教会案内 説教動画 お知らせ・リンク 礼拝・集会 教会の歴史
2025年度 
4 5 6 7 8 9 10 11 12 1 2 3

力丸嗣夫師 リビングライフ LINE
          (新改訳聖書2017)
    

北九州シオン教会

 2022年度 2023年度  2024年度   2026年度
 エゼキエル書 11章1節~12節

11:1 霊は私を引き上げて、【主】の宮の東に面した東の門に連れて行った。見よ、その門の入り口には二十五人の者がいた。そしてその中に、民の長であるアズルの子ヤアザンヤと、ベナヤの子ペラテヤがいるのを私は見た。
11:2 主は私に言われた。「人の子よ。この者たちは、この都でよこしまなことを謀り、悪いはかりごとをめぐらし、
11:3 『当分、家を建てなくともよい。この都は鍋であり、われわれはその肉だ』と言っている。
11:4 だから、彼らに向かって預言せよ。人の子よ、預言せよ。」
11:5 【主】の霊が私に下り、私に言われた。「あなたは言え。『【主】はこう言われる。イスラエルの家よ。あなたがたはあのように言ったが、わたしは、あなたがたの霊の思いをよく知っている。
11:6 あなたがたはこの都で、刺し殺された者を増し加え、都の通りを刺し殺された者で満たした。
11:7 それゆえ、【神】である主はこう言われる。あなたがたが町の中に横たえた、刺し殺された者こそが肉であり、この町は鍋である。しかしわたしは、あなたがたをその中から連れ出す。
11:8 あなたがたは剣を恐れているが、わたしはあなたがたの上に剣をもたらす──【神】である主のことば──。
11:9 わたしはあなたがたを町から連れ出して、他国人の手に渡し、あなたがたにさばきを下す。
11:10 あなたがたが剣に倒れ、わたしがイスラエルの国境であなたがたをさばくとき、あなたがたは、わたしが【主】であることを知る。
11:11 この都はあなたがたにとって鍋とはならず、あなたがたはその中の肉とはならない。わたしは、イスラエルの国境であなたがたをさばく。
11:12 あなたがたは、わたしが【主】であることを知る。あなたがたが、わたしの掟に従って歩まず、わたしの定めを守らず、あなたがたの周りの国々の慣わしに従ったからである。』」
 2025年8月1日(金)リビングライフQT

預言者エゼキエルは、荒廃したエルサレムに、心痛め、更に、神の臨在がエルサレムを去ったのを目の当たりにして、心萎えていた時、神の霊は、彼を未だエルサレムに生き残っている、指導者達の居るところに、連れて来られた。
彼等は・・・・「民の死んだ人々は、迫害の熱い鍋の中の肉のように、焼かれた」
それはあたかも、彼等(だけ)が、罪を犯し神に背いたから、そのような憂き目に遭ったのだ・・・と言わんばかりの説明をしたのです。
そこには、反省も、悔い改めもなく、成り行きのまま身を任せている、善悪の判断も、新たな意慾もない、イスラエルのなれの果ての姿を、さらけ出していたのです。
神が選び、愛し、度々赦して回復させてきた、御自身の民なのです。
6節に・・・あなたがたはこの都で、刺し殺された者をまし加え、通りを刺し殺された者で満たした。・・・・
これは、指導者達の霊的低迷ぶり、彼等自らが、民が殺される原因となったと、神はエゼキエルに語るのです。
お前達が生き残ったのは、彼等よりましだったからではないのだ。
お前達のためにはもっと、厳しい裁きが待っている
これは、ユダの残りの民、生き残ったものを、捕囚として連れ出すと、預言させたのです。
そこで彼等は、初めて、この事態が神からの裁きである…ことを知る・・・と、宣言するのです。
運が悪くて・・・より悪の道に流れたから・・・たまたまこの時代に生まれたから・・・ではないのです。神の裁きは時と場合によって、違いは無いのです。
中国の故事に・・・・
天網(テンモ ウカイカイ)恢々疎(ソ)にして漏らさず❗と有りますが
《天帝=神》の網(審判)は、粗い目のように見えるが、決して漏らすことはない。・・の意。
正に生き残りの、エルサレムの指導的階層の人々こそ、これらの、降り注ぐ捕囚の屈辱を味わって初めて、自らの罪深さを、思い知るのだと、裁きの予告が語られたのです。
こうして観ると、悪人にも三分の《理》がある・・・・と、古来から言い慣らされた言葉に甘んじる、罪深さは、神の前には、最悪の姿なのです。
主なる神が待っておられるのは、《悔い改め‼️》のみなのです。
《愛が愛である》為に顕されるのは、
①悔い改めのない魂には徹底した審判が・・・
②しかし、悔い改めた魂には、完全な赦しと回復が・・・備えられている。
改めて、義に生き、神の前に悔い改めるに早く、こうして、今の世に神の愛と義を、御国の輝きと清さを示す、証し人として生かされたいですね。
             ハレルヤ‼️
  エゼキエル書 11章13節~25節

11:13 私が預言していたとき、ベナヤの子ペラテヤが死んだ。それで、私はひれ伏して大声で叫んだ。「ああ、【神】、主よ。あなたはイスラエルの残りの者たちを滅ぼし尽くされるのでしょうか。」
11:14 そのとき、次のような【主】のことばが私にあった。
11:15 「人の子よ。エルサレムの住民は、あなたの兄弟、同胞、あなたに買い戻しの権利がある親類の者たち、またイスラエルの全家のすべての者に対して、こう言った。『【主】から遠く離れよ。この地はほかでもないわれわれの所有地として与えられているのだ。』
11:16 それゆえ言え。『【神】である主はこう言われる。わたしは彼らを遠く異邦の民の中へ移し、国々の中に散らした。しかし、わたしは彼らが行ったその国々で、しばらくの間、彼らの聖所となっていた。』
11:17 それゆえ言え。『【神】である主はこう言われる。わたしはあなたがたを諸国の民の中から集め、あなたがたが散らされていた国々からあなたがたを呼び寄せ、あなたがたにイスラエルの地を与える。』
11:18 彼らがそこに来るとき、すべての忌まわしいもの、すべての忌み嫌うべきものをそこから取り除く。
11:19 わたしは彼らに一つの心を与え、あなたがたのうちに新しい霊を与える。わたしは彼らのからだから石の心を取り除き、彼らに肉の心を与える。
11:20 こうして、彼らはわたしの掟に従って歩み、わたしの定めを守り行う。彼らはわたしの民となり、わたしは彼らの神となる。
11:21 しかし、忌むべきもの、忌み嫌うべきものの心を、自分の心として歩む者には、その行いを頭上に返す──【神】である主のことば。」
11:22 するとケルビムは翼を広げ、輪もその横についた。イスラエルの神の栄光がその上の方にあった。
11:23 【主】の栄光はその都の中心から上って、都の東にある山の上にとどまった。
11:24 霊は私を引き上げて、幻のうちに、私をカルデアにいる捕囚の民のところへ、神の霊によって連れて行った。そして、私が見たその幻は、私から去って上って行った。
11:25 私は、【主】が私に示されたことをことごとく捕囚の民に告げた。
 2025年8月2日(土)リビングライフQT

BC609年、最初のバビロンによる捕囚から残された、イスラエルの民の指導者の一人(ペラテヤ)が死んだ事で、エゼキエルは、残りの民の行く末を案じて、心痛めたのです。
15節~「主から遠く離れよ。この地はほかでもないわれわれの所有地として与えられて居るのだ」・・・・とエルサレムの住民は語ったのです。

今、エルサレムに残された民は、偶像に流れ、真のイスラエルの神から遠ざかっていたのです。
この聖なる神の臨在の在る地から、神ならぬ偶像の道に流れた民は、この地から連れ出す(第二第三の捕囚)として、聖なる地から追放する。(これが離れると言う意味です)
その後、神は彼等に新しい霊を与えて、新しい神の民として、造り直す。(19節~20節)
昨日一昨日と、語られた預言と幻の締めくくりとして、厳しくも、希望を与える預言で、閉じられました。
今、改めて、神の御計画と愛は、人の感情による怒りや、刑罰を与えて、終わるのではなく、悔い改めへの語り掛けと警告であって、罰し・滅ぼすためなのではないのです。
神の愛は、悔い改めを何処までも待たれる御方なのです。私達は神の厳格を恐れるのではなく、赦しと慈しみを持って待たれる御方を、慕い続ける、信仰生活でありたいですね。
私達の福音(福音宣教)は、終末と、死後の最後の審判の永遠の恐怖を、語ることによって、その罪の刑罰から逃れる願望から、福音に眼を向けさせるのではなく・・・
限りなく、愛と慈しみに富まれた、神の愛を身をもって顕された、御子イエス・キリスト様の十字架に示された愛と赦しを、語って参りましょう。 
 エゼキエル書 12章1節~16節

12:1 次のような【主】のことばが私にあった。
12:2 「人の子よ。あなたは反逆の家の中に住んでいる。彼らは見る目があるのに見ず、聞く耳があるのに聞こうとしない。彼らが反逆の家だからである。
12:3 人の子よ。あなたは捕囚のための荷物を整え、彼らが見ている前で、昼のうちに移れ。彼らの見ている前で、今いる場所からほかの場所へ移れ。もしかしたら、彼らに自分たちが反逆の家であることが分かるかもしれない。
12:4 あなたは、昼のうちに彼らが見ている前で、自分の荷物を捕囚のときの荷物のようにして持ち出せ。そして、捕囚に行く人々のように、彼らの見ている前で夕方出て行け。
12:5 彼らの見ている前で壁に穴を開け、そこから荷物を運び出せ。
12:6 彼らの見ている前で、あなたは荷物を肩に担ぎ、暗いうちに出て行き、顔をおおって地を見るな。わたしがあなたをイスラエルの家のためにしるしとするからだ。」
12:7 そこで、私は命じられたとおりにした。自分の荷物を捕囚のときの荷物のようにして昼のうちに持ち出し、夕方、自分の手で壁に穴を開け、彼らの見ている前で、暗いうちに荷物を背負って出て行った。
12:8 翌朝、私に次のような【主】のことばがあった。
12:9 「人の子よ。反逆の家、イスラエルの家は、あなたに『何をしているのか』と尋ねなかったか。
12:10 彼らに言え。『【神】である主はこう言われる。この宣告は、エルサレムの君主、およびそこにいるイスラエルの全家に関わるものである。』
12:11 また言え。『私は、あなたがたへのしるしである。私がしたようなことが彼らにもなされる。彼らは捕囚となって引いて行かれる。
12:12 彼らのうちにいる君主は、暗いうちに荷物を背負って出て行く。出て行けるように壁に穴が開けられる。彼は顔をおおう。自分の目でその地を見ることはもうないからである。』
12:13 わたしはまた、彼の上にわたしの網をかけ、彼はわたしの罠にかかる。わたしは彼をカルデア人の地、バビロンへ連れて行く。しかし、彼はその地を見ずに、そこで死ぬ。
12:14 わたしはまた、周囲にいて彼を助ける者たちや、彼の軍隊をみな四方に追い散らし、剣を抜いて彼らの後を追う。
12:15 わたしが彼らを諸国の間に散らし、国々に追い散らすとき、彼らは、わたしが【主】であることを知る。
12:16 わたしは彼らの中のわずかな者を、剣や飢饉や疫病から免れさせる。こうして彼らは、行く先の国々の中で、自分たちのした忌み嫌うべきわざをことごとく語り告げるようになる。そのとき彼らは、わたしが【主】であることを知る。」
  2025年8月3日(日)リビングライフQT

エゼキエルの預言は、主なる神から指示されるままに、行動する・・それは彼が住む地域の人々(イスラエルの民)には、非常に奇異に感じられ、目立って、問いかけざるを得ない行動なのです。
もし、エゼキエルが、預言者らしく、街角に立って、「イスラエルよ聴け❗・・・」と、語り出したら、主なる神を無視して、背いた民には、逆に敢えて心閉ざす結果となるのです。そこで、神はこの様な、奇異な(滑稽な)パフォーマンスによって、民の目を引き、民の方から、神の人・預言者に耳を傾けさせる、方法をとられたのです。
私はこの行(クダリ)を読みながら・・・・何と主なる神の、民を愛して止まないお心なんだろう‼️
実は、イスラエルを愛して止まない神の愛の根源とは❓いったい何だろう⁉️と、考えさせられました。
創造主なる神は、この選びのイスラエルから、創造した人[=人類]を、滅ぼしたり、消し去ったりはしたくない。むしろ、神の人の創造を完成に導きたい‼️との、思いを持っておられるのです。それは何を指しているのか???  ・・・・・・・
それは‼️御子イエス・キリストを、人の世界に送り、そこで罪の贖いを成し遂げる・・・
正に、この事の成就のために、エルサレムの崩壊も、民の捕囚も、エゼキエルの預言を通して明らかにされようとしているのです。
今こそ、過去の歴史記録を通して、表わされた主なる神の、深い・深い 御心を学びつつ、この神の愛に、魂を開いて、主の前に座して、御声を聴く者でありましょう。
新約聖書は、今に語り掛けられる神の御声なのですから。
リビングライフQTのテキストだけ読んで、聖書を読んだ❗と、終えないようにしましょう。
マクチェン聖書通読が右上に記されていますから、それを利用してみましょう。又、御自身で、新訳を通読している方は、それを続けましょう。加えて詩篇を読むのも力です。
聖書を通して語られる神に耳を傾けましょう。
結果は、15節・16節に記されているように、
『彼等は、わたしが主であることを知る』のです。ハレルヤ‼️
  エゼキエル書 12章17節~28節

12:17 次のような【主】のことばが私にあった。
12:18 「人の子よ。震えながらあなたのパンを食べ、おののきながら、恐る恐るあなたの水を飲め。
12:19 この国の人々に言え。『【神】である主は、イスラエルの地にいるエルサレムの住民について、こう言われる。彼らは自分たちのパンを恐る恐る食べ、自分たちの水をおびえながら飲むようになる。こうしてその地は、そこに住むすべての者の暴虐のゆえに痩せ衰える。
12:20 人の住んでいた町々が廃墟となり、その地が荒れ果てるそのとき、あなたがたは、わたしが【主】であることを知る。』」
12:21 次のような【主】のことばが私にあった。
12:22 「人の子よ。あなたがたがイスラエルの地について、『日は延ばされ、すべての幻は消え失せる』と言っている、あのことわざは何なのか。
12:23 それゆえ、彼らに言え。『【神】である主はこう言われる。わたしは、あのことわざをなくす。イスラエルでは、もうそのように言わなくなる。』かえって、彼らにこう告げよ。『その日は近づき、幻のすべては実現する』と。
12:24 もう、むなしい幻も、へつらいの占いも、ことごとくイスラエルの家からなくなるからだ。
12:25 それは、【主】であるわたしが語り、わたしが語ったことを実現し、決して引き延ばさないからだ。反逆の家よ。あなたがたが生きているうちに、わたしは言ったことを実現させる──【神】である主のことば。」
12:26 次のような【主】のことばが私にあった。
12:27 「人の子よ。今、イスラエルの家は言っている。『彼が見ている幻はずっと後のことについてであり、はるか遠い将来について預言しているのだ。』
12:28 それゆえ、彼らに言え。『【神】である主はこう言われる。わたしのすべてのことば、わたしが語ることは、もはや引き延ばされることはなく、必ず成就する──【神】である主のことば。』」
 2025年8月4日(月)リビングライフQT

今、エゼキエルは、バビロンの地で第一陣の捕囚の一人として、比較的、穏やかな生活を営んでいるのです。この地には数千・数万のイスラエルの民が入植生活しています。彼等は、奴隷のように使われているのではなく、バビロンの国造り(農業・政治・経済等の組織編成)にイスラエルの文化と社会の、移設のための、捕囚だったのです。
彼等(イスラエルの民)は、信仰の自由も与えられ、イスラエルの乾燥地のような荒れ地ではなく、ケバル川(世界的大河ユフラテ河の支流)の傍に広がる、沃野が、彼等の所領でした。彼等は、その様な中で、何時かエルサレムに帰れる。神の都は懐かしく、自分達を待っているだろう!
緊張感のない楽観論が彼等の中に拡がっていたのです。即ち、預言者によって語られた幻(エルサレムは瓦礫と化し、イスラエルはもはや、神の民としての体を成さなくなる)と言う幻は、最早消え失せた・・・・と。
しかし、神はエゼキエルを通して、神の預言、神からの幻は必ず、実現する。その日は近いと・・・・・
しかし、主なる神は、厳しい御言葉によって、「わたしが語ることは、もはや引き延ばされることはなく、必ず成就する。」と語られます。
私達はともすると、この時代のイスラエルの民のように。神の言葉を、割り引いて聴いたり理解しようとしがちです。様々な解説・理由・神の憐れみの御性質などから推測したり、抽象化したり、非現実的な神特有の、警告・・・等々、何処か割り引いて理解しがちですが
神の言葉を割り引いてはなりません。
今新たに、神の永遠性を見つめ信じて、その御言葉の前に、ひれ伏し、主に聴き従って参りましょう。
 
  エゼキエル書 13章1節~16節

13:1 次のような【主】のことばが私にあった。
13:2 「人の子よ。預言をしているイスラエルの預言者どもに対して預言せよ。自分の心のままに預言する者どもに向かって言え。『【主】のことばを聞け。
13:3 【神】である主はこう言われる。わざわいだ。自分で何も見ないのに、自分の霊に従う愚かな預言者ども。
13:4 イスラエルよ。あなたの預言者どもは、廃墟にいる狐のようになった。
13:5 あなたがたは、【主】の日の戦いに耐えられるように、破れ口に上ったり、イスラエルの家の石垣を築いたりしなかった。
13:6 彼らはむなしい幻を見、まやかしの占いをして、「【主】のことば」などと言っている。【主】が彼らを遣わしたのではないのに。しかも、彼らはそのことが成就するのを待ち望んでいる。
13:7 あなたがたが見ているのはむなしい幻、あなたがたが語るのはまやかしの占いではないか。「【主】のことば」などと言っているが、わたしが語っているのではない。
13:8 それゆえ、【神】である主はこう言われる。あなたがたは、むなしいことを語り、まやかしの幻を見てきた。それゆえ今、わたしはあなたがたに敵対する──【神】である主のことば──。
13:9 わたしは、むなしい幻を見、まやかしの占いをしている預言者どもに手を下す。彼らはわたしの民の交わりに加えられず、イスラエルの家の文書にもその名を記されない。イスラエルの地にも入ることができない。そのときあなたがたは、わたしが【神】、主であることを知る。
13:10 実に彼らは、平安がないのに「平安」と言って、わたしの民を惑わし、壁を築くとすぐ、それに漆喰で上塗りをしてしまう。
13:11 漆喰で上塗りをする者どもに言え。それははがれ落ちる、と。豪雨が起こり、わたしが雹を降らせ、激しい風を吹きつけると、
13:12 壁は落ちる。人々はあなたがたに向かって「上塗りをした漆喰はどこにあるのか」と言わないだろうか。
13:13 それゆえ、【神】である主はこう言われる。わたしは、憤りによって激しい風を吹きつける。怒りによって豪雨が起こり、激しい憤りによって破壊のための雹が降る。
13:14 あなたがたが漆喰で上塗りした壁を、わたしが壊し、地に倒してしまうので、その土台までもあらわにされる。それが倒れ落ち、あなたがたがその中で滅びるとき、あなたがたは、わたしが【主】であることを知る。
13:15 わたしは、その壁と、それを漆喰で上塗りした者どもへのわたしの憤りを終わらせて、あなたがたに言う。「壁もなくなり、それに漆喰を塗った者どももいなくなった」と。
13:16 エルサレムについて預言し、平安がないのに平安の幻を見ていたイスラエルの預言者どもよ──【神】である主のことば。』
 2025年8月5日(火)リビングライフQT

イスラエルには、神が選ばれ、立てられた預言者がありました。彼等は、何時も民の魂が神から偶像へと傾斜するのを責め、民の心が神から離れるのを悲しむ、神の痛みと怒りを語り継げていました。時には民の滅び、神の都の崩壊への警告も、語られました。
命の危険を冒しても(現実に迫害を受け、殺された預言者達もいたのです)
彼等は、命懸けで民の改心を迫ったのです。
その様な、預言者は受け容れられずに、迫害や厳しい妨げの中に生きていたのです。
神に仕えるのに何故そのような、苦難を得るのか、神の愛を語り、神の約束の回復を語るなら、祝福を得るはずだ!と

しかし偽預言者が乱立し、神の預言を楽観視して赦しと回復、勝利と平和の訪れを語っていたのです。
今こうして、これを読まれながら「そんな事あり得ようか・・・?」と、御思いでしょうが…
何時の世にも、これはサタンの常套手段なのです。
20世紀終わり頃から、21初頭に、世界のキリスト教(殊に福音派・ペンテコスト派)の中から、預言者学校・エリヤハウス・教会成長セミナー・・・等と銘打って、様々なセミナー・研修会が開かれ、多くの教会の牧師・伝道者達が、集っていました。
殊に、エリヤハウス・預言者学校(セミナー)は、聖書の福音以外に、今の時代、これからの終末に向けて、神が・・・・
※どの様に教会を導かれるか
※何がこれからの時代に起こるのか
※何に目を向けるべきなのか・・・?
その場その場で的確な神の確かな導きを引き出す・・・その為に霊的幻・預言・・・等々、希望と、熱心を生み出して、一時的、教会・信徒の活性化へと繋がり、教会の集会出席が急激に増えました。所が同時に、教会の分裂や、世俗化や、統計的優劣が人の心を揺さぶり、正に神の招かれた群れから、世俗的 宗教としてのキリスト教会化していったのです。米国でも、日本でも、韓国でも・・・こうして用いられ有名になった指導者達が、世俗の罪に問われて、教会は分裂し、観光客が押しかけた、壮麗な大礼拝堂は、教会の手を離れて売却され・・・・
この様な、歴史が残ったのです。
エルサレムの偽預言者達の、人の気を引く預言に対して、神はエゼキエルを通して、痛烈に、繰り返し、繰り返し、偽の言葉だ・・・と、警告されたのです。
私達は、秀でた指導者・説教者を求める必要はありません。
教会成長の、ノウハウを学ぶ必要はありません。聖書が全てなのです。そして、主は、信仰と祈りと、聖書を通して主に聴く“あなた=主の僕”を、求めておられるのです。
改めて、“聖書”に、忠実に生きましょう‼️
  エゼキエル書 13章17節~23節

13:17 人の子よ。あなたは、自分の心のままに預言するあなたの民の娘たちに顔を向け、彼女たちに預言せよ。
13:18 『【神】である主はこう言われる。わざわいだ。どの人の手首にも呪法のひもを縫い合わせ、あらゆる高さの頭にも合うようにベールを作って、人々のたましいを罠にかける女たち。あなたがたは、わたしの民のたましいを罠にかけ、自分たちのたましいのために人々を生かしているのだ。
13:19 あなたがたは、ひとつかみの大麦のため、少しばかりのパンのために、まやかしに聞き従うわたしの民にまやかしを行い、死んではならないたましいを死なせ、生きていてはならないたましいを生かして、わたしの民のうちでわたしを汚した。
13:20 それゆえ、【神】である主はこう言われる。見よ。あなたがたが、鳥を捕るように人々のたましいを罠にかけた、呪いのひもにわたしは敵対する。それらをあなたがたの腕からもぎ取り、あなたがたが鳥を捕るように罠にかけたたましいを、わたしは解き放つ。
13:21 わたしはあなたがたのベールをはがし、わたしの民をあなたがたの手から救い出す。罠にかかった者たちは、もうあなたがたの手のうちにはいなくなる。そのときあなたがたは、わたしが【主】であることを知る。
13:22 あなたがたは、わたしが悲しませなかったのに、正しい人の心を偽りで悲しませた。悪しき者を力づけ、彼が悪の道から立ち返って生きることがないようにした。
13:23 それゆえ、あなたがたは、もう、むなしい幻を見ることができず、占いもできなくなる。わたしは、わたしの民をあなたがたの手から救い出す。そのときあなたがたは、わたしが【主】であることを知る。』」
  2025年8月6日(水)リビングライフQT

女預言者への、
    警戒(注意)
☆古代日本の国(❓)を率いた、指導者がいました。それは女性の占い師(卑弥呼)で、強大な力を持っていました。
☆また、街角で(今は余り見なくなりましたが)座って道行く人に呼び掛け、手相見や占いをするのも、女性が多いいのです。
太古の昔から洋の東西を問わず、人の心の深い部分に潜入して、指導力を発揮する感性豊かな(❓)性質を、女性は持っていました(す)。
パウロ先生の時代に、マケドニアのテアテラの町で、ルデヤとその家族が救われた栄光の出来事の後、その町の女占い師の妨害に遭いながら、結果的には彼女も救われて、彼女から上前をはねていた、町の有力者の告発で、投獄の憂き目に遭った。(使徒の働き16章13節~40節→このドラマチックな出来事‼️読んでみましょう)
女性の占い師の所業は、聖書の各所に見るのです。
使徒の時代より600年も遡る時代にも、世の中をかき混ぜて、人々の魂を真の神から遠ざける、偽預言者(占いに混ぜ込んだ偽の預言)に対して、神はエゼキエルを通して、厳しく断罪しながら、民を救いの道へと、導かれるのです。
オドロオドロした人の欲望や願望を、吹き払って、救い出し、当の女預言者さえも、その事から、真の神を知り、立ち返る道を拓かれるのです。
何と憐れみに富む、御方なのでしょう。
今、この御方を知る、私達は、何をもってこの御方に、お応えしましょう‼️
主よ❗
わたしには、あなた以外に救いの道のないことを告白しつつ、この福音に生き、この福音を知らせて参ります。
        ア~メン‼️
  エゼキエル書 14章1節~11節

14:1 イスラエルの長老たちの何人かが来て、私の前に座った。
14:2 そのとき、私に次のような【主】のことばがあった。
14:3 「人の子よ。これらの者たちは自分たちの偶像を心の中に秘め、自分たちを不義に引き込むものを、顔の前に置いている。わたしは、どうして彼らに応じられるだろうか。
14:4 それゆえ、彼らに告げて、こう言え。『【神】である主はこう言われる。心の中に偶像を秘めて、不義に引き込むものを自分の顔の前に置きながら、預言者のところに来るすべてのイスラエルの家の者には、その偶像の多さに応じて、【主】であるわたしが答える。
14:5 こうして、偶像のゆえにみなわたしから離されてしまったイスラエルの家の心を、わたしがとらえる。』
14:6 それゆえ、イスラエルの家に言え。『【神】である主はこう言われる。立ち返れ。あなたがたのすべての偶像から身を翻せ。すべての忌み嫌うべきものをあなたがたの前から遠ざけよ。
14:7 イスラエルの家の者でも、イスラエルに寄留している者でも、だれでもわたしから離れ、心の中に偶像を秘めて、自分を不義に引き込むものを顔の前に置きながら、わたしに尋ねようと預言者のところに来る者には、【主】であるわたし自身が答える。
14:8 わたしはそのような者に敵対してわたしの顔を向け、彼をしるしとし、語りぐさとして、わたしの民の間から絶ち滅ぼす。そのときあなたがたは、わたしが【主】であることを知る。
14:9 もし預言者が惑わされてことばを語るなら、【主】であるわたしがその預言者を惑わしたのである。わたしはその者に手を伸ばして、わたしの民イスラエルのうちから根絶やしにする。
14:10 このような者たちは自分の咎を負う。その預言者の咎と、尋ね求めた者の咎は同じである。
14:11 こうしてイスラエルの家は、もうわたしから迷い出ることはなく、重ねて自分たちの背きによって自分自身を汚すことはなくなる。彼らはわたしの民となり、わたしは彼らの神となる──【神】である主のことば。』」
  2025年8月7日(木)リビングライフQT

イスラエルが、ここまで偶像に流れているとは・・・・大祭司が宮を守り、あらゆる季節、浄め、外部からの侵入を防ぐ闘い・・・これ等の祈りの度に燔祭が献げられ、神に祈りを捧げながら、民の魂や生活習慣の中には、深く深く。他民族の偶像習慣が、染みわたっていたのです。
これ等の偶像は、神として崇め、頭を垂れ、礼拝するような偶像から、生活習慣の中に潜む、行為、心に念じる想い、それらも交えて、生活の深部にまで浸透したものだったようです。
私達の国の中で見るような八百万(ヤオヨロズ)の神信仰に類似した姿と考えられるもののようです。
わたしの住む家の近くに、高校の同級生が住む、大きな屋敷がありました。その屋敷の道路沿いの角地に立派(?)な地蔵尊が在りました。私の小学生の頃から、立派な小さな家の様な(2m四方の畳も敷かれていて何時も誰かが拝んでいた)作りでした。
恐らく100年近く経ていたように思います。
何度もその家(地蔵尊の屋敷)は、何度も造り直されてきました。
所が今年になって、当主が亡くなったのです。地蔵尊はベニヤで囲われて、見えなくなりました。先週家と屋敷も、地蔵尊の立派なたたずまいも、重機で壊されて跡形もなくなりました。
いままではそばを通るお年寄りは、中に靴を脱いで上がり、長く祈りを捧げる、供物や、お賽銭を(時にはお札が)あげられていました。
地域で有名な地蔵尊も、今は・・・・❓
あの、エジプトから導き出されたイスラエルの民が、どうしてこの様な、神ならぬ神に、膝をかがめるようになったのでしょう。
読み進めていくと、非常に厳しい主の御言葉が、行間から躍り出る。
☆6節~偶像から身を翻せ。すべての忌み嫌うべきものをあなた方の前から遠ざけよ。
☆8節~わたしはそのような者に敵対し・・・語り草として、わたしの民の間から絶ち滅ぼす。
慈しみに満ちた主なる神が、最早猶予なく、裁き・断絶を宣言されているのです。
主なる神への信仰は、信仰的生活習慣や、伝統的行事・祭・・・等の、文化的宗教色ではないのです。又家系でもなく、家の伝統を守ることでもないのです。信仰とは、私・あなた・・・と、主なる神との関係そのものなのです。
エゼキエルは、敬虔な面持ちで、祭の相談や、捕囚の民の日常の指導の相談に・・・やって来た民の長老達に対して、二重の心で表をごまかすなと、主なる神の言葉を語ったのです。
私達は祈るとき、礼拝をする時、讃美に心溶かすとき、魂は覆われていないだろうか。宗教的(信仰的)行為の中で、常に新たに、隠れることのない姿で主に、 悔い改めと信仰(献身)の告白を持って、毎日御前にひれ伏しましょう。
その様にして主にまみえる時・・・・
11節~彼らはわたしの民となり、わたしは彼らの神となる。
        ハレルヤです‼️
 エゼキエル書 14章12節~23節

14:12 次のような【主】のことばが私にあった。
14:13 「人の子よ。国が、わたしに対して罪あるものとなって信頼を裏切り、そのためわたしがその国に手を伸ばし、そこのパンの蓄えをなくし、その国に飢饉を送り、人や家畜をそこから絶ち滅ぼすとき、
14:14 たとえ、そこにノアとダニエルとヨブの、これら三人の者がいても、彼らは自分たちの義によって自分たちのいのちを救い出すだけだ──【神】である主のことば──。
14:15 もし、その国にわたしが悪い獣を行き巡らせ、それを不毛にし、荒れ果てさせ、獣ゆえに通り過ぎる者もいなくなるなら、
14:16 たとえ、その中にこれら三人の者がいても──わたしは生きている。【神】である主のことば──彼らは決して自分の息子も娘も救い出すことはできない。ただ彼ら自身だけが救い出され、その地は荒れ果てる。
14:17 あるいは、わたしがその地の上に剣をもたらし、『剣よ、この地を行き巡れ』と言って、人や家畜をそこから絶ち滅ぼすとき、
14:18 たとえ、その地にこれら三人の者がいても──わたしは生きている。【神】である主のことば──彼らは決して自分の息子も娘も救い出すことはできない。ただ彼ら自身だけが救い出される。
14:19 あるいは、わたしがその地に疫病を送って、人や家畜をそこから絶ち滅ぼすために、流血をもってわたしの憤りをその地に注ぐとき、
14:20 たとえ、そこにノアとダニエルとヨブがいても──わたしは生きている。【神】である主のことば──彼らは決して息子も娘も救い出すことはできない。彼らは自分たちの義によって自分たちのいのちを救い出すだけだ。」
14:21 まことに、【神】である主はこう言われる。「人や家畜を絶ち滅ぼすために、わたしが剣と飢饉と悪い獣と疫病の、四つのひどい刑罰をエルサレムに送るとき、
14:22 見よ。そこに逃れの者が残っていて、息子や娘たちを連れ出し、あなたがたのところにやって来る。あなたがたは彼らの生き方と行いを見て、わたしがエルサレムにもたらしたわざわいと、わたしがそこにもたらしたことすべてについて、慰めを受ける。
14:23 あなたがたは、彼らの生き方と行いとを見て慰められる。このとき、あなたがたは、わたしがそこでしたすべてのことは、理由もなくしたのではないことを知る──【神】である主のことば。」
 2025年8月8日(金)リビングライフQT

今日のテキストは・・・良~く心を据えて読み、読み進まないと、間違って理解しそうになりますから、しっかり心据えて、読み直しましょう。
ここに、ノア  ・   ダニエル  ・   ヨブ・・・と、三人の旧約時代の『義人』  が、例証されていますが、あらゆる試練と、孤立無援な状況の中から、主なる神への不動の信頼と、信仰とを貫き通して、神の愛に応えた、信仰の巨人なのです。
何だか❗この様な言い方すると、“信仰” って、途方もなく、難しく、困難で、及びもつかない世界なんだなぁ‼️と、思ってしまうのですが、そうでしょうか・・・❓
主の言葉には
試練・迫害・侵略・疫病の蔓延・流血・飢餓・・・の中から、ノア・ダニエル・ヨブ・・の三人は、決して傷を受けず、害されなかった‼️…と
しかし、彼らの家族・息子・娘・・・だからと言って、同じように、安全に守られるのではない。
ノアは、その家族と共に、神に信頼して、神の完全な守りの“箱舟”に入ることで、神の守りの中に生かされました。
ヨブの場合は、彼の妻は、余りの理不尽な運命のために、神を呪いなさいと語り、離れていきました。しかし、ヨブは最後まで、主なる神への真実を揺るがせなかったのです。主なる神と、苦悩のやり取りはしましたが、神の軍門に、ひれ伏したのです。ダニエルはすべての優秀なイスラエルの民から引き離され、孤立状態に置かれながら、強大な覇者、バビロンのネブカデネザル王の言葉と命令に、微動だにせずに、主なる神への信頼と服従を貫いたのです。火の燃える炉の火攻めから・・・飢えたライオンの檻に放り込まれながら、守られた姿…
それを見たバビロンの王は遂に、『生ける神の僕ダニエル‼️。あなたがいつも仕えている神は、あなたを獅子から救うことが出来たか・・‼️』
(ダニエル書  6章20節)

この様に、神の都エルサレムに対しても、注がれた神の裁きの中から、残された者(彼らこそ、神への信頼を不動のものとして守り通した‼️)の在ることをみて、主の御名を褒め称え、慰めを受ける。
神はこの様にして、すべてのことの中から、神への信頼を揺るがせない(主なる神に全き信頼を繫いだ)時、あらゆる試練も、苦難も、火も、禍いも・・・・、信じる(信頼する)者を、守られるのです。
信仰とは神の側に立つこと、只、それだけで、神は栄光を持って覆って下さるのです。・・・覆って下さってきたのです。
              ハレルヤ‼️
 エゼキエル書 15章1節~8節

15:1 次のような【主】のことばが私にあった。
15:2 「人の子よ。ぶどうの木は森の木立の中にあって、ほかの木より枝がどれだけすぐれているのか。
15:3 何か役に立つものを作る木材が、そこからとれるというのか。それとも、何かの器具を掛ける木鉤を作ることができるというのか。
15:4 見よ。それは薪として火に投げ入れられ、火がその両端を焼き尽くす。その中まで焦げてしまえば、それは何の役に立つだろうか。
15:5 見よ。それが完全なときでも何も作れないのに、まして、火がそれを燃やして焦がせば、それで何が作れるだろうか。」
15:6 それゆえ、【神】である主はこう言われる。「わたしが薪として火に投げ入れた、森の木立の間のぶどうの木のように、わたしはエルサレムの住民を火に投げ入れる。
15:7 わたしは彼らに敵対して顔を向ける。彼らが火から逃れても、火は彼らを焼き尽くす。わたしが彼らに顔を向けるそのとき、あなたがたはわたしが【主】であることを知る。
15:8 彼らがわたしの信頼を裏切ったので、わたしはこの地を荒れ果てさせる──【神】である主のことば。」
 2025年8月9日(土)リビングライフQT

新約聖書には、“ぶどうの木”と言えば、人生に、社会に・・・《実を結ぶ》の喩えとして登場することが多いですね。所が、エゼキエルのこの喩えでは、全く場違いな存在として、裁きの対象として、例証されています。
正にこれは、堕落の随を極めた、神の都エルサレムの、裁き(崩壊)を語るのに例証されて居るのです。正にエルサレムが、無名の町のように消滅する・・・と言う、イスラエルの民からすれば、絶望的出来事なのです。
8節~彼らが“わたし”の信頼を裏切ったので、私はこの地を荒れ果てさせる・・・・神である主の言葉。
《この地》・・・それは、神の都エルサレムなのです。神が選ばれた地だから、絶対の“聖なる地” なのではないのです。神の選ばれた地を通して、イスラエルが創造主なる神に立ち返る‼️・・・だから聖なる地となってきたのです。
今やこの地(エルサレム)で、イスラエルの民は、偶像を持ち込み、異邦人の生活習慣を堪能し、快楽の都にしたのです。イスラエルは、選びの地を・選びの民イスラエルを、捨てたのです。
自律・自立・・・という名の下に、強く・独立し何でも出来るようになった❗=・・・のです。創造主なる神が、(イスラエルの中で)諸偶像の一つとなっていたのです。これが、創造主なる神の激怒(捌き=裁き)となったのです。
私は・あなたは、魂の中心(エルサレム)に、イエス・キリスト=創造主に、支配者として、御臨在頂き、礼拝しておられますか?この御方の御もとで生かされていますか‼️
ハレルヤ‼️ハレルヤ‼️ア~メン❗
 エゼキエル書 16章1節~14節

16:1 次のような【主】のことばが私にあった。
16:2 「人の子よ。エルサレムにその忌み嫌うべきわざを告げ知らせよ。
16:3 『【神】である主はエルサレムについてこう言われる。あなたの出身、あなたの生まれはカナン人の地、あなたの父はアモリ人、あなたの母はヒッタイト人であった。
16:4 あなたの生まれについて言えば、あなたが生まれた日に、あなたは、へその緒を切られず、水で洗いきよめられず、塩でこすられず、布で包まれることもなかった。
16:5 だれもあなたにあわれみをかけず、これらのことの一つでもあなたにしてやって、あなたに同情しようとはしなかった。あなたの生まれた日に、あなたは嫌われ、野に捨てられた。
16:6 わたしがあなたのそばを通りかかったとき、あなたが自分の血の中でもがいているのを見て、わたしは血に染まったあなたに「生きよ」と言い、血に染まったあなたに、繰り返して「生きよ」と言った。
16:7 わたしはあなたを野原の新芽のように育て上げた。あなたは成長して大きくなり、十分に成熟して、乳房はふくらみ、髪も伸びた。しかし、あなたは丸裸であった。
16:8 わたしがそばを通りかかってあなたを見ると、ちょうど、あなたは恋をする年ごろになっていた。わたしは衣の裾をあなたの上に広げ、あなたの裸をおおった。わたしはあなたに誓って、あなたと契りを結んだ──【神】である主のことば──。そして、あなたはわたしのものとなった。
16:9 わたしはあなたを水で洗い、あなたの血を洗い落とし、あなたに油を塗った。
16:10 わたしはまた、あや織りの衣服をあなたに着せ、じゅごんの皮の履き物をはかせ、亜麻布をかぶらせ、絹物でおおった。
16:11 それから、わたしは飾り物であなたを飾り、腕には腕輪をはめ、首には首飾りをかけ、
16:12 鼻には鼻輪、両耳には耳輪を着け、頭には輝かしい冠をかぶらせた。
16:13 あなたは金や銀で飾られ、亜麻布や絹やあや織物を着て、上等の小麦粉や蜜や油を食べた。こうして、あなたは非常に美しくなり、女王の位に進んだ。
16:14 あなたの美しさのゆえに、あなたの名は国々の間に広まった。それは、わたしがあなたにまとわせた、わたしの飾り物が完全であったからだ──【神】である主のことば。
  2025年8月10日(日)リビングライフQT

イスラエルの民の都エルサレムは、古代文化・権勢・経済・民族の交流する交差点のような場所にあるのです。主なる神は、この地を選び、選びの民イスラエルを、この地に導いて、育まれたのです。
その地は、かつては、カナン人・アモリ人・ヒッタイト人等の割拠する、宗教的にも混合する地域だったのです。
そこに、アブラハムを導き、代を重ねて、一族のエジプト移住→400年の苦役→出エジプト→この地(カナンの地)の再度の定住→部族毎の割拠→有力な指導者(士師)による統治→この地に再度定住してから400年後、遂に、ダビデ王国の樹立→ソロモンによる栄光のイスラエルを、エゼキエルは14節に・・・『あなたの美しさゆえに、あなたの名は国々の間に広まった・・・・』と、うたっているのです。
この歴史的叙述は今の、救われ、見出されて新しい命の道を歩み始めた私達の、赦され、輝く日々の歩みを、示唆されているように響きませんでしょうか❗❓
この栄光の原点こそ、永遠の御国の民とされた、私達への示唆となります。
それ故、エゼキエルの時代から2600年を超えて尚、今の時代へのメッセ~ジとして、響いてくるのです。
主なる神の選びは、変わることなく、愛と、赦しと、慰め・・しかし、同時に厳しい叱責を持って、救いの完成へと導いて下さるのです‼️
 エゼキエル書 16章15節~34節

16:15 ところが、あなたは自分の美しさに拠り頼み、自分の名声に乗じて姦淫を行い、通りかかる人がいれば、だれにでも身を任せて姦淫をした。
16:16 あなたはまた、自分の衣服を取り出して、自分のために、斑に色どった高き所を造り、その上で淫行を行った。このようなことはかつてなく、あってはならないことだ。
16:17 あなたは、わたしが与えた金や銀の美しい品々を取って、自分のために男の像を造り、それらと姦淫を行った。
16:18 あなたはまた、あや織りの衣を取って、それらの像をおおい、わたしの油と、わたしの香をその前に供えた。
16:19 あなたは、わたしが与えたわたしのパンや、あなたに食べさせた上等の小麦粉や、油や蜜までも、その前に供えて芳ばしい香りとした。そうではなかったか──【神】である主のことば──。
16:20 あなたはまた、わたしのために産んだ自分の息子や娘たちを取り、それらの像にいけにえとして献げて食べさせた。これでもまだ、あなたは姦淫が十分ではないかのように、
16:21 わたしの子どもたちを殺し、これを焼いて、ささげ物とした。
16:22 あらゆる忌み嫌うべきことや姦淫をしているとき、あなたは、かつて自分が丸裸のまま、血の中でもがいていた若いころのことを思い出さなかった。
16:23 あなたはこのすべての悪行の後で──ああ、何ということか。【神】である主のことば──
16:24 どの広場にも自分のために祭儀台を設け、高台を造り、
16:25 道のどの分かれ目にも高台を築き、通りかかるすべての人に身を任せ、姦淫を重ねて、自分の美しさを汚した。
16:26 あなたは、良いからだをした隣のエジプト人と姦通し、ますます姦淫を重ねて、わたしの怒りを引き起こした。
16:27 見よ、わたしは、あなたに手を伸ばして、あなたの食糧を減らした。そして、あなたを憎み、あなたの淫らな行いによって辱めを受けたペリシテ人の娘たちの欲望にあなたを委ねた。
16:28 あなたは飽き足りず、アッシリア人と姦通した。彼らと姦通しても、まだ飽き足りず、
16:29 商業の地カルデアとますます姦淫を重ねたが、それでも、あなたは飽き足りなかった。
16:30 あなたの心は、なんと燃え盛っていることか──【神】である主のことば──。厚かましい遊女のするようなこれらのことを、ことごとく行うとき。
16:31 あなたはどの通りの角にも自分の祭儀台を設け、どの広場にも高台を造った。しかし、あなたは報酬を嘲ったので、遊女のようではなかった。
16:32 姦婦は自分の夫の代わりに、ほかの男と通じるものだ。
16:33 すべて遊女には代価が支払われるのに、あなたは自分のほうから愛人たちすべてに持参金を与え、贈り物もして、四方からあなたのところに来させて姦淫をした。
16:34 だから、あなたの姦淫はほかの女の場合と反対だ。だれも、あなたを求めて姦淫をする者はいなかった。あなたが報酬を支払い、あなたには、だれも報酬を支払わなかった。あなたは反対のことをしたのだ。
 2025年8月11日(月)リビングライフQT

姦淫】人間関係の中で、神様との関係の中で心悼め、忌み嫌われ、祝福された関係を、汚れで覆う言葉です。
神は、この言葉を躊躇なく、御自身が選ばれ愛された、民に向かって、選ばれ遣わされた預言者[エゼキエル]を通して、〈姦淫の民〉として、イスラエルを名指しで、糾弾されるのです。
ダビデにより、聖別された神の都エルサレム、更にこの都(神との契約の-標=シルシ-となった❗)の聖(キヨさ)・権威・繁栄・・・を誇って傲慢になり、自ら神になったかのように振る舞い、民から集めた金(出エジプトの時に、エジプトの民から奪い取った)によって、その権威と栄光の象徴として、神の像を造った あぁ何と言うこと
その上、その像の前に、民の娘・息子を、゙人身御供゙として、捧げた。・・・・・・
と、エゼキエルは、糾弾したのです。かつて、エジプト・ペリシテ・アツシリア・カルデアの民がしてきたように。そこに祭壇を築き、その象徴のようなミニ祭礼台を、高き所に築いて花を添え、敬意を表す。又、道の角・角に、神のご加護の象徴として、石の標を置いた。(まるで、沖縄や、九州の彼方此方に見る《石敢当=イシガントウ》と言う、道標=道祖)の様な(25節)祭壇を作った。
これ等の目的は〈姦淫〉のため・・・と記されていますが、それは正に、神ならぬ神、新しくイスラエルの民が考案した、民の神を形に表した・・・まさに・・・偶像そのものだったのです。
神の怒りはいかばかりだったことでしょう。この反逆(姦淫)が、バビロンの捕囚となった原因なのです。
2600年前の、古い古い歴史の出来事なのです。しかし、同時にそれは現在の私達の信仰生活に忍び寄る、由々しい問題なのです。
今、終末期にある主なる神の教会は、ただ、ただ、赦された罪人として、今は罪の中にある廻りの家族・親族・近隣の方々・友人・・・の滅びに向かう姿を悼み、祈り続けなければならないのです。
その悼みは、真の礼拝者の魂に宿るのです。
富や、繁栄や教会の教勢や、豊かさに、目を奪われ(正にそれが姦淫となる)てはなりません。
真の神への礼拝と讃美が、世界から失われている事に、魂が悼む、礼拝で在りたいですね。
エゼキエルの胸中はいかばかりだったことでしょう(ごめんなさい)
日本のリバイバルのために祈りましょう
祈ってください。
それは、あなたの家族と廻りの方々への祈りから・・・
 エゼキエル書 16章35節~52節

16:35 それゆえ、遊女よ、【主】のことばを聞け。
16:36 【神】である主はこう言われる。あなたは愛人たちや忌み嫌うべき偶像と姦淫をして、自分の恥ずかしいところを見せ、自分の裸をあらわにし、それらに自分の子を献げて血を流したのだ。
16:37 それゆえ、見よ。わたしは今、あなたが戯れたすべての愛人たちや、あなたが恋した者や、憎んだ者をすべて寄せ集め、彼らを四方から集めて、あなたの裸を彼らにさらけ出す。彼らは丸裸のあなたを見る。
16:38 わたしは、姦通した女と殺人を犯した女に下す罰によってあなたをさばき、ねたみと憤りをもってあなたの血に報いる。
16:39 わたしはあなたを彼らの手に委ねる。彼らはあなたの祭儀台を壊し、高台を打ち壊し、あなたの着ている物をはぎ取り、あなたの美しい品々を奪い取り、あなたを丸裸にしておく。
16:40 彼らは集団をあおってあなたを襲わせ、石であなたを打ち殺し、剣であなたを八つ裂きにする。
16:41 そのうえ、あなたの家々を火で焼き、多くの女たちの目の前であなたにさばきを下す。こうして、わたしはあなたの淫行をやめさせる。あなたはもう報酬を支払わなくなる。
16:42 わたしはあなたに対する憤りを収めるので、わたしのねたみはあなたから離れる。わたしは安んじて、二度と怒ることはない。
16:43 あなたが、自分の若かった日々を思い出さず、かえって、これらすべてのことでわたしを怒らせたので、見よ、わたしもまた、あなたの頭上にあなたの行いを返す──【神】である主のことば──。あなたはすべての忌み嫌うべきわざに、淫らな行いを加えなかったか。
16:44 見よ。ことわざを用いる者は、あなたについてこういうことわざを用いる。「あの母にして、この娘あり」と。
16:45 あなたは、自分の夫と子どもを嫌った母の娘。自分たちの夫や子どもを嫌った姉妹があなたの姉妹。あなたがたの母はヒッタイト人、あなたがたの父はアモリ人であった。
16:46 あなたの姉は、その娘たちと一緒にあなたの北に住んでいるサマリアであり、あなたの妹は、その娘たちと一緒にあなたの南に住んでいるソドムである。
16:47 あなたは彼女たちの道に歩み、彼女たちのした忌み嫌うべきわざをまねなかっただろうか。ほんのわずかの間に、あなたはすべての道において彼女たちよりも堕落してしまった。
16:48 わたしは生きている──【神】である主のことば──。あなたの妹ソドムとその娘たちさえ、あなたと、あなたの娘たちがしたほどのことを決してしなかった。
16:49 だが、あなたの妹ソドムの咎はこのようだった。彼女とその娘たちは高慢で、飽食で、安逸を貪り、乏しい人や貧しい人に援助をしなかった。
16:50 彼女たちは高ぶって、わたしの前で忌み嫌うべきことをしたので、わたしはこれを見たとき、彼女たちを取り除いた。
16:51 サマリアも、あなたの罪の半分ほども罪深くはなかった。あなたが彼女たち以上に多くの忌み嫌うべきことをしたので、あなたのしたすべての忌み嫌うべきことが、あなたの姉妹たちを正しいとした。
16:52 あなたも、あなたの姉妹たちをかばった恥辱を負え。あなたが彼女たちよりも忌み嫌うべきことをして、罪が重かったため、彼女たちはあなたよりも正しいとされた。あなたも恥じて、あなたの姉妹たちを正しいとした恥辱を負え。
 2025年8月12日(火)リビングライフQT

主なる神の裁きのメッセージは、極度の嫌悪に満ちた、言葉で埋め尽くされているのです。
それ程イスラエルの民の神への反逆が、積み重なり、悔い改めのない民の通常の姿となっていたのです。
叱責を受けているのはイスラエル、即ち、神の選びの民なのです。
その選びの民に、何故主なる神は、このようにまで、彼らの所業を嫌悪し、徹底した裁きを語られるのでしょう。
神は彼らを徹底して、裁く、破滅に追いやる・・・と、語られるのです。
ソロモンの時代から400年経過する中で、神は預言者を立て、誠実な王を助け、栄光を与えてきました。
しかし、北のイスラエル王国は、神の恵を継承せず、サマリヤを神の都としながらも、同時に、在来の異邦の民の信仰する偶像を取り除かず、共存の道を築き挙げたのです。最も忌み嫌われた王はアハブ王であり、彼の妃は、異邦人のシドン王の娘イゼベルでした。
アハブは、イゼベルの思いのままに引き摺られて、イスラエルに最悪の歴史を遺しました。
一方、ユダは、アブラハムの時代に汚れた町として、神の怒りに触れ、火と硫黄で焼き尽くされた、ソドムの血が混じっていました。
人種が混じるというのは、彼らの偶像を受け容れると言うことを指しているのです。
神の怒りの激しい度合いがお分かりでしょう。
主なる神は、彼らの上に、ご自身の徹底した聖さを、表し示すために、裁きを行い、その上に、新しい聖い再創造を為さるのです。
その裁きと、再創造の結果が、今私達の信仰の道筋な のです。
歴史を支配し、道を整え、今日の私達の永遠への展望を、整えて下さったのです。今、私達は間違った道を歩まないように、この学びを通して、神の正しさに魂を委ねましょう。
 エゼキエル書 16章53節~63節

16:53 わたしは彼女たちを元どおりにする。ソドムとその娘たち、サマリアとその娘たち、また彼女たちの中にいるあなたを元どおりにする。
16:54 こうして、あなたは自分自身の恥辱を負い、あなたが彼女たちを慰めたときにしたすべてのことによって、辱めを受ける。
16:55 あなたの姉妹たち、ソドムとその娘たちは元のところに帰り、サマリアとその娘たちも元のところに帰り、あなたとあなたの娘たちも元のところに帰って来る。
16:56 あなたは、高ぶっていたときには、あなたの妹ソドムを悪いうわさの種にしていたではないか。
16:57 しかしそれは、あなたの悪がさらけ出される前のことであって、今はアラムの娘たちや、その周りのすべての者、およびペリシテ人の娘たちのそしりの的となっている。彼女たちはあなたを四方から侮っている。
16:58 あなたは、自分の淫らな行いと忌み嫌うべきわざの報いを受けている──【主】のことば。
16:59 まことに、【神】である主はこう言われる。わたしは、あなたがしたとおりのことをあなたに返す。あなたは誓いを蔑んで、契約を破ったのだ。
16:60 だが、わたしは、あなたが若かった日々にあなたと結んだ契約を覚えて、あなたと永遠の契約を立てる。
16:61 わたしがあなたの姉と妹を選び取って、あなたとの契約には含まれていないものの、わたしが彼女たちをあなたの娘としてあなたに与えるとき、あなたは自分の生き方を思い出し、恥じることになる。
16:62 わたしがあなたとの契約を新たにするとき、あなたは、わたしが【主】であることを知る。
16:63 こうして、わたしが、あなたの行ったすべてのことについてあなたを赦すとき、あなたはそれらを思い出して恥を見、もう自分の恥辱のために口を開くことはない──【神】である主のことば。』」
 2025年8月13日(水)リビングライフQT

何と憐れみ深い・・・
御方なのでしょう‼️
☆53節~元通りにする
☆55節~*ソドム・サマリヤも、元のところ帰り(回復させる=赦される)・・・
*あなたとあなたの娘達(エルサレム)も、元のところに帰ってくる。
これ等は、対立した混沌状態から、それぞれの道で、神の赦しと回復が約束されているのです。
56節・57節・58節~は、罪と神からの離反と、様々な反抗の報いを受けてきた・・・と、民の多くの罪状を、確認しながら、今、神からの《赦し》が、如何に大きいか、即ち(神の愛の無限の大きさ)を、語っておられるのです。・・・更に・・・
60節~若かった日々にあなたと結んだ《契約》を覚えて、あなたと永遠の契約を立てる。
62節~わたしがあなたと《契約を新たにする》とき、あなたはわたしが主であることを知る。
何という慰め、祝福でしょう。この様な《平安》が、世界の何処に…
あなたの・わたしの人生に、見いだせましょう。
今まで責められてきた、あの忌まわしい姿や 、記憶は消え去って、唯々、主なる神の慈しみの輝きのみが、わたしを-あなたを、包んで下さったのを、実感として、心にしみてきますね~‼️
これこそ、イエス様の十字架の贖罪を見る思いです。
主よ❗感謝します。
新しい光の道が開かれるのが見えます。
   アーメン❗
 エゼキエル書 17章1節~10節

17:1 次のような【主】のことばが私にあった。
17:2 「人の子よ。イスラエルの家に謎をかけ、たとえを語れ。
17:3 『【神】である主はこう言われる。大きな翼、長い羽、色とりどりの豊かな羽毛の大鷲が、レバノンに飛んで来て、杉のこずえを取り去り、
17:4 その若枝の先を摘み取り、それをカナンの地へ運び、商人の町に置いた。
17:5 また、その地の種も取って来て、肥えた土地に植え、豊かな水のそばに柳のように植えた。
17:6 それは生長し、丈は低いが、よく生い茂るぶどうの木となった。その枝は鷲の方に向き、根は鷲の下に張り、こうして、ぶどうの木となって、枝を作り、若枝を出した。
17:7 さて、大きな翼と豊かな羽毛を持つもう一羽の大鷲がいた。すると、このぶどうの木は、潤いを得るために根をその鷲の方に向けて伸ばし、その枝を、自分が植わっているところからその鷲の方に伸ばした。
17:8 このぶどうの木は、枝を伸ばし、実を結んで見事なぶどうの木となるように、水の豊かな良い地に植えられていた。』
17:9 言え。『【神】である主はこう言われる。それはうまく育つであろうか。その根は抜き取られ、その実は摘み取られ、芽の付いた若枝はことごとく枯れないだろうか。それは枯れる。それを根こそぎ引き抜くのに、大きな力や多くの人々を必要としない。
17:10 見よ。それは植えられたが、うまく育つだろうか。東風がそれに吹きつけると、すっかり枯れてしまわないだろうか。その芽を出した苗床で、それは枯れてしまう。』」
 2025年8月14日(木)リビングライフQT

神の《摂理》を見誤るな(神)
今日の預言の喩えは、非常に難しいですね。
  (リビングライフ誌)お持ちの方は、P.84の解説を見てください。
即ち、最初の大きな翼の(大鷲)は、バビロンを指しており・・・・
7節の(大鷲)は、エジプトを指しています。
鷲の方に根を張る・・・とは、最初は、バビやロンによる侵略を指し、次の鷲は、エジプトを示しています。
バビロンの侵略は、ネブカデネザル王の時代は、広大で強大な覇権国家では有りましたが、政治内容は、組織が脆弱で、国家の体を成してないので、当時神聖国家として、組織化と法整備が整っていた、イスラエルから、多くの宗教的組織官僚を拉致して、捕囚にしたのです。その後のイスラエルの維持のために、ゼデキヤ王を傀儡政権としてバビロンに仕えさせたのです。所がゼデキア王は、バビロンに反乱を起こし、バビロンによって、徹底的に、イスラエルは、破壊されてしまったのです。
(エルサレムは略奪され、住民は、多くの血を流した)・・・・
バビロンの捕囚政策と、エルサレムの存続は、神の摂理だったのです。
その時点で、イスラエルが神に立ち返り、時が過ぎれば、やがて、あの、ネブカドネツアル大王の《ユダヤ人解放令》による彼らの帰還は、様子が変わっていた事でしょう。この帰還によって、彼らが見たのは、エルサレムは灰燼に帰し、神殿の存在すら分からないほど荒廃した、姿だったのです。
人の予測や、可能性や、
事態の好機と伺える、時の流れや、事態に直面するとき、渡りに舟(歓喜)と、ばかりに迎合することなくて先ず座して祈ることです。
クリスチャンは良く、自分の立場に有利な事態が巡ってくると、“御心だ‼️” とばかりに、動くことが在りますが、気を付けましょう。先ず祈り、主なる神の御思いと一つになる(魂に平安を得る)事を確かにして、一歩を踏み出しましょう。
遅くなることはありません‼️
自分が《王》にならないようにしましょう。
 エゼキエル書 17章11節~節

17:11 次のような【主】のことばが私にあった。
17:12 「さあ、反逆の家に言え。『これらがどういうことなのか、あなたがたは知らないのか。』こう言え。『見よ。バビロンの王がエルサレムに来て、そこの王とその首長たちを捕らえ、バビロンの自分のところへ連れて行った。
17:13 そして彼は王族の一人を選んで、その者と契約を結び、忠誠を誓わせた。彼はこの国のおもだった者たちも連れ去っていた。
17:14 それは、この王国を低くして立ち上がれないようにし、その契約を守らせて存続させるためであった。
17:15 ところが、彼はバビロンの王に反逆し、使者をエジプトに送り、馬と軍勢を得ようとした。そんなことをして、うまく行くだろうか。助かるだろうか。契約を破って助かるであろうか。
17:16 わたしは生きている──【神】である主のことば──。彼は、自分を王位に就けた王との誓いを自ら蔑み、また、自ら契約を破ったので、その王の住む場所、バビロンで必ず死ぬ。
17:17 戦争になって、多くの者を絶ち滅ぼそうとして、塁が築かれ包囲壁が設けられるときでも、ファラオは決して大軍勢と大集団で彼をかばうことはない。
17:18 彼は誓いを蔑み、契約を破った。彼は誓っていながら、これらすべてのことをしたのだ。彼は助からない。
17:19 それゆえ、【神】である主はこう言われる。わたしは生きている。彼が蔑んだわたしの誓い、彼が破ったわたしの契約、これを必ず彼の頭上に返す。
17:20 わたしは彼の上にわたしの網をかけ、彼はわたしの罠にかかる。わたしは彼をバビロンへ連れて行き、そこで、わたしの信頼を裏切ったことについて彼をさばく。
17:21 彼の軍隊の逃れた者もみな剣に倒れ、残された者も四方に散らされる。このとき、あなたがたは、【主】であるわたしが語ったことを知る。』」
17:22 【神】である主はこう言われる。「わたしは高い杉のこずえを取り去り、そのうちから柔らかい若枝の先を摘み取り、わたし自ら、それを高くそびえる山に植える。
17:23 わたしがそれをイスラエルの高い山に植えると、それは枝を伸ばし、実を結び、見事な杉の木となる。その下にはあらゆる種類の鳥が宿り、その枝の陰に住む。
17:24 このとき、野のすべての木は、【主】であるわたしが高い木を低くし、低い木を高くし、生木を枯らし、枯れ木に芽を出させることを知る。【主】であるわたしが語り、わたしが行う。」
 2025年8月15日(金)リビングライフQT

昨日の《二羽の大鷲》の喩えが、今日のテキストの中で解説されているのです。歴史の流れ、時間の経過の中で、今、私達は、二千数百年前の歴史の記録を通して、それらのことが、見事に実現していることを見るのです。
☆古エジプト王朝→中王朝(イスラエルの使役時代)→新王朝
☆古バビロニア時代(ハンムラビ)・この時代にアブラハムの召命とカナン定着・
☆アッシリアの台頭→イスラエルの出エジプト→イスラエルのカナン定着とダビデ王国の台頭→イスラエルの王国の分裂と、北からはアッシリア・南からはエジプトの侵略。
☆アッシリアの滅亡 
新バビロニアの 台頭。
・・・これらの状況の中で、今の歴史が展開されているのです。
中近東の激動の中で、神の御計画は選びの民への試金石として、これ等の古代帝国が、関わるのです。こうして、選びの民は、翻弄される覇権国家の中で揉まれながら・・・・・・
★神の選びの民として、整えられて行くのです。
★神への信頼と服従
★神への反抗(不信仰・不従順・反抗)の結果、敗北と隷属、捕囚として、約束の地を失う。
主なる神は、この様な緊急避難的方法を用いてでも、イスラエルへの愛を、更に深くされるのです。
この様な歴史は、今の選ばれて赦された、あなたのわたしへの、お取り扱い(教育・育み)と、同じなのです。
何故選ばれた者を、苦しめられるのでしょうか。聖別された民を、偶像の民に翻弄されるがままに為さるのでしょう。
私達は身勝手な、質問や、保身的な祈りをしてきたでしょう。そして祈りが聴かれない…と、神につぶやくのでしょう。→神御自身の苦悩も知らずに
この苦悩と神の涙の奥に、永遠の愛が秘められているのです。
やがて、この永遠の愛が輝き渡るのが、イエスキリスト様による、十字架の愛なのです。
わたしの、あなたの、苦悩と矛盾は、この御方の愛を忘れ、神への信頼と服従を、疎かにしてきたからなのです。
この様な、主なる神の御思いは、今日のテキストの中に織り込まれています。
14節→・・・契約を守らせて存続させるためであった。
17節→エジプトにより頼んでも・・・ファラオは決してイスラエルの王をかばうことはない。
20節〜→彼はわたしの罠に掛かる。
私は彼をバビロンに連れて行き私の信頼を裏切った事について彼をさばく・・・
21節〜彼の軍隊の逃れた者も皆、剣に倒れ、残された者も四方に散らされる。
このとき、あなたがたは、 主であるわたしが語ったことを知る。
22節~24節
イスラエルの回復の預言なのです。
『私は高いこずえを取り去り、その内から柔らかい若枝の先を摘み取り、わたし自ら、それを高くそびえる山に植える』

主なる神の、御心の内は、この様な深い、愛と、御計画で溢れているのですから、私達はもっと、信頼し、従い期待して、主に近付かねばならないでしょう。
人々の思いを遙かに超える、深い摂理の愛と永遠の御計画を持って、導かれるその御手を信頼して、主に聴き、待ち望み、従い続けることによって、歴史は、全ての時代に、 神の栄光を証しするものと成るのです。
私達はその器となるのです。
24節・・・・『主であるわたしが語り、わたしが行う。』この結果の事実を《摂理》と言い、歴史はまさに神の手なる、摂理の糸の繋がりなのです。
あらゆる事態を受け容れ、主に期待しながら、あらゆる試練と葛藤の中にも、神の手にあることを、信じて時を待ち望みましょう。
 エゼキエル書 18章1節~20節

18:1 次のような【主】のことばが私にあった。
18:2 「あなたがたは、イスラエルの地について、『父が酸いぶどうを食べると、子どもの歯が浮く』という、このことわざを繰り返し言っているが、いったいどういうことか。
18:3 わたしは生きている──【神】である主のことば──。あなたがたがイスラエルでこのことわざを用いることは、もう決してない。
18:4 見よ、すべてのたましいは、わたしのもの。父のたましいも子のたましいも、わたしのもの。罪を犯したたましいが死ぬ。
18:5 人が正しい者であるなら、公正と義を行う。
18:6 丘の上で食事をせず、イスラエルの家の偶像を仰ぎ見ず、隣人の妻を汚さず、月のさわりのある女に近寄らず、
18:7 だれも虐げず、質物を返し、物をかすめ取らず、飢えている者に自分の食物を与え、裸の者に衣服を着せ、
18:8 利息をつけて貸さず、高利を取らず、不正から手を引き、人と人との間を正しくさばき、
18:9 わたしの掟に従って歩み、わたしの定めを守って真実を行う。このような人が正しい人であり、この人は必ず生きる──【神】である主のことば。
18:10 しかし、彼が子を生み、その子が無法者で、人の血を流し、先に述べたことの一つにでも違反する場合、
18:11 すなわち、それらすべてのことをしようともせず、かえって丘の上で食事をし、隣人の妻を汚し、
18:12 乏しい人や貧しい人を虐げ、物をかすめ取り、質物を返さず、偶像を仰ぎ見、忌み嫌うべきことをし、
18:13 利息をつけて貸し、高利を取ったなら、こういう者ははたして生きるだろうか。彼は生きられない。これらすべての忌み嫌うべきことをしたのだから、必ず死ぬ。その血の責任は彼自身にある。
18:14 ただし、彼が子を生み、その子が父の行ったすべての罪を見て反省し、そのようなことを行わない場合には、
18:15 すなわち、丘の上で食事をせず、イスラエルの家の偶像を仰ぎ見ず、隣人の妻を汚さず、
18:16 だれも虐げず、質物をとどめておかず、物をかすめ取らず、飢えている者に自分の食物を与え、裸の者に衣服を着せ、
18:17 貧しい者を苦しめることから手を引き、利息や高利を取らず、わたしの定めを行い、わたしの掟に従って歩むなら、そのような人は自分の父の咎のゆえに死ぬことはなく、必ず生きる。
18:18 彼の父は虐げを行い、兄弟の物をかすめ取り、良くないことを自分の民の中で行ったのだから、確かに自分の咎のゆえに死ぬ。
18:19 あなたがたは『なぜ、その子は父の咎を負わなくてよいのか』と言う。その子は、公正と義を行い、わたしのすべての掟を守り行ったのだから、必ず生きる。
18:20 罪を犯したたましいが死ぬのであり、子は父の咎について負い目がなく、父も子の咎について負い目がない。正しい人の義はその人の上にあり、悪しき者の悪はその者の上にある。
 2025年8月16日(土)リビングライフQT

『父が酸いふどうを食べると、子供の歯が浮く』面白い喩えですね。日本古来から言い習わされた「因果応報」という言葉と同じ意味なのですが、何だか、より強烈に響きますね。
私達日本人(とは限らず人間社会では、一般的に、親の悪事が子に繫がる・・・)という風潮が、今の時代にも、人の口に上ることがありますね。
天罰・家系論・先代(先祖)故の侮蔑(ブベツ)・差別・等、本人には身に覚えのない差別や、排除は、人間社会には、ごく普通に目にする姿です。
聖書の時代(2600年前)にも、この様な言葉があった・・・とは。これを観ただけでも、その罪深さが心を刺します。
イスラエルは、宗教国家ですから、人一倍、罪と裁きには、敏感でしたから、この様なことわざは、自らを正当化する、言葉の材料だったのかも知れません。たしかに、神への信仰は、厳しい正しさが求められていました。それだけに、悪(罪)に対しては、非常に敏感で、御互いに指摘し合う 事で、自らの正しさを強く表そうと・・・この様なことわざが生まれたのではないでしょうか。人間のこの正しさへの指向は、最も悪しき世界観を生み出してきたのです。
戦争の歴史は、正にその象徴的表れでもあります。
創造主なる神は、この様に、御自身が創造された《人》が、この様な姿になっていることを、どう思って居られるでしょうか。
4節を観てみましょう『見よ、すべてのたましいは、わたしのもの。父のたましいも子のたましいも、わたしのもの。・・・・・
主なる神はあなたをあなたとして、二人とない、御創りになられた存在として、こよなく愛されるのです。どんなに繋がりが深かろうと、一人を一人として、愛されるのです。
反対に、もしその一人が、創り主なる神に背いて、罪を犯し、立ち返らない(主なる神の愛に応えようとしない・・・)ならば、その罪ゆえに、神はその人を裁かれる。その裁きには、親も子も関わりはない。
神学校時代、聖書の講義に立たれた《マリア・シュルゲン》宣教師(戦後のアッセンブリー教団の創設者の一人)が、旧約聖書の講義で「個人的に・・・個人的に・・・」を、連発しておられました。これこそ、創造者なる神は、国ではなく、社会ではなく、教会ではなく、あなたを・わたしを・・・一人一人を名指しで、愛してくださるのです。
主なる神(創造主)とあなた・主なる神(創造主
)とわたし・・・・という個別の関係の中で、関わって下さっているのです。それが福音信仰です。
誰でも、キリスト信者になる‼️・・・のではないのです。
あなたの創り主の元に、帰るのです。主なる神のみ懐に、飛び込み帰ってくるのです。そしてこの御方と交わり、語らい、赦され、励まされて、この世に遣わされているのです。
捕囚の地にある、イスラエルの民は、エルサレムから離れた孤立感が、神から捨てられ遠ざけられた思いで、孤立しているのを、エゼキエルを通して、御声を掛けられたのです。
あなたの毎日は、主なる神と、どの様な繋がりにありますか。
 エゼキエル書 18章21節~32節

18:21 しかし、悪しき者でも、自分が犯したすべての罪から立ち返り、わたしのすべての掟を守り、公正と義を行うなら、その人は必ず生きる。死ぬことはない。
18:22 彼が行ったすべての背きは覚えられることがなく、彼が行った正しいことのゆえに、彼は生きる。
18:23 わたしは悪しき者の死を喜ぶだろうか──【神】である主のことば──。彼がその生き方から立ち返って生きることを喜ばないだろうか。
18:24 しかし、正しい人が正しい行いから離れ、不正を行い、悪しき者がするようなあらゆる忌み嫌うべきことをするなら、彼は生きるだろうか。彼が行ったどの正しいことも覚えられず、彼が犯した不信と陥った罪のゆえに、彼は死ななければならない。
18:25 あなたがたは『主の道は公正でない』と言っている。さあ聞け。イスラエルの家よ、わたしの道は公正でないのか。公正でないのはあなたがたの道ではないのか。
18:26 正しい人が自分の正しい行いから離れ、不正を行うなら、彼はそれゆえに死ぬ。自分が行った不正によって死ぬ。
18:27 しかし、悪しき者でも、自分がしている悪事から立ち返り、公正と義を行うなら、彼は自分のたましいを生かす。
18:28 彼は反省して、自分のすべての背きから立ち返ったのだから、必ず生き、死ぬことはない。
18:29 しかし、イスラエルの家は『主の道は公正でない』と言う。イスラエルの家よ、わたしの道は公正でないのか。公正でないのはあなたがたの道ではないのか。
18:30 それゆえ、イスラエルの家よ、わたしはあなたがたを、それぞれその生き方にしたがってさばく──【神】である主のことば──。立ち返り、あなたがたのすべての背きから身を翻せ。不義に引き込まれることがないようにせよ。
18:31 あなたがたが行ったすべての背きを、あなたがたの中から放り出せ。このようにして、新しい心と新しい霊を得よ。イスラエルの家よ、なぜ、あなたがたは死のうとするのか。
18:32 わたしは、だれが死ぬのも喜ばない──【神】である主のことば──。だから立ち返って、生きよ。」
 2025年8月17日(日)リビングライフQT

預言者エゼキエルを通して語られる今日のテキストで、主なる神の御言葉の、何と❗切々と響いてくることでしょう。
昨日は、神への反逆・反抗は、その人個人と主なる神様との関係で裁かれるのであって、その人の・・子・親に繫がるものではない。主なる神様との、全く個人的関係で裁かれ、その人が行(オコナ)った反抗への、受けるべき裁きなのだ・・・と学びましたね。
今朝のテキストの論調は、打って変わって、慰めと湧き上がる希望を与えるメッセージとなっています。
かつて、私は、子供時代に、 神様の厳しい罰を聞かされ、聖書の中からその様な警告の聖句を知った私は、悩み苦しみ、もう私には希望はない・・・と、自分を追い詰めて、人生の崖っぷちに立ったことがありました。
しかし、その様な中で『子よ、心やすかれ❗汝の罪赦されたり‼️』
と語られた、イエス様の御言葉が、心の中に響いた瞬間、光が射したように、地の底から光のただ中に立つ自分を見出したのです。
反省や、罪への懺悔の心は尊いものです。
しかし、それはその人の魂を死に追いやるばかりです。
そこから主イエス様の御声を聴きましょう、
聴いて信じましょう‼️
『子よ‼️安心しなさい。あなたの罪は赦されました。』
(マルコの福音書2章5節)
旧約時代は、未だ、主イエス様の十字架の贖いの死は、成就していませんから・・・・
『罪から立ち返り、私のすべての掟を守り・・・ 』が必要絶対条件でしたが、それは、やがて実現する、十字架の贖いの死によって、完成されるためのステップだったのです。
主は言われる‼️
☆(31節)
新しい心と新しい霊を得よ。
☆(32節)わたしは、
だれが死ぬのも喜ばないー神である主のことばー
だから立ち返って、生きよ‼️   ア~メン‼️
 エゼキエル書 19章1節~14節

19:1 「あなたはイスラエルの君主たちのためにこの哀歌を唱えよ。
19:2 あなたの母は何であったのか。雌獅子だ。彼女は雄獅子の間に伏し、若い獅子の間で子獅子を養った。
19:3 雌獅子は子獅子のうちの一頭を取り上げた。それは若い獅子となり、獲物をかみ裂くことを習い、人を食い滅ぼすようになった。
19:4 諸国の民はその獅子のうわさを聞いた。その獅子は落とし穴で捕らえられた。彼らはこれに鉤をつけ、エジプトの地へ引いて行った。
19:5 雌獅子は待ちくたびれて、自分の望みが消え失せたことを知ったとき、子獅子のうちのほかの一頭を取り、若い獅子と定めた。
19:6 これも雄獅子の間を歩き回り、若い獅子となって、獲物をかみ裂くことを習い、人を食い滅ぼすようになった。
19:7 この獅子は、やもめたちを犯し、町々を廃墟とした。その吼える声のために、地とそこに満ちているものは、おののいた。
19:8 そこで、諸国の民は周りの州から攻め上り、その獅子に彼らの網を打ちかけた。その獅子は彼らの落とし穴で捕らえられた。
19:9 彼らはそれに鉤をかけて檻に入れ、バビロンの王のもとに引いて行った。彼らはそれを砦に閉じ込め、二度とその声がイスラエルの山々に聞こえないようにした。
19:10 あなたの母は、水のほとりに植えられた、あなたのぶどう園のぶどうの木のようだった。水が豊かなために実りが良く、枝も茂った。
19:11 その強い枝は王の杖となり、その背丈は茂みの中でひときわ高く、多くの小枝をつけて、際立って見えた。
19:12 しかし、激しい憤りをもってそれは引き抜かれ、地に投げ捨てられ、東風はその実を枯らした。その強い枝も折られて枯れ、火がそれを焼き尽くした。
19:13 今や、それは荒野に、乾いた、潤いのない地に移し植えられ、
19:14 火がその枝から出て、その若枝と実を焼き尽くした。もう、それには王の杖となる強い枝がなくなった。」これは悲しみの歌、哀歌となった。
 2025年8月18日(月)リビングライフQT

このエゼキエルによる
預言の哀歌(悲哀の歌)は、ダビデ王に始まる、ユダ王国の末期の悲哀をうたった、哀しみの預言なのです。
ダビデ王国は、神の選びの民の国で、万軍の主なる神が、味方しているから、神の宮であるエルサレムが、堕ちることなど、彼らは想像もしていなかったのです。楽観視し、北東には大帝国バビロンが、南には強大なエジプトが、覇を狙っていたにも拘わらず、安逸をむさぼっていたのです。サマリヤは(アツシリヤ・バビロンによって)は滅びたが、ユダには神の都・神の臨在を顕す《神殿》が在るから神の守りが・・・と、自負していたのです。
しかしユダ王国は滅びました。
神に従い、神に聴き、神にしっかりと繫がっているときに、主なる神のご加護と、豊かな祝福に包まれるのです。
私達の信仰は、
神のいのち(永遠=神の霊)に生かされているから、安全なのです。
試練も、病も、戦いも、困難も・・・神のいのちに守られている者を、傷つけるものは無いのです。
しかし、一度、いのちの恵から離れたら、最早あなたを生かし、いのちの流れが途絶えたら…
14節のような、惨めな、役に立たない、烏合の衆の国(・・・集団)と、化してしまうのです。
*あなたはクリスチャンですか❓
*洗礼受けてますか・?
*教会行ってますか・?
・・・は、キリスト教信者のお互いの問いかけですが、この表面的な基準をイエス様のいのち(永遠)に生かされているから・・・と、自負して安心しているとするなら、病や試練や、ましてや最後の審判に、耐えられるものではありません。
クリスチャン生活とは
☆あなたは救い主イエス様の血に洗われ、罪赦されていると確信していますか?
この問いかけに生かされる日々なのです。
この基準から離れているなら、悔い改めて、主の十字架の前に、新たにひれ伏しましょう。
エッセイの、詩篇の引用を記して閉じましょう。
『主は心の砕かれた者の近くにおられ、霊の砕かれた者を救われる』
      (詩篇34:18)
これが神様の御心なのです‼️
 エゼキエル書 20章1節~9節

20:1 第七年の第五の月の十日、イスラエルの長老たちの何人かが、【主】に尋ねるために来て、私の前に座った。
20:2 そのとき、私に次のような【主】のことばがあった。
20:3 「人の子よ、イスラエルの長老たちにこう告げよ。『【神】である主はこう言われる。あなたがたが来たのは、わたしに尋ねるためなのか。わたしは生きている。わたしは決してあなたがたの求めに応じない──【神】である主のことば。』
20:4 あなたは彼らをさばくのか。人の子よ、あなたはさばくのか。彼らの先祖たちの、忌み嫌うべきわざを彼らに告げ知らせよ。
20:5 彼らに言え。『【神】である主はこう言われる。わたしがイスラエルを選んだとき、わたしはヤコブの家の子孫に誓い、エジプトの地でわたしを彼らに知らせた。彼らに誓って、わたしがあなたがたの神、【主】であると言った。
20:6 その日、わたしは彼らをエジプトの地から導き出して、わたしが彼らのために探しておいた乳と蜜の流れる地、どの地よりも麗しい地に入れることを彼らに誓った。
20:7 わたしは彼らに言った。「それぞれ、その目の慕う忌まわしいものを投げ捨てよ。エジプトの偶像で身を汚すな。わたしがあなたがたの神、【主】である」と。
20:8 しかし、彼らはわたしに逆らい、わたしに聞き従おうとはしなかった。それぞれ、その目の慕う忌まわしいものを投げ捨てず、エジプトの偶像を捨てなかった。そこでわたしは、エジプトの地のただ中でわたしの憤りを彼らの上に注ぎ、彼らにわたしの怒りを出し尽くそうと思った。
20:9 しかし、わたしはわたしの名のことを思い、彼らが住んでいる国々の目の前でわたしの名が汚されないようにした。国々の目の前で彼らをエジプトの地から導き出す、と知らせていたからだ。
 2025年8月19日(火)リビングライフQT

イスラエルの長老達は、イスラエルの神にして、創造主なる全能の神に・・・これからのイスラエルの運命(捕囚の身として、今後、どうなるのか)の預言・・・を求めに来たのです。
バビロンの捕囚となって、約束の地・故郷から引き離されて、7年が 経過したのです。この間にも、神はエゼキエルを通して、なぜ民が、この様な苦汁を飲まねばならないのか・・・・❓は、語られてきたのです。
しかし、彼らの関心事は・・・捕囚となって出たあのカナンの地は、どうなるのだろう。
捕囚は解かれるのだろうか❓
彼らの関心事は、自分達と神様との関係なのではなく、自分達(イスラエルの今後=運命)の、これからについて、問いかけるためでした。神は、エゼキエルを通して『・・・私は決してあなたの求めに応じない。』・・・と、語られます。
この主なる神の、大変厳しい御言葉を読みながら、ふと、イスラエルの長老達の、思いの丈(中身)を、考えました。先にも書いたように、彼らのこれからの運命(神の御計画)を知りたかったのです。
今こうして、客観的に、歴史の一端として読めば、彼らの行動は当然だったのです。
主なる神の関心事は、民(私達)が、主なる神と信頼と服従の、密な関係にあることを求めて、私達に眼を留めて居られるのです。
私達の主なる神への、感謝と献身と信頼を求めておられるのです。私達の信仰は、自らの人生に利する道を求めて、主に至るものではないのです。主なる神が求めておられる事が何か…を求め、それに向かって、主を待ち望む日々が、信仰生活なのです。
この筋道を妨げるのが、主なる神との関係なのです。
イスラエルの民は、何故今、この様な捕囚の身となり、苦しんでいるのか❓と、自問しながら、又、民全体が、神に背いてきた、歴史を振り返って、心から懺悔と悔い改めを祈る‼️神との関係を求めていたならば、主なる神のお喜びはいかばかりだったことでしょう。
私達は常に赦された罪人として、神の前に祈り告白しながら、これからの神の働きに、参与する献身の祈りを、捧げるのを常と致しましょう。
主なる神も、あなたとの交わりを求め、それに応えて豊かに、恵と平安とを、あなたに、私に賜るでしょう。
 エゼキエル書 20章10節~26節

20:10 こうしてわたしは、エジプトの地から彼らを導き出し、荒野に導き入れ、
20:11 わたしの掟を彼らに与え、わたしの定めを告げ知らせた。人は、それらを行うなら、それらによって生きるからである。
20:12 わたしはまた、彼らにわたしの安息日を与えて、わたしと彼らとの間のしるしとし、わたしが彼らを聖なる者とする【主】であることを、彼らが知るようにした。
20:13 しかし、イスラエルの家は荒野でわたしに逆らった。彼らはわたしの掟に従って歩まず、わたしの定めを忌み嫌った。人は、それらを行うなら、それらによって生きるのに。さらに、彼らはわたしの安息日を甚だしく汚した。そこでわたしは、荒野でわたしの憤りを彼らの上に注ぎ、彼らを絶ち滅ぼそうと考えた。
20:14 しかし、わたしはわたしの名のことを思い、彼らを導き出すのを見ていた国々の目の前で、わたしの名が汚されないようにした。
20:15 だがわたしは、わたしが与えた、乳と蜜の流れる地、どの地よりも麗しい地に、彼らを導き入れない、と荒野で彼らに誓った。
20:16 それは、彼らがわたしの定めを忌み嫌い、わたしの掟に歩まず、わたしの安息日を汚したからだ。それほど彼らの心は偶像を慕っていた。
20:17 それでも、わたしは彼らをあわれんで滅ぼさず、荒野で彼らを滅ぼし尽くさなかった。
20:18 わたしは荒野で彼らの子どもたちに言った。「あなたがたの父たちの掟に従って歩むな。彼らの慣わしを守るな。彼らの偶像で身を汚すな。
20:19 わたしがあなたがたの神、【主】である。わたしの掟に従って歩み、わたしの定めを守り行え。
20:20 また、わたしの安息日を聖なるものとせよ。これをわたしとあなたがたとの間のしるしとし、わたしがあなたがたの神、【主】であることを知れ」と。
20:21 しかし、子どもたちはわたしに逆らった。彼らはわたしの掟に従って歩まず、わたしの定めを忌み嫌った。人は、それらを行うなら、それらによって生きるのに。さらに、彼らはわたしの安息日を汚した。そこで、わたしは、荒野でわたしの憤りを彼らの上に注ぎ、彼らにわたしの怒りを出し尽くそうと思った。
20:22 しかし、わたしは手を引いた。わたしの名のことを思い、彼らを導き出すのを見ていた国々の目の前で、わたしの名が汚されないようにした。
20:23 だがわたしは、彼らを諸国の間に散らし、国々に追い散らす、と荒野で彼らに誓った。
20:24 彼らがわたしの定めを行わず、わたしの掟を忌み嫌い、わたしの安息日を汚し、彼らの心が父たちの偶像を慕ったからである。
20:25 わたしもまた、良くない掟と、それによっては生きられない定めを彼らに与えた。
20:26 彼らがすべての初子に火の中を通らせたとき、わたしはそのささげ物で彼らを汚した。それは、わたしが彼らを滅ぼすため、わたしが【主】であることを彼らが知るためである。』
 2025年8月20日(水)リビングライフQT

バビロン捕囚後、主なる神は、エゼキエルを通して、捕囚の地にあるイスラエルの民に、歴史を振り返らせ、御自身の民への思いを、切々と語り続けられます。これを読み返しながら、主なる神のお心の痛みが伝わってきます。そればかりか、このメッセージ(イスラエルの民への神の歴史的関わり)が、まるで私自身の今日まで関わって下さった事と重なって来たのです。
これは誇張でも、意図的表現でもなく、現実に感じた私の実感なのです。
今日のテキストは、次のことを重く語っています。
①14節~(主なる神が)彼らを導き出すのを見ていた国々の目の前で私の名を汚さないようにした。これは・・・・・
☆神がイスラエルを引き裂こうとしているように見えないように・・
☆民が罰せられて(亡ぼされず)苦境にあえぎながらも、イスラエルの神が、愛に富む神であることを示すため・・・と言う2点です。
何故なら、やがて、御自身が、全人類の創造主(神)である事を、知らせるためです。

②わたしの『安息日』を・・・  16節・20節・21節・24節・・・・と言う記述です。
『掟=おきて』それは、モーセの十戒のことを指していますが、その中の《安息日を聖とせよ》と言う・・・イスラエルの民への、神の最大の《掟》を、民が汚したと言われるのです。
『安息日』って、何でしよう。<時>としてはそれは、制度時に、守ってきたでしょうが本来は土曜日なのです。この日は様々な生活上の制限が敷かれ細かな規定は後々、祭司達の手によって制定されました。
・・・何か、規定を設けて、それを、実行する・守る・・・事で宗教性を高めると、考えられるようになったのです。それを守り実行・・・しなかったから、安息日を汚したと、 神が言われているのではないのです。神が言われた《安息日》とは、神が創造された<人>と、<創造主>とが共有する《時と場》なのです。端的に言えば、神があなた・わたしと交わりを求めておられると言うことなのです。これが、私達の人生(日々の経過の中)で最も神聖な時なのです。言い替えるなら、主なる神が最も、求めておられる、祝福の原点なのです。
イスラエルの民は…
神殿礼拝はそれなりに守ってきたでしょう。
様々な掟も、それなりに守ってきたでしょう。しかし、主なる神は、安息日を汚したと、語られたのです。形ではない、朗々たる祈りや、掟の代読ではない、煙の立ち上る燔祭の火ではない。
一人一人の民の魂が神に向いて、神の差し伸べた御手に触れてきたか・・・・‼️なのです。
こうして、神の御思いに気付いたとき、今日のデボーションが、御心に触れたか・・・‼️❓と、
深く思い巡らさせられました。
《安息日》➡
《主なる神の御前に身を置く》
素晴らしい出発
     素晴らしい一日
           素晴らしい歴史
がここから生まれる。  
                    ハレルヤ‼️
 エゼキエル書 20章27節~32節

20:27 それゆえ、人の子よ、イスラエルの家にこう告げよ。『【神】である主はこう言われる。あなたがたの先祖は次のことにおいても、わたしの信頼を裏切ることにより、わたしを冒?している。
20:28 わたしが、彼らに与えると誓った地に彼らを連れて行くと、彼らは高い丘や茂った木を見て、どこででもいけにえを献げた。彼らはそこで主の怒りを引き起こすささげ物を献げ、そこで芳ばしい香りを供え、そこで注ぎのぶどう酒を注いだ。
20:29 それで、わたしは彼らに言った。「あなたがたが通う高き所とは何なのか」と。今日でもその名はバマと呼ばれている。』
20:30 それゆえ、イスラエルの家に言え。『【神】である主はこう言われる。あなたがたは父たちの生き方をまねて自分自身を汚し、彼らの忌まわしいものを慕って姦淫を犯そうとするのか。
20:31 しかも、ささげ物を供え、幼子に火の中を通らせて、今日まであらゆる偶像で身を汚してきた。イスラエルの家よ。わたしはどうして、あなたがたの求めに応じられるだろうか。わたしは生きている──【神】である主のことば──。わたしは決してあなたがたの求めに応じない。
20:32 あなたがたが、「私たちは、木や石を拝んでいる異邦の民、国々の諸族のようになろう」と言っている、その霊の思いは決して実現しない。
 2025年8月21日(木)リビングライフQT

主なる神の哀しみと怒りの言葉が、エゼキエルを通して、更に深く、民に語り掛けられるのです。
イスラエルは、あのモーセを通しての導きの下で、荒野にそびえる、シナイの山で、創造主なる神・・・イスラエルをあの地獄のような、エジプトの奴隷のような労働から、解放されたのです。そして唯一真の神=創造主なる神のみを゙礼拝 ゙する事を教え、これが人類の正しい神への回帰(立ち返り)の、始まりとされたのです。
ところが、彼等はその「掟」を賜る前に、エジプトで馴染んだ偶像(金の子牛の像)を鋳造して、その廻りで、唄い踊って堕落の只中に落ちていたのです。
多くの民がここで神の厳しい裁きを受けて、死を招きました。主なる神に背くことにより、神からの審判を受けることを経験したのです。・・・・
にも拘わらず、約束の地カナンに入り、その後再び、カナンの民(先住民)の信仰をまねて、新たな偶像礼拝に溶け込んだのです。
彼等の信仰は、
☆感覚的(感覚=神秘・不思議・驚き・感銘・・・)この様な現象・・
☆事象・・古木・・巨岩奇岩・・高い山の頂・・
☆白色化した動物(蛇・馬・牛・・・)これ等の希有な現象などを、神の使い、神の身代わり等々として崇めたり、拝んだりしたのです。
この様な偶像信仰は、洋の東西を問わず、罪(創造主なる神を排除する魂)に沈んだ人類の、現実の姿なのです。正に、日本人の魂の底流に潜む、罪の姿なのです。
これ等の現象・事象を無関心で、無視しますか❓

☆下関川棚の(樹齢千年)日本一の大楠の木
☆南米ギアナ高地にある落差1000mのエンジェルフォール・
☆日本の富士山頂の天空に届きそうな爽快な神秘性・・・
至る所に、チッポケな自分を感じる事象を観るとき、それが神でなく、神が宿るのでもなく、神聖なのでもなく、そこから創造主の偉大さと、その創造主なる神が、罪深い私(達)を愛し、私(達)へと愛の深さと、罪の赦しの道を拓いて下さったことを学び(知り)、感謝し喜ぶのです。
少し本題からずれましたが・・・・
エゼキエルを通して、イスラエルの歴史の中の一人一人に語られる哀しみと怒りの神の言葉に、深い悼みを覚えながら、我が民日本の、現実を私達も悼むのです。
今、日本を❗
            今、日本を‼️  
       我らの祈りで   
          キリストへ‼️
 エゼキエル書 20章33節~49節

20:33 わたしは生きている──【神】である主のことば──。わたしは必ず、力強い手と伸ばした腕、ほとばしる憤りをもって、あなたがたを治める。
20:34 わたしは、力強い手と伸ばした腕、ほとばしる憤りをもって、あなたがたを諸国の民の中から導き出し、その散らされている国々からあなたがたを集める。
20:35 わたしはあなたがたを国々の民の荒野に連れて行き、そこで顔と顔を合わせて、あなたがたをさばく。
20:36 わたしは、あなたがたの先祖をエジプトの地の荒野でさばいたように、あなたがたをさばく──【神】である主のことば──。
20:37 わたしはまた、あなたがたにむちの下を通らせ、あなたがたを契約のくびきの下に連れて行き、
20:38 あなたがたの中から、わたしに背く反逆者をより分ける。わたしは彼らをその寄留している地から導き出すが、彼らはイスラエルの地に入ることはできない。そのときあなたがたは、わたしが【主】であることを知る。
20:39 さあ、イスラエルの家よ、【神】である主はこう言われる。それぞれ自分の偶像のところに行って仕えるがよい。後には必ず、あなたがたはわたしに聞くようになる。あなたがたは二度と、自分たちのささげ物や偶像で、わたしの聖なる名を汚さなくなる。
20:40 わたしの聖なる山、イスラエルの高い山の上で──【神】である主のことば──そこで、この地にいるイスラエルの全家、そのすべてがわたしに仕えるからだ。そこで、わたしは彼らを喜んで受け入れ、そこで、あなたがたのすべての聖なるものとともに、あなたがたの奉納物と最上のささげ物を求める。
20:41 わたしが諸国の民の中からあなたがたを導き出し、その散らされている国々からあなたがたを集めるとき、わたしは、あなたがたを芳ばしい香りとともに喜んで受け入れる。こうしてわたしは、国々の民が見ている前で、あなたがたのうちに、わたしが聖であることを示す。
20:42 わたしが、あなたがたの父祖たちに与えると誓った地、イスラエルの地にあなたがたを導き入れるとき、あなたがたは、わたしが【主】であることを知る。
20:43 あなたがたはそこで、自分の身を汚した自分たちの生き方と、すべての行いを思い起こし、自分たちの行ったすべての悪のゆえに、自分自身を嫌うようになる。
20:44 わたしが、あなたがたの悪しき生き方や、腐敗した行いによってでなく、ただわたしの名のためにあなたがたに報いるとき、イスラエルの家よ、あなたがたはわたしが【主】であることを知る──【神】である主のことば。』」
20:45 さらに、私に次のような【主】のことばがあった。
20:46 「人の子よ。顔を右の方に向け、南に向かって語りかけ、ネゲブの野の森に向かって預言し、
20:47 ネゲブの森に言え。『【主】のことばを聞け。【神】である主はこう言われる。見よ、わたしはおまえのうちに火をつける。その火はおまえのうちの、すべての生木とすべての枯れ木を焼き尽くす。その燃える炎は消されず、南から北まで地の面すべてが焼かれる。
20:48 そのとき、すべての肉なる者は、【主】であるわたしが燃やしたのを見る。その火は消えることがない。』」
20:49 そのとき、私は叫んだ。「ああ、【神】、主よ。彼らは私について、『彼は、たとえを言っているだけではないか』と言っています。」
 2025年8月22日(金)リビングライフQT

イスラエルの民は、ダビデによる王国統一(12氏族)により、エルサレムを中心とした、ダビデ王国が確立し、アブラハムに始まった、神の選びの民としての歴史が、輝かしい頂点に向かって、快進撃し、遂にその子ソロモンによって王国繁栄の頂点に達しました。繁栄したダビデ⇒ソロモンの80年(BC1013年~BC933年)の後、後継問題から王国は分裂。エルサレムを中心とした《ユダ王国》と、サマリヤを中心とした、10氏族によるイスラエル王国の二つに分裂しました

この様な内紛と分裂国家の隙間に、先住民(カナン人)の、偶像習慣が復活し始め、内部の創造主なる神への信仰が崩れ始め、その信仰の希薄になった隙間に、古代帝国アッシリアの進出による200年に亘る、北のイスラエル王国への攻防に、預言者の警告が、語られました。遂にイスラエルは滅亡し、アツシリアに全国民捕囚として、連れ去られ、神の選びの地の北半分は、失われたのです。
この様な、経過を見てきたユダ王国は、賢明なダビデ王の直系の諸王により、また、預言者の賢明な指導と介入により、北の王朝滅亡後も約80年(ヨシヤ王の時代)の間、繁栄を保っていました。しかし、その後の23年間に5人の王が立ち、神から離れ民の偶像への傾斜を止めないばかりか、自らもエルサレムの神殿に、偶像の祭壇をもうけるような愚行に走り、遂に、アッシリヤを亡ぼして台頭した、バビロニアによって、国を崩壊させ、民の上層階級も王も祭司も預言者も、捕囚として連れ去られたのです。 
連行されたエゼキエルは、捕囚の地で、神の民への厳しいメッセージを、伝えてきました。
今日からのテキストは、最早再建がかなわないかに見える、エルサレム始め、民の再生への、主なる神の切々たる回復へのメッセージを、エゼキエル自身が胸を傷めながら民に語るのです。
しかし、このテキストの中で、
38節~あなたがたの中から、わたしに背く反逆者をより分ける。
わたしは彼らを寄留(捕囚となっているバビロン)している地から、導き出すが、彼等はイスラエルの地に入ることは出来ない。
41節~・・・・こうしてわたしは、国々の民が見ている前で、あなたがたのうちに、わたしが《聖》であることを示す。
イスラエルの歴史は全ての民(全人類)への、神御自身の真実を実証するための、選びなのです。
そして改めて、私達主の僕(キリストの弟子)として、正にイスラエルが、主なる神の証しの民として選ばれたように、全ての民(家族・友・親族・・・)への、救い主イエス様の愛の証しのために、今在ることを…
覚えて参りましょう‼️
 エゼキエル書 21章1節~17節

21:1 次のような【主】のことばが私にあった。
21:2 「人の子よ。エルサレムに顔を向け、聖所に向かって語りかけよ。イスラエルの地に向かって預言せよ。
21:3 イスラエルの地に言え。『【主】はこう言われる。今、わたしはおまえを敵とする。わたしは剣をさやから抜き、おまえのうちの、正しい者も悪い者も絶ち滅ぼす。
21:4 おまえのうちの、正しい者も悪い者も絶ち滅ぼすため、わたしの剣はさやを離れ、南から北まですべての肉なる者を敵とする。
21:5 このとき、すべての肉なる者は、【主】であるわたしが剣をさやから抜いたことを知る。剣は二度とさやに収められることはない。』
21:6 人の子よ、あなたは、うめけ。彼らが見ているところで、腰が砕けるほど激しくうめけ。
21:7 彼らがあなたに、『何のために、あなたはうめくのか』と言うなら、そのとき、あなたは言え。『この知らせのためだ。それが来ると、すべての者は心が萎え、すべての手は力無く垂れ下がり、みな意気消沈し、どの膝も震える。今、それが来る。それは実現する──【神】である主のことば。』」
21:8 次のような【主】のことばが私にあった。
21:9 「人の子よ、預言せよ。『主はこう言われる。剣、一振りの剣が研がれ、磨かれている。
21:10 虐殺のために研がれ、稲妻のようにそれは磨かれた。それとも、われわれは喜ぶべきか。すべての木を退ける、わが子の杖を。
21:11 その剣は磨かれて手に握られ、研がれ、磨かれて殺す者の手に渡される。』
21:12 人の子よ、わめけ。泣き叫べ。それがわたしの民の上に下り、イスラエルのすべての君主たちに下るからだ。彼らはわたしの民とともに剣に投げ込まれる。だから、あなたはももを打って嘆け。
21:13 試みのとき、退ける杖さえなかったら、どうなるか──【神】である主のことば。
21:14 人の子よ、あなたは預言せよ。手を打ち鳴らせ。剣を二倍、三倍にして、人を刺し殺す剣とし、彼らを貫く大いなる殺戮の剣とせよ。
21:15 それは、彼らの心が震えおののいて、つまずき倒れる者が増えるようにするためだ。わたしは彼らのすべての門に、殺戮の剣を置く。ああ、剣は稲妻のようにされ、屠るために磨かれる。
21:16 剣は顔を右に向け、左に向けて切りまくれ。おまえの顔の向くところを。
21:17 わたしもまた、手を打ち鳴らし、わたしの憤りを収める。【主】であるわたしが語るのだ。」
 2025年8月23日(土)リビングライフQT

何と恐るべき、宣言でしょう。
“聖所に向かって語り掛け”・・・“イスラエルの地に向かって預言せよ” 
主なる神が選び、聖別された・・・
“聖所に向かって・・・” “イスラエルの地に向かって・・・”
偶像への傾斜は、ソロモンの時代から始まっていました。ソロモンは、近隣・アフリカ(エジプト・ヌビア ・エチオピア・・・)から、側室を迎えたのです。ソロモンは創造主のみを礼拝しましたが、彼女達が、異教の神々を礼拝するのを妨げなかったのです。こうして、ソロモン時代から、異教の偶像が侵入し、約400年に亘り、多くの預言者(アヒヤ・シマヤ・エヒウ・ミカヤ・エリヤ・エリシャ・ヨエル・アモス・ホセア・イザヤ・オバデヤ・ナホム・エレミヤ・ゼパニヤ・ハバクク・・)
が、神からの裁きを警告し、悔い改めを迫り続けてきた400年だったのです。
民の中には正しい者、偶像礼拝を躊躇する者もあったでしょう。しかし、声を挙げることが出来ず、呑み込まれたのでしょう。
その様な中で、殉教した預言者もいました。その預言者は、
☆イザヤ   ☆エレミヤ

しかし、イスラエルの民は、エルサレムに到るまで、悔い改めは見られず、遂に裁きがエゼキエルの87年前に、北イスラエルが、アッシリアに亡ぼされたように、今、エルサレムとユダ王国が消え去ろうとしているのです。
悔い改めのない結果は、BC586年に、ネブカデネザルによって、エルサレムは焼き払われ、全土は荒廃に帰したのです。

この時代的姿は、正に、終末に直面している、現代を写しているような思いになります。
しかし、あの殉教した“イザヤ”の緊迫した慰めの言葉を思い出してください。
『わたしは、めぐみの時にあなたに答え、救いの日にあなたを助けた。』イザヤ書49章8節
使徒パウロは、この言葉を引用して更に、この様に、教会(あなた)に励ましを送ったのです。
『確かに、今は恵みの時、今は救いの日です。』コリント人への
第二の手紙6章2節
今、私達はこのテキストから、切迫した時の中で主なる神の御警告と、御子イエス・キリストの
十字架による贖い、無限の愛と救いを、新たにしっかりと魂に握りしめ、この救いの時の残されている今、家族・友の為に祈りましょう。
愛に満ちた主の元に導きましょう。
 エゼキエル書 21章18節~32節

21:18 次のような【主】のことばが私にあった。
21:19 「人の子よ。あなたは、バビロンの王の剣が来るように、二つの道を備えよ。その二つの道はともに一つの国から出るようにし、町に向かう道の始まりにそれぞれの道しるべを刻みつけよ。
21:20 剣が、アンモン人のラバ、あるいはユダ、すなわち城壁のあるエルサレムに行くように、道を備えよ。
21:21 バビロンの王は道の分かれ目、その二つの道の始まりに立って占いをする。彼は矢を振り混ぜ、テラフィムに伺いを立てて、肝を調べる。
21:22 彼の右の手に、エルサレムについての占いが現れる。それは、彼が城壁崩しを配置し、口を開いて叫び、ときの声をあげて、城壁崩しを門に向かわせ、塁を築き、包囲壁を設けるというものである。
21:23 しかしこれは、厳かな誓いをしているエルサレムの民の目には、むなしい占いと映る。だが、バビロンの王は彼らに自分たちの咎を思い起こさせることになり、こうして彼らは捕らえられる。
21:24 それゆえ、【神】である主はこう言われる。あなたがたの背きはあらわにされ、あなたがたのすべての行いに罪が現れて、あなたがたの咎がわたしに思い起こされる。あなたがた自身が思い起こされるゆえに、あなたがたは彼らの手に捕らえられるのだ。
21:25 汚れた悪者、イスラエルの君主よ。あなたの日、最後の刑罰の時が来た。
21:26 【神】である主はこう言われる。かぶり物を取り、冠を外せ。すべてがすっかり変わる。低い者を高くし、高い者を低くせよ。
21:27 荒廃だ。荒廃だ。廃墟をわたしはもたらす。これは、さばきを執行する者が来て、わたしがさばきの権威を授けるまで、起こったことのないような出来事だ。
21:28 人の子よ、あなたは預言せよ。こう言え。『【神】である主は、アンモン人と彼らのそしりについてこう言う。剣、一振りの剣が、虐殺のために抜き放たれた。絶ち滅ぼすために、稲妻のように研ぎ澄まされて。
21:29 おまえのためにむなしい幻があり、おまえのためにまやかしの占いがなされても、その剣は汚れた悪者どもの首に当てられ、彼らの日、最後の刑罰の時が来る。
21:30 剣をさやに収めよ。おまえが創造された場所、おまえの出身地で、わたしはおまえをさばく。
21:31 わたしはおまえの上にわたしの憤りを注ぎ、激しい怒りの火を吹きつけ、滅ぼすことにたけた残忍な者たちの手に、おまえを渡す。
21:32 おまえは火の薪となり、おまえの血はその国の中で流され、おまえはもう思い出されることはない。【主】であるわたしが語ったからだ。』」
 2025年8月24日(日)リビングライフQT

ここ数日のテキストは、否、エゼキエルが、神に呼び出されて、主なる神のみ思いを、民に、殊に、未だエルサレムに、その国(ユダ王国)に残り偽預言者達からの「エルサルムは、この約束の地(ユダ王国)は、失われることはない❗」と言う偽りの言葉を真に受けて、その様に信じて、時が来るなら、一斉に立ち上がって、バビロン軍に、反撃衝突、機を狙っていた民(偽りの希望に飲み込まれていた)に、夢も希望も打ち砕く、残酷なメッセ~ジを語るエゼキエルは、何と、過酷な使命に遣わされた、神の器なんでしょう。

この様な、目を覆うような宣告も又、『福音‼️』なのです、何故なら、神の真実だからです。
“神は愛なり‼️”で育てられた私達クリスチャンの意識からすると、何と主なる神は、酷い・・・と、思わず顔を背けたくなる、現実も否めないでしょう。
しかし、その感情は、罪に染まった人間の中に、未だ残っているこびり付いた滓(カス) ⇒罪の性質の残滓(ザンシ)なのです。
幾度か宣べてきました神の御思いは、人の忍耐や、赦し、・・と言う(概念)を遙かに超えた、想像もつかない、時・待つ・・・を、積み重ねられたのです。40年の荒野の旅を愛と赦しで導かれた神は、更に、ソロモンから400年の歳月を、民の罪と反逆、遣わされた神の人(預言者達)を迫害し、退けてきたイスラエルの民の悔い改めを、待ち続けてこられたのです。
25節~あなたの日、最後の刑罰の時が来た。
27節~荒廃だ。荒廃だ。廃墟をわたしはもたらす。
29節~・・・むなしい幻があり、・・・まやかしの占いがなされても・・・最後の刑罰の時が来る。
30節~剣をさやに収めよ。お前が創造された場所、お前の出身地で、わたしはおまえをさばく。
        ・・・・・・・・・・・・
正に神からの最後通告です。主なる神のお心は、どんなに悲痛な御思いだったことでしょう。
この部分だけを見ると、情け容赦ない、神の厳しさを見る思いです。
この後、正にイスラエルの歴史上最も過酷な、バビロンによる徹底した・壊滅的滅亡が、待っているのです。正に歴史が閉じるような・・・
しかし・・・・
主なる神の歴史は・・
☆ペルシャのキュロス王によりユダヤ人解放令
☆ユダヤ人の帰還
☆エルサレムの再建
☆イエス・キリストの御降誕
☆十字架と復活・・・・へ
と、進むのです。
この様な歴史を通して、私達は、エゼキエルの厳しいメッセージの中に
神の無限の愛を、改めて深く思うのです。
 エゼキエル書 22章1節~16節

22:1 次のような【主】のことばが私にあった。
22:2 「人の子よ、あなたはさばくのか。この流血の都をさばくのか。それなら、この都にその忌み嫌うべきわざを残らず告げ知らせて、
22:3 このように言え。『【神】である主はこう言われる。自らのただ中で血を流して自分の刑罰の時を招き、自らのために偶像を造って自分を汚す都よ。
22:4 おまえは自分が流した血で咎を負う者となり、自分が造った偶像で身を汚し、自分の日を近づかせ、自分の年を来させた。だから、わたしはおまえを国々のそしりの的とし、すべての国の笑いぐさとする。
22:5 おまえの近くにいる者も遠くにいる者も、名を汚されて大いに混乱したおまえをあざ笑う。
22:6 見よ。イスラエルの君主たちは、おまえの中でそれぞれ力をふるい、人の血を流している。
22:7 おまえの中で父や母は軽んじられ、おまえのただ中で寄留者は抑圧され、おまえの中にいるみなしごややもめは虐げられている。
22:8 おまえはわたしの聖なるものを蔑み、わたしの安息日を汚した。
22:9 おまえの中には、血を流そうと他人を中傷する者がいて、ある者は丘の上で食事をし、おまえのただ中で淫らなことをした。
22:10 おまえの中では父の裸があらわにされ、おまえの中では月のさわりのある女が犯された。
22:11 ある者は隣人の妻と忌み嫌うべきことをし、またある者は淫らなことをして嫁を汚し、ある者はおまえの中で、自分の父の娘である自分の姉妹を辱めた。
22:12 おまえの中では、血を流すために賄賂が使われ、おまえは利息と高利を取り、隣人を抑圧して利得を貪った。おまえはわたしを忘れた──【神】である主のことば。
22:13 見よ。おまえが得た不正な利得と、おまえの中で流された血のために、わたしは手を打ち鳴らす。
22:14 わたしがおまえをさばく日に、おまえの心は耐えられるだろうか。おまえの手は強くあり得るだろうか。【主】であるわたしが語り、事を行う。
22:15 わたしはおまえを諸国の間に散らし、国々に追い散らし、おまえの汚れをすっかり取り除く。
22:16 国々の民が見ている前で、おまえはおまえ自身によって汚される。そのときおまえは、わたしが【主】であることを知る。』」
 2025年8月25日(月)リビングライフQT

          神の裁き

義なる神が、イスラエルを裁かれるとき、民は、どうして、選ばれた私達が裁かれるのか。私達は神の愛と赦しと、慈しみに守られてこそ、選ばれた民ではないのか???
何故《私達が裁かれなければならないのか》
完全なはき違えですね
義なる神は、彼等に厳しくその罪を明らかにする
✴人の血を流している。
✴父母を軽んじている
✴人を差別している
✴社会的に立場(孤児・やもめ・・)の弱い者が虐げられている。
✴他人を中傷する
✴淫らな行為をして、人の尊厳を貶(オトシ)めている。
✴賄賂・高利貸し・隣人への抑圧・隣人・友の血を流してきた。
☆最後に・・・『お前はわたしを忘れた』
主なる神の裁きは、彼等が選ばれて、平和に過ごした《カナンの地》から追放されて、諸国の間に散らされる。そこで彼等は、同じ憂き目に会わされ、打ちのめされて、彼等の歴史の歩みが、どれほど罪に満ちていたかを思い知り、預言者の口を持って語られた、義なる神《わたし》が、主であることを知る。・・・・と。
『主が、まことの《神》であることを知る。』この意味は、完全な裁き主・・・悔い改めの他に道のない、ただ一つの道に導かれる御方だ‼️と言う意味です。
『わたしが、
主であることを知る。』
と言う、主の御言葉は、繰り返えされて来ましたが、この御言葉は、あなたにとって、どの様な意味を持って迫ってきましたか。
黙想してみましょう。

明日(26日)のテキスト
エゼキエル書
           22章17節~31節 
 エゼキエル書 22章17節~31節

22:17 次のような【主】のことばが私にあった。
22:18 「人の子よ、イスラエルの家はわたしにとって金かすとなった。彼らはみな、炉の中の青銅、すず、鉄、鉛であり、銀の金かすとなった。」
22:19 それゆえ、【神】である主はこう言われる。「あなたがたはみな金かすとなったから、今、わたしはあなたがたをエルサレムの中に集める。
22:20 銀、青銅、鉄、鉛、すずが炉の中に集められるのは、火を吹きつけて溶かすためだ。そのように、わたしは怒りと憤りをもってあなたがたを集め、そこに入れて溶かす。
22:21 わたしがあなたがたを集め、あなたがたに向かって激しい怒りの火を吹きつけると、あなたがたは町の中で溶ける。
22:22 銀が炉の中で溶かされるように、あなたがたも町の中で溶かされる。このとき、あなたがたは、【主】であるわたしがあなたがたの上に憤りを注いだことを知る。」
22:23 次のような【主】のことばが私にあった。
22:24 「人の子よ、この都に言え。『おまえは憤りの日にきよめられず、雨も降らない地である。
22:25 そのただ中には預言者たちの陰謀がある。彼らは、獲物をかみ裂きながら吼えたける雄獅子のように人々を食らい、富と宝を奪い取り、その町にやもめの数を増やした。
22:26 その祭司たちはわたしのおしえを冒?し、わたしの聖なるものを冒し、聖なるものと俗なるものとを分けず、汚れたものと、きよいものとの違いを教えなかった。また、彼らはわたしの安息日をないがしろにした。こうして、わたしは彼らの間で汚されている。
22:27 その町の高官たちは、獲物をかみ裂く狼のようだ。人々の血を流し、たましいを滅ぼして、自分の利得を貪っている。
22:28 その町の預言者たちはむなしい幻を見、まやかしの占いをして、漆喰で上塗りをし、【主】が語っていないのに「【神】である主はこう言われる」と言っている。
22:29 民衆も虐げを行い、物をかすめ、窮する人や貧しい人を苦しめ、寄留者を不法に虐げた。
22:30 この地を滅ぼすことがないように、わたしは、この地のために、わたしの前で石垣を築き、破れ口に立つ者を彼らの間に探し求めたが、見つからなかった。
22:31 それで、わたしは彼らの上に激しい憤りを注ぎ、激しい怒りの火で彼らを滅ぼし尽くし、彼らの頭上に彼らの生き方を返した──【神】である主のことば。』」
 2025年8月26日(火)リビングライフQT

何と言う錆び付いた、イスラエルとなったことでしょう。

ふと、 今の時代の教会、
牧師達、わたし自身を、今一度チェックする必要が・・・・
主の前に自らを置く、時々刻々を、積み重ね、今の時代(終末)の証し人として歩まねばならないことを、新たに魂に命じました。
主よ、あなたこそ救い‼️ハレルヤ‼️

改めて今朝のテキスト本文から黙想致しましょう。
主なる神は、気付かずに流されて来た、民の歴史を、赤裸々にその罪を具体的に示して、御自身の怒りの根源を示されたのです。
民はこれによって、自らの犯してきた罪の現実を白日の下に曝すように知るのです。
何故彼らは、ここに至るまで、この姿に気付かなかったのでしょう❓
その理由は、26節の言葉に明らかにされています。⇒聖書本文を読み直してみましょう。
驚くべき殊に
民の指導者、高官達、更に、聖職者と目されていた祭司達が、神の教え(掟)を歪(再解釈)め、世俗化は加速し、妥協が妥協を生み、遂には、『安息日』を、ないがしろにするように成っていたのです。
最早、イスラエルの民と、創造主《イスラエルを選ばれた神》との関係は、崩れ去っていたのです。聖さを失い、魂の伴わない、形式的な礼拝に終始していたのです。

終末の時代に立つ、私達の教会(信仰)は、どうでしょう。実は同じ危機に直面しているのです。
福音派の教会の信仰を堅持している・・・と、公言しながら、世界を混乱に陥れている指導者もいます。主なる神への、真実な信仰が、終末的混乱と間違った理解(信仰)に陥っている事に、今こそ気づかなければならないのです。
主よ、今の時代を目覚めさせてください‼️
 エゼキエル書 23章1節~21節

23:1 次のような【主】のことばが私にあった。
23:2 「人の子よ、かつて二人の女がいた。同じ母の娘であった。
23:3 彼女たちはエジプトで淫行をした。若いときに淫行をした。その地で彼女たちの胸は抱きしめられ、その処女の乳房はもてあそばれた。
23:4 その名は、姉はオホラ、妹はオホリバ。二人はわたしのものとなり、息子や娘たちを産んだ。彼女たちの名のオホラはサマリアのこと、オホリバはエルサレムのことである。
23:5 オホラは、わたしのものであったのに、姦通し、その愛人アッシリアに、青い衣を着た軍人たちに欲情を抱いた。
23:6 彼らは総督や長官で、すべて若く魅惑的な男たちであり、馬に乗る騎兵であった。
23:7 オホラは彼らと姦通した。彼らはみなアッシリアの選り抜きの者であった。彼女は、自分が欲情を抱いた者たちのすべての偶像で身を汚した。
23:8 彼女はエジプト以来の淫行をやめようとしなかった。それは、彼女が若いとき、エジプト人が彼女と寝て、その処女の乳房をもてあそび、彼女に情欲を注いだからである。
23:9 それでわたしは、彼女が欲情を抱く愛人たちの手、アッシリア人の手に彼女を渡した。
23:10 彼らはオホラの裸をさらけ出し、その息子や娘たちを奪い取り、彼女を剣で殺してしまった。こうして彼女にさばきが下され、彼女は女たちの語りぐさとなった。
23:11 妹のオホリバはこれを見たが、姉よりいっそう恋情を募らせ、その淫行は姉の淫行よりひどかった。
23:12 彼女は隣のアッシリア人の総督や長官に欲情を抱いた。彼らはみな完全に武装した、馬に乗る騎兵であり、若く魅惑的な男たちであった。
23:13 わたしは彼女が身を汚すのを見たが、二人とも同じやり方であった。
23:14 オホリバは淫行を増し加え、壁に彫られた人々に目を留めた。すなわち、朱で描かれているカルデア人の肖像で、
23:15 腰に帯を締め、頭には垂れるほどのターバンを着け、みな士官のように見えた。彼らは、出生地をカルデアとするバビロン人の姿をしていた。
23:16 彼女は一目見て、彼らに欲情を抱き、使者たちをカルデアの彼らのもとに遣わした。
23:17 バビロン人は、彼女のもとに来て愛の床につき、彼女を情欲で汚した。彼女が彼らによって汚れるに及んで、彼女の心は彼らから離れ去った。
23:18 彼女は自分の淫行をさらけ出し、自分の裸をあらわにした。そのためわたしの心は、かつて彼女の姉から離れ去ったように、彼女からも離れ去った。
23:19 しかし彼女は、かつてエジプトの地で淫行をした、あの若かった日々を思い出して、淫行を重ねた。
23:20 彼女は、ろばのようなからだを持ち、馬のような精力を持つ彼らの側女になりたいと憧れた。
23:21 このように、エジプト人があなたの若い乳房をもてあそび、あなたの胸を抱きしめたあの若いときの淫らな行いを、あなたはしきりに望んだのだ。」
 2025年8月27日(水)リビングライフQT

目を覆うばかりの、エゼキエルを通して語られた、主なる神の言葉は、何と言う恥辱に満ちた、イスラエルとユダの反逆の歴史なのでしょう。

何故主なる神は、イスラエルの民の反逆にたいして、この様な、恥辱に満ちた、聴く人、読む人が、目を背けるような、姦淫という行為の描写で、顕されるのでしょう。
それは、人間の交わりで、最も密で、濃く、信頼の最も強い(不可分離)の関係を、主なる神は、御自身と創造された[人]との、最高の関係(繋がり)の、象徴として、思われて居るのです。
それなのに、(人)は、神御自身が人[あなた]を、御自身の存在の一部として、《命の息を吹き入れ》て、愛してくださったのです。所が、人は主なる神の元を離れ、神の神聖ないのちを、他の神々へと捧げて、神との一体を捨て去り、偶像に走った(神の愛の御計画と歴史を退けた)のですから・・・・・
今日のテキストの主の御言葉が、どんなに悲しみと憂いに満ちたものか・・・が、伝わってきます。神の悲しみ
これ程大きな罪があるでしょうか。
単に、道を逸れた、神の声(言葉)に耳を傾けなかった、信頼しなかった・・・・と言う、一時的、衝動的、無知な行為ではないのです。これ等の姿は全て、反逆・謀反(ムホン)なのです。
✴《罪とは》神を神として、私達の存在の只中に、崇め・信頼し・従う・・・と言う関係から逸れること、無視すること、忘却すること・・・それが罪なのです。
✴私には私の生活がある。
✴信仰・信仰・・・ばかりでなく、日常がある。
つい、その様な反論が心の中に渦巻く(?)
信仰生活は、日常であり、日常の瞬時瞬時に、主なる神のいのちの流れが、注がれて居ることを見落としてはいけないのです。
人間の尊厳は、この一瞬一瞬に注がれている、神のいのち(永遠)に信頼し意識しながら、感謝して、日常の全てに取り組み考え、行動することが、信仰生活、即ち日常なのです。
イスラエルはこれを見失ったのです。
導き出された創造主なる神にではなく。定着した、カナンの地の神々とその風習に、馴染み傾斜したのです。その方が、遙かに、地域に馴染み、自然に流れる、安易さが彼等を誘惑したのです。
本来は、イスラエルは、カナンの地の汚れた世界観を排除して、新しい神の国の秩序を、建て挙げ、世界の人々に、その輝きを証しする民として、導かれたのです。
今私達こそ、その新しい民なのです。
十字架の主を見上げつつ、今日という新しい道に、進みましょう。
    ハレルヤ‼️ 
 エゼキエル書 23章22節~35節
23:22 それゆえ、オホリバよ、【神】である主はこう言われる。「見よ。わたしは、あなたの心がすでに離れ去ったあなたの愛人たちを、あなたに対して駆り立てて、周りからあなたを攻めに来るようにする。
23:23 彼らはバビロン人、すべてのカルデア人、ペコデやショアやコアの人々、それに加えてアッシリアのすべての人々である。すべての若く魅惑的な男たち、総督、長官、士官、名士たち、馬に乗る者たちである。
23:24 彼らは、軍馬、戦車、車をもって、また民の大集団を率いてあなたに立ち向かい、大盾、盾、かぶとを着けて周りからあなたを攻める。わたしが彼らにさばきを委ねるので、彼らは自分たちのさばきにしたがって、あなたをさばく。
23:25 わたしがあなたに、わたしのねたみを向けるので、彼らは激しい憤りをもって、あなたに事を行う。彼らはあなたの鼻と耳を切り取り、残りの者は剣に倒れる。彼らはあなたの息子や娘たちを連れ去り、残りの者は火で焼き尽くされる。
23:26 彼らはあなたの着ている物をはぎ取り、あなたの美しい品々を奪い取る。
23:27 わたしはあなたの淫らな行いと、エジプトの地以来の淫行をやめさせ、あなたが彼らを仰ぎ見ず、もうエジプトを思い出さないようにする。」
23:28 【神】である主はこう言われる。「見よ。わたしは、あなたが憎む者の手、あなたの心が離れ去った者の手にあなたを渡す。
23:29 彼らは憎しみをもってあなたを取り扱う。すなわち、あなたの労苦の実をことごとく奪い取り、あなたを丸裸のまま捨て去る。こうして、あなたの淫行と淫乱と姦淫の恥は暴かれる。
23:30 これらのことがなされるのは、あなたが異邦の民を慕って姦淫をし、彼らの偶像であなたの身を汚したからである。
23:31 あなたが姉の道を歩んだので、わたしは彼女の杯をあなたの手に渡す。」
23:32 【神】である主はこう言われる。あなたは姉の杯、深くて大きい杯を飲む。物笑いと嘲りがたっぷり入った杯を。
23:33 あなたは酔いと悲しみに満たされる。恐怖と荒廃の杯、これがあなたの姉サマリアの杯。
23:34 あなたはこれを飲み、飲み干して、杯のかけらまでかみ、自分の乳房をかき裂く。わたしがこれを語ったからだ。──【神】である主のことば。
23:35 それゆえ、【神】である主はこう言われる。「あなたはわたしを忘れ、わたしをあなたのうしろに投げやったから、あなたも自分の淫らな行いと、淫行の責めを負え。」
 2025年8月28日(木)リビングライフQT

遡ること、130年程前に、北王朝(イスラエル王国)は、神への傲慢と、偶像への徹底した傾斜により、神の怒りに触れ、壊滅の憂き目に遭いました。その時のユダ王国(南)は、ヒゼキヤと言う、神に忠実な王で、奇跡的な神の御手によって、圧倒的大軍に包囲されながら、助けられました。

      《第二列王記14》
しかし、あれから100年以上の歴史経過の中で、マナセ・アモンと言う悪に加担した王により、ユダも又崩壊の危機に立つのです。その様な中から、神に立ち返る強力な宗教改革を成した、《ヨシヤ王》により、再び神に立ち返るのですが、彼がある時、エジプトの大軍が、アフリカ(エジプト)とメソポタミヤ(アッシリヤ)との通商回廊と成っている、カナンの地を通過して、アツシリヤに牽制を掛けるために北上してきたエジプト軍を迎え撃ち、自ら戦死して、彼の改革路線は、崩壊したのです。
☆戦いに出る時に神に問う(祈る)事をせずに、神に忠実だ❗との自負から、勇み足をした結果でした。
彼の死後、再び立てられた王は、何れも短命で、遂に、アツシリヤに継ぐ大国、バビロンに呑み込まれたのです。
バビロンによる攻撃は、未だ経験したことない激しく徹底した殲滅戦で、エルサレムは血の川が流れた・・・と、言われたほどでした。
主なる神は、エゼキエルによって、今日のテキストの全文に亘って、予め、語られたのです。
ヒゼキヤ・・・ヨシヤ・・と、神に立てられた王とその神殿に仕える祭司達の、神への礼拝と指導は、ヨシヤ王の死後[掟]に逆らう王たちの、身勝手な世俗の力量(罪と欲)によって、国を亡ぼしたのです。
この歴史は、個人の人生の霊の闘いにおいても、厳しい警告として、心に刻まなければ成りません。
今の私達には、預言者はいませんが、聖書が語り掛けています。
神の言葉として、聖書を真実を持って読み、学びましょう。
御言葉の示す道を踏み外さないように、歩み続けましょう。
 エゼキエル書23 章36節~49節

23:36 【主】は私に言われた。「人の子よ、あなたはオホラとオホリバをさばくのか。それなら彼女たちに、その忌み嫌うべきわざを告げ知らせよ。
23:37 彼女たちは姦通し、その手は血に染まっている。彼女たちは自分たちの偶像と姦通し、わたしのために産んだ子どもさえも火の中を通らせ、食物として偶像に引き渡した。
23:38 しかも、彼女たちはわたしに対して、こんなことまでした。同じ日にわたしの聖所を汚し、わたしの安息日を汚したのだ。
23:39 彼女たちは、自分たちの偶像のために自分の子どもを殺し、その同じ日にわたしの聖所に来て、これを冒した。なんと、このようなことをわたしの家の中で行ったのだ。
23:40 さらに、あなたがたは人を送って、遠くから来る人々を招いた。使者が送られて彼らが来ると、あなたは彼らのために身を洗い、目の縁を塗り、飾り物で身を飾り、
23:41 豪奢な寝台に横たわり、その前に食卓を整えて、その上にわたしの香と油を置いた。
23:42 そこでは、安逸を貪る群衆の騒ぎがあった。大勢の男たちのところに、荒野から大酒飲みが連れ込まれ、彼らは、彼女たちの腕に腕輪をはめ、頭に輝かしい冠をかぶらせた。
23:43 わたしは、姦通で疲れきった彼女について考えた。彼らは今、その女と姦淫をしている。
23:44 彼らは遊女のもとに行くように、彼女のもとに行った。彼らは、淫らな女たち、オホラとオホリバのもとに行ったのだ、と。
23:45 しかし、正しい人たちは、姦通した女に下す罰と殺人を犯した女に下す罰で彼女たちをさばく。彼女たちが姦通の者であり、その手が血に染まっているからだ。」
23:46 まことに、【神】である主はこう言われる。「一つの集団を彼らに向けて攻め上らせ、彼女たちを人々にとって、おののきのもと、また餌食とせよ。
23:47 集団は彼女たちを石で打ち殺し、剣で切り倒し、その息子や娘たちを殺し、その家々を火で焼き払う。
23:48 わたしはこの地から淫らな行いを取り除く。すべての女たちは自分自身を戒め、あなたがたがしたような淫らな行いをしなくなる。
23:49 あなたがたの淫らな行いの報いはあなたがたの上に下り、あなたがたは自分たちの偶像に対する罪責を負わなければならない。このとき、あなたがたは、わたしが【神】、主であることを知る。」
 2025年8月29日(金)リビングライフQT

イスラエル・ユダの歴史の末路です。

主なる神にとってイスラエル・ユダは、どんなに愛おしく、慰めに満ちた民だったことでしょう。いや、それ以上に、世界の全ての国々、民への、模範としての宝だったのですから、イスラエル・ユダの反逆は、世界の民に示す、神の権威と、愛の御計画とを、踏みにじったことになるのです。
私達の罪が同じように、神の御計画を妨げるものとなることを知ったら、如何でしょう。
今日のテキストでは、イスラエルの民が、神に礼拝を捧げる儀式に参加しながら、一方で、遠方からの来客(異邦人)に対する接待に、異邦の風習に従って遇している。しかも、接待に使う道具は、神の宮で用いた、聖なる器なのだ
ここに記された言葉に愕然とする。
しかし、これ等の愚行は、目覚めさせられるときが来る。
46節~47節は、バビロンが攻めてきて、情け容赦なく、その罪に対する徹底した、裁きを下す
繰り返し、『このとき、あなたがたは、わたしが神、主であることを知る。』
この締めくくりの言葉は、断罪・宣告の言葉ではありますが、同時に、赦し・回復・立ち直りへの導きの、言葉なのです。
この言葉の前に、私はつくづく、今ある神の憐れみと赦しと慈しみとを、深く実感するのです。
    ア~メン‼️
 エゼキエル書24 章1節~14節

24:1 第九年の第十の月の十日、私に次のような【主】のことばがあった。
24:2 「人の子よ。この日、ちょうどこの日の日付を書き記せ。ちょうどこの日に、バビロンの王がエルサレムに攻め寄せたからだ。
24:3 あなたは、反逆の家に一つのたとえを語って言え。『【神】である主はこう言われる。鍋を火にかけよ。これを据え、水をこれに注ぎ入れよ。
24:4 これに肉片、ももと肩の良い肉片をみな一緒に入れ、選り抜きの骨でこれを満たせ。
24:5 選り抜きの羊を取れ。鍋の下には薪を積み、よく沸騰させて、その中の骨も煮よ。
24:6 それゆえ、【神】である主はこう言う。ああ、流血の都、さびついている鍋。そのさびは落とせない。一切れずつそれを取り出せ。くじで決めてはならない。
24:7 彼女の血は、まだそこにある。彼女はそれを裸岩の上に流し、地面に流して、土をかぶせようとはしなかった。
24:8 わたしが、憤りを募らせ、復讐するために、その血を裸岩の上に流して、おおわれないようにしたのだ。
24:9 それゆえ、【神】である主はこう言う。ああ、流血の都。わたしもこれに薪を積み上げよう。
24:10 薪を増やし、火を燃え立たせ、肉をよく煮、香料を混ぜ、骨を焦がせ。
24:11 鍋を空にして炭火にかけ、その銅を熱くして、その中の汚れを溶かし、さびがなくなるようにせよ。
24:12 しかし、 その骨折りは無駄であった。そのひどいさびはそれから落ちず、そのさびは、なお火の中にあった。
24:13 あなたの汚れは淫らな行いだ。それでわたしはあなたをきよめようとしたが、あなたはきよくなろうともしなかった。あなたは、わたしがあなたに対する憤りを収めるまで、自分の汚れから決してきよくならない。
24:14 【主】であるわたしは言った。それは必ず起こる。わたしはそれを行ってなおざりにせず、惜しまず、思い直しもしない。あなたの生き方と行いにしたがって、あなたはさばかれる──【神】である主のことば。』」
 2025年8月30日(土)リビングライフQT

象徴的事物・

☆鍋~
 【エルサレム】
☆錆びつき~
 【迫害の犠牲者の血】
☆肉・骨・羊~
 【宥めの供え物】
☆更に火勢を強める・・・
どうして、この様な象徴的犠牲の行為をしたからといって、彼等(イスラエル)の罪が消えるのでしょうか…?
愚かなことです。
最早、この様な行為自体、主なる神を欺くものでしかない
神の定めは最早、弓の弦を放れた《矢》の様に、彼等の胸を突き刺すでしょう。
14節~・・・あなたはさばかれる・・・
主なる神が求められるのは《悔い改め⇒主なる神の前に悔い改めて平伏す‼️》只其れのみです。
儀式や言葉や捧げ物ではないのです。あなたの魂が、注ぎ出されることなのです。・・・が、彼等(エルサレム=イスラエル)は悟らない。
これ等の姿は、今の時代(超高度化した文明と、人の英知の頂点に達して傲慢にも、満足し、誇っている現代の人類-私達-)を、映してはいないだろうか。
人の英知に勝る者が他にあるのか・・・?
あぁ恐るべしや、
超近代のエルサレムよ
しかし、他人事ではないのです。
《罪》とは、正にこの姿なのです。
 エゼキエル書 24章15節~27節

24:15 次のような【主】のことばが私にあった。
24:16 「人の子よ、見よ、わたしは一打ちで、あなたの目の喜びを取り去る。嘆くな。泣くな。涙を流すな。
24:17 死者のためにうめけ。しかし、喪に服してはならない。頭にターバンを巻き付け、足に履き物をはけ。口ひげをおおってはならない。人々からのパンを食べてはならない。」
24:18 その朝、私は民に語ったが、夕方、私の妻が死んだ。翌朝、私は命じられたとおりにした。
24:19 すると、民は私に尋ねた。「あなたがしているこれらのことは、私たちにとって何を意味するのか、説明してくれませんか。」
24:20 そこで私は彼らに答えた。次のような【主】のことばが私にあった、と。
24:21 「イスラエルの家に言え。『【神】である主はこう言われる。見よ。あなたがたの力の誇りであり、あなたがたの目が喜び、あなたがたの心が大切にするわたしの聖所を、わたしは汚す。あなたがたが見捨てた息子や娘たちは、剣で倒れる。
24:22 あなたがたは、わたしがするとおりにすることになる。あなたがたは自分の口ひげをおおわず、人々からのパンを食べなくなる。
24:23 頭にターバンを巻き、足に履き物をはき、嘆かず泣かない。ただ、自分たちの咎のゆえに朽ち果て、互いに嘆き合うようになる。
24:24 エゼキエルはあなたがたのためのしるしとなり、彼がしたとおりを、あなたがたもするようになる。このことが起こるとき、あなたがたは、わたしが【神】、主であることを知る。』
24:25 人の子よ。彼らが力とするもの、栄えに満ちた喜び、目の喜ぶもの、心に慕うもの、彼らの息子や娘たちを、わたしが取り去る日、
24:26 その日、逃れた者が、この知らせを告げにあなたのもとにやって来る。
24:27 その日、あなたの口は逃れて来た者に開かれ、あなたは語る。もう黙っていてはならない。こうして、あなたが彼らのしるしとなるとき、彼らは、わたしが【主】であることを知る。」
 2025年8月31日(日)リビングライフQT

神の言葉を民に告げる使命に召された、預言者エゼキエル。

主なる神は、彼の最愛の妻を、一瞬で取り去られたのです。その時、喪に服したり泣き悲しんだり人からの哀悼の言葉も受けてはならない・・・と
何と言う辛い命令でしょう。
   何故???・・・・
今や、エルサレム(イスラエルの民が最後の望みの綱と慕う、希望の星の都)が、完全に崩壊する。それは、イスラエルの民の、全ての希望が詰まった最後の砦なのです。其れが消え去るのは、神の厳然たる裁きなのです
この裁きは、エルサレムに対するものではなく、エルサレム(神の臨在の都)を、偶像の座とした、民への裁きなのです。罪に対して、憐れみや、哀悼の思いや、悲しみの涙を顕してはならない。
民の一人一人が審判を受けたのだ・・・と、
悟らねばならないと
言うのです。
昨今の、世界の動向、次々と起こる、残虐な犯罪の数々、昭和の時代を含めてそれ以前は、身内内での殺人は希有で、有っては成らないものとの概念から、『尊属殺人』と言う、刑法の規定が有り、極刑が科せられました。だが今は、その特定がなくなり、一般的殺人罪に含まれてしまいました。あらゆる点で、 人の営みが混濁し、倫理も道徳も、動物にも劣る愚行が、目を覆うばかりに、拡がっています。戦争の実態もしかり、組織内での人間関係も・・・人間社会にしか視られない《ハラスメント》動物たちが物を言ったら、何と言うだろう・・・
神に創られた人類(私達)が、正に゙エルサレム゙にも似た、姿に汚れてしまっている。
私達教会・クリスチャンとして、何が出来るのか??
エゼキエルにも似た想いで、今しばし終末の猶予のある時代の中で、涙と祈りと、愛に包まれて、主なる神の愛の福音を、語り続けたいですね。
キリスト教を拡めるのではなく、神の愛と永遠のいのちとを、共に慕うものとなることを祈り願い、家族に、友に、周りの方々に、世界に、届ける預言者として、主に仕えて参りましょう。