
力丸嗣夫師 リビングライフ LINE
(新改訳聖書2017)
北九州シオン教会
| 列王記第一22章41節~53節 22:41 アサの子ヨシャファテがユダの王となったのは、イスラエルの王アハブの第四年であった。 22:42 ヨシャファテは三十五歳で王となり、エルサレムで二十五年間、王であった。その母の名はアズバといい、シルヒの娘であった。 22:43 彼はその父アサのすべての道に歩み、そこから外れることなく、【主】の目にかなうことを行った。しかし、高き所は取り除かなかった。民はなおも、その高き所でいけにえを献げたり、犠牲を供えたりしていた。 22:44 ヨシャファテはイスラエルの王と友好関係を保っていた。 22:45 ヨシャファテについてのその他の事柄、彼が立てた功績とその戦績、それは『ユダの王の歴代誌』に確かに記されている。 22:46 彼は、父アサの時代にまだ残っていた神殿男娼をこの国から除き去った。 22:47 そのころ、エドムには王がなく、守護が王であった。 22:48 ヨシャファテはタルシシュの船団をつくり、金を得るためにオフィルに行こうとしたが、行けなかった。船団がエツヨン・ゲベルで難破したからである。 22:49 そのとき、アハブの子アハズヤはヨシャファテに、「私の家来をあなたの家来と一緒に船で行かせましょう」と言ったが、ヨシャファテは同意しなかった。 22:50 ヨシャファテは先祖とともに眠りにつき、先祖とともに父ダビデの町に葬られた。その子ヨラムが代わって王となった。 22:51 アハブの子アハズヤは、ユダの王ヨシャファテの第十七年にサマリアでイスラエルの王となり、二年間イスラエルの王であった。 22:52 彼は【主】の目に悪であることを行い、彼の父の道と彼の母の道、それに、イスラエルに罪を犯させた、ネバテの子ヤロブアムの道に歩んだ。 22:53 彼はバアルに仕え、それを拝み、彼の父が行ったのと全く同じように行って、イスラエルの神、【主】の怒りを引き起こした。 |
2024年5月31日(金)リビングライフQT 列王記第一の終わりは、あわただしく、短い記録で終わりますが、背後の動き(神の時の流れ)は、やはり、多くの、神の御思いに裏付けされた、メッセージがにじみ出ています。 まずユダのヨシャパテ王に関しては、先代アサ王の、優れた信仰を継承しており、特に46節の、神殿男娼の排除は、真の神の礼拝への、徹底した清めへの勝利を、確立するものでした。 ただ、前にもこの記述が出たことがありましたが・・・・ 43節:高きところは取り除かれず、民はなお、高き所で犠牲を供えていた‼️ これは、偶像信仰を意味するものではないのですが、神の宮(エルサレム神殿)が建立されてからは、礼拝は一局集中になったのですが、時間的・距離的制約(困難さ)のため、偶像信仰の習慣であちこちに高き所(小高い丘に神々に犠牲を捧げる祭壇が築かれて)で礼拝がなされていたのを踏襲して・真似て、 その場その場で、主なる神への祭壇が築かれ、分散礼拝がなされていたのです。 実はこの習慣が、やがて偶像への逆戻りを助長したのです。 この様な不徹底さが、敗北への一歩となるのです。 一方で49節には、アハブの子アハズヤからの、助力の申し出を、やんわりと断るなど、毅然とした態度を貫いたのです。 イスラエルの王、アハズヤは、父アハブの影響下で汚れた施政に慣れて、ついに短い治世を神の怒りによって閉じたのです。 呆気ない歴史の終章ですね 私のあなたの、今日までの五ヶ月の信仰生活の締め括りに当たって、どの様なコメントが語られましょうか(はてな) 振り返り新しい月に向かって祈りをもって立ち上がりましょう‼️ |
| 列王記第一22章29節~40節 22:29 イスラエルの王とユダの王ヨシャファテは、ラモテ・ギルアデに攻め上った。 22:30 イスラエルの王はヨシャファテに言った。「私は変装して戦いに行きます。しかし、あなたは自分の王服を着ていてください。」イスラエルの王は変装して戦いに行った。 22:31 アラムの王は、自分の配下の戦車隊長たち三十二人に次のように命じた。「兵とも将軍とも戦うな。ただイスラエルの王だけを狙って戦え。」 22:32 戦車隊長たちはヨシャファテを見つけたとき、「きっと、あれがイスラエルの王に違いない」と思ったので、彼の方に向きを変え、戦おうとした。ヨシャファテは助けを叫び求めた。 22:33 戦車隊長たちは、彼がイスラエルの王ではないことを知り、彼を追うことをやめて引き返した。 22:34 そのとき、ある一人の兵士が何気なく弓を引くと、イスラエルの王の胸当てと草摺の間を射抜いた。王は自分の戦車の御者に言った。「手綱を返して、私を陣営から出させてくれ。傷を負ってしまったから。」 22:35 その日、戦いは激しくなった。王はアラムに向かって、戦車の中で立っていたが、夕方になって死んだ。傷から出た血が戦車のくぼみに流れた。 22:36 日没のころ、陣営の中に「それぞれ自分の町、自分の国へ帰れ」という叫び声が伝わった。 22:37 王は死んでサマリアに運ばれた。人々はサマリアで王を葬った。 22:38 それから戦車をサマリアの池で洗った。犬が彼の血をなめ、遊女たちがそこで身を洗った。【主】が語られたことばのとおりであった。 22:39 アハブについてのその他の事柄、彼が行ったすべてのこと、彼が建てた象牙の家、彼が建てたすべての町、それは『イスラエルの王の歴代誌』に確かに記されている。 22:40 アハブは先祖とともに眠りにつき、その子アハズヤが代わって王となった。 22:41 アサの子ヨシャファテがユダの王となったのは、イスラエルの王アハブの第四年であった。 22:42 ヨシャファテは三十五歳で王となり、エルサレムで二十五年間、王であった。その母の名はアズバといい、シルヒの娘であった。 22:43 彼はその父アサのすべての道に歩み、そこから外れることなく、【主】の目にかなうことを行った。しかし、高き所は取り除かなかった。民はなおも、その高き所でいけにえを献げたり、犠牲を供えたりしていた。 22:44 ヨシャファテはイスラエルの王と友好関係を保っていた。 22:45 ヨシャファテについてのその他の事柄、彼が立てた功績とその戦績、それは『ユダの王の歴代誌』に確かに記されている。 22:46 彼は、父アサの時代にまだ残っていた神殿男娼をこの国から除き去った。 22:47 そのころ、エドムには王がなく、守護が王であった。 22:48 ヨシャファテはタルシシュの船団をつくり、金を得るためにオフィルに行こうとしたが、行けなかった。船団がエツヨン・ゲベルで難破したからである。 22:49 そのとき、アハブの子アハズヤはヨシャファテに、「私の家来をあなたの家来と一緒に船で行かせましょう」と言ったが、ヨシャファテは同意しなかった。 22:50 ヨシャファテは先祖とともに眠りにつき、先祖とともに父ダビデの町に葬られた。その子ヨラムが代わって王となった。 22:51 アハブの子アハズヤは、ユダの王ヨシャファテの第十七年にサマリアでイスラエルの王となり、二年間イスラエルの王であった。 22:52 彼は【主】の目に悪であることを行い、彼の父の道と彼の母の道、それに、イスラエルに罪を犯させた、ネバテの子ヤロブアムの道に歩んだ。 22:53 彼はバアルに仕え、それを拝み、彼の父が行ったのと全く同じように行って、イスラエルの神、【主】の怒りを引き起こした。 |
2024年5月30日(木)リビングライフQT イスラエルの王アハブの密かなたくらみ。 自分にアラムの戦士たちの目が向けられるのを恐れてアハブ王は変装して戦いに出るのです。 しかしユダの王ヨシャパテには、権威ある王としての姿で、前戦に向かうよう進言するのです。 これは、アハブには名案だったでしょうが、結果としては、反って仇となって、自ら命を落とす結果となったのです。 ミカヤが預言して、アラムと戦うことを推奨したのは、このような神の審判の手があることを、示唆していたのです。 悔い改めのないアハブには、反ってアラムとの戦いは彼の終わりの時ともなったのです。 人の知恵も、計画も、力量も、自分を生かす拠り所(力)とはならない事を、彼の最期が物語っています。 華やかに見えた、アハブの治世は、こうして暗い終末を迎えたのです。 私達の生きる道は、神の前に歩む、隠れなきへりくだりの日々でありたいですね。 謙遜に、祈りを通して神の光に照らされ、神の言葉で癒され、導かれる日々であります様に。 今日から、私は、土佐清水の竹中牧師と台湾宣教のために、行って参ります。 リビングライフメッセージの作業は続ける予定ですが 電波状況や、時間の都合で、途絶えるかもしれません。 その時は御赦し下さい。 また、どうぞ台湾の為にお祈りください。 帰りは、6月3日の夜です。 列王記は明日で終わります。6月からは再び新約に戻ります‼️ |
| 列王記第一22章13節~28節 22:13 ミカヤを呼びに行った使者はミカヤに告げた。「いいですか。預言者たちは口をそろえて、王に対して良いことを述べています。どうか、あなたも彼らと同じように語り、良いことを述べてください。」 22:14 ミカヤは答えた。「【主】は生きておられる。【主】が私に告げられることを、そのまま述べよう。」 22:15 彼が王のもとに着くと、王は彼に言った。「ミカヤ、われわれはラモテ・ギルアデに戦いに行くべきか。それとも、やめるべきか。」彼は王に答えた。「あなたは攻め上って勝利を得なさい。【主】は王の手にこれを渡されます。」 22:16 王は彼に言った。「私が何度おまえに誓わせたら、おまえは【主】の名によって真実だけを私に告げるようになるのか。」 22:17 彼は答えた。「私は全イスラエルが山々に散らされているのを見た。まるで、羊飼いのいない羊の群れのように。そのとき【主】はこう言われた。『彼らには主人がいない。彼らをそれぞれ自分の家に無事に帰らせよ。』」 22:18 イスラエルの王はヨシャファテに言った。「あなたに言ったではありませんか。彼は私について良いことは預言せず、悪いことばかりを預言すると。」 22:19 ミカヤは言った。「それゆえ、【主】のことばを聞きなさい。私は【主】が御座に着き、天の万軍がその右左に立っているのを見ました。 22:20 そして、【主】は言われました。『アハブを惑わして攻め上らせ、ラモテ・ギルアデで倒れさせるのはだれか。』すると、ある者はああしよう、別の者はこうしようと言いました。 22:21 ひとりの霊が進み出て、【主】の前に立ち、『この私が彼を惑わします』と言うと、【主】は彼に『どのようにやるのか』とお尋ねになりました。 22:22 彼は答えました。『私が出て行って、彼のすべての預言者の口で偽りを言う霊となります。』主は『きっとあなたは惑わすことができる。出て行って、そのとおりにせよ』と言われました。 22:23 今ご覧のとおり、【主】はここにいるあなたのすべての預言者の口に、偽りを言う霊を授けられました。【主】はあなたに下るわざわいを告げられたのです。」 22:24 ケナアナの子ゼデキヤが近寄って来て、ミカヤの頬を殴りつけて言った。「どのようにして、【主】の霊が私を離れ、おまえに語ったというのか。」 22:25 ミカヤは答えた。「あなたが奥の間に入って身を隠すその日に、あなたは思い知ることになる。」 22:26 イスラエルの王は言った。「ミカヤを捕らえよ。町の長アモンと王の子ヨアシュのもとに連れて行き、 22:27 王がこう命じたと言え。『この男を獄屋に入れ、私が無事に帰るまで、わずかなパンと、わずかな水だけ与えておけ。』」 22:28 ミカヤは言った。「もしも、あなたが無事に戻って来ることがあるなら、【主】は私によって語られなかったということです。」そして、「すべての民よ、聞きなさい」と言った。 |
2024年5月29日(水)リビングライフQT いよいよ、ミカヤが登場するのですが、王の使いは、ミカヤまでも、偽預言者として、アハブの好みの方向に誘い出そうと働きました。サタンはイスラエルを骨抜きにしようと、働くのです。 しかし、イゼベルの迫害の手を逃れた神の預言者ミカヤは、毅然として、神の言葉を語りました。それが結論としては、他の預言者の言葉と同じ方向性だったので、アハブは、疑問視すると、ミカヤは神の語られる内なるご計画を明らかにしたのです。 暗雲が垂れ込める中、不安がアハブと偽預言者ゼデキヤの心を覆ったのです。 それでも覚めない魂は、ミカヤを捕らえ幽閉するのです。 一体イスラエルの民の眼には、この事態はどのように写ったでしょう。 戦時下の日本で教会が迫害されたとき・・・ ロシヤによって、攻撃されながら、生き抜いている、ウクライナ正教会のクリスチャンたち・・・ 偽りの宣伝で、国の方向が歪んでいるロシアのクリスチャンたち・・・ 同じ宗教者たちの被害者側・加害者側の立場の矛盾・・・ 今の時代にも、偽預言者の横行は、あらゆる立場を利用して、人々の心を矛盾にかき立てて、世界を混乱に陥れています。 何と巧妙なサタンの仕業でしょう。 改めて、私達主の僕は、神の言葉(聖書)によって、真実な神の、み思いに耳を傾け、学んで、混乱の世にあって、神の永遠のご計画がなんであるかを、祈りつつ見定めたいのです。 ミカヤは、捕えられても最後まで、王に警告を発し続けたのです。 ここではこれ以上解説しませんが、私は、戦時中(第二次世界大戦の対米戦争)の、潔め派(ホーリネス系)の諸教会の牧師先生たち(殉教者も出ました)の、敢然と主の前に立ち続けた、命がけの預言者行動を、思い出します。 殉教を勧めるのではないのですが、 真理に立つ、神の人が終わりの時代に求められているのを覚えます。 |
| 列王記第一22章1節~12節 22:1 アラムとイスラエルの間に戦いがないまま、三年が過ぎた。 22:2 しかし、三年目になって、ユダの王ヨシャファテがイスラエルの王のところに下って来ると、 22:3 イスラエルの王は自分の家来たちに言った。「おまえたちは、ラモテ・ギルアデがわれわれのものであることをよく知っているではないか。それなのに、われわれはためらっていて、それをアラムの王の手から奪い返していない。」 22:4 そして、彼はヨシャファテに言った。「私とともにラモテ・ギルアデに戦いに行ってくれませんか。」ヨシャファテはイスラエルの王に言った。「私とあなたは一つ、私の民とあなたの民は一つ、私の馬とあなたの馬は一つです。」 22:5 ヨシャファテはイスラエルの王に言った。「まず、【主】のことばを伺ってください。」 22:6 イスラエルの王は約四百人の預言者を集めて、彼らに尋ねた。「私はラモテ・ギルアデに戦いに行くべきか。それとも、やめるべきか。」彼らは答えた。「あなたは攻め上ってください。主は王様の手にこれを渡されます。」 22:7 ヨシャファテは、「ここには、われわれがみこころを求めることのできる【主】の預言者が、ほかにいないのですか」と言った。 22:8 イスラエルの王はヨシャファテに答えた。「ほかにもう一人、【主】に伺うことのできる者がいます。しかし、私は彼を憎んでいます。彼は私について良いことは預言せず、悪いことばかりを預言するからです。イムラの子ミカヤです。」ヨシャファテは言った。「王よ、そういうふうには言わないでください。」 22:9 イスラエルの王は一人の宦官を呼び、「急いでイムラの子ミカヤを連れて来い」と命じた。 22:10 イスラエルの王とユダの王ヨシャファテは、それぞれ王服をまとって、サマリアの門の入り口にある打ち場の王の座に着いていた。預言者はみな、彼らの前で預言していた。 22:11 ケナアナの子ゼデキヤは、王のために鉄の角を作って言った。「【主】はこう言われます。『これらの角で、あなたはアラムを突いて、絶ち滅ぼさなければならない。』」 22:12 預言者たちはみな、同じように預言した。「あなたはラモテ・ギルアデに攻め上って勝利を得てください。【主】は王の手にこれを渡されます。」 |
2024年5月28日(火)リビングライフQT 今朝のテキストには、終始、アハブと名前では登場せずに、“イスラエルの王”として書かれています。 意図的なのでしょうか❓ 大変複雑なやり取りが始まります。 イスラエルの王に預言した400人の預言者たちの集団は、異口同音に、『攻め登りなさい‼️』と、語ります。 これらの預言者集団は、イスラエルの王アハブの操り人形のように王の言葉を権威付けては、神からの言葉であるかのように語ってきた偽預言者です。 アハブは、偶像信仰に傾斜する一方、民の前には、まるでイスラエルの神に仕えて、預言者を敬いその言葉に従っているように、見せかけていたのです。 真の預言者は殆どイゼベルの手によって、抹殺され、偽預言者に対抗する真の預言者は、いなかったのです。 その様な中から、“ミカヤ”が、主なる神の御手に護られ、この時のために、備えられていたのです。 歴史の中で、神はしばしばこのような道を拓いて、愛する者・選ばれた者(風前の灯のような傷ついたイスラエル)を、守られるのです。 失望してはいけません。途方にくれて、心折れてはなりません‼️ 主を信じて、最後まで真っ直ぐな道を、歩み続けましょう。 主の御手は、あなたの上を、覆って居られます。ハレルヤ。 サァ主はどのようにして、御心を行われるのでしょう。 あなたの上に拡げられるサタンの様々な妨げにも、心挫けてはなりません‼️ 主を信じて待ち望みましょう |
| 列王記第一21章17節~29節 21:7 妻イゼベルは彼に言った。「今、あなたはイスラエルの王権を得ています。さあ、起きて食事をし、元気を出してください。この私がイズレエル人ナボテのぶどう畑を、あなたのために手に入れてあげましょう。」 21:8 彼女はアハブの名で手紙を書き、彼の印で封印し、ナボテの町に住む長老たちとおもだった人々にその手紙を送った。 21:9 彼女は手紙にこう書いた。「断食を布告し、ナボテを民の前に引き出して座らせ、 21:10 彼の前に二人のよこしまな者を座らせて、彼らに『おまえは神と王を呪った』と証言させなさい。そして、彼を外に引き出し、石打ちにして殺しなさい。」 21:11 そこで、その町の人々、その町に住んでいる長老たちとおもだった人々は、イゼベルが彼らに言ってよこしたとおり、彼女が手紙に書き送ったとおりに行った。 21:12 彼らは断食を布告し、ナボテを民の前に引き出して座らせた。 21:13 そこに、二人のよこしまな者が入って来て、彼の前に座った。よこしまな者たちは民の前で、「ナボテは神と王を呪った」と証言した。そこで人々は彼を町の外に引き出し、石打ちにして殺した。 21:14 こうして、彼らはイゼベルに「ナボテは石打ちにされて死にました」と言ってよこした。 21:15 イゼベルはナボテが石打ちにされて殺されたことを聞くとすぐ、アハブに言った。「起きて、イズレエル人ナボテが代金と引き替えで譲ることを拒んだ、あのぶどう畑を取り上げなさい。もうナボテは生きていません。死んだのです。」 21:16 アハブはナボテが死んだと聞いてすぐ、立って、イズレエル人ナボテのぶどう畑を取り上げようと下って行った。 21:17 そのとき、ティシュベ人エリヤに次のような【主】のことばがあった。 21:18 「さあ、サマリアにいるイスラエルの王アハブに会いに下って行け。今、彼はナボテのぶどう畑を取り上げようと、そこに下って来ている。 21:19 彼にこう言え。『【主】はこう言われる。あなたは人殺しをしたうえに、奪い取ったのか。』また、彼に言え。『【主】はこう言われる。犬たちがナボテの血をなめた、その場所で、その犬たちがあなたの血をなめる。』」 21:20 アハブがエリヤに「おまえは私を見つけたのか、わが敵よ」と言うと、エリヤは答えた。「そうだ。あなたが【主】の目に悪であることを行うことに身を任せたので、見つけたのだ。 21:21 『今わたしは、あなたにわざわいをもたらす。わたしはあなたの子孫を除き去り、イスラエルの中の、アハブに属する小童から奴隷や自由の者に至るまで絶ち滅ぼし、 21:22 あなたの家をネバテの子ヤロブアムの家のようにし、アヒヤの子バアシャの家のようにする。それは、あなたが引き起こしたわたしの怒りのゆえであり、あなたがイスラエルに罪を犯させたためだ。』 21:23 また、イゼベルについても【主】はこう言われる。『犬がイズレエルの領地でイゼベルを食らう。 21:24 アハブに属する者で、町で死ぬ者は犬がこれを食らい、野で死ぬ者は空の鳥がこれを食らう。』」 21:25 アハブのように、自らを裏切って【主】の目に悪であることを行った者は、だれもいなかった。彼の妻イゼベルが彼をそそのかしたのである。 21:26 彼は、【主】がイスラエル人の前から追い払われたアモリ人がしたのと全く同じように、偶像につき従い、非常に忌まわしいことを行った。 21:27 アハブはこれらのことばを聞くとすぐ、自分の外套を裂き、身に粗布をまとって断食をした。彼は粗布をまとって伏し、打ちひしがれて歩いた。 21:28 そのとき、ティシュベ人エリヤに次のような【主】のことばがあった。 21:29 「あなたは、アハブがわたしの前にへりくだっているのを見たか。彼がわたしの前にへりくだっているので、彼の生きている間はわざわいを下さない。しかし、彼の子の時代に、彼の家にわざわいを下す。」 |
2024年5月27日(月)リビングライフQT アハブの弱さは、一体なんでしょう。 様々な話題から感じることは、今日の29節の主なる神のお言葉から推察しても、アハブは、非常に心の弱い人間だと言うことです。 后イゼベルに度々そそのかされては、神に背く姿は、何とも哀れですね 主体性に欠けた指導者と言うほかない存在で王としては失格でしょう。 この人材(惨めな)を抱き込んで、イスラエル世界に入り込み、創造の神(イスラエルの神)の姿を骨抜きにしようとたくらんだのが、イゼベルなのです。 アハブの気の弱さが、イゼベルの偽りの愛の衣を着た姿に惑わされたのです。 アハブの中に、真実・信仰・慈しみ・潔さ・権威・・・が欠如していたのですね。 ところが、今日のテキストの最後の、アハブの悔いの姿は、主なる神の心を動かしているのです。 アハブの歩んだ記録を読むと、こんな愚かなアハブを、主なる神は何故、ここまで忍耐しながら導いて来られたのだろう⁉️と思います。 欠けだらけではありましたが、彼の心の優しさや、単純な悔いへの早さや、王(戦士)としての力量には富んでいたようには、感じられます。 ですから、彼の治世は22年続いたのです。 旧約聖書の記録では余り例を見ない、神様のお取り扱いなのです。 昔から、アハブに関する記録から、私の心と記憶には(はてな)(はてな)(はてな)が何時も行列していました。今回もそうです。 しかし、その中からも、神の慈しみと忍耐と、個々に対する、お取り扱いは、新約聖書に語られる主なる神の、語りかけとは、違わない、《愛と慈しみ》に富んだ、主の御姿を、そこに発見するのです。 今朝は最後の神の御言葉に、神の愛と慈しみの、本来の姿を見た思いで、慰められました。 |
| 列王記第一21章1節~16節 21:1 これらのことがあった後のことである。イズレエル人ナボテはイズレエルにぶどう畑を持っていた。それはサマリアの王アハブの宮殿のそばにあった。 21:2 アハブはナボテに次のように頼んだ。「おまえのぶどう畑を私に譲ってもらいたい。あれは私の宮殿のすぐ隣にあるので、私の野菜畑にしたいのだが。その代わりに、あれよりもっと良いぶどう畑を与えよう。もしおまえが良いと思うなら、それ相当の代価を銀で支払おう。」 21:3 ナボテはアハブに言った。「私の先祖のゆずりの地をあなたに譲るなど、【主】にかけてあり得ないことです。」 21:4 アハブは不機嫌になり、激しく怒って自分の宮殿に入った。イズレエル人ナボテが彼に「私の先祖のゆずりの地はあなたに譲れません」と言ったからである。アハブは寝台に横になり、顔を背けて食事もしようとしなかった。 21:5 彼の妻イゼベルは彼のもとに来て言った。「どうしてそんなに不機嫌で、食事もなさらないのですか。」 21:6 そこで、アハブは彼女に言った。「私がイズレエル人ナボテに『金を払うから、おまえのぶどう畑を譲ってほしい。あるいは、おまえが望むなら、代わりのぶどう畑をやってもよい』と言ったのに、彼は『私のぶどう畑はあなたに譲れません』と答えたからだ。」 |
2024年5月26日(日)リビングライフQT 主なる神の哀れみにより、アラムに勝利したアハブの間違った和睦が、後の歴史に大きな傷を残す事を考えず目先の欲に心奪われて、神からの叱責にも心穏やかではなかったのです。 今日のテキストは、昨日の不機嫌な心の乱れが、大きな罪へと繋がったのです。 神への不従順は、サタンの侵入する隙間を開けることになるのです。 こんな些細なことで、アハブは、ナボテと言う愛国の徒を、間接的にではあっても、殺してまで、欲しいものを手に入れたのです。 ここに、アハブの妻イゼベルの、更なる残虐な罪が現れるのです。 こうしてみていると、アハブは、妻イゼベルを、どのような存在として、見ていたのでしょう。アハブの目は・心は、彼の国民を導かれるお方には向けられず、自分の利得に心向けてくれる、偶像の巫女も兼ねていた、イゼベルに、完全に心を奪われていたのです。 私たちは今、何に目を向けているのでしょうか? 心迷わず、『あぁ、我が主よ❗我が神よ‼️・・』と、主の目線を求める日常でありたいですね。 アハブに対して、主なる神の忍耐と寛容は、幾度注がれた事でしょう。神の哀れみを踏みにじる彼の歩みは、罪人の典型だとも言えるでしょう。 私たちにとっては、神への黙想に心向けるデボーションは、最大の勝利の鍵なのです‼️ 朝、まず目覚めて第一に、主に祈り、主にあなたの霊の目を注ぎましょう‼️ |
| 列王記第一20章35節~43節 20:35 預言者の仲間の一人が、【主】のことばにしたがって、自分の仲間に「私を打ってくれ」と言った。しかし、その人は彼を打つことを拒んだ。 20:36 そこで彼はその人に言った。「あなたは【主】の御声に聞き従わなかったので、あなたが私のところから出て行くと、すぐ獅子があなたを殺す。」その人が彼のそばから立ち去ると、獅子がその人を見つけて殺した。 20:37 彼はもう一人の人に会ったので、「私を打ってくれ」と頼んだ。すると、その人は彼を打って傷を負わせた。 20:38 それから、その預言者は行って、道端で王を待っていた。彼は目の上に包帯をして、だれだか分からないようにしていた。 20:39 王が通りかかったとき、彼は王に叫んで言った。「しもべが戦場に出て行くと、ちょうどそこに、ある人が一人の者を連れてやって来て、こう言いました。『この者を見張れ。もし、この者を逃がしでもしたら、この者のいのちの代わりにおまえのいのちを取るか、または、銀一タラントを払わせるぞ。』 20:40 ところが、しもべがあれやこれやしているうちに、その人はいなくなってしまいました。」すると、イスラエルの王は彼に言った。「おまえは、そのとおりにさばかれる。おまえ自身が決めたとおりに。」 20:41 彼は急いで目から包帯を取った。そのとき、イスラエルの王は彼が預言者の一人であることに気づいた。 20:42 彼は王に言った。「【主】はこう言われる。『わたしが聖絶しようとした者をあなたが逃がしたので、あなたのいのちは彼のいのちの代わりとなり、あなたの民は彼の民の代わりとなる。』」 20:43 イスラエルの王は不機嫌になり、激しく怒って自分の宮殿に戻って行き、サマリアに着いた。 |
2024年5月25日(土)リビングライフQT 今日のテキストには、主役の預言者は、エリヤでも、エリシヤでもなく、“預言者仲間の一人”と、記されています。もう一人の仲間に、「私を打て❗」と頼むが、打てなかった。普通の関係や会話だと、打たないでしょうね。ところが、神の命令だったので、それは神の言葉に従わなかったと言うことになったのです。 何と恐るべき出来事なのでしょう。これが旧約聖書の厳しさです。 人が神の前に問われる事への答えは、二者択一のみです。 *従うか *従わないか(背くか)・・・なのです。 人の理性や、善意や、理屈は、主なる神への答えには、不要なものです。 改めて、人の神への答えは只一つ‼️ *従うか *叛くか(従わないか)だけです。 此の時の預言者は、神はそのまま、アハブのもとへ遣わすために、選ばれた者だったのです。ですから、先のお話にあった、彼を打つか否かは、そのまま、やがて自らに課せられる重大な使命への、神からの、無言のメッセージだったのです。 神の言葉を語る‼️と言うことの使命が、いかに重い使命であるか・・・を、痛いほど教えられる今日の、テキストですね。 私が伝道者として、駆け出しの頃、カナダの宣教師ダネル・マクレン師と四国での働きを共にしました。その三年間の働きの現実を本にして、出したのです。時々その本を読み直して見る中で 宣教(神の言葉を伝える働き)の日々が、仕事ではなく、神からの使命(命令)であることにを、マクレン師に厳しく指導された事を思い出し襟を糺される思いになります。 そして、この厳しい使命に歩んだ日々が懐かしく、そのなかで刻まれた使命感が、今の私の土台となったのだ・・・と、改めて痛感するのです。 伝道者としての歩みばかりではなく、すべての信仰者に与えられた神からの使命は、《福音を生きる》と言う、使命に遣わされている・・・と言うことです。 ハレルヤ‼️ |
| 列王記第一20章26節~34節 20:26 年が改まると、ベン・ハダドはアラム人を召集し、イスラエルと戦うためにアフェクに上って来た。 20:27 一方、イスラエル人も召集され、食糧を受けて、彼らを迎え撃つために出て行った。イスラエル人は彼らと向かい合って、二つの小さなやぎの群れのように陣を敷いたが、アラム人はその地に満ちていた。 20:28 ときに、一人の神の人が近づいて来て、イスラエルの王に言った。「【主】はこう言われる。『アラム人が、【主】は山の神であって低地の神ではない、と言っているので、わたしはこの大いなる軍勢をすべてあなたの手に渡す。そうしてあなたがたは、わたしこそ【主】であることを知る。』」 20:29 両軍は互いに向かい合って、七日間、陣を敷いていた。七日目になって戦いに臨んだが、イスラエル人は一日のうちにアラムの歩兵十万人を打ち殺した。 20:30 生き残った者たちはアフェクの町に逃げたが、その生き残った二万七千人の上に城壁が崩れ落ちた。ベン・ハダドは逃げて町に入り、奥の間に入った。 20:31 家来たちは彼に言った。「イスラエルの家の王たちは恵み深い王である、と聞いています。それで、私たちの腰に粗布をまとい、首に縄をかけ、イスラエルの王のもとに出て行かせてください。そうすれば、あなたのいのちを助けてくれるかもしれません。」 20:32 こうして彼らは腰に粗布をまとい、首に縄をかけ、イスラエルの王のもとに行って願った。「あなたのしもべ、ベン・ハダドが『どうか私のいのちを助けてください』と申しています。」するとアハブは言った。「彼はまだ生きているのか。彼は私の兄弟だ。」 20:33 この人々は、これは吉兆だと見て、すぐにそのことばにより事が決まったと思い、「ベン・ハダドはあなたの兄弟です」と言った。王は言った。「行って、彼を連れて来なさい。」ベン・ハダドが王のところに出て来ると、王は彼を戦車に乗せた。 20:34 ベン・ハダドは彼に言った。「私の父が、あなたの父上から奪い取った町々をお返しします。あなたは私の父がサマリアにしたように、ダマスコに市場を設けることもできます。」「では、契約を結んで、あなたを帰そう。」こうして、アハブは彼と契約を結び、彼を去らせた。 |
2024年5月24日(金)リビングライフQT 再び、アラム軍は態勢を建て直して、ダマスコ(アラムの都)から250kmを南下して、アハブの王都サマリヤの南西部の町アヘェクに攻め上ってきた。 この度もまた、神の人(預言者)が、アラムの戦略を暴露した上で、勝利を告げたのです《アラムの軍勢全てをあなたの手に渡す。》《そうしてあなたがたはわたしこそ主であることを知る。》・・・ 神の人の予告に違わず、7日間のにらみ合いのあげく、イスラエルは一気にアラム軍を打ち破り、その日のうちに、10万人もの敵を打ち破ったのです。その上アラムの兵がアヘェクに逃げ込むと、城壁が、逃げ延びた兵士たちの上に崩れ落ち、27,000人の兵士を更に失った。 辛うじて、生き延びたベン・ハダドは、和睦と助命を求めに部下を遣わすと、アハブ王は『彼は私の兄弟だ‼️』と・・・ 通商条約まで交わして、帰国させたのです。 一見、(何と心の広いアハブだろう・・)と、寛容な姿に見えますが、神に選ばれ、創造主以外には神はいない‼️と言う信仰に立つ民イスラエルです。もし、アハブが侵略に勝利したら、イスラエルは、偶像の国になめ取られ、神の国は失われるのです。 アハブの不徹底な態度は、寛容ではなく、妥協と偶像への、傾斜なのです。 イスラエルとユダの対立構造にあった神の民の歴史は、小国の小競り合いではなく、この偶像に満ちた世界のただ中で、この12部族による、唯一神(ヤーウェ→創造主)を信じる信仰の民を、この地に植え付けるのが、神の設計図なのです、 アハブのイスラエルは、正にその為の前哨戦として、選ばれ導かれてきたのです。 ですから神は何度も何度も、アハブを寛容をもって、用いようとされてきたのです。 ある意味で、私たちへの、神の御寛容の縮図のような、歴史なのです‼️ 私は長く旧約のこれらの歴史書を通読しながら、次第に、自らの信仰への、警告・チャレンジとして、心に響くようになったのです‼️ 私の中に“アハブ”がいたことを、否めないことをしばしば刺されてきました。 このような経緯により、イスラエルとアラム両国は、平和な交流が始まるのですが、通商・文化・民族の行き来は、そのまま、多くの偶像の導入・侵入を許すことになるのです。 信仰にとって、大切なのは、妥協と言う平和ではなく、神の国の勝利のみが、私たちの霊的戦いのあるべき姿なのです。 主よ、今日も霊の闘いに、勝利を収めさせて下さい。アーメン‼️ |
| 列王記第一20章13節~25節 20:13 ちょうどそのころ、一人の預言者がイスラエルの王アハブに近づいて言った。「【主】はこう言われる。『あなたは、この大いなる軍勢を見たか。見よ、わたしは今日、これをあなたの手に引き渡す。こうしてあなたは、わたしこそ【主】であることを知る。』」 20:14 アハブが「それは、だれによってでしょうか」と尋ねると、その預言者は言った。「【主】はこう言われる。『諸州の首長に属する若い者たちによって。』」アハブが「だれが戦いを仕掛けるのでしょうか」と尋ねると、「あなたです」と答えた。 20:15 彼が諸州の首長に属する若い者たちを調べてみると、二百三十二人いた。そのほか、すべての兵、すべてのイスラエル人を調べたところ、七千人いた。 20:16 彼らは真昼ごろ出陣した。そのとき、ベン・ハダドは味方の三十二人の王と仮小屋で酒を飲んで酔っていた。 20:17 諸州の首長に属する若い者たちが最初に出陣した。ベン・ハダドが人を遣わすと、彼は「人々がサマリアから出て来ています」との報告を受けた。 20:18 彼は言った。「和平のために出て来ても生け捕りにし、戦うために出て来ても生け捕りにせよ。」 20:19 町から出て来たのは、諸州の首長に属する若い者たちと、これに続く軍勢であった。 20:20 彼らはそれぞれ相手に打ち勝ったので、アラム人は逃げ、イスラエル人は追った。アラムの王ベン・ハダドは馬に乗り、騎兵たちと一緒に逃れた。 20:21 イスラエルの王も出陣し、馬と戦車を討ち、アラム人を討って大損害を与えた。 20:22 その後、あの預言者がイスラエルの王に近寄って言った。「さあ、奮い立って、これからなすべきことをよく考えなさい。来年の今ごろ、アラムの王があなたを攻めに上って来るからです。」 20:23 そのころ、アラムの王の家来たちは王に言った。「彼らの神々は山の神です。だから、彼らは私たちより強いのです。しかし、私たちが平地で彼らと戦うなら、きっと私たちのほうが彼らより強いでしょう。 20:24 このようにしてください。王たちをそれぞれ、その地位から退かせ、王たちの代わりに総督を任命し、 20:25 あなたは失っただけの軍勢と馬と戦車を補充してください。彼らと平地で戦うなら、きっと私たちのほうが彼らより強いでしょう。」王は彼らの言うことを聞き入れて、そのようにした。 |
2024年5月23日(木)リビングライフQT 今日のテキストから学ぶ一つの大切な事は、 13節:『・・・こうしてあなたは、わたしこそ主であることを知る‼️』 この神の人の言葉は、しばしばアハブに語られてきましたが、この度もまた、神の人(預言者)によって語られたのです。 どうでしたでしょう⁉️ 主は『わたしは今日、これを(ベン・ハダドとその軍勢)を、あなたの手に引き渡す。・・』と、語られたのです。 確かにアラムの侵略者に、イスラエルは大勝を収めたのですが、20節後半には「・・アラ厶の王ベン・ハダドは馬に乗り騎兵たちと一緒に逃れた。」イスラエルの王も出陣し、馬と戦車を打って大損害を与えた。 この記述のなかには、アラム軍の指揮系統が総崩れになった中で、追撃・撃滅をしなかったのです。 神の人の言葉は、《これをあなたの手に渡す‼️》だったのです。この言葉は、神のアハブへの信仰のチャレンジだったのです。 しばしば神に背き、バアルの支配に下ったアハブに対して、主なる神は、今新たな出直しのチャンスを、示されたのですが・・(はてな) これは神への帰順の不徹底(主なる神が与えられる勝利の結びを手にしないで、勝利を納めた‼️と早合点したか、もう、アラム軍の建て直しはないだろう⁉️との判断)で勝利を勝ち取らなかったのです。 私達の信仰生活でも、ある程度悔い改めたから…といった不徹底な態度は、霊的な弱さや禍根を残すことになるのです。 神の預言者は、アハブの不徹底な終結に、再び警告を伝えていますね。 私たち神に従う僕は、《こうしてあなたは、わたしこそ主であることを知る。》と言う、力強い霊的経験を積む者となりたいですね‼️ |
| 列王記第一20章1節~12節 20:1 アラムの王ベン・ハダドは彼の全軍勢を集めた。彼には三十二人の王と、馬と戦車があった。彼はサマリアに上り、これを包囲して攻め、 20:2 町に使者たちを遣わして、イスラエルの王アハブに 20:3 こう言った。「ベン・ハダドはこう言われる。『おまえの銀と金は私のもの。おまえの妻たちや子どもたちの、最も美しい者も私のものだ。』」 20:4 イスラエルの王は答えた。「王よ、仰せのとおりです。この私、および、私に属するものはすべてあなたのものです。」 20:5 使者たちは再び戻って来て言った。「ベン・ハダドはこう言われる。『私はおまえに人を遣わし、おまえの銀と金、および、おまえの妻たちや子どもたちを私に与えよ、と言った。 20:6 明日の今ごろ、私の家来たちを遣わす。彼らは、おまえの家とおまえの家来たちの家の中を探し、たとえ、おまえが一番大事にしているものさえ、手をかけて奪い取るだろう。』」 20:7 イスラエルの王は国のすべての長老たちを呼び寄せて言った。「あの男が、こんなにひどいことを要求しているのを知ってほしい。彼は人を遣わして、私の妻たちや子どもたち、および、私の銀や金を求めたが、私はそれを断りきれなかった。」 20:8 すると長老たちや民はみな、彼に言った。「聞かないでください。承諾しないでください。」 20:9 そこで、彼はベン・ハダドの使者たちに言った。「王に言ってくれ。『初めにあなたがこのしもべにお求めになったことは、すべてそのようにいたしますが、このたびのことはできません。』」使者たちは帰って行って、このことを報告した。 20:10 するとベン・ハダドは、彼のところに人を遣わして言った。「サマリアのちりが私に従うすべての民の手を満たすほどでもあったら、神々がこの私を幾重にも罰せられるように。」 20:11 イスラエルの王は答えた。「こう伝えてくれ。『武装しようとする者は、武装を解く者のように誇ってはならない。』」 20:12 ベン・ハダドは、このことばを聞いたとき、王たちと仮小屋で酒を飲んでいたが、家来たちに「配置につけ」と命じたので、彼らはこの町に向かう配置についた。 |
2024年5月22日(水)リビングライフQT 非常に複雑な、侵略者アラムの王ベン・ハダドの要求に、どこか諦めとも、敗北ともつかない、気持ちの揺れの中で王位にしがみつく(民の前に権威を保持しようとする)思いが、アハブのなかに根を張っているようですね。 真の神に帰依する気持ちを寸分も表すことをせず、神に祈ると言う選択をしなかったのです。 “祈る”ことは、 *へりくだること *真の神を神として崇めること。 *このお方以外に頼るべきお方はいない‼️と、告白することなのです。 アハブにはそのどれも、なかったのです。 強大な敵アラムの王ベン・ハダドの前に、形だけの、歴史に裏付けられた、神の国イスラエルの誇りだけが、彼の強気を支える、思いだったのでしょうか 11節の言葉は、当時の戦略での格言なのです。 『戦いが終わって武装を解くまで勝利を確信してはならない』 このアハブの言葉は、相手を、激怒させたのです。 彼(アハブ)を、愚に駆り立てたのは、 今一つの理由があったのです。 それは、昨日のテキストに出ている、エリヤの預言による思いです。 それは、アラムの王の身の上に終局が訪れる・・・と言うものです。19章15・16節に記されていることです。 しかし、仮にそうであっても、この神の言葉“予告”に対して、謙虚でなければならないでしょう。 神の言葉(預言)を、軽い勝利の保障として、『この戦いは我に勝利あり‼️』と、軽く受け止めていたのでしょう。言い換えれば、今や、アハブの神信仰は、占いの偶像的な感覚でしかなかったのです。 私達の主なる神への信仰と信頼は、十字架の主イエス・キリストによる、罪の贖罪の死、このお方によらずしては、主なる神の御許には、行けない…という、へりくだった信仰です。 そのような意味で、イスラエルのアハブ王は、ユダ・イスラエルの歴史の中で最も愚かな王と、言われたのです。 しかし、私達の信仰も問われているのです。 |
| 列王記第一19章11節~21節 19:11 主は言われた。「外に出て、山の上で【主】の前に立て。」するとそのとき、【主】が通り過ぎた。【主】の前で激しい大風が山々を裂き、岩々を砕いた。しかし、風の中に【主】はおられなかった。風の後に地震が起こったが、地震の中にも【主】はおられなかった。 19:12 地震の後に火があったが、火の中にも【主】はおられなかった。しかし火の後に、かすかな細い声があった。 19:13 エリヤはこれを聞くと、すぐに外套で顔をおおい、外に出て洞穴の入り口に立った。すると声がして、こう言った。「エリヤよ、ここで何をしているのか。」 19:14 エリヤは答えた。「私は万軍の神、【主】に熱心に仕えました。しかし、イスラエルの子らはあなたとの契約を捨て、あなたの祭壇を壊し、あなたの預言者たちを剣で殺しました。ただ私だけが残りましたが、彼らは私のいのちを取ろうと狙っています。」 19:15 【主】は彼に言われた。「さあ、ダマスコの荒野へ帰って行け。そこに行き、ハザエルに油を注いで、アラムの王とせよ。 19:16 また、ニムシの子エフーに油を注いで、イスラエルの王とせよ。また、アベル・メホラ出身のシャファテの子エリシャに油を注いで、あなたに代わる預言者とせよ。 19:17 ハザエルの剣を逃れる者をエフーが殺し、エフーの剣を逃れる者をエリシャが殺す。 19:18 しかし、わたしはイスラエルの中に七千人を残している。これらの者はみな、バアルに膝をかがめず、バアルに口づけしなかった者たちである。」 19:19 エリヤはそこを去って、シャファテの子エリシャを見つけた。エリシャは、十二くびきの牛を先に立て、その十二番目のくびきのそばで耕していた。エリヤが彼のところを通り過ぎるとき自分の外套を彼に掛けたので、 19:20 エリシャは牛を放って、エリヤの後を追いかけて言った。「私の父と母に口づけさせてください。それから、あなたに従って行きますから。」エリヤは彼に言った。「行って来なさい。私があなたに何をしたか。」 19:21 エリシャは引き返して、一くびきの牛を取り、それを殺して、牛の用具でその肉を調理し、人々に与えてそれを食べさせた。それから彼は立ってエリヤについて行き、彼に仕えた。 |
2024年5月21日(火)リビングライフQT エリヤの神の大勝利の後、 その勝利感は、エリヤの魂も、回りの環境も変わらず、反ってアハブとイゼベルによって、エリヤの危機が、押し寄せます。 その後、アハブの手を逃れ、更に神の導きのままに・・・ カルメル→イズレエル→ベエルシェバ→ホレブ(モーセが、十戒の石の板を頂いたシナイ半島の山)へと、傷心のエリヤは、神に導かれて来ました(総延長は、直線距離は450km、歩きだと550kmにはなる) その間に、神の語りかけの記録はない どんなに孤独な日々だったことでしょう。 そして、今朝の展開です‼️ 神の山ホレブ‼️この山こそ、モーセがヨシュアと入り、40日間、神と語らった山。濃い臨在の山は、ここに書かれているように、強い神の風が吹きすさび、更に、火が燃えて恐ろしい恐怖を、掻き立てる様な事態でした。 800年以上前のモーセも又、この様な圧倒される神の臨在の真中で、神の言葉を聞いたのです。 しかし、今エリヤは イスラエルの背信の中で孤立し、生きる全ての望みが断たれた中での、主なる神との対面なのです❗ 主なる神の問いかけ 『エリヤよ❗あなたはそこで何をしているのか?』 エリヤの答えは、どこか、愚痴っぽく今の孤立無援な、窮状を訴えたのです。 しかし、この最も弱い姿に沈んだエリヤに、新しい使命を語られたのです。 15・16節‼️・・それは、この地の歴史を変える、神のご計画についての、召命だったのです ①他国(アラム)の王を油注ぎをもって、即位させる‼️と言う、他国の政治への関与です。 ②預言者としての後継者を名指しで、選ばれたのです。 ③更に、主なる神は、ただでさえ孤立無援な状態のエリヤに、大変な使命を語られたのです‼️ しかし、この様な圧倒される使命を語られた神は、エリヤに驚く朗報を、語られたのです‼️ *偶像バアルに膝を屈めなかった、神への信仰者を、7000人、取り分けておられた事を…‼️ エリヤは、沈黙の中から立ち上がり、神の言葉に従って、後継者となるエリシャを、見付けて、外套を掛ける(後継者に選ぶと言う印)ことで、神の意思とご計画を、具体化するのです。 神に従う‼️と言うことは、私達の日常からすれば、それは余りにも冒険に過ぎるものだったり、常識を超えた、所業に見えたりもします。しかし、そこには、主なる神の絶大な力と支えとが、与えられるのです。 委ねきって、立ち上がりましょう。先ず‼️ *立ち上がりましょう *御言葉を信じて、只主に仕えて参りましょう‼️ エリヤの決断と行動は、語らずして、エリシャの魂を、主の前に全き者として、立ち上がらせたのです‼️ 神の子として、大切なのは、なにか資質を養い持つことではなく、ただ立ち上がり従い、行動することなのです。すると、神自ら、道を開き、人を動かし、事を顕して下さいます‼️ 今日も、明日も、立ち上がって進んでまいりましょう。 エリヤの沈黙の行動は、エリシャをも、全き献身をもって、行動させる力となったのです‼️ 説得によってでもなく、訓練によってでもなく、教育によってでもなく・・・ ただ主の霊によって‼️ ハレルヤ |
| 列王記第一19章1節~10節 19:1 アハブは、エリヤがしたことと、預言者たちを剣で皆殺しにしたこととの一部始終をイゼベルに告げた。 19:2 すると、イゼベルは使者をエリヤのところに遣わして言った。「もし私が、明日の今ごろまでに、おまえのいのちをあの者たちの一人のいのちのようにしなかったなら、神々がこの私を幾重にも罰せられるように。」 19:3 彼はそれを知って立ち、自分のいのちを救うため立ち去った。ユダのベエル・シェバに来たとき、若い者をそこに残し、 19:4 自分は荒野に、一日の道のりを入って行った。彼は、エニシダの木の陰に座り、自分の死を願って言った。「【主】よ、もう十分です。私のいのちを取ってください。私は父祖たちにまさっていませんから。」 19:5 彼がエニシダの木の下で横になって眠っていると、見よ、一人の御使いが彼に触れ、「起きて食べなさい」と言った。 19:6 彼が見ると、見よ、彼の頭のところに、焼け石で焼いたパン菓子一つと、水の入った壺があった。彼はそれを食べて飲み、再び横になった。 19:7 【主】の使いがもう一度戻って来て彼に触れ、「起きて食べなさい。旅の道のりはまだ長いのだから」と言った。 19:8 彼は起きて食べ、そして飲んだ。そしてこの食べ物に力を得て、四十日四十夜歩いて、神の山ホレブに着いた。 19:9 彼はそこにある洞穴に入り、そこで一夜を過ごした。すると、【主】のことばが彼にあった。主は「エリヤよ、ここで何をしているのか」と言われた。 19:10 エリヤは答えた。「私は万軍の神、【主】に熱心に仕えました。しかし、イスラエルの子らはあなたとの契約を捨て、あなたの祭壇を壊し、あなたの預言者たちを剣で殺しました。ただ私だけが残りましたが、彼らは私のいのちを取ろうと狙っています。」 |
2024年5月20日(月)リビングライフQT アハブと言うイスラエルの王の姿は心は、何と真の神から遠いのでしょう。 あれだけの、偶像の予言者たちの、惨めなまでの敗北と、辱しめられた姿を見、更に、真の神(ヤーウェ)の、為された祭壇の火を見たばかりか、続いて、三年の干ばつに終止符を打つ大雨でイスラエル全土に、命が吹き返ったのを目の当たりにしながら、主なる神に立ち返らなかったのです それのみならず、その一部始終を、まるで、幼子が苛めっ子にやられた様を言いつけるように、后(偶像・バアル神の最高神官)に、告げ口したのです。 ここに、神の民イスラエルが、今や、バアル神に侵略され、イスラエルの、アブラハムの子孫と言う《アイデンティティー》を、完全に喪失してしまっている姿を、ここに見るのです。 主なる神は、迷い全てを失った、イスラエルの民の歴史を、もう一度、ご自身の選びのうちに回復されるための使命を、エリヤに託されようと、彼を選ばれたのです。 しかし、エリヤは、后(バアルの巫女)イゼベルの復讐を怖れて、供の者にさえ見せられない敗北した心の内を、主なる神に訴えたのです。 エニシダ(私の庭に未だ幼木ながら繁って鬱蒼としています)は柳のように長い枝を張り拡げ、幹を灼熱から覆うように繁茂する木ですから、彼の姿をすっぽりと、覆い隠したのだろうと、想像しました。 それはエリヤには、せめてもの身の置き処となったのでしょう。 どれ程、彼の心は、痛んでいたのでしょう。 数日前からのあの偉大な預言者の、姿からは想像できない、敗北の姿です。 この痛々しいまでのエリヤに、神は優しく呼びかけられたのです。 絶望に支配された悲しいまでの姿でエリヤは10節の言葉で、主なる神に訴えたのです。 私はこの行(クダリ)を読みながら・・・主なる神様は、何と愛と忍耐に満ちた、優しいお方なんだろう‼️・・・と思いました。 あなたの信じ、おすがりされているお方も、同じ神なのです(よ)‼️ あなたの・私の弱さを一番知っておられるお方なのです‼️ 卑屈でも・敗北でも・愚痴でも・泣き言でも・・・主なる神は聴いていて下さいます‼️ 黙さないで訴えましょう 主は聴いて下さいます‼️ さぁ 主なる神は、これから、エリヤをどの様に導かれるのでしょう⁉️ 同じように、あなたを今日そして明日へと、主なる神はどの様に導かれるのでしょう。祈りの中で、主に聞いていきましょう 主は、あなたの神なのです‼️ |
| 列王記第一18章30節~46節 18:30 エリヤが民全体に「私のそばに近寄りなさい」と言ったので、民はみな彼に近寄って来た。彼は、壊れていた【主】の祭壇を築き直した。 18:31 エリヤは、【主】がかつて「あなたの名はイスラエルとなる」と言われたヤコブの子たちの部族の数にしたがって、十二の石を取った。 18:32 その石で、彼は【主】の御名によって一つの祭壇を築き、その祭壇の周りに、二セアの種が入るほどの溝を掘った。 18:33 それから彼は薪を並べ、一頭の雄牛を切り裂いて薪の上に載せ、 18:34 「四つのかめに水を満たし、この全焼のささげ物と薪の上に注げ」と命じた。それから「もう一度それをせよ」と言ったので、彼らはもう一度そうした。さらに、彼が「三度目をせよ」と言ったので、彼らは三度目をした。 18:35 水は祭壇の周りに流れ出した。彼は溝にも水を満たした。 18:36 ささげ物を献げるころになると、預言者エリヤは進み出て言った。「アブラハム、イサク、イスラエルの神、【主】よ。あなたがイスラエルにおいて神であり、私があなたのしもべであり、あなたのおことばによって私がこれらすべてのことを行ったということが、今日、明らかになりますように。 18:37 私に答えてください。【主】よ、私に答えてください。そうすればこの民は、【主】よ、あなたこそ神であり、あなたが彼らの心を翻してくださったことを知るでしょう。」 18:38 すると、【主】の火が降り、全焼のささげ物と薪と石と土を焼き尽くし、溝の水もなめ尽くした。 18:39 民はみな、これを見てひれ伏し、「【主】こそ神です。【主】こそ神です」と言った。 18:40 そこでエリヤは彼らに命じた。「バアルの預言者たちを捕らえよ。一人も逃すな。」彼らがバアルの預言者たちを捕らえると、エリヤは彼らをキション川に連れて下り、そこで彼らを殺した。 18:41 エリヤはアハブに言った。「上って行って、食べたり飲んだりしなさい。激しい大雨の音がするから。」 18:42 そこで、アハブは食べたり飲んだりするために上って行った。エリヤはカルメル山の頂上に登り、地にひざまずいて自分の顔を膝の間にうずめた。 18:43 彼は若い者に言った。「さあ、上って行って、海の方をよく見なさい。」若い者は上って、見たが、「何もありません」と言った。するとエリヤは「もう一度、上りなさい」と言って、それを七回繰り返した。 18:44 七回目に若い者は、「ご覧ください。人の手のひらほどの小さな濃い雲が海から上っています」と言った。エリヤは言った。「上って行って、アハブに言いなさい。『大雨に閉じ込められないうちに、車を整えて下って行きなさい。』」 18:45 しばらくすると、空は濃い雲と風で暗くなり、やがて激しい大雨となった。アハブは車に乗って、イズレエルへ行った。 18:46 【主】の手がエリヤの上に下ったので、彼は裾をたくし上げて、イズレエルの入り口までアハブの前を走って行った。 |
2024年5月19日(日)リビングライフQT 18章36節~45節 この聖書箇所は、何と胸のすくような、ダイナミックな主なる神の御業でしょう‼️ 450人のバアルの預言者の狂気のような騒ぎを向こうに回して、一人主なる神の前に祈る姿は、まさに厳粛そのものだったでしょう。 アハブ王も、その一部始終を凝視していた事でしょう。繰り返し繰り返し、水をかけて、人の手による可能性の完全な、遮断をした上での、 36節ー37節の、厳かで簡潔な主なる神への祈りは、アハブにとっては、先祖からの信仰の継承を思い起こさせるに充分な、説得性に充ちた祈りでした。 この祈りの姿こそ、エリヤの預言者としての使命に充たされた、神の人としての、姿を印象つけられますね 私はここを何度も読みながら、祈りが聴かれ、奇跡が起こった事以上に、エリヤの神の人としての権威と、霊に満ちた信仰と、神と一体化した存在感に、深い感動を覚えました‼️ 自ら、伝道者として主とその御言葉に仕える者としての、輝きの姿を学ばせられました。 私たち教会・そしてクリスチャンは、今の時代に置かれた、エリヤではないでしょうか。 このような大きな働きは出来なくても、 悪しき時代の中で、神の僕として置かれたのです。 主なる神の恵みの時を開く僕として、主に仕える者でありたいですね 昨日、予告しました、日本で起きた、神の御業を記録して、終わりましょう。 昭和5年(1930年)ペンテコステの聖日も近い、ある日、突如として、東京新宿区柏木にあった日本ホーリネス教団の聖書学院に、聖霊の火が降り、燃え上がったリバイバルの記録です。 私の父が神学生の時です。 当日、聖書学院には120余名の、修養生がひしめき合い、マンネリ化した、学舎の生活や、日曜の教会派遣での、習慣化した奉仕に明け暮れ、日本中の教会は、鳴かず飛ばずの伝道で弛みが出ていたのです。 一部の学生や、都内の教会の牧師信徒が、心痛めて、密かな祈りを始めていた。 学生達の中からも、夜中に密かに起きて祈り、早朝に祈り、その様な、一部学生の行動に、批判と嘲笑が起こるなど、ギクシャクした中で、祈りは熱くなり、次第に祈りの輪が広がっていった。 期せずして、日本の軍国主義の勢いは、世界の先進国の心の痛みとなっていたのです。そんな時節、三々五々祈っていた、朝食前の短いデボーションの時、祈りが爆発して、120名の修養生が一斉に、罪示され、悔い改め、仲たがいしていた者達が、手を取り合って謝罪しあったのです。 それから40日に亘って、祈りと聖書の学びが集中して始まり、都内の教会へ日本中の教会へと、 この、聖霊の流れは奔流のように拡がり、一年間に50以上の教会が生まれ、洗礼者が一万人を越えるような、御業が表された。他の教派にまで波及したのです。 これが、昭和のリバイバルです。 私は、このリバイバルを、様々な記録の中から、父の証言と共に、論文を書きましたが、書く手が震えました。 正に、エリヤのリバイバルです。 今、日本にこの様な、聖霊の傾注が起こることを、願うのです。 この悪しき時代は、正にアハブのイスラエルのような、時代です。 愛する祖国の救いのために、 人々をして『主こそ神❗主こそ神‼️』と、言うまでに、主の霊が火のごとく、注がれるのを祈り待ち望みたいです‼️ ハレルヤ(!!) |
| 列王記第一18章節16~29節 18:16 オバデヤは行ってアハブに会い、彼に告げたので、アハブはエリヤに会うためにやって来た。 18:17 アハブがエリヤを見るやいなや、アハブは彼に言った。「おまえか、イスラエルにわざわいをもたらす者は。」 18:18 エリヤは言った。「私はイスラエルにわざわいをもたらしてはいない。あなたとあなたの父の家こそ、そうだ。現に、あなたがたは【主】の命令を捨て、あなたはバアルの神々に従っている。 18:19 今、人を遣わして、カルメル山の私のところに、全イスラエル、ならびにイゼベルの食卓に着く、四百五十人のバアルの預言者と四百人のアシェラの預言者を集めなさい。」 18:20 そこで、アハブはイスラエルのすべての人々に使者を遣わして、預言者たちをカルメル山に集めた。 18:21 エリヤは皆の前に進み出て言った。「おまえたちは、いつまで、どっちつかずによろめいているのか。もし【主】が神であれば、主に従い、もしバアルが神であれば、バアルに従え。」しかし、民は一言も彼に答えなかった。 18:22 そこで、エリヤは民に向かって言った。「私一人が【主】の預言者として残っている。バアルの預言者は四百五十人だ。 18:23 私たちのために、彼らに二頭の雄牛を用意させよ。彼らに、自分たちで一頭の雄牛を選び、それを切り裂いて薪の上に載せるようにさせよ。火をつけてはならない。私は、もう一頭の雄牛を同じようにし、薪の上に載せて、火をつけずにおく。 18:24 おまえたちは自分たちの神の名を呼べ。私は【主】の名を呼ぶ。そのとき、火をもって答える神、その方が神である。」民はみな答えて、「それがよい」と言った。 18:25 エリヤはバアルの預言者たちに言った。「おまえたちで一頭の雄牛を選び、おまえたちのほうから、まず始めよ。人数が多いのだから。おまえたちの神の名を呼べ。ただし、火をつけてはならない。」 18:26 そこで彼らは、与えられた雄牛を取って、それを整え、朝から真昼までバアルの名を呼んだ。「バアルよ、私たちに答えてください。」しかし何の声もなく、答える者もなかった。そこで彼らは、自分たちが造った祭壇のあたりで踊り回った。 18:27 真昼になると、エリヤは彼らを嘲って言った。「もっと大声で呼んでみよ。彼は神なのだから。きっと何かに没頭しているか、席を外しているか、旅に出ているのだろう。もしかすると寝ているのかもしれないから、起こしたらよいだろう。」 18:28 彼らはますます大声で叫び、彼らの慣わしによって、剣や槍で、血を流すまで自分たちの身を傷つけた。 18:29 このようにして、昼も過ぎ、ささげ物を献げる時まで騒ぎ立てたが、何の声もなく、答える者もなく、注目する者もなかった。 |
2024年5月18日(土)リビングライフQT 主なる神の時が来ました‼️ 先に、エリアはアハブに大干ばつの予告を語り、アハブの罪を叱責した時、アハブは怒り、エリヤを捕らえようとしました。しかし神はエリヤを保護して、ケリテ川に身を隠すように導かれました。 しかし、この度は神自ら、エリヤをアハブの前に導き、改めて対決するようにされたのです。 主なる神は、信じ従う者を、その万全の御手をもって、導かれます。 このお話は、あまりにも有名で、 創造者にして、唯一真の神《ヤーウェ》と、バアル・アシュタロテと呼ばれる偶像の神との、対決です。 主なる神が勝利するのは明らかですが、 どの様な形で勝利が示されるかが、この物語の醍醐味なのです‼️ この聖書箇所を題材にした聖歌が、ありますので、記してみましよう新聖歌410番です その《折り返し》 エリヤの 御神は 今なお 生くれば 祈りに応えて 火を降したまわん✨ 24節の、エリヤの言葉は、幼い私の心に染み付いて75年(この箇所を読んだ9歳の時)を経ても、私の信仰の金字塔のごとく、輝き続けてきました。文語訳(子供時代の聖書は)ですが・・・ 《火をもて応ーコトーうる神を神とせん‼️》 困難な祈りの課題の前に、このエリヤの言葉は、何時も励ましでした。困難と言う、不可能と言う岩盤を、打ち砕くダイナマイトのような、言葉でした。 マァ何と惨めなまでの、バアルの預言者達の姿でしょう。 密かに、この3年を真の神を、命がけで待ち望んできた、数少ないイスラエルの民は、まだ見ていない、展開の前の、エリヤの力強い言葉に、期待と信仰が沸き上がったことでしょう。 この、覆われてきたイスラエルの民の信仰は、 大噴火の前の、マグマ溜まりの火山のように、大騒ぎのバアルの預言者の前に静まり返っていました。 聖書テキストは此のように記録しています。 29節:このようにして、昼を過ぎ・・・騒ぎ立てたが、何の声もなく、答える者もなく、注目する者もなかった。 愛する皆さん どの様な困難・四面楚歌・行き詰まり・勝ち目のない様な状況・・の中にも、主の勝利の時は、準備を整えられて、待機しているのです。 先読みされる方もおられるでしょうが、小説の先読みに終わらないでい下さい。 このような現実は、今の時代の教会にも、信仰生活の中にも、起こる、神の御業なのです。 明日は、日本の教会に起こった、出来事を、再度皆様に御語りしましょう。 ”火《神の御業》をもて、ことうる神を神とせん‼️“ この信仰の合言葉を持って、サタンの挑戦に勝利しましょう‼️ |
| 列王記第一18章1節~15節 18:1 かなりの日数を経て、三年目に、次のような【主】のことばがエリヤにあった。「アハブに会いに行け。わたしはこの地の上に雨を降らせよう。」 18:2 そこで、エリヤはアハブに会いに出かけた。そのころ、サマリアでは飢饉がひどかった。 18:3 アハブは宮廷長官オバデヤを呼び寄せた。オバデヤは【主】を深く恐れていた。 18:4 かつてイゼベルが【主】の預言者たちを殺したときに、オバデヤは百人の預言者たちを救い出し、五十人ずつ洞穴の中にかくまい、パンと水で彼らを養ったのである。 18:5 アハブはオバデヤに言った。「国内のすべての水の泉や、すべての川に行ってみよ。馬とらばを生かしておく草が見つかり、家畜を絶やさないですむかもしれない。」 18:6 二人はこの国を分けて巡り歩くことにし、アハブは一人で一つの道を行き、オバデヤは一人で別の道を行った。 18:7 オバデヤがその道にいたところ、エリヤが彼に会いに来た。オバデヤにはそれがエリヤだと分かったので、ひれ伏して言った。「あなたは私の主人エリヤではありませんか。」 18:8 エリヤは彼に答えた。「そうです。行って、エリヤがここにいると、あなたの主人に言いなさい。」 18:9 すると、オバデヤは言った。「私にどんな罪があると言うのですか。あなたがこのしもべをアハブの手に渡し、殺そうとされるとは。 18:10 あなたの神、【主】は生きておられます。私の主人があなたを捜すために人を遣わさなかった民や王国は一つもありません。その王国や民が、あなたはいないと言うと、主人は彼らに、あなたが見つからないという誓いをさせています。 18:11 今、あなたは『行って、エリヤがここにいるとあなたの主人に言え』と言われます。 18:12 私があなたから離れて行っている間に、【主】の霊はあなたを私の知らないところに連れて行くでしょう。私はアハブに知らせに行きますが、あなたを見つけられなければ、彼は私を殺すでしょう。しもべは子どものころから【主】を恐れています。 18:13 あなたには、イゼベルが【主】の預言者たちを殺したとき、私のしたことが知らされていないのですか。私は【主】の預言者百人を五十人ずつ洞穴に隠し、パンと水で彼らを養ったのです。 18:14 今、あなたは『行って、エリヤがここにいるとあなたの主人に言え』と言われます。彼は私を殺すでしょう。」 18:15 すると、エリヤは言った。「私が仕えている万軍の【主】は生きておられます。私は必ず、今日、アハブの前に出ます。」 |
2024年5月17日(金)リビングライフQT 預言者エリヤから、神に従わないイスラエルの王アハブへの、厳しい警告予言・・・干ばつの危機が来ることを語って、王の怒りにふれ 逃亡者となるも、カラスに養われ、寡婦に支えられて三年。 イスラエル中に干ばつが酷く、家畜まで養われなくなるはめになって、生き残りのために、王自ら長官と共に手分けして、国情を探りに出るのです。 この時の長官がオバデヤ(旧約の預言書を書いた“オバデヤ”ではない)が、悪い王(アハブ)の側近として、残っていたのです。彼は、真の神を敬い、アハブ王の預言者撲滅計画(エリヤを亡き者にするため)の時に、100人の預言者の救出の働きをしていた。この事は、ひいてはエリヤの保護や追求にも、功績となっていたのです。 主なる神は、今新たに、オバデヤを用いて、神ご自身のご計画を進めようと、彼とエリヤを、会わせられるのです。 この様な、危機をはらんだ国の中にさえ、神はご自身の器を、用意されています。 神の働きは、悪者をくじき、一掃し、天国のような平和な世界を、出現されるために、奇跡・・・と言った、超常現象や、ご計画を展開することで、善の世界・神の支配の世界を、出現されることはありません。 今の、ロシアのウクライナ侵略、 イスラエルのガザ侵攻、リビアの内戦、ミャンマーの内部対立等で、幾多の人々が殺され、飢餓に命裂かれ、子供たちが苦しみと命の危機に翻弄される姿を、主なる神は、奇跡と審判をもって、今止められないのは何故(何故) 悲しいまでの矛盾を覚えます。 しかし、これは長い人類の罪の歴史が物語って来たものなのです。 神がこれを裁かれるのは、最後の審判なのです。 それまでは、預言者を立て、メシヤであるイエス・キリスト様を通して、恒久の救いの道を開かれ、教会を立て、主に仕える僕を送り、主を信じる者に、罪の赦しと、永遠の救いを与えて、来られました。 今や、私たちが、エリヤであり、オバデヤでもあるのです。 この時代の中で、私の・あなたの、すべき何かが有ることを、祈りの中から見いだして、悪しき世界の中で、遣わされた器となって、身を捧げるものとなりたいですね 今あなたは、自分の平安と祝福の中に、身を置くだけのクリスチャンですか。 それとも、『私を遣わしてください❗ 私を用いて、人々の救いのために、何かをさせて下さい‼️』・・と、主に願うクリスチャンですか。 エリヤの言葉 15節:私が仕えている万軍の主は生きておられます。‼️ ハレルヤ‼️ |
| 列王記第一17章17節~24節 17:17 これらのことの後、この家の女主人の息子が病気になった。その子の病気は非常に重くなり、ついに息を引き取った。 17:18 彼女はエリヤに言った。「神の人よ、あなたはいったい私に何をしようとされるのですか。あなたは私の咎を思い起こさせ、私の息子を死なせるために来られたのですか。」 17:19 彼は「あなたの息子を渡しなさい」と彼女に言って、その子を彼女の懐から受け取り、彼が泊まっていた屋上の部屋に抱えて上がり、その子を自分の寝床の上に寝かせた。 17:20 彼は【主】に叫んで祈った。「私の神、【主】よ。私が世話になっている、このやもめにさえもわざわいを下して、彼女の息子を死なせるのですか。」 17:21 そして、彼は三度その子の上に身を伏せて、【主】に叫んで祈った。「私の神、【主】よ。どうか、この子のいのちをこの子のうちに戻してください。」 17:22 【主】はエリヤの願いを聞かれたので、子どものいのちがその子のうちに戻り、その子は生き返った。 17:23 エリヤはその子を抱いて、屋上の部屋から家の中に下りて、その子の母親に渡した。エリヤは言った。「ご覧なさい。あなたの息子は生きています。」 17:24 その女はエリヤに言った。「今、私はあなたが神の人であり、あなたの口にある【主】のことばが真実であることを知りました。」 |
2024年5月16日(木)リビングライフQT 昨日のテキストは、やもめの、何とも、単純にエリヤの言いなりに行動する、けなげな、いじらしいばかりの姿を、見て、感動しながらも、どこか主なる神様のなさる方法に、 心に掛かるものを御感じになられたのではないでしょうか(言ってる意味が分からない。) 私は、小学校に上がった日から聖書通読を、始めましたが新訳を一度読んだら次は旧約・・・創世記、出エジプト記は、難しいなりに面白かったですが、それ以外は苦痛の義務でした。 そんな中でも、この様なところに差し掛かると、腹が立ったり、《神様どうして(はてな)》と、心の中で呟いていたのを思い出します。普通の大人が読んでも、「何故・・・(何故)」と、疑問符が溢れますよね ですから聖書は通読すべきです。 主なる神様のお心は、天よりも高く、宇宙よりも広く、海よりも深いのですから、 人の知恵と、感性と、 理性と正義感で、解ろうとしてつまづかないように。 主のみ思い、御心を何時も、思いめぐらしましょう。 今朝のテキストは、ツァレファテのやもめに… 従った者にのみ与えられる、驚く恵み、なのです。 主なる神は、私たちが思う先から、あなたを私を、ご計画をもって導いてくださっているのですね。 寡婦の子が亡くなったと言うことは、エリヤ自身も、驚愕で20節の主への、抗議のような祈りは、彼の動揺と怒りに溢れていますね。 エリヤにとっても、最大の危機でした。 ここでは詳しい解説は避けますが、ただだだ、エリヤは、主の前にひれ伏したのです。 これが主に従う聖徒の、最高・唯一の姿です。 エリヤ以上に、動揺と絶望と、怒り(18節)に、魂が崩れるような衝撃を受けた寡婦でした。 しかし、エリヤの祈りで生き返った息子を見て、24節に『私はあなたが神の人であり、あなたの口にある主の言葉が真実であることを知りました‼️』と、告白しているのです。 ハッピーエンド・・等と言う単純なことではなく、 まさにこれこそ、《福音》そのものなのです‼️ 主はここに、私たち信じる者を、導いてくださるのです。 あなたの信仰生活は、こうして築き上げられるのです‼️ |
| 列王記第一17章1節~16節 17:1 ギルアデの住民であるティシュベ人エリヤはアハブに言った。「私が仕えているイスラエルの神、【主】は生きておられる。私のことばによるのでなければ、ここ数年の間、露も降りず、雨も降らない。」 17:2 それから、エリヤに次のような【主】のことばがあった。 17:3 「ここを去って東へ向かい、ヨルダン川の東にあるケリテ川のほとりに身を隠せ。 17:4 あなたはその川の水を飲むことになる。わたしは烏に、そこであなたを養うように命じた。」 17:5 そこでエリヤは行って、【主】のことばどおりにした。彼はヨルダン川の東にあるケリテ川のほとりに行って住んだ。 17:6 何羽かの烏が、朝、彼のところにパンと肉を、また夕方にパンと肉を運んで来た。彼はその川から水を飲んだ。 17:7 しかし、しばらくすると、その川が涸れた。その地方に雨が降らなかったからである。 17:8 すると、彼に次のような【主】のことばがあった。 17:9 「さあ、シドンのツァレファテに行き、そこに住め。見よ。わたしはそこの一人のやもめに命じて、あなたを養うようにしている。」 17:10 彼はツァレファテへ出て行った。その町の門に着くと、ちょうどそこに、薪を拾い集めている一人のやもめがいた。そこで、エリヤは彼女に声をかけて言った。「水差しにほんの少しの水を持って来て、私に飲ませてください。」 17:11 彼女が取りに行こうとすると、エリヤは彼女を呼んで言った。「一口のパンも持って来てください。」 17:12 彼女は答えた。「あなたの神、【主】は生きておられます。私には焼いたパンはありません。ただ、かめの中に一握りの粉と、壺の中にほんの少しの油があるだけです。ご覧のとおり、二、三本の薪を集め、帰って行って、私と息子のためにそれを調理し、それを食べて死のうとしているのです。」 17:13 エリヤは彼女に言った。「恐れてはいけません。行って、あなたが言ったようにしなさい。しかし、まず私のためにそれで小さなパン菓子を作り、私のところに持って来なさい。その後で、あなたとあなたの子どものために作りなさい。 17:14 イスラエルの神、【主】が、こう言われるからです。『【主】が地の上に雨を降らせる日まで、そのかめの粉は尽きず、その壺の油はなくならない。』」 17:15 彼女は行って、エリヤのことばのとおりにした。彼女と彼、および彼女の家族も、長い間それを食べた。 17:16 エリヤを通して言われた【主】のことばのとおり、かめの粉は尽きず、壺の油はなくならなかった。 |
2024年5月15日(水)リビングライフQT 長い間、イスラエルの背信の記録ばかりを読み続けてきましたが、今朝のテキストは、霊的飢餓(不信と背信)への、神の怒りと裁きの暗い物語から、一気に、神の恵みの御国を想わせる、栄光の物語のただ中に導かれ、歓びに満ちた想いです‼️ 背信のイスラエルには、最早、押し潰された死の世界を見るような信仰の現実が覆っていたのです。 しかし、その様な、死に支配された世界に見えるその中に、主なる神は、一人の神の人を立ち上がらせられたのです‼️《(え)(り)(や)》の登場です。 神は彼をアハブの所に遣わし、主なる神への背信の結果としての干ばつがぉこる事を伝えるのです。恐ろしい災い(古代の世界では、干ばつは、一つの民族や文化を消し去るほどの、威力を内蔵していたのです。) 大胆にも、エリヤは、アハブの前に立ち❗神からの裁きを宣言しました。 エリヤが《神の人》と、言われる所以(理由)は、神を信頼し何者をも恐れない、主の預言者だったからです。 その、神から、数年の間、雨が全く降らないと言う、宣言でした。それは直ぐに見えてくる、現象ではありませんでした。これは、背信者《アハブ》への警告でした(神に立ち返るチャンスが含まれた・・・) 神はエリヤを万全の御手をのべて、守られました。 しかし、やがて川の水が完全に枯れた時、神の声が・・・‼️ ツァレファテの一人の女に、エリヤは遣わされました。 それは、何と驚くような神のお取り扱いでしょう‼️何と乱暴な何と非人道的、神の宣言(導き)でしょう。 この物語は、話を短く記録するために、 話しを“ハショッタ”のではないのです。 ここで、“エリヤ”もこの“やもめ”も、共に、厳しい選択を迫られたのです。 しかし、この物語りの中で次の言葉が、神の光への“キーワード”となっています。 ①13節~《恐れてはいけません❗》 14節~《主が、こう言われるからです❗》 彼女が聞いたのは、行きずりの人の言葉てはないのです。 神の言葉なのです。 ②15節~彼女は行って、エリヤの言葉の通りにした。 結果は、数千年後の私たちが、この物語から生き生きと、《信仰》を学ぶのです。 私達はしばしば信仰が試されますが、そんな時、御言葉に対して、自分の判断を加えていませんか❓ もしそうすれば、《神の言葉+判断》それは信仰ではなくなっています。私達は今日、エリヤと、やもめの行動から、素晴らしい光を学びました。 あなた方も行ってその様にしなさい‼️ との、主イエス様のお言葉を思い出しますね アーメン |
| 列王記第一16章29節~34節 16:29 オムリの子アハブは、ユダの王アサの第三十八年に、イスラエルの王となった。オムリの子アハブはサマリアで二十二年間、イスラエルの王であった。 16:30 オムリの子アハブは、彼以前のだれよりも【主】の目に悪であることを行った。 16:31 彼にとっては、ネバテの子ヤロブアムの罪のうちを歩むことは軽いことであった。それどころか彼は、シドン人の王エテバアルの娘イゼベルを妻とし、行ってバアルに仕え、それを拝んだ。 16:32 さらに彼は、サマリアに建てたバアルの神殿に、バアルのために祭壇を築いた。 16:33 アハブはアシェラ像も造った。こうしてアハブは、彼以前の、イスラエルのすべての王たちにもまして、ますますイスラエルの神、【主】の怒りを引き起こすようなことを行った。 16:34 彼の時代に、ベテル人ヒエルがエリコを再建した。彼は、その礎を据えたとき長子アビラムを失い、門を建てたとき末の子セグブを失った。ヌンの子ヨシュアを通して語られた【主】のことばのとおりであった。 |
2024年5月14日(火)リビングライフQT 何故❓イスラエルは、こうも、繰返し折り重ねて、偶像信仰に走るのでしょう。 不思議に思いながらも、ふと、日本の回りを見ると、特に、春の命の芽吹き、また野菜・穀物の植え付け、新しい季節の躍動期には、必ず、村祭り、豊穣祭・山笠祭り等々、民は皆こぞって、町や村挙げて、祭りを楽しみますね これに欲にてはいないでしょうかしら。 それは、“いのち”に関する憧れ・安全・繁栄を求める、祈願祭でもあるのです。そこで着飾り、歓声を挙げ、神に見立てた何か(これが偶像)を、担ぎ上げて、歓び踊り、いのちを共感する思いで、神(偶像=神ならぬ神)と一体化すると信じる‼️ この様な騒ぎを通して、神が乗り移る・・・等と!話に輪を掛けて、神秘化する‼️ サタンは、まことの神、創造主なるお方から、人の心が魂が、他へ移るなら、惜しみ無く、不思議と奇跡をもって、人の魂を引き寄せて、体験化するのです。これが偶像の魔力なのです。 アハブは、今までの緒王に増して、最高の魔力を持つ、バアルの名を持つシドンの王と、緊密な盟約を持ち、その徴として、その娘“イゼベル”と結婚し、そのせきじょう、バアル神の神門にひれ伏したのです。主なる真の神の民の長がです なんと言う屈辱でしょう。アハブは、バアル神の名声を借りて、地域にその名を拡げた、全く愚かな王となったのです。 偶像は、華やかで、いのちの躍動を演出し、人の感性を揺さぶり、感性の興奮を、霊の躍動・魂の充満と置き換えてしまうのです。 気を付けて下さい‼️ この様な愚かな歓びに、心奪われている間に、エリコ(ヨシュアによって滅ぼされた町)の再建の計画と実行が成されると、次々と債権者が命を落とす‼️ 神が消されたものを、人が再建することを禁じたにも関わらず・・・その為、次々命を落としたのです。 真に神は、厳格なお方であり、従わない者には、厳格な審判をもって望まれました。 聖書の教えは《この方以外には救いはない‼️》のです。 どんなに厳粛・偉大・厳か・栄光の輝きに包まれといても、創造主(聖書が語る)なる神・・・以外には神は居られないのです。 旧約の歴史を学びながら、私達はこの神の他に神はない‼️と言う絶対事実を、信じ伝えるのです‼️アーメン |
| 列王記第一16章15節~28節 16:15 ユダの王アサの第二十七年に、ジムリが七日間ティルツァで王となった。そのとき、兵はペリシテ人のギベトンに対して陣を敷いていた。 16:16 陣を敷いていたこの兵は、「ジムリが謀反を起こして王を打ち殺した」と言われるのを聞いた。すると、全イスラエルはその日、その陣営で軍の長オムリをイスラエルの王とした。 16:17 オムリは全イスラエルとともにギベトンから上って来て、ティルツァを包囲した。 16:18 ジムリは町が攻め取られるのを見ると、王宮の高殿に入り、自ら王宮に火を放って死んだ。 16:19 これは、彼が罪を犯して【主】の目に悪であることを行い、ヤロブアムの道に歩んだその罪のゆえであり、イスラエルに罪を犯させた彼の罪のゆえであった。 16:20 ジムリについてのその他の事柄、彼が企てた謀反、それは『イスラエルの王の歴代誌』に確かに記されている。 16:21 当時、イスラエルの民は二派に分裂していた。民の半分はギナテの子ティブニに従って彼を王にしようとし、もう半分はオムリに従った。 16:22 オムリに従った民は、ギナテの子ティブニに従った民より強かったので、ティブニが死ぬとオムリが王となった。 16:23 ユダの王アサの第三十一年に、オムリはイスラエルの王となり、十二年間、王であった。六年間はティルツァで王であった。 16:24 彼は銀二タラントでシェメルからサマリアの山を買い、その山に町を建て、彼が建てたこの町の名を、その山の持ち主であったシェメルの名にちなんでサマリアと呼んだ。 16:25 オムリは【主】の目に悪であることを行い、彼以前のだれよりも悪いことをした。 16:26 彼はネバテの子ヤロブアムのすべての道に歩み、イスラエルに罪を犯させ、彼らの空しい神々によってイスラエルの神、【主】の怒りを引き起こした。 16:27 オムリが行ったその他の事柄、彼が立てた功績、それは『イスラエルの王の歴代誌』に確かに記されている。 16:28 オムリは先祖とともに眠りにつき、サマリアに葬られた。彼の子アハブが代わって王となった。 16:29 オムリの子アハブは、ユダの王アサの第三十八年に、イスラエルの王となった。オムリの子アハブはサマリアで二十二年間、イスラエルの王であった。 16:30 オムリの子アハブは、彼以前のだれよりも【主】の目に悪であることを行った。 16:31 彼にとっては、ネバテの子ヤロブアムの罪のうちを歩むことは軽いことであった。それどころか彼は、シドン人の王エテバアルの娘イゼベルを妻とし、行ってバアルに仕え、それを拝んだ。 16:32 さらに彼は、サマリアに建てたバアルの神殿に、バアルのために祭壇を築いた。 16:33 アハブはアシェラ像も造った。こうしてアハブは、彼以前の、イスラエルのすべての王たちにもまして、ますますイスラエルの神、【主】の怒りを引き起こすようなことを行った。 16:34 彼の時代に、ベテル人ヒエルがエリコを再建した。彼は、その礎を据えたとき長子アビラムを失い、門を建てたとき末の子セグブを失った。ヌンの子ヨシュアを通して語られた【主】のことばのとおりであった。 |
2024年5月13日(月)リビングライフQT 神の導きから離れたイスラエルの歴代の王は、代を重ねる度に、その悪は、更に汚れを増し、神の導きに帰らない限り、自らの知恵と権力と、策略をもって補うために、益々神のみ心から離れるばかりか、神の怒りと裁きを引き寄せる結果となり、イスラエルは混乱の極に達するのです。 オムリは、崩れ去る国の力を何とか。引き戻そうと、国の中心となる、首都を定めることで、民心を繋ぎ止めようと、サマリヤを要塞都市としたのです。この町は、この後数百年に亘って、栄えますが、実は、異邦の神々の集まるところとなり、益々神から離れた国として、神の裁きを受け続けるのです。 神を離れた、どの様な繁栄も、強さも、栄光に見える姿も、所詮、神から離れ、見捨てられた不信の民の集合体(裁きに定められた一時の繁栄にすぎないのです) 私達が模索し続けるのは、競争力に勝つ事ではなく、名声を馳せることでもなく、何時も、主なる神が伴に歩んでくださる道、闘ってくださる戦場であることです‼️ 今日の一日が、厳しい道筋であっても、主の栄光目指す道であるなら、その道には、神のみ光が常に射して、平安と慰めに満ちた、道行きとなるでしょう‼️ 《恐れるな❗わたしはあなたと伴にいる。わたしはあなたの神である‼️》アーメン |
| 列王記第一15章33節~16章14節 15:33 ユダの王アサの第三年に、アヒヤの子バアシャがティルツァで全イスラエルの王となった。治世は二十四年であった。 15:34 彼は【主】の目に悪であることを行い、ヤロブアムの道に歩み、ヤロブアムがイスラエルに犯させた罪の道に歩んだ。 16:1 そのとき、ハナニの子エフーに、バアシャに対する次のような【主】のことばがあった。 16:2 「わたしは、あなたをちりから引き上げ、わたしの民イスラエルの君主としたが、あなたはヤロブアムの道に歩み、わたしの民イスラエルに罪を犯させ、その罪によってわたしの怒りを引き起こした。 16:3 今、わたしはバアシャとその家を除き去り、あなたの家をネバテの子ヤロブアムの家のようにする。 16:4 バアシャに属する者で、町で死ぬ者は犬がこれを食らい、野で死ぬ者は空の鳥がこれを食らう。」 16:5 バアシャについてのその他の事柄、彼が行ったこと、その功績、それは『イスラエルの王の歴代誌』に確かに記されている。 16:6 バアシャは先祖とともに眠りにつき、ティルツァに葬られた。彼の子エラが代わって王となった。 16:7 【主】のことばはまた、ハナニの子、預言者エフーを通してバアシャとその家に向けられた。それは、彼が【主】の目に悪であるすべてのことを行い、その手のわざによって主の怒りを引き起こしてヤロブアムの家のようになり、また彼がヤロブアムを打ち殺したからである。 16:8 ユダの王アサの第二十六年に、バアシャの子エラがティルツァでイスラエルの王となった。治世は二年であった。 16:9 彼がティルツァにいて、ティルツァの宮廷長官アルツァの家で酒を飲んで酔っていたとき、彼の家来で、戦車隊の半分の長であるジムリが彼に謀反を企てた。 16:10 ユダの王アサの第二十七年に、ジムリが入って来てエラを打ち殺し、彼に代わって王となった。 16:11 ジムリは王となり王座に就くと、すぐにバアシャの全家を討ち、小童から親類、友人に至るまで、一人も残さなかった。 16:12 こうして、ジムリはバアシャの全家を根絶やしにした。預言者エフーを通してバアシャに言われた【主】のことばのとおりであった。 16:13 これは、バアシャのすべての罪とその子エラの罪のゆえであり、彼らが罪を犯し、また彼らがイスラエルに罪を犯させ、彼らの空しい神々によってイスラエルの神、【主】の怒りを引き起こしたためである。 16:14 エラについてのその他の事柄、彼が行ったすべてのこと、それは『イスラエルの王の歴代誌』に確かに記されている。 |
2024年5月12日(日)リビングライフQT ナダブ→バアシャ→エラ→ジムリ 目まぐるしく、王が代わる 南ユダは、一貫して、ダビデの子孫が、王位を継承していきますが、 北のイスラエル王国は、クーデターで政権が覆され、常に覇権に勝利した者が王となって、治めている。 この様に、益々神のめぐみから離れていく、イスラエルの民に対しても、神は、彼らを切り離したのではなく、 彼らにもまた、主の預言者を通して、警告され、導かれるのです。 今日のテキストにも、《預言者エフー》として登場している。ただ預言するだけではなく、神からの警告、裁きの言葉が、王に、偽祭司(レビ族でない勝手な宗教政治のもとで)へ語られていたのです。 主なる神の選びは、総ての者に、真実をもって、語りかけられるのです。 それがいまの時代には《聖書》として、誰もが手にとって、読むことができる、《神の言葉》として、いまも生きて働き、預言者となって、教会を通し、クリスチャンを通して、語りかけ続けておられるのです‼️ ある意味で、あなたは《エフー》だと言えるのではないでしょうか。 |
| 列王記第一15章25節~32節 15:25 ユダの王アサの第二年に、ヤロブアムの子ナダブがイスラエルの王となり、二年間イスラエルの王であった。 15:26 彼は【主】の目に悪であることを行い、彼の父の道に歩み、父がイスラエルに犯させた罪の道を歩んだ。 15:27 イッサカルの家のアヒヤの子バアシャは、彼に謀反を企てた。バアシャはペリシテ人のギベトンで彼を討った。ナダブとイスラエル全軍はギベトンを攻め囲んでいたのである。 15:28 こうして、バアシャはユダの王アサの第三年にナダブを殺し、彼に代わって王となった。 15:29 彼は王となったとき、ヤロブアムの全家を討ち、ヤロブアムに属する息ある者を一人も残さず、根絶やしにした。【主】がそのしもべ、シロ人アヒヤを通して言われたことばのとおりであった。 15:30 これはヤロブアムが犯した罪のゆえ、またイスラエルに犯させた罪のゆえであり、彼が引き起こしたイスラエルの神、【主】の怒りによるものであった。 15:31 ナダブについてのその他の事柄、彼が行ったすべてのこと、それは『イスラエルの王の歴代誌』に確かに記されている。 15:32 アサとイスラエルの王バアシャの間には、彼らが生きている間、戦いがあった。 |
2024年5月11日(土)リビングライフQT 神の支配と預言❗ このような乱世においても、真の神、創造主の栄光と力と、義の輝きが覆っています。 主なる神のご計画により、ヤロブアムに託された、神の民の分かれ、イスラエル10部族への、ご計画は、早くも崩れ落ちていきます。 主なる神は、この選ばれた地(カナン)を、アブラハム以来、1000年の長きに亘って導いて来られましたが、この地に先に歴史を刻んだ、異邦の民の信じた神々への信仰の象徴である”高き所”を、残したことが、後々のイスラエル・ユダ双方の国造りの、大きな障害となったのです。 その理由は、主の民の中にカナン人・パレスチィナ人・アンモン 人・・・が、混在していて、彼らは、昔ながらに神々への礼拝を、行っていたのです。小高い所に祭壇を築いて、礼拝をしていました。主の民は積極的にそれに加わったわけではないのですが、彼ら(異邦の民)の信仰が確実に浸透していき、 神の民も、エルサレムまで行かなくても・・・と言う思いで、次第に、妥協的な神信仰へと、変遷していったのでしょう。定められた礼拝(イスラエルの神への)の姿は、唯一絶対の聖なる神への、厳正な礼拝であり、神と共に生きる、厳粛な告白が、礼拝なのですから、部族の神と言う、ご利益的意味合いの信仰とは、全く異質なものなのです。彼らの礼拝は宗教であり、イスラエル(神の民)の礼拝は、創られた全ての人が、為すべき、唯一の礼拝なのです。 これが“礼拝=ザ・礼拝”なのです。 (実はこの項は、昨日の、高き所を除かなかった、先住民への気がねと、軽視に終わったアサ王の問題点として、認めました。) 一方北のイスラエルのヤロブアムの死後、その子ナダブもまた、神に背き、バアシャがこれを滅ぼし、王となったが、北の民ユダの王のアサとの間に、休まることなく戦いがあった。 互いに、同じ神の選びの民であるのに、多分互いの正当性を主張したせいでしょうか、闘いが止まなかった。 列王記の歴史は終始、このような繰り返しです。何と悲しい姿でしょう。主なる神は、彼らが主に信頼し、思いを一つにすることを願われておられたのに、 彼らの心は、覇権にのみ心を向け、一番大切な二つの事を、見失っていたのです。それがこの歴史なのです。 ①真の神を礼拝する事 ②神のみ言葉に歩むこと(神に聴く‼️信仰) 今朝、私たちは改めて、何故にクリスチャンであるのか⁉️ 姿勢を正しくし、主に聴く人生(日々の生活)に整えられて参りましょう |
| 列王記第一15章9節~24節 15:9 イスラエルの王ヤロブアムの第二十年に、ユダの王アサが王となった。 15:10 彼はエルサレムで四十一年間、王であった。彼の母の名はマアカといい、アブサロムの娘であった。 15:11 アサは父祖ダビデのように、【主】の目にかなうことを行った。 15:12 彼は神殿男娼を国から追放し、先祖たちが造った偶像をことごとく取り除いた。 15:13 また、母マアカがアシェラのために憎むべき像を造ったので、彼女を皇太后の位から退けた。アサはその憎むべき像を切り倒し、これをキデロンの谷で焼いた。 15:14 高き所は取り除かれなかったが、アサの心は生涯、【主】とともにあり、全きものであった。 15:15 彼は、父が聖別した物と自分が聖別した物、銀、金、器を、【主】の宮に運び入れた。 15:16 アサとイスラエルの王バアシャの間には、彼らが生きている間、戦いがあった。 15:17 イスラエルの王バアシャはユダに上って来て、ラマを築き直し、ユダの王アサのもとにだれも出入りできないようにした。 15:18 アサは、【主】の宮の宝物倉と王宮の宝物倉に残っていた銀と金をことごとく取って、自分の家来たちの手に渡した。アサ王は、彼らをダマスコに住んでいたアラムの王、ヘズヨンの子タブリンモンの子ベン・ハダドのもとに遣わして言った。 15:19 「私の父とあなたの父上の間にあったように、私とあなたの間にも盟約を結びましょう。ご覧ください。私はあなたに銀と金の贈り物をしました。どうか、イスラエルの王バアシャとの盟約を破棄して、彼が私のもとから離れ去るようにしてください。」 15:20 ベン・ハダドはアサ王の願いを聞き入れ、自分の配下の軍の高官たちをイスラエルの町々に差し向け、イヨンと、ダンと、アベル・ベテ・マアカ、およびキネレテ全域とナフタリの全土を攻撃した。 15:21 バアシャはこれを聞くと、ラマを築き直すのを中止して、ティルツァにとどまった。 15:22 そこで、アサ王はユダ全土にもれなく布告し、バアシャが建築に用いたラマの石材と木材を運び出させた。アサ王は、これを用いてベニヤミンのゲバとミツパを建てた。 15:23 アサのその他のすべての事柄、すべての功績、彼が行ったすべてのことや彼が建てた町々のこと、それは『ユダの王の歴代誌』に確かに記されている。ただ、彼は年をとってから、両足とも病気になった。 15:24 アサは先祖とともに眠りにつき、先祖とともに父ダビデの町に葬られた。彼の子ヨシャファテが代わって王となった。 |
2024年5月10日(金)リビングライフQT 長きに亘って、混乱した国がアサ王によって、神への真実な礼拝が回復されました。 心痛めていた真の礼拝者たちは、どんなに喜び、勝利の主への真の礼拝で、神殿の中庭の祭壇に、真の犠牲の煙が立ち上るのを、自分の祈りとして、ひれ伏して涙したのではないでしょうか‼️ 正にエルサレムのリバイバルです。 今日の、《黙想エッセイ》には“真の礼拝”について、非常に重要なメッセージが記されていますので、是非お読みください。 要するに、《礼拝》は、何かを求めて捧げるものではない 偶像礼拝のように、何かを求め、何かを嘆願して、捧げるものではないのです。 ただ《神が神で在られる故に、恐れおののいてひれ伏し、このお方に、心から自らを捧げきり、”主こそ神‼️“》と、賛美と献身をもって、礼拝するのが、私達の喜びであり、力となるのです‼️ そこから新しい命と力と祝福が沸き上がるのです。 正に今、エルサレムの神殿に、アサ王の姿を先頭に、ユダの民が、一斉に祭壇の前にひれ伏す姿を想像します。 私達の国が、私達の周りの人々が、私達の家族が、 このように主なる神を礼拝する日が来ることを、心から願わずにはおられません |
| 列王記第一15章1節~8節 15:1 ネバテの子ヤロブアムの第十八年に、アビヤムがユダの王となり、 15:2 エルサレムで三年間、王であった。彼の母の名はマアカといい、アブサロムの娘であった。 15:3 彼は、かつて自分の父が行ったあらゆる罪のうちを歩み、彼の心は父祖ダビデの心のように、彼の神、【主】と一つにはなっていなかった。 15:4 しかし、ダビデに免じて、彼の神、【主】は、彼のためにエルサレムに一つのともしびを与えて、彼の跡を継ぐ子を起こし、エルサレムを堅く立てられた。 15:5 それは、ダビデが【主】の目にかなうことを行い、ヒッタイト人ウリヤのことのほかは、一生の間、主が命じられたすべてのことからそれなかったからである。 15:6 レハブアムとヤロブアムの間には、彼の一生の間、戦いがあった。 15:7 アビヤムについてのその他の事柄、彼が行ったすべてのこと、それは『ユダの王の歴代誌』に確かに記されている。アビヤムとヤロブアムの間には戦いがあった。 15:8 アビヤムは先祖とともに眠りにつき、人々は彼をダビデの町に葬った。彼の子アサが代わって王となった。 |
2024年5月9日(木)リビングライフQT ソロモンの末期→レハブアム→アビヤム・・と3代続いて、主の都エルサレムは、冒涜され、異郷の神々の祭壇が広場に作られて、人々は、この周りで酔い崩れ、神が禁じられた、様々な酩酊のあげくの乱行に及んだのです 神はこのような事態を長く見過ごされず、レハブアムの後の、アビヤムの乱行を放置なさらず、彼の生涯を早くに閉じられたのです。 それが僅か3年と言う在位の意味です。 4節に、『主は、彼(ダビデ)のためにエルサレムに一つのともしびを与えて、彼の跡を継ぐ子を起こしてエルサレムを堅く立てられた。』 8節『アビヤムは先祖とともに眠りにつき、人々は彼をダビデの町に葬った。彼の子”アサ”が代わって王となった。』 神のご計画は、 *罪に充ちた世界に、アブラハムを選び *10人の兄たちに見捨てられたヨセフを、エジプトに送り、 *やがて、10人の兄と父ヤコブを、エジプトに呼び寄せ、 *400年の歴史を経て、一族は、エジプトで、一大民族(イスラエルの民)となって *モーセによる、出エジプトを果たされ *ヨシュアの指導のもとで、全パレスティナ(カナンの地)を、神の国として、 *数百年に及んで、この地に唯一真の神を崇める、国を築くために、預言者・師士(軍事・信仰等の指導者)を立てて護られ *遂に《王政へと移行するために》ダビデを選ばれました。 王政の始まりから罪に流れる民の姿は、主なる神の悼みとなり、これ等の歴史を通して、ひとつの希望の光を、ユダの民に与えられるのです。 それが、“メシヤ”の到来の予言となるのです。 すこし、歴史の裏事情を解説してしまいましたが、 このような流れの中で、主なる神が、どれ程、民の反逆と不信仰と、罪に降(クダ)って行くのを、悼み・悲しみ・忍耐し・手を差し延べられるか・・・それが更に続く、列王記の物語です‼️ それは、正に何時の世にも変わらない、人の罪の姿を思い起こさせる物語です。 正に、私達の罪に染まった歴史の姿でもあります。 その様な思いを重ねながら身を糺す学びとしましょう 主なる神は、忍耐深く私を、あなたを、愛しておられます。 神が次に選ばれた《アサ王》を通して、何をなさるでしょう。 |
| 列王記第一14章21節~31節 14:21 ユダではソロモンの子レハブアムが王になっていた。レハブアムは四十一歳で王となり、【主】がご自分の名を置くためにイスラエルの全部族の中から選ばれた都、エルサレムで十七年間、王であった。彼の母の名はナアマといい、アンモン人であった。 14:22 ユダの人々は【主】の目に悪であることを行い、彼らが犯した罪によって、その先祖たちが行ったすべてのこと以上に主のねたみを引き起こした。 14:23 彼らも、すべての高い丘の上や青々と茂るあらゆる木の下に、高き所や、石の柱や、アシェラ像を立てた。 14:24 この国には神殿男娼もいた。彼らは、【主】がイスラエルの子らの前から追い払われた異邦の民の、すべての忌み嫌うべき慣わしをまねて行っていた。 14:25 レハブアム王の第五年に、エジプトの王シシャクがエルサレムに攻め上って来て、 14:26 【主】の宮の財宝と王宮の財宝を奪い取った。彼は何もかも奪い取った。ソロモンが作った金の盾もすべて奪い取った。 14:27 レハブアム王は、その代わりに青銅の盾を作り、これを王宮の門を守る近衛兵の隊長の手に託した。 14:28 王が【主】の宮に入るたびに、近衛兵がこれを運び、また近衛兵の控え室に戻した。 14:29 レハブアムについてのその他の事柄、彼が行ったすべてのこと、それは『ユダの王の歴代誌』に確かに記されている。 14:30 レハブアムとヤロブアムの間には、いつも戦いがあった。 14:31 レハブアムは先祖とともに眠りにつき、先祖とともにダビデの町に葬られた。彼の母の名はナアマといい、アンモン人であった。彼の子アビヤムが代わって王となった。 |
2024年5月8日(水)リビングライフQT 25節:レハブアム王の第5年・・・何と、ソロモンに代わってわずか5年目にして、南の隣国エジプトの侵略を受けるのです。 この時代のエジプトは、新王朝の時代で、しばらく200年ほど衰退期があり、西方の大国リビアに侵食された弱体時期が、ソロモン後の時代です。ダビデ王朝からソロモン時代に、まだまだ国力のある時代にも関わらず、エジプトの進出を阻むことができなかったのは、イスラエルの分裂と、10部族の王ヤロブアムも、ソロモンのあとを受け継いだ、レハブアムも、双方とも、主なる神に背いて、偶像を礼拝し民の信仰を混乱させたからです。 神の民がこの地に入ってきて、神の国を建て挙げるまでに、300年から400年を経て、ダビデ王朝が生まれた。その間に、パレスティナ一帯には多くの偶像信仰と、習慣に溢れていました。 《高きところ》と、しばしば出てきますが、これは、自然信仰の祭壇で、あらゆる所に立てられていたのです。 ソロモンの時代から、この”高き所“が、民の生活礼拝となっていたのです。 レハブアムの母(ソロモンの妻の一人)は、アンモン人(21・31節)であった。 即ち、ソロモンは、先住民の偶像ごと、ナアマを妻にしたと言うことです。 これでは、如何に実力権勢を誇っていても、民の生活への、聖なる神への模範は、示せないでしょう。最早引き返せないほどの、妥協と腐敗が国中に充ちていたのです。 今朝、改めて私の生活圏の中に、神を礼拝する聖なる祭壇を、何よりも先ず、確かな拠り所として、護って参りましょう 私の、あなたの祭壇は、主の臨在の中に、護られていますか。 |
| 列王記第一14章1節~20節 14:1 このころ、ヤロブアムの子アビヤが病気になったので、 14:2 ヤロブアムは妻に言った。「さあ、変装し、ヤロブアムの妻だと分からないようにしてシロへ行ってくれ。そこには、私がこの民の王となることを私に告げた預言者アヒヤがいる。 14:3 パン十個と菓子数個、それに蜜の瓶を持って彼のところへ行ってくれ。彼は子どもがどうなるか教えてくれるだろう。」 14:4 ヤロブアムの妻は言われたとおりにして、シロへ出かけ、アヒヤの家に行ったが、アヒヤは年をとって目がこわばり、見ることができなかった。 14:5 しかし、【主】はアヒヤに言われた。「今、ヤロブアムの妻が来て、子どものことをあなたに尋ねようとしている。その子が病気だからだ。あなたは、これこれのことを彼女に告げなければならない。入って来るときには、彼女はほかの女のようなふりをしている。」 14:6 アヒヤは、戸口に入って来る彼女の足音を聞いて言った。「入りなさい、ヤロブアムの妻よ。なぜ、ほかの女のようなふりをしているのですか。私はあなたに厳しいことを伝えなければなりません。 14:7 行って、ヤロブアムに言いなさい。イスラエルの神、【主】はこう言われる。『わたしは民の中からあなたを高く上げ、わたしの民イスラエルを治める君主とし、 14:8 ダビデの家から王国を引き裂いて、あなたに与えた。しかしあなたは、わたしのしもべダビデのようではなかった。ダビデはわたしの命令を守り、心を尽くしてわたしに従い、ただ、わたしの目にかなうことだけを行った。 14:9 ところがあなたは、これまでのだれよりも悪いことをした。行って自分のためにほかの神々や鋳物の像を造り、わたしの怒りを引き起こし、わたしをあなたのうしろに捨て去った。 14:10 だから、見よ、わたしはヤロブアムの家にわざわいをもたらす。イスラエルの中の、ヤロブアムに属する小童から奴隷や自由な者に至るまで絶ち滅ぼし、人が糞を残らず焼き去るように、ヤロブアムの家の跡を除き去る。 14:11 ヤロブアムに属する者は、町で死ぬなら犬がこれを食らい、野で死ぬなら空の鳥がこれを食らう。』【主】が、こう言われたのです。 14:12 さあ、家に帰りなさい。あなたの足が町に入るとき、その子は死にます。 14:13 全イスラエルがその子のために悼み悲しんで葬るでしょう。ヤロブアムの家の者で墓に葬られるのは、彼だけです。ヤロブアムの家の中で、彼だけに、イスラエルの神、【主】のみこころにかなうことがあったからです。 14:14 【主】はご自分のためにイスラエルの上に一人の王を起こされます。彼はその日、いや、今にもヤロブアムの家を絶ち滅ぼします。 14:15 【主】はイスラエルを打って、水に揺らぐ葦のようにし、彼らの先祖に与えられたこの良い地の面からイスラエルを引き抜き、あの大河の向こうに散らされるでしょう。彼らがアシェラ像を造って【主】の怒りを引き起こしたからです。 14:16 ヤロブアムが自分で犯した罪と、彼がイスラエルに犯させた罪のゆえに、主はイスラエルを捨てられるのです。」 14:17 ヤロブアムの妻は立ち去って、ティルツァに着いた。彼女が家の敷居をまたいだとき、その子は死んだ。 14:18 人々はその子を葬り、全イスラエルは彼のために悼み悲しんだ。【主】がそのしもべ、預言者アヒヤによって語られたことばのとおりであった。 14:19 ヤロブアムについてのその他の事柄、彼がいかに戦い、いかに治めたかは、『イスラエルの王の歴代誌』にまさしく記されている。 14:20 ヤロブアムが王であった期間は二十二年であった。彼は先祖とともに眠りにつき、その子ナダブが代わって王となった。 |
2024年5月7日(火)リビングライフQT これから延々と続く、ユダ・イスラエルの諸王の物語は、正に、神と人との関係の中から見えてくる、神の義と、裁きの物語なのです‼️ 一国の興亡ではありますが、この物語の中から、今日の私達の営みにも関わる、明白なメッセージを、読み取るのです。 ヤロブアムの家庭に起こった、子供の病 普通の家庭の営みの中でも、良く起こりうる、出来事です。 この物語から、すぐに、“病”が、私達の内面から出る、神のメッセージ・・・だと、決め付ける事が起こりやすいのです。 この物語の問題点は、 ヤロブアムが、子供の重い病を通して、願ったことは、預言者の祈りによって、快癒することだったのです。 この病が、神から出た、王への警告だと言うことも気付かずに、神の御思いよりも、自分の霊的事情を振り返るのではなく、家庭の安泰にのみ、心向けていると言う事です。 それも、自分の立場を隠すために、妃を遣わしながら、変装させて、単に子供の病の癒しを願ったのです。 ただ、神の恵みを頂く事のみに心が向けられたのです。 神は愚かなヤロブアムの心を見抜かれて徹底した、裁きの予言メッセージをヤロブアムの妻に告げられます。 ヤラブアムは、光の父・全能の神・創造者なるお方・・・を、この様なごまかしの対応をとったのです。 何と言う冒涜(ボウトク)でしょう 神の言葉は、最早、ヤロブアムに対して、捌きと滅亡のメッセージ以外何がありましょう 神は侮られる御方ではありません‼️ 最早ヤロブアムには、立ち返る道は残されてはいませんでした。 神の前に歩む‼️と言う生活は、神の愛に包まれ、このお方のお心に添った日々を、歩み続けることです。 光の神の前に、自らの身を糺(タダシ)て、信頼し、従うものでなければなりません‼️ 主なる神様との関係が、光の中にあるとき、私達はどのような試練に逢っても、勝利の日々が約束されているのです。 光の子らしく歩みなさい‼️(エペソ5章8節) |
| 列王記第一13章25節~34節 13:25 そこを人々が通りかかり、道に放り出されている死体と、その死体のそばに立っている獅子を見た。彼らは、あの年老いた預言者の住んでいる町に行って、このことを話した。 13:26 その人を途中から連れ帰ったあの預言者は、それを聞いて言った。「それは、【主】のことばに背いた神の人だ。【主】が彼に告げたことばどおりに、【主】が彼を獅子に渡され、獅子が彼を裂いて殺したのだ。」 13:27 そして、息子たちに「ろばに鞍を置いてくれ」と言ったので、彼らは鞍を置いた。 13:28 彼は出かけて行って、道に放り出されている死体と、その死体のそばに立っている、ろばと獅子を見つけた。獅子はその死体を食べず、ろばを引き裂いてもいなかった。 13:29 そこで、年老いた預言者は神の人の遺体を取り上げ、それをろばに乗せて自分の町に持ち帰り、悼み悲しんで葬った。 13:30 彼が遺体を自分の墓に納めると、皆はその人のために、「ああ、わが兄弟」と言って悼み悲しんだ。 13:31 彼はその人を葬った後、息子たちに言った。「私が死んだら、あの神の人を葬った墓に私を葬り、あの人の骨のそばに私の骨を納めてくれ。 13:32 あの人が【主】のことばにしたがって、ベテルにある祭壇とサマリアの町々にあるすべての高き所の宮に向かって叫んだことばは、必ず成就するからだ。」 13:33 このことがあった後も、ヤロブアムは悪い道から立ち返ることをせず、引き続き一般の民の中から高き所の祭司たちを任命し、だれでも志願する者を任職して高き所の祭司にした。 13:34 このことは、ヤロブアムの家の罪となり、ついには大地の面から根絶やしにされることとなった。 |
2024年5月6日(月)リビングライフQT 人の世の正しさ・許容度・可能性・寛容度・同情・・・と、神の国の尺度との違いは・・ 神の国の尺度は、神の言葉通り、その言葉が示す方向以外は、ないのです。 しかし、人間の営む社会では、基準はありますが、それに反した場合でも、規定通りの裁断は下らず、状況に応じて、判定が代わるものです。 愛の神様がなぜかくも厳しい、ぶれる事もない(情状の余地のない)裁断をなさるのでしょう。 旧約聖書の歴史においては、終始揺れ幅のない、裁きが物語られています。 *エデンの園の追放 *ノアの洪水による世界のさばき *ソドム・ゴモラのさばき *イスラエルの民への40年の荒野のさばき *イスラエル荒野の旅での、コラの子・ダダンとアビラムの一族への神のさばき(民数記16章)・・・ 神の言葉に従わなかった結果の、出来事です。 神の言葉は・・・こうした方が良い。・・・して欲しい。・・・することを願う・・・と言う神による願いではなく。命令なのです。義なる神の唯一の言葉なのです。 解釈する幅のない、単純な、厳正なお言葉なのです。 何故ですか(はてな)と言う問いかけすら許されない、ただ神のお言葉の前には、《従う》以外の答えはないのです‼️ しかし、神の言葉への服従は、《永遠》の救いと祝福が、用意されているのです。 神は全ての上におられる、唯一の主権者なのです‼️ この神の人は、人社会の中で悪い事したのではないのです。神の命令に従わなかったのです。 しかし、彼の預言は昨日資料として書きましたように、500年を経て成就しています。何故なら、彼が忠実に神の語られた通りを、予言したからです。 二千年に亘る(わたる)主の教会は、この神の言葉に立って、生き続けてきました。私達はこの教会の中に、主のみ声(み言葉)に生き、これからも生き続けるのです‼️ では私達、主の弟子として、それほど強い存在でしょうか? 強さとは真逆で、実に弱いものです。倒れ臥し、罪に汚れ、み言葉に従えずに妥協し・・・そんな生涯、そのような人生、日々でした。それなのに、今日主と共にあるのは (はてな)(はてな) 《悔い改め》なのです。でお詫びをいれる・・・それを、主なる神が受け入れて下さる‼️のではないのです。 赦しは《神の許容》ではないのです。赦しは→神の御子イエス・キリストの、十字架刑《私に・あなたに代わって、罪ー神への不従順ーの永遠の刑罰》による、身代りの死(神の赦しと永遠の刑罰)からの救い・・・なのです。御子イエス・キリストの、全存在を掛けられた御言葉を、思い出してみましょう 『父よ。彼等(私・あなた)を、お許しください‼️彼らは何をしているのか、分からないのです』 永遠の命に生きられるお方が、《死》を味わわれる、私のために‼️ 旧約時代は、未だ購い(身代り)の十字架の死が表されることのない時代でした。ですからその結果(この物語のような)は、悲惨で終わるのです。 しかし、イエス・キリストの十字架の死は、限定された時間を越えて、過去・現在・未来に存在する全ての悔い改める者に与えられる、回復なのです。 この紙面では、語り尽くせないので、これで止めますが・・・・・ 旧約時代の悲惨を見ながら、改めて、十字架の赦しと救いと回復を、深く思い感謝し、迷いのない道へと、進んで参りましょう。 |
| 列王記第一13章11節~24節 13:11 一人の年老いた預言者がベテルに住んでいた。その息子たちが来て、その日、ベテルで神の人がしたことを残らず彼に話した。また、彼らは、この人が王に告げたことばも父に話した。 13:12 すると父は「その人はどの道を行ったか」と彼らに尋ねた。息子たちは、ユダから来た神の人が行った道を知っていた。 13:13 父は息子たちに「ろばに鞍を置いてくれ」と言った。彼らがろばに鞍を置くと、父はろばに乗り、 13:14 神の人の後を追って行った。そして、その人が樫の木の下に座っているのを見つけると、「ユダからおいでになった神の人はあなたですか」と尋ねた。その人は「私です」と答えた。 13:15 彼はその人に「私と一緒に家に来て、パンを食べてください」と言った。 13:16 するとその人は言った。「私は、あなたと一緒に引き返して、あなたと一緒に行くことはできません。また、この場所では、あなたと一緒にパンも食べず、水も飲みません。 13:17 というのは、私は【主】のことばによって、『そこではパンを食べてはならない。水も飲んではならない。もと来た道を通って帰ってはならない』と言われているからです。」 13:18 彼はその人に言った。「私もあなたと同じく預言者です。御使いが【主】のことばを受けて、私に『その人をあなたの家に連れ帰り、パンを食べさせ、水を飲ませよ』と告げました。」こうして彼はその人をだました。 13:19 そこで、その人は彼と一緒に帰り、彼の家でパンを食べ、水を飲んだ。 13:20 彼らが食卓に着いていたとき、その人を連れ戻した預言者に【主】のことばがあったので、 13:21 彼は、ユダから来た神の人に呼びかけて言った。「【主】はこう言われる。『あなたは【主】のことばに背き、あなたの神、【主】が命じた命令を守らず、 13:22 引き返して、主があなたに、パンを食べてはならない、水も飲んではならないと言った場所でパンを食べ、水を飲んだので、あなたの亡骸は、あなたの先祖の墓には入らない。』」 13:23 彼はパンを食べ、水を飲んだ後、彼が連れ帰った預言者のために、ろばに鞍を置いた。 13:24 その人が出て行くと、獅子が道でその人に会い、その人を殺した。死体は道に放り出され、ろばは、そのそばに立っていた。獅子も死体のそばに立っていた。 |
2024年5月5日(日)リビングライフQT 背筋の凍るような物語ですね。 昨日のテキストで、神の人が王から招待されたとき、神からのお言葉で、神の都と呼ばれたエルサレムで、 *食事も水も取ってはならない。 *同じ道を帰ってもならない・・・・ と、厳命を受けていたのです。 しかし厳しい出来事を聞いた年老いた予言者は、是非逢って、お礼を伝えたい・・・との思いで彼を招いたのでしょうが、かたくなに断る神の人に、嘘を言って騙し呼び戻したのです。 この物語の流れは、何を物語っているのでしょうか。 騙されたとは言え、神の人は、相手が予言者だから・・・と言って、そのまま言葉を鵜呑みにせず、 もう一度主に聴く‼️と言う、厳正な、み言葉への立ち返りが、如何に大切かを教えられるのです。 彼がエルサレムに引き返した心の中には *疲れた体への休みを求める思い。 *同じ予言者との交わりへの渇き(神の人の孤独) *魂への、共感・称賛・慰め・・を求める心の渇き・・・ 招待した年老いた預言者の、“嘘も方便”的な軽い招きでしたが、 神の人には、 ・・・てはならない‼️という、神の言葉への服従は、薄まった訳ではないのです。 今一度《主に聴く》と言う作業が、欠けていたと言うことです。 信仰生活では❗常に、(み言葉への服従)こそが、すべての事態の中で、最優先すべき、道標なのです。 祈っていたことが、突然応えられたかに見える事態の中にも、静まって感謝しながら、主の臨在を仰ぎ、確かな導きのしるしを求めて祈る。 その中から、真の栄光の道が確かに動き始めるのです。 思いもしなかった、好都合‼️…には、充分心して祈りの中から立ち上がる事を、常に大切にしたいですね 主よ‼️確かな導きを、常に示してください‼️ |
| 列王記第一13章1節~10節 13:1 一人の神の人が、【主】の命令によってユダからベテルにやって来た。ちょうどそのとき、ヤロブアムは香をたくために祭壇のそばに立っていた。 13:2 すると、この人は【主】の命令によって祭壇に向かい、これに呼びかけて言った。「祭壇よ、祭壇よ、【主】はこう言われる。『見よ、一人の男の子がダビデの家に生まれる。その名はヨシヤ。彼は、おまえの上で香をたく高き所の祭司たちを、いけにえとしておまえの上に献げ、人の骨がおまえの上で焼かれる。』」 13:3 その日、彼は一つのしるしを与えて、次のように言った。「これが【主】の告げられたしるしである。見よ、祭壇は裂け、その上の灰はこぼれ出る。」 13:4 ヤロブアム王は、ベテルの祭壇に向かって叫んでいる神の人のことばを聞いたとき、祭壇から手を伸ばして「彼を捕らえよ」と言った。すると、彼に向けて伸ばしていた手はしなび、戻すことができなくなった。 13:5 神の人が【主】のことばによって与えたしるしのとおり、祭壇は裂け、灰は祭壇からこぼれ出た。 13:6 そこで、王はこの神の人に向かって言った。「どうか、あなたの神、【主】にお願いして、私のために祈ってください。そうすれば、私の手は元に戻るでしょう。」神の人が【主】に願ったので、王の手は元に戻り、前と同じようになった。 13:7 王は神の人に言った。「私と一緒に宮殿に来て、食事をして元気をつけてください。あなたに贈り物をしたいのです。」 13:8 すると神の人は王に言った。「たとえ、あなたの宮殿の半分を私に下さっても、私はあなたと一緒に参りません。また、この場所ではパンも食べず、水も飲みません。 13:9 というのは、【主】のことばによって、『パンを食べてはならない。水も飲んではならない。また、もと来た道を通って帰ってはならない』と命じられているからです。」 13:10 こうして、彼はベテルに来たときの道は通らず、ほかの道を通って帰った。 |
2024年5月4日(土)リビングライフQT 人生の運が開けた(イスラエルの王となった事)と、思い込んだヤロブアムは、今や“高慢”の道を走りはじめていました。 神の人の言葉は、神からの御告げで、非常に厳粛な言葉でした。ヤロブアムにとっては、今や、引き戻せないほどの、存在感をもって、この祭壇の儀式を行っている最中に、この様な邪魔な介入をされたので、非常に怒り・・・神の人の厳粛な《神の言葉》を、聞き分ける事が出来なかったのです。 ヤロブアムは、最早その言葉に身(心)を翻すゆとりさえ無いほど、民の前に、権威に乗っ取って、儀式を司っていたので、妨げられた‼️と思い、神の人を捌(サバ)こうとしたのです。 裁かれるのは、自らであることを、主はしるし(手がミイラ化する)を表して、警告されたのです。 神の権威・御意向を、疎かにする(軽く見る・対立する・排除する)結果への神の裁きの現実を、王の“手”に示されたのです。 実は、この時の神の人の預言(予言)は、ほぼ500年後に実現(成就)したのです。 ダビデの末(北に設立された10氏族による王国の諸王は、ダビデ王家出身ではないのです) ですから、ヨシヤ王とは、エルサレムに王宮を構える、ダビデ王家の直系で、ソロモンから数えでー17代目ーヨシヤ王の事です。 列王記第二23:1~20に、この大宗教改革が記されています。そして、この言葉通り、それは実行されたのです。 そのとき既に北王国は、アッシリアに滅ぼされ、民はアッシリアに連れ去られたなか、残された僅かの民は、偽の祭司(レビ族から出た祭司ではない)らは、ことごとく、偽の偶像の祭壇で抹殺されたのです。 これほどの重みのある、預言に対して、一時的尊敬と畏怖の念に駈られたヤロブアムは、 何とか権威を取り繕うのですが、神の人は、僅かの妥協・迎合も避けて、孤独の道(ただ神にのみ従う清い道)を、選び取って行ったのです。 主なる神を信じ、その道をたどる私達は、 神の栄光と潔さと、愛とを顕すために、この世の力や助けや評価は、いらないのです。教会(私達一人一人)は、ただ神ご自身の光のみをもって、輝くのです。 あなたが私が輝く(主の愛と栄光により)時に、神の栄えは表されるのです。 ヤロブアムは、更に主から遠くなって行くのに気が付かないまま、王としての権威のみを傘に来て、落ちていくのです。 私達教会は、心して、主の道から逸れないように、ただ主なる神の光の中を、歩みましょう‼️ |
| 列王記第一12章21節~33節 12:21 レハブアムはエルサレムに帰り、ユダの全家とベニヤミンの部族から選り抜きの戦士十八万を召集し、王位をソロモンの子レハブアムのもとに取り戻すため、イスラエルの家と戦おうとした。 12:22 すると、神の人シェマヤに次のような神のことばがあった。 12:23 「ユダの王、ソロモンの子レハブアム、ユダとベニヤミンの全家、およびそのほかの民に告げよ。 12:24 『【主】はこう言われる。上って行ってはならない。あなたがたの兄弟であるイスラエルの人々と戦ってはならない。それぞれ自分の家に帰れ。わたしが、こうなるように仕向けたのだから。』」そこで、彼らは【主】のことばに聞き従い、【主】のことばのとおりに帰って行った。 12:25 ヤロブアムはエフライムの山地にシェケムを築き直し、そこに住んだ。さらに、彼はそこから出て、ペヌエルを築き直した。 12:26 ヤロブアムは心に思った。「今のままなら、この王国はダビデの家に帰るだろう。 12:27 この民が、エルサレムにある【主】の宮でいけにえを献げるために上ることになっているなら、この民の心は彼らの主君、ユダの王レハブアムに再び帰り、彼らは私を殺して、ユダの王レハブアムのもとに帰るだろう。」 12:28 そこで王は相談して金の子牛を二つ造り、彼らに言った。「もうエルサレムに上る必要はない。イスラエルよ。ここに、あなたをエジプトから連れ上った、あなたの神々がおられる。」 12:29 それから彼は一つをベテルに据え、もう一つをダンに置いた。 12:30 このことは罪となった。民はこの一つを礼拝するためダンまで行った。 12:31 それから彼は高き所の宮を造り、レビの子孫でない一般の民の中から祭司を任命した。 12:32 そのうえ、ヤロブアムはユダにある祭りに倣って、祭りの日を第八の月の十五日と定め、祭壇でささげ物を献げた。こうして彼は、ベテルで自分が造った子牛にいけにえを献げた。また、彼が造った高き所の祭司たちをベテルに常駐させた。 12:33 彼は、自分で勝手に考え出した月である第八の月の十五日に、ベテルに造った祭壇でいけにえを献げた。このように、彼はイスラエルの人々のために祭りの日を定め、祭壇でいけにえを献げ、香をたいた。 |
2024年5月3日(金)リビングライフQT 不思議な、事態が生じました。 結論から言えば・・・ ソロモンの末期の信仰 の堕落と、後継ぎになるレハブアムの間違った政治選択との、二重の神への反逆が、国の分裂を引き起こしたのです。 レハブアムは、神から切り離され・・・ ヤロブアムは、神に反逆したユダ族の立ち返りのための警告として、新しい導きを託されたのです。 ところが、神の怒りから見棄てられた様なレハブアムが、神の人シェマヤを通して語られた『離れた10部族を追撃して、闘ってはならない‼️』との神の言葉に従ったのです。 戦略的見地から見れば、早いうちに叩かなければ、イスラエルの将来に、大きな禍根を残すことになる しかし、従ったのです。 一方、分離して出ていった10部族を従えた、ヤロブアムは、神の摂理により、10部族の王となったのですが、降って湧いたような立場(権威と権力)を、神の導きを求めて、正しく行使する事をせずに、自らの知恵と発想と、方法で、エルサレム神殿に代わる聖なる所、厳粛な儀式、祭りの日まで制定したのです。事態は逆転し、神の摂理による導きを、レハブアムに勝る悪の道へと、駆けくだるのです。 改めて、神の言葉に聞く(聴く)と言うことが、欠いてはならない生きる道だと、新たに学ばせられますね。 ヤロブアムは、なぜ、主なる神に聴く‼️と言う、導きの道を取らなかったのでしょう。 突然降って湧いたような、国の分離に対して、どの様に10部族をまとめるか‼️と言う難題に、心焦らせたのか(?) あるいは、主がアヒヤを通してお告げになった約束が、現実化したことに、気を良くして、一気に心がおごり高ぶったのか・・・(はてな) 私達の日常においても、どんな時にも先ず、《主に聴く》所から、始めたいですね。 そのためにも、毎朝の始めに、与えられる一日のすべてに、主の導きを祈って始めましょう。 サタンの付け入る隙の無いように‼️ |
| 列王記第一12章12節~20節 12:12 ヤロブアムとすべての民は、三日目にレハブアムのところに来た。王が「三日目に私のところに戻って来るがよい」と命じたからである。 12:13 王は民に厳しく答え、長老たちが彼に与えた助言を退け、 12:14 若者たちの助言どおりに彼らに答えた。「私の父がおまえたちのくびきを重くしたのなら、私はおまえたちのくびきをもっと重くする。私の父がおまえたちをむちで懲らしめたのなら、私はサソリでおまえたちを懲らしめる。」 12:15 王は民の願いを聞き入れなかった。かつて【主】がシロ人アヒヤを通してネバテの子ヤロブアムにお告げになった約束を実現しようと、【主】がそう仕向けられたからである。 12:16 全イスラエルは、王が自分たちに耳を貸さないのを見てとった。そこで、民は王にことばを返した。「ダビデのうちには、われわれのためのどんな割り当て地があろうか。エッサイの子のうちには、われわれのためのゆずりの地はない。イスラエルよ、自分たちの天幕に帰れ。ダビデよ、今、あなたの家を見よ。」イスラエルは自分たちの天幕に帰って行った。 12:17 ただし、ユダの町々に住んでいるイスラエルの子らにとっては、レハブアムがその王であった。 12:18 レハブアム王は役務長官アドラムを遣わしたが、全イスラエルは彼を石で打ち殺した。レハブアム王はやっとの思いで戦車に乗り込み、エルサレムに逃げた。 12:19 このようにして、イスラエルはダビデの家に背いた。今日もそうである。 12:20 全イスラエルは、ヤロブアムが戻って来たことを聞いたので、人を遣わして彼を会衆のところに招き、彼を全イスラエルの王とした。ユダの部族以外には、ダビデの家に従う者はいなかった。 |
2024年5月2日(木)リビングライフQT ソロモン王の後継者である息子のレハブアムは、何故この様な愚かな決断を下したのでしょう(何故) 主なる神は、すでにソロモンの末期のあり方に悲しんでおられたのです。全く主への真実を失い、帝王としての権威と、力を誇示することに流れ、財の限りを尽くして、エルサレムと、自らの地位の保全に全てをかけたのですから。 勿論、神への神殿行事も果たしてはいたでしょうが、それは形式化された豪華さであって、民の魂を養い、慰めと栄光に溢れた、臨在のあるものとは、ほど遠い(神不在の)宗教行事化していたのです。 その様な王政の姿を目の当たりにして、民の(義理的な)称賛を得る日々の中で、次第に、権勢への憧れが、彼の心を奪ったのでしょう。 それが、若者の指導者達の助言に心傾けた理由だと考えられます。 事は、既にソロモンの時に潜在的に崩壊への、影が国を覆っていたのです。 もし、レハブアムに祈りが、神への畏れがあれば、歴史は変わるのです。 預言者アヒヤがヤラブアムにこれから先の事を預言した時には、最早、方向転換出来ないほどに、腐敗が進んでいたのです。 ですから、主なる神は、国の行く末を、ヤラブアムに託されたのです。 この様な歴史を学ぶ時、私達は、普通の生活の中で過ぎ行く時の流れの中で、神の御目がしっかりと、私達の日々に向けられ、私達に永遠の、栄光の希望が与えられているにも関わらず、ソロモンの、また、レハブアムの道に流れることの無いように、主の、確かな約束の光を見失わないように、確かな歩みをして行きたいですね。 |
| 列王記第一12章1節~11節 12:1 レハブアムはシェケムに行った。全イスラエルが彼を王とするために、シェケムに来ていたからである。 12:2 ネバテの子ヤロブアムは、まだソロモン王の顔を避けてエジプトに逃れていた間に、レハブアムのことを聞いた。そのとき、ヤロブアムはエジプトに住んでいた。 12:3 人々は使者を遣わして、彼を呼び寄せた。ヤロブアムは、イスラエルの全会衆とともにレハブアムのところに来て言った。 12:4 「あなたの父上は、私たちのくびきを重くしました。今、あなたは、父上が私たちに負わせた過酷な労働と重いくびきを軽くしてください。そうすれば、私たちはあなたに仕えます。」 12:5 するとレハブアムは彼らに、「行け。三日たったら私のところに戻って来るがよい」と言った。そこで民は出て行った。 12:6 レハブアム王は、父ソロモンが生きている間ソロモンに仕えていた長老たちに、「この民にどう返答したらよいと思うか」と相談した。 12:7 彼らは王に答えた。「今日、もしあなたがこの民のしもべとなって彼らに仕え、彼らに答えて親切なことばをかけてやるなら、彼らはいつまでも、あなたのしもべとなるでしょう。」 12:8 しかし、王はこの長老たちが与えた助言を退け、自分とともに育ち、自分に仕えている若者たちにこう相談した。 12:9 「この民に何と返答したらよいと思うか。私に『あなたの父上が私たちに負わせたくびきを軽くしてください』と言ってきたのだが。」 12:10 彼とともに育った若者たちは答えた。「『あなたの父上は私たちのくびきを重くしました。けれども、あなたはそれを軽くしてください』と言ってきたこの民には、こう答えたらよいでしょう。彼らにこう言いなさい。『私の小指は父の腰よりも太い。 12:11 私の父がおまえたちに重いくびきを負わせたのであれば、私はおまえたちのくびきをもっと重くする。私の父がおまえたちをむちで懲らしめたのであれば、私はサソリでおまえたちを懲らしめる』と。」 |
2024年5月1日(水)リビングライフQT *ソロモンの息子(後継者)は、 (れ)(は)(ぶ)(あ)(む) *預言者の、神による王国分立の予告を受けて、行動に出たのが、 (や)(ろ)(ぶ)(あ)(む) 今日のテキストから、強く感じ取られるのは・・・・ 人生の岐路に立った時、どの様な決断をすべきか(はてな) と言う課題が突き付けられた時の、大切な判断の基盤を、学ばせられますね。 クリスチャンは、よく『祈って決めます‼️』と言う答えを口にしますが、祈って決める事が、実は一番難しいのです。 *まかり間違うと、おみくじ的(抽選か、占い的な決め方に流れ易い) *右が左か、二者選択的な方法で、総合的に有利な方に傾く⁉️ *祈ってインスピレーションを感じる道へ❗ *誰かに相談する‼️今日のテキストでは、長老と、若者に相談してますね。 等々・・・様々な道があろうと思います。 しかし、テキストの流れを見ると、この両者に意見を求めたことは、正当な道でしたが、その決定を下すのはソロモンの息子“レハブアム”です。 さて、この両者の《意見》は、レハブアムの心にズッシリ重くのし掛かったことでしょう。 どの様な結論を下したかは、明日からの流れになりますが、新しい時代への、大切な方向性を含む考えが、それぞれの相談相手から、提示されていますね。 その内容と方向性について考えてましょう。 ☆先ず、父王《ソロモン》に仕えてきた、臣下=長老・・達 これらの長老達は、 ソロモンの独断と、権力と富に任せた放漫な国政に、心痛めてきた姿を、想像させます。 彼らが語った結論は『国民に使えるのが、帝王の道だ‼️』 7節:今日、もしあなたがこの民のしもべとなって彼らに仕え、彼らに答えて親切なことばをかけてやるなら、彼らはいつまでも、あなたの僕となるでしょう。 ☆一方、レハブアムと一緒に育って、王に仕えた若者達は・・・ 労役や、税の取り立ての緩和を求めた、民の声の代表者達の声に対して、その声を受け入れることは、王の権威と力を、削ぐことを意味すると、指摘し、むしろ更なる過重な労役で、彼らの声を押さえる力と権威を示すべきだ‼️と、進言するのです。 あなたはどちらを正しいとしますか⁉️ *前者には・・・王の弱味(柔軟さ=権威の後退)が国の張り切った糸が切れるかもと言う不安が残る・・ *後者には・・・分裂か、クーデター(国の転覆)の原因に火を点ける危険性が充ちている。 どちらにも危機をはらんだ要素があった。 私達は国を治めている訳ではないが、信仰生活(教会生活)・家庭生活・学生生活・職場生活・友人関係・自己の人生の営み・・・の中で、どう舵(方向性)を切るかは、何時も、この二つの決断に迫られるのです。 今朝新たに、どちらに舵を切るかを、正に、《いのり》の中で求め、確かな信仰を養って参りましょう‼️ |