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力丸嗣夫師 リビングライフ LINE
          (新改訳聖書2017)
    

北九州シオン教会

 ヨハネ黙示録  6章1節~17節

6:1 また私は、子羊が七つの封印の一つを解くのを見た。そして、四つの生き物の一つが、雷のような声で「来なさい」と言うのを聞いた。
6:2 私は見た。すると見よ、白い馬がいた。それに乗っている者は弓を持っていた。彼は冠を与えられ、勝利の上にさらに勝利を得るために出て行った。
6:3 子羊が第二の封印を解いたとき、私は、第二の生き物が「来なさい」と言うのを聞いた。
6:4 すると別の、火のように赤い馬が出て来た。それに乗っている者は、地から平和を奪い取ることが許された。人々が互いに殺し合うようになるためである。また、彼に大きな剣が与えられた。
6:5 子羊が第三の封印を解いたとき、私は、第三の生き物が「来なさい」と言うのを聞いた。私は見た。すると見よ、黒い馬がいた。これに乗っている者は秤を手に持っていた。
6:6 私は、一つの声のようなものが、四つの生き物の真ん中でこう言うのを聞いた。「小麦一コイニクスが一デナリ。大麦三コイニクスが一デナリ。オリーブ油とぶどう酒に害を与えてはいけない。」
6:7 子羊が第四の封印を解いたとき、私は、第四の生き物の声が「来なさい」と言うのを聞いた。
6:8 私は見た。すると見よ、青ざめた馬がいた。これに乗っている者の名は「死」で、よみがそれに従っていた。彼らに、地上の四分の一を支配して、剣と飢饉と死病と地の獣によって殺す権威が与えられた。
6:9 子羊が第五の封印を解いたとき、私は、神のことばと、自分たちが立てた証しのゆえに殺された者たちのたましいが、祭壇の下にいるのを見た。
6:10 彼らは大声で叫んだ。「聖なるまことの主よ。いつまでさばきを行わず、地に住む者たちに私たちの血の復讐をなさらないのですか。」
6:11 すると、彼ら一人ひとりに白い衣が与えられた。そして、彼らのしもべ仲間で、彼らと同じように殺されようとしている兄弟たちの数が満ちるまで、もうしばらくの間、休んでいるように言い渡された。
6:12 また私は見た。子羊が第六の封印を解いたとき、大きな地震が起こった。太陽は毛織りの粗布のように黒くなり、月の全面が血のようになった。
6:13 そして天の星が地上に落ちた。それは、いちじくが大風に揺さぶられて、青い実を落とすようであった。
6:14 天は、巻物が巻かれるように消えてなくなり、すべての山と島は、かつてあった場所から移された。
6:15 地の王たち、高官たち、千人隊長たち、金持ちたち、力ある者たち、すべての奴隷と自由人が、洞穴と山の岩間に身を隠した。
6:16 そして、山々や岩に向かって言った。「私たちの上に崩れ落ちて、御座に着いておられる方の御顔と、子羊の御怒りから私たちを隠してくれ。
6:17 神と子羊の御怒りの、大いなる日が来たからだ。だれがそれに耐えられよう。」
 2024年11月30日(土)リビングライフQT

いよいよ、七つの封印を解く‼️
封印を解くのは、全ての(宇宙・始め全ての秘蔵物世界)創造者なる神と、
その全てを委ねられた御子なる神(贖罪主となられた)イエス・キリスト様が、お造りになられた全てのものを、完成されるための最後の御業(終末と完成)に、着手される厳粛な展開なのです‼️
最初の巻物の封印が解かれました。
第一~第四の封印で、4頭の馬が登場しますが、これは、終わりの時代(即ち、創造主なる神が、全ての終わりを始めるための時の流れのなかで表される象徴的な、出来事)を表してしているのではないだろうか?
①白い馬~勝利の上に更に勝利を得る‼️と記されている。
多くの解釈者は、白は勝利の印だが、終末の時は、サタンが終わりの近いことを知って、激しい霊的な戦いを、神の陣営に向けて仕掛けて、勝利する事が出来る患難の時代を表している・・・と解釈しています。
しかし、ある解釈は、白い馬は、正にイエス・キリストの旗印で、終わりの時代に顕される、神の国(教会)の大収穫の勝利の時‼️を、示唆していると・・・私達はこの収穫のために、福音の戦いを、戦い抜かねばならない‼️と解釈するのです。どちらを取りますか⁉️
何れであっても、福音のための戦いは同じです。
何もせずにリバイバルが来る‼️・・等と楽観的な夢に流れないようにしましょう。
②第二の馬は、《火のように赤い馬》と記されているように、人間のお互いの愛と信頼が冷えて、平和が崩れ、疑心暗鬼・傷付け合い、殺害・分断・・最早説明と例証が要らないほど、現実化した今を、思いますね
この様な愛が失われた姿を“赤い=血”として表しているのでは?
③第三の封印から現れた馬は、“黒い馬”・・6節に展開する、現実化した食料の暴騰を表しています。最早生きていけないほどの・・それは、飢饉です。地球規模の不作です。今や、予測不可能でない近未来が見えて来そうですね
④第四の封印は、青ざめた馬・・・恐るべし、《死=剣(戦争)・飢饉・死と黄泉》が全地の四分の一を被う

⑤第五の封印を解く
殉教した、数知れない聖徒達の霊が・・・
彼らの悲しみ、魂の苦しむ声があがり、それに応えて、更に殉教者の満ちる時まで(最後の宣教の働きが展開されるのです。)
《11節→休んでいるように言い渡された=神の時に委ねて、完成される日を待ち望む・・・と言うことですね》
⑥第六の封印が解かれた‼️
⚡天地の崩壊⚡全ての創られたものが、次々と、残された不従順な者達の上に、生きたまま崩れ落ちる様は、正に、終わりの日の始まりなのです
ヨハネのメッセージは、現実味をもって、語られ、今日まで展開してきました。
主を待ち望む者は、御手のなかに守られて、この終わりの時には遭遇しない約束にあるのですから、ただただ、魂の痛みをもって、人々の救い《福音の受け入れ》のために涙して祈り続けましょう‼️
自らの救いの確信に立って‼️
ハレルヤ ハレルヤ‼️
 ヨハネ黙示録  5章8節~14節

5:8 巻物を受け取ったとき、四つの生き物と二十四人の長老たちは子羊の前にひれ伏した。彼らはそれぞれ、竪琴と、香に満ちた金の鉢を持っていた。香は聖徒たちの祈りであった。
5:9 彼らは新しい歌を歌った。「あなたは、巻物を受け取り、封印を解くのにふさわしい方です。あなたは屠られて、すべての部族、言語、民族、国民の中から、あなたの血によって人々を神のために贖い、
5:10 私たちの神のために、彼らを王国とし、祭司とされました。彼らは地を治めるのです。」
5:11 また私は見た。そして御座と生き物と長老たちの周りに、多くの御使いたちの声を聞いた。その数は万の数万倍、千の数千倍であった。
5:12 彼らは大声で言った。「屠られた子羊は、力と富と知恵と勢いと誉れと栄光と賛美を受けるにふさわしい方です。」
5:13 また私は、天と地と地の下と海にいるすべての造られたもの、それらの中にあるすべてのものがこう言うのを聞いた。「御座に着いておられる方と子羊に、賛美と誉れと栄光と力が世々限りなくあるように。」
5:14 すると、四つの生き物は「アーメン」と言い、長老たちはひれ伏して礼拝した。
 2024年11月29日(金)リビングライフQT

天の御座の前の、礼拝と賛美‼️何と素晴らしい光景でしょう。私がどんなに、想像を膨らませても、及びもつかない深さ・広大さ・輝き・麗しさ・・・
経験の中から拡げた想像映像、どんなに多く深く広かろうと、所詮、罪に沈んだ人間の理想が作り出す、世界観です。
ヨハネは自ら見ている、眼前に展開する、人の知らなかった、音・色彩・輝き・荘厳さ・魂(五感ではない)を圧倒する周りの雰囲気・・・
ヨハネは、それを伝えよ(残そう)うと、言葉・思い・感情を駆使して、語っていますが、それとても、制約されたこの世の言葉と、情景と色と形と姿を用いているのです。
そう思うと、黙示録を読むときには、ヨハネの言葉(聖書)をそのまま読みながら、祈りつつ‼️主を仰ぎ、御霊の感動を求めながら、読み進んでは立ち止まり、又読み直し黙想しては、想像の世界に踏み込みながら、天の声(黙示録の記録にある)に耳を傾けてみましょう
御座の前に仕える24人の長老たちと四つの不思議な霊の生き物とが、こぞって御子なる神を誉め称える‼️(9節~10節)封印を解こうと、御前に立つ御子を
*十字架の血によって人々を贖い
*その人々を神の国とし、
*祭司として永遠に神に仕えるものとされた。
*こうして、彼ら(贖われた人々)は、神の創られた世界(地)を治める。
更に続いてヨハネは、無数(千の幾千倍、万の幾万倍)の御使いの声(賛美❓・歓声❓)
これらの御使いは、これまでの神の創造の歴史の中で、神に仕えて、送り出され、人の世界・自然界・天の果てまで、神の導きのままに今日までも世界を支え、導き、守ってきたのです。
その天使の大群勢が、子羊なる御子を、賛美するのです。
私たちがイエス様‼️と、親しく呼びかけ又、祈りに聞き、お励まし下さった・・・あの御方を…千々万々の御使いが、その御方を賛美している‼️
改めて、私たちはこの姿・様子・状況を想像して観るに及んで、このように尊い御方が、私達の直ぐ側に居まして、御声をかけ、御交わり頂いている。
あぁ❗我が主よ‼️
     我が神よ‼️
更に、天と地と全ての創られたものが‼️
《永遠の神と、
   御子なる神に
賛美と誉れと
   栄光と力が
 代々限りなく
    あるように》
 アーメン アーメン
今私たちは、黙示録を通して、
読みながら、あなたは・私は、この天の大聖会に座しているのです‼️
主よ感謝します。
朝に、このような恵みに包まれた中から、新たに、世に送り出されるとは·・・・✨✨✨✨
   ハレルヤ‼️
 ヨハネ黙示録  5章1節~7節

5:1 また私は、御座に着いておられる方の右の手に巻物を見た。それは内側にも外側にも字が書かれていて、七つの封印で封じられていた。
5:2 また私は、一人の強い御使いが「巻物を開き、封印を解くのにふさわしい者はだれか」と大声で告げているのを見た。
5:3 しかし、天でも地でも地の下でも、だれ一人その巻物を開くことのできる者、見ることのできる者はいなかった。
5:4 私は激しく泣いた。その巻物を開くにも、見るにも、ふさわしい者がだれも見つからなかったからである。
5:5 すると、長老の一人が私に言った。「泣いてはいけません。ご覧なさい。ユダ族から出た獅子、ダビデの根が勝利したので、彼がその巻物を開き、七つの封印を解くことができます。」
5:6 また私は、御座と四つの生き物の真ん中、長老たちの真ん中に、屠られた姿で子羊が立っているのを見た。それは七つの角と七つの目を持っていた。その目は、全地に遣わされた神の七つの御霊であった。
5:7 子羊は来て、御座に着いておられる方の右の手から巻物を受け取った。
 2024年11月28日(木)リビングライフQT

*封印された巻物*  
この巻物とは、一体なにでしょう。それは、創造者なる神が、ご自身の創造のご計画の全てを記し、またそれを開示する時、御計画の業が、一つ一つ、形に表され(具体的に実行に移される)、神の創造の終章が、明らかにされることになるのです。
この封印を《解く》事の“出来る者”は・・・?
“一人の強い御使い”恐らく天使の長(ガブリエルか⁉️)でさえ、解く(開く)事が出来ず、『封印を解くのにふさわしい者はだれか❗』と、問い掛けている‼️
この幻を見ていたヨハネは、巻物を開くにも、見るにも、ふさわしい者がだれも見つからず、不安と驚きに“泣いた” それほど、この巻物に秘められたものが、ヨハネには、期待と畏れに満ちたものだったのでしょう。
5節~その時、長老の一人が・・『泣いてはいけません。・・ユダ族から出た獅子、ダビデの根が勝利した(十字架の死から甦った)彼がその巻物を開き、七つの封印を解く事ができます。』
何と❗この封印を解かれるのは、あの、私達のあがない主イエス・キリスト様なのです‼️
即ち、これから起こるべき全ての事は、このお方の主権の中に秘められている・・のです。
このお方が、屠られた子羊の姿で立たれている(想像するのが困難でしたら、十字架のイエス様を目に浮かべましょう)
このお方が、
七つの角(審判を象徴する)と
七つの目(世界をくまなく見通される、御霊の象徴)
いよいよ❗このお方が、出て来られて、御座に着いておられる、創造者にして全能者なる神から、巻物を受けとられた‼️
この瞬間、全能者なる神のご計画なる、創造の完成への、終章が、開示(開かれる)されるのです。
私たち教会とクリスチャンが、“終末”と言ってきた事が、こうして始まるのです。
実は、この終末が始まるための、警告と、備えとが開かれ、その道に導かれたのが・・・・
神の御子の降誕に始まる、今日までの長い道筋(歴史)だったのです。
この人類に与えられた、救い(創造の目的にかなった、永遠への完成)に至る、道案内書(新約聖書)なのです。
今私たちは、この封印が順次解かれるのを観(学び)ながら、新たに備えをする時となりますように…
祈りつつ‼️歩みましょう
 ヨハネ黙示録  4章5節~11節

4:5 御座からは稲妻がひらめき、声と雷鳴がとどろいていた。御座の前では、火のついた七つのともしびが燃えていた。神の七つの御霊である。
4:6 御座の前は、水晶に似た、ガラスの海のようであった。そして、御座のあたり、御座の周りに、前もうしろも目で満ちた四つの生き物がいた。
4:7 第一の生き物は獅子のようであり、第二の生き物は雄牛のようであり、第三の生き物は人間のような顔を持ち、第四の生き物は飛んでいる鷲のようであった。
4:8 この四つの生き物には、それぞれ六つの翼があり、その周りと内側は目で満ちていた。そして、昼も夜も休みなく言い続けていた。「聖なる、聖なる、聖なる、主なる神、全能者。昔おられ、今もおられ、やがて来られる方。」
4:9 また、これらの生き物が栄光と誉れと感謝を、御座に着いて世々限りなく生きておられる方にささげるとき、
4:10 二十四人の長老たちは、御座に着いておられる方の前にひれ伏して、世々限りなく生きておられる方を礼拝した。また、自分たちの冠を御座の前に投げ出して言った。
4:11 「主よ、私たちの神よ。あなたこそ栄光と誉れと力を受けるにふさわしい方。あなたが万物を創造されました。みこころのゆえに、それらは存在し、また創造されたのです。」
 2024年11月27日(水)リビングライフQT

昨日学び、心揺さぶられ、永遠の神、創造主にして、大いなる方の御座に近づき、その荘厳さに、魂を震わせられました‼️
ヨハネは更に、そのあまりにも厳粛な威厳に満ちた様子を、何とか伝えようと、書き表していくと、その情景(有り様)は、何と旧約時代の預言者たちが、既に幻に観た様子と重なるものでした。
*御座の前では、火のついた七つのともしびが燃えていた。神の七つの御霊である。⬇️
  ゼカリヤ書4:2~6
*御座の周りに、前も後も目で満ちた四つの生き物がいた。⬇️
  エゼキエル書 1:5~10
四つの生き物→
四つの・・・と言う数は、神の属性の
《愛・聖・義・永遠》
を顕しているのです。
この四つの生き物が、それぞれに、御座について居られる方を、昼も夜も休みなく、賛美し続けていた‼️
『聖なる、聖なる、聖なる、主なる神、全能者。昔おられ、今もおられ、やがて来られる方。』
  何と言う賛美‼️
四つの生き物が、栄光の神を讚美している間、二十四人の長老達は、御座の前に平伏して、与えられた冠を投げ出して、御座におられるお方に、賛美を捧げている‼️
*11節を、再録しましょう
『主よ。私達の神よ。
あなたこそー栄光と誉れと力を受けるにふさわしい方。
あなたが万物を創造されました。
みこころのゆえに、それらは存在し、
また創造されたのです。』
今このテキストを読んで、礼拝の何たるか‼️を、新しく、深い感動をもって、実感しています。
今の教会に属する、私たちクリスチャンは、
週一・・・と、限定された日時
共に集うて、プログラムに沿った順序に従って、祈り賛美・告白・聖書朗読・説教・献身(献金)と、順を追って進行する・・・この時を《礼拝》と言いますね。そのような中で、幾度
*賛美が止まらない
*祈りが止まらない
*御言葉からのメッセージに、涙が止まらなくなり、そのまま祈りへと・・・
帰る道すがら、明るく輝くような世界へ、遣わされるんだ‼️と言う感動と喜びに心震えただろうか‼️
家で座して祈りながら主の臨在にうち震えて、賛美したことが幾度あるだろうか‼️
振り返って、あの栄光の御座を思い、魂が震えるような思いを、感じました。
栄光の神を賛美する‼️
自宅が難しいなら、会堂へ行って・山に行って・人知れず海岸へ行って・一人で・同信の友と・・・
思いっきり、主なる神と対座したい‼️賛美したい‼️主と語らいたい‼️
その様な礼拝を、囚われの身で、労働に明け暮れた中にあるヨハネのように、孤独の中で…。
かつて、パウロ先生も、ピリピの囚われの身で、夜中の獄中で、神を賛美したのです‼️
礼拝こそ、私たちを神の御座に引き上げる、素晴らしい恵みの時です‼️
  ヨハネ黙示録  4章1節~4節

4:1 その後、私は見た。すると見よ、開かれた門が天にあった。そして、ラッパのような音で私に語りかけるのが聞こえた、あの最初の声が言った。「ここに上れ。この後必ず起こることを、あなたに示そう。」
4:2 たちまち私は御霊に捕らえられた。すると見よ。天に御座があり、その御座に着いている方がおられた。
4:3 その方は碧玉や赤めのうのように見え、御座の周りには、エメラルドのように見える虹があった。
4:4 また、御座の周りには二十四の座があった。これらの座には、白い衣をまとい、頭に金の冠をかぶった二十四人の長老たちが座っていた。
 2024年11月26日(火)リビングライフQT

ヨハネが見た“異(偉)象=人間の想像を超絶する光景=天の御国の光景”⇒この地上の営み・現象・光景・・等では、想像もつかない)光景でしょう。人類が未だ眼にしたことのない世界(光景)、それをヨハネは見たのです。神の霊によって観せられたのです‼️
ヨハネがその光景を、言葉(文章)で記述し伝えているのですが、それを説明(表現する言葉・語彙・・・)は、人の営みと、観てきた世界・光景・形・現象を土台として表すので、とても、私たちがこの黙示録を読んで、最大の創造力を駆使して、各自が頭のスクリーンに拡げ見ても、その荘厳さや、輝き(この世の眩しさを遥かに越えた光源)の実態を理解は出来ないでしょう
そこで如何に表現するか(はてな)ではなく、祈りと聖霊の御助けを受けながら、改めて、時を集中して読み、黙想し、敢えて理解しようとはせずに、その静まった心を持って、あなたの想像を展開できる範囲で思いを拡げてみましょう‼️
*ラッパの様なかん高い 喨々(リョウリョウ)としたあの鋭くも魂にまで響く音(はてな)声
*その様な声が語りかける、『ここに上れ。この後必ず起こることを、あなたに示そう‼️』
厳粛で、厳かで、優しさに溢れ語りかけ・・・‼️
*突然目の前が開け、天(御国)の眩しく輝く玉座に、座して居られる方を見た。何処までも澄みわたった深いエメラルドのような青空に包まれた御座‼️
そこに座しておられる方は、人のイメージを遥かに越えた、碧玉・瑪瑙(メノウ)深みのある半透明で・・・私達の常識的想像力では最早、追いつかないものとなります。
そこには、最早、想像力を遥かに越えた、創造主が居られるのでしょう
ですから、今の私たちには、見ることも想像する事も出来ない世界の表現です。
ヨハネは、どんな想いで、この光景の前にひれ伏したのでしょう‼️
怖ろしいばかりの、光景です。
その御座の周りには、創造以来、全能なる創造主なる神に召され、永遠に仕える、24人の長老が‼️
人なのか、御使いなのか、殉教者なのか・・

御国は、私達が行くべき道を整えて、受け入れの世界を、開いておられるのです。聖書(黙示録)を通して、この二千年を越えて、語り伝えているのです。今も、この永遠の御座が、私たちを待っているのです‼️
この御座から語られる、言葉、開かれる展開、興る出来事に、耳目を開いて、いま私達が立っている(生活している)世界の流れに、魂を向けて参りましょう
  ヨハネ黙示録  3章14節~22節

3:14 また、ラオディキアにある教会の御使いに書き送れ。『アーメンである方、確かで真実な証人、神による創造の源である方がこう言われる──。
3:15 わたしはあなたの行いを知っている。あなたは冷たくもなく、熱くもない。むしろ、冷たいか熱いかであってほしい。
3:16 そのように、あなたは生ぬるく、熱くも冷たくもないので、わたしは口からあなたを吐き出す。
3:17 あなたは、自分は富んでいる、豊かになった、足りないものは何もないと言っているが、実はみじめで、哀れで、貧しくて、盲目で、裸であることが分かっていない。
3:18 わたしはあなたに忠告する。豊かな者となるために、火で精錬された金をわたしから買い、あなたの裸の恥をあらわにしないために着る白い衣を買い、目が見えるようになるために目に塗る目薬を買いなさい。
3:19 わたしは愛する者をみな、叱ったり懲らしめたりする。だから熱心になって悔い改めなさい。
3:20 見よ、わたしは戸の外に立ってたたいている。だれでも、わたしの声を聞いて戸を開けるなら、わたしはその人のところに入って彼とともに食事をし、彼もわたしとともに食事をする。
3:21 勝利を得る者を、わたしとともにわたしの座に着かせる。それは、わたしが勝利を得て、わたしの父とともに父の御座に着いたのと同じである。
3:22 耳のある者は、御霊が諸教会に告げることを聞きなさい。』」 
 2024年11月25日(月)リビングライフQT

*ラオディキア*

わたしは幼い時(6才)から、新約聖書から毎日一章ずつ、読んだ(意味が分かってではないが…)のですが、黙示録に到達するまでには、260章あるので、小学校に入学した日に、新約聖書を父母からプレゼントされて、読み始めたので、黙示録の終わりに到達したのは、新しい年を迎えてからだったのです。ですから文字を拾い読みするのが精一杯ですが、毎日の通読で、次第に理解が深まり、ピレモン書などは、感動したのを覚えています。
黙示録はチンプンカンプンで、ただ読み通すだけでした。
しかし、次の年は旧約に入りましたから、又黙示録に返ってきたのは数年先でしたでしょう。
何時かは記憶してはいませんが、この7つの教会の教えは、良くわからないままでしたが、ラオディキアへのメッセージは、何となく心に残り、《生ぬるい教会》と言う、イメージが心に染みて、シオン教会がそうなってはいけない・・・と言う漠然とした《危機感》を心の中に懐いたことは事実でした。又、父の熱い説教からも、終末の教会は、この様な時代の中で、淘汰され易いから・・・と、繰り返し語られたのが心に刻まれました。
*ラオディキア~この町は、温泉地で、豊富な湯が沸き、湯治客によって、町は潤い、同時に温泉地特有の、金・銀・銅等の貴金属を産出する鉱山もあり、その為に、この町の教会は、他の6つの教会とは桁外れの、裕福な教会だったようです。
それだけに、信徒たちの信仰生活には、危機感がなく、祈らなくても、困らない、欲しいものは溢れている。争いもなく、摩擦もなく、毎週習慣的な礼拝が重ねられていたのです、信仰から離れた訳でもなく、かと言って熱い祈りが積まれ、回りに福音の宣教のために、心砕くこともなく、ただ、淡々と時が流れていたのです。
霊的な、福音宣教的な動きもない教会は、外の世界からも、毒にも薬にもならない存在だったので、摩擦もなく迫害も生じない教会だったのです。
ヨハネはこの様なラオデキア教会に、危機感を覚えたのです。
この町は、
*更に新しい丸薬を一人の医師が発見し、当時のローマ世界から、多くの人々が眼の治療に来て栄えた。
*温泉水による、染色の特殊技術を求めて、服飾関係の職人が集まったのです。
町の人々は、白布に、様々な染色を施して、おしゃれを競っていた。
この様な裕福な環境と富に埋もれた教会は、光を失い、イエス様を熱く慕う信仰も愛もなく、ただキリスト教信者・洗礼を受けた者。と言うだけの教会だったのです。
そこでヨハネ先生は、御霊の嘆きと共に、厳しい叱責をされたのです。
*豊かになるために、聖霊の火で精錬された混じり気のない金を買い❗
*染色した衣で、魂の内にある怠惰・汚れを隠している身体に、十字架の血潮で真っ白にされた、清い衣を買い求め、
聖霊によって、魂の眼が開かれる目薬を求めなさい‼️と、勧められたのです。・・更に・・
*19節~熱心になって悔い改めなさい‼️→悔い改めは、霊の闘いです‼️
*20節〜わたしの声を聞いて戸を開ける・・
信仰(救い)とは、主が捉えてくださることだけではなく、あなたが・私が心(魂)の戸を開けて、主を内にお迎えすることなのです。そうすれば、
‼️主からの約束です‼️
主イエス様と共に父の御座に着く者となる‼️
何と言う、溢れるばかりの最高の栄光‼️
今の安寧と豊かさに身を委ねてはならない、
永遠の落とし穴がそこにある
22節
耳のある者は、御霊が諸教会に告げる事を聞きなさい。 アーメン
  ヨハネ黙示録  3章7節~13節

3:7 また、フィラデルフィアにある教会の御使いに書き送れ。『聖なる方、真実な方、ダビデの鍵を持っている方、彼が開くと、だれも閉じることがなく、彼が閉じると、だれも開くことがない。その方がこう言われる──。
3:8 わたしはあなたの行いを知っている。見よ。わたしは、だれも閉じることができない門を、あなたの前に開いておいた。あなたには少しばかりの力があって、わたしのことばを守り、わたしの名を否まなかったからである。
3:9 見よ。サタンの会衆に属する者、すなわち、ユダヤ人だと自称しているが、実はそうではなく、?を言っている者たちに、わたしはこうする。見よ。彼らをあなたの足もとに来させてひれ伏させ、わたしがあなたを愛していることを知らせる。
3:10 あなたは忍耐についてのわたしのことばを守ったので、地上に住む者たちを試みるために全世界に来ようとしている試練の時には、わたしもあなたを守る。
3:11 わたしはすぐに来る。あなたは、自分の冠をだれにも奪われないように、持っているものをしっかり保ちなさい。
3:12 わたしは、勝利を得る者を、わたしの神の神殿の柱とする。彼はもはや決して外に出て行くことはない。わたしは彼の上に、わたしの神の御名と、わたしの神の都、すなわち、わたしの神のもとを出て天から下って来る新しいエルサレムの名と、わたしの新しい名とを書き記す。
3:13 耳のある者は、御霊が諸教会に告げることを聞きなさい。』
 2024年11月24日(日)リビングライフQT

*フィラデルフィア*
この教会は、前述のサルデスの町から50km程の距離にあり、高地の入り口の、風光明媚な所でした。ところが、サルデスは高台の安定した台地にあるのに比べ、フィラデルフィアの町は、サルデスから、少し下った盆地のような、しかし非常に変化に富んだ、土地柄、多くの人々が住み着いて、繁栄していました。しかしAD,72年に大地震に見舞われ、大きな災害にみまわれましたが人々はこの地を離れがたく、その後も数十年にわたる余震におののきながらも、中心部からは離れて、この地を守ったのです。
そこに生まれた教会は、その様な土地柄の中で、主イエス様への信仰で、心の、又、魂の安心・平安に守られて、周りの人々からも信認を受け、証の灯台として輝いていたのです。
8節に“あなたには少しばかりの力があって、わたしのことばを守り、わたしの名を否まなかった。”と記されており、余震の不安から来る、心の拠り所を、偶像や占いや、噂に流されず、ただただ、主イエス様の御名にのみ、魂を委ねて、証の日々を積み重ねて来たのです。その様な彼らの日々を、ヨハネは、
*10節に・・・あなたは忍耐についてのわたしのことばを守ったので、地上に住む者達を試みるために全世界に来ようとしている試みの時には、《わたしはあなたを守る。》
何と、力強いお言葉でしょう。
このお言葉は、フィラデルフィア教会の限定した信徒達に語り掛けられているのですが、同じ様に、忍耐の限りをもって堪え忍ぶ、この箇所を読む全てのクリスチャンへの、力強いメッセージなのです。
あなたは信じますか‼️
   (あ)(ー)(め)(ん)
11節~わたしは直ぐに来る。・・・この約束(宣言)は、明日・明後日・・・と言う、近未来を示唆しているのではないのです。
未だ一世紀の終わりの時代、カレンダーがあるわけではないのです。日が昇り一日が始まり❗日が沈んでその日が終わる‼️
そのような時間感覚のなかで、語られたヨハネの言葉は、何かの目標(来年とか、五年後等と言う目標)があっての
時の指定ではないのです。
それを、次第に時間感覚が生活に定着し、数ヵ月先、数年先、数十年先・・・が見通するようになると、『わたしはすぐに来る❗』と言う宣言は、聴いた者・読んだ者・感じた者がそれぞれに、時をある程度近未来に想定して、10年後・今興っている戦争が頂点に達すると・異端が異常にはびこると・かつて世界に激震が走った…
今世紀(1999年)が終わると…等々と、まことしやかな《終末論》が一人歩きし始めたのです。惑わされてはなりません‼️
キリストの教会は、一世紀から、21世紀の今日まで、この愚かな予言(人が設定した時)に振り回されて、多くの躓きをもたらしました。
永遠である神が言われた時とは、《必ず‼️》という約束としての私達への、力強いメッセージなのです。
私達は、自らを整えて、何時でも《アァメン❗主イエスよ来たりませ‼️》と、告白しながら、毎日を主と共に歩みましょう‼️
御国での報いは・・・
*神の神殿の柱~神の国の中心を支える存在‼️動かない柱(構造物)ではないですよ霊的構成の最重要な要素‼️として、主と共にある。
神の国のイメージ(概念)は、三次元の人間知性で、想像したり、説明したり、描いたりしても、何一つ具体化はできないのです。
ただただ、御霊による完成と信仰で期待し、待ち望むばかりです。
アーメン❗主イエスよ来たりませ‼️
 ヨハネ黙示録  3章1節~6節

3:1 また、サルディスにある教会の御使いに書き送れ。『神の七つの御霊と七つの星を持つ方が、こう言われる──。わたしはあなたの行いを知っている。あなたは、生きているとは名ばかりで、実は死んでいる。
3:2 目を覚まし、死にかけている残りの者たちを力づけなさい。わたしは、あなたの行いがわたしの神の御前に完了したとは見ていない。
3:3 だから、どのように受け、聞いたのか思い起こし、それを守り、悔い改めなさい。目を覚まさないなら、わたしは盗人のように来る。わたしがいつあなたのところに来るか、あなたには決して分からない。
3:4 しかし、サルディスには、わずかだが、その衣を汚さなかった者たちがいる。彼らは白い衣を着て、わたしとともに歩む。彼らがそれにふさわしい者たちだからである。
3:5 勝利を得る者は、このように白い衣を着せられる。またわたしは、その者の名をいのちの書から決して消しはしない。わたしはその名を、わたしの父の御前と御使いたちの前で言い表す。
3:6 耳のある者は、御霊が諸教会に告げることを聞きなさい。』
 2024年11月23日(土)リビングライフQT

*サルディスにある教会
この教会宛のメッセージを読むと、迫害・異端等による、教会の混乱に関する、コメントは見当たらない。初代教会にも、このような群れがあったのですね。
ところが、ヨハネの叱責は、節の終わりにある《生きているとは名ばかりで、実は死んでいる。》非常に厳しい指摘です。
サルデスの町は、内陸の高原地帯にある、裕福で繁栄した町だったのです。
福音のために戦わなかった教会((はてな))と言うレッテルを貼られるのは、少し厳しいですが、福音の真理をもって、戦わなかったなら、その人・そのグループは、特に世の排斥や非難の対象とはならず、《彼らは彼ら、私達は私達》とした立場の区別はあっても、摩擦の原因には至らないでしょう。その様に、福音に生きる‼️と言う旗印が明らかでなければ、一人一人の信仰は、他に影響を及ぼさない、言い換えると、永遠の福音の真理が、伝わらない、その人(クリスチャンだと自認する)の、内に秘めた、精神的持ち物に他ならないのです。全ての人に与えられた命の福音が、そこに止まって流れていかない・・・
これは、神のご計画の妨げとはなりませんか(はてな)
一人の信仰者が、一つの群れ(教会)が、そこに存在しても、それは、クラブ・愛好会・同好会に終始して、その中の人々(敢えて言うなら、信徒)は、サタンの敵ではなく、怠惰・自己満足の、温床となるのです。
戦わない教会は、命のない群れとなるのです。
☆戦う‼️☆と言うのは、福音の真理の教えを振りかざして、摩擦を起こしたり、世を攻撃したり、人を罪人として断罪したり、世の全てを不浄なものとして、自らはそれを避けて交わりから遠ざかる行為に走る。その様な事を指してはいません。
主なる神は、最終的に主の民を終わりの日に分離されますが、私達がそれをする(捌く=さばく)のではありません。
イエス・キリストの愛と赦しと、潔めによる輝きを持つ教会・クリスチャン(キリストの弟子)として、この世に遣わされて参りましょう。
終わりの日に神の裁きに取り払われるサルデスの教会にも、主に洗われた白い衣を着て福音の証しをを示してきた僕がいたのです‼️
なんと感謝なことでしょう 
主がお喜びになられた、明るい輝きでした。
彼らへの約束を、そのまま記して、閉じましょう
5節~勝利を得るものは、このように白い衣を着せられる。私はまた、いのちの書から決して消しはしない。わたしはその名を、わたしの父の御前と御使いたちの前で言い表す。
   (は)(れ)(る)(や)

明日(24日)のテキスト
ヨハネ黙示録 3:7~13 
 ヨハネ黙示録  2章18節~29節 

2:18 また、ティアティラにある教会の御使いに書き送れ。『燃える炎のような目を持ち、その足は光り輝く真鍮のような神の子が、こう言われる──。
2:19 わたしは、あなたの行い、あなたの愛と信仰と奉仕と忍耐を知っている。また、初めの行いにまさる、近ごろの行いも知っている。
2:20 けれども、あなたには責めるべきことがある。あなたは、あの女、イゼベルをなすがままにさせている。この女は、預言者だと自称しているが、わたしのしもべたちを教えて惑わし、淫らなことを行わせ、偶像に献げた物を食べさせている。
2:21 わたしは悔い改める機会を与えたが、この女は淫らな行いを悔い改めようとしない。
2:22 見よ、わたしはこの女を病の床に投げ込む。また、この女と姦淫を行う者たちも、この女の行いを離れて悔い改めないなら、大きな患難の中に投げ込む。
2:23 また、この女の子どもたちを死病で殺す。こうしてすべての教会は、わたしが人の思いと心を探る者であることを知る。わたしは、あなたがたの行いに応じて一人ひとりに報いる。
2:24 しかし、ティアティラにいる残りの者たち、この教えを受け入れず、いわゆる「サタンの深み」を知らないあなたがたに言う。わたしはあなたがたに、ほかの重荷を負わせない。
2:25 ただ、あなたがたが持っているものを、わたしが行くまで、しっかり保ちなさい。
2:26 勝利を得る者、最後までわたしのわざを守る者には、諸国の民を支配する権威を与える。
2:27 彼は鉄の杖で彼らを牧する。土の器を砕くように。
2:28 わたしも父から支配する権威を受けたが、それと同じである。また、勝利を得る者には、わたしは明けの明星を与える。
2:29 耳のある者は、御霊が諸教会に告げることを聞きなさい。』
 2024年11月22日(金)リビングライフQT

*ティアティラ教会
こうして、僅かな情報で、2000年近く昔(日本で言うなら、縄文時代)の、歩み出したばかりの、教会の事を思い巡らすと、当時の強大なローマ帝国の支配下で、ギリシャ哲学の諸説、古代からの性の倒錯に由来する、オドロオドロした原始的な土着宗教、イスラエルにもあった、根深い偶像礼拝等々、想像もつかない混乱の生活の中に、聖なる神の厳しいさばきと、それから逃れる唯一の救いの道、イエス・キリスト様の、十字架の贖罪による、罪の赦しと、それに続く、新しい潔い生活の教えと、世界観、そして新しい教会と言う、家族・群れが、
当時の世界の中で生まれ、生き・拡がり始めたのですから、サタンの驚きと焦りは、どの様であったことでしょう。
そのような時代背景で、七つの教会の現実を、考えながら、今の私たちの存在と戦いの現実に、合わせてみましょう。
文化的、機能的、その他様々な生活の豊かさは、当時から比べると、比較にならない開きがありますが、人の心の中の欲望・追求・願望・・・は、豊かさと可能性が拡がっているだけに、当時より複雑化し、より激しく、より強力な力をもって、罪の世界を引っ張っているのではないでしょうか。
ここ近年、世界の、自国の、回りの環境で起こっている事件、紛争・戦争は、自然界に生きる動物の争いや営みにも劣る姿に、胸の痛くなる思いです。
その様な中で生きる、教会(私達)の信仰は、今も昔も変わらない、恵みと、清さと、輝きが求められるのです。
*25節~あなたがもっているものを、・・・しっかり保ちなさい。
わたしは、魂の内に、何を持っているでしょう。ヨハネの此の言葉に、ハッとさせられます。
☆キャリアではない
☆能力でもない
☆人からの評価でもな    い。
☆自信でもない・・・
*救い主イエス様への、深い信頼と、期待と、何とかしてこの恵みを人々に伝えたい‼️
ただひたすらに、神の国を慕う思いを、沸き上がるように見続けたいですね
*26節~諸国の民を支配する権威を与える。
これは(はてな)
何を意味するのでしょう。
私達には、福音をのべ伝えることは、神の国を拡げることですから、霊的領土の拡張に繋がり、神の愛と恵みの支配地域の、リーダーとなって、皆さんと一緒に、主の御国の民となって、仕える‼️
何と光栄な報いでしょう。嬉しいですね
  (は)(れ)(る)(や)
 ヨハネ黙示録  2章12節~17節 

2:12 また、ペルガモンにある教会の御使いに書き送れ。『鋭い両刃の剣を持つ方が、こう言われる──。
2:13 わたしは、あなたが住んでいるところを知っている。そこにはサタンの王座がある。しかしあなたは、わたしの名を堅く保って、わたしの確かな証人アンティパスが、サタンが住むあなたがたのところで殺されたときでさえ、わたしに対する信仰を捨てなかった。
2:14 けれども、あなたには少しばかり責めるべきことがある。あなたのところに、バラムの教えを頑なに守る者たちがいる。バラムはバラクに教えて、偶像に献げたいけにえをイスラエルの子らが食べ、淫らなことを行うように、彼らの前につまずきを置かせた。
2:15 同じように、あなたのところにもニコライ派の教えを頑なに守っている者たちがいる。
2:16 だから、悔い改めなさい。そうしないなら、わたしはすぐにあなたのところに行き、わたしの口の剣をもって彼らと戦う。
2:17 耳のある者は、御霊が諸教会に告げることを聞きなさい。勝利を得る者には、わたしは隠されているマナを与える。また、白い石を与える。その石には、それを受ける者のほかはだれも知らない、新しい名が記されている。』
 2024年11月21日(木)リビングライフQT

*ペルガモの教会
エペソ・スミルナ・ヘルガモは、アジアとヨーロッパとを隔てる、エーグ海の東海岸で、ローマ帝国の、アジア更には東のシリア・方面への進出の海運基地として繁栄していた。
ペルガモにも、アルテミス神殿があり、偶像と、民族信仰で汚れた社会風土に、ローマ皇帝崇拝信仰の強制や、ユダヤ主義(イエス・キリストを排除し、モーセの律法に固執する信仰)が、教会の福音の旗印にとって、大きな戦いであった。
そんな中で、福音信仰の指導者アンテパスが、殉教すると言う、迫害が教会に迫ったが、ペルガモの群れは、動揺せずに主に忠実であった。
その様な大きに揺さぶりの中で、群は一つとなって、攻め寄せる異端や外部からの圧力に良く耐えたのです。
しかし、勝利の道を崩しにかかる、サタンの働きは、ペルガモの群れにも、内部から揺さぶられたようです。
ここに出てくる《ニコライ派》とは、霊的な救い(イエス様の十字架贖罪の死による救い)を信じた者には、秩序ある生活を乱さない限り、救いを失うことはない・・・‼️と言う、非常に世俗的妥協の教えが、ローマ社会に広がっていたのです。
*バラムの教え・・・これは、出エジプトを果たして、40年の苦節に耐えて、約束の地を目の前にして、ヨルダン川の東側を通るとき、モアブの王“バラク“が、イスラエルの民の通過に、恐れをなして、占い師の”バラム“に、イスラエルを呪うように、祈ることを要請したのです。彼は、イスラエルの民でもない、モアブの霊能者だったのです。
(モアブは元々、アブラハムの子供のイシマエルの子孫で、直系ではないが、精神的には、アブラハムの信仰の片鱗を保持していた)
この占い師のバラクも、占いのために、神に祈る(歪んだ祈祷ではあるが)なかで、ご自身の民イスラエルを祝福するように、導かれたのです。
これにはモアブの王バラクは❗驚き、多くの贈り物(御祈祷料)を届けて、更に呪いの祈りを要請したのです。・・・この経緯は旧約聖書民数記22章~24章に記されているので、時間のあるとき読みあわせください。
霊能者バラムも、神には逆らえず最後(3回)まで、呪いではなく祝福の祈りをしたのです。
さすがに、バラムも、金品を手放すのも惜しんで、イスラエルの民を混乱させる秘策を教えたのです。
その結果、民はモアブの歓迎の招待に甘んじて、その地に暫く留まりながら、モアブの女に誘惑されて、神の怒りをかったのです。神の怒りに触れて、イスラエルの神に打たれた者の数は、24,000 人に及んだ・・・と、記されています。

妥協・心の緩み・回りに流される・・・この様な中に身を置くと、善悪・白黒の判断が妥協的(アヤフヤ)になり、押し流されながら、罪責感も薄らいでいくのです。
教会の歴史は、この様な危機に晒されながら、時代の中を、生き抜いてきたのです。初代教会(西暦一世紀)の時代から、サタンは、教会(クリスチャン)を追い落とそうと謀っているのです。
勝利を得る者に与えられる隠されているマナと白い石《それを受ける者の他には誰も知らない、新しい名が記されている》を受けるために、更に御言葉に立って進みましょう
 ヨハネ黙示録  2章1節~11節 

2:1 エペソにある教会の御使いに書き送れ。『右手に七つの星を握る方、七つの金の燭台の間を歩く方が、こう言われる──。
2:2 わたしは、あなたの行い、あなたの労苦と忍耐を知っている。また、あなたが悪者たちに我慢がならず、使徒と自称しているが実はそうでない者たちを試して、彼らを偽り者だと見抜いたことも知っている。
2:3 あなたはよく忍耐して、わたしの名のために耐え忍び、疲れ果てなかった。
2:4 けれども、あなたには責めるべきことがある。あなたは初めの愛から離れてしまった。
2:5 だから、どこから落ちたのか思い起こし、悔い改めて初めの行いをしなさい。そうせず、悔い改めないなら、わたしはあなたのところに行って、あなたの燭台をその場所から取り除く。
2:6 しかし、あなたにはこのことがある。あなたはニコライ派の人々の行いを憎んでいる。わたしもそれを憎んでいる。
2:7 耳のある者は、御霊が諸教会に告げることを聞きなさい。勝利を得る者には、わたしはいのちの木から食べることを許す。それは神のパラダイスにある。』
2:8 また、スミルナにある教会の御使いに書き送れ。『初めであり終わりである方、死んでよみがえられた方が、こう言われる──。
2:9 わたしは、あなたの苦難と貧しさを知っている。だが、あなたは富んでいるのだ。ユダヤ人だと自称しているが実はそうでない者たち、サタンの会衆である者たちから、ののしられていることも、わたしは知っている。
2:10 あなたが受けようとしている苦しみを、何も恐れることはない。見よ。悪魔は試すために、あなたがたのうちのだれかを牢に投げ込もうとしている。あなたがたは十日の間、苦難にあう。死に至るまで忠実でありなさい。そうすれば、わたしはあなたにいのちの冠を与える。
2:11 耳のある者は、御霊が諸教会に告げることを聞きなさい。勝利を得る者は、決して第二の死によって害を受けることはない。』
2:12 また、ペルガモンにある教会の御使いに書き送れ。『鋭い両刃の剣を持つ方が、こう言われる──。
2:13 わたしは、あなたが住んでいるところを知っている。そこにはサタンの王座がある。しかしあなたは、わたしの名を堅く保って、わたしの確かな証人アンティパスが、サタンが住むあなたがたのところで殺されたときでさえ、わたしに対する信仰を捨てなかった。
2:14 けれども、あなたには少しばかり責めるべきことがある。あなたのところに、バラムの教えを頑なに守る者たちがいる。バラムはバラクに教えて、偶像に献げたいけにえをイスラエルの子らが食べ、淫らなことを行うように、彼らの前につまずきを置かせた。
2:15 同じように、あなたのところにもニコライ派の教えを頑なに守っている者たちがいる。
2:16 だから、悔い改めなさい。そうしないなら、わたしはすぐにあなたのところに行き、わたしの口の剣をもって彼らと戦う。
2:17 耳のある者は、御霊が諸教会に告げることを聞きなさい。勝利を得る者には、わたしは隠されているマナを与える。また、白い石を与える。その石には、それを受ける者のほかはだれも知らない、新しい名が記されている。』
2:18 また、ティアティラにある教会の御使いに書き送れ。『燃える炎のような目を持ち、その足は光り輝く真鍮のような神の子が、こう言われる──。
2:19 わたしは、あなたの行い、あなたの愛と信仰と奉仕と忍耐を知っている。また、初めの行いにまさる、近ごろの行いも知っている。
2:20 けれども、あなたには責めるべきことがある。あなたは、あの女、イゼベルをなすがままにさせている。この女は、預言者だと自称しているが、わたしのしもべたちを教えて惑わし、淫らなことを行わせ、偶像に献げた物を食べさせている。
2:21 わたしは悔い改める機会を与えたが、この女は淫らな行いを悔い改めようとしない。
2:22 見よ、わたしはこの女を病の床に投げ込む。また、この女と姦淫を行う者たちも、この女の行いを離れて悔い改めないなら、大きな患難の中に投げ込む。
2:23 また、この女の子どもたちを死病で殺す。こうしてすべての教会は、わたしが人の思いと心を探る者であることを知る。わたしは、あなたがたの行いに応じて一人ひとりに報いる。
2:24 しかし、ティアティラにいる残りの者たち、この教えを受け入れず、いわゆる「サタンの深み」を知らないあなたがたに言う。わたしはあなたがたに、ほかの重荷を負わせない。
2:25 ただ、あなたがたが持っているものを、わたしが行くまで、しっかり保ちなさい。
2:26 勝利を得る者、最後までわたしのわざを守る者には、諸国の民を支配する権威を与える。
2:27 彼は鉄の杖で彼らを牧する。土の器を砕くように。
2:28 わたしも父から支配する権威を受けたが、それと同じである。また、勝利を得る者には、わたしは明けの明星を与える。
2:29 耳のある者は、御霊が諸教会に告げることを聞きなさい。』
 2024年11月20日(水)リビングライフQT

これからの 2章~3章に亘って展開されるのは、
1章11節に示された、アジア(現在のトルコの小アジア半島)に点在する代表的7つの教会に対する、称賛・指摘・警告・指導・・を個別に書き記した、大切な指導書です。しばしばこの行(くだり)を、初代教会から始まって、終末(20~21世紀)の教会に至るまでの、各時代に教会が直面した(又、するだろう)、試練・迫害・混乱・忠実・称賛・・等々を示しながら、教会(建物ではない、主の弟子、即ちクリスチャン達)が受ける御国での恵と報いを、約束するメッセージとなっています。
そのような解釈や教えとして、今日に伝えられたのですが、それも又、恵の学びとなるでしょう‼️
しかし、このメッセージは初代教会へのメッセージなのですから、
何時の時代にも、どの様な事態の中にある教会にも、心に留めるべき、神の国(教会)への、大切な身近なメッセージとして、受け入れ、心に刻み、教会(自ら)を整える教えとして、非常に身近で、大切な教えなのです。

さて、今日は二つの教会へのメッセージです‼️
①エペソ教会~エペソは、この地方(小アジア)の主要都市であり、ローマ軍の駐屯地・女神アルテミスの神殿のある町で、道徳の最も退廃した町でした。パウロの後を受けて、この町と教会に長く牧会し、宣教の働きをした。御国の清さを示す、イエス・キリストの福音と、アルテミス神の妥協と退廃を流す偶像に対峙して、初代の信徒たちは、血を流す戦いをしてきたのです。しかし、ヨハネがこの地を離れて各地へと働きを拡げるに及んで、次第に次の世代は、強大な偶像社会の拡がりに、妥協が生まれ、群れを維持しようとするがあまりに・・・
4節ー5節に→初めの愛から離れてしまったと、警告しています。
何故❓ 何処から❓
悔い改めなさい‼️
⭐勝利を得る者には、いのちの木から食べることを許す‼️

②スミルナ教会
スミルナもまた、ローマの海運の主要な拠点で、繁栄の中で教会は、二つの大きな勢力と対峙して、労苦と忍耐を強いられていた。
その一つは
*似て非なる、ユダヤ主義的信仰(律法を守ること)です。
今一つは、ローマの主要都市だけに、ローマ皇帝礼拝の強要です。スミルナの教会は、この強大な敵との闘いに耐えて勝利して来たのです。
ヨハネのメッセージには、彼らを責める言葉ではなく・・・何と❗
《死に至るまで
忠実でありなさい‼️》と言う、激励の言葉でした。
彼らはどんなに慰められ、励まされたことでしょう
⭐勝利を得るものは、第二の死では害を受けない‼️(死から永遠に解放される✨)
*この後にも展開される、ヨハネを通しての、御言葉は、私たちの教会(あなたの信仰生活)が、直面するあらゆる事態が、語られます。その中から、私たちは何を学び、何を受け、どの様に勝利をするのでしょう
更に学び続けましょう。ハレルヤ‼️
 ヨハネ黙示録  1章9節~20節 

1:9 私ヨハネは、あなたがたの兄弟で、あなたがたとともにイエスにある苦難と御国と忍耐にあずかっている者であり、神のことばとイエスの証しのゆえに、パトモスという島にいた。
1:10 私は主の日に御霊に捕らえられ、私のうしろにラッパのような大きな声を聞いた。
1:11 その声はこう言った。「あなたが見たことを巻物に記して、七つの教会、すなわち、エペソ、スミルナ、ペルガモン、ティアティラ、サルディス、フィラデルフィア、ラオディキアに送りなさい。」
1:12 私は、自分に語りかける声を見ようとして振り向いた。振り向くと、七つの金の燭台が見えた。
1:13 また、その燭台の真ん中に、人の子のような方が見えた。その方は、足まで垂れた衣をまとい、胸に金の帯を締めていた。
1:14 その頭と髪は白い羊毛のように、また雪のように白く、その目は燃える炎のようであった。
1:15 その足は、炉で精錬された、光り輝く真鍮のようで、その声は大水のとどろきのようであった。
1:16 また、右手に七つの星を持ち、口から鋭い両刃の剣が出ていて、顔は強く照り輝く太陽のようであった。
1:17 この方を見たとき、私は死んだ者のように、その足もとに倒れ込んだ。すると、その方は私の上に右手を置いて言われた。「恐れることはない。わたしは初めであり、終わりであり、
1:18 生きている者である。わたしは死んだが、見よ、世々限りなく生きている。また、死とよみの鍵を持っている。
1:19 それゆえ、あなたが見たこと、今あること、この後起ころうとしていることを書き記せ。
1:20 あなたがわたしの右手に見た七つの星と、七つの金の燭台の、秘められた意味について。七つの星は七つの教会の御使いたち、七つの燭台は七つの教会である。
 2024年11月19日(火)リビングライフQT

絶海の孤島パトモス。そこは、一世紀終りの、ローマ時代には、ローマに反抗する人々を捕らえ、囚人労働者として送り込まれ、銅の採掘の重労働に明け暮れる、生き地獄のような、世界だったのです。ここに送り込まれたら、再び生きて島を出ることは出来ない、絶望の島でした。
ヨハネは、この絶望の島で、働き疲れて、死んだように疲れきった、恐らく夜の闇の中で、今日のテキストに書かれた、天の輝きの幻を目撃したのです‼️
それは、甦られたキリストが、人の想いや想像では表現しがたい、恐怖にも似た、畏れと戦(オノノキ)をもって、その方の前にひれ伏し・・・・
17節~その方を見たとき、私は死んだ者のように、その足元に倒れ込んだ。
ヨハネは、イエス様に弟子としてお仕えしていた時には、何時も、主の間近にいて、一番の愛弟子だったのです‼️
所がここでは、同じお方の前で、畏れ(恐れ)のために、死んだ者のように・・
今や、ヨハネのこの経験は、懐かしい主に・・・・ではなく、あの優しい眼差しの、静かな師であったイエス様が、神としてヨハネの前にご自身を、顕されているのです。
何故‼️・・・
これから起こるべき、神の永遠のご計画の、宣言のためなのです。
人として生まれた中で、ヨハネのように、全能の神の御威光と、輝きの前に、身を曝(さら)された者があるでしょうか。
その様子が、こうして顕されているのです。
そして、このお方が、もはや今は、人として御自身を顕されたお方ではなく、神の威厳と御威光とをそのまま、顕されたのです。
それは、代々にわたる、全ての民と教会に向けて、お語りになる、重大な、神のこれからの御計画を、全ての世に顕されるために、語られるのです。
その神の御計画を、アジアの7つの教会を象徴として、全世界の全ての歴史に顕れる教会に対して、預言として語られるのです。
ここから学ぶ私たちにまで、こうして届けられてきたのですから、それを聞いたヨハネは、どれ程恐ろしくも、その尊さに打ち伏して、聞き、心に刻んだことでしょう。
この様な、状況を心に留めて、学びはじめて参りましょう。
主よ❗
 お導きください‼️
 ヨハネ黙示録  1章1節~8節 

1:1 イエス・キリストの黙示。神はすぐに起こるべきことをしもべたちに示すため、これをキリストに与えられた。そしてキリストは、御使いを遣わして、これをしもべヨハネに告げられた。
1:2 ヨハネは、神のことばとイエス・キリストの証し、すなわち、自分が見たすべてのことを証しした。
1:3 この預言のことばを朗読する者と、それを聞いて、そこに書かれていることを守る者たちは、幸いである。時が近づいているからである。
1:4 ヨハネから、アジアにある七つの教会へ。今おられ、昔おられ、やがて来られる方から、また、その御座の前におられる七つの御霊から、
1:5 また、確かな証人、死者の中から最初に生まれた方、地の王たちの支配者であるイエス・キリストから、恵みと平安があなたがたにあるように。私たちを愛し、その血によって私たちを罪から解き放ち、
1:6 また、ご自分の父である神のために、私たちを王国とし、祭司としてくださった方に、栄光と力が世々限りなくあるように。アーメン。
1:7 見よ、その方は雲とともに来られる。すべての目が彼を見る。彼を突き刺した者たちさえも。地のすべての部族は彼のゆえに胸をたたいて悲しむ。しかり、アーメン。
1:8 神である主、今おられ、昔おられ、やがて来られる方、全能者がこう言われる。「わたしはアルファであり、オメガである。」
 2024年11月18日(月)リビングライフQT

*今日から、新約聖書黙示録~の学びです。
この書は、主の12弟子(最も若い使徒)であったヨハネ(福音書・ヨハネによる手紙Ⅰ~Ⅲの著者)が、晩年に、信仰の迫害により、地中海北部・エーゲ海入り口にある《パトモス》と言う島(銅の採掘奴隷となって)に流刑になり、そこで、御霊による啓示が与えられて、終末に起こる出来事を、書き残した書であります。その時から約1900年以上経過していますが、世界に広がった福音を信じ受け入れた、すべての民(教会)は、しばしばこの書巻から、その時代・その時代に興った、様々な出来事を、黙示録の記述と重ねながら、主の日《終末》が、緊迫した事態だと、人々の心を煽るような、諸説を流して、教会を混乱に揺さぶってきました。
私が成人してからの、60年の間にも、繰り返し、繰り返し緊迫した噂が世界に飛び交い、異端が、革命が、混乱が、教会から興ってきました。
それらを祈りの中で見(観察し・検証し)ながら、更に主の真実を見つめ、御言葉の正しい理解(御霊は、ヨハネを通して、何を語っておられるか・・・)を祈りながら求めてきました。
これから暫くの日々、黙示録を学びながら、主なる神の語りかけを、真摯に祈りつつ学んで参りましょう。
その為には、従来センセイショナルに、流布されてきた諸説から魂をフリーにしながら、祈りながら、共に学んで参りましょう‼️
その為にも、改めて申し上げます。
ラインで送られた本文だけを読むだけで、終わらないでください。必ず、聖書本文を読んだ上で、祈りラインメッセージ(?)で学んでみましょう。

今日の序文は、ヨハネが、終末に興ることを、御霊により黙示によって示されたことを、証言(証し)として書き送る事情を、書いている。
《教会》は、神の永遠の創造の、歴史的最終行程に位置付けられた、時代のご計画の姿なのです。
*“終末”と言うと、時間的切迫した、《終りの時》と言う感覚で捉えられ易いのですが、
神が人と成られて、世に顕れられた《クリスマス》が、実は終末の始まりなのです‼️
ですからもう終末は始まっているのです‼️
*あなたが生まれた時より
*あなたがクリスチャンになった時より、
更に時が刻まれているのです。
即ち、私たちの信仰は、『アーメン❗主イエスよ来たりませ‼️』と告白するのが、最大の信仰なのです。
7節ー8節は、正に、その事を示しているのです。
私達が、こうして、黙示録を学んでいる最中に、主が雲に乗ってこられる・・=と言う出来事があっても、不思議ではないのです。
だからと言って、緊迫して何も手に着かなくなってしまう・・・って言うのは❗間違いです。
良く云われる言葉に『明日、世の終わりが来たとしても、今日❗私は木を植える‼️』実はこれが終末信仰の、証し人の姿(生きざま)なのです。
(さ)(ぁ) 今日も、主のご来臨を、切に待ち望みながら、赦し・愛し・伝え・学び・仕事に励み・賛美し・祈り・与え・・・・いつもと変わらない生活に、真実に向き合って参りましょう。
主はあなたのその姿を見守って下さっています。ハレルヤ‼️
 詩篇 72篇12節~20節

72:12 それは王が叫び求める貧しい者や助ける人のない苦しむ者を救い出すからです。
72:13 王は弱い者や貧しい者をあわれみ貧しい者たちのいのちを救います。
72:14 虐げと暴虐から王は彼らのいのちを贖います。王の目には彼らの血は尊いのです。
72:15 どうか王が生き続け彼にシェバの黄金が献げられますように。王のためにいつも彼らが祈り絶えず王をほめたたえますように。
72:16 大地には穀物が豊かにあり山々の頂では実がレバノンのようにたわわに揺れ町の人々は地の草花のように咲き誇りますように。
72:17 王の名がとこしえに続きその名が日の照るかぎり増え広がりますように。人々が彼によって祝福されすべての国々が彼をほめたたえますように。
72:18 ほむべきかな神である【主】イスラエルの神。ただひとり奇しいみわざを行われる方。
72:19 とこしえにほむべきかなその栄光の御名。その栄光が全地に満ちあふれますように。アーメン、アーメン。
72:20 エッサイの子ダビデの祈りは終わった。
 2024年11月17日(日)リビングライフQT

何と高潔なダビデの祈りでしょう。

ダビデは清廉潔白で、その生涯は勝利の連続で、試練も寄せ付けない、輝いた生涯だったかと言うと、敢えて言えばその正反対な生涯でした。
*一介の貧しい羊飼いの少年でした。
*取り立てられて、イスラエルの王の信任を受けて、将軍にまで上り詰め、連戦連勝の、武勲豊かな国の宝とも言われる器となりました。
*そのため、王から疎(ウト)まれて、命狙われ、転々流浪の逃避行の日々を送りました。
やがてサウル王の死に伴い、ダビデ王朝初代の王になりました。
*彼の治世は、近隣の諸偶像の民との間に緊張感がありましたが、主なる神の護りと、与えられた選びとその力量、それにも増して、信仰の人として、民の人望厚く、不動の地位を築きました。
*しかし、彼の生涯で唯一の、汚点(第二サムエル記11~12章)は、ダビデの全てを、押し流してしまうような、大きな罪でした。
*しかし、ダビデは神に悔い改め、霊の指導者ナタンの前にへりくだりました。
しかし神からの厳しい罰(子供を失う)を受けました。(第二サムエル12章)
*その後与えられた子が《ソロモン》です。
*彼の生涯で再び、命を狙われる、危機に直面しました。息子アブシャロムの反乱です。しかし、国を二分する闘いは、アブシャロムの非業な最期で終止符をうったが・・・
*晩年に、後継者問題で、部下の中から謀反が生じ、騒然とする事態の中、彼を赦免して、国を安定に導き、遂にソロモンへと、バトンを繋いだのでです。

我らの救い主、イエス様は、ダビデの子孫として世に顕れ、救いの道を開かれた‼️
多くの苦難と、血を流す戦いと、罪の憎悪の中に生きたダビデが、救い主の系図の原点となられた・・・と言う歴史のメッセージは、この罪の歴史の中から、神は、永遠の救いと潔めの道を、開かれたのです。
それは、ダビデの信仰の故です‼️
ダビデは人間の弱さを持ちながら、私たちの信仰の模範となったのです。
神はそのためにダビデを、選ばれたのです。
詩篇72篇は、その信仰のもっとも基本を、指し示した、集大成の詩だと言えます。   
私は今一度、14日に遡って、72篇全体を、通して読んで、神の恵みを深く味わいました‼️
ダビデの最後の、神への賛美です。
この様な賛美を主に捧げたいですね

明日(18日)のテキスト

 詩篇 72篇1節~11節

<ソロモンのために。>

72:1 神よあなたのさばきを王にあなたの義を王の子に与えてください。
72:2 彼が義をもってあなたの民をさばきますように。公正をもってあなたの苦しむ民を。
72:3 山も丘も義によって民に平和をもたらしますように。
72:4 王が民の苦しむ者たちを弁護し貧しい者の子らを救い虐げる者どもを打ち砕きますように。
72:5 彼らが日と月の続くかぎり代々にわたってあなたを恐れますように。
72:6 王は牧草地に降る雨のように地を潤す夕立のように下って来ます。
72:7 彼の代に正しい者が栄え月がなくなるときまでも豊かな平和がありますように。
72:8 海から海に至るまで川から地の果てに至るまで王が統べ治めますように。
72:9 砂漠の民は王の前に膝をつき王の敵はちりをなめますように。
72:10 タルシシュと島々の王たちは貢ぎを納めシェバとセバの王たちは贈り物を献げます。
72:11 こうしてすべての王が彼にひれ伏しすべての国々が彼に仕えるでしょう。
 2024年11月16日(土)リビングライフQT
 
イスラエルの歴史をふり返ると、民は、幾多の苦難と戦いながらも、多くの指導者(士師達・預言者)によって導かれました。ところが民は、近隣の諸部族が、王を立て、その下で組織化された、軍を持つのを見て、神に《王》を立てることを、預言者サムエルを通して、要求しました。
神は、ご自身が立てた預言者サムエルをおいて、王を求めることに、悲しみを持ちながらも、民の求めに応じて、《サウル》を、王として与えました。
初めサウルは神に忠実な僕として、民を治めていましたが、次第に力を増して、国が統率されるのに気を良くし、又、戦いの度にサムエルを通して神の指示があるのを由とせず、神の導きに従わなくなったのです。
サムエルから厳しく叱責されても心開かず、頑なになっていきました。
そのような中で、ペリシテ人との戦いで、苦戦を強いられた時に、ペリシテの巨人ゴリヤテが一騎討ちを申し出た中、誰一人これに迎え打つ者の出ないまま、膠着状態にあったのです。たまたまそこに居あわせた、羊飼いの少年ダビデが、申し出てゴリアテと一騎討ちをして、見事に打ち倒し、ペリシテに決定的勝利をもたらしたのです。
サウル王はダビデを召し抱えましたが、ダビデの名声が高まり、王の威光が薄らいだと勘違いし、ダビデを殺そうと計る・・中略・・
~これ等の経緯は、第一サムエル記に記されています~
この様な中から、ダビデが神によってイスラエルの正式な王として立てられました。
信仰の人《ダビデ》は、一度は失敗をしましたが、悔い改めと徹底した信仰の回復へと向かい、彼から次の世代に続く、王政への理想の支配の姿を、その子ソロモンに、示すために書かれたのがこの《72篇》なのです。
謂わば、これはダビデの、人生の集大成の詩だと言えるものです。
この詩篇は、今の時代に生きる私達の為の詩でもあるのです。
人類の歴史の中に、このような王(指導者)が治める世界があったなら、どんな世界が見えてくるでしょうか。
また、このような世界は、正に、イエス・キリストを王とする、神の国を表しています、そして、その世界を世に示すのが・・《イエス・キリスト様の~教会~》と言えるのです。
今朝、私達はこの様なお方に導かれている神の国の民として、心新たに、歩みだしましょう‼️
 詩篇 71篇14節~24節

71:14 しかし私は絶えずあなたを待ち望みいよいよ切にあなたを賛美します。
71:15 私の口は絶えず語り告げます。あなたの義と救いとを。そのすべてを私は知っておりませんが。
71:16 【神】である主よ私はあなたの力とともに行きます。あなたのただあなたの義だけを心に留めて。
71:17 神よあなたは私の若いころから私を教えてくださいました。私は今なおあなたの奇しいみわざを告げ知らせています。
71:18 年老いて白髪頭になったとしても神よ私を捨てないでください。私はなおも告げ知らせます。あなたの力を世に。あなたの大能のみわざを後に来るすべての者に。
71:19 神よあなたの義は天にまで届きます。あなたは大いなることをなさいました。神よだれがあなたのようでしょう。
71:20 あなたは私を多くの苦難とわざわいとにあわせられましたが私を再び生き返らせ地の深みから再び引き上げてくださいます。
71:21 あなたが私の偉大さを増し振り向いて私を慰めてくださいますように。
71:22 私もまた琴であなたをほめたたえます。わが神よあなたの真実を。私は竪琴に合わせてあなたにほめ歌を歌います。イスラエルの聖なる方よ。
71:23 私があなたにほめ歌を歌うとき私の唇は高らかに歌います。あなたが贖い出された私のたましいも。
71:24 私の舌も絶えずあなたの義を告げます。私のわざわいを求める者どもが恥を見て屈辱を受けるからです。
 2024年11月15日(金)リビングライフQT
 
14節: しかし私は 
絶えずあなたを待ち望み
いよいよ切に
あなたを賛美します‼️

なんと言う
偽りのない無垢な、主への告白でしょう
魂の底から、このように歌い上げる、この作者は、何と素晴らしい恵みの僕でしょう‼️
主なる神は、この様な僕の告白を、どんなにお喜びでしょうか。
全ての民が、この様な賛美を捧げたら、世界はどの様な姿に変わる事でしょう。
これは、誉める‼️・・と言う行為ではなく、
溢れる恵への、魂の躍動を全身全霊で捧げきった、賛美ですね。
思わず、ペンを置いて、私も声をあげて、主なる神に、これ等の言葉を御借りして、告白しました。

何と、魂が晴れ渡り、言葉が夜空の星のように耀き拡がるようです‼️
主を賛美し、主に感謝し、主に思いを捧げるときには、魂を込めて、高らかに‼️歌い(謳い)あげる者でありたい‼️と、改めて深く思いました。
今日のテキストを、先程書いたように、歌いあげると、途中の区切りで、思わず
 (は)(れ)(る)(や)
    (あ)(ー)(め)(ん)
と、賛美の言葉が口を突いて飛び出しました。
真に主は❗
真実なお方‼️
主よあなたに優る御方は居られません‼️
    (あ)(ー)(め)(ん)
このお方を、終生語り続けましょう
あなたの・私の魂は、更に祝福に包まれるでしょう

明日(16日)のテキスト
詩篇 72篇1節~11節 
 詩篇 71篇1節~13節

71:1 【主】よ私はあなたに身を避けています。私が決して恥を見ないようにしてください。
71:2 あなたの義によって私を救い助け出してください。あなたの耳を私に傾け私をお救いください。
71:3 私の避け所の岩となってください。いつでもそこに入れるように。あなたは私の救いを定められました。あなたは私の巌私の砦なのです。
71:4 わが神よ私を悪者の手から助け出してください。不正を行う者や残虐な者の手から。
71:5 【神】である主よあなたは私の望み若い日からの拠り所。
71:6 私は生まれたときからあなたに抱かれています。あなたは私を母の胎から取り上げた方。私はいつもあなたを賛美しています。
71:7 私は多くの人にとって奇跡と思われました。あなたが私の力強い避け所だからです。
71:8 私の口にはあなたへの賛美があなたの栄えが絶えず満ちています。
71:9 年老いたときも私を見放さないでください。私の力が衰え果てても見捨てないでください。
71:10 私の敵は私のことを相談し私のいのちを狙う者がともに企みます。
71:11 彼らは言っています。「神は彼を見捨てたのだ。追いかけて彼を捕らえよ。救い出す者はいないから。」
71:12 神よ私から遠く離れないでください。わが神よ急いで私を助けてください。
71:13 私をなじる者どもが恥を見て消え失せますように。私を痛めつけようとする者どもが恥辱と恥でおおわれますように。
 2024年11月14日(木)リビングライフQT
 
この詩の詠み人は、終始、窮地にある自らを、救い出してくださるように・・・と、
彼の信頼して止まないお方(主なる神)に、言葉を重ねて嘆願しています。
しかし、その叫びにも似た主への切実な訴えは、単に窮地に立った人の、絶望的叫びにはなっていない。
決して、余裕在る中から歌い挙げた、作品とも言えない、切迫感を感じながら、何がこの詩の中から、不動の平安さを感じるのだろうか(はてな)
その様な固い基盤を感じさせる言葉を、拾ってみました。
*3節~私の避け処と
 なってください
 あなたは私の巌
 私の砦なのです。
*5節~神である主よ
 あなたは私の望み
 若い日からの拠り所
*6節~私は生まれ
 たときからあなた
 に抱かれています
 あなたは私を母の胎
 から取り上げた方
 私はいつもあなたを
 賛美しています
*8節~私の口には 
 あなたへの賛美が
 あなたの栄えが絶
 えず満ちています。

これらの、神への告白が、神の恵みと一体となって、回りに響き渡り、惨めさ、悲惨さは影を潜め、どん底の暗黒の中に、光が差し込んでいるからです。
私達の祈りが、たとえ苦悩の中から振り絞る様な、祈りであっても、光射す神の臨在が証されるでしょう。
このような祈りを今日も捧げて参りましょう。
 詩編 70篇1節~5節

<70> シガヨンの歌。ダビデによる。ベニヤミン人クシュのことについて【主】に歌ったもの。

70:1 神よ私を救い出してください。【主】よ急いで私を助けに来てください。
70:2 私のいのちを求める者たちが恥を見辱められますように。私のわざわいを喜ぶ者たちが退き卑しめられますように。
70:3 「あはは」とあざ笑う者たちが恥をかいて立ち去りますように。
70:4 あなたを慕い求める人たちがみなあなたにあって楽しみ喜びますように。あなたの救いを愛する人たちが「神は大いなる方」といつも言いますように。
70:5 私は苦しむ者貧しい者です。神よ私のところに急いでください。あなたは私の助け私を救い出す方。【主】よ遅れないでください。
 2024年11月13日(水)リビングライフQT

ダビデの詩篇には、今朝の1節~3節 にうたわれているような、自分の願い事(願望)を全面に押し出して、訴える叫びのような、詩をしばしば見ますね
それがダビデが人生で直面した。多くの現実でした。
主なる神は、ダビデが少年時代から、神の御懐の中に生きる様な、まっすぐに、神の《いのち》の中に生き、ダビデの神への全き信頼が、ユダ(イスラエル)に、勝利と繁栄をもたらしたのです。
しかし、近隣の部族は隙あらば、攻撃の手を緩めずに、更に、サウル王からの、嫉妬から、命を狙われ、やっと安定した平安な日々から、突如王座を奪われる…
生きながらにして、死と屈辱を味わわされる、
逃避行の日々を送るのです。
その様なダビデの現実を、最も端的に顕した、苦悩の叫びです。
ところが、4節ー5節に眼を転じると、直前の叫びと訴えは、同じページの上では、繋がらないと思うほど、矛先が変わるのです。
私達が、苦しみに会い、激しく打ちのめされるとき、同じ様に、叫ぶでしょう!もっと激しく、主に迫るかもしれません。『何故ですか、助けて下さらないのですか』・・・etc.
言い換えると、自分のことしか見えなくなった、どん底の叫びに終始する事がほとんどなのですが・・・
続くダビデの祈りの訴えは、「御民を通して、主なる神の御名が、称えられるように・・‼️」
これがダビデの、願いであり、祈りの帰する所なのです‼️
4節
あなたを慕い求める人たちがみな あなたにあって楽しみ喜びますように。あなたの救いを愛する人たちが「神は大いなる方」といつも言いますように。
こんな祈りの人となりたいですね
 ‼️‼️主は勝利‼️‼️
 詩編 69篇29節~38節

69:29 私は苦しんで痛みの中にいます。神よ御救いが私を高く上げますように。
69:30 歌をもって私は神の御名をほめたたえ感謝をもって私は神をあがめます。
69:31 それは雄牛にまさって【主】に喜ばれます。角が生えひづめが割れた若い牛にまさって。
69:32 心の貧しい者たちよ見て喜べ。神を求める者たちよあなたがたの心を生かせ。
69:33 【主】は貧しい者に耳を傾け捕らわれたご自分の民を蔑まれない。
69:34 天地よ主をほめたたえよ。海とそこにうごめくすべてのものも。
69:35 まことに神はシオンを救いユダの町々を建て直される。彼らはそこに住みそこを自分たちの所有とする。
69:36 主のしもべたちの子孫はその地を受け継ぎ御名を愛する者たちはそこに住む。
 2024年11月12日(火)リビングライフQT

何と、ダビデの魂は不死鳥のように飛び立ち、その羽音が、辺りに新しい力を沸き立たせます‼️
 (は) (れ) (る) (や)  (!!)
ダビデは痛み、苦しみの真中にいながら、それを告白しながらも❗
苦悩の詩の締めくくりは、再び神への感謝と賛美に、声をあげるのです‼️
30節~歌をもって 私は神の御名をほめたたえ 感謝をもって 私は神を崇めます。
ダビデは、何か素晴らしい結果を、神が見せてくださったから、
感謝をもって・・・
ではないのです。
ただ、《神が》《神であるが故に》神に感謝し、神に賛美と感謝を捧げるのです‼️
これがダビデの信仰であり、神との関係なのです。
ですから、ダビデの詩は、どれも極めて、力強く、明るく、魂に響いてくるのです。
ダビデは打たれれば打たれるほど、彼の神への密着度は増し、神への賛美は、更に更に高らかに香りを放つのです。
それは、彼の詩作の手腕によるのではなく、ダビデの主なる神への賛美(叫び)が、大きければ大きいほど、反射して返ってくる、神の愛と慈しみが、倍加して響いてくるのではないか‼️・・・と
読みながら、そんな感情が湧いてきます。
もうひとつ、心に止まることは、
彼の呻きや、苦悩や、心の痛みは、ダビデ個人の受難の出来事ではなく、サタンが敵対する、神の選ばれた世界(自分を含め)に対する苦悩であることを、深く嘆いての、霊的戦いなので、彼の魂は、個人的な痛みを遥か越えた苦悩として、神に訴え、叫んでいるのです‼️
ですから、締めくくりでは、
34節ー35節~
*天地よ 主をほめたたえよ・・・
*まことに神は  
    シオンを救い
ユダの町々を 
   建て直される。
私達に神様との関係を、新たに明らかに示された、詩となりましたね        ハレルヤ‼️
 詩編 69篇13節~28節

69:13 しかし私は【主】よあなたに祈ります。神よみこころの時にあなたの豊かな恵みにより御救いのまことをもって私に答えてください。
69:14 私を泥沼から救い出し沈まないようにしてください。私を憎む者どもから大水の底から救い出してください。
69:15 奔流が私を押し流さず深い淵が私を?み込まず穴が私の上で口を閉じないようにしてください。
69:16 【主】よ私に答えてください。いつくしみ深いあなたの恵みのゆえに。あなたのあわれみの豊かさにしたがって私に御顔を向けてください。
69:17 あなたのしもべに御顔を隠さないでください。私は苦しんでいます。早く私に答えてください。
69:18 私のたましいに近づきこれを贖ってください。そうして私の敵から私を贖い出してください。
69:19 あなたはよくご存じです。私への嘲りと恥と恥辱とを。私に敵する者はみなあなたの御前にいます。
69:20 嘲りが私の心を打ち砕き私はひどく病んでいます。私が同情を求めてもそれはなく慰める者たちを求めても見つけられません。
69:21 彼らは私の食べ物の代わりに毒を与え私が渇いたときには酢を飲ませました。
69:22 彼らの前の食卓は罠となり栄えるときに落とし穴となりますように。
69:23 彼らの目が暗くなり見えなくなりますように。その腰がいつもよろけますように。
69:24 あなたの憤りを彼らの上に注いでください。燃える怒りを彼らに追いつかせてください。
69:25 彼らの宿営が荒れ果てその天幕から住む者が絶えますように。
69:26 彼らはあなたが打たれた者を迫害しあなたに刺し貫かれた者の痛みを言いふらします。
69:27 どうか彼らの咎に咎を加え彼らをあなたの義のうちに入れないでください。
69:28 彼らがいのちの書から消し去られますように。正しい者と並べて彼らが書き記されることがありませんように。
 2024年11月11日(月)リビングライフQT

ダビデの詩は、更に展開していきます。
昨日の神への訴えは、
ダビデが直面している、激しい迫害と挑戦は、神の永遠のご計画の、贖罪を担うものとして受ける、苦しみであり、この苦しみを通して、辱しめられることのない様に・・・との切実な祈りがにじんでいましたが・・・・更に展開する祈り(神への願い)は、余りに激しく迫り来る敵の、理由なしの屈辱・辱しめ・攻撃に対して、切実な解放と自由を求めて祈る、具体的な内容の願いとなって展開してきました。
その祈りの言葉の表現は、非常に具体的であり、ダビデ自身がどのように感じ、味わっているか・・・が、この詩を読む人に迫ってくる程の、現実性を感じますね。
私達は、“祈り”が、言葉を選んで、宗教的?“祈祷”と言う、信仰の行為としての型に流れたりしてはいないでしょうか(はてな)
ダビデの祈りは、裸になって、そのままの姿を言葉に乗せて、訴えているのです。
そこにダビデの主なる神への信頼と、親密(接近)感が伺えるのです。
*なかなか祈りの体制に入れない。
*集中して祈る時間が持てない。
*祈りの言葉が出て来ない。
そんな思いをしばしば打ち明けられことがあります。
そうでしょうか。祈りは改まって、言葉を整えて、主なる神に捧げる(❓)ものなのでしょうか(はてな)
祈りは、宗教的行為ではありません。
イエス様は、信心の対象(失礼な表現ですが)なのでしょうか(?)
とんでもない‼️イエス様は、あなたを愛して、御自身の命さえ投げ出して、あなたを・私を、死から命に、滅びから命に移して下さったお方です。
あなたの全てを知って、あなたの訴えを知って下さるお方です。
ただあなたの訴えるより先に知ってくださってはいますが、
訴えるより先に、手を伸べられません。あなたと繋がろうと、願って、あなたの祈り訴えるのを、待っておられます。
主なる神は、あなたと言葉と想いで繋がりたいと、願っておられるのです。
仰々しく祈りの座に出てくるあなたを、求めてはおられません。
ボロボロになって、涙でで濡れて、傷だらけのまま、飛び込んでくるあなたを待っておられるのです。
ダビデが、神のもとに駆け込むのを待っておられるほど、自分の弱さを知っておられる、そのような主を、知っていたのです。
ですから、飾ることなく、主に背くような道に逸れた時でさえ、
ダビデは、這うようにして、主の前に出たのです。
そんなダビデを主は愛されたのです‼️
ダビデは、そのような神様との関係に生きていたので、敵対するものに対する、徹底した滅亡をその信仰から、神に願ったのです。
それが22節~の敵の滅びを求める祈りと訴えとなったのです。
このような確信は、
13節~神よ、みこころの時に・・・御救いのまことをもって、わたしに答えてください。
16節~主よ、私に答えてください。・・・
私に御顔を向けてください。
17節~あなたの御顔を隠さないでください。
・・・早く私に答えてください。・・・
何と言う、確信に満ちた祈りでしょう❗
  訴えでしょう‼️
祈りの革命です。更に深く、更に強く、主との絆が結ばれることでしょう。
そんなあなたを主は待っておられます。 
    (は)(れ)(る)(や)
  詩編 69篇1節~12節

<69> 指揮者のために。「ゆりの花」の調べにのせて。ダビデによる。

69:1 神よ私をお救いください。水が喉にまで入って来ました。
69:2 私は深い泥沼に沈み足がかりもありません。私は大水の底に陥り奔流が私を押し流しています。
69:3 私は叫んで疲れ果て喉は渇き目も衰え果てました。私の神を待ちわびて。
69:4 ゆえなく私を憎む者は私の髪の毛よりも多く私を滅ぼそうとする者私の敵偽り者は強いのです。私は奪わなかった物さえ返さなければならないのですか。
69:5 神よあなたは私の愚かさをご存じです。私の数々の罪過はあなたに隠されていません。
69:6 万軍の【神】主よあなたを待ち望む者たちが私のために恥を見ないようにしてください。イスラエルの神よあなたを慕い求める者たちが私のために卑しめられないようにしてください。
69:7 あなたのことで私はそしりを受け恥辱が私の顔をおおっているのです。
69:8 私は自分の兄弟からのけ者にされ母の子らにはよそ者となりました。
69:9 それはあなたの家を思う熱心が私を食い尽くしあなたを嘲る者たちの嘲りが私に降りかかったからです。
69:10 私が断食しわが身を泣き悲しむとそれが私への嘲りのもととなりました。
69:11 私が粗布を自分の衣とすると私は彼らの物笑いの種となりました。
69:12 門に座る者たちは私のうわさ話をし私は酔いどれの歌になりました。
 2024年11月10日(日)リビングライフQT

何と慰めようもない、嘆き(そんな言葉では表現できない程の)と叫びです。言葉もありません。
ダビデが経験した屈辱・・敗北・無視・・・存在しない方が余程幸せ(はてな)と、自己存在否定にさえ行き着いてしまうほどの、絶望
こんな経験誰がするでしょう。ダビデは王です。その権力の頂点に立つダビデが・・・❓
いや権力の頂点に立つが故に、全てを辱しめられて、剥がされる姿に、この叫びが噴出したのではないでしょうか。
*底無し沼にはまり、次第に沈んでいく
*洪水に押し流されて、その急流に・・
*主なる神の前に、何一つ隠されたものはないまでに、御手に取り扱われて(赦されて)きたのに・・・(人々は攻め立てる)
*10節・11節・12節~
何をしても、物笑いの種になる
この様な経験ないでしょうか(はてな)
何て酷い、企み・阻害でしょう。
私はこの絞り出す様な、呻きを遣りきれない想いで読みながら、ふと、在る事に気付いたのです。・・それは.私の救い主イエス様が、十字架の上で叫ばれた、“あの言葉”を、思い出したのです。
《エリ エリ レマ サバクタニ  ⁉️=我が神、我が神、どうして私をお見捨てになったのですか⁉️》
ダビデの末として、世に顕れる神の御子イエス・キリスト様が、十字架の上で苦悩され、屈辱を味わわれ、恥辱の限りを尽くして、罵られた・・・あのお姿を、ダビデは1000年前に、予表されたのです。
正にこの69篇は、メシヤの、贖罪の苦悩の叫びなのです。
私達罪人の、罪の苦悩と恥辱を、一身に担われた主イエス様を、彷彿とさせる詩です。
更に明日にも明後日にも続くのですが、改めて、主の購いの業の、尊さ・計り知れない御神の愛を知らされる、言葉の叫びだ・・・と、ただひれ伏して、主の前におののくばかりです。
主よ❗
ありがとうございます‼️
ただただ感謝するばかりです‼️
  詩篇 68篇19節~35節

68:19 ほむべきかな主。日々私たちの重荷を担われる方。この神こそ私たちの救い。セラ
68:20 神は私たちの救いの神。死を免れるのは私の主【神】による。
68:21 神は必ず敵の頭を打ち砕かれる。自分の罪過のうちを歩む者の毛深い脳天を。
68:22 主は言われた。「わたしはバシャンから彼らを連れ帰る。海の深みからも連れ帰る。
68:23 あなたが彼らを打ち砕き足を血に染めあなたの犬たちの舌が敵の血をなめるために。」
68:24 神よ人々はあなたの行列を見ました。聖所で私の王私の神の行列を。
68:25 歌い手が前を進み楽人が後に続く。タンバリンを鳴らすおとめたちのただ中を。
68:26 「相集って神をほめたたえよ。イスラエルの泉から【主】をほめたたえよ。」
68:27 そこには彼らを導く末子のベニヤミンがいる。その群れの中にはユダの君主たちゼブルンの君主たちナフタリの君主たちもいる。
68:28 あなたの神はあなたの力を現れさせました。神よあなたが私たちに示された力を。
68:29 エルサレムにあるあなたの宮のゆえに王たちはあなたに献上品を携えて来ます。
68:30 葦の中の獣を叱ってください。国々の民の子牛を連れた雄牛の群れを。彼らは銀の品々を踏みつけています。戦いを喜ぶ国々の民を散らしてください。
68:31 貢ぎ物はエジプトから到来しクシュは神に向かって急いで手を伸ばします。
68:32 地の王国よ神に向かって歌え。主にほめ歌を歌え。セラ
68:33 いにしえから天の天を御される方に。聞け。神は御声を発せられる。力強い御声を。
68:34 力を神に帰せよ。威光はイスラエルの上に御力は雲の中にある。
68:35 神よあなたは恐るべき方。あなたはご自分の聖なる所におられます。イスラエルの神こそ力と勢いを御民にお与えになる方です。ほむべきかな神。
 2024年11月9日(土)リビングライフQT

19節《日々、私たちの重荷を担われる方。この神こそ 私たちの救い。》

神が私たちの重荷を…
この言葉こそ、私の、あなたの、存在の根幹となる、大切な言葉です。
詩篇の8章4節に《人とは何者なのでしょう、あなたがこれに心留められるとは。》と歌われた箇所がありますが、この“神様”こそが、私達人間の救い(永遠の命を付与して生かして下さる)なのです。
何故なら、このお方が、御自身の全てを注いで、御創造下さったのですから。
神ご自身には、修正・やり直し・帳消し・・はないのです‼️
ただ完成に向けた、愛とご計画と道筋だけが拓かれているのです。
人は、立ち止まったり、やり直そうとしたりしますが、実は、私達にとっても、それは、あり得ないのです。
何故なら、主なる神は、一時も休まず、あなたに、私に、その慈しみの眼を向けておられるのですから、そこから逃れることはできないのです。
先ず、この様なお方が意図をもって、あなたをお造りになられたのですから、その御眼から、逃れることはあり得ないのです。
冒頭から、この様な重い“主なる神の愛”を示し書いたのは・・・
この様な思い(心)をもって、今日の詩篇を、読んで頂きたかったからです‼️
正に、この賛美は、地の全ての民が、魂の底から賛美する・・・
 (わ)(た)(し)(た)(ち)(の)
賛美としたいのです‼️
ダビデの歌った賛美なので、イスラエルの民・バシャン(パレスティナ北方の山々)・エジプト等の、特定地域の名称で語られていますが、
そこを、私達の回りの名称に置き換えても‼️
私達は、祈り・賛美が、自らのうちに向かわず、常に神に向かって叫び歌い、捧げるとしたら、私達の内なる魂はどれ程、躍動し、勝利の叫びへと導かれるのではないでしょうか‼️
  (は)(れ)(る)(や)(!!)
 詩篇 68篇1節~18節

<68> 指揮者のために。ダビデによる。賛歌。歌。

68:1 神は立ち上がりその敵は散り失せる。神を憎む者たちは御前から逃げ去る。
68:2 煙が追い払われるように追い払ってください。ろうが火の前で溶け去るように悪しき者が神の御前から滅び失せますように。
68:3 しかし正しい者たちは小躍りして喜ぶ。神の御前で喜び楽しむ。
68:4 神に向かって歌い御名をほめ歌え。雲に乗って来られる方のために道を備えよ。その御名は【主】。その御前で喜び躍れ。
68:5 みなしごの父やもめのためのさばき人は聖なる住まいにおられる神。
68:6 神は孤独な者を家に住まわせ捕らわれ人を歓喜の歌声とともに導き出される。しかし頑迷な者は焦げつく地に住む。
68:7 神よあなたが御民に先立って出て行き荒れ野を進み行かれたときセラ
68:8 地は揺れ動き天も雨を降らせました。シナイにおられる神の御前で。イスラエルの神である神の御前で。
68:9 神よあなたは豊かな雨を注ぎ疲れたあなたのゆずりの地を堅く立てられました。
68:10 あなたの群れはその地に住みました。神よあなたはいつくしみをもって苦しむ者のために備えをされました。
68:11 主はみことばを与えてくださる。良き知らせを告げる女たちは大きな群れ。
68:12 軍勢の王たちは逃げまた逃げる。家に残った女たちは獲物を分け合う。
68:13 羊の囲いの中に横たわるとしてもあなたがたは翼が銀でおおわれてきらめく黄金で羽がおおわれた鳩のようだ。
68:14 全能者が王たちをその地で散らされたときツァルモンには雪が降っていた。
68:15 神々しい山バシャンの山よ。峰を連ねた山バシャンの山よ。
68:16 峰を連ねた山々よ。なぜおまえたちはねたみ見るのか。神がその住まいとして望まれたあの山を。まことに【主】はとこしえにそこに住まわれる。
68:17 神の戦車は幾千万と数知れず。主はその中におられる。シナイの神は聖所の中に。
68:18 あなたは捕虜を引き連れていと高き所に上り人々に頑迷な者どもにさえ贈り物を与えられた。神であられる【主】がそこに住まわれるために。
 2024年11月8日(金)リビングライフQT

この詩篇は、モーセに、シナイ山で神ご自身が、イスラエルの民の前に、驚異と輝きの中に、ご自身を顕された‼️あの感動を呼び覚ますような、ダイナミックな賛美ではないでしょうか。


ダビデは幾多の試練・排除・屈辱・・・を味わってきた僕(王となってからも)としての歩みを重ねてきました。
この賛美を歌い上げた後にも、彼の生涯は、試練の波を被ること、幾度でしたでしょう。
しかし、それだけに、その中に、主なる神の熱い保護と、敵の排除・孤独の中の覆いとなってくださったことを、幾度経験してきたことでしょう。
だからこのような勝利に特化した、詩をうたいあげられたのではないでしょうか。
今、心折れそうになっている方、先が見えずに、敗北が目の前に迫っているのではないか・・・と、危ぶんでいる方、
もう一度、このダビデの詩を、声を出して読んでみてください。
あなたの心は満たされ、あなたの魂は、側に居て下さる主の温もりと平安を、感じる事でしょう。物理的に、《読む》のではなく、あなたの魂を言葉に注ぎ込んで、主に向かって告白するのです。あなたの言葉として、信仰として‼️
 詩篇  67篇1節~7節

<67> 指揮者のために。弦楽器に合わせて。賛歌。歌。

67:1 どうか神が私たちをあわれみ祝福し御顔を私たちの上に照り輝かせてくださいますように。セラ
67:2 あなたの道が地の上で御救いがすべての国々の間で知られるために。
67:3 神よ諸国の民があなたをほめたたえ諸国の民がみなあなたをほめたたえますように。
67:4 国々の民が喜びまた喜び歌いますように。それはあなたが公平に諸国の民をさばき地の国民を導かれるからです。セラ
67:5 神よ諸国の民があなたをほめたたえ諸国の民がみなあなたをほめたたえますように。
67:6 大地はその実りを産み出しました。神が私たちの神が私たちを祝福してくださいますように。
67:7 神が私たちを祝福してくださり地の果てのすべての者が神を恐れますように。
 2024年11月7日(木)リビングライフQT

詩篇は、度々私達の目を覚まして下さいます。
《詩》と言うと、個人的な情緒の中から溢れ出る、心に染み渡る喜怒哀楽の波が、寄せては返しながら、心を洗い、揺さぶり、高揚させ、慰める・・・‼️そんな思いを持つものです。確かに、150篇からなる、聖書の詩篇は、その様な詩も多く歌われています。
しかし、多くは、主なる神との対話・神への賛美・訴え・告白・・という、主なる神との実に素直な賛美で構成されています。ですから、私達は詩篇を読むとき、そこに、今の自分を重ねるように、読んで行きましょう
それ故に、今朝の67篇のように、“私”一人の願いや思いではなく、神ご自身が、全ての民の神として、褒め称えられるように‼️・・・と、歌い上げるときに、何と力強く、愛と慰めに富む神のみ手が、迫るように霊に触れて下さるのを感じる事でしょう。
何かをして下さる神・・・と言う、お方としてではなく、世界を統べ治められ、どんな時にも側に居て、私達を包んでくださる‼️身近なお方として、迫って来てくださるのです。
国境も、民族も、文化も全く違った世界の民も、同じお方を崇め、同じように賛美し褒め称えている‼️なんと、素晴らしい世界でしょう
*諸国の民が
*国々の民が
*地の果てのすべての
者が・・・今朝のこの言葉は、聖書に生きる、全ての民の悲願ですね
この様な者として、私達を御創造下さった神に、今朝新たに、魂の声を大にして、叫びましょう‼️
 (は)(れ)(る)(や)(!!)

明日(8日)のテキスト
 詩篇  66篇8節~20節

66:8 国々の民よ私たちの神をほめたたえよ。神の誉れをたたえる声を響き渡らせよ。
66:9 神は私たちのたましいをいのちのうちに保ち私たちの足を揺るがされない。
66:10 神よまことにあなたは私たちを試し銀を精錬するように私たちを錬られました。
66:11 あなたは私たちを網に引き入れ私たちの腰に重荷を負わされました。
66:12 あなたは人々に私たちの頭をまたがせ私たちは火の中水の中を通りました。しかしあなたは私たちを豊かな所へ導き出してくださいました。
66:13 私は全焼のささげ物を携えてあなたの家に行き私の誓いをあなたに果たします。
66:14 それは私の苦しみのときに唇を大きく開きこの口で申し上げた誓いです。
66:15 私は肥えたものを全焼のささげ物として雄羊のいけにえの煙とともにあなたに献げます。雄牛を雄やぎとともに献げます。セラ
66:16 さあ聞けすべて神を恐れる者たちよ。神が私のたましいになさったことを語ろう。
66:17 私はこの口で神を呼び求めこの舌で神をあがめた。
66:18 もしも不義を私が心のうちに見出すなら主は聞き入れてくださらない。
66:19 しかし確かに神は聞き入れ私の祈りの声に耳を傾けてくださった。
66:20 ほむべきかな神。神は私の祈りを退けず御恵みを私から取り去られなかった。
 2024年11月6日(水)リビングライフQT

私達の信仰と祈り‼️

何時も何処かで、単純に・・・
《祈ったら聴かれる》
と、言った感覚が、心の奥深くに沈着してはいないでしょうか。
自然宗教(神道)・仏教・派生した様々な諸宗教・新興宗教・民族宗教・慣習等々、それらの中で生きてきた私達は、この矛盾に満ちた世界、不安定な自然の変転・人の欲望による心の歪み・憎しみ・不寛容・傲慢・・・人社会の何と歪んだ姿でしょう。しかし、その中に生きる私達が正にその渦の中に巻き込まれ、汚れ傷付き倒れる現実の中で、ただ願うのは、この苦悩を聴いて見て助けて下さるお方が、何処かにいる(何)
その願いを込めて、宗教を立ち上げ、神なるお方を、想像の世界から現実の生活の中に、導き入れて来たのです。その神❓《神々》
は、当然、人の願いを聴くお方として、想定し存在すると信じ始めたのです。
ですから、《祈り》とは、その様な流れの中で、祈り=お願い・ーとして用いられて来たのです。
しかし、詩篇を読むと、祈りが、全く違った世界となって、拓かれて来るのです。
即ち、祈りは賛美であり、神への告白であり、この世に生を受けた全ての人々が、こぞって、私たちを造られたお方(神)に向かって、感謝と喜びの声をあげて、褒め称える・・・それが、祷(いのり)なのです。
祈り=賛美=信仰=礼拝となるのです。
その中には、主なる神への賛美あり、願い事あり、告白あり、悔い改めあり、呻きあり、涙あり、感謝あり・・・なのです。
*国々の民よ私たちの神をほめたたえよ。
神の誉れをたたえる声を響き渡らせよ。(8節)
*私は全焼のささげ物を携えて、あなたの家に行き 私の誓いを果たします。(13節)
*私はこの口で神を呼び求め この舌で神を崇めた。(17節)
*ほむべきかな。神。
神は私の祈りを退けず
御恵みを私から取り去られなかった。(20節)
まだまだ詩篇の学びが続きますが、詩篇から、私達の信仰生涯の祈りのあり方を、しっかりと学びながら、新たな信仰生活の力と、輝きを身にまといましょう
 詩篇  66篇1節~7節

<指揮者のために。歌。賛歌。>

66:1 全地よ神に向かって喜び叫べ。
66:2 御名の栄光をほめ歌い神の誉れに栄光を帰せよ。
66:3 神に申し上げよ。「あなたのみわざはなんと恐ろしいことでしょう。偉大な御力のためにあなたの敵は御前にへつらい服します。
66:4 全地はあなたを伏し拝みます。あなたをほめ歌いあなたの御名をほめ歌います。」セラ
66:5 さあ神のみわざを見よ。神が人の子らになさることは恐ろしい。
66:6 神は海を乾いた所とされた。人々は川の中を歩いて渡った。さあ私たちは神にあって喜ぼう。
66:7 神はその御力をもってとこしえに統べ治めその目は国々を見張られる。どうか頑迷な者を高ぶらせないでください。セラ
 2024年11月5日(火)リビングライフQT

何と壮大な《詩》なのでしょう‼️私は、以前は、近くの山(戸ノ上山)の小高いところに登って、関門の景色を(九州の最北端と本州の最西端)、創造主なる神の目線で、見渡しては、大きな声で賛美し祈るのが好きでした。
今は歩くのが難しいので車で関門の山の頂まで登り、同じように、祈り賛美しています‼️
ダビデはパレスティナの山々の中の高い場所に在る、エルサレムで賛美したのでしょう。
それは地理的に高いと言うよりも、正に創造主なるお方の視点に立って・・・‼️
今私達は、霊の高嶺で、賛美し祈りましょう
ダビデの力は、ここに在るのです神に寄り添って頂いていることを、このように確認しながら、様々な試練に立ち向かいながらも神にあって憩うのです
又、神の成された大いなる御業を歴史(過去)の中に振り返り、又今のように、これからの保証として、賛美するのです‼️
ダビデの時代から遡ること、およそ400年前に、民は自然の力を越えて、紅海の中を乾いた地として渡り、その40年後に満々と水の流れるヨルダン川が堰き止められて、民はこれを渇いた地として渡ったのです。イスラエルの民は、常に創造者なる神に守られ、この御方と共に歩んできたことを、思い起こして、神の御懐の中から、この詩を唱いあげたのです‼️
私達も、もっと神の大能を見上げて、雄大な祈り、壮大な賛美の聖徒と成りたいですね‼️
今朝はつくづく、そう思い、心を込めて顔をあげ主を賛美しました‼️
   ハレルヤ(!!)

明日(6日)のリビング
詩篇 66篇8節~20節
 詩篇  65篇1節~13節

<65> 指揮者のために。賛歌。ダビデによる。歌。

65:1 神よ御前には静けさがありシオンには賛美があります。あなたに誓いが果たされますように。
65:2 祈りを聞かれる方よみもとにすべての肉なる者が参ります。
65:3 数々の咎が私を圧倒しています。しかし私たちの背きをあなたは赦してくださいます。
65:4 幸いなことよあなたが選び近寄せられた人あなたの大庭に住む人は。私たちはあなたの家の良いものあなたの宮の聖なるもので満ち足ります。
65:5 私たちの救いの神よ。あなたは恐るべきみわざで義のうちに答えられます。あなたは地のすべての果て遠い大海の信頼の的です。
65:6 あなたは御力によって山々を堅く据え大能を帯びておられます。
65:7 あなたは海のとどろきを鎮められます。その大波のとどろきもろもろの国民の騒ぎを。
65:8 最果てに住む者もあなたの数々のしるしを恐れます。あなたは朝と夕の始まる所が高らかに歌うようにされます。
65:9 あなたは地を訪れ水を注ぎこれを大いに豊かにされます。神の川は水で満ちています。あなたはこうして地を整え人々の穀物を備えてくださいます。
65:10 地のあぜ溝を水で満たしその畝をならし夕立で地を柔らかにしその生長を祝福されます。
65:11 あなたはその年に御恵みの冠をかぶらせます。あなたの通られた跡には油が滴っています。
65:12 荒野の牧場に滴りもろもろの丘も喜びをまとっています。
65:13 牧草地は羊の群れをまとい広やかな平原は穀物を覆いとしています。まことに喜び叫び歌っています。
 2024年11月4日((月))リビングライフQT

何と雄大な賛歌、祈りでしょう。
私はこの詩篇ばかりではなく、特にダビデの詠ったとされる、詩を共に唱うとき、私は、祈りに於いて、賛美に於いて、ダビデのように、言葉を尽くして、想いを尽くして、感動を言葉にのせて、唱い祈っているだろうか(はてな)
言葉も貧しく、思いも一辺倒で、輝きのない、扁平な言葉の並びになっていないだろうか…
今朝のこの詩を声を出して唱い挙げながら、ふと(イヤ‼️つくづく)そのような思いに包まれました。
主なる神様へ、賛美と感謝とを、語りかけるように、およびかけするのは、何と素晴らしい事でしょう‼️
正に、一言一言、唱いあげるすべてが、創造主なる神を、告白していますね
6・7節では神の大能の御力による、万有の創造がなされ、被造物が神を崇めて、轟き(とどろき)の声をあげる‼️
8節以下には、膨大な・雄大な・無限の創造世界に、実に細やかに御手を差し伸べて、造られた命が養われる様は、私たちの日常を越えた賛美と祈りとして、主なる神を賛美しながら、自らの信仰の拡がりを促しますね‼️
呟いていたチッポケな事が、雲散霧消(ウンサンムショウ)していくのを感じます(#^.^#)‼️
こんな祈りと、賛美を主に捧げましょう。
    (は)(れ)(る)(や)
 詩篇  64篇1節~10節

<64> 指揮者のために。ダビデの賛歌。

64:1 神よ私が嘆くとき私の声を聞いてください。敵の脅かしから私のいのちを守ってください。
64:2 どうか私をかくまってください。悪を行う者どものはかりごとから不法を行う者どもの騒ぎから。
64:3 彼らはその舌を剣のように研ぎ澄まし苦いことばの矢を放っています。
64:4 全き人に向けて彼らは隠れた所から射掛け不意に矢を射て何も恐れません。
64:5 彼らは悪事に凝っています。示し合わせてひそかに罠をかけ「だれが見破ることができよう」と言っています。
64:6 彼らは不正を企み「企んだ策略がうまくいった」と言っています。人の内なる思いと心とは底が知れません。
64:7 しかし神が彼らに矢を射掛けられるので彼らは不意に傷つきます。
64:8 彼らは自らの舌につまずきました。彼らを見る者はみな頭を振って嘲ります。
64:9 こうしてすべての人は恐れ神のみわざを告げ知らせそのなさったことを悟ります。
64:10 正しい人は【主】にあって喜び主に身を避けます。心の直ぐな人はみな誇ることができます。
 2024年11月3日(日)リビングライフQT

ダビデは成す術もなく、絶対絶命の中で、息を潜めていたダビデ、まさしく四面楚歌の中から訴えの祈りが、
1節~6節まで続きます
思わず主よ❗聴いてあげてください‼️と、心の中で叫びたくなる緊迫した、状況ですね。
あなたの人生で、この様な時に、立ち尽くしたことはありませんでしたか(はてな)
その時、どうしたでしょう・・・そして今は⁉️

ダビデは、この祈りと叫びの中に、何時までも留まってはいませんでした‼️
・・(し)・(か)・(し)・・
 ダビデの心は、踏み出すのです‼️
直ちに神の、陣営への介入を、唱い出しています‼️
その結末は
9節:こうして 
  すべての人は恐れ
  神のみわざを
     告げ知らせ
  そのなさったこと          
     を悟ります
     (は)(れ)(る)(や) ‼️
前半は、ダビデの弱音ではないのです❗
彼の確信は、
10節 : 正しい人は
   主にあって喜び
  主に身を避けます。
  心の直ぐな
      人はみな
  誇ることが
     できます。
 この《告白》こそ、
ダビデが常に心に宿していた、信頼と信仰です。
何と力強い告白でしょう。
あなたの人生も、
 いや明日の日にも
この告白が、あなたを支え、新たに力の湧き上がる、泉となるでしょう‼️     ハレルヤ‼️
 詩篇63篇1節~11節

<63> ダビデの賛歌。ダビデがユダの荒野にいたときに。

63:1 神よあなたは私の神。私はあなたを切に求めます。水のない衰え果てた乾いた地で私のたましいはあなたに渇き私の身もあなたをあえぎ求めます。
63:2 私はあなたの力と栄光を見るためにこうして聖所であなたを仰ぎ見ています。
63:3 あなたの恵みはいのちにもまさるゆえ私の唇はあなたを賛美します。
63:4 それゆえ私は生きるかぎりあなたをほめたたえあなたの御名により両手を上げて祈ります。
63:5 脂肪と髄をふるまわれたかのように私のたましいは満ち足りています。喜びにあふれた唇で私の口はあなたを賛美します。
63:6 床の上であなたを思い起こすとき夜もすがらあなたのことを思い巡らすときに。
63:7 まことにあなたは私の助けでした。御翼の陰で私は喜び歌います。
63:8 私のたましいはあなたにすがりあなたの右の手は私を支えてくださいます。
63:9 私のいのちを求める者どもは滅び地の深い所に行くでしょう。
63:10 彼らは剣の力に渡され狐の餌食となるのです。
63:11 しかし王は神にあって喜び神にかけて誓う者はみな誇ります。偽りを言う者の口が封じられるからです。
 2024年11月2日(土)リビングライフQT

昨日すでに、ダビデが直面している事情(《アブシャロムに王城を追われて、僅かの配下の兵と流浪の逃避行の日々の中で、詠われた詩です。
数名の従者に護られながら、原野で夜露に濡れて、夜を過ごすダビデの姿を想像しながら、この詩を読んでみましょう。
*1節~神よ あなたは私の神・・・
*2節~・・・こうして聖所で あなたを仰ぎ見ています。
ダビデの仰ぎ見るかなたには、冷たい夜空に美しくちりばめられた星々が、ダビデを包み、主なる神の臨在を、示していたのでしょう。
この逆境の真中にあって、この詩(うた)は、何と澄み亘った平安で満ちているのでしょうハレルヤ‼️
読むものに重苦しさや、恐れをいささかも感じさせない、深い信頼と落ち着きを、滲ませていますね
2節で『私は、あなたの力と栄光を見るために こうして聖所で あなたを仰ぎ見ています。』(はてな)
そこはどこ⁉️・・・ここを読んでは、はっ‼️としてもう一度この行を読み返しました。
何と言う主の臨在感‼️そこには主が伴に居られる。最早敵も反逆者もそこにはいない。何と言う静けさ‼️
最悪の状況、孤独と危機のただ中の野宿が、ダビデにとっては《聖所》だと告白するのです。
*6節~床(夜露に濡れる草の床)の上で思い起こすとき・・・あなたのことを思い巡らす時、あなたは私の助けでした。
御翼の陰で 私は喜び歌います。
*11節~王は神にあって喜び、神にかけて誓う(告白する)者は みな誇ります。
この様に、深読み(繰り返し)していくと、回りを取り巻く、試練や体の弱さや、病も、沈む心も、神の聖所に包まれて、新たな力と希望とビジョンが沸き上がってきますね。
試練を通して選ばれたダビデの末に、希望と命の君《神の御子イエス・キリスト=救い主》が顕れられたのです‼️
人生の荒野、私達の魂を萎えさせ、神の臨在さえも、思い出せないまでに、魂を奪われるそんな荒野で、主を求め、主に向かって黙想して参りましょう‼️
荒野は聖所となり、砂漠は泉の涌くオアシスとなるのです。即ち、主の臨在のある神の国となるのです‼️
    アーメン
 詩篇62篇1節~12節

<62> 指揮者のために。エドトンによって。ダビデの賛歌。

62:1 私のたましいは黙ってただ神を待ち望む。私の救いは神から来る。
62:2 神こそわが岩わが救いわがやぐら。私は決して揺るがされない。
62:3 おまえたちはいつまで一人の人を襲うのか。おまえたちはこぞって打ち殺そうとしている。城壁を傾け石垣を倒すように。
62:4 実に彼らは人を高い地位から突き落とそうと企んでいる。彼らは偽りを好み口では祝福し心では呪う。セラ
62:5 私のたましいよ黙ってただ神を待ち望め。私の望みは神から来るからだ。
62:6 神こそわが岩わが救いわがやぐら。私は揺るがされることがない。
62:7 私の救いと栄光はただ神にある。私の力の岩と避け所は神のうちにある。
62:8 民よどんなときにも神に信頼せよ。あなたがたの心を神の御前に注ぎ出せ。神はわれらの避け所である。セラ
62:9 低い者はただ空しく高い者も偽りだ。秤にかけると彼らは上に上がる。彼らを合わせても息より軽い。
62:10 圧制に頼るな。略奪に空しい望みをかけるな。富が増えてもそれに心を留めるな。
62:11 神は一度告げられた。二度私はそれを聞いた。力は神のものであることを。
62:12 主よ恵みもあなたのものです。あなたはその行いに応じて人に報いられます。
 2024年11月1日(金)リビングライフQT

表題に《賛歌》と、書かれていますね
この詩篇を読みながらダビデの苦悩と神への信頼と賛美を共に捧げながら私自身の伝道者人生を振り返っています。
それだけに、この詩《讃歌》の力強さに、心揺さぶられるのです。
実は、この詩は、イスラエルの民が、近隣の民(偶像礼拝に明け暮れる)に勝利をし、エジプトの奴隷の歴史以来400年以上、神の約束の地に入ってからも、百年以上も、敵対する先住民の略奪と攻撃に対抗した、多くの指導者(師士)たちにより、導かれたイスラエルの民は、やっと“サウル”と言う指導者により王権が敷かれたのです。
所が彼は民を支配するなかで、彼の片腕となって、活躍する、若年のダビデへの民の羨望の声に、妬みを起こして、ダビデ追討(抹殺)に走り、逆にサウルは些細な事故が原因で、死に至ったのです。
イスラエルはやっと、永年の試練の歴史から脱却して、ダビデによる、平安な王国の日々が帰ってきたのです。
こうした背景を知った上で、この讃歌を改めと読むと、何と言う《卓越した》神への賛美でしょう・・・‼️
実は、これが信仰‼️なのです。努力や、鍛練や、資質・・・等々、ではなく、自らがとことん弱いから・・、何の力もないからこそ、
ただ❗ただ‼️神にのみ信頼する・・《神以外には頼る他ない》
その状況から生まれた《讃歌》なのです。
これが私たちにとっても、信仰の原点なのです‼️
この創造主なる神への信仰と、絶対的な信頼による日々が、強固な人生の土台となるのです。
何かに頼る、心弱い時にすがる、自分の力の及ばない時に助けを求める・・・・その様な時に、助けを求め、すがる思いで祈り頼る、それが所謂(いわゆる)ご利益信仰、その時だけの信心、その時だけの篤い祈り(信心)いわゆる《宗教》となるのです。
それに比べて、ダビデの祈りと信仰は・・・
《神こそ わが岩 わが救い わがやぐら。私は揺るがされることはない‼️》
《私の救いと栄光は ただ神。
私の力と岩と避け所は 神の内にある。》
今まであなたの私の信仰は、そうであったでしょうか⁉️
今からは、更に、否、全き信頼と信仰と、巌なる神の土台の上に立つ、日々を喜ぼう‼️
力は神のもの‼️
めぐみもあなた(神)のものです…と
告白して参りましょう。