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力丸嗣夫師 リビングライフ LINE
          (新改訳聖書2017)
    

北九州シオン教会

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 民数記  31章25節~54節

31:25 【主】はモーセに言われた。
31:26 「あなたと祭司エルアザル、および会衆の氏族のかしらたちは、人でも家畜でも捕らえて分捕ったものの総数を調べ、
31:27 その分捕ったものを、戦に出た者たちと全会衆の間で二分せよ。
31:28 戦に出た戦士たちからは、人、牛、ろば、羊の中からそれぞれ五百のうち一を、【主】への貢ぎとして徴収せよ。
31:29 彼らが受けるその半分の中から取って、【主】への奉納物として祭司エルアザルに渡さなければならない。
31:30 イスラエルの子らが受けるもう半分の中から、人、また牛、ろば、羊、それぞれの家畜から、それぞれ五十のうち一を取り出して、【主】の幕屋の任務に当たるレビ人に与えなければならない。」
31:31 そこでモーセと祭司エルアザルは、【主】がモーセに命じられたとおりに行った。
31:32 従軍した人たちが奪った戦利品を除く分捕り物は、羊六十七万五千匹、
31:33 牛七万二千頭、
31:34 ろば六万一千頭、
31:35 人は、男と寝ることを知らない女が全部で三万二千人であった。
31:36 この半分が戦に出た者たちの分け前で、羊の数は三十三万七千五百匹。
31:37 その羊のうちから【主】への貢ぎは六百七十五匹。
31:38 牛は三万六千頭で、そのうちから【主】への貢ぎは七十二頭。
31:39 ろばは三万五百頭で、そのうちから【主】への貢ぎは六十一頭。
31:40 人は一万六千人で、そのうちから【主】への貢ぎは三十二人であった。
31:41 モーセは、【主】がモーセに命じられたとおりに、その貢ぎ、すなわち、【主】への奉納物を祭司エルアザルに渡した。
31:42 モーセが戦に出た者たちに折半して与えた残り、すなわち、イスラエルの子らのものであるもう半分、
31:43 すなわち会衆のものであるもう半分は、羊三十三万七千五百匹、
31:44 牛三万六千頭、
31:45 ろば三万五百頭、
31:46 人は一万六千人であった。
31:47 モーセは、イスラエルの子らのものであるもう半分から、人も家畜も、それぞれ五十のうち一を取り出して、【主】がモーセに命じられたとおりに、【主】の幕屋の任務に当たるレビ人に与えた。
31:48 すると、軍団の指揮官たち、すなわち千人の長、百人の長たちがモーセのもとに進み出て、
31:49 モーセに言った。「しもべどもは、部下の戦士たちの総数を数えました。私たちのうち一人も欠けていません。
31:50 それで、私たちは、各自が手に入れた金の飾り物、すなわち腕飾り、腕輪、指輪、耳輪、首飾りなどを【主】へのささげ物として持って来ました。【主】の前で私たち自身のための宥めとしたいのです。」
31:51 モーセと祭司エルアザルは、彼らから金を受け取った。それはあらゆる種類の細工を施した物であった。
31:52 千人の長や百人の長たちが【主】に献げた奉納物の金は、全部で一万六千七百五十シェケルであった。
31:53 従軍した人たちは、それぞれ、戦利品を自分のものとした。
31:54 モーセと祭司エルアザルは、千人の長や百人の長たちから金を受け取り、それを会見の天幕に持って行き、【主】の前における、イスラエルの子らのための記念とした。
 2025年5月31日(土)リビングライフQT

今日の箇所は
主がモーセに言われた
共同体の一致をもたらす
公正な分配について
細かく書かれています。

(27節)
分捕り物を
従軍した者と
全会衆で二分せよ。

従軍戦士達の
主への貢き゚は
500分の1 0,2%
会衆の物からの
主への貢き゚は
50分の1  2%   
(41節)
モーセは主がモーセに命じられたとおりに、その貢、すなわち、主への奉納物を祭司エルアザルに渡した。

勝利は全て神の助けによります。
分かち合いは感謝の表現であり、公正な分配は共同体の一致を助けます。


今や、あの恐れていたミディアン人に、大勝利を収めたのです。
※一人の戦士も失われなかった
※多くの奴隷
※無数の家畜
※膨大な金と金の装飾品等々。
それだけではなく、広大なミディアンの領土を、勝ち取ったのです。
この時の報告と、彼等の主なる神への感謝は、素晴らしいですね。あの様に恐れていたミディアンに、大勝利したことで、民は、信じる神の偉大さと、自分達を見守られる神の愛に、いたく感動して、感謝を進んで献げたのです。
この闘いで、神と民とが一つに強く結ばれたのです。
私達の信仰は…
私の救いとなられた御方への感謝と恵みに満たされているでしょうか。
 民数記  31章13節~24節

31:13 モーセと祭司エルアザル、およびすべての会衆の上に立つ族長たちは出て行って、宿営の外で彼らを迎えた。
31:14 モーセは、軍勢の指揮官たち、すなわち戦いの任務から戻って来た千人の長や百人の長たちに対して激怒した。
31:15 モーセは彼らに言った。「女たちをみな生かしておいたのか。
31:16 よく聞け。この女たちが、バラムの事件の折に、ペオルの事件に関連してイスラエルの子らをそそのかし、【主】を冒?させたのだ。それで主の罰が【主】の会衆の上に下ったのだ。
31:17 今、子どもたちのうちの男子をみな殺せ。男と寝て男を知っている女もみな殺せ。
31:18 男と寝ることを知らない若い娘たちはみな、あなたがたのために生かしておけ。
31:19 あなたがたは七日間、宿営の外にとどまれ。あなたがたでも、あなたがたの捕虜でも、人を殺した者、あるいは刺し殺された者に触れた者はだれでも、三日目と七日目に身の汚れを除かなければならない。
31:20 衣服、皮製品、やぎの毛で作ったもの、木製品はすべて汚れを除かなければならない。」
31:21 祭司エルアザルは、戦いに行った兵士たちに言った。「【主】がモーセに命じられたおしえの掟は次のとおりである。
31:22 ただ、金、銀、青銅、鉄、すず、鉛など、
31:23 すべて火に耐えるものは、火の中を通せば、きよくなる。ただし、それは汚れを除く水で汚れを除かなければならない。火に耐えないものはみな、水の中を通さなければならない。
31:24 また、あなたがたは七日目に自分の衣服を洗うなら、きよくなる。その後で、宿営に入ることができる。」
 2025年5月30日(金)リビングライフQT

今、私達は、イスラエルが、神の選びの民として生まれた時代の、歴史を学んでいるので、そこで行われる民の営みを、そのまま、今の時代感覚や、価値観や、道徳感覚で理解しようとすると、理解するには余りにも意識が乖離(かいり=かけ離れる)していることで、どの様に受け止めて良いのか、戸惑いますね。
いわゆる、古代世界の激しい攻防の時代の中を、この様に、生きるか?死ぬか?・・・の葛藤の中で生きることは、想像もつかないことです。
これが《聖書》の世界だと考えると、何が“聖”で、何が“義“で何が“愛”なのか・・・?が、分からなくなりますね。
ですから、今の時代感覚や、価値観や、倫理感や、民主主義思想で、判断したり、理解しようとしないことです。
むしろ、そのまま読み、理解(納得ではなく)して、その彼等の営みの中から、神と民との関係(主なる神が、民に何を求められるのか・・・)を、見極めることが大切なのです。
例えば、今日の所からは、これからもそうですが、民がカナンの地に突入すると、必ず直面するのが、敵を残らず滅ぼし尽くすことでした。
家も・・施設も・宮も・市場も人も ・・・
それは、神ならぬ偶像信仰文化が染みこんだ世界だからです。
後のイスラエルの歴史の中でも、他民族の文化、仕来り、食べ物等々取り入れたイスラエル王朝・ダビデ王朝の諸王が、その禁をおかしたために、神に裁かれ、国を敗北へと破壊した歴史が物語っています。
神が何と命じられたか❗
神が何を求められて居るのか‼️・・・・
モーセにも、民全体にも、最も大切な目標なのです。
《聖=きよい》これがイスラエル存在の、最大の課題なのです。
今日のテキストに一貫しているのは《清くある》と言う課題です。
武器も、器具も、人も、衣服も・・・・
ここで、征服民の女性に関する指示ですが、
現代でもそうですが、女性は、家を守り、民の伝統や習慣を、継承する役割を持っていました。それゆえ、労働力として生かす・或いは、側女・伴侶として生かしていても、もし、彼女達が、家庭に入っていたものであれば、密かに、偶像を秘匿しているかも・・・との懸念からも、排除させられたのです。
この様に厳しい民の形成が、選びの民(人類世界にメシヤを与える神の御計画)として、整えられる、神の選びのお取り扱いでした。
今、私達は、こうして送られたメシヤ(イエス・キリスト)によって永遠の救いの選びに与かっているのです。それ故、神の求められる御思いに即して、神の言葉、聖書の福音に従って、自らを整えて(清めて=礼拝の民として)参りましょう。
 民数記  31章1節~12節

31:1 【主】はモーセに告げられた。
31:2 「あなたは、イスラエルの子らのために、ミディアン人に復讐を果たせ。その後で、あなたは自分の民に加えられる。」
31:3 そこでモーセは民に告げた。「あなたがたのうち、男たちは戦のために武装せよ。ミディアン人を襲って、ミディアン人に【主】の復讐をするためである。
31:4 イスラエルのすべての部族から、部族ごとに千人を戦に送らなければならない。」
31:5 それで、イスラエルの分団から、部族ごとに千人、すなわち、合計一万二千人の、戦のために武装した者たちが選ばれた。
31:6 モーセは部族ごとに千人を戦に送った。また彼らとともに、祭司エルアザルの子ピネハスを、聖なる用具と吹き鳴らすラッパをその手に持たせて、戦に送り出した。
31:7 彼らは【主】がモーセに命じられたとおりに、ミディアン人に戦いを挑み、その男子をすべて殺した。
31:8 その殺された者のほかに、彼らはミディアンの王たち、すなわち、エウィ、レケム、ツル、フル、レバの五人のミディアンの王たちを殺した。また、ベオルの子バラムを剣で殺した。
31:9 イスラエル人は、ミディアン人の女たちと子どもたちを捕らえ、またその動物、家畜、財産をことごとく奪い取り、
31:10 彼らの居住していた町々や陣営をすべて火で焼いた。
31:11 そして人でも動物でも、略奪したものや分捕ったものすべてを取り、
31:12 エリコをのぞむヨルダン川のほとりのモアブの草原の宿営にいる、モーセと祭司エルアザルとイスラエルの会衆のところに、その捕虜や分捕り物、略奪品を携えてやって来た。
 2025年5月29日(木)リビングライフQT

ミディアン人への裁き
《ミディアン人はイスラエルに呪いをかけようとしたモアブの王バラクと結託しシティムでイスラエルの民を堕落の道に誘惑しました。》(25章)

イスラエルの歴史は、常に周辺民族との攻防で、その結果は、イスラエルと相対した周辺の民は、王も戦士も、民の全てが撃破されたのです。
元々、約束の地‼️と呼ばれる、ガリラヤ湖周辺から地中海とヨルダン川に挟まれた、シャロン平原・更に南のヘブロンの南ネゲブ地方に至るまで、ヨルダン川流域を含んだ全ては、かつて神がアブラハムに約束され、更にヤコブに約束された、彼等の《聖地》だったのです。
しかし、ヤコブの一族が飢饉のために、ヨセフに招かれて、エジプトに移住してから、400年の間、この地は北から、東から、南からの、少数民族の占有する所となり、更に北方の海洋の民 ペリシテ人の支配に、押さえられていたのです。
400年という時代の流れは、この聖なる約束の地を、偶像信仰の民、好戦的で徹底的に、イスラエルに敵対し、イスラエルの帰還を阻止したのです。
何よりも、彼等がオドロオドロした 、偶像と不道徳な習慣と、強固な偶像信仰の姿は、当時の周辺地域に、強大な影響を浸透させていたのです。
そこで、神はこの地域を一掃して、新たに、世界の創造主信仰の中心とするために、全き聖さを求めて、敵対する、又、イスラエルを亡きものとしようとする全ての民を、排除するために、イスラエルの民を用いられたのです。
聖書の民イスラエルと、周りの先住民との摩擦(闘い)の根源は、力と力の対決で、結果として、イスラエルが勝利を収めた‼️と言うものでは無く、永遠の聖い神の国と、神に敵対する世俗の罪の権現、サタンの支配との闘いなのです。
サタンに利用されて、神の国の崩壊を画策する、彼等を神が容赦されるはずがないのです。
現在のイスラエルの中に、その名残りを見る思いがします。
私達は、政治や、民族対立の闘いではなく、神の国の回復のために、人々の魂を食い破っている、サタンの働きに、魂の痛みを感じながら、福音の戦士として、前進しましょう。
 民数記  30章1節~16節

30:1 モーセはイスラエルの諸部族のかしらたちに告げた。「これは【主】が命じられたことである。
30:2 男が【主】に誓願をするか、あるいは、物断ちをしようと誓う場合には、自分のことばを破ってはならない。すべて自分の口から出たとおりのことを実行しなければならない。
30:3 女が若くてまだ父の家にいるときに、【主】に誓願をするか、あるいは物断ちをする場合には、
30:4 その父が彼女の誓願、あるいは物断ちを聞いて、彼女に何も言わなければ、彼女のすべての誓願は有効となる。彼女の物断ちもすべて有効となる。
30:5 しかし、もし父がそれを聞いた日に彼女に反対するなら、彼女の誓願、あるいは物断ちはすべて無効としなければならない。彼女の父が彼女に反対するのであるから、【主】は彼女を赦される。
30:6 もし彼女が、自分の誓願、あるいは物断ちをしようと軽率に言ったことが、まだその身にかかっているうちに嫁ぐ場合には、
30:7 夫がそれを聞き、聞いた日に彼女に何も言わなければ、彼女の誓願は有効である。彼女の物断ちも有効となる。
30:8 もし夫がそれを聞いた日に彼女に反対すれば、夫は、彼女がかけている誓願や、物断ちをしようと軽率に言ったことを破棄することになる。そして【主】は彼女を赦される。
30:9 しかし、やもめや離縁された女の誓願については、すべての物断ちが当人に対して有効となる。
30:10 もし女が夫の家で誓願をするか、あるいは、誓って物断ちをする場合には、
30:11 夫がそれを聞いて、彼女に何も言わず、反対しないなら、彼女の誓願はすべて有効となる。彼女の物断ちもすべて有効となる。
30:12 もし夫が、そのことを聞いた日にそれらを破棄してしまうなら、その誓願も物断ちも、彼女の口から出たすべてのことは無効となる。彼女の夫がそれを破棄したのだから、【主】は彼女を赦される。
30:13 すべての誓願も、自らを戒めるための物断ちの誓いもみな、夫がそれを有効にすることができるし、それを破棄することもできる。
30:14 もし夫が日々、その妻に全く何も言わなければ、夫は彼女のすべての誓願、あるいは、すべての物断ちを有効にする。夫がそれを聞いた日に彼女に何も言わなかったのだから、彼はそれを有効にしたのである。
30:15 もし夫がそれを聞いた後、それを破棄するなら、夫が彼女の咎を負う。」
30:16 これらは、夫とその妻との間、父とまだ父の家にいる若い娘の間とに関して、【主】がモーセに命じられた掟である。
 2025年5月28日(水)リビングライフQT

社会生活や教会生活等での誓願は・・・・どの様なものでしょう。
「今年一年で、旧・新約聖書全巻を、通読します。やり通せるよう支えて下さい‼️」・・・と、言う風に、誰にも公表せずに、主の助けを求めつつ、それを実行する・・・・他にも、祈り・献け゚物・個人伝道・等々。
この様な行為は、各個人が独自の思いで、自らの信仰生活にある目標を立てて、生活に・精神に負荷をかけることで、信仰生活の緊張感を持続させ、自らの魂の成長を願う行為なのです。
この誓願には、自らに科す強制行為があり、それを自らの心や魂で管理して、信仰の成長に資することを目的とする、全く個人的行為なのです。
これで神の祝福を勝ち取る・・・と言ったものでは無いのです。救いの条件になるものでもないのです。
旧約時代には、ここに主なる神が語られているように、民が自発的に行う決意と行為を、神は受け容れ、その有るべき姿(方法)を、励まし・それを全うする道筋を助言されたのです。
男性と女性では、決まりが違うのは、古代社会では、女性は男性に属する❗(弱い者である・・・と言う理由で)
夫・ または父親が、その誓願の内容に無理がないように関わったことを示したのです。
ここで、誓願が成就する‼️と言うことに、神の保護が与えられ、その誓願を成就することで、より確かな信仰(霊的資質)の成長が、自ずと備わったのです。
誓願は、自らの内で極秘であり、その行為を公言すれば、最早誓願にはならないのです。
考えるに、私達の信仰生活はある意味、ひたすら主と教会の中で、黙って奉仕する多くの信徒が、その道を歩んでいるのではないでしょうか。
自らと主との間に、何者にも勝って、絆を繫いで、主のめぐみの道を歩むのは素晴らしいですね。
 民数記  29章12節~40節

29:12 第七の月の十五日には、あなたがたは聖なる会合を開かなければならない。いかなる労働もしてはならない。あなたがたは七日間、【主】の祭りを祝え。
29:13 あなたがたは、【主】への芳ばしい香り、食物のささげ物として、全焼のささげ物、すなわち、若い雄牛十三頭、雄羊二匹、一歳の雄の子羊十四匹を献げよ。これらは傷のないものでなければならない。
29:14 それに添える穀物のささげ物としては、油を混ぜた小麦粉を、雄牛十三頭については雄牛一頭につき十分の三エパ、雄羊二匹については雄羊一匹につき十分の二エパ、
29:15 子羊十四匹については子羊一匹につき十分の一エパとする。
29:16 さらに罪のきよめのささげ物として、雄やぎ一匹。これらは、常供の全焼のささげ物と、それに添える穀物のささげ物、および注ぎのささげ物とは別である。
29:17 二日目には、若い雄牛十二頭、雄羊二匹、傷のない一歳の雄の子羊十四匹、
29:18 および、それらの雄牛、雄羊、子羊のための、それぞれの数に応じて定められた穀物のささげ物と注ぎのささげ物。
29:19 さらに罪のきよめのささげ物として、雄やぎ一匹。これらは、常供の全焼のささげ物と、それに添える穀物のささげ物、および注ぎのささげ物とは別である。
29:20 三日目には、雄牛十一頭、雄羊二匹、傷のない一歳の雄の子羊十四匹、
29:21 および、それらの雄牛、雄羊、子羊のための、それぞれの数に応じて定められた穀物のささげ物と注ぎのささげ物。
29:22 さらに罪のきよめのささげ物として、雄やぎ一匹。これらは、常供の全焼のささげ物と、それに添える穀物のささげ物、および注ぎのささげ物とは別である。
29:23 四日目には、雄牛十頭、雄羊二匹、傷のない一歳の雄の子羊十四匹、
29:24 および、それらの雄牛、雄羊、子羊のための、それぞれの数に応じて定められた穀物のささげ物と注ぎのささげ物。
29:25 さらに罪のきよめのささげ物として、雄やぎ一匹。これらは、常供の全焼のささげ物と、それに添える穀物のささげ物、および注ぎのささげ物とは別である。
29:26 五日目には、雄牛九頭、雄羊二匹、傷のない一歳の雄の子羊十四匹、
29:27 および、それらの雄牛、雄羊、子羊のための、それぞれの数に応じて定められた穀物のささげ物と注ぎのささげ物。
29:28 さらに罪のきよめのささげ物として、雄やぎ一匹。これらは、常供の全焼のささげ物と、それに添える穀物のささげ物、および注ぎのささげ物とは別である。
29:29 六日目には、雄牛八頭、雄羊二匹、傷のない一歳の雄の子羊十四匹、
29:30 および、それらの雄牛、雄羊、子羊のための、それぞれの数に応じて定められた穀物のささげ物と注ぎのささげ物。
29:31 さらに罪のきよめのささげ物として、雄やぎ一匹。これらは、常供の全焼のささげ物と、それに添える穀物のささげ物、および注ぎのささげ物とは別である。
29:32 七日目には、雄牛七頭、雄羊二匹、傷のない一歳の雄の子羊十四匹、
29:33 および、それらの雄牛、雄羊、子羊のための、それぞれの数に応じて定められた穀物のささげ物と注ぎのささげ物。
29:34 さらに罪のきよめのささげ物として、雄やぎ一匹。これらは、常供の全焼のささげ物と、それに添える穀物のささげ物、および注ぎのささげ物とは別である。
29:35 八日目に、あなたがたはきよめの集会を開かなければならない。いかなる労働もしてはならない。
29:36 あなたがたは、【主】への芳ばしい香り、食物のささげ物として、全焼のささげ物、すなわち、雄牛一頭、雄羊一匹、傷のない一歳の雄の子羊七匹を献げよ。
29:37 それらの雄牛、雄羊、子羊のための、穀物のささげ物と注ぎのささげ物の数量は規定どおりである。
29:38 さらに罪のきよめのささげ物として、雄やぎ一匹。これらは、常供の全焼のささげ物と、それに添える穀物のささげ物、および注ぎのささげ物とは別である。
29:39 あなたがたは、あなたがたの例祭に、それらのものを【主】に献げなければならない。それらは、あなたがたの誓願のささげ物、または進んで献げるものとしての全焼のささげ物、穀物のささげ物、注ぎのささげ物および交わりのいけにえとは別である。」
29:40 モーセは、【主】がモーセに命じられたとおりを、イスラエルの子らに告げた。
 2025年5月27日(火)リビングライフQT

新年(過ぎ越し祭)・贖罪の日(第7の月)・仮庵の祭(第7の月の一週間)
・・・何れも、ユダヤの大祭です。
今日の祭は-仮庵の祭-と言って、イスラエルがエジプトを出て40年、荒野を旅した折に、羊の皮で作ったテントを住まいとして、転々流浪の日々を送った(仮の庵)を思い出し、その間食料・水・衣服・・・等、紡ぐこともなく、耕すことも無く、井戸を掘ることもなかったのに、200万の民は、人口が減ることなく、家畜も失われることもなかった。その様な歴史的記録を、祭として思い出させ、何時までも神様との深い絆に結ばれていることを、ありありと思い出させ、互いに伝え合い、感謝の絆を、主なる神と結ばれ続ける・・これがイスラエルの民の、力であり、強さとなっているのです。
私達教会が、2000年の歴史の中で、激しい迫害を受け、有るときには、共産圏で有ったように、教会もクリスチャンも、徹底して迫害で失い、何百万というクリスチャンが命を落としてきました。
日本でも、秀頼時代から明治の初めまで、400年に亘って、多くのキリシタンが、幕府の迫害で捉えられ、処刑されて、10万人~30万人とも言われる殉教者を出したのです。
今の教会は、その様な歴史の上に有ることを、忘れてはなりません。ロ~マ教皇も、日本の教会は奇跡の教会だ‼️と、言われたのです。
私は、この箇所を読みながらその儀式の進展を想像していました。動物の鳴き声、祭司達の血にまみれながら、燔蔡の儀式を進める姿、息を呑みながら、その前にひれ伏して、罪を悔いて祈る民・・・想像している内に、十字架の丘に伏している弟子達の中に、自分の姿を見ました。手が止まり、罪許されて今日在ることを改めて感謝しながら、このメッセージを書かせて頂きました。
主に感謝します。
 民数記  29章1節~11節

29:1 第七の月には、その月の一日に聖なる会合を開かなければならない。あなたがたは、いかなる労働もしてはならない。これを、あなたがたにとって角笛が吹き鳴らされる日としなければならない。
29:2 あなたがたは、次のものを献げよ。【主】への芳ばしい香りとして、全焼のささげ物、すなわち、若い雄牛一頭、雄羊一匹、傷のない一歳の雄の子羊七匹。
29:3 それに添える穀物のささげ物として、油を混ぜた小麦粉を、雄牛一頭につき十分の三エパ、雄羊一匹につき十分の二エパ、
29:4 七匹の子羊については、一匹につき十分の一エパ。
29:5 また、あなたがたのために宥めを行うには、罪のきよめのささげ物として、雄やぎ一匹。
29:6 これとは別に、新月祭の全焼のささげ物とその穀物のささげ物、常供の全焼のささげ物とその穀物のささげ物、および、それらに添える注ぎのささげ物、すなわち、規定による、【主】への食物のささげ物、芳ばしい香り。
29:7 この第七の月の十日には、あなたがたは聖なる会合を開き、自らを戒めなければならない。いかなる仕事もしてはならない。
29:8 あなたがたは、【主】への芳ばしい香りとして、全焼のささげ物、すなわち、若い雄牛一頭、雄羊一匹、一歳の雄の子羊七匹を献げよ。それらはあなたがたにとって傷のないものでなければならない。
29:9 それに添える穀物のささげ物については、油を混ぜた小麦粉を、雄牛一頭につき十分の三エパ、雄羊一匹につき十分の二エパとする。
29:10 七匹の子羊については、一匹につき十分の一エパ。
29:11 さらに罪のきよめのささげ物として、雄やぎ一匹。これらは、宥めのための罪のきよめのささげ物、常供の全焼のささげ物とそれに添える穀物のささげ物、および、それらに添える注ぎのささげ物とは別である。
 2025年5月26日(月)リビングライフQT

昨日のテキストでは、年の第一の月の14日に、過ぎ越しの祭を7日間行う定めの、細かい規定を学びましたが、イスラエルは民の始まりと、神から託された使命の持つ深い意味を、こうした規定を受け、それを厳格に守り行うことで、未来永劫に、神の御計画と使命を、持ち続けてくることが出来るのです。
ところが、イスラエルの民にとって、更に大切な、記念すべき時を、神は教え示されたのです。
それは第7の月の10日間を{贖罪の日}として、全ての民が集まり、心を一つにして、罪の贖われたことを深く思い、神の創造と、罪の赦しの深さ豊かさを、子羊の犠牲の燔祭を見つめながら、悔い改めと新たな献身を、主なる神の前に誓う、厳粛な時として過ごしたのです。
この様な多くの規定を守ることによって、イスラエルは、人類の中でも特異な存在として護られ、その様な民と時の流れの中から、神は贖い主なる、御子イエス・キリスト救い主を私達(人類)に与えられたのです。
この非常に複雑な贖罪の、祭壇の規定を見るに及んで、私達の罪が、単なる失敗・間違い・やり過ぎ・・・と言ったものではなく、この様な重い儀式(血を流さずには終えない)犠牲と痛みを負いながら、主なる神の前に赦されたものであることを教え、その先に、神の御子イエス・キリスト様の十字架の犠牲の血が流されたことを知るのです。
今、私達は選ばれた新しい民として、日毎に、聖日(日曜)毎に、この様な時(礼拝)を、主の御前に、賛美と祈りと、御言葉に養われるならば、どんなにか確かな恵みの中を、歩み通せるでしょうか…
今あなたがこうして学ぶ[リビングライフ]も又、祝福の基となるでしょう。
 民数記  28章16節~31節

28:16 第一の月の十四日は、過越のいけにえを【主】に献げなければならない。
28:17 この月の十五日は祭りである。七日間、種なしパンを食べなければならない。
28:18 その最初の日には、聖なる会合を開く。いかなる労働もしてはならない。
28:19 あなたがたは、【主】への食物のささげ物、全焼のささげ物として、若い雄牛二頭、雄羊一匹、一歳の雄の子羊七匹を献げなければならない。それはあなたがたにとって傷のないものでなければならない。
28:20 それに添える穀物のささげ物として、油を混ぜた小麦粉を、雄牛一頭につき十分の三エパ、雄羊一匹につき十分の二エパとする。
28:21 子羊七匹については、一匹につき十分の一エパとする。
28:22 あなたがたのために宥めを行うには、罪のきよめのささげ物として、雄やぎ一匹とする。
28:23 常供の全焼のささげ物である朝の全焼のささげ物のほかに、これらのものを献げなければならない。
28:24 このように七日間、【主】への芳ばしい香り、食物のささげ物のパンを、毎日、献げなければならない。これは常供の全焼のささげ物とその注ぎのささげ物に加えて献げられなければならない。
28:25 七日目にあなたがたは聖なる会合を開かなければならない。いかなる労働もしてはならない。
28:26 初穂の日、すなわち七週の祭りに、新しい穀物のささげ物を【主】に献げるときには、聖なる会合を開かなければならない。いかなる労働もしてはならない。
28:27 あなたがたは、【主】への芳ばしい香りとして、全焼のささげ物、すなわち、若い雄牛二頭、雄羊一匹、一歳の雄の子羊七匹を献げよ。
28:28 さらに、それに添える穀物のささげ物として、油を混ぜた小麦粉を、雄牛一頭につき十分の三エパ、雄羊一匹につき十分の二エパ。
28:29 七匹の子羊については、一匹につき十分の一エパ。
28:30 あなたがたのために宥めを行うには、雄やぎ一匹とする。
28:31 常供の全焼のささげ物とそれに添える穀物のささげ物とは別に、これらのものを、それらに添える注ぎのささげ物とともに献げなければならない。それらは傷のないものでなければならない。
 2025年5月25日(日)リビングライフQT

非常に厳しい、暦に即した過ごし方、また、祭壇(幕屋の聖所)への供え物に関する、非常に厳しい、仕きたり。また、過ぎ越しの一週間の過ごし方 ・・・・等、細かい決まりが示されました。イスラエルの民は、この、過ぎ越しの祭の一週間を、千数百年に亘って、厳格に守ることになるのです。
何故なんでしょう。
  {過ぎ越しの祭}それは、イスラエルの民が、あのエジプトの 過酷な奴隷の生活から、一夜にして自由の民となり、神の御手に導かれて、新しい歴史を築き始めた、記念の日であり・そこから始まる、新しい命の日々だからなのです。最早奴隷ではなく、神の選びの民としての始まりの記念となる神聖な日々なのです。
彼らは・毎年この時が来ると、全てを一新して、新しい歴史の道をはじめるのです。
イスラエルの新年は、この過ぎ越しの記念の時なのです。
この民が 今も守り続けるこの行事は、彼等が・神により救い出され、選ばれ、人類の中心となった ・・・と言う・証しとして、思い出しては神に感謝する・アイデンティティーとしての祭なのです。
踊ったり・騒いだり・飲んだり・食べたりする祭ではなく、自らを振り返り・神に感謝し、神への新たな献身を献げる時なのです。
何という民でしょう‼️
ところで、この民のように私達は、罪の奴隷の中から、主の十字架の血によって滅びに定められていた中から、購われたことを、これ程にまで感謝し、主に祈念して礼拝してきただろうか・・・❓
ふとそこに眼を注ぐとき、心痛みます。
もっと・もっと深い感謝を持って、主との交わりの中に、身を注ぐものとなりましょう。購われた自らを、主の前に、献げ仕えて参りましょう‼️
   何と光栄な人生とされたのでしょう。
ハレルヤ‼️感謝します。用いて下さい。
 民数記  28章1節~15節

28:1 【主】はモーセに告げられた。
28:2 「イスラエルの子らに命じて彼らに言え。あなたがたは、わたしのための食物、わたしへのささげ物を、わたしへの食物のささげ物、芳ばしい香りとして、定められた時に確実にわたしに献げなければならない。
28:3 彼らに言え。これがあなたがたが【主】に献げる食物のささげ物である。傷のない一歳の雄の子羊を、毎日二匹、常供の全焼のささげ物として。
28:4 一方の子羊を朝献げ、もう一方の子羊を夕暮れに献げなければならない。
28:5 穀物のささげ物として、上質のオリーブ油四分の一ヒンを混ぜた小麦粉十分の一エパ。
28:6 これはシナイ山で定められた、常供の全焼のささげ物であり、【主】への食物のささげ物、芳ばしい香りである。
28:7 それに添える注ぎのささげ物は、子羊一匹につき四分の一ヒンとする。聖所で、【主】への注ぎのささげ物として強い酒を注ぎなさい。
28:8 もう一方の子羊は夕暮れに献げなければならない。朝の穀物のささげ物、および、それに添える注ぎのささげ物と同じものを、これに添えて献げなければならない。これは【主】への食物のささげ物、芳ばしい香りである。
28:9 安息日には、傷のない一歳の雄の子羊二匹と、穀物のささげ物として油を混ぜた小麦粉十分の二エパと、それに添える注ぎのささげ物。
28:10 これは、安息日ごとの全焼のささげ物で、常供の全焼のささげ物とそれに添える注ぎのささげ物に加えられる。
28:11 あなたがたは月の最初の日に、次のものを献げなければならない。【主】への全焼のささげ物として、若い雄牛二頭、雄羊一匹、傷のない一歳の雄の子羊七匹。
28:12 雄牛一頭につき、穀物のささげ物として、油を混ぜた小麦粉十分の三エパ。雄羊一匹につき、穀物のささげ物として、油を混ぜた小麦粉十分の二エパ。
28:13 子羊一匹につき、穀物のささげ物として、油を混ぜた小麦粉十分の一エパ。これらが【主】への全焼のささげ物、芳ばしい香り、食物のささげ物である。
28:14 それに添える注ぎのささげ物は、雄牛一頭につき二分の一ヒン、雄羊一匹につき三分の一ヒン、子羊一匹につき四分の一ヒンのぶどう酒でなければならない。これは一年を通して毎月の、新月祭の全焼のささげ物である。
28:15 【主】への罪のきよめのささげ物として、雄やぎ一匹。これは、常供の全焼のささげ物とそれに添える注ぎのささげ物に加えられる。
 2025年5月24日(土)リビングライフQT

モーセには、今暫く残された使命がありました。それは、イスラエルの民が、神の選びの民として、より深く広く神と交わり、世界の全ての民族に、創造主なる神の御存在を、明らかに示す為でした。選ばれた民として、神の命に触れ、全ての民が創造主なる神を知るための、救いの使命を担う民として、一人一人が神の愛と恵に触れる、その道を拓く、厳しい道筋が、この様な定めとして与えられたのです。
これ等の献げ物の儀式は、毎日定まったときに、聖所である幕屋において、レビ族と祭司達の手によって、厳正に行われるのです。
安息日ごと・毎月ごと・・・・その為に民は、神への献け゚物を、レビ族のもとに献げ、それを規定に従って祭司達がレビの助けを借りながら、宿営の中心にある、神の幕屋に向かって、礼拝したのです。同時に、レビの民は、献け゚物の実を彼らの食として、受けたのです。
イスラエルの民の日々は、これ等の神への信仰の業を、生活の一部として行いながら、 神と民が一つとなって、人類とその全歴史の中に、神から離れた人々の罪を、あがなう(回復)道を、イスラエルの民に、担わせたのです。
イスラエルの民はこの定め(これから更に展開する)を、主イエス・キリストが来られるまで守り続け、遂に、あの十字架の贖いの道にまで、繫いだのです。
今や、私達は、祈りと御言葉に聴き(聖書を読む)、主なる神を礼拝する信仰生活を護って、周りの人々に神の憐れみと、救いの恵を証しするために、今日も罪の荒野を進むのです。
その道を主なる神が護り導いて下さるのです。
私達は主を拝する、礼拝の民とされたことを、喜びつつ、今日も又、進み続けましょう‼️               ハレルヤ‼️
 民数記  27章12節~23節

27:12 【主】はモーセに言われた。「このアバリム山に登り、わたしがイスラエルの子らに与えた地を見よ。
27:13 それを見て、あなたもまた、あなたの兄弟アロンが加えられたのと同じように、自分の民に加えられる。
27:14 ツィンの荒野で会衆が争ったとき、あなたがたがわたしの命令に逆らい、彼らの見ている前で、あの水のところで、わたしが聖であることを現さなかったからである。」これはツィンの荒野のメリバテ・カデシュの水のことである。
27:15 モーセは【主】に言った。
27:16 「すべての肉なるものの霊をつかさどる神、【主】よ。一人の人を会衆の上に定め、
27:17 彼が、彼らに先立って出て行き、先立って入り、また彼らを導き出し、導き入れるようにしてください。【主】の会衆を、羊飼いのいない羊の群れのようにしないでください。」
27:18 【主】はモーセに言われた。「あなたは、神の霊の宿っている人、ヌンの子ヨシュアを連れて来て、あなたの手を彼の上に置け。
27:19 彼を祭司エルアザルの前に、また全会衆の前に立たせ、彼らの目の前で彼を任命せよ。
27:20 あなたは、自分の権威を彼に分け与え、イスラエルの全会衆を彼に聞き従わせよ。
27:21 彼は祭司エルアザルの前に立ち、エルアザルは【主】の前で、ウリムによるさばきを自分のために伺わなければならない。ヨシュアと彼とともにいるイスラエルの子らのすべての者、すなわち全会衆は、エルアザルの命令によって出、また、彼の命令によって入らなければならない。」
27:22 モーセは【主】が命じられたとおりに行った。ヨシュアを連れて来て、彼を祭司エルアザルと全会衆の前に立たせ、
27:23 自分の手を彼の上に置いて、【主】がモーセを通して告げられたとおりに任命した。
 2025年5月23日(金)リビングライフQT

☆後継指導者の選任☆
モーセの最期の時が、
神によって告げられました。
アロンの死に関しては、民数記20章8節~12節に記録されていますが、ミリアムの死後会衆(イスラエルの民を)はツィンの荒野カデショに留まった時、水が枯渇して、神が荒野の岩の壁から水を湧き出させました。
その時の様子は・・・・・
20章8節「杖を取れ。あなたとあなたの兄弟アロンは、会衆を集めよ。あなたが彼らの目の前で岩に命じれば、岩は水を出す。・・・・」
    ところが・・・・二人の行為は、神の栄光ではなく、自らの指導的キャリヤからの習慣で、神の命に従わずに・・・・
☆アロンは民に「逆らう者たちよ。さあ、聞け。この岩から、[われわれが]あなた方のために水を出さなければならないのか。」
※アロンの言葉は・・・何と言う恐ろしい傲慢→つい怒りから勢い余ったのではあろうが・・・・・
※一方モーセは、・・・[神は岩に命じれば・・]と言われていたのに、彼の杖で岩を二度打った。

これが神の怒りを招き、約束の地を踏めないとの、お言葉通りモーセの使命はここで終えるのです。
これはモーセの存在が消滅する・・・と言うことではないのですが、神に忠実でない結果に対する、厳しい道として示されているのです。しかし、神はモーセに、
約束の地を、高根から見渡せる限りの沃野を見せて、彼の働きと、見続けたビジョンを展望するという報いを、与えられたのです。
この現実の厳しさを直視しながら、ヨシュアはモーセから新しい指導者としての、職務にに任じられたのです。

私が小学校6年生の4月、小倉の西南女学院の女性宣教師のロー院長が、戦時中米国に追放されました。
戦後再び日本に帰って、復興に絶大な力を注がれた院長が、日本の学院長に全てを託して、西南を去る時の式典に、父に連れられて、参列いたしました。その時ロー先生がお話しをされたのがこの箇所でした。子供の私にはその女性宣教師の、堂々とした姿がモーセに見え涙ながらに、話されるお話しに、涙が流れて先生の姿が陽炎のように揺らいだのを覚えています。
ロー学院長から、新学院長に祷りのバトンが託された後、歌われた賛美歌が{賛美歌310番
“静けき祷りの時はいと楽し“その二節に
  静けき祷りの
               時はいと  楽し
そびえるピスガの
      山の高嶺(たかね)より
ふるさと眺めて
             登り行く日まで
        ・・・・・・・・・・・・歌いながら声が震える
涙が流れて止まらなかったのを、今でも胸詰まる思いで、思い出します。
その日、私の中に、伝道者となる想いが注がれたのだなぁ‼️と…
思い出されるのです。
私達は、約束の地(永遠の御国)へと、家族を・友人を・導くモーセの後継者として、主から選ばれたことを、
今朝、新たに心にきざみましょう。
 民数記  27章1節~11節

27:1 さて、ヨセフの子マナセの一族のツェロフハデの娘たちが進み出た。ツェロフハデはヘフェルの子、ヘフェルはギルアデの子、ギルアデはマキルの子、マキルはマナセの子であり、その娘たちの名はマフラ、ノア、ホグラ、ミルカ、ティルツァであった。
27:2 彼女たちは、モーセの前、祭司エルアザルの前、また族長たちと全会衆の前、すなわち会見の天幕の入り口に立って言った。
27:3 「私たちの父は荒野で死にました。父は、コラの仲間と一緒になって、【主】に逆らったあの仲間たちには加わらず、自分の罪過によって死んだのです。しかし、父には息子がいませんでした。
27:4 息子がいなかったからといって、なぜ私たちの父の名がその氏族の間から削られるのでしょうか。私たちにも、父の兄弟たちの間で所有地を与えてください。」
27:5 そこでモーセは、彼女たちの訴えを【主】の前に差し出した。
27:6 すると【主】はモーセに告げられた。
27:7 「ツェロフハデの娘たちの言い分はもっともだ。あなたは必ず彼女たちに、その父の兄弟たちの間で、相続の所有地を与えよ。彼女たちに、その父の相続地を渡せ。
27:8 あなたはイスラエルの子らに語れ。人が死に、その人に息子がいないときは、あなたがたはその相続地を娘に渡さなければならない。
27:9 もし娘もいないときには、その相続地を彼の兄弟たちに与えよ。
27:10 もし兄弟たちもいないときには、その相続地を彼の父の兄弟たちに与えよ。
27:11 もしその父に兄弟がいないときには、その相続地を、彼の氏族の中で彼に一番近い血縁の者に与え、それを受け継がせよ。これは、【主】がモーセに命じられたとおり、イスラエルの子らにとってさばきの掟となる。」
 2025年5月22日(木)リビングライフQT

国家意識・政治体制・財産管理・法律(それに基づく信賞必罰ー刑法)等々がまだ未整備のイスラエルの時代です。
★【信賞必罰】
賞罰を厳格に行うこと。

只、明確に民の間に意識されたのは、血縁関係、即ち、各家・家の血統に関しては、非常に厳しい記録と管理がなされており、先祖の血(亡くなられた父親の流れでも・・・)は、誇りを持って護りとおしたのです。この意識は、時代を遡れば遡るほどに、厳しいものでした。
それは天(神)から与えられた良いものを継承して、神に感謝し更なる、恵に富む繁栄を願う、信仰の真実な表れだったのです。
所が、モーセによる、約束の地の分配には、跡継ぎのない家庭)即ち、男子の跡継ぎがない家庭では、相続地はなく家系の断絶となるのです。
古代社会では当然の帰結なのです。
日本社会でも、その為の様々な工夫がなされています、養子縁組等々…
跡継ぎの男子が生まれないと、離縁・・・等、哀しい矛盾が生じたのです。
この問題をマナセの一族、娘たちだけで、家庭を切り盛りしてきた姉妹たちが、事の歪みを訴え出たのです。
これをモーセが神に上申すると、直ちに、神からの指示(導き)が示されたのです。
この出来事は、主なる神がこの重要な事態に気が着かなかった・・・と、言うことでは無いのです。
民が、如何に神の命の恵に関心と、期待と、神の恵みの継承を願っているかを観ておられたのではないでしょうか‼️(*^_^*)
この事に気付いた今、相続や、血統の継承ではなく、神の賜物を如何に私達は大切に次の世代に繋ぐか・・・❓
この大きな使命に、心捉えられているか‼️を、問われた思いが致しました。
この問題は、{イスラエルの子らにとってさばきの掟となる‼️}と、
11節後半に、宣言されています。

大切なメッセージをを落としていました。

今朝のテキストから新たに迫られるのは、
主なる神から与えられた{信仰の継承}と言う使命についての一文が欠けていました。
お詫びしながら追加送信します(おわびします)

マナセ一族の娘たちの訴えに対する神の強い相続立法がモーセにより語られました。
このマナセの一族への神の御思いは、今日の私達にも、大きな{主なる神の御思いとして向けられと居るのです。
即ち、
家族への信仰の継承[永遠御国への相続] 信仰の継承という課題です。非常に困難な働きですが、
最有効な力は・・・{祈り}です。
又、家族が自分一人(単身)の場合には、祝福の継承からは無関係なのでしょうか❓
あなたの救いの恵{永遠の命への誘い・同伴の}継承(宣教・祈り)の使命です。今朝この使命を新たに心に刻み、歩き始めましょう‼️ 
 民数記  26章52節~65節

26:52 【主】はモーセに告げられた。
26:53 「これらの者たちに、その名の数にしたがって、地を相続地として割り当てなければならない。
26:54 大きい部族にはその相続地を大きくし、小さい部族にはその相続地を小さくしなければならない。それぞれ登録された者に応じて、その相続地は与えられる。
26:55 ただし、その地はくじで割り当てられ、彼らの父祖の部族の名にしたがって受け継がれなければならない。
26:56 その相続地は、大部族と小部族の間で、くじによって決められなければならない。」
26:57 さて、レビ人で氏族ごとに登録された者は、次のとおりである。ゲルションからはゲルション族、ケハテからはケハテ族、メラリからはメラリ族。
26:58 レビ諸氏族は次のとおりである。すなわち、リブニ族、ヘブロン族、マフリ族、ムシ族、およびコラ族。ケハテはアムラムを生んだ。
26:59 アムラムの妻の名はヨケベデで、レビの娘であった。彼女はエジプトでレビに生まれた者で、アムラムにアロンとモーセと彼らの姉ミリアムを産んだ。
26:60 アロンにはナダブとアビフとエルアザルとイタマルが生まれた。
26:61 ナダブとアビフは【主】の前に異なる火を献げたときに死んだ。
26:62 登録された者は、生後一か月以上の男子すべてで、二万三千人であった。彼らは、イスラエルの子らとともには登録されなかった。イスラエルの子らの中に相続地が与えられていなかったからである。
26:63 以上が、エリコをのぞむヨルダン川のほとりのモアブの草原で、モーセと祭司エルアザルがイスラエルの子らを登録したときに登録された者たちである。
26:64 しかし、この中には、シナイの荒野でモーセと祭司アロンがイスラエルの子らを登録したときに登録された者は、一人もいなかった。
26:65 それは【主】がかつて彼らについて、「彼らは必ず荒野で死ぬ」と言われたからである。彼らのうち、ただエフンネの子カレブとヌンの子ヨシュアのほかには、だれも残っていなかった。
 2025年5月21日(水)リビングライフQT

今や、イスラエルは40年と言う、長い長い旅の終わりに近づき、約束の地(乳と蜜の流れる地)を、望み見る死海の北端のヨルダンの低地、モアブの草原に辿り着いたのです。
ヨルダン川を隔てて彼方には、エリコの町の高い城壁が臨めるところまで来たのです。
私達はこれを読みながら、感無量の感傷がにじみますが、しかし、イスラエルの民にとっては、全てが未知の世界、初めての世界ですから、どんな感傷があったかは、推し量れませんね。
只、民の実勢を調査する作業や、約束の地での、各部族の領地の分配などの、話し合いの状況を感じ取った民は、時の近づいたことに、期待も膨らんだことでしょう。
しかし、ここでは新たに、レビの子孫、アロンとモーゼの記述があり、既にアロンは亡くなっており、アロンの子供たちの反逆が新たに、記録されたのを見ると、本当に哀しくも、辛い思いがしますね。
しかし、あの恐ろしい裁きの時にも、神に従うか否かを問い直すチャンスは与えられましたが、それすら拒否して、敵対した多くの民には、赦される道は残されなかったのです。
いよいよ神の約束の地に入るための、備えの時。神は新たに民にこの厳しい神の裁きと、神の求められる心を整えるための時が与えられたのです。
64節と65節は、厳しい現実のメッセージですね。
因みに、モーセは80歳の時に、エジプトを出たのですから、この時点で120歳だったのです。
今朝改めて主に従う道の、栄光と聖さと、開かれた喜びを感じさせられますね。
          アーメン‼️
 民数記  26章1節~51節

26:1 この主の罰の後のことであった。【主】はモーセと祭司アロンの子エルアザルに告げられた。
26:2 「イスラエルの全会衆について、一族ごとに、二十歳以上で、イスラエルで戦に出ることができる者すべての頭数を調べなさい。」
26:3 そこでモーセと祭司エルアザルは、エリコをのぞむヨルダン川のほとりのモアブの草原で、彼らに告げた。
26:4 「【主】がモーセに命じられたように、二十歳以上の者を数えなさい。」エジプトの地から出て来たイスラエルの子らは、
26:5 イスラエルの長子ルベン。ルベン族は、ハノクからはハノク族、パルからはパル族、
26:6 ヘツロンからはヘツロン族、カルミからはカルミ族。
26:7 これらがルベン人諸氏族で、登録された者は、四万三千七百三十人であった。
26:8 パルの子孫はエリアブ。
26:9 エリアブの子はネムエル、ダタン、アビラム。このダタンとアビラムは会衆から召し出された者であったが、コラの仲間としてモーセとアロンに逆らい、【主】に逆らった。
26:10 そのとき、地は口を開けて、コラとともに彼らを?み込んだ。それは、その仲間たちが死んだときのこと、火が二百五十人の男を食い尽くしたときのことである。こうして彼らは警告のしるしとなった。
26:11 ただし、コラの子たちは死ななかった。
26:12 シメオン族の諸氏族は、それぞれ、ネムエルからはネムエル族、ヤミンからはヤミン族、ヤキンからはヤキン族、
26:13 ゼラフからはゼラフ族、シャウルからはシャウル族。
26:14 これらがシメオン人諸氏族で、登録された者は、二万二千二百人であった。
26:15 ガド族の諸氏族は、それぞれ、ツェフォンからはツェフォン族、ハギからはハギ族、シュニからはシュニ族、
26:16 オズニからはオズニ族、エリからはエリ族、
26:17 アロデからはアロデ族、アルエリからはアルエリ族。
26:18 これらがガド人諸氏族で、登録された者は、四万五百人であった。
26:19 ユダの子はエルとオナン。エルとオナンはカナンの地で死んだ。
26:20 ユダ族の諸氏族は、それぞれ、シェラからはシェラ族、ペレツからはペレツ族、ゼラフからはゼラフ族。
26:21 ペレツ族は、ヘツロンからはヘツロン族、ハムルからはハムル族であった。
26:22 これらがユダ諸氏族で、登録された者は、七万六千五百人であった。
26:23 イッサカル族の諸氏族は、それぞれ、トラからはトラ族、プワからはプワ族、
26:24 ヤシュブからはヤシュブ族、シムロンからはシムロン族。
26:25 これらがイッサカル諸氏族で、登録された者は、六万四千三百人であった。
26:26 ゼブルン族の諸氏族は、それぞれ、セレデからはセレデ族、エロンからはエロン族、ヤフレエルからはヤフレエル族。
26:27 これらがゼブルン人諸氏族で、登録された者は、六万五百人であった。
26:28 ヨセフ族の諸氏族は、それぞれ、マナセとエフライム。
26:29 マナセ族は、マキルからはマキル族。マキルはギルアデを生んだ。ギルアデからはギルアデ族。
26:30 ギルアデ族は次のとおりである。イエゼルからはイエゼル族、ヘレクからはヘレク族、
26:31 アスリエルからはアスリエル族、シェケムからはシェケム族、
26:32 シェミダからはシェミダ族、ヘフェルからはヘフェル族。
26:33 ヘフェルの子ツェロフハデには息子がなく、娘だけであった。ツェロフハデの娘の名は、マフラ、ノア、ホグラ、ミルカ、ティルツァであった。
26:34 これらがマナセ諸氏族で、登録された者は、五万二千七百人であった。
26:35 エフライム族の諸氏族は、それぞれ、次のとおりである。シュテラフからはシュテラフ族、ベケルからはベケル族、タハンからはタハン族。
26:36 シュテラフ族は次のとおりである。エランからはエラン族。
26:37 これらがエフライム人諸氏族で、登録された者は、三万二千五百人であった。これがヨセフ族の諸氏族である。
26:38 ベニヤミン族の諸氏族は、それぞれ、ベラからはベラ族、アシュベルからはアシュベル族、アヒラムからはアヒラム族、
26:39 シュファムからはシュファム族、フファムからはフファム族。
26:40 ベラの子はアルデとナアマン。アルデからはアルデ族、ナアマンからはナアマン族。
26:41 これらがベニヤミン族の諸氏族で、登録された者は、四万五千六百人であった。
26:42 ダン族の諸氏族は次のとおりである。シュハムからはシュハム族。これらがダン族の諸氏族である。
26:43 シュハム人の全諸氏族で、登録された者は、六万四千四百人であった。
26:44 アシェル族の諸氏族は、それぞれ、イムナからはイムナ族、イシュウィからはイシュウィ族、ベリアからはベリア族。
26:45 ベリア族のうち、ヘベルからはヘベル族、マルキエルからはマルキエル族。
26:46 アシェルの娘の名はセラフであった。
26:47 これらがアシェル人諸氏族で、登録された者は、五万三千四百人であった。
26:48 ナフタリ族の諸氏族は、それぞれ、ヤフツェエルからはヤフツェエル族、グニからはグニ族、
26:49 エツェルからはエツェル族、シレムからはシレム族。
26:50 これらがナフタリ族の諸氏族で、登録された者は、四万五千四百人であった。
26:51 以上が、イスラエルの子らの登録された者で、六十万一千七百三十人であった。
 2025年5月20日(火)リビングライフQT

イスラエルの民が、エジプトを出るとき、どれほどの民の数であったのかは、記録に無いのです。即ち、振り返ればそれは、不特定多数の烏合の衆であったのです。
ただ或る事で一つになっていたのは、鴨居と両方の柱に、屠(ホフ)られた羊の血を塗って、死の使いによる恐ろしい裁きを免れた‼️…と

やがて彼らが、エジプトの死の使いから護られた時から、元々イスラエルの血を受け継ぐ者でない民も、一つ神の選びの中に加えられ、これからの長い旅路の、ある安定した時点(出エジプトから二年後)に、最初の人口調査が行われたのです。
そして、今回の、40年を経たとき、即ち、いよいよ約束の地に入いろうとするにあたって、民の態勢(☆志の一致   ☆信仰(唯、御ひと方の神への信仰)の一致  ☆シナイの山で頂いた十戒を始め全ての定めへの厳守・・・の確認のための、人口の再調査です。
これはイスラエルの民の実勢の確認と共に、民の信仰の一致の確認でもあったのです。
結果は・・・・・・
出発から2年の人口は、
60万3550人でした。
所が、この厳しい荒野の生活の中で、病・死産・その他による自然死がなかったわけではないでしょう。
又、この旅の途中で、指導者モーセとアロンに逆らい、神に敵対した者たちに、神の裁きの鉄槌が下り、多くの反逆者が討ち取られ、裂けて口を開いた地に呑み込まれ、又神からの火が降り反逆者を焼き滅ぼした・・・と言う凄惨な神の審判によって、数万の民が失われてきたのです。
この様に考えると、イスラエルの荒野の40年は、多くの民を失いながらも、新しい信仰の民として、再生を繰り返し、周りの民を震撼させるに充分な、証(実証)を世に示すものとなったのです。
603,550人が闘いに出ることの出来る20歳以上、恐らく50歳なかばか60歳迄とすると、イスラエルの総人口は、恐らく200万を超えた人口だったと、想定できるのです。即ち、イスラエルの民の40年に亘る大移動は、干からびた大地を這うようにして、神の奇跡に支えられて、更に一層力を増した民となって、成長した歴史は、他に観ることは出来ないのです。
即ちエジプトで奴隷として、打ちのめされていた民が、世界の歴史の真中に立つ民へと変貌する歴史は、弱いクリスチャンが、教会が、世の荒波の中で揉まれながら、輝き続けてきた、証の先駆けとも言えましょう‼️
今改めてあなたの荒野の旅に、神の導きと光を見付けましょう。
恐れるな。わたしはあなたとともにいる。たじろぐな。わたしがあなたの神だから。(イザヤ書41:10)
ハレルヤ‼️
 民数記  25章1節~18節

25:1 イスラエルはシティムにとどまっていたが、民はモアブの娘たちと淫らなことをし始めた。
25:2 その娘たちが、自分たちの神々のいけにえの食事に民を招くと、民は食し、娘たちの神々を拝んだ。
25:3 こうしてイスラエルはバアル・ペオルとくびきをともにした。すると、【主】の怒りがイスラエルに対して燃え上がった。
25:4 【主】はモーセに言われた。「この民のかしらたちをみな捕らえて、【主】の前で、白日の下にさらし者にせよ。そうすれば、【主】の燃える怒りはイスラエルから離れ去る。」
25:5 そこでモーセはイスラエルのさばき人たちに言った。「あなたがたは、それぞれ自分の配下でバアル・ペオルとくびきをともにした者たちを殺せ。」
25:6 ちょうどそのとき、一人のイスラエル人の男がやって来た。彼は、モーセと、会見の天幕の入り口で泣いているイスラエルの全会衆の目の前で、一人のミディアン人の女を自分の兄弟たちに近づかせた。
25:7 祭司アロンの子エルアザルの子ピネハスはそれを見るや、会衆の中から立ち上がり、槍を手に取り、
25:8 そのイスラエル人の男の後を追ってテントの奥の部屋に入り、イスラエル人の男とその女の二人を、腹を刺して殺した。するとイスラエルの子らへの主の罰が終わった。
25:9 この主の罰で死んだ者は、二万四千人であった。
25:10 【主】はモーセに告げられた。
25:11 「祭司アロンの子エルアザルの子ピネハスは、イスラエルの子らに対するわたしの憤りを押しとどめた。彼がイスラエルの子らのただ中で、わたしのねたみを自分のねたみとしたからである。それでわたしは、わたしのねたみによって、イスラエルの子らを絶ち滅ぼすことはしなかった。
25:12 それゆえ、言え。『見よ、わたしは彼にわたしの平和の契約を与える。
25:13 これは、彼とその後の彼の子孫にとって、永遠にわたる祭司職の契約となる。それは、彼が神のねたみを自分のものとし、イスラエルの子らのために宥めを行ったからである。』」
25:14 その殺されたイスラエル人の男、すなわちミディアン人の女と一緒に殺された者の名は、シメオン人の一族の長サルの子ジムリであった。
25:15 また殺されたミディアン人の女の名はツルの娘コズビであった。ツルはミディアンの父の家の諸氏族のかしらであった。
25:16 【主】はモーセに告げられた。
25:17 「ミディアン人を襲い、彼らを討て。
25:18 彼らは巧妙に仕組んだ企みによって、ペオルの事件であなたがたを襲ったからだ。ペオルの事件の主の罰の日に殺された彼らの同族の女、ミディアンの族長の娘コズビの一件だ。」
 2025年5月19日(月)リビングライフQT

主なる神の一番嫌われること・・・・何でしょう???

それが今日のテキストの中に入っているのです。
それは罪の根源である、《神ならぬ神》即ち、天地創造の神・イスラエルの神・唯一の神・・・・この方以外に神はいない‼️
これが聖書の根本原理なのです‼️
エバが神に背いたことから始まり、神に敵対する神に背いた霊の僕べサタンが、人類を神から切り離してきました。日本文化観て下さい。
☆神のような人   ☆自然の不思議から→ご神木     ☆優れた技能の人を→野球の神様・習字の神様・・・・・
何でもこの様に、優れた者を神として崇め、霊的に低い水準の魂へと、神の栄光と権威を、貶(オトシ)めてきたのです。
その様な中から、神は御自身を信じる民の、その信仰の上に歴史を紡いで、創造を完成へと導くためにイスラエルを選ばれ、エジプトから解放し、様々な徴と不思議とを持って、民を導いてこられたのです。
今日のテキストの民への厳しい裁きの現実は、神の愛の御計画が進めば進むほど、増すことでしょう。その神の怒りと審判が最高に燃やされたのは・・・・・
あの‼️ゴルゴタの丘の十字架なのです。
創造主信仰は、人道主義や民主主義ではないのです。これ等は人類の自前の申し合わせであり、神の福音ではないのです。
今も、これからも厳しいほどに、神以外のものに、自分の活路を見いだそうとする、愚かさから自由になり、神の栄光を魂の衣として、生きる力強い人生を、追い求めて生涯の駒を進めたいですね。
このメッセージが、今日のテキストの底流にある、歴史的民の闘いの姿なのです。

明日(20日)のテキスト
民数記   26:1~51 
 民数記  24章10節~25節

24:10 バラクはバラムに対して怒りを燃やし、手を打ち鳴らした。バラクはバラムに言った。「私の敵に呪いをかけてもらうためにおまえを招いたのに、かえっておまえは三度までも彼らを祝福した。
24:11 今、おまえは自分のところに引き下がれ。私は手厚くもてなすつもりでいたが、【主】がもう、そのもてなしを拒まれたのだ。」
24:12 バラムはバラクに言った。「私は、あなたが遣わした使者たちにも、こう言ったではありませんか。
24:13 『たとえバラクが私に銀や金で満ちた彼の家をくれても、【主】のことばに背くことは、良いことでも悪いことでも、私の心のままにすることはできません。【主】が告げられること、それを私は告げなければなりません。』
24:14 今、私は自分の民のところに帰ります。さあ、私は、この民が終わりの日にあなたの民に行おうとしていることについて、あなたに助言を与えます。」
24:15 そして彼の詩のことばを口にして言った。「ベオルの子バラムの告げたことば。目の開かれた者の告げたことば。
24:16 神の御告げを聞く者、いと高き方の知識を知る者、全能者の幻を見る者、ひれ伏し、目の開かれた者の告げたことば。
24:17 私には彼が見える。しかし今のことではない。私は彼を見つめる。しかし近くのことではない。ヤコブから一つの星が進み出る。イスラエルから一本の杖が起こり、モアブのこめかみを、すべてのセツの子らの脳天を打ち砕く。
24:18 その敵、エドムは所有地となり、セイルも所有地となる。イスラエルは力ある働きをする。
24:19 ヤコブから出る者が治め、残った者たちを町から絶やす。」
24:20 彼はアマレクを見渡して、彼の詩のことばを口にして言った。「アマレクは国々の中で最高のもの。しかし、その終わりは滅びに至る。」
24:21 彼はケニ人を見渡して、彼の詩のことばを口にして言った。「あなたの住みかは堅固で、あなたの巣は岩間に置かれている。
24:22 しかし、カインは滅ぼし尽くされ、ついにはアッシュルがあなたを捕虜とする。」
24:23 また彼は、彼の詩のことばを口にして言った。「ああ、神が定められたなら、だれが生き延びられるだろう。
24:24 船がキティムの岸から来て、アッシュルを苦しめ、エベルを苦しめる。これもまた、滅びに至る。」
24:25 バラムは立って自分のところへ帰って行った。バラクも帰途についた。
 2025年5月18日(日)リビングライフQT

バラムに裏切られたバラクは、遂に怒りを発して、バラムを責めました。しかしそれに対して、バラムの弁明はなく、何処までも、神のご意志になる彼の言葉(終始一貫イスラエルの祝福への宣言)でした。

欲に絡まれていたバラムが、大預言者並みの、器とされて、今や、砂漠に迷うイスラエルの祝福と栄光の将来を語り尽くすとは、神は何と不思議なことをなさいますね。
更にバラムは、イスラエルの将来について、近隣の民の生活圏も、更にイスラエルの所有となる。
更にこのイスラエルの中から、偉大な神の器が出る‼️実はこの預言(17節)こそ、[メシヤ]出現の預言なのです。
今やバラムの言葉は、イスラエルを徹底的に亡き者にしようと、画策した、強大なモアブに対する、神の宣言ではなく、モアブを始め神に敵対するすべての民に対する、神の創造計画開示の、明確な宣言となるのです。
神のみ業は着々と進行しているのです。イスラエルの迷い・不従順・葛藤・・・・まるで、敵も味方も、こぞって神の御計画を妨げるような事態の中にも、着々と道は進められているのです。
目の前の困難に挫折してはなりません。進む事も引く事も出来ない状況の時にも、神のあなたへの勝利の御計画は、休み無く進んでいます‼️
ハレルヤ‼️
祈り、主を見上げて、歩み続けましょう。
 
 民数記  23章27節~24章9節

23:27 バラクはバラムに言った。「では、私はあなたを、もう一つ別の場所へ連れて行きましょう。もしかしたら、それが神の御目にかなって、あなたは私のために、そこから彼らに呪いをかけることができるかもしれません。」
23:28 バラクはバラムを、荒れ野を見下ろすペオルの頂上に連れて行った。
23:29 バラムはバラクに言った。「私のためにここに七つの祭壇を築き、七頭の雄牛と七匹の雄羊をここに用意してください。」
23:30 バラクはバラムが言ったとおりにして、祭壇に雄牛と雄羊を献げた。

24:1 バラムはイスラエルを祝福することが【主】の目にかなうのを見て、これまでのようにまじないを求めに行くことをせず、その顔を荒野に向けた。
24:2 バラムが目を上げると、イスラエルがその部族ごとに宿っているのが見えた。すると、神の霊が彼の上に臨んだ。
24:3 彼は、彼の詩のことばを口にして言った。「ベオルの子バラムの告げたことば。目の開かれた者の告げたことば。
24:4 神の御告げを聞く者、全能者の幻を見る者、ひれ伏し、目の開かれた者の告げたことば。
24:5 なんとすばらしいことよ。ヤコブよ、あなたの天幕は。イスラエルよ、あなたの住まいは。
24:6 それは、広がる谷のよう、また川のほとりの園のようだ。【主】が植えたアロエのよう、また水辺の杉の木のようだ。
24:7 その手桶からは水があふれ、種は豊かな水に潤う。王はアガグよりも高くなり、王国は高く上げられる。
24:8 彼をエジプトから導き出された神は、彼にとっては野牛の角のようだ。彼は自分の敵の国々を食い尽くし、彼らの骨をかみ砕き、矢をもって撃ち砕く。
24:9 雄獅子のように、また雌獅子のように、彼は身を伏せ、横たわる。だれがこれを起こせるだろう。あなたを祝福する者は祝福され、あなたをのろう者はのろわれる。」
 2025年5月17日(土)リビングライフQT

バラク王は、バラムがまだまだ、事の本質を理解していないと思い、彼を更に高い山に連れ登りイスラエルの民の全容を展望させたのです。
所が、占い師であり偽予言者(呪いを掛ける)でもあるバラムは、今や、神の霊に包まれ初めているのを感じたのです。バラム自身が身(体に感じる)をもって、イスラエルが全能の神の御手の中に、包まれているのを体感したのです。
想像してみて下さい。200万にも成る民が、神の臨在の幕屋を中心に、12の氏族が、整然と天幕を張って居住する姿は…小集団ごとに割拠して、争いの絶えない部族集団のモアブの民にとっては、想像を絶する、偉容だったでしょう。
バラム自身が恐れを成す光景だったでしょう。
勝ち負けの問題ではなく、イスラエル(全能の神)の臨在に触れた想いだったでしょう‼️
彼は、(呪い)どころか、最大限の祝福と、見えない神に護られている、栄光と祝福を、語らずには居られなかったのです。

私はこれを書きながら、ふと、自らの信仰生活の日々、殊に、牧師として伝道者として歩んだ、60年を超える道を振り返った時・・・・
危機に直面したこと・進む道が見えなくなった時のこと・挫折して立ちあがれなくなる様な危機に直面した事・・・その様なとき、後退したり、先に進まず止まったりしていたら、今が無かったことを、思わずには居られません。兎に角、主に信頼して、前に進んだのです。保障されていたのではないのです。ただ--{主が伴に居られたから}--から進んだだけなのです。
そこに恵みの道が開かれたのです。
この荒野の真ん中で、バラムはイスラエルに何を見たのでしょう‼️
5節~9節の預言の言葉は、正に神のお言葉です。
今、困難や、病や、魂の闘いに直面して居られませんか❓
実はその真中に、主は居られるのです。
イスラエルは、乾き切った砂漠の真中に、天幕を張って、何日も何日も、出発のラッパの響くのを待ち、ラッパの響は、神の導きと信じて、40年歩んだ民の統率は、正に神の臨在を証するものです。
クリスチャンの輝きは、この姿にも似たものだろうなぁ・・・‼️と・・・・考えさせられました。
試練の中にも、病の中にも、悲しみの中にも(信仰が有れば、孤独も悩みも感じない・❓・平気で乗り越えられる・❓・その様なものに遭遇しない・❓・・・・)
その様な奇蹟や伝説は、有り得ないのです。
逆に、クリスチャンだからこそ、遭遇する試練は、沢山在ります。正に荒野のイスラエルのように。
私達も、そこに主の臨在を仰ぐことが出来るのです。それが[信仰]なのです。
流石のバラムもこの民の信仰(神への信頼)を、無視できなかったのです。
イスラエルの信仰の勝利です‼️ハレルヤ
あなたの今日の人生の荒野の姿は・・・・❓‼️(*^_^*)主よ‼️あなた様の傍は何と、平安に満ちているのでしょう‼️ 感謝します。御手の中に包んで下さい(*^_^*)アーメン‼️
 民数記  23章13節~26節

23:13 バラクは彼に言った。「では、私と一緒に彼らを見ることができる別の場所へ行ってください。その一部を見るだけで、全体を見ることはできませんが。そこから私のために彼らに呪いをかけてください。」
23:14 バラクはバラムを、セデ・ツォフィムのピスガの頂に連れて行き、そこで七つの祭壇を築き、どの祭壇にも雄牛一頭と雄羊一匹を献げた。
23:15 バラムはバラクに言った。「あなたはここで、自分の全焼のささげ物のそばに立っていてください。私はあちらで主にお会いします。」
23:16 【主】はバラムに会い、その口にことばを置き、そして言われた。「バラクのところに帰って、こう告げなければならない。」
23:17 それで、彼はバラクのところに帰った。すると、彼はモアブの長たちと一緒に、自分の全焼のささげ物のそばに立っていた。バラクは言った。「【主】は何をお告げになりましたか。」
23:18 バラムは彼の詩のことばを口にして言った。「立て、バラクよ。そして聞け。私に耳を傾けよ。ツィポルの子よ。
23:19 神は人ではないから、偽りを言うことがない。人の子ではないから、悔いることがない。神が仰せられたら、実行されないだろうか。語られたら、成し遂げられないだろうか。
23:20 見よ、私は、祝福せよとの命を受けた。神が祝福されたのだ。私はそれをくつがえすことはできない。
23:21 ヤコブの中に不法は見出されず、イスラエルの中に邪悪さは見られない。彼らの神、【主】は彼らとともにおられ、王をたたえる声が彼らの中にある。
23:22 彼らをエジプトから導き出された神は、彼らにとって野牛の角のようだ。
23:23 まことに、ヤコブのうちにまじないはなく、イスラエルのうちに占いはない。神が何をなさるかは、時に応じてヤコブに、すなわちイスラエルに告げられる。
23:24 見よ、一つの民を。それは雌獅子のように起き上がり、雄獅子のように身を持ち上げ、休むことはない。獲物を食らい、殺されたものの血を飲むまでは。」
23:25 バラクはバラムに言った。「彼らに呪いをかけることも祝福することも、決してしないでください。」
23:26 バラムはバラクに答えた。「私は、【主】が告げられることはみな、しなければならない、とあなたに言ったではありませんか。」
 2025年5月16日(金)リビングライフQT

更に、モアブの王バラクは、自分の民が如何に恐怖にさらされているかを伝えるために、予言者バラムを、200万の民を更によく見えるところに案内して、まだ民の全てを観ないまでも、モアブの民の数からすれば、彼らが恐れることは、充分なまでに理解できる様に、案内したのです。
しかし、神からのバラムへの語るべきメッセージは、更に厳しく、イスラエルがこれからの歴史の中で歩む、その力と栄光は、何者も阻むことの出来ない、神の主権になる御計画なのだ‼️・・・と、語らせたのです。
イスラエルのこの様な不動の祝福と御計画は、私達クリスチャンの選びと、類似したものです。
ですから、高ぶってはなりませんが、彼らの選びは、やがての時代に在る、今の私達への選びのメッセージでもある、という事を思いながら、更に学んでまいりましょう‼️
 民数記  22章41節~23章12節

22:41 朝になると、バラクはバラムを連れ出し、彼をバモテ・バアルに上らせた。バラムはそこからイスラエルの民の一部を見た。

23:1 バラムはバラクに言った。「私のためにここに七つの祭壇を築き、七頭の雄牛と七匹の雄羊をここに用意してください。」
23:2 バラクはバラムの言ったとおりにした。そしてバラクとバラムは、祭壇の上で雄牛一頭と雄羊一匹を献げた。
23:3 バラムはバラクに言った。「あなたは、あなたの全焼のささげ物のそばに立っていてください。私は行って来ます。おそらく、【主】は私に会ってくださるでしょう。主が私にお示しになることを、あなたに知らせましょう。」そして彼は裸の丘に行った。
23:4 神がバラムに会われたので、バラムは神に言った。「私は七つの祭壇を整え、それぞれの祭壇の上で雄牛一頭と雄羊一匹を献げました。」
23:5 【主】はバラムの口にことばを置き、そして言われた。「バラクのところに帰って、こう告げなければならない。」
23:6 彼がバラクのところに帰ると、見よ、バラクはモアブのすべての長たちと一緒に、自分の全焼のささげ物のそばに立っていた。
23:7 バラムは彼の詩のことばを口にして言った。「バラクは、アラムから、モアブの王は、東の山々から私を連れて来た。『来て、私のためにヤコブをのろえ。来て、イスラエルを責めよ』と。
23:8 私はどうして呪いをかけられるだろうか。神が呪いをかけない者に。私はどうして責めることができるだろうか。【主】が責めない者を。
23:9 岩山の頂から私はこれを見、丘の上から私はこれを見つめる。見よ、この民はひとり離れて住み、自分を国々と同じだと見なさない。
23:10 だれがヤコブのちりを数え、イスラエルの四分の一さえ数えられるだろうか。私が心の直ぐな人たちの死を遂げますように。私の最期が彼らと同じようになりますように。」
23:11 バラクはバラムに言った。「あなたは私に何ということをしたのですか。私の敵に呪いをかけてもらうためにあなたを連れて来たのに、今、あなたはただ祝福しただけです。」
23:12 バラムは答えた。「【主】が私の口に置かれること、それを忠実に語ってはいけないのですか。」
 2025年5月15日(木)リビングライフQT

昨日のテキストにも、書かれていましたが、祭壇を築いて、牛と羊を献げた・・・・今日のテキストにも(2節)実に仰々しく、7つの祭壇で牛と羊をそれぞれ一頭づつ献げています。
言葉では簡単ですが、この作業は実に大変な労作であり、それが大変であればあるほど、その主催者には、神への敬虔さと、真実さが評価された・・・と、自負する思い違いをするのです。予言者バラムは、この厳粛な働きを、神を信じる自らの手には寄らず、偶像信仰の民の長たる、バラク王にさせたのです。
その後その燔祭の業を、「わたしが・・・・」と自分の業として、神に報告しています。正に偽善そのものではないでしょうか
しかし、神はこの様なバラムの偽善を黙殺されて、バラク王へのメッセージをバラムに語らせたのです。
その姿は、正に、敬虔な神の僕の姿を纏った詐欺師のような、末恐ろしい偽りの演出なのです。
正に、バラムは羊の皮を被った狼のようです。
あわよくばバラク王から更に多くの報償を得ようと、画策しているようです。
11節のバラク王の怒りの言葉に対して語る
12節のバラムの言葉は「主が私の口に置かれること、それを忠実に語ってはいけないのですか。」
神のお言葉の権威を笠に着て、更に報酬をつり上げようと画策しているのです。
宗教(信仰)を食い物にする、偽教師は、イエス様の時代にも、中世の教会にも、20世紀末期の世界の教会にも、拡散した歴史を見てきました。恐るべきサタンの隠れた策略です。
罪の発火点は、昔も今も変わらないことを、創世記の中に観ます
最初の人のパートナー・゙エバ゙が、蛇(サタン)から誘惑されたとき、エバの感性(感覚)について、こう記しています。
創世記3章6節「そこで女が見ると、その木は、まことに食べるには良く、眼には慕わしく、賢くすると言うその木はいかにも好ましかった。」
これは、その木が誘惑に満ちていたのではなく、エバの魂に、神の警告の言葉ではなく、サタンの誘惑の言葉が魂を占めていたからです。
バラムの言葉そのものは、神の告げられた真実の神の言葉でした。しかし、語ったバラムの口を通して出たとき、その言葉は、バラク王をして、更なる、神の民への対決へと、食い下がらせたのです。
ヤコブの手紙
 1章14節・15節
「欲がはらんで罪を生み、罪がはらんで死を生み出す。」
[欲]これは正に罪の元凶ですね。新たに、神の給う恵と平安に、心を満たして頂きましょう。

明日(16日)のテキスト
民数記 
         23章13節~26節 
 民数記  22章節31~40節

22:31 そのとき、【主】はバラムの目の覆いを除かれた。すると彼は、【主】の使いが道に立ちはだかり、抜き身の剣を手に持っているのを見た。彼はひざまずき、伏し拝んだ。
22:32 【主】の使いは彼に言った。「何のために、あなたは自分のろばを三度も打ったのか。わたしが敵対者として出て来ていたのだ。あなたがわたしの道を踏み外していたからだ。
22:33 ろばはわたしを見て、三度もわたしから身を避けた。もし、ろばがわたしから身を避けていなかったなら、わたしは今すでに、あなたを殺して、ろばを生かしていたことだろう。」
22:34 バラムは【主】の使いに言った。「私は罪を犯していました。あなたが私をとどめようと道に立ちはだかっておられたのを、私は知りませんでした。今、もし、あなたのお気に召さなければ、私は引き返します。」
22:35 【主】の使いはバラムに言った。「その人たちと一緒に行け。しかし、わたしがあなたに告げることばだけを告げよ。」そこでバラムはバラクの長たちと一緒に行った。
22:36 バラクはバラムが来たことを聞いて、彼を迎えに、国境の端にあるアルノンの国境のイル・モアブまで出て来た。
22:37 バラクはバラムに言った。「私はあなたを迎えようと、人を遣わさなかったでしょうか。なぜ、私のところに来てくださらなかったのですか。私には、あなたをおもてなしすることが、本当にできないのでしょうか。」
22:38 バラムはバラクに言った。「ご覧なさい。私は今あなたのところに来ているではありませんか。私に何が言えるでしょう。神が私の口に置かれることば、それを私は告げなければなりません。」
22:39 バラムはバラクと一緒に行き、キルヤテ・フツォテに着いた。
22:40 バラクは牛と羊をいけにえとして献げ、それをバラムおよび彼とともにいた長たちにも贈った。
 2025年5月14日(水)リビングライフQT

一見、この聖書箇所の流れを観ていると、バラムは敬虔だとまでは言えませんが、一応、神への信仰と敬虔を兼ね備えているかに見えますね。  しかし、実は、彼の心の中には、密かな願望が渦巻いていたのを、見落としてはなりません。
それが見えるのは、34節の「わしは罪を犯していました。あなたが私をとどめようと・・・今、もし、あなたのお気に召さなければ、私は引き返します。」
何という言い方でしょう・・・御使いだからでしょうか・・・
主なる神は、更にバラムに強い命令ではなく・・・『行け。しかし、私があなたに告げる言葉だけを告げよ。』
即ち、時間的猶予ある神のお言葉なのです。
時間経過は、神への真実さを試す非常に厳しい、テストなのです。
主なる神は待っておられます。この後も幾度となく、バラク王の誘惑に富んだ、接待・言葉・宗教的(バラムの信じる神への儀式-燔祭-)儀式等を演じながら、バラムを引きつけ続けたのです。
もし、サタンが悪の権化らしく、凄い姿で迫ってきたら、主の僕ならば、反って神への信頼に燃えて、サタンに挑戦し勝利するでしょう。恐れてサタンの軍門に下る者も出るかも知れません。
しかし、神に従う者を、神は護られます。
しかし、自らの意思を、神の御心に優先する者には、神の恩寵溢れる、祝福と勝利は、望めません。
バラムは正に、彼の内には欲望が染みこんで、心は、バラクの誘惑に傾きかけていたのです。
異教の中での信仰生活を知る私達にとって、従うことの大切さが、一層強く、確かに求められている様に響いてきます。
人生の全ての瞬間・瞬間が、主なる神に密着した時であるべきことを、この箇所は語り掛けています。
この様な優柔不断なバラムに対しても、神は寄り添うようにして、語り掛けています。
今日改めて、共に歩み給う主のみ顔を仰ぎ見て、従順と献身と全き服従を献げてまいりましょう‼️
 民数記  22章15節~30節

22:15 バラクはもう一度、先の者たちよりも大勢の、しかも位の高い長たちを遣わした。
22:16 彼らはバラムのところに来て彼に言った。「ツィポルの子バラクはこう申しました。『どうか私のところに来るのを断らないでください。
22:17 私はあなたを手厚くもてなします。また、あなたが私に言いつけられることは何でもします。どうか来て、私のためにこの民に呪いをかけてください。』」
22:18 しかし、バラムはバラクの家臣たちに答えた。「たとえバラクが銀や金で満ちた彼の家をくれても、私は私の神、【主】の命を破ることは、事の大小にかかわらず、断じてできません。
22:19 ですから、あなたがたもまた、今晩ここにとどまりなさい。【主】が私に何かほかのことをお告げくださるかどうか、確かめましょう。」
22:20 夜、神はバラムのところに来て、彼に言われた。「この者たちがあなたを招きに来たのなら、立って彼らと一緒に行け。だが、あなたはただ、わたしがあなたに告げることだけを行え。」
22:21 バラムは朝起きて、自分のろばに鞍をつけ、モアブの長たちと一緒に行った。
22:22 しかし、彼が行こうとすると、神の怒りが燃え上がり、【主】の使いが彼に敵対して道に立ちはだかった。バラムはろばに乗っていて、二人の若者がそばにいた。
22:23 ろばは、【主】の使いが抜き身の剣を手に持って、道に立ちはだかっているのを見た。ろばは道からそれて畑に入って行ったので、バラムはろばを打って道に戻そうとした。
22:24 すると【主】の使いは、両側に石垣のある、ぶどう畑の間の狭い道に立った。
22:25 ろばは【主】の使いを見て、石垣にからだを押しつけ、バラムの足を石垣に押しつけたので、バラムはさらにろばを打った。
22:26 【主】の使いはさらに進んで行って、狭くて、右にも左にもよける余地のない場所に立った。
22:27 ろばは【主】の使いを見て、バラムを乗せたまま、うずくまってしまった。バラムは怒りを燃やし、杖でろばを打った。
22:28 すると、【主】がろばの口を開かれたので、ろばはバラムに言った。「私があなたに何をしたというのですか。私を三度も打つとは。」
22:29 バラムはろばに言った。「おまえが私をばかにしたからだ。もし私の手に剣があれば、今、おまえを殺してしまうところだ。」
22:30 ろばはバラムに言った。「私は、あなたが今日この日までずっと乗ってこられた、あなたのろばではありませんか。私がかつて、あなたにこのようなことをしたことがあったでしょうか。」バラムは答えた。「いや、なかった。」
 2025年5月13日(火)リビングライフQT

 昨日からの聖書本文は、読まなければ、今日の箇所も、これからの事態の流れも、理解が難しいので、必ずしっかり読んで下さい。

さて、予言者バラクの元には、再び更に積まれた金品と、好条件の接待の約束を持った使者がやって来ました。
そしてイスラエルの呪いを積み上げて欲しい・・・・と、訴えるのです。
主なる神は、モアブの王の使者に、着いていくように示し、ただ、神がその時告げることだけを語るように・・・と、忠告します。
途中、乗ったロバがバラムの言うことを聞かず、彼をズンズン狭く、通れないほどの道へと、逸れたのです。
バラク王の元へ行くバラムの、心の内を覗いてみましょう。
神からの条件はついていましたが、何か得に成る展開を、密かに心に抱いていたのかも知れませんね❓
主なる神は、バラムを試されているのです。
彼が真実、下心全くなく、神に従順に従うための、御警告として、この様にロバの行動を導いているのです。
道が開かれると言うことは、そのままその方向が、神の由とされた道…だとは限らないのです。
神の導きを仰ぐとき、祈る者の心(魂)まで、主なる神は、見ておられます。
下心の僅かでも有るときには、魂は濁り、神の導かれる道を、迷路から、神の聖なる王道から、反らせてしまうのです。
伝道者であり牧師である私自身、今日までの生涯に、どれほど揺さぶられたことでしょう。誰かが揺さぶる(誘惑する)と言うより、自らの魂の欲(こうなったら良い・成ってほしい・もっと成果が上がって自信がつく・・・)そんな勝手な思いで、深く祈らないで、行動に移したことが、幾度あったことでしょう。正にバラム状態の時でした。
そんな私を今日まで導いて下さったのです。
人生の祝福・平安・豊かさは、神から与えられるのであって、あなたの優れた知性や感性によるのではない・・・‼️と言うことを、痛い(>_<)ほど経験してきました。
今日、改めて、私の今日は主が共に歩んでくださっている道だろうか???祈りの座で、確認しながら主の道を辿りましょう‼️
 民数記  22章1節~14節

22:1 イスラエルの子らは旅を続け、ヨルダンのエリコの対岸にあるモアブの草原に宿営した。
22:2 ツィポルの子バラクは、イスラエルがアモリ人に行ったすべてのことを見た。
22:3 モアブは、イスラエルの民の数が多かったので非常におびえた。それでモアブはイスラエル人に恐怖を抱いた。
22:4 モアブはミディアンの長老たちに言った。「今、この集会は、牛が野の青草をなめ尽くすように、われわれの周りのすべてのものをなめ尽くそうとしている。」ツィポルの子バラクは当時、モアブの王であったが、
22:5 同族の国にある、あの大河のほとりのペトルにいるベオルの子バラムを招こうと、使者たちを遣わして言った。「見なさい。一つの民がエジプトから出て来た。今や、彼らは地の面をおおい、私の目の前にいる。
22:6 今来て、私のためにこの民をのろってもらいたい。この民は私より強い。そうしてくれれば、おそらく私は彼らを討って、この地から追い出すことができるだろう。あなたが祝福する者は祝福され、あなたがのろう者はのろわれることを、私はよく知っている。」
22:7 モアブの長老たちとミディアンの長老たちは、占い料を手にしてバラムのところに行き、バラクのことばを告げた。
22:8 バラムは彼らに言った。「今夜はここに泊まりなさい。【主】が私に告げられるとおりに、あなたがたに返答しましょう。」モアブの長たちはバラムのもとにとどまった。
22:9 神はバラムのところに来て言われた。「あなたと一緒にいるこの者たちは何者か。」
22:10 バラムは神に言った。「モアブの王ツィポルの子バラクが、私のところに使いをよこし、
22:11 『今ここに、エジプトから出て来た民がいて、地の面をおおっている。さあ来て、私のためにこの民に呪いをかけてくれ。そうしたら、おそらく私は彼らと戦って、追い出すことができるだろう』と申しました。」
22:12 神はバラムに言われた。「あなたは彼らと一緒に行ってはならない。また、その民をのろってもいけない。その民は祝福されているのだから。」
22:13 朝になると、バラムは起きてバラクの長たちに言った。「あなたがたの国に帰りなさい。【主】は私があなたがたと一緒に行くことをお許しにならないから。」
22:14 モアブの長たちは立ってバラクのところに帰り、そして言った。「バラムは私たちと一緒に来ることを拒みました。」
 2025年5月12日(月)リビングライフQT

イスラエルの民は長い40年のシナイの荒野の旅路も、いよいよ終わりが近くなり、カナン突入の重要な局面に入ってきました。ヨルダン川の東岸のモアブの平原に近づき、既に地域を平定して、後はモアブの支配地域を一気に攻めて、ヨルダン川を渡れば、そこは約束の地・・・なのです。
民は一息ついて、前進の時を待機していたのです。その様な時に、敵(サタンの勢力)は、神の永遠の御計画の推進を、妨げようとする、大きな陰謀が巡らされ始めるのです。
モアブは、完全な偶像礼拝の民で、イスラエルの神を恐れていました。
そこで彼らは、かつてモーセが若い時に、{有りて有る}神を知る切っ掛けとなった、ミデアン族の占い師(予言者)のバラクを招いて厚遇し、なんとか都合の良い予言を語ってもらい、民の出撃の勝利のバックとしたいと、画策(呪いの予言)を、依頼するのです。
古代社会ではよく有る事です。
ミディアンの長老(祈祷師)は、一応天地万有の神信仰(歪んだ信仰=カイン・ロト等の礼拝の民から外れた、崩れた祈祷師)だったので、モアブの王は、宗教的対決の道具として指名して呼び寄せたのでしょう。
祈祷師(占い師)バラムは、一応神に祈る事で、自らの行動を決めていたのでしょう。一晩の猶予を・・・と。
その夜、神は御自身の証(イスラエルの神である)のために、バラムに顕れ御声を掛けられたのです。
神の厳粛な語り掛けの前に、彼は従いました。
これある意味で、バラムが神への従順を試されているのです。
私達の信仰生活の中でも、自分の損益に関する問題に直面したときに、祈ると心が逡巡する(躊躇する、ためらう)のを感じた事はありませんか❓
宝くじを買う時に祈ったり・・・神様頼みで充分に努力しないまま受験に向かったり・・・
自分の反省は棚上げにして、相手が折れることを祈ったり・・・
この様な自分の利を求めた祈りをするとき、警告的御介入(沈黙・自分の思いと反対の結果・魂の乱れ、落ち込み・・)を経験したことはありませんか・・・❓
主なる神はあなたを愛して、護って下さっているのです。
主なる神の前に、しっかり座りましょう。‼️
 民数記  21章22節~35節

21:22 「あなたの土地を通らせてください。私たちは畑にもぶどう畑にもそれて入りません。井戸の水も飲みません。あなたの領土を通過するまで、私たちは『王の道』を通ります。」
21:23 しかし、シホンはイスラエルが自分の領土を通ることを許さなかった。シホンはその兵をみな集めて、イスラエルを迎え撃つために荒野に出て来た。そしてヤハツに来てイスラエルと戦った。
21:24 イスラエルは剣の刃でシホンを討ち、その地をアルノン川からヤボク川まで、アンモン人の国境まで占領した。アンモン人の国境は堅固だった。
21:25 イスラエルはこれらの町々をすべて取った。そしてイスラエルは、アモリ人のすべての町、ヘシュボンとそれに属するすべての村に住んだ。
21:26 ヘシュボンはアモリ人の王シホンの町であった。彼はモアブの以前の王と戦って、その手からその全土をアルノンまで奪っていた。
21:27 それで、詩のことばを語る者たちも言っている。「来たれ、ヘシュボンに。シホンの町は建てられ、堅くされている。
21:28 ヘシュボンから火が出た。シホンの町から炎が。それはモアブのアルを、アルノンにそびえる高地を焼き尽くした。
21:29 モアブよ、おまえはわざわいだ。ケモシュの民よ、おまえは滅び失せる。その息子たちは逃亡者、娘たちは捕らわれの身。アモリ人の王シホンの手によって。
21:30 しかし、われわれは彼らを投げ倒し、ヘシュボンはディボンに至るまで滅び失せた。われわれはノファフまで荒らし、それはメデバにまで至った。」
21:31 こうしてイスラエルはアモリ人の地に住んだ。
21:32 そのとき、モーセは人を遣わしてヤゼルを探り、ついにそれに属する村々を攻め取り、そこにいたアモリ人を追い出した。
21:33 さらに彼らが向きを変えてバシャンへの道を上って行くと、バシャンの王オグが、エデレイで戦うために、そのすべての兵とともに彼らの方に出て来た。
21:34 【主】はモーセに言われた。「彼を恐れてはならない。わたしは彼とそのすべての兵とその地をあなたの手に与えた。あなたがヘシュボンに住んでいたアモリ人の王シホンに行ったように、彼にも行え。」
21:35 そこで彼らは、彼とその子たちとそのすべての兵を討ち、一人の生存者も残さなかった。こうして彼らはその地を占領した。
 2025年5月11日(日)リビングライフQT

いよいよ約束の地に近づいてきました。
死海は、世界一低い地溝帯にあるため、東西両岸は、急な険しい地形で、人々の住むところは、湖岸から遙か離れた地域に居住していました。(高原)
因みに、死海の湖面は
海面下(450m)もの低いところです。
ですから、イスラエルの民は、モアブの遙かな東側を迂回して進んだのです。
モアブ・アンモンの民(アモリ人)の敵対する戦いをすすめて、死海の東岸~ヨルダン川東岸をガリラヤ近くまで制圧して、
31節には・・・[こうしてイスラエルはアモリ人の地に住んだ。]と記されています。
彼らは、やがて12部族に配分されて、割拠する一部(ヨルダン川東岸)に、早くも、居住の証を顕す事になったのです。
まだ、目的の完成はほど遠いのですが、彼らは知らずして、イスラエルの民の歴史を刻む地域の一部に、既に踏み込んだのです。
実は、彼らのこれまでの戦いは、35節にあるように、その闘いは、兵を討ち、一人の生存者も残さなかった。・・
と、記されているように、今日の人道主義の世界観からは、到底理解できないような、残虐な闘いだったことがうかがえます。
聖書だから・・・と言う観点から、平和と人道主義的読み方する事は、歴史の真実を見落としてしまうので、そのまま素直に読み進んでいきましょう。
また、一方聖書の歴史は、創造主なる神と、これに敵対して、人類を破滅に引き落とそうとする、サタンとの闘いの歴史でもあるのです。
神はサタンが支配する人類世界を御自身の、創造完成世界へと回復するために、創造主なる神のみを信じる民を、この世に選び、その民を通して、救いの道(十字架の贖い)を顕すための歴史を、展開されてこられたのです。
これが旧新聖書の歴史なのです。
更に、学んでまいりましょう。
別な方向から見ると、旧約聖書も、新約聖書も、私達の霊的(魂の遍歴)戦いへの、示唆と導きと、実践方法の教えを与えてくださっているのですね‼️
 民数記  21章節10~21節

21:10 イスラエルの子らは旅立って、オボテで宿営した。
21:11 彼らはオボテを旅立ち、日の昇る方、モアブに面した荒野にあるイエ・ハ・アバリムに宿営した。
21:12 彼らはそこを旅立ち、ゼレデの谷に宿営し、
21:13 さらにそこを旅立って、アモリ人の国境から広がっている荒野にある、アルノン川の対岸に宿営した。アルノン川は、モアブとアモリ人との間にあるモアブの国境だったからである。
21:14 それで、『【主】の戦いの書』にもこう言われている。「スパのワヘブとアルノンの谷川とともに、
21:15 アルの定住地に達する谷川の支流は、モアブの領土を支えている。」
21:16 彼らはそこからベエルに向かった。それは【主】がモーセに、「民を集めよ。わたしが彼らに水を与える」と言われた井戸である。
21:17 そのとき、イスラエルはこの歌を歌った。「井戸よ、湧きいでよ。あなたがたは、これに向かって歌え。
21:18 笏をもって、杖をもって、君主たちが掘り、民の尊き者たちが掘り下げたその井戸に。」彼らは荒野からマタナに進み、
21:19 マタナからナハリエルに、ナハリエルからバモテに、
21:20 バモテからモアブの野にある谷に行き、荒れ野を見下ろすピスガの頂に着いた。
21:21 イスラエルは、アモリ人の王シホンに使者たちを遣わして言った。
 2025年5月10日(土)リビングライフQT

イスラエルの民の辿った道程は、旧約聖書の記述だけでは、確定したコースを到底示すことは困難です。
彼らの歩んだ道は、荒野であり、国としての国境や、区画のある時代ではなく、そこに住む民は、遊牧をしながら生きている、所謂ベドウィンと呼ばれる、小民族集団だったのです。
民族の去来により、地域の呼び名は変わり、町があるわけではなく、ただ、モアブ人・アモリ人と言った古代民族集団は、ヨルダン川東岸のわりあい土地の肥えた地域に定住する民だったので、イスラエルの民は、摩擦を避けながら、人や家畜の利用されていない地域を迂回しながらの、移動だったのです。 それだけに、モーセの指導と祈りと、アロンの後継となった、エレアザルによる、祈りと指導性は、どれ程困難だったことでしょう。
しかし、そんな中でも、神の導きは確かに現され、自然な流れの中にも、最終目標カナンの地に向かって、着実に進められているのです。
彼らは広大なエドムの地を迂回しながらも、空白地帯をよぎりながら北上して、遂に、死海に注ぐアルノン川の谷間のモアブの国境に達したのです。
長い摩擦を避ける旅で、疲れ切った民に一番必要だったのは、《水》でした。飲み水・家畜の水・洗濯・体洗う水・・その水が地から湧き出す井戸(泉)を掘り当てたのです。
彼らは歓喜して躍り上がって喜び、その歓びは民を新たに神に近づかせ、更に、約束の地に近づいたのです。
こうした淡々とした、道のり中に、彼らは喜びの歌(賛美)を歌い上げたのです。  それは、あの、エジプト兵の追撃の巻き上げる砂煙を見て、前には波立つ紅海に行く手を阻まれた中から、海の中に道が拓かれて、民が歩いて渡った後、エジプトの全軍が海にのまれたあの時以来の民の賛美でした。
これはイスラエルの民の喜びの告白でしたし、彼らの信仰の回復でした。
彼らは最早、約束の地を目の前にしていたのです‼️
私達の信仰生活は、苦悩の祈り以上に、神への賛美こそ、最も大切な信仰の復興の力ではないでしょうか‼️
《ピスガの頂に着いた》これは約束の地の入り口に近い山なのです。
あなたは永遠の御国への旅路のどの辺りを歩んでいるのでしょう❓誰にも分からないのですが、ただ一つ確かなのは、日々の刻々とした歩みは、永遠の御国へと、主がその道を導いておられることです‼️
               ハレルヤ
 民数記  21章1節~9節

21:1 ネゲブに住んでいたカナン人アラドの王は、イスラエルがアタリムの道を進んで来たと聞いた。彼はイスラエルと戦い、その何人かを捕虜として捕らえた。
21:2 そこでイスラエルは【主】に誓願をして言った。「もし、確かにあなたが私の手に、この民を渡してくださるなら、私は彼らの町々を聖絶いたします。」
21:3 【主】はイスラエルの願いを聞き入れ、カナン人を渡されたので、イスラエルはカナン人とその町々を聖絶した。そしてその場所の名をホルマと呼んだ。
21:4 彼らはホル山から、エドムの地を迂回しようとして、葦の海の道に旅立った。しかし民は、途中で我慢ができなくなり、
21:5 神とモーセに逆らって言った。「なぜ、あなたがたはわれわれをエジプトから連れ上って、この荒野で死なせようとするのか。パンもなく、水もない。われわれはこのみじめな食べ物に飽き飽きしている。」
21:6 そこで【主】は民の中に燃える蛇を送られた。蛇は民にかみついたので、イスラエルのうちの多くの者が死んだ。
21:7 民はモーセのところに来て言った。「私たちは【主】とあなたを非難したりして、罪を犯しました。どうか、蛇を私たちから取り去ってくださるよう【主】に祈ってください。」モーセは民のために祈った。
21:8 すると【主】はモーセに言われた。「あなたは燃える蛇を作り、それを旗ざおの上に付けよ。かまれた者はみな、それを仰ぎ見れば生きる。」
21:9 モーセは一つの青銅の蛇を作り、それを旗ざおの上に付けた。蛇が人をかんでも、その人が青銅の蛇を仰ぎ見ると生きた。
 2025年5月9日(金)リビングライフQT

今日の記録にある、アタリムの道は、約束の地の南の端にあたり、そこにはカナン人が住んでいたのです。
その為カナン人は警戒し、イスラエルの民を襲って、捕虜に取ったのです。
これは、エジプトを出てから40年の旅で、一度も無かった敗北でもありました。
モーセとその民は神に願って、カナン人に神の民に敵対することは、滅びを招くことになる(即ち、聖絶)と言う示しのために、戦いの勝利を求めたのです。
ここで初めて[聖絶]と言う言葉が出てきました。何故なら、この地域は、神が約束の地として、イスラエルに用意された、地域の一部だったのです。 この町々は[ホルマ]と呼ばれる盆地です、豊かな地でした。
しかし、主なる神はそのまま民を、約束の地に突入させることはなさらず、再び南の荒野へと導き出して、エドムとの境を南下し、再びエイラート(紅海の港)を経て、エドムを避けて北上の道を導かれるのです。
しかし、その道のりは200kmを遙かに超える砂漠地帯なのです。
彼らは再び不平・つぶやきで、神とモーセとに逆らったのです。そこに、砂漠特有の猛毒を持つ蛇が出て、彼らはかまれてバタバタと死んだのです。
悔いる民に神は、青銅で蛇を作らせ、それを仰ぎ見る者は、噛まれても生き返ったのです。
新約聖書でヨハネ3:14に、「モーセが荒野で蛇を上げたように、人の子もまた上げられなければなりません。」と引用されています。
《仰ぎ見ると生きた》と言うのは、青銅の蛇が偶像のように拝まれたのではなく、神が命じられたままに、[仰ぎ見た]・・・・即ち、
※神が命じるままに
※自らの不平に対して、後悔の思いを持って振り返る・・・と言う意味です。
正に、この出来事をヨハネは、イエス・キリストの十字架とつないで、語ったのです。
自らの過去の罪の日々を振り返ると、そこには、十字架に掛けられた主の贖いの死がある。  何と言う憐れみなのでしょう‼️
主よあなたは私を生かしてくださいました。
     アーメン‼️
 民数記  20章22節~29節

20:22 イスラエルの全会衆はカデシュを旅立ち、ホル山に着いた。
20:23 【主】は、エドムの国境に近いホル山で、モーセとアロンにお告げになった。
20:24 「アロンは自分の民に加えられる。彼は、わたしがイスラエルの子らに与えた地に入ることはできない。それはメリバの水のことで、あなたがたがわたしの命に逆らったからである。
20:25 あなたはアロンと、その子エルアザルを連れてホル山に登れ。
20:26 アロンの衣服を脱がせ、それをその子エルアザルに着せよ。アロンは自分の民に加えられ、そこで死ぬ。」
20:27 モーセは、【主】が命じられたとおりに行った。彼らは、全会衆の見ている前でホル山に登って行った。
20:28 モーセはアロンの衣服を脱がせ、それをその子エルアザルに着せた。アロンはその山の頂で死んだ。モーセとエルアザルが山から下りて来たとき、
20:29 全会衆はアロンが息絶えたのを知った。そのためイスラエルの全家は三十日の間、アロンのために泣き悲しんだ。
 2025年5月8日(木)リビングライフQT

何とも厳粛な最期です。 とは言っても、確かに神の言葉に従わなかった不従順の結果ではありますが、その死は《断たれた》と言うものではありません。確かに神の言葉に従わなかった・・・と言う間違いを犯しました。神はアロンを最早、神の御計画の指導者(特に祭司)としての使命に着かせる事、神聖な職務を続けさせる事は、出来ないので、神は哀れみにより、また、民の前に更なる継続性を明らかにするために・・・・・
アロンを[取られた]のです。
これは、裁きではなく、神の御手の中に取られたのです。
かつてモーセをナイル川の葦の陰から見守り、この赤児(後のモーセを見つけて育てる)エジプト王パロの娘に、実の母を乳母として紹介した・・・ミリアム(アロンの姉)も、死にました。(ミリアムの死は、民の女性たちには、大きな悲しみだったでしょう。)しかし、たとえ、裁きや罰による死ではなくとも、別れは、先の見えない荒野の旅路に大きな痛手だった事でしょう。しかし、アロンの死は、モーセと主に指名されてアロンの後継となった(エルアザル)の二人だけが確認して、他誰の目にも触れず、そのまま(エレアザル)がアロンの後、大祭司の職を継続したのです。
40年に亘って、神と民の間にあって、執り成しを続けてきた指導者を失ったことは、民の悔い改めを促し、新しい地に向かう新たな献身と結束を促したことでしょう。それが、この地に30日も滞在する、結果となりました。私達の人生でも、身内(家族)や・ごく親しい友の死は、人生の大切な展望の時、特に、その後の人生を送る・死後(永遠)の世界を見つめて、人生の新しい方向性を、指し示す大切な時となります。
《死》は、あなたの人生(永遠)の、最も大切な節目となります。《死》を厳粛な神の時として、見つめ・考え・死を超えて復活された御方を、見上げて歩みましょう。
 民数記  20章14節~21節

20:14 さて、モーセはカデシュからエドムの王のもとに使者たちを遣わして言った。「あなたの兄弟、イスラエルはこう申します。あなたは私たちに降りかかったすべての困難をご存じです。
20:15 私たちの先祖はエジプトに下り、私たちはエジプトに長年住んでいました。しかしエジプトは私たちや先祖を虐待しました。
20:16 私たちが【主】に叫ぶと、主は私たちの声を聞いて、一人の御使いを遣わし、私たちをエジプトから導き出されました。今、私たちはあなたの領土の境界にある町、カデシュにおります。
20:17 どうか、あなたの土地を通らせてください。私たちは、畑もぶどう畑も通りません。井戸の水も飲みません。私たちは『王の道』を行き、あなたの領土を通過するまでは、右にも左にもそれません。」
20:18 しかし、エドムはモーセに言った。「私のところを通ってはならない。通るなら、私は剣をもっておまえを迎え撃つ。」
20:19 イスラエルの子らはエドムに言った。「私たちは大路を上って行きます。私たちと私たちの家畜があなたの水を飲むことがあれば、その代価を払います。歩いて通り過ぎるだけですから、何事でもないでしょう。」
20:20 しかし、エドムは、「通ってはならない」と言って、強力な大軍勢を率いて彼らを迎え撃つために出て来た。
20:21 こうして、エドムはイスラエルにその領土を通らせることを拒んだので、イスラエルは彼のところから向きを変えた。
 2025年5月7日(水)リビングライフQT

※昨日書き落とした事を、追記させていただきます。
あのメリバの水の奇跡で、神はモーセに『杖をとれ。  あなたとあなたの兄弟アロンは、会衆を集めよ。あなたがたが彼等の目の前で岩に命じれば、岩は水を出す。・・・・』と、命じられました。
しかし、モーセは・・・
11節:・・・・彼の杖で岩を二度打った。
何と言うこと
神様の指示とは全く違っていましたね。
この時モーセの手にある杖(木の棒)は、 魔法の杖となっていたのです❓即ち・・・・・
モーセの持つ杖は、神の臨在の標(象徴)で、大集団の前で、モーセはこの杖を高く掲げると、神の臨在と導きの標として、声のとどかない彼方まで、民の力強い標(目標)となったのです。
モーセは、今この杖を奇跡(魔法)の杖として、使ってしまったのです。  それと、昨日の概説の内容・・・・この二つで、神聖な神の領域を犯して、自らの力と権威のしるしとしてしまったのです。 恐るべき誘惑です。

さて今日のテキストに入りましょう。
イスラエルの民は、偵察隊を送った地で、神の導きに反して混乱し、神は、再び上ってきた道を 引き返す方向へと、導かれました。
彼等はやがて、アカバ湾(シナイ半島を挟む北東側の湾)の一番奥の港(エイラート)・・・この港は、太古の時代から、アフリカ・インドへの貿易で栄えていたところ。  ・・・から北への道へ、進むことになりました。即ち、ペリシテ・カナンの諸部族との摩擦を避けるように死海の南側の地を北進しようとしたのです。
何故ならこのエドムの地は、イスラエルの民の遠い先祖(イシュマエル=アブラハムの側女の子供)・・・即ち、遠い血の繋がりのある民だったのです。
モーセは、丁寧に歴史的事情を説明して、通行だけでも、家畜が居るのでその水は買います‼️とまで申し出たが、頑なにも拒絶された上に、大軍を差し向けて、脅迫にまで及んだのです。
今までの荒野の道では、行く手を阻んだり、戦いを挑む民には、徹底した排除に徹したのですが、血を分けた同士の戦いは、避けて穏便に他の道を模索しました。
私達クリスチャン人生の中でも、謂れのない反発を受けたり、傷つけられたりする事も、多々ありますね。 その様な時は正義をかざして対抗せずに、身を低くして、主の導きを祈りましょう。
主なる神があなたを導いてくださいます。
    アーメン‼️
 民数記  20章1節~13節

20:1 イスラエルの全会衆は、第一の月にツィンの荒野に入った。民はカデシュにとどまった。ミリアムはそこで死んで葬られた。
20:2 そこには、会衆のための水がなかった。彼らは集まってモーセとアロンに逆らった。
20:3 民はモーセと争って言った。「ああ、われわれの兄弟たちが【主】の前で死んだとき、われわれも死んでいたらよかったのに。
20:4 なぜ、あなたがたは【主】の集会をこの荒野に引き入れ、われわれと、われわれの家畜をここで死なせようとするのか。
20:5 なぜ、あなたがたはわれわれをエジプトから連れ上り、このひどい場所に引き入れたのか。ここは穀物も、いちじくも、ぶどうも、ざくろも育つような場所ではない。そのうえ、飲み水さえない。」
20:6 モーセとアロンは集会の前から去り、会見の天幕の入り口にやって来て、ひれ伏した。すると【主】の栄光が彼らに現れた。
20:7 【主】はモーセに告げられた。
20:8 「杖を取れ。あなたとあなたの兄弟アロンは、会衆を集めよ。あなたがたが彼らの目の前で岩に命じれば、岩は水を出す。彼らのために岩から水を出して、会衆とその家畜に飲ませよ。」
20:9 そこでモーセは、主が彼に命じられたとおりに、【主】の前から杖を取った。
20:10 モーセとアロンは岩の前に集会を召集し、彼らに言った。「逆らう者たちよ。さあ、聞け。この岩から、われわれがあなたがたのために水を出さなければならないのか。」
20:11 モーセは手を上げ、彼の杖で岩を二度打った。すると、豊かな水が湧き出たので、会衆もその家畜も飲んだ。
20:12 しかし、【主】はモーセとアロンに言われた。「あなたがたはわたしを信頼せず、イスラエルの子らの見ている前でわたしが聖であることを現さなかった。それゆえ、あなたがたはこの集会を、わたしが彼らに与えた地に導き入れることはできない。」
20:13 これがメリバの水である。イスラエルの子らが【主】と争った場所であり、主はご自分が聖であることを彼らのうちに示されたのである。
 2025年5月6日(火)リビングライフQT

思わぬ失敗
イスラエルの民が約束の地を偵察した後、民は一部の者に煽動されて、神に逆らいます。その為多くの民が主の怒りに触れて、命を落としたばかりではなく、神は更に彼等を試し、進む道を荒野へと導かれました。そんな中で、モーセの姉ミリアムが亡くなりました。民にとって彼女の死は、大きな悲しみだったでしょう。
その様な悲しみのうえ、 再び荒野への道は、水に枯渇する事態に、民の心は再び荒れたのです。
荒野で民が困難な事態に遭遇することは、主なる神は当然、ご存知ですし、実はこの様に、 明らかな困難試練は、主なる神が民を訓練するための、御計画の道筋なのです。
私達の人生でも・・・
どうして❓何故❓主に信頼しているのに、この様な困難・試練を通らされるのか・・と、怒りにも似た心の騒ぎが、 起こることもありますね。
しかし、主なる神様には、あらゆる御計画があり、その御計画を通して、私達を最高の祝福へと、導いて下さるのです。そこで、次の聖書の御言葉を思い出します。
(旧約)詩篇46篇10節
「静まって、わたしこそ神であることを知れ」
何故・・・❓   神の御心は何処に・・・❓・・・と、
戸惑ったり懐疑的になったりする前に、 この御言葉を思い出しましょう‼️
さぁ❗神はモーセに顕れ、 会衆の前に立ちはだかる『《岩》に命じて、水を出すように・・』と、語られました。
何時も、 静まって神に問いかけるとき、そこから新たな展開が拓かれることを知る‼️と言う、驚くべき光を見ることが出来るのです。
モーセとアロンは、 興奮して、民を呼び集めて・・・・
「逆らう者たちよ。さあ、聞け。 この岩から、・・・われわれがあなたがたのために水を出さなければならないのか・・・」
人は、怒り、興奮する(心乱れる)と、大変な間違いを犯してしまう気質があります。
確かに水が岩から湧き出して、民の乾きを癒し、また、怒りと悲しみに荒れた心を癒しました。
しかし、ここに大問題が生じていたのです。
12節と13節をもう一度読み一部を再録しましょう。
12節~主はモーセとアロンに言われた。「あなたがたはわたしを信頼せず、イスラエルの子らの見ている前でわたしが聖であることを現さなかった。それゆえあなたがたはこの集会を、わたしが彼等に与えた地に導き入れることはできない。」
この、神のお言葉は、イスラエルの民が、約束の地に入ることが出来ない・・・・と言うことではなく、指導者である、モーセとアロンの二人が、神の御手に導かれながら来たその偉業を、全うすることはない(他の者がそれを完成する・・・ある意味で、二人もまた、約束の地には入れない)と言うことなのです。
神に栄光を帰さず、怒りの中から、発した言葉の勢いが、{われわれが‼️}と言う言葉が、神の御力を自分達の物であるかのような、言葉として、民にぶっつけたのです。
モーセの言葉は、神の栄光を隠してしまったのです
言葉以前に、怒りが魂を曇らせ、思いと言葉を乱したのです。
日常的に、私達に起こりうる最も危険な瞬間ですね。
常に魂を洗われ、主の臨在の中に自らを置く、魂の訓練を怠らないようにしましょう。
  民数記  19章11節~22節

19:11 死人に触れる者は、それがどの人のものであれ、七日間汚れる。
19:12 その者は三日目と七日目に、先の水で身の汚れを除いて、きよくなる。三日目と七日目に身の汚れを除かなければ、きよくならない。
19:13 死人、すなわち死んだ人間のたましいに触れ、身の汚れを除かない者はみな、【主】の幕屋を汚す。その者はイスラエルから断ち切られる。その者は汚れを除く水を振りかけられていないので汚れていて、その者の中になお汚れがあるからである。
19:14 人が天幕の中で死んだ場合のおしえは次のとおりである。その天幕に入る者と、天幕の中にいる者はみな、七日間汚れる。
19:15 ふたをしていない口の開いた器もみな、汚れる。
19:16 また、野外で、剣で刺し殺された者、死人、人の骨、墓に触れる者はみな、七日間汚れる。
19:17 この汚れた者のためには、罪のきよめのために焼いて作った灰を取り、器に入れ、それに新鮮な水を加える。
19:18 きよい人がヒソプを取ってこの水に浸し、それを天幕に、すべての器の上に、そこにいた者の上に、また骨、刺し殺された者、死人、墓に触れた者の上にかける。
19:19 そのきよい人が、それを汚れた者に三日目と七日目に振りかけ、七日目にその人の汚れを除くことになる。その人は衣服を洗い、水を浴びる。その人は夕方にはきよくなる。
19:20 汚れた者が身の汚れを除かなければ、その人は集会の中から断ち切られる。【主】の聖所を汚したからである。汚れを除く水がその人に振りかけられなかったので、その人は汚れている。
19:21 これは彼らに対する永遠の掟となる。汚れを除く水をかけた者は、その衣服を洗わなければならない。汚れを除く水に触れた者は夕方まで汚れる。
19:22 汚れた者が触れるものは、すべて汚れる。それに触れた者も夕方まで汚れる。」
 2025年5月5日(月)リビングライフQT

昨日から語られている《死》に関する対応への定めは、昨日も書きましたが、ここで取り扱われる《死》は、ローマ書6章23節に記されている「罪から来る報酬は死です。」と語られているように、民数記では、人類の経験する「死」は、単に生理学的死ではなく、霊的に神様との関係で語られるとき、それは罪の結果として現れるため、忌むべき事とし、これを美化したり、飾り立てて記念としてはならない・・・と、戒めているのです。
むしろ、(死)を忌むべき事として、神の示された徹底した《清め》の儀式として踏襲することで、常に意識を新しくして、神との繋がりを第一に思い出すきっかけとして、記憶することを求められているのです。
聖書本文には明確に示めされてはいませんが、200万に近い集団で、戦いや、神様の裁きによる死者が出たときの、集団内部での、衛生面でのトラブルで生じる、伝染病の危険性への神の導きでもあるのです。
この戒めの定めは、イスラエルの民が歴史の中に生き、 神の選びの民として、荒野の旅路を生き抜き、試練を経て、御子の降誕へと歴史を繫ぐ、 重要な定めなのです。
大変複雑で厳しい定めですが、これ等を守り抜く《服従=従う》と言う課題は、私達の信仰生活にも、欠いてはならない、 要件でも有りますね。
主よ❗
日々お導きください‼️
 民数記  19章1節~10節

19:1 【主】はモーセとアロンに告げられた。
19:2 「【主】が命じるおしえの定めは、こうである。イスラエルの子らに告げよ。まだくびきを負わせたことがなく、傷のない完全な、赤い雌牛をあなたのところに引いて来るようにと。
19:3 あなたがたはそれを祭司エルアザルに渡す。そして宿営の外に引き出し、彼の前で屠る。
19:4 祭司エルアザルは指で血を取り、会見の天幕の正面に向かってこの血を七度振りまく。
19:5 その雌牛は彼の目の前で焼き、皮と肉と血を汚物とともに焼く。
19:6 祭司は、杉の木とヒソプと緋色の撚り糸を取り、雌牛が焼かれている中に投げ入れる。
19:7 祭司は自分の衣服を洗い、からだに水を浴びる。その後、宿営に入ることができる。しかし、この祭司は夕方まで汚れる。
19:8 これを焼いた者も、自分の衣服を水で洗い、からだに水を浴びる。彼は夕方まで汚れる。
19:9 それから、きよい人がその雌牛の灰を集め、宿営の外のきよい所に置く。そして、イスラエルの会衆のために、汚れを除く水を作るために保存しておく。これは罪のきよめのささげ物である。
19:10 この雌牛の灰を集めた者は、自分の衣服を洗う。彼は夕方まで汚れている。これは、イスラエルの子らと、あなたがたの間に寄留している者にとって永遠の掟となる。
  2025年5月4日(日)リビングライフQT

旧約時代の私達と《汚れ》について、少し解説した上で、今日のテキストの教えるところについて、学んでみましょう。
※罪➡汚れ➡死➡審判
即ち、人が罪を犯した事で、死が入ってきました。 それは神の審判を表しています。
また、現実の《死》は、衛生上様々な問題が生じるのです。
その様なトラブルから、命と体と魂を護るための、象徴的方法として・・・くびきにつながれたことのない(若い)、赤い雌牛(最も上質の牛)を、 前述の罪・汚れの身代わりとして、その血を神の前に、身代わりの死の証として注ぐ・・・
その後、 清水で身体と衣服とを、 洗い清める。これ等は、霊と肉(体)との汚れの蔓延から、民を護るしきたりとして、定められたのです。
これ等の作業に携わった者は、徹底して、この手順に従わねばならなかったのです。
これ等の教え(方法)は、
内容に意味がある・・・のですが、その前に、 従う・神の示された道を踏む‼️ただそれだけが求められたのです。
神と創造された人との関係は、唯々、《従う》事を、 唯一の繋がりとするのだと・・・ここから学ぶのです。 それが《信仰》即ち、《従う》ここから永遠の祝福が始まることを信じ従うのみです。 
今一つ、 この徹底した儀式(方法)は、今私達クリスチャンが学んできた、イエス・キリスト様の十字架の身替わり《贖い》の死を、 指し示しているのです。 何と、1,500年(今からでは3,500年前)も前から・・・・アーメン‼️
ゴルゴタの丘のあの十字架の哀しくも、余りにも残酷な贖いの《身代わりの死》によって、今私達は、 赦され清いものとされ、神の国の民に迎え入れられたのです。
《イスラエルの子らと、あなた方の間に寄留している者にとって永遠の掟となる。》
分け隔て無く、信じ従う全ての民に拓かれた救いの道なのです‼️
    アーメン
  民数記  18章21節~32節

18:21 さらに、レビ族には、わたしは今、彼らが行う奉仕、会見の天幕での奉仕に報い、イスラエルのうちの十分の一をみな、ゆずりのものとして与える。
18:22 これからはもう、イスラエルの子らは、会見の天幕に近づいてはならない。彼らが罪責を負って死ぬことのないようにするためである。
18:23 会見の天幕の奉仕をするのはレビ人であり、レビ人が彼らの咎を負う。これは代々にわたる永遠の掟である。彼らはイスラエルの子らの中にあって相続地を受け継いではならない。
18:24 それは、イスラエルの子らが奉納物として【主】に献げる十分の一を、わたしが相続のものとしてレビ人に与えるからである。それゆえわたしは、彼らがイスラエルの子らの中で相続地を受け継いではならない、と彼らに言ったのである。」
18:25 【主】はモーセに告げられた。
18:26 「あなたはレビ人に告げなければならない。わたしがあなたがたに相続のものとして与えた十分の一をイスラエルの子らから受け取るとき、あなたがたはその十分の一の十分の一を、【主】への奉納物として献げなさい。
18:27 これは、打ち場からの穀物や、踏み場からの豊かなぶどう酒と同じように、あなたがたの奉納物と見なされる。
18:28 こうして、あなたがたもまた、イスラエルの子らから受け取るすべての十分の一の中から、【主】への奉納物を献げなさい。その中から【主】への奉納物を祭司アロンに与えなさい。
18:29 あなたがたへのすべての贈り物のうち、それぞれの最上の部分で聖別される分から【主】へのすべての奉納物を献げなさい。
18:30 また、あなたは彼らに言え。あなたがたが、その中からその最上の部分を献げるとき、それはレビ人にとって打ち場からの収穫、踏み場からの収穫と見なされる。
18:31 あなたがたとその家族は、どこででもそれを食べてよい。これは会見の天幕でのあなたがたの奉仕に対する報酬だからである。
18:32 あなたがたが、その最上の部分を献げるとき、そのことで罪責を負うことはない。ただし、イスラエルの子らの聖なるささげ物を汚して、死ぬようなことがあってはならない。」
 2025年5月3日(土)リビングライフQT

この定めは
全世界のキリスト教会共通の信仰であり救いの福音信仰の中心です。
神が与えてくださった・・・
※命の創造
       ※与えられた命
              ※今ある恵み
に対する、  感謝と喜びへの、  《しるし》《繋がり》として、私達の所属は、創造主なる神御自身です‼️と言う感謝の告白を込めて、  神が私達に求められたのは、全ての恵みの十分の一を、  神の前に持ってきて献げその思いを告白する・・・‼️
こうして、神の恵みは、主にお返しすることを通して、主なる神との一体信仰が告白され、そのもたらされた什一の奉献が、  幕屋・神殿・教会・・・それに関わる、  あらゆる制度やその維持に仕える聖職者達の、生業(なりわい)として、  継承されてきたのです。 
随分前にも、民数記が巡ってきた時に、  書いた記憶がありますが・・
私が小学4年になった時に初めて月極(つきぎめ)で小遣いをもらうようになりました。確かひと月五円でした。その頃はまだ、銭(セン)の単位が生きており、アメ玉が一つ5銭だったと記憶しています。日曜学校の礼拝の時の献金は10銭でした。その時から、席上献金とは別に、月定献金の袋に、50銭を入れて、献げたのを今も覚えています。とても嬉しくて、何だか大人になったようで、その時の礼拝はとてもイエス様が身近に感じました。その時から、今日まで75年この喜びは、ずっと続いています。
中学になって、新聞配達のアルバイトをしましたが、一月のお給料が(150軒の朝刊夕刊込みで)300円でしたか❓・・・その什一献金は、  嬉しくて嬉しくて、感謝でいっぱいでした。
神学校卒業して、土佐中村(今の四万十市)での開拓時には、決まった給与があるわけではなく、あるときには、夫婦二人だけの礼拝で、二人で席上献金すると、後は全く家にはお金はなく、貯金もなく、仕方なくその献金箱から二人の献げ物を出して、感謝してから、お昼の食事のパンを二つ買って、食べたこともありましたが、そんな時にも献げることの喜びは、大きかったですね(歓喜)
私は{献金}と言う言葉が、 [ 宗教はお金が掛かる]と言うイメージに繋がるので、あまり使わず、[献げ物]と言う表現をしますが、これは信仰生活で、喜びの特権として、最も大きな恵みなのだと、実感しています。
私達、神に創られ、命を与えられた恵みを、 こうして表す道が与えられていることは素晴らしい恵みですね‼️
 民数記  18章1節~20節

18:1 そこで、【主】はアロンに言われた。「あなたと、あなたとともにいるあなたの子たちと、あなたの父の家の者たちは、聖所に関わる咎を負わなければならない。また、あなたと、あなたとともにいるあなたの子たちは、あなたがたの祭司職に関わる咎を負わなければならない。
18:2 また、あなたの父祖の部族であるレビ部族の、あなたの身内の者たちも、あなたの近くに来させよ。彼らがあなたに連なり、あかしの天幕の前で、あなたと、あなたとともにいるあなたの子たちに仕えるためである。
18:3 彼らはあなたのための任務と、天幕全体の任務に当たる。しかし彼らは、聖なる用具と祭壇に近づいてはならない。彼らも、あなたがたも、死ぬことのないようにするためである。
18:4 彼らはあなたに連なり、天幕の奉仕のすべてに関わる、会見の天幕の任務に当たる。資格のない者があなたがたに近づいてはならない。
18:5 あなたがたは、聖所の任務と祭壇の任務を果たしなさい。そうすれば、イスラエルの子らに再びわたしの激しい怒りが下ることはない。
18:6 今ここに、わたしは、あなたがたの同族レビ人をイスラエルの子らの中から取り、会見の天幕の奉仕をするために【主】に献げられた者として、あなたがたへの贈り物とする。
18:7 あなたと、あなたとともにいるあなたの子たちは、祭壇に関するすべてのことや、垂れ幕の内側のことについて自分の祭司職を守り、奉仕しなければならない。わたしはあなたがたの祭司職の奉仕を賜物として与える。資格なしにこれに近づく者は殺されなければならない。」
18:8 【主】はまたアロンに言われた。「今わたしは、わたしへの奉納物に関わる任務をあなたに与える。わたしはイスラエルの子らのすべての聖なるささげ物について、これをあなたが受け取る分とし、またあなたの子たちへの永遠の割り当てとする。
18:9 火による最も聖なるもののうちで、あなたのものとなるのは次のとおりである。わたしに納めるすべてのささげ物、すなわち穀物のささげ物、罪のきよめのささげ物、代償のささげ物、これらすべては、あなたとあなたの子たちにとって最も聖なるものである。
18:10 あなたはそれを最も聖なるものとして食べなければならない。すべての男子は、それを食べることができる。それはあなたにとって聖なるものである。
18:11 また次の物もあなたのものとなる。イスラエルの子らの贈り物である奉納物、彼らのすべての奉献物、これをわたしはあなたと、あなたとともにいる息子たちと娘たちに与え、永遠の割り当てとする。あなたの家にいるきよい者はだれでも、それを食べることができる。
18:12 最良の新しい油、新しいぶどう酒の最良のものと穀物、人々が【主】に供えるこれらの初物すべてをあなたに与える。
18:13 彼らの地のすべてのものの初なりで、彼らが【主】に携えて来る物は、あなたのものになる。あなたの家にいるきよい者はだれでも、それを食べることができる。
18:14 イスラエルのうちで聖絶の物はみな、あなたのものになる。
18:15 人でも家畜でも、【主】に献げられるすべての肉なるもので、最初に胎を開くものはみな、あなたのものとなる。ただし、人の長子は、必ず贖わなければならない。また、汚れた家畜の初子も贖わなければならない。
18:16 その贖いの代金として、生後一か月たってから、一シェケル二十ゲラの聖所のシェケルで、銀五シェケルを払わなければならない。
18:17 ただし、牛の初子、または羊の初子、あるいはやぎの初子は贖ってはならない。これらは聖なるものだからである。あなたはそれらの血を祭壇に振りかけ、脂肪を食物のささげ物、【主】への芳ばしい香りとして、焼いて煙にしなければならない。
18:18 その肉はあなたのものとなる。それは奉献物の胸肉や右のもも肉と同様にあなたのものとなる。
18:19 イスラエルの子らが【主】に献げる聖なる奉納物をみな、わたしは、あなたと、あなたとともにいる息子たちと娘たちに与えて、永遠の割り当てとする。それは、【主】の前にあって、あなたとあなたの子孫に対する永遠の塩の契約となる。」
18:20 【主】はまたアロンに言われた。「あなたは彼らの地で相続地を持ってはならない。彼らのうちに何の割り当て地も所有してはならない。イスラエルの子らの中にあって、わたしがあなたへの割り当てであり、あなたへのゆずりである。
 2025年5月2日(金)リビングライフQT

モーセと共に、イスラエルの出エジプトに、  主導権を発揮したアロン(レビ族)と、その一族の担う、 重要な働きの詳細と、その責任と立場の重荷が、しっかりと語られています。
アロンの働きと、 それに次ぐ祭司の働きは、単に神聖な儀式・・・・と言う重さではなく、イスラエルという民の存在が、  世界の全ての国民の、 中心(神の人間創造の完成への御計画)となる使命を担う民として、選ばれていることを、  自他共に示すための、選びの標(しるし)となる、 神の示された定めなのです。 
1節に《咎を負わなければならない。》と戒められています。
これは、命に代えて守らなければならない‼️と言う意味です。

アロンは、祭壇に《なだめの供え物=罪の赦しの犠牲の血》を注ぎ、民の罪の赦しを祈る‼️・・・その為に祭司(アロン)以外の者は、そこに近づくことは赦されないのです。
7節には「資格なしにこれに近づく者は殺されなければならない。」と、厳しく戒められています。この贖いの儀式は、  1,500年後の、イエス・キリスト様の十字架の贖いの業を指し示す、  象徴的儀式なのです。  それ故にこの厳しさが求められたのです。 
この様に、  命懸けの浄さを求められた祭司の民は、  他の11部族のように、所領(約束の地に入った時)はレビ族には与えられず、彼等には、11部族が常時捧げる、  あらゆる捧げ物が、  レビ族全てに、配分されたのです。 
20節に「・・・わたし(神)があなた(レビ族)へのゆずり(糧=収入)である。」と、 定められたのです。
この様に、 イスラエルの民の形成される当初から、人類救済への、選びの民として、歩み始めたのです。
あなたが今、  選ばれているのは、あなた自身の幸せや・救いや・祝福のためだけではなく、家族親族の救いの先駆けとなっているのです。
使徒の働き 16:31
「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます。」と、パウロ先生は、獄屋番に宣言しています。
   ハレルヤ‼️

今、私達が、  こうして救いに与り、  平安と永遠の命に生かされているのは、 3,500年も前から、否、  人類の堕罪から、神が用意された、救いの御計画として、示されていたのです。
こうして、私達は、この素晴らしい救いの道へと、導かれてきたのです。 
神は次の世代の救いのために、イスラエルを選ばれたように、あなたを次の世代の救いのために、選ばれていることを信じて、主の道へと歩き続けましょう。
   ハレルヤ‼️
 民数記  17章1節~13節

17:1 【主】はモーセに告げられた。
17:2 「イスラエルの子らに告げ、彼らから杖を、部族ごとに一本ずつ、彼らの部族のすべての族長から十二本の杖を取れ。その杖に各自の名を書き記さなければならない。
17:3 レビの杖にはアロンの名を書き記さなければならない。彼らの部族のかしらにそれぞれ一本の杖とするからだ。
17:4 あなたはそれらを、会見の天幕の中の、わたしがそこであなたがたに会うあかしの箱の前に置け。
17:5 わたしが選ぶ人の杖は芽を出す。こうしてわたしは、イスラエルの子らがあなたがたに向かって言い立てている不平を、わたし自身から遠ざけ、鎮める。」
17:6 モーセがイスラエルの子らにこのように告げたので、彼らの族長たちはみな、部族ごとに、族長一人に一本ずつの杖、十二本を彼に渡した。アロンの杖も彼らの杖の中にあった。
17:7 モーセはそれらの杖を、【主】の前、すなわちあかしの天幕の中に置いた。
17:8 その翌日、モーセはあかしの天幕に入って行った。すると見よ。レビの家のためのアロンの杖が芽を出し、つぼみをつけ、花を咲かせて、アーモンドの実を結んでいた。
17:9 モーセがそれらの杖をみな、【主】の前からすべてのイスラエルの子らのところに持って来たので、彼らは見て、それぞれ自分の杖を取った。
17:10 【主】はモーセに言われた。「アロンの杖をあかしの箱の前に戻して、逆らう者たちへの戒めのために、しるしとせよ。彼らの不平をわたしから全くなくせ。彼らが死ぬことのないようにするためである。」
17:11 モーセはそのようにした。【主】が命じられたとおりにしたのである。
17:12 しかし、イスラエルの子らはモーセに言った。「ああ、われわれは死んでしまう。われわれは滅びる。全員が滅びるのだ。
17:13 すべて近づく者、 【主】の幕屋に近づく者が死ななければならないとは。ああ、われわれはみな、死に絶えなければならないのか。」
 2025年5月1日(木)リビングライフQT

神の主権的な選び‼️
イスラエルの民の出エジプトに導かれる時の流れは、正にモーセとアロンの二人が、パロに 多くの(10回に亘る)談判と、 エジプトの魔術師との対決により、遂に大エジプトの力が折れて、大脱出の道が拓かれたのです。 
イスラエルの民は、 この様に顕著だった神の顕れを今や見失い、 毎日延々と続く荒野の生活の中に、 民は、最早その中に神を見いだせなくなっていたのです。
民は、 神の臨在を・・・奇蹟・不思議・力の顕現・・などを観ては来ていましたが、普通の恵みの日々や、 平安な時の流れの中では、 求めず、見上げず、神に向かおうとする、 心の渇きすら持たなくなってしまっていたのです。 
人々(罪人)は、主なる神を、  自分の生きる為の知恵・力・利するお方・自分の味方‼️として、利用(正に御利益)してきたのです。 
これが当時のイスラエルの姿だったのです。 
正にこの様に、人と神との歪んだ関係が、人を神からますます引き離してきたのです。
そんなイスラエルの民に、神が提案された方法が、 各部族ごとに出された杖(指導者の意思を伝達するための長い杖の)に、
神の意志を知らせるために、出された指示でした。
(杖)は、 乾き切った太い木なのです。 
所が、指導者の一人、アロンの杖からだけ、芽が出て、花が咲いて、 実が成った‼️
神の主権の元で、成った出来事でした。
この奇蹟(御業)に、民は恐れを感じて、嘆くのでした。
私達は、  この様に神を
<恐れるか>それとも<畏れる-畏れかしこむ-か>
民は今新たに、神を神として経験して、慄(おのの)いてひれ伏したのです。
神を知る‼️事が➡神を畏れる。神を喜ぶ。神に感謝する。神に力を得る・・・・・
この様に神を知る者となりたいですね。 

神を試みてはならない。