3:8 たぶらかしている者たちは、ヤンネとヤンブレがモーセに逆らったように、真理に逆らっており、知性の腐った、信仰の失格者です。
3:9 しかし、彼らがこれ以上先に進むことはありません。彼らの愚かさは、あの二人の場合のように、すべての人にはっきり分かるからです。
 2025年11月5日(水)リビングライフQT

最初の1節
「終わりの日には困難な時代が来る事を・・・・」 に始まり、際限なく拡大する人(罪人)の心から出る、言葉・生活行動・人の心を惑わす~うわさ・偽りの警告、個人個人の中からしみ出す、傲慢・惑わしの言葉・・・・
私達が日頃遭遇する(見聞きする)惑わされやすい風評や、新しい教えとして・・・・
『今まで知られずに封印された物語、新たに開示された』・・・‼️と、言わんばかりに公表されて、新しい福音だとして人々を惑わす(異端の中にしばしば見るものです・・・゙エホバの証人゙  ゙モルモン教゙  ・・・
8節の(ヤンネとノヤンブレ)の名は、旧約聖書には記載されてはいないのですが、[経外典]として、旧新約聖書の正典には載っていないのですが、聖書参考文献には名が出ている・・・・
モーセとアロンが、出エジプトの切っ掛けとなった、エジプトのパロの前で、まことの神の御業(奇跡)を顕したのに対抗して、パロお抱えの呪法師(魔術師)が同じ奇跡を顕した・・・と言う、呪法師の名前です。
人々は奇跡・不思議な業(魔術)に心捕らわれて、その方に真実があるように心奪われ易いのです。
サタンは、この手法で、どれだけ多くの人々を・福音を聴きながら、心定まらない人々の魂を惑わし、時には恐怖・恐れに引き込んでは、滅びの縁へと、引き込んできたことでしょう。
この手紙が書かれた時代は、世の終わりが近いと言う風潮が教会の中にも浸透し、それに乗じて、異端の教えに撹乱されていたのです。
☆愛が冷え 
☆自己中心が拡がり   ☆和解ができず    
☆欲望に走り 
☆神による徴ではなく、不思議なうわさ、利得に走る奇跡、サタン的神秘主義・・・・
今日もなお、変わることなく、惑わしの多い終わりの時代なのです。
この様な中で、神の国は如何にして、その永遠への門戸を示したら良いのでしょう。今朝のテキストの中では、示される内容はありませんが、皆さん御存じのように、大切なのは、神の前に生きる《私=自分》なのです。
神の前に在る・・・と言うのは、《祈り》なのです。祈りは全ての悪しき業を明るみに出し、真理の輝きを照らし出す、土台なのです。その光は、ひとびとに、正しい道を照らし、永遠の道標を示すのです。
終わりの時代は祈りの時代なのです。
朝に夕に祈りましょう。
 Ⅱテモテへの手紙 3章10節~17節

3:10 しかしあなたは、私の教え、生き方、計画、信仰、寛容、愛、忍耐に、
3:11 また、アンティオキア、イコニオン、リステラで私に降りかかった迫害や苦難に、よくついて来てくれました。私はそのような迫害に耐えました。そして、主はそのすべてから私を救い出してくださいました。
3:12 キリスト・イエスにあって敬虔に生きようと願う者はみな、迫害を受けます。
3:13 悪い者たちや詐欺師たちは、だましたり、だまされたりして、ますます悪に落ちて行きます。
3:14 けれどもあなたは、学んで確信したところにとどまっていなさい。あなたは自分がだれから学んだかを知っており、
3:15 また、自分が幼いころから聖書に親しんできたことも知っているからです。聖書はあなたに知恵を与えて、キリスト・イエスに対する信仰による救いを受けさせることができます。
3:16 聖書はすべて神の霊感によるもので、教えと戒めと矯正と義の訓練のために有益です。
3:17 神の人がすべての良い働きにふさわしく、十分に整えられた者となるためです。
 2025年11月6日(木)リビングライフQT

パウロ、そしてテモテは、アジア(小アジア半島=現在のトルコ)への、第二回目の伝道旅行に出ます。
11節に・・・・で降りかかった迫害や苦難に、良くついて来てくれました。わたしはそのような迫害に耐えました。そして、主はそのすべてから私を救い出してくださいました。
この言葉からも、その様な迫害の中で、ついてきたテモテに、その時のことを思い出させて、パウロ先生は、共に福音に仕えてきた歓びとその恵み(ハレルヤ)を、思い出させて、テモテを更に激励しているのです。

私はふと・・・ここで、第二次世界大戦(日中・日米戦争)の敗戦も色濃くなった時期に、(父母が、下関で開拓伝道中だった)在る日突然、陸軍憲兵(陸軍警察・警察以上に恐れられていた)が数名銃を持ち、刀をガチャつかせながら、土足のまま座敷に上がり、家中かき回して、聖書・賛美歌・教会関係書籍等探し出して、没収し、『これからは集まることを禁じる』
と、怒鳴るように宣言して、牧師である父を引きずるようにして縄をかけて、連行して行ったのを、思い出しました。
散らかった部屋をかたづけて、お腹の大きかった母は、静かに私達子供を集めて、祈ったのを覚えています。
信仰の故の迫害は、寂しさ・悲しさ・辛さ・・・ではなく、恐怖と・命の危機と・これから襲ってくる迫害の厳しさに、慄(オノノ)くものでした。
その日からは、祈祷会も、礼拝も出来ず、玄関前に、憲兵が立って、来られた信徒一人一人に事情聴取して、追い返したのです。中には山陰の豊浦から山陰線で来られる方もおられました。
その後、借家の教会は、空襲で焼失してしまい、家族7人は終戦の次の年の昭和21年初めまで流浪の生活でした。あの時の恐ろしさ、理不尽さは、今でも忘れられません。ですから、このテモテの箇所を読むと、その思いが甦り、その様な中をテモテは、捕らえられたパウロの側に、従った・・・と言う彼の主を愛する信仰の輝きに心打たれるのです。
しかし、パウロ先生の、勧めの言葉は、その様な対迫害に関する勧めではなく、福音の働き人としての、強さ、確かさ、輝きの源は何か・・・‼️と、語り掛けているのです。
それは、一言で言えば・・・・
『聖書』に 養われ、聖書の言葉に魂の根を張り、『聖書』の教えにしっかりと立ち続けること‼️
16節 :  ~聖書は全て神の霊感によるもので、教えと戒めと矯正と義の訓練のために有益です。
この御言葉は、私達福音信仰に生きる者にとって最も大切な、言葉ですから、心に留めましょう。
特に、『聖書』は神の霊感によるもので・・・・
この一言は・・・・
《聖書が神の言葉である》・・・
と言う、最重要な宣言なのです。
この聖書の言葉に命をかけてきた、代々の聖徒達の信仰が、今私達に届いているのです。
テモテもパウロも、代々の殉教聖徒達も、日本の江戸時代以降、第二次世界大戦下までの、数千・数万の殉教者達も、この聖書の御言葉に根を張り、魂を潤され、勇気づけられ、歓喜に溢れて、勝利の生涯を全うしたのです。
今私達は、魂は歓喜に満たされていますか?この福音を伝えずにはおられない想いを秘めていますか。
私は『この働きのためにもう暫く健康と、鮮明な記憶の中に置いて下さい』・・・と、祈るのです。
お祈りに加えて下されば幸いです。
   ア~メン‼️
  Ⅱテモテへの手紙 4章1節~8節

4:1 神の御前で、また、生きている人と死んだ人をさばかれるキリスト・イエスの御前で、その現れとその御国を思いながら、私は厳かに命じます。
4:2 みことばを宣べ伝えなさい。時が良くても悪くてもしっかりやりなさい。忍耐の限りを尽くし、絶えず教えながら、責め、戒め、また勧めなさい。
4:3 というのは、人々が健全な教えに耐えられなくなり、耳に心地よい話を聞こうと、自分の好みにしたがって自分たちのために教師を寄せ集め、
4:4 真理から耳を背け、作り話にそれて行くような時代になるからです。
4:5 けれども、あなたはどんな場合にも慎んで、苦難に耐え、伝道者の働きをなし、自分の務めを十分に果たしなさい。
4:6 私はすでに注ぎのささげ物となっています。私が世を去る時が来ました。
4:7 私は勇敢に戦い抜き、走るべき道のりを走り終え、信仰を守り通しました。
4:8 あとは、義の栄冠が私のために用意されているだけです。その日には、正しいさばき主である主が、それを私に授けてくださいます。私だけでなく、主の現れを慕い求めている人には、だれにでも授けてくださるのです。
 2025年11月7日(金)リビングライフQT

何と確信に満ちた言葉の発信なのでしょう。このメッセ~ジは、何と1980年も前(この書簡がテモテの所に届けられて)から、読む人(クリスチャン)の ・・・

☆魂を揺さぶる輝き・・・
☆圧倒的信仰の確信・・・
☆魂の深みまでも揺さぶる使命感・・・
☆溢れ出されずにはおられない福音の輝き・・・
☆福音の馳せ場を走り抜いた平安・・・
☆御国への凱旋を確信してその時を待つ、期待に満ちて、魂を高揚させた輝いた姿・・・
何と完成された人生なのでしょう。
これを読んだテモテの魂は、どんなに高揚させられたことでしょう。私も新たにこのテキストを読みながら・・・
ワァー❗私も、この道の途上にあるんだなぁ・・・‼️・・・と、魂を揺さぶられながらも、身の引き締まる思い、また、働きの足元を、正される思いにさせられました。
◎時が良くても悪くても、しっかり宣べ伝えなさい。
◎人々は益々真理から離れて行く・・・
◎慎んで、苦難に耐え、伝道者(職業としての・・・ではなく)の働きをなし・・・
※伝道(宣教)の働きは、職業ではなく、救いに与った者全てに委ねられだ特権であり使命゙なのです。
☆自分の勤めを十分に果たし・・・
こうして、義の栄冠を(当時の世界からすれば、オリーブの冠)を遙かに超えた、御国の栄冠がそのあなたを待っている‼️
          ハレルヤ‼️
この栄光のために、今日が在る‼️
主よ❗あなたの御前を走る私を、支え、力を注ぎ、御国にまで・・・導いてください。
              ア~メン‼️
 Ⅱテモテへの手紙 4章9節~22節

4:9 あなたは、何とかして早く私のところに来てください。
4:10 デマスは今の世を愛し、私を見捨ててテサロニケに行ってしまいました。また、クレスケンスはガラテヤに、テトスはダルマティアに行きました。
4:11 ルカだけが私とともにいます。マルコを伴って、一緒に来てください。彼は私の務めのために役に立つからです。
4:12 私はティキコをエペソに遣わしました。
4:13 あなたが来るとき、トロアスでカルポのところに置いてきた外套を持って来てください。また書物、特に羊皮紙の物を持って来てください。
4:14 銅細工人のアレクサンドロが私をひどく苦しめました。その行いに応じて、主が彼に報いられます。
4:15 あなたも彼を警戒しなさい。彼は私たちのことばに激しく逆らったからです。
4:16 私の最初の弁明の際、だれも私を支持してくれず、みな私を見捨ててしまいました。どうか、その責任を彼らが負わせられることがありませんように。
4:17 しかし、主は私とともに立ち、私に力を与えてくださいました。それは、私を通してみことばが余すところなく宣べ伝えられ、すべての国の人々がみことばを聞くようになるためでした。こうして私は獅子の口から救い出されたのです。
4:18 主は私を、どんな悪しきわざからも救い出し、無事、天にある御国に入れてくださいます。主に栄光が世々限りなくありますように。アーメン。
4:19 プリスカとアキラによろしく。また、オネシポロの家族によろしく。
4:20 エラストはコリントにとどまり、病気のトロフィモはミレトスに残して来ました。
4:21 何とかして冬になる前に来てください。ユブロ、プデス、リノス、クラウディア、そしてすべての兄弟たちが、あなたによろしくと言っています。
4:22 主があなたの霊とともにいてくださいますように。恵みがあなたがたとともにありますように。
 2025年11月8日(土)リビングライフQT

テモテへの手紙の終章、沢山の人(反対者・協力者・同労者)の名前と、地中海世界に拡がる、アジア・ヨーロッパ(ギリシャ・マケドニア・イタリア・・・を包括する拡がりは、日本から朝鮮半島、東シナ海沿岸の中国、そして琉球列島から台湾を包むほどの拡がりなのです。
地中海・アドリヤ海・エーゲ海・イオニア海と言った、広大な海域を含む、当時の世界の中心とも言える、ローマ世界でした。
これ等の地理的世界を見ると、パウロ先生の宣教使命と意慾が、時間・距離に支配されず、如何に福音を世界に広げるか、そこには、神に創造されながら、全く、神の恩寵を知らずに、生きる民の多いかを、悼む心が滲み出ています。
私は、一教会の牧会の働きを退任してから、五年になりますが、何とかして、イエス様の救いの福音を必要とする人々に、広く伝えたいと、東は岩国・山陰の松江、南は佐伯、さらに大分県境の蒲江・直川・・・熊本の人吉・佐賀の唐津・大分・中津・久留米・・・と[車で]走り回りましたが、すべて陸続きだし、その範囲は、ギリシャ・マケドニア地域に限定された、パウロ先生の伝道からすれば、何分の一程もないところだと知リました。2000年近く前の時代に、これ程の働きの展開は、聖霊に押し出された教会と、送り出された、パウロという改心者の、愛と献身によるのだと思い、今の時代の教会に、終わりの時代に相応しい、宣教のリバイバルを・・・と、祈らずには居られません。
パウロ先生のこの書簡の最後の部分に登場するのは、脱落者あり、反対者あり・・・しかし、各地に散らされて宣教に苦闘をする、弟子達のいる姿が浮き彫りにされ、宣教の拡がりが、地域を狭く感じさせるほど、力強く響いてきました。
テモテもその中の一人ではありますが、パウロ先生の心の1番の支え手の人物だったようですね。
私は・あなたは、福音宣教の中で、誰の支えでしょうか。
主はあなたを必要としておられます。
    ハレルヤ‼️
 ヨシュア記 1章1節~9節

1:1 【主】のしもべモーセの死後、【主】はモーセの従者、ヌンの子ヨシュアに告げられた。
1:2 「わたしのしもべモーセは死んだ。今、あなたとこの民はみな、立ってこのヨルダン川を渡り、わたしがイスラエルの子らに与えようとしている地に行け。
1:3 わたしがモーセに約束したとおり、あなたがたが足の裏で踏む場所はことごとく、すでにあなたがたに与えている。
1:4 あなたがたの領土は荒野からあのレバノン、そしてあの大河ユーフラテス川まで、ヒッタイト人の全土、日の入る方の大海までとなる。
1:5 あなたの一生の間、だれ一人としてあなたの前に立ちはだかる者はいない。わたしはモーセとともにいたように、あなたとともにいる。わたしはあなたを見放さず、あなたを見捨てない。
1:6 強くあれ。雄々しくあれ。あなたはわたしが父祖たちに与えると誓った地を、この民に受け継がせなければならないからだ。
1:7 ただ強くあれ。雄々しくあれ。わたしのしもべモーセがあなたに命じた律法のすべてを守り行うためである。これを離れて、右にも左にもそれてはならない。あなたが行くところどこででも、あなたが栄えるためである。
1:8 このみおしえの書をあなたの口から離さず、昼も夜もそれを口ずさめ。そのうちに記されていることすべてを守り行うためである。そのとき、あなたは自分がすることで繁栄し、そのとき、あなたは栄えるからである。
1:9 わたしはあなたに命じたではないか。強くあれ。雄々しくあれ。恐れてはならない。おののいてはならない。あなたが行くところどこででも、あなたの神、【主】があなたとともにおられるのだから。」
 2025年11月9日(日)リビングライフQT

ヨシュアの時代は紀元前1200年から1300年時代です。この時代を、モーセの後継者ヨシュアは・・・・
◎モーセの信じた神、
◎モーセの示した神、即ち、創造の神を唯一の神として信頼し、この方以外には神はない‼️との確信に生き、イスラエルの民を、引き続いて、神の導きの下に、カナンの地征服に、果敢に前進したのです。
その力と確信の源となったのは、今日のテキストになる箇所なのです。
☆3節~わたしがモーセに約束したとおり、あなたがたが足の裏で踏む場所はことごとく、既にあなた方に与えている。
☆6節~強くあれ。雄々しくあれ。あなたはわたしが父祖達に与えると誓った地を、この民に受け継がせなければならない。
☆7節~ただ強くあれ。雄々しくあれ。わたしの僕モーセがあなたに命じた律法の全てを護り行うためである。・・・・あなたが行くところ何処ででも、
あなたが栄えるためである。
☆9節~強くあれ。雄々しくあれ。恐れてはならない。おののいてはならない。あなた方が行くところどこででも、あなたの神、 主があなたとともにいるのだから。・・・・・・‼️
これ等の約束の御言葉、又、重ねての命令は、何と力強く、祝福に満ちたものでしょう。
現在これを読み学ぶ私達への、同じように力強い、語り掛けではないでしょうか。アーメン‼️
   ハレルヤ‼️
私は、今朝のテキストを読みながら黙想し、ヨシュアへの神の語り掛けは、今朝のわたしへのものとして、新たな、命令➡まことの神・創造主を知らない民の世界に、更に更に、荒廃した霊の領域に、福音を携えて前進するように・・・と語られたことに気付きました。
主よ❗アーメン‼️
 ヨシュア記 1章10節~18節

1:10 ヨシュアは民のつかさたちに命じた。
1:11 「宿営の中を巡って、民に命じなさい。『食糧を準備しなさい。三日のうちに、あなたがたはこのヨルダン川を渡るからだ。あなたがたの神、【主】があなたがたに与えて所有させようとしておられる地を占領するために、あなたがたは進むのだ。』」
1:12 その一方で、ルベン人、ガド人、およびマナセの半部族にヨシュアは言った。
1:13 「【主】のしもべモーセがあなたがたに命じて、『あなたがたの神、【主】はあなたがたに安息を与え、この地を与えようとしておられる』と言ったことばを思い出しなさい。
1:14 あなたがたの妻子たちと家畜は、モーセがあなたがたに与えた、このヨルダンの川向こうにとどまりなさい。しかし、あなたがた勇士はみな、隊列を組み、あなたがたの兄弟たちより先に渡って行って、彼らを助けなければならない。
1:15 【主】があなたがたの兄弟たちにも、あなたがたと同様に安息を与え、彼らもあなたがたの神、【主】が与えようとしておられる地を所有したら、あなたがたは【主】のしもべモーセがあなたがたに与えた、このヨルダンの川向こう、日の出る方にある自分たちの所有の地に帰り、それを所有することができる。」
1:16 彼らはヨシュアに答えた。「あなたが私たちに命じたことは、何でも行います。あなたが遣わすところには、どこでも参ります。
1:17 私たちは、あらゆる点でモーセに聞き従ったように、あなたに聞き従います。どうかあなたの神、【主】が、モーセとともにおられたように、あなたとともにおられますように。
1:18 あなたの命令に逆らい、あなたが私たちに命じることばに聞き従わない者はみな、殺されなければなりません。あなたは、ただ強く雄々しくあってください。」
 2025年11月10日(月)リビングライフQT

命を懸けた神への忠誠。

エジプトの奴隷から解放されて、危機をはらみながらも、護られて紅海を乾いた地のように渡り、大勝利の出発を果たしてから早40年の歳月を経た民は、遂に、約束の地カナンと地との間を隔てる、ヨルダン川の岸に立ったのです。
それ以前に、民は、カナンの地の後方(ヨルダン側の東の、モアブ・アンモン・シリヤ)等の、将来の大国侵入の障壁となるための、地域を征服して、勇猛果敢な、ルベン・ガド・マナセの三部族による、平定が成されていました。
今、ヨシュアは、全ての民を集めて、いよいよ、神が与えられた安息の地・・・イサクの12人の息子達以来、定まった安住の地を失い、約500年近い寄留・奴隷・流浪の民として生きてきた民は、この地を幻として、歴史を重ねてきたのです。
今やイスラエルが神の選びの民として、新しい歴史を築き上げる、世界を拓く最重要な時となるのです。
ヨシュアの下に集まったすべての民は、心も想いも一つにして、神の前に新たな誓いをするのです。
そんな中で、既に広大な地域を確保している、ルベン・ガド・マナセの三部族は、全く違和感なく、他の9部族と一つとなって、神とヨシュアに忠誠を誓ったのです。この姿勢は、素晴らしい、一致と愛と献身に溶かされた、神の民の姿ですね。今日の罪の世界に、神の国の勝利の地を勝ち取る宣教の戦いに、立ち上がっている《教会》も、この様な一致と、愛と信仰に一つに結ばれたら、終わりの時代の宣教の働きは、更なる勝利と、栄光に輝く事でしょう。
祈りと信仰の一致を持って、御国の戦いに加わって参りましょう❗   ハレルヤ‼️
 ヨシュア記 2章1節~7節

2:1 ヌンの子ヨシュアは、シティムから、ひそかに二人の者を偵察として遣わして言った。「さあ、あの地とエリコを見て来なさい。」彼らは行って、ラハブという名の遊女の家に入り、そこに泊まった。
2:2 ある人がエリコの王に、「イスラエル人の数名の男たちが今夜、この地を探ろうとして入って来ました」と告げた。
2:3 それで、エリコの王はラハブのところに人を遣わして言った。「おまえのところに来て、おまえの家に入った者たちを出せ。その者たちは、この地のすべてを探ろうとしてやって来たのだから。」
2:4 ところが、彼女はその二人をかくまって言った。「そうです。その人たちは私のところに来ました。でも、どこから来たのか、私は知りません。
2:5 暗くなって門が閉じられるころ、その人たちは出て行きました。どこへ行ったのか、私は知りません。急いで彼らを追ってごらんなさい。追いつけるかもしれません。」
2:6 彼女は二人を屋上へ上がらせ、屋上に積んであった亜麻の茎の中におおい隠していた。
2:7 追っ手たちはヨルダン川の道をたどり、渡し場までその人たちを追って行った。門は、彼らを追う追っ手たちが出て行くと、すぐに閉じられた。
 2025年11月11日(火)リビングライフQT

ヨルダン川は、北のガリラヤ湖から真っ直ぐ(河は蛇行はしますが、地理的に言って・・・)に北から南の死海まで流れ下る、パレスチナ随一の河(長さ約120km)であり、ある意味では、地理的にパレスティナを、東西に分ける、格好の戦略的要所でもあったのです。

長い間平安を保っていた、パレスチナの人々にとって、エジプトを脱出して、大民族の移動が、ヨルダンに迫っていることは、カナンの部族達には穏やかでない、昨今だったのです。
その様な中で、イスラエルのスパイがエリコに入り込んだとの知らせは、恐怖の始まりでした。
《エリコ 》は、世界史の中でも、最も古い文化の栄えた古代都市で、世界三大文明の始まりと同じ時代に都市国家として栄え、その歴史は一万年以上前に遡るものでした。それだけに、イスラエルのスパイ(斥候)が侵入したとの知らせは、エリコの王には、緊張の頂点を強いられたことでしょう。直ちに、戒厳令がしかれ、住民も、緊張と恐怖すら持ったことでしょう。所が城壁の上に住むラハブ(娼婦であったので、町中には住めず、城壁の上が彼女の住処で、民の笑いものだったのです)が、いち早くイスラエルの斥候のうわさを知り、城壁の上から彼等を見付け、先ずかくまったのです。この行為は、やがて、世界の歴史(神の御計画になる全ての民の救いの歴史)の 扉を開ける、聖書福音(人類救済の歴史)を、方向付ける一大出来事となるのです。
今日のテキストは、ひとつの切っ掛けを教えていますが、明日の展開に期待しましょう。
神は、奇跡を持って、世界の歴史を動かされますが、その途上の物語は決して、異常事態や、自然の法則を飛び越えた、奇跡や、不思議な出来事等によって、開かれるのではないのです。
弱い人が、虐げられている人が…
世界の歴史の中にのみ込まれて消えいりそうな、小さな民が ・・・・と言うように、弱い者、期待出来ない者を用いて、神の歴史は展開してきたのです。
明日からに期待しましょう。
主なる神に期待しつつ‼️ハレルヤ‼️
実は、私たちの人生でも、見えないところで導かれる神の御手は、今日も、あなたの永遠への道を導かれているのです。
主に信頼して、祈り信じ期待して、主を待ち望みましょう。
 ヨシュア記 章8節~14節

2:8 二人がまだ寝ないうちに、彼女は屋上の彼らのところへ上がり、
2:9 彼らに言った。「【主】がこの地をあなたがたに与えておられること、私たちがあなたがたに対する恐怖に襲われていること、そして、この地の住民がみな、あなたがたのために震えおののいていることを、私はよく知っています。
2:10 あなたがたがエジプトから出て来たとき、【主】があなたがたのために葦の海の水を涸らされたこと、そして、あなたがたが、ヨルダンの川向こうにいたアモリ人の二人の王シホンとオグにしたこと、二人を聖絶したことを私たちは聞いたからです。
2:11 私たちは、それを聞いたとき心が萎えて、あなたがたのために、だれもが気力を失ってしまいました。あなたがたの神、【主】は、上は天において、下は地において、神であられるからです。
2:12 今、【主】にかけて私に誓ってください。私はあなたがたに誠意を尽くしたのですから、あなたがたもまた、私の父の家に誠意を尽くし、私に確かなしるしを与え、
2:13 私の父、母、兄弟、姉妹、また、これに属するものをすべて生かして、私たちのいのちを死から救い出す、と誓ってください。」
2:14 二人は彼女に言った。「私たちはあなたがたに自分のいのちをかけて誓う。あなたがたが私たちのことをだれにも告げないなら、【主】が私たちにこの地を与えてくださるとき、あなたに誠意と真実を尽くそう。」
 2025年11月12日(水)リビングライフQT

エリコの城塞は、ヨルダン川を渡って  7~8kmの所に在る砦のような、防塞都市でした。難攻不落の街を誇り、数千年の歴史を刻み、建ち続けた都市国家です。

ラハブは、その町の様々な情報を聞かされてきていたのです。死海の南のエドム ・死海の東の平原のモアブ・更に、ヨルダン川の東のアモリ人・・・何れも、勇猛果敢な民ばかりの地域を、かつてのエジプトの奴隷だった、イスラエルの流浪の民が、片端から平定し、今や遙か北方の強国、シリアにまで進撃して、占領した噂は、エリコの民の誰もが知るところとなり、町中が恐怖におののいていることを、ラハブは、二人の斥候(スパイ)に、伝えたのです。
しかし、この秘密の漏洩は決して、ラハブの自らの身を守るためのものでは無いのです。
☆11節~・・・あなた方の神、主は、上は天において、下は地において、神であられるからです。・・・・
彼女は、古代社会の、偶像に乱れた信仰の世界で、この信仰を与えられ、イスラエルの神に全てを明け渡して、一族含めて、この神の前に服したのです。そしてこの御方に新しい命を求めたのです。
彼等二人は、神の御名において、ラハブの一族の救出を誓ったのです。
この物語(更に明日へと展開しますが・・・
この物語はラハブの命乞いの話しではなく、創造主なる神の、人類救済史の、驚くべき展開の一ページとなるメッセージなのです。
たまたま、ラハブが・・・ではなく神が彼等二人(スパイ)を彼女の下へ導かれたのです。
ラハブは、未だ知らない神に畏れの心を持って、彼等を迎えたのです。
この物語は、イスラエルのエクソダス(出エジプト)物語の、もう一つの山場となるのです。
一人の人の信仰の行動(決断)は、歴史を変える力となるのです。
ラハブだけではない、あなたの信仰の決断・信仰の告白は、家族を、親族を、友とそれに連なる人々・・・・の永遠の歴史を、栄光の輝きの中に導き出すのです。
今朝、新たに、私達に与えられた、福音に生きる重さに、感動を持って、主に従い歓びの道に進みましょう。
 ヨシュア記 2章15節~24節

2:15 そこで、ラハブは綱で窓から彼らをつり降ろした。彼女の家は城壁に建て込まれていて、彼女はその城壁の中に住んでいた。
2:16 彼女は二人に言った。「山地の方へ行ってください。追っ手たちがあなたがたに出くわすといけませんから。彼らが引き揚げるまで、三日間そこに身を隠していてください。その後で、あなたがたが行く道を行かれたらよいでしょう。」
2:17 二人は彼女に言った。「もしこのようにあなたが行わないなら、あなたが私たちに誓わせた、あなたへのこの誓いから私たちは解かれます。
2:18 見なさい、私たちはこの地に入って来ます。私たちをつり降ろした窓に、この赤いひもを結び付けておきなさい。あなたの父、母、兄弟、そして、あなたの一族全員をあなたの家に集めておきなさい。
2:19 あなたの家の戸口から外に出る者がいれば、その人の血はその人自身の頭上に降りかかり、私たちに罪はありません。しかし、あなたと一緒に家の中にいる者のだれにでも手が下されたなら、その人の血は私たちの頭上に降りかかります。
2:20 だが、もしあなたが私たちの、このことをだれかに告げるなら、あなたが私たちに誓わせた、あなたへの誓いから私たちは解かれます。」
2:21 彼女は「おことばどおりにしましょう」と言い、二人を送り出した。彼らは去り、彼女は窓に赤いひもを結んだ。
2:22 彼らはそこを去って山地の方へ行き、追っ手たちが引き揚げるまで、三日そこにとどまった。追っ手たちは道中くまなく捜したが、彼らは見つからなかった。
2:23 二人は帰途についた。山地から下り、川を渡り、ヌンの子ヨシュアのところに来て、その身に起こったことをことごとく彼に話した。
2:24 彼らはヨシュアに言った。「【主】はあの地をことごとく私たちの手にお与えになりました。確かに、あの地の住民はみな、私たちのゆえに震えおののいています。」
 2025年11月13日(木)リビングライフQT

ラハブとの約束➡

二人の斥候(スパイ)を、ラハブは献身的に3日間にわたり保護をしたのです。やがてエリコを滅亡に追い込む、イスラエルの斥候を、隠し通したのです。
彼女の勇気ある行動が、新しい歴史を開く出発点となることを、誰も知るよしもなかったのです。
エリコの町の規模は、後にイスラエルの民がこの町の城壁の外周を、一日一回行進して周り、7日目には7回廻った・・・と、記されていますから、それから推測すると、直系1km程の規模の町ではなかったのだろうかー・・と、推測できます。あなたの町で想像してみて下さい。
この様にして想像してみて、ラハブがイスラエルのスパイを、こうして匿(かくま)ったことは、想像以上に危険な行為だと考えられますね。
彼女は何故この様な、行動に走ったのでしょう。
それは、彼女の、イスラエルの神への強い信仰から来る、決断なのです。
昨日(11日)のテキストの、ラハブの言葉をもう一度、9節~13節を遡ってお読みください。そこに、ラハブの強い信仰の決断を見ることができます。
彼女は、仕事柄、
退廃的人生にあって、客から聴かされる、思いもかけない、危機迫る噂の影に、見え隠れする、言葉に表せない迫ってくる、見聞きしたことない、権威・力・勢い・厳かさ・・・恐らく、全能の神(イスラエルの神=創造主なる神)の迫りを感じ取っていたのでしょう。
教える・・・伝える・・・お話しする・・・伝道する・・・と言うような、意図的行為だけが福音宣教の全てではないのです。
☆自然の命の輝き
☆時代の流れの中に浮き彫りになる、人間の悲哀や歓び
☆歴史を通して流れる、時代の語る無言の教訓
☆一人一人の感性から見聞きする、教訓・学び
これ等の経験は、神が人に与えられた、御自身の証し(神の像-カタチ-として与えられた命の感性)
伝えられた者だけが知る、救いの道ではないのです。
或いは、お話ししたことのない方が、あなたの姿、振る舞い、人生の歩みを見聞きして、神に近付く道が開かれているかも・・・。
徹底して、二人の斥候を保護し、民の待つヨルダンの向こう岸に帰還するまでの、全てを保障した、ラハブの事績は、歴史を大きく変えたのです。
私達は、今の歴史(時間)を歩みながら、実は神の歴史を紡ぐ道具となっているのです。
福音を語る、語らないに拘わらず、主なる神の御手の中に在るのです。
そのあなたを人々は見ているのです。
あなた自身が福音なのです。
   ア~メン‼️
 ヨシュア記 3章1節~8節

3:1 ヨシュアは翌朝早く起き、すべてのイスラエルの子らとともにシティムを旅立ち、ヨルダン川のところまで来て、それを渡る前にそこに泊まった。
3:2 三日後、つかさたちは宿営の中を巡り、
3:3 民に命じた。「あなたがたの神、【主】の契約の箱を見、さらにレビ人の祭司たちがそれを担いでいるのを見たら、自分のいる場所を出発して、その後を進みなさい。
3:4 あなたがたが行くべき道を知るためである。あなたがたは今まで、この道を通ったことがないからだ。ただし、あなたがたと箱の間に二千キュビトほどの距離をおけ。箱に近づいてはならない。」
3:5 ヨシュアは民に言った。「あなたがたは自らを聖別しなさい。明日、【主】があなたがたのただ中で不思議を行われるから。」
3:6 ヨシュアは祭司たちに「契約の箱を担ぎ、民の先頭に立って渡りなさい」と命じた。そこで彼らは契約の箱を担ぎ、民の先頭に立って進んだ。
3:7 【主】はヨシュアに告げられた。「今日から全イスラエルの目の前で、わたしはあなたを大いなる者とする。わたしがモーセとともにいたように、あなたとともにいることを彼らが知るためである。
3:8 あなたは契約の箱を担ぐ祭司たちに『ヨルダン川の水際に来たら、ヨルダン川の中に立ち続けよ』と命じよ。」
 2025年11月14日(金)リビングライフQT

   万全の備え‼️
既に、二人の斥候により、強大な都市国家エリコも、その実態は、恐れと不安の渦に翻弄されている姿を、目の当たりにしたのです。
イスラエルの民が、留まっていたのは、シティムと言う地で、ヨルダン川の東岸からは、10km程の所のモアブの平原でした。
ここから民はヨルダン川の川岸近くまで移動して、三日間その地に留まった。
恐らくこの間に、作戦会議が開かれ、各部族の長、更に、部族を構成する集団の司達は、此からの進軍(前進)の為の信仰と結束を、ヨシュアを通して確認し、それぞれの集団に徹底したのです。
このイスラエルの大集団(出エジプト時は、80万とも100万人とも想像できる)でしたが、今や過酷な荒野の自然・しばしばの異邦の民との戦い・モーセと神への反抗による神の裁きによる滅び・偶像礼拝に流れた民への、神の裁き・過酷な自然環境と生活の不安定から起こる出産の低下などを考えると、その数はかなり低下してはいたでしょうが、それでも50万人近い大集団への統率は、如何に大変であったか、想像に難くない。
しかし、その様な中で、この民が、今日まで在ったのは、ただ一つ、モーセが信じ抜いた、唯一の神・創造主なる神への信仰でした。今ここに新たに、モーセを導かれた神が、更にヨシュアと共に居られるのだ‼️
その徴と成るのは、《契約の箱》なのだ‼️
ヨルダン川をどの様に渡るか、誰も知らない。40年前、恐怖と驚きに包まれながら、紅海を渡った大人達は、最早少数者でした。
また、とうとうと流れ下る川の水量と勢いは、この大集団が超えるなど、想像もつかないことでしょう。
そこにただ一つ、
契約の箱(神の臨在の象徴)が川の中に立ち続ける‼️と言う条件だけです。
この現実は、正に《信仰》による挑戦だけです。
何がどうなるか・・・等、誰も知るよしもないのです。
ただ信じて進むだけ‼️
あなたのヨルダン川は・・・❓
最大の困難の彼方には、約束の地(カナン=豊かな地・乳と蜜の流れる地)が用意されているのです。
神への信頼と信仰が常に試され問われます。
勝利者は誰でしょう。
イエスを神の子と信じる者ではないでしょうか‼️
イスラエルの旅路は、正に私達の御国への旅路のような日々と重なりますね。
今日も、主を仰ぎつつ・・・・アーメン‼️
 ヨシュア記 3章9節~17節

3:9 ヨシュアはイスラエルの子らに言った。「ここに来て、あなたがたの神、【主】のことばを聞きなさい。」
3:10 ヨシュアは言った。「生ける神があなたがたの中にいて、自分たちの前からカナン人、ヒッタイト人、ヒビ人、ペリジ人、ギルガシ人、アモリ人、エブス人を必ず追い払われることを、あなたがたは次のことで知るようになる。
3:11 見よ。全地の主の契約の箱が、あなたがたの先頭に立ってヨルダン川を渡ろうとしている。
3:12 今、部族ごとに一人ずつ、イスラエルの部族から十二人を取りなさい。
3:13 全地の主である【主】の箱を担ぐ祭司たちの足の裏が、ヨルダン川の水の中にとどまるとき、ヨルダン川の水は、川上から流れ下る水がせき止められ、一つの堰となって立ち止まる。」
3:14 民がヨルダン川を渡ろうとして彼らの天幕から出発したとき、契約の箱を担ぐ祭司たちは民の先頭にいた。
3:15 箱を担ぐ者たちがヨルダン川まで来たとき、ヨルダン川は刈り入れの期間中で、どこの川岸にも水があふれていた。ところが、箱を担ぐ祭司たちの足が水際の水に浸ると、
3:16 川上から流れ下る水が立ち止まった。一つの堰が、はるかかなた、ツァレタンのそばにある町アダムで立ち上がり、アラバの海、すなわち塩の海へ流れ下る水は完全にせき止められて、民はエリコに面したところを渡った。
3:17 【主】の契約の箱を担ぐ祭司たちは、ヨルダン川の真ん中の乾いたところにしっかりと立ち止まった。イスラエル全体は乾いたところを渡り、ついに民全員がヨルダン川を渡り終えた。
 2025年11月15日(土)リビングライフQT

カナンの地~一般にパルスティナ・・・と呼ばれる地域の一部で・・・
☆東はヨルダン川(北のメロム湖に発し、ガリラヤ湖に注ぎ、更にガリラヤ湖から下って、死海に流れ下る約250km)パレスティナ随一の川・・・の西側。
☆一方東側は、ペリシテ人の住むガザから
カルメル山の麓の港ハイファ迄の、地中海側迄
☆南は・・・死海の南岸から拡がるネゲブ砂漠迄の地域です。かつて、モーセの時代に、ネゲブ砂漠まで来たときに、12人の斥候に、探らせた地域です。
彼等は遂に、ヨルダン川の東岸から、この地を望み観ているのです。
人の心は、長い試練や闘いの中で、葛藤しながらも、耐え抜いてきた信仰の道を、完成(到達)間近にするとき、心は上気し、信仰の緊張に隙が出やすいものですね。
ヨシュアは、はやる民の心を、一点に集中するために、神が示された方法(道筋)を、民に命じます。
それは民の心と眼が一点に集中することを求める、方法です。
それは、《契約の箱》を、祭司が担ぎ、ヨルダン川の中に踏み込み、そのまま、数十万のイスラエルの民が渡り終えるまで、川の中に留まる・・・‼️
民は神の臨在を顕す《契約の箱》を観ながら、心の中にもモーセを導き、今、又ヨシュアを導かれる神、全能者なる神への信頼と信仰を、ここに回復するのです。『神が私達と共に在ます‼️』
これこそ、イスラエルのアイデンティティーとなってきたのです。
この信仰のアイデンティティーは、今、私達主の民(クリスチャン)のアイデンティティーでも在るのです。
一生懸命に聖書を読み、一生懸命に祈り、一生懸命に礼拝を守る・・・クリスチャンはそうすべき・・・なのではないのです。アイデンティティーとは、その様な生き様が普通の生活に、染みついたものとなっている・・・のです。それが弱まると、いつしか陰が薄くなり、妥協に迷い出るのです。
何と、契約の箱が、川の中に留まっている間、川が堰留まり、川底を渇いた地の如く、数十万の民は渡り終えたのです。あの40年前の紅海を渡ったあの出来事が、今、世代の変わった若い者達に、神は見せられたのです。
契約の箱を通して、見えない神を見るようにして、彼等の魂は、あらたに開かれたのです。
現在の私達には、礼拝・聖書・祈りが日々困難のヨルダン川を渡るときの道標となっているのです。
   ハレルヤ‼️
 ヨシュア記 4章1節~14節

4:1 民全員がヨルダン川を渡り終えると、【主】はヨシュアに告げられた。
4:2 「民の中から部族ごとに一人ずつ十二人を取り、
4:3 その者たちに命じよ。『ヨルダン川の真ん中、祭司たちが足をしっかりととどめたその場所から十二の石を取り、それらを携えて渡り、あなたがたが今夜泊まる宿営地に据えよ。』」
4:4 そこでヨシュアは、イスラエルの子らの中から部族ごとに一人ずつ、あらかじめ任命しておいた十二人を呼び出した。
4:5 ヨシュアは彼らに言った。「あなたがたの神、【主】の箱の前、ヨルダン川の真ん中へ渡って行き、イスラエルの子らの部族の数に合わせて各自が石を一つ、その肩に担ぎなさい。
4:6 それがあなたがたの中で、しるしとなるようにするためだ。後になって、あなたがたの子どもたちが『この石はどういうものなのですか』と尋ねたとき、
4:7 あなたがたは彼らにこう言いなさい。『ヨルダン川の水が【主】の契約の箱の前でせき止められたのだ。箱がヨルダン川を渡るとき、ヨルダン川の水はせき止められた。この石はイスラエルの子らにとって永久に記念となるのだ。』」
4:8 イスラエルの子らはヨシュアが命じたとおりにした。【主】がヨシュアに告げられたとおり、イスラエルの部族の数に合わせて、ヨルダン川の真ん中から十二の石を取り、宿営地に携えて行って、そこに据えた。
4:9 これらの十二の石はヨルダン川の真ん中で、契約の箱を担いだ祭司たちが足をとどめた場所にあったもので、ヨシュアがそれらを積み上げたのである。それらは今日までそこにある。
4:10 箱を担ぐ祭司たちは、民に告げるようにと【主】がヨシュアに命じられたことがすべて終わるまで、ヨルダン川の真ん中に立ち続けていた。すべてモーセがヨシュアに命じたとおりである。その間に民は急いで渡った。
4:11 民全員が渡り終えた後、民が見ている前で【主】の箱と祭司たちが渡った。
4:12 ルベン人とガド人と、マナセの半部族は、モーセが彼らに告げたとおり、隊列を組んでイスラエルの子らの先頭を進んで行った。
4:13 このようにして、武装した約四万の軍勢は【主】の前を、戦いのためにエリコの草原へと進んで行った。
4:14 その日、【主】は全イスラエルの目の前で、ヨシュアを大いなる者とされた。それで彼らは、モーセを恐れたように、ヨシュアをその一生の間、恐れた。
 2025年11月16日(日)リビングライフQT

ヨシュアは、民全体がヨルダン川を(乾いた地のように)渡ったことにより、 彼の信仰と、神からの信任は、盤石となり、大いなるものとされた。
  (14節) 

☆ここで、改めてイスラエルの民の数についてですが、エジプトを出た時には、成人男子だけで、60万人と記されています。ですから女性子供を含むと・・・ご想像にお任せします。
それからすると、40年の過酷な旅の果ての状況では、闘いあり、高齢者の死亡あり、神の裁きで失われた者あり・・・過酷な生活環境での、出生率の低下も含めて考えても、イスラエルのヨルダンを渡った総人口は、少なく見積もっても、70~80万人以上は、遙かに超える大集団だったと考えられます。
先日記した数は、訂正させて頂きます。
こうして考えると、エリコの町、そしてそこの支配者層にとって、イスラエルの迫りは、想像以上に、驚異だったことでしょう。
ヨルダン川から、エリコまでの距離は、僅か10kmですから、既に城壁の上から、平原という条件からも、イスラエルの動向は、最早手に取るように見えたと想像できます。
さて、ヨシュアは、ヨルダン渡河と言う、神の御業を証しするために、契約の箱を担いだ祭司達の立った川底の石を、12部族の数だけ、川から持ち出し、記念の塚とするたことを命じました。
肩に担いで・・・とありますから、恐らく一抱えもある石(40~50kg)だった事でしょう。
私も、あちこちに伝道に行った折りに、川から一抱えもある石を車に乗せて、庭石として持ち帰ったことがあるので、その様に想像します。
この塚は、代々に主なる神の証しとして残したのです。
私はいつも、ここを読む度に、今も探索すれば、遺跡の発見に繋がらないかなぁ・・・等と思い巡らすのです。
主の箱は先駆けとなり、しんがり(最後尾)となって、民の護りとなり、励ましとなり臨在の証しとなったのです。
この姿・証しは、私達の信仰生活の長い道のり(御国に至るまで)の保障ともなる、物語ではないでしょうか。
                 ハレルヤ‼️
主は常に共に居ます御方です。
  ア~メン‼️
 ヨシュア記 4章15節~5章1節

4:15 【主】はヨシュアに告げられた。
4:16 「ヨルダン川から上がって来るよう、あかしの箱を担ぐ祭司たちに命じよ。」
4:17 それでヨシュアは祭司たちに「ヨルダン川から上がって来なさい」と命じた。
4:18 【主】の契約の箱を担ぐ祭司たちがヨルダン川の真ん中から上がって来て、祭司たちの足の裏が水際の乾いた陸地に上がったとき、ヨルダン川の水は元の場所に戻り、以前のように、川岸いっぱいに満ちて流れた。
4:19 さて、民は第一の月の十日にヨルダン川から上がって、エリコの東の境にあるギルガルに宿営した。
4:20 ヨシュアは、ヨルダン川から取ったあの十二の石をギルガルに積み上げ、
4:21 イスラエルの子らに言った。「後になって、あなたがたの子どもたちがその父たちに『この石はどういうものなのですか』と尋ねたときには、
4:22 あなたがたは子どもたちに『イスラエルは乾いた地面の上を歩いて、このヨルダン川を渡ったのだ』と知らせなさい。
4:23 あなたがたの神、【主】が、あなたがたが渡り終えるまで、あなたがたのためにヨルダン川の水を涸らしてくださったからだ。このことは、あなたがたの神、【主】が葦の海になさったこと、すなわち、私たちが渡り終えるまで、私たちのためにその海を涸らしてくださったのと同じである。
4:24 それは、地のあらゆる民が【主】の手が強いことを知るためであり、あなたがたがいつも、自分たちの神、【主】を恐れるためである。」

5:1 ヨルダン川の反対側、すなわち西側にいるアモリ人のすべての王たちと、海沿いにいるカナン人のすべての王たちは、【主】がイスラエル人の前で、彼らが渡り終えるまでヨルダン川の水を涸らしたことを聞くと、心が萎え、イスラエル人のゆえに気力を失ってしまった。
 2025年11月17日(月)リビングライフQT

主が共にいます‼️
これこそ、主の子供である私達の、信仰の中心であり、原点なのです。ヨルダン川西岸に辿り着き、あの大河のような、雨季のヨルダン川を、乾いた地のように渡った・・・と言う、前代未聞の経験の根底は、《神がイスラエル=゙私達゙と共に居られる》と言う告白以外の《なにもの》でもないです。
どんな合理的説明が付けられましょうか。100万人を超える老若男女・人口を遙かに超える無数の家畜・荷車・実際の生活道具・を携えて、川の中を歩いて渡ったのです。足元がぬかるんだり、水がしみ出したりしては、無理です。《乾いた地のように》渡ったのです。あの紅海の海底を渡った時のように❗
あの時は、民の全てが渡り終えた直後に、エジプトの最強の騎馬隊がそこに突入したら瞬く間に、底の砂が緩み、水がしみ出して馬の足が、濡れた砂に取られて次々倒れた騎馬隊の上から、海水が押し寄せ・・・・
今回も追っ手こそなかったですが、渡り終えると、何事もなかったように川の水は、ヨルダンの両岸を、ヒタヒタと包んだのです。
神は、私達と共にいまし、試練・危機・混乱・行き詰まり・絶望の最中にも、道を拓かれるお方なのです。
だから今が在るのではないでしょうか。
私の60年の伝道者生涯の中でも、真っ暗な中を手を引いてくださったお方が居られたから、今ここに在るのです。
何を恐れますか❓
何故、戸惑って、 後ろを振り返るのですか❓
あなたは何故、暗闇の中を手探りで模索するのですか❓
私達の成すべき事の、第一は・・・・
   ☆主が共にいます☆
と言う、現実(事実)の再発見なのです。
それを私達に教えてくれるのが、川底から持ち出した石による、神の臨在の証しなのです‼️
あなたの魂の旅路にこの石塚を、いつも持ちましょう。
     ☆神共にいます☆
 ヨシュア記 5章2節~15節

5:2 そのとき、【主】はヨシュアに告げられた。「火打石の小刀を作り、もう一度イスラエルの子らに割礼を施せ。」
5:3 ヨシュアは自ら火打石の小刀を作り、ギブアテ・ハ・アラロテでイスラエルの子らに割礼を施した。
5:4 ヨシュアが割礼を施した理由はこうである。エジプトを出たすべての民のうち男子、すなわち戦士たちはすべて、エジプトを出てから途中で荒野で死んだ。
5:5 出て来た民はみな割礼を受けていたが、エジプトを出てから途中で荒野で生まれた民はみな、割礼を受けていなかった。
5:6 イスラエルの子らは四十年間荒野を歩き回り、その間に民全体が、すなわちエジプトを出た戦士たち全員が、死に絶えてしまったからである。彼らが【主】の御声に聞き従わなかったので、私たちに与えると【主】が彼らの父祖たちに誓った地、乳と蜜の流れる地を、【主】は彼らには見せないと誓われたのである。
5:7 そして、息子たちを彼らに代わって起こされた。ヨシュアは彼らに割礼を施したのである。彼らが途中で割礼を受けておらず、無割礼だったからである。
5:8 民はみな割礼を受けると、傷が治るまで宿営の自分たちのところにとどまった。
5:9 【主】はヨシュアに告げられた。「今日、わたしはエジプトの恥辱をあなたがたから取り除いた。」それで、その場所の名はギルガルと呼ばれた。今日もそうである。
5:10 イスラエルの子らはギルガルに宿営し、その月の十四日の夕方、エリコの草原で過越のいけにえを献げた。
5:11 過越のいけにえを献げた翌日、彼らはその地の産物、種なしパンと炒り麦を、その日のうちに食べた。
5:12 マナは、彼らがその地の産物を食べた翌日からやみ、イスラエルの子らがマナを得ることはもうなかった。その年、彼らはカナンの地で収穫した物を食べた。
5:13 ヨシュアがエリコにいたとき、目を上げて見ると、一人の人が抜き身の剣を手に持って彼の前方に立っていた。ヨシュアは彼のところへ歩み寄って言った。「あなたは私たちの味方ですか、それとも敵ですか。」
5:14 彼は言った。「いや、わたしは【主】の軍の将として、今、来たのだ。」ヨシュアは顔を地に付けて伏し拝み、彼に言った。「わが主は、何をこのしもべに告げられるのですか。」
5:15 【主】の軍の将はヨシュアに言った。「あなたの足の履き物を脱げ。あなたの立っている所は聖なる場所である。」そこで、ヨシュアはそのようにした。
 2025年11月18日(火)リビングライフQT

イスラエルの民の再契約・・・成人としてエジプトを出た(割礼を受けた)男子は、荒野の生活と旅路の中で、ことごとく命を失ったとは、何と過酷(自然環境だけではなく、神への反抗と、荒野の民との交戦による)な結果でしょう。
今や、カナンの地との境界のヨルダン川を渡ったことにより、民は新しい段階に入ったのです。世代が変わり、長い旅路の中で、イスラエルのアイデンティティーでもある、神との契約の徴(しるし)である、《割礼》が行われていなかったのです。
神はこの民を今新たに、御自分の愛する民として、世界の民の救いの土台として、再契約するためにも、新たな関係の徴(しるし)として、割礼の実施を、求められたのです。
何と言う神の恩寵でしょう。
神の選びと選任は、その人・その民・・・の忠誠度、
神への服従の素晴らしさによるのではなく・・・神御自身が選ばれた‼️ただこの一つの理由以外には、選びの理由・選びの原因はないのです。
ですから、この選びに対して、私達は何を持って応えられるのでしょう。ただひれ伏し従うのみなのです。
《割礼》は、神が選んだ者に徴(しるし)を与えて、『御自身のもの』と宣言されるものなのです。
私達クリスチャンは、イエスキリスト様の十字架の血を、魂に受け(信じ)、その徴(しるし)が、割礼に勝る、輝きとなってこの世に証しされるのです。
マナが降るのが止み、ヨシュアは今新たに、神の軍の《将》の前にひれ伏し、新しい時代のスタートラインに、立ったのです。
15節の『・・あなたの立っている所は聖なる場所である。・・・』
今や新しい関係に入るにあたって神は、直にヨシュアと対面されたのです。
ちょうど、かつてエジプトを逃れたモーセが、シナイ山で、神の光に打たれ時のように‼️
私達のクリスチャン生活の中で、この様な神聖な出会いの経験を、与えられたらどんなにす素晴らしいことでしょうね。
日毎の、主とのデボーションの時…
主はあなたを待っておられます。‼️
 ヨシュア記 6章1節~14節

6:1 エリコはイスラエルの子らの前に城門を堅く閉ざして、出入りする者はいなかった。
6:2 【主】はヨシュアに告げられた。「見よ、わたしはエリコとその王、勇士たちをあなたの手に渡した。
6:3 あなたがた戦士はみな町の周りを回れ。町の周囲を一周せよ。六日間そのようにせよ。
6:4 七人の祭司たちは七つの雄羊の角笛を手にして、箱の前を進め。七日目には、あなたがたは七回、町の周りを回り、祭司たちは角笛を吹き鳴らせ。
6:5 祭司たちが雄羊の角笛を長く吹き鳴らし、あなたがたがその角笛の音を聞いたら、民はみな大声でときの声をあげよ。そうすれば町の城壁は崩れ落ちる。民はそれぞれ、まっすぐに攻め上れ。」
6:6 ヌンの子ヨシュアは祭司たちに呼びかけた。「契約の箱を担ぎなさい。七人の祭司たちは七つの雄羊の角笛を持ち、【主】の箱の前を進みなさい。」
6:7 そして民に言った。「進んで行き、町の周りを回りなさい。武装した者たちは【主】の箱の前を進みなさい。」
6:8 ヨシュアが民にそう言ったとき、七人の祭司たちは、七つの雄羊の角笛を持って【主】の前を進み、角笛を吹き鳴らした。【主】の契約の箱はそのうしろを進み、
6:9 武装した者たちは、角笛を吹き鳴らす祭司たちの前を行き、しんがりは角笛を吹き鳴らしながら箱のうしろを進んだ。
6:10 ヨシュアは民に命じた。「あなたがたはときの声をあげてはならない。声を聞かせてはならない。口からことばを出してはならない。『ときの声をあげよ』と私が言うその日に、ときの声をあげよ。」
6:11 こうして【主】の箱は町の周りを回り、その周囲を一周した。彼らは宿営に帰り、宿営で夜を過ごした。
6:12 翌朝ヨシュアは早く起き、祭司たちは【主】の箱を担いだ。
6:13 七人の祭司たちは、七つの雄羊の角笛を持って【主】の箱の前を進み、角笛を吹き鳴らした。武装した者たちは、彼らの先頭に立って行き、しんがりは角笛を吹き鳴らしながら【主】の箱のうしろを進んだ。
6:14 彼らは二日目も町の周りを一周回り、宿営に帰った。六日間そのようにした。
 2025年11月19日(水)リビングライフQT

いよいよ、エリコ攻略への道筋です。
ギルガルに宿営した、イスラエルの民は、主なる神の次の指示を待つ間、エリコは、恐怖に包まれて、城壁の中に身を潜め、イスラエルの動向に神経をとがらせていたでしょう。古代都市エリコの発掘が成されて解ったことは、城壁は二重に巡らされ、その高さは9~10mにもなる堅牢な、土のレンガの積み重ねたもので、非常に頑丈な造りでした。
城壁を突き崩す、攻撃の道具も、城壁に掛ける梯子もないまま、イスラエルはどうやって、この町を占領できるのでしょう。
テキストでは、これからの具体的作戦に関しての、導きは一切示されないまま、彼等に示された神の指示は、闘いの兵士だけで、隊列を組み、神の臨在の徴である、あの、ヨルダン川の河底に留まった、神の箱を、祭司が担いで前後を護らせて、先頭を進み、兵士がその後に続き、一日一回り(約4km)・・・それを六日続けたのです。
城壁の周りを一日黙々と回るだけですから、数日経てば、エリコの軍も、城壁の上から矢を射かければ、イスラエルの勢力を削ぐことが出来ることは、目に見えていたのです。
しかし、彼等は何もしないまま、6日間が経過しました。
何も書かれない記録の行間に、神の完全な保護と導きとが、語られているのです。
私達の信仰生活も又、全てが整えられた中、勇んで・・・安心して進んできたのではないのです。ただ従ってきたのです。
イスラエルの民のように。
信仰生活は、神の導きと御言葉に従って、歩む道なのです。
今日もその道を歩みましょう。
 ヨシュア記 6章15節~27節

6:15 七日目、朝早く夜が明けかかるころ彼らは起き、同じようにして町の周りを七周回った。この日だけは町の周りを七周回った。
6:16 七周目に祭司たちが角笛を吹き鳴らしたとき、ヨシュアは民に言った。「ときの声をあげよ。【主】がこの町をあなたがたに与えてくださったからだ。
6:17 この町とその中にあるすべてのものは【主】のために聖絶せよ。遊女ラハブと、その家にともにいる者たちだけは、みな生かしておけ。彼女は私たちが送った使いたちをかくまってくれたからだ。
6:18 あなたがたは聖絶の物には手を出すな。あなたがた自身が聖絶されないようにするため、すなわち、聖絶の物の一部を取ってイスラエルの宿営を聖絶の物とし、これにわざわいをもたらさないようにするためである。
6:19 ただし、銀や金、および青銅や鉄の器はすべて【主】のために聖別されたものである。それらは【主】の宝物倉に入れよ。」
6:20 民はときの声をあげ、祭司たちは角笛を吹き鳴らした。角笛の音を聞いて民が大声でときの声をあげると、城壁は崩れ落ちた。そこで民はそれぞれ、まっすぐに攻め上り、その町を攻め取り、
6:21 町のものをすべて、男も女も若者も年寄りも、また牛、羊、ろばも剣の刃で聖絶した。
6:22 ところで、ヨシュアはこの地を偵察した二人の男に言った。「あの遊女の家に行き、あなたがたが彼女に誓ったとおり、その女とその女に連なるすべての者を連れ出しなさい。」
6:23 偵察した若者たちは行って、ラハブとその父、母、兄弟、彼女に連なるすべての者を連れ出した。彼女の親族をみな連れ出し、イスラエルの宿営の外にとどめておいた。
6:24 彼らはその町とその中にあるすべてのものを火で焼いた。銀や金、および青銅や鉄の器だけは【主】の家の宝物倉に納めた。
6:25 しかし、遊女ラハブと、その一族と、彼女に連なるすべての者をヨシュアが生かしておいたので、彼女はイスラエルの中に住んで今日に至っている。エリコを偵察させようとしてヨシュアが送った使いたちを、彼女がかくまったからである。
6:26 ヨシュアは、そのとき誓った。「この町エリコの再建を企てる者は【主】の前にのろわれよ。その礎を据える者は長子を失い、その門を建てる者は末の子を失う。」
6:27 【主】がヨシュアとともにおられたので、彼のうわさはこの地にあまねく広まった。
 2025年11月20日(木)リビングライフQT

壮大なスケールのエリコの闘いです。私はこの記録を読む度に思うのは、数千年に亘って、覇権を誇った都市国家エリコが、一瞬にして崩壊した、スペクタクルな、イスラエルの勝利‼️なのではなく、7日間、黙々(最後の日には7回巡った・・・)と、数十万の武装した兵士が、城壁の周りを、黙々と巡った・・・と言う事実に、心引かれ、様々な想いを心に思い巡らすのです。そして、その中から辿り着くのは、数十万の兵士が一糸乱れず、ただヨシュアの命令・・・・・
そしてその背後に居ますイスラエルの神(今日まで導かれたモーセ・ヨシュアの神)を、心から信じ従った・・・と言う事実なのです。これがエリコに勝利した・あの堅牢な、高さ10m  幅数mもある、城壁が、一瞬にして崩壊する、源となったという事実です。
数十万の兵士の鬨の声(ときの声)が、崩壊の力となりましょうか?・・・
全能の神の能力(力)が、これを成し遂げられたのです。
思いもかけない方法で・・・人の予期しない方法で・・・
主の御手に与ることは何と、素晴らしいことでしょう。ハレルヤ‼️
今一つ、この大混乱の中で、遊女ラハブと、その家族・親族が、護られ、遂にはイスラエルの、民の中に加えられた(それから一千年以上も経た後の、救い主イエス・キリスト様の御降誕の家系に加えられた‼️)と言う史実の原点となったのです。
この事についての、コメントをある方(リビングライフQTの愛読者のおひとり)から頂いたものを、今朝の事態に合わせて、許可を頂いているので、転載させて頂きます。

これは、13日のヨシュア記2章18節の、赤い紐・・・に関する史実です
「赤いひも」が印となり、救われる。

『ここを読みながら、あの、エジプトでの災いの時、子羊の血を塗っていれば救われた過越の出来事を思いました。
そして、それが、イエス様の十字架の血潮の雛形となっていることを知る者として、改めて、この表現は、主が救われる者の印となっていることがわかりました』

この文章は、完璧なコメントです。深く感銘を受けました。ハレルヤ‼️

あなたの魂には、主イエス様の、あの流された赤い血が、塗られて(信じ受け入れて)いますか?
 ヨシュア記 7章1節~15節

7:1 しかし、イスラエルの子らは聖絶の物のことで主の信頼を裏切った。ユダ部族のゼラフの子ザブディの子であるカルミの子アカンが、聖絶の物の一部を取った。それで、【主】の怒りがイスラエルの子らに向かって燃え上がった。
7:2 ヨシュアは部下をエリコからベテルの東、ベテ・アベンの近くにあるアイに遣わし、彼らに言った。「上って行って、あの地を偵察せよ。」部下たちは上って行って、アイを偵察した。
7:3 彼らはヨシュアのもとに帰って来て言った。「民をみな上って行かせるには及びません。二、三千人ぐらいを上らせて、アイを討たせるとよいでしょう。彼らはわずかですから、民をみな送って骨折らせるには及びません。」
7:4 そこで民のうち、およそ三千人がそこに上って行ったが、彼らはアイの人々の前から逃げた。
7:5 アイの人々は彼らの中の三十六人を打ち殺し、彼らを門の前からシェバリムまで追って、下り坂で彼らを討った。民の心は萎え、水のようになった。
7:6 ヨシュアは衣を引き裂き、イスラエルの長老たちとともに、【主】の箱の前で夕方まで地にひれ伏し、自分たちの頭にちりをかぶった。
7:7 ヨシュアは言った。「ああ、【神】、主よ。あなたはどうして、この民にヨルダン川をあえて渡らせ、私たちをアモリ人の手に渡して滅ぼそうとされるのですか。私たちは、ヨルダンの川向こうに居残ることで満足していたのです。
7:8 ああ、主よ。イスラエルが敵の前に背を見せた今となっては、何を申し上げることができるでしょう。
7:9 カナン人やこの地の住民がみな、これを聞いて私たちを攻め囲み、私たちの名を地から断ってしまうでしょう。あなたは、あなたの大いなる御名のために何をなさるのですか。」
7:10 【主】はヨシュアに告げられた。「立て。なぜ、あなたはひれ伏しているのか。
7:11 イスラエルは罪ある者となった。彼らはわたしが命じたわたしの契約を破った。聖絶の物の一部を取り、盗み、欺いて、それを自分のものの中に入れることまでした。
7:12 だから、イスラエルの子らは敵の前に立つことができず、敵の前に背を見せたのだ。彼らが聖絶の者となったからである。あなたがたの中から、その聖絶の物を滅ぼし尽くしてしまわないなら、わたしはもはやあなたがたとともにはいない。
7:13 立て。民を聖別せよ。そしてこう言え。あなたがたは、明日のために自らを聖別しなさい。イスラエルの神、【主】がこう告げられるからだ。『イスラエルよ、あなたの中に聖絶の物がある。あなたがたがその聖絶の物を、あなたがたの中から取り除くまでは、敵の前に立つことができない。
7:14 明日の朝、部族ごとに進み出よ。【主】がくじで取り分ける部族は氏族ごとに進み出、【主】がくじで取り分ける氏族は家族ごとに進み出、【主】がくじで取り分ける家族は男一人ひとり進み出よ。
7:15 聖絶の物のことでくじで取り分けられた者は、彼も彼に属するすべてのものも、火で焼かれなければならない。彼が【主】の契約を破ったからであり、彼がイスラエルの中で恥辱となることをしたからである。』」
 2025年11月21日(金)リビングライフQT

    ☆二つの失敗☆
完全な‼️神の闘いだった、エリコの勝利は、終始、一糸乱れずに神に従った、イスラエルの民の、信仰と、服従の《実》だったのです。
イスラエルの民の、これからのカナンの地での試金石ともなる、エリコの完璧(❓)な勝利は、イスラエルの、試金石ともなるものでした。
所が、エリコの勝利に勢いついたイスラエルは、民から指導者に到るまで、次の街《アイ》の偵察の結果に対し、報告者は、エリコの勝利への思いと興奮が覚めやらないままでしたのでしょう・・・この闘いは民を皆、上っていかせるには及びません‼️・・・との報告を真に受けて、指導者自身も、僅かな手勢で、アイに向かったのです。
勝利に酔いしれる・・・その心情は、正に、神の前に傲慢を装ってしまったのです。
『あの小さな町は全力でなく、3000人もあったら良いでしょう。・・・』
この意見は、経験上からは妥当だったでしょう。作戦的にも、それ程、手抜きだったわけでもありませんでした。
しかし、この《アイ》の町の攻略は、未だかつて無かった、イスラエルの大切なポイントを見落としていたのです。
それは➡《これは主の闘いである》と言う、エジプ~トを出てから一度も揺るがせにしなかった信仰です。それが今回の《アイ》攻略に関しては、経験上の概念、図面上(作戦上)の、バランス感覚・・・が、強く働き・・
《これは神の働き!》と言う考えが希薄❓・・・或(真顔)いは常識的に、作戦として、動いたのでしょう。
最早この局面を見るならば、神の働き‼️ではなく、力を付けた❗イスラエルの自力の闘いとなったのです。
・・・・・・私達は、どんなに経験を積んでも、認められても、力を得ても・・・神が伴に在る‼️
これこそが、信仰(クリスチャン)の、確信なのです。
ヨシュア自身でさえ、気が付かないまま《アイ》の闘いに大敗したことの意味を理解しかねて、神に訴えて初めて、隠れた罪のあることを知り、再び神の前に跪くのです。
これから展開するのは、神の国の再構築の為の、神の御手の業への、服従なのです。
神に創られた者が、神と共に生きるのは、神の手の中に生きることなのです。其処にこそ《平安》が約束されているのです。ア~メン‼️
 ヨシュア記 7章16節~26節

7:16 翌朝ヨシュアは早く起き、イスラエルを部族ごとに進み出させた。ユダ部族がくじで取り分けられた。
7:17 ユダの諸氏族を進み出させると、ゼラフ人の氏族がくじで取り分けられた。ゼラフ人の氏族を男一人ひとり進み出させると、ザブディがくじで取り分けられた。
7:18 ザブディの家族を男一人ひとり進み出させると、ユダ部族のゼラフの子ザブディの子カルミの子のアカンが、くじで取り分けられた。
7:19 ヨシュアはアカンに言った。「わが子よ。イスラエルの神、【主】に栄光を帰し、主に告白しなさい。おまえが何をしたのか、私に告げなさい。私に隠してはいけない。」
7:20 アカンはヨシュアに答えた。「確かに、私はイスラエルの神、【主】に対して罪を犯しました。私は次のようなことをしました。
7:21 私は分捕り物の中に、シンアルの美しい外套一着と、銀二百シェケルと、重さ五十シェケルの金の延べ棒一本があるのを見て欲しくなり、それらを取りました。それらは今、私の天幕の中の地面の下に隠してあり、銀もそこにあります。」
7:22 そこでヨシュアは使いたちを送った。彼らは天幕に走って行った。すると、それらはアカンの天幕に隠されていて、銀もその下にあった。
7:23 使いたちはそれらを天幕の中から取り出し、ヨシュアとすべてのイスラエルの子らのところに持って来て、【主】の前に置いた。
7:24 ヨシュアは全イスラエルとともに、ゼラフの子アカンと銀、外套、金の延べ棒、および彼の息子、娘、牛、ろば、羊、天幕、それに彼のすべての所有物を取って、アコルの谷へ運んだ。
7:25 ヨシュアは言った。「なぜ、おまえは私たちにわざわいをもたらしたのか。【主】は今日、おまえにわざわいをもたらされる。」全イスラエルは彼を石で打ち殺し、彼の所有物を火で焼き、それらに石を投げつけた。
7:26 人々はアカンの上に石くれの大きな山を積み上げた。今日もそのままである。【主】は燃える怒りを収められた。それで、その場所の名はアコルの谷と呼ばれた。今日もそうである。
 2025年11月22日(土)リビングライフQT

民の中に、異邦の町を征服するとき、彼等が偶像と罪に満ちた生活の中で、蓄積した価値全てが、神の清さと程遠い世界の営みと、文化に浸かったものだから、それらをことごとく、焼き亡ぼさねばならない
これが《聖絶》と指定された、カナン征服の原点でした。この地を神に支配された、聖なる地として再建することが、イスラエルの民に課せられた、神からの務めだったのです。
その為の、神によるチェックは、予断を許さない、《絶対》の基準でした。イスラエルの民は、それを周知していたのです。
神の厳命には、予断は有り得ないのです。それはイスラエルの民は、40年の荒野の旅路の生活の中で、魂と心に刻まれてきたのです。
それが、『選民』としてのアイデンティティとなっていたのです。最初に遭遇した、エリコとの闘いで、民はそれを実地に経験させられたのです。彼等は『イスラエルの神の闘いだ‼️』と魂に叫びながら、神とともに行動したのです。
逃げ出したエリコの人々の家には、金・銀・宝・毛皮製品・貴重な織物(三千五百年前の古代世界です)がありました。流浪の生活に代を重ねたイスラエルにとっては、目の前の全てが、誘惑でした。エリコの民の殲滅以上に、自分の内なる欲との闘いが、エリコの闘いの過酷さだったと、言えるかも知れません。
そんな中で起こった、たった一人の魂の敗北者の行動が、アイとの戦いで、36人の戦死者を出す結果となったのです。
※エリコの闘いでは、一人の死者も記録されていないのに・・・です。
隠された罪が、神の前には、隠しおおせないのです。
アカンは、長い詮索が続けられる間、最後まで隠しおおせようとしたのです。
神を畏れないアカンの姿は、愚かしくも哀しい姿ですね。最早゙悔い改め゙の道は閉ざされていたのです。
容赦ない裁きの石塚が、後の世代までも・・・
民は石を投げながら、深く魂に神に従う、深い重さを、魂に刻んだのでしょう。
この投石は、アカンに対すること以上に自らの魂に深く、神への信仰と忠誠を、刻んだことでしょう。
悔い改めは、新しい勝利の道への、道標となりましょう。
そこから勝利と平安と歓びが湧いてくるのです。その様なあなたを、私を、主は求めて居られます‼️ハレルヤ‼️
 ヨシュア記 8章1節~9節

8:1 【主】はヨシュアに言われた。「恐れてはならない。おののいてはならない。戦う民をすべて率い、立ってアイに攻め上れ。見よ、わたしはアイの王と、その民、その町、その地をあなたの手に与えた。
8:2 あなたがエリコとその王にしたとおりに、アイとその王にもせよ。その分捕り物と家畜だけは、あなたがたの戦利品としてよい。あなたは町の裏手に伏兵を置け。」
8:3 そこでヨシュアは戦う民すべてとともに、アイに上って行くために立ち上がった。ヨシュアは三万人の勇士を選んで夜のうちに派遣し、
8:4 彼らに命じた。「見よ、あなたがたは町の裏手から町に向かう伏兵だ。町からあまり遠く離れないで、みな身構えていなさい。
8:5 私と、私とともにいる兵はみな町に近づく。アイの人々がこの前と同じように、私たちに立ち向かって出て来たら、私たちは彼らの前から逃げることにする。
8:6 彼らは私たちを追って出て来るので、私たちは彼らを町からおびき出すことになる。彼らは『この前と同じように、われわれの前を逃げて行く』と言うだろうから。私たちは彼らの前で逃げることにする。
8:7 あなたがたは伏せているところから立ち上がり、町を占領せよ。あなたがたの神、【主】がその町をあなたがたの手に渡される。
8:8 その町を攻め取ったら、その町に火を放て。【主】のことばどおりに行うのだ。見よ、私はあなたがたに命じる。」
8:9 ヨシュアは彼らを派遣し、彼らは待ち伏せの場所へ行き、ベテルとアイの間、アイの西側にとどまった。ヨシュアはその夜、兵とともに夜を過ごした。
 2025年11月23日(日)リビングライフQT

最初のアイの町の闘いの敗北の原因は、何だったのでしょう。
それは、アカンの 盗みの罪だけではないのです。
読み直してみてください。大切なことが欠落していたのです。
アイに潜入した斥候の、報告と意見が・・・
民の全軍を遣わすには及びません。3000人も遣わせば、アイの町は、ひとたまりもありません…との報告でした。
節を追ってみると、ヨシュアが、主に祈り問いかけることがないまま、一気にアイに突入したのです。
主に問いかけていれば、アカンの 隠れた罪は、事前に処理されたでしょう。無駄に戦死者も出さなくて済んだのです。
この教訓は非常に重いものとなりました。
ヨシュアは改めて神の前に出ました。・・・・
どんなに些細なことに関しても先ず、主に問う(祈る)‼️ここから、勝利への道が始まるのです。
侮ってはなりません。私達の人生の闘いは、サタンとの闘いなのです。経験や学びや状況判断で、霊の闘いは勝利には導かれないのです。
ヨシュアは、先の敗北の闘いに選んだ兵士の数の10倍の、三万人を選び出して、闘いに備えたのです。
それにも増して、主なる神御自身が、闘いの策略を教え導かれました。
あの敗北の将ヨシュアは、今や勝利を確信して『あなた方の神、主がその町をあなた方の手に渡される。』と宣言して、彼等を戦陣へ送り出したのです。
何と力強い一瞬でしょう‼️
最早勝利は、手中に在り❗ですね。
この物語は、昔の物語ではなく、その基本的な姿は、いまのわたしたちの日常の、信仰生活に不可欠な、教えそのものですね。
祈に始まり祈に終わる‼️
これが私達クリスチャンの、日常のあるべき姿なのです。
 ヨシュア記 8章10節~23節

8:10 翌朝ヨシュアは早く起きて、兵を召集し、イスラエルの長老たちとともに、兵の先頭に立ってアイに上って行った。
8:11 彼とともにいた戦う民はみな、上って行った。彼らは町の前に近づき、アイの北側に陣を敷いた。彼とアイの間には谷があった。
8:12 彼は約五千人を取り、ベテルとアイの間、町の西側に伏兵として配置した。
8:13 兵は町の北側に全陣営を置き、町の西側にはその後陣を置いた。ヨシュアはその夜、谷の中に下って行った。
8:14 アイの王がそのことに気づくと、町の男たち、王とその兵はみな、急いで朝早く起き出し、イスラエルに立ち向かって戦うために、アラバの手前の決めておいた場所に出て来た。しかし、王は町の裏手に伏兵がいることを知らなかった。
8:15 ヨシュアと全イスラエルは彼らの前で打たれるふりをし、荒野への道を逃げた。
8:16 アイにいた兵はみな彼らの後を追うために呼び集められ、ヨシュアを追撃し、町から誘い出された。
8:17 そのため、イスラエルの後を追って出なかった者は、アイとベテルに一人もいなかった。彼らは町を開け放しのまま捨てておいて、イスラエルを追撃した。
8:18 【主】はヨシュアに告げられた。「あなたの手にある投げ槍をアイの方に伸ばせ。わたしがアイをあなたの手に渡すから。」ヨシュアは手にある投げ槍を町の方に伸ばした。
8:19 すると、伏兵はすぐその場所から立ち上がった。ヨシュアが手を伸ばすやいなや彼らは走り、町に入ってそれを攻め取り、ただちに町に火を放った。
8:20 アイの人々はうしろを振り返って見た。すると、町の煙が天に立ち上っていて、彼らには、どちらにも逃げる手立てがなかった。荒野へ逃げていたイスラエルの兵は、追って来た者たちの方に向き直った。
8:21 ヨシュアと全イスラエルは、伏兵が町を攻め取り、町の煙が立ち上るのを見たので、引き返してアイの人々を討った。
8:22 伏兵たちは町から出て来て彼らに向かった。そのため彼らは両側からイスラエルの挟み撃ちにあった。ヨシュアたちは、彼らを打ち殺し、生き残った者も、逃れた者も一人も残されないまでにした。
8:23 しかし、アイの王は生け捕りにして、ヨシュアのもとに連れて来た。
 2025年11月24日(月)リビングライフQT

この記録は、戦記物として見れば、何と痛快なまでの、完勝の記録(明日にまで続きます)ですが、人道的な感性でこれを見る人には、何と憐れみのない、神の成せる業だろう・・・❓と、心悼めるでしょう。神のなされるこの道を《聖絶》と言う言葉で、顕されて います。
これは、人類が如何に、創造主なる神から離れて、草や木・動物・奇岩・不思議現象・高い山・神秘的な場所や現象・・・・
これ等を神・神々として、信仰の対象にし、礼拝をしたり、祭ったりする人間の愚かさを、如何に、創造主にして唯一の永遠なる御方《神》は、悲しんでおられるか・・怒っておられるかが、この様なかたちで、歴史に顕されたのです。
神の愛による創造と、生かされ・赦されている現実への・・・、無秩序な人々の営みへの、神御自身の、悲しみとお怒りのお心の顕れなのです。
その様な中から選ばれた民・アブラハムに源を発する《イスラエル》の民を通して、このカナンの地を、真の創造者なる神の支配する、世界を建て挙げ、そこから全地に、全能にして、創造者なる神の支配する、新しい世界を生み出すための闘いとなるのです。
このカナンの地は、かつてアブラハムに始まるイスラエル全家族(12人の息子達聖家族)の、聖地だったのです。
その様な視点を持って、ここからヨシュア記の興亡の歴史を見て頂きましょう。
同時に、私達の魂の領域にも、眼を注ぎ、真の神以外に、自らの魂を埋めるもの(神の愛以上に大切な存在)が支配していないか・・・❓を、注意してみましょう。
自らの内をも《聖絶》すべきものがないかを、御霊により開いて頂きましょう。
 ヨシュア記 8章24節~35節

8:24 イスラエルがアイのすべての住民を野で、すなわち彼らが追って来た荒野で殺したとき、アイの住民はみな一人残らず剣の刃に倒れた。全イスラエルはアイに引き返し、町を剣の刃で討った。
8:25 その日、倒れた者は男女合わせて一万二千人、アイのすべての人々であった。
8:26 ヨシュアはアイの住民をことごとく聖絶するまで、投げ槍を差し出した手をもとに戻さなかった。
8:27 イスラエルは【主】がヨシュアに命じられたことばのとおり、その町の家畜と分捕り物だけを自分たちの戦利品とした。
8:28 ヨシュアはアイを焼き、永久に荒れ果てた丘とした。今日もそうである。
8:29 さらに、ヨシュアはアイの王を夕方まで木にかけてさらし、日の入るころ人々に命じた。それで彼らはその死体を木から降ろし、町の門の入り口に投げ捨て、その上に大きな石塚を積み上げた。今日もそうである。
8:30 それからヨシュアはエバル山に、イスラエルの神、【主】のために一つの祭壇を築いた。
8:31 それは、【主】のしもべモーセがイスラエルの子らに命じたとおり、またモーセの律法の書に記されているとおり、鉄の道具を当てない自然のままの石の祭壇であった。彼らはその上で【主】に全焼のささげ物を献げ、交わりのいけにえを献げた。
8:32 ヨシュアはその場所で、モーセがイスラエルの子らの前で書いた律法の写しを、石の上に書いた。
8:33 全イスラエル、その長老たち、つかさたち、さばき人たちは、寄留者もこの地で生まれた者も同様に、【主】の契約の箱を担ぐレビ人の祭司たちの前で、箱のこちら側と向こう側とに分かれ、半分はゲリジム山の前に、もう半分はエバル山の前に立った。それは【主】のしもべモーセが以前命じたように、イスラエルの民を祝福するためであった。
8:34 その後、ヨシュアは、みおしえの書に記されているとおりに、律法のすべてのことばを、祝福ものろいも読み上げた。
8:35 モーセが命じたすべてのことばの中で、ヨシュアが、イスラエルの集会全体、および女と子どもたち、および彼らの間で生活する寄留者の前で読み上げなかったことばは、一つもなかった。
 2025年11月25日(火)リビングライフQT

エリコに続くアイの町の殲滅勝利は、
イスラエルの民にとっては、これからのカナンの地征服の、試金石となる、神の導きと教訓となりました。イスラエルに立ち向かう者は、イスラエルの神に闘いを挑むものだと言うことを、カナンの地全域に知らしめる、時となったのです。
家畜と貴金属以外は、生きとし生ける全ての命が、絶やされ、其処に新たに、ただ創造主なる神を信じ信頼するイスラエルの民が、新たにこの地に、理想世界(神が求められた《神の国》)を創り出す、新しい出発が成されたのです。
その出発は、モーゼが神の山(シナイ山)で神から頂いた十戒を初め、これから永遠に開かれる命の世界の、護るべき神からの教え(律法)を、すべての民に読んで聞かせたのです。神の箱(十戒が収められた)を、創造主なる神の臨在の象徴として、その臨在を民は二手に分かれて向き合い、神の面前に立つ者として、粛粛と、一言も聞き漏らさないようにと、心を傾けたのです。
この様な民が、かって、これからも居たでしょうか‼️
これがイスラエルなのです。彼等は、正に神の民、選びの民なのです。
実は、今朝、私達はこの民のように、神の御子イエス・キリスト様の、あの❗十字架の御血で、罪許されて、神の民とされたことを、新たに魂に刻み、思い巡らして欲しいのです。
同じように神の民として、選ばれた者として、主の教えを魂に刻んで、日毎に、神の前に立つ、聖徒でありたいですね。
日毎に学ぶ聖書の黙想、それがあなたを神に選ばれた《聖徒》として、世界に福音の輝きを示すのです。その為に、日毎に攻めてくる、罪と誘惑の嵐に、敢然と立ち向かい、これ等を聖絶しながら、神の国の領域を、拡げる闘いに、用いられて参りましょう。
主イエス・キリストがあなたの、将として、勝利へと導いて下さいます。
我らは、常に勝利・勝利
我らは、常に勝利❗
世に勝ちませる   主、共に在(マ)せば・・・
我らは遂に勝利‼️
            新聖歌 459 番
 ヨシュア記 9章1節~15節

9:1 さて、ヨルダン川の西側の山地、シェフェラ、レバノンに至る大海の全沿岸のヒッタイト人、アモリ人、カナン人、ペリジ人、ヒビ人、エブス人の王たちはみな、これを聞くと、
9:2 ともに集まり、一つになってヨシュアおよびイスラエルと戦おうとした。
9:3 ギブオンの住民たちは、ヨシュアがエリコとアイに対して行ったことを聞くと、
9:4 彼らもまた策略をめぐらし、変装をした。古びた袋と、古びて破れて継ぎ当てをしたぶどう酒の皮袋をろばに負わせ、
9:5 繕った古い履き物を足にはき、古びた上着を身に着けた。彼らの食糧のパンはみな乾いて、ぼろぼろになっていた。
9:6 彼らはギルガルの陣営のヨシュアのところに来て、彼とイスラエルの人々に言った。「私たちは遠い国から参りました。ですから今、私たちと盟約を結んでください。」
9:7 イスラエルの子らはそのヒビ人たちに言った。「おそらく、あなたがたは、私たちのただ中に住んでいるのだろう。どうして私たちがあなたがたと盟約を結べるだろうか。」
9:8 彼らはヨシュアに言った。「私たちは、あなたのしもべです。」ヨシュアは彼らに言った。「あなたがたは何者か。どこから来たのか。」
9:9 彼らは彼に言った。「しもべどもは、あなたの神、【主】の名のゆえにとても遠い国から参りました。主のうわさ、および主がエジプトで行われたすべてのこと、
9:10 主がヨルダンの川向こうのアモリ人の二人の王、ヘシュボンの王シホン、およびアシュタロテにいたバシャンの王オグになさった、すべてのことを聞いたからです。
9:11 私たちの長老や、私たちの国の住民はみな私たちに言いました。『旅のための食糧を手にして彼らに会いに出かけなさい。そして彼らに、「私たちは、あなたがたのしもべです。今、どうか私たちと盟約を結んでください」と言いなさい。』
9:12 これが私たちのパンです。私たちがあなたがたのところに来ようと出た日、それぞれ自分の家で食糧として準備したときには、まだ温かかったのですが、今はご覧のとおり、干からびて、ぼろぼろになってしまいました。
9:13 これがぶどう酒の皮袋です。私たちがこれらを満たしたときには新しかったのですが、ご覧のとおり破れてしまいました。これが私たちの上着と私たちの履き物です。とても長い旅のため古びてしまいました。」
9:14 そこで人々は彼らの食糧の一部を受け取った。しかし、【主】の指示を求めなかった。
9:15 ヨシュアは彼らと和を講じ、彼らを生かしておく盟約を結んだ。会衆の上に立つ族長たちは彼らに誓った。
 2025年11月26日(水)リビングライフQT

イスラエルの民が、カナンの地に侵入し、エリコ・アイの二つの町を滅ぼしたことで、カナンの地全域に住む多くの民に、恐れが走った。そして、これらの民は結束し、イスラエルに対峙すべく、連合軍を結成したのです。
しかし、滅ぼされたアイの町からは、それ程離れていない、ギブオンの民は、イスラエルの民を通してエリコとアイに成された神の業を見て、恐れおののき、和平を講じるべく、偽りの演出を装い、ヨシュアの下にやって来ました。
この物語は、ギギブオンの人々の偽りの行為が問題なのではなく・・・

14節~しかし、主の指示を求めなかった

この一言の忠告となるのです。
《祈り》・・・祈りは、創造主なる神様・救い主イエス・キリスト様との、欠くことの出来ない、唯一の絆なのです。
☆この判断は正しい信仰的判断だ❗・・・・
長年信仰に培われてきた、知識・判断・信仰的常識・即決で出てくる決断と判断・・・信仰生活の日常で、遭遇する様々な行動の一歩に主の指示を求める《祈る》事を、落とすことが、信仰生活にどれほど危険か・・・を、今日のテキストは、示唆しています。
主に祈りましょう。
主に問い掛けましょう。
主に祈り、主の御思いと一つになることを求めましょう。
些細なことでも、私達の歩みは、神を知らない世界、異教と偶像に満ちた世界、自らの中に侵入してくる、罪の誘惑に満ちた世界の中での、営みなのですから。
☆主に祈りましょう
☆祈りで一日を始めましょう‼️
 ヨシュア記 9章16節~27節

9:16 彼らと盟約を結んでから三日たったとき、人々は彼らが近くの者たちで、自分たちのただ中に住んでいるということを聞いた。
9:17 そこでイスラエルの子らは出発し、三日目に彼らの町々に着いた。彼らの町々とはギブオン、ケフィラ、ベエロテ、およびキルヤテ・エアリムであった。
9:18 イスラエルの子らは彼らを討たなかった。会衆の上に立つ族長たちがイスラエルの神、【主】にかけて彼らに誓ったからである。しかし、全会衆は族長たちに向かって不平を言った。
9:19 族長たちはみな全会衆に言った。「私たちはイスラエルの神、【主】にかけて彼らに誓った。だから今、私たちは彼らに触れることはできない。
9:20 私たちは彼らにこうしよう。彼らを生かしておこう。そうすれば、私たちが彼らに誓った誓いのために、御怒りが私たちの上に下ることはないだろう。」
9:21 族長たちは全会衆に言った。「彼らを生かしておこう。」彼らは全会衆のために薪を割る者、水を汲む者となった。族長たちが彼らについて言ったとおりである。
9:22 ヨシュアは彼らを呼び寄せて、彼らに言った。「あなたがたは私たちのただ中に住んでいながら、なぜ、『私たちは、あなたがたからとても遠いところの者です』と言って私たちを欺いたのか。
9:23 今、あなたがたはのろわれる。あなたがたの中から、奴隷たち、私の神の家のために薪を割る者と水を汲む者が絶えることはない。」
9:24 彼らはヨシュアに答えた。「しもべどもは、はっきり知らされました。あなたの神、【主】がこの全土をあなたがたに与え、その地の全住民をあなたがたの前から根絶やしにするように、しもべモーセにお命じになったことを。それで私たちは、自分のいのちのことであなたがたを非常に恐れ、このようなことをしたのです。
9:25 ご覧ください。今、私たちはあなたの手の中にあります。あなたのお気に召すように、お目にかなうように私たちを扱ってください。」
9:26 ヨシュアは彼らが言うようにし、彼らをイスラエルの子らの手から救った。それで彼らは殺されなかった。
9:27 ヨシュアはその日、彼らを会衆のため、また【主】の祭壇のため、主が選ばれる場所で薪を割る者と水を汲む者とし、今日に至っている。
 2025年11月27日(木)リビングライフQT

イスラエルは、エリコのすぐ近く、1kmにも満たない場所゙ギルガル゙に宿営して、そこからエリコの城壁を廻っては帰り、又・・・と言う風にエリコを、攻略しました。
次の《アイ》の町は、約20km山地を登ったところでした。ですから作戦は、夜を徹して身を伏せる場所に隠れて、夜明けを待ち、攻撃と侵入を仕掛けたのです。
カナン各地に群雄割拠する、小王国の民は、既に、エジプト在住時に様々な奇跡を見せ、紅海を乾いた地のように渡り、砂漠の民を追い散らし、ヨルタンの東に住む、強力な民を平定し、雨季に川幅が拡がり、流れが深くなっている、ヨルダン川を百万を超える民が、乾いた地のように渡り、あの強大なエリコを瓦礫の山と化した・・・
この怒濤のように押し寄せる、イスラエルの民に対して、カナンの民は結束して、対峙しようとしたのです。
言い換えるなら、彼等は、神の主権と絶大な力と支配に対して、闘いを挑もうとしていたのです。
所が、キブオンの民は、神の民の勢いに畏れを持って伏し、この神の力の前に心低くして(彼等には、イスラエルを欺く以外の知恵はなかったのです)、イスラエルの神の前に身を臥して、全てを委ねたのです。
民はこれを受け容れ、隷属化することで、キブオンの民を懐柔したのです。
割礼のない民が、こうして、神の民の中に混じり込むことになったのです。
彼等は全く、内に策略を持たず、徹底して、イスラエルの民の配下に身を置き、生き延びたのです。
キブオンの民は生き残り、平和を勝ち取ったように見えました。
しかし後々イスラエルは、期せずして苦悩を抱えることとなる事には、気が付かなかったのです。

祈りを欠く・・・事から染みこむ秘かな汚染・・・・この事がやがて、民の純粋な創造主信仰に、汚染を拡げる結果を招くのです。
神の清(聖)さが、知らず知らずのうちに、人道主義(ヒューマニズ ム)の、憐れみ・慈しみ・・・に取って代わってしまうのです。
これからのイスラエルの歴史をしっかり見て参りましょう。
 ヨシュア記 10章1節~14節

10:1 エルサレムの王アドニ・ツェデクは、ヨシュアがアイを攻め取って、それを聖絶し、エリコとその王にしたようにアイとその王にもしたこと、またギブオンの住民がイスラエルと和を講じて、彼らのただ中にいることを聞いた。
10:2 彼とその民は非常に恐れた。ギブオンが王国の都の一つのように大きな町であり、またアイよりも大きく、そこの人々がみな勇士だったからである。
10:3 エルサレムの王アドニ・ツェデクはヘブロンの王ホハム、ヤルムテの王ピルアム、ラキシュの王ヤフィア、エグロンの王デビルに人を遣わして言った。
10:4 「私のところに上って来て、私を助けてください。ギブオンを討ちましょう。ギブオンがヨシュア、およびイスラエルの子らと和を講じたからです。」
10:5 それでアモリ人の五人の王、すなわち、エルサレムの王、ヘブロンの王、ヤルムテの王、ラキシュの王、エグロンの王、彼らとその全陣営は集結し、上って行ってギブオンに向かって陣を敷き、戦いを挑んだ。
10:6 ギブオンの人々はヨシュアのところ、ギルガルの陣営に人を遣わして言った。「しもべどもから手を引かないで、急いで私たちのところに上って来て、私たちを救い、助けてください。山地に住むアモリ人の王たちがみな、私たちに向かって集まっているのです。」
10:7 ヨシュアはすべての戦う民たちとすべての勇士たちとともに、ギルガルから上って行った。
10:8 【主】はヨシュアに告げられた。「彼らを恐れてはならない。わたしが彼らをあなたの手に渡したからだ。あなたの前に立ちはだかる者は彼らの中に一人としていない。」
10:9 ヨシュアは夜通しギルガルから上って行って、突然彼らを襲った。
10:10 【主】は彼らをイスラエルの前でかき乱された。イスラエルはギブオンで彼らを激しく討ち、ベテ・ホロンの上り坂を通って彼らを追い、アゼカとマケダに至るまで彼らを討った。
10:11 彼らがイスラエルの前から逃げて、ベテ・ホロンの下り坂にいたとき、【主】が天から彼らの上に、大きな石をアゼカに至るまで降らせられたので、彼らは死んだ。イスラエルの子らが剣で殺した者よりも、雹の石で死んだ者のほうが多かった。
10:12 【主】がアモリ人をイスラエルの子らに渡されたその日、ヨシュアは【主】に語り、イスラエルの見ている前で言った。「太陽よ、ギブオンの上で動くな。月よ、アヤロンの谷で。」
10:13 民がその敵に復讐するまで、太陽は動かず、月はとどまった。これは『ヤシャルの書』に確かに記されている。太陽は天の中間にとどまって、まる一日ほど、急いで沈むことはなかった。
10:14 【主】が人の声を聞き入れられたこのような日は、前にも後にもなかった。【主】がイスラエルのために戦われたからである。
 2025年11月28日(金)リビングライフQT

☆ギブオンは王国の都の一つのように大きな町であり・・・(2節)
しかし、キブオンの民は、イスラエルと和を講じました。
その理由は、主なる神がイスラエルに成された、大いなる業を、長年に亘ってしっかりと観、つぶさに見聞きして、神の御力に、畏れを持ったからでした。
今の、私たちの日常生活の中でも、私の・あなたの日常の信仰生活をしっかりと観ておられる方々(ご近所・家族・友人・職場etc.)が、日常の平安・敬虔・愛に富み・柔和で慰めに満ち・病の中にも平安と勝利に歩む姿は、周りをして、人々を神の恵みの道へと導き、心の門戸を開かせるのではないでしょうか。
イスラエルの40年以上に亘る、苦難の旅路は、その中から別な歴史を生み出す。光となるのです。病・苦難・試練・・・は、決して無駄にはならず、神の御計画の一角となって、誰かを救いの道に導く光となるのです。
何も無駄にはならないのです。
ギブオンは、神に受け容れられた、めぐみの民となったのです。

更に、主なる神は、このギブオンの闘いにおいて、雹を降らせ、日を延べて、神に敵対する軍勢を、完全に敗退させられました。
天体の事象にはコメントは出来ませんが…
11節の、大きな石(雹)が降った・・・と有ります・・・・
今から百年以上前に、英国の夫人宣教師(メリー・スレッサー)が、アフリカのナイジェリヤに宣教する中で、或る部族の酋長の息子が高熱で命の危機に在るとき、為す術も無く、戸惑っていたとき、メリー宣教師の助手が『先生こんな時、氷があれば、命を取りとめられますのに…❗』と
メリ―宣教師は、その時、直ちに祈りの座に着き、顔を膝に埋めて『主よ❗氷を与えてください‼️』と、祈り始めると、一天にわかに暗くなり黒雲が湧き起こり、こぶし大の氷の塊(雹)が辺り一面に降った。酋長の少年はこれで一命を取りとめた‼️と言う証を少年の頃に伝記で読んで魂を揺さぶられた事を忘れられません。
彼女の宣教は、爆発的な力を持って、西アフリカの宣教に、大きな足跡を残したのです。
彼女を遡る事、数十年前のリビングストンによる中央アフリカ宣教、メリー・スレッサーによる西アフリカ宣教の働きがあったのです。
当時アフリカは白地図のような、何も書き込まれてない世界でしたが、この両宣教師の働きにより、アフリカ大陸の概要が、次第に見えて来るようになったのです。ハレルヤ✨
 ヨシュア記 10章15節~28節

10:15 ヨシュアは全イスラエルとともにギルガルの陣営に戻った。
10:16 これらの五人の王たちは逃げ、マケダの洞穴に隠れた。
10:17 すると、マケダの洞穴に隠れている五人の王たちが見つかったという知らせがヨシュアに入った。
10:18 ヨシュアは言った。「洞穴の口に大きな石を転がし、そのそばに人を置いて彼らを見張りなさい。
10:19 しかし、あなたがたは、そこにとどまってはならない。敵の後を追い、彼らのしんがりを攻撃しなさい。彼らを自分の町に逃げ込ませてはならない。あなたがたの神、【主】が彼らをあなたがたの手に渡されたからだ。」
10:20 ヨシュアとイスラエルの子らが非常に激しく彼らを討ち、ついに彼らが一掃されるまで攻撃し終わったとき、彼らのうちの生き残った者たちは城壁のある町々に逃げ込んだ。
10:21 兵はみな無事にマケダの陣営のヨシュアのもとに戻った。イスラエルの子らをののしる者は一人もいなかった。
10:22 ヨシュアは言った。「洞穴の口を開き、あの五人の王たちを、その洞穴から私のもとに引き出して来なさい。」
10:23 彼らはそのとおりにした。その五人の王たち、すなわち、エルサレムの王、ヘブロンの王、ヤルムテの王、ラキシュの王、エグロンの王を洞穴から彼のもとに引き出して来た。
10:24 彼らがその王たちをヨシュアのもとに引き出したとき、ヨシュアはイスラエルのすべての人を呼び寄せ、自分と一緒に行った戦士の指揮官たちに言った。「近寄って、この王たちの首を踏みつけなさい。」彼らは近寄り、王たちの首を踏みつけた。
10:25 ヨシュアは彼らに言った。「恐れてはならない。おののいてはならない。強くあれ。雄々しくあれ。あなたがたの戦うすべての敵に【主】がこのようにされる。」
10:26 その後、ヨシュアは王たちを討って殺し、五本の木にかけ、夕方まで木にかけておいた。
10:27 日の入るころになって、ヨシュアは命じて彼らを木から降ろし、彼らが隠れていた洞穴の中に投げ込んだ。その洞穴の口には大きな石が置かれ、今日に至っている。
10:28 その日、ヨシュアはマケダを攻め取り、この町とその王を剣の刃で討った。彼らとそこにいたすべての者を聖絶し、一人も残さなかった。彼はエリコの王にしたようにマケダの王にした。
 2025年11月29日(土)リビングライフQT

昨日学んだ、キブオンの闘いは、非常に激しく、日没までには、決着がつかないので、ヨシュアは、神に願い・・
もう暫く時間の経過がとまるように求めた。
《当時の闘いは、白兵戦ー相手と直接向かい合っての斬り合いーですから》日が落ちると、明日までの休息で、闘いは振り出しに戻るのです。
神は、丸一日、日没を延長されました。
激しい闘いは勝利を収め、イスラエルの兵は宿営地ギルガルに帰還しました。(約30kmの道程です)
一方イスラエルに敵対した連合軍の王は敗走して、70km程南のマケダの洞窟に身を潜めた❗・・・との知らせが入ったので、再びイスラエルの軍は、後を追い、彼等の兵をことごとく打ち破り、洞窟に潜んだ五人の王(秘かに見張りを置いて逃亡を抑えていた)を引き出して、滅ぼしたのです。そればかりではなく、その洞窟に匿ったマケダの町と王をも、滅ぼしたのです。
今私達が学んでいる歴史は、平和な人道主義を底流とする、物語を学んでいるのではなく、古代社会の生き残るか滅びるか・・・の瀬戸際を生きようと闘う、古代人類の足跡を辿っているのです。
その中をただ一つの民(神が選ばれたイスラエル)が、敵対する世界の民の中を辿りながら、神の国建設に向かって歩む物語です。
ある意味で、神の国と、悪しき者の支配する民との闘いなのです。
今日の聖書テキストの最後の行を、心に留めておいてください‼️
・・・聖絶し、一人も残
さなかった。彼はエリコの王にしたようにマケダの王にした。・・・・

私達の信仰生活において、魂(霊)の闘いにおいて・・・思いやり・親切・配慮・躊躇・譲歩・許容・・・・等は、危険な姿勢なのです。人に対してではなく、自分の魂の闘いにおいて、先に挙げた様々な感情は、返って魂を、信仰(主なる神への)より、感情的妥協へと流し、神の国を建て挙げる道から外れてしまいやすいのです。
ヨシュア記の全巻を通して、この事が明らかにされています。
こうして神の国が定められ更にこの地に、人類の救いの記念碑、十字架が丘にそびえることになったのです。
 ヨシュア記 10章29節~43節

10:29 ヨシュアは全イスラエルとともにマケダからリブナに進み、リブナと戦った。
10:30 【主】は、この町もその王もイスラエルの手に渡された。それで彼は、その町とそこにいたすべての者を剣の刃で討ち、そこに一人も残さなかった。彼はエリコの王にしたようにその王にした。
10:31 ヨシュアは、全イスラエルとともにリブナからラキシュに進み、これに向かって陣を敷き、ラキシュと戦った。
10:32 【主】はラキシュをイスラエルの手に渡された。ヨシュアは二日目にそれを攻め取り、その町と、そこにいたすべての者を剣の刃で討った。すべて彼がリブナにしたとおりであった。
10:33 そのとき、ゲゼルの王ホラムがラキシュを助けようとして上って来た。ヨシュアは、ホラムとその民を一人も残さず討った。
10:34 ヨシュアは、全イスラエルとともにラキシュからエグロンに進んだ。彼らは、それに向かって陣を敷き、それと戦い、
10:35 その日に、エグロンを攻め取り、剣の刃で討った。そしてその日、そこにいたすべての者を聖絶した。すべて彼がラキシュにしたとおりであった。
10:36 ヨシュアは、全イスラエルとともにエグロンからヘブロンに上った。彼らはそれと戦い、
10:37 それを攻め取り、ヘブロンとその王、およびそのすべての町、そこにいたすべての者を剣の刃で討ち、一人も残さなかった。すべて彼がエグロンにしたとおりであった。彼はその町と、そこにいたすべての者を聖絶した。
10:38 ヨシュアは全イスラエルとともにデビルに引き返し、これと戦い、
10:39 それとその王、およびそのすべての町を攻め取り、剣の刃で彼らを討った。そして、そこにいたすべての者を聖絶し、一人も残さなかった。彼がデビルとその王にしたことはヘブロンにしたとおりであり、またリブナとその王にしたとおりであった。
10:40 ヨシュアはその全地、すなわち、山地、ネゲブ、シェフェラ、傾斜地、そのすべての王たちを討ち、一人も残さなかった。息のある者はみな聖絶した。イスラエルの神、【主】が命じられたとおりであった。
10:41 ヨシュアはカデシュ・バルネアからガザまで、および、ゴシェンの全土をギブオンに至るまで討った。
10:42 これらすべての王たちと彼らの地を、ヨシュアは一度に攻め取った。イスラエルの神、【主】がイスラエルのために戦われたからである。
10:43 ヨシュアは全イスラエルとともにギルガルの陣営に戻った。
 2025年11月30日(日)リビングライフQT

ヨルダン川、渡河後に、全部族が宿営したギルガルから、闘いのためにまとまったイスラエルの数十万の兵士は、ヨシュアの指揮下で、死海西の山地の、シャロン平原に続く傾斜地の洞窟に潜む五人の王達を、ことごとく討ち滅ぼし、近くの拠点となった町リブナも聖絶したのです。

イスラエルは、更に五人の王を滅ぼすために、町々は素通して進軍してきたのですが、改めて、引き返しながら、それらの町々を改めて攻略し《聖絶》したのです。
☆リブナ➡エリコにしたように・・・
☆ラキシュ➡リブナにしたとおりに・・・
☆エグロン➡ラキシュにしたとおりに
☆ヘブロン(かつて、アブラハムがこの地に来た最初に町の土台を築いた拠点都市)➡エグロンにしたとおりに
☆更に引き返して、デビル➡ヘブロンにしたとおりに
☆更に、ヨシュアはその全地山地、ネゲブ、シェフラ、傾斜地のすべての王達を討ち、一人も残さず、息のある者は皆《聖絶》した。イスラエルの神、主が命じられたとおりである。
41節~をみると、カデシュ・バルネア(荒野の旅の時代に12人のスパイを送った荒野の拠点)から地中海の港町ガザ(現在のガザと同じところ)北はアイ・キブオンに至るまで、ことごとく征服したのです。その広さは、九州半分を占めるほどの広さに相当します。
これ等の全てを《聖絶》し、偶像を取り除き、心の、生活の、思考の隅々にまで染みこんだ、偶像への畏れや、習慣や、生活形態までも、焼き滅ぼし、消し去る《聖絶》が、神の聖さ、真に生きるただ一つの道だったのです。
この事を新生イスラエルに、主なる神は求められたのです。
私達の今は・・・・‼️