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力丸嗣夫師 リビングライフ LINE
          (新改訳聖書2017)
    

北九州シオン教会

 列王記第二 5章15節~27節

5:15 ナアマンはその一行の者すべてを連れて神の人のところに引き返して来て、彼の前に立って言った。「私は今、イスラエルのほか、全世界のどこにも神はおられないことを知りました。どうか今、あなたのしもべからの贈り物を受け取ってください。」
5:16 神の人は言った。「私が仕えている【主】は生きておられます。私は決して受け取りません。」ナアマンは、受け取らせようとしてしきりに勧めたが、神の人は断った。
5:17 そこでナアマンは言った。「それなら、どうか二頭のらばに載せるだけの土をしもべに与えてください。しもべはこれからはもう、【主】以外のほかの神々に全焼のささげ物やいけにえを献げません。
5:18 どうか、【主】が次のことについてしもべをお赦しくださいますように。私の主君がリンモンの神殿に入って、そこでひれ伏すために私の手を頼みにします。それで私もリンモンの神殿でひれ伏します。私がリンモンの神殿でひれ伏すとき、どうか、【主】がこのことについてしもべをお赦しくださいますように。」
5:19 エリシャは彼に言った。「安心して行きなさい。」そこでナアマンは彼から離れ、かなりの道のりを進んで行った。
5:20 そのとき、神の人エリシャに仕える若者ゲハジはこう考えた。「何としたことか。私の主人は、あのアラム人ナアマンが持って来た物を受け取ろうとはしなかった。【主】は生きておられる。私は彼の後を追いかけて、絶対に何かをもらって来よう。」
5:21 ゲハジはナアマンの後を追いかけて行った。ナアマンは、うしろから駆けて来る者を見つけると、戦車から降りて彼を迎え、「何か変わったことでも」と尋ねた。
5:22 そこで、ゲハジは言った。「変わったことはありませんが、私の主人は私を送り出してこう言っています。『たった今、エフライムの山地から、預言者の仲間の二人の若者が私のところにやって来たので、どうか、銀一タラントと晴れ着二着を彼らに与えてやってください。』」
5:23 するとナアマンは、「ぜひ、二タラントを取ってください」と言ってしきりに勧め、二つの袋に入れた銀二タラントと、晴れ着二着を自分の二人の若者に渡した。そこで彼らはそれを背負ってゲハジの先に立って進んだ。
5:24 ゲハジは丘に着くと、それを二人の者から受け取って家の中にしまい込み、彼らを帰らせたので、彼らは去って行った。
5:25 彼が家に入って主人の前に立つと、エリシャは彼に言った。「ゲハジ。おまえはどこへ行って来たのか。」彼は答えた。「しもべはどこへも行っていません。」
5:26 エリシャは彼に言った。「あの人がおまえを迎えに戦車から降りたとき、私の心はおまえと一緒に歩んでいたではないか。今は金を受け、衣服を受け、オリーブ油やぶどう畑、羊や牛、男女の奴隷を受ける時だろうか。
5:27 ナアマンのツァラアトは、いつまでもおまえとおまえの子孫にまといつく。」ゲハジはツァラアトに冒され、雪のようになって、エリシャの前から去って行った。
 2024年6月30日(日)リビングライフQT

主なる神に触れていただいた、ナアマンは、全く生まれ変わって、新しい人生を歩み始めました‼️
それは、新たにまことの神を知ったのみならず、全生活に、革命的悔い改めの実として、主なる神を礼拝する基盤を据えたのです。
彼の悔い改めは、エリシャの地(神の国イスラエル)の土の持ち帰りによって、名実ともに新たな基盤を、築こうとしたのです。
   ハレルヤ‼️
素晴らしい勝利の物語の展開の後、何と、後味の悪い物語なのでしょう。
しかし、これが聖書の真実なのですね。
人の心の美しい部分、
神の愛の、あらゆる障壁を越えての、普遍的顕現‼️感動の物語で終わらない、サタンの撹乱のあることをも、明らかにされるのです。
この物語りの展開、ゲハジの行動を、『何と愚かな仕業』と、客観的(他人事の様に)批判することで、物語を教訓めいた出来事として終わろうとしたら、それは、単なる宗教講話で終わってしまうでしょう。
ゲハジの行動の全ては、正に、エデンの園の誘惑と、変わらない、サタンの攻略です。
しかし、これが人の一番弱い所なのです。
何処かに正論をくっつけて、自分の内なる正義を、納得させるのです。
何故⁉️ゲハジは、ナアマンの身の上に現された、神の栄光の前に、ひれ伏さなかったのでしょうか
神の前に砕かれた魂を持たずに、形ばかりの信仰生活を送る人の魂(心)は、サタンに狙われやすいのです。
日頃から、主なる神を崇め、このお方の前に歩む日々を繋ぐ人は、主がその魂を守り、主ご自身の愛と豊かさの中に、保護されるのです。
それを支えるのが“祈り”なのです。
信仰生活とは、自分で建て挙げるのではなく、祈りで主と繋がる時、主なる神が、あなたを包み、整え、守られるのです。
そこに豊かさがあり、平安があり、満たされた輝きが生まれるのです。
改めて、ケハジを観ると・・・何と悲しい、惨めな姿でしょう
今朝、改めて、主に整えて頂きましょう。
今朝、私は何が必要でしょう‼️
主よ❗我が主よ‼️  
 列王記第二 5章1節~14節

5:1 アラムの王の軍の長ナアマンは、その主君に重んじられ、尊敬されていた。それは、【主】が以前に、彼を通してアラムに勝利を与えられたからであった。この人は勇士であったが、ツァラアトに冒されていた。
5:2 アラムはかつて略奪に出たとき、イスラエルの地から一人の若い娘を捕らえて来ていた。彼女はナアマンの妻に仕えていた。
5:3 彼女は女主人に言った。「もし、ご主人様がサマリアにいる預言者のところに行かれたら、きっと、その方がご主人様のツァラアトを治してくださるでしょう。」
5:4 そこで、ナアマンはその主君のところに行き、イスラエルの地から来た娘がこれこれのことを言いました、と告げた。
5:5 アラムの王は言った。「行って来なさい。私がイスラエルの王に宛てて手紙を送ろう。」そこで、ナアマンは、銀十タラントと金六千シェケルと晴れ着十着を持って出かけた。
5:6 彼はイスラエルの王宛ての次のような手紙を持って行った。「この手紙があなたに届きましたら、家臣のナアマンをあなたのところに送りましたので、彼のツァラアトを治してくださいますように。」
5:7 イスラエルの王はこの手紙を読むと、自分の衣を引き裂いて言った。「私は殺したり、生かしたりすることのできる神であろうか。この人はこの男を送って、ツァラアトを治せと言う。しかし、考えてみよ。彼は私に言いがかりをつけようとしているのだ。」
5:8 神の人エリシャは、イスラエルの王が衣を引き裂いたことを聞くと、王のもとに人を遣わして言った。「あなたはどうして衣を引き裂いたりなさるのですか。その男を私のところによこしてください。そうすれば、彼はイスラエルに預言者がいることを知るでしょう。」
5:9 こうして、ナアマンは馬と戦車でやって来て、エリシャの家の入り口に立った。
5:10 エリシャは、彼に使者を遣わして言った。「ヨルダン川へ行って七回あなたの身を洗いなさい。そうすれば、あなたのからだは元どおりになって、きよくなります。」
5:11 しかしナアマンは激怒して去り、そして言った。「何ということだ。私は、彼がきっと出て来て立ち、彼の神、【主】の名を呼んで、この患部の上で手を動かし、ツァラアトに冒されたこの者を治してくれると思っていた。
5:12 ダマスコの川、アマナやパルパルは、イスラエルのすべての川にまさっているではないか。これらの川で身を洗って、私がきよくなれないというのか。」こうして、彼は憤って帰途についた。
5:13 そのとき、彼のしもべたちが近づいて彼に言った。「わが父よ。難しいことを、あの預言者があなたに命じたのでしたら、あなたはきっとそれをなさったのではありませんか。あの人は『身を洗ってきよくなりなさい』と言っただけではありませんか。」
5:14 そこで、ナアマンは下って行き、神の人が言ったとおりに、ヨルダン川に七回身を浸した。すると彼のからだは元どおりになって、幼子のからだのようになり、きよくなった。
 2024年6月29日(土)リビングライフQT

2節~3節の、少女、彼女の存在は、この物語のキーパーソンで
この少女が、二つの国を動かした‼️と、言っても過言でないほど、主なる神はこの少女を用いられたのです。
有名な、ナーマン将軍のハンセン氏病の癒しの記事です。

☆アラムと言う国は
BC1200年頃に栄えた、一民族の居住地域で、大河チグリス・ユ−フラテスの上流地域(アブラハムが、暫く居住した“ハラン”の近く)
古代メソポタミヤ文明発祥の地と、エジプト文明の発祥地の交易の中間地点に位置する民で、栄えた民です。ユダヤ社会とは友好関係にあったのです。
イエス様時代の、庶民の言葉はアラム語であった。
アラムの王の最も信頼する、軍の長(ナアマン将軍)が、ツァラート(ハンセン氏病)にかかった。日に日に侵されて行く姿に、アラムの王がイスラエルの王に、助けを求めた❗
エリシャの働きの噂は、異邦人世界にまで広がり、サマリヤから遥か700kmも遠方にまで、聞こえていたのです。
未だ、古パビロニア帝国が、この地方にまで勢力を伸ばす前の時代、アラム(後のシリア)はこの地方一帯の覇者でした。
ですから、ナアマン将軍は、悩みながらも、新興国イスラエルの預言者の前に来た時には、最大の権威をかざしての、姿だったのでしょう。
それに対してエリシャは、出迎えるわけでもなく、しもべを遣わして、一言伝えただけでした。
私たちがこの記事を読んでも (え)(っ)‼️
と、思います。
これは単に、権威におもねらない(怯えない・卑屈にならない・圧倒されない・媚びない・・)預言者の姿・・・(はてな)
その様に思っても良いのですが、これはむしろ、主なる神がエリシャに導かれた態度だったと考える方がよいでしょう。
その後のナアマンの取った態度と言葉を観ると、傲慢な人間の姿を、その中に観るのです。
人は、しばしばこの様な心で、神の前(礼拝)に出ることはないだろうか。
*神が評価して下さる
*私は特別
*今日までやって来た働きへの、自己評価で自信家になっている・・
しばしば陥りやすい、自らの姿を写し出される思いです。
問題の根底は、ナアマンは、今、何処に立っているか‼️・なのです。
彼に求められたのは、預言者を通して語られた“神”に聴く事だったのです‼️
このメッセージを知らずしては、なにも始まらないのです。
部下の言葉は何と重かったことでしょう。神に耳を傾けなかったナアマンが、怒り心頭になった時に、部下の言葉に耳をかしたのです。
正にこの部下の言葉は、神の語りかけだったと言えましょう。
神様の働きの役割を担うのは、しばしば、この様なしもべ達の言葉から、語られる姿を、福音書の中からも観ることができます。
ナアマンは、一転して、主の言葉に従順に従ったのです。
信仰は、理解ではなく、従うこと(服従)です。
主なる神に‼️
 列王記第二 4章38節~44節

4:38 エリシャがギルガルに帰って来たとき、この地に飢饉が起こった。預言者の仲間たちが彼の前に座っていたので、彼は若者に命じた。「大きな釜を火にかけ、預言者の仲間たちのために煮物を作りなさい。」
4:39 彼らの一人が食用の草を摘みに野に出て行くと、野生のつる草を見つけたので、そのつるから野生の瓜を前掛けにいっぱい取って帰って来た。そして、彼はそれを煮物の釜の中に刻んで入れた。彼らはそれが何であるかを知らなかった。
4:40 彼らは皆に食べさせようとして、これをよそった。皆はその煮物を口にするやいなや、こう叫んだ。「神の人よ、釜の中に毒が入っています。」彼らは食べることができなかった。
4:41 エリシャは言った。「では、麦粉を持って来なさい。」彼はそれを釜に投げ入れて言った。「これをよそって、この人たちに食べさせなさい。」そのときにはもう、釜の中には悪い物はなくなっていた。
4:42 ある人がバアル・シャリシャから、初穂のパンである大麦のパン二十個と、新穀一袋を、神の人のところに持って来た。神の人は「この人たちに与えて食べさせなさい」と命じた。
4:43 彼の召使いは、「これだけで、どうして百人もの人に分けられるでしょうか」と言った。しかし、エリシャは言った。「この人たちに与えて食べさせなさい。【主】はこう言われる。『彼らは食べて残すだろう。』」
4:44 そこで、召使いが彼らに配ると、彼らは食べて残した。【主】のことばのとおりであった。
 2024年6月28日(金)リビングライフQT

何と、驚くべき記録でしょう(まさか)
怖れ、驚く弟子たちをおいて、淡々と振る舞うエリシャの姿が見えるようです。
『小麦粉を持って来なさい』
『これをよそって、この人たちに食べさせなさい。』
毒の入った鍋を前にして何でしょう⁉️
この確信のこもった言葉は‼️
その時にはもう、釜の中には悪いものはなくなっていた…
黙想に正解はありません。
そのとき、その時、主が黙想者に語り掛けられる、霊的なアプローチなのですから・・・
朝ごとに、主はこのテキストを通して、私(各自)に何を語られるのでしょうか⁉️
それが、この黙想の課題なのです。
この箇所で連続的に表されたしるしと奇跡は、実に、時にかなった、癒し・恵み・慰めなのです。
主なる神の御護りの中に生きる私たちが人生の中で遭遇する、あらゆる事態に、主の御目は、注がれていることを、このテキストは物語っているように響いてきました。  
ハレルヤ‼️

恐れるな❗わたしはあなたとともにいる。
たじろぐな❗わたしはあなたの神だから。
 (イザヤ書41章10節)

明日(29日)のテキスト
列王第二
    5章1節~14節 
 列王記第二 4章18節~37節

4:18 その子が大きくなって、ある日、刈り入れをする者たちと一緒にいる、父のところに出て行ったとき、
4:19 父親に、「頭が、頭が」と言った。父親は若者に、「この子を母親のところに抱いて行ってくれ」と命じた。
4:20 若者はその子を抱き、母親のところに連れて行った。この子は昼まで母親の膝の上に休んでいたが、ついに死んでしまった。
4:21 彼女は屋上に上がって、神の人の寝台にその子を寝かせ、戸を閉めて出て行った。
4:22 彼女は夫に呼びかけて言った。「どうか、若者一人と、雌ろば一頭を私のために出してください。私は急いで神の人のところに行って、すぐに戻って来ますから。」
4:23 すると彼は、「どうして、今日あの人のところに行くのか。新月祭でもなく、安息日でもないのに」と言ったが、彼女は「かまいません」と答えた。
4:24 彼女は雌ろばに鞍を置き、若者に命じた。「手綱を引いて進みなさい。私が命じなければ、手綱を緩めてはいけません。」
4:25 こうして彼女は出かけて、カルメル山の神の人のところへ行った。神の人は、遠くから彼女を見つけると、若者ゲハジに言った。「見なさい。あのシュネムの女があそこに来ている。
4:26 さあ、走って行って彼女を迎え、言いなさい。『あなたは無事ですか。あなたのご主人は無事ですか。お子さんは無事ですか』と。」彼女はそれにこう答えた。「無事です。」
4:27 それから彼女は山の上にいる神の人のところに来て、彼の足にすがりついた。ゲハジが彼女を追い払おうと近寄ると、神の人は言った。「そのままにしておきなさい。彼女の心に悩みがあるのだから。【主】はそれを私に隠し、まだ私に知らせておられないのだ。」
4:28 彼女は言った。「私がご主人様に子どもを求めたでしょうか。この私にそんな気休めを言わないでくださいと申し上げたではありませんか。」
4:29 そこでエリシャはゲハジに言った。「腰に帯を締め、手に私の杖を持って行きなさい。たとえだれかに会っても、あいさつしてはならない。たとえだれかがあいさつしても、答えてはならない。そして、私の杖をあの子の頭の上に置きなさい。」
4:30 その子の母親は言った。「【主】は生きておられます。あなたのたましいも生きています。私は決してあなたを離しません。」エリシャは立ち上がり、彼女の後について行った。
4:31 ゲハジは二人より先に行って、その杖を子どもの頭の上に置いたが、何の声もなく、何の応答もなかった。そこで引き返してエリシャに会い、「子どもは目を覚ましませんでした」と報告した。
4:32 エリシャが家に着くと、その子は寝台の上に死んで横たわっていた。
4:33 エリシャは中に入り、戸を閉めて、二人だけになって【主】に祈った。
4:34 それから、寝台の上に上がり、その子の上に身を伏せ、自分の口をその子の口の上に、自分の目をその子の目の上に、自分の両手をその子の両手の上に重ねて、その子の上に身をかがめた。すると、その子のからだが温かくなってきた。
4:35 それからエリシャは降りて、部屋の中をあちらこちらと歩き回り、また寝台の上に上がり、子どもの上に身をかがめると、子どもは七回くしゃみをして目を開けた。
4:36 彼はゲハジを呼んで、「あのシュネムの女を呼んで来なさい」と言った。ゲハジが彼女を呼んだので、彼女はエリシャのところに来た。そこでエリシャは、「あなたの子どもを抱き上げなさい」と言った。
4:37 彼女は入って来て彼の足もとにひれ伏し、地にひれ伏した。そして、子どもを抱き上げて出て行った。
 2024年6月27日(木)リビングライフQT

シュネムの女が直面した、この試練は、何と悲しくも恐ろしいものだったでしょう。
この事件(子供の突然死)は、直面した母親にとって、こんな不条理なことが、あるだろうか(はてな)・・・と、天地も崩れ去る、否、もっと恐ろしい出来事だったでしょう。
この地上の、時間経過の中で生きる、私たち人間には、一寸先も見えないのですから、この出来事は、どれ程衝撃だった事でしょう。
今の時代の中でも、この少年のような、恐らく熱射病による、突然死なのでしょうが、同じような突然の悲しみにくれた方々が、どれ程いるでしょうか。
私は、中学三年の時(1953年=昭和28年6月28日)北部九州を襲った梅雨末期の豪雨で、門司市(当時は合併していない)だけで、168人の死者行方不明者を出した。風師山系一帯の山津波(山塊崩壊)で、学校も土砂に埋まったので、生徒も動員されて、復旧作業に当たった。その帰り日射病で、3kmの道を倒れては立ち上がり這うようにして帰り着き玄関口で、気を失ったのです。高熱が二週間続き、貧しい開拓伝道途上の、大家族には、国保制度のない時代、病院にも行けず、唯、氷で頭を冷すだけの毎日。夏休み明けても登校できず。三ヶ月生死の間をさ迷ったのです。父母の心の痛みはどんなに大きかったことでしょう。私の上の、兄と姉も幼い時に、病で亡くしていたのですから
シュネムの女は、主なる神に仕える、預言者からの預言で与えられた子供ですから、こんな事がおこるはずもない
怒り・絶望・やり場のなぃ悲しみ。
エリシャにとっても、思いもかけない訃報に、驚きながらも、神の人は、主なる神のお心を求めたのです。このような出来事を、エリシャは、彼の師であった神の人エリヤから、聞かされていたのです。その物語は《列王第一17:17~23》に記されています。
このエリヤの経験と酷似した状況の中、エリシャは直ちに全く同じやり方で、主に祈ったのです。その祈りは真剣勝負でしたでしょう。
エリシャの行動は、第一列王記のエリヤの行動と全く同じものでした。
聖書テキストを読みましょう。
大変奇妙な行動です。この姿は、恐らく、
預言者を神の人と呼ばれていたことから、人々は、預言者のうちに神が宿られている・・・と、見ていたのでしょう。
しかし、エリヤの場合も、エリシャの場合も、この不思議な行動は戸を閉じてなされていることから、見せるためのパフォーマンスではなかったのです。
神は、エリシャの体を、御自身と、死んだ子供の命の繋ぎ(通路)と見なして、エリシャを通して、その子に新しい命を、注ぎかけたのでしょう。
エリヤ・エリシャの歩みを見ていると、非常に厳粛な、思いを深くされます。
それは、私たち主の僕は、どんな存在なのか(はてな)と言う思いです。
今の私は、一人の主の僕として、御言葉に仕えている、一クリスチャンです。神の前では立場も、階級も、使命の違いも、無いのです。ただ主に赦された罪人として、福音に生き、福音に仕える主の僕です。
ならば、私達は、神の国と罪に満ちたこの世を繋ぐ、命の器なのです。
私はこの様な命の繋ぎ役を、して来ただろうか?これからどの様にすることが出来るだろうか?、新たに主の前にひれ伏す者です。主の手に握られることを恐れずに、新たな献身を捧げます‼️
今の殺伐とした時代のなかで、シュネムの女のように、人生に翻弄されている人が何と多いことでしょう。
あなたは、私は、必要とされています‼️
 列王記第二 4章8節~17節

4:8 ある日、エリシャがシュネムを通りかかると、そこに一人の裕福な女がいて、彼を食事に引き止めた。それ以来、エリシャはそこを通りかかるたびに、そこに寄って食事をするようになった。
4:9 女は夫に言った。「いつも私たちのところに立ち寄って行かれるあの方は、きっと神の聖なる方に違いありません。
4:10 ですから、屋上に壁のある小さな部屋を作り、あの方のために寝台と机と椅子と燭台を置きましょう。あの方が私たちのところに来られるたびに、そこを使っていただけますから。」
4:11 ある日、エリシャはそこに来て、その屋上の部屋に入って横になった。
4:12 彼は若者ゲハジに言った。「ここのシュネムの女を呼びなさい。」ゲハジが呼ぶと、彼女はゲハジの前に立った。
4:13 エリシャはゲハジに言った。「彼女にこう伝えなさい。『本当に、あなたはこのように、私たちのことで一生懸命骨折ってくれたが、あなたのために何をしたらよいか。王か軍の長に、何か話してほしいことでもあるか』と。」彼女はそれにこう答えた。「私は私の民の間で、幸せに暮らしております。」
4:14 エリシャが「では、彼女のために何をしたらよいだろうか」と言うと、ゲハジは言った。「彼女には子がなく、それに、彼女の夫も年をとっています。」
4:15 エリシャが、「彼女を呼んで来なさい」と言ったので、ゲハジが彼女を呼ぶと、彼女は入り口のところに立った。
4:16 エリシャは言った。「来年の今ごろ、あなたは男の子を抱くようになる。」すると彼女は言った。「いいえ、ご主人様。神の人よ、このはしために偽りを言わないでください。」
4:17 しかし、この女は身ごもり、エリシャが彼女に告げたとおり、翌年のちょうどそのころに男の子を産んだ。
 2024年6月26日(水)リビングライフQT

イスラエル最悪の王、アハブの死後、アハズヤはなお、アハブによる偶像中心の国の体制が残り、アハズヤ自身が、預言者エリシャが居る中で、偶像に病の祈祷を依頼し、最後まで主なる神に反抗して死を招いた。その後アハズヤの弟が即位し、彼も又、アハブの道を歩んだのです。その様な中で、預言者エリシャの働きは、身の危険を感じながら、神の導きのままに、地方巡回しながら、真の神の御言葉をもって、民を密かに励ます、隠密裏の働きを持続していました。その様な中で、エリシャの行動をソッと見守っていた、一人の姉妹が、エリシャの働きを陰で支えようと、働きかけるのです。
*密かに食事に招く
*滞在場所を提供する
*ご主人に働きかけて、専属の秘密の部屋を整えたのです。
☆同じ地点に長く滞在すれば、危険は増すばかり、そればかりか、匿(カクマ)う方は更に厳しい危険を、抱えることになる その状況をご主人共々、受け入れる陰には、彼女の生活と信仰が、ご主人の魂までも、安定させる程の、輝きに満ちていたのでしょう。
彼女の奉仕(申し出と実行)は、エリシャの心を動かし、彼女に何か報いようと・・・
しかし、彼女は、全く何も望まないのです。
人間って、そこまで言われたら・・じゃあ‼️と、悪ではなく、ごく普通(利得に走らなくても・・)に、答えを伝えるでしょう。
子供がいないにも関わらず(古代社会では彼女のような子供がいないのは、社会の輪から離されているのです)
彼女は申し出なかったのです。
エリシャは弟子のゲハジによって探りをいれその事実を知って、一方的に祝福の予告を語り、それが実現したのです。
誠に、主なる神は、へりくだる者を、祝福をもって包んで下さる御方です。
彼女は現状のままで、神の祝福の懐に抱かれて、満ち足りた日を送り、その恵みの中から、エリシャに仕えてきたのです‼️
何と豊かな信仰生活でしょう。
この物語は、奇跡の素晴らしさ以上に、神と共に生きる信仰の日々の輝きに、心満たされるテキストでした。
ふと、私は・・・❓(#^.^#)と、自らを見つめさせられました。 
 列王記第二 4章1節~7節

4:1 預言者の仲間の妻の一人がエリシャに叫んで言った。「あなたのしもべである私の夫が死にました。ご存じのように、あなたのしもべは【主】を恐れていました。ところが、債権者が来て、私の二人の子どもを自分の奴隷にしようとしています。」
4:2 エリシャは彼女に言った。「何をしてあげようか。私に話しなさい。あなたには、家の中に何があるのか。」彼女は答えた。「はしためには、家の中に何もありません。ただ、油の壺一つしかありません。」
4:3 すると、彼は言った。「外に行って、近所の皆から、器を借りて来なさい。空の器を。それも、一つや二つではいけません。
4:4 家に入ったら、あなたと子どもたちの背後の戸を閉めなさい。そしてすべての器に油を注ぎ入れなさい。いっぱいになったものは、わきに置きなさい。」
4:5 そこで、彼女は彼のもとから去って行き、彼女と子どもたちが入った背後の戸を閉めた。そして、子どもたちが次々と自分のところに持って来る器に油を注ぎ入れた。
4:6 器がどれもいっぱいになったので、彼女は子どもの一人に言った。「もっと器を持って来なさい。」その子どもが彼女に、「もう器はありません」と言うと、油は止まった。
4:7 彼女が神の人に知らせに行くと、彼は言った。「行ってその油を売り、あなたの負債を払いなさい。その残りで、あなたと子どもたちは暮らしていけます。」

 2024年6月25日(火)リビングライフQT
4章は非常に個人的な、奇跡の記録集です。

とても大切なメッセージを含んでいます。
この御業を読みながら、“まるで、エリシャは全てが見えてるみたいだ‼️”と思いました。
それはそうでしょう。
主なる神の代弁者ですから。主なる神の御(オン)眼は、壺の油が満たされるまでの、全てが見えておられたのです‼️
神の成されることは、時を越えて、完成されているのです。何故なら❗主なる神は、“時=時間の出発点=完了(完成)点➡️即ち・・永遠なるお方”だからなのです。
預言者仲間が召された時、妻と子供に襲いかかる困難と運命には、既に、神の時が用意されていたのです。
実は、この不思議な顛末は、“成る”べくして“成った”のではなく、或る条件が満たされたので、“成就”したのです‼️
人はそれを“奇跡‼️”と言うかもしれません。
しかし、あり得ない幸せな出来事が、展開するのを、一般的には“奇跡”と言います。しかし、そうではありません。
“奇跡”は、神がなさる、常套手段です。一方的に全てが降って湧いたように現されるのではないのです。
*奇跡の方程式です*
永遠の視点(御計画)→
突然の問題勃発(提起)→人間の困惑・挫折・絶望→神への叫び(祈り)→
忍耐と待ち望み→
神への期待と服従→
待ち望み(それに見あった服従・行動)→
悔い改め→更なる待ち望み・・・想像もしない事態の展開。
長い長い経過を辿るように見えますが、しかし、それは違います。
一瞬に展開されるか、長い経過をたどるか、挫折するか・・・それは、人の魂が神に向かう‼️ところから始まるのです。後は、その期待と信仰と、清らかな魂(悔い改めた魂)の状態によって、左右されるでしょう。
更に神ご自身があなたに何かを期待して(求めて)、御心を向けられるのです。それにあなたは何と応えられましょうか。
・・・
聖書全体には溢れるほどに、奇跡が展開します。奇跡なしには聖書はあり得ません。
言い換えると、神のみ心と、神を信じ信頼する人の心とが、交わる(一つとなる)所に《奇跡》が顕れるのです。
今朝のこの物語は、不思議な出来事の記録ではなく、一人の未亡人と、彼女の心を悼む主なる神の愛のお心とが、一つに結び付いた、感動の物語なのです。
あなたの人生にも、日々の生活にも、この様な、主なる神様と一つになる喜びが、顕されることを、心から願いつつ・・・
 列王記第二 3章13節~27節

3:13 エリシャはイスラエルの王に言った。「私とあなたの間に何の関わりがあるでしょうか。あなたの父の預言者たちや、母の預言者たちのところに行かれたらよいでしょう。」すると、イスラエルの王は彼に言った。「いや、モアブの手に渡すために、この三人の王を呼び集めたのは、【主】だ。」
3:14 エリシャは言った。「私が仕えている万軍の【主】は生きておられます。もし私がユダの王ヨシャファテの顔を立てるのでなければ、私は決してあなたに目も留めず、あなたに会うこともしなかったでしょう。
3:15 しかし今、竪琴を弾く者をここに連れて来てください。」竪琴を弾く者が竪琴を弾き鳴らすと、【主】の手がエリシャの上に下り、
3:16 彼は次のように言った。「【主】はこう言われます。『この涸れた谷にはたくさんの水がたまる。』
3:17 【主】がこう言われるからです。『風を見ず、大雨を見なくても、この涸れた谷には水があふれる。あなたがたも、あなたがたの家畜も、動物もこれを飲む。』
3:18 これは【主】の目には小さなことです。主はモアブをあなたがたの手に渡されます。
3:19 あなたがたは、城壁のある町々、立派な町々をことごとく打ち破り、すべての良い木を切り倒し、すべての水の源をふさぎ、すべての良い畑を石をもって荒らすでしょう。」
3:20 朝になって、ささげ物を献げるころ、なんと、水がエドムの方から流れて来て、この地は水で満たされた。
3:21 モアブ人はみな、王たちが自分たちを攻めに上って来たことを聞いた。よろいを着けることができる者はすべて呼び集められ、国境の守備に就いた。
3:22 翌朝早く起きてみると、太陽が水の面を照らしていた。モアブ人は、向こう側の水が血のように赤いのを見て、
3:23 こう言った。「これは血だ。きっと王たちが切り合って、同士討ちをしたに違いない。さあ今、モアブよ、分捕りに行こう。」
3:24 彼らがイスラエルの陣営に攻め入ると、イスラエルは立ってモアブ人を討った。モアブ人はイスラエルの前から逃げた。イスラエルは攻め入って、モアブ人を討った。
3:25 さらに、彼らは町々を破壊し、すべての良い畑にだれもが石を投げ捨てて石だらけにし、すべての水の源をふさぎ、すべての良い木を切り倒した。ただキル・ハレセテにある石だけが残ったが、その町も石を投げる者たちが取り囲み、これを打ち破った。
3:26 モアブの王は、戦いが自分に不利になっていくのを見て、剣を使う者七百人を引き連れ、エドムの王のところに突き入ろうとしたが、果たせなかった。
3:27 そこで、彼は自分に代わって王となる長男を取り、その子を城壁の上で全焼のささげ物として献げた。このことのゆえに、イスラエル人に対する激しい怒りが起こった。そこでイスラエル人は、そこから引き揚げて、自分の国へ帰って行った。
 2024年6月24日(月)リビングライフQT

未だかつて、イスラエルの王は、エリシャに助けを求めたり伺いをたてたりする事はありませんでした。むしろ、父親のアハブ以来、真の神から遠ざかり、バアル神に傾倒して国を支配してきていたのです。その様なヨラム(イスラエルの王)が今、エリシャを呼び出したのです。
ヨラムにとっては、今や、真の神も、バアル神も、同じレベルにしか考えていないのです。
今や歪んだ関係ながら、神は、ユダのヨシャパテの故に・・・しかし、同時に、イスラエルを軽視するモアブの態度は、そのまま、やがてはユダに対する、軽視の態度となることをご存知の主なる神は、ヨシャパテの故に、手を差しのべるのだ‼️・・・と、釘を刺されたのです。(困る)
エリシャを通して語られた主の言葉は、溢れるほど満ちて、彼らの軍と関係の民には新たな力が回復することとなりました。
しかし、彼らにはそのために成すべき務めが与えられました。
それは、モアブが再び兵を挙げたり、神の民に反逆しないために、徹底した、破壊と平定をなす事でした。
その戦いはほぼやり遂げましたが・・・
26節~27節の最後の締めくくりの記録は、非常に心残りのする、姿です。
やはり、同盟、協力・・・という団結には、心も思いも、価値観も一つに結ばれなければ、最後には、中途半端な終わりとなる。ユダ・イスラエル・エドム・・・この度は一つ価値観の一致もありましたが、実は、真の神への関係は、実に全く一致のない連合だったのです。
初期の目的を果した時、イスラエル・ユダは戦線を離れて解散
エドムの立場は一番危うい敵対するモアブとの境界線の国です。
多分、モアブには勝利の力はなかったのでしょうが、王の長男を全焼のささげ物として捧げた、この対応は、誠意のない自分勝手な、終焉だったのです。

最後に…
真の神は、歴史を支配される唯一のお方です。このお方を仰ぎつつ、神のご計画なる歴史を歩むなら、必ず全ては、勝利に導かれるのです‼️
   アーメン‼️
 列王記第二 3章1節~12節

3:1 アハブの子ヨラムは、ユダの王ヨシャファテの第十八年に、サマリアでイスラエルの王となり、十二年間、王であった。
3:2 彼は【主】の目に悪であることを行ったが、彼の父母ほどではなかった。彼は、父が作ったバアルの石の柱を取り除いた。
3:3 しかし彼は、イスラエルに罪を犯させたネバテの子ヤロブアムの罪に執着し、それから離れることがなかった。
3:4 さて、モアブの王メシャは羊を飼っていて、子羊十万匹と、雄羊十万匹分の羊毛をイスラエルの王に貢ぎ物として納めていた。
3:5 しかしアハブが死ぬと、モアブの王はイスラエルの王に背いた。
3:6 そこで、ヨラム王はその日にサマリアを出発し、すべてのイスラエル人を動員した。
3:7 そして、ユダの王ヨシャファテに人を遣わして言った。「モアブの王が私に背きました。私と一緒にモアブに戦いに行ってくれませんか。」ユダの王は言った。「行きましょう。私とあなたは一つ、私の民とあなたの民は一つ、私の馬とあなたの馬は一つです。」
3:8 そして言った。「どの道を上って行きましょうか。」するとヨラムは、「エドムの荒野の道を」と答えた。
3:9 こうして、イスラエルの王は、ユダの王とエドムの王と一緒に出かけたが、七日間も回り道をしたので、陣営の者と、後について来る動物たちのための水がなくなった。
3:10 イスラエルの王は、「ああ、【主】がこの三人の王を呼び集めたのは、モアブの手に渡すためだったのだ」と言った。
3:11 ヨシャファテは言った。「ここには、【主】のみこころを求めることができる【主】の預言者はいないのですか。」すると、イスラエルの王の家来の一人が答えた。「ここには、シャファテの子エリシャがいます。エリヤの手に水を注いだ者です。」
3:12 ヨシャファテが、「【主】のことばは彼とともにあります」と言ったので、イスラエルの王と、ヨシャファテと、エドムの王は彼のところに下って行った。

 2024年6月23日(日)リビングライフQT

イスラエルとユダ、そしてエドム(小部族ゆえにユダ・イスラエル側についた)連合軍は、モーセ時代からの宿敵モアブに、進軍したのです。
しかし、この連合の中には、信仰の統一がなかったのです。三者とも、元を辿れば、同じアブラハムの末ですが、イスラエル・エドムいずれも、この時代、神の元を離れた、背きの民でした。ユダのみが真の神に、仕える民としていましたが、兄弟国イスラエルの窮地を座視できなかったのです。
7節に、神から離れた兄弟ではあったが、《両者は一つ❗》と言って、善意と愛とを持って迎え、共同体となったのです。
しかし、この混成部隊には、元々地理的無理がありました。
*イスラエルは、死海の遥か北方
*ユダはエルサレムからエリコに下ればヨルダン川を挟んで、直ぐに敵モアブの地。
*エドムは、死海の南の砂漠地帯。
ユダとイスラエルは、エドムに合流するため、カナンの地を南下して、死海の遥か南部を迂回してエドムと合流するしかなかったのです。
《軍》とは言いながら、当時の部隊編成は、牧羊の仕事を抱えながらの、進軍です。群れの水や草の補給が無くなったのです。由々しき事態です‼️
そこで、北王朝イスラエルの預言者エリシャの出番となったのです。
偶像以外行き場のなかったイスラエル(王)にとっては、真の神への立ち返りの強いステップとなるのです。・・
主なる神は、愛する者に、様々なチャンスを与えて、ご自身の愛の御手に引き寄せられるのです‼️
あなたにはこの御手が、見えますか(はてな)
見失わないようにしましょう。
 列王記第二 2章15節~25節

2:15 エリコの預言者の仲間たちは、遠くから彼を見て、「エリヤの霊がエリシャの上にとどまっている」と言って、彼を迎えに行き、地にひれ伏して礼をした。
2:16 彼らはエリシャに言った。「しもべたちのところに五十人の力ある者がいます。どうか彼らにあなたのご主人を捜しに行かせてください。【主】の霊がエリヤを運んで、どこかの山か谷に投げたかもしれません。」するとエリシャは、「行かせてはいけません」と言った。
2:17 しかし、彼らがしつこく彼に願ったので、ついにエリシャは、「行かせなさい」と言った。そこで、彼らは五十人を送り出した。彼らは三日間捜したが、エリヤを見つけることができなかった。
2:18 彼らは、エリコにとどまっていたエリシャのところへ帰って来た。エリシャは彼らに言った。「行かないようにと、あなたがたに言ったではありませんか。」
2:19 さて、この町の人々はエリシャに言った。「あなた様もご覧のとおり、この町は住むのには良いのですが、水が悪く、この土地は流産を引き起こします。」
2:20 するとエリシャは言った。「新しい皿に塩を盛って、私のところに持って来なさい。」人々は彼のところにそれを持って来た。
2:21 エリシャは水の源のところに行って、塩をそこに投げ込んで言った。「【主】はこう言われる。『わたしはこの水を癒やした。ここからは、もう、死も流産も起こらない。』」
2:22 こうして水は良くなり、今日に至っている。エリシャが言ったことばのとおりである。
2:23 エリシャはそこからベテルへ上って行った。彼が道を上って行くと、その町から小さい子どもたちが出て来て彼をからかい、「上って来い、はげ頭。上って来い、はげ頭」と言ったので、
2:24 彼は向き直って彼らをにらみつけ、【主】の名によって彼らをのろった。すると、森の中から二頭の雌熊が出て来て、子どもたちのうち四十二人をかき裂いた。
2:25 こうして彼は、そこからカルメル山に行き、そこからさらに、サマリアに帰った。
 2024年6月22日(土)リビングライフQT

早速、エリシャの活発な働きの開始です。
ヨルダン川からエリコの距離は7kmエリヤ・エリシャがヨルダン川を渡った時、この50人の預言者仲間は、そのまま、ヨルダン西側の岸で、帰りを待っていた。
エリシャがヨルダンを渡って(エリヤがした時のような奇跡で)彼らのもとに来たとき、エリシャは、エリヤの最後の栄光の姿を語った事でしょう‼️
彼らは、探しに行かせてください・・・(エリシャは止めたのだが)
ふと、出エジプトのイスラエルの民がヨルダンの東に近づき、モーセが、ネボ山のピスガの峰に上って、神と語らい最後を遂げたあと、モーセはそのまま、見つけられずに歴史の谷間に消えました。こうして、モーセの働きは神の御手によって閉じられたのです。あの時を思い起こします。
エリヤの働きも、主なる神御自身が、栄光の内に閉じられたのですから、エリシャは彼らが探すことを戒めたのです。
今や、エリシャには、新しい働きが迫ってきていました。非常に緊張するとき(ヨシュアの最初の指導による闘いだった記念の町エリコ)この町で、エリシャの最初の働きが顕されました。
1982年6月シオン教会で聖地旅行を企画した中で、エリコを訪れたとき、19節~22節の奇跡の泉を案内されました。小さな泉でしたが、2900年の歴史を経て今なお、渇れることなく、良質の泉が、湧き出している姿に、感動したのを覚えています。
これがエリシャの、第二の徴(シルシ)でした。
さて、23節~24節は、余りにも悲惨な出来事ですが、この中には、創造者なる神への、真に愚かな姿に、神の激しい怒りが表されたのです、聖書の数少ない記録です。(ノアの洪水・ソドムゴモラの滅亡・この後のサマリヤの滅亡・エルサレムの崩壊・・・などは規模が大きいので、理解しやすいのですが・・・)
“小さい子供”との記述が、読む者に強い印象となります。
エリコからベテルの距離は30km
ベテルは当時、特にアハブ王の時代から、偶像の最も盛んな地域で、このような子供までが、神の預言者を嘲り、悪態をつくような、汚れた町となっていたのです。或いは子供をけしかけて、預言者を愚弄したとも考えられます。
熊は子供達をかき裂いた…と、殺されたとは記録されていないので、この事は、ベテルの後の社会には、恐ろしいほどの、神からの怒りとして、伝わったのではないでしょうか。
☆リビングライフ誌には、《殺された》と解説されていますが、もしそうであれば、聖書本文は、《殺された》と、記録されているはずです。
厳しい神の御警告として、理解しましょう。
神を恐れない人間の姿は、こうして社会全体を腐敗させ、神を神と畏れない、典型的な出来事として、記録されたのではないでしょうか。
今の終末の時代に生きる教会は、このような、神を冒涜するような人の営みが余りにも多く、TVやスマホを通して、人々の魂を蝕んでいることを覚えます。
それだけに、教会に与えられた宣教の使命に、祈りと、献身を持って立ち上がらねばならないことを、痛感致しました‼️
 列王記第二 2章1節~14節

2:1 【主】がエリヤを竜巻に乗せて天に上げようとされたときのこと、エリヤはエリシャを連れてギルガルから出て行った。
2:2 エリヤはエリシャに「ここにとどまっていなさい。【主】が私をベテルに遣わされたから」と言った。しかしエリシャは言った。「【主】は生きておられます。あなたのたましいも生きています。私は決してあなたから離れません。」こうして、彼らはベテルに下って行った。
2:3 すると、ベテルの預言者の仲間たちがエリシャのところに出て来て、彼に言った。「今日、【主】があなたの主人をあなたから取り上げられることを知っていますか。」エリシャは、「私も知っていますが、黙っていてください」と答えた。
2:4 エリヤは彼に「エリシャ、ここにとどまっていなさい。【主】が私をエリコに遣わされたから」と言った。しかし彼は言った。「【主】は生きておられます。あなたのたましいも生きています。私は決してあなたから離れません。」こうして、彼らはエリコにやって来た。
2:5 するとエリコの預言者の仲間たちがエリシャに近づいて来て、彼に言った。「今日、【主】があなたの主人をあなたから取り上げられることを知っていますか。」エリシャは、「私も知っていますが、黙っていてください」と答えた。
2:6 エリヤは彼に「ここにとどまっていなさい。【主】が私をヨルダンへ遣わされたから」と言った。しかし彼は言った。「【主】は生きておられます。あなたのたましいも生きています。私は決してあなたから離れません。」こうして、二人は進んで行った。
2:7 一方、預言者の仲間たちのうち五十人は、行って遠く離れて立った。二人がヨルダン川のほとりに立ったとき、
2:8 エリヤは自分の外套を取り、それを丸めて水を打った。すると、水が両側に分かれたので、二人は乾いた土の上を渡った。
2:9 渡り終えると、エリヤはエリシャに言った。「あなたのために何をしようか。私があなたのところから取り去られる前に求めなさい。」するとエリシャは、「では、あなたの霊のうちから、二倍の分を私のものにしてください」と言った。
2:10 エリヤは言った。「あなたは難しい注文をする。しかし、私があなたのところから取り去られるとき、あなたが私を見ることができれば、そのことはあなたにかなえられるだろう。できないなら、そうはならない。」
2:11 こうして、彼らがなお進みながら話していると、なんと、火の戦車と火の馬が現れ、この二人の間を分け隔て、エリヤは竜巻に乗って天へ上って行った。
2:12 エリシャはこれを見て、「わが父、わが父、イスラエルの戦車と騎兵たち」と叫び続けたが、エリヤはもう見えなかった。彼は自分の衣をつかみ、それを二つに引き裂いた。
2:13 それから、彼はエリヤの身から落ちた外套を拾い上げ、引き返してヨルダン川の岸辺に立った。
2:14 彼は、エリヤの身から落ちた外套を取って水を打ち、「エリヤの神、【主】はどこにおられるのですか」と言った。エリシャが水を打つと、水が両側に分かれ、彼はそこを渡った。
 2024年6月21日(金)リビングライフQT

大変不思議で特異な、出来事ですね

*エリヤのエリシヤへの語りかけ
*エリヤヘの執拗なエリシヤの追随
*エリヤのエリシヤへの拒絶的な三度の指導

この不可解なやり取りは、エリヤとエリシヤとの間の全き信頼と、互いへの期待による、関係から生まれた、やり取りです。
私は、ふと、禅問答を思い出し、二人各々の内に込められた、切実な期待感の現れのように見ました。
そして、その期待感は、互いに対して・・と言うより、互いの存在に対して神が持たれた御計画に関わるもののように思ったのです。
持って回ったような説明になりましたが・・
☆エリヤは、神がエリシヤに、どの様なご計画を持たれているのだろうか?
個人的に指導することはできる。しかし、これは神の導きだ❗
自分の指導や言葉ではなく、彼(エリシヤ)自身が自ら、直接に神の中に、見いださねばならない‼️
☆エリシヤは、この神の人(エリヤ)を通して、主なる神は、どの様な導き(継承への)を、なさるのだろうか?…を
見届けるためには、エリヤと共にある、神の御手から、目を離せない‼️
このような二人の魂のせめぎあいから生まれた、言葉と行動だったのです。
エリヤは《ここにとどまっていなさい❗》と、三度も繰り返して、エリシヤについて来るのを止めたのです。
しかし、エリシヤは《私は決してあなたから離れません‼️》と、
ついに、ヨルダン川の流れまで来たのです。
エリヤの衣は、川をせき止めた。
この川を渡るのは、神の人エリヤだけの奇跡的特権です。しかし、エリシヤも渡った‼️
実は、エリヤにもエリシヤにも、預言者仲間がついてきていたのです。しかし、50人の預言者仲間のうち誰もヨルダン川を渡っていません。エリシヤが帰って来るまで、川岸で待っていたのです。こうして、エリシヤは、第一の関門を通過しました。そこで初めて、エリヤは、エリシヤに『あなたのために何をしようか。私があなたのところから取り去られる前に求めなさい』…と
答えは『ではあなたの霊のうちから、二倍の分を私のものに‼️』
これはエリシヤが、単に、恵みや力を求めたのではないのです。
これこそ、エリヤが与えられてきた、“神の力の霊”を指していたのです。
エリヤは、それが神から与えられるだろうと、『わたしから目を離すな❗』と命じました。
ここに、有名なエリヤの昇天の栄光のシーンが顕されたのです。
この時、エリシヤは直ちに自らの外套を引き裂き、捨て去る(エリシヤはここで己に死んだのです)。外套は彼(預言者)の権威の印です。彼はそれを捨てた→即ち、今まで生きてきた己に死んだのです。そして、その後、直ちに落ちてきたエリヤの外套を拾い上げました。
この時、神がエリヤに与えておられた神の力を、エリシヤは手にしたのです。
ヨルダン川の水を打った‼️・・・これは明らかに、神の力を行使した、エリシヤの力強い出発なのです。
今朝、私はこの聖書テキストを読みながら、身の震える思いがしました。
私の主なる神を慕う日々は、エリシヤの様に、己を捨てたものだっただろうか・・・(はてな)
伝道者だから・信徒だから・・・等、立場によって、求められているものが違うのではない。私に与えられた使命(失われ行く魂への悲しみと苦悩)に、どうしたらその道に進めるだろうか。
今朝、エリシヤの心と渇きに学びたいですね。
 列王記第二 1章9節~18節

1:9 そこでアハズヤは、五十人隊の長を、その部下五十人とともにエリヤのところに遣わした。隊長がエリヤのところに上って行くと、そのとき、エリヤは山の頂に座っていた。隊長はエリヤに言った。「神の人よ、王のお告げです。下りて来てください。」
1:10 エリヤはその五十人隊の長に答えて言った。「私が神の人であるなら、天から火が下って来て、あなたとあなたの部下五十人を焼き尽くすだろう。」すると、天から火が下って来て、彼とその部下五十人を焼き尽くした。
1:11 王はまた、もう一人の五十人隊の長を、その部下五十人とともにエリヤのところに遣わした。隊長はエリヤに言った。「神の人よ、王がこう言われます。急いで下りて来てください。」
1:12 エリヤは彼らに答えた。「私が神の人であるなら、天から火が下って来て、あなたとあなたの部下五十人を焼き尽くすだろう。」すると、天から神の火が下って来て、彼とその部下五十人を焼き尽くした。
1:13 王はまた、第三の五十人隊の長と、その部下五十人を遣わした。この三人目の五十人隊の長は上って行き、エリヤの前にひざまずき、懇願して言った。「神の人よ、どうか私のいのちと、このあなたのしもべ五十人のいのちをお助けください。
1:14 ご承知のように、天から火が下って来て、先の二人の五十人隊の長とそれぞれの部下五十人を、焼き尽くしてしまいました。今、私のいのちをお助けください。」
1:15 【主】の使いがエリヤに「彼と一緒に下って行け。彼を恐れてはならない」と言ったので、エリヤは立って、彼と一緒に王のところに下って行き、
1:16 王に言った。「【主】はこう言われる。『あなたが使者たちをエクロンの神、バアル・ゼブブに伺いを立てに遣わしたのは、イスラエルにみことばを伺う神がいないためか。それゆえ、あなたは上ったその寝台から降りることはない。あなたは必ず死ぬ。』」
1:17 王は、エリヤが告げた【主】のことばのとおりに死んだ。そしてヨラムが代わって王となった。それはユダの王ヨシャファテの子ヨラムの第二年のことであった。アハズヤには息子がいなかったからである。
1:18 アハズヤが行ったその他の事柄、それは『イスラエルの王の歴代誌』に確かに記されている。
 2024年6月20日(木)リビングライフQT

アハブの時代、エリヤは、しばしば神に敵対するアハブと、激しい対立関係にあり、常に逃避行の身であったのです。
次の息子の代になった今、更に、アハズヤの憎悪は増し、何としてもエリヤを抹殺しようとするのです
エリヤ討伐隊の僅かな距離で、呼び掛ける隊長の言葉に、エリヤの霊的直感は、即刻、神の裁きの行使に出たのです
やり取りもないまま、討伐隊全てに、審判が下ったのには、驚きですが、この事態は、最早予断を許さなかったのです。王の思いと一枚岩の、頑なな勝者と思い上がった彼らには、最早思い直す余地はない・・・と言う姿を、神は見抜いての審判だったのです。二度目の派遣の場合も同様です。しかし三度目に送り出された討伐隊は、そうではなかったのです。
神の恐ろしいばかりの裁きに、彼らの眼は開かれ(エリヤの信じる偉大なる神)への畏れと、自らの弱さを知った、恐れから、神の軍門に下ったのです。すると、神は彼らを護衛隊として用いて、安全にエリヤをアハズヤ王の前まで、導かれたのです。
神は悔い改める者を排除なさいません。
神が一番嫌われるのは、《傲慢》なのです‼️
この物語は、この事を明確に語っているのです。

✨詩篇51:10〜
『神よ。私にきよい心を造り、ゆるがない霊をわたしのうちに新しくしてください。
私をあなたの御前から、投げ捨てず、あなたの聖霊を私から取り去らないでください。』
~19・・ダビデが大罪を犯した後の悔い改めの祈りです。
改めて読み黙想致しましょう。

『*三人目の隊長は、エリヤの前にひざまずき懇願しました。これは、憐れみを求めるという意味です。彼は他の50人隊の死から、神がエリヤの為に働いておられる事を悟ったので神の前にへりくだったのです。悪に満ちている時代のせいにする前に、高慢な自我を捨てる人は、恵みを受けます。』
※(リビングライフ
  “一節の黙想” 参照)
あなたの魂は、神の前に砕かれていますか‼️
 列王記第二 1章1節~8節

1:1 アハブの死後、モアブがイスラエルに背いた。
1:2 アハズヤは、サマリアにあった彼の屋上の部屋の欄干から落ちて重体に陥った。彼は使者たちを遣わし、「行って、エクロンの神、バアル・ゼブブに、私のこの病が治るかどうか伺いを立てよ」と命じた。
1:3 そのころ、【主】の使いがティシュベ人エリヤに告げた。「さあ、上って行って、サマリアの王の使者たちに会い、彼らにこう言え。『あなたがたがエクロンの神、バアル・ゼブブに伺いを立てに行くのは、イスラエルに神がいないためか。
1:4 それゆえ、【主】はこう言われる。あなたは上ったその寝台から降りることはない。あなたは必ず死ぬ。』」そこでエリヤは出て行った。
1:5 使者たちがアハズヤのもとに戻って来たので、彼は「なぜおまえたちは帰って来たのか」と彼らに尋ねた。
1:6 彼らは答えた。「ある人が私たちに会いに上って来て言いました。『自分たちを遣わした王のところに帰って、彼にこう告げなさい。【主】はこう言われる。あなたが人を遣わして、エクロンの神、バアル・ゼブブに伺いを立てるのは、イスラエルに神がいないためか。それゆえ、あなたは上ったその寝台から降りることはない。あなたは必ず死ぬ。』」
1:7 アハズヤは彼らに尋ねた。「おまえたちに会いに上って来て、そんなことを告げたのはどんな男か。」
1:8 彼らが「毛衣を着て、腰に革の帯を締めた人でした」と答えると、アハズヤは「それはティシュベ人エリヤだ」と言った。
 2024年6月19日(水)リビングライフQT

何と愚かな王
この記録は、昨日までの“オバデヤ”の時代から120年ほど遡った時代の、北王国イスラエルの王アハズヤの記録です。

アハズヤ(王)は、『行って、エクロンの神、バアルゼブブ(地域の偶像神)に、私のこの病が治るかどうか伺いを立てよ』と命じた。
イスラエル最悪の王“アハブ“の子です、如何に霊的貧困の中で育てられたことでしょう。
今の時代の子供たちの育つ環境、親子関係、価値観・・・を考えさせられます。
特に、クリスチャンホーム・それぞれの教会の中での、子供達への信仰の継承、霊的取り組みと交わり‼️
今朝改めて、この冒頭の記述に、強い衝撃を受けたのです。
神は立ち上がられた。
神のアハズヤに対する宣言は、最早王としてではなく、神を無視し、敵対する、悔い改めを捨てた罪人に対して、裁きを伝えたのです。
最早憐れみと、赦しの時は、アハズヤには残されていないのです。
アハズヤが『それはテシュベ人エリヤだ』と言った言葉の裏には、主なる神への畏れや、悔いの思いは、少しも感じさせない、とげが潜んでいますね。
日常からの、神への背き(不敬虔・御言葉に聞く心の喪失・自己に対する自信と、過大評価・神への不遜と無視・・・)
その結果は、最早、神の言葉(愛の迫り・御警告・悔い改めへの語りかけ・・・)いづれも、その心は閉ざされているので届かない
エリヤ・ミカヤ等の預言者による、語りかけにも、心閉ざした魂には、最早、直接介入の裁きしか残されていないのです。
信仰の自由、神への選択、聴くか否かの決定・・・それは私のあなたの意思に委ねられてはいます。
しかし、その結果は避けては生きられません。
 永遠の命か❓
  永遠の滅びか❓
それはその人の、主なる神への、答え次第なのです‼️
今日、あなたの心(魂)を、主に御捧げし、主のみ声に耳を心を傾けましょう。
 オバデヤ書 1章15節~21節

1:15 なぜなら、【主】の日がすべての国々に近づいているからだ。おまえは、自分がしたように、自分にもされる。おまえの報いは、おまえの頭上に返る。
1:16 おまえたちがわたしの聖なる山で飲んだように、すべての国々も絶えず飲み続け、飲んだり、すすったりする。彼らはまるで、いなかった者のようになる。
1:17 しかし、シオンの山には、逃れの者がいるようになる。そこは聖となり、ヤコブの家は自分の領地を所有するようになる。
1:18 ヤコブの家は火となり、ヨセフの家は炎となる。エサウの家は刈り株となり、火と炎は刈り株に燃えつき、これを焼き尽くす。エサウの家には生き残る者がいなくなる。」【主】がこう告げられたのである。
1:19 ネゲブの人々はエサウの山を、シェフェラの人々はペリシテ人の地を占領する。また彼らはエフライムの野とサマリアの野を占領し、ベニヤミンはギルアデを占領する。
1:20 イスラエルの人々に属する、この一群の捕囚の民はカナン人の地をツァレファテまで占領し、セファラデにいるエルサレムからの捕囚の民はネゲブの町々を占領する。
1:21 救う者たちは、エサウの山をさばくため、シオンの山に上る。こうして、王国は【主】のものとなる。
 2024年6月18日(火)リビングライフQT

パレスティナにおけるBC722年のアッシリア帝国による、北王朝イスラエルの崩壊(虜囚)の出来事から始まる、バビロニアによる、ユダ王朝(エルサレム)の虜囚と滅亡、更に、ペルシャ王キュロスによるユダヤ人解放、ユダのエルサレム帰還。更に数百年後のローマによるパレスチナ全域の蹂躙・・・更に、イスラム教によるユダヤ人と教会の排除、十字軍による、エルサレム奪還攻防、
キリスト教会(カソリック・プロテスタント双方)によるユダヤ人迫害・ナチスによるユダヤ人へのジェノサイド(民族浄化=)、エドムのユダ王国崩壊への介入は、20世紀に到るまで続いた、人類史上最大の歴史的、神の選ばれた民への介入でした。即ち、エドムへの神の警告は、遂には、終末における、神に敵対する、全ての民への警告となるのです。
イスラエルとの関わりになる歴史は、同時に、局部的なイスラエル近隣諸国の、小競り合いを通して、神に敵対するサタンの陣営の教会に対する、迫害と試練なのです。
しかし、神が私達の味方ならば、
教会の迫害はやがて、時代と共に、イスラエルに輝く勝利を与えられるのです。
21節のエサウの山をさばくため・・・は正に、終末への、予見的メッセージなのです。私達は、この様な神の歴史の中に今在ることを知り、永遠の神のご計画の中に生きる僕として、主の導きにしっかりと従って歩みたいですね。
主よ❗私の道を示してください‼️アーメン
主イエスよ、
来たりませ
    (あ)(ー)(め)(ん) 
 オバデヤ書 1章1節~14節

1:1 オバデヤの幻。【神】である主は、エドムについてこう言われる。──私たちは【主】から知らせを聞いた。使節が国々の間に送られてこう言った、と。「さあ、立ち上がれ。エドムと戦おう」──
1:2 「見よ。わたしはおまえを国々の中で小さい者、ひどく蔑まれる者とする。
1:3 岩の裂け目に住み、高い所を住まいとする者よ。おまえの高慢は、おまえ自身を欺いている。おまえは心の中で言っている。『だれが私を地に引きずり降ろせるのか』と。
1:4 鷲のように高く上っても、星々の間に巣を作っても、わたしは、おまえをそこから引きずり降ろす。──【主】のことば。
1:5 盗人がおまえのところに来るなら、しかも夜に、荒らす者が来るなら、──いかに、おまえは荒らされることか──彼らは欲しい分だけ盗んで行くではないか。ぶどうを収穫する者がおまえのところに来るなら、彼らは取り残しの実を残さないだろうか。
1:6 ああ、エサウは捜し出され、その秘宝は見つけ出される。
1:7 おまえと同盟を組む者たちがみな、おまえを国境まで送り返し、親しい友がおまえを欺いて征服する。おまえのパンを食べていた者が、おまえの足もとに罠を仕掛ける。こんなおまえに英知はない。
1:8 その日には、──【主】のことば──わたしは、エドムから知恵ある者たちを、エサウの山から英知を消し去らないであろうか。
1:9 テマンよ、おまえの勇士たちは気をくじかれる。虐殺され、エサウの山から一人残らず断ち切られる。
1:10 おまえの兄弟、ヤコブへの暴虐のために、恥がおまえをおおい、おまえは永遠に断たれる。
1:11 他国人がエルサレムの財宝を奪い去り、外国人がその門に押し入り、エルサレムをくじ引きにして取ったその日、おまえは素知らぬ顔で立っていた。おまえもまた、彼らのうちの一人のようであった。
1:12 おまえは兄弟の災難の日に、それを見ていてはならない。ユダの子らの滅びの日に、彼らのことで喜んではならない。その苦難の日に大口をたたいてはならない。
1:13 おまえは彼らのわざわいの日に、わたしの民の門に入ってはならない。ほかでもないおまえが、彼の破局の日に、そのわざわいを眺めていてはならない。彼の破局の日に、彼らの財宝に手を伸ばしてはならない。
1:14 その逃れる者を断つために、別れ道に立ちふさがってはならない。その苦難の日に、彼らの生き残った者を引き渡してはならない。
 2024年6月17日(月)リビングライフQT

冒頭から《エドム》への激しい裁きの言葉が押し寄せてくる。
エドムの民はその昔、アブラハムの愛子イサクの二人の息子・エサウとヤコブのうち、弟ヤコブが、選ばれて、イスラエルの直系となった。
神は、エサウも又、アブラハムの末、故に、彼をも祝福されました。
しかし、
彼はアブラハムのもとを離れて、死海の南部の平原に拡がり、イスラエルの出エジプトによる、カナンの地に近づいた折、イスラエルの前に立ちはだかり、モアブと組んで(先月、列王記で学ぶ)イスラエルの行く手を妨げた
そのエドムに対する、厳しい裁きの預言なのです‼️
この時代は、北王朝(イスラエル)がアッシリアによって崩壊の憂き目にあい、やがて、アッシリアが滅びます。それから、バビロニアが台頭して、混乱の世にあって、オバデヤは預言活動をしていた。
エルサレムの崩壊の時に、エドムは、歴史的に兄弟であるイスラエルに対して、バビロニアの攻撃により混乱するエルサレムに、略奪隊を組み、バビロニアの後方を助けたのです。
主なる神は、エルサレムが攻撃されるときに、エドムに対して、エルサレムに介入しないように、繰り返し警告を発しておられました。
11節~14節
特に、12節『お前は兄弟の災難の日に・・』と、血を分けた《兄弟》と、語っておられる。
今の時代に眼を転じて、ウクライナ・ガザの戦闘を思うと、いづれも、同朋・骨肉の争いではないでしょうか。
裁きは神の為さること‼️
どうして、人が・政治が、これに介入する権限があるのでしょうか

イスラエル(エルサレム)への、神の下された裁きは、神の愛と回復へのステップとして、表されたのです。ところがエドムは、自らの傲慢のゆえに、神に敵対する結果となったのです。
今、私達は、回りに起こる国際的、国内的、日常的、様々な犯罪や、道に逸れた蛮行、いじめ・殺人・・眼を覆うような事件は、まさに、エドムの姿に重なります。
主なる神は、背くイスラエルも、これを破壊するバビロニアも、それに便乗するエドムも、心に悼みをもって、見ていらっしゃることを、忘れてはなりません。
主の御心に私達の思いを重ねて、このオバデヤ書を学んで参りましょう
 ペテロ第二 3章10節~18節

3:10 しかし、主の日は盗人のようにやって来ます。その日、天は大きな響きを立てて消え去り、天の万象は焼けて崩れ去り、地と地にある働きはなくなってしまいます。
3:11 このように、これらすべてのものが崩れ去るのだとすれば、あなたがたは、どれほど聖なる敬虔な生き方をしなければならないことでしょう。
3:12 そのようにして、神の日が来るのを待ち望み、到来を早めなければなりません。その日の到来によって、天は燃え崩れ、天の万象は焼け溶けてしまいます。
3:13 しかし私たちは、神の約束にしたがって、義の宿る新しい天と新しい地を待ち望んでいます。
3:14 ですから、愛する者たち。これらのことを待ち望んでいるのなら、しみも傷もない者として平安のうちに神に見出していただけるように努力しなさい。
3:15 また、私たちの主の忍耐は救いであると考えなさい。愛する、私たちの兄弟パウロも、自分に与えられた知恵にしたがって、あなたがたに書き送ったとおりです。
3:16 その手紙でパウロは、ほかのすべての手紙でもしているように、このことについて語っています。その中には理解しにくいところがあります。無知な、心の定まらない人たちは、聖書の他の箇所と同様、それらを曲解して、自分自身に滅びを招きます。
3:17 ですから、愛する者たち。あなたがたは前もって分かっているのですから、不道徳な者たちの惑わしに誘い込まれて、自分自身の堅実さを失わないよう、よく気をつけなさい。
3:18 私たちの主であり、救い主であるイエス・キリストの恵みと知識において成長しなさい。イエス・キリストに栄光が、今も永遠の日に至るまでもありますように。
 2024年6月16日(日)リビングライフQT

主の日が、盗人のようにやって来る
想定していない時、心が緩んでいるとき、突然その時は訪れるでしょう
しかし、備えている主の弟子にとっては、その時は、(は)(れ)(る)(や)‼️
と、賛美のうちに、直ちに携えあげられるでしょう(#^.^#)
私たちにとっては、永
遠の時の約束は、明日かも、今夕かも‼️・・
この様な待ち望みの日々は、信仰の完成への一刻一刻となっているのです。
今の時代あまりにも、通常の生活が多岐にわたって進化し、何が真実か、何が恵みなのか、何が誘惑なのか・・・見分けがつきにくい時代です。生活の利便性が、怠惰なのか、祝福なのか、堕落なのか、発展なのか、考えるゆとりもなく、生活と認識(常識)の中に侵入してきています。
益々、神の御言葉に生きる(聴く‼️)と言うことの重要性が、求められます。神の言葉《聖書》は、益々、重要な武器・命の栄養・創り主との唯一の絆となります。
第一・二ぺテロの手紙を終えるにあたって改めて、これらの事を深く心に刻みましょう‼️
 ペテロ第二 3章1節~9節

3:1 愛する者たち、私はすでに二通目となる手紙を、あなたがたに書いています。これらの手紙により、私はあなたがたの記憶を呼び覚まして、純真な心を奮い立たせたいのです。
3:2 それは、聖なる預言者たちにより前もって語られたみことばと、あなたがたの使徒たちにより伝えられた、主であり救い主である方の命令を思い出させるためです。
3:3 まず第一に、心得ておきなさい。終わりの時に、嘲る者たちが現れて嘲り、自分たちの欲望に従いながら、
3:4 こう言います。「彼の来臨の約束はどこにあるのか。父たちが眠りについた後も、すべてが創造のはじめからのままではないか。」
3:5 こう主張する彼らは、次のことを見落としています。天は大昔からあり、地は神のことばによって、水から出て、水を通して成ったのであり、
3:6 そのみことばのゆえに、当時の世界は水におおわれて滅びました。
3:7 しかし、今ある天と地は、同じみことばによって、火で焼かれるために取っておかれ、不敬虔な者たちのさばきと滅びの日まで保たれているのです。
3:8 しかし、愛する人たち、あなたがたはこの一つのことを見落としてはいけません。主の御前では、一日は千年のようであり、千年は一日のようです。
3:9 主は、ある人たちが遅れていると思っているように、約束したことを遅らせているのではなく、あなたがたに対して忍耐しておられるのです。だれも滅びることがなく、すべての人が悔い改めに進むことを望んでおられるのです。

 2024年6月15日(土)リビングライフQT

ぺテロ先生は、第一の手紙の中で、神の永遠のご計画により、罪人の救いと清めの恵みを与えてくださったことを、しっかりと、魂に刻んでくださいました。その恵みがどんなに栄光に富んだものであるか‼️繰り返し重ねて学んできました。
ご計画が着々と、時を刻むなかで、増々心して主の時を待ち望まねばならないと、今朝も改めて『身を慎み、目を覚ましていなさい』と言うイエス様のお言(マタイ福音書25:13)を、思い出します。そして、ぺテロ先生は8節で『主の御前では、一日は千年のようであり、千年は一日のようです』と、厳しい警告で、終わりの日の近いことを、警告をもって語っているのです。
私たち主の僕は、どんな思いで、今を❗一瞬を‼️過ごしているでしょう⁉️
主の時(完成の日・御国への凱旋のとき・永遠の命に復活する朝)は、何時なのでしょう⁉️
人の営みの歴史の中で、教会が、主の僕だった者が、“主の日”がなかなか到来しないことに、しびれを切らして、
*主が再臨した 
*もう間もなくだからすべてを献げて・・・と、実(まこと)しやかに言い拡げて、混乱を招いた歴史は、今日のみならず、数世紀にわたって展開されて来ました。
この偽りを語る者も、それを真に受ける者も、いずれも、主なる神の御心を、踏みにじる、もっとも自己中心な罪の典型的姿なのです。一見、熱心な終末観信仰者と思われがちですが、自己中心も甚だしい姿です。
神の主権の中にある《時》を、まるで予言で示したり、神から示されたかの様な傲慢な振る舞いで、耳目を自分に引き付けようとするのです。
なんと言う傲慢、甚だしい冒涜

9節~『主は、ある人たちが遅れていると思っているように、約束したことを遅らせているのではなく、あなた方に対して忍耐しておられるのです。誰も滅びることがなく、すべての人が悔い改めに進むことを望んでおられるのです。』
この、神のお心を知らずして、苛立ち、早まり、時を待てない焦りは、まさに、自己中心な、罪の典型なのです。
『親の心、子知らず』の例えのような、否そんな綺麗事ではすまされない、自己中心な罪の根源なのです。
私が、あなたが、今日赦されて在るのは、まさに、あなたを・私を、最後の完成の栄光に包むための、神の愛の忍耐の時なのです。
この主なる神の、深く大いなる《愛》の故に、もう一度、神の愛と恵みを仰ぎ見ましょう‼️
そして、自分だけでなく、更に多くの身近な人々、戦乱の真中に晒されている人々
違った教え(唯物主義”覇権主義・反キリスト)に巻き込まれそうな人々
そのように、翻弄される世界の、悔い改めの為に、主なる神の御手が覆ってくださるように、心注ぎ祈って参りましょう‼️
主よ❗来たりませ‼️
 ペテロ第二 2章12節~22節

2:12 この者たちは、本能に支配されていて、捕らえられ殺されるために生まれてきた、理性のない動物のようです。自分が知りもしないことを悪く言い、動物が滅びるように滅ぼされることになります。
2:13 彼らは不義の報酬として損害を受けるのです。彼らは昼間から飲み騒ぐことを楽しみとしています。彼らはしみや傷であり、あなたがたと一緒に宴席に連なるとき、自分たちのだましごとにふけるのです。
2:14 その目は姦淫に満ち、罪に飽くことがなく、心が定まらない人たちを誘惑し、心は貪欲で鍛えられています。彼らはのろいの子です。
2:15 彼らは正しい道を捨てて、さまよっています。ベオルの子バラムの道に従ったのです。バラムは不義の報酬を愛しましたが、
2:16 自分の不法な行いをとがめられました。口のきけないろばが人間の声で話して、この預言者の正気を失ったふるまいをやめさせたのです。
2:17 この者たちは水がない泉、突風で吹き払われる霧です。彼らには深い闇が用意されています。
2:18 彼らは、むなしいことを大げさに語り、迷いの中に生きている人々の間から現に逃げ出しつつある人たちを、肉欲と好色によって誘惑しています。
2:19 その人たちに自由を約束しながら、自分自身は滅びの奴隷となっています。人は自分を打ち負かした人の奴隷となるのです。
2:20 主であり、救い主であるイエス・キリストを知ることによって世の汚れから逃れたのに、再びそれに巻き込まれて打ち負かされるなら、そのような人たちの終わりの状態は、初めの状態よりももっと悪くなります。
2:21 義の道を知っていながら、自分たちに伝えられた聖なる戒めから再び離れるよりは、義の道を知らなかったほうがよかったのです。
2:22 「犬は自分が吐いた物に戻る」、「豚は身を洗って、また泥の中を転がる」という、ことわざどおりのことが、彼らに起こっているのです。
 2024年6月14日(金)リビングライフQT

15節~16節のベオルの子バラム(預言者)の記録は、旧約の民数記22章~25章に、出エジプトを果して、死海の東岸モアブの地に達したと記されています。モアブの王バラクは、破竹の勢いで一説には百万を越えるイスラエルの民が、エドム・エモリ人・アマレクの民・さらにシンの荒野・シナイ半島の沙漠(荒野)地帯を制覇して、モアブに迫った勢いに、民も王も、恐れをなしていたので、預言者バラムを召し出して、呪いの預言でイスラエルを混乱させようとしたのです。
最初は、神に祈る中で、神はそれを由となさらず、バラク王の甘言に乗らないように、忠告されました。
しかし、再三の呼び出し(旧約聖書本文には記されてはいないが、当然通例としては、それなりの莫大な報酬がバラムに届けられていたはずです)
バラムの心は動き、ついに王の召喚に応えて王宮に向かう途中で、
乗っているロバが、道に立ち塞がる御使いの姿に、言うこと聞かないのでロバを打ったので、ロバが人の言葉を語った
そこで神はバラムに語りかけ、叱責されたのです。バラムは、すんでの事で、神に背いた道へと落ちるところでした。
神の人であっても、主の僕であっても、使徒の一人(イスカリオテのユダ)であっても、《欲望》は、その人の魂を蝕むのです。
背教者と言うと、余程の悪者という感じがしますが、決して真っ向から弓を引く・・・と、言うわけではないのです。様々な事情が潜んで(貧しさ・成し遂げたいとの熱い思い・助けたい・・・と言う人の善意等)いるために、つい、欲と自我が先行する時、そこから魂の崩壊が始まるのです。
人の弱さは、人の魂の中にある善意からも、脇道が開くのです。
そんな人生(主の僕として生きる)の中で、主の僕としてあり続ける力は・・・(はてな)
それは‼️ イエス様を主と仰ぎ、このお方の前に日毎に、身を捧げて、交わりの(祈りの交流)中を歩むことです
 ペテロ第二 2章1節~11節

【新改訳2017】
Ⅱペテ
2:1 しかし、御民の中には偽預言者も出ました。同じように、あなたがたの中にも偽教師が現れます。彼らは、滅びをもたらす異端をひそかに持ち込むようになります。自分たちを買い取ってくださった主さえも否定し、自分たちの身に速やかな滅びを招くのです。
2:2 また、多くの者が彼らの放縦に倣い、彼らのせいで真理の道が悪く言われることになります。
2:3 彼らは貪欲で、うまくこしらえた話であなたがたを食い物にします。彼らに対するさばきは昔から怠りなく行われていて、彼らの滅びが遅くなることはありません。
2:4 神は、罪を犯した御使いたちを放置せず、地獄に投げ入れ、暗闇の縄目につないで、さばきの日まで閉じ込められました。
2:5 また、かつての世界を放置せず、不敬虔な者たちの世界に洪水をもたらし、義を宣べ伝えたノアたち八人を保護されました。
2:6 また、ソドムとゴモラの町を破滅に定めて灰にし、不敬虔な者たちに起こることの実例とされました。
2:7 そして、不道徳な者たちの放縦なふるまいによって悩まされていた正しい人、ロトを救い出されました。
2:8 この正しい人は彼らの間に住んでいましたが、不法な行いを見聞きして、日々その正しい心を痛めていたのです。
2:9 主はこのようにされたのですから、敬虔な者たちを誘惑から救い出し、正しくない者たちを処罰し、さばきの日まで閉じ込めておくことを、心得ておられるのです。
2:10 特に、汚れた欲望のまま肉に従って歩み、権威を侮る者たちに対して、主はそうされます。この者たちは厚かましく、わがままで、栄光ある人たちをののしって恐れません。
2:11 御使いたちは勢いも力も彼らにまさっているのに、主の御前で彼らをそしって訴えたりしません。

 2024年6月13日(木)リビングライフQT

かつて、日本の教会は、非常に強力な間違った教えに翻弄されました。イエス・キリストに名を借りた、サタンの策略に支配された、反キリストの群れが、福音の妨げばかりではなく、福音の苗床でもある《教会》をも、破壊しようと、攻撃しました。
エホバの証人・統一原理(統一協会)・イエスの方舟・モルモン教(末日聖徒キリスト教会)・オウム真理教・・・
その他にも、強いリーダーシップと奇跡によって自らを“再臨のキリスト”と称して、教会の信徒を混乱させた例は、枚挙に暇がない
偽預言者・偽教師・・彼らは何を狙っているのでしょうか。
彼等・・→それはサタンの回し者です。サタンの狙いは、人の欲望を駆り立てて、ここまでは赦される許容範囲だと、まことしやかに説き、魂を迷路に連れ込んで、聖なる神の御性質にあずかる世界から、遠ざけるのです。
異端の多くが、この手法で人々(主の弟子達も含めて)を、惑わして来たのです。
しかし、真理の道は只一つ、神の主権の中にのみ、秘められているのです。
只主なる神に眼を注ぐ信仰‼️そこからだけ、命の道が開かれて来るのです。ノアの時も・ソドム・ゴモラの時も、主なる神にのみ眼を留めたノアとその家族、また、ロトとその家族、彼等だけが主に眼を留めていた。
一方、予言者ヨナの宣教に、堕落の粋を極めていた、ニネベの民衆は、ヨナの宣教によって、こぞって神に帰ったので、滅亡から守られた。
歴史は実に明快に、神の道を示しています。
救いや、護りは、人の《善》によるものではなく、神の主権の中の《聖》に、あることを知らねばなりません。
サタンとその手だてに引かれる人の道に、救いはありません。
(11節) 
『御使いたちは勢いも力も彼らにまさっているのに、主の御前で彼らをそしったり訴えたりしません』
御使いたちはサタン以上に力も存在感もあるのですが、
神に代わって、裁いたり、これを支配したりはしないのです
この言葉は意味深長ですね。
あなたの意思、私の決断は、どこに向いていますか‼️
私達の眼を、心を、魂を・・・聖なる神にむけて捧げましょう。
 ペテロ第二 1章12節~21節

1:12 ですから、あなたがたがこれらのことをすでに知り、与えられた真理に堅く立っているとはいえ、私はあなたがたに、それをいつも思い起こさせるつもりです。
1:13 それを思い起こさせて、あなたがたを奮い立たせることを、私は地上の幕屋にいるかぎり、なすべきだと思っています。
1:14 私たちの主イエス・キリストが示してくださったように、私はこの幕屋を間もなく脱ぎ捨てることを知っています。
1:15 ですから、ぜひとも、私が去った後いつでも、あなたがたがこれらのことを思い起こせるようにしておきたいのです。
1:16 私たちはあなたがたに、私たちの主イエス・キリストの力と来臨を知らせましたが、それは、巧みな作り話によったのではありません。私たちは、キリストの威光の目撃者として伝えたのです。
1:17 この方が父なる神から誉れと栄光を受けられたとき、厳かな栄光の中から、このような御声がありました。「これはわたしの愛する子。わたしはこれを喜ぶ。」
1:18 私たちは聖なる山で主とともにいたので、天からかかったこの御声を自分で聞きました。
1:19 また私たちは、さらに確かな預言のみことばを持っています。夜が明けて、明けの明星があなたがたの心に昇るまでは、暗い所を照らすともしびとして、それに目を留めているとよいのです。
1:20 ただし、聖書のどんな預言も勝手に解釈するものではないことを、まず心得ておきなさい。
1:21 預言は、決して人間の意志によってもたらされたものではなく、聖霊に動かされた人たちが神から受けて語ったものです。
 2024年6月12日(水)リビングライフQT

12節の《これらのこと》と語られているのは、一体どの様なことだったのでしょう‼️
それは昨日のテキストの4節にある《神の御性質にあずかる者になるためです》なのです。何て言う光栄なことでしょう‼️
罪人・神に敵対していた私達が・・・です。ただひれ伏して、感謝し全霊を注ぎだして、御前に献身するだけです‼️
しかし、私達は肉なる弱さの故に、初心を忘れ、神の深遠なご計画と、導きとを忘れて、恵みと哀れみから遠ざかりやすい者なのです。
そのような私たちを悼んで、ぺテロ先生は、この手紙をしたためたのです。
《神の御性質にあずかる》この事を思い起こさせ、奮い立たせる事を、ぺテロ先生は全ての主の僕(弟子・クリスチャン)に、覚え続けて欲しい‼️と願ったのです。
私たちは、この世の日々の営みの中で、ついつい、気後れしたり、弱さを痛感したり、挫折しては、立ち上がれなくなるほどに打ちのめされたりします。
そのように、霊的攻撃に晒されて(さらされて)いるので、弱くなりやすいのです。
だから、いつも、私達が召し出されたのは、
《神の御性質にあずかる者となる‼️》
この事を、思い起こさせるために・・・。
 主は、お約束くださいました。私たちは、《主イエスの力と来臨》を、待ち望む者なのです。
この確かな《預言》の言葉と約束を信じて、それに眼を留めて歩んでいきたいですね。
お互いに、主の来臨に迎えられるために、・・《思い起こしましょう》
  (は)(れ)(る)(や)
 ペテロ第二 1章1節~11節

1:1 イエス・キリストのしもべであり使徒であるシモン・ペテロから、私たちの神であり救い主であるイエス・キリストの義によって、私たちと同じ尊い信仰を受けた方々へ。
1:2 神と、私たちの主イエスを知ることによって、恵みと平安が、あなたがたにますます豊かに与えられますように。
1:3 私たちをご自身の栄光と栄誉によって召してくださった神を、私たちが知ったことにより、主イエスの、神としての御力は、いのちと敬虔をもたらすすべてのものを、私たちに与えました。
1:4 その栄光と栄誉を通して、尊く大いなる約束が私たちに与えられています。それは、その約束によってあなたがたが、欲望がもたらすこの世の腐敗を免れ、神のご性質にあずかる者となるためです。
1:5 だからこそ、あなたがたはあらゆる熱意を傾けて、信仰には徳を、徳には知識を、
1:6 知識には自制を、自制には忍耐を、忍耐には敬虔を、
1:7 敬虔には兄弟愛を、兄弟愛には愛を加えなさい。
1:8 これらがあなたがたに備わり、ますます豊かになるなら、私たちの主イエス・キリストを知る点で、あなたがたが役に立たない者とか実を結ばない者になることはありません。
1:9 これらを備えていない人は盲目です。自分の以前の罪がきよめられたことを忘れてしまって、近視眼的になっているのです。
1:10 ですから、兄弟たち。自分たちの召しと選びを確かなものとするように、いっそう励みなさい。これらのことを行っているなら、決してつまずくことはありません。
1:11 このようにして、私たちの主であり救い主であるイエス・キリストの永遠の御国に入る恵みを、豊かに与えられるのです。
 2024年6月11日(火)リビングライフQT

3節の、・・・ご自身の栄光と栄誉によって召してくださった神・・
この言葉は、なんと驚くほどの栄誉な事でしょう。私達の何処に、こうして選ばれた理由や価値があるのでしょうか(はてな)
しかも、その目的は、神の性質にあずかるものとなるため‼️
主なる神は、何時から、何処で、どの様な理由で、このような選びのご計画を、持たれたのでしょうか⁉️
良〰️く、考えてみましょう
主なる、創造者なる神が、天地を創造された時、全てのもの(宇宙・地球・全ての被造物・命・霊・・・)を、どの様な御思いで、お造りになられたのでしょう⁉️
私たちを神の栄光が包み、神の国を受け継ぐ者として、この世界は、神の国の予表として、創造されたのです。完成されたこの地は、ほぼ完璧な世界として、動き始めたのです。そこに、人が植えられたのです‼️
ですから4節にある、『・・神のご性質にあずかる者となるためです。』
しかし、それは人形のように、意志のないものではなく、《神のご性質にあずかる》即ち、神との交わりを持ち、神の栄光と、喜びと、感動を神が持たれるように、その力を私達が経験し、その中に生きる特権を得ているのです。
なんと言う光栄でしょう。正に、福音です‼️
今の、混沌とした時代の中に、神の光をもって世に遣わされるあなたです。
今朝改めて、十字架の救いに与った私たちは、神からの召しと選びとを大切にしながら、御国を目指して、歩み続けましょう。
たまたま人間(動物の中の最高の知性的命を頂いた)として存在するのではなく、
神の国を体感して、生かされる主の僕として生きたいですね。
 ペテロ第一 5章8節~14節

5:8 身を慎み、目を覚ましていなさい。あなたがたの敵である悪魔が、吼えたける獅子のように、だれかを食い尽くそうと探し回っています。
5:9 堅く信仰に立って、この悪魔に対抗しなさい。ご存じのように、世界中で、あなたがたの兄弟たちが同じ苦難を通ってきているのです。
5:10 あらゆる恵みに満ちた神、すなわち、あなたがたをキリストにあって永遠の栄光の中に招き入れてくださった神ご自身が、あなたがたをしばらくの苦しみの後で回復させ、堅く立たせ、強くし、不動の者としてくださいます。
5:11 どうか、神のご支配が世々限りなくありますように。アーメン。
5:12 忠実な兄弟として私が信頼しているシルワノによって、私は簡潔に書き送り、勧めをし、これが神のまことの恵みであることを証ししました。この恵みの中にしっかりと立っていなさい。
5:13 あなたがたとともに選ばれたバビロンの教会と、私の子マルコが、あなたがたによろしくと言っています。
5:14 愛の口づけをもって互いにあいさつを交わしなさい。キリストにあるあなたがたすべての者に、平安がありますように。
 2024年6月10日(月)リビングライフQT

私達は時々、

『神様を信じたのに、なんだか、今まで以上に、苦しみや悲しみに遭遇するのは、何故なのだろう…』と
そのような焦燥感を経験した事がありませんか
一見信仰生活の矛盾にも思える、人生経験は、避けられないことなのでしょうか。
この問題に光を当てたのが、今日のテキストなのです。
当時のアジア(今日のトルコ)の諸教会・クリスチャンたちは、様々な偶像信仰から、真の神、イエス・キリストを信じて新しい命の道を歩き始めたのに、それはそれは、想像を絶する迫害と、様々な困難を経験していたのです。主の弟子ぺテロは、この困難に直面している教会(クリスチャン)に、励ましのメッセージを届ける必要から、この手紙を書いたのです。その大切な、メッセージの中心を一言で言えば、
10節『あらゆる恵みに満ちた神、すなわち、あなた方をキリストにあって永遠の光の中に招き入れてくださった神ご自身が、あなた方をしばらくの苦しみの後で回復させ、堅く立たせ、強くし、不動のものとしてくださいます。』
即ち、試練は、回りに潜む、神のご計画に対抗するサタンの、様々な手だてで、信じる神の民を苦しめるのです。しかし、その実態を神ご自身が、ご存じなのです。主なる神はその苦しみに直面するなかで、神は御手をのべて、導きを明らかにされようとしておられます。試練の中にある者は、その中から、
主に叫ぶ❗
主を求める❗
主なる神の助けを祈り求める❗とき初めて、救い主と繋がるのです。
呼び求めるなら‼️
こうして、あなたの救い主は、あなたを待っておられるのです‼️
    ハレルヤ‼️
あなたの眼を、あなたを愛し、あなたのために十字架に命を投げ出して下さった御方に、向けましょう‼️(#^.^#)
主は待っておられるのです。その時、あなたは力強い、命の救いの経験をするのです。
強くされるのです。
もう一度10節を黙想いたしましょう!
『あなた方をしばらくの苦しみの後で回復させ、固く立たせ、強くし、不動の者として下さいます。』

主を信じる者は、民族・国境・地域を越えて、結ばれているのです。
互いに祈り合い、励まし合って、参りましょう。
☆リビングライフのテキストをお持ちの方は、是非今日の P67 をお読みください。
『苦難を与えられる理由』示唆にとんだエッセイです‼️
 ペテロ第一 5章1節~7節

5:1 私は、あなたがたのうちの長老たちに、同じ長老の一人として、キリストの苦難の証人、やがて現される栄光にあずかる者として勧めます。
5:2 あなたがたのうちにいる、神の羊の群れを牧しなさい。強制されてではなく、神に従って自発的に、また卑しい利得を求めてではなく、心を込めて世話をしなさい。
5:3 割り当てられている人たちを支配するのではなく、むしろ群れの模範となりなさい。
5:4 そうすれば、大牧者が現れるときに、あなたがたは、しぼむことのない栄光の冠をいただくことになります。
5:5 同じように、若い人たちよ、長老たちに従いなさい。みな互いに謙遜を身に着けなさい。「神は高ぶる者には敵対し、へりくだった者には恵みを与えられる」のです。
5:6 ですから、あなたがたは神の力強い御手の下にへりくだりなさい。神は、ちょうど良い時に、あなたがたを高く上げてくださいます。
5:7 あなたがたの思い煩いを、いっさい神にゆだねなさい。神があなたがたのことを心配してくださるからです。

 2024年6月9日(日)リビングライフQT

具体的な、人間関係についての大切な二つの事‼️

①模範となる
リーダーシップにおいて、どの様な力量を発揮するかよりも、“模範となる”事が、何よりも求められる‼️と言う事です。
教えること・統率することよりいぜんに求められることは❗
《模範となる》この言葉の前に、私達は自らを、見つめ直してみましょう。
☆主に喜ばれる・・・と言うことは、そう言うことなんだ‼️・・と、
自らの存在を通して、無言のうちに、伝えられる福音の輝き‼️
これを養いましょう。
②謙遜(へりくだる)
自らを見つめてみても正にこの問題です
*知って欲しい 
*わかって欲しい
*理解して欲しい・・・‼️
この隠れた願望が、しばしば自らの弱さとして表われてしまうのです。
このテキストを黙想しながら、深く思わされました。
《主なる神、イエス様に“由とされる‼️”》と言うことなんだと
恥じ入るばかりに、教えられました。
こうして主の前に立つとき、7節の
『あなた方の思い煩いを、いっさい神にゆだねなさい。神があなた方のことを心配してくださるからです』が、
魂の深いところに、ズシンと入ってきたのです。嬉しさと喜びでいっぱいです。解放感に満たされます✨✨✨
    ハレルヤ
 ペテロ第一 4章12節~19節

4:12 愛する者たち。あなたがたを試みるためにあなたがたの間で燃えさかる試練を、何か思いがけないことが起こったかのように、不審に思ってはいけません。
4:13 むしろ、キリストの苦難にあずかればあずかるほど、いっそう喜びなさい。キリストの栄光が現れるときにも、歓喜にあふれて喜ぶためです。
4:14 もしキリストの名のためにののしられるなら、あなたがたは幸いです。栄光の御霊、すなわち神の御霊が、あなたがたの上にとどまってくださるからです。
4:15 あなたがたのうちのだれも、人殺し、盗人、危害を加える者、他人のことに干渉する者として、苦しみにあうことがないようにしなさい。
4:16 しかし、キリスト者として苦しみを受けるのなら、恥じることはありません。かえって、このことのゆえに神をあがめなさい。
4:17 さばきが神の家から始まる時が来ているからです。それが、まず私たちから始まるとすれば、神の福音に従わない者たちの結末はどうなるのでしょうか。
4:18 「正しい者がかろうじて救われるのなら、不敬虔な者や罪人はどうなるのか。」
4:19 ですから、神のみこころにより苦しみにあっている人たちは、善を行いつつ、真実な創造者に自分のたましいをゆだねなさい。
 2024年6月8日(土)リビングライフQT

“試練”・・それは、苦しみ・困難・病・貧困・孤独・・等々を指しているのではないのです。
不審なことが起こったかのように、思ってはいけません。
*不審に思う(何か悪いことしたからかな(はてな)・・なぜ神を信じているのに、こんな苦しいことが・・・❓
私は赦されていないのかしら・・(はてな))
このような考えは愚かな思い違いです。
罪に満ちた世にあって、矛盾・困難・病・誤解・離反・裏切り・・等は、クリスチャンにも当然、押し寄せてまいります。まさに世の常なのです‼️
パウロ先生は、
13節~むしろキリストの苦難にあずかればあずかるほど・・・それは、自らの罪故でなく、主の僕である・・と言う理由で、受ける苦しみ(正に、クリスチャンの試練)にあずかる時“喜びなさい‼️”と…
 ハレルヤ‼️
この喜びこそ、主の弟子であるあなたが、成長する底力になるのです。
それゆえ、恥じることなく、神を崇めなさい‼️
 ハレルヤ
感謝しつつ、あなたの魂を神に委ねましょう
主の僕は、迫害・試練・信仰のゆえの困難・・・を通して、輝き・強くされ・神から来る平安と臨在(主の)で魂を豊かにされるのです。
主の時に期待しましょう(#^.^#)ハレルヤ‼️

 ペテロ第一 4章1節~11節

4:1 キリストは肉において苦しみを受けられたのですから、あなたがたも同じ心構えで自分自身を武装しなさい。肉において苦しみを受けた人は、罪との関わりを断っているのです。
4:2 それは、あなたがたが地上での残された時を、もはや人間の欲望にではなく、神のみこころに生きるようになるためです。
4:3 あなたがたは異邦人たちがしたいと思っていることを行い、好色、欲望、泥酔、遊興、宴会騒ぎ、律法に反する偶像礼拝などにふけりましたが、それは過ぎ去った時で十分です。
4:4 異邦人たちは、あなたがたが一緒に、度を越した同じ放蕩に走らないので不審に思い、中傷しますが、
4:5 彼らは、生きている者と死んだ者をさばこうとしておられる方に対して、申し開きをすることになります。
4:6 このさばきがあるために、死んだ人々にも生前、福音が宣べ伝えられていたのです。彼らが肉においては人間としてさばきを受けても、霊においては神によって生きるためでした。
4:7 万物の終わりが近づきました。ですから、祈りのために、心を整え身を慎みなさい。
4:8 何よりもまず、互いに熱心に愛し合いなさい。愛は多くの罪をおおうからです。
4:9 不平を言わないで、互いにもてなし合いなさい。
4:10 それぞれが賜物を受けているのですから、神の様々な恵みの良い管理者として、その賜物を用いて互いに仕え合いなさい。
4:11 語るのであれば、神のことばにふさわしく語り、奉仕するのであれば、神が備えてくださる力によって、ふさわしく奉仕しなさい。すべてにおいて、イエス・キリストを通して神があがめられるためです。この方に栄光と力が世々限りなくありますように。アーメン。

 2024年6月7日(金)リビングライフQT

☆神のために生きる(残りの)人生
私達は、贖罪(あがない)主イエス・キリストにより、この御方を信じ従うようになった時から、人生の生きる方向が変わったのです。
以前は、生まれたからには、与えられた(誰から・・・と言う大切な意味は考えずに)人生と言う、命の輝く尊い時間を、我が物として、自由奔放に消費していました。(欲望・楽しみ・学び・五感を満足させるためのあらゆる追及)・・・これらが全く悪いと言うのではないのです。
ただ、大切なもの(第一に知らねばならないこと❗)即ち・・・
私を・あなたを創造された御方を知ること‼️言い替えれば、このお方がいかなる目的(御計画)をもって、この世に私をあなたを、送り出して下さったか(はてな)
この事を知ることが人生最大の務め、目的なのです。
2節:あなた方が地上での残された時を、もはや人間の欲望にではなく、神のみこころに生きるようになるためです。
3・4・5・6節には、生まれたまま、放縦(思いのまま・欲望に任せ)に生きる《異邦人》と、記していますが、この書簡の著者ぺテロ先生は、
イエス様の教えに心開いて、クリスチャンと呼ばれるようになったユダヤ人教会に対して書いているので、主の元に帰っていない人々も含めて、創造主なる神を知らない人々を《異邦人》と、総称しているのです。
このような混沌とした、罪の世界は、やがて終わりの時を迎える・・・と、ぺテロ先生は、警告します‼️
7節~《万物の終わりが近づきました、ですから、祈りのために、心を整え身を慎みなさい。》
非常に重い、重要な警告です。ハレルヤ‼️
*《祈りのために》とありますが、祈りの本質は、主なる神・贖い主なる神・創造者な神・常に導き、側に居て助け主としておられる・・・三位一体の神(唯一の神)と、語らう時を→《祈り》と言うのです。終わりの近い時代には、《祈り》がどれ程大切かを、ぺテロ先生は語っているのです。
その上で*愛し合い    *もてなし合い *仕え合い・・・なさい‼️と勧めます。
これが教会であり、クリスチャンの交わりなのです。
教会生活とは、この様な交わりであり、神の国のこの地上での、前もっての姿なのです。
礼拝や諸集会に集う時ばかりではなく、家庭で、社会で、学校で施設の中で、病院で、神の家族が互いに祈り励まし合いながら、証しする姿を、この世に顕すのです‼️
  ハレルヤ(ハート)‼️ 
 ペテロ第一 3章13節~22節

3:13 もしあなたがたが良いことに対して熱心であるなら、だれがあなたがたに害を加えるでしょう。
3:14 たとえ義のために苦しむことがあっても、あなたがたは幸いです。人々の脅かしを恐れたり、おびえたりしてはいけません。
3:15 むしろ、心の中でキリストを主とし、聖なる方としなさい。あなたがたのうちにある希望について説明を求める人には、だれにでも、いつでも弁明できる用意をしていなさい。
3:16 ただし、柔和な心で、恐れつつ、健全な良心をもって弁明しなさい。そうすれば、キリストにあるあなたがたの善良な生き方をののしっている人たちが、あなたがたを悪く言ったことを恥じるでしょう。
3:17 神のみこころであるなら、悪を行って苦しみを受けるより、善を行って苦しみを受けるほうがよいのです。
3:18 キリストも一度、罪のために苦しみを受けられました。正しい方が正しくない者たちの身代わりになられたのです。それは、肉においては死に渡され、霊においては生かされて、あなたがたを神に導くためでした。
3:19 その霊においてキリストは、捕らわれている霊たちのところに行って宣言されました。
3:20 かつてノアの時代に、箱舟が造られていた間、神が忍耐して待っておられたときに従わなかった霊たちにです。その箱舟に入ったわずかの人たち、すなわち八人は、水を通って救われました。
3:21 この水はまた、今あなたがたをイエス・キリストの復活を通して救うバプテスマの型なのです。バプテスマは肉の汚れを取り除くものではありません。それはむしろ、健全な良心が神に対して行う誓約です。
3:22 イエス・キリストは天に上り、神の右におられます。御使いたちも、もろもろの権威と権力も、この方に服従しているのです。
 2024年6月6日(木)リビングライフQT

信仰生活の具体化は、様々な困難を伴います。
『主なる神を信じて新しくされるなら、そこから展開する、信仰生活は、どれ程、祝福に満ちたものでしょう‼️』と、考えたかもしれません。
しかし、振り返ってみてください。かつて、主の弟子となる前は、幸せを求め、それを得るために、この信仰の道に入ったのかもしれません。
ところが、その様な、欲望・渇望の充足とは違う次元の、私達の魂(霊)に注がれた神の恵みによって、祝福に満ちた、豊かな生活が与えられたのです。
しかし、サタンはそれを切り崩そうと、恐ろしい悪魔的方法とは限らず、普通の日々の生活の中で、経済的困難・人間関係の離反・社会と同調できない(信仰の故に)孤立感等々・・・
14節の《義のために苦しむことがあっても、あなた方は幸いです。人々の脅かしを恐れたり、おびえたりしてはいけません。》と、あるように、信仰者であるがゆえに、受ける非難や苦難が起こるのです。
ぺテロ先生は、初代教会が直面する、苦難や迫害に対して、聖徒達が、挫けないように、この書簡を書いたのです。
大切な薦めの言葉を、改めて、書き出してみましょう。
☆(15節)
《希望についての説明を求める人々には、いつでも弁明(証し)できる用意をしていなさい。》
☆(16節)
《柔和な心で恐れつつ、健全な良心をもって説明(証し)しなさい。》
☆(17節)
《善を行って苦しみを受ける方がよいのです。》
☆(18節)
《キリストも・・・正しい方が正しくない者のために身代わりとなられたのです。》
☆(20節)
《ノアの時代に・・方舟に入ったわずかな人たち、すなわち八人は、水を通って救われました。》
☆(21節)
《この水はまた、今あなたがたをイエス・キリストの復活を通して救う、パプテスマの型なのです。》
☆この箇所は大切な箇所です‼️
《パプテスマは肉の汚れを取り除くものではありません。それはむしろ、健全な良心が神に対して行う誓約です。》
ともすると、洗礼(水のバプテスマ)は、日本の、“みそぎ”のような感覚で受け止められる方がおられますが…

私たちを罪から浄めるのは、イエス様の十字架の血潮なのです。
洗礼は、信仰の告白なのです‼️ハレルヤ‼️

明日(7日)のテキスト
ペテロ第一
    4章1節~11節
 ペテロ第一 3章1節~12節

3:1 同じように、妻たちよ、自分の夫に従いなさい。たとえ、みことばに従わない夫であっても、妻の無言のふるまいによって神のものとされるためです。
3:2 夫は、あなたがたの、神を恐れる純粋な生き方を目にするのです。
3:3 あなたがたの飾りは、髪を編んだり金の飾りを付けたり、服を着飾ったりする外面的なものであってはいけません。
3:4 むしろ、柔和で穏やかな霊という朽ちることのないものを持つ、心の中の隠れた人を飾りとしなさい。それこそ、神の御前で価値あるものです。
3:5 かつて、神に望みを置いた敬虔な女の人たちも、そのように自分を飾って、夫に従ったのです。
3:6 たとえば、サラはアブラハムを主と呼んで従いました。どんなことをも恐れないで善を行うなら、あなたがたはサラの子です。
3:7 同じように、夫たちよ、妻が自分より弱い器であることを理解して妻とともに暮らしなさい。また、いのちの恵みをともに受け継ぐ者として尊敬しなさい。そうすれば、あなたがたの祈りは妨げられません。
3:8 最後に言います。みな、一つ思いになり、同情し合い、兄弟愛を示し、心の優しい人となり、謙虚でありなさい。
3:9 悪に対して悪を返さず、侮辱に対して侮辱を返さず、逆に祝福しなさい。あなたがたは祝福を受け継ぐために召されたのです。
3:10 「いのちを愛し、幸せな日々を見ようと願う者は、舌に悪口を言わせず、唇に欺きを語らせるな。
3:11 悪を離れて善を行い、平和を求め、それを追え。
3:12 主の目は正しい人たちの上にあり、主の耳は彼らの叫びに傾けられる。しかし主の顔は、悪をなす者どもに敵対する。」
 2024年6月5日(水)リビングライフQT

信仰生活が、独り善がりにならないためには、一人一人が、主なる神と、人の前に真実に生きることが、大切なことです✨

恐れない❗
 隠さない❗
   飾らない❗
    弁解しない❗
私達の背後には、全能の愛と恵みの神が共におられるのですから、ただ真実に生きることです。
取り繕う・言い訳・自分を良く見せようとすることは、不信の溝を深くするだけです。
私たちは、対立や、敵対の中で、理解されるための工作は、反って信頼と、真実を失うことになります。
ただ一つ、最高の刈り入れに繋がるのは、ただ全面的に神の御思いに最大の期待と信頼をおいて、神の福音の道を真っ直ぐに歩み続けることです‼️
人の前に、《良く見せよう》・・・との思いが、反って神の光と輝きとを覆ってしまうのです。》
真実とは、神の前に隠れることなく、有りのままに歩む中から現れて来る、姿なのです。
怖れることなく、歩んで参りましょう。
イエス・キリスト様の赦しと清めに与かったあなたの魂は、
神の愛と真実を表す器として、用いられるのです。
又、整えられることを願って、聖霊の満たしと力を、祈り求めて参りましょう。
9節~あなた方は祝福を受け継ぐために召されたのです。
11節~平和を求め、それを追え‼️
12節~主の目は正しい人たちの上にあり、
主の耳は、彼らの叫びに傾けられる‼️
もっと、もっと、このお方に信頼して参りましょう。
私たちを通して、真の神の御姿を、この私たちが表す(証しする)こととなるのです
何と言う光栄❗
  何と言う特権‼️
  ペテロ第一 2章11節~25節

2:11 愛する者たち、私は勧めます。あなたがたは旅人、寄留者なのですから、たましいに戦いを挑む肉の欲を避けなさい。
2:12 異邦人の中にあって立派にふるまいなさい。そうすれば、彼らがあなたがたを悪人呼ばわりしていても、あなたがたの立派な行いを目にして、神の訪れの日に神をあがめるようになります。
2:13 人が立てたすべての制度に、主のゆえに従いなさい。それが主権者である王であっても、
2:14 あるいは、悪を行う者を罰して善を行う者をほめるために、王から遣わされた総督であっても、従いなさい。
2:15 善を行って、愚かな者たちの無知な発言を封じることは、神のみこころだからです。
2:16 自由な者として、しかもその自由を悪の言い訳にせず、神のしもべとして従いなさい。
2:17 すべての人を敬い、兄弟たちを愛し、神を恐れ、王を敬いなさい。
2:18 しもべたちよ、敬意を込めて主人に従いなさい。善良で優しい主人だけでなく、意地悪な主人にも従いなさい。
2:19 もしだれかが不当な苦しみを受けながら、神の御前における良心のゆえに悲しみに耐えるなら、それは神に喜ばれることです。
2:20 罪を犯して打ちたたかれ、それを耐え忍んでも、何の誉れになるでしょう。しかし、善を行って苦しみを受け、それを耐え忍ぶなら、それは神の御前に喜ばれることです。
2:21 このためにこそ、あなたがたは召されました。キリストも、あなたがたのために苦しみを受け、その足跡に従うようにと、あなたがたに模範を残された。
2:22 キリストは罪を犯したことがなく、その口には欺きもなかった。
2:23 ののしられても、ののしり返さず、苦しめられても、脅すことをせず、正しくさばかれる方にお任せになった。
2:24 キリストは自ら十字架の上で、私たちの罪をその身に負われた。それは、私たちが罪を離れ、義のために生きるため。その打ち傷のゆえに、あなたがたは癒やされた。
2:25 あなたがたは羊のようにさまよっていた。しかし今や、自分のたましいの牧者であり監督者である方のもとに帰った。
 
  2024年6月4日(火)リビングライフQT

これから展開する、内容は、牧会書簡と言われるもので、諸教会で主に導かれ、クリスチャン生活をするようになった人々に、キリストの弟子としてどう歩むべきかを、導く大切な指針であり、基本となる教えの箇所なのです。
①《従いなさい)
13節・14節・16節・18節
もちろん、悪いこと・罪・神から離れる事・・・等は、従う対象外であることは、言うまでもない事ですが、
大切な事は、この世の社会が、国が、定めたことは、神の許し(許容)の下で営まれるのですから、互いに協力して、助け合い、より良い世界を建て挙げる働きをしなさいと言うことなのです。
ちなみに、神の国(一人一人と主との関係)を建て挙げるのは、教会の働きですが、この地上に、神の国を具体的に作るのではないのです。教会は、人(社会)の善なる働きに、クリスチャン一人一人を通して、福音の光を与えていく使命を頂いているのです。ですから、共に協力して、より良い世界を創り出して行きましょう。
イエス様は、ご自分に対しての迫害のただ中で、黙々と、迫害者の手に自らを委ねられ、十字架の死にまでも、従われたのです。
私たちクリスチャンは、ともすると、自分(クリスチャンとしての)正しいと信じることを、押し通したりします、又、反対に会うと、“迫害された”と言ったりして思い違いをする事があります。しかし社会では、クリスチャンのやり方が独断・非協力と感じられたりする事もあります。その事で、福音が阻害されたりもしますから、気を付けなければなりません。
22節〜イエス様は苦難の道をも、御力と清さとをもって避けられる事をせずに、黙々と従われた(受けられた)のです。
『正しくさばかれる方にお任せになられたのです。』
その結果が、あなたのそして、私の贖罪の死となって、救いを完成してくださったのです。
私達も、この世にあって、福音を証しする為に、苦しみの時にも堪え忍びましょう。イエス様のお姿とその歩みを思いながら・・・‼️
今朝のテキストから始まる箇所は、非常に大切な、クリスチャン生活の基本となる勧めですから、しっかりと魂に刻みましょう。
     アーメン‼️

3日の夜遅くに台湾より帰国致しました。素晴らしい恵みの時でした✨
お祈りを心から感謝致します


明日(5日)のテキスト
ぺテロ第一
    3章1節~12節 
  ペテロ第一 1章22節~2章10節

1:22 あなたがたは真理に従うことによって、たましいを清め、偽りのない兄弟愛を抱くようになったのですから、きよい心で互いに熱く愛し合いなさい。
1:23 あなたがたが新しく生まれたのは、朽ちる種からではなく朽ちない種からであり、生きた、いつまでも残る、神のことばによるのです。
1:24 「人はみな草のよう。その栄えはみな草の花のようだ。草はしおれ、花は散る。
1:25 しかし、主のことばは永遠に立つ」とあるからです。これが、あなたがたに福音として宣べ伝えられたことばです。

2:1 ですからあなたがたは、すべての悪意、すべての偽り、偽善やねたみ、すべての悪口を捨てて、
2:2 生まれたばかりの乳飲み子のように、純粋な、霊の乳を慕い求めなさい。それによって成長し、救いを得るためです。
2:3 あなたがたは、主がいつくしみ深い方であることを、確かに味わいました。
2:4 主のもとに来なさい。主は、人には捨てられたが神には選ばれた、尊い生ける石です。
2:5 あなたがた自身も生ける石として霊の家に築き上げられ、神に喜ばれる霊のいけにえをイエス・キリストを通して献げる、聖なる祭司となります。
2:6 聖書にこう書いてあるからです。「見よ、わたしはシオンに、選ばれた石、尊い要石を据える。この方に信頼する者は決して失望させられることがない。」
2:7 したがってこの石は、信じているあなたがたには尊いものですが、信じていない人々にとっては、「家を建てる者たちが捨てた石、それが要の石となった」のであり、
2:8 それは「つまずきの石、妨げの岩」なのです。彼らがつまずくのは、みことばに従わないからであり、また、そうなるように定められていたのです。
2:9 しかし、あなたがたは選ばれた種族、王である祭司、聖なる国民、神のものとされた民です。それは、あなたがたを闇の中から、ご自分の驚くべき光の中に召してくださった方の栄誉を、あなたがたが告げ知らせるためです。
2:10 あなたがたは以前は神の民ではなかったのに、今は神の民であり、あわれみを受けたことがなかったのに、今はあわれみを受けています。
   2024年6月3日(月)リビングライフQT

福音の本質それは、《神の言葉》です。
どんなに美しく咲き誇る花も緑も、やがて、花は落ち、葉は散り、木も時が来ると枯れて倒れます。『すべてのものは、朽ちて失われます、
しかし、主のことばは“永遠にたつ”』とあるからです。これがあなた方に福音として述べ伝えられたことばです。(24節~25節)
聖書の御言葉を教理化したり、体系化したりすることにより、神の命を失ってしまうのです。
聖書の御言葉を、神からのメッセージとして、預言者が受け止めて、これを民に語り伝えて、神のみ思い・御意志を、伝えて来たのです。
これが神と人との関係なのです。
御言葉は、神と人とを繋ぐ、唯一の繋がりなのです。今朝は改めて、この事を深く心に刻み、命のみ言葉に、もっともっと耳目心を傾けて参りましょう‼️
5月30日からここ数日、台湾の山地原住民の働きを訪ねてきましたが、非常に強く感じたのは、
彼等が神のみ言葉、《聖書》に、実に忠実であるかでした。
殊に、6月2日の夜、壮年部の、夕食会に招かれた中で、一人一人が証しをしてくださいましたが
実に従順に、神の言葉に心開いて、歩んで来られたかが聞き取れました。
始めは牧師と対立したり、離れて行ったり・・・、しかし、周りの方々の真実な生きざまを見る中で、聖書の言葉=神の言葉…と悟り知った時に、一人一人が変わったのだそうです。
何と従順な壮年達でしょう。40代から50代の壮年達の顔は幼子のような、純粋さが見えました。
神の言葉は、こんなにも人を、新しく形づくるのです‼️
やはり、神の言魂は、
受け入れた瞬間に、新しい命の言葉となって、人の魂を新しく作りかえ始めるのです。
聖書を読みましょう。
読まなければ、聞かなければ、それは石ころのように、何の価値もないものとして、埋もれてしまうでしょう。
今一度御言葉を生きるために、御言葉に命を懸けるほどに、頂いて参りましょう🎵アーメン‼️
  ペテロ第一 1章10節~21節

1:10 この救いについては、あなたがたに対する恵みを預言した預言者たちも、熱心に尋ね求め、細かく調べました。
1:11 彼らは、自分たちのうちにおられるキリストの御霊が、キリストの苦難とそれに続く栄光を前もって証ししたときに、だれを、そしてどの時を指して言われたのかを調べたのです。
1:12 彼らは、自分たちのためではなく、あなたがたのために奉仕しているのだという啓示を受けました。そして彼らが調べたことが今や、天から遣わされた聖霊により福音を語った人々を通して、あなたがたに告げ知らされたのです。御使いたちもそれをはっきり見たいと願っています。
1:13 ですから、あなたがたは心を引き締め、身を慎み、イエス・キリストが現れるときに与えられる恵みを、ひたすら待ち望みなさい。
1:14 従順な子どもとなり、以前、無知であったときの欲望に従わず、
1:15 むしろ、あなたがたを召された聖なる方に倣い、あなたがた自身、生活のすべてにおいて聖なる者となりなさい。
1:16 「あなたがたは聖なる者でなければならない。わたしが聖だからである」と書いてあるからです。
1:17 また、人をそれぞれのわざにしたがって公平にさばかれる方を父と呼んでいるのなら、この世に寄留している時を、恐れつつ過ごしなさい。
1:18 ご存じのように、あなたがたが先祖伝来のむなしい生き方から贖い出されたのは、銀や金のような朽ちる物にはよらず、
1:19 傷もなく汚れもない子羊のようなキリストの、尊い血によったのです。
1:20 キリストは、世界の基が据えられる前から知られていましたが、この終わりの時に、あなたがたのために現れてくださいました。
1:21 あなたがたは、キリストを死者の中からよみがえらせて栄光を与えられた神を、キリストによって信じる者です。ですから、あなたがたの信仰と希望は神にかかっています。
1:22 あなたがたは真理に従うことによって、たましいを清め、偽りのない兄弟愛を抱くようになったのですから、きよい心で互いに熱く愛し合いなさい。
1:23 あなたがたが新しく生まれたのは、朽ちる種からではなく朽ちない種からであり、生きた、いつまでも残る、神のことばによるのです。
1:24 「人はみな草のよう。その栄えはみな草の花のようだ。草はしおれ、花は散る。
1:25 しかし、主のことばは永遠に立つ」とあるからです。これが、あなたがたに福音として宣べ伝えられたことばです。
   2024年6月2日(日)リビングライフQT

聖なるお方の前に生きる‼️
私は、“キリスト教”と言う呼び方は、私達の信仰の世界には、相応しくない💢❗と、申し上げることが良くありますが、その理由は・・・
この呼び方は、宗教分類の中の一つの宗教としての名称だからです。
厳密な意味で、《私は、キリスト教を信じている❗》と言う表現の告白は、
正しいとは言えません。それは、歴史の中に現れ人々の生活と心の悩みからの救済のために、産み出された、教えの道‼️と言う意味になるからです。
私達の信じている聖書の福音は、神からの啓示(直接与えられる知らせ)であって、歴史の中の“いつか・どこかで・誰かが”教え、整えて、人類に残した、救済の教え(悟り)ではないのです。
《福音》は、神が私たち罪人に直接介入されて、罪赦され、神の聖さに回復される道を、拓かれたのです。
ですから「私は、聖書の福音に語られた・・と言うように、私たちの心(魂)が、直接《福音》を受け入れて、新しく創り変えられた者となるのです。
それを新しく生まれる‼️と言う体験となるのです。
それはただ過去の、様々な罪や失敗が帳消しになる‼️と言うことだけではなく、全く新しく生まれ変わる‼️💕と言うことを、神があなたにその資格を、与えられたことが、《救い》と言う、体験なのです。
救われる‼️と言うことは、新しい命に生きることなのです。
その新しい命が⁉️
《福音》なのです。
福音に生きる‼️と言うことは、《神の命に生きる》と言うことです‼️
それはどの様にしてでしょうか(はてな)
(15節~17節)
・・・「あなた方は聖なる者でなければならない。私が聖だからである」・・・・
(18~19節)
購い出されたのは・・・朽ちるものにはよらず・・・キリストの尊い血によったのです。
(21節)
・・・ですから、あなた方の信仰と希望は神にかかっているのです。
   ハレルヤ🎵
    アーメン‼️
 
 
  ペテロ第一 1章1節~9節

1:1 イエス・キリストの使徒ペテロから、ポントス、ガラテヤ、カパドキア、アジア、ビティニアに散って寄留している選ばれた人たち、すなわち、
1:2 父なる神の予知のままに、御霊による聖別によって、イエス・キリストに従うように、またその血の注ぎかけを受けるように選ばれた人たちへ。恵みと平安が、あなたがたにますます豊かに与えられますように。
1:3 私たちの主イエス・キリストの父である神がほめたたえられますように。神は、ご自分の大きなあわれみのゆえに、イエス・キリストが死者の中からよみがえられたことによって、私たちを新しく生まれさせ、生ける望みを持たせてくださいました。
1:4 また、朽ちることも、汚れることも、消えて行くこともない資産を受け継ぐようにしてくださいました。これらは、あなたがたのために天に蓄えられています。
1:5 あなたがたは、信仰により、神の御力によって守られており、終わりの時に現されるように用意されている救いをいただくのです。
1:6 そういうわけで、あなたがたは大いに喜んでいます。今しばらくの間、様々な試練の中で悲しまなければならないのですが、
1:7 試練で試されたあなたがたの信仰は、火で精錬されてもなお朽ちていく金よりも高価であり、イエス・キリストが現れるとき、称賛と栄光と誉れをもたらします。
1:8 あなたがたはイエス・キリストを見たことはないけれども愛しており、今見てはいないけれども信じており、ことばに尽くせない、栄えに満ちた喜びに躍っています。
1:9 あなたがたが、信仰の結果であるたましいの救いを得ているからです。
   2024年6月1日(土)リビングライフQT

新たな思いで、新約聖書の書簡を学びましょう‼️
1節に列挙された名前は、そのまま小アジア半島(現在のトルコ)の地方都市に点在する諸教会があった所です。パウロの伝道旅行によって拓かれ、その後をぺテロが巡回しながら、励まし支えてきた教会です。ここには、記されてはいませんが、エペソの大神である、“アルテミス神”をトップの座に据え、その強大な力をこれらの地へ、宇宙的支配力をもって、アジア全域を覆っていたのです。丁度、五月の声を聞くと、日本のあちこちで掛け声と共に、通行人まで巻き込む神社の祭のように、人々の生活の全域を支配していたのです。
この様な地で生きる信仰は、単にご利益を求める自己中心な信仰を越えて、これらの地域神との一体化を是(誇り)とする力で、民を支配していたのです。
この様な中で、イエスの使徒となり、福音に生きる教会の信徒たちは、生きるのに行き詰まる様な圧迫と霊的な闘いが彼らを包んでいたのでしょう‼️
その様な主の弟子(クリスチャン)を、パウロは特別な神のご計画があったのだ‼️と、称賛するのです。
×3節~神はご自身のあわれみの様に・・・新しく生まれさせ・・・
4節~・・・(あなたの眼と心で読んで頂きたく、この紙面では省略します。)
*5節~・・・終わりに現されるようにと用意されている救い・・・
*5節・6節・7節・8節・・・・同じ様に書き下ろすのを、省きますがあなたの目で、口で読んでみましょう。
そして、著者ぺテロは、最後に・・こう記しています‼️
*9節、信仰の結果である魂の救いを得ているからです・・・と
何と言う力強い信仰でしょう。ここには、明らかにクリスチャンが、慰めや、ご利益や、癒し・・に、傾倒した信仰を、探られる思いで、新たに、信仰の目的を、終わりの時に与えられる、神の恵みの特殊性を示しているのです‼️
私達の持っている“宝”は、
*何者にも傷つけられない❗
*何者にも換え難い
永遠へと繋がる約束をもって導かれる福音‼️
今朝はこのようにして、私達が頂いている福音(救い・・)の、素晴らしさは、永続的、神のご計画なのです‼️
    ハレルヤ