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力丸嗣夫師 リビングライフ LINE
          (新改訳聖書2017)
    

北九州シオン教会

 2022年度 2023年度  2024年度   2026年度
 詩篇   84篇1節~12節

<84> 指揮者のために。ギテトの調べにのせて。コラ人による。賛歌。

84:1 万軍の【主】よあなたの住まいはなんと慕わしいことでしょう。
84:2 私のたましいは【主】の大庭を恋い慕って絶え入るばかりです。私の心も身も生ける神に喜びの歌を歌います。
84:3 雀さえも住みかを 燕もひなを入れる巣をあなたの祭壇のところに得ます。万軍の【主】私の王私の神よ。
84:4 なんと幸いなことでしょう。あなたの家に住む人たちは。彼らはいつもあなたをほめたたえています。セラ
84:5 なんと幸いなことでしょう。その力があなたにあり心の中にシオンへの大路のある人は。
84:6 彼らは涙の谷を過ぎるときもそこを泉の湧く所とします。初めの雨もそこを大いなる祝福でおおいます。
84:7 彼らは力から力へと進みシオンで神の御前に現れます。
84:8 万軍の神【主】よ私の祈りを聞いてください。ヤコブの神よ耳を傾けてください。セラ
84:9 神よわれらの盾をご覧ください。あなたに油注がれた者の顔に目を留めてください。
84:10 まことにあなたの大庭にいる一日は千日にまさります。私は悪の天幕に住むよりは私の神の家の門口に立ちたいのです。
84:11 まことに神である【主】は太陽また盾。【主】は恵みと栄光を与え誠実に歩む者に良いものを拒まれません。
84:12 万軍の【主】よなんと幸いなことでしょう。あなたに信頼する人は。
 2025年6月30日(月)リビングライフQT

暗記はしていないのですが、魂に刻まれた珠玉の詩篇です‼️

イスラエルの民にとって、エルサレムは、神の都・・・又、そこに建つ神殿は、神の臨在を形で顕し、又、神御自身もそこに御自身を顕される・・・・と、約束された世界の中心なのです。
1・2節~神の臨在を実感する神殿を、イスラエルの民は、こよなく慕い、憧れ、思い巡らしただけでも、魂が喜び踊る‼️
雀やツバメも、この神殿の屋根の下に巣を作り、何と幸せ者だろう。
しかし、彼等の慕う想いは、神殿の神格化によるのではなく、
5節では、なんと幸いなことでしょう。その力があなたにあり 心の中に シオンの大路にある人は。‼️と歌い、彼等の慕うのは、正に、シオンに・神殿に御自身を顕される。創造者なる神御自身にある‼️と、告白するのです。
試練や、苦難の中に在っても、主なる神の臨在に触れるとき、涙の谷も、喜びの泉となる‼️
 ハレルヤ。
試練の中に在っても、主なる神の臨在は、私達を力から力へと導き上る。
8節~11節では、乾き(試練)の中から祈り求める懇願が続きますが、その祈りの言葉は、求めて止まない、切願ではなく、むしろ、主なる神への、信頼の告白となっています。
最後の締めくくりの言葉‼️
《万軍の主よ
何と幸いなことでしょう。
あなたに信頼する人は。》

私は、この詩を読みながら、繰り返し味わいながら、ふと・・・・・
私は、毎週の礼拝を、この様な想いで、慕い求めているだろうか❓
毎朝の祈りの時を、主の臨在を感じながら、主を賛美してきただろうか❓
そうだ、私の信仰は、正にこの様な、感動に包まれたものであるはずだ。
祈りと賛美と献身に、無心に心開いて、主の前に自らを置く、毎朝としたい。
一日一日が変わるために‼️
  詩篇   83篇1節~18節

<83> 歌。アサフの賛歌。

83:1 神よ沈黙していないでください。黙っていないでください。神よ黙り続けないでください。
83:2 ご覧ください。あなたの敵が騒ぎ立ちあなたを憎む者どもが頭をもたげています。
83:3 彼らはあなたの民に対して悪賢いはかりごとをめぐらしあなたにかくまわれている者たちに悪を企んでいます。
83:4 彼らは言っています。「さあ彼らの国を消し去ってイスラエルの名がもはや覚えられないようにしよう。」
83:5 彼らは心を一つにして悪を企みあなたに逆らって盟約を結んでいます。
83:6 エドムの天幕の民とイシュマエル人モアブとハガル人
83:7 ゲバルとアンモンそれにアマレクペリシテさらにはツロの住民。
83:8 アッシリアも彼らにくみし彼らはロトの子らの腕となりました。セラ
83:9 どうか彼らをミディアンやキション川でのシセラとヤビンのようにしてください。
83:10 エン・ドルで滅ぼし尽くされ土地の肥やしとなった者たちのように。
83:11 彼らの貴族たちをオレブとゼエブのようにし彼らの君主たちをみなゼバフとツァルムナのようにしてください。
83:12 彼らは言っています。「神の牧場を奪ってわれわれのものとしよう。」
83:13 私の神よ彼らを風の前に吹き転がされる藁のようにしてください。
83:14 林を燃やす火のように山々を焼き尽くす炎のように
83:15 そのようにあなたの疾風で彼らを追いあなたの嵐で恐れおののかせてください。
83:16 彼らの顔を恥で満たしてください。【主】よ彼らが御名を捜し回りますように。
83:17 彼らがいつまでも恥を見て恐れおののきますように。辱めを受けて滅びますように。
83:18 こうして彼らが知りますように。その名が【主】であるあなただけが全地の上におられるいと高き方であることを。
 2025年6月29日(日)リビングライフQT

ヨシュアによって導かれ、エリコを倒して一気に、カナンの地に突入して、ガリラヤから地中海岸、更にシャロン平原から、アブラハムの住んだヘブロン、更に南の、かつてカナンの地を探るために斥候(スパイ)を放った地(カデシバルネア)、更に、ヨルダン東岸、更に北は、ガリラヤ湖の北50kmにあるダンまで、南北250km   東西150kmに及ぶ(四国ほどの面積)を、多くの先住民の支配から勝ち取ったのです。
しかし、未だ統一する王はなく、時々に主に立てられた勇士による、闘いへの結束の繰り返しで、新しい生活と営みが始まったのです。
この辺りの事情は、旧約聖書の《士師記》に、記録されています。正に、今日の詩篇83篇は、この士師によるイスラエルの統治(?)の時代を歌ったものなのです。
☆沈黙しないで下さい
☆黙っていないで下さい。
☆黙り続けないで下さい。
イスラエルの怒濤のようなカナンの地への侵入(200万人の民と数百万頭の山羊・羊・牛)は、彼等には怖ろしい挑戦だったことでしょう。
ですからあらゆる手を尽くして、昼夜を問わずイスラエルに、闘いを挑んだのです。
イスラエルにとっても、約束の地に入り、その豊かさを享受したものの、休み無く続く民の攻撃や、ゲリラ的闘いは心身共に休まることのない日々となっていたのでしょう。
彼等は、12節
「神の牧場を奪って、われわれのものとしよう。」
私達がクリスチャン生活していても、クリスチャンであるが故の、意図的敵対、攻撃、嫌がらせ、マイナスの事態へ押し流される
何故(?_?)どうして(?_?)
主よ‼️どうしてなのでしょう???
アサフの賛美のように、今改めて、目覚め、立ち上がり
神に向かって叫びましょう。
14節~18節 までの、勝利を目指した勝ちどきにも似た、叫びを、神に向かって歌い上げてみませんか。
・・・・して下さい
  ・・・・・お助け下さい
    ・・・・・・覚えて下さい
この様な懇願の祈りから、勝利のイメージを描きながら、主がかく成し給う‼️と言う、確信に満ちた勝利の祈りを捧げてみましょう。(勝つ)
18節→こうして彼等が知りますように。
その名が主であるあなただけが
全地の上におられる
いと高き方であることを。
素晴らしい祈り(賛美)のサンプルですね
 詩篇   82篇1節~8節

<アサフの賛歌。>

82:1 神は神の会議の中に立ち神々のただ中でさばきを下す。
82:2 いつまでおまえたちは不正をもってさばき悪しき者たちの味方をするのか。セラ
82:3 弱い者とみなしごのためにさばき苦しむ者と乏しい者の正しさを認めよ。
82:4 弱い者と貧しい者を助け出し悪しき者たちの手から救い出せ。
82:5 彼らは知らない。また悟らない。彼らは暗闇の中を歩き回る。地の基はことごとく揺らいでいる。
82:6 わたしは言った。「おまえたちは神々だ。みないと高き者の子らだ。
82:7 にもかかわらずおまえたちは人のように死に君主たちの一人のように倒れるのだ。」
82:8 神よ立ち上がって地をさばいてください。あなたがすべての国々をご自分のものとしておられるからです。
 2025年6月28日(土)リビングライフQT

非常に皮肉に富んだ詩歌だと言えますね。
1節~神は  神の会議の中に立ち  神々のただ中でさばきをくだす。
“神々”と、表現されているのは、創造主なる《神》の 他に、複数=多くの神が居る・・・と言うことを、語っているのではないのです。
《神々》とは、自らの権力・知力・金力・権威的血統 etc.  を誇示 (振り回す・行使) し、自らの力を正義として、民を支配する・・・・その様な力の誇示を、神々として…と
顕したのです。
日本の神々・多くの民主的体制を持ちながらも、王制が残る国、民主的・象徴的制度ではあっても、実は、人々の中に神に近い存在となって、羨望・祈りの対象・尊敬を超えた不思議な存在となって、人々の心を支配している。
古代社会(国家)では、その様な存在が、良きにつけ悪しきに付けて、民衆(国民)の要として支配していた。
実は、イスラエルの民の、王として支配してきた歴史と その中で、王の配下に与えられた権威と権力が、多くの民の生活を踏みにじり、公正と公儀が歪められてきた歴史を、アサフは、厳しく歌い上げて居るのです。
神ならば・・・・
     何故倒れるのか❓
     何故死ぬのか❓
歪みに歪んだ、イスラエル・ユダの歴史に、哀しみと怒りを込めて歌った叫びなのです。
8節  :  神よ  立ち上がって  地をさばいて下さい。
あなたが  すべての国々を  ご自分のものとしておられるからです。
ふと、半年ほど前に、権力の頂点に立ったある国の政治家の振る舞いに、この詩が重なる思いが致します。
そう、思わなくても、偶像のしきたりに支配された日常の営み、権力と金力に抗(アラガエ)ずに、流される日常・・・・
今一度、姿勢を正して、只、この地を裁かれる唯一の神に、あなたの私の、魂を捧げて、この御方に真実をもって立ち上がりましょう。この御方(神)こそ、あなたを創り、あなたを愛して、あなたを守る御方なのですから。
   主よ‼️感謝します‼️
 詩篇   81篇1節~16節

<81> 指揮者のために。ギテトの調べにのせて。アサフによる。

81:1 喜び歌え私たちの力なる神に。喜び叫べヤコブの神に。
81:2 ほめ歌を歌いタンバリンを打ち鳴らせ。麗しい音色の竪琴を琴に合わせてかき鳴らせ。
81:3 新月と満月に角笛を吹き鳴らせ。私たちの祭りの日に。
81:4 これはイスラエルのためのおきてヤコブの神のための定めである。
81:5 神がエジプトの地に向かって出て行かれたときヨセフのうちにそれをさとしとして授けられた。私はまだ知らなかったことばを聞いた。
81:6 「わたしは彼の肩から重荷を除き彼の手を荷かごから離してやった。
81:7 苦しみの中であなたは叫びわたしはあなたを助け出した。わたしは雷の隠れ場からあなたに答えメリバの水のほとりであなたを試した。セラ
81:8 聞けわが民よ。わたしはあなたを戒めよう。イスラエルよわたしの言うことをよく聞け。
81:9 あなたのうちに異なる神があってはならない。異国の神を拝んではならない。
81:10 わたしはあなたの神【主】である。わたしがあなたをエジプトの地から連れ上った。あなたの口を大きく開けよ。わたしがそれを満たそう。
81:11 しかしわたしの民はわたしの声を聞かずイスラエルはわたしに服従しなかった。
81:12 それでわたしは彼らを頑なな心のままに任せ自分たちのはかりごとのままに歩ませた。
81:13 ああただわたしの民がわたしに聞き従いイスラエルがわたしの道を歩んでいたなら。
81:14 わたしはただちに彼らの敵を征服し彼らに逆らう者に手を下したのに。
81:15 【主】を憎む者どもは主にへつらうが彼らの刑罰の時は永遠にまで至る。
81:16 しかし主は最良の小麦を御民に食べさせる。わたしは岩から滴る蜜であなたを満ち足らせる。」
 
 2025年6月27日(金)リビングライフQT

神への賛美‼️
喜び歌え    喜び叫べ
ほめ歌を歌い
タンバリンを打ち鳴らせ
竪琴をかき鳴らせ
角笛を吹き鳴らせ
これは、・・・・ヤコブの神のための定めである。
神を慕い、神を切に求めるためには、
神に叫び、神に聴く‼️
創造主なる神
この神に聴く。
そして、この神に向かって、歌い・叫び・鳴り物を持って主なる神を褒め歌う‼️
難しい律法を学び、その全てに従い尽くす。
それも道でしょう。
しかし、主なる神が求められるのは、
神に聴き ・ 神に賛美し ・ 神に従う事です。
主なる神が嘆くのは、民が聴き従わず、求めなかった(正しく求めて口を開かなかった)事です
民は、不平をならし、神に不満と、反抗をした
主なる神が求められた、叫び・求め ・待ち望みをしなかったから
主なる神の悲しいまでの叫びは・・・・
『イスラエルがわたしの道に歩んでいたなら・・・・』
何と悲しみに溢れた神の嘆きでしょう。
16節の締めくくりでは、『主は  最良の小麦を御民に食べさせる。私は岩からしたたる蜜で、あなたを満ち足らせる。』
何と、愛に満ちた御言葉でしょう。
この言葉をアサフに与えられて、民に届けられているのです。
私達は、もっともっと、主に叫び求め、与え主なる御方に、心から賛美を献げましょう。
賛美こそ、福音に生きる神の子達の、最高の栄の道(人生)なのです。
   ハレルヤ‼️
 詩篇   80篇1節~19節

<80> 指揮者のために。ギテトの調べにのせて。ダビデの賛歌。

80:1 イスラエルの牧者よ聞いてください。ヨセフを羊の群れのように導かれる方よ光を放ってください。ケルビムの上に座しておられる方よ。
80:2 エフライムとベニヤミンとマナセの前で御力を呼び覚まし私たちを救いに来てください。
80:3 神よ私たちを元に戻し御顔を照り輝かせてください。そうすれば私たちは救われます。
80:4 万軍の神【主】よいつまであなたの民の祈りに怒りを燃やされるのですか。
80:5 あなたは彼らに涙のパンを食べさせあふれる涙を飲ませられました。
80:6 あなたは私たちを隣人らの争いの的とし私たちの敵は私たちを嘲っています。
80:7 万軍の神よ私たちを元に戻し御顔を照り輝かせてください。そうすれば私たちは救われます。
80:8 あなたはエジプトからぶどうの木を引き抜き異邦の民を追い出してそれを植えられました。
80:9 その木のためにあなたが地を整えられたのでそれは深く根を張り地の全面に広がりました。
80:10 山々もその影におおわれました。神の杉の木もその大枝に。
80:11 ぶどうの木はその枝を海にまで若枝をあの川にまで伸ばしました。
80:12 なぜあなたはその石垣を破り道を行くすべての者がその実を摘み取るままにされるのですか。
80:13 林の猪はこれを食い荒らし野に群がるものもこれを食らっています。
80:14 万軍の神よどうか帰って来てください。天から目を注ぎご覧になってください。このぶどうの木を顧みてください。
80:15 あなたの右の手が植えた苗とご自分のために強くされた枝とを。
80:16 それは火で焼かれ切り倒されています。民は御顔のとがめによって滅びています。
80:17 あなたの右にいる人の上に御手がご自分のため強くされた人の子の上に御手がありますように。
80:18 私たちはあなたから離れ去りません。私たちを生かしてください。私たちはあなたの御名を呼び求めます。
80:19 万軍の神【主】よ私たちを元に戻し御顔を照り輝かせてください。そうすれば私たちは救われます。
 2025年6月26日(木)リビングライフQT

この詩の作者であり、それを神の前に祈る、詠唱者アサフの、切々たる、振り絞るような、苦悩の祈りの賛美です。
礼拝の民は、この詠唱を聴きながら、何を思い、何を考えていたのだろう・・・・。
ベリシテ人・カナン人・又、イスラエルの中からも、神に背くものが出た現実の中で、神が民から目を背け、異邦の民の虐げに翻弄されるままの姿を、憂いて祈り捧げた、賛美なのです。
勿論、この様な状態を招いたのは、民の、神への不信仰と、神の愛の導きに従わない不従順からであることは、自明のことなのです。
しかし、この祈り叫びは、個々の罪の事実に基づく、すべて神の反抗に対する、神の裁きではありますが、アサフは、その様な事実の中からも、主なる神が選ばれた民である‼️と言う一事にしがみ付くように、神に訴えるのです。
正に、これは“執り成し”の、典型と言えないでしょうか‼️
最後には、民を代表して、
18節に《私たちはあなたから離れ去りません。
私たちを生かしてください。私たちはあなたの御名を呼び求めます。》と、悔い改めの賛美を民の代表として、歌い挙げています。
民はひれ伏して、この詠唱に心を合わせて、同じ思いで、魂を献げたことでしょう。
正に、創造者にして、全能の神への、素晴らしい礼拝ではないでしょうか。
私達の毎聖日の礼拝が、形こそ違え、時代の崩壊する世に対して、頑なに心閉ざす人々(家族・友人・社会・祖国)への、執り成しとなる礼拝としてささげて参りましょう‼️
 詩篇   79篇1節~13節

<アサフの賛歌。>

79:1 神よ国々はあなたのゆずりの地に侵入しあなたの聖なる宮を汚しエルサレムを瓦礫の山としました。
79:2 彼らはあなたのしもべたちの屍を空の鳥の餌食としあなたにある敬虔な人たちの肉を地の獣に与え
79:3 彼らの血をエルサレムの周りに水のように注ぎ出しました。彼らを葬る者もいません。
79:4 私たちは隣人のそしりの的となり周りの者に嘲られ笑いぐさとなりました。
79:5 【主】よいつまでですか。とこしえにあなたはお怒りになるのですか。いつまであなたのねたみは火のように燃えるのですか。
79:6 どうかあなたの激しい憤りを注いでください。あなたを知らない国々に。御名を呼び求めない王国の上に。
79:7 彼らはヤコブを食い尽くしその住む所を荒らしたのです。
79:8 先祖たちの咎を私たちのものとして思い出さないでください。あなたのあわれみが速やかに私たちを迎えるようにしてください。私たちはひどくおとしめられているのです。
79:9 私たちの救いの神よ私たちを助けてください。御名の栄光のために。私たちを救い出し私たちの罪をお赦しください。御名のゆえに。
79:10 なぜ国々は「彼らの神はどこにいるのか」と言うのでしょう。あなたのしもべたちの流された血の復讐が私たちの目の前で国々に果たされますように。
79:11 捕らわれ人のうめきが御前に届きますように。あなたの大いなる力のゆえに死に定められた人々を生きながらえさせてください。
79:12 主よあなたをそしったそのそしりの七倍を私たちの隣人らの胸に返してください。
79:13 私たちはあなたの民あなたの牧場の羊です。私たちはとこしえまでもあなたに感謝し代々限りなくあなたの誉れを語り告げます。
 2025年6月25日(水)リビングライフQT

この詩篇は、神の怒りが選びの民の上に、激しく臨んだ様が、詠われていますね。
1節には・・・エルサレムを瓦礫の山としました。
2節には・・・しもべたちの屍を、空の鳥の餌食とした。
3節には・・・彼等の血を周りに水のように注ぎだし・・・彼等を葬る者もぃません
この様な事態が、エルサレムに臨むとは、誰が想像した事でしょう。
この様は、まさに紀元前586年のバビロンのネブカドネザル王の、侵略による、ユダ王国の崩壊を詠ったものです。
それ以前に北イスラエル王国は、アッシリヤにより、完全に崩壊した歴史の警告にもかかわらず、ユダの民は、神に背き、偶像を持ち込み、律法を守ることもせずに、堕落の一途を辿ったのです。
その様な中で、アサフは、瓦礫と化した神殿で、この礼拝賛美を献げているのです。胸の痛くなるような、苦悩を感じます。
この様に崩壊した中からでも、献げる悔い改めの賛美と祈りは、神の元に届くのです。
私達は、どの様な祈りをささげているでしょうか。
祈りは賛美となり、賛美は祈りとなって、父なる神・創造主なる神の御心に届くのです。
真の礼拝・真実な溢れ出る祈り・悔い改めの賛美は、主に届くのです。
   ハレルヤ‼️
 詩篇    78篇56節~72節

78:56 けれども彼らはいと高き神を試み神に逆らいそのさとしを守らなかった。
78:57 彼らは元に戻り先祖たちのように裏切りたるんだ弓の矢のようにそれて行った。
78:58 また高き所を築いて神の怒りを引き起こし刻んだ像で神のねたみを起こさせた。
78:59 神は聞いて激しく怒りイスラエルを激しく退けられた。
78:60 シロの御住まい人々の間に張ったその幕屋を見放して
78:61 御力を捕らえられるに任せ御栄えを敵の手に渡された。
78:62 神はご自分の民を剣に引き渡しゆずりの民に対して激しく怒られた。
78:63 火は若い男たちを食い尽くし若い女たちは婚礼の歌を歌わなかった。
78:64 祭司たちは剣に倒れやもめたちは泣くこともできなかった。
78:65 そのとき主は眠りから目を覚まされた。ぶどう酒の酔いから覚めた勇士のように。
78:66 主はその敵を打って退け彼らに永遠のそしりを与えられた。
78:67 主はヨセフの天幕を捨てエフライム族を選ばず
78:68 ユダの部族を選ばれた。主が愛されたシオンの山を。
78:69 主はその聖所を高い天のように建てられた。ご自分が永遠に基を据えた地のように。
78:70 主はしもべダビデを選び羊の囲いから召し出された。
78:71 乳を飲ませる雌羊の番から彼を連れて来て御民ヤコブをご自分のゆずりの民イスラエルを牧するようにされた。
78:72 彼は全き心で彼らを牧し英知の手で彼らを導いた。
 2025年6月24日(火)リビングライフQT

アサフの朗詠は更に続きます。今日のテキストの56節~72節の、朗詠は、旧約聖書のヨシュア記~士師記に記されている約400年に亘る、ヨシュアによる、カナンの地突入から、ダビデ王朝が確立するまでの、不安定な時代の、民の歴史なのです。
荒野の40年の民の信仰訓練から、遂に約束の地“カナン”の地に入り最初の大国、エリコの城を打ち破る、大勝利に始まった、カナン の地征服で、その地の征服が広範囲に及ぶに従って、イスラエルの民は、カナンの先住民を懐柔し、神から賜った戒律を踏み越えて、勝利に酔いしれた勢いで、58節の「高き所を築いて・・・」とあるように、彼等の偶像礼拝のあり方を、身近な礼拝と置き換えて、幕屋の、聖所による礼拝としてしまったのです。
彼等の軽薄な裏切りに、神は怒りを燃やされました。聖所の最も神聖な《契約の箱》を、先住民との闘いの中で奪われて、彼等の信仰と、民の結束の要(かなめ)さえも失い、神から与えられた、希望の地さえも、失った烏合の衆となったのです。
65節の《その時主は眠りから目を覚まされた・・・》に始まる展開は、ダビデ王に辿り着くまでの、歴史の中で、次々と、霊的指導者、そして彼等は、闘いの勇者でもあって、彼等を[士師]と呼び、神は彼等を用いて、民を勝利と平安へと導かれたのです。
68節から終わりまでは、ユダ部族の中から、《ダビデ》を選ばれ、遂に、《69節~主はその聖所を、高き天のように建てられた。》
これは、エルサレムであり、神殿を指しているのです。
72篇の締めくくりの言葉・・・
72節~
彼(ダビデ)は、全き心で彼等を牧し
英知の手で彼等を導いた。
これは神の一貫した、御計画で有り、揺るぎない、神のシナリオだったのです。
傷つき倒れた多くの民は、神の御計画ではなく、民の不従順が原因だったのでした。
今なお、人類が苦悩し傷つき、闘い続けるのは、正に、神の一貫した完成へのご計画にもかかわらず、この御方(神御自身)を見上げることも、信じることも、従うことも、捨て去った人類の姿なのです。
今私達の小さな人生に、勝利と、聖なる礼拝と祈りと、平安な日々をもたらすのは、正に、主なる神への信頼と信仰‼️なのです。
あなたの人生設計は、神の御手にあります。
それを求めて、主を見上げる日々として参りましょう。

明日(25日)のテキスト
詩篇   79篇1節~13節 
 詩篇    78篇40節~55節

78:40 幾たび彼らは荒野で神に逆らい荒れ地で神を悲しませたことか。
78:41 彼らは繰り返し神を試みイスラエルの聖なる方の心を痛めた。
78:42 彼らは神の力も神が敵から贖い出してくださった日も思い起こさなかった。
78:43 神がエジプトでしるしをツォアンの野で奇跡を行われたことを。
78:44 神が大河を血に変えられたのでその流れは飲めなくなった。
78:45 神は彼らにあぶの群れを送り蛙を送って彼らを食い尽くされた。
78:46 また彼らの作物を若いいなごに彼らの勤労の実をいなごに与えられた。
78:47 神は雹で彼らのぶどうの木を稲妻でいちじく桑の木を滅ぼされた。
78:48 彼らの家畜を雹に家畜の群れを疫病に渡された。
78:49 神は彼らの上に燃える怒りを送られた。激しい怒りと憤りと苦しみを。わざわいをもたらす御使いたちを。
78:50 神は御怒りに道を備え彼ら自身に死を免れさせず彼らのいのちを疫病に渡された。
78:51 神はエジプトですべての長子を打ち殺された。ハムの天幕で彼らの力の初穂を。
78:52 神はご自分の民を羊の群れのように連れ出し家畜の群れのように荒野の中を連れて行かれた。
78:53 神が安らかに導かれたので彼らは恐れなかった。しかし彼らの敵は海がおおい隠した。
78:54 こうして神は彼らをご自分の聖なる国に右の御手で造ったこの山に連れて来られた。
78:55 また彼らの前から異邦の民を追い出しその地を相続の地として彼らに分け与えイスラエル諸族をそれぞれの天幕に住まわせた。
 2025年6月23日(月)リビングライフQT

何と頑迷(ガンメイ=心を頑な)にして、神の恵と愛に心閉ざした民なのでしょう。こうして客観的に、歴史を紐解いて見ると、彼等の不従順が、愚かしく見えてくるのです。
しかし、我が身に置き換えてみると、とても、イスラエルの民を“愚か”と、断ずることは、出来ない弱さを自らの中に見出すのです。
アサフは、この賛美の中に、民が未だエジプトの中で、奴隷として酷使されながら、やがては民の消滅の危機に瀕していたときに、
モーセとアロンによって、全エジプトに、神が10回に亘り、古代最大の文明国“エジプト”が、神の鉄槌の下で、民(エジプト)の消滅の危機を経験し
イスラエルは、その度に弱体化するエジプトの姿を、観てきたのです。
神の強い御手の元で、遂に、最強のエジプトの追撃隊がイスラエルの目の前で、波に呑まれて大海の藻屑となって絶滅する姿を目の当たりにし、神の勝利に酔いしれたのです。
しかし、それでも民の不満と恐れは、神への呟き・不満・反抗となって噴出していたのです。
これこそ民と神との間を隔てた、罪の形なのです。
何と怖ろしい姿でしょう。
もう一度神から来た恵の数々を、思い出してみましょう。

望みも消え行くまでに、
世の嵐に悩むとき
数えて見よ❗
              主の恵み
汝が心は
        “安き”を得ん  
感謝は信頼回復のステップ
      このステップは、
神への賛美へと引き上げられて
魂に勝利と栄光の光が差してくるでしょう。
不満のイスラエルにはなるまじ
我が主よ❗
            我が主よ‼️
 詩篇    78篇32節~39節

78:32 これらすべてにもかかわらず彼らはなおも罪を犯し神の奇しいみわざを信じなかった。
78:33 それで神は彼らの日を一息のうちに彼らの齢を突然の恐怖のうちに終わらせられた。
78:34 神が彼らを殺されると彼らは神を尋ね求め立ち返り神を切に求めた。
78:35 彼らは思い出した。神が自分たちの岩でありいと高き神が自分たちを贖う方であることを。
78:36 しかし彼らはその口で神に媚び舌で神に偽りを言った。
78:37 彼らの心は神に堅く立たず神の契約に忠実でなかった。
78:38 しかし神はあわれみ深く彼らの咎を赦して滅ぼされなかった。怒りを何度も抑えて憤りのすべてをかき立てられることはなかった。
78:39 神は心に留めておられた。彼らが肉にすぎないことを。吹けば戻らない風であることを。
 2025年6月22日(日)リビングライフQT

78篇の締め括りに 、主なる神の、慈しみを歌い上げた、慰めに満ちた終曲です。
神殿朗詠のアサフが、どの様な節回しで歌ったのかは、未だに分からないので再現は出来ないのですが、どんな思いで歌われ、それを民は、どの様な思いを巡らして、聞き入ったのでしょう。
イスラエルの民は、自らの選びの民としてのアイデンティティを、幼い時から話を聞かせられ、12才になると、シナゴーグ(ユダヤ会堂)で行われる、ユダヤ教学校で、モーセの十戒はじめ、ユダヤ諸律法、更に、イスラエルの歴史アブラハムから始まる全歴史、殊に、出エジプトの歴史は、イスラエルのアイデンティティを形成する原点なのです。醜い失敗、神の厳しい裁き、それに勝る、神の慈しみと赦しの歴史を、学んできたのです。
ですから、このアサフの朗詠は、神殿の庭に集まる数千人の民の代表者達には、毎回リアルに、その魂に響いたことでしょう。
その事は同時に、民を悔い改めと、より深い主なる神への、信頼と帰属意識(信仰)を、深くしたことでしょう。
それはそのまま
私達の信仰生活・主なる神への深い信頼を培うための礼拝の姿でありたいですね。

しかし、神は憐れみ深く
彼等の咎を赦して  滅ぼされなかった…のです。
 詩篇    78篇9節~節

78:9 エフライムの人々は弓を射る者であったが戦いの日には退却した。
78:10 彼らは神の契約を守らず神のおしえに従って歩むことを拒み
78:11 神の数々のみわざを忘れてしまった。神が見せてくださった多くの不思議を。
78:12 神は奇しいみわざを彼らの先祖の前でエジプトの地ツォアンの野で行われた。
78:13 海を分けて彼らを通らせ堰のように水を立てられた。
78:14 昼は雲で彼らを導かれた。夜は夜通し炎の光で。
78:15 荒野で神は岩を割り大いなる深淵の水を豊かに飲ませてくださった。
78:16 あふれる流れを岩からほとばしらせ水を豊かな川のように流れさせてくださった。
78:17 けれども彼らはなおも神に罪を犯し砂漠でいと高き方に逆らった。
78:18 彼らは心のうちで神を試み欲に任せて食べ物を求めた。
78:19 そのとき彼らは神に逆らって言った。「荒野で食事を備えることが神にできるのか。
78:20 確かに神が岩を打たれると水が湧き出て流れがあふれた。だが神はパンも与えることができるのか。民のために肉を用意できるのか。」
78:21 それゆえ【主】はこれを聞いて激しく怒られた。火はヤコブに向かって燃え怒りはイスラエルに向かって燃え上がった。
78:22 これは彼らが神を信じず御救いに信頼しなかったからである。
78:23 神は上の雲に命じて天の戸を開き
78:24 彼らの上に食べ物としてマナを降らせ天の穀物を彼らに与えられた。
78:25 それで人々は御使いのパンを食べた。神は満ちたりるほど食物を送られた。
78:26 神は東風を天に起こし御力をもって南風を吹かせられた。
78:27 彼らの上に肉をちりのように翼のある鳥を海の砂のように降らせ
78:28 それを宿営の中住まいの周りに落とされた。
78:29 彼らは食べ十分に満ち足りた。こうして彼らが欲望を満たすままにされた。
78:30 彼らがその欲望を手放さずまだ食べ物が口にあるうちに
78:31 神の怒りが彼らに向かって燃え上がり彼らのうちの最も頑丈な者たちを殺しイスラエルの若い男たちを打ちのめした。
 2025年6月21日(土)リビングライフQT

昨日からのテキストとなっている、詩篇78篇は、全文、終始一貫、イスラエルの民の 出エジプトに始まる、荒野の40年の歴史(神への反抗と不従順の・・・)を、思い起こさせる構成文となっている。 初め読みながら、何て愚かな民だったんだろう。  どうしてこんなにまで、神に背き続けられるのだろう。そして改めて、彼等の40年の荒野の遍歴の跡を辿ってみました。
彼等の、神様への叫びと呟きは、生きる為に、為す術も無くなった中からの、叫びではありました。
神は、この様な、不遜な訴えに対して、何と❗直ちにお応えに成られて来られました。‼️
少し、イスラエルの民の主なる神への冒涜の数々を、振り返ってみましょう。
10節~・・・・神の教えに従って歩むことを拒み・・・⤵
☆11節~16節・・・民の反抗と神への不満の反発にもかかわらず、彼等を窮地(最も恐れる水の枯渇)から救い出すために、荒野の中に泉を湧き出させ、乾き切った岩山から水をほとばしり出させた事、幾度だった事でしょう。その様な中でも民は・・・
17節~彼らはなおも神に罪を犯し、砂漠で、いと高き方に逆らった。
19節~荒野で食事を備えることが      神にできるのか。
20節~・・・神は、民のために   肉を用意できるのか。
42節~29節・・・・彼等の不満に、マナを40年毎朝降らせ、肉のために、ウズラの大群を彼等の宿営全域に、飛来させた。
30節~彼等がその欲望を手放さず・・・
31節~神の怒りが・・・イスラエルの若い男達を打ちのめされた。
出エジプト記・レビ記・民数記・申命記・・・の記録を思い返すと、子供の頃から、イスラエルの民の頑なな心、同じ事を繰り返し、反省と進歩のない民の姿に、子供心ながら、腹を立てていました。
しかし、或る時
その姿は、自分自身の姿と変わりないではないか・・・と気が付いたときに、打ちのめされ、同時に神の忍耐と、決してお見捨てにならないお姿に、涙しました。高校3年の時でした。
そして、この神様の愛と真実を、イエス・キリスト様を通して顕された、福音を伝えたいと、心深くに、迫られたのです。
イスラエルの民の頑迷さは私自身だし、日本の民もまた、霊の荒野をさ迷っているのです。
     先ず、今日
あなたから、主に向かって立ち上がり、神の愛に応える人生を更に・・・
築き挙げて参りましょう。(神)
 詩篇    78篇1節~8節

<アサフのマスキール。>

78:1 私の民よ私の教えを耳に入れ私の口のことばに耳を傾けよ。
78:2 私は口を開いてたとえ話を昔からの謎を語ろう。
78:3 それは私たちが聞いて知っていること。私たちの先祖が語ってくれたこと。
78:4 それを私たちは息子たちに隠さず後の時代に語り告げよう。【主】の誉れを主が行われた力ある奇しいみわざを。
78:5 主はヤコブのうちにさとしを置きイスラエルのうちにみおしえを定め私たちの先祖に命じてその子らに教えるようにされた。
78:6 後の世代の者生まれてくる子らがこれを知りさらに彼らがその子らにまた語り告げるため
78:7 彼らが神に信頼し神のみわざを忘れずその命令を守るために。
78:8 先祖たちのように強情で逆らう世代心定まらない世代霊が神に忠実でない世代とならないために。
 2025年6月20日(金)リビングライフQT

☆福音は(1節~-神ご自身-の教え❗)
創造主(神)が、御創りになられた、全ての人に語り掛けられる、メッセージです。 このメッセージを聴くことが、人生に与えられた、最大の使命であり、そのメッセージを形に表されたのが《聖書》なのです。しかし、文字の有無・識字力の有無・翻訳の有無・広範囲に拡がった人類の割拠・等々から、今や全世界、福音の伝わらない国・民族・部族は、殆ど無いまでに、行き渡った‼️と、言いたいのですが、、未だに、既存の文明社会から、全く接点を持たない小部族が、アマゾンに、アフリカに、ニューギニア、カリマンタンに存在していると言う事実を知るとき、私達一人一人が、その地に行けないまでも、あなたの家族の中に、周りの人々の中に、私達は語り伝えているだろうか・・・・❓
ふと、その様に自問しながら読み進むと、魂に自責の思いがよぎり、深い懺悔と、新たな決意に、心揺さぶられる想いです。
責められるではなく、新たに、主からの使命に目覚める、呼びかけとして迫ってくるのです。
ではどの様にして・・??
言葉で福音を語ることを先行するのではないのです。
①福音を生活する(神への礼拝・愛・赦し・善意・誠実・喜び・・・・etc.)
②礼拝と祈りの生活
③聖書に学び、その中に生活する。(聖書を生きる)
④神第一の生活(神第一の日々は、神が愛される全ての人を愛す事)
⑤神が遣わされた救い主イエス・キリストの御傍に、何時も自らを置く日々‼️・・・・・・
5節から8節をもう一度じっくりと読み直してみましょう!
福音を伝えるのは、クリスチャンの任務や、義務や、使命ではなく、神に創造されたあなたに与えられた、素晴らしい特権なのです。あなたの存在によって、家族が友人が・・・、創造主を知り、救い主の愛に目覚めたら‼️それは人生最大の喜びとなるでしょう。
そしてそれは更に次の人に・・・・
それは・世に生を受けた、最高の祝福として実感されるでしょう。
今から始めましょう‼️
 詩篇    77篇10節~20節

77:10 私はこう言った。「私が弱り果てたのはいと高き方の右の手が変わったからだ」と。
77:11 私は【主】のみわざを思い起こします。昔からのあなたの奇しいみわざを思い起こします。
77:12 私はあなたのなさったすべてのことを思い巡らしあなたのみわざを静かに考えます。
77:13 神よあなたの道は聖です。私たちの神のように大いなる神がいるでしょうか。
77:14 あなたは奇しいみわざを行われる神。国々の民の中で御力を現される方。
77:15 あなたは御腕をもって贖われました。ご自分の民ヤコブとヨセフの子らを。セラ
77:16 神よ水はあなたを見ました。水はあなたを見てわななきました。大いなる水も震え上がりました。
77:17 雨雲は水を注ぎ出し雷雲は雷をとどろかしあなたの矢もひらめき飛びました。
77:18 あなたの雷の声は戦車のように鳴り稲妻は世界を照らし地は震え揺れ動きました。
77:19 あなたの道は海の中。その通り道は大水の中。あなたの足跡を見た者はいませんでした。
77:20 あなたはモーセとアロンの手によってご自分の民を羊の群れのように導かれました。
 2025年6月19日(木)リビングライフQT

逆転勝利❗
10節~「わたしが弱り果てたのは
いと高き方の右の手が変わったからだ」
どの様に解釈しましょう・・・・・???
或る聖書の翻訳ではこの様に、意訳しています。
☆「これがわたしの弱みである。  しかしわたしは、いと高き方の右の手が賜った年を思い起こす。」
☆日本福音書房
                  ー回復訳ー☆
この訳だと良く解りますね。
※《御業を思い起こす‼️》
11節に改めて二度(思い起こす・・・)と記されており、ここから、詩篇77篇の祈りの言葉が、躍動的な、神への賛美となって、ほとばしっています。
私達の信仰が、何処を向いているのか・・・❓
によって、祈りは、賛美は、生活は、天地の差ほどの違いが、生まれるのです。
私達の人としての性(サガ)は、過去の記録・姿・経歴・出来事・経験・・・に支配されて、それらを土台にして、これからの未来を、推し計り・・・悲観・楽観・絶望・迷い・へと、流れ易くなりますね。
主なる神への信仰は、只、日々導いて下さる主なる神様を見上げて、この御方の手になる、多くの過ぎし出来事を振り返って、良きにつけ悪しきに付け、そこに神の恵みの御手と愛と赦しを、見出すことです‼️     
  ハレルヤ‼️
詩篇の筆者*[アサフ]は、今ここに鮮やかに、イスラエルの民が、エジプトを出てからの、大いなる出来事(アサフの時代より凡そ500年以上前の神の栄光の歴史です)を、賛美しながら勝利の讃歌に変えたのです。
今あなたの居るそこから、あなたの神、主を、呼びましょう。喜びの中から、苦悩の中から、病の中から、涙の谷から・・・・
そこに勝利が・慰めが・平安が・・・・
ア~メン‼️
 詩篇    77篇1節~9節

<77> 指揮者のために。エドトンの調べにのせて。アサフによる。賛歌。

77:1 私は神に声をあげて叫ぶ。私が神に声をあげると神は聞いてくださる。
77:2 苦難の日に私は主を求め夜もすがらたゆまず手を差し伸ばした。けれども私のたましいは慰めを拒んだ。
77:3 神を思い起こして私は嘆き悲しむ。思いを潜めて私の霊は衰え果てる。セラ
77:4 あなたは私のまぶたを閉じさせません。私の心は乱れてもの言うこともできません。
77:5 私は昔の日々遠い昔の年月について考えました。
77:6 夜には私の歌を思い起こし自分の心と語り合い私の霊は探り求めます。
77:7 「主はいつまでも拒まれるのか。もう決して受け入れてくださらないのか。
77:8 主の恵みはとこしえに尽き果てたのか。約束のことばは永久に絶えたのか。
77:9 神はいつくしみを忘れられたのか。怒ってあわれみを閉ざされたのか。」セラ
 2025年6月18日(水)リビングライフQT

今日の祈り・・・❓ ン・・・そうだ、これは主なる神へのだ。
こんな強烈な言葉ではなくとも、「神よ何故ですか???・・・
何故?沈黙なんですか私の祈りはあなたに届かないのですか」
私が、牧会上の問題が解決しなくて、反って、祈れば祈るほど、糸が絡んで、先が見えなくなったこと・・・幾度あったことでしょう。
このアサフの 詩を読んだ時、同じ苛立ちに打ちのめされ、゙あの゙時の事を思い出させられました。
でも、私は今ここに在る・・・‼️      何故(?_?)
これがこの詩の、鍵なのです。
私達の〔祈り〕とは、何でしょう。愛に満ちた神様に向かって、何を祈っているのでしょう。
私達は気を付けないと、(祈り)とは、自分の願い事を、聴き届けてもらうこと❗・・・と、思い込む事が多いです。
クリスマスの物語に・・・・神様が、一人の天使に「お願いの祈りをこの籠一杯になるまで集めなさい。」
もう一人の天使に
「あなたは、この籠一杯になるまで、感謝の祈りを集めて来なさい。」
二人の天使は、人間界に降りてきて、祈る人の所に行っては仕分けして、それぞれに集めました。
お願いの籠を持つ天使は直ぐ一杯になって、意気揚々と天に帰った。
所が、感謝の祈りの方はなかなか集まらず、夕方になったので、悄然として、籠の底が見えるほどしか集まらなかった祈りを持って、天に帰った。神様は深く悲しまれた・・・・・・・
正に詩篇の祈り(前半ではありますが)は、この様な祈りですね。
昨日のエッセイにあった・・・何一つ聴かれなかった祈り・・・の様ですね。
神様の沈黙、それは一体なんでしょう。
テキストの先読みしてもかまいません。そして、改めて、《祈り》の意味を考え黙想しましょう。
結論、《祈り》は、勝利の最強の武器です‼️
明日を楽しみに(*^_^*)

昨日のエッセイが欲しい方は、お送りしますので、お知らせ下さい。
写メで送信します。
 詩篇    76篇1節~12節

<76> 指揮者のために。弦楽器に合わせて。アサフの賛歌。歌。

76:1 神はユダにご自分を示される。イスラエルにその御名の偉大さを。
76:2 その仮庵はサレムにその住まいはシオンにある。
76:3 神はそこで弓の火矢を砕かれる。盾と剣も戦いも。セラ
76:4 あなたは輝かしく獲物で満ちる山々にまさって威厳があります。
76:5 剛胆な者たちは略奪され深い眠りに陥りました。どの勇士たちにも手の施しようがありませんでした。
76:6 ヤコブの神よあなたが叱りつけると戦車も馬も倒れ伏しました。
76:7 あなたは実にあなたは恐ろしい方。お怒りになればだれが御前に立てるでしょう。
76:8 天からあなたの宣告が聞こえると地は恐れて沈黙しました。
76:9 神がさばきのために地のすべての貧しい者たちを救うために立ち上がられたそのときに。セラ
76:10 まことに人の憤りまでもがあなたをたたえあなたはあふれ出た憤りを身に帯びられます。
76:11 あなたがたの神【主】に誓いを立てそれを果たせ。主の周りにいる者はみな恐るべき方に贈り物を献げよ。
76:12 主は君主たちの霊を刈り取られる。地の王たちにとって恐るべき方。
 2025年6月17日(火)リビングライフQT

何と、力強い詩でしょう。胸のすくような、言葉の積み重ね。
読みながら心震え、思わず何度も読み返しました。この中には、積み重なったイスラエルの民の、苦難の歴史が歌い上げられいるのを感じました。事実で有り、歴史であるから、なお強いのですね。
この詩篇を読みながら、わたしも又、我が人生・・・神に背いた時期・目覚めて主の前に膝まづいた時、聖霊に充たされて、恐れを知らずに、町中に一人で伝道に向かったとき・神学校三年間に三カ所に開拓伝道を展開し、真冬にも身体中ほてったように熱い想いで、日曜派遣から夜中に、学び舎に帰還した夜・・・・正にこの詩篇の筆者のような、思い出です。
思い出ではなく、これからの信仰生活の中にも、イスラエルの時代と変わらず、立ち上がり勝利の御旗を、掲げて下さるでしょう。
私達がこの偉大な御方の前に、ひれ伏し、声を挙げて従い・・・・
☆11節~あなた方の神  主に  誓いを立て、それを果たせ‼️
→あなたの神、主に  献身を顕せ。そしてその道に歩め‼️
※  〔献身〕→それは、伝道者牧師になる・・・と言う事ではなく、神第一の道に、完全に歩め‼️・・・と言うことなのです。
神と一体となる、霊の一致を見たら、何の恐れや、不安や、躊躇があるだろう。
魂の内には喜びがあふれ、感謝がわき上がり、魂は栄光に照らされ、愛と赦しと慰めが、魂を充たすでしょう。
そんな祈りをしてみましょう‼️
一人住まいなら、ご自宅のお部屋で。
そうで なければ、教会の会堂で、それが叶わなければ、近くの人気(ひとけ)の無い公園で、海岸で、木立の中で、ウォーキングしながら・・・・・・
主に感謝と賛美と献身の想いを・・・・
あなたの言葉で、主の御名を称え、恵の数々を感謝しましょう。(感謝)

※テキストお持ちの方は、95ページのエッセイを、是非お読み下さい。今までも何度も、掲載された詩ですが。私の大好きな詩でもあります。

『私は神に求めた』
……… ……
私が望んだ物は何一つ得られなかったが、私が必要する全てのものを与えられた。


明日(18日)のテキスト
詩篇   77篇1節~9節 
 詩篇  75篇1節~10節

<75> 指揮者のために。「滅ぼすな」の調べで。アサフの賛歌。歌。

75:1 私たちはあなたに感謝します。神よ私たちは感謝します。あなたの御名は近くにありあなたの奇しいみわざが語り告げられています。
75:2 「わたしが定めの時を決めわたし自ら公正にさばく。
75:3 地とそこに住むすべての者が揺らぐときわたしが地の柱を堅く立てる。セラ
75:4 わたしは誇る者には『誇るな』と言い悪者どもには『角を上げるな。
75:5 おまえたちの角を高く上げるな。横柄な態度で語るな』と言う。」
75:6 高く上げることは東からでもなく西からでもなく荒野からでもない。
75:7 まことに神こそさばき主。ある者を低くしある者を高く上げられる。
75:8 【主】の御手には杯があり混ぜ合わされた泡立つぶどう酒が満ちている。主がこれを注ぎ出されると実にすべて地の悪者どもはそれを飲みかすまで飲み干す。
75:9 しかし私はとこしえまでもみわざを告げます。ヤコブの神にほめ歌を歌います。
75:10 私は悪者どもの角をことごとく切り捨てます。正しい者の角は高く上げられます。
 2025年6月16日(月)リビングライフQT

さばき主・・・❗
    である神‼️
最近裁判のニュースを・良く目にしますが、事件発生から60年に亘る、無実の主張が、最高裁によって、無罪と証明された、袴田事件。
先に天に召された・熊本聖書教会開拓初代牧師の、坂本克明先生から、幾度も幾度も検察の証拠捏造のお話を聴かされた事を思い出します。
先生は袴田さんに、福音を伝え祈りを篤く継続されていました。
その事を、この詩篇を読みながら、ふと、思い出したのです。 袴田さんの、認知の進んだ頭脳には、どの様に受け止められたかは分かりませんが、袴田さんの中には、既に最高裁の判決を超えた、神の裁決と御支配が、袴田さんの魂に平安と、慰めを満たしていたのではないだろうかと・・・
判決後の映像を見ながら、深い感銘に涙しました。
詩篇の記者は、この詩を詠んだ時、決して、勝利に浸っていたのではない・・と、想像しながら、読んでいました。
《あなたの御名は近くにあり・・・・》
現実には、解決の道の見いだせない中で、既に試練の中に長く翻弄される現実とは裏腹に、この作者の中には、強力な支配者(神)の完全な勝利の、切り札が出されているのを、観るように確信した、讃歌となって、告白されているのです。
全体に胸のすくような、勝利の雄叫びを、感じます。
これこそ、主に信頼する僕の、真骨頂です。
主に信頼するあなたは、試練と四面楚歌の中でも、《勝利者》なのです。主に賛美しましょう。勝利の主に、感謝の歌を・祈りを、献げましょう。
何か確かな、証拠を知ったり観たりしてからではなく・・・・・・・
  今‼️でしょう(*^_^*)
(解説記事)→8節
☆混ぜ合わされた葡萄酒~これは、毒を盛り合わせた、古代の処刑の盛り酒(ソクラテスが飲まされて処刑された)
飲み干す→死に至る
☆10節~
悪者どもの角を、ことごとく切り捨てます。
→恐れ・不安・躊躇・焦り・失望・絶望・・・この様な心(魂)の刺を、切り捨てる‼️信仰の勝利宣言を、意味してます。
悪にサタンに翻弄されるのを、打ちのめしましょう‼️ハレルヤ‼️

長い間お祈り頂き、心から感謝申し上げます。先週土曜からやっと平熱に安定して、毎日、リビングライフQTメッセージのためにだけ、エネルギ~使い、後は体を横にしている毎日でしたが、今週土曜から佐伯の奉仕で出掛けるので、体慣らし始めたところです。更にお祈り下さい。
 詩篇  74篇12節~23節

74:12 神は昔から私の王この地において救いのみわざを行う方。
74:13 あなたは御力をもって海を打ち破りその水の上の竜の頭を砕かれました。
74:14 あなたはレビヤタンの頭を踏みにじり砂漠に住むものたちの餌食とされました。
74:15 あなたは泉と谷を切り開き流れの絶えない川を涸らされました。
74:16 昼はあなたのもの夜もあなたのもの。あなたは月と太陽を備えられました。
74:17 あなたは地のすべての境を定め夏と冬を造られました。
74:18 【主】よどうか心に留めてください。敵がそしり愚かな民が御名を侮っていることを。
74:19 あなたの山鳩のいのちを獣に引き渡さないでください。あなたの悩む者たちのいのちを永久に忘れないでください。
74:20 どうか契約に目を留めてください。地の暗い所は暴虐の巣ですから。
74:21 虐げられる者が辱めを受けて帰されることがなく苦しむ者貧しい者が御名をほめたたえますように。
74:22 神よ立ち上がりご自分の言い分を立ててください。愚か者が休みなくあなたをそしっていることを心に留めてください。
74:23 忘れないでください。あなたに敵対する者の声をあなたに向かい立つ者どもが絶えずあげる叫びを。
 2025年6月15日(日)リビングライフQT

こうして、詩篇をジックリと詠むと、そこで浮き彫りになるのは、この詩篇の記者と私達との、神観の違いです。この詩を謳っている、作者にとって、《神》は、ともすると、私達にとって信仰の対象として、高き所に居ます御方❗と言った御方として、頭や心の中に、描かれているのではないでしょうか?
この作者の賛美、呻き、求め、訴えは、日々現実の中に居まし、直に生活に、進む道に歩まれる御方として、呼びかけ、叫び求めています。正に、彼等の生活のただ中を、歩かれている御方として、響いてくるのです。
それに比べると、私達クリスチャンの信じる御方《神》への認識と呼びかけは、どこか宗教的、信心(仰)的ニュアンスに流れやすい❓・・・そんな感じを禁じ得ません。
この詩(歌=賛美=叫び)の迫力‼️・・・その迫力は、民の代表朗詠者マスキ~ルの信仰で有りながら、イスラエルの民の篤い信頼と信仰が、重く重なって響いてくるのです。
そして、もっとジックリと読み重ねていると、私の魂までこの(詩・歌)の中に、溶け込んでいくようです。
良く、『詩篇は、自分の想いをそのまま乗せて、共に祈り・叫び・祈ることが出来るから、好きだ‼️』と言われる方々がおられますが、まさにそうですね。
あなたの思いを、この詩歌に乗せて、今一度、謳うように読んでみましょう‼️
今日は内容へのコメントは、あなたにおゆだねします。
 詩篇  74篇1節~11節

<アサフのマスキール。>

74:1 神よなぜいつまでも拒み御怒りをあなたの牧場の羊に燃やされるのですか。
74:2 どうか思い起こしてください。昔あなたが買い取られゆずりの民として贖われたあなたの会衆を。あなたの住まいであるシオンの山を。
74:3 あなたの足を永遠の廃墟に踏み入れてください。敵は聖所であらゆる害を加えています。
74:4 あなたに敵対する者どもはあなたの聖なる所でほえたけり自分たちのしるしをそこに掲げています。
74:5 あたかも木の茂みの中で斧を高く振り上げる者のようです。
74:6 今や彼らは手斧と槌で聖所の彫り物をことごとく打ち砕き
74:7 あなたの聖所に火を放ちあなたの御名の住まいをその地まで汚しました。
74:8 彼らは心の中で「彼らをことごとく征服しよう」と言い国中の神の聖所をみな焼き払いました。
74:9 もう私たちのしるしは見られません。もはや預言者もいません。いつまでそうなのかを知っている者も私たちの間にはいません。
74:10 神よいつまではむかう者はそしるのですか。敵は永久に御名を侮るのですか。
74:11 なぜあなたは御手を右の御手を引いておられるのですか。その手を懐から出して彼らを滅ぼし尽くしてください。
 2025年6月14日(土)リビングライフQT

北王朝(イスラエル王国=イスラエル10氏族)の滅亡から136年後、北王朝の滅亡の現実を忘れて、南イスラエル(ユダ王国)の王、民は偶像に走り、神殿のある領域内でさえ、偶像への生け贄を献げるなど、神への真実な信仰が失われ、預言者・祭司の命がけの預言と警告に耳を貸さなくなったのです。
BC586年、侵略してくるバビロンのネブカデネザル王の軍に抗する統べなく、エルサルムは、400年近く主に守られてきた城壁も町も、神殿までも破壊され、略奪し尽くされたのです。
ユダの民にとって、エルサレムは、神の臨在される都であり、不滅の町・都だと信じていただけに、彼等の受けた失望は、想像を超え、民の存在の根幹をも揺らいだ事でしょう。
まるで、第二次世界大戦で、日本が[神国日本は不滅❗]との信仰を煽って、闘った我が国が、再建不可能なまでに、打ちのめされた、80年前と全く同じ姿に思えます。
多くの教会までが、軍部の強制下に置かれたとは言え、戦勝祈祷・皇居遙拝(皇居のある方向に向いて、牧師も信徒も最敬礼)してから、礼拝を始める
必ず礼拝には、特高警察が監視に遣わされていました。私の父は、それを守らず、直に祈りと賛美で始めたために、教会閉鎖の憂き目に会い、昨日書いた戦後の再開(1950年)までの7年間、家族だけで声を潜めて、賛美し祈った日々を、覚えています。(声を潜めての礼拝は、終戦まででしたが…)
私達の信仰は、教会堂や、礼拝の日時や、集まって、プログラムにそって進められる礼拝が全てではありません。
あなたの内に居ます、イエス・キリスト様の臨在を仰ぎながら、主を慕う思い、そこに魂を心を注ぎ出す‼️
これが礼拝であり、信仰なのです。国を失おうと、身を拘束されようと、私・あなたの神との交わりを、断ち切るものは何も無いのです。
私達は周りの敵に対して、この詩篇の記者のように呻きながら、福音の真理を妨げ、民へのめぐみの注ぎを妨げる、サタンの働きの排除を力強く祈りましょう。主はあなたの祈りに耳を傾けられています。
 詩篇  73篇15節~28節

73:15 もしも私が「このままを語ろう」と言っていたならきっと私はあなたの子らの世代を裏切っていたことだろう。
73:16 私はこのことを理解しようとしたがそれは私の目には苦役であった。
73:17 ついに私は神の聖所に入って彼らの最期を悟った。
73:18 まことにあなたは彼らを滑りやすい所に置き彼らを滅びに突き落とされます。
73:19 ああ彼らは瞬く間に滅ぼされ突然の恐怖で滅ぼし尽くされます。
73:20 目覚めの夢のように主よあなたが目を覚ますとき彼らの姿を蔑まれます。
73:21 私の心が苦みに満ち私の内なる思いが突き刺されたとき
73:22 私は愚かで考えもなくあなたの前で獣のようでした。
73:23 しかし私は絶えずあなたとともにいました。あなたは私の右の手をしっかりとつかんでくださいました。
73:24 あなたは私を諭して導き後には栄光のうちに受け入れてくださいます。
73:25 あなたのほかに天では私にだれがいるでしょう。地では私はだれをも望みません。
73:26 この身も心も尽き果てるでしょう。しかし神は私の心の岩とこしえに私が受ける割り当ての地。
73:27 見よあなたから遠く離れている者は滅びます。あなたに背き不実を行う者をあなたはみな滅ぼされます。
73:28 しかし私にとって神のみそばにいることが幸せです。私は【神】である主を私の避け所としあなたのすべてのみわざを語り告げます。
 2025年6月13日(金)リビングライフQT

何と❗感動の詩でしょう‼️(*^_^*)
昨日の、苦悩の詩篇とは真逆で、夕立の後の虹が、全天覆うような、心爽やかな勝利の讃歌ですね。
リビングライフのテキストをお持ちの方には、二重になりますが今朝の《一節の黙想》は、私の解説に勝る一文なので、拝借させて戴きます。
わたしも又、この17節には、信仰の根幹があることを常日頃、語ってきたからです。
*詩篇 73:17
「神のいと高きみこころを悟る知恵は、その方(神)の御前に出るときに与えられます。詩篇の作者は、神の聖所に入ったとき、悪人の最後を悟りました。聖所とは神がおられる所であり、みことばが宣言され、聖徒が祈るところです。現実によって揺らいでしまった心を立ち直らせ、神の御声に耳を傾けさらせる所です。神の聖所に入ること、神に近付くことこそ、祝福された人生の始まりです。神の御前に出る者は、天の希望によって地の絶望を治めることが出来ます。」ア~メン‼️

今、私はこの文を転載しながら、私の母のことを思い出していました。 母は、クリスチャンホ~ムに育ちました。その様な恵まれた(決して、裕福な家庭ではなく、県立高女の校長とは言え、当時の教師の給与は低く、家族八人を養うのは大変でした。その様な中から更に貧しさの最先端を行く、伝道者の道に献身し、父と結婚して鹿児島開拓に遣わされ、極貧の中、形が整い始めたときに、中国に宣教師として派遣され、山東省チーフー[今の煙台]に派遣され既に一男ニ女(内一男一女は 貧しさの故に医者行けずに鹿児島で召され、その後中国で、私が生まれたのです)
間もなく、日中戦争となり、頭上を砲弾が飛び交う戦場となり、やむなく、本部(ホ~リネス教団の裁可無く帰国)教団離脱して久留米で、小さな無牧の群を託されましたが、間もなく下関に移り開拓に従事するうち、大東亜戦争(第二次世界大戦)に突入。昭和19年軍部から強制的に教会を閉鎖された。私の4歳の時でした。全国民がそうでしたが、更に二人の男の子か生まれ、無収入の中で、家族7人が生きるために、人手が無く(働き盛りは皆徴兵で 居ない)、父は軽い障害があったので在郷軍人として、国内の守りに残され、門司港に束ねられたあらゆる海運会社の統合体《船舶運営会》に就職。しかし間もなく、関門大空襲で、門司・下関・小倉・戸畑・八幡の集中爆撃が為され、我が家も戦火に灰となり、会社も機能せず、故郷に逃れ、福島で終戦の玉音放送を聞き、北陸・山陰・を経て、五ヶ月後に門司の地に辿り着く。何処も、家を探して血眼の中、一人の朝鮮の青年が、6畳と3畳二間の6畳を使って良いよ‼️(*^_^*)と言ってくださり、そこで間もなく、一番下の子が誕生、暫くして、戦災者住宅(バラック)板一枚の仮小屋のような掘っ立て小屋。その様な中で父と母は、祈りながら私達を育て、やがて、 その小屋のような家(冬の雪の日は、節穴から吹き込んだ雪が部屋の中に積もる)そんな環境でした。部屋は火鉢もなく、重ね着でしのいでいました。
慌てて、紙を破いて
ご飯の中の米粒を潰して糊にして、張り付けて雪の吹き込みを防ぎました。
そのご飯も、麦が主で、芋・カボチャ豆等が主ですから、大切な米粒を探して…〈笑い〉
そのバラックの住居も1946年6月22日の、西日本に大災害をもたらした《デラ台風》数百名の死者を出した時、我が家と隣の家の繋がりで、かろうじて、崖下に落ちなかったものの、家の半分が宙吊りになり、緊急避難となり、30分ほど離れた地に移転することになったのです。そこは、明治の開国以来、外国船の入港が相次ぐ国際都市、門司港の、大料亭がいくつも閉鎖されたなか、《菊の屋》を市が買い取って、引き揚げ者住宅として、部屋ごとに家族を入居させた中の 一部屋16畳一間に、入居できました。

やがて次の年、米軍の命令で、会社は元の5船舶会社に分散しましたが、私の父は所属する船会社がないので退職、半年もすれば無くなるほどの、退職金を持ち帰って、 「さあっ今夜は❗又新しく、伝道開始だ‼️」・・と
門司の開拓が始まったのが、北九州シオン教会の始まりでした。
こんな苦労の中で、父母は、三男三女を育てたのです。母は72才で召されるまで、心安まる日のない人生でした。しかし、母は何時も、にこやかで穏やかで祈りの人でした。どんな所でも、神聖な、《聖所》が生まれるのです。
ある時、私が小学生の時、ハンカチを忘れて取りに帰ったら、母が部屋の隅で祈っているのです。私は声をかけようとしましたが、光に包まれたような片隅が近寄りがたく、戸惑っていると、気配に気が付いて、用件を聞きハンカチを出してくれて、手渡すと、又、すっと隅の聖所に座り、祈り《イエス様との交わり》に入ったのです。
見送りはなかったのですが、私の胸は熱く、感謝と厳かさでいっぱいでした。こんな母から、祈りが何なのかを、身をもって学んできました。あなたの生活の場に《主の臨在を求める聖所》は在りますか❓
それが生まれたら、得られたら、勝利と喜びの日々です。
 詩篇  73篇1節~14節

<第三巻アサフの賛歌。>

73:1 まことに神はいつくしみ深い。イスラエルに心の清らかな人たちに。
73:2 けれどもこの私は足がつまずきそうで私の歩みは滑りかけた。
73:3 それは私が悪しき者が栄えるのを見て誇り高ぶる者をねたんだからだ。
73:4 実に彼らの死には苦痛がなく彼らのからだは肥えている。
73:5 人が苦労するときに彼らはそうではなくほかの人のように打たれることもない。
73:6 それゆえ高慢が彼らの首飾りとなり暴虐の衣が彼らをおおっている。
73:7 彼らの目は脂肪でふくらみ心の思い描くものがあふれ出る。
73:8 彼らは嘲り悪意をもって語り高い所から虐げを言う。
73:9 彼らは口を天に据えその舌は地を行き巡る。
73:10 それゆえこの民はここに帰り豊かな水は彼らに汲み尽くされる。
73:11 そして彼らは言う。「どうして神が知るだろうか。いと高き方に知識があるだろうか。」
73:12 見よこれが悪しき者。彼らはいつまでも安らかで富を増している。
73:13 ただ空しく私は自分の心を清め手を洗って自分を汚れなしとした。
73:14 私は休みなく打たれ朝ごとに懲らしめを受けた。
 2025年6月12日(木)リビングライフQT

凡そ、 3000年前の、イスラエルの、ダビデ王朝の始まりの時期の詩です。先日まで学んだイスラエルの、エジプト脱出に始まる、40年に亘る荒野の旅路で、徹底して神の御存在を知り、更にモーセを通して、十戒を初め、諸々の信仰戒律を学んで、神の支配する国、イスラエルが、一国の存在として、南にエジプト、北にはバビロニア・アッシリヤ等の古代大国に挟まれた、あの小さなパレスティナで、神の国が立ち上がったのです。

当時まだ、地球上の民(人類)は自然信仰・偶像信仰・王を神とする人間信仰・又有益な動物信仰(モーセがシナイ山に登っている間、帰りが遅いと、エジプトで身についた〈牛〉の偶像を作った)しかなかったのです。
神に背き、神から追放された人の住む地上は、最初の人を誘惑した、サタンの王国で、今でも、私達はサタンの攻撃を受け続ける中に生きています。
しかし、やがて徹底した神の裁きは、このサタンの勢力をことごとく滅ぼして、新しい天と新しい地とを再創造なさいます。
その時に向けて、増え拡がる人類に、この再創造の福音を知らせるために、イスラエルを選び、御子イエス・キリスト(神の御子)を送り、罪の赦しの福音を、今私達に届けてくださったのです。何故なら、私達の人生は、生まれて死ぬまでではなく、永遠だからです。
しかし、彼等(イスラエル)が、私達(クリスチャン)が、日常生活の中では、正に、矛盾に満ちた世界に身を置き、その中で理解されずに、脇に置かれる・・・今の国際情勢は、如実にこの事を示していますね。

神殿に仕える(賛美集団アサフ)の苦悩の歌なのです。
この賛美で神に訴えるのです。
2節 : 私は足がつまずきそうで、私の歩みは滑りかけた。
3節 : 私が悪しきものが栄えるのを見て誇り高ぶるのをねたんだからだ。
神様を信じて歩むなら全ては、祝福の中に導かれる。
本当にそうでしょうか。
イエス様を信じたばかりに、殉教の死を遂げた日本人は、記録には残されていないので、確たる数は分かりませんが、25万人~200万人以上だとされています。中国の文化大革命時には、300万人~350万人と見積もられています。
人は、平和と融和とを求めながら、何故この様な殺戮をするのでしょう。
アサフと、同じ穴(2節3節)にはまらないように、唯々主イエス・キリスト様を信頼して、歩み続けましょう。

私は未だ未だ、熱が引かず、このメッセージ作業で全ての、力を使いますので、ご返信は暫く為さらないで下さい。
祈って頂いて深く感謝申し上げます。
 民数記  36章1節~13節

36:1 ヨセフ族の一つの氏族、マナセの子マキルの子ギルアデの氏族に属する一族のかしらたちが進み出て、モーセと、イスラエルの子らの一族のかしらである家長たちの前でこう語った。
36:2 「【主】は、くじによってあの地をイスラエルの子らに相続地として与えるように、あなたに命じられました。そしてまた、私たちの親類ツェロフハデの相続地を彼の娘たちに与えるように、あなたは【主】によって命じられています。
36:3 もし彼女たちが、イスラエルの子らのうちのほかの部族の息子に嫁いだなら、彼女たちの相続地は、私たちの先祖の相続地から差し引かれて、彼女たちが嫁ぐ部族の相続地に加えられるでしょう。その結果、私たちが相続する割り当て地は減ることになります。
36:4 イスラエルの子らにヨベルの年が来れば、彼女たちの相続地は、彼女たちが嫁ぐ部族の相続地に加えられ、彼女たちの相続地は、私たちの先祖の部族の相続地から取り去られることになります。」
36:5 そこでモーセは、【主】の命により、イスラエルの子らに命じた。「ヨセフ部族の訴えはもっともである。
36:6 【主】がツェロフハデの娘たちについて命じられたことは次のとおりである。『彼女たちは、自分が良いと思う人に嫁いでよい。ただし、彼女たちの父の部族に属する氏族に嫁がなければならない。
36:7 イスラエルの子らの相続地は、部族から部族に移してはならない。イスラエルの子らは、それぞれその父祖の部族の相続地を堅く守らなければならないからである。
36:8 イスラエルの子らの部族のうち、相続地を受け継ぐ娘はみな、その父の部族に属する氏族の一人に嫁がなければならない。イスラエルの子らが、それぞれ、その父祖の相続地を受け継ぐようにするためである。
36:9 このように、相続地は、部族からほかの部族に移してはならない。イスラエルの子らの部族は、それぞれ、自分たちの相続地を堅く守らなければならないからである。』」
36:10 ツェロフハデの娘たちは、【主】がモーセに命じられたとおりに行った。
36:11 ツェロフハデの娘たち、マフラ、ティルツァ、ホグラ、ミルカおよびノアは、おじの息子たちに嫁いだ。
36:12 彼女たちは、ヨセフの子マナセの子孫の氏族に嫁いだので、彼女たちの相続地は、彼女たちの父の氏族の部族に残った。
36:13 これらは、エリコをのぞむヨルダン川のほとりのモアブの草原で、【主】がモーセを通してイスラエルの子らに命じられた命令と定めである。
 2025年6月11日(水)リビングライフQT

子供が女性ばかりの場合、女子の領有する地は、少ないとは言え、その地所は、当然彼女と結婚した、男性の所領として、登録されるのです。
家系を大切にするイスラエルにとってはこのパレスティナの限られた領域を、代々護ることは、神から賜った地所で在るが故に、非常に重大な懸案なのです。
それは、《信仰》そのものなのです。神から賜ったものを、護ることは、神が共に在ます‼️と言う証しですし、平安と確信を支える力なのです。

わしたち今のクリスチャンは、ともすると、神の恵みの賜物を私有化し、その中に安住し易いですね。
神の恵みの賜物を、大切にしそれを護り、証しし、分かち合いましょう。
私達は今、何をすべきでしょうか?
新たに考え祈りましょう。

※今日は、筆者の、体調が悪く39度の高熱の中にありました。
お祈り下さると感謝です。

*今日で、民数記が終わり、明日から詩篇に入ります。期待して参りましょう。

明日(12日)のテキスト
詩篇   73篇1節~14節 
 民数記  35章22節~34節

35:22 もし敵意もなく突然人を突き倒し、あるいは悪意なしに何か物を投げつけ、
35:23 または、人を死なせるほどの石を、よく見ないで人の上に落としてしまい、それによってその人が死んだなら、しかもその人が自分の敵ではなく、害を加えようとしたわけではないなら、
35:24 会衆は、打ち殺した者と、血の復讐をする者との間を、これらの定めに基づいてさばかなければならない。
35:25 会衆は、その殺人者を血の復讐をする者の手から救い出し、彼を、逃げ込んだその逃れの町に帰してやらなければならない。彼は、聖なる油を注がれた大祭司が死ぬまで、そこにいなければならない。
35:26 もしも、その殺人者が、自分が逃げ込んだ逃れの町の境界から出て行き、
35:27 血の復讐をする者がその逃れの町の境界の外で彼を見つけて、その殺人者を殺すことがあっても、その人には血の責任はない。
35:28 その殺人者は、大祭司が死ぬまでは、逃れの町に住んでいなければならないからである。大祭司の死後に、その殺人者は自分の所有地に帰ることができる。
35:29 これらのことは、あなたがたがどこに住んでも、代々守るべき、あなたがたのさばきの掟となる。
35:30 もしだれかが人を打ち殺したなら、証人たちの証言によってその殺人者を殺す。一人の証人の証言だけで、人を死刑にすることがあってはならない。
35:31 あなたがたは、殺人者のいのちのために贖い金を受け取ってはならない。彼は死ぬべき悪しき者なのである。彼は必ず殺されなければならない。
35:32 逃れの町に逃れさせる代わりに贖い金を受け取り、祭司が死ぬ前に、彼を帰らせて国に住むようにさせてはならない。
35:33 あなたがたは、自分たちのいる土地を汚してはならない。血は土地を汚すからである。土地にとって、そこで流された血は、その血を流した者の血以外によって宥められることはない。
35:34 あなたがたは、自分たちの住む土地、わたし自身がそのただ中に宿る土地を汚してはならない。【主】であるわたしが、イスラエルの子らのただ中に宿るからである。」
 2025年6月10日(火)リビングライフQT

《逃れの町》に関する非常に細かい規定が、繰り返し語られています。
何故でしょう❓あまた罪はありますが、何故『死』だけがこのように多くの言葉をもって、語られるのでしょう?
35:22〜29
★もし敵意もなく突然人を突き倒し、あるいは悪意なしに何か物を投げつけ……自分の敵ではなく、害を加えようとしたわけでないなら…
*さばきは神の義を反映します。悪意なしに図らずも人を死なせてしまった場合、その人の命を守る事が神の義です。
その為に逃れの町が設けられたのです。
私達人間の日常において、《死》は、最早個人の存在が断たれるのですから、魂の傷みは尋常ではないのです。
ましてや、《殺人》という行為で、永遠であるはずの一人の人の存在が、消されてしまう・・のはあまりにも悲しい事…
昨今は余りにも、安易に人が殺されると言うニュースが、溢れていることを思うと、新しい国作りに取り組む、この行の重みが、ズッシリと伝わります。
《死》《殺人》何れにしろ、主なる神がその英知と、永遠性を持って、お創りになられた人を、間違いにしても《殺める》ましてや、・憤りから、手をかけて排除するとは・・・・正に、創造主への挑戦と言えないでしょうか。
35:30〜34
★故意に人を殺した者は必ず殺されなければなりません。
★ひとりの証言者だけの証言だけで死刑にしてはいけない
★殺人者の命の為に償い金を受けとってはならない。
細かく規定が定められています。
神のかたちとして造られ者への憐れみと愛です。
この律法の学びを通して、改めて、神との関わりの尊さに心砕かれ、人と人との関わりの中で、私達は又新たに、神との素晴らしい関係に導き出されるのです。
主の僕として、主に深く結ばれ、用いられましょう‼️
 民数記  35章9節~21節

35:9 【主】はモーセに告げられた。
35:10 「イスラエルの子らに告げ、彼らに言え。ヨルダン川を渡ってカナンの地に入るとき、
35:11 あなたがたは町々を定めて、自分たちのために逃れの町とし、誤って人を打ち殺してしまった殺人者がそこに逃れることができるようにしなければならない。
35:12 この町々は、復讐する者からあなたがたが逃れる場所となる。殺人者が、さばきのために会衆の前に立たないうちに死ぬことのないようにするためである。
35:13 あなたがたが与えるべき町は六つの逃れの町で、それらは、あなたがたのためのものである。
35:14 このヨルダンの川向こうに三つの町を、カナンの地に三つの町を与えて、逃れの町としなければならない。
35:15 イスラエルの子ら、または彼らの間に在住している寄留者のために、これら六つの町は逃れの場所となる。すべて誤って人を打ち殺してしまった者が、そこに逃れるためである。
35:16 もし鉄の器具で人を打って死なせたなら、その人は殺人者である。その殺人者は必ず殺されなければならない。
35:17 もし、人を殺せるほどの、手に持てる石で人を打って死なせたなら、その人は殺人者である。その殺人者は必ず殺されなければならない。
35:18 あるいは、人を殺せるほどの、片手に持てる木製の器具で人を打って死なせたなら、その人は殺人者である。その殺人者は必ず殺されなければならない。
35:19 血の復讐をする者は、自分でその殺人者を殺してもよい。彼に出くわしたときに、殺してもよい。
35:20 もし、人が憎しみをもって人を突き倒すか、あるいは悪意をもって人に物を投げつけて死なせたなら、
35:21 または、敵意をもって人を手で打って死なせたなら、その打った者は必ず殺されなければならない。その人は殺人者である。その血の復讐をする者がその殺人者に出くわしたときには、彼を殺してもよい。
 2025年6月9日(月)リビングライフQT

昨日のテキストにも記されてましたが、《逃れの町》の設定について改めて、《逃れ》についての、 規定と合わせて、その意味を語っています。
何時の時代にも、人の命を殺(アヤ)めると言うことは、最も大きな罪として、償いの道は、命には命を持って・・・の他にはないと、考えられてきたのです。
命は取り返しのつかない、ただ一つの宝です。ですから、死をもって償う・・・と言う道のみが、定められました。
所が、事故(意図せずに失われた)による命の喪失に対しては、それが事故であって、意図的な殺人でなかった場合は、それは裁かれてはならない❗のです。
意図的ではない死への報復が、そのまま実行されないために、その事故が、認定されて初めて、無罪、或いは軽減されるとなる‼️もし、復讐がなされたら、その復讐自体が、次の殺人となる
それを避けるために、神は逃れの町を置き、そこにいち早く逃れて、事故(誤ち)によるものだ❗と審判してもらうのです。その為、この町(逃れの町)は、祭司の民・レビ族の町として、治外法権が設定されたのです。
この重大な事由が生じた場合、兎に角この町に逃げ込み、祭司の調査による、事態の把握と、執り成しとにより、この町に身を置き、生きることが出来るのです、後に更に制度化されて、大祭司(祭司→祭司長→大祭司)が代わるまでは、彼はこの町の住人として、この町から出られない・・・と言う定めが為されました。
今日の、テキストでは、殺す意図はなくとも、争いや懲らしめのために、持った武器によっては、それが結果的に死に繫がった場合はやはり殺人となる
この様な、非常に微妙な規定まで、定められました。人が社会を形成して、互いに支え合って生きるときに、これ等の規定は、非常に大切な、基本となります。
今、民数記では、取り敢えずの、規定から始まりますが、やがて、モーセによる律法は、実に細かな、人と人とが、家庭と家庭が、民と民とが、国と国とが和して生きるための、多くの、定めが・・・
又、いちばん大切な神と人とが一つとなって、生きるための律法が制定されたのです。
神は裁く御方ではなく、如何にして生かすかを、私達に示されるのです。
《逃れの町》それは、やがて神御自身が愛と赦しの強い囲いを持って罪人を包むために遣わされた、御子イエス・キリストの十字架の贖いの死による、救いの道を示唆しているのです。
 ア~メン‼️
 民数記  35章1節~8節

35:1 エリコをのぞむヨルダン川のほとりのモアブの草原で、【主】はモーセに告げられた。
35:2 「イスラエルの子らに命じ、その所有となる相続地のうちから、居住のための町々をレビ人に与えよ。また、その町々の周りの放牧地はレビ人に与えなければならない。
35:3 その町々は彼らが住むためのものであり、その放牧地は彼らの家畜、群れ、そしてすべての動物のためのものである。
35:4 あなたがたがレビ人に与える町々の放牧地は、町の城壁から外側に向かって周囲一千キュビトである。
35:5 あなたがたは、町の外側に、町を真ん中として東側に二千キュビト、南側に二千キュビト、西側に二千キュビト、北側に二千キュビトを測れ。これが彼らの町々の放牧地となる。
35:6 レビ人に与える町々については、人を殺した者を逃れさせる六つの逃れの町がなければならない。また、このほかに、四十二の町を与えなければならない。
35:7 レビ人に与える町は、全部で四十八の町で、放牧地付きである。
35:8 あなたがたがイスラエルの子らの所有地のうちから与える町々は、大きい部族からは多く、小さい部族からは少なくしなければならない。それぞれ自分が受け継いだ相続地の大きさに応じて、自分の町々の一部をレビ人に与えなければならない。」
 2025年6月8日(日)リビングライフQT

レビ人の所領に関する主からの指示。
レビ人(族)は、祭司の勤めをする部族で、彼等の日常は、民の生活の中での、様々な生活上の仕来り(結婚・出産・病・死・祝い事・もめ事の審判・・・・)を、専門に取り扱う、今の役所・教会・裁判・・・・等の働きをして、部族間の融和と、最も大切な神への執り成しの働き(礼拝・儀式・教え・指導)を専門に、神と民との間をつなぐ信仰の働き手として神と人とに仕えたのです。レビ族に与えられた所領は、城壁を巡らした町とその外に拡がる農地とをまとめると、円形にすると、直径1kmの円の広さです。四角くしてみると、1平方キロ(一辺が1kmの広さです)この様な町を約束の地カナン領域に48の町を置き、彼等の全生活圏内に、祭司の町を設置しなければならない。この中の6つの町、それを《逃れの町》として、事故や他の事情で、意図せずに誤って、人を殺(あや)めた場合、古代では、《眼には眼を・歯には歯を》のハムラビ法典(世界最古の法典~紀元前18世紀の古バビロニヤ帝国の王による古代の法律)に定められたように、死は死をもって償う・・・と言う定めのため、復讐で殺されかねない為・・・
事故が起こったら直ちに逃げて、何処からでも辿り付けるようにと、等間隔にこの6つの町は、配置されたのです。これを《逃れの町》と呼び、民の救いの地とされました。
こうしてレビ族は、他の部族に仕えながら、主に仕えることに専念したのです。
こうして、一つの国が生まれ、民が融和して神に仕える、選びの民として、主による救いの道を整えてきたのです。
この様な、社会形態が今日の教会の存続の基本形として生まれ、今日に至っていると言われています。
 民数記  34章16節~29節

34:16 【主】はモーセに告げられた。
34:17 「あなたがたにその地を相続地として受け継がせる者たちの名は、次のとおりである。すなわち、祭司エルアザルとヌンの子ヨシュア。
34:18 あなたがたは、その地を受け継ぐため、それぞれの部族から族長一人ずつを選ばなければならない。
34:19 その人たちの名は次のとおりである。ユダ部族からは、エフンネの子カレブ。
34:20 シメオン部族からは、アミフデの子サムエル。
34:21 ベニヤミン部族からは、キスロンの子エリダデ。
34:22 ダン部族からは、族長として、ヨグリの子ブキ。
34:23 ヨセフの子孫からは、マナセ部族から、族長として、エフォデの子ハニエル、
34:24 またエフライム部族から、族長として、シフタンの子ケムエル。
34:25 ゼブルン部族からは、族長として、パルナクの子エリツァファン。
34:26 イッサカル部族からは、族長として、アザンの子パルティエル。
34:27 アシェル部族からは、族長として、シェロミの子アヒフデ。
34:28 ナフタリ部族からは、族長として、アミフデの子ペダフエル。
34:29 これが、カナンの地でイスラエルの子らへの相続地を受け継がせるようにと、【主】が命じた人たちである。」
 2025年6月7日(土)リビングライフQT

更に、約束の地に突入するにあたって、主は、それぞれの部族の長を、選ぶことを命じられました。即ち、各部族の《族長》です。よく見るとこのリストの中には、ルベンとガドが無いですね。それはヨルダン川の東側は、神がイスラエルに約束された《カナン》の地ではないからです・・・
こうして、今新たな体制の指導者として選ばれた、約束の地の族長達は、
※祭司エルアザル
※モーセの後継者としてヨシュア
※ユダ族のエフンネの子カレプ・・・・・・以外は、子供の頃に、エジプトを出たか、或いは、荒野の旅の途中で生まれた、新しい世代なのです。民族の継承、信仰の継承です。
モーセは、既に神から『あなたはヨルダン川を渡って、約束の地に入る事はできない・・』と、悲しい宣告を受けていました。それだけに、この人選、続く様々なこれからの注意・・・どんな思いで語り指示したのでしょう。
私達は皆、何らかの形で、信仰の継承を受けて、今在ることを覚えて下さい。導いて下さった方、指導してくださった牧師、陰で祈り続けてくださっている信仰の友に、どの様な思いをお持ちでしょうか。
そしてそこには、神御自身の、御創造の壮大無限な、御計画の推進のために、欠かせない一コマ一コマが用意されての選びなのです。あなたは次の世代(あなたを通して伝えられる)への唯一無二の、選ばれた器だと、認識しましょう。
私は、25才で神学校を卒業し、北九州シオン教会に派遣されて、先代牧師(力丸博)に、按手されて祈られた時の、あの厳粛な思いを忘れられません。神の臨在に包まれて、私の人生ではない、神の御手の中に在る自分を実感して、震えました。シオン教会にとっても、初めて経験する、時代の切り変わりの時でした。
私は、毎朝早朝に、会堂で祈るとき、あの日のことを思いながら今日も新しく、選ばれた族長のように、神の御手に触れられる思いで、立ち上がるのです。伝道者だからではなく、一人の神に選ばれた僕として・・・・・
この朝毎の油ぎが、私を支え、強く立たせてきた力の源なのです。

29節を読み替えてみましょう
これが今の日々の中でお造りになられたすべての人々で、御国の相続地を受け継がせるようにと、 主が命じた人々である。・・・・と 
 民数記  34章1節~15節

34:1 【主】はモーセに告げられた。
34:2 「イスラエルの子らに命じて彼らに言え。あなたがたがカナンの地に入るときには、あなたがたへのゆずりとなる地、カナンの地とその境界は次のとおりである。
34:3 あなたがたの南側は、エドムに接するツィンの荒野に始まる。南の境界線は、東の方の塩の海の端に始まる。
34:4 その境界線は、アクラビムの坂の南から回ってツィンの方に進み、その終わりはカデシュ・バルネアの南である。またハツァル・アダルを出て、アツモンへと進む。
34:5 さらに境界線は、アツモンから回ってエジプト川に向かい、その終わりは海である。
34:6 あなたがたの西の境界線は、大海とその沿岸である。これをあなたがたの西の境界線としなければならない。
34:7 あなたがたの北の境界線は、次のとおりにしなければならない。大海からホル山まで線を引き、
34:8 さらにホル山からレボ・ハマテまで線を引く。その境界線の終わりはツェダデである。
34:9 そして境界線はジフロンに延び、その終わりはハツァル・エナンである。これがあなたがたの北の境界線である。
34:10 あなたがたの東の境界線としては、ハツァル・エナンからシェファムまで線を引け。
34:11 その境界線は、シェファムからアインの東方のリブラに下り、それから境界線は、そこから下ってキネレテの海の東の傾斜地に達する。
34:12 さらに境界線はヨルダン川を下り、その終わりは塩の海である。以上が境界線によって周囲を区切られた、あなたがたの地である。」
34:13 モーセはイスラエルの子らに命じて言った。「これが、あなたがたがくじを引いて相続地とする地である。【主】がこれを与えよと命じられたのは、九部族と半部族に対してである。
34:14 ルベン部族は一族ごとに、ガド部族も一族ごとに、そしてマナセの半部族も、自分たちの相続地を受け取っているからである。
34:15 この二部族と半部族は、ヨルダン川の、エリコをのぞむ対岸、東の方、日の出る方に、自分たちの相続地を受け取っている。」
 2025年6月6日(金)リビングライフQT

主は、モーセに改めて、主なる神の約束の地として、示された地域の境界線を、教えられました。
私はこの主の語られた地域を、今発行されている、聖書歴史地図上で、地形と地名を追って、見当をつけましたが、なかなか困難でした。その理由は,地形は太古の昔からそう変わりはしませんが、地名は、支配する民により、その度地名が変わるからです。
今の地名は全く、参考に成らないのです。その上、歴史の移り代わりのために、今は何も無い原野になっていたり・・・・と
その様な様々な障害の中で、ある程度見いだしたのは、かつて、南の砂漠のカデシ・バルネヤから、
偵察隊が、遙か北方まで放たれていますが、その時の地域と、ほぼ一致するのです。
即ち、偵察隊は、闇雲(ヤミクモ)に見て回ったのではなく、神の導きを受けながら、遙か北の端まで、導きに従って偵察・視察を積み重ねていたのです‼️
その距離(その直線距離)にして220km~250kmにも成るのです。九州に当てはめるなら、福岡から鹿児島までの直線距離に当たります。
正確ではありませんが、面積にしても、九州全体より少し小さい広さです。
その地域のほとんどは、平原と低地と、山地に降った雨(地中海からの温暖な湿った空気が豊かな雨を注ぎ)平原(シャロン平原)を豊かに潤して、果物・野菜など豊富な命の源を産出しました。今でもイスラエルは、農産物の完全輸出国のトップなのです。
ガリラヤ湖東岸から死海に注ぐヨルダン川の東岸はイスラエルの所領ですが、そこから先の東の地域は、マナセの半部族と、ルベン・ガドの両部族が所領しましたが、それは約束の地には、組み込まれませんでした。神の指定と御計画には、変更はありませんでした。
しかし、この二部族半の存在は、東側に虎視眈々と勢力を伸ばそうとするアッシリヤ・バビロン・・・他の諸民族の侵略からの防波堤の役目を持つ存在となったのです。
しかし、彼等の不徹底な闘いは、内部に偶像と、その生活習慣を温存する羽目となり、遂に、あの大国、アッシリヤ・バビロンの 攻め寄せる防波堤にはなり得ませんでした。
不徹底は、堤防の蟻の一穴となるのです。
※《蟻の1穴》どんなに厚く積んだ堤防でも、蟻が巣を作ったら、何時かは、その小さな穴から漏水が始まり、堤防は決壊して、大洪水となる・・・と言う教訓‼️
部族間の融和はとれましたが、神の御計画の完成には、障害となりましたね。
勿論、やがてのイスラエルの崩壊は、約束の地に落ち着いた他の民、闘わずして融和した民を懐柔して、その遇像を徹底して破棄させなかったので、そこから崩壊と敗北が忍び寄ったのでした。
今日のテキストには、その様な言及はないのですが、カナン侵入は、これが大前提だったのです。

あなたの御子イエス・キリスト様への信仰は…
常に主イエス様だけを
見上げて参りましょう・・・・‼️
 民数記  33章38節~56節

33:38 祭司アロンは【主】の命によりホル山に登り、そこで死んだ。それは、イスラエルの子らがエジプトの地を出てから四十年目の第五の月の一日であった。
33:39 アロンはホル山で死んだとき、百二十三歳であった。
33:40 カナンの地のネゲブに住んでいたカナン人、アラドの王は、イスラエル人がやって来るのを聞いた。
33:41 それから、彼らはホル山を旅立ってツァルモナに宿営し、
33:42 ツァルモナを旅立ってプノンに宿営し、
33:43 プノンを旅立ってオボテに宿営し、
33:44 オボテを旅立ってモアブの領土のイエ・ハ・アバリムに宿営した。
33:45 イイムを旅立ってディボン・ガドに宿営し、
33:46 ディボン・ガドを旅立ってアルモン・ディブラタイムに宿営した。
33:47 アルモン・ディブラタイムを旅立って、ネボの手前にあるアバリムの山々に宿営し、
33:48 アバリムの山々を旅立って、エリコをのぞむヨルダン川のほとりのモアブの草原に宿営した。
33:49 すなわち、ヨルダン川のほとり、ベテ・ハ・エシモテからアベル・ハ・シティムに至るまでのモアブの草原に、彼らは宿営した。
33:50 エリコをのぞむヨルダン川のほとりのモアブの草原で、【主】はモーセに告げられた。
33:51 「イスラエルの子らに告げよ。あなたがたがヨルダン川を渡ってカナンの地に入るときには、
33:52 その地の住民をことごとくあなたがたの前から追い払って、彼らの石像をすべて粉砕し、彼らの鋳像をすべて粉砕し、彼らの高き所をすべて打ち壊さなければならない。
33:53 あなたがたはその地を自分の所有とし、そこに住め。あなたがたが所有するように、わたしがそれを与えたからである。
33:54 あなたがたは、氏族ごとに、くじを引いて、その地を相続地とせよ。大きい部族には、その相続地を大きくし、小さい部族には、その相続地を小さくしなければならない。くじで当たったその場所が、その部族のものとなる。あなたがたは、自分の父祖の部族ごとに相続地を受けなければならない。
33:55 もしその地の住民をあなたがたの前から追い払わなければ、あなたがたが残しておく者たちは、あなたがたの目のとげとなり、脇腹の茨となり、彼らはあなたがたが住むその土地であなたがたを苦しめる。
33:56 そしてわたしは、彼らに対してしようと計画したとおりを、あなたがたに対してすることになる。」
 2025年6月5日(木)リビングライフQT

更に、ヨルダン川に辿り着くまでの記録が、記されています。
彼等は遂に遙かに古代から栄えた、世界最古のエリコの壮大な城壁を、20km先であるにも関わらず、展望できたのです。ヨルダン川を挟んで、ベテ・ハ・エシモテからエリコは、広がる平原なのです。
最後の難関の※ヨルダン川の渡河※古代強豪都市エリコ※は、既に代替わりをし、あの、エジプトの海(紅海)を歩いて渡った・・・という体験をしたのは、一部の祭司と後継指導者の、ヨシュアとカレプ意外にいないことを考えると、民はどの様に考え、これからをイメージしたのでしょう。
信仰の歩みは、過去の経験から類推して、可能性を信じる(安心する)のではありません。どんな時代にも何度経験しても、納得・安心できるものではありません。
可能性があるから、進む・・・それは普通の人生です。誰でもが歩むことが出来る、人生です。
しかし、今私達が観ているイスラエルの民の歴史(信仰の人生)は、新しい神の民の歴史を築くための、歴史なのです。
自分達の思いのままに侵略し、領地を創り出して行った歴史ではないのです。
神の知恵と導きと、力、無くしては、この歴史は、生まれないのです。
    皆さん❗
               そうですね‼️
そこで、今日は,このイスラエルの歴史的移動を学びながら、それをあなたの,私の、歩み(人生‼️)だと考えましょう。私達の信仰生活は、私の・あなたの固有の人生ではないのです。神に選ばれ、創造され、この世に遣わされたのが、あなたなのです。それは、神が人を創造されたときから、始まった、神の御計画なのです。あなたを、わたしを、永遠の神の国の民として、完成したいと願われたのが、神の国の福音であり、あなたへの御計画なのです。
この、神の御計画を知って、主なる神に信頼して、従い、信じ、待ち望むとき、与えられた人生という旅路は、栄光の世界に続く道と信じて、その日々は、平安と、勝利と、神が伴に歩まれる、素晴らしい日々となるのです。
神はイスラエルの民に、新しい約束の地に入る時、そこに、妥協のない、新しい神の国を建て上げることを、願われたのです。
それが勝利への、道筋だから・・・アーメン‼️

明日(6日)のテキスト
民数記  34 :1~15 
 民数記  33章1節~37節

33:1 モーセとアロンの指導のもとに、その軍団ごとにエジプトの地から出て来たイスラエルの子らの旅程は次のとおりである。
33:2 モーセは【主】の命により、彼らの旅程の出発地点を書き記した。その旅程は、出発地点によると次のとおりである。
33:3 彼らは第一の月、その月の十五日に、ラメセスを旅立った。すなわち過越のいけにえの翌日、イスラエルの子らは、全エジプトが見ている前を臆することなく出て行った。
33:4 エジプトは、彼らの間で【主】が打たれたすべての長子を埋葬していた。【主】は彼らの神々にもさばきを下された。
33:5 イスラエルの子らはラメセスを旅立ってスコテに宿営し、
33:6 スコテを旅立って荒野の端にあるエタムに宿営した。
33:7 エタムを旅立ってバアル・ツェフォンの手前にあるピ・ハヒロテの方に向きを変え、ミグドルの前で宿営した。
33:8 ピ・ハヒロテを旅立って海の真ん中を通って荒野に向かい、エタムの荒野を三日路ほど行ってマラに宿営した。
33:9 マラを旅立ってエリムに行き、そこに宿営した。エリムには十二の泉と、七十本のなつめ椰子の木があった。
33:10 それから、彼らはエリムを旅立って葦の海のほとりに宿営し、
33:11 葦の海を旅立ってシンの荒野に宿営した。
33:12 シンの荒野を旅立ってドフカに宿営し、
33:13 ドフカを旅立ってアルシュに宿営し、
33:14 アルシュを旅立ってレフィディムに宿営した。そこには民の飲む水がなかった。
33:15 それから、彼らはレフィディムを旅立ってシナイの荒野に宿営し、
33:16 シナイの荒野を旅立ってキブロテ・ハ・タアワに宿営した。
33:17 キブロテ・ハ・タアワを旅立ってハツェロテに宿営し、
33:18 ハツェロテを旅立ってリテマに宿営した。
33:19 リテマを旅立ってリンモン・ペレツに宿営し、
33:20 リンモン・ペレツを旅立ってリブナに宿営した。
33:21 リブナを旅立ってリサに宿営し、
33:22 リサを旅立ってケヘラタに宿営し、
33:23 ケヘラタを旅立ってシェフェル山に宿営した。
33:24 シェフェル山を旅立ってハラダに宿営し、
33:25 ハラダを旅立ってマクヘロテに宿営した。
33:26 マクヘロテを旅立ってタハテに宿営し、
33:27 タハテを旅立ってテラフに宿営し、
33:28 テラフを旅立ってミテカに宿営した。
33:29 ミテカを旅立ってハシュモナに宿営し、
33:30 ハシュモナを旅立ってモセロテに宿営した。
33:31 モセロテを旅立ってベネ・ヤアカンに宿営し、
33:32 ベネ・ヤアカンを旅立ってホル・ハ・ギデガデに宿営し、
33:33 ホル・ハ・ギデガデを旅立ってヨテバタに宿営し、
33:34 ヨテバタを旅立ってアブロナに宿営し、
33:35 アブロナを旅立ってエツヨン・ゲベルに宿営した。
33:36 エツヨン・ゲベルを旅立ってツィンの荒野、すなわちカデシュに宿営し、
33:37 カデシュを旅立ってエドムの国の端にあるホル山に宿営した。
 2025年6月4日(水)リビングライフQT

今日のテキストは、イスラエルの民が、過ぎ越しの夜にスコテを出発して、・・・3節(イスラエルの子らは、全エジプトが見ている前を臆することなく出て行った。)の記録から始まり、40年後のヨルダン川東岸に達するまでの、旅立って宿営した地名が記録されています。
8節には、(ピ・ハヒロテを旅だって海の真ん中を通って荒野に向かい・・・)
エタム⇒マラ⇒エリム⇒更に、12の泉と70本のナツメヤシの木で慰められ、癒され(エリム)・・・・淡々と地名が記録されているばかりです。しかし、その地名の中に隠されている、民のモーセ(神の導き)への反抗と裁き、その中からの赦しと回復,更なる導きの証しが,この地名の中に埋め込まれているのです。
まだ、この記録は、続きが明日にも繫がりますが・・・・・・
残念ですが、この時代から参千数百年を経た今では、その場所の特定は、全く難しいのです。
しかし、民数記本文には、民の反抗と罪、そして、深い神の赦しと関係の回復の記録は,今に語り伝えられるところですね。
まるでこの記録はわたしの85年の人生の旅路の記録のようでもあります。
※涙して・慰められ、
※道に迷い途方に暮れたとき、雲の柱・火の柱の道しるべが有った‼️
※挫折にうずくまったとき、共に歩む信仰の友が在り、
※渇いて歩けなくなったとき、慰めの泉が湧き出し、
※貧しく食に窮したとき、マナが、ウズラが・・・・
赦され、包まれ、癒されて今日があることを・・・・今朝の、分からない記録を通して、深く瞑想させられ感謝に溢れました。
           ハレルヤ‼️
 民数記  32章28節~42節

32:28 そこで、モーセは彼らについて、祭司エルアザル、ヌンの子ヨシュア、イスラエルの諸部族の一族のかしらたちに命令を下した。
32:29 モーセは彼らに言った。「もし、ガド族とルベン族の、戦いのために武装した者がみな、あなたがたとともにヨルダン川を渡り、【主】の前で戦い、その地があなたがたの前に征服されたなら、あなたがたはギルアデの地を所有地として彼らに与えなさい。
32:30 しかし、もし彼らが武装してあなたがたとともに渡って行かなければ、彼らはカナンの地であなたがたの間に所有地を得なければならない。」
32:31 ガド族とルベン族は答えた。「【主】があなたのしもべたちに語られたことを、私たちは実行いたします。
32:32 私たちは武装して【主】の前にカナンの地に渡って行き、私たちの相続の所有地を、このヨルダンの川向こうとします。」
32:33 そこでモーセは、ガド族と、ルベン族と、ヨセフの子マナセの半部族に、アモリ人の王シホンの王国とバシャンの王オグの王国、すなわち町々がある地と、周辺の地の町々がある領土を与えた。
32:34 そこでガド族は、ディボン、アタロテ、アロエル、
32:35 アテロテ・ショファン、ヤゼル、ヨグボハ、
32:36 ベテ・ニムラ、ベテ・ハランを城壁のある町々として、または羊の囲い場として建て直した。
32:37 また、ルベン族は、ヘシュボン、エルアレ、キルヤタイム、
32:38 および、後に名を改められたネボとバアル・メオン、またシブマを建て直した。彼らは、建て直した町々に新しい名をつけた。
32:39 マナセの子マキルの子らはギルアデに行って、そこを攻め取り、そこにいたアモリ人を追い出した。
32:40 モーセがギルアデをマナセの子マキルに与えたので、彼はそこに住んだ。
32:41 マナセの子ヤイルは行って、彼らの町々を攻め取り、それらをハボテ・ヤイルと名づけた。
32:42 ノバフは行って、ケナテとそれに属する村々を攻め取り、自分の名にちなんで、それをノバフと名づけた。
 2025年6月3日(火)リビングライフQT

ガド族とルベン族の申し出は、抜け駆け的な利益誘導ではないことを、モーセと祭司エルアザル始め、各部族のかしらにも固い決意を持って説明し、民全体の勝利に貢献することを、固く約束したのです。
その後、カナン征服に戦士を派遣する一方、自分達が目指したガリラヤ湖東岸の緑野と、死海東岸の泉の多い地味豊かな丘陵地帯を、マナセの半部族と、ガド族とルベン族の、恒久的相続地として、ヨルダン川西岸を、所領したのです。
この二部族とマナセの半部族は、他の部族とは比較にならないほどの、家畜の数を持っていたので、カナンの地で繁栄は望めなかったのです。
一つボタンを掛け違えたら、一触即発の危機をはらみながらも、民の繁栄への道は護られたのです。

わたしたちの信仰生活の中でも、お互いにバランスを取りながらも、向上心を持って羽ばたくことは、抜け駆けとはならず、神の国の繁栄と証しを、世に顕すものとなりますね。
誰かが抜きん出るのではなく、神の栄光が顕れるために、証しをする者と成るように!と願い、祈りながら主に仕えたいですね。

明日(4日)のテキスト
民数記  33:1~37 
 民数記  32章16節~27節

32:16 彼らはモーセに近寄って言った。「私たちはここに、家畜のために羊の囲い場を作り、子どもたちのために町々を建てます。
32:17 しかし私たちは、イスラエルの子らを彼らの場所に導き入れるまで、武装して先頭に立って急ぎ進みます。子どもたちは、この地の住民の前で城壁のある町々に住みます。
32:18 私たちは、イスラエルの子らがそれぞれその相続地を受け継ぐまで、自分の家に帰りません。
32:19 ヨルダン川の向こう側では、彼らとともに相続地を持ちません。私たちの相続地は、このヨルダンの川向こう、東の方になります。」
32:20 モーセは彼らに言った。「もしあなたがたがそのことを実行するなら、すなわち、もし【主】の前で戦いのために武装し、
32:21 あなたがたのうちの武装した者がみな【主】の前でヨルダン川を渡り、ついに主がその敵を御前から追い払い、
32:22 その地が【主】の前に征服され、その後であなたがたが帰って来るなら、あなたがたは【主】に対してもイスラエルに対しても責任を解かれる。そして、この地は【主】の前であなたがたの所有地となる。
32:23 しかし、もしそのように行わないなら、そのとき、あなたがたは【主】の前に罪ある者となり、自分たちの身に降りかかる罪の罰を思い知ることになる。
32:24 あなたがたは、自分の子どもたちのために町々を建て、自分の羊のために囲い場を作るがよい。自分の口から出たことを実行しなさい。」
32:25 ガド族とルベン族はモーセに答えた。「しもべどもは、あなたが命じられるとおりにします。
32:26 私たちの子どもたちや妻たち、家畜とすべての動物は、あそこ、ギルアデの町々にとどまります。
32:27 しかし、しもべども、戦のために武装した者はみな、あなたがおっしゃるとおり、渡って行って、【主】の前で戦います。」
 2025年6月2日(月)リビングライフQT

ルベンとガドの突然の申し出(自分達の所領は、このまま、ヨルダン川の東側を平定したので、このままここに留まり、子孫に残したい❗)・・・この申し出は、40年苦楽を共にしてきた他の10氏族にとっては、抜け駆け的申し出でした。
最早働きの終わりを告げられたモーセにとっては青天の霹靂(ヘキレキ=予測もしない突発的出来事)(びっくり)でしたでしょう。彼等の発想は、確かに、イスラエルの歩んできた、この40年の一致した歩みからは、想像もしない、申出でした。それも、神が示された約束の地カナンの外なのです。
モーセは、この申出にたいして、ルベンとダンに神の御計画に背を向けることになると警告しました。(昨日の復習)
非常に強いモーセの警告に、危機感を覚えた2氏族は、『戦士は他の10氏族と共に、最期まで闘いに参与し、完了するまで、家(この地)には帰らない‼️』・・・・と誓ったのです。
テキストの中に《主の前で》  と言う言葉が2氏族の長と、モ-セとの間で、取り交わされて いることは、 更なる、勝利への確かな証しですね。
即ち、私達の信仰生活や、教会生活は、自発的な個人個人の、行為ではないのです。生きることの全て、日々の生活全て《主の前で・・・》なのです。
私達は日々、主の御前を歩んでいるでしょうか❓
この言葉の前に立つ2氏族の決意は、イスラエル全部族に、新たな結束と、融和と、力の源となったことでしょう。教会がこれからの時代に勝利の旗を掲げられるのは、《神の前に歩む》私達の献身が求められているのです。ア~メン‼️
 民数記  32章1節~15節

32:1 ルベン族とガド族は、多くの家畜を持っていた。それは、おびただしい数であった。彼らがヤゼルの地とギルアデの地を見ると、その場所は家畜に適した場所であった。
32:2 そこでガド族とルベン族は、モーセと祭司エルアザル、および会衆の上に立つ族長たちのところに来て、次のように言った。
32:3 「アタロテ、ディボン、ヤゼル、ニムラ、ヘシュボン、エルアレ、セバム、ネボ、ベオン、
32:4 【主】がイスラエルの会衆の前で打ち滅ぼされたこれらの地は、家畜に適した地です。そして、しもべどもには家畜がいます。」
32:5 また言った。「もし、私たちの願いがかないますなら、どうか、しもべどもがこの地を所有地として賜りますように。私たちにヨルダン川を渡らせないでください。」
32:6 モーセはガド族とルベン族に答えた。「あなたがたの兄弟たちは戦いに行くのに、あなたがたはここにとどまるというのか。
32:7 どうして、イスラエルの子らの意気をくじいて、【主】が与えてくださった地へ渡らせないようにするのか。
32:8 あなたがたの父たちも、私がカデシュ・バルネアからその地を調べるために遣わしたとき、そのようにふるまった。
32:9 彼らはエシュコルの谷まで上って行って、その地を見たとき、イスラエルの子らの意気をくじいて、【主】が与えてくださった地に入って行かないようにした。
32:10 あの日、【主】は怒りに燃え、誓って言われた。
32:11 『エジプトから上って来た者たちで二十歳以上の者はだれも、わたしがアブラハム、イサク、ヤコブに誓った地を見ることはない。わたしに従い通さなかったからである。
32:12 ただ、ケナズ人エフンネの子カレブと、ヌンの子ヨシュアは別である。彼らが【主】に従い通したからである。』
32:13 事実、【主】の怒りはイスラエルに向かって燃え上がり、主は彼らを四十年の間、荒野をさまよわせ、【主】の目に悪であることを行ったその世代の者たちは、ついに、みな死に絶えた。
32:14 そして今、あなたがたが、罪人の子らとしてあなたがたの父たちに代わって立ち上がり、イスラエルに対する【主】の燃える怒りを増し加えようとしている。
32:15 あなたがたが背いて主に従わないなら、主は再びこの民をこの荒野に見捨てられる。そしてあなたがたは、この民全体に滅びをもたらすことになるのだ。」
 2025年6月1日(日)リビングライフQT

ミディアン人はイスラエルの前進を妨害し、阻む民(イスラエルの遠縁になる民)であった。元々、モーセを助け、モーセに神の山を案内したイテロ(モーセの舅)は、ミディアン人であった。しかし、その王バラクは、イスラエルを呪うために予言者バラムを使って、画策して失敗、その後、イスラエルの男達に、ミディアンの女性を送り込んで、 享楽と偶像を民の中に蔓延させたのです。このミディアンを徹底して敗北させて、ヨルダンを渡って約束の地に入ろうとする時に、ルベン族とダン族が申し出たのが、民の最大の敵を倒したので。後はは安泰‼️と思ったのか❓
『今自分達が宿営している広範な地域は、牧畜に最適な気候と、地味豊かな場所なので、目的の地域ではないがここに定着したい』・・・と、申し出たのです。
世に言う《抜け駆け》なのでしょうか❓
思いも掛けず、この申し出は、モーセには、ズッシリ重い課題として、のし掛かったことでしょう。
モーセは、今一度この二つの氏族の指導者達に告げるのです。この40年に亘る、民の一致した結束が神に喜ばれ、民を今日まで導いたこと、しかし、民の一致を掻き混ぜ、妨げた事態の時に、神の怒りが降り、多くの民が失われたばかりではなく、『成人してエジプトを出た、男子の全てが、ヨルダン川を渡ることなく人生を終わる』・・・と、神の裁きの言葉を聴いたはずだ
もし一致を乱すなら、民は約束のゴールを前にして、再び荒野の彷徨(さまよい)を繰り返すことになる
思いも掛けず、ルベンとガド二氏族は、初めて、とんでもない局面に立っていることに、気付くのです。
モーセの言葉の重みは、単なる説得ではなく、イスラエルが神にあって一つ‼️だと言うことを、語っているのです。
今の時代にも、このモーセの言葉は、非常に大切な、福音(真理)だと言えます。

教会は、個々人の信仰(神様との関係)により成り立っている群ではありますが、実は、唯一の絆に結ばれているのです。即ち・・・・
イエス ・キリスト様の贖いの血(十字架の血)によって、一つとされた家族なのです。教派・国籍・時代・活動・教理・教会・政治・・・がどんなに違っても・対立ではなく・区別でもなく・一致と交わりと愛と赦しに結ばれねばならないのです。
常に赦し合い、助け合い、祈り合ってこそ、神の家族 ・霊のイスラエルとなるのです。
サァ❗ルベン族・ガド族がどの様に主の前に、対応するか、明日に期待しましょう。
         ハレルヤ‼️

明日(2日)のテキスト
民数記 
          32章16節~27節