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力丸嗣夫師 リビングライフ LINE
          (新改訳聖書2017)
    

北九州シオン教会

 ガラテヤ書 6章11節~18節

6:11 ご覧なさい。こんなに大きな字で、私はあなたがたに自分の手で書いています。
6:12 肉において外見を良くしたい者たちが、ただ、キリストの十字架のゆえに自分たちが迫害されないようにと、あなたがたに割礼を強いています。
6:13 割礼を受けている者たちは、自分自身では律法を守っていないのに、あなたがたの肉を誇るために、あなたがたに割礼を受けさせたいのです。
6:14 しかし私には、私たちの主イエス・キリストの十字架以外に誇りとするものが、決してあってはなりません。この十字架につけられて、世は私に対して死に、私も世に対して死にました。
6:15 割礼を受けているか受けていないかは、大事なことではありません。大事なのは新しい創造です。
6:16 この基準にしたがって進む人々の上に、そして神のイスラエルの上に、平安とあわれみがありますように。
6:17 これからは、だれも私を煩わせないようにしてください。私は、この身にイエスの焼き印を帯びているのですから。
6:18 兄弟たち。私たちの主イエス・キリストの恵みが、あなたがたの霊とともにありますように。アーメン。
 2024年10月31日(木)リビングライフQT

ガラテヤ書の最終章‼️
今の時代にも、信仰生活の中で、しばしば、魂の平安や恵みに関する証しではなく、信仰生活のキャリヤや、履歴を、自らの積み上げた業績として、知らせたりすることを(証し)と、思い込んだりしやすいのです。
*旧新訳聖書を何回通読した。
*断食祈祷を一週間した
*徹夜祈祷をした
*友達を・・人信仰に導いた
*何千枚トラクトを配布した。
*教会を幾つも開拓した。
*・・こんな迫害を受けた。
誰かがあなたを紹介する時、紹介のための資料として伝えることは、間違いや脱線ではありません。
しかし、これらのキャリア・経験・業績・・等を、自らの内に宝物のように大切にし、それをもって、社会で、教会で、クリスチャン仲間で、神様の前に勲章(評価される)とする満足感こそ、パウロ先生が言う、律法の奴隷なのです。
私達は、
*罪の中から・
 *滅びの中から・
  *神の前に汚れの中から、購われ、罪赦されて、神の子とされた‼️
 《赦された罪人》
なのです。
だから、パウロ先生は14節に~わたしたちの主イエス・キリストの十字架以外に誇りとするものが、決してあってはなりません。
15節:割礼を受けているかいないかは、大事なことではありません。《大事なのは、新しい創造です。》
新しい恵みの世界に、十字架の罪の洗いによって、購い出されたあなた方に、恵みと平安が豊かにありますように…‼️
互いに祈り合って参りましょう ‼️
  ガラテヤ書 6章1節~10節

6:1 兄弟たち。もしだれかが何かの過ちに陥っていることが分かったなら、御霊の人であるあなたがたは、柔和な心でその人を正してあげなさい。また、自分自身も誘惑に陥らないように気をつけなさい。
6:2 互いの重荷を負い合いなさい。そうすれば、キリストの律法を成就することになります。
6:3 だれかが、何者でもないのに、自分を何者かであるように思うなら、自分自身を欺いているのです。
6:4 それぞれ自分の行いを吟味しなさい。そうすれば、自分にだけは誇ることができても、ほかの人には誇ることができなくなるでしょう。
6:5 人はそれぞれ、自分自身の重荷を負うことになるのです。
6:6 みことばを教えてもらう人は、教えてくれる人と、すべての良いものを分かち合いなさい。
6:7 思い違いをしてはいけません。神は侮られるような方ではありません。人は種を蒔けば、刈り取りもすることになります。
6:8 自分の肉に蒔く者は、肉から滅びを刈り取り、御霊に蒔く者は、御霊から永遠のいのちを刈り取るのです。
6:9 失望せずに善を行いましょう。あきらめずに続ければ、時が来て刈り取ることになります。
6:10 ですから、私たちは機会があるうちに、すべての人に、特に信仰の家族に善を行いましょう。
 2024年10月30日(水)リビングライフQT

ガラテヤの教会は、パウロ先生から、福音を聞かされて、豊かな恵みに預与り、成長して参りましたが、聴かされた最初の福音(イエス・キリストの十字架)は、やがて、ユダヤ教会の信徒達の、律法を土台とする、ユダヤ主義福音に置き換えられ、愛と赦しの福音が、律法主義信仰に置き換わり、お互いの生活評価(正しいか正しくないか)を、互いに指摘し合い、殺伐とした人間関係に軋みきしみ)始めていたのです。
そうした様々な教会内の、軋み(きしみ)に対して、忠告をして来たこの手紙を閉じるに当たって、この章で幾つかの事を、書き残すのです。
①過ちに陥っている人には・・・
*柔和な心で、正してあげなさい‼️
②互いの重荷を負い合いなさい‼️ 
互いの・・・です。これは福音の根幹です。確かに互いに支えあい、弱いものには、代わって担い・・・
群れが拡がり始めると、役割によって格別・上下・立場の存在感で、差別や区別が生まれるのです。
ですから、互いに・・・と言う関係は、教会から失われてはならないのです。
*律法を成就する事になるのです。何かを厳格に守ることではなく、互いに・・・‼️なのです。
また、人の行いに気を注がず、自分の行いを吟味しなさい‼️です。各自が自分の行いを、御霊の光により、守るなら、回りは光が射し始めるでしょう
*互いに良いものを、分かち合いなさい‼️
*どんな厳しいなかにも、善を行いなさい‼️
*最も身近な者(家族→つい疎かにしやすい者が家族です)

これらは信仰生活の基本です。しかし、一番崩れやすいところです。教会同士・クリスチャン同士・牧師同士・身内同士・・・主が与えてくださった、愛と善を分かち合う、友・仲間・家族・身内・主の友なのです。
愛と真実と、喜びを持って、与え、仕え合いましょう
 ガラテヤ書 5章13節~26節

5:13 兄弟たち。あなたがたは自由を与えられるために召されたのです。ただ、その自由を肉の働く機会としないで、愛をもって互いに仕え合いなさい。
5:14 律法全体は、「あなたの隣人を自分自身のように愛しなさい」という一つのことばで全うされるのです。
5:15 気をつけなさい。互いに、かみつき合ったり、食い合ったりしているなら、互いの間で滅ぼされてしまいます。
5:16 私は言います。御霊によって歩みなさい。そうすれば、肉の欲望を満たすことは決してありません。
5:17 肉が望むことは御霊に逆らい、御霊が望むことは肉に逆らうからです。この二つは互いに対立しているので、あなたがたは願っていることができなくなります。
5:18 御霊によって導かれているなら、あなたがたは律法の下にはいません。
5:19 肉のわざは明らかです。すなわち、淫らな行い、汚れ、好色、
5:20 偶像礼拝、魔術、敵意、争い、そねみ、憤り、党派心、分裂、分派、
5:21 ねたみ、泥酔、遊興、そういった類のものです。以前にも言ったように、今もあなたがたにあらかじめ言っておきます。このようなことをしている者たちは神の国を相続できません。
5:22 しかし、御霊の実は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、
5:23 柔和、自制です。このようなものに反対する律法はありません。
5:24 キリスト・イエスにつく者は、自分の肉を、情欲や欲望とともに十字架につけたのです。
5:25 私たちは、御霊によって生きているのなら、御霊によって進もうではありませんか。
5:26 うぬぼれて、互いに挑み合ったり、ねたみ合ったりしないようにしましょう。
 2024年10月29日(火)リビングライフQT

ガラテヤ書も佳境に入ってきましたね。
私達がこうして学んでくるに及んで、ガラテヤの教会を、こんなに混乱させたのは、一体なんだったのでしょう(はてな)
一見して、この教会は、熱心でしたし、絶え間ない努力と学びとが積まれてきた群れであることが、良く分かります。にも拘らず、何故、分裂と争いとが絶えず、融和の欠けた教会になったのでしょう。
熱心さの余り・・・です。ユダヤ人は、異邦人達の上に立ち(信仰的❓宗教的と言った方が良いでしょうか)、
*教えよう *導こう  
*糺(タダ)そう *理解させよう・・・そんな思いが、ついつい、強い言葉や態度に現れ、民族間の対立や、受け入れられない感情や、対立等となって、教会としての姿を持ちながら、中身は常に緊張感と、対立から自由になれない、交わりが続いていたのでしょう。
このガラテヤの教会の、起死回生の道は・・・あるのでしょうか。
今日の、教派間・地域間・教会間に有る、対立とまでは行かないまでも、融和が欠ける姿をしばしば見ることがあります。悲しいばかりに、心が痛みます。それらの理由は、やはりガラテヤに染み付いた、肉の戦いから生まれた、ものです。
パウロ先生は、
『肉が望むことは御霊に逆らい、御霊が望むことは、肉に逆らう・・・』と語ります。
長々と書いてきましたが、パウロ先生が明確にしたのは、
★肉の業~19節(聖書テキストから読んでください)
一方、御霊の実は、《愛・喜び・平安・寛容・親切・善意・誠実・柔和・自制》
これは、律法により得られるものではありません。にも拘らず、この九つの実は、律法の完成された姿なのです。
なんと素晴らしい恵みでしょう。
努力のかいあって、この様な実を結ぶのではなく、御霊によって‼️
聖霊なる神が、あなたの、私の内に住まわれる時、この様な実が日常の中に結ぶのです。
こうして教会を通して、神の光と恵みが世に証しされて来たのです‼️
御霊によって生きて参りましょう‼️
 ガラテヤ書 5章1節~12節

5:1 キリストは、自由を得させるために私たちを解放してくださいました。ですから、あなたがたは堅く立って、再び奴隷のくびきを負わされないようにしなさい。
5:2 よく聞いてください。私パウロがあなたがたに言います。もしあなたがたが割礼を受けるなら、キリストはあなたがたに、何の益ももたらさないことになります。
5:3 割礼を受けるすべての人に、もう一度はっきり言っておきます。そういう人には律法全体を行う義務があります。
5:4 律法によって義と認められようとしているなら、あなたがたはキリストから離れ、恵みから落ちてしまったのです。
5:5 私たちは、義とされる望みの実現を、信仰により、御霊によって待ち望んでいるのですから。
5:6 キリスト・イエスにあって大事なのは、割礼を受ける受けないではなく、愛によって働く信仰なのです。
5:7 あなたがたはよく走っていたのに、だれがあなたがたの邪魔をして、真理に従わないようにさせたのですか。
5:8 そのような説得は、あなたがたを召された方から出たものではありません。
5:9 わずかなパン種が、こねた粉全体をふくらませるのです。
5:10 あなたがたが別の考えを持つことは決してないと、私は主にあって確信しています。しかし、あなたがたを動揺させる者は、だれであろうと、さばきを受けます。
5:11 兄弟たち。もし私が今でも割礼を宣べ伝えているなら、どうして今なお迫害を受けているのですか。それを宣べ伝えているなら、十字架のつまずきはなくなっているはずです。
5:12 あなたがたをかき乱す者たちは、いっそのこと切除してしまえばよいのです。
  2024年10月28日(月)リビングライフQT

*律法による義
*イエス・キリストの
十字架による義…との、対比
律法の義~それは、自らを打ち叩き、まさに努力の積み重ねによって、自ら完成の域に近づく・・・その努力あって認められる《義》”人“社会の中にあっては、様々な評判・評価によって、称賛され、名誉・栄誉が与えられるでしょう。しかし、その栄誉は、人間社会の中での評価であって、神の国においては、評価されないのです。酷い言い方をしましたが、実際はこのような言葉で表現できない程、神の国では、穢れなのです。何故なら神の国を辱しめる身勝手な装いだからです。
神の国は・・・聖く・傷なく・上下なく・平安・愛・歓喜・慈しみ・慰め・光・完全・・・等の《義》の極まる所なのです。
”否”、人の評価の最高峰すらも、届かない、創造主なる神の支配する世界なのです。
そこは、神による《義》のみが、支配する、世界なのです。
この《義》の世界は、イエス・キリストの(あ)(の)十字架の贖罪により開かれた世界なのです。そこには真の唯一の《自由と解放‼️》が支配する、永遠の世界なのです。
こうして観ると、罪深い人間が、どうしてこのような世界に、入ることが出来るのでしょう。
人の努力や功績て、出来る筈もないのです
しかし、主なる神(人を創造されたお方)は、この光の世界、神の世界に私達を招いておられるのです‼️
その御国への招きの切符は、神のみ子イエス様の、血塗られた十字架の切符だけが、有効で、どの様な努力や功績や評判や推薦状も、効力を持たないのです。ただ、ただ、イエス様の悲しみの涙と流された血塗られた、姿を魂に刻んだ(信じた)ものだけが、この御国の門を通過できるのです。
今朝のガラテヤ書のテキストは、この事を示唆しているのです。
12節 : あなた方をかき乱す者、道、教え・・は、切除しても良いとパウロ先生は強く語るのです。
そうですよね‼️あなたをまた、誰かを、永遠の神の国から敢えて遠ざける仕業は、サタンの働きなのですから。決して心寄せてはなりません。
唯、イエス様だけを見上げて・・・
  ガラテヤ書 4章21節~31節

4:21 律法の下にいたいと思う人たち、私に答えてください。あなたがたは律法の言うことを聞かないのですか。
4:22 アブラハムには二人の息子がいて、一人は女奴隷から、一人は自由の女から生まれた、と書かれています。
4:23 女奴隷の子は肉によって生まれたのに対し、自由の女の子は約束によって生まれました。
4:24 ここには比喩的な意味があります。この女たちは二つの契約を表しています。一方はシナイ山から出ていて、奴隷となる子を産みます。それはハガルのことです。
4:25 このハガルは、アラビアにあるシナイ山のことで、今のエルサレムに当たります。なぜなら、今のエルサレムは、彼女の子らとともに奴隷となっているからです。
4:26 しかし、上にあるエルサレムは自由の女であり、私たちの母です。
4:27 なぜなら、こう書いてあるからです。「子を産まない不妊の女よ、喜び歌え。産みの苦しみを知らない女よ、喜び叫べ。夫に捨てられた女の子どもは、夫のある女の子どもよりも多いからだ。」
4:28 兄弟たち、あなたがたはイサクのように約束の子どもです。
4:29 けれども、あのとき、肉によって生まれた者が、御霊によって生まれた者を迫害したように、今もそのとおりになっています。
4:30 しかし、聖書は何と言っていますか。「女奴隷とその子どもを追い出してください。女奴隷の子どもは、決して自由の女の子どもとともに相続すべきではないのです。」
4:31 こういうわけで、兄弟たち、私たちは女奴隷の子どもではなく、自由の女の子どもです。 
  2024年10月27日(日)リビングライフQT

アブラハムの子→と言うと、二人の子どもがいますね。
イシュマエルと、イサクです。
今日のテキストで、パウロ先生が例に挙げて、説明するのは、二人の子どもに関する人格や、存在の優劣について話を展開しているのではなく、アブラハムと神様との関係による、歴史的信仰の姿を物語っているのです。
アブラハムが神との関係が揺らいだ時に、肉によって女奴隷から産まれた子供“イシュマエル”と・・・
神との約束への信頼と信仰の中から授かった自由の女の子“イサク”の、例えなのです。
今私達は、神の約束(十字架の贖いにより)、この約束を信じることによって、霊の子として、アブラハムの《イサク》の様に、約束の子として、永遠のいのちを受け継ぐものとされているのです。
*律法を守る‼️と言う各自の努力や、習慣で(いわゆる神との契約=約束によらず)は約束のものを受け継ぐことは出来ないのです。
キリストの体である教会に生まれた私達は、永遠の神の“約束の子”なのです。
私達は何の疑いもなく、恐れもなく、誰からも排除されない、神の国の民となり、神の恵みの中に、永遠のいのちを望み見ながら、日々を、生きる者とされたのです。
   ハレルヤ‼️
  ガラテヤ書 4章12節~20節

4:12 兄弟たち、あなたがたに願います。私もあなたがたのようになったのですから、あなたがたも私のようになってください。あなたがたは私に悪いことを何一つしていません。
4:13 あなたがたが知っているとおり、私が最初あなたがたに福音を伝えたのは、私の肉体が弱かったためでした。
4:14 そして私の肉体には、あなたがたにとって試練となるものがあったのに、あなたがたは軽蔑したり嫌悪したりせず、かえって、私を神の御使いであるかのように、キリスト・イエスであるかのように、受け入れてくれました。
4:15 それなのに、あなたがたの幸いは、今どこにあるのですか。私はあなたがたのために証ししますが、あなたがたは、できることなら、自分の目をえぐり出して私に与えようとさえしたのです。
4:16 それでは、私はあなたがたに真理を語ったために、あなたがたの敵になったのでしょうか。
4:17 あの人たちはあなたがたに対して熱心ですが、それは善意からではありません。彼らはあなたがたを私から引き離して、自分たちに熱心にならせようとしているのです。
4:18 善意から熱心に慕われるのは、いつでも良いことです。それは、私があなたがたと一緒にいる時だけではありません。
4:19 私の子どもたち。あなたがたのうちにキリストが形造られるまで、私は再びあなたがたのために産みの苦しみをしています。
4:20 私は今、あなたがたと一緒にいて、口調を変えて話せたらと思います。あなたがたのことで私は途方に暮れているのです。
  2024年10月26日(土)リビングライフQT

エルサレム→アンテオケ→タルソ→(カバドキア地方経由)→ガラテヤ地方~デルベ→ルステラ→イコニエム・・・
この総距離は約一千kmを、遥かに越える距離です。
この様な徒歩で踏破する、毎日の肉体的過酷さと共に、常に未踏の地で言語の違う異邦の地を、さ迷うように、ガラテヤ地方へと辿るのは、其だけで、どれ程心と体を消耗するでしょう。この時の踏破した総距離は、2000km以上に及ぶものでした。
この上に、ユダヤ人からの間断ない攻撃・罵倒・集会での糾弾等々、心休まることのない日々に、身も心も、疲れ果て病んだのです。
ユダヤ人のその様な、激しい迫害に弱り果てたパウロ先生一行を、
ガラテヤの教会(異邦人も含めて)は、我が事の様に痛みを受け入れ、多くの慰めで包んでくれたのでした。
二回の伝道訪問の後、
ヨーロッパ(マケドニア『ギリシャ)方面への伝道先で、耳にしたのは、いつの間にか、ユダヤ主義(信仰生活の中に律法を取り込み、愛と慰めを失った、冷たい礼拝主義に陥った姿なのです。
初期のガラテヤの教会の、あの温かい慰めに満ちた姿は、何処へ・・・
ガラテヤの教会のユダヤ主義信仰者は(ユダヤ教からの改宗者)、パウロ先生に信仰の導きの主導権を奪われたくないと、異邦人信徒達を巻き込んだのです。
福音の本質を見失うと、愛は失せ、真実と慰めと、親切・喜びは陰を潜めるでしょう。
20節の《口調を変えて話せたらと思います。》・・・これは、もっと厳しく・・・と言う意味ではなく、愛と慈しみと“私の”悼んでいる心から、お話しできたら・・・‼️と言う、切実な心の叫びとして、伝わりました。そこに御霊が働かれたら‼️
パウロ先生の切実な思いが滲んでいますね。
最後に、パウロ先生の、教会に向けた、切実な願いは⁉️
19節の『あなた方のうちにキリストが形造られるまで・・』
何と言う、お言葉でしょう。
クリスチャンとは、内に、キリストが形造られる・・・事が、目標なのです‼️
そのために、この身を主の御手に、触れ、整えられ、形造られ、磨かれましょう。主の御手で‼️
祈りの中で、御霊に触れられる時、御言葉により、示され、確信し、整えれる時、あなたを通して、主の愛と慰めと、赦しと栄光が、輝き出すでしょう。
望み見ながら祈り求めて参りましょう‼️ 
  ガラテヤ書 4章1節~11節

4:1 つまり、こういうことです。相続人は、全財産の持ち主なのに、子どもであるうちは奴隷と何も変わらず、
4:2 父が定めた日までは、後見人や管理人の下にあります。
4:3 同じように私たちも、子どもであったときには、この世のもろもろの霊の下に奴隷となっていました。
4:4 しかし時が満ちて、神はご自分の御子を、女から生まれた者、律法の下にある者として遣わされました。
4:5 それは、律法の下にある者を贖い出すためであり、私たちが子としての身分を受けるためでした。
4:6 そして、あなたがたが子であるので、神は「アバ、父よ」と叫ぶ御子の御霊を、私たちの心に遣わされました。
4:7 ですから、あなたはもはや奴隷ではなく、子です。子であれば、神による相続人です。
4:8 あなたがたは、かつて神を知らなかったとき、本来神ではない神々の奴隷でした。
4:9 しかし、今では神を知っているのに、いや、むしろ神に知られているのに、どうして弱くて貧弱な、もろもろの霊に逆戻りして、もう一度改めて奴隷になりたいと願うのですか。
4:10 あなたがたは、いろいろな日、月、季節、年を守っています。
4:11 私は、あなたがたのために労したことが無駄になったのではないかと、あなたがたのことを心配しています。
  2024年10月25日(金)リビングライフQT

今日のテキストは、何と素晴らしい宣言に溢れていることでしょう‼️
難しいから読み直すのではなく、思わず❗
エッ‼️・・と、もう一度、戻って、読み直す箇所が幾つも・・・
*4節:時が満ちて、神はご自分の御子を、女から生まれた者(私達と同じ人として)、律法の下にある者として遣わされました。
5節:それは、・・・私たちが子としての身分を受けるためでした。
6節:そして、・・・神は、「アバ、父よ」と叫ぶ御子の御霊を、私たちに遣わされました。
7節:ですから、あなたはもはや奴隷ではなく、子です。子であれば、神による相続人です。
もう、これ以上言葉や、説明が必要でしょうか。

ガラテヤ教会の人々は、ユダヤ教からの改宗者達の言う、日・月・季節・年・祭り、行事、等の律法の教えを踏襲する事で、再び神の子とされる前の、奴隷の人生に帰るのか(はてな)
   (10節~11節)
パウロのこの言葉には、溢れるばかりの悲しみと悼(イタ)みが 含まれているのが伝わって来ます。
9節:今では神を知っているのに、いや、《神に知られているのに・・》
この様に、神に知られ、子とされたことを、信じる《信仰‼️》これが私たちに与えられて生かされている《信仰‼️》なのです。
もう一度、4節~7節を読んで黙想し祈りましょう。

 ガラテヤ書 3章19節~29節

3:19 それでは、律法とは何でしょうか。それは、約束を受けたこの子孫が来られるときまで、違反を示すためにつけ加えられたもので、御使いたちを通して仲介者の手で定められたものです。
3:20 仲介者は、当事者が一人であれば、いりません。しかし約束をお与えになった神は唯一の方です。
3:21 それでは、律法は神の約束に反するのでしょうか。決してそんなことはありません。もし、いのちを与えることができる律法が与えられたのであれば、義は確かに律法によるものだったでしょう。
3:22 しかし聖書は、すべてのものを罪の下に閉じ込めました。それは約束が、イエス・キリストに対する信仰によって、信じる人たちに与えられるためでした。
3:23 信仰が現れる前、私たちは律法の下で監視され、来たるべき信仰が啓示されるまで閉じ込められていました。
3:24 こうして、律法は私たちをキリストに導く養育係となりました。それは、私たちが信仰によって義と認められるためです。
3:25 しかし、信仰が現れたので、私たちはもはや養育係の下にはいません。
3:26 あなたがたはみな、信仰により、キリスト・イエスにあって神の子どもです。
3:27 キリストにつくバプテスマを受けたあなたがたはみな、キリストを着たのです。
3:28 ユダヤ人もギリシア人もなく、奴隷も自由人もなく、男と女もありません。あなたがたはみな、キリスト・イエスにあって一つだからです。
3:29 あなたがたがキリストのものであれば、アブラハムの子孫であり、約束による相続人なのです。
 2024年10月24日(木)リビングライフQT

神に選ばれた、ユダヤ人(イスラエルの民)は、どうして、聖書が記しているような、神に背き、神の御思いと相反する、道に生きる者となったのでしょう。
今日のテキストでは、《律法》は、神の全ての人に求められる、神の聖さと完全さを、示すもので、神に近づくための、指標として示されたのです。勿論、人はその道を全うする事が出来ない事は、神はご存じで、それ故に、もう一つの《信仰》と言う、栄光に繋がる道を開かれたのです。アブラハムは、この道を知り、失敗だらけの挫折の中から、この《信仰》によって、神からの《義》を、与えられたのです。
彼は、立派な行い、神に従い完全だったので、《義》とされたのではないのです。
*『アブラハムは神を信じた。それで、それが彼の義と認められた。』
創世記15:6
ガラテヤ3:6
それぞれの箇所で語られています。
3章24節:律法は、私たちをキリストに導く養育係となりました。それは、私たちが信仰によって(今や、ただ、キリストが現れられたので、このお方を信じることによって)《義》と認められる為です。
今朝、あなたは、このお方を信じ、このお方がなされた、十字架の贖罪の死を、信じる信仰により、キリスト・イエスにあって《神の子ども》とされたのです。ハレルヤ
何と言う確信でしょう‼️
私たちの信仰の確信は、イエス・キリスト様を、唯一の救い主と信じる《信仰》によって、今や、神の子なのです
ハレルヤ‼️
主を賛美しましょう
 ガラテヤ書 3章10節~18節

3:10 律法の行いによる人々はみな、のろいのもとにあります。「律法の書に書いてあるすべてのことを守り行わない者はみな、のろわれる」と書いてあるからです。
3:11 律法によって神の前に義と認められる者が、だれもいないということは明らかです。「義人は信仰によって生きる」からです。
3:12 律法は、「信仰による」のではありません。「律法の掟を行う人は、その掟によって生きる」のです。
3:13 キリストは、ご自分が私たちのためにのろわれた者となることで、私たちを律法ののろいから贖い出してくださいました。「木にかけられた者はみな、のろわれている」と書いてあるからです。
3:14 それは、アブラハムへの祝福がキリスト・イエスによって異邦人に及び、私たちが信仰によって約束の御霊を受けるようになるためでした。
3:15 兄弟たちよ、人間の例で説明しましょう。人間の契約でも、いったん結ばれたら、だれもそれを無効にしたり、それにつけ加えたりはしません。
3:16 約束は、アブラハムとその子孫に告げられました。神は、「子孫たちに」と言って多数を指すことなく、一人を指して「あなたの子孫に」と言っておられます。それはキリストのことです。
3:17 私の言おうとしていることは、こうです。先に神によって結ばれた契約を、その後四百三十年たってできた律法が無効にし、その約束を破棄することはありません。
3:18 相続がもし律法によるなら、もはやそれは約束によるのではありません。しかし、神は約束を通して、アブラハムに相続の恵みを下さったのです。
  2024年10月23日(水)リビングライフQT

主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます。
(使徒の働き16章31節)
この御言葉は、パウロがピリピの迫害で捕らえれ、獄中で祈っていた時、地震が起こって、獄屋の錠が全て開いたとき、獄屋番は・・・囚人が皆逃げたと思い、責任とって、自害しようとした時、パウロが声を掛け、「自害してはいけない」と止めた。すると獄屋番は「私は救われるために何をしたら良いのですか❓」の問に、パウロは『主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます‼️』
今朝の聖書テキストは、正に、その時の、世界で一番短い救いのメッセージの、再録なのです‼️
ハレルヤ
全ての宗教が、救われる(天国・極楽に行くための道は・・・(はてな))
善事善行・教えを守る・律法の厳重な遵守・謝罪・償い・・・等々を、罪人・衆愚に課するのです。それが難しいなら、金品を捧げる償いで、善(❓)を買い取る。
何と言う腐敗した人の魂の姿なのでしょう。
サウロ(後のパウロ)は、生涯掛けて、この神の正義を勝ち取って、永遠の命に与ろうと、その最高の善が、イエスを信じる人を捕らえ、処刑することだと突っ走っていたのです。
そのサウロは、復活のイエス様の光に射たれた時、善行の光どころか、真っ暗な闇に落ちたのです。
彼(サウル)は、その時主の御声を聴いて、馬上から落ちて、このお方の前にひれ伏し、このとき以来・・・・
《この方以外には、だれによっても救いはありません。天下でこの御名のほかに、救われるべき名は人に与えられていないからです。》
 使徒の働き4章12節
*何か良い事を実行する。
*教えを大切にして、神の前に奉献する。
*困った人を助けてあげる。
*社会・人類に貢献する。
*誰にも知らせずに、良い事を積み重ねる。
*難行苦行を積み重ねて、自らの内に潜む欲望を断つ
  ・・・・・・
俗世を捨てる!
ユダヤ教の、律法も又、この類いの、人間の行為《功徳クドク》なのです。
人の内に住む《罪》は、生まれながらにして、断つことは出来ないのです
只一つの道✨それは、神の御子イエス・キリスト様が、あなたの・私の・全て(過去・現在・未来)の人の《身代り》となられて、十字架の御苦しみを受けられ、罪の贖い(代償)となられたのです。
この事実を《信じる》全ての人は、その信じた瞬間に、罪赦されたのです‼️
こうして、いまから3500年前に約束された、アブラハムへの、《義=救い》の宣言と約束は、イエス・キリスト様によって、成就したのです。
改めて《義人は信仰によって生きる‼️》11節
を、私たちの信仰の原点とするのです。
(は)  (れ)  (る)  (や) (!!)(!!)
 ガラテヤ書3章1節~9節

3:1 ああ、愚かなガラテヤ人。十字架につけられたイエス・キリストが、目の前に描き出されたというのに、だれがあなたがたを惑わしたのですか。
3:2 これだけは、あなたがたに聞いておきたい。あなたがたが御霊を受けたのは、律法を行ったからですか。それとも信仰をもって聞いたからですか。
3:3 あなたがたはそんなにも愚かなのですか。御霊によって始まったあなたがたが、今、肉によって完成されるというのですか。
3:4 あれほどの経験をしたのは、無駄だったのでしょうか。まさか、無駄だったということはないでしょう。
3:5 あなたがたに御霊を与え、あなたがたの間で力あるわざを行われる方は、あなたがたが律法を行ったから、そうなさるのでしょうか。それとも信仰をもって聞いたから、そうなさるのでしょうか。
3:6 「アブラハムは神を信じた。それで、それが彼の義と認められた」とあるとおりです。
3:7 ですから、信仰によって生きる人々こそアブラハムの子である、と知りなさい。
3:8 聖書は、神が異邦人を信仰によって義とお認めになることを前から知っていたので、アブラハムに対して、「すべての異邦人が、あなたによって祝福される」と、前もって福音を告げました。
3:9 ですから、信仰によって生きる人々が、信仰の人アブラハムとともに祝福を受けるのです。
 2024年10月22日(火)リビングライフQT

私は良く、信仰と宗教と言う言葉を、全く、二つの言葉は、相反する意味と、内容を持つものだと、話すことがあります。
端的に言えば、『私たちはイエス様の弟子だ‼️』と、自負する人が、正に、信仰者なのです。
“信仰”は、神と人とを繋ぐ、唯一の絆なのです。
ガラテヤの(教会に集まる)人々は、初めは、パウロ先生の聖霊に満たされた証しと、聖書(旧約聖書)の約束の解き明かしを聞いて、御霊に揺さぶられて、パウロの上に為された、神の御霊の業の素晴らしさ、また、主イエス様の十字架の御業を聞いて、魂揺さぶられて、心から主イエス様を信じて、神の前に新しい人生を歩み始めたのです‼️
所が、ガラテヤの教会のユダヤ人は、『律法を学び、それを実行する人生が、神に受け入れられ、御国の民とされる‼️』と、信じ疑わない人生を、歩んで来たのに…
異邦人クリスチャンは、何の努力も、信仰の行為もなしには神に御国の民とは成れない
と教えられ、「それもそうだ。我々も律法を守ることは、神が喜ばれる事(善の業だ❗)」と、思い、考える様になり、ユダヤ人の生活を学びながら、お互い切磋琢磨しながら、教会生活を送るようになったのです⁉️
何と言う、愚かで、神の恵みに反する道へと、引きずられたのでしょう。
昔、パウロ先生が歩んだ道を、彼らがまた歩んでいるのを見たパウロ先生は、どんなにか心痛んだことでしょう。
神が喜ばれる道は只一つ、神が人となられたイエス・キリスト、このお方が、成し遂げられた十字架による、罪の身代り(贖罪)の死こそが、この事実を信じるものが、罪赦されて、“神の子”とされることが、唯一の救いの道だ‼️
この信仰だけが、命の道なのだ‼️と語るのです。
それをパウロ先生は、太古の歴史の祖である、アブラハの例を通して、同じ神様が、私たちを迎えようとしてくださる・・・と、
6節:アブラハムは神を信じた、それで、それが彼の義と認められた。・・・と、
教えられたのです‼️
《神の義》それは、永遠の御国の唯一の“通行証”となるのです。宗教の飾り立てた善事善行は、御国に入るには、相応しくないものとなるのです。
信仰だけが、神からの祝福を受ける唯一の道なのです。
努力も、
立派な行いも、
評価される業績も、
神の国とは無縁です。
神の国への通過点となる教会も、同じ信仰の喜びのみが、キリストの教会の輝きとなるのです‼️
この様な、祝福と平安と、賛美が喜びが力強い祈りが、地上生活(クリスチャン生活)の中で輝きとなり、世に、神の国の輝きの実現となって証しされるのです‼️
     アーメン‼️
 ガラテヤ2章11節~21節

2:11 ところが、ケファがアンティオキアに来たとき、彼に非難すべきことがあったので、私は面と向かって抗議しました。
2:12 ケファは、ある人たちがヤコブのところから来る前は、異邦人と一緒に食事をしていたのに、その人たちが来ると、割礼派の人々を恐れて異邦人から身を引き、離れて行ったからです。
2:13 そして、ほかのユダヤ人たちも彼と一緒に本心を偽った行動をとり、バルナバまで、その偽りの行動に引き込まれてしまいました。
2:14 彼らが福音の真理に向かってまっすぐに歩んでいないのを見て、私は皆の面前でケファにこう言いました。「あなた自身、ユダヤ人でありながら、ユダヤ人ではなく異邦人のように生活しているのならば、どうして異邦人に、ユダヤ人のように生活することを強いるのですか。」
2:15 私たちは、生まれながらのユダヤ人であって、「異邦人のような罪人」ではありません。
2:16 しかし、人は律法を行うことによってではなく、ただイエス・キリストを信じることによって義と認められると知って、私たちもキリスト・イエスを信じました。律法を行うことによってではなく、キリストを信じることによって義と認められるためです。というのは、肉なる者はだれも、律法を行うことによっては義と認められないからです。
2:17 しかし、もし、私たちがキリストにあって義と認められようとすることで、私たち自身も「罪人」であることになるのなら、キリストは罪に仕える者なのですか。決してそんなことはありません。
2:18 もし自分が打ち壊したものを再び建てるなら、私は自分が違反者であると証明することになるのです。
2:19 しかし私は、神に生きるために、律法によって律法に死にました。私はキリストとともに十字架につけられました。
2:20 もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。今私が肉において生きているいのちは、私を愛し、私のためにご自分を与えてくださった、神の御子に対する信仰によるのです。
2:21 私は神の恵みを無にはしません。もし義が律法によって得られるとしたら、それこそ、キリストの死は無意味になってしまいます。
 2024年10月21日(月)リビングライフQT

ユダヤ教の教えは、
*人は、創造主である神に創られた者で、この人を、神はご自身の永遠の世界(神の国)に入れたいと願われたが、罪を犯したので、神の国には入れなくなった。
そこで神は、羊・牛の犠牲(罪の身代り)によって、神の赦しをいただく道を開かれました。これを《燔祭》として定め、『やがて、メシヤ(神の御子)がこられて、永遠の救いの道を拓かれる‼️』
その約束が十字架の上で、御子イエス・キリストによって、成就したのです。
今や、御子イエス・キリストによる贖罪(あがない)の業により、全ての罪は赦され、神の子とされて、御国に入ることが、可能となったのです。
ところが、ユダヤ人にしてみれば、1500年に亘って、律法を厳守し(生活の細部に亘って)、その上で、その保証として、割礼を受けて、神の国の民とされていることを、永遠の拠り所としてきたのです。
それ故、ユダヤ人(イスラエルの民)は、律法を守ることが、救いの必須条件として、異邦人にも、適応させることを、救いの条件としたのです。
パウロ先生の信仰の経験は・・・
人一倍、律法に生きる点で、右に出るものはいない‼️と、自負するほど、自他共に、彼を律法の頂点にあるものと認められていました。
そのパウロが、19節に『私は、神に生きるために、律法によって、律法に死にました。‼️
もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです』…と
パウロは、律法に熱心であればあるほど、彼は神から遠くなり、神の御子の迫害者とさえなったのです。
私達は、異邦人です。しかし、この異邦人である私たちの、良い行いを見ておられたお方(神)が、あなたを救い(罪を赦し)神の民の一人として下さったのではないのです。
ただ、この御子(イエス・キリスト)を、私の救いの神・・・‼️と信じる時、あなたは、神の国の民、《神の子》とされるのです。
神の子とされる、最大の道は、あなたを引寄せて下さったお方を、救い主として、そのまま信じ受け入れることです。
その時、神(イエス・キリスト)は、あなたを神の民として受け入れて下さるのです。
あなたは信仰によって、もうすでに神の子なのです。
疑わず、吟味せず、誰かからの確証も求めず、ただ信仰(信じ受け入れること)によって、完成されたのです。
*信仰によって《義》と認められたのです‼️
*この信仰と確信が、あなたの魂の確信でありますように。
揺るぎないこの確信に立って、人々に解放と自由に満ちた信仰の世界を、知らせて参りましょう。
 ガラテヤ2章1節~10節

2:1 それから十四年たって、私はバルナバと一緒に、テトスも連れて、再びエルサレムに上りました。
2:2 私は啓示によって上ったのです。そして、私が今走っていること、また今まで走ってきたことが無駄にならないように、異邦人の間で私が伝えている福音を人々に示しました。おもだった人たちには個人的にそうしました。
2:3 しかし、私と一緒にいたテトスでさえ、ギリシア人であったのに、割礼を強いられませんでした。
2:4 忍び込んだ偽兄弟たちがいたのに、強いられるということはありませんでした。彼らは私たちを奴隷にしようとして、キリスト・イエスにあって私たちが持っている自由を狙って、忍び込んでいたのです。
2:5 私たちは、一時も彼らに譲歩したり屈服したりすることはありませんでした。それは、福音の真理があなたがたのもとで保たれるためでした。
2:6 そして、おもだった人たちからは──彼らがどれほどの者であっても、私にとって問題ではありません。神は人を分け隔てなさいません──そのおもだった人たちは、私に対して何もつけ加えはしませんでした。
2:7 それどころか、ペテロが割礼を受けている者への福音を委ねられているように、私は割礼を受けていない者への福音を委ねられていることを理解してくれました。
2:8 ペテロに働きかけて、割礼を受けている者への使徒とされた方が、私にも働きかけて、異邦人への使徒としてくださったからでした。
2:9 そして、私に与えられたこの恵みを認め、柱として重んじられているヤコブとケファとヨハネが、私とバルナバに、交わりのしるしとして右手を差し出しました。それは、私たちが異邦人のところに行き、彼らが割礼を受けている人々のところに行くためでした。
2:10 ただ、私たちが貧しい人たちのことを心に留めるようにとのことでしたが、そのことなら私も大いに努めてきました。
 2024年10月20日(日)リビングライフQT

今日の聖書テキスト読みながら、迫害と、神の時が開かれた時代の、大きな激動の中で、急速に拡がる神の恵みは、あらゆる妨げを撃破しながら拡がる様が、実にリアルに語られていますね
割礼こそ、ユダヤ人の民族的アイデンティティでした。そして、割礼が神の国に受け入れられる唯一の道だと、アブラハムの時代(1500年も前)から、信じられてきたものでした。
それがパウロの宣教によって、一朝にして、崩壊されようとしたのですから、イエス・キリストの福音以前の、重大事とされ、ユダヤ教会から排除迫害されたのです。
エルサレムに帰還するまでの14年、異邦人の地(アジア・マケドニア・ギリシャ等々)での働きは、ユダヤ人の反対と迫害はあったものの、神の国の福音は、妨げられることなく、拡大して行ったのです。
パウロの伝道の助手を勤めた《テトス》は、ギリシャ人であったのに、彼のうちにある輝く福音の輝きは、割礼ウンヌンの、妨げにすらならなかったのです。
エルサレムに帰って、ユダヤ人に、救いの御業の成就した福音を語ってきた使徒達も又、神の御業の素晴らしいことを賛美しながら、この問題は、栄光の輝きの中に、勝利したのです。
こうして、福音宣教にとっての、内部的最も大きな問題となりそうなことは、見事に勝利のうちに、クリヤ―し、異邦人宣教に、パウロの大きな路線が開かれたのです。使徒たちは、律法に固執するユダヤ人たちに向かって、更に大胆に、歴史の束縛からの自由の福音を語り、ユダヤ人たちに拡げて行ったのです。
又、福音と愛の実践も又恵みから来る行為として、古代社会の貧しい人々への、愛の行為が、共同歩調をとったのです。
この様な、力強い福音の前進には、宗教(信じること)を越えた、創造された人間の《生きる‼️》と言う、神の永遠のご計画を、垣間見る思いがします、
何と力強い神の御業なのでしょう‼️
    ハ レ ル ヤ
 ガラテヤ1章11節~24節

1:11 兄弟たち、私はあなたがたに明らかにしておきたいのです。私が宣べ伝えた福音は、人間によるものではありません。
1:12 私はそれを人間から受けたのではなく、また教えられたのでもありません。ただイエス・キリストの啓示によって受けたのです。
1:13 ユダヤ教のうちにあった、かつての私の生き方を、あなたがたはすでに聞いています。私は激しく神の教会を迫害し、それを滅ぼそうとしました。
1:14 また私は、自分の同胞で同じ世代の多くの人に比べ、はるかにユダヤ教に進んでおり、先祖の伝承に人一倍熱心でした。
1:15 しかし、母の胎にあるときから私を選び出し、恵みをもって召してくださった神が、
1:16 異邦人の間に御子の福音を伝えるため、御子を私のうちに啓示することを良しとされたとき、私は血肉に相談することをせず、
1:17 私より先に使徒となった人たちに会うためにエルサレムに上ることもせず、すぐにアラビアに出て行き、再びダマスコに戻りました。
1:18 それから三年後に、私はケファを訪ねてエルサレムに上り、彼のもとに十五日間滞在しました。
1:19 しかし、主の兄弟ヤコブは別として、ほかの使徒たちにはだれにも会いませんでした。
1:20 神の御前で言いますが、私があなたがたに書いていることに偽りはありません。
1:21 それから、私はシリアおよびキリキアの地方に行きました。
1:22 それで私は、キリストにあるユダヤの諸教会には顔を知られることはありませんでした。
1:23 ただ、人々は、「以前私たちを迫害した者が、そのとき滅ぼそうとした信仰を今は宣べ伝えている」と聞いて、
1:24 私のことで神をあがめていました。
 2024年10月19日(土)リビングライフQT

イエス様の御受難の時は、過ぎ越の祭りの時で、世界中から、ユダヤ人がこの祭りのために、エルサレムに来ていたのです。その最中に、あの十字架の御受難の出来事があり、更にその三日後の早朝に、主が墓から甦られた‼️と言う出来事があったのです。
巡礼者たちは、この驚くべき出来事に、更にエルサレムに留まった人々が多くいたのです。その様な中で、あのペンテコステの《聖霊降臨》があり、人々は、120名の新しい弟子達の御霊によって語る、十字架の福音を聴いて(使徒の働き第2章)、アジア、マケドニア、ギリシャ、ローマ、メソポタミヤ地方へと帰って行ったのです。瞬く間に、この出来事は異邦人・ユダヤ人の間に広がり、エルサレムでは、大リバイバルとなって、信徒の数が3000人→5000人と止まる所を知らずに、激増する中で、迫害も始まり殉教者も出始めたのです。
この様な状況に、ユダヤ教の危機を感じた、サウロ(後のパウロ)は、大祭司のご下命を受けて、クリスチャンの迫害のために、多くの信徒が迫害を避けて集まっていた、ダマスコヘ軍を進めたのです。その様な中で、幻のうちに復活のキリストに出会ったのです。
彼は、一人荒野(砂漠地帯)に出て行き、そこで、悔い改めと、神との語らいの時を持って、40日の断食と祈りの後、エルサレムに帰還したのです。今や、ユダヤ教の敵として‼️
主の弟子たちと交わりながら、新たな主イエス様の様々な教えと情報を受けて、アンテオケからキプロスに渡り、更にガラテヤ地方の諸都市に、伝道を展開したのです。
その時の働きの実として生まれたガラテヤ地方の諸都市の教会に、送った手紙です。
改めて、その中でパウロは、自己紹介したのが今日のテキストです。
パウロは、当時、地中海世界のユダヤ教会では名を知らない人のいないほどの学者であり権威を持っていました。そのようなパウロが、ユダヤ教会に敵視され始めた、クリスチャンとして、注目された人でした。
しかしそのような肩書きや、知名度によらず、ただ、神により召し出された僕として、語り伝えた・・・と、
パウロは、ただ、神により召し出されて、新しい神の国の事を語り始めただけだ‼️と、訴えたのです。

パウロにとって、大切なことは、ただ一つ・☦️のイエス様だけだったのです。
恵みの神、救いの神、イエス・キリストこそ、全てなのです。
この御方によって、
この御方の事を、
伝えたい‼️これがパウロの福音なのです。
この福音が、今、私達を、死から命に、引き揚げて下さったことを、パウロと共に、力強く証ししましょう
 ガラテヤ1章1節~10節

1:1 人々から出たのではなく、人間を通してでもなく、イエス・キリストと、キリストを死者の中からよみがえらせた父なる神によって、使徒とされたパウロと、
1:2 私とともにいるすべての兄弟たちから、ガラテヤの諸教会へ。
1:3 私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安があなたがたにありますように。
1:4 キリストは、今の悪の時代から私たちを救い出すために、私たちの罪のためにご自分を与えてくださいました。私たちの父である神のみこころにしたがったのです。
1:5 この神に、栄光が世々限りなくありますように。アーメン。
1:6 私は驚いています。あなたがたが、キリストの恵みによって自分たちを召してくださった方から、このように急に離れて、ほかの福音に移って行くことに。
1:7 ほかの福音といっても、もう一つ別に福音があるわけではありません。あなたがたを動揺させて、キリストの福音を変えてしまおうとする者たちがいるだけです。
1:8 しかし、私たちであれ天の御使いであれ、もし私たちがあなたがたに宣べ伝えた福音に反することを、福音として宣べ伝えるなら、そのような者はのろわれるべきです。
1:9 私たちが以前にも言ったように、今もう一度、私は言います。もしだれかが、あなたがたが受けた福音に反する福音をあなたがたに宣べ伝えているなら、そのような者はのろわれるべきです。
1:10 今、私は人々に取り入ろうとしているのでしょうか。神に取り入ろうとしているのでしょうか。あるいは、人々を喜ばせようと努めているのでしょうか。もし今なお人々を喜ばせようとしているのなら、私はキリストのしもべではありません。
 2024年10月18日(金)リビングライフQT

今日から、新約聖書の、パウロの書いたガラテヤ人への手紙から、学び始めます。
ガラテヤの教会は、パウロの異邦人伝道の最初の働きでした。
それだけに、異邦人は救われないと、間違って信じ込んでいたユダヤ人にとっては、大変な出来事でした。こうした信仰の軋轢に翻弄される教会への、励ましや、歪んだ主張(ユダヤ教徒達の)に対する正しい真理を、伝える書簡です。
前半の自己紹介は、パウロ自身が、ユダヤ人社会の中で、非常に優れた、特異な存在であったことが、異邦人社会に有るガラテヤの人々からは、特別な存在だと、思われ勝ちだと・・・福音の妨げにもなりかねない事を、感じながら、自らの存在の根幹は、あなた方がそうであったと同じように、私もまた、イエス・キリストとキリストを死者の中からよみがえらせた父なる神によって聖徒とされたパウロ・・・と、自己紹介するのです。ガラテヤの信徒と、自分パウロとは、同じ《お方》の恵みによって、生かされている‼️
そして、4節に、イエス様の十字架のあがないによって、神の前に在る‼️と、信仰の大前提を、揺るがせないようにと、語っています。この福音の事実は、今の時代にも、私たちにも、力強い真理なのです‼️
6節以降に《別な福音》と言う言葉によって、パウロが伝えた福音(救いの原理)が、ガラテヤの異邦人クリスチャンの中に、いち早く混入して、彼らがその教えに合わせて、信仰生活を歩み始めた事への、注意と警告の、勧めなのです。
パウロの伝道《宣教》の場としては、アジア全域・マケドニア地方にまで、離散しているユダヤ社会の中心となっている、シナゴーグ(ユダヤ会堂)が、人々を集める絶好の会場だったのです。その上、そこでは、ユダヤ教の習慣で、土曜安息日には、聖書(旧約聖書)を始め、ユダヤ教の教えを学ぶ場で、異邦人もそこに集っていたのです。
異邦人も、天国にいくためには、モーセの律法を守り、割礼を受けなければ、救われないと、教えられていました。
しかし、パウロ先生の教えは、十字架のイエス様を信じて受け入れるだけで、全て良し‼️
ですから、ユダヤ人は猛反対をしたのです。
そのような中、異邦人改宗者を追放するため、異邦人は割礼を受け、律法を厳守するよう、ユダヤ教的な生活を、強いてきたのです。
パウロ先生は、書簡の冒頭から、イエス・キリストの救いの福音以外には、救いの道は何もない‼️と、語り出しています‼️
救いの福音はただひとつの道のみ。
十字架の贖いのみです。私たちの今日の教会でも、救いの条件は、ただ一つ・・イエス・キリストの贖いの、十字架が在るのみです‼️
この出発点から学び始めましょう。
 ホセア書14章1節~9節

14:1 イスラエルよ。あなたの神、【主】に立ち返れ。あなたは自分の不義につまずいたのだ。
14:2 あなたがたはことばを用意し、【主】に立ち返れ。主に言え。「すべての不義を赦し、良きものを受け入れてください。私たちは唇の果実をささげます。
14:3 アッシリアは私たちを救えません。私たちはもう馬に乗らず、自分たちの手で造った物に『私たちの神』と言いません。みなしごがあわれまれるのは、あなたによってです。」
14:4 「わたしは彼らの背信を癒やし、喜びをもって彼らを愛する。わたしの怒りが彼らから離れ去ったからだ。
14:5 わたしはイスラエルにとって露のようになる。彼はゆりのように花咲き、レバノン杉のように根を張る。
14:6 その若枝は伸び、その輝きはオリーブの木のように、その香りはレバノン杉のようになる。
14:7 その陰に住むものたちは、穀物のように生き返り、ぶどうの木のように芽をふく。その名声はレバノンのぶどう酒のようになる。
14:8 エフライムよ。わたしと偶像との間に、どういう関わりがあるか。わたしが応え、わたしが世話をする。わたしは緑のもみの木のようだ。わたしから、あなたは実を得るのだ。」
14:9 知恵ある者はだれか。その人はこれらのことを悟れ。悟りのある者はだれか。その人はそれらのことをよく知れ。【主】の道は平らだ。正しい者はこれを歩み、背く者はこれにつまずく。
 2024年10月17日(木)リビングライフQT

ハレルヤ‼️(!!)
厳しい裁きと、滅びの予告の延々と続いた宣告が途切れ、突然、輝く、潤いに満ちた、光の神の柔らかなお言葉が、沸き上がるように紙面から流れ出る‼️
思わず霊が安堵する。
何と言う幸せ
 何と言う慰め
  何と言う感動☺️
2節:あなたがたは
 ことばを用意し、
  主に立ち返れ。
     主に言え。

私達の信仰は、心の中の思いを操作するのではないのです。心の思いを、心を込めて、潔い真実な言葉を、告白するのが、私達の信仰なのです。
言葉は人格となって、創造者なる神に届けられるのです‼️
『全ての不義を赦し、良いものを受け入れて下さい。私たちは唇の果実をささげます。』
この言葉こそ、真実から溢れ出る、告白なのです‼️
この言葉こそ、信仰告白であり、主なる神様との、コミュニケーションなのです。
このような、信仰(神との霊の交わり)が、私達の神様との交わり・交流なのです。これが本当の(唯一無二)の信仰なのです‼️
ホセア書の最後の言葉を繰り返して、終わりましょう
14:9節
知恵あるものは誰か。
その人はこれらのことを悟れ。
悟りのあるものは誰か。
その人はそれらのことをよく知れ。
主の道は平らだ。
正しい者はこれを歩み、
背く者はこれにつまづく

あなたは正しい道が見えますか⁉️
主なる神を見上げてご覧なさい。
見えてきますよ。
我が主よ❗
  我が神よ‼️
と叫んで(お呼びして)ごらんなさい‼️
遂に、彼らの一部は、バビロンの解放後に、ユダの民と共に、再びエルサレムを中心に据えた、ダビデの王国時代の都に帰還しました。そこで更に数百年後に、全ての民の罪の贖罪の業が成されたのです‼️
 ホセア書13章1節~16節

13:1 「エフライムは震えながら語ったとき、イスラエルの中であがめられた。しかし、バアルのことで咎ある者となって死んだ。
13:2 今、彼らは罪を重ね、自分のために銀で鋳物の像を造り、自分の考えで偶像を造った。これはみな、職人のわざ。彼らはこれについて言う。『人を献げる者たちは、子牛に口づけせよ』と。
13:3 それゆえ、彼らは朝もやのように、朝早く消え去る露のようになる。打ち場から吹き散らされる籾殻のように、また、穴から出る煙のようになる。
13:4 しかしわたしは、エジプトの地にいたときから、あなたの神、【主】である。あなたはわたしのほかに神を知らない。わたしのほかに救う者はいない。
13:5 このわたしは荒野で、干ばつの地であなたを知っていた。
13:6 しかし牧草で満腹したとき、彼らは満ち足り、心は高ぶり、そうしてわたしを忘れた。
13:7 わたしは彼らに対して獅子のようになり、豹のように道端で待ち伏せる。
13:8 子を奪われた雌熊のように彼らに襲いかかり、彼らの胸をかき裂いて、その場で雌獅子のように食らう。野の獣は彼らを引き裂く。
13:9 イスラエルよ、あなたは滅ぼされる。あなたの助け手である、わたしに背いたからだ。
13:10 では、あなたの王はどこにいるのか。すべての町のうちで、あなたを救う者は。あなたをさばく者たちはどこにいるのか。かつてあなたが『私に王と高官たちを与えよ』と言った者たちは。
13:11 わたしは、怒ってあなたに王を与え、また憤ってこれを奪い取る。
13:12 エフライムの不義は束ねられ、その罪は蓄えられている。
13:13 子を産む女の激しい痛みが彼のところに来るが、彼は知恵のない子で、時が来ても、母の胎から出て来ない。
13:14 わたしはよみの力から彼らを贖い出し、死から彼らを贖う。死よ、おまえのとげはどこにあるのか。よみよ、おまえの針はどこにあるのか。あわれみはわたしの目から隠されている。
13:15 彼は兄弟たちの中で栄えている。だが、東風が吹いて来て、【主】の息が荒野から立ち上り、水源は涸れ、泉は干上がる。それはすべての尊い器がある宝物倉を略奪する。
13:16 サマリアは咎ある者となる。自分の神に逆らったからだ。彼らは剣に倒れ、幼子たちは八つ裂きにされ、妊婦たちは切り裂かれる。」
 2024年10月16日(水)リビングライフQT

更に、延々と続く、神からの叱責と、裁きの予告・・・イスラエルの民は、なぜ(はてな)これ程までに、神からの叱責を受けながらも、神の愛と赦しへと、帰らないのでしょうか(?)
こうして毎日読み進むにつれて、そのなぞはますます深まるばかりです。
2百年の民の歴史の流れを、圧縮して学ぶからでもありますが、ふと、自らの人生の日々の歴史(流れ・経過)を、振り返って見ると、大なり小なり、これに似た道を辿ってきたのかなぁと、ふと思い出すのです。
私たち人間にとって、宗教(信心)と言うものは、
*深淵な儀式
*結果を求めることに固執しない礼拝(儀式・拝み)
*義務化されない自由な繋がり
*回りの多くがやっている生活の中の習慣
*代々受け継がれる生活化された行為
*何か厳粛な神秘的な雰囲気の儀式・・・
このような宗教が、人間の心(霊)を揺さぶる、不思議な力として、心を魅惑するのでしょう。
正に、これがサタンの歴史的誘惑の手法なのです。
さて、一方、聖書が語る創造主なる神・人間を創造になられた神、このお方との交わり(信仰の交流)→これは宗教ではなく、唯一の真理の道、神に創造された人(人類)が、歩むべき唯一の道‼️それが、聖書の歴史なのです。
神に似せて創られた人の人格と、創造主である唯一の《神》の御本質(神の御意志)とが、
交わりを持つのが、《信仰》の世界なのです。ですから、導き、警告し、正しい道を示しても、意に介せずに神に背く人の霊に、神の怒りと悲しみとが、この様に繰り返し語られるのは、当然です。それを今私達がどんな思いで読むか、それが課題なのです。
ホセア書が終わろうとする今、改めて神の迫り来るお言葉を読み、この中に、神ご自身の悲しみと苦悩に霊の耳を傾け、目を主に向けて祈り告白しましょう
主よ‼️あなたの御懐に、民を連れ来たらせて下さい。その為に私の眼を、背く世界に、弱り果てた民に、向けさせて下さい。
あぁ我が主よ❗
   我が神よ‼️
 ホセア書11章12節~12章14節

11:12 わたしは、エフライムの偽りと、イスラエルの家の欺きで囲まれている。しかしユダは、なお神とともに歩み、聖なる方に対して忠実である。」

12:1 エフライムは風を飼い、一日中、東風の後を追う。重ねるのは虚偽と暴行。アッシリアと契約を結び、エジプトに油を送る。
12:2 【主】には、ユダに対して言い分がある。主は、生き方に応じてヤコブを罰し、行いに応じて彼に報いる。
12:3 ヤコブは母の胎で兄のかかとをつかみ、その力で神と争った。
12:4 御使いと格闘して勝ったが、泣いてこれに願った。ベテルでは神に出会い、神はそこで彼に語りかけた。
12:5 【主】は万軍の神。その呼び名は【主】。
12:6 あなたは、あなたの神に立ち返り、誠実と公正を守り、絶えずあなたの神を待ち望め。
12:7 商人は手に欺きの秤を持ち、虐げることを好む。
12:8 エフライムは言った。「確かに私は富んでいる。私には力がある。私のすべての勤労の実があれば、私のうちに、罪となる不義は見つからない。」
12:9 「しかしわたしは、エジプトの地にいたときから、あなたの神、【主】である。例祭の日のように、再びあなたを天幕に住まわせる。
12:10 わたしは預言者たちに語ってきた。わたしが多くの幻を示し、預言者たちによってたとえを示したのだ。」
12:11 ギルアデは不法そのもの。いや、彼らはむなしいものとなった。ギルガルで雄牛が献げられたが、その祭壇も、畑の畝の石くれの山になる。
12:12 ヤコブはアラムの地に逃げて行き、イスラエルは妻を迎えるために働いた。妻を迎えるために羊の番をした。
12:13 【主】は一人の預言者によって、イスラエルをエジプトから連れ上り、一人の預言者によって、これを守られた。
12:14 エフライムは主の激しい怒りを引き起こした。彼の主は、その血の責任を彼の上に下し、彼のそしりに報いを返される。
 2024年10月15日(火)リビングライフQT

エフライム(イスラエル・北王朝)は、ソロモンの後、14代目までは、まだ、割合長い治世が保たれていましたが、14代目以降~19代目に至るまで(19代のホシュアの治世で、アッシリアに滅ぼされる)、酷い王は、短命な治世で僅か一ヶ月で交代している。一番長くて、9年でした。
主なる神にとっては、どんなに悲しい、心の痛みが続いた事でしょう。
次の御言葉は・・・
『しかしユダは、なお神とともに歩み、聖なる方に対して忠実である。』と語られるのです。
最早、エフライムは、癒し様のないまでに腐敗し、神に背を向けたのです
しかし、主なる神は、南のユダ王朝に対しても、同じ厳しさを持って、報いると、同じ時に宣言されました。神に背を向けるのに、良し悪しの差などあるはずもないですね
ユダもエフライムも、実は、同じ先祖・ヤコブ~出たものです。そのヤコブも、自分の力を過信し、兄をだまし、遥か北方に逃げ、親戚の叔父の家に潜り込み、巧妙にたち働いて、祝福を受け(❓)莫大な富(膨大な家畜・仕様人)、複数の妻と、それに伴う子宝に恵まれて、故郷に錦を飾って帰還するのです。
しかし兄の支配する境界に近付くにつれて、不安に苛(サイナマ)まれ、遂に、自らの内に、赦されない罪(兄を欺いた過去の現実)を、思い出して、境界の川(ヤボクの渡し)で、神に悔い改めの祈りをするのです
(創世記32:23~33)
そこでヤコブは神にお会いし、神の前で新しい道へと、歩み始めたのです。
こうして、主なる神は、ユダに、エフライムに語り掛けられたのですが・・・
8~11節に、エフライムは、神の愛の呼び掛けにさえも意に介せずに、ギルアデのバアルに走った
一方、ヤコブ(後にイスラエルと改名)は、アラム(親戚の地)で、忠実な僕として、新たな人生へと歩みだした。
その子孫は、エジプトに移住して、数百年の年月を経た後、偶像に充ちたかの地から、抜け出して(出エジプト)、彼らは主に守られた。
このような、幾重にも重ねた民の、背信、神への立ち返りの歴史の中で、今、エフライムは、神の怒りを引き起こす、背信の道から立ち返らないのです
今や神の裁きは引き返せない所に来たのです‼️
神の断腸の悲しみの叫びが、語られたのです。
今の時代を考えると、このメッセージは、机上の空論ではなく、間もなく現される、裁きの姿を、否めないのです。このような、裁きの日(終末)に近い時代にある私達に、与えられた福音の使命は、何と重いことでしょう。
祈りなしには立ちおおせない、時代です。
しかし、そこにも主の御手が伸べられている事を、信じて、御霊に押し出されて、用いられましょう
 ホセア書11章1節~11節

11:1 「イスラエルが幼いころ、わたしは彼を愛し、エジプトからわたしの子を呼び出した。
11:2 彼らは、呼べば呼ぶほどますます離れて行き、もろもろのバアルにいけにえを献げて、刻んだ像に犠牲を供えた。
11:3 このわたしがエフライムに歩くことを教え、彼らを腕に抱いたのだ。しかし、わたしが彼らを癒やしたことを彼らは知らなかった。
11:4 わたしは人間の綱、愛の絆で彼らを引いてきた。わたしは彼らにとってあごの口籠を外す者のようになり、彼らに手を伸ばして食べさせてきた。
11:5 彼はエジプトの地には帰らない。アッシリアが彼の王となる。彼らがわたしに立ち返ることを拒んだからだ。
11:6 剣は、その町々に対して荒れ狂い、かんぬきの取っ手を打ち砕き、彼らのはかりごとのゆえに、町々を食い尽くす。
11:7 わたしの民は頑なにわたしに背いている。いと高き方に呼ばれても、ともにあがめようとはしない。
11:8 エフライムよ。わたしはどうしてあなたを引き渡すことができるだろうか。イスラエルよ。どうしてあなたを見捨てることができるだろうか。どうしてあなたをアデマのように引き渡すことができるだろうか。どうしてあなたをツェボイムのようにすることができるだろうか。わたしの心はわたしのうちで沸き返り、わたしはあわれみで胸が熱くなっている。
11:9 わたしは怒りを燃やして再びエフライムを滅ぼすことはしない。わたしは神であって、人ではなく、あなたがたのうちにいる聖なる者だ。わたしは町に入ることはしない。
11:10 彼らは【主】の後について行く。主は獅子のようにほえる。まことに主がほえると、子らは西から震えながらやって来る。
11:11 鳥のようにエジプトから、鳩のようにアッシリアの地から、彼らは震えながらやって来る。わたしは彼らを自分たちの家に住ませよう。──【主】のことば。
 2024年10月14日(月)リビングライフQT

あぁ主よ
    我が主よ
このテキストを読んで、目頭が熱くなり、しばし御言葉の紙面を凝視しています。
胸は熱くなり、がじわ〰️っと滲み出て、
頬を伝って落ちました。
これは決して、誇張ではなく、本当に魂が痛みで揺れ動いているのです。
その理由は
*私が罪の中にさ迷っていた時、主なる神はこのような悲しみと、心の痛みを負いながら、待っていてくださり、御手を差し伸べ続けて下さっていたのだ‼️・・・と
*今一つはこの時代の混沌とした(人の罪により)暗黒化した時代の中に、うごめき、救い(幸せ)を求めながらも、主なる神には向かず、金銭・快楽・自己中心・・・に走りながら、主なる神には無関心に沈む、今の世界の姿に、主の御心が痛みの極に達しているのです
しかしこの中から、
8節の熱い神の愛のお言葉が語られているのです‼️
何と…(何)言葉もありません。
11節~バビロンの捕囚からの解放を、語られているのです。
主よ終わりの日のリバイバル《私は彼らを自分たちの家(神の約束の御国)に住ませよう》を、待ち望み、主に仕えて参りましょう。
 ホセア書10章1節~15節

10:1 イスラエルは生い茂るぶどうの木。それは多くの実をつけた。実が増えるにしたがって祭壇の数を増やし、その地が豊かになるにしたがって石の柱を豊かにした。
10:2 彼らの心は偽りだ。今、彼らはその罰を受ける。主が彼らの祭壇を壊し、彼らの石の柱を踏みにじられる。
10:3 今、彼らは言う。「私たちに王はいない。私たちが【主】を恐れていないからだ。王がいても、私たちに何ができるだろうか。」
10:4 彼らは無駄口をきき、むなしい誓いを立てて契約を結ぶ。さばきは、畑の畝の毒草のように生い出る。
10:5 サマリアの住民は、ベテ・アベンの子牛のことでおののく。その民はそのことで喪に服し、偶像に仕える祭司たち、その栄光を喜んでいた者たちも喪に服す。栄光が子牛から去ったからだ。
10:6 それはアッシリアに持ち去られ、大王への贈り物となる。エフライムは恥を受け、イスラエルは自分のはかりごとで恥を見る。
10:7 サマリアは滅び失せ、その王は水の面の木片のようだ。
10:8 イスラエルの罪であるアベンの高き所は滅ぼし尽くされる。茨とあざみが彼らの祭壇の上に生い茂る。彼らは山々に向かって「私たちをおおえ」と言い、丘に向かって「私たちの上に崩れ落ちよ」と言う。
10:9 「イスラエルよ。ギブアの日以来、あなたは罪を犯してきた。そこで彼らは同じことを行っている。ギブアで、戦いがこの不法の民を襲わないだろうか。
10:10 彼らを懲らしめることがわたしの願いだ。二つの不義のために彼らが捕らえられるとき、諸国の民が集められて彼らに敵対する。
10:11 エフライムは飼いならされた雌の子牛、麦打ち場で踏むことを好む。しかし、わたしはその美しい首にくびきを掛ける。わたしがエフライムに乗り、ユダが耕し、ヤコブが馬ぐわを引くようになる。
10:12 あなたがたは正義の種を蒔き、誠実の実を刈り入れ、耕地を開拓せよ。今が【主】を求める時だ。ついに主は来て、正義の雨をあなたがたの上に降らせる。」
10:13 あなたがたは悪を耕し、不正を刈り取り、偽りの実を食べた。それはあなたが自分の力に、自分の勇士の数に拠り頼んだからだ。
10:14 あなたの民の中で戦塵が起こり、要塞はみな打ち滅ぼされる。戦いの日にシャルマンがベテ・アルベルを踏みにじったように、母親は子どもたちのそばで八つ裂きにされる。
10:15 ベテルよ。あなたがたの悪があまりにもひどいので、このようなことがあなたがたになされる。夜明けには、イスラエルの王は全く滅ぼされる。
 2024年10月13日(日)リビングライフQT

イスラエル(エフライム=北王国)は、ヤラブアムがソロモンの息子(ソロモンの後継者)のユダ王国に反旗を翻して、エルサレムを去り、彼らの信仰の拠り所となる、エルサレムに換わる礼拝所として、出エジプト後の荒野のさ迷いの中、シナイの山の麓で、モーセが神の律法を頂いている間に、民の不安を和らげるために、もう一人の指導者アロン(モーセの兄)が、金を集めて牛の姿を鋳造して、『此れが我々をエジプトから導き出した神だ‼️』と宣言し、民は最初の像礼拝をして、神の裁きを受けた。

エルサレムを失ったイスラエル(エフライム)の民が、再び、ベテルの町(かつて、ヤコブの子のヨセフが、、兄の怒りを避けて家を出て、北のラバン叔父の元へ逃げるとき、夜、夢の中で神の保護の約束の夢を見た場所)その後希望の地“聖地”として、北イスラエルの最重要地となり、ここに子牛の像を築きしばしば燔祭を捧げる礼拝の地となっていた。
昨日、出てきた《ギルガル》と並ぶ、バアル信仰へと、代わり堕落の粋を極めた町となったのです。
まことの神の、律法に背いた民の生活には、祝福が去り、収穫も乏しくなり、彼らはまことの神に背いた、日々から、立ち返るのではなく、バアルに向かって益々その篤い思いを、偶像に向かったのです。
彼らの選んだ道には祝福はなく、慰めも平安もなく、神の御警告は、ただ滅びへの警告が語られるのです。
そんな中で、唯一希望のメッセージが語られました。それが12節です。
《あなた方は正義の種を蒔き、
誠実の実を刈り入れ、
耕地を耕せよ。
今は主を求める時だ。
ついに主は来て、
正義の雨をあなた方の上に降らせる。》
何と言う力強い呼び掛けでしょう。
主の御声のあるうちに、多くの実りの時のために、耕地を耕し、福音の種子を蒔きましょう‼️
あなたの愛・赦し・真実・聖さ・切実な祈り・・・を主の祭壇に、捧げましょう‼️
この御言葉と約束を、心に焼き付け、終わりの時代に向かって、祈りと証へと向かいましょう。
 ホセア書9章10節~17節

9:10 「わたしはイスラエルを、荒野のぶどうのように見出し、あなたがたの先祖を、いちじくの木の初なりの実のように見ていた。バアル・ペオルにやって来たとき、彼らは恥ずべきものに身を委ね、自分たちが愛しているものと同じように、彼ら自身も忌まわしいものとなった。
9:11 エフライム。その栄光は鳥のように飛び去り、産むことも、身ごもることも、宿すこともない。
9:12 たとえ彼らが子どもを育てても、わたしは彼らに子を失わせ、人がいなくなるようにする。わたしが彼らを離れるとき、まことに、彼らにわざわいが来る。
9:13 エフライムは、わたしが見たところ、牧場に植えられたツロのようであった。しかし今や、エフライムはその子らを屠り場に連れ出さなければならない。」
9:14 【主】よ、彼らに与えてください。あなたは何をお与えになりますか。彼らに与えてください。死産の胎を、涸れた乳房を。
9:15 「彼らのすべての悪はギルガルにある。わたしはそこで彼らを憎んだのだ。彼らの悪い行いのゆえに、わたしは彼らをわたしの宮から追い出し、もはや彼らを愛さない。その首長たちはみな頑迷な者だ。
9:16 エフライムは打たれ、その根は枯れて、実も結ばない。たとえ子を産んでも、わたしはその胎の実である、いとし子を殺す。」
9:17 私の神は彼らを退ける。彼らが神に聞き従わなかったからだ。彼らは国々の間で、さすらい人となる。
 2024年10月12日(土)リビングライフQT

主なる神は、エフライムを責めるにあたって、1節の前半を通して彼ら(イスラエル=エフライム)を、どの様な想いで、迎えたかを、語られるのです。
エフライムが失った(打ち捨てた)主なる神との蜜月の日々を思い出させるような、言葉ですね。
これは彼らがこの言葉によって、心を主に向かって翻させるものではありません。
むしろ、彼ら(エフライム)の犯してきた罪が如何に重く、取り返しがつかないほどのものかまた、主なる神が如何に深い悲しみと、悼みを味わい、彼らに下そうとする、裁きが、どれ程大きいかを、示唆するものと思われます。
11節の「エフライム、その栄光は鳥のように飛び去り・・・」
この言葉に続く一行一行は、当時始まっていた、近隣諸民族からの侵略、略奪、やがて起こる、アッシリアによる、捕囚による崩壊が、予告されているのです。
15節の「彼らのすべての悪はギルガルにある・・・・」
*《ギルガル》それは、イスラエルの民が荒野のさ迷いの果て、遂に《約束の》カナンの地に突入するにあたって、彼らの前に横たわったヨルダン川を、神はヨシュアによって、川を堰留まらせて、全ての民が渡り終えるにあたって、祭司に命じて、川底から部族の数に合わせて12の記念の石を取り出して、少し河岸から離れた所に積み上げ、主に犠牲の燔祭を捧げて、感謝し、永遠の記念の塚とした場所でした。
これは全能の神の、確かな存在を、後々の子孫に証しの石塚としての役割を果たすものでした。
ところが、国が分裂し、エフライムが、この石塚を、バアルの神への祭壇として、転用し始めたことから、いつのまにか、強力な偶像の記念の塚となってしまったのです。
それが、15節の「彼らのすべての悪はギルガルにある」と、語られたのです。
これらの厳しい神の裁きの御言葉は、最早引き返す事が出来ないまでに、語られるのですが・・・どうでしょうか(はてな)
神は完全にイスラエルを絶たれてはいないのです。
このイスラエル(12部族全てを含む)から、救い主をお与えになられました‼️
私達は、終末の神の怒りの前に、今一度、全ての国民の救いのため、祈り・証し・伝え、希望の光を届けたいです。

最後に一筆、リビングライフ誌の今日の《黙想エッセイ》の末尾を転写して、終えましょう。

神様から離れた人に対しイエス様は「罪の奴隷」と言われました。(ヨハネ:34)
神様から離れた瞬間、人は他の何かの奴隷となって支配されるため、罪の道へと引きずり込まれるしかないのです。イエス様はこの様な人たちに、『真理があなた方を自由にします。』(ヨハネ8:32)
と言っておられます。
 ホセア書9章1節~9節

9:1 イスラエルよ、喜ぶな。諸国の民のように楽しむな。あなたは自分の神に背いて姦淫したからだ。あなたはすべての麦打ち場で姦淫の報酬を愛した。
9:2 打ち場も踏み場も彼らを養わない。新しいぶどう酒も彼らを裏切る。
9:3 彼らは【主】の地に住むことはない。エフライムはエジプトに帰り、また、アッシリアで汚れた物を食べる。
9:4 彼らは【主】にぶどう酒を注がず、自分たちのいけにえで主を喜ばせない。彼らのパンは喪中のパンのようで、これを食べる者はみな身を汚す。彼らのパンは自分のためだけ。【主】の宮に持ち込むことはできない。
9:5 例祭の日、【主】の祭りの日に、あなたがたは何をするのか。
9:6 見よ。彼らが破壊を逃れても、エジプトが彼らを集め、メンフィスが彼らを葬る。彼らが慕う銀には、いらくさが、彼らの天幕には、あざみがはびこる。
9:7 刑罰の日が来た。報復の日が来た。イスラエルに知らせよ。預言者は愚か者、霊の人は気のふれた者だ。これは、あなたの大きな不義のゆえ、激しい敵意のゆえである。
9:8 エフライムの見張りは、私の神とともにいる。しかし預言者には、すべての道に罠が仕掛けられ、彼の神の家には憎しみがある。
9:9 彼らはギブアの日のように、心底まで堕落した。主は彼らの咎を心に留め、その罪を罰する。
 2024年10月11日(金)リビングライフQT

この様な、重い重いメッセージを語るホセアの思いを、ふと、考えたのです。エフライムと呼ばれるイスラエルに、主なる神と同じ憤りの思いで、これを伝えたのだろうか(はてな)
当時のイスラエルは、南にはエジプト、北東にはアッシリア帝国が迫り、やがて、彼らはアッシリアに滅ぼされ、アッシリアに捕囚となったのです。この様な、大国に挟まれた地にすむイスラエルは、今こそ、主なる神に信頼し、主により頼むのが、唯一の道だったのですが、
彼らの日々は最早、無味乾燥な異邦人の儀式に習った、まつりごとしかなく、《神により頼む》と言う、イスラエルにのみ与えられた、信仰のアイデンティティーは、全く影を潜めていたのです。
世俗化は、単に、習慣を忘れた・日々の信仰生活が分からなくなった・・・と言う程度ではなく、彼ら(イスラエル)の意識の中に、永遠の神への道へと身を翻すことすら、見失うほどの、外れた道にあったのです。あのエジプトから導き上られた民の栄光の輝きは、最早その薄日すら、射して来ないのです。
現代は、この様な古代の文化の中にある、豊かな実りを期待する他には何もない日々の中でさえ、その中で豊かな神の恵みより、偶像・他民族の祭り、習慣、文化が彼らの楽しみ、興味となって、全てのものの創造者の、豊かさよりも、心引かれたのです。
しかし、今の時代、あらゆる物が溢れ、先進的技術が、生活を豊かにはしましたが、純粋な、神への賛美と礼拝よりも、直ぐに実り(入手)に繋がる、楽しみ・感動・喜び・・・のために、時間も、経済も、心も、それらに吸い込まれ、つぎ込んではいないでしょうか?
聖徒達と共に礼拝し、賛美と御言葉の中、神の豊かな恵みに触れる時を、見失っていないでしょうか。
このような時代と、民の中にいて、ホセアの胸の悼み、主なる神の限りない悲しみを、私達は、見失ってはいけないです。
この現実こそ、私たちを祈りの座に進み出る、原動力としたいですね。
 ホセア書8章1節~14節
 

8:1 「あなたの口に角笛を当てよ。鷲のようなものが、【主】の宮の上にいる。彼らがわたしの契約を破り、わたしのおしえに背いたからだ。
8:2 彼らはわたしに向かって叫ぶ。『わが神よ、私たちイスラエルは、あなたを知っています』と。
8:3 イスラエルは善を退けた。敵は彼らに追い迫る。
8:4 彼らは王を立てたが、わたしによってではない。首長を立てたが、わたしは知らない。彼らは自分の銀や金で自分のために偶像を造った。ただ断ち切られるために。
8:5 サマリアよ、あなたの子牛は退けられる。わたしは彼らに向かって怒りを燃やす。いつになれば、彼らは罪のない者となれるのか。
8:6 それはイスラエルから出たもの。それは職人が造ったもので、神ではない。サマリアの子牛は粉々に砕かれる。
8:7 彼らは風を蒔いて、つむじ風を刈り取る。麦には穂が出ないので、麦粉を作れない。作れたとしても、他国人がこれを食い尽くす。
8:8 イスラエルは?み込まれた。今や、彼らは国々の間にあって、だれにも喜ばれない器のようになった。
8:9 彼らは、ひとりぼっちの野ろばで、アッシリアへ上って行った。エフライムは愛を求めて贈り物をした。
8:10 彼らが諸国の民に物を贈っても、今、わたしはそれらを集める。彼らは、王や首長への貢ぎによって間もなく汚されることになる。
8:11 エフライムは祭壇を増やして罪を犯すようになった。それらは彼にとって罪を犯すための祭壇となった。
8:12 わたしが彼のために、多くのおしえを書いても、彼らはこれを他国人のもののように見なす。
8:13 わたしへのささげ物のいけにえとして彼らが肉を献げて食べたとしても、【主】はこれを喜ばない。今、主は彼らの不義を覚え、その罪を罰する。彼らはエジプトに帰る。
8:14 イスラエルは自分の造り主を忘れ、神殿をいくつも建てた。ユダは、城壁のある町々を増し加えた。しかし、わたしはその町々に火を放つ。火はその宮殿を焼き尽くす。」
 2024年10月10日(木)リビングライフQT

預言者ホセアの、神の知恵とその御警告から語る内容は、余りにも堕落の極みに至った、エフライムの姿を、語り尽くしている。

2節に「わが神よ、私たちイスラエルは、あなたを知っています。」
何と言う、恥知らずで、傲慢な言葉でしょう。暗闇に吸い込まれて消えるような、おぞましいばかりの告白内容ではないでしょうか。
彼らはこの告白が、自らの信仰だと、思い込んでいるのです。
しばしば、今の時代の人々のなかに、「私も昔、洗礼を受けて、教会に通ってたんだ。懐かしい、清らかな時代だったなぁ」
それが…と、言いたくなるような、信仰を思い出にして、
信仰の“徳”を今に保持しているかのような想いに浸る方がいます。しかし、何と虚しい言葉と想いでしょう
まさに、エフライム(イスラエル)は、この様な概念(思い込み)のなかにありました。
神への礼拝だ❗と、偽りながら、そこでは、バアルへの犠牲が捧げられ、金銀を集めては、近隣の民の拝む偶像より更に勝る、輝く金銀を鋳造しては、自らの神として拝みながら、堕落へと、転がり落ちていく姿をホセアは、11節で「それらは彼にとって罪を犯すための祭壇となった」と、糾弾し・・・
13節で・・・今、主は彼らの不義を覚え、その罪を罰する。
彼らはエジプトに帰る。
14節には・・・イスラエルは自分の創り主を忘れ、神殿をいくつも建てた。
ユダは、城壁のある町々を増し加えた。
しかし、わたし(神)はその町々に火を放つ。火はその宮殿を焼き尽くす。
どんなに、祭りを行っても、強い砦に守られた町を構築しても、
創造主である神の前にひれ伏す、心の貧しい砕かれた僕でなければ、誰が神の前に、立ち仰せましょう
昨今の、偉大な伝道者、奇跡の器、膨大な会衆を擁する大教会の指導者、長い信仰歴の中に、誇らしく身を置く信者が、神の国を建て挙げるのではないのです。
主(神)の臨在の前に平伏し『わが主よ❗我が神よ‼️』と主の御名を呼び、主の御言葉に生きるあなた・・・‼️を、主は求めておられるのです。
リバイバルは、偉大な霊的指導者がいて、始まるのではないのです。悔い砕かれた祈りの器(聖徒)が、積み重なり祈りの輪が拡がって、大いなる神の業が燃えるのです。
神の前に畏れおののいて、平伏し、立ち上がり従う聖徒から、新しい神の御業が始まるのです‼️
今日も、その様なあなたを、主は求めておられます‼️
 ホセア書7章1節~16節
 
7:1 「わたしがイスラエルを癒やすとき、エフライムの咎、サマリアの悪はあらわになる。彼らが偽りを行い、盗人が押し入り、外では略奪隊が襲うからだ。
7:2 しかし、彼らは考えもしない。わたしが彼らのすべての悪を覚えていることを。今、彼らの悪行は彼らを取り囲んで、わたしの面前にある。
7:3 彼らは悪事によって王を、偽りによって首長たちを喜ばせる。
7:4 彼らはみな姦通する者。パンを焼くときの燃えるかまどのようだ。生地がこねられてから、ふくらむまでは、燃え立つことをやめている。
7:5 われわれの王の日に、首長たちは酒の熱で気分が悪くなり、王は嘲る者たちと手を握る。
7:6 彼らは心をかまどのようにして、陰謀を企てる。夜通し、パンを焼く者は眠るが、朝になると、かまどは燃え立つ火のように燃えるのだ。
7:7 彼らはみな、かまどのように熱くなって、自分をさばく者たちを食い尽くす。自分の王たちもみな倒れる。彼らのうちだれ一人、わたしを呼び求める者はいない。
7:8 エフライムは、もろもろの民の中に混じり込む。エフライムは、片面しか焼けていないパンだ。
7:9 他国人が彼の力を食い尽くしても、彼はそれに気づかない。白髪が生えても、彼はそれに気づかない。
7:10 イスラエルの高慢はその顔に表れている。彼らは、自分たちの神、【主】に立ち返らず、このすべてがあっても、主を尋ね求めない。
7:11 エフライムは愚かな鳩のようで、良識がない。エジプトを呼び求め、アッシリアに飛んで行く。
7:12 彼らが赴くとき、わたしは彼らの上に網を張り、空の鳥のように彼らを引き降ろす。彼らの群れの音を聞くとき、わたしは彼らを懲らしめる。
7:13 わざわいだ、彼らは。わたしから離れ去ったのだから。彼らは、踏みにじられるがよい。わたしに背いたのだから。わたしが贖い出そうとしているのに、彼らはわたしに向かってまやかしを言う。
7:14 心からわたしに向かって叫ばずに、自分たちの床の上で泣きわめいている。穀物と新しいぶどう酒のためには群がって来る。しかし、わたしからは離れて行く。
7:15 わたしが訓戒し、彼らの腕を強くしたのに、このわたしに対して悪事を企む。
7:16 彼らはいと高き方に立ち返らない。彼らは欺きの弓のようだ。彼らの首長たちは、ののしったために剣に倒れる。これはエジプトの地で、嘲りのもととなる。」
 2024年10月9日(水)リビングライフQT

改めて、考えさせられるのです。主なる神はどうして、こんなにまで、いい加減な振舞いに走るイスラエルの民に対し、厳しく、彼らの罪・反抗・高慢・離反・・・に対して、厳しく責められるのでしょう。
今日のテキストの中に
*1節~わたしがイスラエルを癒すとき・・・
*13節~わたしが贖い出そうとしているのに・・・
*15節~わたしが訓戒し、彼らの腕を強くしたのに・・・と、
主なる神の悲しいばかりの、民に差し伸ばした御手を、イスラエルの民が、その度に振り払い、無視し、そっぽを向いて地域の神々に走った・・・のです。
創造主なる神が彼らを創り、選び、導かれて、世界の全ての民に、ご自身を知らせる民として選び、聖別し、用いて来られたのに‼️
誰か他の民がこの様にまで神に愛され、赦され、導かれた民があるでしょうか‼️
ふと、ここで同じ様に今在る自らを、思い巡らすと、神の選びは同じ様にあなたに、私に向けられてきたのです。これ等のイスラエルに語りかけられた言葉の一つ一つは、私達一人ひとりに向けても語られているのです。
終わりの時代の教会に・私に・向けられるこの呻くような主なる神の悲しみの、裁きの御言葉は、神の愛と慈しみから流れ出る、御警告として、響いてくるのです。
これは後がない審判の言葉ではなく、罪人(主なる神に無関心・反抗・自らを見失った・傷だらけ)の私達に対する、切々たる呼び掛けに聴こえてきます‼️
冒頭に・・・
イスラエルを癒すとき‼️
と、語りかけたのは、愛をもって包もうと主が立ち上がられた時、依然として、主なる神に背を向ける、民の激しく、悔い改めない姿ばかりが、消えない記録として、沸き上がると言うのです。
悔い改めのない姿が、如何に、主なる神の御心を悲しみへと到らせるか
主よ、御赦し下さい‼️と、心痛みながら、自ら祈り、執り成す者として、祈りの座につきましょう。
 ホセア書6章1節~11節
 
6:1 さあ、【主】に立ち返ろう。主は私たちを引き裂いたが、また、癒やし、私たちを打ったが、包んでくださるからだ。
6:2 主は二日の後に私たちを生き返らせ、三日目に立ち上がらせてくださる。私たちは御前に生きる。
6:3 私たちは知ろう。【主】を知ることを切に追い求めよう。主は暁のように確かに現れ、大雨のように私たちのところに来られる。地を潤す、後の雨のように。
6:4 「エフライムよ、わたしはあなたに何をしようか。ユダよ、わたしはあなたに何をしようか。あなたがたの真実の愛は朝もやのよう、朝早く消え去る露のようだ。
6:5 それゆえ、わたしは預言者たちによって彼らを切り倒し、わたしの口のことばで彼らを殺す。あなたへのさばきが、光のように出て行く。
6:6 わたしが喜びとするのは真実の愛。いけにえではない。全焼のささげ物よりむしろ、神を知ることである。
6:7 ところが、彼らはアダムのように契約を破り、そこでわたしを裏切った。
6:8 ギルアデは不法を行う者の町、血の足跡に満ちている。
6:9 盗賊が人を待ち伏せするように、祭司たちは徒党を組み、シェケムへの道で人を殺す。彼らは実に淫らなことを行う。
6:10 イスラエルの家にわたしはおぞましいことを見た。エフライムはそこで姦淫をし、イスラエルは汚れてしまった。
6:11 ユダよ、あなたにも刈り入れが定まっている。わたしが、わたしの民を元どおりにするときに。」
 2024年10月8日(火)リビングライフQT

今朝のテキストを読む時、その一言一言が魂に迫ってきます。
2節は、十字架の上に、イエス様と伴に、死を受けた私達が、主の甦りと共に、三日目に永遠の命に甦る‼️と言う、素晴らしい永遠への救いの預言ですね。
今日は、この一言を魂に刻みましょう
*6:3『私たちは知ろう。主を知ることを切に追い求めよう‼️』✨✨✨
今の時代、余りにも溢れる情報に振り回され、永遠の命に至る道標である《主を知る‼️》と言う、この一時を、失いがちではないでしょうか…
私達は《イエス様》を、どれ程知っているだろうか(はてな)
このお方の《声・眼差し・涙・喜び・御力・御怒り・慰め・語りかけを・・)
もっと知りたい、経験したい、見つめられたい‼️
私を、あなたを生かすのは、このお方以外にはありません‼️
コーラス賛美に‼️
私たちは知ろう
主を知ることを切に追い求め
主は暁の光のように・・・
確かに現れる‼️
と歌って来ましたが、
文字通り、求め続けましょう
エフライム(北王朝=イスラエル王国)への、厳しい裁き(審判)を、語る主のお心の痛みは如何ばかりだったでしょう。
そのことを思うと、胸が痛みます。それはエフライムが、悔いて立ち返ることを願う主なる神の、切々たる御言葉なのです。
裁きが確実視される御言葉の中から、ユダ(エルサレムを中心としたダビデ王国)への、漫然とした、無反省に対しても、刈り取り(裁き)の時があることを、語っています。
神の裁き、審判は、凡ての者に及び、その裁きを免れる事の出来る者は誰一人としていないのです。
主よ あなたの祝福と繁栄を、この地に還してください‼️
今のイスラエルが、自らを見失う前に主の御手に取り戻してください‼️ 主よ❗主よ‼️
 ホセア書5章1節~15節 

5:1 「祭司たちよ、これを聞け。イスラエルの家よ、心せよ。王の家よ、耳を傾けよ。あなたがたにさばきが下る。あなたがたはミツパで罠となり、タボルの上に張られた網となったからだ。
5:2 曲がった者たちは殺戮を極めた。しかし、わたしは彼らすべてを懲らしめる。
5:3 わたしはエフライムをよく知っている。イスラエルはわたしに隠されていない。今や、エフライムよ、あなたは姦淫をし、イスラエルは汚れてしまった。
5:4 彼らは、自分の悪行を捨てて自分の神に帰ろうとしない。姦淫の霊が彼らのうちにあり、彼らが【主】を知らないからだ。
5:5 イスラエルの高慢はその顔に表れている。イスラエルとエフライムは、自分の不義につまずき、ユダも彼らとともにつまずく。
5:6 彼らは羊の群れ、牛の群れを連れて行き、【主】を尋ね求めるが、見つけることはない。主が彼らから離れ去ったのだ。
5:7 彼らは【主】を裏切り、他国人の子を生んだ。今や、新月の祭りが彼らとその地所を食い尽くす。
5:8 ギブアで角笛を、ラマでラッパを吹き鳴らせ。ベテ・アベンでときの声をあげよ。ベニヤミンよ、うしろを警戒せよ。
5:9 エフライムは懲らしめの日に、恐怖のもととなる。わたしはイスラエルの諸部族に、確かに起こることを知らせる。
5:10 ユダの首長たちは、地境を移す者のようになった。わたしは彼らの上に激しい怒りを水のように注ぐ。
5:11 エフライムは虐げられ、さばかれて打ち砕かれる。彼が自ら進んで人の決め事に従って歩んだからだ。
5:12 わたしはエフライムにはシミのようになり、ユダの家には腐れのようになる。
5:13 エフライムは自分の病を見た。ユダは自分の腫れものを。エフライムはアッシリアに行き、大王に人を遣わした。しかし、彼はあなたがたを癒やすことができず、あなたがたの腫れものも治せない。
5:14 わたしが、エフライムには獅子のようになり、ユダの家には若い獅子のようになるからだ。わたし、このわたしが引き裂いて歩き、さらって行くが、助け出す者はだれもいない。
5:15 わたしは自分のところに戻っていよう。彼らが罰を受け、わたしの顔を慕い求めるまで。彼らは苦しみながら、わたしを捜し求める。」
 2024年10月7日(月)リビングライフQT

御早う御座います‼️
一週間お休みをして、ご心配お掛けしました。
お祈りを感謝致します‼️
術後は、未だ入院の疲れと、眼の養生で、不安定な事もありますが、”見える“事に関しては、手術された諸先輩のご感想が、《なるほど》と、実感できて感動しています。私は特殊な眼の不調があり眼鏡を新しくしなければならず、完全に安定するには後1ヶ月かかります。
でも、今は以前と違い聖書も、新聞も読めるようになりました。
今日から、途中参加ですが、宜しく

さて、ホセア書は、大変難しい(はてな)書ですが、私たちの信仰生活に非常に厳しい、語り掛けとなる、内容です。それを、イスラエル王国(ユダ王国も含めて)の、神への反抗と、世俗(偶像信仰)への、堕落への警告の預言文書です。
この書簡に《姦淫》と言う言葉が使われていますが、これは、イスラエル(神に選ばれ愛されてきた)と神との、蜜月関係に対して、イスラエルが神ならぬ神(偶像)へと心を向ける、反逆を意味しています。
神は、この様なイスラエルの民に対して、深い悲しみと嘆きの思いを持って民に語り掛けたのが、このホセア書です。その語りかけの器として、預言者“ホセア”を選ばれ、そのホセアに、神ご自身の心の痛みを知らせ、ご自身と一体となって、語り掛けるため、ホセアに、姦淫の女《ゴメル》を娶る様に命じられ、更になお、彼女がホセアの手をすり抜けて、別な男性の子を生んでも、彼女と、ホセアの子でもない子を、受け入れることを、命じられたのです。
その子達に与えられた名前は、イスラエルにこれから起こる事を、予告する、名前を付けさせたのです。
ホセアの悲しみと、苦しみはいかばかりだったでしょう。ホセアはこうして、神の内にある悲しみと苦しみを、神と共に、味わいながら、語り掛けてきたのです。
今日の箇所には、《エフライム》と言う名前が出てきますが、この名前は、イスラエルの12氏族の名前の一つで、ヨセフの二人の息子(エフライム・マナセ)が、後を継ぎ、レビ族が、祭司の役割(モーセ・アロンの子孫)を受けて、12氏族のリストから外れたので、このヨセフの子が、加えられたのです。
その、エフライムの所領は、ソロモン後の分裂で、尤もエルサレムに近い所領に、北王朝を立てたのです。この地方は、カナンの地(パレスチナ)で最も肥沃な大平原の広がる、
イズレエルの地とも呼ばれています。
同時に、この地方は、その様な農業の盛んな地ゆえに、先住民の、バアル信仰始め、多くの農業神の《豊穣の神》信仰が盛んで、イスラエルは、この偶像に身を任せてしまったのです。
その様な、イスラエルの民の、腐敗して救い様のない姿を憂いながらの、主のうめきが、15節に切々と語られています。
胸の痛む、お言葉ですね
私たちは今の回りの人々の姿(豊かで、華やかで、満たされている様に見える)の中に、正に神の呻きが注がれといることを、忘れてはならないのです。ホセアの痛みが・・・
  ホセア書4章11節~19節 
 
4:11 ぶどう酒、新しいぶどう酒は良識を失わせる。
4:12 わたしの民は木に伺いを立て、棒が彼らに事を告げる。これは、姦淫の霊が彼らを迷わせ、彼らが自分の神のもとを離れて、姦淫したからだ。
4:13 彼らは山々の頂でいけにえを献げ、丘の上で犠牲を供える。樫の木、ポプラ、テレビンの木の下で。その木陰が心地よいからだ。それで、あなたがたの娘は淫行をし、あなたがたの嫁は姦通をする。
4:14 わたしは、あなたがたの娘が姦淫をしても、あなたがたの嫁が姦通をしても、罰しない。男たちは遊女とともに離れ去り、神殿娼婦とともにいけにえを献げている。悟ることのない民は滅びに落ちる。
4:15 イスラエルよ。あなたが淫行をしても、ユダを咎ある者にさせてはならない。ギルガルに行ってはならない。ベテ・アベンに上ってはならない。『【主】は生きておられる』と誓ってはならない。
4:16 まことに、頑なな雌牛のようにイスラエルは頑迷だ。今、【主】は彼らを広いところにいる子羊のように養うだろうか。
4:17 エフライムは偶像にくみしている。そのなすに任せるがよい。
4:18 彼らは酒を飲んでは、淫行にふけり、淫らなふるまいで恥を愛してやまない。
4:19 風はその翼で彼らを巻き込む。彼らは自分たちのいけにえのゆえに恥を見る。」
 2024年10月6日(日)リビングライフQT


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  ホセア書4章1節~10節 
 
4:1 イスラエルの子らよ、【主】のことばを聞け。【主】はこの地に住む者を訴えられる。この地には真実もなく、誠実さもなく、神を知ることもないからだ。
4:2 呪いと、欺きと、人殺しと、盗みと、姦通がはびこり、流血に流血が続いている。
4:3 それゆえ、この地は喪に服し、そこに住む者はみな、野の獣、空の鳥とともに衰え果て、海の魚さえも一掃される。
4:4 「だれも口論してはならない。だれも人を責めてはならない。あなたの民は、祭司と口論する者のようだ。
4:5 あなたは昼つまずき、預言者も、あなたとともに夜つまずく。わたしはあなたの母を滅ぼす。
4:6 わたしの民は知識がないので滅ぼされる。あなたが知識を退けたので、わたしもあなたを退け、わたしの祭司としない。あなたがあなたの神のおしえを忘れたので、わたしもまた、あなたの子らを忘れる。
4:7 彼らは増えるにしたがって、ますますわたしに罪を犯した。わたしは彼らの栄光を恥に変える。
4:8 彼らは、わたしの民の罪のきよめのささげ物を貪り食い、民の咎に望みをかけている。
4:9 民も祭司も同じようになる。わたしはその生き方のゆえに彼らを罰し、その行いのゆえに彼らに報復する。
4:10 彼らは食べても満たされず、姦淫しても増えることはない。彼らが【主】を捨てて、姦淫を続けるからだ。
 2024年10月5日(土)リビングライフQT

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   ホセア書3章1節~5節 

3:1 【主】は私に言われた。「再び行って、夫に愛されていながら姦通している女を愛しなさい。ちょうど、ほかの神々の方を向いて干しぶどうの菓子を愛しているイスラエルの子らを、【主】が愛しているように。」
3:2 それで私は、銀十五シェケルと、大麦一ホメルと大麦一レテクで彼女を買い取り、
3:3 彼女に言った。「これから長く、私のところにとどまりなさい。もう姦淫をしたり、ほかの男と通じたりしてはいけない。私も、あなたにとどまろう。」
3:4 これは、イスラエルの子らが、これから長く、王もなく、首長もなく、いけにえも石の柱もないところに、エポデもテラフィムもないところにとどまるからだ。
3:5 その後で、イスラエルの子らは帰って来て、自分たちの神である【主】と、自分たちの王ダビデを尋ね求める。そして終わりの日には、【主】とそのすばらしさにおののく。
 2024年10月4日(金)リビングライフQT

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  ホセア書2章14節~23節 
 
2:14 それゆえ、見よ、わたしは彼女を誘い、荒野に連れて行って優しく彼女に語ろう。
2:15 わたしはそこを彼女のためにぶどう畑にし、アコルの谷を望みの門とする。その場所で彼女は答える。若いころのように、エジプトの地から上って来たときのように。
2:16 その日になると──【主】のことば──あなたはわたしを『私の夫』と呼び、もう『私のバアル』とは呼ばない。
2:17 わたしがもろもろのバアルの名を彼女の口から取り除く。その名はもう覚えられることはない。
2:18 その日、わたしは彼らのために、野の獣、空の鳥、地面を這うものと契約を結ぶ。わたしは弓と剣と戦いを地から絶やし、彼らを安らかに休ませる。
2:19 わたしは永遠に、あなたと契りを結ぶ。義とさばきと、恵みとあわれみをもって、あなたと契りを結ぶ。
2:20 真実をもって、あなたと契りを結ぶ。このとき、あなたは【主】を知る。
2:21 その日、わたしは応えて言う。──【主】のことば──わたしは天に応え、天は地に応え、
2:22 地は、穀物と新しいぶどう酒と油に応え、それらはイズレエルに応える。
2:23 わたしは、わたしのために地に彼女を蒔き、あわれまれない者をあわれむ。わたしは、わたしの民ではない者に『あなたはわたしの民』と言い、彼は『あなたは私の神』と応える。」
 2024年10月3日(木)リビングライフQT

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  ホセア書2章2節~13節 

2:2 「問いただせ。あなたがたの母を問いただせ。彼女はわたしの妻ではなく、わたしは彼女の夫ではないから。その顔から淫行を、その乳房の間から姦淫を取り除け。
2:3 そうでなければ、わたしは彼女の衣をはぎ取って裸にし、生まれた日のようにして彼女をさらし、荒野のようにし、砂漠の地のようにして、渇きで彼女を死なせる。
2:4 彼女の子らを、わたしはあわれまない。彼らは姦淫の子らだから。
2:5 彼らの母は姦淫を行い、彼らをはらんで恥をさらした。彼女は言ったものだ。『私の愛人たちの後について行こう。彼らはパンと水、羊毛と麻、油と飲み物をくれる』と。
2:6 それゆえ、わたしは茨で彼女の道に垣根を巡らし、彼女が通い路を見つけないように石垣を積む。
2:7 彼女は愛人たちの後を追っても、追いつけない。彼らを捜し求めても、見つけられない。彼女は言う。 『私は初めの夫のところに戻ろう。あのころは今よりも幸せだったから』と。
2:8 しかし彼女は知らない。このわたしが、穀物と新しいぶどう酒と油を彼女に与えたのを。わたしが銀と金を多く与えると、彼らはそれをバアルに造り上げたのだ。
2:9 それゆえ、わたしはその時になれば、わたしの穀物を取り返す。その時期になれば、わたしの新しいぶどう酒を。また、彼女の裸をおおっているわたしの羊毛と麻をはぎ取る。
2:10 今、わたしは彼女の恥を、愛人たちの目の前で暴く。彼女をわたしの手から救い出せる者はいない。
2:11 わたしは彼女のすべての喜びを、祭り、新月祭、安息日、すべての例祭を終わらせる。
2:12 『これは、愛人たちが払ってくれた私への報酬』と彼女が言った、あのぶどうの木といちじくの木を荒れすたらせる。わたしはこれを林に変えて、野の獣が貪り食うようにする。
2:13 彼女がバアルの神々に仕えた日々のゆえに、わたしは彼女を罰する。彼女はバアルの神々に香をたき、耳輪や飾りを付けて愛人たちの後について行き、このわたしを忘れた。──【主】のことば。
 2024年10月2日(水)リビングライフQT

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  ホセア書1章1節~2章1節 

1:1 ユダの王ウジヤ、ヨタム、アハズ、ヒゼキヤの時代、イスラエルの王、ヨアシュの子ヤロブアムの時代に、ベエリの子ホセアにあった【主】のことば。
1:2 【主】がホセアに語られたことのはじめ。【主】はホセアに言われた。「行って、姦淫の女と姦淫の子らを引き取れ。この国は【主】に背を向け、淫行にふけっているからだ。」
1:3 彼は行って、ディブライムの娘ゴメルを妻とした。彼女は身ごもって、彼に男の子を産んだ。
1:4 【主】は彼に言われた。「その子をイズレエルと名づけよ。しばらくすれば、わたしがイズレエルでの流血のゆえにエフーの家を罰し、イスラエルの家の王国を終わらせるからだ。
1:5 その日、わたしはイズレエルの平原で、イスラエルの弓を折る。」
1:6 ゴメルはまた身ごもって、女の子を産んだ。主は彼に言われた。「その子をロ・ルハマと名づけよ。わたしはもう二度とイスラエルの家をあわれむことはなく、決して彼らを赦さないからだ。
1:7 しかし、わたしはユダの家をあわれみ、彼らの神、【主】として、彼らを救う。ただし、弓、剣、戦い、あるいは馬、騎兵によって救うのではない。」
1:8 彼女はロ・ルハマを乳離れさせると、身ごもって男の子を産んだ。
1:9 主は言われた。「その子をロ・アンミと名づけよ。あなたがたはわたしの民ではなく、わたしはあなたがたの神ではないからだ。」
1:10 イスラエルの子らの数は、量ることも数えることもできない海の砂のようになる。「あなたがたはわたしの民ではない」と言われたその場所で、彼らは「生ける神の子ら」と言われる。
1:11 ユダの人々とイスラエルの人々は一つに集められ、一人のかしらを立ててその地から上って来る。まことに、イズレエルの日は大いなるものとなる。

2:1 言え。あなたがたの兄弟には、「わたしの民」と。あなたがたの姉妹には、「あわれまれる者」と。
  2024年10月1日(火)リビングライフQT

ダビデ王国が、ソロモン時代から堕落の一途を辿り、最悪の極みにあった時代に、神に立てられた預言者の悲壮な切々たる声
初めの語り出しから、ショックな内容です。
聖なるお方が、何故この様な、難題(お勧めになるはずもない)を、何故ホセアに、強要されたのだろうか。
古代社会では、結婚と言うものが、今の時代に考えられているような、《愛》の終着点❗と言うものではなく、政略的、家系的、取引のような、単なる快楽として・・・行われる古代社会の中で、
神がある時、ご自身が選ばれた聖徒に、想像もつかない使命を託されたのです。
今の時代のクリスチャンの目にも、顔を背けたくなるような、神からの命令なのです。神の人にとっては、内容の如何にかかわらず、神の命令は、人が良し悪しをつけるものでない‼️ことを一番知っているホセアだったのです。
ホセアは、主なる神が命じられた通りに、行動しました。
“不貞の限りを続けている女性を、受け入れなさい・結婚しなさいと言われたのです。ホセアは、どんな思いで、彼女を受け入れ、生活を始めたのでしょう。この様な苦渋の生活の中から三人の子が与えられたのです。
①イズレエル~これはパレスティナの中央の肥沃な平原で、この地が、やがて、イスラエルの神への反抗のゆえに、血に染まった敗北の地となる‼️と、神は語られる。
呪われたような名前です。
②二番目の子の名前は=ロ・ルハマ~《憐れまれぬ者》・・・なんと言う名前、神が最早、イスラエルを憐れまないと言う、預言的宣言なのです。
③三番目の子の名前は=ロ・アンミ~《我が民でない者》・・・神の徹底した、イスラエルへの裁きの予告なのです。
正に、この後、短期間のうちにアッシリアにより、北王朝イスラエルは、壊滅し、殆どの国民が北のアッシリア大帝国に捕囚とされ、未だに彼らは流浪の民として、散り散りになっていたのです。
ところが、2章1節に続く言葉は・・・イスラエルは海の砂のようになり、《我が民でない者》と言われたにも関わらず、《生ける神の子ら》と、言われるようになる。
何と謎めいた神のお言葉でしょう。
ホセア書を通して神が何を語られるのか、叉、現代の私達に、何を求められているのか(はてな)、
祈りと期待をもって、読み進んで参りましょう。
 
明日からの分は、手術後となりますので、御休みさせていただきます。
再開は順調であれば、 
10月7日以降とさせて頂きます‼️