| ローマ人への手紙 12章1〜8節 12:1 ですから、兄弟たち、私は神のあわれみによって、あなたがたに勧めます。あなたがたのからだを、神に喜ばれる、聖なる生きたささげ物として献げなさい。それこそ、あなたがたにふさわしい礼拝です。 12:2 この世と調子を合わせてはいけません。むしろ、心を新たにすることで、自分を変えていただきなさい。そうすれば、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に喜ばれ、完全であるのかを見分けるようになります。 12:3 私は、自分に与えられた恵みによって、あなたがた一人ひとりに言います。思うべき限度を超えて思い上がってはいけません。むしろ、神が各自に分け与えてくださった信仰の量りに応じて、慎み深く考えなさい。 12:4 一つのからだには多くの器官があり、しかも、すべての器官が同じ働きをしてはいないように、 12:5 大勢いる私たちも、キリストにあって一つのからだであり、一人ひとりは互いに器官なのです。 12:6 私たちは、与えられた恵みにしたがって、異なる賜物を持っているので、それが預言であれば、その信仰に応じて預言し、 12:7 奉仕であれば奉仕し、教える人であれば教え、 12:8 勧めをする人であれば勧め、分け与える人は惜しまずに分け与え、指導する人は熱心に指導し、慈善を行う人は喜んでそれを行いなさい。 |
2025年10月1日(水)リビングライフQT 今日のテキストは、私が学生の時から、最も大切にしてきた、御言葉です。迷ったとき、心乱される時、祈りの座に着くとき、礼拝の場に集ったとき・・・・ 12章1節と2節は、私の信仰生活のモットーとして、常に前に置いた聖句なのです。 そして、この聖句を暗誦するとき、思い巡らすのは、旧約聖書の創世記22章1節~14節・・・の、アブラハムが、晩年に与えられた、たった一人の子(イサク)を、モリヤ(現在のエルサレム)の山で燔祭として捧げるように・・・と、命じられるままに、黙々と、神への従順として、祭壇に捧げる物語・・・なのです。 是非ご一読ください。 これが本当の《礼拝》の、姿‼️だと、魂を回帰させては、新たな献身を捧げるのです。 ☆神に生きた供え物として自らを献げる時、その人を神が、変えてくださるのです。(主なる神が用いやすい器として)あなたを、私を変えてくださるのです。(2節) 間違ってはいけません。変えられると言うことは、優れた人(うつわ)となるのではないのです。 神が各自に与えてくださっためぐみによって、その信仰のはかりに従って、整えてくださるのです。(3節) ✴神が各自に分け与えてくださった信仰のはかりに従って・・・(3節) ✴与えられた恵にしたがって・・・(6節) ✴その信仰に応じて(6節) ・・・・みんな違って、みんないい‼️・・・・ これが神の国の平等なのです。何故なら、神の愛と赦しと救いと完成は、すべての一人一人に完璧だからです。 そして、それが神の愛なのです。 この心で許し合い愛し合い、仕え合うキリストの教会を、世に証しして参りましょう。 ハレルヤ‼️ |
| ローマ人への手紙 12章9〜14節 12:9 愛には偽りがあってはなりません。悪を憎み、善から離れないようにしなさい。 12:10 兄弟愛をもって互いに愛し合い、互いに相手をすぐれた者として尊敬し合いなさい。 12:11 勤勉で怠らず、霊に燃え、主に仕えなさい。 12:12 望みを抱いて喜び、苦難に耐え、ひたすら祈りなさい。 12:13 聖徒たちの必要をともに満たし、努めて人をもてなしなさい。 12:14 あなたがたを迫害する者たちを祝福しなさい。祝福すべきであって、呪ってはいけません。 12:15 喜んでいる者たちとともに喜び、泣いている者たちとともに泣きなさい。 |
2025年10月2日(木)リビングライフQT 『愛には偽りがあってはなりません。』 実に、重い宣言ですね。とは言え、《愛》とは、偽りなど入る余地のない世界(❓)なのです。何故なら・・・・・《愛》それは《神》御自身の御存在そのものなのですから。 そうした根源的意味からしても、この最初の書き出しの言葉はとても大切です。人の日常的営みの中・・救い主なる神・愛の源なる御方から与えられる、恵と喜びをもって、愛の心を注ぎ出して参りましょう。 その様な魂の清さから溢れる《愛》は、神の臨在を示す(証しす)、命の輝きです。 《善》とは、愛から溢れ出た(行為)なのですから、この(行為➡心の思いが表されたもの)を、忘れず、泉の様に止めないようにしましょう。 10節~互いに愛し合い・・・愛は、互いを融和して、一つに結ぶ恵です。 その秘訣は・・・互いに相手を優れた者として、尊敬し合いなさい。 形や言葉による謙遜ではなく、自らを仕える者(下手に置く・・・)とするのです。私達の、肉なる思い(感情=気持)は、少しでも上にと・・・ 病気の経験・失敗すらも自慢話に・・・etc. ☆勤勉➡教育的学びではなく、 ✴知ろうとする知的欲求(それは仕える人生に資するための道) ✴より謙虚になるための心の磨きのため。 ☆怠らず➡常に自らの心に、励ましを与える。(心を熱くする) ☆主に仕えなさい。 イエス様を主と仰ぎ見、イエス様に仕える・・・何と栄光に満ちた道でしょう。 盲人の乞食の中に、父なる神の御計画と御心を視たイエス様。御自分に槍を刺す・唾をかける群衆・に、父なる神の憐れみを視たイエス様‼️ 私達はこの御方に仕えていることを、片時も、忘れてはなりません。 ☆望みを抱いて喜び➡私達は、結果を観て喜んだり、悲しんだり・・・ 結果ではなく➡神の恵を望み観る‼️ ☆苦難に耐え~伴に歩まれる主の臨在を信じ見て・・ ☆ひたすら祈りなさい~祈りは、主の臨在を知る泉です。 ☆聖徒の必要を満たし~これは伝道者・牧師を指しているのではないのです。主に在る兄弟姉妹のことなのです。勿論、伝道牧会に、あたる献身者は言うまでも無いのですが、信仰の友は皆《聖徒》なのですから、互いに心にかけて、祈り・励まし・具体的な事態では、助け合うのです。 ☆迫害する者への対処~祝福しなさい。『彼等は何も知らないのです。どうか、この素晴らしい、永遠の命の世界を知ることが出来ますように・・・私に何が出来るでしょう。彼らに救いを届けさせてください。』と祈りましょう。 決して呪ってはだめ 涙をもって祈って参りましょう。 それが《愛》なのです。 |
| ローマ人への手紙 12章15~21節 12:16 互いに一つ心になり、思い上がることなく、むしろ身分の低い人たちと交わりなさい。自分を知恵のある者と考えてはいけません。 12:17 だれに対しても悪に悪を返さず、すべての人が良いと思うことを行うように心がけなさい。 12:18 自分に関することについては、できる限り、すべての人と平和を保ちなさい。 12:19 愛する者たち、自分で復讐してはいけません。神の怒りにゆだねなさい。こう書かれているからです。「復讐はわたしのもの。わたしが報復する。」主はそう言われます。 12:20 次のようにも書かれています。「もしあなたの敵が飢えているなら食べさせ、渇いているなら飲ませよ。なぜなら、こうしてあなたは彼の頭上に燃える炭火を積むことになるからだ。」 12:21 悪に負けてはいけません。むしろ、善をもって悪に打ち勝ちなさい。 |
2025年10月3日(金)リビングライフQT 主に仕える僕への特に大切な教えです。 ☆15節~喜んでいる者達と共に喜び、 泣いている者達と共に泣きなさい。 愛に欠ける心は、人の喜びを妬み、悲しみには、教訓的な思いを持って、慰めよりも、教え戒めてしまうのです なかなか同じ思いになって、共に涙することが失われがちな世の中になります。 同じ思い 同じ心に、心溶かす事は、福音を生きる最も大切な心なのです。 罪に染まった人の心から流れ出る汚水は、周りに罪の汚水を注いでしまいます。 ですから、主に在る僕(弟子)は、常に救い主なる神・イエス・キリスト様の愛と命に繫がって、主がそうであったように、主の思い・愛・赦し・慈しみに生きる(同化する)日々でありたいですね。 今日のテキストは、解説や、展開の必要の無い、直に魂に響く言葉ばかりです。 ☆互いに一つ心となり、思い上がることなく、自らを低くする。 ☆悪に対して悪で報いず、すべての人がが良い‼️・・と思うことを行うように心がけなさい。 ☆すべての人と、平和を保ちなさい。 ☆決して復讐はしない。その様な思いも持たない。(怒り・憎しみ・反感に、心乱されない。) 19節〜 「復讐はわたしのもの、わたしが復讐する。」 主はそう言われます。 ☆敵対する人、反感を持つ人に対し、赦しと愛を持って、助けてあげなさい。 ☆悪に振り回されたり、翻弄されたりしないで、寧ろ、愛と、善を持って、自らの内を勝利に満たしましょう‼️ 21節〜 悪に負けてはいけません。むしろ、善をもって悪に打ち勝ちなさい。 ハレルヤ‼️ |
| ローマ人への手紙 13章1~7節 13:1 人はみな、上に立つ権威に従うべきです。神によらない権威はなく、存在している権威はすべて、神によって立てられているからです。 13:2 したがって、権威に反抗する者は、神の定めに逆らうのです。逆らう者は自分の身にさばきを招きます。 13:3 支配者を恐ろしいと思うのは、良い行いをするときではなく、悪を行うときです。権威を恐ろしいと思いたくなければ、善を行いなさい。そうすれば、権威から称賛されます。 13:4 彼はあなたに益を与えるための、神のしもべなのです。しかし、もしあなたが悪を行うなら、恐れなければなりません。彼は無意味に剣を帯びてはいないからです。彼は神のしもべであって、悪を行う人には怒りをもって報います。 13:5 ですから、怒りが恐ろしいからだけでなく、良心のためにも従うべきです。 13:6 同じ理由で、あなたがたは税金も納めるのです。彼らは神の公僕であり、その務めに専念しているのです。 13:7 すべての人に対して義務を果たしなさい。税金を納めるべき人には税金を納め、関税を納めるべき人には関税を納め、恐れるべき人を恐れ、敬うべき人を敬いなさい。 |
2025年10月4日(土)リビングライフQT 『 ゙世゙の権威に従う』今日のメッセージの一貫した教えです。 当時は、世界を《ローマ大帝国》が支配していました。 この帝国の支配体制に逆らっては、生きていけない時代だったので、教会も、怖れながらも、その体制下に追随したのでしょうか?? ☆救い主イエス・キリスト様が、人としてこの世に御降誕されたのも、ローマ皇帝《アウグスタス》による、支配地域の勢力を実地検証するための、ヨーロッパ・アジア・エジプトの人口調査をするための命令で、ヨセフとマリヤは、ナザレから故郷ベツレヘムに行き、そこで主がお生まれになられましたね。 また、主が福音のために各地を廻られた折、パリサイ派の反対者が、我々神の民は、神のご加護で生かされているので、神に神殿税(献金)を納めるが、ローマにも(税)を収めるべきか否か❓と、尋ねると、主は『ローマの物はローマに、神の物は神に❗』と、応えられ、ローマに治められているのだから、ローマに。神に生かされているのだから、その信仰に応じて、神に感謝を持って・・・と、語られましたね。地上の権威・支配体制・行政等々は、神の赦された許容範囲の中で行われる、働きですから、これに従うのは、地上の秩序の大切な原則だ‼️と、パウロは、教えたのです。 しかし、当時のローマは未だ迫害に転じてはいませんでしたが、やがて、皇帝《ネロ・ディオクレチアヌス》の時代になると、激しい迫害に転じて、キリスト教会は激しい迫害を受けましたその理由は、皇帝礼拝を拒んだからです。この様な迫害は日本でも、キリシタン禁令下で、ローマの迫害を遙かに超える、殉教者を出しました。その残虐さは、ローマ時代の迫害の比ではないと、法王庁も公言しています。 ではなぜ、彼らは、国と支配者の法に従わなかったのでしょう。 それは、創造者なる神に対する信仰をもって礼拝する者にとって、皇帝を礼拝する事は(人間礼拝=偶像崇拝)となるからなのです。 しかし、パウロは教えています。 支配者を礼拝するのと、支配者の権威を持って、社会秩序を正しく治めるのは、国民の安寧(安心安全)に繋がり、国や社会が守られる為なので、この施政が、神の摂理なので、そこに信仰との矛盾はないのです。 税は、その施政制度を守るために、資するものですから、大切な社会的行為なのです。 パウロ先生は、この様に、教会が社会にあって、秩序の最前線に立つことを、願っていたのです。こうして初代教会は、神の愛と恵に養われながら、社会秩序の中を、歩んで行ったのです。 しかし、まことの神への信仰が禁止されたり迫害を受け始めたときには、その為に抗議行動に、打って出ることをせず、ただただ、黙々と、殉教の道へと、進んだのです。それが唯一神の愛に従う道だったからです。 ハレルヤ‼️ ア~メン❗ |
| ローマ人への手紙 13章8~14節 13:8 だれに対しても、何の借りもあってはいけません。ただし、互いに愛し合うことは別です。他の人を愛する者は、律法の要求を満たしているのです。 13:9 「姦淫してはならない。殺してはならない。盗んではならない。隣人のものを欲してはならない」という戒め、またほかのどんな戒めであっても、それらは、「あなたの隣人を自分自身のように愛しなさい」ということばに要約されるからです。 13:10 愛は隣人に対して悪を行いません。それゆえ、愛は律法の要求を満たすものです。 13:11 さらにあなたがたは、今がどのような時であるか知っています。あなたがたが眠りからさめるべき時刻が、もう来ているのです。私たちが信じたときよりも、今は救いがもっと私たちに近づいているのですから。 13:12 夜は深まり、昼は近づいて来ました。ですから私たちは、闇のわざを脱ぎ捨て、光の武具を身に着けようではありませんか。 13:13 遊興や泥酔、淫乱や好色、争いやねたみの生活ではなく、昼らしい、品位のある生き方をしようではありませんか。 13:14 主イエス・キリストを着なさい。欲望を満たそうと、肉に心を用いてはいけません。 |
2025年10月5日(日)リビングライフQT 《愛する》事は、あらゆる律法の規定を、カバーする唯一最大の戒めです。言い換えるなら、愛が欠けるとき、他の人の心の領域に侵入し、争いと、摩擦と、闘いを仕掛けるのです。また、愛の欠如は、自己中心と、欲望と、心の内からあふれる肉なる欲望が、その全身を覆ってしまうのです。 この様に私達の肉なる者の弱さは、次の一言で覆い尽くされるでしょう‼️即ち、 『あなたの隣人を自分自身のように愛しなさい。』この言葉は、律法の全てを語っています。 10節~・・・愛は律法の要求を満たすものです。・・・との言葉は、真実ですね。 律法は細かく様々なことに及んで、多くの戒めからなっていますが、結局は、《互いに愛し合いなさい》の一言に尽きるのです。 更に、パウロ先生は、世界の中心であった、ローマの教会に対して・・・・ 11節〜今は眠りから醒めるとき‼️・・・と、警告しています。即ち、終わりの時が迫り来る、厳しいときだと、 警告するのです。しかし、この書簡が書かれた時から、今は、2000年も経過しているのです。・・・とすると、「眠りから覚めるべき時」という言葉は、文学的表現としての、言葉なのでしょうか。 聖書は確かに、2000年前に書かれた古代文書ではあります。しかし、この聖書が何故、今日の時代の中で、全人類に読まれ、学ばれ、心揺さぶられてきたのでしょうか。それは、矢張り《時》という概念の特別な意味です。《永遠》が、そうであったように、これは経過する時間をさして語られているのではないのです。 端的に言い換えると、《永遠》も《今は眠りより覚めるべき時》と言う概念も、過去から現在未来へと過ぎ行く時ではなく、瞬間瞬間が、裁きの座の前に立ちつつ、主を見上げる《時》だと言うことなのです。 それだけ、私達の日々の歩みが厳粛な、瞬間瞬間なのだ‼️・・・と言うことを示唆しているのです。 一瞬一瞬の、主のめぐみの時を実感しながら、今日も進んで参りましょう。 |
| ローマ人への手紙 14章1~12節 14:1 信仰の弱い人を受け入れなさい。その意見をさばいてはいけません。 14:2 ある人は何を食べてもよいと信じていますが、弱い人は野菜しか食べません。 14:3 食べる人は食べない人を見下してはいけないし、食べない人も食べる人をさばいてはいけません。神がその人を受け入れてくださったのです。 14:4 他人のしもべをさばくあなたは何者ですか。しもべが立つか倒れるか、それは主人次第です。しかし、しもべは立ちます。主は、彼を立たせることがおできになるからです。 14:5 ある日を別の日よりも大事だと考える人もいれば、どの日も大事だと考える人もいます。それぞれ自分の心の中で確信を持ちなさい。 14:6 特定の日を尊ぶ人は、主のために尊んでいます。食べる人は、主のために食べています。神に感謝しているからです。食べない人も主のために食べないのであって、神に感謝しているのです。 14:7 私たちの中でだれ一人、自分のために生きている人はなく、自分のために死ぬ人もいないからです。 14:8 私たちは、生きるとすれば主のために生き、死ぬとすれば主のために死にます。ですから、生きるにしても、死ぬにしても、私たちは主のものです。 14:9 キリストが死んでよみがえられたのは、死んだ人にも生きている人にも、主となるためです。 14:10 それなのに、あなたはどうして、自分の兄弟をさばくのですか。どうして、自分の兄弟を見下すのですか。私たちはみな、神のさばきの座に立つことになるのです。 14:11 次のように書かれています。「わたしは生きている──主のことば──。すべての膝は、わたしに向かってかがめられ、すべての舌は、神に告白する。」 14:12 ですから、私たちはそれぞれ自分について、神に申し開きをすることになります。 |
2025年10月6日(月)リビングライフQT 思わず、何度も読み直しました。そうすると、自分は一体何者・・・・❓ 何と、自分は思い上がっていることが多いのだろうかと… 自らが正しい・・・と、確信して生きてきた??? すると気付かない内に、自らが正しいとする尺度が、天下の尺度と勘違いをしてしまい、それをもって指導したり、裁いてしまうことがありはしないだろうか…と 笑い話ですが、ある時、山口から萩に抜ける(萩往還道)の藪の茂る山道(萩城と山口城を行き来する最短距離の道)を、当時を偲び歩いていると、古びた立て札が《熊に注意》 最近のよう熊が出没する時ではなかったので… 瞬間、江戸時代の立て札と勘違いして、・・・フ~ン当時も熊が出没していたんだ・・・と、勝手に思い込み、大発見のつもりで、ひとに話して、笑いものになったのです。 笑い話で済んだのですが… 今日のテキスト 1節~ 信仰の弱い人を受け入れなさい その意見をさばいてはいけません。 この注意事項は、人それぞれに与えられている価値観・感性・地域・土地柄から来る、判断等を、自分の感性と価値観で、他人をその枠の中に囲い込む・・・ こうして改めて考えてみると、真に愚かな所業ですね。 5節には、それぞれ自分の心の中で、自分の確信として持ちなさい。それで、他の人を裁いたり推し量ったりしてはいけません…と 教会が発展し、社会的地位を形成するようになり、規定・規則・教理・・・等々教会を一つの社会として、形成する基礎が生まれて来たのです。 こうして、主なる神の愛に繋がり生かされて来た信徒達が、規則に縛られ、自由が狭められ、主なる神と自由に交わるのにさえ制約が生まれ、大司教・司教・司祭・神父・・・赦された僕・・・などの規定が整えられ、あのペンテコステの時代の爆発的な喜びの教会が、影を潜めたのです。 気を付けなければ、現代の教会にも、この様な陰が射す危険性がないとは言えないのです。 教派間の軋轢・牧師の転任に伴う、信徒の交わりの広がりの禁止、地域社会の中の教会の色分け等々・・ 気を付ける点は確かにありますが、それ以上に《マイチャーチ方式》と言う名を借りて閉鎖的になりやすいのです。 私達は国籍・地域・言語・文化を越えて、或いはそれらの繋がりをしっかりと結びながら、イエス・キリストに結ばれる、神の前に一つの教会なのです。 そうではないでしょうか。 改めて、ここには記しませんが、 6節~11節を、読んで黙想してみましょう。 平和があなた方の内に有りますように‼️ ハレルヤ‼️ |
| ローマ人への手紙 14章13~23節 14:13 こういうわけで、私たちはもう互いにさばき合わないようにしましょう。いや、むしろ、兄弟に対して妨げになるもの、つまずきになるものを置くことはしないと決心しなさい。 14:14 私は主イエスにあって知り、また確信しています。それ自体で汚れているものは何一つありません。ただ、何かが汚れていると考える人には、それは汚れたものなのです。 14:15 もし、食べ物のことで、あなたの兄弟が心を痛めているなら、あなたはもはや愛によって歩んではいません。キリストが代わりに死んでくださった、そのような人を、あなたの食べ物のことで滅ぼさないでください。 14:16 ですから、あなたがたが良いとしていることで、悪く言われないようにしなさい。 14:17 なぜなら、神の国は食べたり飲んだりすることではなく、聖霊による義と平和と喜びだからです。 14:18 このようにキリストに仕える人は、神に喜ばれ、人々にも認められるのです。 14:19 ですから、私たちは、平和に役立つことと、お互いの霊的成長に役立つことを追い求めましょう。 14:20 食べ物のために神のみわざを台無しにしてはいけません。すべての食べ物はきよいのです。しかし、それを食べて人につまずきを与えるような者にとっては、悪いものなのです。 14:21 肉を食べず、ぶどう酒を飲まず、あなたの兄弟がつまずくようなことをしないのは良いことです。 14:22 あなたが持っている信仰は、神の御前で自分の信仰として持っていなさい。自分が良いと認めていることで自分自身をさばかない人は幸いです。 14:23 しかし、疑いを抱く人が食べるなら、罪ありとされます。なぜなら、それは信仰から出ていないからです。信仰から出ていないことは、みな罪です。 |
2025年10月7日(火)リビングライフQT 世界には民族の数だけ、宗教があります。土着の先祖崇拝から、心霊的畏敬信仰、繁栄と死後の、いのちの継続への信仰、安寧な日々の生活の確保のための(御利益的)信仰・・・・ この様な信仰のために、しばしば食べ物(特に肉食への禁止条項ー浄い動物・穢れた動物ーへの選別)・食事禁断の日・飲み物の選別・等々。その他・・・時間・日にち・方角・・・など実に多様な規定が、人の心を縛り、不安定な心境を醸し出しては、人々をコントロールしやすい状況に導いて、不安や、恐怖や、賞賛や確信へと導き出して、神に敵対するサタンの陣営に取り込んでいくのです。 パウロ先生は、執拗なまでも、食事(食べ物・飲み物)のことに関して、それらは、神が私達に与えてくださった、恵の賜物であって、感謝して受けるべきである・・・と、教えています。 今あなたの日常生活で、避けたり、禁止まではしなくても、口にするのを躊躇することがありましょうか❓。その思いを、祈りを持って排除し、感謝して頂くようにして下さい 。 しかし、身体の健康を損ねる(アルコール・カフェイン・他薬物・食材等々の)度を超えての摂取、物によっては、完全な遮断等・・・・これ等は、信仰とは無関係で、一人一人が神から与えられた身体と魂を、尊く大切に守る思いで(献身するための自制と節制)の実となることを願うのです。 信仰は、他を制するためのもので無く、あなたと主なる神との平和の関係なのです。 疑い、不安、自制を超えることは、神様との関係に疑義を差し挟む、罪の元となるでしょう。 私達は、常に晴れやかな開いた心(魂)で、神の前に祈り生活しましょう。 その様なあなたを主は正しく明るく平安を持って、日々守り導いて下さいます。 ハレルヤ‼️ ア~メン‼️ |
| ローマ人への手紙 15章1~13節 15:1 私たち力のある者たちは、力のない人たちの弱さを担うべきであり、自分を喜ばせるべきではありません。 15:2 私たちは一人ひとり、霊的な成長のため、益となることを図って隣人を喜ばせるべきです。 15:3 キリストもご自分を喜ばせることはなさいませんでした。むしろ、「あなたを嘲る者たちの嘲りが、わたしに降りかかった」と書いてあるとおりです。 15:4 かつて書かれたものはすべて、私たちを教えるために書かれました。それは、聖書が与える忍耐と励ましによって、私たちが希望を持ち続けるためです。 15:5 どうか、忍耐と励ましの神があなたがたに、キリスト・イエスにふさわしく、互いに同じ思いを抱かせてくださいますように。 15:6 そうして、あなたがたが心を一つにし、声を合わせて、私たちの主イエス・キリストの父である神をほめたたえますように。 15:7 ですから、神の栄光のために、キリストがあなたがたを受け入れてくださったように、あなたがたも互いに受け入れ合いなさい。 15:8 私は言います。キリストは、神の真理を現すために、割礼のある者たちのしもべとなられました。父祖たちに与えられた約束を確証するためであり、 15:9 また異邦人もあわれみのゆえに、神をあがめるようになるためです。「それゆえ、私は異邦人の間であなたをほめたたえます。あなたの御名をほめ歌います」と書いてあるとおりです。 15:10 また、こう言われています。「異邦人よ、主の民とともに喜べ。」 15:11 さらに、こうあります。「すべての異邦人よ、主をほめよ。すべての国民が、主をたたえるように。」 15:12 さらにまたイザヤは、「エッサイの根が起こる。異邦人を治めるために立ち上がる方が。異邦人はこの方に望みを置く」と言っています。 15:13 どうか、希望の神が、信仰によるすべての喜びと平安であなたがたを満たし、聖霊の力によって希望にあふれさせてくださいますように。 |
2025年10月8日(水)リビングライフQT この書簡は、当時の世界の中心と言われる、ローマ帝国の皇帝の住む、首都ローマに芽生えた、キリストの教会の信徒とその指導者(長老達)に宛てて書かれた、励ましと、教えの確認と、問題解決への示唆と、互いの信仰の交流を通しての、喜びの分かち合い・・が、印された書簡です。 そこがローマであるだけに、誇り高いローマ人(ラテン民族)の 中からの改宗者、また、ローマには多くのユダヤ人(ユダヤ教会-シナゴーグ-も在った)祭司・律法学者・パリサイ派・サドカイ派・普通のユダヤ教徒が多数住んでいて、パウロ初め、ペンテコステによる、激増したクリスチャンへの迫害から逃れた、信徒達、他に、ギリシャ人・マケドニヤ人等々、初代の教会は上流階級の救われた信徒の邸宅に集まり、礼拝と交わりが成されたことを創造してみましょう。 聖書もなく、教理書もなく、御互いが持ち寄った証しや、体験や、ユダヤから届けられた情報(現在のような文書は皆無)の伝聞が、彼らの信仰のベースだったのです。 ですから、このパウロ書簡(ローマ人への手紙)は、内容が細かく、現実的で、パウロの耳に届いた状況への、懇切丁寧な筆致となっているのです。それがそのまま、2000年後の今日の世界の教会にとっても、非常に重い、福音の真理の原点となったのです。しかも、今日まで加筆も削除もなく、そのまま‼️ そんな思いで、一節一節を読み進むと・・・ 4節~かつて書かれたものはすべて(これは旧約聖書を指しています)、私たちを教えるために書かれました。それは、聖書が与える忍耐と励ましによって、私たちが希望を持ち続けるためです。 ア~メン‼️ 6節~心を一つにし・・・私たちの主イエス・キリストの父なる神をほめたたえましょう。 7節~・・・キリストがあなた方を受け入れてくださったように、あなた方も互いに受け容れ合いなさい。 8節~・・・キリストは、神の真理を現すために、割礼のある者たち(ユダヤ人)のしもべとなられました。 10節~また、こう言われます。「異邦人よ、主の民と共に喜べ。」 11節~・・・・・全ての異邦人よ、主をほめよ。 全ての国民が、主をたたえるように。 12節~・・・エッサイの根が起こる。異邦人を治めるために立ち上がる方が。 異邦人はこの方に望みをく。・・・・ こうして読んでくると、ローマ教会は、正に、今の教会の原型であり、人類の創り主、永遠の神が初めから御計画になられた、終わりの時への、完成日の最終行程の始まりだったのですね。 改めて、神の御思いと、一つ心になり、主の全ての民と共に、神を讃美しましょう。 |
| ローマ人への手紙 15章14~21節 15:14 私の兄弟たちよ。あなたがた自身、善意にあふれ、あらゆる知識に満たされ、互いに訓戒し合うことができると、この私も確信しています。 15:15 ただ、あなたがたにもう一度思い起こしてもらうために、私は所々かなり大胆に書きました。私は、神が与えてくださった恵みのゆえに、 15:16 異邦人のためにキリスト・イエスに仕える者となったからです。私は神の福音をもって、祭司の務めを果たしています。それは異邦人が、聖霊によって聖なるものとされた、神に喜ばれるささげ物となるためです。 15:17 ですから、神への奉仕について、私はキリスト・イエスにあって誇りを持っています。 15:18 私は、異邦人を従順にするため、キリストが私を用いて成し遂げてくださったこと以外に、何かをあえて話そうとは思いません。キリストは、ことばと行いにより、 15:19 また、しるしと不思議を行う力と、神の御霊の力によって、それらを成し遂げてくださいました。こうして、私はエルサレムから始めて、イルリコに至るまでを巡り、キリストの福音をくまなく伝えました。 15:20 このように、ほかの人が据えた土台の上に建てないように、キリストの名がまだ語られていない場所に福音を宣べ伝えることを、私は切に求めているのです。 15:21 こう書かれているとおりです。「彼のことを告げられていなかった人々が見るようになり、聞いたことのなかった人々が悟るようになる。」 15:22 そういうわけで、私は、あなたがたのところに行くのを何度も妨げられてきました。 15:23 しかし今は、もうこの地方に私が働くべき場所はありません。また、イスパニアに行く場合は、あなたがたのところに立ち寄ることを長年切望してきたので、 15:24 旅の途中であなたがたを訪問し、しばらくの間あなたがたとともにいて、まず心を満たされてから、あなたがたに送られてイスパニアに行きたいと願っています。 15:25 しかし今は、聖徒たちに奉仕するために、私はエルサレムに行きます。 15:26 それは、マケドニアとアカイアの人々が、エルサレムの聖徒たちの中の貧しい人たちのために、喜んで援助をすることにしたからです。 15:27 彼らは喜んでそうすることにしたのですが、聖徒たちに対してそうする義務もあります。異邦人は彼らの霊的なものにあずかったのですから、物質的なもので彼らに奉仕すべきです。 15:28 それで私はこのことを済ませ、彼らにこの実を確かに渡してから、あなたがたのところを通ってイスパニアに行くことにします。 15:29 あなたがたのところに行くときは、キリストの祝福に満ちあふれて行くことになると分かっています。 15:30 兄弟たち。私たちの主イエス・キリストによって、また、御霊の愛によってお願いします。私のために、私とともに力を尽くして、神に祈ってください。 15:31 私がユダヤにいる不信仰な人々から救い出され、エルサレムに対する私の奉仕が聖徒たちに受け入れられるように、 15:32 また、神のみこころにより、喜びをもってあなたがたのところに行き、あなたがたとともに、憩いを得ることができるように、祈ってください。 15:33 どうか、平和の神が、あなたがたすべてとともにいてくださいますように。アーメン。 |
2025年10月9日(木)リビングライフQT 今日のテキストは、パウロ先生が、異邦人の救いのために召し出された(選び出された)、働き人として、どの様な働きをして来たか・・・を、語っています。 ☆全く歴史的にも、創造主も、神の御子イエス・キリストも知らなかった異邦人を、神(救い主)の下に導くために・・・神と人とのを繫ぐ役割として、《祭司》の役割を果たしてきた。それは、神を汚してきた民(異邦人)を聖霊によって聖なる者とされた、神に喜ばれるささげ物となったのです。 かつて、異邦人は知らずして神に敵対していたが、自分は、確信犯として、神の御子イエス・キリストを、亡きものとしようと、迫害した者だった。しかしあえて私を選び用いて、皆さん(ローマ教会の信徒達)を、16節:神に喜ばれる捧げ物として、共に礼拝の民とされた‼️・・・ パウロ先生は、この現実を自分の働き(功績)とは思わず、キリストが、未熟な者にも関わらず、用いて成し遂げてくださった♂(有難う御座います)・・・と、告白(18節)するのです。 この熱い想いは、エルサレムを、出発点として、イルリコ(バルカン半島➡東から南のマケドニアからギリシャ、更に西のアドリヤ海に面したアルバニアに至るまでの、2800km(日本地図で比較すると、鹿児島から札幌迄を歩いて結ぶ距離)にも及ぶのです。 この伝道の旅は、正に神が成された、働きで、一帯を福音で塗り直すような働きへと、導かれたのです。 この働きは、21節 『彼のことを告げられていなかった人々が見るようになり、 聞いたことのなかった人々が悟るようになる。』 (イザヤ書52章15節の引用) すなわち、全くの未伝地に、福音(イエス・キリスト)の種を撒いて、神に創られた人としての本性に、立ち返る者としたのです。 パウロは、この膨大な働きを、自らの力量ではなく、神の罪人への、再創造として、印象づけたのではないでしょうか。 私達に、福音宣教の働きへの、重大な示唆をあたえるものだ・・・と、心に熱く印象づけられました。 主よ❗小さな私を用いてください‼️ |
| ローマ人への手紙 15章22~33節 15:22 そういうわけで、私は、あなたがたのところに行くのを何度も妨げられてきました。 15:23 しかし今は、もうこの地方に私が働くべき場所はありません。また、イスパニアに行く場合は、あなたがたのところに立ち寄ることを長年切望してきたので、 15:24 旅の途中であなたがたを訪問し、しばらくの間あなたがたとともにいて、まず心を満たされてから、あなたがたに送られてイスパニアに行きたいと願っています。 15:25 しかし今は、聖徒たちに奉仕するために、私はエルサレムに行きます。 15:26 それは、マケドニアとアカイアの人々が、エルサレムの聖徒たちの中の貧しい人たちのために、喜んで援助をすることにしたからです。 15:27 彼らは喜んでそうすることにしたのですが、聖徒たちに対してそうする義務もあります。異邦人は彼らの霊的なものにあずかったのですから、物質的なもので彼らに奉仕すべきです。 15:28 それで私はこのことを済ませ、彼らにこの実を確かに渡してから、あなたがたのところを通ってイスパニアに行くことにします。 15:29 あなたがたのところに行くときは、キリストの祝福に満ちあふれて行くことになると分かっています。 15:30 兄弟たち。私たちの主イエス・キリストによって、また、御霊の愛によってお願いします。私のために、私とともに力を尽くして、神に祈ってください。 15:31 私がユダヤにいる不信仰な人々から救い出され、エルサレムに対する私の奉仕が聖徒たちに受け入れられるように、 15:32 また、神のみこころにより、喜びをもってあなたがたのところに行き、あなたがたとともに、憩いを得ることができるように、祈ってください。 15:33 どうか、平和の神が、あなたがたすべてとともにいてくださいますように。アーメン。 |
2025年10月10日(金)リビングライフQT パウロ先生のローマ人への福音宣教のヴィジョン。 ローマ人への手紙は、パウロ先生が第3回目のアジア・ヨーロッパ伝道旅行の終わりに、その帰途にある、コリントの教会で、最後の働きに区切りを付けた後、次の伝道計画にローマ訪問を、明らかにして、更にローマを足がかりにして、イスパニア(今のスペイン)に福音を携えようと、語っているのです。その距離は何と、エルサレムから6500kmをこえる道程になるのです。徒歩でです。(現実には、ローマに船で直行して、その働きは、ローマでとどまり、ローマに盤石の教会の基盤を築いた頃に、皇帝ネロの大迫害が始まり、パウロもまた、殉教の死を遂げました。その為、イスパニアには行けなかったのです。 しかし、この教会(パウロ先生による)の働きは、イエス・キリスト様の『全世界に出て行き、全ての造られた者に、福音を伝えなさい‼️』の、大宣教命令が、キリスト教会の唯一最大の使命となって、2000年の世界の歴史を、導いてきたのです。 私は、僅か3年でしたが、四国中村(高知県西部・幡多郡三市十町村)で10,000戸の全世帯に、トラクトと聖書分冊を届けて、福音に人々を導く働きにたずさわったのですが… 実際には、多分半分位までで転任になりました。 その時に、私の頭と魂の中を行き巡ったのは、パウロ先生の、宣教姿勢でした。そして、それを具体化して計画したのがマクレン宣教師でした。マクレン師を通して、私は使徒の働きを経験させて頂きました。 そして、方法や規模は別にして、これを読まれたあなたもまた、その使命を託されているのです。 あなたの隣り人➡ それは家族であり、友人、地域の人々なのです。 妻であり、夫であり、親であり、子供なのです。 一番近くにあって、一度福音に背を向けると、何と、その人々に正面から福音を示し、語り、顕すのに、地球一周して戻ってくるほど、宣教の希薄さ、愛の波動の届く隔絶感 しかし、今や福音は、御霊によって、一人一人の魂に迫っています。 祈りはその迫りに力を与えます。 パウロ先生を動かしパウロ先生によって押し出された力と愛の福音は、今も、あなたを通して、届けられるのです。 アーメン‼️ |
| ローマ人への手紙 16章1~16節 16:1 私たちの姉妹で、ケンクレアにある教会の奉仕者であるフィベを、あなたがたに推薦します。 16:2 どうか、聖徒にふさわしく、主にあって彼女を歓迎し、あなたがたの助けが必要であれば、どんなことでも助けてあげてください。彼女は、多くの人々の支援者で、私自身の支援者でもあるのです。 16:3 キリスト・イエスにある私の同労者、プリスカとアキラによろしく伝えてください。 16:4 二人は、私のいのちを救うために自分のいのちを危険にさらしてくれました。彼らには、私だけでなく、異邦人のすべての教会も感謝しています。 16:5 また彼らの家の教会によろしく伝えてください。キリストに献げられたアジアの初穂である、私の愛するエパイネトによろしく。 16:6 あなたがたのために非常に労苦したマリアによろしく。 16:7 私の同胞で私とともに投獄されたアンドロニコとユニアによろしく。二人は使徒たちの間でよく知られており、また私より先にキリストにある者となりました。 16:8 主にあって私の愛するアンプリアトによろしく。 16:9 キリストにある私たちの同労者ウルバノと、私の愛するスタキスによろしく。 16:10 キリストにあって認められているアペレによろしく。アリストブロの家の人々によろしく。 16:11 私の同胞ヘロディオンによろしく。ナルキソの家の主にある人々によろしく。 16:12 主にあって労苦している、トリファイナとトリフォサによろしく。主にあって非常に労苦した愛するペルシスによろしく。 16:13 主にあって選ばれた人ルフォスによろしく。また彼と私の母によろしく。 16:14 アシンクリト、フレゴン、ヘルメス、パトロバ、ヘルマス、および彼らとともにいる兄弟たちによろしく。 16:15 フィロロゴとユリア、ネレウスとその姉妹、またオリンパ、および彼らとともにいるすべての聖徒たちによろしく。 16:16 あなたがたは聖なる口づけをもって互いにあいさつを交わしなさい。すべてのキリストの教会が、あなたがたによろしくと言っています。 |
2025年10月11日(土)リビングライフQT いよいよ、きょう明日で、ローマ人への手紙は終わります。しかしパウロ先生のローマ教会信徒へのメッセージは、その後途絶えることなく、今日の私達にまで、生き生きと伝えられているのです。 テキスト全体から、ローマの教会は、一つではなく、アジア(小アジア半島)・マケドニア・ギリシャ・ーパレスティナ(ユダヤ・シリヤ)のクリスチャン達が、ローマに移り住み、中には、パウロがアジア伝道の時に、助け、ある時には命懸けで、パウロ先生を支えたプリスカとアキラ(パウロは彼らを同労者と呼んでいる-3節-)・・・ 未だ、行ったことのない(キリストの弟子と成ってからは・・・)ローマに、この様な挨拶を書き送るのは、パウロの、アジア・マケドニア・ギリシャなどの働きの実が、今やローマに移動して、福音の実を結んでいることを物語っています。 当時(1世紀)のローマの人口は、古代史では例を見ないほど、爆発的集中と、拡がりを見せ、その数は、ローマ市だけでも、100万人を超えていたと、推定されています。 この様な中で・・・・ ☆5節~彼らの家の教会に・・・・ ☆10節~アリストブロの家の人々によろしく ・・・・・・・・・・・・ ☆16節~ ・・・すべてのキリストの教会が・・・ ☆・・・・他にも個人名が列挙されていますが、まさに、夫々がリーダーとしてパウロの下に伝えられていた者達だったのでしょう。 それ故、ローマには幾つもの群れが、在ったのでしょう。 実は教会はこの様にして、計画的にではなく、自然発生的に、生まれて来たと言えるでしょう。これが、キリストの教会の強さです。 かって迫害下で、多くのクリスチャンが投獄されたり、処刑されたりした、ある国のクリスチャン達は、夜中に物置小屋に集まり、 人気のない林に入って、礼拝と祈りを捧げた…と しかし、今やその国には3000万人~5000万人のクリスチャン達がいるのです‼️ 私達の北九州シオン教会では沢山の家庭集会が信徒の申し出で開かれていました。その中から小倉(20年後に本教会に合流)・下関・海老津の 教会となり、開拓初代の力丸博牧師により、九州一円(枕崎・人吉・熊本・佐伯・・・)と、シオン教会は、若い伝道者と信徒に委ねながら、巡回しながら、その地の信徒達を励まして、今や地域の福音の本拠(教会)として、働きが続けられています。 教会の急発展時には、この様な形で、信徒達による、福音と教会の拡散が積み重ねられてきました。 ローマ書を終えるにあたって、心揺さぶられ、これからの神の御計画に期待して、『主よ、用いてください‼️』と祈るものです。 ハレルヤ‼️ |
| ローマ人への手紙 16章17~27節 16:17 兄弟たち、私はあなたがたに勧めます。あなたがたの学んだ教えに背いて、分裂とつまずきをもたらす者たちを警戒しなさい。彼らから遠ざかりなさい。 16:18 そのような者たちは、私たちの主キリストにではなく、自分の欲望に仕えているのです。彼らは、滑らかなことば、へつらいのことばをもって純朴な人たちの心をだましています。 16:19 あなたがたの従順は皆の耳に届いています。ですから、私はあなたがたのことを喜んでいますが、なお私が願うのは、あなたがたが善にはさとく、悪にはうとくあることです。 16:20 平和の神は、速やかに、あなたがたの足の下でサタンを踏み砕いてくださいます。どうか、私たちの主イエスの恵みが、あなたがたとともにありますように。 16:21 私の同労者テモテ、また私の同胞、ルキオとヤソンとソシパテロが、あなたがたによろしくと言っています。 16:22 この手紙を筆記した私テルティオも、主にあってあなたがたにごあいさつ申し上げます。 16:23 私と教会全体の家主であるガイオも、あなたがたによろしくと言っています。市の会計係エラストと兄弟クアルトもよろしくと言っています。 16:24 【本節欠如】 16:25 〔私の福音、すなわち、イエス・キリストを伝える宣教によって、また、世々にわたって隠されていた奥義の啓示によって── 16:26 永遠の神の命令にしたがい、預言者たちの書を通して今や明らかにされ、すべての異邦人に信仰の従順をもたらすために知らされた奥義の啓示によって、あなたがたを強くすることができる方、 16:27 知恵に富む唯一の神に、イエス・キリストによって、栄光がとこしえまでありますように。アーメン。〕 |
2025年10月12日(日)リビングライフQT パウロの、ローマ教会信徒へのメッセージは、最終章を迎え、パウロ先生は最後に、四つのことを、書き送って締めくくっています。 ①~17節~19節・・・を通して、真理に関して、強く意識して心を守るように‼️ ともすると、人を躓かせないようにと、真理の道筋はさておいて(決して破棄したわけではないが)人間関係に重点を置き、人との関係を損なわないように・・・と、真理と清さを棚上げにし易い(真理は、抽象的な心の想いだから、何時でも修正が出来る‼️・・・と、考えながら、次第に清さから・真理が希薄になるのです。)・・・ パウロ先生は「なめらかな言葉・へつらい(お世辞・ご機嫌取り)の言葉」を持って、一時的にもせよ、真理から目を逸らす事を警告しています。 ②~20節平和の神は・・・あなた方の足の下でサタンを、 踏み砕いて下さいます。 妥協で、相手の気を引くことでは、真理の輝きを曇らせるだけなのです。 ③~21節~23節・・・ローマ教会のことは、皆さんによく知られており、次の人々からは、特に心がけて、挨拶を届けるように言われている。(この様な個人的な消息は、迫害や同朋からの妨害に対しては、力強い励ましとなったのです。) ④~25節~27節・・・改めて、イエス・キリスト様が、どんなに力強いお方で、栄光に満ちたお方であるか‼️ これ等の四つの締めくくりは、エルサレムから遠く離れた地域や、迫害がくすぶり始めた《ローマ》の教会には、どんなに力強い、励ましとなったでしょうか・・・‼️ 想像を超えるものがあったのではないでしょうか。 信仰の友や、宣教にある働き人と、その群れにとっても、この様に心尽くされた便りは、どんなにか大きな力となった事でしょう。 ハレルヤ‼️ |
| ゼカリヤ書 1章1節~6節 1:1 ダレイオスの第二年、第八の月に、イドの子ベレクヤの子、預言者ゼカリヤに、次のような【主】のことばがあった。 1:2 「【主】はあなたがたの先祖に激しく怒った。 1:3 あなたは人々に言え。『万軍の【主】はこう言われる。わたしに帰れ。──万軍の【主】のことば──そうすれば、わたしもあなたがたに帰る。──万軍の【主】は言われる。』 1:4 あなたがたの先祖のようであってはならない。先の預言者たちは彼らに叫んで言った。『万軍の【主】はこう言われる。あなたがたは悪の道と悪しきわざから立ち返れ。』しかし、彼らはわたしに聞かず、わたしに耳を傾けもしなかった。──【主】のことば── 1:5 あなたがたの先祖たちは、今どこにいるのか。預言者たちは永遠に生きるだろうか。 1:6 しかし、わたしのしもべである預言者たちにわたしが命じた、わたしのことばと掟は、あなたがたの先祖に追い迫ったではないか。それで彼らは立ち返って言ったのだ。『万軍の【主】は、私たちの生き方と行いに応じて、私たちにしようと考えたことをそのとおりになさった』と。」 |
2025年10月13日(月)リビングライフQT 先ず、ゼカリヤ書の書かれた時代背景について、簡単に述べてみましょう。 ☆北イスラエルがアッシリヤ帝国によって亡ぼされた(BC722年) ☆その136年後、南ユダ王国が、バビロンによって亡ぼされる(BC586年) ☆その後、バビロンの後退(ネブカデネザル王)からペルシャ帝国(クロス王)の台頭が、ユダヤ人解放令となって(BC538年)、5万人のユダヤ人がエルサレムに帰還する。 彼らのその後は、荒廃したエルサレムの再建に取り組みながらも、疲れ果て、神殿の再建が二義的となりがちだったのです。弱さの中、指導者(ゼカリヤ)による、励ましと奨励を中心に、やがて神の予定されている、メシヤの到来への備えが、陰にある事が語られたのです。 私達の信仰生活に繫ぐと、同じように、再臨のメシヤの時代と、暗い陰鬱な、終末の時代に重なる、今日の教会時代の、類似点を見て参りましょう。 2節~3節~4節・・・イスラエル・ユダが、アッシリア・バビロンに亡ぼされたのは、神の怒りであった。 今、捕囚の地から帰還して、安堵しながらも生活再建に励んでいる彼ら神の民の歴史的使命は、民族の安寧・各自の安定した生活の追求ではないのです。 ・・・・・・ 未だ、このテキストには開かれていませんが、主なる神の本当の願い(目的)は、神の国(創造の御計画)の完成への、スケジュールなのです。 実は、私達教会・クリスチャンの存在目的も又、選びの民イスラエルの存在・営みと、同じ使命にあるのです。 6節~『万軍の主は、私達の生き方と行いに応じて、私たちにしようと考えたことを、そのとおりになさった』と。 私たちが帰るべき道は、神のもと・・です。 |
| ゼカリヤ書 1章7節~21節 1:7 ダレイオスの第二年、シェバテの月である第十一の月の二十四日に、イドの子ベレクヤの子、預言者ゼカリヤに、次のような【主】のことばがあった。 1:8 夜、私が見ると、なんと、一人の人が赤い馬に乗っていた。その人は、谷底にあるミルトスの木の間に立っていた。そのうしろには、赤毛や栗毛や白い馬がいた。 1:9 私は「主よ、これらの馬は何ですか」と尋ねた。すると、私と話していた御使いが「これらが何なのか、あなたに示そう」と言った。 1:10 すると、ミルトスの木の間に立っていた人が答えた。「これらは、地を行き巡るために【主】が遣わされた者たちだ。」 1:11 すると彼らは、ミルトスの木の間に立っている【主】の使いに答えた。「私たちは地を行き巡りましたが、まさに全地は安らかで穏やかでした。」 1:12 それに答えて【主】の使いは言った。「万軍の【主】よ。いつまで、あなたはエルサレムとユダの町々に、あわれみを施されないのですか。あなたが憤られて七十年になります。」 1:13 すると【主】は、私と話していた御使いに、恵みのことば、慰めのことばで答えられた。 1:14 私と話していた御使いは私に言った。「叫んで言え。『万軍の【主】はこう言われる。わたしは、エルサレムとシオンを、ねたむほど激しく愛した。 1:15 しかし、わたしは大いに怒る。安逸を貪っている国々に対して。わたしが少ししか怒らないでいると、彼らは欲するままに悪事を行った。』 1:16 それゆえ、【主】はこう言われる。『わたしは、あわれみをもってエルサレムに帰る。そこにわたしの宮が建て直される。──万軍の【主】のことば──測り縄がエルサレムの上に張られる。』 1:17 もう一度叫んで言え。『万軍の【主】はこう言われる。わたしの町々には、再び良いものが満ちあふれ、【主】は再びシオンを慰め、再びエルサレムを選ぶ。』」 1:18 私が目を上げて見ると、なんと、四つの角があった。 1:19 私と話していた御使いに「これらは何ですか」と尋ねると、彼は言った。「これらは、ユダとイスラエルとエルサレムを散らした角だ。」 1:20 そのとき、【主】は四人の職人を私に見せてくださった。 1:21 私が「この人たちは、何をしに来たのですか」と尋ねると、主は次のように言われた。「これらはユダを散らして、だれにも頭をもたげさせなかったあの角だ。この人たちは、これらの角を震え上がらせるために、やって来たのだ。ユダの地を散らそうと角をもたげる国々の角を打ち滅ぼすためだ。」 |
2025年10月14日(火)リビングライフQT BC 598年 ユダ王国エホヤキン王の時に、バビロンのネブカデネザル王により、ユダ王国は侵略の憂き目に遭い、引き続きゼデキヤ王の代になって、エルサレレムは三年に亘る徹底した包囲攻撃に、遂に食糧は尽き、餓死者が出るまでになりました。BC586年ユダ王国もエルサレレムも、完全に滅亡に至ったのです。 それから約70年(12節)を経て、第3代のペルシャ王ダレイオス王の時代に、預言者ゼカリヤに顕された、主なる神からの幻とメッセーなのです。 14節~エルサレムとシオンを、 ねたむほど激しく愛した。 ユダの民が、主なる神の愛に背いたのを見て、愛するが故に、彼らをバビロンの手に陥らせた。 それは、愛する民の悔い改めの試練として、与えられたのです。近隣の国民は、神の御計画から来る、神の民への一時的勝利なのに、彼らは、自分の力で勝利したと思い、神の民への暴虐を止めない(15節)と怒られ、御自分の民の中に、帰る‼️と、言われた。 私達は、気を付けないと、人生の中で、勝利が続き、全てが上手く行くときには、まるで、自分の力量から得た勝利だ‼️と、傲慢になり、神の隠れた意図を忘れて、高ぶった思いになりがちです。 その様な心の隙間に対して、神は、選びの民の元に返り、彼らの味方として、勝利の繁栄を約束されるのです。 この聖書テキストでは、選ばれているエルサレムに対する、神のなされた約束の業です。 かつては、神の民を目覚めさせるために、アッスリヤをバビロンを、 神の愛する民への警告と目覚めのために用いられたが、今や、傲慢に堕ちた異邦人の民に、審判の角を 見させられたのです。(21節) 私達は・自分はクリスチャンだから・・・と、傲慢にならないように、気を付けねば、なりません。 憐れみ深い神は、怒られても、信じる者に味方してくださいます。それ故、謙虚に歩まなければならないのです。 懲らしめられても、悔い改める者に味方されるお方に、慕う思いを持って、主の手に支えられたいですね。 |
| ゼカリヤ書 2章1節~13節 2:1 私が目を上げて見ると、なんと、一人の人がいた。その手には、一本の測り綱があった。 2:2 私が「あなたはどこへ行くのですか」と尋ねると、彼は私に「エルサレムを測りに。その幅と長さがどれほどあるかを見るために」と答えた。 2:3 すると見よ、私と話していた御使いが出て行った。また、もう一人の御使いが、その御使いに会うために出て行き、 2:4 彼に言った。「走って行って、あの若い者にこう告げよ。『エルサレムは、その中に人と家畜があふれ、城壁のない町のようになる。 2:5 わたしが──【主】のことば──それを取り巻く火の城壁となる。わたしがそのただ中で栄光となる。 2:6 さあ、すぐに、北の国から逃げよ。──【主】のことば──天の四方の風のように、わたしがあなたがたを散らしたのだ。──【主】のことば── 2:7 さあ、シオンに逃れよ。娘バビロンとともに住む者よ。』 2:8 あなたがたを略奪した国々に主の栄光が私を遣わした後、万軍の【主】がこう言われたからだ。『あなたがたに触れる者は、わたしの瞳に触れる者。 2:9 見よ、わたしは彼らに手を振り上げる。彼らは自分に仕えた者たちに略奪される』と。このときあなたがたは、万軍の【主】が私を遣わされたことを知る。 2:10 『娘シオンよ、喜び歌え。楽しめ。見よ。わたしは来て、あなたのただ中に住む。──【主】のことば── 2:11 その日、多くの国々が【主】に連なり、わたしの民となり、わたしはあなたのただ中に住む。』このときあなたは、万軍の【主】が私をあなたに遣わされたことを知る。 2:12 【主】は聖なる土地で、ユダをご自分の受ける分とし、エルサレムを再び選ばれる。 2:13 すべての肉なる者よ、【主】の前で静まれ。主が聖なる御住まいから立ち上がられるからだ。」 |
2025年10月15日(水)リビングライフQT 何と❗ 力強い回復の預言‼️ 昨日も書きましたが、ユダ王国は、エルサレムと共に、繁栄の痕跡すら思い出せないほどにまで、バビロンによって破壊され尽くしたのでした。 (6節・・・ −主のことば− 天の四方の風のように、わたしがあなたがたを散らしたのだ。−主のことば−) 破壊されたエルサレムは、想像するに、今のガザ地域の廃墟のようではなかっただろうか… 勿論、3000年近い昔の世界ですから、その瓦礫の様子は、違っていたでしょうが、最早、再建不可能な荒廃状態だったことでしょう。 外見だけでなく、材料・材質・寸法・・・・etc. それらにまつわる設計図等・・・ ところが、今朝の預言者の記録には、 1節~《一本の測り綱があった》と、記されています。この《測り綱》とは、全能の神の、新たな再建・創造の預言=計画の約束を意味しているのです。 かつて、ユダの民の暴虐と反抗の故に、神は彼らを北の国アツシリヤ・バビロンに散らされ、約束のカナンの地は、獣すら住まない地になっていたのです。そこに、この約束の語り掛けなのです。 10節~娘シオンよ、喜び歌え。楽しめ。 見よ。わたしは来て、あなたのただ中に住む。 ―主のことば― 何と言う慰めと、励ましに満ちた御言葉でしょう‼️ 思い巡らしましょう。数千年前のユダの民、エルサレムの住民の感動を。 それはあなたの人生に起こった、《永遠の命》の回復の出来事と重なっているのです。その回復《復活》の現実は、まだ、見てはいません。しかし、既に、測り縄はあなたのために与えられているのです。何と‼️・・・それは、あの❗ゴルゴタの十字架なのです。 ‼️ハレルヤ‼️ 13節~すべての肉なる者よ、 主の前で静まれ。 主が聖なる御住まいから立ち上がられるからだ‼️ |
| ゼカリヤ書 3章1節~10節 3:1 主は、【主】の使いの前に立っている大祭司ヨシュアを私にお見せになった。サタンが彼を訴えようとしてその右手に立っていた。 3:2 【主】はサタンに言われた。「サタンよ、【主】がおまえをとがめる。エルサレムを選んだ【主】が、おまえをとがめる。この者は、火から取り出した燃えさしではないか。」 3:3 ヨシュアは汚れた服を着て、主の使いの前に立っていた。 3:4 御使いは、自分の前に立っている者たちにこう答えた。「彼の汚れた服を脱がせよ。」そしてヨシュアに言った。「見よ、わたしはあなたの咎を除いた。あなたに礼服を着せよう。」 3:5 私は言った。「彼の頭に、きよいターバンをかぶらせなければなりません。」すると彼らは、彼の頭にきよいターバンをかぶらせ、服を着せた。そのとき、【主】の使いはそばに立っていた。 3:6 【主】の使いはヨシュアを諭して言った。 3:7 「万軍の【主】はこう言われる。『もし、あなたがわたしの道に歩み、わたしの戒めを守るなら、あなたもまた、わたしの家を治め、わたしの庭を守るようになる。この立っている者たちの間に出入りすることをわたしはあなたに許す。 3:8 聞け、大祭司ヨシュアよ。あなたも、あなたの前に座している同僚たちも。彼らはしるしとなる人たちだ。見よ、わたしはわたしのしもべ、若枝を来させる。 3:9 見よ、わたしがヨシュアの前に置いた石を。一つの石の上には、七つの目がある。見よ、わたしはそれに文字を彫る。──万軍の【主】のことば──一日のうちに、わたしはその地の咎を取り除く。 3:10 その日には、──万軍の【主】のことば──あなたがたは互いに自分の友を、ぶどうの木といちじくの木の下に招き合う。』」 |
2025年10月16日(木)リビングライフQT 1節~《大祭司ヨシュア》とは、やがて顕されようとする、《イエス・キリスト》を、 指しています。 主の使いの前に立つ大祭司ヨシュアーを顕された。その様子を見たサタンは、(訴えようとした )・・・・と、記されているが、この方こそ、贖い主イエス・キリストのなのです。 この様子(設定)は、創世記の人間創造の時の・・・創造主ー創造された人 ーサタン・・・と言った構図を顕しているようです。 サタンは神の御計画を片端から塗り消そう、妨げようとして、闘いを挑んでいるのです。 神は直ちに、サタンに対して、その目論見(計画)を、責められます。 3節~ヨシュア(イエス・キリスト)は、汚れた服を着て(人=私・私達の)罪を担い、私達の汚れと罪を身に帯びておられる ・・・・・ 私はこの行を読み、身体が震える思いがしました。 私の罪の汚れが、この御方の汚れた衣なんだ・・・ 4節~わたしはあなたの咎を除いた。との御使いの宣言は、私の魂の赦しと、清めの宣言だと‼️ 何度も何度も、読み直しては、あまりの尊さに、手を止めて、感謝の祈りを捧げずには居られませんでした。 ゼカリヤも思わず、ターバンを ・・・と声を出す・・・このターバンとは、《王冠》のことなんです。 更に、6節~10節は、主の使い(創造主なる神、全能者)が語るメッセージは、この御方(大祭司ヨシュア)が、やがて、全ての罪人のために、為される業(9節・・・一日のうちに、わたしはその地の咎を取り除く)と・・・・ 何と言う慰め、 何と言う励まし‼️ その喜びは、友を誘い合って、ぶどうの木といちじくの木の下に招く・・・ 正に今の時代の、礼拝の恵を思い浮かべました。 ハレルヤ |
| ゼカリヤ書 4章1節~14節 4:1 私と話していた御使いが戻って来て、私を呼び起こした。私は眠りから覚まされた人のようであった。 4:2 彼は私に言った。「あなたは何を見ているのか。」私は答えた。「私が見ると、全体が金でできている一つの燭台があります。その上部には鉢があり、その鉢の上には七つのともしび皿があります。この上部にあるともしび皿には、それぞれ七本の管が付いています。 4:3 また、そのそばには二本のオリーブの木があり、一本はその鉢の右に、もう一本は左にあります。」 4:4 私は、私と話していた御使いに言った。「主よ、これらは何ですか。」 4:5 私と話していた御使いが答えて言った。「あなたは、これらが何であるかを知らないのか。」私は言った。「主よ、知りません。」 4:6 彼は私にこう答えた。「これは、ゼルバベルへの【主】のことばだ。『権力によらず、能力によらず、わたしの霊によって』と万軍の【主】は言われる。 4:7 大いなる山よ、おまえは何者か。おまえはゼルバベルの前で平らにされる。彼がかしら石を運び出せば、『恵みあれ。これに恵みあれ』と叫び声があがる。」 4:8 また、私に次のような【主】のことばがあった。 4:9 「『ゼルバベルの手がこの宮の礎を据えた。彼の手がそれを完成させる。』そのときあなたは、万軍の【主】が私をあなたがたに遣わされたことを知る。 4:10 だれが、その日を小さなこととして蔑むのか。人々はゼルバベルの手にある重り縄を見て喜ぶ。これら七つは、全地を行き巡る【主】の目である。」 4:11 私は彼に尋ねた。「燭台の左右にある、この二本のオリーブの木は何ですか。」 4:12 そして再び尋ねた。「二本の金の管によって金の油を注ぎ出す、このオリーブの二本の枝は何ですか。」 4:13 すると彼は私にこう言った。「あなたは、これらが何であるかを知らないのか。」私は言った。「主よ、知りません。」 4:14 彼は言った。「これらは、全地の主のそばに立つ、二人の油注がれた者だ。」 |
2025年10月17日(金)リビングライフQT 非常に理解しづらい内容ですが、ゼカリヤ書の、最も重要な目的を示される幻の啓示なのです。 ゼカリヤに、これから啓示される幻は・・・・・・ ペルシャのキュロス王により、ユダヤ人解放令が出されて、最初の帰還者が5万人を超えました。彼らは先ず身体を休める仮小屋を建て、生活の再建を図ったのでしょう。しかし、材料は乏しく、夜は狼、ライオンがうろつく中で身を潜めての再建でした。 生活は何とか出来ても、神殿(ユダ・イスラエルの民にとって、神の臨在を仰ぐ)の再建は急務でした。しかし、再建となると、自分達の様な仮小屋・・・と言うわけにはいかなかったのです。建築材料(金・銀・銅・香柏・大理石・・・etc.)等、どうやっても、帰還したばかりの民の手では、調達できないので・・・・ 神殿再建は、 15年間も、宙に浮いたままで、設計図さえも、再現されなかったのです。 祭司も指導者ゼルバベルも、打ちのめされ、絶望のどん底に在ったときに、この幻が啓示されたのです。 ❇金で出来た燭台が輝きその前には七つの鉢(灯火皿)が・・・ 側に生え出たオリーブの二本の木が、灯火皿に油を供給するために、管が出ていた。・・・・ これは正に、神殿再建への道筋を示す、保障として示されたのです。 御使いがゼルバベルに問うと、意味不明❓ すると、6節の言葉が示されました。 『権力によらず、能力によらず、 わたしの霊によって』 と、万軍の主が言われた。 これこそ荒廃に満ちた、エルサレムを再建するのは、人の知恵や、権限や、財力によらず、ただ神の霊による‼️ と、宣言されたのです。 実は、この御言葉は、日本アッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団のシンボルとなっている御言葉なのです。 第二次世界大戦(大東亜戦争)で大敗を喫した日本 最早立ち上がる気力もなくした祖国。そうした瓦礫の中から、聖霊に満たされた、弓山先生を初め10名に足らない伝道者達が立ち上がって、この御言葉を盾に、戦後日本の教会中から、いち早く、祈りの団結を持って、JAG(日本アッセンブリ~ズ・オブ・ゴッド教団)を建て挙げたのです。燎原の火のように北海道から沖縄まで、聖霊の火は拡がったのです、正にエルサレムの再建のように。 私達の神の臨在する教会を、建て挙げるために、このみことばが与えられたのです。 わたしの霊による‼️ ハレルヤ‼️ |
| ゼカリヤ書 5章1節~11節 5:1 私が再び目を上げて見ると、なんと、一つの巻物が飛んでいた。 5:2 御使いは私に言った。「あなたは何を見ているのか。」私は答えた。「飛んでいる巻物を見ています。その長さは二十キュビト、幅は十キュビトです。」 5:3 すると彼は私に言った。「これは全地の面に出て行くのろいだ。盗む者はみな、一方の面に照らし合わせて取り除かれ、また、偽って誓う者はみな、もう一方の面に照らし合わせて取り除かれる。」 5:4 「わたしがそれを送り出す。──万軍の【主】のことば──それは盗人の家に、また、わたしの名によって偽りの誓いを立てる者の家に入り、その家の真ん中にとどまって、その家を梁と石とともに絶ち滅ぼす。」 5:5 私と話していた御使いが出て来て、私に言った。「目を上げて、この出て行く物が何かを見よ。」 5:6 私が「これは何ですか」と尋ねると、彼は言った。「これは、出て行くエパ升だ。」さらに言った。「これは、全地にある彼らの目だ。」 5:7 見よ。鉛のふたが持ち上げられると、エパ升の中に一人の女が座っていた。 5:8 彼は、「これは邪悪そのものだ」と言って、その女をエパ升の中に閉じ込め、エパ升の口の上に鉛の重しを置いた。 5:9 それから、私が目を上げて見ると、なんと、二人の女が出て来た。その翼は風をはらんでいた。彼女たちには、こうのとりの翼のような翼があり、あのエパ升を地と天の間に持ち上げた。 5:10 私は、私と話していた御使いに尋ねた。「この人たちは、エパ升をどこへ持って行くのですか。」 5:11 彼は私に言った。「シンアルの地に、あの女のために神殿を建てるためだ。それが整うと、そこの台の上にその升を置くのだ。」 |
2025年10月18日(土)リビングライフQT この章のポイントは、創造者なる神が、人の魂(心)の中に巣くった、あらゆる隠れた罪汚れを、暴かれる様を描いているのです。罪(サタン)の実態(罪・汚れ)は、これを実行してきた、罪人の家(心の中)に逃げ込む(4節)・・・ しかし、その全ての罪汚れは、根こそぎ(その家と梁と石➡土台)を、絶ち滅ぼす。と、宣言されました。 しかし、罪人は、更に執拗に、神の御手から逃れようと、破壊された家から出て行く。 その先にエパ桝(穀物を入れて量る器=籠)が在り、その中に逃げ込んだ。 そのエパ桝を開けると、そこには悪と汚れをまとった女がいた。 8節~11節の描写は、これ等悪の権現(日本的表現を敢えて用いましたが)即ち、サタンの最大限の力と影響力を持って、数千年 否 数万年前の、人類の罪の積み重なった、神に反抗する勢力がこぞって、人類から神の影響力を亡き者にしようと、シンアル(昔の聖書でばシヌアル゙と、表現されている、メソポタミア平原に塔を築き、罪と汚れを持って神の創造世界を、混乱に陥れようとした、《バベルの塔》事件があった。そこにサタンの王国の再建を図ろうとしていたのです。 この出来事は、決して世界的拡がりの歴史を示しているのではなく、いかなる営みを持っているところにも、このエパ桝は、置かれようとしているのです。サタンの侵略図なのです。 御使いが暴く、この様なサタンの侵略計画を、心して排除するため、私達は常に眼を高く挙げて、永遠の神の光の輝く、創造完成の世界を望み観て、常にこの身この魂を主に献げつつ、御国の完全の開かれる日を待ち望みたいですね。 主よ、速やかに来たりませ‼️ |
| ゼカリヤ書 6章1節~15節 6:1 私が再び目を上げて見ると、なんと、四台の戦車が二つの山の間から出て来た。山は青銅の山であった。 6:2 第一の戦車には赤い馬が、第二の戦車には黒い馬が、 6:3 第三の戦車には白い馬が、第四の戦車には斑毛の強い馬が、数頭ずつつながれていた。 6:4 私は、私と話していた御使いに尋ねた。「主よ、これらは何ですか。」 6:5 御使いは答えた。「これらは天の四方の風だ。全地の主の前に立った後に、出て行くことになる。 6:6 そのうちの黒い馬は北の地へ出て行き、白い馬は西へ出て行き、斑毛の馬は南の地へ出て行く。」 6:7 強い馬たちが出て来た。それらは地を駆け巡ろうとしていたので、彼が「行って、地を駆け巡れ」と言うと、それらは地を駆け巡った。 6:8 そのとき、彼は私に叫んで、次のように告げた。「見よ、北の地へ出て行った馬を。これらは北の地で、わたしの霊を鎮めた。」 6:9 また、私に次のような【主】のことばがあった。 6:10 「捕囚の民であったヘルダイ、トビヤ、エダヤからささげ物を受け取れ。その日あなたは行って、バビロンから帰って来た、ゼパニヤの子ヨシヤの家に入れ。 6:11 銀と金を取って冠を作って、エホツァダクの子、大祭司ヨシュアの頭にかぶらせ、 6:12 彼にこう言え。『万軍の【主】はこう言われる。見よ、一人の人を。その名は若枝。彼は自分のいるところから芽を出し、【主】の神殿を建てる。 6:13 彼が【主】の神殿を建て、彼が威光を帯び、王座に就いて支配する。その王座の傍らに一人の祭司がいて、二人の間には、平和の計画がある。』 6:14 その冠は、ヘルダイ、トビヤ、エダヤ、ゼパニヤの子ヨシヤの記念として、【主】の神殿の中に残る。 6:15 また、遠く離れていた者たちも来て、【主】の神殿を建てる。このときあなたがたは、万軍の【主】が私をあなたがたに遣わしたことを知る。もしあなたがたが自分たちの神、【主】の声に確かに聞き従うなら、そのようになる。」 |
2025年10月19日(日)リビングライフQT 旧約聖書の預言書には、この様な、象徴的な幻による神からの語り掛けを多く見ます。 新約聖書では、黙示録がそうですね。 この理解に困難な幻や、現象や、呼び掛けは、文学的・宗教的神秘性を持って、メッセージを、より効果的に印象付けようとする為の手法で、その異象を解説しながら、聴く魂に、神ご自身の思いを強く印象付けつつ、預言の真実性を、強く知らせているのです。 当時としては、最も怖ろしい最強の武器である《戦車=御者の乗る二輪の車軸の外側に鋭い刃物が出ていて、その回転で接近する歩兵や敵の戦車や騎馬団を斬り刻む・・・》 即ち、終わりの時代の人々にこれから起ころうとする恐怖の審判を、示そうとするための、序奏が、この幻なのです。 12節~一人の人を。その名は若枝。・・・・神殿を建てる。 何を思いますか❓ ゼカリヤ書には、ユダ・イスラエルの民の帰還が実現した夢のような出来事の後、彼らを襲ったのは、無力感と絶望でした…と記されています。 神殿の再建など、夢の又夢・・・・ そんな無気力な民に主なる神は、強烈な語り掛けと幻の中から、民の神殿再建と民の生活の回復を、励ますのです。 15節~遠く離れていた者達も来て・・・ アッシリヤ・バビロンに捕囚とされていた、民が、次々と帰還し、彼らによって、神殿は再建される。…と 何と言う慰めに満ちたメッセージでしょう。 最初の帰還民達は、このメッセージを聴き、どれほど孤立感から解放されたことでしょう。 正に私達も教会も、今、日本という異教の中で家庭の中に一人だけのクリスチャンであったり、圧倒的数の神社やお寺の中にポツンと在る教会が、地域の祭、季節行事・・・その度にどう対処すべきか戸惑う。 昨日のニュースで、石破総理が、靖国神社には参拝しなかったが、自費で玉串を奉納した・・・ 苦肉の策でしょうが、クリスチャンを自認しながら、矢張り古来の日本の縛りには勝てない現実。祭の寄付、神社の行事への参加協力要請・・・等々 しかし悩まないでください。 祈り合いましょう。 語り合いましょう。 主からの知恵を頂きましょう。 『もしあなたがた自分達の神、主の声に確かに聞き従うなら、その様になる。』 御互いに語り合い、そして励ましを得ましょう。貴方の歩みの道は拓かれます‼️ |
| ゼカリヤ書 7章1節~14節 7:1 ダレイオス王の第四年、第九の月、すなわち、キスレウの月の四日に、ゼカリヤに【主】のことばがあった。 7:2 そのとき、ベテルは【主】の御顔を求めるために、サル・エツェルとレゲム・メレクおよびその従者たちを遣わして、 7:3 万軍の【主】の宮に仕える祭司たちと、預言者たちに尋ねた。「私が長年やってきたように、第五の月にも、断食をして泣かなければならないでしょうか。」 7:4 すると、私に次のような万軍の【主】のことばがあった。 7:5 「この国のすべての民と祭司たちにこう言え。この七十年の間、あなたがたが、第五の月と第七の月に断食して嘆いたとき、本当にこのわたしのために断食したのか。 7:6 あなたがたが食べたり飲んだりするとき、食べるのも飲むのも、自分たちのためではなかったか。 7:7 エルサレムとその周りの町々に人が住み、平和であったとき、またネゲブやシェフェラに人が住んでいたとき、【主】が先の預言者たちを通して告げたことばは、これらのことではなかったのか。」 7:8 それから、ゼカリヤに次のような【主】のことばがあった。 7:9 万軍の【主】はこう言われる。「真実のさばきを行い、誠意とあわれみを互いに示せ。 7:10 やもめ、みなしご、寄留者、貧しい者を虐げるな。互いに対して、心の中で悪を企むな。」 7:11 ところが、彼らは拒んでこれを聞こうともせず、肩を怒らせ、その耳を鈍くして聞き入れなかった。 7:12 彼らは心を金剛石のようにし、万軍の【主】がその御霊によって先の預言者たちを通して送られた、みおしえとみことばを聞き入れなかった。そのため、万軍の【主】から大きな御怒りが下った。 7:13 「彼らは呼ばれても聞かなかった。そのように、彼らが呼んでも、わたしは聞かない──万軍の【主】は言われる──。 7:14 わたしは、彼らを知らないすべての国々に彼らを吹き散らした。この地は、彼らが去った後荒れすたれ、行き来する者もいなくなった。こうして彼らはこの慕わしい国を荒れすたらせた。」 |
2025年10月20日(月)リビングライフQT 神の怒り ユダ族が、バビロンに捕囚となった時から、70年の時を経て、大部分が代替わりをするほどの間、彼らは必ずエルサレムに帰還する日を、誰もが待ち望んで止まなかったはずです。 その証に、彼らは定期的に断食し、祈り、願いを献げ、神に聴いて頂くように、70年もの間、忠実に求め続けたのです。 この、民の熱く熱心な祈り(?)を、神は、《自分達のためではなかったか》と、評されたのです。 何が?何処が?・・・ ユダ族は、国を奪われ、民の信仰の象徴たる、エルサレムと、その神殿を略奪され、古代世界の中で、屈辱の極みを身に受けたのです。 この悔しさと無念を何としても晴らすた(何)めに、日本的に言えば《願掛け》の様にして、断食を民に課し、嘆きを顕す為に敢えて《泣く》パフォーマンスを神の前に顕し続けてきたのです。 正に、願掛けパフォーマンスなのです。 所が、実際の所、ユダの滅亡と、神殿の略奪とは、共に、神のお心には、これ以上ない屈辱となり神の敗北にも似たものとなりました。 それは周辺諸都市と文化に、大きな影響力となり、神の権威と御力に陰りさえ噂さされる事態となったのです。 この事態は更なる、神の栄光と、民の繁栄の姿の間に、埋めることの出来ないギャップを、生み出したのです。 今、民に必要なのは、名誉の回復ではなく、神の栄光の回復なのです。 ここに、人間の罪深さが表れています。正に、私達の今日的生活の中での場合にも、ともすると、神との関係の破壊された姿より(即ち、神の前での罪深さ)、傷つく名誉や、人の眼にどう映るか・・・を気にして、 神との関係に心痛め悔い改めて神の前に出ることをしない、信仰者のようです。神御自身をどんなに悲しませ、神のお心を踏みつけにしたかを、悔い改める事が、一番大切な霊的秩序なのだと、学ばせられます。 ☆13節 『彼らは呼ばれても聞かなかった。そのように、彼らが呼んでも、私は聞かない』…と、 神御自身の強い苦悩を表しています。 主よ❗御赦し下さい。あなたの栄光を回復させて下さい。あなただけが褒め讃えられますように‼️ |
| ゼカリヤ書 8章1節~17節 8:1 次のような万軍の【主】のことばがあった。 8:2 万軍の【主】はこう言われる。「わたしは、シオンをねたむほど激しく愛し、激しい憤りをもってこれをねたむ。 8:3 ──【主】はこう言われる──わたしはシオンに帰り、エルサレムのただ中に住む。エルサレムは、真実の都と呼ばれ、万軍の【主】の山は、聖なる山と呼ばれる。 8:4 ──万軍の【主】はこう言われる──再び、エルサレムの広場に、老いた男、老いた女が座り、みな長寿で手に杖を持つ。 8:5 都の広場は、男の子と女の子でいっぱいになる。子どもたちはその広場で遊ぶ。 8:6 ──万軍の【主】はこう言われる──もし、これがその日に、この民の残りの者の目には不思議に見えても、わたしの目には、不思議に見えるだろうか。──万軍の【主】のことば。」 8:7 万軍の【主】はこう言われる。「見よ。わたしは、わたしの民を日の出る地と日の沈む地から救い、 8:8 彼らを連れ帰り、エルサレムのただ中に住まわせる。このとき、彼らはわたしの民となり、わたしは真実と義をもって彼らの神となる。」 8:9 万軍の【主】はこう言われる。「勇気を出せ。万軍の【主】の家である神殿を建てるために基が据えられた日以来、あなたがたはこれらのことばを、預言者たちの口から聞いてきたではないか。 8:10 その日以前は、人の働きに報酬がなく、家畜の働きにも報酬がなかった。出て行く者にも、帰って来る者にも、敵がいるために平安がなかった。わたしがすべての人を互いに争わせたからだ。 8:11 しかし今、わたしはこの民の残りの者に対して、かつての日々のようではない。──万軍の【主】のことば── 8:12 それは、平安の種が蒔かれ、ぶどうの木が実を結び、地が産物を出し、天が露を滴らすからだ。わたしはこの民の残りの者に、これらすべてを受け継がせる。 8:13 ユダの家よ、イスラエルの家よ。あなたがたは国々の間でのろいとなったが、同様に、わたしはあなたがたを救う。あなたがたは祝福となる。恐れるな。勇気を出せ。」 8:14 まことに、万軍の【主】はこう言われる。「あなたがたの先祖がわたしを怒らせたとき、わたしはあなたがたにわざわいを下そうと決意し──万軍の【主】は言われる──わたしは思い直さなかった。 8:15 そのように、今や再び、わたしはエルサレムとユダの家に幸いを下そうと決意した。恐れるな。 8:16 これがあなたがたのなすべきことだ。あなたがたはそれぞれ隣人に対して真実を語り、真実と平和をもたらす公正さをもって、あなたがたの門の中でさばきを行え。 8:17 互いに心の中で悪を謀るな。偽りの誓いを愛するな。これらはみな、わたしが憎むものだからだ。──【主】のことば。」 |
2025年10月21日(火)リビングライフQT ※ この、リビングライフQTのメッセージを、読まれる方は、最初に記載されている、 聖書テキストの箇所を、必ず読んでこのメッセージをお読みください。 このリビングライフを用いてのメッセージは、5年~7年で新旧聖書全巻を通読することが出来る、優れたテキストなのです。私のメッセージだけ読んだのでは、聖書の語り掛けは解りません。必ず毎日聖書テキストを読んだ上で、或いは読みながら、主なる神の御心を学んでください。 私の切なる願いです。 神がお選びになられ、これを愛し導かれた、イスラエルとユダの民の、歴史を少し記しておきましょう。 ※ダビデ王国の始まり BC.1013年 ※ソロモン後の王国分裂 BC 933年 ※イスラエル王国(北王国)アッシリヤにより滅亡 BC 722年 ※ユダ王国エルサレムと共に滅亡(BC586年) ※ペルシャ王クロス 王によるユダの解放と帰還。BC 559年 ※エルサレム神殿回復の預言。 BC 526年 ユダ王国がバビロンによって亡ぼされてから約70年後、神は、ゼカリヤを通して、ユダ・イスラエルの民の回復、即ち、エルサレムの再建への神の御計画を明らかにされたのが、このゼカリヤの預言なのです。主なる神が、選びの民に御自身の胸の内を顕されたのが、今日のテキストなのです。 神は、イスラエルとユダの民を、こよなく愛されました。彼らをして、世界の全ての民に、人類への愛の御計画を顕そうと、歴史的計画を整えられたにも拘わらず、民は従わず、自らの利得にのみ走り、神の愛に目を向けなかったのです。それを神は・・・・ 2節~わたしは、シオンをねたむほど激しく愛し、激しい憤りをもってこれをねたむ。・・と、語られたのです。 それがあのアッシリヤによるイスラエルの滅亡だったし、更にバビロンによるユダの壊滅、更にはエルサレムの崩壊だったのです。こうして神は、御自身の切々たる御思いを語り始められ・・・更に、 13節~ユダの家よ、イスラエルの家よ、あなたがたは国々の間でのろいとなったが、わたしはあなた方を救う。 あなたがたは祝福となる。 恐れるな。勇気を出せ。」 最後に、長くなりますので聖句の箇所だけ記して終わります。 ☆16節・17 節~ これがあなたがたのなすべきことだ。 ・・・・・・・ 今朝のテキストは、主なる神の、御思いが魂に迫り、今のわたしにも又、語り掛けられる御声として、切々と、響いてきました。 この様にして、私達はは赦され愛されて来たのだ‼️・・・・と。ア~メン |
| ゼカリヤ書 8章18節~23節 8:18 さらに、私に次のような万軍の【主】のことばがあった。 8:19 万軍の【主】はこう言われる。「第四の月の断食、第五の月の断食、第七の月の断食、第十の月の断食は、ユダの家にとって、楽しみとなり、喜びとなり、うれしい例祭となる。だから、真実と平和を愛しなさい。」 8:20 万軍の【主】はこう言われる。「再び諸国の民がやって来る。多くの町々の住民が。 8:21 一つの町の住民はもう一つの町へ行き、『さあ行って、【主】の御顔を求め、万軍の【主】を尋ね求めよう。私も行こう』と言う。 8:22 多くの国の民、強い国々が、エルサレムで万軍の【主】を尋ね求め、【主】の御顔を求めるために来る。」 8:23 万軍の【主】はこう言われる。「その日には、外国語を話すあらゆる民のうちの十人が、一人のユダヤ人の裾を固くつかんで言う。『私たちもあなたがたと一緒に行きたい。神があなたがたとともにおられる、と聞いたから。』」 |
2025年10月22日(水)リビングライフQT 昨日の神からの御言葉を一部思い出しましょう。 8章15節~・・・今や再び、わたしはエルサレムとユダの家に《幸い》を下そうと決意した。恐れるな。 16節~これがあなたがたのなすべきことだ。あなたがたはそれぞれ隣人に対して真実を語り、真実と平和をもたらす公正さをもって、あなたがたの門の中でさばきを行え。 この主の御言葉から、エルサレムとユダが、バビロンに亡ぼされる前は、主なる神のこの御言葉と真反対の日常が展開し、やもめ・貧しい者は、蔑まれ、益々搾取され、差別されて、歪みきった都だったと、推察できます。これが選びの民の神聖な都、神の御座の有る街だったのです。何故、神自らこの町をバビロンに蹂躙させられたかが、推察できますね。 ところが今や、全く世界が変わり、愛と、慰めと、豊かさと、赦しが、都を覆っているのです。だから断食は、決まりや業(ワザ)ではなく、感謝と喜びの証しとしての{業}となるでしょう。この日が楽しみの日となったことでしょう。 ☆20〜21節 万軍の主はこう言われる。 「再び諸国の民がやって来る。 多くの町々の住民が 。一つの町の住民はもう一つの町へ行き、『さあ行って、主の御顔を求め、万軍の主を尋ね求めよう。私も行こう』と言う。多くの国の民、強い国々がエルサレムで万軍の主を尋ね求め、主の御顔を見るために来る。亅 これが永遠の神の国ですし、私達の神と伴に在る喜びに、共通する、救いの恵なのです。あなたの日々は、この様な日々でしょうか?? 勝利の主と伴に在れば‼️ハレルヤ‼️ 明日(23日)のテキスト (旧)ゼカリヤ書 9章1節~8節 |
| ゼカリヤ書 9章1節~8節 9:1 宣告。【主】のことばはハデラクの地にあり、ダマスコは、それがとどまる場所。【主】に向けられるのは、人々の、そしてイスラエルの全部族の目。 9:2 これに境を接するハマテや、非常に知恵のあるツロやシドンの目も。 9:3 ツロは自分のために砦を築き、銀をちりのように、黄金を道端の泥のように積み上げた。 9:4 見よ。主はツロを占領し、その富を海に打ち捨てる。ツロは火で焼き尽くされる。 9:5 アシュケロンは見て恐れ、ガザも大いにもだえる。エクロンもだ。自分たちが頼みにしていたものが辱められたからだ。ガザから王が消え失せ、アシュケロンには人が住まなくなる。 9:6 アシュドデには混血の民が住むようになる。わたしはペリシテ人の誇りを断ち切り、 9:7 その口から流血の咎を、その歯の間から忌まわしいものを取り除く。彼も、私たちの神のために残され、ユダの中の一首長のようになる。エクロンもエブス人のようになる。 9:8 わたしは、わたしの家のために、行き来する者の見張りとして衛所に立つ。もはや、虐げる者はそこを通らない。今わたしがこの目で見ているからだ。 |
2025年10月23日(木)リビングライフQT エルサレム・ユダ・イスラエルの回復に付随して、神が語られた勝利の宣言です。沢山の地名が記録されていますが、神がかつて、出エジプトを果たした(導かれた)時、《約束の地=カナン》の各地に都市国家を築いていたペリシテ人。 彼らは高度な文化、即ち、周りの諸民族に先駆けて、鉄器文化を手にし、パレスチナ全域、北のシリアにまで、その勢力を誇示した民族だったのです。 地中化沿岸部はもとより、カナンの肥沃な大地、シャロン平原も、支配していました。その間を縫うようにイスラエルは、この地域に定住して、闘いに明け暮れたり、彼らの偶像に取り込まれては神の怒りを受けたり・・・ しかし、その様な困難な歴史に終止符を打ったのは・・・・・・ 少年ダビデのゴリヤテとの対決で、神により大勝利を得た時から、連戦連勝‼️ 更に、モリヤの山に要塞都市を築いて、その力を誇示していた、エブス人を、ダビデの軍が、一掃し、かつて-500年以上前-この《モリヤの山》で、アブラハムがイサクを献げたこの山を、イスラエルの民の神《ヤハウェ》の、神殿の街として、永遠の都『エルサレム』を築いたのです。 しかし、民は偶像に走り、ソロモンの栄耀栄華の果て、民は、北のイスラエル(10氏族)・南のユダ(二氏族)に分裂したのです。 211年後に北イスラエル王国はアッシリアに亡ぼされ 87年後に南ユダ王国は、バビロニヤによって、捕囚の身となりこの地は、廃墟となったのです。 最早再建の夢も叶わぬ様な事態の中から、 新たな再建の展開が、66年の後に、動き始めたのです。 今朝の・・・預言者ゼカリヤを通して語られたメッセージは、困難の最中に、再建を妨げる、周りの民の妨害の重なる中で、ユダとイスラエルに、恒久的な勝利と、この地全域の栄光の支配を、約束されたのです。 北は強大な帝国《シリア》、また、地中海沿岸の400kmに亘る多くの古代からの港を含む繁栄の町々、更に、内陸のシャロン平原の、穀倉地帯を奪還し、これ等の地に見張りを置く‼️ 何と言う、信じられない様な、神の宣言でしょう。 まだ、見もしない繁栄と、踏み出してもない未来の時間に向かっての約束❗ これこそが、神が私達に賜る新しい恵なのです。そしてそれを信仰によって、勝ち取る時、新しい境地が開かれるのです。私達は、イスラエルと神様との関係の中から、今の信仰人生を学ぶのです。 ☆あなたは、祈りの中で、主からの御声と導きとを、見聞きしますか❓ ☆礼拝時のメッセージから・・・毎日の聖書の学び(通読)から、主からの御声を聴いてきましたか❓ 魂を研ぎ澄まし、祈りの深みから、主に御出会いしましょう‼️ |
| ゼカリヤ書 9章9節~17節 9:9 娘シオンよ、大いに喜べ。娘エルサレムよ、喜び叫べ。見よ、あなたの王があなたのところに来る。義なる者で、勝利を得、柔和な者で、ろばに乗って。雌ろばの子である、ろばに乗って。 9:10 わたしは戦車をエフライムから、軍馬をエルサレムから絶えさせる。戦いの弓も絶たれる。彼は諸国の民に平和を告げ、その支配は海から海へ、大河から地の果てに至る。 9:11 あなたについても、あなたとの契約の血のゆえに、わたしはあなたの捕らわれ人を、水のない穴から解き放つ。 9:12 望みを持つ捕らわれ人よ、砦に帰れ。わたしは今日もまた告げ知らせる。二倍のものをあなたに返す、と。 9:13 わたしは、ユダをわたしの弓として引き絞り、これにエフライムをつがえたのだ。ヤワンよ、おまえの子らに向かって。シオンよ、わたしはあなたの子らを奮い立たせ、あなたを勇士の剣のようにする。 9:14 【主】は彼らの上に現れ、その矢は稲妻のように放たれる。【神】である主は角笛を吹き鳴らし、南の暴風の中を進まれる。 9:15 万軍の【主】が彼らの盾となる。彼らは石投げの石で滅ぼし、踏みつける。彼らは血をぶどう酒のように飲み、沸き返る。鉢のように、祭壇の四隅のように、満たされる。 9:16 その日、彼らの神、【主】は、彼らをご自分の民の群れとして救われる。まことに、王冠の宝石がその地できらめく。 9:17 なんという主のいつくしみ。なんという主の麗しさ。穀物は若い男たちを、新しいぶどう酒は若い女たちを栄えさせる。 |
2025年10月24日(金)リビングライフQT この一節を読むと、誰もが・・・ シオンの娘に伝えなさい。 見よ。あなたの王があなたの所に来られる。 柔和な者で、ロバに乗って… それも、荷物を運ぶロバの子に乗って。 マタイ福音書21章6節 の聖句を思い出すでしょう。 弟子達も、既に存在していた、旧約の各所を学んでいたので、イエス・キリストの御来臨を、ゼカリヤの言葉の中に見たのでしょう。 これは預言の成就だと‼️ 未だ、神の民がバビロン・アッシリヤ地方から帰還したとは言え、廃墟の上に仮小屋を建て、エルサレム(神の都)と、その輝かしい神殿は廃墟となって、昔を偲ぶ姿はなく、むしろ、その廃墟は彼らの気持ちを萎えさせる『帰っては来たけれど・・・』という挫折感を、もたらすものだったのではないでしょうか。 私は、その彼らの挫折と失望を、私自身80年前の戦災の空襲で焼かれ、未だ火がくすぶる焼け跡に立ったときの感覚を、五歳の子供なりに、はっきりと覚えています。見渡す限り焼け野原となった夜が開けた後に、ぞろぞろ家族か集まって、何から手を付けたらいいのか…立ちすくんでいる姿を 「これからどうなるんだろう??」…と 80年を経た今年は殊更に、思い出します。 そんな思いをイスラエルの民に重ねると、胸の痛くなる思いです。 そんな中でゼカリヤの民への言葉《神の言葉の取り次ぎ》は、実に、力強く、無気力となっている民の頭(かしら)を、希望の天に向ける、号令ラッパのように響いたことでしょう‼️ 10節~神の支配が・・・ 諸国の民(今まで神の民を悩ませた)に平和を告げ・・・ ☆海から海へ➡️地中海の果て ☆大河から地の果て➡️チグリス・ユフラテの大河の彼方中央アジアの大平原(かつて、バビロン・アッシリヤ等の大国を生んだ豊かな地)までも、神の勝利の輝きが覆う‼️ 正にこれは、当時の世界の中心となる地域なのです。 2700年の昔に、何と広大な世界をイスラエルに見させ、そこに神の臨在と支配が及ぶ・・・と、語られたことでしょう。 しかし、実は、9節の 『見よ、あなたの王があなたの所に来る。‼️』と言う宣言は、当時のこれからの、全人類に語られた、一大宣言なのです。 12節~望みを持つ捕らわれ人よ、砦(故郷)に帰れ。 15節~万軍の主が彼らの盾となる。 16節~その日、彼らの神、主は、彼らを御自分の群れとして救われる。 17節~なんという主のいつくしみ。なんという主の麗しさ。 ‼️ハレルヤ‼️ |
| ゼカリヤ書 10章1節~12節 10:1 【主】に雨を求めよ、後の雨の時に。【主】は稲光を造り、大雨を人々に、野の草をすべての人に下さる。 10:2 テラフィムは不法を語り、占い師は偽りを見る。夢見る者は意味のないことを語り、空しい慰めを与える。それゆえ、人々は羊のようにさまよい、羊飼いがいないので苦しむ。 10:3 「わたしの怒りは羊飼いたちに向かって燃える。わたしは雄やぎを罰する。」万軍の【主】は、ご自分の群れであるユダの家を訪れ、彼らを戦場の威厳ある馬とされる。 10:4 この群れからかしら石が、この群れから杭が、この群れから戦いの弓が、この群れからすべての指揮する者が、ともどもに出て来る。 10:5 彼らは勇士のようになり、戦場で道端の泥を蹴散らして戦う。【主】が彼らとともにおられるからだ。彼らは馬に乗る者どもを辱める。 10:6 「わたしはユダの家を力づけ、ヨセフの家を救う。わたしは彼らを連れ戻す。わたしが彼らをあわれむからだ。彼らは、わたしに捨てられなかった者のようになる。わたしが彼らの神、【主】であり、彼らに答えるからだ。」 10:7 エフライムは勇士のようになり、その心はぶどう酒に酔ったように喜ぶ。彼らの子らは見て喜び、その心は【主】にあって大いに楽しむ。 10:8 「わたしは合図をして彼らを集める。わたしが彼らを贖ったからだ。彼らは以前のように数を増す。 10:9 わたしは彼らを諸国の民の間にまき散らすが、彼らは遠く離れてわたしを思い出し、その子らとともに生き延びて帰って来る。 10:10 わたしは彼らをエジプトの地から連れ帰り、アッシリアから集める。わたしはギルアデの地とレバノンへ彼らを連れて行くが、そこも彼らには足りなくなる。 10:11 彼らは苦難の海を渡る。海では波を打ち破り、ナイル川のすべての淵を涸らす。アッシリアの誇りは低くされ、エジプトの杖は離れ去る。 10:12 わたしは【主】にあって彼らを力づける。彼らは主の名によって歩き続ける。──【主】のことば。」 |
2025年10月25日(土)リビングライフQT 今日のテキストとなった箇所は、主なる神がイスラエルの民に為さった、驚くべき回復の歴史を、この度のバビロン・アツシリヤからの解放と帰還に重ねて、振り返り思い出させているのです。 1節~主に雨を求めよ❗・・・人の思いにはよらない恵の雨を、作物のためだけではなく、魂の実りのために、求めなさい‼️ 御利益ではなく、神の栄光の顕されるために。 後の雨(春の雨)・・・~実りの充実のために、もたらされる恵の雨・・・ 雨を期待するのではなく、神の祝福のタイミングで・・・稲妻を伴って、激しく降るとき、それもまた、神の摂理だと信じて(実は稲光は、電気の空中放電により、植物の生長・実りに必要な、多量の窒素を創り出して雨と共に、地に降らすのです) 私達の目に見えるものにだけ捕らわれずに、神の創造摂理に目を留め、信頼し待ち望みましょう。 更に各節の記述を通して、主の民の回復が如何に完全であるかを、語られます。 6節~・・・・彼らは、私に捨てられなかった者のようになる。 わたしが彼らの神、主であり、彼らに答えるからだ。 更に、ゼカリヤを通して語られる神の言葉は、イスラエルの民の奴隷の試練(エジプト)・捕囚(アッシリヤ・パビロン)の苦難からの回復。 それを妨げるように立ちはだかる、エジプトでの10の試練、更に、横たわる紅海、さらに、流れ下るヨルダン川・・・ これ等の立ちはだかる障害を越えさせ、 強大なエジプト・アッシリア・最後の古代帝国のバビロンを、退けて、今ここに在る‼️何と言う完全なまでの、主の御手・・・‼️ 今あなたが直面する困難、打破不可能に見える難問、立ち往生する危機・・・ 今朝新たに、主なる神の御手にある《後の雨・春の雨》を期待して、主を仰ぎ見ましょう。 主よ‼️感謝します。あなたに信頼して待ち望みます。 ア~メン‼️ |
| ゼカリヤ書 11章1節~17節 11:1 レバノンよ、おまえの門を開け。火がおまえの杉の木を焼き尽くす。 11:2 もみの木よ、泣き叫べ。杉の木は倒れ、見事な木々が荒らされたから。バシャンの樫の木よ、泣き叫べ。深い森が倒れたから。 11:3 牧者たちの嘆きの声がする。彼らの見事な木々が荒らされたから。若い獅子の吼える声がする。ヨルダンの茂みが荒らされたから。 11:4 私の神、【主】はこう言われた。「屠られる羊の群れを飼え。 11:5 これを買った者は、これを屠っても責めを覚えることはなく、これを売る者も、『【主】がほめたたえられるように。私は豊かになった』と言う。その牧者たちは羊をあわれまない。 11:6 それは、わたしがもはや、この地の住民にあわれみをかけないからだ──【主】のことば──。見よ、わたしは、人をそれぞれ隣人の手に、また王の手に渡す。彼らはこの地を打ち砕くが、わたしは彼らの手からこれを救い出さない。」 11:7 私は羊の商人たちのために、屠られる羊の群れを飼った。私は二本の杖を取り、一本を「慈愛」と名づけ、もう一本を「結合」と名づけた。こうして私は群れを飼った。 11:8 私は一月のうちに三人の牧者を退けた。私の心は彼らに我慢できなくなり、彼らの心も私を嫌った。 11:9 私は言った。「私はもう、おまえたちを飼わない。死ぬ者は死ね。滅びゆく者は滅びよ。残りの者は、互いに相手の肉を食べるがよい。」 11:10 私は、自分の杖、「慈愛」の杖を取って折った。私が諸国の民すべてと結んだ、私の契約を破棄するためであった。 11:11 その日、それは破棄された。そのとき、私を見守っていた羊の商人たちは、それが【主】のことばであったことを知った。 11:12 私は彼らに言った。「あなたがたの目にかなうなら、私に賃金を払え。もしそうでないなら、やめよ。」すると彼らは、私の賃金として銀三十シェケルを量った。 11:13 【主】は私に言われた。「それを陶器師に投げ与えよ。わたしが彼らに値積もりされた、尊い価を。」そこで私は銀三十を取り、それを【主】の宮の陶器師に投げ与えた。 11:14 そして私は、「結合」というもう一本の杖を折った。ユダとイスラエルとの間の兄弟関係を破棄するためであった。 11:15 【主】は私に言われた。「もう一度、愚かな牧者の道具を取れ。 11:16 見よ。それは、わたしが一人の牧者をこの地に起こすからだ。彼は迷い出たものを尋ねず、散らされたものを捜さず、傷ついたものを癒やさず、衰え果てたものに食べ物を与えない。かえって肥えた獣の肉を食らい、そのひづめを裂く。 11:17 わざわいだ。羊の群れを見捨てる、能なしの牧者。剣がその腕と右の目を打ち、その腕はすっかり萎えて、右の目の視力は衰える。」 |
2025年10月26日(日)リビングライフQT 内容ががらりと変わり、期待して読み進んで行くと、突然ただならない混乱が… イスラエルの民が安住し始めた地域に、指導者達の無秩序が拡がる様が展開するのです。 じつは、この11 章は、イスラエル・ユダの民の帰還と、定住、エルサレム神殿の再建が整った後の、神の民と、近隣諸国に興る出来事を、描写しているのです。 内容が非常に難解で、解説するには多くのページを割かねばならないので、日々の黙想には、相応しくないので避けますが。 簡単に解説すると、神殿再建後のイスラエルの民は、平凡な中に、習慣的礼拝と、宗教的民ではあっても、神との契約の民としての、交わりや礼拝は形式化し、それを指導する、祭司・律法学者・民の長老達(羊飼い)は、貧しい民を虐げ、自分達の特権に甘んじ、北方から侵入して、シリヤ・レバノンなどを超えて、神の民を支配し始めたローマの勢力に、妥協して、神の民の痛みや生活に、牧者としての心を使わない、愚かな牧者として神の叱責を受けているのです。 このメッセージは、メシヤ(イエス・キリスト)の来られた時代の、イスラエルの混乱した姿を預言しているのです。 正に、主の来臨の時代は、最悪の時代だったのです。 この様な暗黒の中に来られたイエス様を、指導者達の無知と反抗の故に、十字架に付けたのです。 その後間もなく、紀元70年、ローマ軍の徹底した侵略により、イスラエルの民は、最早この地に住めなくなり全世界に離散したのです。 ゼカリヤは、この預言を語るとき、これからの歴史は解らないまま、どんな苦渋の思いで語った事でしょう。 主なる神も、イスラエルの民の度重さなる、反抗と離反に、そのお心はいかばかりだったでしょう。 そんな思いで黙想する時、一時でも、主の御心に従わない時、主のお心を、どんなに悼めるのか・・・を、 深く思い知らされる時です。 改めて、主を見上げて、主を褒め讃えつつ、主の導きのままに、今日も主のみ足の跡をたどりましょう。 |
| ゼカリヤ書 12章1節~14節 12:1 宣告。イスラエルについての【主】のことば。天を張り、地の基を定め、人の霊をそのうちに造られた方、【主】の告げられたことば。 12:2 「見よ。わたしはエルサレムを、その周りのあらゆる民をよろめかせる杯とする。エルサレムが包囲されるとき、ユダについてもそうなる。 12:3 その日、わたしはエルサレムを、どの民にとっても重い石とする。すべてそれを担ぐ者は、身にひどい傷を受ける。地のすべての国々は、それに向かって集まって来る。 12:4 その日──【主】のことば──わたしはすべての馬を打って驚かし、その乗り手を狂わせる。しかし、わたしはユダの家の上に目を見開き、もろもろの民のすべての馬を打ってその目を見えなくする。 12:5 ユダの首長たちは心の中で言う。『エルサレムの住民は、彼らの神、万軍の【主】によって私の力となる。』 12:6 その日、わたしはユダの首長たちを、薪の中にある火鉢のようにし、麦束の中にある燃えるたいまつのようにする。彼らは右も左も、周りにいるどの民も焼き尽くす。しかしエルサレムはなお、元の場所エルサレムに残る。 12:7 【主】は最初にユダの天幕を救う。ダビデの家の栄えと、エルサレムの住民の栄えが、ユダ以上に大きくならないようにするためである。 12:8 その日、【主】はエルサレムの住民をかくまう。その日、彼らの中のよろめき倒れる者もダビデのようになり、ダビデの家は神のようになって、彼らの先頭に立つ【主】の使いのようになる。 12:9 その日、わたしはエルサレムに攻めて来るすべての国々を根絶やしにしよう。 12:10 わたしは、ダビデの家とエルサレムの住民の上に、恵みと嘆願の霊を注ぐ。彼らは、自分たちが突き刺した者、わたしを仰ぎ見て、ひとり子を失って嘆くかのように、その者のために嘆き、長子を失って激しく泣くかのように、その者のために激しく泣く。 12:11 その日、エルサレムでの嘆きは、メギドの平地のハダド・リンモンのための嘆きのように大きくなる。 12:12 この地は、あの氏族もこの氏族もひとり嘆く。ダビデの家の氏族はひとり嘆き、その妻たちもひとり嘆く。ナタンの家の氏族はひとり嘆き、その妻たちもひとり嘆く。 12:13 レビの家の氏族はひとり嘆き、その妻たちもひとり嘆く。シムイの氏族はひとり嘆き、その妻たちもひとり嘆く。 12:14 残りのすべての氏族は、あの氏族もこの氏族もひとり嘆き、その妻たちもひとり嘆く。 |
2025年10月27日(月)リビングライフQT 12章から始まるゼカリヤの言葉(宣言)は、この世の終末の歴史の中で興ることへの、預言なのです。 終わりの時代(3節の‘’その日‘’)に言及しているのです。 終わりの迫る日、神はエルサレムをあらゆる強大な国々より、これを護り、世界の中心として栄えさせられる。 世界の民の歴史の中で常に虐げられた、神の都とその民に、‘’主=創造主‘’が世界の王であることを、明らかにされる。 10節~ダビデの家とエルサレムの住民の上に、恵みと嘆願の霊を注ぐ。 これはその時まで常に神に不平と犯行を重ねた民が、主の霊に包まれて、新たな神への心を持ち、神との関係に新たな境地を開いたのです。それは・・・ 《・・・嘆く》12節~14節・・・と、繰り返し繰り返し語られていることを見るとき、終わりの時代に・・・やっと民への神の選びが、喜びに満ちた関係に、正常化したことを、物語っている。 何と大きな血の歴史が積み重なったことでしょう。それが《嘆き・嘆き・・・・》となって、記録されているのです。 私達のクリスチャン生活(一人一人の人生の歴史)においても、この様な、悔いの重なるものであってはならないですね。 イスラエルの攻防の歴史は、私達にこの様に警告として、注意喚起として、語られているのです。 聖書はなんと、憐れみと慈しみに富んだ、メッセージを届けてくださることでしょう。 ハレルヤ‼️ 感謝です。 |
| ゼカリヤ書 13章1節~9節 13:1 その日、ダビデの家とエルサレムの住民のために、罪と汚れをきよめる一つの泉が開かれる。 13:2 その日──万軍の【主】のことば──わたしはもろもろの偶像の名を、この地から絶ち滅ぼす。それらの名はもう覚えられない。わたしはまた、その預言者たちと汚れの霊をこの国から除く。 13:3 なお預言する者があれば、その人を生んだ父と母が彼に向かって言う。『あなたは生きていてはならない。【主】の名を使って?を告げたから。』彼が預言しているときに、彼を生んだ父と母が彼を突き刺す。 13:4 その日、預言者たちはみな、自分が預言する幻を恥じる。彼らはもはや人を欺くための毛衣を着なくなる。 13:5 また彼は、『私は預言者ではない。私は土地を耕す者だ。若いときに人が私を買い取った』と言う。 13:6 だれかが『あなたの両腕の間にある、この打ち傷は何か』と聞くなら、彼は『私の愛人たちの家で打たれたものだ』と言う。 13:7 剣よ、目覚めよ。わたしの羊飼いに向かい、わたしの仲間に向かえ──万軍の【主】のことば──。羊飼いを打て。すると、羊の群れは散らされて行き、わたしは、この手を小さい者たちに向ける。 13:8 全地はこうなる──【主】のことば──。その三分の二は断たれ、死に絶え、三分の一がそこに残る。 13:9 わたしはその三分の一を火の中に入れ、銀を錬るように彼らを錬り、金を試すように彼らを試す。彼らはわたしの名を呼び、わたしは彼らに答える。わたしは『これはわたしの民』と言い、彼らは『【主】は私の神』と言う。」 |
2025年10月28日(火)リビングライフQT ゼカリヤの言葉は 、これから神の都エルサレムに興ろうとする、神からの厳しい叱責を語り始めるのです。 1節に 罪と汚れをきよめる一つの泉が開かれる。…と 宣言されています。 《罪と汚れをきよめる泉》➡2節~4節 その泉は、裁きと審判の泉=審判の泉のようです。 主なる神は徹底して、叛く者を裁き排除されることを宣言しておられます。 身を飾り、大言壮語して、いかにも神の言葉だ‼️と、語ってきた偽預言者達は、衣を脱ぎ、権威を解いて、一介の百姓(農民)となって、身を低くする。 6節~誰かが『あなたの両腕の間にある=胸・あばら(肋)にある打ち傷は何か』 これは、あなた=神の御子イエス・・・を指しており、その傷こそ、ローマの兵士が、イエス様の、《死》を確認するために、槍でついた傷後を、指し示しているのです。 彼(イエス様)は『私の愛人達の家で打たれたものだ。』涙 『愛人達の家で』➡これこそ・・・主なる神が愛して止まない、私達(叛いた罪人)の集うただ中で、その傷は受けたのだ‼️・・・このように聞く時、私の魂は、悔い改めの為に叫び出し、主イエス様の贖いの傷と死が、私の魂を押しつぶさんばかりに、砕かれるのを感じないではおられないのです。こうして、神の都はきよめられる一方、それでも心頑なにする民は、この地で絶ち滅ぼされる(神の都の民の三分の二が) この後に及んでもなお、神の都=神の創造して愛された人間の大地の、三分の二の人々の営みが、その命と共に亡ぼされる 9節~残りの三分の一を火の中に入れ、銀を練るように彼らを練り、金を試すように彼らを試す‼️ すると彼らは、わたしの名を呼び、わたしは彼らに答える。わたしは『これはわたしの民』と言い 彼らは『主はわたしの神』と言う。 悔い改めと、神への帰属を告白するのです。 世の終わりの時、 成される、神の審判と、憐れみをゼカリヤは、語るのです。 今、私達はこの様な審判の手が拡げられる時代直前の(否、もう今やそのような時代に入り始めているのではないかとさえ感ぜずには居られない)緊迫した時代とも言えましょう。 教会に与えられた使命の重さを、否、救われた私達に与えられた役割りと使命の重さを、感じる今朝です。 主よ❗目覚めさせてください、教会を、私を、御霊に燃やしてください‼️ ア~メン‼️ 主イエスよ来たりませ‼️ア~メン‼️ |
| ゼカリヤ書 14章1節~8節 14:1 見よ、【主】の日が来る。あなたから奪われた戦利品が、あなたのただ中で分配される。 14:2 「わたしはすべての国々を集めて、エルサレムを攻めさせる。都は取られ、家々は略奪され、女たちは犯される。都の半分は捕囚となって出て行く。しかし、残りの民は都から絶ち滅ぼされない。」 14:3 【主】が出て行かれる。決戦の日に戦うように、それらの国々と戦われる。 14:4 その日、主の足はエルサレムの東に面するオリーブ山の上に立つ。オリーブ山はその真ん中で二つに裂け、東西に延びる非常に大きな谷ができる。山の半分は北へ、残りの半分は南へ移る。 14:5 「山々の谷がアツァルにまで達するので、あなたがたはわたしの山々の谷に逃げる。ユダの王ウジヤの時に地震を避けて逃げたように、あなたがたは逃げる。」私の神、【主】が来られる。すべての聖なる者たちも、主とともに来る。 14:6 その日には、光も、寒さも、霜もなくなる。 14:7 これはただ一つの日であり、その日は【主】に知られている。昼も夜もない。夕暮れ時に光がある。 14:8 その日には、エルサレムからいのちの水が流れ出る。その半分は東の海に、残りの半分は西の海に向かい、夏にも冬にも、それは流れる。 |
2025年10月29日(水)リビングライフQT 1節~見よ。主の日が来る。・・・・ 2節~「私は全ての国々を集めて、エルサレムを攻めさせる。・・・ 3節~主が出て行かれる。決戦の日に戦うように! それらの国々と戦われる。 この記述は、まさに、新約聖書の黙示録20章8節~9節を思い出させます。 黙示録では、ゴグ・マゴグの戦いとして書かれています。 主なる神は、お選びになられた、愛するイスラエルの民に、最終的に完全な勝利を与え、しばしば蹂躙されたエルサレムを、御自身の足台として、限りない祝福を与え・・・ 6節~その日には、光も、寒さも、霜もなくなる。 これは、黙示録では、前後していますが、いわゆる、《千年王国》➡エルサレムが世界の中心となり、この街が神の御座となり、あの乾燥地帯が、豊かな潤いの地となって、諸国の民の栄光となることを、語っているのです。 少し前もって、先のことまで含んだ解説となりましたが・・・ この様なゼカリヤの預言は、神が愛され、選ばれた者(ここではエルサレム・イスラエルの民)への、何があっても変わらない定めと、その結果を、明らかにされた、永遠の神の約束 ・《愛》であることを明らかにした、メッセージと言えましょう。 それ故、選ばれた私達は、ますます思いを深くして、主に近づき、主に全てを献げ尽くして、従うのみですね❗ 何故なら、あなたのために、私のために、神の御計画は、完成されて主は待っておられるのですから‼️ハレルヤ‼️ |
| ゼカリヤ書 14章9節~15節 14:9 【主】は地のすべてを治める王となられる。その日には、【主】は唯一となられ、御名も唯一となる。 14:10 全土はゲバからエルサレムの南のリンモンまで、アラバのようになる。しかしエルサレムは高くそびえ、ベニヤミンの門から第一の門のところを経て隅の門まで、またハナンエルのやぐらから王家のぶどうの踏み場まで、元の場所にそのまま残る。 14:11 そこには人々が住み、もはや聖絶の物はなく、エルサレムは安らかに住む。 14:12 これは、【主】がエルサレムを攻めるどの民にも加えられる疫病である。彼らの肉は、まだ足で立っているうちに腐る。彼らの目はまぶたの中で腐り、彼らの舌は口の中で腐る。 14:13 その日、【主】からの大いなる混乱が、彼らの間に起こる。彼らは互いに手でつかみ合い、互いに殴りかかる。 14:14 ユダもエルサレムで戦う。周りのすべての国々の財宝は、金、銀、衣服など非常に多く集められる。 14:15 馬、らば、らくだ、ろば、彼らの宿営にいるすべての家畜にも、同じような疫病が臨む。 |
2025年10月30日(木)リビングライフQT 9節を読むと・・・『主は地の全てを治める王となられる。』その日には、主は唯一となられ御名も唯一となる。 この宣言は、 《ハレルヤ‼️》最後の勝利の宣言です。 そして、エルサレムは、正に、神の御座となり、祝福の源となるのです。 12節以降は、神の御座となる栄光の都に戦いを挑む、全ての民(サタンは、人類の総力を挙げて、神の陣営に戦い挑む、その最後の攻撃目標が神の都“エルサレム”なのです)、彼等は、徹底的に疫病と混乱で壊滅する。 この戦いにユダ(ユダヤ人=イスラエルの民)がこれを迎え撃ち、勝利を収め、(全ての民が総動員して、用意した膨大な軍資金)、これ等は、ことごとく、神の民の手に落ちる。 この戦いで、私達がもし、その時代に生きているとしたら、どうなるの??? (その様な杞憂を持つなど愚かさの極みですが・・・) 御心配なく。その時、正しく主の前に歩んできた者は、世界挙げての、神の陣営に立ち向かう、愚かな世界から、取り挙げられ、神の御国の民の中に迎えられる(携挙される)のです。 主が全てを、護り保護されるのです。 ハレルヤ‼️ |
| ゼカリヤ書 14章16節~21節 14:16 エルサレムに攻めて来たすべての民のうち、生き残った者はみな、毎年、万軍の【主】である王を礼拝し、仮庵の祭りを祝うために上って来る。 14:17 地上の諸氏族のうち、万軍の【主】である王を礼拝しにエルサレムに上って来ない氏族の上には、雨が降らない。 14:18 もし、エジプトの氏族が上って来ないなら、雨は彼らの上に降らず、疫病が彼らに下る。これは、仮庵の祭りを祝いに上って来ない諸国の民を【主】が打つ疫病である。 14:19 これが、エジプトの罪への刑罰となり、仮庵の祭りを祝いに上って来ないすべての国々の罪への刑罰となる。 14:20 その日、馬の鈴の上には「【主】への聖なるもの」と刻まれ、【主】の宮の中の鍋は祭壇の前の鉢のようになる。 14:21 エルサレムとユダのすべての鍋は、万軍の【主】への聖なるものとなる。いけにえを献げる者はみなやって来て、その一つを取ってそれで煮るようになる。その日、万軍の【主】の宮にはもう商人がいなくなる。 |
2025年10月31日(金)リビングライフQT 今日でゼカリヤ書の黙想は終わりますが、改めて、ゼカリヤ書は、捕囚から帰ったユダ・イスラエルの民のアイデンティティーである、存在の根拠❗エルサレムの再建が最優先されるべき使命でした。 しかし、彼等の生活の基盤は立て直されましたが、神の宮の再建は、記録も、それを知る世代も居らず、再建のための資材も、神殿を飾る装飾用の、金・銀・銅・木材・宝石・貴石等々の調達すら、不可能な中、完全に挫折したまま、数十年が経過していたのです。 その様な中から、ゼカリヤが主に遣わされ、彼等を励まして、再建に取り組む激励としての、幻と予言を語ったものです。 昨日から今日の本文は、エルサレムの終末における、栄光を語ったものです。 神に逆らい、神の都エルサレムを、亡き者にしようとした全ての企ては、費え去り、残った敵対していた民も、 最終的に、神の民となり、神を礼拝するために、エルサレムに上ってくる。(16節) ※仮庵の祭(イスラエルがかつて400年エジプトに住み、苦難の時代を重ねた中から、モーセに率いられて出エジプトを果たし、40年の苦難の旅路を重ねた後、カナンの地で、新しい収穫をなしえたことを記念して、行われた感謝の祭り・・・正に、この祭りは、イスラエル再生の感謝祭で、民の最も重要な記念の式典なのです。) この、仮庵のまつりに、敵対していた異邦の民もこぞって、エルサレムにやってくる、正にこれは、人類の終末に興る、神の地上の完成の予言なのです。 今朝、私達はこの最後のメッセージから、新たに、大きな励ましと、神の御計画とを、再確認するのです。 教会は・クリスチャンは、絶え間ない迫害と、攻撃と、反対や嫌がらせを受けてきました。しかし、主なる神は、教会(ある意味霊的エルサレム)を、そのままには為さいません。ゼカリヤの予言のように、教会に反対するもの、信仰者を迫害する者・・・を、聖霊の火を持って新たに、主の前にひれ伏す民と変えて下さる‼️ 時が来るのです。 それを《リバイバル》と言うのです。教会の歴史の中で、この様な素晴らしい時が、幾度も興ってきたのです。 日本でも・・・・・ (聖公会) ~横浜・松江・熊本・・・江戸末期から明治初め➡(・・・バンドと呼ばれます) (同志社)~新島襄の設立した同志社で覚醒運動から退廃した構内から新島襄の禱りによる指導で、悔い改めが・・・彼等は全国に派遣され明治の初期に教会が拡がる。 (ホーリネスリバイバル)~昭和初期ホーリネス教団に始まるリバイバル (終戦後のリバイバル)~戦時中、国を挙げて、教会を迫害し、殉教者まで出した日本の教会に、御霊の復興が始まり、爆発的に教会に加わる人が増加した。 その中で、アッセンブリー教団が生まれた。 難解なゼカリヤ書を共に学べて感謝でした。 |

力丸嗣夫師 リビングライフ LINE
(新改訳聖書2017)
北九州シオン教会